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2011.02.12

エジプト争乱、後半戦について

 物事は入り口と出口だけ見るとすっきりわかることがある。エジプト争乱について、統治形態(regime)という点から入り口を見ると、曲がりなりにも、統治には行政府が存在していた。では、出口は、というと行政府は消えて、軍の最高評議会が現れた。
 エジプト争乱の過程では、行政府が消え、軍が国家を掌握した。この入り口と出口から事態を定義するなら、普通は、軍によるクーデターとなる。
 革命なら、入り口に独裁政権があり、出口に議会(人民会議)がある。この事態は、してみると、革命とは言い難い。
 あるいは、軍政はごく一時的なものであり、市民から選出された代議員による議会が主導し、国民の意思で大統領選出させて行政府が立ち上がるなら、それは民主化革命と呼ぶにふさわしい。どうなるのか。
 12日5時のNHKニュース「大統領権限 軍の最高評議会に」(参照)はこう伝えている。


エジプトでは11日夜(日本時間の12日未明)、スレイマン副大統領が国営テレビで声明を発表し、「国内の厳しい状況を受け、ムバラク大統領は退くことを決断した」と述べ、ムバラク大統領が辞任し、大統領の権限が軍の最高評議会に移譲されたことを明らかにしました。これを受けて、軍の報道官が声明を発表し、権限の移譲は、あくまで一時的なもので、新しい体制づくりに向けた対応は決まりしだい発表するとしています。

 大統領権限が軍の最高評議会に移譲された。行政について見るなら、クーデターと呼ぶ以外にこの移譲にどういう正統性があるのかわからない。
 軍最高評議会議長は、75歳のムハンマド・フセイン・タンタウィ(Muhammad Hussein Tantawi)国防・軍需生産相で、またもムバラク氏の盟友である(参照)。
 NHKニュースでは、この権限の移譲は一時的なものであるとのこと。ならば、これから民主化の希望がないわけではないことになる。その希望があるだろうか。
 私は残念ながらないと思う。
 今回の争乱も最初に想定したとおり、見事に軍の主導でチキンゲームが続いただけだったからだ(参照参照)。
 軍のもくろみは3つあった。(1)ムバラク元大統領の息子ガマル氏に行政権力を継承させないこと、(2)82歳にもなったムバラクを引退させること、(3)軍がムバラク政権と心中せず国民からの正統性を受けて存続すること。
 見事、3点、クリアした。
 そこには、軍の意志が存在し、軍が国家の暴力装置に収まる、つまり行政権力の配下に従属し、自身では暴力が発動できなくなる、という近代国家の仕組みも意図も、まったく存在してはいない。ここからどうして民主化が出てくるのか、私にはそこがわからない。
 もちろん、ムバラク政権時代よりも民主化は進む。先年末にワシントンポストが懸念したような弾圧は減るのではないだろうか(参照)。むしろ、あの弾圧の主体が、そのままムバラク氏に集約される権力だったのだろうか。
 エジプトには45万人ほどの軍、つまり正規軍とは別に、内務省管轄の中央保安軍(Central Security Forces)(参照)が35万人存在している。日本の機動隊に相当すると言ってもいいだろう。警察機構を支援する点で警察機構に近い。その他の暴力組織も軍とは別に存在している。
 結果論からするとはっきりするが、ムバラク政権下の暴力発動の主体は正規の軍指揮系によるのではなく、軍以外の暴力組織が担っていた。つまり、軍とは分離されていたのではないか。
 この点を過去に遡及し、以前から存在する非軍部の暴力を再考すると、それがムバラク氏の直接的な権力に由来していたかも疑われる。もちろん、そこまでは私はわからない。私の推測だが、それほど一致はしていなかったのではないだろうか。
 争乱の比較的初期の時点でムバラク氏は辞任を表明しており、軍との調整も進んでいた。おそらく軍と深い関係をもつ米側とも協調し、なだらかな引退の路線はすでに敷かれていたのだろう。
 むしろ軍が緩和なクーデターを画策しなければならなかったのは、この非軍的な暴力組織の存在であり、構図からすれば、ガマル氏の勢力に由来していたのではないだろうか。ここは十分には読み切れないところだが、ムバラク氏とガマル氏は親子ではあるが、王朝の継承というより、ガマル系列の独自の権力構造が軍から問題視されていのではないかと私は推測する。
 争乱の経緯も軍のシナリオどおりに進んだ。実質、先週の4日金曜日を越えた時点で民主化運動は終わっていたとも言える。2日付けフォーリンポリシー寄稿「Game over: The chance for democracy in Egypt is lost」(参照)もいち早く、その構図を打ち出していた。とはいえ、同寄稿ほどに私はムバラク氏側にそれほどの知略があったはとも思えないが。
 いずれにせよ、軍とオバマ米政権による枠組みはこの時点であらかた収束しており、実際には米側ではムバラク辞任でガス抜きをしなければどうしようもないだろうというシナリオまでいちおう用意されていたのだろう。
 この部分、つまり後半戦の推移をどう読むかは、微妙なところだ。
 4日金曜日後、運動は沈静化に向かい、カイロ市民生活も復帰したところで、8日ひょっこりと、それまで10日間も行方不明だった米検索大手グーグルの幹部ワエル・ゴニム(Wael Ghonim)氏が拘束を解かれ、民主化の英雄として名乗り出て、運動を盛り上げ、今回の12日の金曜日への熱気を主導した。
 できすぎていると言えば陰謀論臭くなるが、なぜこの時期に拘束が解かれたのかその背景の思惑は存在していると見てよく、おそらく軍側の是認があり、であれば軍と組んだ米側の要請もあるだろう。そう推測することはごく普通の推論の範囲であるように思われる。
 ゴニム氏に関連する米側の関わりだが、陰謀論は採りたくない。だが今回の争乱を主導した「4月6日運動」に米国と深い関わりがあることは、ウィキリークスが暴露している。暴露公電は2008年12月30日、「Viewing cable 08CAIRO2572, APRIL 6 ACTIVIST ON HIS U.S. VISIT AND REGIME」(参照)である。

