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2010.03.06

[書評]内定取消!  終わりがない就職活動日記(間宮理沙)

 昨年のこと、内定をもらっていたはずのある大学生(女性)が卒業式を一か月後に控えたある日、突然その会社から「スーツを着て来てください」と呼び出される。なんだろうと思いつつ向かうと、応接室に通され、若い役員と二人きりのいわば密室で「君はウチの会社に向いていない。どうせ鬱になって辞めるよ」「君は同期で一番レベルが低い。電話番も任せられるかどうか」「自覚がないようだから教えてあげるよ。君はクズの中のクズだ」と数時間にもわたり怒鳴りつけられる。

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内定取消!
終わりがない
就職活動日記
 理不尽というしかない状態に若い女性が突然に置かれた。そしてこの理不尽は三日で指定した資格を取れなど、その後も続いた。なぜこんな事態になったのか。彼女、つまり筆者の間宮氏は、自身に問題点があるのかと内省したが、納得できない。この状態を受け入れて内定を辞退することはできず、困惑し心身の不調にも陥った。それが本書「「内定取消!  終わりがない就職活動日記(間宮理沙)」(参照)の前半の話。
 後半は、この事態に立ち向かい、同じ境遇の仲間をインターネットで募り連携しあい、ブログにまとめ、さらに、書籍としてまとめた。同じような理不尽な境遇にある人にとっては、心理的な支えにもなるし、後半にまとめられている対応策は実際的な指針にもなるだろう。なにより、こうした社会の暗部が暴露されることで、企業側も同種のエゲツない態度を採りづらくなるという点で、社会的に意義深い書籍ともなるだろう。
 こう評してはいけないのかもしれないが、社会問題という文脈でなく、ひとりの若い女性のビルドゥングスロマンとして読んでも面白いと思った。同タイプの理不尽と限らず、社会のなかで大人になっていくときには、少なからぬ人が同じような理不尽に遭遇する。私も今思うと若い頃、似たような経験をしている。ある最終の面接で、どうも雰囲気が違い、奇妙な罵倒に合う。私は人からよく非難されて生きてきたが、私はそれをはねつけるほど強い人間ではなく、むしろ、相手の非難のなかにどれだけ客観的な合理性があるだろうか、合理的な非難であればできるだけ受け入れたほうがよいだろうという態度でいたので、その時も、相手の非難の合理性を考え込んでいた。
 本書の著者間宮氏も冷静にそういう視点をもっているので共感もしたが、幸い若い私のほうは違う展開になった。私がその問題を深刻に考えていることに対して、面接者が早々に手の打ちを明かした。これは一種のストレステストなんだ、面接のマニュアルで決まっていることなんだよ、そう深刻に考えなくていいんだ、というのである。安堵もしたが、落胆もした。つまり、私はその程度のストレステストに不合格であったということだ。そして、世の中というのは、このストレステストを経過した鉄面皮のエリートによって成り立っているのかと若い日の私は思った。が、その後の経験からするとそうでもない。厳しい娑婆で生きている人にはそれなりの独自の優しさというものはある。本書後半で若い著者を支えていく人たちもそうした人々であろう。
 自分語りのようになってしまったが、そうした経験も経た自分からすると、このブラックな話を、むしろブラックな担当者の側の視点でも読んだ。すでに著者も一連の騒動の後に理解しているが、なぜこんな事態になったかと言えば、大枠としてはリーマンショック以降企業の業績が低迷し、当初予定した新人採用が難しくなり、しかも内定取り消しとなれば企業側の責任になるので、それを回避するために、内定者から辞退を引き出そうということである。ブラック担当者はそれがお仕事ということであり、それなりに坦々とこなしていたのだろう。
 私の推測だが、この担当者はそれほど能力はないのではないか。一連の過程を見ているなら、著者間宮氏はクズどころではない宝石の原石である。それに気がつかず自身の保身に回った時点で、この担当者の無能が結果的に暴露されている。ただし、この企業はもしかすると、そういう有能な人材は必要としないのかもしれない。それどころか、日本の企業全体が、優秀な人材を必要としない状態になっているのかもしれない。

