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2011.04.14

[書評]新訳 チェーホフ短篇集(沼野充義訳)

 「新訳 チェーホフ短篇集(沼野充義訳)」(参照)とあるようにチェーホフの主要短編の新訳である。2008年から雑誌「すばる」に掲載され、昨年秋に単行本にまとめられた。

cover
新訳 チェーホフ短篇集
沼野充義
 新訳というと旧訳が読みづらくなったかのような印象もあるかもしれないが、それはあまりない。旧訳には言葉遣いが多少古い面もあるが、田山花袋の「蒲団」を読んでいるようなことはない……あー、「蒲団」もそれほど古めかしくもないか。

机、本棚、ビンは依然として元のままで、恋しい人はいつものように学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机のひきだしを開けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。しばらくして立上ってふすまを開けてみた。その向うに、芳子がつねに用いていた敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟のビロードの際だって汚れているのに顔を押つけて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。

 すまん、若干文章と表記をいじったが現代でも読める。それより後代のチェーホフ訳の文章ならなおのこと。例えば、神西清による旧訳の若い女の台詞だが、こんな感じ。

「信じて、わたしを信じて、後生ですから……」と彼女はかき口説くのだった。「わたしは正しい清らかな生活が好きなの。道にはずれたことは大きらいなの。いま自分のしていることが我ながらさっぱり分からないの。世間でよく魔がさしたって言いますわね。今のわたしがちょうどそれなんですわ、わたしも魔がさしたんですわ」

 新訳だとこう。

「信じてください、ね、お願いだから信じて……」彼女は言った。「私は正直で清らかな暮らしが好きなんです。罪深い生活なんてぞっとするわ。自分でも何をしているのか、わからないの、ほら、世間の人たちはよく、魔がさしたって言うでしょう。いまのわたしもそうなんです。やっぱり魔がさしたのね」

 そんな感じ。
 チェーホフ短編の面白さを味わうというなら、特別新訳を読むこともないのだが、こっそり言うけど、Tolle Lege、取って読め、買って読め。
 なにゆえ? 新訳ならではの面白さというのもあるけど、この本、作品ごとの末にいちいち訳者のこってりとした解説が付いていて、そこがたまらん。おまえ、文学好きだろ、みたな世界が延々と広がっていく。ラノベの評価で友だちと罵倒を繰り返すような熱い思いが湧いてくる。
 チェーホフ短編自体も面白いが、率直に言うと、女性にとっても、これ、面白いのかというと、困惑。20代までの男にとって面白いかというと、微妙。童貞さんには、がちで面白くないと思う、すまん。
 とりあえず、これが恋愛っつうもんですかみたいなことを二、三回して、「うへぇ、俺って嫌なヤツだな」という自覚もできた30代や40代の男なら、この短編集、苦笑で腹が痛くなるほど楽しめます。おまえ、こういうの好きだろ。
 かく言う私も若い頃はチェーホフなんて好きではなかった。むしろ嫌い。なにが嫌いかというと、「チェーホフはいい」とかいう大人の男からじわっと滲んでくる浅薄さが受け入れられなかった。人生や女性や恋愛をシニカルに眺めるというのは文学じゃないよとか思っていた。ウィリアム王子だって頭部の威光が自覚できない時代がある。
 50過ぎて読んでみるとシニカルというより、甘酸っぱい、胸にちくちく来るものがある。というわけで、50代の男性が読めば、この、恥ずかしい内面にちくちく来る快感が味わえます。そしてチェーホフ先生、44歳で死んじまったのかいと同情する。
 どんな作品か。こんなの。

かわいい
 従来「可愛い女(ひと)」と訳されていた作品。たぶんある種の女を見て、「かわいいっ!」と感じる印象を表現している。チェーホフの意図もそうらしい、うんぬん。
 かわいい女の話。オーレンカという女性。新訳では「オリガちゃん」とも訳されている。「さっちゃん」みたいな含みだろうか。かわいい女の人生の物語である。ショートショートより長めの短編。
 オリガちゃんは冒頭、10代。おっとりとして色白でぽっちゃりして笑顔がかわいい女の子。若干タルドル系かもしれない。見つめていると、「か、かわいい」とつぶやいてしまいそうな女の子。といっても、ロリ好きが言いそうなそれではないが。
 オリガちゃんは、最初パパが好き。中学生になるとフランス語の先生が好き。それから年頃になると、近所に来た地方周り遊園地業者の男が好きになって、結婚した。そして男と一緒にその仕事して専念して、男の考え方に同化する。好きが高じて男と同じこと言い出す。
 男も文句がなければいいのだが、そこは人生ゲーム。男は死ぬ。未亡人となったオリガちゃんは悲しむのだが、渦中、材木屋の男に惚れて結婚。そしてまた男の仕事に専念して男の考え方に同化する。その男も死んで、今度は獣医に惚れる。そしてまた同じ。ほとんど獣医のようなことを言い出す。
 好きな男をころころ変えて、そのたびにその男の考えにするっと同化してしまう女。ころころ変わる女の人生。そう言ってしまうとなんだが、チェーホフの筆致は軽妙で笑える。
 笑いながら、しかし、と30代の男は思うのだ、こういう女よくいるよな、こういう女に惚れられたこともあるよな、と。男の趣味や考え方や仕事に染まっていく女。別れると、別の男にすぐに染まっていく女。
 あれはなんなのだったのだろうと40代の男も思うのだ。あるいは、自分の母親や姉がそういう女なんじゃないか、げーっと思ったりもする。
 愛情深き女。女の愛……まあ、そういうものの、変な本質をさらりと描いた一品。

