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2011.04.30

米国大統領はなぜアイルランド詣でをするのか

 5月の23日か24日、オバマ米大統領はアイルランドを訪問することになっている。表立った政治的な理由ではなく、表敬訪問に近い。彼の母アン・ダナム(Stanley Ann Dunham )さんのご先祖様が、2007年のことだが、アイルランドの出身だとわかり、この年のセントパトリックス・デー(聖パトリックの祝日)に大統領選挙候補者だった彼が訪問したいきさつもある。祝日の由来になる聖パトリックは、アイルランドにキリスト教を広めた聖人である。
 話のネタ元は、26日付けのBBC記事「Why are US presidents so keen to be Irish?(米国大統領はなぜアイルランド人でありたがるのか)」(参照)によるもの。つられて調べてみると、オバマ大統領の祖先がアイルランド人という話は、ご先祖情報のAncestry.comが2007年に発表したものらしい。同年にはワシントンポスト「Tiny Irish Village Is Latest Place to Claim Obama as Its Own」(参照)でも取り上げられている。話の基点は、オバマ大統領の"great-great-great-grandfather"というからお祖父さんのお祖父さんということだろうか。1850年、アイルランド中部マニーゴール(Moneygall)村の靴屋の倅、フルマス・カーニー(Fulmuth Kearney)青年19歳が米国に旅立った。といってもすでに母方の親族は米国にいたのでそれを頼ったのだった。


マニーゴール(Moneygall)

 一族が米国に移住していた理由は、1845年から1852年にわたるジャガイモ飢饉(Potato Famine)である。当時ヨーロッパ全土で発生したジャガイモの疫病でアイルランド人の食糧が窮乏した。アイルランドでは麦も栽培していたが、年貢や商品としてイギリス(ブリテン島)に輸出されていた。
 当時アイルランドの支配階級はイギリス、ブリテン島にいたせいあり、多大な餓死者がアイルランドに出ても救済策は取られなかった。結果、人口の20%が餓死・病死し、10%から20%が国外へ脱出した。オバマ大統領の祖先カーニー青年もその一人だったのである。
 単純に引き算するとカーニーさんの生まれは1831年となる。この年に生まれた人のリストを見ると、マクスウェルの方程式のマックスウェルや数学者のデデキントがいる。孝明天皇が生まれた年でもあった。明治天皇のお父さんである。坂本龍馬はというと、1836年生まれなんで、だいたい同じ時代と見ていいのかもしれない。
 BBC記事の焦点は表題からもわかるように、少なからぬ米国大統領がアイルランドに祖先の国としての関心を強く持つのはなぜなのかということだ。
 理由としては、選挙でカトリック教徒の票が欲しいからだというのがあるらしい。言うまでもなく、アイルランド人にはカトリック教徒が多い。アイルランドの伝統や文化を尊重するからではないのだと識者のコメントも載せている。
 票が目当てでない例もあるともしている。ケネディ大統領とレーガン大統領、およびクリントン大統領が挙げられている。ケネディはアイルランド系アメリカ人として初の大統領なのでそれなりにわかりやすい。レーガンも父方がアイルランド系でカトリック教徒だった。が、後、母方のプロテスタントに改宗している。実際のところ現在のアイルランド系アメリカ人のカトリック教徒はプロテスタントより少なく、BBCの識者の説明はあっているんだろうかと疑問に思わないでもない。クリントンについてはBBCはアイルランド系に明確な証拠はないともしている。
 カトリック票が目当てとせず単純にアイルランド系の票が目当てと見てもよいのかもしれない。米国でアイルランド系を自認する人口は4400万人、これにスコットランド系アイルランド人(Scottish-Irish)が600万から700万人いる。単純に合算するとアイルランド系は5000万人となる。票の狙い目にはなりそうだ。
 ここでやっかいというのもなんだが興味深いのが、スコットランド系アイルランド人と仮に訳した"Scottish-Irish"の存在である。BBCの記事では、こう描かれている。


Most of the early presidents' Irish connections were to Tyrone and Antrim, through the protestants who came from Ulster in the early 19th Century and settled largely in the south and west.

米国の初期大統領ではアイルランド系といっても関連があるのは北アイルランドのティローンとアントリムであり、彼らは19世紀初頭に北アイルランドのアルスター地方から来て、多くは南部と西部に定住したプロテスタントによるものだ。

They later labelled themselves as Scots-Irish, to distinguish themselves from the poor Catholics fleeing the potato famine in the decades following the 1840s.

1840年代以降数十年にわたるジャガイモ飢饉から逃げきた貧しいカトリック教徒と区別するために、彼らは後に、スコットランド系アイルランド人(Scottish-Irish)と自称した。


 簡単に言っていいのかわからないが、ジャガイモ飢饉以前に北アイルランドから移民してきた人は、後の貧民と間違われないように、別のルーツ名を示したということなのだろう。当然だが、これにはプロテスタント(長老派・カルバン派系)とカトリックという宗教の対立もあっただろう。
 彼らは、その故地からアルスター・スコッツ(Ulster-Scots)ともいう呼称もある(参照)。これだとアイルランド人ではないスコットランド人だという含みが強くなる。では、いつ彼らがスコットランドから北アイルランドにやってきたかというと、17世紀に遡り、当時の植民地であるアイルランドに入植した。このあたりのさらなる背景はややこしいといえばややこしいが、現代の北アイルランドの問題にまで根を張っている。
 話を少し戻して、アイルランド系といっても、ジャガイモ飢饉による移民ではなく、むしろ米国のエスタブリッシュメントであるアルスター・スコッツは、アイルランド系と言っていいのかというと、従来はアイルランド系には含まれなかったようだが、BBCの記事の動向でもわかるが、最近ではそうだとも見なされつつあるようだ。
 もっともアルスター・スコッツに色目を使って米国大統領がアイルランド詣でをするということでもないのは訪問先でもわかる。

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2011.04.28

[書評]夏彦の影法師―手帳50冊の置土産(山本伊吾)

 コラムニストの、と呼んでよいのかためらうが山本夏彦氏が亡くなったのは21世紀になってから。正確には「夏彦の影法師―手帳50冊の置土産(山本伊吾)」(参照)にあるように、2002年(平成14年)10月23日午前3時50分。未明であった。87歳。彼の好きな享年でいうと88だろうか。米寿。沖縄ならトーカチ。長寿の部類であることは間違いないが、その年の彼の活躍を見るともっと生きていそうにも思えた。生涯記したメモ帳にはその月の13日に「ゲラ出る。間に合う」とあり、最後まで物を書く人であった。

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夏彦の影法師
手帳50冊の置土産
 本書は彼のご長男が書いたもの。伊吾氏、1946年生まれ。本書にもあるが新潮社の写真誌フォーカスの編集長をされていた。その地位にはなんとなく父親の七光りもありそうにも思えたものだが、そういうことはまったくない。では父譲りの文才であったかというと、そこもストレートに結びつくものではない。が、本書を読んでみると、ああ、これは夏彦さんの息子さんでしかないという、ひんやりとしたしかし強い意志が感じられる。
 本書が出たのは2003年9月。一周忌に合わせるという趣向もあったのかもしれない。副題に「手帳50冊の置土産」とあるように、ほぼ生涯にわたって書かれた彼の手帳をもとに書かれている。
 夏彦氏がなくなって10年もして本書を読む、つまり、彼の残した手帳を読んで思うことのひとつは、簡素に書かれたメモ帳から見える時代である。特に「第五章 意外で愉快な交友録」に顕著だが、彼の全盛であったころ、昭和の後年から彼の晩年までの幅広い交友関係の話は興味深い。一件偏屈にも見える夏彦翁には芸能界・文芸界から政界にいたるまで幅広い交友があり、そこから、ああいう時代だったなというのが時代の息吹として見通すことができる。バブルの風景の裏側という部分もある。あの時代を生きた人なら、本書のここを再読することは独特の感興をもたらすだろう。巻末には索引として「山本夏彦が出会った人たち」もまとめられているが、これだけでも簡素ながら歴史資料になるだろう。
 「無想庵物語」(参照)を名作と見る私にとって圧巻だったのは、「第二章 「戦前」という時代」に描かれている20歳の夏彦氏の姿だった。読めばわかるように、平成どん詰まりの現代でもこういう青年は多い。「こういう」というのは、なんとか文筆をもって職としたいと悪戦苦闘する姿である。
 夏彦青年は20歳にしてルソーのエミールの翻訳などもして出版社に売っていたりもするし、仏文のままその当時の現代小説なども読んでいた。村上春樹の青年時代ともわずかだが重なる部分もある。そうした才能を自覚しつつも、オナニーと特異な性欲、そして入り組んだ恋愛に懊悩する日々も描かれている。「第九章 恋に似たもの」にもその姿はある。
 言うまでもない。彼はその青春の記録を「無想庵物語」の続として残したのだろう。であれば、彼が公案のごとく残した少年の日々、フランス生活時代の、二度の自殺についても、なんらかのヒントが本書に描かれているかと期待する。しかし私は読み取れなかった。私の読解力が足りないのかもしれないが、息子の伊吾さんも、夏彦氏の愛読者がそこを気にしているのを了解しつつ、うまく解明できていないようだ。こうした問題は、いわさきちひろの評伝を飯沢匡が書いたように、第三者でないと無理なのかもしれない。私には到底その力量はない。
 この本を私が読んだのは最近である。夏彦氏が亡くなったとき、読もうか読むまいか悩んでいてやめたのだった。その思いはうまく言葉になってこない。愛読書の作家への幻想が破られたりあるいは過度に美化されてるのを恐れるというのとも違うが、当時ざっと書店で捲ったおり、なんか違うなと思った。また、本書の結果的な売りでもあるが、彼の隠された恋についても、うまく受け止められなかった。
 この年になって読んでも、「第九章 恋に似たもの」に描かれている、彼の伴侶を亡くしてのちの恋について、どちらかというと困惑を感じる。80過ぎた爺さんが色恋に没頭し、どちらかといえば女に翻弄されている姿がある。なんなのだろうこれはと思う。まったくわからないではない。老という時期が見えつつある自分にとっては、うああ人生の苦闘はまだ続くのかと背筋凍るものがある。
 山本夏彦氏は、有名なコラムニストとして好好爺たる笑顔と老練な修辞を操る文章家としての背後に、ずっと少年の詩人の心を持ちづけた人である。少年の恋を持ちづけたと言ってもいい。誰だって少年のときはそういう傾向があると、さらりと好好爺たる笑顔にだまされる愛読者が多いが、夏彦氏は怪物なのである。自覚もしていたのだろう。だから、この自身の恋の残骸のすべてを残したのだろう。本書は、結果的に描いているが、文章というものへの偏愛をも残した。彼は自嘲とは異なり売文家ではなかった。「「豆朝日新聞」始末」(参照)の挿話のように匿名でも書き続けていた。ブロガーにも近い人でもあった。
 本書を読みながら、夏彦氏の理解が深まったかと言えば、そうでもない。本書に描かれている夏彦像は微妙に、その愛読者の理想像に幻想を供している。微妙にというのは、伊吾氏はビジネスマンとしてまた家庭人としての夏彦氏もバランス良く描いている。が、怪物の怪物足る部分については筆を控えている印象がある。
 「第七章 理解なき妻」を読めば彼が愛妻家であったことを疑うべくもない。そのなれそめはどのようなものであったかは、おそらくビジネスマンや家庭人としての実務家的な性質の延長ではなかったか。しかし、そうではないものを、この怪物は秘めていただろうと私は疑っている。

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2011.04.27

[書評]完本・文語文(山本夏彦)

 このところ文語について考えることが多く、ふと、ああそうか、と思うことがある。例えば、ネットで有名な神戸女学院大学名誉教授の内田樹先生のお名前。「樹」を「たつる」と読ませる。人名はいかように読ませようとご勝手なのだが、所以はあろう。なにゆえ? 手元の広辞苑を引くと、「樹」の読みには「〔音〕ジュ(呉)〔訓〕き・うえる・たてる」とある。訓に「たてる」があるので、さてはこれを古語にすれば「たつる」であろうなと想像は付くってなのはググレカスみたいな現代人であって、普通はあれを思い出す。


朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ

 教育勅語である。
 訓ずるに、「ちんおもーに、わがこーそこーそ・くにをはじむること・こーえんに・とくをたつること・しんこーなり」である。
 して「樹」とて何を「たつる」かといえば、德である。人徳である。現代語訳すると、かく。

 私の記憶がたしかなれば、私のご先祖様が日本国を開始したのはすげー昔でさ、どうやって国を開闢したかというと、武力とかじゃなくて、人徳によるもので、その人徳たるや、軽くスプーンを曲げちゃうくらいどーんとすごいもんなんだぜ。

 かくして王宮土階三等なれど徳樹るによって民草鼓腹撃壌となったかどうかよくわからんが戦後の風景はそんな感じ。
 さては内田樹先生、生まれは戦前かと思いきや、昭和25年生。ばっちり戦後である。なにゆえ戦後に教育勅語のおぼっちゃんなのか、お父上が戦時中政府機関たる満鉄員で戦後なりとも懐かしや戦前の徳だったか、わからない。
 「樹 たつる」さんが他にござっしゃるかとぐぐってみると、茅ヶ崎警察署長に藤井樹さん54歳がおられる。戦後も戦後、内田先生よりお若い。てか、俺よりひとつ上。さて私の同級生に「樹くん」っていたかなあ。さらにぐぐるに沖縄にやはり私と同年代の賀数樹さんがいらっしゃる。昭和30年代に流行る名前か。思うに徳を樹るより、高度成長に国をたつるであろうか。
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完本・文語文 (文春文庫): 山本 夏彦
 余談大杉。
 この手の話といえば、山本夏彦翁である。死ぬの大好きの本願を達せられ8年。それなりによく読んだものだが、失敬、「無想庵物語」(参照)を除けば翁の手すさびならんと、沖縄より転居のおりに多くを捨て、いまさらになって慌てふためいて古書を買いあさる始末。
 「完本・文語文」ももはやあるまいと書棚を崩しみるもいたずらなりとてアマゾンを見るに、幸いにや文庫ありけむ、ぽちり。「完本・文語文」(参照)は今や掌に収まる。それもよし、なにより爺さんの話というのはよい。死んだ人の話というのも格別なり。
 表題の「完本・文語文」の「完本」は、翁の文語についてのエッセイなどをあれこれ収録しましたという以上はなく、翁にありがちな寄せては返す波の音のごとき挿話が散乱してくどい。十年前に読んだときは、くどいぜ爺さんと思ったが、いや読み返すにくどさは地味ならぬ滋味というもの。いやいや、逆だ。翁はいつまでも少年の詩人の心で一葉に恋心のようなものを抱いていたことがじんわりとわかり、そこは一葉の生涯も併せてしんみりとくるところだった。
 本書絶版ならんやとぐぐりしとき、「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」ブログに同書の評ありていわく。

 国語としての日本語を考えるなら、夏彦翁に訊け。

 とのこと。素直だね。
 僕は再読して夏彦さん、若すぎるよなと思った。
 文語は江戸の雅文を明治に擬古的に再現した若い文学の文体であって、日本の伝統でもなんでもない。いやさすがにそこまではいいすぎかと思うが、近代ナショナリズムが西欧のロマン主義を受容しやすく構築した偽物であって、翁が批判するその後の岩波語が科学的社会主義の受容のための偽物構築物であるのさして変わるものではない。
 むしろ読み返して、擬古文というもののその若々しさに圧倒された。かく屁理屈をこねながらも尊敬の念は湧く。擬古文をものした人々は当時の普通の教養人であり、この教養たるやたしかに古典を吸収するインターフェースともなりえたものだろう。すごいな。
 話が飛ぶのだが、私事、40代の半ば、矮小なる人生の危機のおりに岩波文庫ワイド番の正法眼蔵随聞記(参照)を噛みしめるように読んだものだった。懐奘編とはあるが面山本である。面山和尚が生涯をかけて編纂し明和6年(1769年)に刷ったものである。つまり江戸の本であり、江戸の言葉で記されるがゆえ、道元師の謦咳とは言い難きものである。別途水野弥穂子先生校訂の長円寺本も所有していたが、仮名書きゆえもあらんかと思うが読みづらかった。読むには面山本が向いていた。これは道元師の肉声ではあるまいと思いつつも、師の声は江戸の写本を通して聞こえるようにも思えたものである。言葉とはこういうものか。
 岩波文庫面山本の初版は昭和4年。解説の中村元によれば当時道元ブームがあり、岩波書店はそれを商機としたらしい。中村の労はその訓にある。現在の仏教学からすればいからなむかと疑問に思える点もあるが、中村は当時の禅師によくあたっていた。それもまた古典であり、それもまた言葉というもの。
 山本翁の書に戻るなら、日本語の破壊は明治に始まり、核家族化をもって完成したとのことだ。その完成の曙にておぎゃあの声を上げたのが私である。末法にて54歳となる。拙き頭脳にてほそぞぼと古典を読む。擬古文もまた好む。

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2011.04.26

[書評]移行化石の発見(ブライアン・スウィーテク)

 わかっている人からは失笑を買うだろうが、ちょっとしたクイズを出してみたい。人間がサルから進化したとして、次のようなイラストをよく見かけるものだが、さて、このイラストで一番変なところはどこだろうか?