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2010.03.05

抗鬱剤は中度から軽度の鬱病には効かないという話

 ホメオパシー(homeopathy)という代替医療がある。健康な人間に投与すると特定の病気と類似の症状をひき起こす物質を、その病気の症状を示す人にごく少量投与することで治療になるというのだ。そんなのは偽科学だろうという非難はネットに多いし、私もホメオパシーは偽科学ではないかなと思っている(とはいえ実際にバリ島でファイアーアントにやられ腕が火膨れのようになったとき、知人の米人が処方してくれたホメオパシー薬で快癒した経験があるのだが)。先日のエントリ「[書評]代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト): 極東ブログ」(参照)の該当書も、ホメオパシーを闇雲に偽科学と断罪するのではないものの、無効であるがゆえに社会的に有害な治療だと論じていた。
 欧米の文脈ではそういう議論もあるだろうと思うし、そうした議論の興隆から英国では先日、英国民保険サービス (NHS: National Health Service) によるホメオパシーへの財政支援が廃止された(参照)。妥当な判断であると思うが、改めてその理由を問うと、ホメオパシー薬による治療はプラセボと変わらない効果しかないということだった。その話はサイモン・シン氏らの同書にもあった。なお、プラセボというのは比較対照用に効果がないようにできた偽薬である。
 が、同書にはもうちょっと面白い経緯も書かれていた。過去の臨床試験の分析を包括的に再分析するメタアナリシスをしたところ、ホメオパシーについてプラセボを上回る効果が見いだせたことがあった。1997年、権威ある医学誌「ランセット」に掲載された論文である。そんなバカな。轟々たる非難が沸き上がり、批判点を考慮して再度メタアナリシスをしたところ、今度は、ホメオパシーの効果は不明となった。無効ではなかったのである。そんなバカな、アゲインである。かくして別の学派がさらに徹底してメタアナリシスを行ったが、また似たような結論が出てしまった(「平均してみると、ホメオパシーには、プラセボに比べてごくわずかながら効果が認められたのだ」)。しかも、プラセボよりごくわずか効果がありそうだ。とはいえ、概ねホメオパシーの効果はプラセボと変わらないといえる。それで許してやろうじゃないか。この研究もランセット誌に掲載され、一連の話は、終わったことになった。結論、「ホメオパシー・レメディのアルニカに、プラセボを超える効果があるとの主張は、厳密な臨床試験からは支持されない」。
 シン氏は先の書で、この結果にやや不満だったのか、鍼治療に効果がないとしたコクラン共同計画を引き合いにして、「コクラン共同計画は、本当に効果のある薬の場合、有効性はきわめて安定しているため、さまざまな方法で検証できるという点をあらためて次のように述べている」とした。効果のある治療なら科学的に明白な結論になるはずだというわけだ。そうではない結果しか出てこないホメオパシーは、だから、問題があるのだという筆法である。
 ほんとかな。
 どうもそうでもなさそうなのだ。話はホメオパシーではない。抗鬱剤だ。抗鬱剤として認定されている薬剤に本当に効果があるんだろうか。つまり、プラセボを超える効果があるのだろうか。1998年コネティカット大学の心理学者アービング・カーシュ(Irving Kirsch)氏がメタアナリシスをしてみた。すると、偽薬との差はあまり出てこなかったのである。まったくないというほどのことはないが、抗鬱剤の効果の75%はプラセボであるという結論になった。そんなバカな。
 さらに研究が進んだ。2002年にはプラセボの効果は82%まで上がった。あー、つまり、抗鬱剤として処方されている効果の8割がたはプラセボなのである。しかも効果アリのアリの部分もそれほどたいしたことがなかった。シン氏がコクラン共同計画を引いて大見得を切ったような結果は出てこなかったのである。
 この話のネタ元は、ニューズウィーク「The Depressing News About Antidepressants」(参照)である。気になる人は読んでみるとよいだろう。日本語版ニューズウィークの3・10号にも翻訳記事がある。このネタがジャーナリズムに吹き出したのは、同記事にも紹介があるが、権威ある医学誌のJAMA(Journal of the American Medical Association)誌の今年の一月に掲載された「Antidepressant Drug Effects and Depression Severity」(参照)が背景になっている。
 同論文によると、ハミルトン鬱病評価尺度(HAM-D)による重度のうつ病患者には、抗鬱剤は有効といえるものの、中度から軽度の場合(HAM-Dで18以下)では、プラセボに対する優位性は無視できるほどに小さく、ないといってもよいものだった。鬱病患者に占める重度の割合は13%ほどなので、つまり、大半の鬱病患者には抗鬱剤を処方する必要がないという結論になる。これは、私の素人判断ではなく、共同研究者のホロン(Steven D. Hollon)氏によるものだ("Most people don't need an active drug")。
 どうしてこんなことになってしまったのだろうか? そもそも、なんでそんな薬が米食品医薬品局(FDA)に科学的な手順で認可されてしまったのか。何か間違いがあったのだろうか。ない。FDAの認可では鬱病の重症患者を対象していたためだ。ではなぜ、ここに来て抗鬱剤は効かないという話題が吹き出したかに見えるのか。私の個人的な見解をどさくさに紛れて言うとジェネリックになったからじゃねというものだが、それはちょっと科学的にはどうよという見解でもあるのでなんとも言えないことにしておきたい。それにしても不思議なことになってしまった。重症の鬱病でなければ抗鬱剤の効果の議論は医学的にはホメオパシーと同型であったとは。

