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2011.04.24

[書評]天皇はなぜ万世一系なのか(本郷和人)

 「天皇はなぜ万世一系なのか」という問いかけは魅力的だし、新書表紙の半分を覆うほど広い帯にある「世襲か、実力主義か」というキャッチフレーズも本書のガイドライン的に添えられたものだろう。結論からいうと、若干だが、ほぉと驚く意外な答えが書かれてはいる。そういう考えもあるのかな、というものだ。同時に多少がっかりもする。おそらくこの問いに魅せられた人に納得がいくというものでもないだろう。もちろん納得のいく答えがあったとして、それがどれほど真理を射貫いているかは別として。

cover
天皇はなぜ
万世一系なのか
本郷和人
 帯にはさらに「皇室、貴族、武士、高級官僚の出世と人事から、「日本権力構造」最大の謎に迫る」とあり、これも補助的なフレーズなのだが、すでに天皇の問題が日本権力構造という一般構造に吸着されていることが伺われ、どうやら本書のテーマは先の問いに焦点化していないか、散漫なのではないかという印象を与えてしまう。読後の感想としても、日本史に興味のある人にとっては堪えられない面白さを持ちつつも、考察が深められていない断片集には思えた。
 スポイラー(ネタバレ)になるがあえて、表題の問いの答えをストレートに抜き出してみよう。著者には、誤解させないでくれよというものではあるかもしれないが。

 皇子は少なからず「いる」。かつ、皇室にまさる血は見当たらない。この条件下、皇位はきわめて自然に、皇室出身者によって受け継がれていった。そう考えるのが現実的であると思います。「高貴な血」へのこだわりは、特段にはなかったのではないか。なくとも、気がついたら連綿と繋がっていた、というのが実情だったのではないでしょうか。初めから計画された「万世一系」ではなく、結果としての「万世一系」ですね。

 別の言葉でいえば、ユーラシア大陸の歴史のように、王朝や民族の血統がジェノサイドで断絶させらるような過酷な事態がなく、一定の政治的な安定性を求める社会的な安定性が、結果的に天皇制を作ってしまった、ということ。ひと言でいえば「特に理由はない」となるだろう。
 万世一系に特段の理由はない、というのは、これはこれで面白い視点であり、若干ほぉと思わずにもいられない。
 そしてこれを原理に据えて女系天皇の議論も展開されており、同様の結論が導かれている。いわく、天皇家が男系に見えるのは、ただの結果論、特段の理由はない、というものだ。第一原理の曖昧さとは別にこちらの導出のほうはより説得力があるようにも読めた。
 さてこの議論を私はどう思うかというと、すまん、床屋談義だと思っている。面白いこというなあ、座布団一枚、である。
 もっとも、天皇家の血統が重視されていたとかいう陳腐な議論に固執しているわけではない。私の考えでは、天皇家というのは、近世以降は山城国の小領主にすぎない。家系が古いので古代についてお家の神話を持っているということだ。これは毛利家なんかも同じ。
 江戸時代という、明国滅亡の珍妙なイデオロギーが日本に土着化しなければ、ぜんまいざむらいの世界のように、天子様というのは普通に形式化・形骸化しただろうと考えている。天皇というのは、近世以降の日本が、日本国家の自覚とともに生み出した古代の幻想の仮想の相続人でしかないと思うのである。だから、これを中世にまで遡及・援用して一貫した日本と天皇というセットで考察することは、そもそも間違いなのではないのかと疑念に思っている。
 そうしてみると、本書で指摘される「日本権力構造」つまり、安定社会に置ける世襲制権力構造からは、天皇家とはいえども、小領主の家系のいち類型にすぎず、真田家なんかともさして変わらないようなものなのではないか。
 本書の基調に対して私が斜に構えてしまうのは、正直なところ、私が小林秀雄や山本七平、イザヤベンダサンといった多少異質な史観に傾倒している理由もある。彼らは、日本の近世の始まりを、明治というナショナリズム国家への思想的な基点としてみている。
 加えて私は沖縄暮らしで、実感として近世のない日本としての沖縄という感覚を得てきたため、むしろ中世までの日本における天皇=天子=貴種について別の視点を持っている。例を挙げれば、沖縄の王朝も源家の貴種を持っていることや、武家としての源家には貴種の幻想が付随していただろうことなどがある(頼朝・義経はジェノサイドされるはずだった)。これは武家に近い大塔宮の身体への聖物意識などもある。
 おそらく本書を読んだ歴史好きのなかには、本書の議論の特異な粗さのようなものを感じるだろう。が、では本書は雑な本なのかというえば、その対極で、よくまあこんなディテールを議論するなあという話がいろいろあって面白い。特に、宗教権力と王家(天皇家)の関連については、特別珍妙な議論ではないのだが、一般的には近代以降の独立した宗教範疇で語られがちなので、本書のような王権権力構造や世襲的な世俗権力の構図でさらりと描かれるのは示唆深いだろう。
 本書は、そうした知的興味をくすぐる快活な書籍であることに加え、おそらく編集側の意向だろうと思うが、著者本郷氏の自分語りが諸処に語られている。人によってはうざったく思えるかもしれないが、私などは、本郷さんって、奥さんも研究家でしたか、それはまた微妙な夫婦の会話の断片ですなあ、といったのような部分も面白かった。

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コメント

皇室が、叙位除目だけでなく、本当に徴税や立法や軍事に携わる現実権力だったら、おそらく、どんなに長くても250年くらいで王朝交代していたはずです。中国の歴史がそれを示している。

平安時代でさえ、比叡山や検非違使たちに事実上実権を奪われ、鎌倉開幕以降は、皇室と公家は、歌を詠んだり、日本書紀の研究をしたりすることしか能が無かったから、逆に長い命脈を保つことが出来たのだろうと思います。

君主自身で代々作詩を専門にするというのは、日本の皇室だけが考え付いた、世界の他に例を見ないすぐれた開運術です。印相とか地理風水で何とかなる運勢などは高が知れています。

小心に、比叡山の密教僧たちに強く帰依して、政治的な実力行使など一切考えず、ひたすらご利益にすがっている迷信深さも、武力を背景とした実力者たちを安心させたのだろうと思います。

投稿: enneagram | 2011.04.25 14:04

 公家と天皇は戦後、別物となった。皇室もそれに準ずる。それで戦後日本は繁栄したのになんで最近お公家さんの関係者が雅子皇太子妃に攻撃をなさるのか?あれはロスチャイルド的なマスコミ報道が成されたことで、最近の鉢呂経産大臣の辞任などもロス茶の陰謀が見え隠れする。英国=ロス茶は世界経済を操ろうと虎視眈々なのだ。英国はEUに入っていない意味がこれで良くわかった。

投稿: 比婆古事記 | 2011.10.08 20:55

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