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2011.01.18

チュニジアの暴動からベンアリ独裁の終わり

 チュニジアの、それを革命という人もいるし「ジャスミン革命」と呼ぶ人もいるが、暴動のきっかけは2010年12月17日、中部の町、シディブジド(Sidi Bouzid)で、大学は出たものの職はなく路上で野菜を売って家の生計を立てていた26歳の青年モハメド・ボアジジの焼身自殺の試みだった。国民の人口の42%が25歳以下のチュニジアでは、モハメド青年は象徴的な若者の、絶望のモデルにも見られた。話題になりやすい条件はあった。
 モハメドの父は彼が3歳のときに死んだ。そのころベンアリ大統領(当時)の独裁が始まった。モハメドの短い一生は、他の青年同様、その独裁政権以外を知らない。彼は10歳には学校から帰ると路上での販売をした。26歳、1週間の売上げは6000円。それも無免許販売を理由に警察は商品を没収した。彼は1万6000円ほど借金をし、また商売を始めようと地域の役所に懇願に行ったが空しく、女の役人に侮蔑的に顔を叩かれたらしい(参照)。その役所の前でシンナーを被り自身に火を放った。
 死んだのは年明けて1月4日。5日付けのBBC(参照)によれば、ベンアリ大統領(当時)はモハメドが死ぬ前にお見舞いに行っている。理由はすでに年末に、その焼身自殺の試みの話題が社会暴動の引き金を引いてたからだ。12月24日には、シディブジド近郊で警察がデモ参加者に発砲し初の死者を出していた
 モハメドの死以降、暴動はさらに広がり、10日までの警察との衝突で少なくとも21人の死者が出た。フランス外相は鎮圧部隊の派遣声明を出したが、実質的な動きはなかった。
 11日からは学生主導のデモが国内に広がり、高校や大学は閉鎖された。ベンアリ大統領(当時)は暴動をテロリストの仕業と非難。かくして国際的な話題となった。フィナンシャルタイムズ社説「Death in Tunisia」(参照)が出たのは1月11日だった。が、それほど深刻な印象を与えるトーンはなかった。チュニジアではベンアリ大統領(当時)の独裁を緩和し経済発展が望まれるといった感じである。


Political change should accompany economic reform. Opening up is always a precarious exercise for an autocratic regime. That is no excuse for repression. Tunisia’s citizens should be allowed to demonstrate peacefully. Schools and universities must reopen and Mr Ben Ali should talk to students. Suppressing discontent by blocking social networking sites and Twitter accounts will only foment fury.

経済改革には政治改革を伴うべきだ。社会を開放することは常に独裁政権には不安なものである。弾圧を認める理由はない。チュニジアの市民は平和裏にデモを行うことができる。高校や大学は再開されねばならず、ベンアリ氏は学生たちと対話しなければならない。弾圧のためにSNS(ソーシャルネットワーキングサイト)やツイッターのアカウントを切断することは、憤激を増長するだけだろう。


 それはそうだ。1000万人ほどの人口のチュニジアには350万人もネットユーザーがいるし、160万人がフェイスブックに登録している。比率で見るなら、日本より実名SNSな社会である。モハメドの焼身自殺の話題もフェースブックを通じて広まったものだった(参照)。
 私はこのフィナンシャルタイムズ社説を読みながら、威圧的な社会だが西欧的な文化水準を持ち、しかも一定の経済発展を遂げ、若者世代が多いと学生あたりから騒ぐもんだよなと思い、私の上の世代の青春の暴動を連想した。フィナンシャルタイムズ社説の暢気なトーンのように、政変にまで至ることはないだろうとも思っていた。ただベンアリ大統領(当時)が後継者を持っていないことは、れいのウィキリークス公電(参照)ではないが、気にはなっていた。
 12日になると大統領側も硬軟使い分けるかのように、拘束したデモ参加者の釈放発表し、翌日は次回大統領選挙には出馬しないとも表明した。が、その翌日14日、首都の5000人ほどのデモに屈して政権は崩壊し、大統領はサウジアラビアに亡命した。モハメド・ガンヌーシ首相が大統領代行となった。
 展開は意外に早かったが、私の関心はというと、軍の動きだった。暴動の最終を決めるのは軍だということを、私は日本の隣国からも学んでいる。暢気な国に暮らしていると隣国から学ぶことは多い。
 16日夜、チュニス郊外の大統領府周辺でベンアリ元大統領の民兵と治安部隊の銃撃戦があったが、軍は動かない。衆議院議長であった78歳のメバザア氏が暫定大統領となり、ガンヌーシ首相に新組閣を命じた。つまり独裁者だけ放り出してほぼ終わった。新組閣は与野党の連立のようになるのだろう。
 死者も出す大きな暴動であったが、独裁政権下における政権交代だったと言えないこともなく、革命というほどのことはないのではないか、ネットを使った、学生中心とした民衆への煽り方はスペイン列車爆破事件をきっかけとした左派政権転換と似ているのではないか、という印象を私は持った。
 この間、旧宗主国であったフランスも、他の旧アフリカ植民地へならやるちょっかいやフランス国民保護といった動きもなく、暴動で死者が出ても実質だんまりを決め込んでいたのも顧みると、経過を読んでいたということだろう。いや、フランスは実はキープレーヤーだった。暴動鎮圧の声明を出しながらなんにもしないことが、ベンアリ大統領(当時)に引導を渡したのだろう。フランスが頼りにならないなら亡命しかないという諦めではなかったか。
 と、その線で見るならチュニジアの野党側とフランス政府はそれなりの連携もあったのかもしれない。が、あったとしても特段の陰謀論というほどのことでもないし、今回の暴動にはこれといった陰謀論的な影も見えない。それでもしいてこの一連の暴動で利益を得たのは誰かとつい考えれば、米国であろう。これは弾圧を繰り返し不安定な社会を維持するエジプト政権への威嚇になるだろうから。しかし、そのスジでの動きだったわけでもないだろう。
 今回のチュニジアの暴動で、中東の民主化要求が深まると読む人たちもいる。今朝の日経新聞社説「何がチュニジア政変を導いた 」(参照)はそんな印象を受ける。

