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2010.10.30

生物多様性条約第10回会議が成功裏に終了、それとフーディアはどうなったか

 国連の生物多様性条約・第10回会議(COP10)が終わった。最終の追い上げ報道からすると案外いけるかもしれないとも思ったが、実際にABS(Access and Benefit Sharing:遺伝子資源へのアクセスと利益配分)議定書ができたらしいと知ると、それはそれで驚きの感もある。どういう交渉があったか知らないが、たいしたものだ。議定書はこれからはNAGOYAと呼ばれることになり、KYOTOに並ぶだろう。
 生態系保全目標の通称「愛知ターゲット」の採択については実効性についてはどうかと疑問に思うが、どちらかというときれい事でまとまりやすい。これに対してABSのは実利が関わってくるだけに厳しいものがあるだろうと見ていた。もっとも南米などの参加国ではすでに国内法でABSを整備しているので、それらを空言としないためになんらかの国際的な基盤は必要になる。それなりのご事情もあっただろう。
 実際にどのようにまとまったかだが、今日付けの毎日新聞「COP10:国内法整備着手へ 環境相、議定書早期批准で」(参照)ではこう伝えていた。


 議定書は、遺伝資源を利用する企業は提供国から事前の同意を得て、医薬品開発などで得られた利益をバランスよく配分すると規定。利用国に対し、遺伝資源を不正に入手していないか監視機関を設けてチェックするよう求めた。その際、提供国政府が発行する証明書を確認する。どういった体制で監視するかは利用国に判断をゆだねているが、監視機関を1カ所以上設ける。さらに、各国が情報を共有できるよう、条約事務局に情報とりまとめ機関(クリアリングハウス)が設置される。
 議定書は50カ国が批准して90日後に発効する。松本環境相は「さまざまな問題を整理し、すみやかに対応しなければならない」と述べ、議定書の早期批准と国内法の制定を急ぐ考えを示した。

 記事はわかりやすくまとめている。「バイオパイラシー」といった言い回しはないが規制のイメージも浮かびやすい。しかし私はこの問題の難所は、記事には言及がないが、特許にあるのではないかと思っていた。そのあたりはどうなのか。調べてみると3月の時点で経団連から「生物多様性条約における「遺伝資源へのアクセスと利益配分」に対する基本的な考え方」(参照)という文書があり、面白かった。「合意すべきでない事項」で特許の問題が列記されている。内情には複雑なものもありそうだが、基本的には「特許出願明細書への遺伝資源の出所開示」への脅威があるのだろう。
 現在日本ではレアアースが中国の文脈でいかにも寝耳に水といった風情で話題になっているが、今回のCOP10のABS規制も類似の形態で今後中国が関わってくる。漢方薬の原料など想起すれば日本人なら誰もそうだろうなと思い当たるだろうが、日本の遺伝子資源利用のかなりが中国によっているからだ。しかも日本の特許に相当する中国の専利法は昨年10月から第三次改定され、これに遺伝資源の出所開示が含まれている。問題はそれが実際上どの程度のものなのかということだが、中国としては自国の利益に使えるものならなんでも使う主義なので今回のCOP10のABSはその水準を暗黙に示すのではないか。
 別の言い方をすればそのあたりの度合いナゴヤにおいてどのくらい玉虫色になっているのかというのが知りたいところだがマスコミ報道などからはわからない。いずれ識者の論説を待つしかないだろう。
 ということでぼんやりしていると、そういえばフーディアはどうなったかと思い出した。もう何年も前になるが問われて調べたことがあった。
 フーディア(Hoodia)は一見するとサボテンに見える。が、サボテンではないらしい。いくつか種類がある。

 注目されているのはフーディア・ゴードニー(Hoodia gordonii)と呼ばれる種類だ。南アフリカからナミビアに自生する。花は美しいと言えないでもないが、臭いは腐った肉と言われている。その臭いに誘われたハエで受粉するらしい。嗅ぎたいとは思えない。
 この植物の成分に食欲を抑える天然の物質がある。当然、肥満解消の薬剤に利用できるのではないかということで話題になった。これに大手製剤社ファイザーも絡んだことから、欧米では大きな話題になったことがある。
 話題のもう一端は、狩猟の際に飢えをしのぐためにこの植物をサン人が利用してきた経緯があり、いわばサン人の知恵とも言えるものだった。まさに今回のCOP10にも関連する問題が潜んでいる。
 ちなみにサン人は以前は蔑称としてだろうが、ブッシュマンとも呼ばれていた。私の年代なら懐かしのニカウさんを思い出すだろう。「ミラクル・ワールド・ブッシュマン(The Gods Must Be Crazy)」という1981年の映画があった。現在からするとアフリカ人への差別に受け取られかねないが、個々にはしんみりとするシーンもあり、ニカウさんの人間性にある敬意も抱くようになるものだった。見たことがない人がいたらお薦めしたが、メディアとしては販売されていないようだ。
 食欲を抑制するフーディア・ゴードニーだが、その医薬品研究が始まったのは南アフリカの科学工業研究所だった。1977年に有効物質がP57として分離され、特許が取得された。特許はその後、英国の製薬会社ファイトファーム(Phytopharm)に委託され、さらにファイトファームは2002年大手製剤社ファイザーと共同でこの物質の研究を開始した。ファイザーとしてはP57をモデルに食欲抑制剤を開発したかったらしい。が、合成は難しく、また未知の副作用が潜む可能性(参照)があることから断念してしまった。
 P57の権利を戻したファイトファームは2004年、次にユニリーバ(Unilever)に貸与し、機能性の食品開発を狙った。が、2008年これも巨額の損失を出して断念に至った(参照)。理由は食品として期待される機能性や安全性の問題であったようだ。
 その後のP57の動向はよくわからない。期待が高く欧米メディアで取り上げられたことから、P57とは別に自然形態のフーディア・ゴードニーの健康食品が販売されているようだが、品質には問題が多いようだ(参照)。
 というところで、うかつだったのだが、もしかして日本でも販売されているのかと気がついて「フーディア・ゴードニー」でべたに検索してみると日本でも各種販売されているようだった。すごいな。効果があるのだろうか。
 ナゴヤの視点に戻ると、サン人への利益還元はどうなっているかが気になる。まずは、P57を分離した南アの科学工業研究所とサン人の関係になるのかとも思われる。サン人側は弁護士ロジャー・チャネルズ(Roger Chennells)氏を立て原住民としての利益を主張しているようだが(参照)、具体的な利益還元についてはよくわからない。
 ユニリバーの製品開発が成功していたらサン人への還元は比較的シンプルであっただろうが、ファイザーの場合はP57自体を使うのではないから製薬に成功しても微妙なところだっただろう。現在販売されている各種フーディア・ゴードニーの健康食品については、サン人側との権利がどのようになっているかは、ざっと見わたしたところではやはりよくわからなかった。粗悪品が多いとすればそれ以前の問題なのではないかと推測される。


