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2011.01.08

[書評]英語流の説得力をもつ日本語文章の書き方(三浦順治)

 書名の「英語流の説得力をもつ日本語文章の書き方」だけ見ると多少奇妙な印象を受ける。英語なら説得力があり日本にはないのか、と思うかもしれない。そうではない。英米人が普通高校や大学で学ぶ、いわゆるテーマライティングの教科書であり、作文技術の本である。

cover
英語流の説得力をもつ
日本語文章の書き方
三浦順治
 名著「理科系の作文技術 (木下是雄)」(参照)をより体系的にした実践書とも言える。欧米人はこうした作文技術を学んで文章を書くから英語流の説得術が生まれる。それを日本語でも可能にするための教本が本書である。
 作文技術についてはほぼ決定的な書籍であるとも言ってよいだろう。日本の高校生や大学生、そしてできれば社会人も読んでおくとよいが、演習問題も付いたいわゆる教科書的な書籍なので、趣味で文章読本を読むという趣向には合わない。
 このジャンルの書籍としてはこのブログで昨年秋、「日本語作文術 (中公新書:野内良三)」(参照)を扱った。野内氏も仏文学者であったが、本書の著者三浦氏も英語学(英語教育)が専門であり、学問的に日本語を扱うプロパーではないが、むしろそうした言語差を意識できる人のほうがこうした分野にふさわしいのかもしれない。本書は、作文技術を包括的に扱うとともに、ふんだんに鏤められたコラムに顕著だが、日本語と英語の言語的な差違や言語慣習についての話も興味深い。書き言葉としての日本語を著者が深く検討しているため、ただ英語の作文の教科書を日本語にしたというものではない。
 しかし内容は概ね、欧米の作文の教科書に近いことは章目次からもわかるだろう。

第1章 これから必要な文章とは(心情的・情緒的書き方から論理的書き方へ;日本語と国際性を考える)
第2章 文(センテンス)を書く( 文(センテンス)の長さ
文の型 ほか)
第3章 段階(パラグラフ)を書く(段階(パラグラフ)
段階の中心である話題文(トピックセンテンス) ほか)
第4章 文章を書く(説得力をもつ文章の型;文章を書いてみよう)

 私も大学生のとき、"Writing As a Thinking Process(ary S. Lawrence)"(参照)を教科書にしたが、本書も欧米の作文教科書といった構成である。なお、こちらの英書だが初版が1996年となっており、そんなはずはないなと思って調べてみると、1975年版がある(参照)。定評のある教科書でもあるだろうし、内容も変わっているだろう。興味のある人にはお薦めしたい。他に、"The Elements of Style"(参照)も定番ではあるがこちらはあまりお薦めしない。内容が古く、現代に適さない。
 本書は作文技術の決定版ではないかと思うが、この分野の書籍をそれなりに読んだ人にとってはそれほどハッとさせられる斬新な見解はないかもしれない。ああ、それは知っているなという事柄は多い。ただ、そうした既知のノウハウをきちんと開陳した点は本書のメリットである。徹底性まではないものの、俗流の文章技術のノウハウ、例えば「短い文章がよい文章だ」といった話は、実証的に廃棄されている。単文がよい文章だと思っている人は稚拙な文章しか書けない。この点、本書では文章の長さは7±2の文節長がよいしているのは、なるほどと思える。
 点の打ち方についても、妥当な議論をしたのち小規模ながら実証的に考察し、結果、シンプルな指針として、5文節書いたら点を打ち、3点があれば丸とせよとしている。これも存外に現実的である。
 本来なら、こうした統計調査の研究がもっと進むと良いのだが、どうしても文章の書き方というのは名人芸のような要素が多分にあって難しい。本書は、そうではない部分をできるだけ体系的にしたということでもある。名人芸的な要素を必要とするいわゆるコラムやブログのエントリー向きの文章技術は、また別の領域ないし文学者の趣味の分野になるだろう。
 本書自身は明晰な意識で書かれているが、それでも隔靴掻痒感があった。アウトライン構成の技術が最終部分に置かれていることである。パラグラフ(段落)とトピック・センテンス(主題文)の関係を説明しないとアウトライン(目次構成)が説明できないというのもあるのかもしれないが、ある程度の量をもったテーマライティングの場合、手順としては、アウトラインが先行し、それをトピック・センテンスとしてリストし、さらにサポートの文章を枝分かれにする。そう、マインドマップ的な思考が先行するのだが、その部分の具体的な技術が詳細には描かれていない。
 また、文章技術の書籍であるから、文章で何を描くかについてどこまで扱うかは容易な問題ではないことはわかるが、そこにも微妙な論点がある。端的に言って、文章の良さについて、「説得力」あるいは「論理性」の他に、どうしても、「どうすれば文章は面白くなるのか」という議論に立ち入らざるをえない。この技術は修辞学と言ってしまえばそれまででもあるが、その扱いが難しい。本書も暗黙裏にその分野を扱い、多少混乱している印象がある。
 文章を書くというのは、結局のところ誰かに読んで貰うための営為であり、文章の良さが他の要素に先行してしまう面が大きい。しかも、それを決めるのは、実際に書き出すまでのプロセスよりもその前段である。ネタとヒネリとアウトラインでほぼ決まる。ネタさえ良ければ読まれる。ヒネリだけで芸にしているライターもいる。アウトラインはいわば舞台装置のようなものだ。
 と、持論を展開したくなるところが文章技術の罠でもあるだろう。その意味で、よい罠をしかけた本書には、表層からわかりづらい、官能的とも言える魅力もある。


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