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2011.06.30

2月25に中国艦艇がフィリピン漁船を威嚇射撃した事件をNHKは6月29日にわかりましたとさ

 判じ物という趣向ではないが、中国の海軍の火遊びについて少し考えてみたい。話が入り組んだ形になるのは、報道のされかたに、まず奇妙とも思える点があるからだ。6月29日16時56分のNHK「中国艦艇が比漁船を威嚇射撃」(参照)は表題からもわかるように、中国艦艇がフィリピン漁船を威嚇射撃した事件の報道だが、事件はいつかというと2月であったというのだ。なぜかくも報道が遅れたのだろうか。


 東南アジア諸国と中国が領有権を巡って対立を深めている南シナ海で、ことし2月、フィリピンの漁船が中国海軍の艦艇から立ち去るよう警告されたあと、威嚇射撃を受けていたことがNHKの取材で分かりました。

 話を真に受けると、NHKが取材を重ね、6月も末になり、ようやく2月の事件がわかったので報道したということになる。詳細も読んでみよう。

 フィリピン政府や軍の高官によりますと、ことし2月25日午後、フィリピンの漁船、マリクリス12号が南シナ海の南沙諸島にあるジャクソン礁という浅瀬の近くで漁をしていたところ、ミサイルフリゲート艦と見られる中国海軍の艦艇が接近してきて、無線を通じて「中国軍の艦艇だ。ここは中国の領海だ。直ちにこの海域から去れ」と警告してきたということです。近くにいた3隻のフィリピンの漁船は現場を離れましたが、マリクリス12号は、いかりを上げる装置が故障して動くことができず、中国の艦艇は「射撃する」と繰り返したあと、海面に向けて3回威嚇射撃を行ったということです。ベトナム政府は、自国の漁船が先月末、中国の艦艇から威嚇射撃を受けたことについて公表しましたが、フィリピン政府はこうした公表を一切、控えていました。フィリピンのデルロサリオ外相は、先週、中国の艦艇による問題行為が、ことし2月以降、9件起き、行動がより攻撃的になっていると非難しており、背景には今回明らかになったような中国艦艇による武器を使った威嚇行為があるものとみられます。

 素直に読むならフィリピン政府は2月25日の中国艦艇によるフィリピン漁船威嚇射撃の公開を控えていたが、最近公開したから、それにあわせてNHKが取材してわかりました、ということになる。ほんとかね。
 嘘だとも言えない。だがちょっと検索してみるとわかるように、6月の頭にはこの事件は国際的には報道されていた。例えば6月2日付けManila Bulletin Newspaper「Rizal, Spratlys, China, Philippines, Vietnam」(参照)にはこうある。

 But the Chinese warship still fired three shots at the vessels F/V Jaime DLS, F/V Mama Lydia DLS and F/V Maricris 12. The Philippine Nay later identified the Chinese warship as Dongguan, a Jianghu-V Class missile frigate.
 The incident in the South China Sea happened on Feb. 25.

しかし中国の軍艦はそれでも、漁船、F/VハイメDLS、F/Vママ・リディアDLS、およびF/Vマリクリス12にに3つの弾丸を発射した。フィリピン海軍は後で中国の軍艦をトンコワン(Jianghu-Vクラスのミサイルフリゲート艦)と認定した。
 南シナ海の事件は2月25日に起こった。



Yet while the Philippine government protested the March and May incidents, one by note verbale another verbally, it did no such thing about the February incident.

フィリピン政府が3月及び5月の別の事件で口上書や口頭では抗議をしているものの、それには2月の事件についてはなかった。


 確かに2月のフィリピン漁船威嚇射撃はフィリピン政府が隠蔽していたというのはありそうだ。そしてそれにはそれなりの外交・軍事上の意味合いもあったのだろう。
 しかし、この6月2日の記事からして、6月頭には確認されていたと見てよいのも確かである。当然、NHKも6月上旬には確認できたはずなのだが、なぜ6月末まで報道が遅れたのか、またなぜこのタイミングでの報道だったのか。奇っ怪。
 滑稽味もあるのは共同通信である。29日(22:37)付け「中国艦、比漁船を威嚇射撃 2月に南沙諸島付近」(参照)より。

 中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)の一部加盟国などが領有権を争っている南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島付近で、中国海軍の艦艇が今年2月、フィリピン漁船に威嚇射撃していたことが29日までに、分かった。けが人はなかった。フィリピン政府高官が明らかにした。
 この高官や軍によると、中国艦は2月25日、南沙諸島のジャクソン礁近くで漁をしていた漁船数隻に無線で「この海域は中国の領海だ。立ち去れ」と警告。1隻が立ち往生したところ、数回威嚇射撃を受けた。
 同様に領有権を争うベトナムの漁船も、南沙諸島海域で5月末、中国艦から威嚇射撃を受けている。

 共同通信にとって、威嚇射撃事件がわかったのは29日の夜10時だそうだ。先ほどの「NHKの取材でわかった」とする午後4時の報道と組み合わせると、共同通信はNHKのニュースで確認したということなのか。共同通信もそれまでわからなかったのか、あるいは、29日に日本国内に何らかの筋で報道解禁が出たというのだろうか。他の国内報道の様子を見てもNHKが初報道のようでもあるが。
 少し推測をしてみたい。そう思うのは、NHKのニュースを聞いた後、朝日新聞27日の社説「南シナ海―多国間の枠組み支援を」(参照)を想起したからだった。簡単にいうと、29日のNHK報道の準備のようにも思えた。

 強大になる一方の隣国とどう折り合ってゆくか。経済の依存は深まり、安全保障面では圧力が強まる――。頭を悩ますのは日本だけではない。
 ベトナムで反中国デモが繰り返されている。街頭活動を厳しく制限してきた一党独裁下では極めて珍しい光景だ。
 先月下旬、ベトナム沿岸に近い南シナ海で、中国船がベトナムの石油探査船の調査ケーブルを切断したことが発端だ。
 ベトナムは、中国船が自国漁船に発砲するなど侵犯行為を重ねていると主張する。当局はデモを黙認しているのだ。
 フィリピンもスプラトリー(南沙)諸島の自国領に中国が建造物を構築したと抗議した。
 中国はかねて、石油資源などが期待される南シナ海の大部分の領有権を主張してきたが、経済発展とともに軍事費を増大させてきた近年、より強硬な形で他国を牽制(けんせい)するようになった。
 それは尖閣諸島をはじめとする東シナ海と似た構図だ。
 中国との紛争をたびたび経験してきたベトナムは潜水艦を購入するなど軍備を増強し、海上での実弾演習を実施した。
 これに対し中国でも反ベトナム感情が高まっているという。
 中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)は2002年、南シナ海の領有権の平和的解決をうたった「行動宣言」に署名した。ASEANは法的拘束力を持つ「行動規範」への格上げをめざすが、集団交渉を避けたい中国は二国間協議を求める。
 米国も「航行の自由は国益」として、南シナ海情勢に関与する構えだ。クリントン国務長官は、中国の動きを「地域に緊張をもたらす」と批判した。
 米国はフィリピン、ベトナム両政府と協議したうえで、中国との直接協議に臨んだ。
 日本の船舶にとっても重要な海上交通路にあたる。
 ASEAN各国は、尖閣諸島や日本近海での日中のせめぎ合いを注意深く見ている。日本としても南シナ海情勢により大きな関心を寄せる必要がある。
 圧倒的な軍事力を持つ中国には、行動宣言の精神を尊重し他国への挑発を慎むよう求めなければならない。ASEAN各国には、軍拡はいたずらに緊張を高めると指摘したい。
 海洋資源については、領有権を棚上げし、関係国が共同開発を模索するしか道はなかろう。
 日本も加わるASEAN地域フォーラムが来月に、米国とロシアが初参加する東アジアサミットは秋に予定されている。行動規範の策定を後押しし、多国間の枠組みを支援したい。

 NHKによる「中国艦、比漁船を威嚇射撃」報道前なので、その点には触れていない。
 朝日新聞がこの社説を27日に出したのはなぜか。答えは、朝日新聞社説には言及がないが、28日から開始されたフィリピン軍と米軍との合同軍事演習を受けてのことだ。
 実は先のNHKによる「中国艦、比漁船を威嚇射撃」報道は、内容的な言及はないもののほぼ「米比合同軍事演習」の報道とペアになっていた。実際には合同演習の報道のあとに、中国軍の威嚇報道があった。NHK6月29日4時12分「南沙諸島付近で米比合同軍事演習」(参照)より。

 南シナ海の島々の領有権を巡って東南アジア諸国と中国の対立が深まるなか、フィリピンとアメリカは、南沙諸島に近い海域で28日から合同軍事演習を始めました。
 演習が行われるのは、南シナ海を臨むフィリピンのパラワン島と、その東側のスールー海で、この海域でアメリカとフィリピンが合同軍事演習を行うのは2008年以来3年ぶりです。演習には、合わせて1200人の人員と、アメリカ側からイージス艦など3隻、フィリピン側から哨戒艇2隻が参加し、11日間にわたって不審船の追跡訓練などを行う予定です。28日、パラワン島のプエルト・プリンセサで行われた式典に出席したアメリカ第7艦隊司令官のバンバスカーク中将は、記者団に対し「安全保障への関与を明確に示すことで、この地域の安定を確かなものにしたい」と述べ、アメリカが南シナ海を含む東南アジア全域の安全保障に積極的に関与していく姿勢を強調しました。さらにバンバスカーク中将は、原子力空母「ジョージ・ワシントン」を今週、南シナ海に派遣し、アメリカ軍単独の訓練を行うことを明らかにしました。南シナ海では、中国の艦艇がフィリピンやベトナムの石油探査船を妨害するなど活動を活発化させていて、アメリカとフィリピンは、あえて近くの海域で軍事演習を行うことで、中国を強くけん制するねらいがあるものとみられます。

 朝日新聞としてはこの「中国を強くけん制するねらい」に対応したのだろう。
 30日の毎日新聞社説は少し出遅れた反面、この文脈を明確にしていた。「南シナ海 中国の自制が必要だ」(参照)より。

 決して「対岸の火事」ではない。
 南シナ海で領有権を争う中国、ベトナム、フィリピンなどの対立が強まっている。中国が艦船活動を活発化させているためで、ベトナムでは市民らの反中デモが続き、フィリピンは28日から米軍との合同軍事演習に入った。やはり領有権を主張する台湾も近く軍事演習を行うとされ、震災対応に忙しい日本にもきな臭い空気が伝わってくる。
 思い出されるのは、尖閣諸島をめぐる昨秋の日中摩擦だ。中国が東シナ海や南シナ海で「膨張政策」を取っているのは明白だろう。日本周辺では、九州から台湾、フィリピンなどを結ぶ第1列島線から、伊豆諸島-小笠原諸島-グアムと続く第2列島線へと勢力圏を東に拡大することを狙っていると言われる。中国は最高実力者の故トウ小平氏による韜光養晦(とうこうようかい)(謙虚に能力を隠す)路線を踏み越え、自国の「内海」を拡大して米国と張り合おうとしているようだ。
 ベトナム外務省によれば、南沙諸島周辺では今月、同国の漁船が中国艦船から威嚇射撃を受け、ベトナムの排他的経済水域(EEZ)で海底地質調査をしていた同国の探査船が、調査ケーブル切断装置を持つ中国船に活動を妨害された。先月にも中国船によるケーブル切断や威嚇射撃があったという。今月中旬、ベトナムが南シナ海で実弾演習に踏み切り、中国との緊張が高まった。
 宮城県沖の日本のEEZ内に中国の海洋調査船が入り込む事件も起きている(今月23日)。こうした中国艦船の動きは容認できない。東シナ海にしろ南シナ海にしろ石油資源への思惑があるのだろうが、中国はアジアの大国として、国連常任理事国として、平地ならぬ穏やかな海に乱を起こす行動は慎むべきである。
 もちろん中国にも言い分はあろう。中国側は言う。南シナ海の問題は2国間対話で解決すべきだ、米国は当事者ではない、と。しかしクリントン米国務長官が日米安全保障協議委員会(2プラス2)で表明したように、中国が「地域に緊張をもたらしている」のは確かであり、中国艦船の威嚇射撃などは、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)が02年に署名した「南シナ海行動宣言」に反しているとの声も強い。
 キャンベル米国務次官補と中国外務省の崔天凱次官の間で行われた米中初のアジア太平洋協議(25日)は平行線に終わったが、米国が言うように南シナ海の問題は多国間の枠組みで取り組むべきである。来月行われるASEAN地域フォーラム(ARF)や、米露が初めて参加する今秋予定の東アジアサミット(EAS)でも、日米は緊密な連携を保って、この問題に対処したい。

 30日の社説なのに、29日報道された2月のフィリピン漁船への威嚇射撃には言及がないのは、執筆時点に間に合わなかったのかもしれないが、それでも6月の、ベトナム漁船に中国艦船から威嚇射撃を受けた話は載せている。
 端的に言えば、日本漁船もいずれ中国艦船から威嚇射撃をくらうだろうと見て、なんらおかしくはない状況になりましたということだ。
 少し話を戻す。米軍が軍事演習に押し出してきたのは、その前に中国側からのメッセージを受けたという文脈がある。23日付けWSJ「米国は関与するな-中国外務次官、南シナ海領有権問題で」(参照)より。

 中国政府は22日、南シナ海の領有権問題で米国が関与しないよう警告する一方、一部の近隣諸国が「火遊び」をしていると非難した。
 中国の崔天凱外務次官は一部記者団に対し、ベトナムなど沿岸国が南シナ海の領有権をめぐり挑発行為に出ていると批判し、「米政府は非常に慎重な方法でこの問題にアプローチすべきだ」と紛争解決のため米国の協力を求めたベトナムとフィリピンの動きをけん制した。また「一部の国は火遊びしている」と述べ、「米国はこの火でやけどしないよう希望する」と語った。

 これはフィリピンへの脅しでもあったのかもしれない。この週フィリピンのデルロサリオ外相は訪米し、中国の脅威への対抗を米国に嘆願していた。
 中国への回答は、すっかりどや顔が定着したクリントン米国務長官が出している。24日付けAFP「米国、フィリピン海軍に装備支援 南シナ海めぐり中国をけん制」(参照

 ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)米国務長官と会談したフィリピンのアルベルト・デルロサリオ(Albert del Rosario)外相は、会談後の共同記者会見で「わが国は小国だが、裏庭で発生するいかなる攻撃的な行為に対しても、必要とあらば立ち向かう準備ができている」と発言。老朽化が進むフィリピン海軍装備の最新化と同盟関係の強化を米国に要請した。
 一方、要請された支援の詳細について問われたクリントン国務長官は、フィリピンの防衛支援に熱心に取り組む決意だと答え、「最近の南シナ海での出来事が地域の平和と安定を損なうのではないかと懸念している」と述べて、全ての当事国に自制を求めた。
 戦略的に重要な海域にあるうえ豊富な海底資源が見込まれる南シナ海では、ここ数週間、中国が領有権の係争海域で示威的な行為を繰り返し、フィリピンやベトナムとの間で緊張が高まっている。
 フィリピンはすでに問題の海域で海軍艦船による巡回を行うと発表。また、米国は来週フィリピン海軍との合同軍事演習を実施するほか、7月には米海軍艦がベトナムに寄航する予定だ。米政府高官は毎年恒例のスケジュールだと説明している。

 日本を迂回する形でいろいろ話が進んでいるようにも見える。

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2011.06.27

石油備蓄放出ということだが、これはちょっとひどい話

 国際エネルギー機関(IEA)は、23日、日米を含め28か国の加盟国に義務づけている原油や石油商品の備蓄を協調して放出することにした。放出総量は6000万バレルで加盟国は1か月間放出を続けることになる。米国政府は3000万バレルの原油放出を決め、日本政府もガソリンなど石油製品790万バレルの放出を発表した。今回のIEAの決定について、表向きの理由は付くが、不可解とも言えないこともないし、この件にはちょっとひどいなあとも思うので簡単にメモしておきたい。
 表向きの理由は、さすが読売新聞というべきか、24日の社説「石油備蓄放出 原油高をけん制する協調策」(参照)で早々に説いていた。


