GE製Mark Iはそもそも欠陥だったのかもしれない
福島第一原子力発電所の状況について、当初の状況についていくつか気になる海外報道が出て来たのでブログに記しておきたい。福島第一原発のGE製Mark Iはそもそも欠陥だったのかもしれないという疑いがある。
その前に、日本ではメルトダウンや早期に空焚きになっていたことが話題だが、この件についてはNRC文書を扱ったエントリ(参照)の言及から十分想定された範囲のことでもあり、報道が続くわりにはさほど大きな変化はない。NRCとしても5月16日、24時間体制での監視を解除した(参照PDF)。毎時監視を続けるほどの大きな変化はないとのNRCの予想が含まれていると了解してよいだろう。ただし、NRCが示唆した80キロ圏内の退避については依然解除はされていないようなので潜在的な危険(2号炉の崩壊など)は残っているのだろう。
当面に気になるのは、3号機と4号機燃料プールだろうか。18日TBS「3号機注水、十分届いていない可能性」(参照)で3号機の最新の報道があった。リンク切れなので資料として引用しておこう。
5月18日(水)12時10分 福島第一原発の1号機では、燃料が溶け落ちるメルトダウンが起きていることが明らかになっています。 一方、3号機については、先月からたびたび炉心の温度が上がるなど不安定な状況が続いていますが、これについて複数の政府関係者はJNNの取材に、3号機でも「メルトダウンが起きているとみられる」としています。 原子炉には「シュラウド」と呼ばれる壁と圧力容器との隙間を通して水が注がれていますが、底に固まっている燃料に十分に水が届いていない可能性が高いことが分かりました。 専門家は、この状態が続いた場合、燃料が発する高熱によって、圧力容器の底が抜ける可能性がある「深刻な事態だ」と指摘しています。
4号機の燃料プールについては傾斜して崩壊するのではないかという懸念も一部で話題になっているようだが、この対処はすでに東電の工程表に含まれているので、新しい脅威というものでもない。
ほかに、1号炉では圧力容器の底が完全に抜けたとの話もネットで見掛けるが、現状そこまで想定するのは難しく、NHKの想定が妥当というところではないか。「時論公論 「原発事故 見えない収束」(参照)より。

一方、1号機の圧力容器には、これまで1万トン以上の水を入れていますが、水位が低いということは、水が大量に漏れていることになります。燃料がメルトダウンした熱で圧力容器の底が溶け、合計すれば数センチ程度になる細かい穴が開き、水が漏れている可能性を東京電力は認めました。同時に、燃料の一部が、水とともに漏れ出している可能性も認めました。この燃料の一部を含んだ危険度のより高い水は、格納容器からさらに漏れ出していると推定されます。
この話も3月21日時点のアレバの資料(参照)を読むとわかるが、1号炉は2700℃に達した可能性が書かれており、この温度なら圧力容器は溶けると想定してよいものだった。
以上、前置き。
ようやく事故時点の状況が報道されるようになったが、まず興味深いのはWSJ「福島第1原発、事故直後の新事実が明らかに―WSJ分」(参照)だった。地震当日の話である。
福島第1原発に夕暮れが近づくと、技術者たちは取り外した車のバッテリーを使って臨時装置の電力とし、原子炉の中で何が起こっているのか解明しようとした。午後9時21分には危険なサインを発見した。1号機の水位が急激に下がっており、燃料棒がいまにも露出しそうだった。
冷却装置がなければ水は沸騰し、炉内の圧力が高まる。沸騰した水の量が増えれば、燃料棒は溶け出し、空気に触れて反応する。そして、放射性物質を放出し、爆発を引き起こす危険がある水素ガスができる。
午後11時頃、最初の発電用トラックが到着した。東京の首相官邸では歓声が上がった。
これで発電トラックが機能すると思われたのだろう。
だが、喜ぶのはまだ早かった。発電所の損傷したメインスイッチに、発電機をつなぐことができなかったのだ。ケーブルの一部が短すぎて、発電所の別の部分まで届かなかった。津波警報も発せられ、作業員は高台に避難しなければならなかった。最初の24時間のうちに接続できた発電機はわずか1台だったことを、東電の資料が示している。
真夜中には、1号機の格納容器内の圧力が、設計時に想定された最大レベルをすでに50%超えていた。放射能レベルが非常に高かったため、東電の清水正孝社長は作業員に建物からの退避命令を出した。
関係者によると、大胆な手段を取る必要があることが、東電と政府の目に明らかになってきた。すなわち、格納容器が圧力で破損する前に、原子炉内の蒸気を放出しなければならない。
WSJでは原子炉内の蒸気を放出、ベントに関心を当てている。