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2010.10.28

「大きな社会」に向けた緒戦にキャメロン英首相は勝った

 英国は日本型停滞に陥るだろうとする米国経済学者クルーグマンの予言を昨日のエントリで扱った。彼の予想は経済学的に間違っているものではないが、米国民主党的な「大きな政府」を望むリベラルの政治色も濃いものだった。しかし現在世界において問われているは経済というより政治であり、特に「大きな社会」構築の可能性である。あるいは手垢のついた「保守」をより民主主義の正統に位置づける新しい試みであるとも言える。その世界史的な緒戦に英国キャメロン首相は立った。緒戦の結果はどうだったか。微妙に勝った。
 英政府統計局(ONS)が26日に発表した7-9月期(第3四半期)の季節調整済み速報値は前期比0.8%増だった。これはブルームバーグがまとめたエコノミスト35人による予想中央値0.4%の二倍であった(参照)。過去半年で見ても、この10年で最高の成長率を示し、市場の予想も超えるものだった。おかげで円売り・ポンド買いが進み円は81円台に落ちた(参照)。ありがとうキャメロン、ときっと「仙谷首相」も思っているだろう。
 翌日のブルームバーグ記事「僥幸に恵まれる英首相の賭け、景気好調で「運使い果たす」との懸念も」(参照)も皮肉なタイトルながらキャメロン首相の善戦を伝えている。


 10月27日(ブルームバーグ):キャメロン英首相の予算をめぐる一世一代の賭けが差し当たっては吉と出ている。英国の7-9月(第3四半期)の国内総生産(GDP)が予想外に大幅な拡大を示し、景気の二番底リスクをめぐる投資家の不安が和らいでいる。

 緒戦は勝った。ご祝儀は米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が英国の格付け見通しを「ネガティブ(negative)」から「安定的(stable )」に引き上げたことだ。英国は格下げの危険を脱した。
 キャメロン首相の歳出削減策が英国の最高格付け維持の防衛を果たしたとまでS&Pは指摘している。この判定は速報値発表2時間という短時間でなされたものなので、S&Pとしてもよくやったという思いがあっただろう。うがった見方をすれば、英国風緊縮財政を世界的にも是としたいという思惑があるのだろう。
 苦々しいのは英国のリベラル派である。絵に描いたようにガーディアンから腐しが入る。27日付け「The economy: Peering into a wasted decade」(参照)より。

Well, not so fast. Because while it is daft for any pundit or politician to forecast with pinpoint precision and granite certainty what GDP growth rates will look like in the coming year (and putting aside the question of what definition of double dip is being used), there are plenty of reasons to believe that the economy is now heading downhill – a journey that will go further and faster after last week's spending review. What the UK faces is arguably worse than another technical recession; it may be entering a wasted decade of sluggish growth and stubbornly high unemployment.

まあ、そうすぐにということでもない。賢者でも政治家でも来年のGDPがどうなるか(また二番底とはなにか)について精密に堅牢に言い当てるというのは愚かしいものだが、英国経済が下降線を辿っていることの理由は山ほどある。先週の歳出報告以降の過程は長く急速になる。現下英国が直面しているのは恐らく自律的景気後退局面より悪いものだ。それは低成長と根深い高失業率が続く失われた10年への入り口である。


 クルーグマンみたいなことを言っている。いわゆるリベラルという思想の類型が形式化し単調になってきている兆候でもある。余談だが、失われた10年は英国的には"a wasted decade"と表現されている。
 かくしてガーディアンは後続して延々と地獄案内を描くのだが、それは今回の速報発表前から言われていたことの焼き直しでしかない。もちろん、クルーグマンの予言同様それはそれなりに経済学的な基盤を持つものであって、ただのイデオロギー的なでっち上げではないが。
 それでもリベラル派が描いた黙示録は想定通りには進んでいない。二番底の懸念も遠くなった。保守派のテレグラフは26日付け社説「A ray of hope to make us open our wallets again」(参照)で政治的な文脈を指摘している。

More generally, the growth figures undermine the doomsayers on the Left who are depicting the retrenchment in the most luridly apocalyptic terms.