 ニューヨーク原油市場の指標価格は、今春以降、1バレル=100ドル超に高騰していたが、消費国の備蓄放出が決まると、一時、90ドルを割り込んだ。
 IEAの決定でさっそく、原油価格が押し下げられた形だ。原油市場に流入していた投機マネーの動きも抑制したとみられる。
 世界の原油需要量のうち、今回の放出量は日量換算でわずか2%強にとどまる。しかし、加盟国が結束して行動する意義は大きい。相場の過熱をけん制する効果に期待したい。

 投機による原油の高騰を抑える効果があるという。その効果がある自体にはさして疑念はない。背景説明になると少し奇異感が出てくる。

 そもそも、最近の原油高は、中東・北アフリカでの政情不安や、新興国の需要拡大などで、需給が逼迫していることが主因だ。
 ところが、中東などの主要産油国で構成する石油輸出国機構(OPEC)は金融危機後、生産枠を減らし続けている。
 消費国の期待を裏切ったのが、今月初めのOPEC総会だった。原油高を抑制しようと、穏健派のサウジアラビア、カタールなどが生産枠拡大を主張したのに、イラン、ベネズエラなどが反対して、増産は見送られた。
 イランなどは、生産枠を増やさずに原油収入を確保できる原油高を望んでいる。

 需給の逼迫とあるが中長期的な傾向というくらいのもの。不思議に思うのは、価格高騰は投機マネーを引き起こす潤沢なマネー側を読売新聞が無視していることだ。マネーが増加しているのであれば、生産側のOPEC側が慎重になるのはそれほど不思議とも思えない。ただし、イランがこの機に乗じて収入を増やそうとしているという問題はあるにはある。
 読売新聞社説は以上の理由から、日本も協調せよとする。

 東日本大震災からの復興や、経済再生が課題の日本にとって、安定的に原油を確保することは重要だ。OPECに生産体制を増強するよう、圧力をかける意味でも、IEA加盟国との連携を強化しなければならない。

 間違いとも言い切れないが、日本の安定的な原油確保にとって、どこまで切実な問題なのかはわからない。
 奇妙なのはごく基本的な報道を見ても、読売新聞社説の理屈があまり妥当なものとは思えないことだ。24日付けロイター「IEA石油備蓄放出は産油国との関係変化を象徴、OPECは不快感」(参照)より。

サウジアラビアは、OPEC総会後も市場の必要に応じて増産する方針を表明した。
 OPEC加盟国にとってIEAの行動は正当化できるものではない。イランのみならず、伝統的に米国寄りとされる湾岸諸国からも、不必要で正当化できない干渉との声があがっている。
 ある湾岸国のOPEC代表はロイターに「1バレル150ドルに上昇したわけでもなく、このような動きにでる理由はない。市場は供給不足に陥っていない。クウェートやサウジはこれまでも増産しているが、買い手はそれほど多くない。IEAは米国とともに政治的に動いているだけだ」と述べた。

 そのOPEC代表の言い分のほうにも理があり、IEAと米国の政治性が問われてもしかたがない。
 読売新聞社説で奇っ怪なのは、「中東・北アフリカでの政情不安」とはしているが、リビアへの直接的な言及を避けていることだ。しかし、ロイターでは次のように明示的に報道している。

 IEAはサウジによる増産のスピードと、リビア産の軽質原油を補うに足る質が確保できるかといった点に疑問を呈している。
 これが今回の備蓄放出の理由とされているが、専門家の間では、IEAは最後の石油の供給者としてのサウジの役割見直しを視野に入れているとの声が聞かれた。

 リビア問題の紛糾も当然背景にあると見ていいだろうし、これは米国の対リビア戦略の失態とも関連していると見てよいだろう。
 疑念の声は膨れているようだ。26日付け日経新聞「石油備蓄放出の効果と副作用 」(参照)より。

 IEAの備蓄放出は、1991年の湾岸戦争、2005年のハリケーン・カトリーナの米襲来時に次いで3回目。市場の供給不安に即応した過去2回と異なり、今回の備蓄放出は市場の想定外の決定だ。
 意外感は大きく、直後の市場では原油相場が大幅に下落した。その一方で「なぜ今、備蓄放出なのか」という疑問が広がっている。原油やガソリンの価格引き下げを狙って、米国など先進国政府が市場に介入したという印象がぬぐえないからだ。
 IEAはリビア内戦でガソリンなど揮発油を多く抽出できる軽質原油の供給量が減っている影響を重視、夏以降の需要増大への対応が必要と強調する。世界的に原油や石油製品の在庫は高水準で、足元の市場で需給逼迫が起きているわけではなく、備蓄放出は予防的な措置でもある。

 そもそも、現況が、1991年の湾岸戦争や2005年のハリケーン・カトリーナに匹敵する事態なのだろうか。米国内でも疑念はある。

 全体の半分、3000万バレルは米国が戦略原油備蓄から放出する。米政府は消費の足かせになっているガソリン高の沈静化につながり、景気の支援材料になることに期待を示す。ただし、米国でも「緊急時に活用すべき戦略備蓄を価格誘導を狙って政治的に用いるのは問題」といった批判があることに留意すべきだ。

 日経の記事で興味深いのは、民主党政権内の与謝野馨経済財政相の動きである。

 日本は全体の約13%の790万バレル分を、民間に義務付けている石油製品備蓄から放出する。与謝野馨経済財政相はIEAの決定について投機への対抗という側面を強調した。

 ようするに、読売新聞は与謝野馨経済財政相のシナリオを拙速に社説に開陳したということで、これは状況的には、ちょっといかがなものかというレベルの追米政策ではないのだろうか。自民党はよく追米政権と言われたがものだが、民主党のこの状況はそれ以下ではないのかという印象があるが、なぜかあまりそうした批判も聞こえないようにも思う。
 もう少し露骨に言ってもよいかもしれない。これは、オバマ大統領再選キャンペーンの一環ではないのか。陰謀論のように聞こえるかもしれないので、24日付けワシントンポスト「The wrong reason for depleting the strategic oil reserve」(参照)を補っておこう。ホワイトハウスの危機感という文脈から。

Therein, perhaps, is a political emergency, at least in the White House view: President Obama’s reelection prospects will be harmed if national discontent over high gasoline prices continues. The oil release could be seen as a way for the president to take credit for gas prices that are falling anyway, or as an indirect, pre-election stimulus.

その点で、恐らく、少なくともオバマ政権から見れば、政治的な緊急事態ということだ。つまり、ガソリン高騰に対する米国民の不満が続くなら、オバマ大統領再選の見込みは毀損するだろう。石油放出という手段で下げたガソリン価格を自分の功績にできる。つまり、間接的にであれば、選挙戦の前段の刺激策というわけだ。


 短絡な物言いになるのは好ましくないが、オバマ大統領、ひどすぎないか。
 ついでに言えば、これに諾々と追米してしまう民主党政権もひどいもんだし、読売新聞もひどい。

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2011.06.26

オバマ大統領によるリビア米軍介入を米国下院が否定

 北大西洋条約機構(NATO)が主導するという建前のリビアへの軍事介入に対して、限定的関与とオバマ大統領が称する米軍の軍事行動を認めるべきか。この問題が米国議会で問われた。表現がまどろっこしくなるのは、真相をオバマ流の修辞で糊塗するからである。ざっくり言えば、NATOを米軍が率いている戦争をオバマ大統領が独断で実行している状態に米国民が疑念を持っているということだ。
 それはそうだろう。どう見ても、オバマ大統領は、国会を無視して戦争をやらかしているという点でブッシュ前大統領のイラク戦争よりひどい軍事暴走である。リビアの軍事介入が人道的であるというなら、政府による虐殺の続くシリアを傍観しているダブスタはどうなのだろうか。
 なるほど諸議論はあり、オバマ大統領は巧妙に議論を紛糾させているが、大筋から見るなら、米国の政治制度では、宣戦布告の権利を有するのは連邦議会でる。有事には大統領の決断が優先されるとしても、作戦開始から48時間以内に議会に報告することが義務付けられており、戦争権限法(The War Powers Resolution of 1973)では、「戦争行為突入時または切迫した戦争行為に巻き込まれた状況が明白であれば("into hostilities or into situations where imminent involvement in hostilities is clearly indicated")」、報告後最大90日以内に議会が宣戦布告しない場合、大統領は軍を撤退させなければならない。
 リビアでの軍事活動はこの限界を超えた。
 下院本会議では、オバマ大統領が独断したリビアでの軍事活動について、1年間の期限付きで認める法案を、123対295という大差で否決した。大統領の暴走は許さないとしたのである。当然そうであれば、この戦争を静止すべく予算も絶てばよいのだが、現状の戦費支出を差し止める法案は180対238で否決された(参照)。戦争というのは予算を絶つことで国会が静止できるものだ。余談めくが、日本の戦争でも近衛内閣時代に戦費予算を可決した国会に戦争の最終的な責任があることは明白である。
 オバマ大統領の戦争の独断を否定した反面、戦費予算を認めるという米国議会の決議は矛盾した結果のように見える。下院での否決を受けて、上院では民主党のケリー外交委員長や共和党のマケイン軍事委員会筆頭理事など有力議員が同様の決議案を提出し来週審議する予定だが、可決されることはないだろう。
 結果はどうなるのか。今回の下院決議には法的拘束力はないとされるので、現実の米軍軍事活動に直接の影響は出ない。総合すると、実質的には1年以内にリビア戦争から手を引けと米国民が考えていると理解できそうだ。
 いずれにせよ、オバマ大統領の与党である民主党ですら4割が反対票を投じたことから、米国民がいかに大統領の権限というものを恐れている実態がよくわかる事例ともなった。また余談だが、大統領の権力を抑え込むことが民主制度というものであり、米国が日本に授けた日本憲法ではさらにこうした権力がそもそも生じないように仕組まれている。
 米国議会の決議によって、実質的にオバマ大統領の詭弁も暴露されたとも言える。この点については、リビア戦争肯定の論調を張っているニューヨークタイムズですら認めざるを得なかった。「Libya and the War Powers Act」(参照)より。リビア戦争に敗北しない大義を強調しつつも。


The White House’s argument for not doing so borders on sophistry — that “U.S. operations do not involve sustained fighting or active exchanges of fire with hostile forces, nor do they involve the presence of U.S. ground troops,” and thus are not the sort of “hostilities” covered by the act.

「戦時の軍として、継続的戦闘や活発な戦闘状態にはなく、米陸軍は戦闘に巻き込まれていない」として、よって戦争権限法の「戦争行為」には該当しないとする米国政権の議論は、敗北を避けるためであれ、詭弁の縁にある。


 オバマ政権の言い分が正しければ、戦争権限法が連想される議会決議もありえなかったが、そこまで議会を無視できず、オバマ大統領は詭弁の縁から詭弁にずり落ちた。

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2011.06.25

ハクティビスト(hacktivist)、「正義」を問うハッカー

 ハッカーというと愉快犯的な動機が連想されがちだが、独善的な「正義」を動機とするタイプのハッカーとして「ハクティビスト」が注目されている。7700万人の顧客情報が流出したとされる、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のハッキング事件も欧米では「ハクティビスト」として話題になっていた。

ハッカー(hacker)+活動家(activist)=ハクティビスト(hacktivist)
 「ハクティビスト(hacktivist)」は、「ハッカー(hacker)」と「政治的な活動家(activist)」を合わせた新語。政治的な目的意識をもってハッキング活動を行う人やグループを指している。英辞郎には「政治的ハッカー」という訳語もあった。
 類似の用語「サイバーテロリスト(cyberterrorist)」は破壊という活動に焦点があるが、「ハクティビスト」は意図が注目される。米国外交公電の暴露で注目を集めたウィキリークス(Wikileaks)もハクティビストの文脈にある。
 ハクティビストについては6月20日、米国公共ラジオNPRが「ハクティビストを追い詰める(Going After 'Hacktivists')」(参照)で取り上げ、英国BBCも、6月22日「ハクティビストを好むのは誰か(Who loves the hacktivists?)」(参照)として取り上げていた。欧米圏でも現在の話題のようだ。

ソニーの個人情報流出事件とラルズセック(LulzSec)
 PlayStationネットワーク(PSN)から7700万人の顧客情報が流出した4月末のハッキング事件は世界に衝撃を与えたが、このソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のハッキング事件もハクティビストの文脈で報道された。
 6月2日にはソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントもハッキングされ、100万人もの顧客情報が流出したが、この事件では「ラルズセック(LulzSec)」と称するハッカー集団が犯行声明を出していた。


ラルズセック

 ラルズセック(LulzSec)は"Lulz Security"の略である。"Lulz"という見慣れない英単語は、"Laugh Out Loud(大声で笑う)"を意味する略語"LOL"の音読をスペリングに戻したものだ。日本の掲示板などでよく使われる、文末の小文字で笑いを表す"w"や、"(爆笑)"といった表現に近い。
 ラルズセックの犯行声明は、ハクティビストとして以前から有名だった集団「アノニマス(Anonymous)」と類似性や関連性があるとして注目された。
 その「アノニマス」だが、英語の意味は「匿名」である。しかしこのハッカー集団は普通に「匿名」を強調するのではない。それに伴うガイ・フォークス(Guy Fawkes)の仮面のシンボルに意味がある。


ガイ・フォークス(Guy Fawkes)の仮面

 この仮面は、2005年の製作のワーナー・ブラザーズ映画「Vフォー・ヴェンデッタ(V for Vendetta)」(参照)で有名になった。同物語では、第三次世界大戦で米国が崩壊し、全体主義国家化した英国に抵抗する政治的活動家が描かれているが、そのヒーローが「匿名」としてガイ・フォークスの仮面を付けている。

捕まえてみると19歳の少年?
 ラルズセックは6月17日、テキスト情報の共有サービス「Pastebin.com」に声明文(参照)を出し、米公共放送サービス(PBS)、ソニー、Fox、米連邦捜査局(FBI)、米中央情報局(CIA)などを攻撃したと語った。興味深いのは、"Sony again, and of course our good friend Sony.(再びソニーに。もちろん私たちの良き友人ソニーに)"とソニーが強調されている点だ。
 犯行声明が出されてから事件は急速に展開し、6月20日夜、英国警察は米連邦捜査局(FBI)との合同捜査で、ラルズセックにつながりがあると見られる、英南東部ウィックフォードに住む少年19歳の少年を逮捕した。
 少年とラルズセックの関係は明確にされていない。少年の逮捕後もラルズセックを称するハッカー集団の声明や活動は続き、23日にはブラジル政府も攻撃を受けている。

ハクティビストの目的は何か?
 ラルズセックの声明文には愉快犯的な動機が読み取れるが、事件の全体を一連の流れで見ると、政治的な意図をもったハクティビストとしての特徴も浮かび上がってくる。
 第一の特徴はすでに述べたように、映画「Vフォー・ヴェンデッタ」といった物語から連想される、「全体主義としての政府や権力に抵抗することが正義だ」という主張が潜んでいることである。第二の特徴はその前提でもあるが、攻撃される側が全体主義的な悪と見なされることである。
 具体的に、ラルズセックがソニーを執拗に攻撃した理由を、その文脈から見ていくと、PlayStation3(PS3)の閉鎖性が気がかりになる。
 PS3は非公認ソフトが実行できない仕組みになっているが、通称「脱獄(Jeilbreak)」と呼ばれるプロテクト解除ツールを使うことで非公開ソフトも利用可能になる。非公開ソフトには海賊版のゲームなども含まれることから、SCEは2月16日、脱獄ツールを使った利用者をライセンス違反とし、保証を無効にするとした。さらに、PlayStation Network(PSN)のアクセスを停止するとも警告(参照)した。
 この警告が全体主義的だとしてアノニマスの怒りを買い、ソニーへの宣戦布告(参照)に至った。ラルズセックはこの文脈から出現しきた。