 正解はこれだというのが確実にあるわけではない。が、まず、このイラストは何を語っているのだろうかと考えてみたい。
 もちろん、サル(類人猿)からヒト(ホモ・サピエンス)が進化したのだとか、神様が猿と人間をそれぞれ別に創造したのではない(創造論は間違っている)といったとかの主旨も読み取ろうとすれば読める。ヒトは現存の類人猿からこのイラストのように直線的に変化したわけではないとも言えるだろう。
 それよりもこのイラストの意図として、ヒトがなぜヒトであるのかということについて、直立二足歩行に焦点を置いていることに注目したい。
 つまり、こう問いかけてみたいのだ。このイラストが暗示するように、進化によってヒトは現存の類人猿のような不完全な歩行から直立二足歩行に変化したのだろうか。
 そう問い直されたら、どう答えるだろうか。現在わかっている科学的な知見からすると、そこに疑念がある。
 チンパンジーとゴリラの不完全な二足歩行はナックル歩行(knuckle walking)と呼ばれている。イラストの左から二番目がわかりやすいが、彼らは手の甲を曲げてその関節(knuckle)をひきずるように歩く。

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移行化石の発見
ブライアン・スウィーテク
 ところが1990年代に発掘され、長く研究され、2009年10月のサイエンス誌で特集となった、約440万年前の最古のヒト族と見られるアルディピテクス・ラミドゥス(Ardipithecus ramidus)、通称「アルディ」は、その解剖学的構造特徴などから、ナックル歩行ではなく、直立歩行していたと考えられている。
 逆にナックル歩行をするゴリラやチンパンジーの解剖学的な構造からもわかる。ナックル歩行はヒトとの共通祖先から分離後の独自の進化の結果であるようだ。つまり、ゴリラやチンパンジーのナックル歩行はそれ自体が進化の結果であって、直立歩行への中間的な意味合いはない。イラストが変なのはそこだ。ヒトは最初から直立二足歩行をしていたのである。
 しかし、と疑問に思う人もいるかもしれない。アルディの祖先もナックル歩行していたのではないだろうか? 本書「移行化石の発見(ブライアン・スウィーテク)」(参照)ではアルディについてこう考察している。

 その手首や骨盤に、現生ののチンパンジーやゴリラに見られるようなナックル歩行への適応は見られなかったが、樹上生活に適応していた彼らは、それゆえに地上に降りても二本足で歩けたのかもしれない。(中略)おそらく彼らは、こうした小さな違いのために、地上では両手両足をついて歩くよりもまっすぐ立って歩いたほうが楽だったので、直立二足歩行を選択したのだ。

 定説には至っていないが、人間における直立歩行は、ナックル歩行から変化したのではなく、突然現れたものだと言えそうだ。
 では、アルディの直立二足歩行をもって人間たる直立歩行となったのだろうか。本書はそこにも独自の注意を促している。人間の祖先には結びつかない直立二足歩行の類人猿がいた可能性を指摘し、進化というもののについての本質的な考え方への示唆を促している。

(前略)二足歩行の特徴をもつ類人猿の化石が見つかっても、ただちにそれを初期の人類と認めることはできないのだ。化石生物全般に言えることだが、共通する特徴から種と種の関係をたどるには、注意深く比較する必要があり、どのグループでも、初期のメンバーが、後世のメンバーに見られる決定的な特徴を備えていないということは十分ありうるのだ。

 では、ヒトはどこで見分けられるのだろうか?

簡単に言えば、人類と類人猿を明確に分ける唯一の特徴はないということで、直立二足歩行にばかりこだわっていると、真実は明らかになるどころか、ますます見えにくくなってしまう。

 ここまでくると、興味深い主張ではあるものの、異論もあるだろう。私も「人類と類人猿を明確に分ける唯一の特徴はない」とする考えには、ノアム・チョムスキー同様とまでは言えないが、それほど賛成しない。
 以上のアルディを巡る話は「第9章 ネアンデルタールが隣人だった頃」に含まれている。最初にこれを紹介したのは、本書がかなり最新の進化論研究を扱っていることと、そこに見られる多様性に配慮している特徴が、色濃く表れているからだ。
 同様の趣向で興味深いのは、「第4章 羽毛を生やした恐竜」だろう。ここでは、鳥が恐竜から進化した話が歴史的に系統立って説明されている。
 「え?鳥が恐竜から進化しただって?」と思う人や、それが珍説のように思える人は本書を読んだほうがよいだろう。私の世代のように学校で始祖鳥が鳥の祖先ではないかといったふうに教えられていた世代にも、本書は再学習に向いている。
 「序章 「ザ・リンク」はリンクではなかった」では、「ザ・リンク」(参照)への批判から、本書の主要テーマである、従来「ミッシング・リンク」(Missing-link:失われた鎖)と呼ばれていた仮説的存在、つまり、進化論が正しいなら進化の途中的な形態である化石について触れていく。現在ではこれは「移行化石」(Transitional fossil)と呼ばれていて、本書の邦題にも採用されている。その点から言うなら、進化論の最大の弱点と言われてきた移行化石について、本書は、現状がわかる総まとめにもなっている。総じて、本書は正統派進化論の最新の教科書といった趣向があり、高校生や大学生、さらには科学を学び直したい大人にとって、進化論の入門書になる。
 進化論に関心のある人にとってみると、本書は冒頭ドーキンス(Clinton Richard Dawkins)をからかっているように、グールド(Stephen Jay Gould)の考えかたである断続平衡説(Punctuated equilibrium)に近いことがわかるだろう。だが、本書はこの一連の論争に参戦するというより、むしろそこを移行化石によって温和に補っていく印象を受ける。
 さらに本書をよく読むなら、本書の隠されたテーマは諸処に顔を出す「収斂進化」(Convergent evolution)であることに感づかれる人もいるだろうし、オリジナルタイトル「Written in Stone: Evolution, the Fossil Record, and Our Place in Nature」(参照)にある「自然における人間の位置」にもその暗喩がある。それは「終章 進化は必然か偶然か」ではこう描かれている。

 人間のような生物はこれまで地球上に存在しなかったし、われわれが消えれば、ふたたび現れることはないだろう。人間の歴史が偶然の積み重ねであったことを思えば、わたしたちはじつに驚くべき存在なのだ。もし自分たちについて知りたいと願うのであれば、その歴史を理解しなければならない。わたしたちは年月と偶然から生まれた生き物なのだ。

 本書で確か一個所ジャック・モノーへの言及があったが、私などの世代には懐かしい「偶然と必然」(参照)の基調でもある。
 人類はそのような偶然の存在なのだろうか。
 そうではないのかもしれないというのが、本書には直接は登場しない「収斂進化」を援用したサイモン・コンウェイ・モリス(Simon Conway Morris)の議論で、この点については、訳者の後書きで、著者の別の指摘からモリスは「神の存在を信じる科学者」とされ、創造論者と混同されているように見える。それが著者の意図か訳者の混同かはよくわからない。
 本書は「収斂進化」を限定して扱いながら、その事実は案外、モリスの主張に近いものを結果的に逆説的に導いてしまっているのかもしれないと少し意地悪にも私は読んだ。

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2011.04.24

[書評]天皇はなぜ万世一系なのか(本郷和人)

 「天皇はなぜ万世一系なのか」という問いかけは魅力的だし、新書表紙の半分を覆うほど広い帯にある「世襲か、実力主義か」というキャッチフレーズも本書のガイドライン的に添えられたものだろう。結論からいうと、若干だが、ほぉと驚く意外な答えが書かれてはいる。そういう考えもあるのかな、というものだ。同時に多少がっかりもする。おそらくこの問いに魅せられた人に納得がいくというものでもないだろう。もちろん納得のいく答えがあったとして、それがどれほど真理を射貫いているかは別として。

cover
天皇はなぜ
万世一系なのか
本郷和人
 帯にはさらに「皇室、貴族、武士、高級官僚の出世と人事から、「日本権力構造」最大の謎に迫る」とあり、これも補助的なフレーズなのだが、すでに天皇の問題が日本権力構造という一般構造に吸着されていることが伺われ、どうやら本書のテーマは先の問いに焦点化していないか、散漫なのではないかという印象を与えてしまう。読後の感想としても、日本史に興味のある人にとっては堪えられない面白さを持ちつつも、考察が深められていない断片集には思えた。
 スポイラー(ネタバレ)になるがあえて、表題の問いの答えをストレートに抜き出してみよう。著者には、誤解させないでくれよというものではあるかもしれないが。

 皇子は少なからず「いる」。かつ、皇室にまさる血は見当たらない。この条件下、皇位はきわめて自然に、皇室出身者によって受け継がれていった。そう考えるのが現実的であると思います。「高貴な血」へのこだわりは、特段にはなかったのではないか。なくとも、気がついたら連綿と繋がっていた、というのが実情だったのではないでしょうか。初めから計画された「万世一系」ではなく、結果としての「万世一系」ですね。

 別の言葉でいえば、ユーラシア大陸の歴史のように、王朝や民族の血統がジェノサイドで断絶させらるような過酷な事態がなく、一定の政治的な安定性を求める社会的な安定性が、結果的に天皇制を作ってしまった、ということ。ひと言でいえば「特に理由はない」となるだろう。
 万世一系に特段の理由はない、というのは、これはこれで面白い視点であり、若干ほぉと思わずにもいられない。
 そしてこれを原理に据えて女系天皇の議論も展開されており、同様の結論が導かれている。いわく、天皇家が男系に見えるのは、ただの結果論、特段の理由はない、というものだ。第一原理の曖昧さとは別にこちらの導出のほうはより説得力があるようにも読めた。
 さてこの議論を私はどう思うかというと、すまん、床屋談義だと思っている。面白いこというなあ、座布団一枚、である。
 もっとも、天皇家の血統が重視されていたとかいう陳腐な議論に固執しているわけではない。私の考えでは、天皇家というのは、近世以降は山城国の小領主にすぎない。家系が古いので古代についてお家の神話を持っているということだ。これは毛利家なんかも同じ。
 江戸時代という、明国滅亡の珍妙なイデオロギーが日本に土着化しなければ、ぜんまいざむらいの世界のように、天子様というのは普通に形式化・形骸化しただろうと考えている。天皇というのは、近世以降の日本が、日本国家の自覚とともに生み出した古代の幻想の仮想の相続人でしかないと思うのである。だから、これを中世にまで遡及・援用して一貫した日本と天皇というセットで考察することは、そもそも間違いなのではないのかと疑念に思っている。
 そうしてみると、本書で指摘される「日本権力構造」つまり、安定社会に置ける世襲制権力構造からは、天皇家とはいえども、小領主の家系のいち類型にすぎず、真田家なんかともさして変わらないようなものなのではないか。
 本書の基調に対して私が斜に構えてしまうのは、正直なところ、私が小林秀雄や山本七平、イザヤベンダサンといった多少異質な史観に傾倒している理由もある。彼らは、日本の近世の始まりを、明治というナショナリズム国家への思想的な基点としてみている。
 加えて私は沖縄暮らしで、実感として近世のない日本としての沖縄という感覚を得てきたため、むしろ中世までの日本における天皇=天子=貴種について別の視点を持っている。例を挙げれば、沖縄の王朝も源家の貴種を持っていることや、武家としての源家には貴種の幻想が付随していただろうことなどがある(頼朝・義経はジェノサイドされるはずだった)。これは武家に近い大塔宮の身体への聖物意識などもある。
 おそらく本書を読んだ歴史好きのなかには、本書の議論の特異な粗さのようなものを感じるだろう。が、では本書は雑な本なのかというえば、その対極で、よくまあこんなディテールを議論するなあという話がいろいろあって面白い。特に、宗教権力と王家(天皇家)の関連については、特別珍妙な議論ではないのだが、一般的には近代以降の独立した宗教範疇で語られがちなので、本書のような王権権力構造や世襲的な世俗権力の構図でさらりと描かれるのは示唆深いだろう。
 本書は、そうした知的興味をくすぐる快活な書籍であることに加え、おそらく編集側の意向だろうと思うが、著者本郷氏の自分語りが諸処に語られている。人によってはうざったく思えるかもしれないが、私などは、本郷さんって、奥さんも研究家でしたか、それはまた微妙な夫婦の会話の断片ですなあ、といったのような部分も面白かった。

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2011.04.23

[書評]「古文」で身につく、ほんものの日本語(鳥光宏)

 現代日本語と古語を結びつけてやさしく解説した書籍があるといいと常々思っていてので、本書「「古文」で身につく、ほんものの日本語(鳥光宏)」(参照)を書店で見かけたとき、手に取り捲り、買ってみた。どういう感じなのかと読み出したが、ちょっと微妙である。自分の思い入れがズレた分で批判してしまうのはよくないが、この著者の知識ならばもう少しシンプル(簡素)に、かつプラクティカル(実用的)に、このテーマが書けそうな気はした。

cover
「古文」で身につく、
ほんものの日本語
鳥光宏
 「はじめに」で枕草子でも有名な表現「いとおかし」があり、この「いと」を数年前の流行語「チョー」に対比して説明していた。面白い趣向だと思った。清少納言の「いとおかし」はたしかに「チョーグッド」みたいな印象もある。また、「これは知りたることぞかし」の「ぞかし」は現代の「だよね」と比較されている。この対比も現代人にはわかりやすい。
 古語と現代語は違うものだが、言語の機能としては等価な部分もある。こういうシンプルな機能対比があると、古文も親しみやすくなるだろう。ただし本書では、それは前口上的な挿話に終わり、本論に継承もなく方法論的にも意識されていない。
 擬古文といってもよいと思うが、近代古文の話題も興味深かった。例としては、「蛍の光」の「あけてぞけさは、わかれゆく」が挙げられている。著者は予備校教師らしく、高校生にこの意味を問うのだが、現代の高校生はわからないようだ。
 そういえばと私も高校生時代を思い出す。私は高校一年生のときに、ひょんなことから百人一首はもとより斎藤茂吉「万葉秀歌」をそらんじていた。それなりに古文はよくわかる部類で、この「あけてぞけさは、わかれゆく」も意味はわかっていた。ゆえに、友だちをからかったりもしたことがあった。こんな感じ。
 「あけてぞけさは」に出てくる「ぞけさ」というのは、ムーミンに出てくるニョロニョロみたいなやつでさ、これが列を成しているのだが、門を開けるとそこから左右に別れていくんだよ。そういえば、浦島太郎の歌には五番まであって、四番に「帰ってみれば、怖い蟹」というのがあるんだ。巨大蟹の恐怖ってな話。余談の多い本書につられた。いや、それが悪いわけではけしてない。
 古文が現代人にとって、ちんぷんかんぷんという状況が露出してしまうのは、本書の結果的な指摘のように、文部省唱歌あたりだろう。こうした近代の擬古文には、鷗外の「舞姫」もある。私が愛唱していた讃美歌もそうだ。これは通称大正訳聖書の関連もあるのだろう。あの時代、つまり明治・大正時代の古語は、当時の人にとっても、古めかしさの修辞だった。当時ですら特殊な文章だった。
 修辞にすぎないが、この近代擬古文を経由すると枕草子といったいわゆる古文に接近しやすくなる。いきなり平安朝の古文を文法として提示するより、変遷の中間点として、唱歌や讃美歌など明治・大正時代の近代擬古文を学んでおくよいのではないか。候文なども併せて教えておくとよいと思う。
 落語にも似た展開で書かれている本書だが、現代語で過去を示すとされている「た」の話も面白かった。例えば、ホテルの予約で「二泊でよろしかったでしょうか?」というあの「た」のことだ。本書にはないが、スケジュール表を見て「明日、テストがあった」とかもこの「た」の部類だ。
 本書は、この「た」はなんだろうと問いかけ、考察している。現代日本語文法をある程度学んだ人にとっては、「明日、テストがあった」の「た」はさして不思議なものでもないが、本書ではこれを古文の「き」「けり」「つ」「たり」との機能対比をしている。
 機能論からさらに、実際にこの現代語の「た」の来歴はなにかという考察もある。著者は「た」について機能的には「き」と見ているが、「き」の音変化ではないとしている。機能的な考察と形態の構造変化の議論が錯綜している部分もあるが、「たり」の「り」が抜けて「た」ができたとしている。同様に、「だったけ?」の「け」は「けり」の由来しとしている。
 こうしたこと、つまり、「た」が「たり」に由来するということは常識として知られているだろうか? そうでもないように思うし、現代語がどのような変遷で古語に関連するかという知識はあまり教えられていないように思える。本書には含まれていないが、現代語で「なになにです」というときの「です」や「である」・「だ」の由来も学んだ人は少ないに違いない。
 言葉の時代変遷の感覚というのが重視されなくなったのはいつからなのか。いつの時代でもそういうものなのか。
 たまにNHKの朝ドラ「おひさま」を見るが、戦前の女子高校生が「お便所」と言っていたり、戦前の中学生が「ものすごくがんばっている」と言ったりしている。あの時代の経験者やそうした時代の言葉を読んでそれなりに言葉の時代変遷の感覚があれば、脳髄に鐘声響くところではないか。
 「ものすごく」に触れて「とても」という言葉も戦後にできたのではないかとツイートしたところ、「吾輩は猫である」に「もう少し召し上ってご覧にならないと、とても善い薬か悪い薬かわかりますまい」という用例がありますよと指摘されて、ちょっと微笑んだ。有無を問うなら有というほかはあるまい。
 本書後半の三分の一は、センター試験や大学入試における古文の位置づけの議論になっている。受験勉強にとんと縁が遠い人間になってしまった自分としては、こういう世界があるのかと驚きもした。簡単にいえば入試で点差が付くのは古文ということらしい。

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2011.04.22

April is Month of the Military Child

 米軍は3月11日に発生した東日本大震災の救援活動として「トモダチ作戦(Operation Tomodachi)を実施した。大きな援助であった。海上から空母など19隻、航空機は約140機、人員は1万8千人ほどが投入されたという。作業のようすは写真サイトflickr (参照)で見ることができる。
 作戦は、3月中は震災被害地の救援・捜索活動が中心だったが、4月に入り福島第一原発の危機事態懸念への対応が重視され、4月5日までには米海兵隊放射能等対処専門部隊(CBIRF)の約150人が横田基地に待機した。が、特殊部隊は来週には帰国予定とのことだ。米国原子力規制委員会(NRC)情報と付き合わせるに、おそらく2号炉崩壊による現場の惨事の可能性は低いと見られるということだろう。
 北沢防衛相は昨日、メイバス米海軍長官に「大きな協力に感謝する」と謝意を伝えたが、日本のいち市民としても感謝したい。そして、その家族にも感謝したい。
 4月は米国では、軍人の子どもの月とされている。"April is Month of the Military Child"とも言われる。"Month of the Military Child"に定訳語があるのか探したがわからなかった。米人の大半は知っているが日本ではあまり知られていないのかもしれない。
 国防総省のサイトには今年も専用のホームページが設置されている(参照)。

There are 1.7 million American children and youth under 18 with a parent serving in the military and about 900,000 with one or both parents deployed multiple times.

