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2010.02.06

[書評]日中戦争はドイツが仕組んだ 上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ(阿羅健一)

 先日、日中双方10名ほどの有識者による歴史共同研究の報告書が公開されニュースになった。大手紙の社説などでも言及されていた。共同研究は2006年10月安倍晋三首相(当時)が訪中に際し、胡錦濤国家主席との会談で合意されたものだ。近代史については中国側の都合で非公開となったとのことだが、読める部分はどんなものだっただろうかと思っていたら、外務省で電子文書で公開されていた(参照)。
 中国側の見解もまとめられていたが私は中国語が読めないのでわからない。この部分も翻訳・合本し、政府補助で安価に販売されたらよいのではないかと思った。新聞などの報道では、暴発ということでほぼ定説化しつつある盧溝橋事件について中国側でも「発生は偶然性をもっているかもしれない」との理解が示されたといった点に着目していたが、他も全体にバランス良く書かれていて、存外にというのもなんだが、よいできだったことに驚いた。なお、盧溝橋事件経過についての日本側の認識は秦郁彦「盧溝橋事件の研究」(参照)によっている。
 報告書を少し追ってみよう。盧溝橋事件だが、日本政府側また石原莞爾も戦闘拡大は望んでいなかった。


現地で断続的な交戦が続く中、7 月8 日、参謀本部作戦部長の石原莞爾が療養中の今井清次長にかわって参謀総長に説明し、参謀総長名で事件の拡大を防止するため、「更ニ進ンテ兵力ヲ行使スルコトヲ避クヘシ」と支那駐屯軍司令官に命令した。翌9 日、参謀次長名で、中国軍の永定河左岸駐屯の禁止、謝罪と責任者の処分、抗日系団体の取締り等の停戦条件が指示された。停戦交渉は、北平特務機関と第29 軍代表との間で実施され、7 月11 日、29 軍は①陳謝と責任者の処分、②宛平県城、龍王廟に軍を配置しない、③抗日団体の取締り等の要求を受け入れ、11 日午後8 時に現地協定が成立した。
 一方、近衛文麿内閣は8日の臨時閣議で事件の「不拡大」を決定したが、不拡大は華北への動員派兵の抑制を意味しなかった。

 満州事変全体を見れば、それ以前の柳条湖事件は日本の謀略であり、日本側に「中国」侵略の意図はあったと言える。中国側がそうした大局観を取るのも理解できるところだ。

1931 年9 月18 日夜、奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路が爆破された。関東軍の作戦参謀・石原莞爾と高級参謀・板垣征四郎を首謀者とする謀略によるものであった。鉄道守備を任務とする関東軍はこれを中国軍の仕業とし、自衛のためと称して一気に奉天を制圧した。
 柳条湖事件発生の数ヵ月前、陸軍では省部(陸軍省と参謀本部)の課長レベルで、在満権益に重大な侵害が加えられた場合には武力を発動する、というコンセンサスが成立していた。彼らの構想では、武力発動の前に内外の理解と支持を得るために1 年ほどの世論工作が必要とされ、したがって柳条湖事件の発生は早すぎたが、関東軍が武力行使に踏み切った以上、それをバック・アップするのは当然と見なされた。

 すでに言われているように石原としては満州までは維持し、それ以上の戦闘拡大は当面望んでいなかった。対ソ戦、さらには長期的には対米戦への布石として満州を固めたかったのだろう。
 報告書の西安事件以降の蒋介石の話もそれなりによくまとまっている。蒋介石は対日戦争の準備を盧溝橋事件とは別に、この間着々と進めていた。しかも、ドイツの援助のもとでだった。

そもそも蔣介石は、満洲事変以後、安内攘外の方針に基づき日本との妥協を図ってきたが、究極の場合の対日戦の準備を疎かにしていたわけではない。国民政府は剿共戦を戦うためドイツから軍事顧問を招聘し、軍事組織・戦略・戦術の近代化を図るとともに、その助言に基づき、対日戦に備えた軍事的措置を講じつつあった。

 対日戦争の準備はドイツの支援によるものだった。報告書もそこが明記されている。最近の高校の教科書とかはどうなんだろうか。
 ドイツの支援については報告書では当然とも言えるが簡単にしか触れられていない。

1936 年4 月には、ドイツとの間に1 億マルクの貿易協定を結んだ。ドイツからの武器の輸入とタングステン等の輸出によるバーター協定であった。中国はこのようなドイツとの密接な経済的・軍事的関係によって日本を牽制しようとしたが、同年11 月の日独防共協定の成立により、親独政策による対日牽制は頓挫した。

 タングステンはドイツにとって重要だったようだ。報告書の、この記述は概要としてはよいのだが、「軍事的関係」というには実際にはかなり念のいったもので、盧溝橋事件以前からドイツ側が起案した上海戦を想定した準備が進められていた。いわゆるゼークトラインである。
 ハンス・フォン・ゼークトは1933年から1935年まで中国で蒋介石の軍事顧問を勤め、後任はアレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンがあたり、上海での日本軍壊滅させるために入念な作戦を練り、さらに最新の兵器を中国に渡し、訓練にもあたっていた。
 この時点で、中国軍は実質ファルケンハウゼンの指揮下にあり、第二次上海事変も彼の戦略に従った。その意味で、日中戦争というより、傀儡化した中国を使っての日独戦争ともいえる側面があった。が、他方、この共同宣言にもあるように、1936年には日独防共協定が成立しており、結果的には「親独政策による対日牽制は頓挫」ということになる。だが、この変化の過程は漸進的なものであり、簡単に言えば、この間ずっとドイツは日本を欺き続けていた。中国にかかわるドイツ人が実質的にはこの時代反日的であったことは関連資料を読む際の前提になる。
 報告書では日本側はおおむね中国との戦争を避ける方針であったことも記している。

日本の国防方針において、中国は仮想敵国のひとつであった。したがって、陸軍は毎年、中国と開戦した場合の作戦計画を作成した。中国の軍備強化に伴い、1937 年度(1936 年9 月から1 年間)の対中作戦計画での使用兵力は、前年度の9 個師団から14 個師団に増加した68。ただし、対ソ戦に備えての軍備拡充を焦眉の急としていた参謀本部では、中国との戦争は極力回避すべきであると考えられていた。

 異論はあるだろうが、中国軍を指導していたファルケンハウゼンは国際世論の向かない満州ではなく、日本が中国を侵略するという図柄が見えやすい上海戦に日本を引き込み、国際世論とともに日本の侵略を壊滅させようとしていた。
 歴史を見ていて、悲劇に思えるのは、ここでファルケンハウゼンの策略が成功しているほうが日本にとっても良かったかもしれないことだ。上海戦に多大な被害をもたらして勝利した後の日本は、日本国民を含めてまさに暴発してしまったかに見える。
 大局的な対中侵略という視点でなければ、盧溝橋事件から第二次上海事変への流れはそう連続しては見えない。報告書もそこは記している。

