[書評]慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話(岡崎正尚)
今日、小林竜司被告(26)の死刑が確定した。NHKでは「大学生リンチ殺人」と報じていたが、他の報道やウィキペディアでは「東大阪集団暴行殺人事件」(参照)とも呼ばれてもいる。2006年6月19日、東大阪大学学生ら2人が小林被告が主導するとされる集団からリンチを受け、生き埋めによって殺害された事件である。
![]() 慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話 岡崎正尚著作 |
本書「慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話(岡崎正尚)」(参照)は、副題にあるように、その小林竜司被告との対話を元に、日本大学法科大学院在学中の岡崎正尚氏が描いた作品である。岡崎氏は1985年生まれで、生年からすると小林竜司被告と同い年であろう。本書を、私は不思議な友情の物語として読んだ。不思議というのは、死刑囚と弁護士を目指す同い年の二人が法を介して向き合う友情という意味ではない。法という国家の仕組みをどこかしら二人が越えていく姿を結果的に描き出している点だ。
著者岡崎氏はこの事件について、小林被告が死刑に相当するだろうかという疑念を持ちながら、2009年から小林氏に接しはじめ、文通や面談を通して交流を深めていく。そこには誰が読んでもある友情の成立を見るだろうし、その友情から著者岡崎氏が小林被告に対して、言い方は悪いが肩入れし、なんとかその死刑を阻止できたらと願うようになることを知る。なんとか死刑を阻止したいという思いが本書に溢れている。
だがそれは、私がこの種類の本で心に留めた広津和郎氏や伊佐千尋氏の手法とは違う。冤罪を証明としているのではなく減刑を目的としているから違うというのではない。むしろ、その減刑への理路は、これも厳しい言い方になるかもしれないが、いち読者としての私から見ても失敗している。岡崎氏もそこにだけ主眼を置いているのでもない。むしろ、同年近い青年同士の、ある曖昧に見える交流から、自分の友だちを殺さないで欲しいという心情の物語となっていく。
その心情に共感できるだろうか。私は本書を読みながら、ふたつのせめぎ合いを感じた。
ひとつは、読みながら、拙い言い方ではあるが、落ちこぼれダメ人間として内省される岡崎氏への共感の軸をどう受け止めるべきかということである。本書は、「死刑囚・小林竜司との対話」でありながら、著者岡崎青年の青年の彷徨と蹉跌の物語でもあり、読み方によってはかなりくどい自分語りが開陳されていく。しかもそれが死刑囚への心情への接近の手法のようにもなっている。
こうした自己意識の持ち方は、私自身にはかなり近い心性があるので、強い牽引力とそして当然といっても言いのだが、そこから離反する青春の敗残経験からの忌避感がある。私は青年ではなく、青年の心情を捨てて生きてたのだからこんな物語には共感しがたいという思いがあり、同時にそこに潜む虚偽感にも気がつき、心が痛む。読みながら、岡崎氏の状況や心情に自分の青春を重ねざるを得ないし、また彼らの交流から開示される小林被告の青年的な内面にも私の心は共感し痛むことになる。私が青年であれば、岡崎氏のように小林被告に友情を感得し、その独自な潔癖さを自分のものとして受け取って懊悩するだろう。
つまり、そこなのだ。岡崎氏のこの奇妙な接近法によって描かれるのは、潔癖な青年の持つある自罰的な自滅的な絶望なのだ。
それはある種の自殺にも見え、その構図のなかでは正義面した国家の死刑という制度が、その自殺の幇助にすら見えてくる。私の中で、ほぼ死にかけていた内面の青年が語り出す、そうやっておまえだって精神的に自殺してきたじゃないか、正義に荷担して殺すというのが国家というものではないか、と。
もうひとつは、端的なところ、私はだまされているのではないかという疑念である。よろしい、小林被告も著者岡崎氏も純粋な人間である。罪は罪だが状況にあっては誰も犯しうるものだと私は心情的に納得しそうになる。そうなのか? 世界の光は本当にそのように照らされているのか? 端的に言えば、小林被告は死刑を言い渡されたから小猫になったが、事件を顧みればわかるように、そして千葉勝美最高裁裁判長が言うように、いくら改悛しても、犯した罪は残虐極まりない。単純に死刑が相当というだけの話ではないのか。
どのような事件だったのか。
本書では事件をなんども多面的に描くのだが、その核心は微妙に読み取りづらい。それはこの事件そのものが持つ奇妙さにもよっている。
発端は青春にありがちな痴情と暴力である。A男の彼女が、別のB男とメールのやりとりをしていた。A男は、彼女を取られたとB男を憎み、とっちめようと仲間で暴行を加えた。よくある話である。この事件の発端では、この暴行に恐喝が加わった。カネを出さないと暴力団によって海に沈めるか山に埋めるというのである。
B男こと徳満への暴行・恐喝に、徳満の友人である佐藤も巻き込まれた。そのことが、小林被告がこの事件に関与するきっかけとなった。