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いやな気分よ、さようなら
自分で学ぶ「抑うつ」克服法
 いやそう不思議でもない。この話は、ニューズウィーク紙の記事でも言及されているが、実際にはすでに広く知られていることでもあった。BMJのクリニカル・エビデンス(参照)でもすでに概ねそのように示唆されているし、認知療法も同程度の効果であることを明記している。もっとも、それをもって鬱病に医学的な対応ができないというわけでは全然ない。先のカーシュ氏の見解は示唆深い。

As for Kirsch, he insists that it is important to know that much of the benefit of antidepressants is a placebo effect. If placebos can make people better, then depression can be treated without drugs that come with serious side effects, not to mention costs. Wider recognition that antidepressants are a pharmaceutical version of the emperor's new clothes, he says, might spur patients to try other treatments. "Isn't it more important to know the truth?" he asks.

カーシュ氏について言えば、彼は抗鬱剤の効果の大半がプラセボだと知るのは重要だと主張している。もしプラセボで改善するなら、鬱病は、価格については問わないとして、深刻な副作用のある薬剤なしで治療できることになる。抗鬱剤というものが、薬学上の「裸の王様」だという認識が広まれば、患者が他の治療をする励みにもなると彼は述べ、こう問いかけもする、「真実を知ることは重要じゃないかね」。


 他の療法の代表としては認知療法があるだろうが、薬物療法の双方をどのようにバランスよく見ていくかというなら、多少高価な書籍の部類になるが、デビット・D・バーンズ著「いやな気分よ、さようなら」(参照)は懇切に書かれているので参考になるかと思う。

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2010.03.04

トヨタ自動車と知識の本

 昨日、トヨタ車大規模リコール問題の米上院商業科学運輸委員会の公聴会が終わり、豊田章男社長の招致を含めた3回の米議会の公聴会が終わった。これは、結局なんだったのか? 現時点ではよくわからないことが多い。
 レクサスES350セダンの運転中にブレーキが効かなくなり、死の恐怖を覚えたというロンダ・スミス氏は2月23日の公聴会で「恥を知れ、トヨタ!」と発言し話題になった。ブレーキ・システムに問題があることが懸念される証言ではあった。だが、この証言に限定すれば、ウォール・ストリート・ジャーナル紙が報道したように(参照)、そのまま転売されその後の問題はない。国内でZakzakが識者コメントをまとめていたが(参照)、スミス氏証言自体にも疑問点が多い。象徴的な発言ではあったが、問題の本質とはあまり関係がないようだ。
 では何が問題だったのか。なぜ騒ぎになったのかという背景はわかりやすい。 米国自動車会社ビッグ3とその部品会社を中心にデトロイトを拠点とした全米自動車労働組合(UAW: United Auto Workers)は米国民主党議員の中間選挙献金送っており、それに見合った対応は迫られる。ワシントン・エキザミナー紙「UAW's invisible hand behind the Toyota hearing going on right now」(参照)より。


There are 25 Democrats on the House Committee on Oversight and Government Reform, 12 of whom have received campaign contributions of as much as $10,000 towards their 2010 re-election campaigns from the United Auto Workers union, which is a co-owner of General Motors, Toyota's main rival for U.S. sales.