蒸気放出にはリスクがあった。蒸気は放射性物質を含んでいる可能性があり、近隣地域に危険を及ぼす。だが放出しなければ、容器が壊滅的に破壊される危険が非常に大きかった。菅首相と海江田万里経済産業相は、午前1時半頃、公式に蒸気放出を認めた。
その後何時間も続いたのは、情報の行き違いや混乱だった。3月12日午前2時45分、東電は原子力安全・保安院に1号機の格納容器内の圧力が想定最大レベルの倍になっているようだと伝えた。
それでも、蒸気放出口は閉じられたままだった。首相官邸から、海江田経済産業相は東電の経営陣に1時間ごとに電話をし、進捗状況を尋ねた。午前6時50分、海江田経済産業相は蒸気放出を命じた。だが、実行はされなかった。
東電が今週公表したところによると、3月12日朝のこの時点では、1号機の核燃料はすでに溶け落ち、容器の底に積み重なっていたと思われるという。
翌日の3月12日の朝には、現在メルトダウンと呼ばれている完全コアメルトになっていた。
遅れた理由をWSJはこう見ている。
政府関係者らはいま明かす。東電で蒸気放出を決定するのに長い時間がかかったのは、放射性物質を放出すれば事故の重大さが急激に高まると考えられたからだと。東電はなお、蒸気放出をせずに事故を収束させたいと考えていた。なぜなら、大気中に放射性物質を放出すれば、福島の事故は世界最悪のものとなり、チェルノブイリと並んでしまうためだ。
これに続く記者会見と国会証言で、東京電力の清水社長は、時間がかかったのは周辺住民の避難への懸念と技術的な問題のためだと述べた。この件に関して、清水社長からはコメントは得られなかった。
WSJの読み筋としては、東電の内情としてベントなしで事態収束ができると想定していたというものである。しかし、東電の公式アナウンスでは、住民退避猶予と技術としている。この部分についての真相は記事からは明確には読み取れない。
同記事では、ここからドラマが映像的に描かれる。東電・武藤副社長に注目したい。
グレーの会議用テーブルが二列に並んだ小さな部屋では、東電の原子力事業を率いる武藤栄副社長と発電所長の吉田昌郎氏の正面に菅首相が座った。
同席した人々によると、菅首相は、白髪長身の原子力技術者、武藤副社長と衝突した。武藤副社長は、発電所の電力の問題があるため、あと4時間蒸気放出はできないと言った。作業員を送り込んで、蒸気排出弁を手動で開けることを検討しているが、原子炉付近の放射線レベルが非常に高いため、そうすべきかどうか確定できない。一時間ほどで決定すると、武藤副社長は言った。
この部分についてはあとでニューヨークタイムズの記事と比較したい。
ドラマ的描写は続く。
菅首相の補佐官によると、「人ぐりが悪い」と武藤副社長は言った。
同席していた人にようると、菅首相は「悠長なことを言っている場合じゃない、出来ることは何でもやって、早くしろ」と怒鳴った。
この件に関して、武藤副社長、吉田所長からのコメントは得られなかった。東電の広報担当者は、武藤副社長の発言を確認することはできないと言った。東電は常に、事態収束のために、政府などからの支援を進んで受けてきたと広報担当者は語った。
菅首相は、このミーティングの後すぐに福島第1原発を離れた。午前8時18分、発電所の技術者が最初に菅首相らに、1号機から蒸気を排出したいと伝えてから7時間後、東電は首相官邸にあと1時間ほどでバルブを開けると伝えた。
かなり遅れたものの、安全弁はまだ開放が可能だった。問題はこうだ。通常、それは制御室で電動か圧縮空気で開閉するが、いずれのシステムも機能していなかった。
その結果、高い放射線量の建屋内で作業員が安全弁を手動で開放しなければならなかった。
一見すると菅首相の指導力でようやくベントに至ったかのように読める。さらにWSJはこの手動開放を行った人的努力を記事のエンディングとしていかにもドラマティックに置いていく。しかし、ポイントはベントの制御が制御室から可能ではなかったという点にありそうだ。
ここに焦点を当てたのが18日付けニューヨークタイムズ「In Japan Reactor Failings, Danger Signs for the U.S.」(参照)である。先の東電・武藤副社長のドラマはこう描かれている。