軍役に服している親には、170万人の子どもと18未満の青年がおり、90万人は両親または片親が数度にわたる作戦に従事しています。

April is designated as the Month of the Military Child, underscoring the important role military children play in the armed forces community. The Month of the Military Child is an opportunity to recognize military children and youth for their heroism, character, courage, sacrifices and continued resilience.

4月は、軍人を親とする子どもが軍のコミュニティで果している重要な役割を強調して、軍人の子ども月間とされています。軍人の子ども月間は、軍人の子どもと青年の勇敢さ、献身、持続的な回復力を認識する機会です。


 生死をかけて国家のために働いている軍人を親に持ち、また親元から引き離されていることもある子どもたちがいる。この子どもたちもまた、軍人と同じように国家に仕えているということを社会的に理解し、称賛しようという主旨である。
 昨年のメッセージだが、オバマ大統領夫人とバイデン副大統領夫人も動画でその主旨のメッセージを出していた。

 日本人の感覚からするとこうしたメッセージは一種の軍国主義のように感じられないでもないが、この取り組みは、むしろ特殊な境遇に置かれた子どもたちの心のサポートとしても受け止められている。
 軍人の子どもにそれだけの精神的なサポートが必要なのかというのも、日本人にはわかりづらい面があるが、月間の活動の一環として実施されている子供たちへのサプライズ(驚き)訪問の映像を見ると、その内面が忍ばれる。

 ちなみに、映像の最後に出てくる聖書の句のようなものは、聖書ではなくモルモン教の聖典の句。ミックスを作成した人はモルモン教徒でその観点から、親子の絆を強調したいという意図はあったのだろう。

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2011.04.19

リビア・ステイルメイト

 リビアの現状について中間的なメモを記す時期になった。現状は、オバマ米大統領の言葉を借りれば、「ステイルメイト」である。ステイルメイトはひと言で言えば、行き詰まり・膠着状態である。リビアは現状、手ひどい行き詰まりになった。そしてその意味をそろそろ考察すべき時期でもある。
 「ステイルメイト」という言葉は元はチェスの用語で、まだチェックメイト(王手)にはなっていないものの、相手の番で王の齣をどう動かしても自動的にチェックメイトになる状態である。
 そこまで追い詰めたらチェックメイトと同じでよいではないかという印象もあるかもしれないが、言わば相手に自殺にしか選択を残さないという状況に導いた点で、相手を倒すことに失敗している。追い詰めた側も下手を打ったことになり、チェスのゲームは引き分けになる。
 オバマ大統領による「ステイルメイト」の言明は、3日前のAP通信へのインタビューにある。「The Associated Press: Text of Obama's interview with the AP」(参照)にある。


So what we've been able to do is to set up a no-fly zone, set up an arms embargo, keep Gadhafi's regime on its heels, make it difficult for them to resupply. And you now have a stalemate on the ground militarily, but Gadhafi is still getting squeezed in all kinds of other ways.

従って私たちにできたことは、飛行禁止区域の設立であり、武器禁輸の設定であり、カダフィー政権を後退させ、その再度の補給を困難にすることだった。そして今や、みんな地上戦においてステイルメイトになったが、カダフィーはその他の手段全部で締め付けられている。


 米国大統領なので弱音を上げるということはないが、現状がステイルメイトであることは認めている。ただし、この言葉は原文を読むとわかるようにAP通信の質問に含まれていたものであり、事態のキーワードとしてジャーナリズム側から用意されてはいたものだった。
 16日付けワシントンポスト社説「The Libya stalemate(リビアのステイルメイト)」(参照)は、案の定、このキーワードで切り出している。

THE CONTRADICTIONS at the heart of U.S. policy in Libya are becoming more acute. On Friday President Obama joined the leaders of Britain and France in declaring that the NATO air campaign, which was launched in the name of protecting civilians, will continue for as long as dictator Moammar Gaddafi remains in power.

対リビア米国政策の核心にある矛盾がいっそう深刻になりつつある。金曜日、オバマ米大統領は、市民保護の名目で開始した北大西洋条約機構(NATO)による空爆を、独裁者アマル・カダフィが権力の座にある限り継続するとの宣言で、英仏指導者に加わった。

Yet in an interview he gave to the Associated Press the same day, Mr. Obama acknowledged that the war between rebels and Mr. Gaddafi’s forces is stalemated, 10 days after U.S. ground attack aircraft were pulled from the operation on his orders.

しかし、同日AP通信によるインタビューでオバマ氏は、彼の命令で実施された米空軍地上攻撃開始後10日となって、反政府勢力とカダフィーの軍はステイルメイトの状態にあると認めた。


 オバマ大統領はステイルメイトの状態をどうしようとするのか。ワシントンポストは矛盾(THE CONTRADICTIONS)で表現している。内実はこうである。

Let’s see if we can sum this up: Mr. Obama is insisting that NATO’s air operation, already four weeks old, cannot end until Mr. Gaddafi is forced from office — but he refuses to use American forces to break the military stalemate. If his real aim were to plunge NATO into a political crisis, or to exhaust the air forces and military budgets of Britain and France — which are doing most of the bombing — this would be a brilliant strategy. As it is, it is impossible to understand.

要約してみようではないか。オバマ氏は、すでに4週間を経過しているが、カダフィ氏が政権離脱を余儀なくされるまで、NATOによる空軍活動は終了できないと主張している。しかし、彼は、軍事的なステイルメイトを打開するために米軍を使うことは拒絶する。彼の真の目的が、NATOを政治的危機に陥らせることか、あるいは英仏軍の軍事予算を使い果たすことなら、見事な作戦となるだろう。そうであるなら、了解不可能である。


 真実を描写するだけでも強烈な皮肉にしかならない。この事態は、文脈は異なるが、オバマ大統領の言葉を借りれば、「おまえら俺たちを馬鹿だと思ってんのか?(You think we're Stupid?)」(参照)ということろだろう。
 はたして「馬鹿」はオバマ大統領か、糾弾するワシントンポストか。ワシントンポストは何を望んでいるのか。

We believed that Mr. Obama was right to support NATO’s intervention in Libya not only because of the risk that Mr. Gaddafi would carry out massacres but because defeating the dictator is crucial to the larger cause of democratic change in the Middle East.

私たちは、オバマ氏がNATOによるリビア介入を義としたのは、カダフィ氏が虐殺を実施する危険性があるからだけでなく、独裁者を打ち倒すことが中東の民主主義化という大義に決定的であるからだ。


 日本ではあまり批判の声が上がらないようなので、日本市民のちんけなブロガーが小さな感想を述べてみたいと思うのだが、おいおい、そこまでベタに言うものなのかね。それではベタベタにイラク戦争ではないか。中東の独裁者を倒すことが民主化なら、なぜリビアだけなのか。そもそも独裁者を打ち倒すことが民主化というなら、日本の隣国みたいに、自国民を餓死させて核兵器で他国威嚇す独裁者とか、どうなんだろう。それこそ、絵に描いたダブスタではないのか。
 まあ、そのことをオバマ大統領なりに理解しているのだろう。
 これは同時に国際法の危機なのではないか。
 同日のガーディアン社説「International law: Regime unchanged」(参照)はそこに焦点を当てていた。

The deeper anxiety is that the perception of mission creep will retard the greatest struggle of the lot – for international relations governed by the rule of law. Faltering advances have been made over the years since the second world war, as yesterday's conviction of two Croats for war crimes underlined, but progress was greatly set back by Iraq.

より深い懸念は、終わりの見えない展開(ミッションクリープ)の感覚が、法の支配の下にある国際関係にとって最大の困難を妨害することだ。戦争犯罪として強調された2名のクロアチア人の有罪判決が出たことで、第2次世界大戦以降、躓きながらも進歩してきたが、その進展はイラクによって大きく後退した。

The three leaders' careful drafting might have satisfied their own lawyers, but if critics at home and abroad feel caught out by the small print that can only undermine the campaign's legitimacy. Three Conservative and two Labour MPs yesterday demanded a recall of parliament, arguing that policy had moved on significantly without the Commons having a say.

米英仏3国の指導者による慎重な立案は自国弁護士を満足させるかもしれないが、自国や海外の批判者が細字で書かれた部分を見破った感触を得るなら、軍事活動の合法性を蝕むだけのことになる。昨日、保守党の三名と労働党の二名の議員は、下院の発言なしに政策が重大な事態になったとして、議会リコールの要求を出した。

If similar resentment takes hold in the sceptical capitals which ultimately acquiesced in the unopposed security council vote, then a fragile consensus will shatter.

最終的には国連安全保障理事会で拒否権行使なしで黙認した、懐疑的な諸国政府が、同様の憤慨を持つなら、そのときに、脆弱なコンセンサスは吹き飛ぶだろう。


 米英仏の合意には詳細において疑念を抱かせる部分があり、その点への懸念が広がれば、実質的なカダフィー政権攻撃の合法性が疑われる事態になりうる。そしてその事は、国連安全保障理事会が維持しようとする国際法自体も疑念に晒されることになる。

The current attorney general would do well to remember the damage done during the Iraq affair, when dubious interpretations of resolution 1441 were used to license the course the superpower was already set on. This created the sense that the UN's role was a fraud.

現法務長官はイラク事態に成された損傷を思い出すべきだ。あの時、国連安保理決議1441の疑わしい解釈は超大国が準備していた方針にお墨付きを与えた。このことで、国連の役割は詐欺の片棒担ぎであるという意識を醸成した。

Whether it has been right or wrong on Libya, it has proved capable of shared resolve, and shown it can have teeth. The new language of regime change may leave the council descending into accusations of bad faith – and the planet slipping back into a more lawless world.

リビアについて安保理決議の是非がなんであれ、支持された決議は有効になり、効力を持つことになった。政権転換なる新語は、安保理を悪意の告発に陥れるかもしれない。そして世界もまた、より無法な状態に陥るかもしれない。


 文学的風味の名文というか、頭大丈夫ですかガーディアン先生といった趣向ではあるが、リビアの混乱はまさに国連安保理決議1441の問題であり、それは国連安保理の存在から、世界の国際法のあり方を問い直すという問題になっているという、大枠の指摘は正しいだろう。
 そして、日本はどうすべきかと平時なら問われるところだろう。

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2011.04.15

原子力安全調査専門委員会が福島第一原発原子炉状況をまとめた

 日本原子力学会の原子力安全調査専門委員会が福島第一原子力発電所原子炉現状を分析しその結果を14日にまとめたという記事が、14日付け読売新聞記事「溶融燃料「粒子状、冷えて蓄積」1~3号機分析」(参照)に掲載されていた。なんと言っていいのか、ある種の沈黙を強いられるような話であった。


 それによると、圧力容器内の燃料棒は、3号機では冷却水で冠水しているが、1、2号機は一部が露出している。1~3号機の燃料棒はいずれも損傷し、一部が溶け落ちている。溶融した核燃料は、冷却水と接触して数ミリ以下の細かい粒子に崩れ、燃料棒の支持板や圧力容器下部に冷えて積もっていると推定している。

 記事には図が添えられている。注釈を外し、縦に少し潰すとこんな感じである。

 ちょっと見には底のほうに団子のように固まっているかのようにも見えるが、遠近感の都合で描かれているだけ、絵の意図としては粉状の物体が上面を平らに降り積もっているということなのだろう。
 もちろん、底部は半球である。球体に近い。球体の形状に原子炉燃料(数パーセントのウラン235)が集積されている状態を見て、さてと、私はなんと言ったらいいのか考え込んでしまう。ある種の沈黙を強いられるよう話というのはそういうことだ。
 記事には専門家のコメントがある。

沢田隆・原子力学会副会長は「外部に出た汚染水にも、粒子状の溶融燃料が混じっていると思われる」と説明した。

 さすが専門家ですね。間違ってはいない。そこがポイントなのかとは疑問に思うが。
 同テーマと思われるが産経新聞記事「福島原発1~3号機、燃料の一部溶け落ち 原子力学会が見解」(参照)では「事故調査委員会」として報道されていた。

 東京電力福島第1原子力発電所事故について、日本原子力学会が設置した事故調査委員会は14日、1~3号機の炉心燃料棒の一部が溶け落ち、原子炉圧力容器の下部にたまっているとの見解を示した。溶け落ちた燃料は注水で冷やされ、固体状に固まり、原子炉に穴が開くなどの損傷の恐れはないとしている。
 同委員会では、各号機の原子炉の表面温度や内部の放射線量などのデータから、燃料棒を覆う「被覆管」が溶け、内部の放射性物質(放射能)が漏出するだけでなく、燃料の一部が、数ミリの粒状になり、溶け落ちる高温になったと推計した。
 原子炉の損傷は回避されたが、注水が2、3日間途絶えると危険な状態になるため、余震への注意が必要としている。

 注水が途絶えると、どんなふうに危険になるかについての言及はない。
 その点、NHK14日付け「原子力学会 安定に2~3か月」(参照)には若干の言及がある。なお、NHKは発表を「日本原子力学会に所属する専門家チーム」としている。

それによりますと、1号機から3号機の原子炉にある核燃料はいずれも一部が損傷して溶け出し、原子炉の底にたまっていると推定されるが、このまま水で冷やし続ければ今の状態を保つことはできるとしています。しかし、強い余震などによって核燃料が2~3日冷やせなくなると、事故が発生した直後のように原子炉の温度や圧力が不安定になり、予断を許さない状態に戻るということです。

 事故直後の状況に舞い戻りする可能性はあるということだ。
 15日付け共同通信記事「原発安定化まで2、3カ月 学会見解、燃料溶け底に蓄積」(参照)は、もう一歩踏み込んで書いている。

 溶けた燃料が圧力容器の底にたまりすぎると熱がこもり、容器を損傷する恐れがあるが、圧力容器の底部の温度データから、現状ではそこまでたまっていないとみられるという。

 記者による表現の苦労が忍ばれるというところかもしれない。
 そりゃ、熱がこもるでしょうし、容器も損傷するでしょうというか、容器が損傷するかもしれない温度にまで上昇する可能性があるということだ。なんの熱? 崩壊熱ですね、常考。
 NHK報道では「日本原子力学会は、この結果を学会のホームページで公表するほか、今後、具体的な対策や放射線の影響についても東京電力などに提案したいとしています」ともあるのだが、現状では同ホームページ(参照)には見当たらなかったようだった。
 総じて言えば、米原子力規制委員会(CRC)のヤツコ委員長が言うように、安定というより膠着(the situation as static but not yet stable)ということだろう。
 ところで、最初の読売報道に戻ると「圧力容器内の燃料棒は、3号機では冷却水で冠水しているが、1、2号機は一部が露出している」とあるが、なんで1号機と2号機は冠水してないのだろうか?
 それと、私がデータを読み違えているのかもしれないが、福島原発原子炉の状態 原子炉の水位(参照)を見ると、3炉ともに水位はマイナスのように見える。「地震被害情報(第94報)(4月15日08時00分現在)及び現地モニタリング情報(METI/経済産業省」(参照)を見ても3号機でも冠水していなように受け取れるのだがどうなのだろうか。
 話を戻して、読売報道の通りとして、その含みから、1号機と2号機も、3号機のように燃料棒を冠水させたほうがよいように受け取れるのだが、なぜ冠水しないのだろうか。つまり、なぜ注水しているのに水位が上がらないのか?
 この点について、14日付けブルームバーグ記事「東電:福島第一原発冷却に3カ月見込む、「水棺」拒否-関係者」に興味深い言及がある。

 関係者によると、福島第一の原子炉で最も危険なのは温度と圧力が依然として高い1号機だという。圧力容器とこれを包む格納容器の間を水で満たすことで、温度は数日で下がると関係者は述べた。
 さらに、消防用ホースとポンプで注水する方法では水の量が足りないとしている。13日には内部の温度がセ氏204.5度に達し、注入した水が蒸発し冷却効果が得にくい状態になったという。
 東電の発表データによれば、13日は一号機の炉心の水位が下がり燃料棒が1.65メートル露出した。露出した燃料棒は溶解し圧力容器内に放射性物質が漏れる恐れがある。東電の危機解決計画は燃料棒を水没させることを安定化の1つの目安としているものの、事故後の35日で注水によって水位が20センチ以上上がったことはないという。
未知のリスク
 米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長は今週、水位が上がらないことを1つの理由に福島第一原発の状況は「足踏み」しているとの見解を示した。

 記事から窺えるのは、1号機についてだが、本来なら圧力容器と格納容器を満水にしてしまえばよいのだが、炉内の温度が高く、注水しても蒸発してしまうらしいということだ。なお、該当記事の英文「Fukushima Radiation Leaks Will Continue Through June, Tokyo Electric Says」(参照)は日本語版と多少異なる。
 1号機に限定されるが、炉内温度が冠水を阻止しているのだろうか。そこがよくわからない。ヤツコ委員長がそこに着目しているのかも、いまひとつ不確かな情報のようにも思える。
 奇妙なのは、この記事の描写と比べると、原子力安全調査専門委員会の発表には炉内温度の推定が含まれていないように見える点だ。「圧力容器下部の水温が低い」されているのだが、圧力容器の下部は水温が低いが、上部は水温が高いということなのだろうか。

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2011.04.14

[書評]新訳 チェーホフ短篇集(沼野充義訳)

 「新訳 チェーホフ短篇集(沼野充義訳)」(参照)とあるようにチェーホフの主要短編の新訳である。2008年から雑誌「すばる」に掲載され、昨年秋に単行本にまとめられた。

cover
新訳 チェーホフ短篇集
沼野充義
 新訳というと旧訳が読みづらくなったかのような印象もあるかもしれないが、それはあまりない。旧訳には言葉遣いが多少古い面もあるが、田山花袋の「蒲団」を読んでいるようなことはない……あー、「蒲団」もそれほど古めかしくもないか。

机、本棚、ビンは依然として元のままで、恋しい人はいつものように学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机のひきだしを開けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。しばらくして立上ってふすまを開けてみた。その向うに、芳子がつねに用いていた敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟のビロードの際だって汚れているのに顔を押つけて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。

 すまん、若干文章と表記をいじったが現代でも読める。それより後代のチェーホフ訳の文章ならなおのこと。例えば、神西清による旧訳の若い女の台詞だが、こんな感じ。

「信じて、わたしを信じて、後生ですから……」と彼女はかき口説くのだった。「わたしは正しい清らかな生活が好きなの。道にはずれたことは大きらいなの。いま自分のしていることが我ながらさっぱり分からないの。世間でよく魔がさしたって言いますわね。今のわたしがちょうどそれなんですわ、わたしも魔がさしたんですわ」