米国政府改革小委員会の民主党議員は25名だが、うち12名は2010年中間選挙費用として全米自動車労働組合から1万ドルを受け取っている。この団体は、GMの関係者でありトヨタの販売上のライバルである。


 トヨタと敵対する企業から献金をもらう議員がトヨタの社長を招致して公聴会を開くことが悪いわけではない。それをいうなら、GMはすでに米国政府企業であるから米国政府自体がトヨタとの利害関係に置かれ、公平とはいえないということにもなりかねない。また、トヨタとしても、米国議会にロビイストを持っている(参照)。
 今回の公聴会での騒ぎは、単純にカネと政治の図柄で見る問題でもないが一つの背景にはなっている。ニューズウィーク誌「Congressional Kabuki」(参照)のマシュー・フィリップス(Matthew Philips )氏による記事ではこう描写されている。

It was obvious which committee members have Toyota plants in their district, and which ones do not. California Rep. Diane Watson, whose district is just north of Toyota Motor Sales headquarters in Torrance, beamed and greeted Toyoda by speaking Japanese, while the most blistering questions of the hearings came from Ohio Rep. Marcy Kaptur, whose district is in the heart of the rust belt and home to Ford and GM plants.

選挙区にトヨタ工場がある公聴会委員とそうではない委員の差は明白だった。カリフォルニア州ダイアン・ワトソンの選挙区はトーランスのトヨタ自動車販売本社の北に近く、豊田氏に微笑ながら日本語で挨拶した。他方、厳しい質問を投げたオハイオ州マーシー・カプター氏の選挙区はフォードやGM工場の拠点的な地域でである。


 トヨタの問題が明白ではないか、あるいは疑われているブレーキ・システムに本質的な問題がないなら、この公聴会はただ利害のディスプレイにしかならない。実際はどうであったかというと、この記事を書いたフィリップス氏はそう見ている。だから、これを大げさで実のない演技のたとえとして「歌舞伎」と評した。
 なぜ「歌舞伎」になってしまい、真相が追求されなかったのか。そもそも追求されるべき真相なるものがあるのか? 現状のところブレーキ・システムに疑いがあるなら、技術的な問題であり、公聴会での議論にはなじまない。実際、そのように収束していくかにも見える。
 だが、フィリップス氏の記事の論点は、トヨタが事故に関わる重要な技術情報をこれまでも組織的に隠蔽していたのだということにある。この隠蔽疑惑の中心にあるのが、この技術情報をまとめたとされる、知識の本(Books of Knowledge)の存在だ。日本語で読める報道では、1日付ロイター「米下院監視委員長「トヨタの内部資料隠匿の証拠を発見」」(参照)がある。

 米下院監視・政府改革委員会のタウンズ委員長は26日、裁判所に提出を求められていた内部資料をトヨタ自動車が繰り返し隠匿していたことを示す文書を入手したことを明らかにした。
 トヨタの元社内弁護士が委員会に提出した文書で、同社が人身障害に関わる裁判で「Books of Knowledge」と呼ばれる重要なエンジニアリング情報の開示を回避するため、原告側と和解していたことが明らかになったとしている。
 同委員長は北米トヨタの稲葉社長にあてた書簡で、この文書は「訴訟における組織的な法律違反、恒常的な裁判所命令の無視があったことを示している」とし、トヨタに対し説明を求めた。
 さらに、この文書は「トヨタが(米安全当局に対し)相当量の関連情報を提出しなかったのではないかとの非常に深刻な疑問を呈している」とした。

 また2月27日朝日新聞「トヨタが重要資料隠し? 米下院が追及」(参照)では、2003年から2007年にトヨタの企業内弁護士だったディミトリオス・ビラー(Dimitrios Biller)の関連に触れている。