 海軍の動向に眼を向けると、事変勃発後、軍令部や中国警備を担当する第3艦隊には強硬な空爆論も存在したが、米内光政海相は外交的解決に期待し、水面下で進んでいた船津工作に望みを託していた。しかし、上海での8月9日の海軍将兵の殺害事件(大山事件)は海軍部内の強硬論を刺戟した13。佐世保に待機中の陸戦隊が急遽派遣され、上海は一触即発の危機に陥った。
 8月12日、国民党中央執行委員会常務委員会は、戦時状態に突入する旨秘密裏に決定した。14日払暁、中国軍は先制攻撃を開始し、空軍も第3艦隊旗艦「出雲」及び陸戦隊本部を爆撃した。蒋介石が上海を固守するために総反撃を発動したのは、ソ連の介入や列国の対日制裁に期待し、さらに日本の兵力を分散し、華北占領の計画を挫折させるためでもあった。上海防衛戦には国民政府軍の精鋭部隊が投入され、その兵力は70万人を越え、戦死者も膨大な数にのぼった。
 8月13日の閣議は、派兵に消極的であった石原作戦部長らの意見を抑えて、陸軍部隊の上海派兵を承認した15。米内海相も陸軍の上海派兵には積極的ではなかった。

 米内光政海相も石原作戦部長もこの上海での戦闘には消極的だった。
 日本では当時はファルケンハウゼンの万全の戦略は知らされてはいなかったようだが、70万人のドイツ式先鋭部隊に未対応の日本の現地治安部隊、さらにその後の対外軍も勝てるはずはなかった。全面戦争は日本側では想定されていなかった。というか、具体的な軍事行動として想定されていなかった。

 15日に下令された上海派遣軍は、純粋の作戦軍としての「戦闘序列」としてではなく、一時的な派遣の「編組」の形を取っていた。その任務も、上海在留邦人の保護という限定されたものであった。しかし、上海戦は中国軍の激しい抵抗のなかで、事件を局地紛争から実質的な全面戦争に転化させる。

 奇跡的にと言ってよいかと思うが、上海戦に勝利した日本軍は、南京攻略まで暴走していく。この暴走の不合理さは以前、小説風に「時代小説 黄宝全: 極東ブログ」(参照)に書いた。「黄宝全」はファルケンハウゼンの駄洒落だが、彼を模したものではない。また、現実には蒋介石はこんな弱気ではなかった。

国民政府は11月中旬の国防最高会議において重慶への遷都を決定したが、首都南京からの撤退には蒋介石が難色を示し、一定期間は固守する方針を定めた。

 現実のファルケンハウゼンは、予期せざるゼークトライン突破後は、対応として蒋介石が南京を捨てることを提言していた。この話は報告書にはない。
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日中戦争は
ドイツが仕組んだ
上海戦と
ドイツ軍事顧問団のナゾ
 その話は、「日中戦争はドイツが仕組んだ 上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ(阿羅健一)」(参照)にある。もっとも、同書は歴史研究の書籍ではなく、いわゆる戦争物の読み物に過ぎないが、同書に「秘史発掘」とあるように、ファルケンハウゼンと上海戦の関わりについては、あまり解明されていないように思う。ただ、秘史といった類ものでないことは、先日のNHKの番組でも言及があったことでわかる。
 同書の評価だが、こうした歴史の側面に関心をもつ人には興味深いものだろう。だが、とりわけ驚愕の真実といった話もなく、大半は上海戦の日本軍の戦闘に頁がさかれている。また巻末資料を見ても、日本で発刊された書籍や翻訳書などばかりで、ドイツ側の資料を当たった形跡はない。史学的な価値はないに等しい。
 驚愕すべき真実はないとは言ったものの、迂闊にも、えっと絶句した話はあった。言われてみればごくあたりまえなのだが、想像もしてないことであった。盧溝橋事件が1937年(昭和12年)7月7日であったことを念頭に読まれるとよいだろう。

 しかし、ファルケンハウゼンの対日戦の進言は執拗に続けられた。昭和十一(一九三六)年四月一日になると、今こそ対日戦に踏み切るべきだと、蒋介石に進言する。
「ヨーロッパに第二次大戦の火の手が上がって英米の手がふさがらないうちに、対日戦争に含みきるべきだ」
 ひと月前、二・二六事件が起こって日本軍部が政治の主導権を握り、軍部の意向が疎外される可能性は少なくなり、その一方、ドイツがラインラントに進駐してイギリスの関心はヨーロッパに向き、中国の争いに介入する余裕がなくなった、そのため、英米の関心が少しでも中国にあるうちに中国からの日本との戦争に踏み切るべきである、というのである。
 このとき、日本の航空戦力の飛躍的増強で黄河での抗戦はむずかしくなったとも判断し、日本軍が支配している地域でゲリラ戦を展開し、中国内のみならず満州、日本本土にも、情報収集と破壊工作を展開するスパイ網をもうけるべきだという新たな戦術も示した。
 これら献策は蒋介石の取るところとならなかったが、九月三日、広東省北海市で日本人が殺害される事件が起こり、日本軍から攻撃が予想されるようになった九月一二日、ファルケンハウゼンは改めて河北省の日本軍を攻撃するように進言した。
 皮肉なことに、これらの蒋介石とファルケンハウゼンのやりとりは、なんと日本語で行われていた。日本語こそ、二人に共通の言語であったのだ。

 堪能とは言えるかわからないが、両者とも日本語が使えるし、それしか共通の言語はないというのは、考えてみればわかるが、言われてみるまで想像もしていなかった。もっとも、この話も歴史学的に確定したわけでもないが、毛沢東の共産党も初期では内部では日本語が話されていたらしいこともあり、中国の近代化の共通語は存外に日本語であったかもしれない。
 本書の終章には帰国後のファルケンハウゼンの逸話もある。有名なヒトラー暗殺計画に参加した話もある。彼は幸運にも処刑を免れ、連合国側の裁判でも寛大な処遇を受けたが、その背景には蒋介石の友情もあったようだ。あらためて二人の年齢を見ると、ファルケンハウゼンは蒋介石より10歳ほど年上で兄弟のような関係でもあったのかもしれない。両者ともに長生きであったが、生涯にわたり友情が続いたことも本書で知った。

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2010.02.05

[書評]「CO2・25%削減」で日本人の年収は半減する(武田邦彦)