より広範囲に言えば、今回の成長率の数値は、世界最後の日を語る左派を弱体化させている。彼らは、財政削減をおどろおどろしさ極まる黙示録の言葉で語っているのだ。


 テレグラフとしてもキャメロン首相の戦いを楽観視しているわけではない。各種の経済指標は依然懸念されるものである。ガーディアンの指摘やクルーグマンの予言が間違っているわけではない。
 英国ということでフィナンシャルタイムズはどうか。経済紙でもありバランスのよい見解を示している。26日付け「Sun breaks through the clouds」(参照)より。

Fortune smiles on George Osborne: third-quarter growth well above expectations and the removal of a rating agency’s scarlet letter make the UK chancellor’s gamble that he can slash public spending without killing the economy look a whole lot smarter than just a week ago.

幸運の女神はオズボーン英財務相にほほえみかけている。第3四半期の成長率が予想を上回り、格付け会社が緋文字を除去したことで、経済成長を犠牲せず公的支出を削減するという英国蔵相の賭は、一週間前に比べ全体的に賢明になものに思えるようになった。


 緋文字(scarlet letter)については知らない人がいたら調べておくように。
 フィナンシャルタイムズとしては気取ったユーモアのなかに中立的なトーンがある。今後を見るか。

This looks remarkably like a normal cyclical rebound and lays to rest worries that the coalition was talking the economy into a funk with its rhetoric of cuts. But no rebound can buoy up the economy alone as austerity moves from talk to action.

好調は目立って通常の景気循環にも見えるし、また連立政権が削減の名目で経済をダメにするのではないかという懸念も落ち着かせる。しかし、緊縮財政を宣言から実現に移すとなれば、反転だけでは経済を支えることはできない。

For that, private demand must expand faster than public demand shrinks. Pay squeezes and job cuts in the public sector, as well as a wobbly housing market, make it unlikely that consumers will lead the charge. The onus is on business investment and customers for British exports.

というのも、民間需要の拡大は公的需要の縮減より急がなくてはならないからだ。公的部門における賃金低下と人員削減は、住宅市場の不安定性同様、消費活動の牽引力を不確かにする。その任に当たるのは、設備投資と外需である。


 ケインズ経済学とは逆の動きになる。公的部門の縮退は経済全体の足を引っ張る。消費者の需要は当然喚起されない。牽引するのは設備投資と外需の二つということだが、外需というのは世界貿易のなかでは通貨戦争に勝ち抜くことになるだろうし、外的な要因は大きい。設備投資が問われる。
 そこそこの経済成長の維持が望まれる。従来の考えからすれば成長戦略が必要になるというところだ。だが、おそらく英国で現在問われてくるのは、「大きな社会」への投資であり、信頼だろう。
 9月19日付けニューズウィーク「Toil and Tears」(参照)がキャメロン首相のビジョンをこう見ているのが参考になる。

As he sees it, the dominance of the state has sapped Britain’s sense of personal responsibility, and he wants individuals and neighborhoods to take back control of their own lives. “We believe that when people are given the freedom to take responsibility, they start achieving things on their own and they’re possessed with a new dynamism,” he says.

キャメロン首相が考えるように、国家の優位は英国的な個人責務の感性をむしばんできたし、個々人は隣人とともに人生の手綱を自分たちの手に取り戻すべきなのだ。「人びとに責務を取る自由を与えれば、人びとは自ら活動を始め、新たな活力に満ちてくる」とキャメロンは言う。


 これはナンセンスな「新自由主義」とやらでもなければ、古くさいサッチャー主義の再来でもない。人びとが隣人とともに人生をどう切り開くか、そこに国家ではなく自らの力を投入できるようにしようということだ。これが「大きな社会(Big Society)」なのである。

Cameron wants to do more than pinch pennies: he wants to reform the very relationship between Britons and their government.

キャメロン首相がしていることはしみったれた倹約ではない。彼は英国民と英国政府の関係を改革したいと願っているのだ。



It always comes back to money, and the calculation is a simple one: any meaningful cuts are sure to bring unpopularity—so why not go for the ones that can yield lasting change?

何かとカネの問題になるしそう見るなら単純だ。有益な削減であっても大衆の賛同は得にくい。継続的な変革が可能かやってみたらどうか。

The sooner the most painful parts are done, the more time there is for the public to forget its suffering before the next election. By then the foundations will have been laid for the Big Society.

痛みを伴う部分に素早く対処すれば、次回選挙までに選挙民は痛みを忘れてくれる。それまでには、「大きな社会」の礎石が敷かれているだろう。


 英国キャメロン首相の「大きな社会」への挑戦が成功するか失敗するか、わからない。経済学的に冷静に見れば、失敗する可能性も高いだろう。しかし、問題はその失敗に見える時代に人びとが本当に「大きな社会」を志向するようになれば、それはそれで成功でもある。その方向性が見える日はそう遠いことでもない。


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2010.10.27

クルーグマンの予言:緊縮財政の英国は日本型停滞に陥るだろう

 ニューヨークタイムズのコラムニストでもあるクルーグマンが、緊縮財政に取り組む英国はいずれ日本型停滞に陥るだろうと不吉な予言をしていた。政局的には米国中間選挙が迫るなか、「大きな政府」に望みを繋ぐリベラル派の焦りの表明の一形式でもあるが、英国経済についてはクルーグマンの予想は経済学的にも妥当とも言える。日本も自民党が勘違いして愚かな緊縮財政に向かおうとしている文脈では、こうした動向に対してそれなりに考えさせらるものがある。
 クルーグマンのコラムは21日付け「British Fashion Victims」(参照)だが、プレスデモクラットに転載された同一内容の「KRUGMAN: Britain falls victim to fading fad」(参照)のほうが、改題とリサ・ベンソンのイラストからリベラル派特有のズレ具合が感じられて興味深い。