The government became rattled enough that it ordered Tokyo Electric to begin venting. But even then, Tokyo Electric’s executives continued to deliberate, according to a person close to government efforts to bring the reactors under control. The exchanges became so heated, the person said, that the company’s nuclear chief, Vice President Sakae Muto, and the stricken plant’s director, Masao Yoshida, engaged in a “shouting match” — a rarity in reserved Japan.政府はあまりに狼狽し、東電にベントを命じた。しかしその時ですら、原子炉制御に関わる政府関係者によれば、東電幹部は熟慮し続けた。討議は白熱し、東電原子力事業部門の武藤栄副社長と福島第一原発・吉田昌郎所長は怒鳴り合った。慎み深い日本では珍しいことだった。
武藤副社長と吉田昌郎所長の口論があったらしい。もちろん、ベントの可否である。
Mr. Yoshida wanted to vent as soon as possible, but Mr. Muto was skeptical whether venting would work, the person said, requesting anonymity because he is still an adviser to the government and is not permitted to comment publicly. “There was hesitation, arguments and sheer confusion over what to do,” he said.吉田氏は即刻ベントを望んだが、武藤氏はベントが機能するか懐疑的だった。この話の出所は、公にできないので匿名を望む政府相談役によるものだが、続けてこう語った、「ためらい、議論、何をすべきかについての混乱がそこにあった」
WSJ記事からは武藤副社長のためらいが感じられ、またニューヨークタイムズ記事からも武藤社長のためらいが感じられるが、後者の記事では、その背景に技術的な問題としての含みが色濃い。
私もずっと疑問だったのだが、ブラックアウト後の1号炉のメルトダウン過程は2号炉、3号炉より早い。1号炉には特殊事情があると見てよいのだが、そこがよくわからなかった。現状では、枝野官房長官が「報道で初めて知った」とされる1号機非常用冷却装置の手動停止(参照)がその原因に関係するのではないかと思われる。が、それにしても別の見方をすれば、いずれにせよメルトダウン過程が遅れた2号炉、3号炉でも結局は1号炉と同じ過程を辿っている。1号炉にベントの遅れがあっても、2号炉、3号炉で遅れがなければ間に合ったのではなかったかという疑問が残るが、現実はというと、1号炉の特殊事情があっても、結局全炉揃って同じプロセスとなった。
この件についてニューヨークタイムズ記事の示唆がある。
The venting system is designed to be operated from the control room, but operators’ attempts to turn it on failed, most likely because the power to open critical valves was out. The valves are designed so they can also be opened manually, but by that time, workers found radiation levels near the venting system at Reactor No. 1 were already too high to approach, according to Tokyo Electric’s records.ベント機構は制御室から操作するように設計されているが、操作は失敗した。理由は緊急用電源が切れたことだろう。弁は手動でも開くが、東電の記録によれば、この時点で1号炉のベント機構付近は作業員が接近不能なほど放射線レベルが高かった。
At Reactor No. 2, workers tried to manually open the safety valves, but pressure did not fall inside the reactor, making it unclear whether venting was successful, the records show. At Reactor No. 3, workers tried seven times to manually open the valve, but it kept closing, the records say.The results of the failed venting were disastrous.