¶1. (C) Summary and comment: On December 23, April 6 activist XXXXXXXXXXXX expressed satisfaction with his participation in the December 3-5 "Alliance of Youth Movements Summit," and with his subsequent meetings with USG officials, on Capitol Hill, and with think tanks. He described how State Security (SSIS) detained him at the Cairo airport upon his return and confiscated his notes for his summit presentation calling for democratic change in Egypt, and his schedule for his Congressional meetings. XXXXXXXXXXXX contended that the GOE will never undertake significant reform, and therefore, Egyptians need to replace the current regime with a parliamentary democracy. He alleged that several opposition parties and movements have accepted an unwritten plan for democratic transition by 2011; we are doubtful of this claim. XXXXXXXXXXXX said that although SSIS recently released two April 6 activists, it also arrested three additional group members. We have pressed the MFA for the release of these April 6 activists. April 6's stated goal of replacing the current regime with a parliamentary democracy prior to the 2011 presidential elections is highly unrealistic, and is not supported by the mainstream opposition. End summary and comment.

要約とコメント:「4月6日運動」の活動家であるXXXXXXXXXXXX氏は、12月3日-5日の「青年運動サミット同盟」に参加し、加えてシンクタンクを伴う米国連邦議会開催の米国政府役員と会合に満足したことを12月23日に表現した。彼は、国家治安調査局が帰国時に、彼をカイロ空港で拘束したようす、またサミットで実施した、エジプトにおける民主化変革の要望についてのプレゼンテーション・メモと議会会合のスケジュールを没収したようすについて記述した。XXXXXXXXXXXX氏は、エジプト政府はけして重要な変革を受け入れないし、よってエジプト国民は現体制を議会制民主主義に置き換える必要があると主張した。彼は、いくつかの野党と運動団体が2011年までに民主主義への移行についての書かれざる計画を受け入れたと主張した。私たちはこの主張を疑っている。XXXXXXXXXXXX氏によれば、国家治安調査局は最近2人の「4月6日運動」の活動家を解放したが、さらに3人のグループ活動家を追加で逮捕したとのことだ。私たちは、「4月6日運動」の活動家の解放をエジプト外務省に催促した。2011年の大統領選挙に先がけて現政権を議会制民主主義と入れ替えるという、「4月6日運動」の活動家らが語る目標は非常に非現実的なため、主流の反対党派には支持されていない。
要約とコメントを終える。