 いわゆるという限定が付くが、反環境問題で話題の論者、武田邦彦氏の近著「「CO2・25%削減」で日本人の年収は半減する(武田邦彦)」(参照)を勧められて読んだ。

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「CO2・25%削減」で
日本人の年収は半減する
武田邦彦
 以前、ベストセラーということで武田氏の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(参照)をざっと読んだおり、ペットボトルのリサイクルやダイオキシンについての見解は、大筋で武田氏の視点が正しいのではないかと思った。が、温暖化問題については、ジャンルが多少ずれているような印象を持った。その後、同書はネットでも話題になり、反論や武田氏へのバッシングもよく見かけた。現在出版界では武田氏はドル箱的な著作家の一人でもあり、最近の動向はどうなんだろうか。また本書のコンセプトである日本の経済成長阻害の問題や、さらにこのブログでも「クライメイトゲート事件って結局、何?: 極東ブログ」(参照)で扱ったクライメート事件なども言及されているようなので、そのあたりに関心を持って読んだ。
 書籍として読みやすく面白い本ではあった。ただ、本書のテーマである、鳩山イニシアティブがもたらす日本経済発展阻害については、率直に言うとやや大局的過ぎ、経済学的な視点が足りないように思えた。本書で述べられているのは、国家の経済発展には必然的に二酸化炭素の排出増加を伴うという原理性である。この原理的な主張は鳥瞰図的に見れば私も正しいと思うし、中国の対応やその他の国の対応を見てもこの原理は前提になっている。あまり大っぴらに語ることは好ましくない風潮が日本にはあるが、国際社会上はごく常識の部類だろう。
 では、災厄的ともいえる鳩山イニシアティブによって、日本の経済発展は半減し、標題のように国民の年収も半減すると予想できるかというと、そこが本書の妙味ともいえるのだが、日本政府側や民主党政権側の言い逃れのロジックをきれいによくなぞっていて示唆深い。
 私が本書を読んで、「ああ、なるほどね」と思ったのは、いろいろきれい事が言われていても、鳩山イニシアティブは、結局は排出権取引で片付く問題であり、テーゼ的に言うなら、本書にもあるように、「ロシアから排出権を1兆円で買う」ということに落ち着きそうだ。比較的簡単な落としどころの伏線はあるもんだなと思った。もちろん、そのあたりが真実かどうかは今後、他の動向と併せて関心を持つ必要はある。
 本書では前半、日本に環境問題報道には問題があるとし、特にNHKが槍玉に挙がっていた。私はこの問題に対するNHK解説委員の各動向をそれなりに継続的に見ているので、必ずしもNHKが一枚板ではないことは知っている。それでも、日本の環境問題報道に疑問に思うことはある。本書では最近の事例としてクライメート事件の報道の遅れを取り上げていたが、確かにあの遅れはなんだろうという点では同意できるものだった。
 関連した余談になるが、IPCC(気候変動に関する政府間パネル:Intergovernmental Panel on Climate Change)は、第4次評価報告書(Fourth Assessment Report)記載の「ヒマラヤ氷河が2035年までに消滅する」という予測がまったくのでたらめであることを認めて最近謝罪したが(参照)、実際にその地域の問題に、「黒色炭素(Black Carbon:ブラックカーボン)の地球温暖化効果: 極東ブログ」(参照)で言及したブラックカーボンが関与しているという話題(参照)については、ほとんど日本国内報道では言及を見ない。そもそもブラックカーボンの言及すら少ない。ちなみに、本書でもブラックカーボンについての言及はない。
 本書後半では、各種エネルギーの考察が一巡あり、人によってはそれぞれに反論もあるのだろうが、簡素にまとまっていてわかりやすかった。原発の安全性や天然ガスとメタンの関係など、私もそうかなと思って読み進めた。
 最後に余談に属するが、そして本書でも余談としているが、以下の話は面白かった。日本の二酸化炭素排出の増加率0.78%について。

 余談だが、この年率0・78%増加という数字について、本書を担当した文系編集者が計算し、私に質問を投げてきた。「計算すると先生の書かれている数字と違っていてわからなくなっています」というわけだ。
 文系編集者の答案は、次のようなものだった。
《・ 13トン(2007年排出量)÷ 11.4トン(1990年排出量)= 1.14
 ・ 17年間のCO2増加率は、14%
 ・ 14% ÷ 17年 = 0.82%
 ・ 0.78%にならない?

 私の書籍の批判には、このようなところのものが実に多い。文系理科系を併せても95%以上は同じような計算をしているものだ。理科系でも、10%くらいしか正答はないから情けないことだ。

 本書にはずばり正答は書いてないけど、どこが間違っているかはその後にフォローされている。が、その後。

 担当の文系編集者は一応、自分の頭で考えようとしたことを評価して温情的に採点すると、20点である。理系でもレベルが低くなっているので、めげることはないが、こういうところにも落とし穴が潜んでいることを覚えていてほしい。

 そうだろなと思う。担当の文系編集者さんもよくがんばりました。
 こうした傾向は若い人に限らない。昨今の日本では、理系でも乗数効果を知らずに財務相が務まり、各国の経済要人と渡り合うことができるようになった……たぶん。

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2010.02.03

明日、民主党小沢一郎幹事長は不起訴となるか。各社報道を巡って。

 明日になればわかることを慌ててブログに書くまでもないかと思いつつ、どうにも奇妙に思えるので、その感覚から書いてみたい。話は、民主党小沢一郎幹事長不起訴の報道である。
 最初に不起訴報道をしたのは、昨晩11時のTBS「検察、小沢氏不起訴の方向で最終検討」(参照)のようだ。そのころ私もたまたまTwitterしながら、目にしたニュースで気がつき、おやっと思ってそのままTwitterのつぶやきに乗せた。TBS報道の核心は次のとおり。


 一方、小沢幹事長については、現状では関与を立証する事が困難として、不起訴とする方向で最高検などと最終的な検討を行っています。不起訴処分について、一部に異論も出ているということですが、特捜部は3日午後に最終的な結論を出すとみられます。(03日11:13)

 Twitterでは「リーク?」という応答もあったが、これはTBS側の取材と読みによるものではないかと私は思った。さらに、その時点でこの報道をどう私が受け取ったかというと、読みとしては随分踏み込んだなというのと、それはそれとして妥当な判断ではないかと思っていた。
 その後、共同で同種の報道が続いた。「小沢氏、不起訴の公算 東京地検、現状では「立証困難」」(参照)は、全体構図がわかりやすい。

