エジプト暴動は軍部のチキンゲーム
チュニジアの暴動から飛び火したかに見えるエジプトの暴動だが、これはおそらく、民主化とはあまり関係のない軍部のチキンゲームだろうし、緩和なクーデターと言ってもよいだろう。
エジプトの暴動で、近年の事態ですぐに連想されるのは、2008年のそれである。食糧高騰によって政府公営販売所の食品販売価格と市場価格の乖離が起こり、民衆が公営販売所に殺到して、暴動となった。死者は10人以上も出た。
同年はムバラク大統領が80歳になる記念の年でもあり、とりあえずの反体制派が中心となり、大統領の誕生日にストライキを計画した。このおりも、インターネットが活用されものだった。もっともエジプトでは強権政治が続き、かつチュニジアのように中産階級が厚くないことから、反政府勢力は運動の核とはなりえない。形の上では国際原子力機関(IAEA)事務局長エルバラダイ氏が帰国し民主化を語ったが、当面の動向として彼の支持層はないに等しい。
また、当初エジプト内務省は暴動の当てこすりもあってだろうが、昨年11月の総選挙で政権と対立したムスリム同胞団に非難の矢を向けたが、ガーディアンが指摘するように「非合法」の同集団は初期段階では主要な役割はしていなかった(参照)。その後の関わりは報じられているが、原理主義への誤解も目立つ。宗教的な連携から軍内部につながりが見えれば事態を変える可能性がないわけではないが、おそらく軍政規模による合理性が優るだろう。
今回の事態も、基本的に3年前の暴動と本質的な違いはないかに見えるし、そう見れば、同じような結末を迎えるのではないかとも予想される。
米国としてはすでにクリントン長官がすでにムバラク大統領を支持を表明し、彼が順当な対応を取っていると述べているが(参照)、米国はエジプトの不安定化を望んではない。おそらくイスラエルも表面上の対立とは裏腹にムバラク体制を支持していると思われる(参照)。
背景として考えられるのは、暗黙裏に進む可能性のあるエジプトの核化の阻止に適切なダメージを与える程度で終わらせたいということだろう。また、アルカイダというとオサマ・ビンラディンがつい話題になるが、実動部隊を実質供給しているのはエジプトだとも言えるほど、エジプトの過激派勢力の潜在性は大きく、社会混乱は好ましいものではないというのも欧米の本音であろう。
今回のエジプト暴動の特徴は、報道からはあまり見えてこないが、軍の指導性だろう。ムバラク大統領の独裁を象徴する息子ガマル・ムバラクの大統領世襲問題は国民から大きな反感を買い、すでにロンドンに逃亡している(参照)が、これはチュニジア大統領の亡命とは違い、もともとガマル氏の世襲を厭う軍部(参照)のシナリオだったと見てよい。さらに軍部としては、この秋に予定されている大統領選挙を早々に潰しておきたいということもあっただろう。フィナンシャルタイムズ社説「After Tunisia – the Egyptian challenge」(参照)がこう仄めかしているのがえぐい。
Egypt’s rulers must start planning now for an orderly succession to Mr Mubarak. The army may well see the need for it, and knows that even a pharaoh is ultimately the prisoner of his praetorians.エジプト指導層は秩序だった、ムバラク氏継者選出計画を開始せねばならない。軍部もその必要性をよく理解していることだろうし、ファラオですら近衛兵の囚人となったことを知っている。
しゃらっと物騒なことをフィナンシャルタイムズは言うものだなとも思うが、エジプトの軍部は米国からの支援金で実質成り立っているようなものなので、先のクリントン長官談話からしても、軍部と米国の手打ちは終了していることだろう。80歳を越え、健康に不安のあるムバラク大統領も呑んでいるに違いない。
総じて見れば、今回のエジプトの暴動は民主化の高まりやツイッターなどの情報ツール革新がもたらしたものというより、新興国にありがちな軍部のクーデターを緩和に装ったものというくらいであろう。西側諸国としては、エルバラダイ氏を育ててエジプトの核化が阻止できればさらに御の字ということだが、とりあえずの仕込みで終わるのではないか。
追記
後の資料にもなると思われるので、2月14日の時論公論 「"エジプト革命"の衝撃」(参照)を引用しておきたい。
そして、ムバラク氏に引導を渡し、その権限を引き継いだのは、エジプト軍の最高評議会、すなわち、タンタウイ国防相と陸・海・空軍のトップからなる最高意思決定政権ナンバー・ツーの副大統領ではなく、軍の最高評議会への大統領権限の移譲は、法律で定められたものではなく、いわば、超法規的な措置です。
まず、ムバラク氏によって副大統領に指名されていたスレイマン氏は、現在の肩書きがどうなっているかも不明で、次の大統領になる目はなくなったという見方が有力です。
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コメント
1989年のベルリンの壁崩壊から、1991年のソ連の崩壊は、東欧への民主化の波の拡大として、偉大な歴史的現象として捉えられました。
今回のチュニジアとエジプトの政変も、アフリカ諸国の真の民主化への記念すべき第一歩と第二歩と考える人が多い中で、final先生は、技術主導の民衆革命という解釈はとらない立場ですか。
ヨーロッパの影響の強いアフリカは、アメリカの影響の強いアジアで起きているIT主導の社会変動とは、様相は異なるだろうことはある程度推測はできますが。
投稿: enneagram | 2011.01.30 08:25