 委員長の声明や稲葉社長への書簡によると、2003~07年にトヨタの顧問弁護士を務めたビラー氏が同委に出した書類は「(同社が)米国法を組織的に無視していたことを示唆している」という。
 同委はビラー氏の書類の検証結果として、トヨタは、裁判で求められた重要な電子書類を意図的に出さず、ビラー氏はその問題をトヨタの上司に警告していたと指摘。またビラー氏の話として、トヨタ内部では、車の設計上の問題やその対策を蓄積したデータベースをもとに、「知識の本」という秘密の電子文書を作成していたが、裁判には提出しなかった、とした。

 知識の本(Books of Knowledge)だが、フィリップス氏の主張ではトヨタ車の屋根の強度の問題なども記されているとのことで、これが明らになれば、トヨタは安全に関わる技術問題の知識をもっていながら、各種事故の裁判ではその知識を隠蔽してきた、ということになる。
 そうなのだろうか? 知識の本(Books of Knowledge)には、素人推測でも、安全面以外にトヨタの経営に関わる企業技術が含まれているだろうから、トヨタ側としては公開しづらいだろうと思う。
 この問題がどういう推移を辿るかだが、意外と先の政治的なフレームワークが事を決めてしまうのかもしれない。

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2010.03.03

[書評]その科学が成功を決める(リチャード・ワイズマン)

 世間にあふれる自己啓発本で書かれている内容、例えば、マイナス思考はやめてポジティブ・シンキングにしようとか、成功するためには成功したイメージを思い描こうとか、そういう話は本当なんだろうか? 本当ってどういうこと?