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる収支報告書虚偽記入事件で、東京地検特捜部は2日、政治資金規正法違反容疑で逮捕した元私設秘書の衆院議員石川知裕容疑者(36)らの共犯として告発された小沢氏について、現状では立証が困難として不起訴の方向で検討を始めたもようだ。

 重要な点は、市民団体から「共犯として告発された小沢氏」という点だ。小沢氏への被疑者聴取聴取もこの告発を受けて行われたもので、それがなければ、検察側のプロセスとしてはおそらく任意の聴取ということだったはずだ。その意味では、被疑者聴取聴取という別筋の流れに相応の判断を示して小休止としたということでもあるだろう。
 当の問題である、小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」を巡る政治資金規正法違反容疑についてだが、2日付けのNHK「石川衆院議員 4日にも起訴へ」(参照)では、石川衆議院議員については、拘留期限の4日に政治資金規正法違反の罪で起訴すると報道されている。同会の会計責任者だった公設第1秘書大久保隆規容疑者と元私設秘書池田光智容疑者の扱いは、現在検討中のようだが、3日付け朝日新聞「大久保秘書、虚偽記載の了承認める供述」(参照)では、大久保容疑者は虚偽記入関与を認める供述をしたと報道されている。池田容疑者もすでに虚偽記載を認める供述をしている。

 「陸山会」の土地取引事件で、会計責任者だった公設第1秘書・大久保隆規(たかのり)容疑者(48)=政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で逮捕=が東京地検特捜部の調べに対し、事務担当者から虚偽記載の報告を受けて了解したことを認める供述をしたことがわかった。
 関係者によると、元事務担当者で、元秘書の衆院議員・石川知裕(ともひろ)(36)と池田光智(32)の両容疑者は既に虚偽記載を認め、「大久保秘書にも報告した」と供述。

 大久保容疑者と池田容疑者の刑事処分については、現時点ではそれ以上の報道はないようだ。
 話を戻して、小沢氏不起訴の報道だが、報道各社に珍しいほどの違いがある。J-CAST「小沢氏4億円不記載 朝日、毎日、共同など「不起訴方針」報じる」(参照)はそこに焦点を当ててネタを作っていた。まとめると、不起訴報道はTBSから共同へ、そして、新聞社では朝日新聞と毎日新聞が続いたものの、読売新聞と日経新聞は「共謀を裏付けるには十分でない」「共謀関係の立証は難しい」といった表現で抑えている、といったところ。時事通信と産経新聞は、小沢氏不起訴に言及していない。私が、このエントリー執筆時に見回してもそのようだった。併せて、小沢疑惑に独自の切り込みをしている中日新聞も不起訴言及はないようだ。
 私が小沢疑惑で一つの水準と見ているのはNHKニュースなのだが、これも不起訴報道はない。それどころか、若干奇妙に思える報道がある。3日11時のNHK「冷静に推移見守る」(参照)である。

 鳩山総理大臣は、3日朝、記者団に対し、民主党の小沢幹事長の政治資金をめぐる事件に関連して、「検察の捜査が行われている最中なので、冷静に推移を見守る」と述べ、あらためて事態の推移を見守りたいという認識を示しました。
 この事件をめぐっては、逮捕された民主党の国会議員のこう留期限を4日に控え、東京地検特捜部が詰めの捜査を進めています。これに関連して、鳩山総理大臣は、「今、大事なことは、検察の捜査が行われている最中なので、冷静に推移を見守るということだ。わたしとしては、その立場しかない」と述べ、あらためて事態の推移を見守りたいという認識を示しました。

 このニュースだけ見るとさして不思議もないようだが、具体的な質問の文脈が抜けている。NHKの放送では映像内に質問は含まれていた。質問内容は、同一の鳩山首相の対応と見られる3日付け毎日新聞記事「鳩山首相:小沢氏不起訴検討報道で「冷静に見守る」」(参照)からわかるように、小沢一郎幹事長の不起訴処分報道であった。

 鳩山由紀夫首相は3日午前、東京地検が民主党の小沢一郎幹事長を不起訴処分とする方向で検討を始めたとの報道について「仮定の話であり、検察の捜査が行われている最中だから、冷静に推移を見守る。私としてはその立場しかない」と述べた。首相公邸前で記者団に語った。

 最初に不起訴報道をしたTBSはその文脈をむしろ強調している。3日10時TBS「鳩山首相「冷静に捜査の推移見守る」」(参照)より。

 鳩山総理は3日朝、特捜部が小沢幹事長について不起訴処分とする方向で検討してることについて、「憶測の域を出ていないし、仮定の話」とした上で、捜査の推移を冷静に見守る姿勢を改めて強調しました。
 「今大事なことはやはり、検察の捜査が行われている最中ですから、冷静に推移を見守ると。私としてはその立場しかありません」(鳩山首相)

 失言の多い鳩山首相であり、今日と限らず小沢疑惑には「冷静に推移を見守る」以外の発言をしなくなっているのでそれほど報道価値もないようだが、このNHK報道を見ると、小沢氏不起訴処分報道すら多少抑制しているように見える。
 単純な話、何が報道各社で起きているのだろうか。何が、小沢氏不起訴報道の有無を決めているのだろうか。単純に考えれば、小沢氏不起訴報道の難しさということなのだが、いまひとつしっくりとこない。4月の検察内の人事異動も関係しているのだろうか。
 不起訴は視点を変えれば、しかし存外に形式的なことかもしれない。私が司法に詳しくないのピントがずれているのかもしれないが、確か今回の政治資金規正法違反容疑は時効を見据えてのどたばたという面があったはずだ。当面石川容疑者を起訴しておけば、小沢氏を含めて時効は延長のような形になるということではだろうか。だとすれば、現時点での検察としては、時効を止めるための形式的な手順として、一応立件しておくものの、当面はあまり騒ぎ立てず小沢氏不起訴に留めることもあるだろう。
 そもそも論に戻ると、小沢氏不起訴だとして、今回の検察からの枠組みは、文春・新潮などでは金丸事件の連想から脱税の線でお話をひっぱってはいるが、基本的には、政治資金規正法の枠組みである。なので小沢氏の政治資金の出所の問題は枠組み上は問えない。
 もちろん、そこに裏献金なり、賄賂性の高い金銭が混入していれば、別の枠組みとなっただろうし、年明けからこの一か月間の報道の疑惑の焦点はそこに向けられていた。その流れからすると、4日に政治資金規正法違反容疑の枠組みで小沢氏不起訴となっても、小沢氏の政治資金を巡る疑惑全体に終止符が打たれたという話ではないだろう。
 加えて、政治・外交点から、小沢氏をこの時点で起訴するのは好ましくないとする文脈も、検察側の配慮してあるかもしれない。2日国会内で小沢氏とキャンベル米国務次官補による、米軍普天間飛行場移設を巡る対談があったが(参照)、民主党政権成立以前にクリントン長官との面談があったことを例外とすれば、これまで米側との接触を避けていた小沢氏と会談が、小沢疑惑が深化する過程を経ることでようやく可能になったものだ。しかもその会談の相手である小沢氏は、マニフェストの目玉であるガソリン税の暫定税率維持を独断で変更(参照)できるほどの鳩山政権の最高の権力者である。今回のキャンベル会談は、この実質の最高権力者に、米側が普天間飛行場移設問題を直談判するという意味合いがあった。普天間飛行場移設問題に決着を付ける前に唯一政治決断が可能である小沢氏が政治失脚すれば、米国側としてもようやく出来たチャンネルを失い困惑することになる。