 イラストではUKと刻印された大鉈を持つ猫背のひ弱な英国キャメロン首相に対して、米国オバマ大統領が小さなハサミを手にして「僕たちだって自国予算を刈り込んでいるよ」と軽薄にふんぞり返っている。
 注記にもあるが元絵はワシントンポストにあったもので、財政右派に近いワシントンポストとしては、赤字財政に取り組まないオバマ大統領の愚かさを狙った図柄だが、プレスデモクラットがクルーグマンのコラムに付した意図は、英国の不吉な緊縮財政への非難であったのであったのだろう。それってズレてるってば。
 クルーグマンの当のコラムだが、欧州を中心とした緊縮財政の動向への批判から英国の緊縮財政の批判に移っている。しかしこの論理は仔細に読むと論旨がズレていて少し変だし、そのズレた部分に微妙な問題が隠れている。
 こう切り出される。


In the spring of 2010, fiscal austerity became fashionable. I use the term advisedly: The sudden consensus among Very Serious People that everyone must balance budgets now now now wasn’t based on any kind of careful analysis. It was more like a fad, something everyone professed to believe because that was what the in crowd was saying.

2010年の春、緊縮財政が人気のトレンドとなった。私はこれをを注意深く考えたい。物事を真摯に捉える人たちが、突然、今すぐにでも財政バランスを取るべきだと突然合意したのだ。だが、きちんと分析してみればそれには根拠がない。ちょっとしたブームといった類のものである。多数が唱和しているから信じるのだと言うくらいのことでしかない。

And it’s a fad that has been fading lately, as evidence has accumulated that the lessons of the past remain relevant, that trying to balance budgets in the face of high unemployment and falling inflation is still a really bad idea.

しかもそのブームも近年色あせてきている。過去の研究成果を見ても、高失業率とインフレ下降時に予算バランスを取ろうとすることが間違っているのは、十分に証拠も積み上がっているからだ。


 経済学的にはそうだと言えるだろう。
 経済学者スティグリッツも19日付けガーディアンへの寄稿「To choose austerity is to bet it all on the confidence fairy」(参照)で同種のことを述べている。興味深いのはスティグリッツ寄稿の"the confidence fairy(信頼魔法の妖精)"の話をクルーグマンが受けている点だ。クルーグマンのコラムに戻る。

Most notably, the confidence fairy has been exposed as a myth. There have been widespread claims that deficit-cutting actually reduces unemployment because it reassures consumers and businesses; but multiple studies of historical record, including one by the International Monetary Fund, have shown that this claim has no basis in reality.

顕著なのは、信頼魔法の妖精はただの神話でしかないことがもう歴然としていることだ。この物語では、財政赤字を削減すると、消費者や事業家が信頼し現実に失業が低減するといのだ。しかし、国際通貨基金(IMF)の研究を含め、各種の歴史経済学研究から、この物語に現実的な根拠がないことが判明している。


 「信頼魔法の妖精」の出典は私にはよくわからないが、スティグリッツが最初に言い出したというより、その元にはクルーグマンの7月1日の有名なコラム「Myths of Austerity」(参照)がある。
 いずれにせよ、経済学的には高失業率とインフレ下降時に緊縮財政を取るのは間違いだということをクルーグマンは強調したい。それはわかる。だがそれは一般論でもある。今回のコラムではこの一般論から個別の英国の緊縮財政に話題がやや無理筋で結合していく。

No widespread fad ever passes, however, without leaving some fashion victims in its wake. In this case, the victims are the people of Britain, who have the misfortune to be ruled by a government that took office at the height of the austerity fad and won’t admit that it was wrong.

トレンドというものは影響を受けた人を犠牲にせずに過ぎ去ることはないものだ。今回の犠牲者は英国国民である。彼らは運悪く、緊縮財政トレンドの渦中で緊縮財政は間違いであると認識できっこない政権に左右されることになる。


 クルーグマンの舌鋒は英国キャメロン政権が、財政危機の恐怖によって人びとを支配しているという絵までこの先に描いていくのだが、過激というより毎度毎度のクルーグマンだなという愉快な芸風である。
 かくしてクルーグマンは緊縮財政の英国は日本型停滞に陥るだろうと予言する。

But the best guess is that Britain in 2011 will look like Britain in 1931, or the United States in 1937, or Japan in 1997. That is, premature fiscal austerity will lead to a renewed economic slump. As always, those who refuse to learn from the past are doomed to repeat it.

しかし良い予想を立てても2011年の英国は、1931年の英国のようになるだろう。あるいは、1937年の米国か、はたまた1997年の日本か。つまり、性急な緊縮財政は経済停滞に至るということだ。よく言われているように、過去から学ばない者は同じ過ちを繰り返す。


 英国も来年からは日本の過去の過ちを辿ることになるだろうというのだ。いい言われようだね。
 経済学的に見れば、しかしクルーグマンの指摘は正しく、国民所得に対する債務比率や財政赤字の中での低金利からして、英国に早急の緊縮財政は必要はないだろう。
 つまり、このまま突っ走って緊縮財政をするなら、英国は日本型の錯誤の経済ということにはなる懸念はある。いやむしろ英国の現下の状況は、現在日本の自民党がごり押ししているような財政バランスへの悪夢を実現してしまったかのようにも見える。
 しかし問題はどうやら経済ではなさそうだ。
 クルーグマンは否定的な文脈で政治を取り上げているが、実際に英国が直面しているのはまさに新しい政治の課題である。

Why is the British government doing this? The real reason has a lot to do with ideology: The Tories are using the deficit as an excuse to downsize the welfare state. But the official rationale is that there is no alternative.