 今回の争乱は「4月6日運動」が起爆したもので、ウィキリークスが暴露するように、「4月6日運動」は米国政府と関連を持っている。そこまでは明らかだが、今回の争乱が米国主導であったとまでは言い難い。
 ウィキリークスが明らかにしているように、「4月6日運動」については、エジプトの他の反体制運動からは、その急進性とおそらく民主主義志向において孤立しているようすが窺える。しかし逆に、今回の争乱の成功は、ムスリム同胞団など旧来の反政府活動家を出し抜く形で実施された点は注目される。
 ゴニム氏が盛り上げた後半戦に米国がどのように関わっていたかは現状ではわからないが、ウィキリークスが明らかにするように過去の経緯から、米国との連携は取っていたと見てもよいだろうし、ウィキリークス暴露にはエジプト外務省に活動家解放を促す記述もあり、ここからゴニム氏の解放と米政府の関連もそれほど無理な推論なく暗示させる。
 では私の推測を言おう。
 今回のエジプト争乱の、4日金曜日以降の後半戦の隠された主題は、「4月6日運動」のような親米的な活動家が運動のグリップを握ることで、ムスリム同胞団など旧来の反政府活動を相対化させる点にあったのではないだろうか。つまり、後半戦は民主化の運動というより、今後のエジプトのレジームへの水路付けだったのではないか。それを念頭に今回の件のオバマ大統領の声明(参照参照)を読むと興味深いだろう。
 加えて、事態が再度緊迫すれば、集会者に惨事を惹起させることで革命のエネルギーとすることは革命家なら誰でも思いつく常套手段であり、それが実施される寸前でガス抜きされなければなかった。つまり、見事なガス抜きでもあった。
 エジプト軍部の内部は米国との関連があるのは旧知のことであり、「4月6日運動」運動もウィキリークスが暴露したように親米的な民主化運動であるなら、当面のエジプトの動向は、いずれにせよ、イラン革命といった道とは違う方向に向かうだろう。

追記
 この12日のエントリだが、その後の報道によれば、どうやらほぼこの時点で私が推測した通りの事態が展開されていた。15日付け毎日新聞記事「エジプト:「辞任か追放」 軍、ムバラク氏に迫る--10日演説後」(参照)より。


 【ワシントン草野和彦】エジプトのムバラク前大統領が今月10日に「即時辞任拒否」の演説をした後、一転してカイロを追われ辞任する事態になったのは、エジプト国軍が「辞任か追放」という二者択一の最後通告を突きつけた結果だったことが、米紙ワシントン・ポストの報道で分かった。
 同紙によると、反政府デモの高まりの中、エジプト国軍とムバラク政権指導部の間では先週半ばまでに、ムバラク氏が何らかの形で権限移譲をすることで合意していた。オバマ米政権も10日までに、国軍から「辞任か権限移譲」の二つのシナリオを聞いていたという。
 ところが、ムバラク氏は現地時間10日夜の国民向けテレビ演説で、スレイマン副大統領への「権限の一部移譲」を発表しただけで、即時辞任を拒否し、側近さえも驚いた。演説の数時間後、軍部は「辞任か追放」を迫り、ムバラク氏はカイロ脱出という不名誉な結末を迎えた。この演説は、ムバラク氏の去就を巡って揺れ続けたオバマ政権にとっても決定的で、政権高官によると「米国を間違いなくエジプト国民の側に付かせた」という。
 一方、AP通信によると、演説は当初、ムバラク氏の即時辞任を表明する内容だったが、一時は後継者とみられていた次男のガマル氏が、直前に原稿を書き換えたという。家族や一部側近は、まだ辞任しなくても大丈夫と判断していたらしい。

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» エジプト騒動の総括、クーデターをお考えの自衛隊幹部に告ぐ [YS Journal アメリカからの雑感]
騒動なのか、争乱なのか、動乱なのか、適当な言葉が無いが、ムバラクが辞任した事だし、分からないとは言いったものの、この辺で総括しておこう。 私も、結果を見れば、今回の騒ぎは、エジプト軍によるクーデターと考えるのが、一番自然だと思う。 『エジプト暴動で分か...... [続きを読む]

受信: 2011.02.13 12:27

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