追記
 エントリ掲載後にNHKで不起訴報道が出た。「地検 小沢幹事長不起訴の方針」(参照)より。


2月3日 18時12分
 民主党の小沢幹事長の政治資金をめぐる事件で、東京地検特捜部は、市民団体から告発されていた小沢氏本人について、収支報告書のうその記載にかかわった明確な証拠はないとして不起訴にする方針を固めました。一方、逮捕されている石川衆議院議員と大久保公設秘書については、こう留期限の4日、政治資金規正法違反の罪で起訴する方針です。
 この事件で、東京地検特捜部は、市民団体から告発されていた民主党の小沢幹事長についても、▽収支報告書の内容を把握していなかったのかや、▽土地の購入資金に充てた4億円をどのように工面したのかなどについて、小沢氏から2度にわたって事情聴取を行うなど解明を進めていました。関係者によりますと、逮捕された衆議院議員の石川知裕容疑者(36)は、これまでの調べに対し、「資金管理団体の収入や支出の概要は小沢氏に報告していた」と供述する一方、収支報告書のうその記載については、小沢氏の積極的な関与を否定しているということです。また、公設第一秘書の大久保隆規容疑者(48)や元私設秘書の池田光智容疑者(32)も、小沢氏の関与を否定しているということです。小沢氏本人も、土地の購入に充てた4億円は個人の資金だとしたうえで、収支報告書の記載については「担当の秘書を信頼し任せていたので把握していなかった」と事件への関与を否定しています。こうしたことから特捜部は、小沢氏がうその記載にかかわった明確な証拠はないとして不起訴にする方針を固めました。一方、特捜部は、石川議員と大久保秘書については、うその記載が多額に上るなど悪質だとして、こう留期限の4日、政治資金規正法違反の罪で起訴する方針で、池田元秘書についても詰めの捜査を進めています。

 NHKなりの裏取りに時間がかかったということだろう。これでだいたい明日の動向は明らかになったと言えるのではないか。まとめると、小沢氏は不起訴で、石川議員と大久保秘書は起訴。池田元秘書は不明。いちおう今回の政治資金規正法違反容疑については検察なりに形を付けたことになるだろう。

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2010.02.02

[書評]タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本(岡本螢)

 「タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本(岡本螢)」(参照)は1991年の作品で、何か雑誌に連載されたエッセイをまとめたものではなく、徳間書店からの書き下ろしのようだ。手元のものは7月31日付けの初版だが版を重ねたふうもくなく、現在では絶版に至っているのかもしれない。おそらく、1991年の映画「おもひでぽろぽろ」に合わせた企画として出版された本だろう。帯にも「7月20日、全国東宝洋画系公開映画『おもひでぼろぽろ』の原作者がつづる、永遠のコドモ時代」とあり、それを意図したものであることをうかがわせる。

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タエ子ちゃんといっしょ
おもひでぽろぽろ読本
岡本蛍
 内容もさらっと読むと、昨日のエントリ「[書評]おもひでぽろぽろ(岡本螢・刀根夕子): 極東ブログ」(参照)で触れた原作、ないしジブリ映画の、著者からの補足と受け取れないこともない。あるいは原作で書き忘れていた、もう少しの裏話といった風に読まれもするだろう。
 だが本書は、筆者も出版社も想定してない不思議な絵を結果として描いている。結論から言えば、映画「おもひでぽろぽろ」が描いた大人の岡島タエ子とは異なる、もう一人の大人の岡島タエ子をきちんと描き出している。そのことで、映画との関係で、不協和音ということではないが、ある種の精神的な緊張を作り出している。
 映画に描かれた大人のタエ子像は多様に解釈されるだろうが、その設定は映画「おもひでぽろぽろ」の監督高畑勲氏の創意によるものだ。その創意もまた映画作品から多様に読み解かれてよいものだが、「おもひでぽろぽろ」集英社版(参照)には高畑自身氏による、一種の解説とも言える「透明さという喚起力」という文章が収録されており、ここで氏は非常に興味深い、ある意味で、多少言い過ぎかなと思える主張をしている。どのように原作から映画作品を作り出すかという苦闘の過程で、原作のエピソードをコラージュ化するか、あるいは、原作の本質から新しいストーリーを生み出すかを彼は考慮するのだが、前者のプロセスにこう触れている。

せつないエピソードを並べれば、タエ子は可哀想な「暗い子」にしか見えない。現に、わたしが後に二十七歳の成人したタエ子を設定したとき、原作を読んだスタッフのひとりが、「あんな暗いタエ子があんな大人になるはずがない」と言ったのである。わたしはおどろいた。十一歳の女の子ならば、誰に起こってもおかしくない心の残る「おもひで」だけを原作マンガは実にうまくすくい取っているのに、それこそがこのマンガの見事さなのに、それを一般の「物語」として受け取り、主人公に固着した「性格の表現」としか読み取れない人もいるのだ。

 高畑氏の視点は、「この年頃の女の子の何たるか」つまり、女の子というもののある本質を描き出した作品として原作を読解し、そしてその本質が、未来に開示されたものであるからこそ、大人の結実(種から花となる)を描き出したと言える。そこには、本質看取による個別性が捨象されてしまうか、個別性は本質的なものの一つの例示的な顕現として了解される。
 しかし私は、率直にいえば、このスタッフの女性の視点も、高畑氏の視点も微妙にずれていると思う。もう少し高畑氏寄りに、しかし、対比的に言うなら、読み出された普遍性は、それゆえに暗いものだった。その結実は、映画に描かれたタエ子とはまったく異なるものだったと思う。
 そのことを、本書「タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本」は、原作のマンガとは異なる肉声で、しかもその結実の側から語り出すことで、逆に原作に込められている暗さの別の意味を切り出している。例えばこういう箇所だ。フウセンガムに借りた話題のなかで。