 新訳だとこう。

「信じてください、ね、お願いだから信じて……」彼女は言った。「私は正直で清らかな暮らしが好きなんです。罪深い生活なんてぞっとするわ。自分でも何をしているのか、わからないの、ほら、世間の人たちはよく、魔がさしたって言うでしょう。いまのわたしもそうなんです。やっぱり魔がさしたのね」

 そんな感じ。
 チェーホフ短編の面白さを味わうというなら、特別新訳を読むこともないのだが、こっそり言うけど、Tolle Lege、取って読め、買って読め。
 なにゆえ? 新訳ならではの面白さというのもあるけど、この本、作品ごとの末にいちいち訳者のこってりとした解説が付いていて、そこがたまらん。おまえ、文学好きだろ、みたな世界が延々と広がっていく。ラノベの評価で友だちと罵倒を繰り返すような熱い思いが湧いてくる。
 チェーホフ短編自体も面白いが、率直に言うと、女性にとっても、これ、面白いのかというと、困惑。20代までの男にとって面白いかというと、微妙。童貞さんには、がちで面白くないと思う、すまん。
 とりあえず、これが恋愛っつうもんですかみたいなことを二、三回して、「うへぇ、俺って嫌なヤツだな」という自覚もできた30代や40代の男なら、この短編集、苦笑で腹が痛くなるほど楽しめます。おまえ、こういうの好きだろ。
 かく言う私も若い頃はチェーホフなんて好きではなかった。むしろ嫌い。なにが嫌いかというと、「チェーホフはいい」とかいう大人の男からじわっと滲んでくる浅薄さが受け入れられなかった。人生や女性や恋愛をシニカルに眺めるというのは文学じゃないよとか思っていた。ウィリアム王子だって頭部の威光が自覚できない時代がある。
 50過ぎて読んでみるとシニカルというより、甘酸っぱい、胸にちくちく来るものがある。というわけで、50代の男性が読めば、この、恥ずかしい内面にちくちく来る快感が味わえます。そしてチェーホフ先生、44歳で死んじまったのかいと同情する。
 どんな作品か。こんなの。

かわいい
 従来「可愛い女(ひと)」と訳されていた作品。たぶんある種の女を見て、「かわいいっ!」と感じる印象を表現している。チェーホフの意図もそうらしい、うんぬん。
 かわいい女の話。オーレンカという女性。新訳では「オリガちゃん」とも訳されている。「さっちゃん」みたいな含みだろうか。かわいい女の人生の物語である。ショートショートより長めの短編。
 オリガちゃんは冒頭、10代。おっとりとして色白でぽっちゃりして笑顔がかわいい女の子。若干タルドル系かもしれない。見つめていると、「か、かわいい」とつぶやいてしまいそうな女の子。といっても、ロリ好きが言いそうなそれではないが。
 オリガちゃんは、最初パパが好き。中学生になるとフランス語の先生が好き。それから年頃になると、近所に来た地方周り遊園地業者の男が好きになって、結婚した。そして男と一緒にその仕事して専念して、男の考え方に同化する。好きが高じて男と同じこと言い出す。
 男も文句がなければいいのだが、そこは人生ゲーム。男は死ぬ。未亡人となったオリガちゃんは悲しむのだが、渦中、材木屋の男に惚れて結婚。そしてまた男の仕事に専念して男の考え方に同化する。その男も死んで、今度は獣医に惚れる。そしてまた同じ。ほとんど獣医のようなことを言い出す。
 好きな男をころころ変えて、そのたびにその男の考えにするっと同化してしまう女。ころころ変わる女の人生。そう言ってしまうとなんだが、チェーホフの筆致は軽妙で笑える。
 笑いながら、しかし、と30代の男は思うのだ、こういう女よくいるよな、こういう女に惚れられたこともあるよな、と。男の趣味や考え方や仕事に染まっていく女。別れると、別の男にすぐに染まっていく女。
 あれはなんなのだったのだろうと40代の男も思うのだ。あるいは、自分の母親や姉がそういう女なんじゃないか、げーっと思ったりもする。
 愛情深き女。女の愛……まあ、そういうものの、変な本質をさらりと描いた一品。

ジーノチカ
 ジーノチカというのは女の名前。キャラは現代でいうとツンデレか。その女を描いているともいえるが、その女を描くことで女の本質の一面を描いているとも言える。なんとも奇妙な味わいのある小品。
 語り手は中年の男の「僕」。すでに豚。その少年時代の回想の物語。
 「僕」の兄の恋人ともなるジーノチカという年上の少女に会う。家庭教師でもあった。「僕」は、あるとき兄とジーノチカのラブシーンを盗み見て、それをネタに彼女をいびるようになる。それが原因でジーノチカは「僕」を憎むようになる。すさまじい憎しみ。わざわざ「僕」の前にやってきて情熱の愛の言葉のように語る、かく。


「ああ、あなたが憎くてたまらいの! こんなに人に不幸を願ったことはないわ! わかってちょうだい! わかってほしいのよあ、この気持ち!」

 チェーホフの話は笑話でもあるので、こういう台詞が出てくる。僕らの人生でも、そういう女性に巡り会う。そういう事態に遭遇する。ないですか? 僕なんかなんどもありますよ。熱烈に憎まれるというのが。今でも、コメント欄で憎まれているけど。わかっているよ、君が女性だということを。

いたずら
 なにが「いたずら」か。チェーホフに模された男が子どものころを回想する話。好きな女の子のナージャと橇の遊びをする。二人乗りで滑って高速が出ているとき、「す・き・だ・よ、ナージャ!」とその耳元でつぶやく、という「いたずら」。
 ナージャは空耳かなと思う。空耳かどうかまた試してみる。女の子の心に「いたずら」という、たわいない甘酸っぱい話なのだが、これには、なんと2つのエンディングがある。訳者が、すげー気を遣って、初出と改作の2バージョンのエンディングを並べてくれたのだ。よくやるよね。
 2つの異なるエンディングが深い。2つのエンディングがそのままポストモダン小説のように存在して不思議でもない。
 そのことが、中年になった男の胸を、ぐっとえぐるのだ。

奥さんは小犬を連れて
 「犬を連れた奥さん」と訳されてきた作品。リゾート地のヤルタで主人公の、妻子持ちで40歳に手が届こうという中年男のグーロフが、夫と離れて旅先にいる20代の人妻と恋に落ちるという話。ぐへぇな設定。
 最初は男もほんの遊び心だが、女がヤルタを離れモスクワに行くと、結局追いかけてしまい、のっぴきならぬ関係になる。くだらねえなあとか思いがちだし、たしかにくだらないのだが本気になってしまう。中年男の読者の内面にちりちりと苦笑を誘う。


 それからホテルの部屋で、彼女のことを思った。明日もきっと、会ってくれるだろう。きっとそうに違いない。寝床に入って彼はつい最近まで彼女が、現在の自分の娘と同じような女学生だったことに思い当たった。

 40前の男がそんなこと思うか。思うのである。
 話に露骨な性描写はないが、ことの後と思われるシーンのこんな台詞は絶妙にエロい。

「よくないわ」と、彼女は言った。「これであなたは、わたしを尊敬しない最初の人になってしまったのね」

 ちなみに旧訳だとこう。

「いけませんわ」と彼女は言った。「今じゃあなたが一番わたしを尊敬して下さらない方ですわ」

 新訳のほうがエロいかな。
 かくして関係は泥沼に入っていき……とそこで思いがけぬ、ポストモダン小説的なエンディング。

 短編集には、こうした中年男にとっての女とは何、のテーマの他に、子どもや社会貧困などもある。独自のペーソスに含まれるきびしい社会批判も興味深い。「牡蠣」は笑った後にじんわり泣けてくる。「ロスチャイルドのバイオリン」は笑った後に社会というものの複雑さに考え込む。

  • かわいい
  • ジーノチカ
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  • 中二階のある家
  • おおきなかぶ
  • ワーニカ
  • 牡蛎
  • おでこの白い子犬
  • 役人の死
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  • ロスチャイルドのバイオリン
  • 奥さんは小犬を連れて

チェーホフがもうちょっと生きていたら、その先に、ドストエフスキーとは違った大きな作品があったのではないかなとも想像してしまう。

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2011.04.13

NRCは水素爆発の原因を炉ではなく使用済み燃料プールと見ている

 福島第一原発建屋の水素爆発を導いた水素の発生源について、現状日本では、また仏アルバ社もそうだが、炉であると見ている。高温になった炉内の燃料被覆ジルコニウムによって水が還元されて水素が発生し、これがベントによって建屋内に放出され、酸素と化合して爆発したという説である。ところが、米原子力規制委員会(NRC)はこの説を採っていないと12日付けニューヨークタイムズ「Japan’s Reactors Still‘Not Stable,’ U.S. Regulator Says」(参照)が報道していた。発生源は使用済み燃料プールだというのだ。当初、菅首相の残念な発言を追って同記事を読んでいたのだが、この新説を読み、そうかもしれないと胃にずしんと来る感じがした。
 当初、菅首相の残念な発言がどう海外に報じられているだろうかと関連のニュースを追っていて同記事に遭遇した。菅首相の発言というのはこれである(参照)。


原子炉は一歩一歩安定化に向かっておりまして、放射性物質の放出も減少傾向にあります。

 原発事故以降、各種のデマが飛び交い、デマのリストも各種作成されているようだが、この菅首相の「原子炉は一歩一歩安定化に向かっておりまして」という発言も、そのリストに追加されるだろうというのが残念な点である。全然安定化には向かっていないからだ。
 もっとも後半の「放射性物質の放出も減少傾向にあります」は大気のモニタリングに限定すれば、概ねそう見てもよい。もしかすると菅首相としては「放射性物質の放出も減少傾向にあるので原子炉は一歩一歩安定化に向かっている」と言いたかったのかもしれないが、それだと論理的でも科学的でもない。
 併せて菅首相は東京電力に今後の見通しを示すように指示した。12日付けFNN「福島第1原発事故 菅首相「一歩一歩安定化に向かっている」」(参照)より。

菅首相は、福島第1原発事故の国際評価尺度が「レベル7」に変更されたことに関連し、このように述べるとともに、「東京電力に今後の見通しを示すよう指示した」と語り、近く回答が示されるとの認識を示した。

 菅首相のお得意が丸投げなのはかねて承知だが、こんな丸投げされても東電は対応しようがないだろう。あるいは、12日付け日経新聞「福島原発「完全解体に30年」 日立が廃炉計画提案 」(参照)のような答えを想定しているのだろうか。

 日立は一般論と断ったうえで、冷温停止と燃料棒の取り出しに成功した場合でも、核廃棄物を処理できるレベルに放射線を低減させるのに10年、プラント内部と建屋の完全解体までには30年程度かかると説明している。

 菅首相の残念な発言と丸投げはさておき、現実はどうなっているか。
 米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ(Gregory B. Jaczko)委員長は、原子炉の状況を「降着」と見ている。先のニューヨークタイムズ記事より。

The situation is “not stable” and will remain so until “that kind of situation would be handled in a predictable manner,” he said.

状況は「安定的ではない」し、「状況が所定の手法方法で処理されるまで」まで現状のままだろう。


 もっとも、大きな危険が予期されるわけではない。

“We don’t see significant changes from day to day,” the chairman, Gregory B. Jaczko, said, while adding that the risk of big additional releases gets smaller as each day passes.

「日が経っても重要な変化は見られない」とヤツコ委員長は述べるが、同時に一日一日と大きな追加放出の危険性は小さくなってとも付け加えた。


 NRC風に言うなら、「原子炉は膠着状態にあるものの、放射性物質の放出は減少傾向にあります」といったところだろう。とはいえ、そう菅首相が言ったら、国民は気落ちしてしまうだろうという配慮もあったかと思えば、そう責められたものでもないだろうとも思えてくる。
 ヤツコ氏は同機会に、米国民の原発から50マイル(80キロメートル)退避についても質問を受けていたので、ついでにこれもついで触れておこう。昨日のAP「NRC: Japan nuke crisis 'static' but not yet stable」(参照)ではヤツコ委員長の見解をこう伝えていた。

On the 50-mile evacuation zone for U.S. citizens in Japan, Jaczko called his March 16 recommendation "prudent" and said it was based on projections for continued deterioration at the plant. The Japanese government had set a 12-mile evacuation zone, and the U.S. decision raised questions about U.S. officials' confidence in Tokyo's risk assessments.

在日米国市民の50マイル避難区域について、ヤツコは、3月16日の推奨を「慎重」と呼び、原発プラントで続いた悪化の影響によるものだと述べた。日本政府は12マイルの避難区域を設定したため、米国の決定は日本政府の危機評価の点で米国当局の信頼性に疑念を生じさせた。

"I'm still very comfortable" with the decision, Jaczko said.

この決定について「私はさほど心配していない」とヤツコは語った。

Asked whether he set up a double standard — one for nuclear plants in foreign countries and another for U.S. plants, where a 10-mile evacuation zone is the current standard — Jaczko said no.

米国原発であれば現状の規制では避難区域は10マイルなのに外国だと違うというのはご都合主義ではないかという問いに、ヤツコは、いいえと答えた。

"I wouldn't say that's a contradiction," he said, noting that the 10-mile U.S. evacuation zone refers to emergency planning prior to a nuclear disaster. If events warrant, a larger evacuation zone can be created.

「矛盾したことを述べたつもりはない」と彼は語り、10マイル避難区域は原子力災害になる前の緊急計画だと示唆した。当然の事態となれば、より広範囲な避難区域が設定されうる。

"Ultimately, decisions about protective actions (in the event of a nuclear disaster) are made by state and local authorities," he said, not the NRC.

「最終的には、(原子力災害時における)市民保護活動の決定は、州または地方自治体によってなされる」と彼は述べた。つまり、NRCが決定するのではない。


 ヤツコ委員長の見解は、微妙といえば微妙だが、NRCとしては2号炉の崩壊想定で50マイルと科学的に評価したことに自信を持っており、50マイルという決定は在日米政府機関よるものだとしている。問題があるとすれば、この広域設定によって米国市民がどのような不利益を被ったかが米国の地方行政に問われるというものだろう。
 話を水素爆発の原因に戻そう。ニューヨークタイムズ記事はこう報じている。

Mr. Jaczko also offered a new theory about the cause of the explosions that destroyed the secondary containment structures of several of the reactors. The prevailing theory has been that hydrogen gas was created when the reactor cores overheated and filled with steam instead of water; the steam reacts with the metal, which turns into a powder and then gives off hydrogen.

ヤツコ氏はまた、複数の原子炉建屋の爆発原因に新説を出した。優勢な説によれば、水素ガスが発生したのは、炉心が過熱し、水ではなく水蒸気に満たされ、その水蒸気が金属と反応し、粉塵化を経て水素を放出したとされている。

The Tokyo Electric Power Company, which operates the nuclear plant, intended to vent the excess steam as well as the hydrogen outside of the plant, but experts have suggested that when operators tried this, the vents ruptured, allowing the hydrogen to enter the secondary containments.

原子炉施設を操作する東京電力会社は、水素と同様、余分な蒸気をプラント外に放出(ベント)するつもりだったが、専門家の示唆によれば、この操作時に放出口が破裂し、水素が建屋に漏れててしまったということだ。

But Mr. Jaczko said Tuesday that the explosions in the secondary containments might have been caused by hydrogen created in the spent-fuel pools within those containments.