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その科学が成功を決める
 そういう自己啓発の要点について科学的に実験してみたら妥当性がわかるんじゃないか? ということで、その観点から既存の各種心理学的・社会学な実験論文をまとめたところ、自己啓発本のエッセンスの大半が、ハズレです、というのがわかる痛快な本だ。つまり、ポジティブ・シンキングしても事態は改善しないし、成功した自分をイメージしても成功しない。それどころか、逆効果のようだ。
 本書の目次を見ても自己啓発本の要点がスパスパと切られていくのがわかる。自己啓発はあなたを不幸にする、面接マニュアルは役立たず、イメージトレーニングは逆効果、創造力向上ノウハウはまちがいだらけ、婚活サイトに騙されるな、ストレス解消法にはウソが多い、離婚の危機に瀕している人への忠告はあてにならない、決断力には罠がある、ほめる教育をすると臆病な子供になるなどなど。うへぇ。
 私も自己啓発本は好きなほうだが、根っからの天邪鬼なんでそう真に受けてもいない。なので、それがバシバシと否定されていく展開は小気味良くも感じられる。あはは、こんな自己啓発を真に受けてやつは常識ないなあアハハといったものだ。ところが。
 実は、こっそりここだけの話だが、これは大切だと思っていた自分の人生の金科玉条もあっさり否定されていた。これにはうなったな。そ、そうなのかぁ? 実験の仕方に問題があるんじゃないかと動揺したのである。この本読んで、私みたいに動揺しちゃう人もいるだろうから、ご注意を。ところで、その金科玉条は何かって? 恥ずかしくて言えませんよ。
 かくして本書は破邪の本、魔王退散、アンチカツマーナムナム……といった話ばっかしというと、そんなことはない。奥義は白紙なのじゃ、みたいにカンフーパンダ(参照)のノリはなく、実験的に効果のある金科玉条がきちんと巻末にまとまっている。打ちのめされた私は、ええい、フリーの時代じゃ、奥義を全部引用しちゃうぞとも思ったが、それもなんなんで書店などで立ち読みしてくださいませ。たぶん、買ったほうがよいと思うが。
 で、奥義が簡単に読めるというのが、実は本書の一番のコンセプトだ。それがオリジナルタイトル「59 Seconds: Think a Little, Change a Lot (Richard Wiseman)」(参照)からわかる。つまり、役立つ自己啓発の要点を知るには、59秒もあればいい。ちょっと考えるだけで、人生に大きな違いが出るというわけだ。要点は、1分以内にわかるようになっているし、それを知ると知らないとでは人生に大きな差になるよというのだ。そうかな? まあ、そうだな。
 本書は、書籍としては、以前「[書評]脳は意外とおバカである(コーデリア・ファイン ): 極東ブログ」(参照)で紹介した同書と似たタイプだ。実際かぶっているところも多い。また、まだ書評を書いてないけど、「経済は感情で動く  はじめての行動経済学」(参照)など人間のありがちな間違い行動を研究した行動経済学ともかぶっている。その他、「絶対使える! 悪魔の心理テクニック」(参照)とか内藤誼人氏の著作や「心の操縦術」(参照)の苫米地英人氏の著作なんかともかぶるところがある。ああ、読んでいるのがバレて恥ずかしい。
 というわけで、この手の本自体が、地球温暖化懐疑論鑑賞と同じく酔狂の一環としてまったり好んでいる私からすると、四章の「実験結果3 暗示の効果で創造力を高める」で、「先に受けた刺激が後の行動に影響を及ぼすこの”暗示効果(プライミング)”が、さまざまな状況で起きることがわかっている」とある、プライミングを暗示効果と訳してしまうのは、痛いところだ。
 訳者もわかって割り切って訳したのだろうと思うが、プライミングは暗示効果とは違うし、違うところに要点がある。本書ではイメージ・トレーニングは効かないとしながら、反面暗示効果は創造力を高めるというのは、普通に読んでしまうと矛盾しかねない。プライミングについては、先の「脳は意外とおバカである」に詳しい解説もあるし、「[書評]サブリミナル・インパクト 情動と潜在認知の現代(下條信輔): 極東ブログ」(参照)で扱った同書にも関係するが、潜在意識のコントロールの問題だ。
 実は本書も、いわゆる奇手の自己啓発書として読まなければ、意識の矛盾に対してどのように潜在意識を制御するかというテーマが背景に潜んでおり、そもそも本書が参照する各種の奇異な実験は、行動経済学のように人間の誤謬行動のパターンの解析ということもだが、人の意識活動にどれだけ潜在意識が関与しているかという点に主眼があり、これはたいていは進化心理学として流布されてしまうが、ヒトという生物の種固有の行動パターンの研究の一環になっている。 本書が竹内久美子氏の「遺伝子が解く! 男の指のひみつ」(参照)の話題とかぶってくるのもそのあたりに接点がある。
 そうした点から見て、本書で私が一番興味深かったのは、行動経済学的でもあるが、集合知が機能しない各種の事例であった。中でも「集団は暴走する」は経験的にわかっていても、しんみりと納得する。

 人種偏見をもつ人々が集まると、個人でいるとき以上に人種問題について極端な決定を下すようになる。見込みのない事業に投資したがる実業家が顔をあわせると、破綻が目に見える事業にさらに金をつぎ込んでしまう。暴力的な若者が徒党を組むと、ますます凶暴になる。強い宗教的、政治的理念をもつ者同士が集団を作ると、考え方が極端になり暴力的になりがちだ。この現象はインターネットにも出現する。

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2010.03.01

[書評]「環境主義」は本当に正しいか? チェコ大統領が温暖化論争に警告する(ヴァーツラフ・クラウス、監修・若田部昌澄、訳者・住友進)

 本書「「環境主義」は本当に正しいか?」のタイトルには「環境主義」とあり、実際に読んでみるとそこに重点が置かれていることは理解できるはずだが、現在世界の課題として見れば、地球温暖化を扱っており、それゆえの白黒を問われるなら、どちらかと言えば、地球温暖化議論に否定的な立場にある。地球温暖化懐疑論として読まれてしまうかもしれない。