英国政府がこんなことをしているのなぜか? 本当の理由は政治理念にある。保守派は財政赤字を福祉国家の縮小の言い訳にしているのだ。それ以外には公的な理由になりそうなものがないからである。


 問題は政治だ、おバカさん("It's the policy, stupid")。
 財政危機による緊縮財政でもなく、経済再発展のための緊縮財政でもない。この経済危機を機会に、国家を縮小しようというが、英国が今経験しつつあることだ。
 もっと言うなら、日本の停滞は官僚の失態でありながら微妙に官僚支配と整合的だった。これに対して、現在の英国は福祉国家から新しい、大きな社会をベースとした社会に転換することを目指している。クルーグマンは自身の政治理念で目をふさいでいるが、新しい問題が提起されているのである。
 この問題は米国社会の知識層に微妙な陰影を落としている。すでにクルーグマンの怒りを見てきたように米国のリベラル派は英国の動向が気に入らない。23日付けニューヨークタイムズ社説「Britain’s Austerity Overdose」(参照)はその典型である。

There is a time and a place for aggressive deficit reduction. Now is not the time, especially not in Britain. The deep spending cuts announced by Prime Minister David Cameron’s government will hobble public services, strain poor families’ budgets and weaken Britain’s influence abroad. They could suffocate a feeble recovery.

性急な財政赤字削減にはそれに適した時期と状況がある。現在はその時ではない。特に英国ではそうではないのだ。デイビッド・キャメロン首相が公言する大幅な歳出削減は公共サービスを躓かせ、英国の対外外交力を低下させるだろう。弱い足度の景気回復を窒息させるかもしれない。

Mr. Cameron and his team appear to be driven solely by Conservative Party articles of faith.

キャメロン氏と彼を支える人びとは、単に保守派の信仰で突き動かされているだけのようだ。



Unfortunately, Britain’s leaders chose posture over sound economics.

残念なことに、英国指導者は健全な経済よりも立ち位置を優先している。


 プレスデモクラットやクルーグマンが英国理解に微妙なズレを示したように、ニューヨークタイムズもここで奇妙な勘違いを示している。「保守派」というとき、それは中間選挙を控える米国のそれとは微妙に違うのである。
 この違いは保守派に近いワシントンポストの24日付け社説「The English patient」(参照)からも、その違和感を通して読み取れる。

REASONABLE ECONOMISTS can differ about whether the United Kingdom's austerity plan is too austere, too soon. Certainly, an immediate retrenchment of this magnitude would not make sense for the United States, nor is it necessary:

まともな経済学者ですら、英国の緊縮財政計画はやり過ぎではないか、性急過ぎるのではないかという点で意見を異にする。当然ながら、これほどの規模の早急な削減は米国には意味をなさないし、その必要すらない。

The United States, with a global reserve currency, is in a stronger and more independent economic position than is the United Kingdom.

米国は世界に保有される通貨をもつ国家として、英国より強くより独立した経済位置にある。


 米国保守派としては、まず英国と米国とは経済の状況が違うし、他国の状況については判断を保留している。だが、その動向は注視している。

But the plan unveiled last week by Britain's coalition government offers a useful and, in many ways, impressive example of what a serious approach to deficit-cutting entails -- and will eventually require from U.S. policymakers.

しかし、英国の連合政府が先週明らかにした削減計画は、有益であり、幾多の点で、財政赤字削減に真摯に取り組むこととの意義深い一例である。そして、最終的には米国の政治家にも求められるものだ。


 英国と米国とは異なるとはいえ、財政赤字削減に取り組む覚悟への政治的な賛同感が米国保守層にある。加えて、大きな政府の問題についても斬新な取り組みとも見られている。

Almost unthinkable from both parties here, the plan tackles some -- although far from all -- entitlement spending.

米国民主党と共和党両党にとって、検討すらしがたいのは、この削減案が部分的にではあるが、社会保障給付金制度の削減に取り組んでいる点だ。


 政治的な課題はそこにある。つまり、大きな社会をいかに実現するかという課題について、米国の思慮深い保守派は理解しつつ、かつそれが米国では実現がほぼ不可能であることを苦く認識している。
 同社説では、軍事同盟国でもある英国の軍事削減への懸念も強く表明されている。
 私は思うのだが、米国保守派は、理念としては英国が率先しつつあるとしても、米国が現実的に世界通貨と公海の自由の最後の守護神であるための軍事力から手を引くわけにはいかないという、ある意味で錯誤の苦悩があるのだろう。
 日本はといえば、国民国家としては英国に近い政治的な道を取ることも可能であるかのように見えるし、そうした道を取るしかない岐路に立たされるかもしれない。それでも、英国のような軍事力がない手前、世界通貨ドルと公海の自由の点で米国を支えるしかなく、それが結局のところ「大きな社会」の理念の選択をも曖昧にするだろう。
 この問題は、医療制度における英米日の差にも反映している。機会があれば別のエントリーを起こしたい。


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2010.10.26

欧米は緊縮財政から大きな社会へ。日本は大きな亡霊へ。

 欧州が緊縮財政に向かっている。政府が国民に大盤振る舞いをしたツケが払わされる時期になったのだとも言えるが、反面、米国ではさらなる金融緩和が予定されている。もっとマネーを市場に供給しようというのだ。一見、逆の方向にも見える。しかし、もしかすると米国は最後のあがきをしているだけで、いずれ欧州を追うようになるのかもしれない。
 まさか。バーナンキ連邦準備制度理事会(FRB)議長のように優れた頭脳を中央銀行に持つ米国がそんな失態に陥るわけはない。そう私は思っていた。今でも八割方そう思っているのだが、コラムニスト、ロバート・サミュエルソンの12日のコラム「The Age of Austerity」(参照)の指摘は少し驚きだった(同コラムは日本版ニューズウィーク10・27号に抄も訳がある)。


We have entered the Age of Austerity. It's already arrived in Europe and is destined for the United States.