しかしヤツコ氏は水曜日に、原子炉建屋の爆発をおこした水素は、建屋内にある使用済み燃料プール火災から発生していたかもしれないと述べた。


 つまり、水素爆発の原因となる水素は、各建屋内の使用済み燃料プールから発生していた可能性をNRCは示唆している。
 この新説で、そうだったのかもしれないと胃にずしんと来る感じがしたのは、休止中の4号機の爆発が気になっていたからだ。
 もちろん4号機の爆発をもたらした水素の発生源については、使用済み燃料プールだと想定されていたし、3月15日に枝野幸男官房長官もそう指摘していた。15日付け「福島原発4号機の火災、枝野氏「水素爆発か。放射能が大気に」」(参照)より。

 枝野幸男官房長官は15日午前の記者会見で、東日本大震災で被害を受けた東京電力福島第1原子力発電所4号機で火災が発生し、放射性物質が大気中に放出されていると発表した。
 枝野氏は火災の原因について「使用済み核燃料が熱を持ち、そこから水素が発生して水素爆発が起きたと推察される」と説明、消火作業を急ぐ考えを示した。4号機は震災発生時は休止中だった。

 もう少し詳細な推測としては3月16日付け毎日新聞記事「東日本大震災:福島4号機爆発「原因不明」 保安院や東電」(参照)では専門家からこう指摘されていた。

 4号機は11日の地震当時、定期点検で炉内構造物を交換するため、すべての燃料集合体を原子炉内から抜き出し、プールに貯蔵していた。
 このため、燃料の崩壊熱が他号機より高く、地震で電源が喪失しプールの水が冷却できなくなっていた。東電によると、通常約25度の水温は14日午前4時ごろ、84度と異常高温になり、その後、沸騰したとみられる。
 小山英之・元大阪府立大講師は「水が蒸発して、使用済み核燃料が露出、燃料を覆うジルコニウムが溶けだし、水素が発生、火災になった」と推測する。火災が起きるとジルコニウムがボロボロになり、燃料自体から放射性物質のセシウムなどが放出される。この現象を米原子力規制委員会(NRC)は「ジルコニウム・ファイア(火災)」と紹介し警告する。

 4号機爆発の水素が使用済み燃料プールに由来するとしても不思議ではない。
 問題は、1号機と3号機の水素爆発の水素は炉から、4号機は使用済み燃料プールからという、現在優勢な二元説にNRCが疑念を呈した点にある。別の言い方をすれば、1号機と3号機の爆発も使用済み燃料プールから発生したものではないのか?
 もちろん優勢説からの反論は容易い。1号機と3号機の使用済み燃料プールの温度は4号機ほど高くないので水素の発生はないか少ないというものだ。
 さらに別の角度からNRCへ疑念を向けることができる。NRCにとって使用済み燃料プールの問題は、日本の問題というより米国の原発事業の文脈を持っているからだ。ニューヨークタイムズ記事でも後段はその話題になっているが、6日付けブルームバーグ記事「米原子力政策見直し、最初の改善対象は使用済み核燃料プールの可能性」(参照)からも想像される。

 4月6日(ブルームバーグ):日本の原発事故を受けて原子力規制ルールの強化に取り組んでいる米国で、原子炉運営を手掛けるエクセロンやデューク・エナジーが最初に求められる最も多額の費用を要する改善点の一つは使用済み核燃料プールになる可能性がある。
 ワシントンの政策研究所の上席研究員を務めるロバート・アルバレス氏は、米国各地の原発の冷却用プールから数万トンの使用済み核燃料を撤去するには最大70億ドル(約5980億円)の費用がかかり、完了まで最長10年を要する見込みだと指摘した。
 米当局者らは、米国内の原子炉104基が東日本大震災と同程度の地震規模と津波に耐えられるかどうかを検証するため、安全システムの見直しを開始した。
 1万年間は放射性物質の放出が続くとされる使用済み核燃料の恒久的な貯蔵場所をどこにするかは、米当局が20年余り前から検討してきた問題だった。オバマ政権はネバダ州のユッカマウンテンに放射性廃棄物処理場を建設する計画を却下し、代替地を探すため委員会を昨年設置した。

 しかし、この点も文脈は逆かもしれない。NRCとしては福島第一原発の惨事から使用済み燃料プールの危険性を認識しなおしたとも言える。
 原子炉建屋が爆発して放射性物質が放出されている現状となっては、水素発生の起源の厳密化はさして重要でもないようにも見える。だが、もしNRCが指摘しているように、水素の発生源が一元的に使用済み燃料プールに由来するとすれば、今回の大惨事は、従来の原子炉の安全性科学の問題というよりも、なんであんなところ、つまり建屋の上部に使用済み燃料プールを設置したのかという、原子力行政に大きな問題が潜んでいたことになる。

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2011.04.11

放射性物質を含む瓦礫の撤去が始まる

 福島第一原子力発電所で放射性物質を含む瓦礫の撤去が始まった。この作業については米原子力規制委員会(NRC)による3月26日付けの秘密(Official Use Only)の評価書でも言及していたので関連を見ておきたい。
 NRC文書のリークは、5日付けニューヨークタイムズ記事「U.S. Sees Array of New Threats at Japan’s Nuclear Plant」(参照)のネタ元になっていたものだが、ネットを検索すると(参照)すでにいくつかのサイトで見つかる。しかしアレバ文書(参照)とは異なり、純正との対照もできず、入手経路も明らかではない。

 該当文書に部分的な欠落があるとしても、大幅に捏造されたものとは言い難い印象がある。先のニューヨークタイムズ記事の文言とも対応している。技術的にそっけない記述ではあるが読み進めるとなかなか興味深い。
 リークの理由をニューヨークタイムズは明らかにしていないが、事態の推移と文書内容から容易に想像されることは、3月26日時点で重要な課題だった炉への窒素注入だろう。この対応にぐずっていた日本側への強い要望の意味合いがあったかもしれない。
 米国側からの要望といえば、海水注入から真水注入への切り替えにも存在した。NRC文書では日本が実施した海水注入の問題点も指摘している。一号炉の評価より。


Damaged fuel that may have slumped to the bottom of the core and fuel in the lower region of the core is likely encased in salt and core flow is severely restricted and likely blocked.

炉底に崩落した可能性のある損傷燃料と炉心下部の燃料は結晶塩に覆われていることだろうし、炉内水流は厳しく限定されているか、詰まっているだろう。

The core spray nozzles are likely salted up restricting core spray flow. Injecting fresh water through the feedwater system is cooling the vessel but limited if any flow past the fuel. GE believes that water flow, if not blocked, should be filling the annulus region of the vessel to 2/3 core height.

炉の注水口は結晶塩で固められ、放水流量を限定しているだろう。水供給機構による淡水注入は容器を冷却するが、燃料に流れが当たったとしても限定的である。目詰まりがなければ、炉内容器環状部分の三分の二の高さまで水が流入するとジェネラルエレクトリック社は確信している。

There is likely no water level inside the core barrel. Natural circulation believed impeded by core damage. It is difficult to determine how much cooling is getting to the fuel. Vessel temperature readings are likely metal temperature which lags actual conditions.

炉容器内には水は存在していないだろう。炉損傷によって自然な水流が妨げられていると想定される。燃料にどれだけ冷却が至っているかを見極めることは難しい。容器温度表示によれば現状を停滞させるメタル温度であるようだ。


 誤読しているかもしれないが、NRC文書による1号炉の評価では、日本が海水を注入したことで注水口が結晶塩で固まって目詰まり状態になり、炉内は空焚きとなり、燃料は炉底部に崩落し結晶塩で覆われていると見られている。が、圧力容器の損傷はないとも見られている。
 注意事項にも海水注入の問題が指摘されている。

Hydrogen gas production is more prevalent in salt water than in fresh water. Oxygen from the injected seawater may come out of solution and create a hazardous atmosphere inside primary containment. The radiolysis of water will generate additional oxygen. Maintain venting capability.

水素ガス発生は淡水中より塩水中で優勢である。海水注入により酸素が発生し、一次格納容器(原子炉格納容器)に危険な状態が生じるだろう。水の放射線分解もまたさらなる酸素を発生させるだろう。ベント機能を維持せよ。


 淡水より海水のほうが酸素を発生させやすいという理由は私にはわからないが、正しいのであろう。水の放射線分解についても言及されている。
 NRC文書が指摘する海水注入問題に対応するように、米側の強い要請で米軍のバージ船による淡水が提供された。3月25日付け毎日新聞「福島第1原発:冷却用真水の補給で米軍がバージ船提供」(参照)より。

 自衛隊は高圧消防車で海水を使って放水してきたが、米側から「(塩水による)機材の腐食を防ぐには真水に変更すべきだ」との強い要請があり、活動のあり方を再検討。東電が復旧を進める「補給水系」の注水ポンプに真水を補給する方向に切り替えた。

 余談になるが、問題発生の3月11日時点で米国が冷却剤輸送を申し出たという話は、ホウ酸以外にパージ船による大量の淡水提供も含まれていたかもしれない。3月12日付け「在日米軍、地震被害の原発への冷却剤輸送は実施せず=米政府高官」(参照)より。

[ワシントン 11日 ロイター] 米政府高官は11日、東北地方太平洋沖地震で被害を受けた原子力発電所への在日米軍による冷却剤輸送は実施しなかったことを明らかにした。これより先、ヒラリー・クリントン米国務長官は、同原発に冷却剤を輸送したと述べていた。
 これについて同高官は、冷却材の供給について日本側から要請があり、米軍も同意し輸送を開始すると国務長官は聞かされていたもようだと説明した。その後、日本側から冷却材は不要との連絡があったものの、国務長官の耳に入っていなかったとしている。
 別の米政府当局者は、「結局、日本は自国で状況に対応できたとわれわれは理解している」と述べた。

 同種の対応だが、4月10日付け読売新聞「原発危機に初動から後手の政府、いらだつ米」では、表題のように米側の苛立ちと日本側の実質的な拒絶を伝えている。

 「米国の原子力の専門家を支援に当たらせる。首相官邸に常駐させたい」
 この日以降、ルース米駐日大使は枝野官房長官らに何度も電話をかけたが、枝野は「協力はありがたくお願いしたい。ただ、官邸の中に入るのは勘弁してほしい」と条件もつけた。

 海水注入の話題が多くなってしまったが、NRC文書にある推奨として窒素注入は注水の次に掲げられていた。1号炉についての推奨より。

2. Restore nitrogen purge capability. When restored, establish purge and vent cycle to minimize explosive potential.

窒素パージ機能を復元せよ。復元時に、爆発の可能性を最小化するためにバージとベントを確立せよ。


 日本側がこの機会に窒素注入を開始したのは、NRC文書の推奨に沿ったことになる。推奨の依拠は、主に注水についてと見られるが、"guidelines of SAMG-1, Primary Containment Flooding, Leg RC/F-4,"という指針である。NRCによる"Emergency Procedure Guidelines"に含まれるようだ。NRCとしては原子炉非常時に取るべき標準手順を状況に合わせてまとめている。
 対応が標準的なガイドラインに沿っているなら、おそらく日本側でも事前に熟知されていると見てよいだろうが、もしかすると米国側は日本が標準手順を踏まえていないと見ていたかもしれない。
 話の前段が長くなったが、ようやく実施されることになった瓦礫の撤去については、NRC文書では3号機と4号機の評価で言及されている。以下は4号機についてである。

Fuel particulates may have been ejected from the pool (based on information of neutron emitters found up to 1 mile from the units, and very high dose rate material that had to be bulldozed over between Units 3 and 4. It is also possible the material could have come from Unit 3).

燃料粉塵が使用済み燃料プールから飛び出している可能性がある(施設から1マイル離れたところに中性子線放射が検出されたとの情報、及びブルトーザーで均しておくべき3号機と4号機の間にある非常に高い線量率の物質による。これもまた3号機から飛び出た可能性のある物質である。)


 NRC文書は、使用済み燃料プールから燃料粉塵が1.5キロ先まで飛び散っている可能性と、使用済み燃料によると見られる高い放射性物質も散乱していることから、これらをブルトーザーで均す必要があるとしている。
 放射性物質を含んだ瓦礫の撤去だが、日本側では3月20日に戦車投入が検討されていた。3月21日付け朝日新聞記事「戦車2両、福島県内に到着 原発のがれき除去へ」(参照)より。

 福島第一原発で復旧作業の妨げとなっているがれき除去のため、防衛省は74式戦車2両を投入した。陸上自衛隊駒門駐屯地(静岡)を20日に出発し、21日朝、福島県内の待機場所に到着した。今後、がれきの撤去や車の通行が可能になるよう通路を切り開く作業をする。
 戦車の具体的な作業計画を立てるため、自衛隊は同日、化学防護車2台を原発構内に入れ、現地の状況を調べた。
 戦車の派遣は、主に3、4号機周辺に消防車などが入る経路や作業スペースを確保するのが目的。ブルドーザーのように車両前方に土などを排除する「排土板」がついている。放射線の濃度が高い場所でも、隊員が車両内にとどまったまま作業できるという。
 74式戦車は、全長9.4メートルで約38トン。4人乗りで、最高時速は53キロ。

 その後、3月22日付け産経新聞記事「防衛相、原発内での戦車使用「ケーブル切断リスクあり慎重に」」(参照)が問題を伝えた。

 北沢俊美防衛相は22日午前の記者会見で、陸上自衛隊の74式戦車2両による福島第1原発内のガレキ除去作業について「敷地内はさまざまなケーブルがあり、ガレキを排除していくときに切断するリスクがあるので、相当慎重にやらなければいけない」と述べた。
 74式戦車は21日朝、同原発から南に約20キロの放水作業拠点に到着。同日中は中央特殊武器防護隊の化学防護車2両が移動経路などの調査をしていた。
 関係者によると、東京電力側も戦車によるガレキ除去に難色を示しているという。

 戦車が福島原発まで到着したことは報道されたが、その活躍についての報道は見当たらない。3月26日付けNRC文書がブルトーザー利用に言及しているところからすると、大半の瓦礫はその間、放置されていたようにも思える。
 瓦礫撤去の報道はその後長く見かけなかったが、昨日報道があった。共同「福島原発、遠隔操作でがれき撤去 東京電力」(参照)より。

 東京電力は10日、福島第1原発を襲った津波や水素爆発による構内のがれきを撤去するため、モニター画面を見ながら重機を遠隔操作するシステムを導入したと発表した。
 敷地内では2、3号機の間や3号機西側の放射線量が毎時数百ミリシーベルトと高く、放射性物質が付着したがれきが放射線を出している可能性もあるという。東電は「こうした場所でも効率的に作業ができる」としている。

 報道からは、初めて瓦礫撤去活動が始まったような印象がある。また、高い放射線を発している場所は、(1)2号機と3号機の間、および(2)3号機西側とされ、NRC文書の指摘場所とは若干異なる。また、放射性物質が水素爆発に由来するとしても燃料プールからの散乱という指摘は日本側報道にはない。
 日経新聞「東電、遠隔操作でがれき撤去の画像公開 福島原発」(参照)では多少違う角度から報じている。

 東電によると、水素爆発などによるがれきの一部は高濃度の放射性物質が付着、復旧作業の妨げとなっている。特にがれきが多い2.3号機の間と3号機の内陸側では大気中から毎時200~300ミリシーベルトを検出。このためカメラを備えた油圧ショベルやダンプ車、ブルドーザーなどを無線で遠隔操作し、撤去したがれきをコンテナに入れて施設内の一時集積所に保管している。

 NRC文書にある使用済み燃料プールについての言及は日本の報道には見当たらず、むしろ1号機建屋と3号機建屋の爆発と関連付けて報じられている。
 読売新聞記事「重機を遠隔操作、放射能帯びたがれきを撤去」(参照)より。

 周辺は1、3号機で起きた水素爆発で飛び散り、放射性物質が付着したがれきが散乱。放射線量が毎時200~300ミリ・シーベルトに達する場所もあり、復旧作業を妨げてきた。

 NHK「原発 無人重機使いがれき撤去」(参照)も同様である。

福島第一原発では、1号機と3号機で起きた水素爆発で原子炉建屋の屋根や壁などが吹き飛んでがれきが散乱し、場所によっては1時間当たり数百ミリシーベルトという高い放射線量が計測されるなど、復旧作業の妨げになっています。

 撤去された瓦礫に燃料棒破片が含まれていなければ、NRC文書の評価は誤りだったことになる。

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2011.04.10

アレバ作成と見られる資料を眺める

 ネットにはすでに3月26日付けのNRC文書と思われるものがリークされており、その後もないものかと見ていたら、アレバ作成と見られる「The Fukushima Daiichi Incident」という資料がWikispooksというサイト(参照)にあった。ああ、これかあと思った。アレバのサイトには掲載されていない。
 資料といってもNRC文書とは異なり、プレゼンテーション用の資料であり、「Official Use Only(当局者の使用のみ)」として明記された秘密文書ではない。特に秘匿の文言は含まれていないが、後で触れるようにアレバとしては都合の悪い文書でもあるのだろう。
 制作者は「Dr. Matthias Braun - 01 April 2011」とあり、マティアス・ブラウン博士が4月1日に作成したもの。いわくを思うに、もしかするとエープリルフールという趣向もあるかもしれない。
 「ああ、これか」というのは、2日付けニューヨークタイムズ記事「From Afar, a Vivid Picture of Japan Crisis」(参照)に出て来た文書に相当すると見られるからだ。同記事だがこう始まる。


For the clearest picture of what is happening at Japan’s Fukushima Daiichi nuclear power plant, talk to scientists thousands of miles away.

日本の福島第一原子力発電所で起こっていることについて最もクリアな像を得るためには、数千マイルも彼方の科学者に話しかけなさい。


 このことは私も痛感していて、すでにエントリでも扱ってきたようにできるだけ欧米ソースから今回の事態を見るようにしている。

Thanks to the unfamiliar but sophisticated art of atomic forensics, experts around the world have been able to document the situation vividly. Over decades, they have become very good at illuminating the hidden workings of nuclear power plants from afar, turning scraps of information into detailed analyses.

原子力の検死官ならではの洗練された技法は馴染み深いものではないが、世界中の専門家は、その現状を鮮明に記述することできる。数十年の間に、彼らは遠隔地の原子力発電所に隠れている仕組みを解明することが非常に得意になり、断片情報を詳細な分析に変えている。

For example, an analysis by a French energy company revealed far more about the condition of the plant’s reactors than the Japanese have ever described: water levels at the reactor cores dropping by as much as three-quarters, and temperatures in those cores soaring to nearly 5,000 degrees Fahrenheit, hot enough to burn and melt the zirconium casings that protect the fuel rods.

例えば、フランスのエネルギー会社による分析は、日本人によるこれまでの説明よりも、プラント内の反応炉の状態についてはるかに多くのことを明らかにした。炉心が浸かる水はせいぜい四分の三ほどであり、炉心温度は華氏5000度にまで急上昇し、燃料棒被覆ジルコニウムのケースを燃焼・融解させるに足る温度になっている。


 言及されているエネルギー会社はアレバである。ということでアレバの話に移りたいのだが、紹介してこなかったがこの記事、読み返すとなかなか興味深いのでもう少し見てみよう。

These portraits of the Japanese disaster tend to be proprietary and confidential, and in some cases secret. One reason the assessments are enormously sensitive for industry and government is the relative lack of precedent: The atomic age has seen the construction of nearly 600 civilian power plants, but according to the World Nuclear Association, only three have undergone serious accidents in which their fuel cores melted down.

日本でのこの災害の描写は、内密であったり場合によっては秘密になりがちなものだ。産業や政府にとって評価が非常に扱いづらいものになる理由は、比較的前例がないためだ。原子力時代には約600の民間発電所が建築されたが、世界原子力協会によると、燃料が溶解する炉心溶融重大事故が起きたのは三例しかない。

Now, as a result of the crisis in Japan, the atomic simulations suggest that the number of serious accidents has suddenly doubled, with three of the reactors at the Fukushima Daiichi complex in some stage of meltdown. Even so, the public authorities have sought to avoid grim technical details that might trigger alarm or even panic.

現状はというと、日本のこの危機の結果、原子力想定によるものだが、福島第一複合原発でメルトダウン状態の3炉によって、重大事故の数が突然、2倍になった。事態がそうであれ、日本国家の諸機関は、警鐘、またはパニックすらなりうる残忍な技術情報をかわそうと努力してきた。

“They don’t want to go there,” said Robert Alvarez, a nuclear expert who, from 1993 to 1999, was a policy adviser to the secretary of energy. “The spin is all about reassurance.”

「彼らは、そこに辿り着きたくない」と、1993年から1999年までエネルギー省長官の政策アドバイザーだったロバート・アルヴァレズは語る。「情報操作はすべて安心のためである。」

If events in Japan unfold as they did at Three Mile Island in Pennsylvania, the forensic modeling could go on for some time.