2号炉でも作業員が手動で安全弁を開こうとしたが、反応炉内の圧力は下がらず、記録からはベントの可否は不明となった。3号炉でも手動で弁を開こうとしたが、記録によれば、開かなかった。ベントの失敗は悲惨なものになる。
緊急時にはベントそのものがそもそも無理だったという評価も成り立つようだ。
ということは、この原子炉、つまりGE製Mark Iがそもそもブラックアウトといった緊急時には対応できない欠陥品だったのではないかという疑念が出てくる。
ただし、注意しなければならないのは、そもそもこのニューヨークタイムズの記事は米国内の同種の原子炉の潜在的な危険性を煽るためのダシとして福島第一原発を見ているので、そうした意図のバイアスはあるだろう。
追記(2011.5.20)
コメント欄でベント機構について指摘があった。この点についてだが、ニューヨークタイムズは福島第一原発が改良ベントを装備したうえで、なおこの欠陥の指摘をしている。
American officials had said early on that reactors in the United States would be safe from such disasters because they were equipped with new, stronger venting systems. But Tokyo Electric Power Company, which runs the plant, now says that Fukushima Daiichi had installed the same vents years ago.米国高官は米国のこの種の反応炉は、新式の強固なベント機構があるので、日本のような惨事にはならないと早期に言ってたものだった。しかし、この設備を運用する東電は現状、福島第一原発は同種のベントを数年前に装備してあると述べている。
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コメント
ご参考になりましたら幸いです
福島第1原発:設計に弱さ GE元技術者が指摘(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/11/genpatu8/msg/278.html
投稿者 gataro 日時 2011 年 3 月 31 日 14:33:07: KbIx4LOvH6Ccw
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110330k0000e030026000c.html
http://kwout.com/quote/uy3vhrwd
http://kwout.com/quote/mxke7gyj
福島第1原発:設計に弱さ GE元技術者が指摘
東電によると、福島第1原発はGEが60年代に開発した「マーク1」と呼ばれる沸騰水型軽水炉を6基中5基使っている。
◇議論封印「売れなくなる」
GEでマーク1の安全性を再評価する責任者だったブライデンバーさんは75年ごろ、炉内から冷却水が失われると圧力に耐えられる設計ではないことを知り、操業中の同型炉を停止させる是非の議論を始めた。
当時、マーク1は米国で16基、福島第1原発を含め約10基が米国外で稼働中。上司は「(電力会社に)操業を続けさせなければGEの原子炉は売れなくなる」と議論を封印。ブライデンバーさんは76年、約24年間勤めたGEを退職した。
ブライデンバーさんは退職直後、原子炉格納容器の上部が小さく、下部と結合する構造が脆弱で万一の事故の際には危険であることを米議会で証言。マーク1の設計上の問題は、米原子力規制委員会の専門家も指摘し、GEは弁を取り付けて原子炉内の減圧を可能にし、格納容器を下から支える構造物の強度も改善。GEによると、福島第1原発にも反映された。
しかし福島第1原発の原子炉損傷の可能性が伝えられる今、ブライデンバーさんは「補強しても基本設計は同じ。水素爆発などで生じた力に耐えられる強度がなかった」とみる。また「東京電力が違法に安全を見落としたのではない」としながらも、「電気設備の一部を原子炉格納容器の地下に置くなど、複数の重大なミスも重なった」と分析した。
ブライデンバーさんはGE退職後、カリフォルニア州政府に安全対策について助言する原発コンサルタントとして約20年間働き、現在は引退している。
また、これもご参考になりましたら幸いです
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/1f6bd45cd9a22a95622232fed5b0c78b
投稿: | 2011.05.19 16:57
きちんとしたソースは不明ですが、福島原発にベントを取り付けたのは2000年になってからという記述がそこかしこでヒットします。
http://d.hatena.ne.jp/micabox/20110504/p1
設計に欠陥があったとしても、ベントとは別の問題ではないでしょうか。
投稿: kamm | 2011.05.20 00:15
日誌が出る前から思っていたのですが、職員の方は津波が押し寄せる中、3基同時安定化させようと最善を尽くしたんじゃないかと。色々な機知が事前にあったとしても、結果は変わらなかったのではと思います。
※ 修羅場では、出来ることは限られていますし。
> GE製Mark Iはそもそも欠陥だったのかもしれない
3基とも同じような現象がでているので、(1号機の格納容器からの放射性物資漏れの報道後)Mark Iは構造上問題を抱えていると感じていました。格納容器の形状も怪しい形をしているので。
でも、まさか弁当弁の欠陥の話が流れるとは思いませんでしたが…
投稿: hori412 | 2011.05.20 01:35