 思い起こすと、チビのころの私はずいぶんひがんでいた。そりゃもう、ひガム、ひガム。
 私は三姉妹の末っ子だったので、だれにも喜ばれずに、この世に誕生したのだった。ご同類の方もいらっしゃると思うが、あなたもきっと期待はずれで生まれたんでしょ?
 もし、そんなことはないわ、と言うならば、それはたぶんあなたの親が大嘘つきか、あなたが鈍い子だったのいずれかである。

 諧謔の文体にヤイバのような鋭い問いが、そしてそれこそ「この年頃の女の子の何たるか」を示す問いが提出されている。それは「私は誰からも期待されずにこの世に生まれた」という意識であり、それが悲しみと恐怖に、さらに女性特有の性の衝動に色づけられる。
 もちろん世の中には、望まれて生まれた子どもこの世にはいるだろうし、親もその子を本当に愛していると子が確信できる子どもいるだろう。だから、こうした岡本氏の指摘は修辞でしかないとも言えるし、氏もそれは織り込んでいるだろう。
 だが、本質はといえば、何も変わらない。「私は誰からも期待されずにこの世に生まれた」という本質的な問い掛けは、ある時、事故のように気がつくか気がつかないかでしかない。気がついてしまったとき、親とはなんだろうか?と問うことにもなる。
 原作「おもひでぽろぽろ」が卓説しているのは、この本質的な問いに、昨今の風潮のような甘ちょろいヒューマニズムを描いていないところだ。特に、父親がタエ子を殴るシーンにそれは鮮明に描かれている。それは親が愛していたゆえに子に暴力を振るったのではない。親が「オキテ」であるから殴った。そしてこの大人のオキテこそが、子供を、大人に、親に、するものであり、タエ子もまた、そのオキテのなかで大人になることで、このぞっとする問題を生き抜くことで、解決しようとしている。そして本書は、そうした過程を経た大人の冗談に満ちている。
 そこに描かれた大人たる結実は、高畑が描いた自然的な伝統性でもなく、また、おそらく、そうした親和としての「愛」でも、「友愛」でもない。
 昨今、鳩山政権の奇妙な影響で「友愛」という言葉が、100年近い眠りから覚めた亡霊のように日本でまた一人歩きするようになったが、この「友愛(fraternity)」というのは、市民の連携の原理であり、市民とは、話を端折っていえば、親子の情や伝統社会の情を断ち切った孤独を抱える個人の上になりたつものだ。ドラッカーの父が子のピーターにフリーメーソンの会員であることを明しはしないような断絶でもある。だから、私は冗談めかしてであるが、「市民とは鬼畜」と言うことがある。親子の情や自然の情を、自身の孤独で突き破ってから連帯を求める人々は、伝統社会からは鬼畜のようにしか見えない。それが市民というものであり、そうした市民に、大人が成熟するには、幼い子供の心の傷に真正面から向き合って、ごまかさずに生きることしかないと思う。そうした「友愛」というもの生成を本書の次のような指摘で思う。

 子供のころの傷つき方というのは、今思えば、まったくあどけなかったのかもしれなくて、”思い出”という言葉で風化してしまっていることも多い
 でも、本当にそうなんだろうか、と思う。子供時代は、ただのどかで、懐かしいだけのものでは決してなかったように、私には思えてならないのだ。


大人は、いつまでも傷ついていることが嫌いだし、そんな暇もないって、たぶん思っている。
 けれど、でもでも、やっぱり擦り傷は擦り傷なのだ。擦りむいたのだ。かさぶたっちゃったのだ。痛かったのだ。せめて、それだけは覚えていたいと私は思う。
 それは、もしかすると、なーんの役にもたたなくて、思い返せば、うっとおしいだけのもんかもしれない。
 でも、そういうをポイちゃうのはキッタネーぞと、私はつっかりたい。

 情けない話だが、私もそうして生きてきたし、それ以外に生きることができない。自分の心の傷をごまかして、美しい画餅を描き、「いのちを守りたいのです」とかいうやつには、キッタネーぞとつっかかる。いのちに国籍なんかない。いのちを守りたいというなら、国境無き医師団のように国を越えていくしかない。なのに国のなかで「いのちを守りたいのです」と言えば、国の鉄壁の外に別のいのちを放り出すくらいしにかならない。キッタネーぞ。大金持ちならビル・ゲーツ夫妻みたいに国際的な慈善団体を運営すればよいのだ。おっと話がそれまくり。
 人は偽善からは逃れられない。逃がしてくれないのは、子供のときの深刻な痛みだし、痛みを捨てて幸せなシュラムッフェンなることを押し止めてくれるのは、幼い痛みを引き受けてくれた何者かだろう。人はおそらくその「はてしない物語」(参照)を生きなくてはならない、子供であることを捨てずに。
 ただし…。
 岡本の、そしてすっかり同化しちゃった私の、こうした思いは、この世代特有のものかもしれないとも思う。

 ヤエ子ねえちゃんは、昭和二十四年生まれである。世にいうベビーブームというやつで、赤ん坊がどんちゃかどんちゃか生まれた。一方、私は昭和三十一年生まれである。翌年の昭和三十二年をどん底に出生率はぐんぐん減っている。つまり、私が生まれたときのほうがヤエ子ねえちゃんのときよりも子供がぐうんと少ないのである。
 この事実をどう見るか。私としては、どんちゃか生まれたときのほうが雑な子が生まれると思うのだが、事実はそれに反して、二十四年生まれのほうが精巧にできている。
 生まれたご時世はどうか。二十四年というのは戦争の傷痕がまだ残っている。三十一年は「もはや戦後ではない」といわれた時代である。
 うまり、先に言った、ごちゃまぜ時代が始まりつつあった季節である。

 本書が書かれた1991年、筆者が35歳の年である。すでにその下の世代は台頭していた。

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2010.02.01

[書評]おもひでぽろぽろ(岡本螢・刀根夕子)

 映画「おもひでぽろぽろ」(参照)を見たあと、原作はどうなんだろと、なんとく気になっていて、ようやく先日読んだ。私が読んだのは1996年版の集英社文庫コミック版(参照参照)だが、後で知ったのだが、2005年に青林堂版(参照参照)があった。支持されての復刻という意味合いがあるのだろう。
 集英社版もまた復刻のようでもある。1991年徳間の「タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本」(参照)の巻末を見ると、徳間版の三巻本の「おもひでぽろぽろ」がある。書籍としてはこれが最初のようだ。映画「おもひでぽろぽろ」は1991年の作品で、原作は当然それ以前にあるのだが、徳間版から構想されたのか1987年初出の週刊明星連載によるものかはわからない。