日本での事態が、ペンシルベニア、スリーマイル島のように展開するならば、検死官の見立てはもうしばらく継続するだろう。


 ニューヨークタイムズにありがちな煽りの修辞に満ちているが、日本人としてはちょっと痛いものを感じざるを得ない部分はある。
 とはいえ、事態を政治の文脈にいろいろ置き換える人もいるなか、同記事でのポー(Li-chi Cliff Po)博士の言及は少しばかり慰めになるかもしれない。

“I don’t think there’s any mystery or foul play,” Dr. Po said of the disaster’s scale. “It’s just so bad.”

「私は、ミステリーも不正もないと思う」と災害の規模についてポー博士は語る。「ただ、あまりにひどいということだ。」


 余談ついでに、メルトダウンの定義みたいな部分あるので言及しておこう。

By definition, a meltdown is the severe overheating of the core of a nuclear reactor that results in either the partial or full liquefaction of its uranium fuel and supporting metal lattice, at times with the atmospheric release of deadly radiation. Partial meltdowns usually strike a core’s middle regions instead of the edge, where temperatures are typically lower.

定義上は、メルトダウン(炉心溶融)は、炉心の深刻な過熱によってウラン燃料と被覆金属束が部分的または全体的に液化に至ることであり、その際、相当の放射能が大気に放出される。部分的なメルトダウンは、通常炉心中部を襲い、比較的温度の低い炉心の端部は襲わない。


 アレバの話に戻るのだが、場所は3月21日スタンフォード大学のパネルディスカッションである。この会合については、おそらく該当ニューヨークタイムズ記事を参考にして書かれた印象の強い産経新聞記事「海外分析 政府発表より緻密」(参照)にこうある。

 米スタンフォード大学は3月21日、今回の福島第1原発事故と原子力発電の将来について考えるパネルディスカッションを開いたが、席上、フランスの世界最大の原子力産業複合企業アレヴァの関連企業のアラン・ハンセン副社長は「(福島原発で)一部溶融した核燃料棒の温度は、最高時には摂氏2700度に達していた」と発言した。これは専門家が聞けば、愕然とする内容だった。

 ニューヨークタイムズ記事ではこう描かれている。

Dr. Hanson, a nuclear engineer, presented a slide show that he said the company’s German unit had prepared. That division, he added, “has been analyzing this accident in great detail.”

各技術者ハンソン博士は、同社ドイツ部門が準備したと語るスライド・ショーでプレゼンテーションを実施した。この部門は「非常に詳細にこの事故を分析している」とも付け加えた。


 おそらくこれが該当のアレバの資料ではないかと思われるのだが、これに奇妙な後日譚がある。

Stanford, where Dr. Hanson is a visiting scholar, posted the slides online after the March presentation. At that time, each of the roughly 30 slides was marked with the Areva symbol or name, and each also gave the name of their author, Matthias Braun.

スタンフォード大学の客員教授ハンソン博士は、3月のプレゼンテーション後、該当スライドをインターネットに公開した。その時点では、30枚ほどのスライドにはアレバのシンボルと名称が記載され、一枚ごとに著者マティアス・ブラウンの名前もあった。

The posted document was later changed to remove all references to Areva, and Dr. Braun and Areva did not reply to questions about what simulation code or codes the company may have used to arrive at its analysis of the Fukushima disaster.

後日該当スライドからは、アレバへの参照がすべて除去され、ブラウン博士とアレバは、福島の災害分析に至るために同社が使っただろう模擬実験プログラムや各種プログラムについては回答していない。

“We cannot comment on that,” Jarret Adams, a spokesman for Areva, said of the slide presentation. The reason, he added, was “because it was not an officially released document.”

「私たちはそれについてコメントできせん」と、アレバ広報員ジャレット・アダムズはスライドのプレゼンテーションについて語った。理由は、「それが正式に公開された文書ではなかったからです」とのこと。


 該当プレゼンテーション資料なのだが、見ればわかるし、今となってはこの問題に関心を寄せる人にとってはさほど衝撃的な内容でもない。スライドの大半は、炉の変容について図で解説されたものだ。見ていると、図の部分だけをアニメションにしたらおもしろそうなので切り出してみた。

 炉ごとの差違についての言及については該当資料の英文に説明がある。
 特段に目新しい情報もないが、メルトダウンした部分は炉の底に落ちてなく、炉内の中央に鎮座しているようだ。おそらく炉の底抜けはないとアレバは見ているのだろう。この推測であれば、溶融部分が今後スパイクをおこせば蒸気爆発の可能性もないとも言えないが、現状の微妙な安定も説明しているように見える。
 2号炉の汚染源は圧力制御室と見ており、日本の保安院の見解に近い。と書きながら、時系列からして、もしかすると保安院はアレバのストーリーを参考にしているという逆の情報の流れもあるかもしれないなと疑問に思う。
 以前のエントリ-「ニューヨークタイムズが掲載した福島原発の放射線量グラフを眺める: 極東ブログ」(参照)で引用した、線量変化についてのニューヨークタイムズのグラフと同じものが、アレバ文書にもあり、ニューヨークタイムズより詳しい考察が加えられているが、疑問符なども記されていて解明という印象は受けない。

 NRC文書についても思ったことだが、アレバの資料についても現状の分析があれば読みたいものだとも思う。

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2011.04.08

福島第一原発1号炉は地震当日に空焚きが想定される状態になっていた

 福島第一原子力発電所の事故でいろいろと興味深い評価や事実が明らかになるが、今日明らかにされた、3月11日・12日の1号機の状態についてのニュースを聞いたときは思わず声が詰まった。想定外ではない。逆で、あの時点でメルトダウンを懸念した想定に近かったからだ。現状ではまだ詳細は明らかになっていないが、現時点の報道だけでも十分に興味深いので留めておきたい。
 ニュースは午前7時17分のNHK「1号機 震災の夜に燃料露出直前」(参照)である。


 東京電力、福島第一原子力発電所の事故で、1号機では、先月11日の地震当日の夜までに原子炉の水が核燃料が露出する直前まで減り、安全のために最も大切な「冷やす機能」を十分に保てなかったことが、NHKが入手した資料で分かりました。専門家は「その後さらに水が減り、核燃料が露出したことで、地震の翌日という早い段階で水素爆発が起きたのではないか」と指摘しています。

 1号機の原子炉では、地震当日にすでに空焚きが想定される状態になっていたということだ。NHKのニュースではこの事態を水素爆発の文脈で見ているが、むしろ燃料棒の破損が想定される事態であり、それが球形状の炉の底に貯まれば再臨界が懸念される状態だった。この点はこのタイプの炉の設計に関わった大前研一氏も指摘していた(参照)。
 NHK報道によれば今回の資料はNHKが入手したらしいが、なぜこれまで公開されなかったはNHKのニュースでは触れていない。

NHKが入手した資料には、地震当日の先月11日に福島第一原発の1号機から3号機で測定された原子炉の「水の高さ」や「圧力」などの値が示されていますが、東京電力などは、これまで地震の翌日以降の値しか公表してきませんでした。

 11日時点で1号機原子炉は空焚きが想定される事態になっていたのだが、その理由についても興味深い指摘がある。

資料によりますと、1号機では、地震発生から7時間近くたった午後9時半に、原子炉の中で核燃料が露出するまでの水の高さが残り45センチとなり、通常の10分の1程度に減っていたことが分かりました。1号機から3号機では、地震と津波によってすべての電源が失われ、2号機と3号機では非常用の装置で原子炉を冷やし、水の高さが4メートル前後に維持されていました。これに対し1号機では、地震当日の夜までに、すでに安全のために最も大切な「冷やす機能」を十分に保てなかったことになります。

 1号機の冷却機能は2号機・3号機とは異なる問題があったということだが、これは従来津波によって冷却機能が失われたとする説明以外に、そもそも1号機には冷却機能自体に問題があった可能性も示唆するだろう。

また核燃料が水から露出するまで、2号機と3号機では、地震から1日半から3日程度かかっているのに対し、1号機では18時間ほどしかありませんでした。東京大学の関村直人教授は「1号機では、『冷やす機能』が維持できなくなったあと、さらに水が減り核燃料が露出したことで、地震の翌日という早い段階で水素爆発が起きたのではないか」と指摘しています。一方、東京電力は「調査はこれからで詳しいことは分からない」と話しています。

 関村直人教授の説明は特に意味のあるものではないが、東京電力側は未調査であるとしている点は気になる。
 類似のニュースだが微妙に異なるニュースが今日10時32分付けで日経Quick「福島原発1号機、3月12日朝に燃料棒一部露出 東電が公表」(参照)で報じられた。

 東京電力(9501)は8日午前、東日本大震災が発生した直後の3月12日朝の段階で福島第1原子力発電所の1号機の燃料棒が露出する事態になっていたことを明らかにした。震災発生後の3月11日19時30分以降、3月13日7時30分までの原子炉内の水位や圧力容器、格納容器の圧力のデータを1~3号機について初めて公表したことで分かった。東電は国のホームページに出ていたデータであることを説明。「隠していたつもりはない」と話している。

 NHK報道では資料をNHKが入手したとあったが、日経報道では今日になっての東電側の公表としている。「東電は国のホームページに出ていたデータである」とし、「隠していたつもりはない」としているのだが、そうであれば「初めて公表した」という文脈とのつながりは理解しづらい。なお、原子力技術協議会では11日22時以降の主要パラメータは公開されている(参照)。

 公表データによると、1号機の原子炉内の水位がマイナスに転じたのは3月12日8時49分。マイナス300ミリメートルだった。マイナスに転じることは燃料棒が一部露出したことを意味するという。その後、水位の低下は進み、3月13日7時30分にはマイナス1700ミリだった。
 データをとれなかった時間もある。3号機の水位は3月12日21時時点でプラスを維持したが、その後は計器不良でデータがなく、3月13日の午前5時にマイナス2000ミリメートルに低下した。

 この部分の日経報道はNHK報道とは異なっている。NHKの報道からは地震当日に空焚き想定される事態が読み取れるが日経記事は伝えていない。従来からの各種報道からすればこの点に触れない日経報道のほうが整合的であろう。ただし、12日午後2時に炉心溶融の可能性に保安院が触れた点について日経報道では水位マイナスが12日午前8時49分であったと注視している点で、保安院の判断の遅れは読み取れる。
 今日の午後になり各種報道機関がこの問題を取り上げた。
 毎日新聞「福島第1原発:1号機初日から水位低下 燃料棒露出寸前に」(参照)では、情報の入手経路は明確にはされていないが、内容はNHKと同じ。だが東電側については興味深い指摘がある。

当日の水位データを発生から4週間近くたって公表したことについて東電は「これまではデータが整っていなかった。国には随時報告しており、隠す意図はなかった」と説明している。

 事実であれば、東電側の問題というより、国側の政治的な判断でこの情報の公開は遮断されていた可能性がある。
 毎日新聞報道と類似の報道が時事「炉水位データ、一部公表せず=地震当日、1号機で急減-福島第1原発」(参照)である。

 東電はこれまで1~3号機の炉内水位や圧力などを示すデータを3月13日午後8時以降について公表してきた。東電は8日、「データに欠けた部分があったため公表しなかった。隠すつもりはなく、国へは報告している」と釈明した。

 これに対して、東京新聞「震災当日に炉水位急減 福島第一のデータ公表」(参照)ではいっそう興味深い話を伝えている。

 公表が遅れたことについて東電は「報道機関に言われたから出した。隠していたように言われるのは心外」と説明している。

 背景ははっきりしないが、経緯から推測すると、NHKの独自報道が問題になり、報道機関が疑問視したので、東電側も出したが、事前に国には公表していたので隠していたわけではないということなのだろう。
 朝日新聞報道「本震7時間後に燃料露出寸前の状態 福島第一原発1号機」(参照)も東電側の弁明を伝えている。

 東電はこれまで13日以降のデータ一覧のみ公表していた。「地震直後のデータは欠落が多かったので入れなかった。個別に聞かれれば答えた。国も公表していた」と説明している。

 東電としては、聞かれなかったから答えなかったので、今回は聞かれたので答えるというのである。ジャーナリストにより仕事するよう叱咤していると受け止めてもよいかもしれない。
 いずれにせよ東電側としては11日の事態を、問われなければ公開する必要もない事態と見ていたことは確かであろう。それはなぜだろうか。共同「福島第1、地震当日夜に水位低下 1号機」(参照)は12日時点に焦点を置いているが、ヒントもあるかもしれない。

 東京電力は8日、東日本大震災が起きた3月11日の夜に、福島第1原発1号機の原子炉の水位が下がり、燃料が露出するまで残り45センチの状態になっていたことを明らかにした。
 通常より100センチほど低い水位という。東電は「水位は燃料よりは上にあり、安定していた。減った原因は分からない」としている。
 水位は11日午後9時半に燃料上端から45センチの高さになったが、圧力容器内の圧力を格納容器内に逃がすことで、12日午前0時半には130センチまで回復した。
 ところが、12日午前7時ごろから、圧力容器内の蒸気を凝縮させて水に戻す「非常用復水器」の弁が開かなくなってシステムが機能しなくなり、再び水位は急低下。同日午前8時半ごろ、燃料が露出したとみられる。

 疑念を持って見るなら、12日に水位回復したので11日時点の空焚きへの危機はなかったことにしようというモチーフがあったのかもしれない。
 実際、12日時点の報道では、空焚きではなく一定の水位が保持されていることを条件に、危機的な懸念の声についてデマや不安をかき立てる不穏な声として非難されていたものだった。
 先の朝日新聞記事でもこれに関連した指摘がある。

 1号機の水位は11日午後9時半、燃料上端から45センチまで下がった。炉内の圧力を減らしたら上昇に転じた。下がった理由は不明だが、その後しばらく水位を制御できたことから、東電は地震での損傷による可能性は低いとみている。

 空焚き想定後に水位制御が出来たので東電側としては大きな問題としていなかったのかもしれない。
 いずれにせよ、空焚きの懸念は国側には伝達され、当然原子力安全委員会にも伝達されていたのだろう。その様子が見えないことは6日の枝野長官もよく認識していた(参照)。原子力安全委員会の動きが見えないことは当然だとも枝野長官は述べていた。

 「今回の事故については、事態がある程度収束すれば、その時点で第三者的に、客観的に検証いただいて、問題点があれば改善をすべくしていきたいと思っているところだ。ただ、原子力安全委員会が外から見えにくいことについては、この間、特に事件事故の発生当初は、ご承知の通り、まさに日々というより時間単位、分単位で状況が変化する中での対応だった。原子力安全委員会の専門家の皆さんに、ある意味で、情報の共有と分析をまさに同時並行で原子力安全保安院などともしていただき、そこでご意見をいただくオペレーションが数日、あるいは1週間程度続いていた。逆にその間、原子力安全委員会としての動きで見えなかったらある意味、そこは当然だろう。事態がある程度落ち着いて、時間単位、半日単位の段階になったら、原子力安全委員会としての独立した見解はその都度、出してもらうようになってきていると思う。その上で、今回の対応は、100点満点だったのかどうかについては事後的に第三者の皆さんに、政府も含めて検証いただく必要がある

 100点満点かどうかについての検証ならそれほど難しくないが、何点とするかについては、今後非常に難しい問題にはなるかもしれない。

追記(同日)
 NHK報道の「原子炉の中で核燃料が露出するまでの水の高さが残り45センチとなり、通常の10分の1程度に減っていた」は、ほぼ空焚きと見てよいのではないかと思ったが、燃料棒の露出ではないので「空焚き」は言い過ぎではないかとの指摘を受けた。確かにそれもそうで、センセーショナルに語る意図はないので、本文も「空焚きが想定される」と表現をあらため、タイトルもそれに合わせた。なお、その後、1号機の燃料の70%は破損した。

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2011.04.07

マーキー米下院議員は福島第一原発2号炉の底は抜けていると主張

 福島第一原子力発電所2号機の圧力容器の底が抜け、中の核燃料が格納容器に漏れ出しているという話を民主党エドワード・マーキー(Edward J. Markey)米下院議員が持ち出し、米国で話題になっていた。
 2号機の炉内の核燃料が漏れているのではないかという話題は、3月29日付けガーディアン記事「Japan may have lost race to save nuclear reactor」(参照)が取り上げたことがあるが、同記事は福島原発が設置された時代、ジェネラル・エレクトリック(GE: General Electric)で沸騰型原子炉の安全性研究部門長であったリチャード・ヘイヒー(Richard Lahey)氏のコメントによるもので、国会議員が関与したものではない。その点が今回とは異なっている。なお、ガーディアン記事は共同でも報道されたので参考までに引用しておこう。「福島2号、核燃料が炉外漏出か 英紙で専門家指摘」(参照)より。


 29日の英紙ガーディアン(電子版)は、福島第1原発2号機で、核燃料の一部が溶融して原子炉格納容器の底から漏れ出しているとみられると、複数の専門家が指摘しているとし、現地での大量の放射線放出の恐れが高まっていると報じた。
 2号機では建屋内で高い放射線量のたまり水が見つかった。原子力安全委員会は原子炉圧力容器が破損した可能性があり、溶融した燃料と接触した外側の格納容器内の水が直接流出したとの見方で、燃料自体の漏出までは言及していない。
 同紙によると、福島原発の原子炉を開発した米ゼネラル・エレクトリック(GE)社で福島原発建設時に同型炉の安全性の研究責任者を務めた専門家は、少なくとも溶融した燃料が圧力容器から「溶岩のように」漏れ、格納容器の底にたまっているようだと説明。
 その上で同紙は格納容器も爆発で破損し、核燃料が容器外に出ている可能性を示唆した。

 今回のマーキー議員の話題の概要は、今日付けの朝日新聞記事「米議員「核燃料、圧力容器破って落下」 専門家は否定」(参照)がマーキー議員のスタンスを含め手短にまとめている。