 情報通信革命を追い風に独裁政権を倒し民主化への道を開く――。この国を象徴する花になぞらえ「ジャスミン革命」と呼ばれ始めた政変は、同様な問題を抱える他の国々の政権への重要な警告になる。
 新たに発足する政権は、混乱長期化や過激派の台頭を防ぎつつ民主化を着実に進めるべきだ。他のアラブ諸国でも反政府デモが広がる兆しがあり、情勢流動化への警戒も必要だが、広範な政治改革の契機になるならジャスミン革命の意味は大きい。

 だとさ。
 朝日新聞社説「チュニジア政変―強権支配、市民が倒した」(参照)はというと、なかなか独自のユーアに満ちていた。

 チュニジア政変の教訓は、長年、この国の体制を支えてきた欧米、日本にも反省を迫っている。
 日本政府は80年代から定期的に二国間の合同委員会を開催し、経済協力などを協議してきた。友好国として、人権や民主化について賢い忠告をすることはできなかったのだろうか。
 強権体制は、中東・北アフリカ諸国に広がり、さらには世界中にある。
 今回の政変ではデモに参加した市民がインターネットで情報を交換して、大きなうねりが生まれたとされる。
 反政府勢力や指導者を権力で排除して政治を思い通りにできた時代は、終わりが見えてきた。大衆を侮らない政治が求められている。

 それ以前に朝日新聞には他のアフリカ諸国の惨状に目を向けてもらいものだがとつい思うが、他紙も見るに、毎日新聞社説「チュニジア情勢 中東の変化、見守りたい」(参照)はウィキリークスの米公電のような不安も伝えていた。

 だが、中東での民主化はしばしばイスラム原理主義への揺り返しを生む。90年代に自由選挙を行った隣国アルジェリアでは原理主義政党が圧勝し、選挙結果が取り消されたため流血の混乱が続いた。チュニジアにも原理主義勢力「アンナハダ」が根を張っており、選挙を通じてイスラム色が強まる可能性もある。新政権がどんな政策を打ち出すか、情勢を注意深く見守りたい。

 それはないだろう。16日付けのフィナンシャルタイムズ社説「The Jasmine Revolution」(参照)も指摘していたが、チュニジアは欧州文化の影響力が強い。スンニ派の多い点ではトルコと似ているが、トルコのように深刻な国内問題を抱えているわけではない。ぬるい混乱と経済低迷が続くくらいなものではないか。そして、今回の暴動の影響もさして他の中東諸国に広がるというものではないだろう。というか、不安定というならレバノンがなあ。


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コメント

新聞各紙の大上段に構えた、世界民主化への見通しというのは確かに繊細さを欠いており、皮肉の一つも言いたくなりますね。

ただ、マグレブ地域では市民の焼身自殺という極端な示威行為が連鎖しているようで、各国政府が他人事のような顔押して済ますわけにもいかなくなっているようです。

うっときたのがこのニュース。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110117/mds1101171017004-n1.htm

論点ずれるかもしれませんが、
finalventさんの世代の方々は、かつてこの国で、上のような最終的な倫理観を問われ試されるような局面を、見てこられたのかもしれません。

それがすなわち革命的な状況なのかなと思いました。

その結果が吉と出(る)たか、凶と出(る)たかはともかくとして。

投稿: ampn | 2011.01.19 23:22

「普通」に1リットルお茶にストロー差して飲みますよ。
安月給でブラックな会社で良く見かける光景です。

投稿: ぶひこ | 2011.01.28 12:10

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