アノニマスによる挑戦

 ハクティビストの「正義」は独善的ではあるが、脱獄ツールに厳しいという点では、アップルのiPhone用アプリも同様である。しかし、アップルに対するハクティビストの攻撃は現状聞かない。アップル側のセキュリティ対策が整っていることもあるだろうが、アップルは案外、ハクティビストの「正義」に巧妙に対応しているからではないだろうか。
 ハクティビストの独善的な「正義」に向き合うために、企業は自社の「正義」を上手にアピールする時代になるかもしれない。

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2011.06.24

[書評]震災恐慌!~経済無策で恐慌がくる!(田中秀臣・上念司)

 書名を見て煽りすぎではないかという印象をもつ人もいるだろう。「震災恐慌!~経済無策で恐慌がくる!(田中秀臣・上念司)(参照)の表紙と帯は、おどろおどろしい。しかし悲しむべきことに、本書の書名どおり震災恐慌は来るだろうと私は思う。本書は、来るべき震災恐慌に向き合い、腰を落ち着けて考えるのに最良の書籍となっている。

cover
震災恐慌!
経済無策で恐慌がくる!
田中秀臣・上念司
 書名から受ける緊急出版的な印象に反し、本書は学術的な議論が展開されていて説得力がある。東北大震災一か月後が過ぎた時点の速成の書籍のようにも見えるが、対談者の一人、田中秀臣氏には、関東大震災後経済を熟知している経済史学者ならではの知識の裏打ちがあり、そのことで本書は長い射程を得ている。
 その意味で、学術書という堅苦しさはないものの読み進めながら大学の講義を受けているようにも感じられ、本来ならもっと幅広く、例えばであるが、池上彰氏の書籍読者にも届けばよいと願う。実際に対談者のお二人の実際の公開対談を聞いたことがある人なら、もっと痛快な語り口にもなったかとも思える。
 それでも現実の意味するところには変わりはなく、そのことは、本書で唯一触れられなかった震災恐慌の要因の一つでもあるのだろう――本当の学問を信頼することが難しい、ということだ。
 テーマである「震災恐慌」とは何か。
 東北大震災が引き金となる経済恐慌である。が、1929年から始まった世界恐慌とは異なる。むしろ穏やかであるかもしれない。どのような風景となるのか。

田中 そこで一番怖いのは、震災で落ち込んだことではなく、マイナス成長が長年にわたって続いていくことです。すると、みんな疲れてくる。その中で、とくに被災地域を中心に、東北が見捨てられるような状況になってしまったら、やはり多くの国民は、政府に対する根深い不信感を抱くと思うよね。今は、寄付だってみんな一生懸命やっているけど……。
 最悪のシナリオは、金融緩和は行われず、消費税だけが増税され、震災復興はしょぼい予算の組み替えだけで、だらだら続きます。税金を払う側はとられ放題で不満がたまり、救済としてもらう側も「こんなにしょぼいのか」と不満がたまり、国民全体に不満がたまっていく可能性がある。しかも、経済はどんどん縮小し、失業率が上がっていく。
 失業がかなり深刻な状態になると、雇用調整助成金みたいなものがどんどん出されるようになり、民間企業に勤めているけれど、半分公務員みたいな人たちがどんどんふえていくことになる。
上念 つまり、今回の震災が、みんなが平等に貧しくなっていく始まりになりかねないわけです。穏やかな震災恐慌がずっと続いていく始まりであると……。

 失業者が町に溢れ、みんな生活が貧しく、「穏やかな震災恐慌がずっと続いていく」という状態、いや常態が、震災恐慌となるのだろう。
 なぜそのような事態が予想されるのか。そのことが本書の前半に縷々と語られているが、一般の読者としては、対処が可能ならそれを先に知りたいと思うだろう。「第3章 最悪のシナリオ」から、復興対策のシナリオが語られる。ここから読み始めたほうが本書はわかりやすいかもしれない。

上念 今後復興対策がどうなっていくか、そのシナリオについて考えたいと思います。
 一番大事なのは、復興対策の財源をどうするかということです。財源の軸は大きく分けると3つあります。
 1つは、財源を復興増税という名目で、増税によってまかなう方法。
 2つめは、政府が復興国債を発行して民間から資金を集める方法。
 3つめは、復興国債を政府が発行して、それをそのまま日銀にお金を刷らせて、直接買い取らせ、それを財源としてまかなうという方法です。
 実際の復興支援対策は、これらを単独で行うか、もしくはミックスして行うという方法が考えられます。

 本書では、方法として見た場合、最悪なのは増税であり、最善なのは日銀による復興国債買い取りであると展開していく。実際に予想される未来はどうなっていくだろうか。

田中 だから、最悪のシナリオというのは、政府が増税をし、さらに日銀が金融引き締めを行うというパターン。
上念 そうです。そして実際に一番ありえるシナリオというのは、政府がしょぼい財政政策を増税でやって、日銀の金融緩和はなし、つまり何もしないというものでしょう。

 私も、その「一番ありえるシナリオ」に進むだろうと予測している。つまり、現実的に可能なことは、穏やかな震災恐慌をできるだけ穏やかにするというくらいなのではないだろうか。端的に、絶望の一様式といってもいいくらいではあるが。
 本書は学問的ではあるが、学問的にも議論はあるだろう。復興債を日銀に買わせることで、実質お金を刷り、人為的にマイルドなインフレが可能であるとする考え方は「貨幣数量説」とされ、それ自体に批判も多い。だが、本書で展開されている議論は、より現代的な説として、デフレ期待(今後もデフレが続くと国民が想定している状態)を変更させる政策が重視されている。案外、経済学的に見える混乱は、学説の誤解による部分も大きい。
 しかし、「デフレ期待(Deflationary expectations)」とは何か、という議論は避けがたく、中心概念である「期待」や"expectations"から、社会心理学的に理解され、そこで議論は混迷しがちだ。
 私自身としては、この議論に社会心理学的な要素は払拭はできず、その改善志向の根底には、国家と政府への信頼が重要なのではないかと思う(ハイエクはそれを否定しているが)。残念なことに、こうした議論の煩瑣さは、現実の問題としての震災恐慌の対処にマイナスの要因になりかねない。
 リバタリアンの私としては、もう少し希望的に見るなら、本書では十分議論が尽くされていない二番目のシナリオ「政府が復興国債を発行して民間から資金を集める」がよいのではないかとも思う。そのためには、この間に考えつづけたことの一つであるが、日本国民が日本の復興を信じようとする緩和なナショナリズムが必要なのではないだろうか。
 本書が出版されてから、気になる動きもあった。著者たちが最善とする「日銀の国債買取り」の議論に政治家の動きがあったのだ。
 本書の著者と理路は別でも類似の考えの共通項として政治的な動向になりうるかもしれない。「超党派議連、日銀に復興国債の全額買入求める (ロイター)」(参照)より。

 超党派による「増税によらない復興財源を求める会」は16日、国会内で会合を開き、東日本大震災の復興に向けた財源について、増税ではなく、日銀よる復興国債の全額買い切りオペで調達することを求める声明文を決議した。
 同声明文には民主党や自民党などを中心とした国会議員211人が署名。今後、各党政調会への申し入れや、政局動向を見極めた上で、新政権を含めた政府への提言などを計画している。
 政府部内では、震災復興のための資金調達手段として新たに復興国債を発行するとともに、日本国債の信認を維持するため、その償還財源を一定期間後の増税で確保することが検討されている。こうした動きに対し、声明文では「大増税になる可能性があり、デフレが続いている日本経済へのダメージは計り知れない」と指摘。デフレ脱却、経済の安定成長まで増税すべきでないとし、「国債や埋蔵金などに復興財源を見出すべき」と主張している。その「第一歩」として「政府と日銀の間で政策協定(アコード)を締結し、必要な財源調達として、政府が発行する震災国債を日銀が原則全額買い切りオペする」ことを求めている。日銀の全額買い切りオペによる貨幣供給増で、「デフレ脱却、円高是正、名目成長率の上昇が期待でき、財政再建に資する」とも主張している。
 日銀では、こうした国債買い入れオペの増額議論などに対して、財政支援とみなされれば、日本の財政に対する信認が低下し、国債の円滑な発行に支障が生じかねないなどの観点から慎重姿勢を崩していない。
 会合には、民主党デフレ脱却議連の松原仁会長や自民党の安倍晋三元首相、中川秀直元幹事長、みんなの党の渡辺喜美代表らが出席。安倍元首相は「増税は明らかに経済成長にマイナスだ。デフレから脱却し、しっかり成長することこそが、復興、財政再建の道と信じている」とし、渡辺代表は「復興、社会保障、財政再建の増税3段跳びが菅政権の戦略。法人税を中心に減税しなければ日本の空洞化が進む」と懸念を示した。

 増税議論は選挙の票獲得にはならないから、案外、世の中の空気が「日銀の国債買取り」に向かうかもしれない。それはそれで思わぬ僥倖となる可能性もある。
 そうなるだろうか。「増税によらない復興財源を求める会」に安倍晋三元首相の名が連なっているというだけで、批判をするような国民性であれば、難しいかもしれない。

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2011.06.22

La mort du jeune Barra

 写真に見慣れた現代人にとって絵というものはまず見るものであるが、他の時代の人々にとっては、そしておそらくどの地域や文化であれ、見るために背景知識を要する記号の集合でもあり、その知識に偏在はあったとしても、見る者にまったくの不可解ということはなかった。あるいは、それらの知識やコードは同時代人には無意識に了解されるものでもあり、現代の絵画・写真においても同じことがいえる。にもかかわらず絵には、その知識なくして見る者にだけもたらす秘密というものがある。この絵についても、知識を持たない人がおそらくその本質を瞬時に看取するだろう。

 上半身を拡大する。

 フランスの新古典主義の画家、ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)が1794年に描いた"La mort du jeune Barra"である。「若きバラの死」であるが、"Mort de Barra"、「バラの死」と略されることもある。
 描かれているのは少年である。
 屍体として描かれている。
 少年の名前は、"François Joseph Bara"である。"Barra"とも綴られる。日本では「ジョゼフ・バラ」と呼称される。1779年7月30日に生まれ、1793年に殺害された。
 事件は同年・1793年、現在のヴァンデ県を含むポワトゥー、アンジュー、メーヌなどのフランス西部の地方で発生した「カトリック王党軍」を名のる王党軍と革命軍との戦いである。14歳のバラは少年鼓手として革命軍に加わり、王党軍の捕虜となり、王党軍の兵士から"Vive le Roi !"(国王万歳)と叫ぶよう強要されたが、バラは"Vive la République !"(共和国万歳)と叫んだために殺害されたという。
 日本ではこの戦いを「ヴァンデの反乱」と呼ぶこともあるようだが、フランス語では近年では"Guerre de Vendée"と呼ばれ、英語圏でもフランス語に習い"War in the Vendée"(ヴァンデ地方の戦争)としている。「反乱」という表現では共和国側の価値観が反映していると見られるからかもしれない。
 実態はどのようなものであったかについては、十分に解明されているとは言い難いが、死者数は20万人は下らないと見られている。ダヴィッドがバラの死を描いたのは1794年であり、殺戮のさなかであったとよい。戦闘は、ルイ=ラザール・オッシュ(Louis Lazare Hoche)の平定宣言の1796年までともされるが、ナポレオン皇帝が終結としたのは1801年であった。
 バラの死は、鳥居強右衛門勝商や木口小平のように英雄的行為として称賛されることになるが、そのプロパガンダの推進役はルソー主義のマクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien François Marie Isidore de Robespierre)であった。バラの死の同月に顕彰の演説をぶち上げている。英語圏の資料を読むと"only the French have thirteen-year-old heroes"として「フランスのみが13歳の英雄を持ち得た」と語ったとあるが原語は確認できなかった。バラは実際は14歳で殺害されたので、ロベスピエールが13歳と語ったのであればその差違の由来が気にもなるがわからない。
 バラの遺体はその後、フランスにおける靖国神社とも言えるパンテオンに埋葬され、フランス国民が倣うべき小国民的英雄とされた。翌年・1794年に、エティエンヌ=ニコラ・メユール (Étienne-Nicolas Méhul)は共和国イデオロギーを鼓舞する"Chant du Départ"(門出の歌)を作詞したが、そこにもバラは象徴的に登場する。現代でもこの歌はフランスの愛国歌として歌われている(参照)。


Un enfant
De Barra, de Viala le sort nous fait envie ;
Ils sont morts, mais ils ont vaincu.
Le lâche accablé d'ans n'a point connu la vie :
Qui meurt pour le peuple a vécu.
Vous êtes vaillants, nous le sommes :
Guidez-nous contre les tyrans ;
Les républicains sont des hommes,
Les esclaves sont des enfants.

ある子供
バラとヴィアラの運命は我等を羨望に満たす
彼等は死んだが、彼等は勝利した
年齢に苦しむ臆病者は生命を感じる事は無い
彼は人々が生きる為に死んだ
汝等は勇敢で、我等も勇敢である
暴君に対する為に我等を導き給え
共和主義者は男達で
奴隷は子供である


 バラとならぶヴィアラも同じような存在である。
 この歌、"Chant du Départ"(門出の歌)はフランス軍歌とも言われるが、一般的にも歌われているようだ。

 ミレイユ・マチューが歌い上げる勇ましさは岸壁の母を凌駕するもので、王制を忌避する共和国の精神性というのはこういうものなのだろうと知る点でも感慨深い。
 現代に残るバラの顕彰には、モディリアーニの伝記でも思い出深いパリ6区のバラ通りがある。よもやと思い、グーグルストリートビューで見たら、あった。

 バラの彫像が見られるのではないかと、ストリートビューでうろついたが、青山大学の裏通りのような雰囲気で目立つものはなかった。
 ダヴィッドの絵に戻ろう。
 横たわるバラが手にしているのは、現代のフランス国旗と同様のデザインの徽章である。が、その下にある書簡のようなものが見える。何であろうか。気になるのは、同じ精神的な文脈でダヴィッドがその前年描いた「マラーの死(La Mort de Marat)」(参照)において、フランス革命に殉じた死者の思いを書簡として手にしているからである。マラーの死の書簡は、 «Il suffit que je sois bien malheureuse pour avoir droit a votre bienveillance»(不幸なことに君の親切に値しない)と可読だが、バラのそれが書簡であれば可読性は想定されない。だがこれが心臓(ハート)の位置にあることから愛を意味していることは明らかであり、徽章はそれが共和国という国家を指しているのであれば、共和国への愛に余るなにかの言葉というものの示唆ではあるのだろう。
 ところで冒頭述べたように、この絵について知識のない人がこの絵を最初に見たとき、受けるおそらく圧倒的な美の感覚の後に生じるであろう一番大きな印象は、多少禁忌の感覚を伴うある不可解な状況への困惑であろう。
 あるいは逆に、バラがそうであった「少年鼓手」という制度を知るとその疑念はいっそう強くなるかもしれない。
 ナポレオンの戦争や米国南北戦争を描いた映画などを見ることわかりやすいが、軍隊の前面には少年鼓手が付く。音を使って多数の人員を抱える軍を指揮するために欠かせないものであったとも言えるが、なぜ少年なのかという問いには答えづらい。少年従者としての伝統でもあるだろうし、森蘭丸的な意味合いもあったのではないだろうか。
 なお、少年鼓手は軍隊の前面に配されるが、正式には側面なので人間の盾的な意味合いはないとされる。しかし、マーラーで有名な「少年の魔法の角笛」の詩からはそうとも言い難いかもしれない。余談だが、戦争を連想するイメージをことごとく嫌う戦後日本の教育をこってり受けた私ではあるが、小学校の運動会では鼓笛隊をやらされたものだった。
 少年鼓手というと「鼓」からドラムのイメージが強いが、鼓笛隊とすればわかるように笛もいる。その装束はマネの「笛を吹く少年」が日本人にはイメージしやすいだろう。なおこの装束はフランス第二帝政である。