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「環境主義」は
本当に正しいか?
 しかしそう読むのなら、本書になんども言及があるように、ビョルン・ロンボルグ氏の「環境危機をあおってはいけない」(参照)以上の知見は含まれていないといってよいだろう。それでも著者ヴァーツラフ・クラウス氏は、ロンボルグ氏の比較的古い同書の他に、2007年時点でのロンボルグ氏の見解も当たり、できるだけ最新の情報に接しようとしている。さらに、ロンボルグ氏の師匠筋にあたるジュリアン・サイモン(Julian Lincoln Simon)氏やインドゥル・ゴクラニ(Indur M. Goklany)氏など、欧米では著名な学者への言及もあり、単純に温暖化懐疑論をロンボルグ氏から借りたというものではない。
 今私は「最新の情報」と書いたが、その「最新」は本書が刊行された2007年を指している。今回の日本語訳は2009年の第2版をベースにしたもので、国際的には日本語版は15番目の翻訳になる。この間すでに世界各国で本書は広く読まれており、むしろ日本語訳は遅きに失した感があるほど重要な書籍である。
 なぜ重要なのか。理由は、邦訳の副題にもあるように著者ヴァーツラフ・クラウスが現職チェコ大統領という国家元首であることだ。しかも経済学博士号を持ち、さらにハイエクやフリードマンらと同じくモンペルラン・ソサイエティーに所属する国際的な知識人でもあることだ。
 まさに本書の主張は、1947年、スイスのレマン湖畔ペルラン山で大戦後の自由主義経済の推進を目標とした経済学者らの思想の延長にある。端的に言えば、当時のモンペルラン・ソサイエティーはハイエクが代表的であるように、社会主義経済が人間の自由を奪うことに立ち向かったものが、現在世界において人間の自由を奪っているのは、「環境主義」ではないかという基調を持っている。

今日の環境主義主義者のやり方と、それから生まれた経済的、政治的な動きは、特に開発途上国において、自由と繁栄の両方を攻撃している。そこでは何千万という人々の存続が危機にあるのだ。


 誤解を避けるためにはっきりさせておくが、私には自然科学や化学的エコロジーを批判する意図はさらさらない。環境主義は、実際には、自然科学とはまったく無関係なものだ。

 こうした主張の背景には、すでにロンボルグ氏の見解などでも知られているが、現状の地球温暖化対策を実行しても、温暖化の十数年ほどの遅延にしかならないという経済学的な配慮がある。そうであれば、「環境主義」より、経済学的な思考によってトレードオフを検討したほうがよいだろうということだ。人類が直面している課題には、絶対的貧困、公衆衛生、民族間・イデオロギー間の紛争など山積みの状態であり、有限なリソースをもっと合理的に差異配分しなくてはならない。別の言い方をすれば、本書はその点で地球温暖化懐疑論ではない。
 自由と繁栄を思考する人類のために最善のトレードオフは、地球温暖化問題では、何か? その探求ために、クラウス氏は自身が得意とする経済学的な視点から、第4章で「割引率と時間選好」を論じ、未来の価値を考察する。第5章「費用便益分析か、予防原則の絶対主義か?」はクラウス氏自身が本書の最重要点としている。
 ここが本書の難しいところだ。議論が難しいのではない。議論はある意味で単純極まりない。例えば、農薬規制が例にあげられているが、農薬を規制遵守で使用しても穀物に残留し、その影響を換算すると米国で毎年20人が癌で死ぬことになる。そこで絶対的な予防原則を適用し無農薬にすれば、この生命を救うことができる。だが、その対価として穀物の価格は上がり消費量は10%から15%下落し、その影響による疾病で年間2万6000人が死ぬ。残酷だが、20人の生命と2万6000人の生命の選択が問われる。
 しかし、予防原則が絶対なものにされてしまえば、費用便益分析は不可能なり、経済学的な思考はそこで途絶える。ごく当たり前のことであり、それは必ずや愚かなトレードオフの別側面が帰結する。
 難しいのは、少なくとも読者の私にとって難しいのは、予防原則が絶対とされれば議論はただのナンセンスなることは理解できるものの、予測しづらい人類の危機に対する予防原則では、どのように妥当な費用便益分析にかけるべきなのだろうか。その手法がわからないことだ。
 おそらく本書の議論には含まれていなにせよ、人類の存亡が問われるかのような予防原則でも、経済学的な研究は伸展しているだろう。本書はその問いかけの第一歩であり、著者が一国の大統領でもあるように、国家の為政者にその課題が問われている。よりよき人類のあり方への政治プロセスを問ううえで、本書が世界各国で広く読まれているのは理解できる。

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