 米下院民主党の有力者マーキー議員は6日、下院エネルギー・商業委員会小委員会の公聴会で「福島第一原発2号機の核燃料は非常に高温で、おそらく圧力容器を溶かして破って落下している」と述べた。米原子力規制委員会(NRC)からごく最近得た情報としている。
 圧力容器を覆う格納容器側に壊れた燃料が漏れ出ている可能性があるという認識を示した。
 同公聴会に証人として出席していたNRCのバージロ原子炉・防災副部長は、この発言に答える証言はしなかったが、米紙ウォールストリート・ジャーナルなどの取材に対し、「日本に派遣しているチームから今朝あった報告には、そのような内容はなかった」と否定した。ただ、1~3号機の核燃料がかなり損傷しているとの認識は示した。
 マーキー議員は原子力に批判的なことで知られている。(ワシントン=勝田敏彦)

 この話題は、今日付け日経新聞社記事「米NRC幹部「福島原発、安定した状況でない」 」(参照)から窺えるが、同記事には逆になぜかマーキー議員の言及がない。

【ワシントン支局】米下院エネルギー・商業委員会の小委員会が6日に開いた福島第1原子力発電所の事故に関する公聴会で、米原子力規制委員会(NRC)のバージリオ副局長は「状況は安定していない」と証言した。ただ、NRCのクール上級顧問は、「放射線の状況は次第に良くなっている。放射線量は減少してきている」と証言。「現時点では、原発周辺地域は安全だ。日本の一般市民に危険を及ぼす可能性はない」と語った。
 バージリオ氏は、原子炉の炉心が過熱状態になる危険性について「ある」と明言。炉心の冷却状況に関する情報から、「炉心が水に覆われている時といない時がある」と分析。「覆われていない時には過熱の危険性がある」と述べた。また、米ダウ・ジョーンズ通信によると、公聴会後記者団に対して、「事故後これまで、どの原発炉でも炉心が格納容器から溶けて出たとは考えられない」と語った。

 日経新聞の記事をそのまま読むと奇妙な印象受けるだろう。「事故後これまで、どの原発炉でも炉心が格納容器から溶けて出たとは考えられない」という応答の背景となるマーキー議員の話題が抜けているからである。
 話題のバランスとの点では、今日付けのブルームバーグ記事「米原子力規制委:福島2号機圧力容器、溶けて損傷と認識-下院議員」(参照)がわかりやすい。

 4月6日(ブルームバーグ):米原子力規制委員会(NRC)が福島第一原子力発電所2号機について、原子炉の過熱に伴い圧力容器が溶けて損傷している可能性が高いとみていることが分かった。エドワード・マーキー米下院議員(民主、マサチューセッツ州)が6日、下院エネルギー・商業委員会の小委員会の公聴会で明らかにした。
 マーキー議員の広報担当ジゼル・バリー氏は、福島第一原発2号機の状況に関する情報は、議員のスタッフとNRCとのやり取りで明らかになったと説明している。
 一方、NRCの原子炉・危機管理プログラム担当のマーティン・バージリオ副局長は公聴会後に記者団に対し、NRCは「炉心容器が壊れている」とは考えていないと述べ、日本に駐在するスタッフから毎日数回の報告を受けているが、破損について言及はないと指摘。「圧力容器が失われれば、最後の防御壁の格納容器しか残らない」と付け加えた。
 バージリオ副局長は、東日本大震災の余震が続く中で、燃料棒の過熱を防ぐために使われる水によって圧力容器を覆う格納容器が壊れやすくなっているとの米紙ニューヨーク・タイムズの報道について、同紙が引用したNRCの報告は承知していないと語った。

 ブルームバーグ記事からは話題の流れは理解しやすいが、当のNRCがこの問題をどう考えているかについては矛盾してるようにも見える。ただし、記事のトーンとしては漏出の危険性を示唆しているだろう。
 この話題を扱っているダウジョーンズ記事「Conflicting Details Emerge About Status Of Japanese Nuclear Reactor」(参照)は、この矛盾に焦点を当てて話題にしている。

WASHINGTON -(Dow Jones)- There is conflicting information over what details U.S. officials know about a damaged Fukushima Daiichi nuclear reactor in Japan and the threat it poses.

日本の損傷した福島第一原発とその脅威の詳細について米国高官が知る情報に矛盾がある。

On Wednesday, Rep. Ed Markey (D., Mass.) raised alarm bells when he claimed that the U.S. Nuclear Regulatory Commission believes the core of Fukushima's Unit Two had "gotten so hot that part of it has probably melted through the reactor pressure vessel."

水曜日のこと、福島原発2号機原子炉が過熱によって原子炉圧力容器からその一部が溶けだ出た可能があると米国原子力規制委員会(NRC)は見ているとマーキー米下院議員は主張し、警笛を鳴らした。


 当然ながら同記事構成はブルームバーグ記事と同じでバージリオNRC副局長による否定も掲載している。つまり、マーキー議員が情報源としたNRCの見解と、バージリオNRC副局長の見解は矛盾しているということである。
 NRCとしてはどうなのか? 公式には、2号機の原子炉圧力容器から核燃料が溶け出したという言及はないとしてよい。
 実態はどうかについては、限定された情報からわかるわけもないのだが、ニューヨークタイムズは「Core of Stricken Reactor Probably Leaked, U.S. Says」(参照)で、マーキー米下院議員とバージリオNRC副局長との対立だけではなく、識者の検討も加えて検討している。
 2号機原子炉の底が抜けるとしたらそれはなぜなのか。現状の日本の報道では、原子炉の加熱は、核分裂反応が停止した後の崩壊熱として説明されているが、同記事では専門家からの指摘として「a resumption of the nuclear chain reaction(核連鎖反応の再開)」を上げているのが興味深い。原子核分裂の連鎖反応が一定の割合で継続すればこれは臨界になるのだが、同記事には臨界(criticality)という言葉は使われていない。また別の専門家に福島第一原発の燃料では連鎖反応は起らないか起こらない(difficult or impossible)というコメントも併記している。
 ニューヨークタイムズ記事では東電側の見解も掲載している。この見解は、NHKなどの報道を通しても聞くものでもある。

Linda L. Gunter, a spokeswoman for Tokyo Electric, dismissed the N.R.C. analysis, saying Thursday morning, “We believe the containment for the reactor is still functioning at Unit 2; however, the damage to the suppression pool may be the source of the radiation.”

東電広報のリンダ L.ガンターは木曜日の朝、「私たちは、2号機の反応炉の封じ込めはまだ機能していると信じている」と延べ、NRCの分析を退けたが、「しかし、サプレッションプールへの損害が放出源かもしれない」とも述べた。


 NRCの見解を退けたというニューヨークタイムズの書きぶりを見ると、同紙からは、NRCが2号機原子炉の底抜けを想定しているという印象がある。それを補強するようなコメントもやや誘導的だが掲載している。

But a spokesman for the Nuclear and Industrial Safety Agency of Japan said that he was familiar with the N.R.C. statement and agreed that it was possible the core had leaked into the larger containment vessel.

しかし、原子力安全・保安院広報は、NRC声明も馴染んでいるし、炉心がより大きな格納容器に漏れている可能性も同意していると述べた。


 このコメントは私には意外だった。ニューヨークタイムズ記事に掲載されている、各種専門家による可能性の指摘については、そういう考えもあるだろうくらいに読み進めたのだが、圧力容器から核燃料が漏れ出している可能性を保安院が認めているというのは知らなかった。日本では報道されていないように思えるのだが、どうだろうか。

追記(同日)
 コメント欄にて指摘を受けた。30日付け日経新聞記事「福島原発1~3号機「圧力容器に損傷」 原子力安全委」(参照)の以下の記載が対応しているとも理解できる。


経済産業省原子力安全・保安院は30日の会見で「制御棒を出し入れする部分が温度や圧力の変化で弱くなり、圧力容器から(水などが)漏れていることも考えられる」との見解を示した。

追記(2011.11.01)
 事故時のNRC文書の一部が公開された(参照)。
 そのうち、3月30日の文書「March 30, 2011 – Reactor 2 Core Melted Through Containment Vessel – Workers “Lost the race” to save one of the reactors」(参照)から、NRCは、この時点で2号機のメルトスルーを把握していたことがわかる。

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2011.04.06

ニューヨークタイムズが福島原発対処の米国秘密文書を報じる

 5日付けニューヨークタイムズが、米原子力規制委員会(NRC)による福島原発についての、3月26日付けの秘密評価書と関連インタビューに基づく記事「U.S. Sees Array of New Threats at Japan’s Nuclear Plant」(参照)を掲載していた。なかなか興味深い内容であった。
 共同で一部がすでに報道されている。「米紙、水素爆発の危険を指摘 当局の内部文書に基づき」(参照)より。


 同紙によると、原子炉冷却のために注入している水によって、原子炉格納容器のストレスが高まり、余震によって容器が破壊される危険性が高まっている。同原発1号機は内部にたまった塩により循環が著しく妨げられており、原子炉の中には水がなくなっている可能性もあるという。
 また、原子炉内の水が分解されてできる水素によって水素爆発が再び起きる危険性も指摘した。
 こうした問題に対処するため、NRCは日本政府に水素爆発を防ぐための窒素注入などをアドバイスしたという。

 共同が取り上げた問題点としては、(1)注入した水の重さで容器が破壊する危険性、(2)海水の塩で目詰まりして炉内に水が入らず空焚きになっている危険性、(3)さらなる水素爆発の危険性、が読み取れる。
 三点目の危険性回避には窒素注入が示唆されているが、今日から日本でも検討が進んでいる。6日付け毎日新聞「福島第1原発事故 1号機に窒素封入へ 水素爆発防止」(参照)より。

 東京電力は6日午後から、福島第1原発1号機の原子炉格納容器へ窒素(6000立方メートル)を封入する作業を始める。作業中、1~4号機でのすべての他の作業を中止する。高温で損傷した核燃料の被覆管が水と反応して大量の水素が発生しているとみられ、新たな水素爆発を防ぐための措置で、7日にかけて実施する。同原発では、1、3、4号機の原子炉建屋が水素爆発で損壊している。

 NRCが指摘した海水塩の問題についても、すでに米国からの要請で米国支援の真水に切り替わっている。25日付け毎日新聞「福島第1原発:冷却用真水の補給で米軍がバージ船提供」(参照)より。

 北沢俊美防衛相は25日の記者会見で、東京電力福島第1原発の冷却に必要な真水を補給するため、米軍から真水を積載できるバージ船(はしけ)2隻や給水ポンプ1機の提供を受けることを明らかにした。海上自衛隊の補給艦などと連携し、週明けから冷却作業で活用する。バージ船のうち1隻は25日に米軍横須賀基地を出港し、もう1隻は26日に出港する予定。
 自衛隊は高圧消防車で海水を使って放水してきたが、米側から「(塩水による)機材の腐食を防ぐには真水に変更すべきだ」との強い要請があり、活動のあり方を再検討。東電が復旧を進める「補給水系」の注水ポンプに真水を補給する方向に切り替えた。

 この二点はNRCの指導よるものと見てよく、おそらく福島第一原発の現状の対応はNRCシナリオで進展しているのではないかと思われる。
 そうであるとすると、その対処の背景となったのはNRCの評価文書によると見てよいので、今回のニューヨークタイムズ記事の重要性が理解できる。
 記事を読むと、共同が取り上げていない部分に関心が向かざるをえない。小さな点では、目詰まりを起こしているのは塩以外に半溶解した炉心についても言及されている。大きな点としてはまずプール内の使用済み燃料への言及がある。

The document also suggests that fragments or particles of nuclear fuel from spent fuel pools above the reactors were blown “up to one mile from the units,” and that pieces of highly radioactive material fell between two units and had to be “bulldozed over,” presumably to protect workers at the site. The ejection of nuclear material, which may have occurred during one of the earlier hydrogen explosions, may indicate more extensive damage to the extremely radioactive pools than previously disclosed.

文書はまた、反応炉上部にある使用済み燃料プール内の核燃料の破片や粒子が「3号機から1マイルも」吹き飛ばされ、高い放射性物質の断片が3号機と4号機間に落下しているので、現場作業員の保護にはおそらく「ブルドーザーによる地ならし」を必要としていたと示唆している。初期の水素爆発中に発生した核物質噴出は、従来公開された以上に、極めて放射性の高いプールに対して、より広範囲な損傷を与えたことを示している可能性がある。


 プール内の使用済み燃料の粉塵が1マイルも飛び散っている可能性があるというのだが、1マイルは文字どおり1.6キロメートルということではないとしても、それに近い飛散はあったのかもしれない。
 記事を読みながら疑問がないわけではない。そうであれば、その粉塵が計測されないのは不自然である。あるいは、もしかすると3号機使用済み燃料プールへの放水も単に冷却目的だけではなかったのかもしれない。
 記事に戻る。真水の注入ではホウ酸についても言及されている。理由も明記されている。再臨界の予防である。

The document also recommends that engineers continue adding boron to cooling water to help prevent the cores from restarting the nuclear reaction, a process known as criticality.

文書はまた、炉心が核反応を再開始すること(臨界として知られている過程)の防止に役立てるためにホウ素を冷却水に追加し続けるよう、技術者に勧めている。


 ニューヨークタイムズはこの点について識者のインタビューで現状の資料からは臨界が進展しているデータはないともコメントを引き出している。
 NRCらしくというべきか、4号機の使用済み燃料プールの問題も定常的な放射性物質の発生源として重視されている。

The N.R.C. report suggests that the fuel pool of the No. 4 reactor suffered a hydrogen explosion early in the Japanese crisis and could have shed much radioactive material into the environment, what it calls “a major source term release.”

NRC報告書は、日本危機の初期、4号反応炉の燃料プールが水素爆発の被害を受け、環境に多くの放射性物質を発散した可能性を示唆し、これを「主要な定期放出源」と呼んでいる。



Experts worry about the fuel pools because explosions have torn away their roofs and exposed their radioactive contents. By contrast, reactors have strong containment vessels that stand a better chance of bottling up radiation from a meltdown of the fuel in the reactor core.

専門家たちが、使用済み燃料プールを懸念しているのは、爆発で屋根を引きはがされ放射性物質が暴露されているからである。これに比べれば、反応炉は、強固な収容器があり、炉心の原子炉燃料がメルトダウンしてもその放射性物質を封じ込める可能性が高い。


 記事としての締めは、現状のミスがさらなる問題を生むとしている。依然非常に難しい局面であるとは言えるだろう。

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2011.04.04

[書評]言葉でたたかう技術(加藤恭子)

 書名に「言葉でたたかう技術」(参照)とあり、帯には「ビジネスで、外交で、日常で勝つための弁論術」とあるので、そういう技術を習得したいと思って読む人もいるかもしれないし、私もそういう本なのかと思って読み始めたが、そういう本ではなかった。そういう小手先の技術の本ではないというべきだろう。むしろその技術の奥義に触れた書籍であり、一読すればなるほどこうすれば欧米人と議論しても負けることはないという秘訣を知ることができる。

cover
言葉でたたかう技術
加藤恭子
 あえてひと言でも言えないこともない……苦労。あるいは、努力。あるいは、根性。ど根性というべきかもしれない。第一章「アメリカでのけんか修行」ではその苦労がエキサイティングに語られている。おしんアメリカに行くといった風情でもあり、江藤淳の「アメリカと私」(参照)や須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」(参照)なども思い出す。戦後の焼け野原のなかで学問を志した青年たちは異国の地にあって歯を食いしばってがんばったものだった。戦後の日本の知の最高の水準は彼らよってなしとげられ、そして今その遺産をほとんど食いつぶしつつある。
 医学者を父に持ち昭和4年に生まれた著者は、日本女子大学演劇部時代に東京帝国大学演劇部の、後に夫となる加藤淑裕の弟と知り合い、その縁で20歳で結婚した。夫の淑裕は25歳で大学院を中退したが学問が忘れられず、二人で赤貧の米留することにした。恭子はメイドもした。淑裕は季節労働者にもなった。米国社会の本音の部分にからだごとぶちあたってきた。生き残るためには強くなければ無理というものだろう。第一章の苦労譚だけでも読む価値のある本である。すごいことが淡々と書いてある。ある程度欧米というものにぶつかる人生を予感する若い人なら、ここに描かれている挿話を知らないと無駄に痛い目をして学ぶことになる。
 第二章は「アリストテレスの弁論術」である。しかし、特にアリストテレスの弁論術が解説されているわけではない。米留の体験談を通して、アリストテレスの弁論術を知らなければ、その社会を生き抜くことはできないと知ったという話である。極意もさりげなく書かれている。言語を使って説得するにはどうするか。第一は語り手を知るということ。第二は聞き手の心情をゆさぶること、そして第三はもっともらしく語ること。それだ。
 第二章では、現代欧米の文章術の基本がマルクス・ファビウス・クインティリアヌス(Marcus Fabius Quintilianus)による「弁論家の教育(Institutio Oratoria)」(参照参照)にあることも説明されている。読みながら私は、自分の無教養さ加減に、あ痛たたたと苦笑してしまった。自分はギリシア語・ラテン語のとば口で引き返しまともに学問やってこなかった。悔やまれるのである。言葉でたたかうお相手はそういう教養をしこたま詰んでいる。アホでマヌケなアメリカ人ばかりではない。
 第三章以降は、著者の異文化経験のお話が続く。異文化経験といっても欧米型であり、どちらかというと古いタイプの欧米だなという印象が深い。へこたれるな日本人、白を黒とでも言い通せという印象でもある。が、著者も近年の欧米文化の変化は読み込んでいて、欧米の言語技術が対立型から協調型に変わっていることにも触れている。むしろ現代日本人はその新型の言語技術を学ぶほうがよいかもしれない。だが、かといって、そこだけ上澄みで学ぶわけにもいかず、本書のような、がつんとした話も知っておくほうがよいだろう。
 終章にあたる第五章の「日本の未来のために」は、震災後の今、読み返すと、ある種、胸にぐっと迫る思いがする。日本の美点や誇りをどうすべきか。若い世代を正攻法に教育していくにはどうあるべきか。そこに当てる光が今となってはがらりと変わってしまった。そのことが骨身にしみてくるのはあと二年後くらい先のことかもしれない。また苦難な時代が始まる。戦後の苦難とは質が違うだろうと思うが、日本を再生するにはこうした書籍で先達の苦難を学ぶことは益になる。

追記(2011.4.6)
 初出時に最終段落に「サマーズは"It is unfortunate that Japan will become a poor country."と言ってのけたが」と書いたが、ソースの確認が取れず、また、この発言がなかったという確認も取れなかったので除いた。

