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2011.04.28

[書評]夏彦の影法師―手帳50冊の置土産(山本伊吾)

 コラムニストの、と呼んでよいのかためらうが山本夏彦氏が亡くなったのは21世紀になってから。正確には「夏彦の影法師―手帳50冊の置土産(山本伊吾)」(参照)にあるように、2002年(平成14年)10月23日午前3時50分。未明であった。87歳。彼の好きな享年でいうと88だろうか。米寿。沖縄ならトーカチ。長寿の部類であることは間違いないが、その年の彼の活躍を見るともっと生きていそうにも思えた。生涯記したメモ帳にはその月の13日に「ゲラ出る。間に合う」とあり、最後まで物を書く人であった。

cover
夏彦の影法師
手帳50冊の置土産
 本書は彼のご長男が書いたもの。伊吾氏、1946年生まれ。本書にもあるが新潮社の写真誌フォーカスの編集長をされていた。その地位にはなんとなく父親の七光りもありそうにも思えたものだが、そういうことはまったくない。では父譲りの文才であったかというと、そこもストレートに結びつくものではない。が、本書を読んでみると、ああ、これは夏彦さんの息子さんでしかないという、ひんやりとしたしかし強い意志が感じられる。
 本書が出たのは2003年9月。一周忌に合わせるという趣向もあったのかもしれない。副題に「手帳50冊の置土産」とあるように、ほぼ生涯にわたって書かれた彼の手帳をもとに書かれている。
 夏彦氏がなくなって10年もして本書を読む、つまり、彼の残した手帳を読んで思うことのひとつは、簡素に書かれたメモ帳から見える時代である。特に「第五章 意外で愉快な交友録」に顕著だが、彼の全盛であったころ、昭和の後年から彼の晩年までの幅広い交友関係の話は興味深い。一件偏屈にも見える夏彦翁には芸能界・文芸界から政界にいたるまで幅広い交友があり、そこから、ああいう時代だったなというのが時代の息吹として見通すことができる。バブルの風景の裏側という部分もある。あの時代を生きた人なら、本書のここを再読することは独特の感興をもたらすだろう。巻末には索引として「山本夏彦が出会った人たち」もまとめられているが、これだけでも簡素ながら歴史資料になるだろう。
 「無想庵物語」(参照)を名作と見る私にとって圧巻だったのは、「第二章 「戦前」という時代」に描かれている20歳の夏彦氏の姿だった。読めばわかるように、平成どん詰まりの現代でもこういう青年は多い。「こういう」というのは、なんとか文筆をもって職としたいと悪戦苦闘する姿である。
 夏彦青年は20歳にしてルソーのエミールの翻訳などもして出版社に売っていたりもするし、仏文のままその当時の現代小説なども読んでいた。村上春樹の青年時代ともわずかだが重なる部分もある。そうした才能を自覚しつつも、オナニーと特異な性欲、そして入り組んだ恋愛に懊悩する日々も描かれている。「第九章 恋に似たもの」にもその姿はある。
 言うまでもない。彼はその青春の記録を「無想庵物語」の続として残したのだろう。であれば、彼が公案のごとく残した少年の日々、フランス生活時代の、二度の自殺についても、なんらかのヒントが本書に描かれているかと期待する。しかし私は読み取れなかった。私の読解力が足りないのかもしれないが、息子の伊吾さんも、夏彦氏の愛読者がそこを気にしているのを了解しつつ、うまく解明できていないようだ。こうした問題は、いわさきちひろの評伝を飯沢匡が書いたように、第三者でないと無理なのかもしれない。私には到底その力量はない。
 この本を私が読んだのは最近である。夏彦氏が亡くなったとき、読もうか読むまいか悩んでいてやめたのだった。その思いはうまく言葉になってこない。愛読書の作家への幻想が破られたりあるいは過度に美化されてるのを恐れるというのとも違うが、当時ざっと書店で捲ったおり、なんか違うなと思った。また、本書の結果的な売りでもあるが、彼の隠された恋についても、うまく受け止められなかった。
 この年になって読んでも、「第九章 恋に似たもの」に描かれている、彼の伴侶を亡くしてのちの恋について、どちらかというと困惑を感じる。80過ぎた爺さんが色恋に没頭し、どちらかといえば女に翻弄されている姿がある。なんなのだろうこれはと思う。まったくわからないではない。老という時期が見えつつある自分にとっては、うああ人生の苦闘はまだ続くのかと背筋凍るものがある。
 山本夏彦氏は、有名なコラムニストとして好好爺たる笑顔と老練な修辞を操る文章家としての背後に、ずっと少年の詩人の心を持ちづけた人である。少年の恋を持ちづけたと言ってもいい。誰だって少年のときはそういう傾向があると、さらりと好好爺たる笑顔にだまされる愛読者が多いが、夏彦氏は怪物なのである。自覚もしていたのだろう。だから、この自身の恋の残骸のすべてを残したのだろう。本書は、結果的に描いているが、文章というものへの偏愛をも残した。彼は自嘲とは異なり売文家ではなかった。「「豆朝日新聞」始末」(参照)の挿話のように匿名でも書き続けていた。ブロガーにも近い人でもあった。
 本書を読みながら、夏彦氏の理解が深まったかと言えば、そうでもない。本書に描かれている夏彦像は微妙に、その愛読者の理想像に幻想を供している。微妙にというのは、伊吾氏はビジネスマンとしてまた家庭人としての夏彦氏もバランス良く描いている。が、怪物の怪物足る部分については筆を控えている印象がある。
 「第七章 理解なき妻」を読めば彼が愛妻家であったことを疑うべくもない。そのなれそめはどのようなものであったかは、おそらくビジネスマンや家庭人としての実務家的な性質の延長ではなかったか。しかし、そうではないものを、この怪物は秘めていただろうと私は疑っている。

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コメント

はじめまして。
山本夏彦の晩年の恋の相手、K は「先生の鞄」の川上弘美さんではないでしょうか?

投稿: | 2011.05.09 09:42

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