ジーノチカ
 ジーノチカというのは女の名前。キャラは現代でいうとツンデレか。その女を描いているともいえるが、その女を描くことで女の本質の一面を描いているとも言える。なんとも奇妙な味わいのある小品。
 語り手は中年の男の「僕」。すでに豚。その少年時代の回想の物語。
 「僕」の兄の恋人ともなるジーノチカという年上の少女に会う。家庭教師でもあった。「僕」は、あるとき兄とジーノチカのラブシーンを盗み見て、それをネタに彼女をいびるようになる。それが原因でジーノチカは「僕」を憎むようになる。すさまじい憎しみ。わざわざ「僕」の前にやってきて情熱の愛の言葉のように語る、かく。


「ああ、あなたが憎くてたまらいの! こんなに人に不幸を願ったことはないわ! わかってちょうだい! わかってほしいのよあ、この気持ち!」

 チェーホフの話は笑話でもあるので、こういう台詞が出てくる。僕らの人生でも、そういう女性に巡り会う。そういう事態に遭遇する。ないですか? 僕なんかなんどもありますよ。熱烈に憎まれるというのが。今でも、コメント欄で憎まれているけど。わかっているよ、君が女性だということを。

いたずら
 なにが「いたずら」か。チェーホフに模された男が子どものころを回想する話。好きな女の子のナージャと橇の遊びをする。二人乗りで滑って高速が出ているとき、「す・き・だ・よ、ナージャ!」とその耳元でつぶやく、という「いたずら」。
 ナージャは空耳かなと思う。空耳かどうかまた試してみる。女の子の心に「いたずら」という、たわいない甘酸っぱい話なのだが、これには、なんと2つのエンディングがある。訳者が、すげー気を遣って、初出と改作の2バージョンのエンディングを並べてくれたのだ。よくやるよね。
 2つの異なるエンディングが深い。2つのエンディングがそのままポストモダン小説のように存在して不思議でもない。
 そのことが、中年になった男の胸を、ぐっとえぐるのだ。

奥さんは小犬を連れて
 「犬を連れた奥さん」と訳されてきた作品。リゾート地のヤルタで主人公の、妻子持ちで40歳に手が届こうという中年男のグーロフが、夫と離れて旅先にいる20代の人妻と恋に落ちるという話。ぐへぇな設定。
 最初は男もほんの遊び心だが、女がヤルタを離れモスクワに行くと、結局追いかけてしまい、のっぴきならぬ関係になる。くだらねえなあとか思いがちだし、たしかにくだらないのだが本気になってしまう。中年男の読者の内面にちりちりと苦笑を誘う。


 それからホテルの部屋で、彼女のことを思った。明日もきっと、会ってくれるだろう。きっとそうに違いない。寝床に入って彼はつい最近まで彼女が、現在の自分の娘と同じような女学生だったことに思い当たった。

 40前の男がそんなこと思うか。思うのである。
 話に露骨な性描写はないが、ことの後と思われるシーンのこんな台詞は絶妙にエロい。

「よくないわ」と、彼女は言った。「これであなたは、わたしを尊敬しない最初の人になってしまったのね」

 ちなみに旧訳だとこう。

「いけませんわ」と彼女は言った。「今じゃあなたが一番わたしを尊敬して下さらない方ですわ」

 新訳のほうがエロいかな。
 かくして関係は泥沼に入っていき……とそこで思いがけぬ、ポストモダン小説的なエンディング。

 短編集には、こうした中年男にとっての女とは何、のテーマの他に、子どもや社会貧困などもある。独自のペーソスに含まれるきびしい社会批判も興味深い。「牡蠣」は笑った後にじんわり泣けてくる。「ロスチャイルドのバイオリン」は笑った後に社会というものの複雑さに考え込む。

  • かわいい
  • ジーノチカ
  • いたずら
  • 中二階のある家
  • おおきなかぶ
  • ワーニカ
  • 牡蛎
  • おでこの白い子犬
  • 役人の死
  • せつない
  • ねむい
  • ロスチャイルドのバイオリン
  • 奥さんは小犬を連れて

チェーホフがもうちょっと生きていたら、その先に、ドストエフスキーとは違った大きな作品があったのではないかなとも想像してしまう。

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コメント

チェーホフの小説とモームの戯曲は駄目(逆は最高)、というのが定説で、昔読んだときもそう思ったんですが、そろそろ再読でもしてみますかね…。

投稿: 愛・蔵太 | 2011.04.14 22:57

私も、昔はチェーホフは苦手でした。。。頭では読めるけれども、心境的になんか馬鹿にされてるような気がして。
新訳、エロいんですね。買ってみようかな、まだ早い気もするけれども。

投稿: ジュリア | 2011.04.15 21:13

あの・・・オリガちゃんは獣医さんとは結婚していませんけど?彼はそれまで彼女を養った男たちとは別種の男として描かれているんですよね。彼女が夢中になるのはその獣医の息子です。(中学生の)女の本質といえばそうですけど、私の感想は「男女は恋をすると、うまくいかないもの」でしょうか。

投稿: ggg123 | 2011.04.18 20:23

ggg123さん、ご指摘ありがとう。訂正しました。

投稿: finalvent | 2011.04.18 21:20

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受信: 2011.04.15 05:32

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