困惑した佐藤は、友人の廣畑に電話をかけ、廣畑はこの話を、佐藤の親友である小林に伝えた。小林は当初暴力団が背後にある事件に関わることはできないと、佐藤に対して警察に被害届を出すように説得し、佐藤も警察に被害届を出した。ここで大人が入って終われば、陳腐な痛い青春の物語であった。
だが、廣畑は報復を考えた。カネを払うと見せかけて、A男に仕返しをしてやれということである。これに小林も加わることになり、おびき出してA男に暴行を加え、埋めた。その後さらに暴力団とつながりがあるとみられたA男の友人C男も埋めて殺した。裁判の結果からすると、小林主導の殺害事件となった。
事件の人間関係の読み取りを私は間違えているかもしれないが、いずれにせよ、小林は親友の危機にのめり込んでいったことは確かで、その心情と犯行を、著者岡崎氏は突き詰めようとしている。
だが、そこは私には率直に言って、本書が十分な説明になっているとは言い難い。なぜ、小林被告が犯行の主導であったかは別としても殺害に関与しているのは確かで、その犯罪は犯罪として、現行の法では死刑は相当なのではないか。そこの判断がもうひとつのせめぎあいになるところだ。
小林がどのように主導したかは、もちろん裁判のプロセスとしては描かれている。しかし、本書を読むとわかるが、小林はそれを是認しているわけではない。殺人をしたのは事実なのだからその罪をすべて引き受けて死ぬというだけの態度である。本書を読むことで、逆になぜこの小林被告がこの陰惨な事件を引き起こしたのか、その内面の核は理解しづらくなる。
本書は最後に、この事件が3年ほど遅れ、裁判員裁判であれば、小林被告が死刑ではなく、無期懲役の判決ではなかったかと問いけている。
その問いかけについてであれば、私には疑問はない。私が裁判員であれば小林被告に死刑を求めない。私が死刑廃止論者になったからではない。この判決を私は間違っていると思う。どこが間違っているのか。主犯の認定を含め十分な審議がなされず、死刑という名目で、青年特有の、ある種の絶望からくる自殺を幇助したような形になっているのは、大人として間違いだと思うからだ。
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コメント
私はこの本読んでませんが、事件は新聞で読みました。警察の取り調べとか、裁判手続き、刑務所での扱いで、極悪人は驚くほど豹変しますので(外に出たら元に戻ります)、人生経験のない弁護士などがころっとひっかかって、理想論に走るのはわからないでもないです。しかし悪は悪であり、決して矯正することができない、というのが、多少なりこういう仕事に関わった私の結論です。であるならば、自分のやったことの責任を死という形で取る、という最後の尊厳くらい認めてあげるべきではありませんか?刑務所で漫然と死ぬまで飼い殺しにするのは、こういった理想論者の気持ちを満足させることはあっても、加害者や被害者の気持ちを癒すことはできないと思います。
投稿: toku | 2011.03.26 00:06
著者岡田氏。。。?
投稿: | 2011.03.26 18:28
難しいですねぇ。
最近の、秋葉原殺傷事件の死刑判決は、どことなく、「こういうご時世だから、悪い奴は見せしめにどんどん死刑」と言う、なんか乱世のやつあたりみたいなものを、感じずにはいられませんでしたが。
これはこれで、またちょっと問題が違うと言うか・・・。私も、例えば佐木隆三の「復讐するは我にあり」を読んで、カタルシスを覚えるところはあるので、この「友情」の話もある程度分かるけれども、それと「死刑」制度との繋がりは、難しいところだと思います。
個人的には、「死刑」制度が廃止されないまま、「死刑執行」を殆どしない、というのが、死刑囚にとってはむしろ、一番厳しい状態だと思うのですが、どうかな。
投稿: ジュリア | 2011.03.26 19:10
著者名の誤記、訂正しました。ご指摘ありがとうございました。
投稿: finalvent | 2011.03.26 20:28
死刑相当の一言に限りなし。
投稿: トム | 2011.12.07 16:03
1年近く前の記事にコメントするのはちょっと気が引けますがお許し下さい。
私は死刑賛成派でこの本は読んでいませんが、この事件での死刑判決は重いのでは・・・と感じます。
仮にこの事件が裁判員裁判で裁かれ、私が裁判員ならば無期懲役が妥当だと思うでしょう。
人を二人殺すという事が如何に残酷な事かは理解しているつもりですが、小林竜司死刑囚の根底に有ったのは未熟な正義感と言うか・・・任侠の様な心情による行き過ぎた義憤・・というものが有ったのではないか、と思うのです。
犯行のみを見れば死刑相当と言われてもおかしくないかも知れませんが、事件の背景、母親に対する述懐等を鑑みるに、更生の余地有りと強く感じます。
・・今気づいたのですが・・・トラックバックの下の方にあるブログと締めくくり方が似ていますが・・・小林竜司死刑囚は死刑を受け入れているのですか?