 当然バラもそられしい装束で殺害されたはずであり、後の歴史絵画ではそのように描いている。以下、二点は19世紀に入ってからのものである。バラの死後100年近い後の歴史画と言ってよいだろう。


La Mort de Bara (1880) by Jean-Joseph Weerts (1847-1927)


La Mort de Bara by Charles Moreau-Vauthier (1857-1924)

 歴史的に見れば、ダヴィッドが同時代なので、冒頭の絵のほうが史実に近い作品ということになりかねないが、ここが歴史の妙味ともいうべきところで、映像ドキュメントの時代に生きる私たち現代人は史実をタイムマシンのカメラで見ることができるような錯覚を持つが、史実とはそれが語られた様式でもある。つまりバラの死とは、ダヴィッドが描くような幻想として始まったとしてよいという点で、これがオリジナルの幻想なのである。
 しかし、バラの死がダヴィッドが描く光景であったはずではないとするなら、この絵の、オリジナルの幻想は何を意味しているのだろうか。
 これを解くヒントが、高校生の歴史教科書などにも掲載されることが多い「球戯場の誓い」である。フランス革命直前、第三身分がヴェルサイユ宮殿の球戯場に集まり、憲法制定まで解散しないことを誓い合ったとされる事件であるが、ダヴィッドはこう描いている。


Serment du Jeu de paume(1792)

 この作品の前年の習作はかなり様子が異なる。あるいは構図は似ているが別系列の作品であるのかもしれない。


Serment du Jeu de paume(1791)

 習作のほうがダヴィッドが意図的に描きだしたという点で本来のダヴィッドの意思を表したものであろうし、この対比からバラの死が読み取れるとするなら、バラの死の映像こそ、ダヴィッドが見た共和国の精神性というものだろう。
 そこまで言っていいものだろうかと長く迷っていたが、「[書評]絶頂美術館(西岡文彦): 極東ブログ」(参照)の同書にも同じ理路で解説されていて、我が意を得たりというところだった。が、詰めの解釈は異なる。西岡氏はこう言う。


 人としてもっとも大きな幸福のひとつである「性」の歓びを享受することなく、若くして革命に殉じたバラへの、これ以上に悲痛な哀悼の意の表明はないかもしれない。


 「絶たれた生」への抗議として描かれたはずのこの作品が、強烈な同性愛的な官能性をただよわせ、むしろ見る者の「いまだ絶たざる性」を物語ってしまうのは、そのためであるのかも知れない。

 逆であろう。
 ダヴィッドの描出こそが共和制への愛を貫徹した至福の姿なのである。
 鳩山由紀夫元首相が語る友愛(参照)、すなわちフラタニティ(fraternity)というものの、「強烈な同性愛的な官能性」とは、このような形象を有するものであり、むしろ武士道の至高に近い。
 三島由紀夫ならそんなことは自明ことであったに違いないが、奇妙なのは彼にとっては、本来は共和制のエロスであるものが戦後日本の文脈では王制のエロスに偽装されていたことだ。
 むしろ共和国・共和制と限らず国家への愛を誘う政治的イデオロギーには、その表層の差違や論争的な対立の背後に、すべてこの情念の起源を隠し持っているのではないだろうか。

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2011.06.21

[書評]絶頂美術館(西岡文彦)

 書籍の売り方としてしかたないという感じがしないでもないが、エロチックなヌードという視点から「絶頂美術館(西岡文彦)」(参照)が語られてしまうのはもったいないと思った。私は自分なりにフランス革命後時代の風俗を再点検していく過程でジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David)に関心を持っていくうちにこの本を知り、自分が考えていた線がすっきり描かれていて非常に興味深かった。初版は2008年12月とある。
 著者の西岡文彦氏については略歴にある以上のことは知らないが、美術史の学者というより実際の創作者なのだろう。創作側の視点が美術評に活かされている点がよかった。反面、こうした一般書籍の制約なのか参考文献もなく、画家の名前などの基本情報もないのが、さらに関心を深めようとする人には、残念でもあった。

cover
絶頂美術館: 西岡 文彦
 読み進むにつれ、どこかしら1990年代の空気を感じたが、後書きを読むと15年前の連載をリライトしたものらしく、納得した。ちなみに1952年生まれの著者も当時は40代始めでまだ性欲もりもりというか、お相手さんも、男女問わずというべきか、その年頃なのでまだまだ実践的な感性が強かったのではないかなとも思った。下品な話で申し訳ないが著者より5歳も年下の私も現在すでに50代半ばに向かいつつあり、西欧風のヌードといったものにはある遠い視界になりつつある。逆にだからこそ、この書籍に描かれる作家たちの「老い」の感性も読み取れつつあり、理解が深まる面と同時に、やはり内面の寂とした感じがないでもない。
 本書はおそらく、美術史的には1990年代後半の欧米での新古典主義やラファエル前派の再評価の流れに乗ったものではないかという印象がある。記憶によるのだが、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)などの作品を電車の広告などで見かけるようになったのもその頃であった。
 連想になるが、本書でも一章充てられているジャン=レオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme)なども、本書では映画「グラディエーター」(参照)への指摘があるが、本書に掲載されていない他の作品などを見れば、おそらく誰でもはっと気がつくだろうが、スターウォーズの世界である。もしかすると、ジェロームのオリエンタリズムが1930年代の米国映画に影響し、それがさらに発展したものと見られているのかもしれないが、私はむしろ1990年代の再発見ではないかと疑っている。
 雑談風あるいは猥談的な風味の展開もあってか、本書では美術史的な文脈は添え物のようにも見えるが、やはり多少なり美術史に関心を持つ人にとって面白いのは、すでに1990年代以降語られきてはいるのだが、印象派を中心とした「近代絵画」幻想の解体としての、新古典主義だろう。
 その文脈で興味深いのは、近代絵画に対応する新古典主義というより、新古典主義のほうがむしろ理性主義として近代的であったという点だ。逆に、では、従来近代絵画とされてきたものは何であったのか。
 私個人の印象の域を出ないが、高校生のころから美術好きでデパートの絵画展巡りをしてきた自分、また、小林秀雄「近代絵画」(参照)といった、まさに近代化の過程での近代絵画という文脈で精神形成をしてきた自分にとっては、近代絵画の解体はそれなりに重たい意味を持つ。うまく切り出せないが、一つ明確なのは、やはり西欧における肉体とエロスの関連だろう。直感的に言えば、ミシェル・フーコー(Michel Foucault)の晩年の知的作業も関連している。
 もう一点、ニューズウィークなど米国誌を読むようになって気がついたのだが、米国における近代絵画もやはり類似の線上にあり、そしてむしろこれらの、日本や米国などの各種の近代絵画の特質は、ある種の啓蒙的な模倣性にあるのではないかということだ。むしろ隠された焦点は、日本や米国の近代絵画の実態ほうにあるのではないかと思えてきた。特に、米国印象派が興味深い。
 話を自分の関心に引きずり過ぎたが、本書はごく気軽に、みうらじゅん的にというべきだろうか、西洋の肉体芸術っておかしなもんですなというふうに読むこともできるし、とりあえずはそういう切り口になっている。ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugène Delacroix)やクールベ (Gustave Courbet)などについては、むしろそうしたジャーナリスティックな関心のほうが本質に接近しやすいかもしれない。特に近年話題になったクールベの「世界の起源(Origine du monde)」(参照)についてはそれが言える。絵画と「公」の関係性の問題、つまりは権力の問題といってもよいものも、新古典主義の絵画と近代絵画の差違に存在しているが、この点もドラクロワやクールベあたりが示唆的である。
 本書は口絵にカラー写真が数点があるが、本文中は白黒なのでそのあたりもさみしい印象がある。大半の作品はインターネットですでに公開されており、選べばかなり質のよいフルカラー画像を見ることができる。かくいう私も、新古典主義やラファエル前派の作品を体系的に見ることができるようになったのは、インターネット文化が交流した1995年以降のことだった。
 ちなみに本書表紙のアレクサンドル・カバネル(Alexandre Cabanel)の「ヴィーナスの誕生」はウィキペディアにもある。


La Naissance de Vénus (Alexandre Cabanel)

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2011.06.19

[書評]カルピス社員のとっておきレシピ(カルピス株式会社)

 変わったレシピや変なレシピというのが好きだ。最近の出色といえば「自炊女子の使い切りレシピ」(参照)と「カルピス社員のとっておきレシピ(カルピス株式会社)」(参照)の二点。前者については、飯マズ嫁ももう今は昔、世紀末覇者たちのレシピ現るといった殺伐とした風情が楽しいが、いくらなんでもブログのネタにもならんなと思わないでもない。後者については、呆れて、そして納得するものがあって、作って、感動しちゃいましたよ。「69RECIPIES」って表紙にありますよ。

cover
カルピス社員の
とっておきレシピ
 あの、あれですよ、どろっとしたカルピスの液ですよ。乳香の、初恋の味(参照)。あれが食材。というか味の決め手になる。いや、これいけるんじゃないか。甘酸っぱい味。コシャの認定をすればアシュケナジムにも秘伝のソースで売れそうな感じすらする。
 ぱらぱら捲る。だいたい味の予想は付く。僕は味とか記憶できるし、夢でも味の感覚のある人なんで、ふむふむとブラウズするんだが、いや、ちょっとわからんなというのがあるというか、微妙にわからんなというのが出てくるので、作ってみる。特に、「かぶだけサラダ」。カブをスライスしてレモンとカルピスで和えるという一品。

品質保証 環境部 越知さん/「カルピス」歴47年
母がよく作ってくれたまっ白なかぶのサラダに「カルピス」を使ってみました。生のかぶの滑らかな舌触りに、「カルピス」の華やかな香りがよく合うと思います。粒マスタードがアクセントになります。

 ですよ。
 これはと思って、カブのカルピス漬けも作ってしまった。皮剥いて8つに割ってカルピスとビネガーで一晩漬ける。ありえない。うまいです。たまりません。なんなのこの世界。
 カルピスは概ねサラドレに使えそう。これは、ランチ・ドレッシング(参照)の向こうを張って、カルピスで研究して売り出してたらいいんじゃないか。すでにあるのか? なくて、商品開発して失敗したら、お礼に私にくださいね。バカヤローのコメントをいただくことにも慣れていますし。
 レシピ集としてだけではなく、普通に本としても楽しい。カルピスの豆知識みたいな話もだし、昔のカルピスの写真も懐かしい。

  *  *  *
PART1「カルピス」を使って作るドリンク
<+フルーツ>いちごミルク・バナナジュース・マンゴーラッシーなど
<+野菜>ベジジュース・しょうがhotドリンク
<+ハーブ>ローズヒップティー
<+黒酢>hot黒酢
<+炭酸水>シュワッとキウイ・シトラスソーダ
<+アルコール>梅酒サワー・さわやかマッコリ・ハイボールホワイトなど
PART2「カルピス」を使って作る料理
<甘酸っぱさがぴったり!>特製タルタルチキン南蛮・のり巻き・春雨サラダなど
<コクがアップ!>カレー風味のポトフ・スペアリブ・ごま豆腐など
<まろやか味に!>みそマヨのホイル焼き・ぷりぷりえびチリ・オムレツなど
<カロリーひかえめ!>レモンポテトサラダ・さつまいものさわやか煮など
<同じ発酵食品だからぴったり!>豚キムチ・納豆パスタ
PART3「カルピス」を使って作るデザート
<生地に混ぜる>水玉ロールケーキ・レアチーズケーキなど
<シロップに混ぜる>フルーツポンチ
<ソースに混ぜる>バニラアイスのキャラメルがけ
<ゼラチンに混ぜる>さわやかババロア
<寒天に混ぜる>精進淡雪かん
PART4カルピス社の社員食堂
社員に人気の「カルピス」メニューBest10
  *  *  *

 各レシピには、さっきのかぶサラダの引用でもそうだけど、社員のカルピス歴が載っている。最長は50年とある。まあ、僕なんかもそのくらいの人生になりました、カルピスの社員ではないけど、と思って、そういう社員をきちんと抱えているカルピスの会社って偉いなとも思った。

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2011.06.18

[書評]高級シリコンスチームプチ鍋付き 簡単スイーツ&ヘルシー野菜レシピ50(メイコ・イワモト)

 シリコンスチーム付きの書籍やムックがいろいろ出ていて、こんな百均商品みたいなもんじゃねと思っていたのだけど、「高級シリコンスチームプチ鍋付き 簡単スイーツ&ヘルシー野菜レシピ50(メイコ・イワモト)」(参照)はけっこう優れ物でしたよ。最初に断っておくと、本体の鍋はかなり小さいです。幅13.5cm・高さ6.5cmで容量は250mlなので、だいたいお茶碗程度。アマゾンの評に小さくてだまされたぁみたいなコメントもあったかと思うけど、小さいです。そこがいいんだけど。そのまま食器にもなるし。

cover
高級シリコンスチームプチ鍋付き
簡単スイーツ&ヘルシー野菜レシピ50
 シリコンスチーマーなんて、ラップして電子レンジでチンするのと変わらないでしょ、かえってめんどうくさいだけじゃないかな、と思っていただけど、そこはそれ、酒も飲まない酔狂としては試してはみるか。と、試してみてびっくりした。すごい使えますよ。流行るわけだ。
 僕は料理というのに伝統主義志向があって人類が昔からやっていた加熱法がいいんだと思っていたのだけど、これ使って、そうでもないなあと思った。驚いた。電子レンジで加熱というより、短時間高熱で蒸す装置と考えたほうがいいかもしれない。そういうふうにみるなら、この調理法は中華料理の技法なんかと同じ。「スチーム中華(吉岡勝美)」(参照)にある高熱の蒸しも応用できる。しかも手軽に。
 とにかく呆れるほど素早く調理ができる。考えてみると中華セイロもそういう用途なんだろうと思うけど、電子レンジ使うからさらに早い。科学少年的に言うと、高周波エネルギーの照射時間とその後の蒸し時間の関係が直感的ではないので、使いこなしが多少難しいかもしれない。加熱後にどれだけ蒸すか(蓋をいつ開けるか)が仕上がりに影響する。
 でもそんな難しいこと考えなくてもそれなりに使っていくと慣れてきそうだ。別途購入したオーバルタイプのシリコンスチーマーだと、ちょうどポワッソニエール(西洋の魚調理鍋)にもなるし、実際ポワッソニエールとして利用できる。魚がふんわりしてうまいですぜ。シリコン容器は230℃まで耐熱性があるので、蒸し後にそのままオーブンに入れてもいいので、ちょっと水気を飛ばしたり、焼き目を付けたりもできる。
 該当の本のおまけのシリコンスチーマーの小鍋なんだけど、小さいのが便利。そしてデプスが適度にあるのがいい。シリコンスチーマーならすでに別のがあるので、さらにこんなの買っても使わないのではないかと当初思っていたが、これはこれでよくて、追加注文もしてしまった。そしてわかったこと。本体価格はこの本と同じ。本のほうがほとんどおまけなのでしょうね。
 今朝も朝食でココットを作った。冷蔵庫を見たら蒸した三枚肉の残りがあったのでそれを使ったけど、普通はベーコンでいい。キャベツの千切りにベーコンを載せて、塩こしょうして卵を落として、蓋して、500Wで2分チン。注意することは卵を落としたあと、楊枝でぷすっと黄身の部分を貫通させておくこと。でないと爆発するからね。ちなみにこのレシピは、該当の本にはないです。爆発させちゃう人を配慮したのかもしれない。爆発しても水素爆発とか派手なものでもないけど、