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おもひでぽろぽろ (上)
 不確かな私の記憶だが、映画化は宮崎駿が高畑勲に頼んだものらしい。だとすると着目したのは宮崎駿ということになる。集英社版にはその経緯を高畑勲が綴った「透明さという喚起力」という文章が収録されていて興味深い。また、集英社版の2巻を見ると、初出について1987年から飛んで1991年の明星の8月1日号と28・29日号が記載されているがこれは「おもひでぽろぽろスペシャル」に対応するものだろうか。
 高畑の先の文章では映画化にあたり「原作に忠実」としている。さらに高畑は映画化にあたり岡本螢へのインタビューなどもしていてその成果も映画には取り込まれている。私が映画と原作を見た印象では、たしかに「原作に忠実」はそう受け取ってよいと思ったが、微妙に違う作品に思えた。
 原作「おもひでぽろぽろ」だが、作者岡本螢の子供時代と想定される小学校4年生の岡本タエ子の一年間の思い出エピソードが中心になっている。その点では、集英社「りぼん」に1986年から掲載された、さくらももこの「ちびまる子ちゃん」に似ているともいえる。余談だが、私は「ちびまる子ちゃん」の初版本が出たときに購入している。
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おもひでぽろぽろ (下)
 さくらももこは1965年生まれだが、岡本螢は1956年生まれで世代差がだいたい10年ある。私は1957年生まれなので岡本より一歳年下で、ほぼ同年代に近い。ただし、岡本は2月の生まれらしく、学年的には私より2年年上で、タエ子ちゃんが4年生のとき私は2年生であり、微妙に文化的な嗜好は違う。とはいっても大半は同じなので、原作を読むと、胸がきゅんとなるような思い出でありながら、その時代を子供として生きた人にしかわからない何かが描かれていて貴重な体験になった。
 「ちびまる子ちゃん」もその世代にとっては貴重な思い出なのだろうが、そこにはローカルなおかしさや日常の愉快さというものがある種、演出的に描かれているのに対して、「おもひでぽろぽろ」には戦後という時代の最後の暗さのようなものと、思い出話として演出的に還元されない何かが残っている。その特異な時代性とある種のアキュートネスの感覚の点で、映画の「おもひでぽろぽろ」は原作と絶妙な違いがあると思った。しいていうと、高畑勲の戦後世界的なそして団塊世代を理解したいタイプのヒューマニズムによって、曲解ではないが解釈に無理を感じる部分がある。それは映画で、大人になったタエ子が農村的な自然性に回帰するところで最大の差異となるのだが、つまりは「原作に忠実」でありながら、まったく別の作品になっていることを意味している、と私には思えた。それが悪いわけではない。ただ、同世代の人間としては「おもひでぽろぽろ」に描かれている、戦後の暗さ・残酷さのような部分、おそらくそれが結果としてタエ子の子供心に恐怖として反映されている部分の希有な表出を損なっているかもしれないと思えた。
 映画とのズレでもう一つ、「ああ、これは違うな」と思ったことは「性」の問題だ。映画のほうで描かれていないというわけでもないのだろうが、原作では読み方によっては、子供にとっての性の問題が強く露出してくる。そしてそれは、ヒューマニズム的な家族愛から微妙にはみ出すものとして描かれている。
 うまく言いづらいのだが、現代ですら、愛だの思いやりだの家族愛だのはフィクションだと子供は感じているものだ。しかし、豊かさや戦後の知性の累積がそれを上手に覆っている。それでも覆えない部分はあり、そこは社会に奇っ怪な違和として浮かびあがってくる。もっと単純にいえば、誰からも愛されない自分を抱えた子供はいつの時代もかならずいる。その部分を時代のなかで映し出し、戦後の暗さが終わる部分での、ある偽悪的な露出は、むしろ人の心の欺瞞を解く点で一種の救済でもあるだろう。
 原作にただよう奇っ怪な異質性を高畑が感受しなかったわけではない。彼の文章の締めにはこの言及がある。

なお、映像的な「雛熱」など、好きだったエピソードが盛り込めなかったことを大変残念に思っている。

 雛熱は、岡本の命名による造語だが、ひな祭りのころの、おそらくインフルエンザがもたらす高熱による幻想を描いたものだ。身体が離脱したような感覚で雛人形が列を作って歩きだしたり、巨大化するように感じられる。この作品は、特にその幻想シーンの表現だけ見ると「おもひでぽろぽろ」の他のエピソードとは異質な印象を与えるのだが、高畑がどうしてもひっかかるように、ここに「おもひでぽろぽろ」という不思議な思い出がなぜ大人の女性に残ったのかという秘密に通じる本質がある。むしろ、「雛熱」の意識こそが、この特殊な思い出というものを存在させている基軸なのではないかと思えてくる。
 私にとってはと限定すべきだろうが、原作「おもひでぽろぽろ」が同世代人には貴重な思い出の物語であることよりも、「おもひでぽろぽろスペシャル」の4つの連続した話のほうに、作品として衝撃を受けた。
 スペシャルの四話では、タエ子は幼稚園生から中学生まで年齢変化をするのだが、ひとつひとつの作品に、奇妙なカタツムリが登場する。最初の作品では、墓の前でおばあちゃんに「カタツムリかけるかたつむりってなに?」とタエ子が問い掛け、それにおばあちゃんが不思議な答えをしているシーンにそっと登場する。この作品だけならカタツムリの意味は問われないかのようだが、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」(参照)の「バナナフィッシュにうってつけの日 ( A Perfect Day for Bananafish )」のバナナフィッシュを巡る会話のような奇っ怪さを持つ。
 それが二話では一人暮らしの老人が巨大カタツムリとなり、まったくの幻想的な奇譚の世界に入る。しかし、これが奇怪であるがゆえに怖いのではなく、おなかがよじれるほどおかしいのだ。なんど読んでも笑える。なぜおかしいのか知的に理解できず、脳の一部が恐怖でしびれてしまって自分は笑っているのではないかとすら思える。その後の二話も、カタツムリの幻想の物語だが、なにかを比喩していると読んでもよいのだが、必ずしもそうした比喩の中心性はない。日常のなかに、あるいは思い出という幻想のなかに奇っ怪なカタツムリが違和として出現する。そして、消える。比喩というなら、思い出というものの存在論的な意味の奇っ怪さであろう。
 このスペシャルの漫画がどのようなプロセスで岡本螢と刀根夕子で作成されたのかわからない。おそらく、こんなんでいいんじゃない、面白いんじゃない、ゲラゲラという雰囲気で無意識に作成されたのではないかと思うが、その偶然のような過程でとんでもない名作に仕上がった。私は漫画に詳しくないのだが、この幻想性を有した類似の漫画や文学を知らない。この「おもひでぽろぽろスペシャル」が映画化されたら、どれほどか面白いだろうと、あるいは、その幻想のなかから、「雛熱」を通して、本編の「おもひでぽろぽろ」が描かれたらどうだろうか。そういう作品も見てみたいと切望してやまない。