私たちは緊縮財政の時代にいる。欧州ではすでにその時代に達し、米国もそうなる宿命にある。

Governments throughout Europe are cutting social spending and raising taxes—or contemplating doing so. The welfare state and the bond market have collided, and the welfare state is in retreat.

欧州全土の政府は社会費を切り詰め、増税しているか、あるいはその検討に入った。福祉国家と債券市場は衝突し、福祉国家が退くことになった。


 不吉な話にも聞こえるが、サミュエルソンの真意は緊縮財政の薦めではない。それは議論の余地のある問題ではなく、避けがたいとしている。問題は、むしろ急速な緊縮財政がもたらしうる危機への懸念のほうである。

Even rich countries find the costs too high, but the sudden austerity could perversely trigger a new financial crisis.

富裕国ですら社会支出が膨れすぎると反省しているが、緊縮財政を性急に取ることは逆に新たなる財政危機の引き金を引くことになりかねない。


 緊縮財政は避けがたいが早急な対応は危険だというのだ。
 ここで現下の世界経済の見解に微妙なスペクトルが生じる。例えば、有名な投資家であるジョージ・ソロスは緊縮財政の危機を直接的に表明している。5日付けロイター「ユーロ圏「デフレスパイラル」はドイツの緊縮財政策が原因=ソロス氏」(参照)より。

ソロス氏はコロンビア大学で講演し、欧州や米国にとって、財政引き締めではなく追加的な財政刺激策を講じることが危機から脱する方法だと指摘、「ドイツのような債権国が赤字を削減することは、1930年代の大恐慌から学んだことと完全に矛盾している。ドイツは欧州を長期的なスタグネーション、あるいはそれ以上に悪い状況に追い込んだ責任がある」と述べた。

 欧州連合(EU)ファンロンパイ大統領はすぐに反応した。6日付け「EU大統領:財政緊縮で回復はむしろ強まる-ソロス氏と対照的な見解」(参照)より。

 ファンロンパイ大統領は6日、ブリュッセルで財界首脳らを前にスピーチし、「EUの景気回復には差があるが、それは一部加盟国の改革プログラムが原因だ」と発言。「デフレにつながるような政策は一時的で、一段の経済成長の下地になっている」と述べた。

 EUとしては緊縮財政により景気回復がむしろ強まるという立場にある。
 一見すると緊縮財政と金融緩和の二派があるように見えるが、ソロス氏の見解は、あくまで債権国の赤字削減への警戒であり、すぐに連想されるように日本もまた世界の債権国でもあるから同様のことは言えるだろう。
 難しいの米国である。巨額の赤字を抱えていてなぜ緊縮財政に進まないのか。それはこれから起きることなのか。
 ここで私はブログの世界にありがちなネタを思いつく。そして、それが案外あり得ないことではないのではないかと自らトラップしてしまった。言おう。米国の金融緩和は実は偽装された緊縮財政なのではないか?
 いやいくらなんでもひどいネタだというなら、遅延策ではないだろうか。現下、米国の中間選挙を控え、その台風の目となるティーパーティについてNHKでもとんちんかんに報道されているが、これはアンチ・オバマ政権やキリスト教右派なる無知蒙昧な人びとの反動というより、基本線では政府が巨大化することで同時にふくれあがる税に対する反感であり、だからこそ茶税に対抗したボストン・ティーパーティ事件にちなんでいるのである。
 社会民主主義的な素性のある欧州の場合、政府の側が率先して緊縮財政に向かうが、米国の場合は草の根の大衆の側が政府を小さくするための緊縮財政への動向をすでにもって動き出したということではないか。
 であれば、米国では、その動向が極端に振れないように、小出しの、あまり効果がなさそうな金融緩和が目論まれているのではないか。なんというのか、日銀の知恵とでも言うものかもしれないが。いやそこまで言ったら冗談が過ぎるな。
 サミュエルソンのコラムに戻るとそこに微妙な調和はある。

The ultimate hope is to buy time. Effective deficit cuts, it's argued, will spur economic growth by reassuring bond markets that debt levels are sustainable and justifying lower interest rates.

究極の希望は時間を稼ぐことだ。効果的な赤字削減なら、議論されているように、負債レベルが維持可能で低金利も正当化できると債券市場を確信させることで、経済成長を促進することになる。


 それって日銀、とか思わずどん引きそうになるがそうではない。

That's also the theory of new British Prime Minister David Cameron, who has proposed shrinking government spending by a sixth by 2015.

これは英国の新首相デイビット・キャメロンの理論である。彼は2015年までに政府支出の六分の一を縮小すると提言してきた。


 英国の新たな動向である。
 英国のキャメロン首相の動きは速い。菅首相の行政が歩行速度だとすると、キャメロン首相の速度は加速モードのサイボーグ009くらいある。すでに高額所得者を児童手当の対象から外した。意外にも英国国民はキャメロン首相を概ね好意的に見ている。これからじわじわと中間層をしめあげていくのに。なぜか。
 簡単に言えば、福祉を国家が担うのではなく、社会が担うように「大きな社会」を構築しようという合意が取れつつある。
 「大きな社会」というと、どこかの浮かれた社会学者がとびつきそうなネタだが、実際には、大きな社会とは社会資本支出の個人負担が大きくなるわけだから、社会への入会金がつり上がるのと同じである。現下の欧州の移民排斥は、従来のような異民族差別というより、大きな社会に向かう同一のプロセスと見た方がよい(入会金を払わないかたお断り、と)。
 かく、他山の石をまったり鑑賞しつつ日本はどうなるのか。
 私は日本は企業や公務員・公務員的な系列といったものが「大きな社会」のような「大きなメンバーシップ」を形成していたと思う。しかしこれは今後じわじわと解体され、なのに欧州風の大きな社会も築けず、米国風の自立と連帯もなく、人びとは細分化するだろう。
 そして細分化された人びとの正義を吸収する形で、大きな政府が希求されてしまうのではないかと懸念している。ネットで見られる正義によるヒステリックなバッシングはその前兆ではないだろうか。その点において右派左派もまった同構造でもある。
 そもそも日本の場合、「大きなメンバーシップ」を実質支えていた政府資産が巨額すぎた。だからここまで赤字が可能になっている面があった。よく日本の財政を家計に例えて年収の何倍もの借金というが、この奇妙な疑似家計は莫大なストックをもっているからのことだった。
 この国家資産は、これまでは微妙に日本国民のメンバーシップをも担保していた。だから、国民はこの国家を信頼していたのだろう。困ったことがあれば、そしてそれが正義なら、国が補償すると確信しているし、正義があればそれが実現できると夢見ている。その正義の夢だけがしだいに大きな亡霊のように存在するようになるだろう。政府資産が潤沢にあるかぎり、この亡霊は維持できるだろう。