 卵の黄身は良い感じで半熟になる。ちらとウスターソースをかけたりしてもうまい。
 本の副題に「簡単スイーツ」とあるけど、お菓子の類もできる。簡単といえば簡単。ただ、作ってみるとちと難しい。これは初期の作品の、どっちかというと失敗作なんだけど、全工程、5分くらいでできる。

 その後は、レシピを改良して小麦粉とベーキングソーダを減らした。
 プリンもできるけど、満足いくものはまだできていない。まあ、それなりにできちゃうんで手軽でいいかあというのはあるけど、失敗すると責任で食べるわけで、ちょっとなあ。

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2011.06.17

パッションフルーツの「パッション」はキリストの受難

 パッションフルーツ(passion fruit)というと、その鮮烈な南国的な香りから、南国の情熱=パッションというイメージがわくかもしれないけど、この「パッション」の意味は、キリストの受難。知ってる人は知ってるかもしれないけど、知らない人は知らないかもしれないので、知らない人向けに雑談を。

 もともと英語の"passion"という言葉には「受難」という意味がある。受難というのは、「受験」が「試験を受ける」みたいに、「苦難を受ける」といった字面の感じがあってそれも間違いではないけど、キリスト教では、イエス・キリストが十字架に至り、こと切れるまでの苦痛を指している。
 ちらとウィキペディアを見たら(参照)、「受難(じゅなん、Passion)とは神学用語で、イエス・キリストの裁判と処刑における精神的および肉体的な苦痛のための言葉である」とあったが、裁判の前にも苦しみがある。ゲッセマネ園とか。このあたり、ジーザズクライスト・スーパースターとかでも絶唱していた。つらそうなんで、カール・ハインリッヒ・ブロッホは天使がイエスを慰める絵なんかも描いている。あー、そこの君、誤解しちゃいかん。

 バッハの「マタイ受難曲」も英語だと"St Matthew Passion"。ちなみに、マタイの受難ではなくて、マタイによる福音書が描くイエス・キリストの受難。
 語源を見ていくと、「情熱」よりもイエス・キリストの受難が先にありそうだ(参照)。
 話を戻して、なんでパッションフルーツが「受難の果実」なのかなのだが、これ、果実とは関係ない。花のほうが受難に関係していて、その実だからついでに、パッションフルーツというだけのこと。
 受難の花とは、いかなる花か。これね。ちと、ぐろい。

 なんじゃこりゃと思うような形状なんで、なんじゃこりゃと考え込んだ人々がいた。こう考えた(参照)。
 この写真だと見えづらいが、10個ある花弁と萼はイエスの使徒の象徴。ちょっと待て。12使徒じゃないの? そこはペテロとユダを除く、と。もにょもにょしている部分は、イエスのはめられた茨の冠。写真からは見えないけど子房は聖杯。そしてなによりよく見えている、上部の3つに分かれた部分がイエスを十字架に打ち付けた釘。さらにもう一つの釘と槍で5つの聖痕がその下の5つに分かれた部分。
 その解釈は無理すぎでしょと思うような話なんだが、15世紀のスペインなんだからしかたない。
 ところで、この3つの先端は、時計の短針・長針・分針に見えないこともない。12進数ではないが、花弁が時計の文字盤に見えないこともない。というわけで、この花は時計草とも言う。時計草の一種にパッションフルーツの"Passiflora edulis"があるいうのが正確。
 時計草の種類で他に面白いのは、"Passiflora incarnata"(参照)。パープルパッションフラワーとも言われているように紫色。鉄線みたいな印象もある。和名だとチャボトケイソウ。これがハーブ薬として利用されてきた。用途はというと精神安定らしい。効くのかよというところだが、研究した人がいて、それなりの効果はありそうだ(参照)。
 パッションフルーツを巡る雑談はこれでおしまいだが、なんでこれに関心もったかというと、沖縄暮らしでよく見たからだ。パッションフルーツは沖縄でよく作っている。ちょっと形の悪い実とかが直販店でたっぷり袋詰めで300円とかで売っていたのでよく買ってはジュースとかにしたものだった。実はペースト状なんだが種が多くて食いづらい。
 パッションフルーツの栽培農家以外に庭木として植えている家も少なくない。今年の夏はグリーンカーテンというのか、蔓の植物を植えて日差しを避けようという話もあるが、沖縄ではこれにゴーヤー以外でパッションフルーツがよく利用されている。
 内地でもパッションフルーツできつい日差しを避けるなんていうのもいいんじゃないか。花も面白いし、実がなったらジュースにもなるし。

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2011.06.16

世界中みんな大好きスパゲッティ

 スパゲッティが好きかと聞かれるとちょっと戸惑う。嫌いではない。ご飯と同じくらいは食べている。週に二、三度。すまん。僕はあんまりご飯は食べない。それでもミルキークイーンは5キロ単位で買っておくし、スパゲッティはディチェコを12キロ箱買いしている。カッペリーニもそう。ついでにいうとパンを作るために強力粉を10キロ単位で買っているし、パスタマシンでフェットチーネを作ることもある。冬眠前の小動物のように穀類を備蓄しているので、先日の大地震の際も水とガスがあれば当面食べ物に困るこということはなかった。
 好きだと耳元で言ってもいいんじゃないか、スパゲッティは。そんな気はしている。世界中みんなスパゲッティが大好きでもあるらしいし。15日のBBCにそんな話があった。「How pasta became the world's favourite food(いかにしてパスタは世界の好物となったか)」(参照)である。ブログのネタになりそうだ。こう始まる。


While not everyone knows the difference between farfalle, fettuccine and fusilli, many people have slurped over a bowl of spaghetti bolognese or tucked into a plate of lasagne.

「ファルファッレ」「フェットチーネ」「フジッリ」、その違いを誰もが知っているわけではないが、多くの人はミートスパゲッティをずるずると食べるし、ラザニアをおなかに詰め込むものだ。


 「ファルファッレ」は蝶の形のあれ。「フェットチーネ」は日本風に言えば、きしめん。「フジッリ」は螺旋状にねじったあれ。何故、かくも形が違うのか。ソースを絡ませるためというのもあるが、もっと本質的な答えは「アーリオオーリオのつくり方(片岡護)」(参照)に答えが書いてあった。
 BBCの記事中、「ミートスパゲッティ」と意訳したが、原文では"spaghetti bolognese"。スパゲッティ・ボロネーゼである。ミートスパゲッティと何が違うのか、僕は知らない。知っているのは、ソースのラグーは複数の肉を使うということくらいだ。
 読み進めると、え?という話もある。

Certainly in British households, spaghetti bolognese has been a regular feature of mealtimes since the 1960s. It's become a staple of children's diets, while a tuna-pasta-sweetcorn concoction can probably be credited with sustaining many students through their years at university.

実際英国の家庭ではミートスパゲッティは1960年代以降定番の一品となっている。スパゲッティは子どもの主食であるし、大学時代に学生が食いつないでいるものといえば、ツナコーンスパゲッティだろう。


 うかつにも「ツナコーンパスタ」なるものを知らなかった。ツナとスイートコーンが具になったスパゲッティだろうということは想像が付く。しかし、ソースは? ググってみたら、すぐにわかった。同じくBBCにレシピがあった。「Tuna pasta bake recipe」(参照)である。ペンネをホワイトソースに絡め、ツナとスイートコーンを入れて焼く。日本語でいうならグラタン。それならチキンのを僕もよく食べる。そういうものかと思ったら、日本だとファミマにツナコーンパスタなるものがあるらしい。ソースはわからない。
 BBCの話はそんな切り出し。面白いと思ったのは、スパゲッティが英国家庭に普及したのは1960年以降、比較的近年ということだ。振り返ってみると日本でもその頃のような気がする。
cover
アーリオ オーリオのつくり方
片岡護
 現在では、オックスファムによれば、世界中で、肉、米、ピザよりも多く食されているとのこと。順調に消費も進んでいるらしい。売上げで見ると、2003年に130億(£80億)米ドル、2010年に160億(£100億)米ドル、そして2015年までに190億(£120億)米ドルらしい。もっとも小麦粉の値上がりはあるだろうけど。
 世界中みんなスパゲッティ大好きというなら、どの国かベストテンか? 一人当たり年間26キログラム食べちゃうイタリアはもちろんとして、続くのは、12キログラムを平らげるベネズエラ。他、トップテンには11キログラムのチュニジアが入る。チリやペルーも入る。牛肉ばっかり食べていそうなアルゼンチンやメキシコでもパスタの消費は英国より多いらしい。ギリシアでも10.4キログラム、スイスでも9.7キログラム食べるらしい。
 なぜスパゲッティというかパスタが世界中で好まれるようになったのか。簡単で美味しいからというのはあるし、僕の食生活でもそうだが、備蓄が効くという理由も大きいようだ。それらを総合して判断すると、多少意外でもあったが、工業製品だからということになるらしい。小麦は農産物であるが、パスタは工業製品として製造され流通されるのが普及の強みということだ。
 BBCではパスタの歴史についても話が進んでいる。ローマ時代にも似たものがあったらしい。中国起源のように思われているがそうでもないらしい。
 現代のパスタの起源はというと、8世紀頃アラブ世界で発明され、シチリア島から普及したらしい。現代ではお安い食品だが、普及したころは高級食材でもあったそうだ。イタリアの歴史に登場したのは、1154年。日本で木曾義仲が生まれた年である。
 ナポリに普及したのは1700年代というから、イタリアでの普及はじんわりというところだったのではないか。また米国での普及は20世紀に入ってイタリア系移民によるらしい。
 パスタという小麦、とくにセモリナ粉から作られるのだが、スパゲッティの木になる実であると、BBCが1957年4月1日に報道して、国際的な話題になったことがあった。

 収穫の映像(参照)はなかなか興味深いものである。

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2011.06.14

[書評]続明暗(水村美苗)

 漱石の「明暗」(参照)をこのところ、二週間くらいかけてだろうか、のろのろと再読していた。電子ブックを使った。i文庫というモバイル端末向けアプリケーションに青空文庫のテキストを入れたものである。
 考えつつ、辞書を引きつつ読んだ。当初、さほど再読するつもりもなかったのだが、読み出したら引き込まれて止まらなかった。それでいて速読もできないという奇妙な塩梅だった。この小説は再読するとかくも面白いものかとあらためて思う。結末は既知である。結末がないことを知っているというべきかもしれない。だからこそ鏤められた伏線を読み解くパズルのような面白さがある。
 一昨日だがようやく読み終えて、上質の文学だけがもたらすある恍惚感に浸った。言葉にするのは無粋でありながら言葉にせずにはおれない衝迫性のあれである。
 清子の印象は大分変わった。彼女が由雄と付き合ったころは処女であり、そして肉体関係ということでは由雄が最初の男だったのだろう。であれば、この変容もあるだろうと意外にすんなりと理解するものがあった。露骨にいえば、関という第二の男とも交わって、初めての男である由雄の性の軽さを知ったということではないか。漱石文学にあるまじき下品な物言いになってしまうが、要するにそういうことなのではないか。いや、下品というならと少し逡巡する思いもあるが、浮き舟の物語と洒落れる趣向でもない。

cover
続明暗
(ちくま文庫)
水村美苗
 そういえばと水村美苗の「続明暗」(参照)も思い出した。前回文庫本で明暗を読んだ際、これをどうするものかと心にかかっていた。実は水村の同書は連載されていたころから、漱石好きの知人が大騒ぎをして勧められたことがある。さらに蓮實重彦が絶賛するに及んでは耐え難い東大型インテリ臭に辟易として、またこれかよとげんなりしたものだった。前回読後はそれでもと思ったが、幸いにしてか事実上絶版であった。今回見るとちくま文庫で復刻されている。潮時かと購入したら、震災から日の経つのを覚えるものだが、大きな紙の箱に収められてすぐにやってきた。翌日には読み始めた。
 これは面白い。取り憑かれたように半日で読み終えた。軽量な続編ということではない。精緻な筆致には率直なところ脱帽した。畏れ入りましたの類だ。今回丁寧に明暗を読み、気になっていた伏線はすべてに近くあたかも数学的に解かれていた。さらに旅先の二人の中年男女の描写は余技にしてはすばらしいものだった。そこが特に優れているというべきだろうか。用語や風俗についてはいうまでもない。ただし文体は仔細に読めば漱石に似て非なるものではあるし、不思議といえば不思議、不思議でないといえば不思議でもないののだが、続編にはおよそテーマというものがなかった。あるいは若い鬼才を感じさせる少女らしいこぎれいな達観と少女らしい悪意が端正に描かれていた。それは漱石の苦悩とは対極ものであるのだが。
 続編に漂う底知れぬ悪意の表出はすばらしかった。なるほど吉川夫人と清子はこのように決着を付けるほかはあるまいと納得するほどの鬼気が漂っていた。が、多少筆者も照れを感じてはいるあたりが知的偽物らしい骨頂といえるものだった。まあ、よい。
 まいったと思ったのは、関という男への度胸のよい解読である。漱石の明暗にある次の伏線に当たるものだ。当世でいえば泌尿器科であろうか、その薄暗い控え室で由雄は妹の夫と級友に出会ったことの回想である。

 この陰気な一群の人々は、ほとんど例外なしに似たり寄ったりの過去をもっているものばかりであった。彼らはこうして暗い控室の中で、静かに自分の順番の来るのを待っている間に、むしろ華やかに彩られたその過去の断片のために、急に黒い影を投げかけられるのである。そうして明るい所へ眼を向ける勇気がないので、じっとその黒い影の中に立ち竦むようにして閉じ籠っているのである。
 津田は長椅子の肱掛に腕を載せて手を額にあてた。彼は黙祷を神に捧げるようなこの姿勢のもとに、彼が去年の暮以来この医者の家で思いがけなく会った二人の男の事を考えた。
 その一人は事実彼の妹婿にほかならなかった。この暗い室の中で突然彼の姿を認めた時、津田は吃驚した。そんな事に対して比較的無頓着な相手も、津田の驚ろき方が反響したために、ちょっと挨拶に窮したらしかった。
 他の一人は友達であった。これは津田が自分と同性質の病気に罹っているものと思い込んで、向うから平気に声をかけた。彼らはその時二人いっしょに医者の門を出て、晩飯を食いながら、性と愛という問題についてむずかしい議論をした。
 妹婿の事は一時の驚ろきだけで、大した影響もなく済んだが、それぎりで後のなさそうに思えた友達と彼との間には、その後異常な結果が生れた。

 妹・秀子の夫については、それが秀子という人間の素性を暴露する背景として悲喜劇に描くのはよいとして、「友達」は大きな伏線である。「その後異常な結果が生れた」とは、つまり、彼が関であった。清子が由雄を捨てて得た夫である。
 そこまで読んでよいのかということにためらいがあったが無理な読みではない。由雄を捨てた清子の男は花柳病であった。淋病だろう。続ではこの伏線を大きい線で描いた。清子の流産もそのせいであろうと見ている。
 おそらくそうであろう。続ではそれ以上踏み込んでいないが、由雄とお延の結婚の半年という期間は、清子の流産までの時間を指してもいるのだろう。清子と関の肉体関係の悪魔的なクロノロジーであろう。清子は生理が途絶えたときに由雄を捨てたのではないか。だがそこまでは続も展開しない。
 さすがにそれが描ける枠組みはないが、続では生理の途絶については暗示しているとも言い難い。そこを暗示的にであれ描いてしまえば、続の物語ほどに清子は観念的な存在ではありえなくなる。清子にある種の精神的な勝利を飾らせてしまうこともできなくなる。私は、漱石が描こうとした清子には死を重ねて見ているから、そう思うのである。
 このねじれは、お延の扱いとも釣り合う。お延が旅先に現れ、そこで生死を賭けることには十分に伏線がある。ではどのようにお延が現れるのかというプロットは、作家の技量の内ではあるだろう。吉川夫人の立ち回りが必要かについては、水村の創作としての評価のうちではあろう。
 が、お延の憔悴と、取って付けたような達観は違うだろうし、そこには水村の意図もあるのだが、漱石の大きな文脈が見失われた。
 明暗の最終顛末は、その冒頭部に描かれているのだ。「小林」医師と対話は暗喩である。