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2010.01.31

[書評]朝青龍はなぜ強いのか? 日本人のためのモンゴル学(宮脇淳子)

 岡田英弘先生と宮脇淳子氏の著作の大半を私は読んでいるが、本書「朝青龍はなぜ強いのか? 日本人のためのモンゴル学(宮脇淳子)」(参照)については迂闊にも知らないでいて、先日勧められて読んだ。

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朝青龍はなぜ強いのか?
宮脇 淳子
 既に他の著作で書かれている内容も多いが、宮脇氏の体験談や女性から視点などが面白かった。読んでためになる、体系的な知識が増えるというタイプの著作ではないが、副題に「日本人のためのモンゴル学」とあるように、日本人なら知っておくといいのだろうなと思われることが随所にある。例えば、中露と微妙な距離を取りつつ安全保障を図るモンゴルの外交。モンゴルは、上海協力機構に近隣国が加盟するなか、オブザーバーではありながら加盟していない。

 モンゴルが正式加盟しないままでいる理由は、二〇〇六年上海での首脳会議で「政治体制や価値観などの違いを口実に内政干渉すべきでない」と宣言に盛り込むなど、上海機構が反米連合の色彩を強めているからである。絶妙の位置取りと言えよう。

 他方、中露と距離を置きつつ親米というのではないが、米国とも協調している。

 アメリカとの関係はといえば、二〇〇三年三月に始まったイラク戦争の際、同年十月国連で「イラクへの多国籍軍派遣や復興計画を巡る決議」が全会一致で採択される以前から、モンゴルは英米ほか三十五ヶ国とともにイラクへ軍を派遣した。
 イラクに派遣されたモンゴル軍は、九千百人(予備役十四万人)の兵力のうち百三十人にすぎなかったが、現在も少ない数ながら駐留を続けている。アフガニスタンにも軍を派遣している。軍事予算は、国家予算の三・三%程度であるが、だからこそモンゴルは国連の安全保障に注目し、PKOに積極的に参加したり、アメリカとの関係を強化して自国防衛を確保している。

 もちろん、これは米国側からもモンゴルを使ううま味というのもあるし、いろいろどろどろした問題がないわけではない。が、小国ながら、あるいは小国だからか、自国の安全保障の意識は明瞭にある。
 日本はどうか。日本はモンゴルをどう捉えているか。モンゴルへの対外経済支援の半分以上は日本が占めているのだから、日本としてもモンゴルを結果的には重視していると言えるし、モンゴルも二〇〇七年には国連の安全保障理事会非常任理事国の立候補を辞退し日本の改選を応援することで日本の顔を立てている。この結果が、日本提起の北朝鮮制裁にも有効に働いた。
 本書は標題どおり「朝青龍はなぜ強いのか?」についても触れている。理由はモンゴル相撲の背景があることや、強い男を生み出すモンゴルの文化などだ。率直にいえば、このあたりの説明だが、文化の話は面白いがそれを朝青龍に結びつけるあたりは酒飲み屋の談義の粋を出ない。
 モンゴル相撲と対応させて日本の相撲の歴史についても言及があるが、なぜか両者の史的関係については触れていない。少し残念なところだった。日本の相撲の歴史といえば、偽書でもあり神話にすぎない古事記は別として、日本書紀、垂仁天皇七年に野見宿禰の當麻蹶速と相撲(捔力)したとあるが、宮脇氏も触れているように、結果は野見宿禰が當麻蹶速を殺傷するに至ったことからも、「日本においても、モンゴルと同様、相撲の起源は、武術の一種であったことは明らかである」としている。
 野見宿禰の武術についてはその筋ではいろいろ愉快な話があったり柔道の起源のようにも語られているが、私はこれはまさにモンゴル相撲ではないかなと思っていた。もちろん、垂仁天皇七年というのはありえない年代だし、騎馬民族説を採るわけでもない。が、そう思うようになったのは、沖縄暮らしで琉球角力を知ったからだ。
 琉球角力なのだが、私が見た印象では朝鮮のシルムである。他、沖縄の綱引きも朝鮮のそれと似ている。朝鮮から琉球に庶民文化の伝搬があったのかはよくわからない。シルムの起源もよくわからないが、これはモンゴル相撲が起源ではないだろうか。いずれにしてもこのあたりの歴史がもう少し本書で言及されていたらと思った。
 その他、へぇ知らなかったなと興味深く思ったのは、現代モンゴルで女性の学歴が高いことだ。朝青龍の母親は国立大卒だが父親は運転手とのこと。白鵬も母親は国立大学卒だが、父親は大卒ではない。朝青龍の夫人もドイツ留学を呼び戻して結婚したほどのインテリであるとのこと。なぜそうなのか。宮脇氏の説明では男は肉体労働でも食っていけるが女子は難しいのでまず高等教育を受けさせるということだ。
 そういえば、昨今朝青龍の品行がまた話題になっている。私は仔細を知らないがざっと見聞きした範囲では朝青龍の非は明らかであるようには思えたし、もう少し日本人に配慮してくれたらなと思わないではない。が、どちらかというと私は、宮脇氏のようなさっぱりした朝青龍擁護論が好きだ。

 日本相撲協会から二場所の出場停止処分を受けてモンゴルに帰った朝青龍は、ふたたび元気になって来日した。鬱になったのは嘘だったのではないか、というマスコミあるが、私はモンゴル人ならときどき草原に帰りたくなるのは当たり前だと思う。
 日本に留学しているモンゴル人だけでなく、首都ウランバートルに住んでいるモンゴル人ですら、仕事のために仕方なく町で暮らしていると思っているらしい。
 夏休みにモンゴルに行くと、大臣も中央官庁の役人も大学教授も会社の社長も誰一人ウランバートルにはいない。みんな故郷の草原でゲル(テント)生活をしている。こちらのほうがモンゴル人のほんとうの暮らしだと考えているのだ。


 日本の大相撲にモンゴル力士を受け入れたのは、意識しなかったのかもしれないが、日本のためにまことに喜ばしいことだったわけだ。日本人もモンゴル人を見習って、少しくらいの違いには寛容になって、人生を楽しもうではないか。世界は広いのだ。

 はいはい。

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