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2011.04.03

米国にせっつかれて福島第一原発20キロ圏内でようやく放射線測定始まる

 原発事故について現下はまだ緊急事態であり、人災的要因などの追究は後日でもいいように思うのだが、さすがにこれはがっくりきたので記しておきたい。ようやく福島第一原発から半径20キロ以内大気中の放射線量の測定が開始になったことだ。しかも、米国からの要請なのである。
 ニュース記事を拾っておこう。3日5時4分NHK「20キロ内でも放射線量測定」(参照)より。


 福島第一原子力発電所の周辺での放射性物質の拡散状況について、政府と東京電力は、これまで調査を行っていなかった、原発から半径20キロ以内の地域についても、新たに大気中の放射線量の測定を始めました。

 これまで公式には調査がなされていなかったというのが事実、というのを確認しておきたい。
 なぜこれまで測定しなかったのか。

 福島第一原子力発電所の周辺での放射性物質の拡散状況について、政府と東京電力は、これまで、原発の敷地内や、「避難指示」が出されている半径20キロより外側の地域で、大気中の放射線量の測定を行っていますが、半径20キロ以内では、ほとんどの住民が避難を終えていることや、測定には被ばくの危険性が高まることなどから、詳しい測定を行っていませんでした。

 理由は2点とされている。

 (1) すでに20km以内は住民が避難しているので測定する必要はない
 (2) 測定すると被爆の危険性が高まる。

 理由になっていないと思われる。(1)については、一定期間の測定があれば、一時帰宅の可能性の検討できるし、該当環境の被害の累積的な状況がわかるはずだ。明らかに有益な情報となる。
 被爆の危険性とする(2)だが、すでに原発現場で作業されている方との比較で考えても対応は可能であろうし、原発近くの線量が高いのであれば、例えば5km圏内は測定しないということでもよいだろう。
 陰謀論的に考えたくはないが、これまで計測してこなかった理由は、緊急時ということは当然あるとしても、それ以外にも避けたい理由はあったのだろう。
 ではなぜ実施されるようになったかというと米国からの要請である。


しかし、福島第一原発の対応を検討する日米協議の中で、アメリカ側は「放射性物質の拡散状況を調べるためには、調査が不十分だ」と指摘し、これを受けて、政府と東京電力は、原発から半径20キロ以内でも、およそ30の地点で、新たに大気中の放射線量の測定を始めました。

 米国側からの要請がなければ、こうした政治決断ができなかったというのが、一番がっくりくるところだ。
 新しく計測される結果も公表される見通しは低そうだ。

調査結果は公表されていませんが、これまでの測定では、原発の北西方向にある福島県浪江町の調査地点で、1時間当たり50マイクロシーベルトを超える、やや高い放射線量を計測した一方、原発の北の方向にある南相馬市の調査地点では、1時間当たり1マイクロシーベルトを下回ったということで、半径20キロ以内でも地域によってばらつきがあるということです。政府は、よりきめ細かいデータを把握し、アメリカ側と情報共有を進めるとともに、今後の対応策の判断材料に役立てたいとしています。

 20km圏内の情報を開示するかについては、政府判断もあるだろう。逆にいえばそう問われるのがいやで計測しなかったのかもしれないと穿って考える余地を残してしまう。
 米国がこのちょっかいを出した背景は、すでに米国エネルギー省(DOE)が米軍機や地上観測データから算出した福島第一原発周辺の放射線量の推定値を公表しており、セシウム137など今後累積していく放射性物質の問題を含めて、このまま日本側が沈黙し、米国側だけの情報となっては、日米共同作業および世界に向けての公報という点で問題があると判断したためだろう。日本政府はその判断ができそうにないと見切ったということでもある。
 DOEの公開データは「The Situation in Japan」(参照)で誰でも閲覧できる。現状では29日更新された24日と26日のデータが公開されている。


The Situation in Japan

 DOEの地図には福島第一原発から同心円状の円が2つ描かれていているが、内側が13海里(約24km)、外側が25海里(約46.3km)ということで、大ざっぱに25km圏内と45km圏内と見てよいだろう。
 地図上色分けされた放射線量の単位、mR/hrは10マイクロシーベル/時である。北西方向40km圏内に黄色からオレンジ色の2mR/hrの領域があることが見て取れる。ミリシーベルト/年に換算すると(24時間×365日)、約175.2ミリシーベルト/年となる。なお、国際放射線防護委員会(ICRP)は緊急事態発生時の一時的な緩和基準として20ミリシーベルト/年を日本政府向けに声明を出している(参照)。
 日本政府側からは原発周辺放射線量の情報は出てこない可能性が高いが、現状のDOE情報を見るかぎり、現状については居住については、問題がありそうだ。
 原発の状況を見て、政府は今後も慎重な対応が必要になることは言うまでもないが、安定的に推移していけば、一時帰宅などの対応も求められることはあるだろう。

追記
 コメント欄にてご指摘いただき、mR/hrの計算を勘違いしていたことに気がついた。居住の安全性についても誤解していたので本文を訂正した。併せて、マイルを海里に直し換算しなおした。

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2011.04.02

米国エネルギー省スティーブン・チュー(Steven Chu)長官による福島原発の見立て

 米国は福島第一原発の現状をどのように見ているか。昨日、米国エネルギー省のスティーブン・チュー(Steven Chu)長官が興味深い見解を出した。これを受けた国内の報道も多少興味深いので、合わせて記録に留めておきたい。
 結論から言うと概要が掴みづらいのが読売新聞記事「1~4号機は安定…米長官「プールに水ある」」(参照)であった。


 【ワシントン=山田哲朗】米エネルギー省のスティーブン・チュー長官は1日、福島第一原発の使用済み核燃料プールの状態について、「1号機から4号機まですべてのプールに水があると考える」と述べ、安定しているとの見解を明らかにした。
 チュー長官は「すべてのプールで温度計測ができ、(数字は)中に水があることを示している」と述べた。
 燃料プールについては、米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長が3月中旬に米下院で4号機で「水がすべて沸騰し干上がっている」と証言したが、チュー長官の発言により日米の見解が一致した形となった。
 チュー長官は、ワシントン市内での米オンライン新聞主催の朝食会で発言した。
(2011年4月2日10時43分 読売新聞)

 チュー長官発言については、これ以外に読売新聞記事があるのかもしれないし、この記事はNRCヤツコ委員長の言明への反論という点に力点を置いたのかもしれない。しかし、以下に見る他ソースとの比較で奇妙な印象はある。「米オンライン新聞」についてもぼかされているが、クリスチャンサイエンスモニターである。
 朝日新聞社記事もこの話題に言及していたが、なぜかウォールストリートジャーナルからの報道としていた。「1号機核燃料「最大で7割損傷」 米エネルギー省認識」(参照)より。

2011年4月2日11時49分
 米エネルギー省(DOE)は1日、福島第一原発1号機、2号機の核燃料について「1号機は最大で70%、2号機は最大で3分の1が損傷している」との認識を明らかにした。米ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が同日報じた。
 報道によると、DOEのチュー長官は同日、福島第一原発について「依然、重大な懸念がある」と述べた。燃料の損傷具合については「かなり」としか言及しなかったが、具体的な損傷度合いは同紙がDOEに確認した。
 1979年の米スリーマイル島原発事故では、原発がトラブルで停止してから約1時間40分後に原子炉内の水が減って燃料棒が露出。原子炉の冷却機能が回復した十数時間後までに炉心全体の少なくとも45%が溶融したとされる。福島第一原発で地震発生時に運転中だった1~3号機は、いまだに炉心の冷却機能が回復せず、外部から水を入れて冷やす作業が続いている。
 また、同長官は1~4号機の核燃料プールは「日本政府高官とDOEの科学チームの議論の結果、全基のプールに水があると考えている」との認識を明らかにした。
 米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長は3月16日、下院公聴会で4号機のプールについて「水がない」との認識を示したが、東京電力などは反論していた。(ワシントン=勝田敏彦)
     ◇
 東京電力は原子炉建屋の爆発などが続いた3月14~15日時点の1~3号機の燃料損傷の割合について、格納容器内の放射線量のデータから、それぞれ70、33、25%とする推定結果を25日に発表している。ただ、どのような損傷なのか、詳細は明らかにしていない。

 チュー長官の視点の重要性は読売新聞記事とは異なり、原子炉の状況認識について置かれている。元になるウォールストリートジャーナルの記事を見る前に、記事として注意したい点は、チュー長官の発言に対してウォールストリートジャーナルがDOEに確認を取った点を明記していることである。
 朝日新聞記事の元記事は「Energy Secretary Chu Says Reactor Core Is Damaged」(参照)である。すでに全訳が「福島第1原発、一部炉心は損傷=米エネルギー長官」(参照)として公開されている。重要と思われる部分を引用しておく。

 同省の報道官は、朝食会後、長官の記者団に対する発言内容を明確にした。それによると、長官の発言は1号機の燃料棒が70%も損傷しており、2号機の燃料棒は3分の1が損傷しているとの情報に言及したものという。(長官は朝食会では、3号機での「放射線量がかなりのレベル」にあると述べていた。また「米国に提供された日本からの情報」を引用し、2号機については「炉心の70%が損傷して最も深刻なメルトダウン状態」になっていると述べていた)

 ウォールストリートジャーナル記事ではDOEから確認を先行させ、クリスチャンサイエンスモニターでの話を括弧に入れている。
 ウォールストリートジャーナルとしての記事の重要点は以下になる。

 長官のこの発言は、3月11日に発生した東日本大震災で被災した同原発での深刻な事故をめぐり、日本の事故対策の評価が交錯していることを反映している。一方で、長官は使用済み燃料棒については、温度測定や計算などから一時貯蔵プールには水があることが示されており、1~4号機まで「制御されているようだ」と述べた。

 「日本の事故対策の評価が交錯している」の部分がわかりづらい。原文は"Dr. Chu's comments reflect a mixed assessment of Japanese efforts to halt a disaster at the plant"である。日本側からの情報をDOEとしても評価しづらいということだろう。
 読売新聞が取り上げた4号機プールについては、水があるとの認識だが、これが米原子力規制委員会(NRC)ヤツコ委員長発言後の放水によるものかについてもわかりづらい。なお、DOEのチュー長官とNRCのヤツコ委員長の意思疎通は良好と見られる。産経新聞記事「反原発運動も熟知 米原子力委のヤツコ氏 言動に注目集まる」(参照)より。

 コンビを組むエネルギー省のチュー長官の信任も厚い。米政治専門誌ポリティコ(電子版)は、「ヤツコ氏がNRC委員長を務めていること自体が、大統領の安全への強い思いの表れ」とするホワイトハウス高官の話を伝えている。

 元になるクリスチャンサイエンスモニター記事は「Is Japan crisis becoming a slow meltdown? No, says US Energy secretary. (video)」(参照)にあるが、ビデオの内容がメインで論評は少ない。
 ニューヨークタイムズもこの話題と「Reactor Core Was Severely Damaged, U.S. Official Says」(参照)で取り上げている。

Japanese officials have spoken of “partial meltdown” at some of the stricken reactors. But they have been less than specific, especially on the question of how close No. 1 — the most badly damaged reactor — came to a full meltdown.

日本政府の役所員、損傷した反応炉によっては「部分的なメルトダウン」があると説明してきた。しかし、最も損傷した反応炉である1号機について、完全なメルトダウンにどれほど近いのかという疑問に絞れば、まったく具体性はなかった。


 ニューヨークタイムズの視点としては、米国民としては部分的なメルトダウンというのだから、どれほどなのかということに関心があり、これにDOEが答えたという構図になっている。加えて言えば、結果的にスリーマイルと比べてどうかということへの答えにもなっている。メルトダウンの点で、福島原発(70%)はスリーマイル原発(45%)を越えたことも明確にされたことになった。
 チュー長官による現状の評価については、ニューヨークタイムズ記事には触れられていない。

“First and foremost, we are trying to make sure that fuller damage is not done,” he said.

「なりよしも、私たちは、これ以上の損傷がないかどうか確認しようとしているところだ」と彼は語った。


 これに対して、先のウォールストリートジャーナルでは他の部分の言及を当てている。

 長官によると、日本の当局者は米国の科学者とエンジニアらの支援を受け、放射性物質を含む蒸気を放出させずに原子炉を冷却する方法を模索している。
 長官は「望まれるのは、安定した状態に達することだ。炉心の腐食物はエネルギーを放出するが、そのエネルギーを除去することが必要だ。最初の1週間は最も重要な時期だ。それが過ぎた現在は、緩やかな段階に入りつつある」と述べた。

 別の言い方をすれば、蒸気が放出されれば放射性物質も放出されることであり、現状ではこれがまだ継続している。
 また現状は、危機的な1週間が経過し、「緩やかな段階に入りつつある("now you're entering a slower stage.")」としているので、慎重に対応すれば大きな惨禍は避けられるという含みはありそうだ。

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2011.04.01

安価な男性用ピルの登場で世界が大きく変わる

 経口避妊薬、ピルというと女性のものと思われがちだが、いよいよ男性用ピルが実用化される(米国およびその他の西側諸国では認可は未定)。しかも安価に販売されることになり、特に途上国での普及が望まれている。その開発の背景は生物多様性の問題とも関連して興味深い。
 ピルと言えば、なぜこれまで女性用だったのか。答えは存外に単純である。男性用がなかったからだ。ではなぜ、男性用ピルの開発が進展されなかったのか。理由は意外にも薬学や医学によるものではない。製薬会社の採算の問題である。
 グローバルポスト記事「Indonesia's birth control pill for men」(参照)では、その背景をこう説明していた。男性用ピルには素材の問題があるが、より大きな問題もあるとして。


But the larger impasse to male birth control pills has been pharmaceutical giants, said Elaine Lissner, director of the non-profit Male Contraception Information Project in San Francisco.

しかし男性用ピルの困難は巨大製薬会社にあったと、サンフランシスコNPO男性避妊情報プロジェクトのディレクターのエレーン・リスナーは語る。

Global demand for male birth control appears high, with a 2005 German survey revealing that 60 percent of men in Spain, Germany, Mexico and Brazil are willing to use a new male contraceptive.

2005年にドイツの会社が実施した調査によれば、男性用ピルの国際的な需要は非常に高いようだ。スペイン、ドイツ、メキシコ、およびブラジルでは、男性の60%が新しい避妊薬を使いたいとしている。

But pouring millions into developing a birth control pill for guys still isn’t attractive as a business decision, Lissner said.

しかし男性用ピルに巨費を投じるのは、ビジネスの視点からすると魅力的ではないとリスナーは語る。


 男性用ピルの潜在的な需要は高い。ではなぜ製薬会社がその開発に取り組まないのか。ドイツの製薬会社シエーリング(Schering)は5年前に男性用ピル開発に取り組んだが、打ち切りとなった。他に開発を試みた製薬会社も経営判断から中断させれた。なぜなのか。
 結論から言えば、女性用ピルの売上げを削ぎかねないからである。

A recent study by the U.S. government’s Centers for Disease Control and Prevention indicated that more than 80 percent of women who’ve ever had sex with a man used birth control pills at some point. A male birth control pill could eat into this massive market.

米国疾病対策センター(CDC)による最近の調査では、男性と性交経験のある女性の80%以上が、ある時点からピルを利用していた。男性用ピルは、この巨大な市場を侵食しかねないのである。


 状況を別の言葉で表現するなら、女性にピルを押しつけているのは市場の論理だと言える。経済による構造的な性の非対称性が存在しているとも言えるだろう。女性差別と見てもよいかもしれない。
 その意味で、今回の安価な男性用ピルの登場は、女性に対するピルの負担を減らす可能性がある。
 新しく登場する安価な男性用ピルとはどのようなものか。これはニューギニア原住民が維持してきた「ガンダルサ(gandarusa)」という植物に由来している。

On the remote Indonesian island of Papua, tribesmen have long noticed the curious effect of a shrub called “gandarusa.”

インドネシア辺境パプア島の部族は「ガンダルサ」と呼ばれる低木の奇妙な効果に昔から気づいている。

If you chew its leaves often enough, men say, your wife won’t get pregnant.

男がその葉を頻繁に噛むなら、その妻は妊娠しないであろうと言うのだ。


Gandarusa / Justicia gendarussa

 インドネシア政府はこの薬草に目を付け、海外の製薬会社からの要望を生物多様性を盾にし、自国製薬会社に開発を委ねた。結果、その成分から今回の新しい安価な男性用ピル「ガンダルサ」の製造に成功した。


Gandarusa Rp 150.000

 インドネシア政府のプロジェクトが支援した臨床試験からも、効果は確認されている。機序についても、男性の精子の活力を奪うことなく卵子の結合を阻害することが解明されている。
 気になる副作用はどうか。政府プロジェクトのスギリ・シャリエフ(Sugiri Syarief)氏はこう述べている。


Men taking the gandarusa pills typically regain the ability to impregnate after 72 days, Sugiri said. “There are no side effects,” he said, though his study notes that some men experienced a boosted sex drive.

ガンダルサ錠を服用している男性の場合、72日が過ぎれば、通常は受精能力を回復する。「副作用はまったくない」とスギリは語る。だが、研究によれば男性によっては、性欲の高まりを経験することもある。


 男性がパートナーの女性との間で妊娠を望むなら、ガンダルサ服用を停止し72日を待てばよいというのも朗報だが、男性にしてみると、パートナーを妊娠させることはなく、しかも性欲まで高まるというのはこの上もないメリットに見える。他に副作用はないのだろうか。
 疑問を投げかける研究がある。ニューギニア島とも呼ばれるパプア島はその中央に国境線があり、西側はインドネシアだが、東側はパプアニューギニア独立国である。そこに目を付けた米国の製薬会社がパプアニューギニア独立国の生物多様性の権限を譲渡してもらいガンダルサを独自に調査した。確かに避妊効果は見られるし、性欲の高まりという好ましい副作用もあるが、その勢いで性交した後、とてつもない虚脱感に襲われるらしい。
 未知の副作用と言えるものなのか。伝統的に利用してきた原住民から聞き取り調査をしたところ、それこそまさしく伝統的に知られた特性であり、その特性こそがこの植物の名前の由来なのだという……ガンダルサ。

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