「腸まで続いているとすると、癒りっこないんですか」
「そんな事はありません」
 医者は活溌にまた無雑作に津田の言葉を否定した。併せて彼の気分をも否定するごとくに。
「ただ今までのように穴の掃除ばかりしていては駄目なんです。それじゃいつまで経っても肉の上りこはないから、今度は治療法を変えて根本的の手術を一思いにやるよりほかに仕方がありませんね」
「根本的の治療と云うと」
「切開です。切開して穴と腸といっしょにしてしまうんです。すると天然自然割かれた面の両側が癒着して来ますから、まあ本式に癒るようになるんです」
 津田は黙って点頭いた。彼の傍には南側の窓下に据えられた洋卓の上に一台の顕微鏡が載っていた。医者と懇意な彼は先刻診察所へ這入った時、物珍らしさに、それを覗かせて貰ったのである。その時八百五十倍の鏡の底に映ったものは、まるで図に撮影ったように鮮やかに見える着色の葡萄状の細菌であった。
 津田は袴を穿いてしまって、その洋卓の上に置いた皮の紙入を取り上げた時、ふとこの細菌の事を思い出した。すると連想が急に彼の胸を不安にした。診察所を出るべく紙入を懐に収めた彼はすでに出ようとしてまた躊躇した。
「もし結核性のものだとすると、たとい今おっしゃったような根本的な手術をして、細い溝を全部腸の方へ切り開いてしまっても癒らないんでしょう」
「結核性なら駄目です。それからそれへと穴を掘って奥の方へ進んで行くんだから、口元だけ治療したって役にゃ立ちません」
 津田は思わず眉を寄せた。
「私のは結核性じゃないんですか」
「いえ、結核性じゃありません」
 津田は相手の言葉にどれほどの真実さがあるかを確かめようとして、ちょっと眼を医者の上に据えた。医者は動かなかった。
「どうしてそれが分るんですか。ただの診察で分るんですか」
「ええ。診察た様子で分ります」

 漱石の書き残した顛末はこの暗喩に進むと思われるし、そこから書き残された伏線が大きく統制されている。
 由雄とお延の関係は、切開の後、自然に逢着するだろう。なぜなら、それは「結核性」ではないから。では、結核性は。おそらく清子のほうであろう。
 医師の「小林」がなぜ朝鮮行きの小林と同姓なのかは奇妙な符牒だが、吉川夫人も畢竟、手術という天然自然の営為に吸着されるものだろう。そう解するのは、漱石のなかで、なにか運命に立ち向かう巨大なヒューマニズムのような理念と情念がところどころ露出し、あまつさえ、小林の知人の原の手紙のような破綻まで引き出しているからだ。この逸脱するほどのエネルギーは、書かれたであろう顛末では、ある種の、水村が想定したような、「破綻」を起こしただろう。
 水村は伏線を不合理なく解くために旅先に秀子と小林を引き出している。小林を描きたい欲望に駆られるのは避けがたいが、秀子の役回りはすでに終わっているせいか、最終部の冗長さは読書を逆に重くする効果となっている。
 明暗を貫く、そもそもの病はどこに発したものなのか。由雄の理想であっただろうか。その功利であろうか。お延の理想と気丈な少女らしい夢想であろうか。
 私は、人の美醜にあるのだと思う。明暗のテーマは、人間の深淵を描いているようでいて、実は、人の美醜が必然的にもたらす愛憎というものの、その機械性が孕む悲劇を描いているのではないかと思っている。

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2011.06.08

[書評]働かないアリに意義がある(長谷川英祐)

 少し前になるが進化論関連の本で面白かったのは、「働かないアリに意義がある(長谷川英祐)」(参照)だった。昨年末に出された本書は、出版社側の売りの戦略や表題のせいもあるだろうが、ネットの書評などを見ていると一種のビジネス書のように受け止められているふうもある。本書の説明でも会社組織や人間社会の比喩がふんだんに使われていることからすると、それもあながち誤読と言えるものでもないだろうが。

cover
働かないアリに意義がある
長谷川英祐
 本書のテーマは、ハチやアリなど繁殖と労働を分離しコロニーという集団を形成する真社会性生物であり、その問題意識、つまり表題の「意義がある」とする意義についてだが、概ね進化論的な枠組みで問われる。
 進化論といえば当然、ネオダーウィニズムを指すのだが、ネオダーウィニズムの成否を問うというより、ネオダーウィニズムというのは「意義」を説明する叙述の方法論であって、その説明の妥当性が、真社会性生物のありかたにおいて問われることなるのだが、そこには興味深い未知の部分が存在する。言うまでもないことだが、それをもって進化論なりネオダーウィニズムが否定されるといった話ではない。
 以前「[書評]アリはなぜ、ちゃんと働くのか(デボラ・ゴードン)」(参照)に触れたが、真社会性生物の知のあり方が問われるという問題もある。本書では、「第1章 7割のアリは休んでる」「第2章 働かないアリはなぜ存在するのか?」で言及され、真社会性生物研究の入門的な役割と一般読者の関心を引く構成になっている。これはこれで面白い。
 中心的な課題は進化論的な説明だが、真社会性生物が進化論の枠組みで問われることには、ダーウィン以降の伝統がある。

 生物進化の大原則に「子どもをたくさん残せるある性質をもった個体は、その性質のおかげで子孫の数を増やし、最後には集団のなかには、その性質をもつものだけしかいなくなっていく」という法則性があります。「生存の確率を高め、次の世代の伝わる遺伝子の総量をできるだけ多く残したもののみが、将来残っていくことができる」とも言い換えられます。ところが真社会性生物のワーカーは多くの場合子どもをうまないので、「子孫を増やす」という右の法則とは矛盾する性質が進化してきた生物、ということになります。なぜそんな生物が存在するのか? この謎は進化論の提唱者チャールズ・ダーウィンが、自分の進化論を脅かす可能性があるとして、彼の著書『種の起源』のなかで紹介しています。この謎によって真社会性生物は、昔から生物学者の注目を集めていたのです。

 この言及の後、真社会性生物は意外と1980年代までハチ、アリ、シロアリくらいしか知られていなかった。が、アブラムシやネズミ、エビ、カブトムシ、カビなどにも見つかってきていると続く。真社会性生物の拡がりからすると、その社会性の原理性は、いわゆる進化系統図とは異なる進化のタイプ論を形成するだろうし、さらに言えば、タイプ論も進化の原理性に関わってくるといえる。本書は直接的な言及はないが、人間社会での比喩を多用していることから暗黙裡に、人間のあり方にもその影響を見ていると言っていいだろう。
 真社会性生物、とくにワーカーのように子孫を残さない個体を生み出した生物の進化を進化論(ネオダーウィニズム)でどのように説明するか? 私が子どものころに話題だったのは、ウィリアム・ドナルド・ハミルトン(William Donald Hamilton)による血縁選択説(Kin selection)だった。簡単にいえば、個体が自分の子を直接産むよりも、遺伝子を共有する血縁者を通したほうがより多く、自分の遺伝子を残せるというものだった。ハミルトンが当時影響力を持ったのはおそらくこれをハミルトン則として数式化した関係式で説明したせいもあるだろう。br-c>0、または移項して、C<BRともなる。

bが相手(女王)を助けることによって相手の生む子どものふえる量、rは自分と相手が遺伝子を共有している度合い(血縁度)、cが相手を助けなかった場合に自分が埋める子どもの数の変化分です。

 ようするに血縁の濃い女王を助けると自分の遺伝子も効果的に残せるというものだった。
 ところが、学説は巧妙に見えて、関係式が反証可能的ではない。単独性固体の適応度は計測できないのである。

ハミルトン則が登場して50年経ちますが、それが本当に現実の真社会性生物で成立していることを直接証明した研究は一つもありません。なぜできないのか? 理由はカンタン、真社会性生物で、単独で巣を営む個体が同じ集団内に共存しているものが見つからないからです。

 このあたりから本書の面白さが頂点になる。血縁選択説については、メスとされるワーカーの性比を通して間接的に説明され、いちおうめでたしめでたしではあるのだが、群選択との対比が持ち上がる。

 社会を作るということは、個体が集まってグループになることです。この場合、例えば2匹で協力して何かをやると、1匹でやるときの2倍以上の効率があがるとすれば、血縁選択上の利益がなくても協力する方向で生物は進化するはずです。

 血縁選択なのか群選択なのかという択一ではなく、血縁選択は働くだろうとしてそれが群選択より強いもののか、どの程度の進化的な要因なのかということが問われる。本書はその総合説に至る入り口までを議論している。
 本書の終盤は、働かない働きアリを通して、「適者生存」の意味を再吟味していく議論になる。この議論も面白い。

 実はこの「適者」というのがくせ者です。ダーウィンの理論には「何に対して適しているものが適者なのか」という定義がなされおらず、したがってどんな性質が進化してくるのかもこの理論だけでは決められないのです。

 もちろんそれでは科学にならないので「定常個体群」という考え方があり、理論内の整合はつくのだが、本書では、この条件が現実の自然界を意味しているかという研究はないという指摘がある。また、適応の未来のレンジはどこまでなのかという問題も提示してくる。

もしかすると、次世代の適応度に反応する遺伝子型と、遠い未来の適応度に反応する遺伝子の型がいまこの瞬間も、私たちの体内で競争しているのかもしれません。

 本書はその状態を科学にとって未知なものとして素直に受け止めることで締めている。それは誠実な科学者らしい態度でもあるなと感心した。

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2011.06.07

[書評]「進化論」を書き換える(池田清彦)

 「「進化論」を書き換える(池田清彦)」(参照)は3月に出た本だが、進化論がたまに話題なるネットでもさほど話題になってないような印象を受けた。内容がごく平凡だからというのがあるのだろうと思っていた。いまさらネオダーウィニズムを科学だとか言って持ち上げるのは、創造論やID論批判をしてダーウィニズムを唱道する一群のネットの変な人たちくらいでしょと思っていた。意外とそうでもないのかもしれないが。

cover
「進化論」を書き換える
池田清彦
 書名は誤解を招きやすい。進化論を書き換えて創造論やID論にするというわけでもなく、ダーウィニズムをラマルキズムにするという愉快な話でもない。ごく普通にネオダーウィニズムの破綻の整理と現在の進化論研究の雑駁なまとめであり、しいていえば、「ネオダーウィニズムを書き換えましょうかね」というくらいの雑談である。著者もそのくらいに理解しているようだ。

 表題は『「進化論」を書き換える』であるが、正確に言えば、進化論はすでに書き換えられつつある。但し、進化論を主導してきた主流派の学者たちは、つい最近まで、遺伝子の突然変異、親善選択、遺伝的浮動、というネオダーウィニズム的プロセスのみで進化のすべてを説明できると豪語していたので、ネオダーウィニズムの破綻が明らかになった今でも、ネオダーウィニズム的プロセスが進化の主因でそれ以外のプロセスはマイナーな原因だと言い張っているけどもね。

 現状としてはまだコントラバーシャル(controversial)と言えないこともないので、そのあたりは著者としての自覚があり、実際のところ本書を読んでも、それほどすっきりとネオダーウィニズムが破綻したと納得できるものでもない。
 ただ、論点がそう不明瞭なわけでもない。

 単細胞生物から多細胞生物へ、無脊椎動物から脊椎動物へ、魚類から四足動物へ、といった大きな進化はどのように起こるのか。ネオダーウィニズムは説明することができない。ネオダーウィニストも馬鹿ではないから、そのことは分かっているのだと思う。理論的に説明できないことを、正統だと言い張るためには、異論を政治的に弾圧する以外にない。一部のネオダーウィニストが批判に対して、ヒステリックな非難を浴びせたのは故ないことではないのだ。

 笑い。
 といったところだが、ネットの世界だとさらにひどくて、ダーウィニズムやネオダーウィニズムに疑念を持つと、先日私を石原都知事やメア氏擁護者だいうふうに湧いてきた一群の変な人たちみたいに、「こいつは創造論やID論の隠れ信奉者だ(本心はそうだ!とかね)」とかいう変な人たちがぞろっと湧いてくる。まあ、しかたないか。
 もう少しまじめに見えるなら、こういう問題でもある。

 ダーウィニンやネオダーウィニズムに至る自然選択を主因とする進化論が大進化の理論を考えることができなかったのは、形態形成システム自体の変更こそが、進化にとって最大の要因であることに思い至らなかったからだと思う。

 このあたりが、難しい。本書を読むとわかるが、ダーウィン自身はネオダーウィニストと同じことを考えていたのではない。むしろ、現在のネオダーウィニズムを超えた視座を時代の制約を受けながらも持っていたとも言える。また、ネオダーウィニズムにしても、むしろ方論的に形態ではなく遺伝子に焦点を当てていた。生物は遺伝子の乗り物だとかいう洒落とかも。
 科学的な転機がどこにあるのかという点から見るほうがよく、それはといえば、ファイロタイプの研究である。実際のこの分野の研究者は、さして進化論議論には関心ないのではないかという印象もあるが。

 近年の進化発生の進展に伴って、形態形成にとって最も重要なのは、遺伝子自体の変異というよりもむしろ、遺伝子たちを発生プロセスのどの部位でいつ使うかといった、遺伝子の使い回し方であることが分かってきた。科学は宗教ではないので、実証データをつきつけられれば、政治的な弾圧は不可能となる。
 突然変異と自然選択の積み重ねによって、進化は斬新的に起こるというスキームは、進化のごくマイナーな局面のみを説明できるマイナーな理論にすぎないことは、もはや誰の目にも明らかであろう。

 逆にいうと、ファイロタイプと形態形成が大進化の説明になるのだという発想もまたちょっと軽率というか、池田先生らしいおっちょこちょいかなという印象もある。
cover
動物進化形態学
倉谷滋
 本書は日本の一般読者対象なのか、この手の本にありがちな、「げげげ、注釈で本の厚みの三分の一のページですか」みたいな参照もなく、よって海外文献の参照もない。率直なところ、なんか日本人が面白いこと言っています、といったタイプの本にも見えるが、「動物進化形態学(倉谷滋)」(参照)の考察なども含めている。
 つまり仮説として見て面白いのは以下のような部分なのだ。

(前略)倉谷滋は、「淘汰(人為選択のこと。筆者注)が、本来の標準的経路とは違う別の発生経路へと切り替わるスイッチが入る閾値を下げ、そうやって新しく成立したゲノムでは、もはや環境刺激が必要ではなくなる」と述べている。問題は遺伝子のスイッチが入る閾値の低下が起こるメカニズムである。同書で倉谷が指摘するように、遺伝子的同化のメカニズムは、いまだにその全貌がつかめているとは言い難いが、倉谷は人為的選択が遺伝しの組み合わせをどんどん変えて、この新しい遺伝子型が環境刺激なしに自発的にスイッチをオンにすると考えているようだ。

 池田氏は、そして、こう夢想する。

 私は、環境刺激に応答し易い遺伝子(群)を人為的に選択していく過程で、遺伝子(群)の発現が細胞の解釈系を変更させて、これが次世代に伝わり、次いでこの解釈系が環境刺激のかわりに遺伝子(群)のスイッチを入れて、環境刺激の有無にかかわらず新しい形質が安定するという可能性も排除できないのではないかと思っている。