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2010.10.25

米国金融緩和がもたらすヌルい戦争

 米国連邦準備制度理事会(FRB)は11月2日から3日にかけて開催する米連邦公開市場委員会(FOMC)で追加の金融緩和を決定すると見られている。注目されるのはそれが非伝統的手段であることだ。日本でも一部識者が長年希求してきた本格的なリフレ政策である。FRBがリフレ政策に成功すれば、日本の失われた10年、15年は、それを頑冥に拒んだ日銀の失策だったということにもなるだろう。
 バーナンキFRB議長は15日、ボストン地区連銀主催の講演で追加的な金融緩和の必要性を示した。日経新聞に掲載された要旨(参照)では、まず健全な経済活動ではマイルドなインフレが求められるとしている。


 米連邦公開市場委員会(FOMC)メンバーは一般的に、長期的にみてややプラスのインフレ率がFRBの使命と最も整合的だと考えてきた。
 FOMCメンバーが示す景気・物価見通しによれば、同メンバーが(最大限の雇用促進と物価安定という)使命を果たすのに適切だと判断しているインフレ率は2%程度か、それをやや下回る水準だと考えていることがわかる。
 ところが最近の指標によれば基調となるインフレ率は約1%で、適切な水準と比べて低すぎる。経済情勢を踏まえると、短期の実質金利は高すぎることになる。デフレのリスクは望ましい状況よりも高い。
 最近のインフレの鈍化、使われていない経済資源の状況、インフレ期待の落ち着きを踏まえれば、基調となるインフレ率はしばらく適切な水準より低い状態が続くと考えるのが妥当だ。

 FRBが手を打たなければ米国のインフレ率は低水準の推移が見込まれる。つまり、デフレが懸念される。そこで2%程度のマイルドなインフレに追加の金融緩和で誘導しようというのだ。
 現在の米国はほぼゼロ金利である。その状況下で、FRBに課せられている雇用拡大と物価安定という二つの目的の達成のために、さらなる追加政策を決断することになる。

FOMCの目的を達成するには、他の条件が変わらないなら一段の行動が必要な状況とみられる。ただ、金利はゼロ%以下にはできないため、低インフレ下の金融政策は制限される。政策金利がゼロであっても追加政策は可能だが、コストを計算しながら判断しなければならない。

 追加の金融緩和政策は非伝統的手法になる。

 非伝統的な政策手法を使うことに伴う不透明さなど、低インフレ環境での金融政策や市場との対話には多くの困難が伴う。これらの困難にもかかわらず、FRBは雇用拡大と物価安定という2つの目標の実現に取り組み続ける。景気回復や物価の適正な水準への上昇に必要であるなら、追加的な金融緩和を実施する用意もある。FOMCは追加策を検討する際、非伝統的な政策による損失やリスクを当然考慮するし、決定するかどうかは今後の経済・金融に関する情報次第となる。

 非伝統的手法は具体的には、国債など長期証券をFRBが買い取ることである。すでにFRBは紙幣を刷って1兆ドルもの不動産担保証券を購入している。今回はさらにその量的緩和(quantitative easing)の第2弾になるので、QE2と呼ばれる。
 国債など債券が買われることで価格が上がり、金利は下がる。滞っていた資金は、その比較で金利が上がるほうの投資に流れ始め、生産が拡大し、雇用も増える。そういう絵がまずある。もう一つの絵は後でふれる。
 元内閣参事官で嘉悦大高橋洋一教授はFRBの動向を肯定し、彼我の差を嘆いている(参照)。

 こうしてみると、日米の中央銀行の差が歴然としている。日銀の目的は基本的には物価安定だけだ。それに、白川総裁がインフレ目標を先取りしたとか豪語している今の運営では、物価見通しは1%(生鮮食品を除く総合)のはずだが、8月でマイナス1%だ。マイナスになってから18カ月、1%を割ってから21カ月。その間、発動されるべき量的緩和は行われなかった。

 FRBのリフレ政策は成功するだろうか。
 日本に対してはリフレ政策の英断を日銀に求めていたフィナンシャルタイムズだがFRBのQE2については懐疑的である。15日付け社説「The new threat to the global economy」(参照)ではこう懸念していた。

How effective more QE would be is questionable: long-term interest rates in the US are already extremely low. With US assets offering low returns and the financial system in weak health, much of the new money will find its way to high-yielding emerging markets. There will be little additional benefit to the US economy.

追加の量的緩和が効果的かについては疑問符が付く。米国長期金利はすでに極めて低く、資産の低収益と金融システムの不健全性からすれば、新規マネーの多くは高収益の新興市場に向かうだろう。米国経済に対するメリットはわずかしかないだろう。


 だが、フィナンシャルタイムズとしてはQE2が失敗するとまでは見ていない。

The good news for countries such as the US and Britain is that a monetary tsunami makes the prospect of a global double-dip recession more remote. The bad news for emerging markets is that the next major threat to the global economy could originate in their own back yards.