彼の母親が生きてる限り、そう簡単に死を受け入れたがるとは思えませんが・・・。
投稿: 九狼 | 2012.02.28 04:20
この事件は殺された学生が暴力団的な手法で金銭支払を要求しており、暴力団に対する抵抗ともとれます。暴力団に対しては暴力をもって自衛したいという気持ちがエスカレートした結果の生き埋めであったわけですが、こうした暴力団的抗争は学生版であっても喧嘩両成敗として裁判するのが妥当で、完全に無抵抗な市民を突然に殺したなら死刑でかまいませんが、話の経緯からしてこれは殺される側にも相当の暴力的行為もみられ、時期が異なれば逆も有得たような内容から、小林君の死刑は単純判決で納得するには無理があります。
検察官の調書偽造の重大犯罪でも執行猶予にする時代にあって、このやくざ喧嘩の顛末は、せいぜい懲役五年くらいに済ませてやるべき事件であると思います。
投稿: 迫川住人 | 2012.03.31 06:51
死刑はおかしいと思います。竜司を死刑にすらなら、廣畑と佐藤も同罪と思います。竜司に罪を擦りつけすぎでわないか…
投稿: ? | 2012.04.20 22:32
法廷に感情は持ち込まない。
もちろん個々で感情は様々だが、被害者にも感情がある。
法律家を目指す若者の思想がこんなものなのかと思い絶望した。友達の青春ドラマを描いているのではない。
国の司法が死刑相当と判断し死刑の判決を下したんだから、素直に従うべきだと思う。上告なんてもってのほかだ。
投稿: サバ | 2012.09.11 19:09
私は小林君と同じ職場にいた者です。彼が突然出社しなくなり、後日事件を知りました。小林君との出会いは、彼が初出勤の日にたまたま迷子になっていたので事務所まで連れて行ってあげたのが最初です。その後は部署が違うため会話をする事は殆どありませんでしたが、通りすがりに彼を見ていたのを覚えています。職場では、彼を良く知る近所の方もいましたが、皆が口を揃えてビックリしていたのを覚えています。きっと殺らなければ殺られるという深層心理と極度の興奮状態から引き起こしてしまった事件であり、彼の心の中の後悔と言う念は、計り知れないと感じます。これからも影ながら応援したい気持ちでいっぱいです。
投稿: こうじ | 2013.03.31 12:15
一番最初の処理の仕方がまずいです。恐喝や暴行が有るわけですから警察に被害届を出して、言いなりにならず約束に従う事などなかったのです。小林氏が一番貧乏くじを引いた感じですね。一人は府立大学らしいですが何を勉強したのかと思います。正義感や義侠心から出過ぎた行動を取った小林氏ですが、女も悪いですね。二人の男を天秤に掛けてますし、わざわざメールの内容まで言わずに一人で考えればいいのです。暴力団を脅し文句に使う人も中にはいるでしょうから、警察に被害届を出し然るべき判断を仰げば良かったです。
投稿: まこと | 2013.04.23 02:21
以前、小林くんと働いたことがある者です。
多少粗い性格は見えたことはありますが、それは一般的なものであり、お世話になった方への敬意、感謝は忘れることなく、礼儀正しい青年だった姿を思い出します。
法律に道徳が通用しないことは理解できますが、ただただ友達を助けるという、犯罪を楽しむということではく、強い友情が生んだ悲劇だと思っています。
語弊のある書き方をあえてしますが、小林くんは、悪くない。
本当に悪いのは、発端を起こした者たち。
投稿: T | 2013.07.13 23:32
Tさん、こんな陰惨な連続殺人犯人を悪くないとか・・・あなたは然るべき医師に診ていただく事をおすすめ致します。
投稿: あさた | 2013.08.22 00:12
この事件の裁判を傍聴していて佐藤、徳満の証人として小林君が出廷してましたが逮捕時の面影はなく頭を丸めやせ細ってました。当時小林君だけが一審で死刑判決が出されてましたが、礼儀正しい好青年に見えました。20歳か21歳で更生の余地はあるように感じました。
投稿: | 2013.10.03 04:19
この事件は被害者と加害者が逆になっていた可能性もある事件です。
たしかに小林容疑者等はやりすぎましたが死刑はないなぁと思う事件です。
元々は被害者側が加害者であり(暴行、監禁、恐喝)結局、殺されたのも自業自得にしか思えません。
投稿: ようすけ | 2014.01.19 16:03
私は死刑が妥当だとおもいます。
裁判を傍聴した方ならわかると思いますが人間の所業とは思えない壮絶残忍なリンチ。
今でいうイスラム国の拷問のようなリンチですよ、首は切りませんが。
それに加えて計画的犯行
投稿: 牧野正幸 | 2015.09.05 06:12