 ほぉと思う。面白いなと思う。が、反面、それってネオダーウィニズムと同じくらい弱い説明力しか現状持たないのではないかとも思う。彼もそれはうすうす懸念しているせいかこう比較する。

ここでの進化の風景は、遺伝子の突然変異が形質を変え、その形質が適応的ならば徐々に集団中に拡がり、その繰り返しで適応的形態が成立するといったネオダーウィニズム的なものとは全くことなる。環境が変化すると生物は環境刺激に応答可能な(すでに個体群のゲノム中に存在し、今までは眠っていた)遺伝子(群)を活性化させることによりまず先に表現型を作り、それが適応可能的ならば、この表現型を選択し続けることで、遺伝子の組み合わせを変更して、表現型を遺伝型に固定するのだ。

 私はこれを読みながら思ったのは、それってピアジェ(Jean Piaget)じゃん、ということだった。彼が晩年、実質的に生物学に回帰して構想したのがこのフレームワークでのネオダーウィニズム批判であり、これは私が学生時代に学んだものだった。が、もちろん、そのころは、ファイロタイプの研究があるわけでもないが。
 その意味で、こういうのもなんだが、池田氏の構造主義生物学とやらは結局ピアジェの構造主義に収斂してしまう。西欧では、あー、そういうのあるよねの一例でしかないのではないか。というか、こういうふうに進化論を議論してもさしたる進展でもないような気はする。
 それはそれとして。
 書籍としてつまり著作として見て本書が面白いのは、そういう最新研究の一風変わった解釈学よりも前半のダーウィニズムやネオダーウィニズムの歴史のまとめだろう。

 ダーウィンを神格化している後のネオダーウィニストたちは、ダーウィンのパンゲン説や獲得形質の遺伝説を、あたかもなかったように無視していることが多い。『種の起源』など読んだこともない大半の生物学者の中には、ダーウィンが獲得形質の遺伝を主張したことを知らない人もいる。中には獲得形質の遺伝説に反対したと思っている人すらいるらしいのだ。獲得形質の遺伝は長い間、進化論者のタブーだったから、教祖ダーウィンの間違いを隠蔽したい気持ちが強かったのであろう。

 このあたりも訓詁学はなんとでも言えるので、いろいろ愉快な議論はあるのだろうけど、神格化されるダーウィンという構図はさして変わらないので、概ね池田氏の批判は当たっている。
 むしろ次のような指摘に価値がある。ネオダーウィニズムが席巻した後の世界からすると、ええ?という印象すらあるかもしれないが。

 メンデル遺伝学の登場により、ダーウィンの進化論は一時的に凋落する。ダーウィンの進化論においては、変異は連続的であると想定されていた。連続的な変異に自然選択が作用して、十分な時間が経った後で大きな変化が起きる。しかし、メンデルの遺伝学においては、変異の原因は遺伝子(エレメント)という実体なので、遺伝子が変化すれば形は突然変化する。もし、突然の遺伝子の変化で形が大きく変われば、この進化(変化)に自然選択は必要ない。昔の生物学の教科書に、進化の機構として、自然選択と突然変異が、別々の仮説として同列に並べられていたのは理由があったのである。
 かくして、一九二〇年頃まで、ダーウィンの進化論は凋落の一途を辿ることになる。

 文献的に見ていくと、実際、ダーウィンの思想は一九二〇年頃までに埋もれている。これがあたかも復権したのは、ネオダーウィニズムの登場によるものであり、やや誇張した言い方をするとネオダーウィニズムがダーウィンを再・創造してしまった。
 本書を読んだ後、そういえばネオダーウィニズム自体はどう発生したのかと気になった。ネオダーウィニズムといえば、ネズミのしっぽを切り続けたアウグスト・ヴァイスマン(August Weismann、1834-1914)が想起されるが、彼自身は1914年には亡くなっており、さらにネオダーウィニズムという用語自体はジョージ・ロマネス(George John Romanes, 1848-1894)によるものだ。そのあたりの歴史的な整理も必要ではないかとは思った、が、というか、それより、実際の1920年代以降のいわゆるネオダーウィニズムは、自然選択と突然変異を理論的に統合したロナルド・フィッシャー(Ronald Fisher, 1890-1929)などが中心で、しかも彼はきちんとこの時代の優生学と重なっていることについて、しばし考えこんだ。
 ちょっと飛躍ではあるが、ネオダーウィニズムというのは、つい科学史的な流れで見てしまいがちだが、実際には1920年代の優生学と同じ思想の地平にあるあの時代特有の思想の一形態なのではないかな、と思ったのである。

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2011.06.04

フィナンシャルタイムズが見た日本政治の手詰まり

 フィナンシャルタイムズ社説に昨今の日本の政局の話題、「The indecision of Naoto Kan」(参照)が載っていた。同意するところ多しということで、これ、翻訳が出ないならブログのネタにでもするかなと思ったら、日経新聞に翻訳が出ていた。「収束見えぬ民主の内紛 改革の機 台無しに(FT) 」(参照)である。まあ、読めばわかることなんだが、意訳のような感じがするので、ちょっと原文との対比をしておこう。日経の訳抜け部分は太字にした(意図して抜けたとも思われないけど)。

  ※ ※ ※

When Naoto Kan came to power as Japan’s prime minister, he promised strong and decisive leadership. Recent events show how far short of that ideal he has fallen.

(日経訳)菅直人首相は1年前の就任時に、強力で決断できるリーダーシップを国民に公約した。しかし、ここ数日のごたごたは、首相がいかにその理想からかけ離れてしまったかを如実に示している。

(試訳)日本の総理大臣として政権を握ったとき菅直人は、強くそして決定力のあるリーダーシップを約束した。だが最近の出来事を見れば、その理想の道程のどのあたりで行き倒れになっているかがわかる。

Any hope that Mr Kan’s victory in a confidence vote on Thursday might bring about a period of much-needed political stability looks lost. In seeking the support of his colleagues, a number of whom wanted to oust him, the premier gave some sort of undertaking to step down at an ill-defined point in the future. Far from healing the splits in his party, this has simply exacerbated them and has turned Mr Kan into something akin to a lame duck.

(日経訳)「菅降ろし」の動きが強まる与党・民主党内をまとめようと、首相は震災対応などで「一定のめどをつけた時点で退陣する」というあいまいな約束で事態を収めようとした。ところが、むしろ状況を悪化させ、自身を事実上の「レームダック」に追い込んでしまった。

(試訳)木曜日の信任投票に菅氏が勝利することで、必要とされる政治の安定期間がもたらされるのではないかという期待があったが、消えたようだ。彼の辞任を求める同僚が少ないなかで支援を取り付けようとして、菅首相は辞任すると安請け合いをしたが時期は曖昧にした。その結果、彼が率いる民主党の分裂を平癒するどころか逆に悪化させ、菅氏を死に体同然にしてしまった。

Whether he can, or should, continue in office is moot. It is difficult to see how in his weakened state Mr Kan can reach out even to dissidents in his own party, let alone the opposition, in order to address the many serious challenges that Japan now faces.

(日経訳)菅氏続投の是非には議論の余地がある。弱体化した菅政権が党内造反派、ましてや野党に働き掛け日本が直面する様々な深刻な問題の解決を目指せるとは考えにくい。

(試訳)彼の政権は維持できるのか、それとも維持すべきなのかなど、机上の空論である。日本が直面している深刻な課題に取り組むのに、この衰弱した状態では、野党はもちろん党内対立者にどこまで菅氏が話を取り付けることができるのか、わからないのだ。

What is depressingly clear is that there seems no end to the bickering and infighting that has roiled his Democratic Party of Japan since it took power in 2009. Far from focusing their political energies on the reconstruction and relief effort needed after the tsunami and nuclear accident, Japanese politicians seem set on a further bout of self-absorption.

(日経訳)2009年の政権奪取以来続く民主党の内紛は収まる気配を見せない。震災と津波被害からの復旧・復興と東京電力福島第1原子力発電所の事故の収束に全力を注がねばならないこの時期に、日本の政治家は自己本位の政争に明け暮れているように見える。

(試訳)あまりに明白で憂鬱になってくるが、2009年の政権交代以降民主党内から沸き起こる口論と内紛には終わりが見えない。津波と原子力事故後に求められる救援・復興活動のために政治を注力させるのとはほど遠く、日本の政治家はわがままの暴走をしているようだ。

Some of the blame must attach to the DPJ. Since assuming power, it has squandered its opportunity to change Japanese politics for the better by sweeping away the bureaucratic system that had kept its predecessor, the Liberal Democratic party, in power for more than half a century. Little headway has been made in building the more accountable system that was promised. Instead the DPJ has subsided into the sort of factionalism that plagued the LDP. Mr Kan faced a leadership challenge last year and his predecessor as DPJ leader and prime minister, Yukio Hatoyama, lasted just months. Reforms have taken a back seat.

(日経訳)民主党にも責任の一端はある。現野党の自由民主党が半世紀以上にわたり政権を独占することを可能にしたのは、日本の官僚制度だ。民主党は政権を奪取し、問題点を根本的に見直し、政治改革を実現する機会があったのに台無しにしてしまった。
 民主党が公約した責任ある政治制度の構築は遅々として進まず、むしろかつての自民党ばりの派閥政治が横行している。

(試訳)民主党には非難される点がある。民主党は政権を獲得したというのに、半世紀にもわたる自民党政権を支えた官僚機構を刷新して日本の政治を改革するという機会を浪費してきたのだ。公約された、よりアカウンタビリティ(応答責任)ある制度構築へは前進なきに等しい。代わりに、自民党の宿痾であった派閥主義のような状態に陥りつつある。民主党を指導する総理として鳩山由紀夫は数か月しか保たなかったように、菅氏も昨年、指導者としての異議に晒された。改革は後退してきた。

But it is not just the DPJ that has failed the country. The wider political class must share the blame. It had been hoped that the tragic events of March 11, which left 24,000 dead or lost, might have instilled in lawmakers a new sense of unity and purpose, and that this in turn might contribute to break ing Japan’s 20-year long malaise. The public’s selfless and stoic response was truly moving.

(日経訳)責任は他党にもある。震災と原発事故が政治家の心に団結心と目的意識を植え付け、それを持ってすれば日本の「失われた20年」も取り戻せるとの期待が当初はあった。震災直後に日本人が見せた無私・禁欲の精神は世界を感動させた。

(試訳)しかし国を誤らせてきたのは民主党ばかりではない。政界も非難されねばならない。2万4千人もの死傷者を出した3月11日の悲劇的な災害で、国会議員も団結と目的の意識を持つようになり、それが20年の長きにわたる日本病快癒のきっかけになるかもしれないと期待されたものだった。国民の献身と沈着な対応は真に感動をもたらした。

Sadly this spirit does not appear to have penetrated the stone walls of the Diet where politicians squabble endlessly over the baubles of office and place. Until this changes, no end to Japan’s political impasse is in sight.

(日経訳)だが国会議事堂の厚い壁はそんな気高い精神すらはね返した。政治家は安っぽい地位・権限を巡る際限ない口論に今も余念がない。ここが変わらなければ政治の行き詰まりを打開する見通しなど到底立たない。

(試訳)情けない話だが、国民の心意気は国会議事堂の石の壁に阻まれ、議事堂の中では、職務と地位という見せかけだましの獲得に延々と口論を続けている。この事態が変わるまで、日本政治の手詰まりは終わらない。

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2011.06.02

残念ながら簡単に言うとアラブの春は失敗

 5月26日と27日の2日間、フランス・ドービルで開催された主要国首脳会議(G8)の話題として、日本ではしかたがないとも言えるが、福島第一原発の対応が注目された。が、その他の話題もあった。欧州経済危機や、最近はすっかり忘れ去れたかのような地球温暖化、またインターネットのあり方なども議論された。そうしたなかで最後の締めともなった大きな話題が「アラブの春」、つまりアラブ諸国の民主化だった。いや、「中東に民主化が望まれる」とかいうたるい話ではない、ようするに、エジプトとチュニジアへの資金援助の話だった。なぜ資金援助が必要になったのか。この件について適切な解説報道を日本では見かけなかったように思えた。なぜ資金援助? 残念ながら、簡単に言うと、アラブの春は失敗したからである。
 簡単に事実確認から。WSJ「G8、「アラブの春」支援に200億ドル―総額400億ドルの援助」(参照)より。


 ノルマンジー地方の海辺のリゾート地で2日間の討議を終えたホスト国・フランスのサルコジ大統領は、イスラム世界の民主化のモデルとなるエジプト、チュニジア両国への支援総額は、世界銀行などの国際金融機関と個別国まで含めれば400億ドル(約3.2兆円)に達するとの見通しを示した。G8首脳はまた中東・北アフリカ地域の今後の繁栄には各国でより清廉な政府の樹立が重要との認識で一致した。

 なぜそれほどの支援が必要なのか。記事はこう続く。

「わが国には(民主化)成功のための全ての要素はある。しかし実際の成功にたどり着くには資金援助がほしい」。サミットに参加したチュニジアのカイドセブシ暫定首相はこう述べ、さらに同国の民主化成功が「イスラム世界と民主主義が相容れないものではないことの証明となる」と話した。

 チュニジアでは民主化は道半だから資金が必要だということ。つまり資金がなければ、民主化はできない状況になっている。失敗したということだ、簡単に言うと。エジプトもそういうことなのだが、この記事では触れていない。
 29日付けフィナンシャルタイムズ社説「Funding the north African aid corps」(参照)にも似たような修辞が使われていた。

Three months after a wave of popular discontent swept away dictatorships in Tunisia and Egypt, the Arab spring’s revolutionary tide is ebbing. The brutal regimes in Libya, Syria, and Yemen have shown beyond doubt that they are ready to murder as many of their people as necessary to cling to power. To give hope to the brave souls still opposing these despots, it is crucial that the relative successes of Egypt’s and Tunisia’s revolutions are consolidated.

大衆の不満の波がチュニジアとエジプトの独裁政権を押し流して三か月、アラブの春という革命の潮は引いている。リビア、シリア、およびイエメンの野蛮な政権は、権力固執の必要に合わせて自国民を虐殺する用意があることを明確に示してきた。独裁者に勇気を持って抗う人に希望を与えるには、比較的成功した部類のエジプトとチュニジアの革命をより確実にすることが決定的に重要である。


 修辞を除けば、中東民主化は失敗し、チュニジアとエジプトが独裁に滑り込まないためには、見物人は寺銭を払えよということ。
 なんでこんなにもエジプトは困窮したのか。単純な話、国家がぐらついたからだ。

The package sends the right signal at the start of a huge task; but much more money will be needed. With tourists and foreign investors still shunning the area for fear of unrest, and public order not fully restored, the economic situation is deteriorating fast. Egypt has burnt through $8bn (more than 20 per cent) of its foreign exchange reserves since January. Unemployment has surged. The IMF reckons that oil-importing Arab nations will need $160bn in external financing over the next three years to stay afloat.

However, even $160bn will do little good if it is not spent effectively.