米国や英国のような国々にとっては、マネーの津波で国際的不景気の二番底の懸念が回避されることは良い知らせだ。反面、新興市場にとっては、その陰で世界経済への次の脅威の生じることとして悪い知らせとなる。


 明確には書かれていないが、ロシアやアルゼンチンのような危機が生じると見ているようだ。
 QE2へのまとまった懐疑論としては、スタンフォード大学マイロン・ショール名誉教授の指摘、「ショールズ氏、QE2の効果を疑問視(Guest Contribution: Myron Scholes on Whether QE2 Will Work)」(参照)・(参照)がある。
 ショール教授による疑問は6点も挙げられており、懐疑論一網打尽の趣もあるが、これらをバーナンキFRB議長が理解していないわけでもない。結局のところ、勇気を持って出たとこ勝負でやってみるしかないということだろう。それを踏まえて20日付けワシントン・ポスト社説「Ben Bernanke hopes his risky plan will perk up the economy」(参照)が期待と懸念を述べていた。

It's worth remembering that Mr. Bernanke, like many others, hoped that one round of quantitative easing, plus fiscal stimulus, would be enough to turn the economy around. He now says that the Fed will "proceed with some caution" toward QE2. Given the uncertainties, that's a promise we hope he'll keep.

バーナンキ氏は、他の人もそうであるが、量的緩和の一巡に財政刺激を加えることで、経済が立て直せると期待したのだということは、記憶しておくべ価値のあることだ。氏は目下、FRBはQE2を警戒しつつ進展させると述べているが、その約束を守ることを我々は期待しよう。


 卑近に言うなら、権限があるのだから勇気を持ってやるならやってみろ、その結果は覚えておくぞということだ。
 実際のところFRBは、「警戒しつつ進展」ということで、今日のロイター「FRBの追加資産買い入れ、段階的な追加を検討=地区連銀幹部」(参照)が伝えるように段階的に行われるだろうし、そのことが市場とのコミュニケーションでもあるだろう。

米セントルイス地区連銀のリサーチディレクター、クリストファー・ウォルター氏は22日、連邦準備理事会(FRB)が検討している追加的な資産買い入れ規模について、当初は5000億ドルから開始し、その後、最大で2500億ドルずつ拡大していく可能性があると明らかにした。

 さすがはFRBと言いたいところだが、もう20年に以上にも渡って私がフォローしつづけたコラムニスト、ロバート・サミュエルソンは、総合して見れば、否定的なコメントを述べていたのがやや意外でもあった。
 サミュエルソンは、日本でも人気の高いクルーグマン教授と、カーネギー・メロン大学のメルツァー教授の大局的な見解をバランスしつつ、「The Fed’s Identity Crisis」(参照)でこう述べている。

Economists seem split into two camps. Some, like Paul Krugman, the New York Times columnist, believe the economy is so weak that the government should do almost anything (bigger deficits, more cheap credit) that might help slightly; and others, like Meltzer, fear that expedient measures now will lead to bigger problems later. Between them, there’s an unstated common assumption that there are no instant cures for the economy’s lethargy. The real Fed, it turns out, is much less powerful than the mythologized Fed.

経済学者も二派に割れている。ニューヨークタイムズのコラムニスト、ポール・クルーグマンらによれば、経済が弱体化しているのだから、政府はわずかでも効果がありそうなことはなんでも(財政赤字拡大でも信用低下でも)やるべきだというのがある。反面、メルツァーらによれば、急場しのぎの手法は後により大きな問題を残すと懸念している。この二派の間には、経済停滞に即効性のある対策はないという暗黙の前提がある。本当のFRBは、正体を現したのだが、神話化されているほどには力をもっていないのである。


 QE2のへの賛否はあるにせよ、FRBには現実の不況とデフレ経済への失墜に対して強い力を持ち得ないし、その無力さが暴露されるプロセスにあるというのだ。言われてみればそんな気もする。
 そう懸念するもう一つ理由がある。QE2が描く絵は、一国経済における中央銀行の非伝統的手法の可否ではなく、リアルな米中経済戦争の文脈にあるのだろうということだ。先のショール教授の6番目の理由がそこを突いている。

(6)ドル安は米国の投資を刺激し、国内の景気回復に定着の猶予を与える。ドルが他通貨に対して下落すれば、量的緩和は遅かれ早かれ中国を初めとする他国に行動を強いるかもしれない。これがカギになる可能性がある。ここで量的緩和が行動を引き起こす。われわれには、政策、資本や交換性の制限で抑え込まれている通貨を再調整するための行動が必要だ。量的緩和は(いずれにせよ制定されるべきだったが政策の抵抗を受けていた)新たな協定や新たな均衡を近く強いる可能性がある。国際社会のためには行動は早いほうが良さそうだ。中国や同国の雇用、輸出産業にとっては厳しいかもしれない。しかし、制裁よりはましだ。米議会は次の悪役が欲しくてたまらないのではないか。ブッシュ前大統領とウォール街はいささか古くなった。

 中国が人民元を上げないなら米国がドルを下げるということだ。以前のエントリー「日本を巻き込む米中貿易戦争の開始: 極東ブログ」(参照)で述べたが、貿易戦争をするくらいなら通貨戦争のほうがマシだろうということだ。
 米ソの冷戦はまさに冷たい戦争だった。米中間の通貨戦争は、それに比べればヌルい戦争になる。そしてそのヌルさに比して日本は経済的には米国にも中国に付くことはなく、ヌルい風呂のなかにとどまるのだろう。

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