欧米からの送金は中東民主化という大事業着手に正しいメッセージになる。とはいえ、さらなるカネも必要になる。観光客も国外投資家も政情不安を恐れてこの地域を避け、社会秩序も十分に回復していないので経済状況は急速に悪化している。エジプトは1月以来、外貨準備の80億ドル(20パーセント以上)を使い果たした。失業も増加した。原油を輸入に頼るアラブ諸国は向こう3年の切り盛りに1600億ドルの外貨調達が必要になると国際通貨基金は見ている。

しかし、効率よく使わなければ1600億ドルでも足りないだろう。


 エジプト経済が予想どおり破綻に向かっている。中間層や新興富裕層を破壊したのでこのままでは経済効率が回復するわけもない。支援金も焼け石に水となる。
 もちろんそんなことは欧米も理解しているから、カネは旧ソ連諸国支援に実績のある欧州復興開発銀行に任せた。
 表層的に考えるなら、エジプトに新しく中間層や新興富裕層の育成が求められるのが、それこそが、この「エジプト革命」とやらの本質に阻まれている。

Yet while full liberalisation will eventually bring Egypt and Tunisia the economic freedoms their people desire, the fragility of their economies argues for cautious change. This means that, for all their economic inefficiency, food subsidies and public job schemes should be retained in the short term. Premature cessation of such welfare policies could spark serious unrest.

十分な自由化が国民の望む経済的な自由を結果的にもたらすとしても、経済は脆弱で変化には注意を要する。どういうことかというと、経済が非効率であろうが、短期的には、食費の補助金と公的部門の職業計画が維持されるべきなのだ。福祉政策を安易な考えで早急に停止すると深刻な社会不安となる。


 実際のところ民主化どころではない。社会不安から国家の崩壊を招かないためには海外からの資金注入が必要だったということだ。
 すでにエジプトの社会不安は危険な兆候を示している。もっとも悲惨な例はエイプ内のキリスト教徒(コプト教徒)への弾圧である。5月7日、カイロで暴動が起こり、コプト教会が放火され、10人の死者と200人の負傷者が出た(参照)。なぜ軍部が防げなかったのか。
 防がなかった側面すらもある。クーデター後の国家運営にヘマをしている軍政が大衆の不満の矛先をムバラク前大統領やキリスト教徒に向けさせている。5月12日のワシントンポスト社説「The threat posed by religious violence in Egypt」(参照)は惨劇をこう見ている。

That was the sort of behavior one could expect from an authoritarian regime that probably preferred having public anger directed at the Copts than at more appropriate targets, such as the government itself.

この手の活動は独裁政権から容易に想定されるものであり、政府に向けらるべきはずの人々の怒りをコプト教徒へ向けることが好まれたのである。


 ムバラク政権の末期と同じことを軍政がやりだした。しかも、それは大衆の怒りをそらすためだった。軍政もまた、暴力装置として国家に収納されるべき諸暴力の統制を失い始めている。
 おそらく対イスラエル政策の変更もそうした軍政による大衆迎合の一環ではないかと懸念され、そのまま諸暴力の統制が失われることを欧米が、イスラエルの手前もあるのだろうが恐れ出して、まずはみかじめ料でも差し出すかということになったのがフランス・ドービルの主要国首脳会議であった。
 菅首相がそれに気がついていたかはわからないが、日本国民も気がついてないかもしれないのでさしたる違和感はない。

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2011.06.01

スーダンのアビエイ地方が予想通り紛争化

 南スーダン独立が来月に迫るなか、予想されていたことではあるが、油田地帯のアビエイ地方で問題が発生してきた。
 スーダン南部の独立を求める住民投票(レファレンダム:referendum)が今年の1月9日から15日に実施され、98.1%が独立を求めるという結果になった(参照)。当然予想された結果なのだが、1月15日朝日新聞社説「スーダン南部―投票後の安定にも支援を」では、「紛争の解決策は、和解による統一政府の樹立か、分離独立か」とありえない選択肢を書いていた。それだけ見るといくらスーダンに肩入れしている中国様に色目を使うにしても、さすがに馬鹿丸出しのようにも見えたものだが、同社説の主旨は南部独立後も紛争が続くという懸念であり、それはそれで当然でもあった。


 もし南部が独立を選んでも、北部との関係が終わるわけではない。
 南北の境界に未画定の部分があり、境界付近にある油田地帯の帰属を巡る住民投票は延期されている。この国の外貨収入源である石油資源の大半が南部にあるため、領土や資源を巡る紛争が再燃する心配もある。

 そしてその懸念が現実化してきた。
 朝日新聞社説が「境界付近にある油田地帯」とぼかして書いているのは、アビエイ地方のことで、アビエイ問題の背景については、3月付けのフォーリン・アフェアーズ「スーダン南部独立への遠い道のり」(参照)が詳しい。住民投票の時点でこのような状況だった。

 この2週間だけでもアビエイの北で起きた襲撃事件によって33人が犠牲になっている。南部の分離独立を問う住民投票に参加しようとする人々でひしめき合う数台のバスが、ハルツームからアビエイへ向かう道路上で攻撃されたためだ。その結果、道路は封鎖され、アビエイの町は食糧や燃料が不足する事態に陥った。
 この問題を別にしても、この地域に北部から遊牧民と牛の群れがやってくる季節になると、アビエイの住民との間で衝突が起きる。すでにその季節を迎えつつある。
「スーダンが二つの国に分かれたときに、アビエイは北と南のどちらに帰属するのか」という疑問が、こうした目の前にある緊張を否応なく高めている。

 しかしレファレンダムという最終的な民意があるではないかいうことだが、まさにそこが問題で、実施されなかったのだった。

 スーダンでは、(スーダン政府が統治する)大多数がイスラム教徒の北部と、(スーダン人民解放運動=SPLMが支配する)キリスト教徒やアニミストが多い南部の間で22年にわたって戦闘が繰り広げられ、和平合意が締結された2005年まで内戦状態にあった。
 和平合意では、アビエイの住民が北部と南部のどちらに帰属するかを住民投票で決める権利をもつことも明記されたが、どこまでをアビエイの住民として認めるかをめぐって、SPLMとスーダンの政権与党である北部国民会議党(NCP)が政治的に対立し、結局、アビエイでの住民投票は実施されなかった。

 実はここでアビエイ問題がダルフール危機に関連してくる。

 国際社会が支持する、アビエイに関する南北合意は、アビエイの住民である南部のンゴック氏族の立場を認めている。ンゴック氏族の人々は、「この地に特定の季節だけ暮らす北部の遊牧民族のミッセリア族ではなく、ここに定住している者こそがアビエイが南北どちらに帰属するのかを決めるべきだ」と強く主張してきた。
 この主張が通れば、ンゴック氏族は北からの分離に賛成しているので、アビエイはまず間違いなく、近く独立する南スーダンの一部となる。しかし、NCPは独自の政治的思惑から、これに反対している。
 NCPとしては、スーダン西部で展開されるダルフール紛争においてミッセリア族をNCPの側に引き留めておく必要があるし、この地域に未開発の石油資源が眠っていると考えられるため、「アビエイは北に帰属すべきだ」というミッセリア族の主張を支持している。

 北部遊牧民族のミッセリア族がアビエイとダルフールに微妙に関わってくる。ミッセリア族は必ずしも北部とは限らないかもしれない状況すらある。

 2006年にはジャンジャウィードの指導者がJEMと相互不可侵協定を調印するようになり、続いてJEMに加わる動きもみられた。そしていまや、JEMはハルツームとの戦闘において自軍に取り込む対象をミッセリア族にも広げている。
 ミッセリア族の兵士がダルフールの反政府勢力に加わってハルツームと戦うのは、矛盾しているかにみえる。
 実際、私が話したンゴック氏族の誰もが、NCPがアビエイをめぐる既存の合意を実施に移さないことを問題にし、スーダンのバシル大統領は、アビエイの権利を主張するミッセリア族を支持するために戦争も辞さないつもりだった。

 とはいえ、ミッセリア族は現状では北部政府の先兵となっている。
 最近の状況だが、NHKですらと言っていいと思うが、報道があった。5月23日「南スーダン独立前に北軍侵攻」より。

 アフリカのスーダンで、ことし7月に迫った南部の独立を前に、北部の政府軍が、帰属が決まっていない南北の境界付近の油田地帯に侵攻し、これをきっかけに南北間の激しい対立が再燃することが懸念されています。
 スーダンでは、北部のアラブ系の政府と、南部のアフリカ系の反政府勢力の間で、20年以上続いた内戦が終わり、住民投票の結果、ことし7月に南部が独立することになりましたが、南北の境界付近にあり、国内有数の油田地帯が広がるアビエ地方を巡っては、帰属が決まっていません。こうしたなか、北部の政府は22日、「政府軍がアビエ地方に侵攻して制圧し、南部側の武装勢力を掃討している」と発表しました。国連などによりますと、北部の政府軍は、少なくとも15両の戦車を展開させるとともに迫撃砲などによる攻撃を行ったということです。これに対して、南部の自治政府軍は「われわれへの宣戦布告だ」として強く反発しているほか、国連の安全保障理事会も今回の侵攻を非難し、即時撤退を求めており、これをきっかけに南北間でアビエ地方を巡る激しい対立が再燃することが懸念されています。

 どうにもわかりづらいニュースなのは、NHKとしてもなんとか中立性を保とうとしているからだろう。どっちかについてすっきりできる問題ではない。
 北部政府の言い分としては、アビエ地方に南部側の武装勢力が攻勢をかけたのでその正当防衛としたのだろう。実際にそういう側面もある。国連平和部隊と北部政府軍がこの地域から撤退行動に出ているときに、南スーダン南部側の武装勢力が待ち伏せをしかけたのだった。
 だが、その後の北部側の対応は歌舞伎じみていて、防衛というのは騒ぎが大きく、北部側の狙いどおりのように見える。5月26日AFP「スーダン南北係争地に北部系民兵、衛星写真で確認と国連機関」(参照)でも、どう見ても北部政府支援で武装したミッセリア族の動きを伝えている。

 UNMIS報道官によると、民兵らはアラブ系のミッセリア(Misseriya)族と見られ、部隊や戦車、ヘリコプターが配備されつつある様子が衛星写真で確認できたという。アビエイからは市民の姿が消えているという。
 ミッセリアは1983~2005年の南北間の内戦で北部政府と同盟関係にあった遊牧民で、アビエイは通常、放牧の際の通過地点にあたる。
 南部政府関係者らも、ミッセリアの民兵たちが大挙してアビエイに入りつつあると警鐘を鳴らした。南部政府を支持するンゴク・ディンカ(Dinka Ngok)族を中心とする住人数千人が南部に避難してもぬけの殻となったアビエイでは、既に放火や略奪が始まっているという。
 ミッセリアの族長は、プロパガンダだとしてこれを否定している。
 一方、衛星を使った監視任務に参加しているある人権団体は、「北部政府軍がアビエイで戦争犯罪や人道犯罪を行っている証拠が、衛星写真に写っている」と指摘した。衛星写真を分析した別の団体も、「軍事車両による攻撃が行われ、村が破壊されていることは明白」と述べている。

 予想通りやってきましたね、お尋ね者バシル大統領というところだろう。NHKも、26日報道「スーダン 油田地帯巡り緊張高まる」(参照)では、きっちり登場してきたお尋ね者バシル大統領がいる。

 アフリカのスーダンで、ことし7月に迫った南部の独立を前に、帰属が決まっていない南北の境界付近の油田地帯を北部の政府軍が占拠したことについて、スーダンのバシール大統領は演説で「北部スーダンの領土だ」と一歩も引かない構えを示し、緊張が高まっています。
 スーダンでは、ことし7月に南部が独立することになっていますが、これを前に、北部の政府軍は今月19日、先に南部側から攻撃を受けたとして、南北の境界付近の帰属が決まっていないアビエ地方に部隊を展開させ、占拠しました。アビエ地方には国内有数の油田地帯が広がっており、国連の安全保障理事会などが即時撤退を求めたのに対し、北部のスーダン政府のバシール大統領は、25日までに首都ハルツームで行った演説で「アビエ地方は北部スーダンの領土だ」と述べ、一歩も引かない構えを示しました。アビエ地方では、政府軍による占拠が始まって以降、北部側の民兵組織によるとみられる略奪や放火、それに国連のヘリコプターへの発砲が起きており、国連などによりますと、およそ4万人の住民がアビエ地方を離れたということです。南部の自治政府軍のスポークスマンは「スーダン政府軍は民兵組織を使ってアビエ地方を奪い取ろうとしている」と非難しており、今後、緊張がさらに高まることが懸念されます。

 かくして大変な事態になった。
 その前の米国時間の22日の国連は声明を出している。「SECURITY COUNCIL PRESS STATEMENT ON ABYEI, SUDAN」(参照)である。オバマ米国大統領も即座に支援した。
 事態に対してもっとも影響力を持ちうるのは当然中国なので、ワシントンポスト社説「Crisis in Sudan」(参照)にはその言及があった。オバマ米国大統領の声明を是として。

That is the right message. But the administration must also move to restrain the southern Sudanese government from responding militarily, and urge Arab states and China — north Sudan’s prime economic partner — to use their leverage on Mr. Bashir.

オバマ政権は正しいメッセージを送った。しかしさらに、オバマ政権は、南スーダン政府が軍事的な挑発に乗らないよう抑制させるべく行動すべきだし、アラブ諸国と、北部スーダンの経済支援者である中国に働きかけ、バシル大統領を動かすようにすべきだ。


 レファレンダムに至る経緯を見ていると中国もかなり折れているので、さらに無いものねだりという印象がないわけでもないが、スーダン問題で中国の役割が大きいのも事実である。中国としては南部独立によってこれまでの石油利権に不安を感じているのだろう。スーダンの石油の七割は南部にある。
 アビエイ地方の紛争化でダルフール危機の行方も見えなくなりつつある。5月28日付けのニューヨークタイムズ「Another War in Sudan?」(参照)が指摘しているとおりだ。

The Obama administration set out a road map for removing Sudan from the terrorism list and normalizing relations with Khartoum. That must be held up until Mr. Bashir negotiates a settlement for Abyei. To get maximum benefits, progress on a peace settlement in Darfur is also required.

オバマ政権は、スーダンをテロ国家のリストから外し、北部スーダン政府との関係正常化の工程を示したが、この工程は、バシル大統領がアビエイ地方安定化の交渉に乗り出すまで凍結しなければならない。最大限の利益が得たいなら、ダルフールでの平和調停の進展もまた求められる。


 現状ではどうなっているか。
 昨日のNHKでは、また微妙な報道をしている。「スーダン 非武装地帯設置で合意」(参照)より。

 アフリカのスーダンでは、来月に迫った南部の独立を前に、北部のスーダン政府と南部の自治政府が、南北の境界に沿って非武装地帯を設置することで合意しました。
 スーダンでは、北部のアラブ系の政府と南部のアフリカ系の反政府勢力との間で20年以上続いた内戦が終わり、住民投票の結果、来月、南部が独立することになっています。こうしたなか、南北間の仲介にあたっているAU=アフリカ連合は、先月31日、北部の政府と南部の自治政府の代表者が東アフリカのエチオピアで会合を持ち、およそ2000キロにわたる南北の境界に沿って非武装地帯を設けることで合意したことを発表しました。合意によりますと、非武装地帯では南北が共同でパトロールを行うほか、双方の防衛担当相らが率いる共同機関を設置し、南北の安定した関係維持を図っていくということです。スーダンでは、南北の境界付近にあり帰属が決まっていない油田地帯のアビエイ地方を、先月、北部の政府軍が占拠したため、南北間の新たな火種となっていますが、今回の合意はこの問題には触れておらず、引き続き緊張した状況が続きそうです。

 とりあえず南北の非武装地帯が設定されるのだが、問題化している当のアビエイ地方は除外されているので、名目的な対応でしかない。
 今後の動向だが、皆目わからない。話の筋立てからすると、当然北部政府のお尋ね者バシル大統領が諸悪の根源のようでもあるが、彼としても強行な態度に出ないかぎり北部政権が維持できないというご事情もありそうだ。国連としても中国の利権が大きくからむため、カダフィ大佐を屠ろうするような単純な動きも取れない。
 ダルフール危機を含めてすべてが一気に瓦解する可能性もあるのかもしれない。が、そこまで見えてきたら中国としても動かざるをえないだろう。

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