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2010.09.04

小沢首相後の変化予想

 票構成から見て小沢首相誕生は既定と言ってよいはずだが、最終的に決まるまであと十日、マスコミも「菅か小沢か手に汗握る」といった話題を繋ぐのにご苦労様という状況が続くのだろう。いずれこのお祭で他党はじわじわと人気を下げ、民主党を利するので、菅さんを含めて仙石・前原そして蓮舫各氏も、お祭参加は小沢沈没後の布陣に役立つという認識なのかもしれない。さて、現実問題として小沢首相誕生で何が起きるのか?
 前提は、ねじれ国会と称される参院の構成が変わらないことだ。小沢首相となっても、鳩山政権が成立したようなむちゃくちゃな暴走は生じない。構造的には誰が首相になってもレイムダックに近いような状態になる。ではどうするか。
 小沢さんは先日の記者クラブの公開討論で、他党との合意を模索すると述べた。それだけ見れば現在の菅首相と変わりはない(参照)。


そういうより大きな課題こそが、私は天の配剤だと申しあげているんですけれども、こういう中で合意形成ができると、私も30年間、国会におりますので、自社さ政権、いろいろな政権、ご一緒した方もあります。
 たとえば、子供手当ては公明党が賛成いただいて、現在の法案もできているということもありますし、やはり財政健全化についても自民党も中期目標などではわが党と一致をした意見を出させていただいておりますので、もちろん、簡単だとは思っておりませんけれども、まさに真摯に政局ではなくて、国民のことを考えて話し合おうという、その呼びかけをきちっと。既に多少の努力はしておりますけれども、させていただいたときには他の野党の皆さんもですね、国民の皆さんのことを考えて、そういう話し合いに参加をしていただけるものと思っています。国会運営についてこれ以上は何もありません。

 しかしそこはデストロイヤー小沢さん。昭和の再現のように他党を飲み込むまたは割るような攻勢に出る気配はある。

ただ、今、繰り返しますが自分たちが国民に約束した主張を実行していくためにはやはり参議院でも過半数を有するということは本当に大事なことだと思っております。このままですと、仮に民主党政権が続くとしても、もう、最低でも6年、とても6年じゃ無理だとは思いますが、9年、12年の歳月をかけないと過半数というのはなかなか難しいという結果が現実だと思っておりますし、また、われわれが政権をめざしておったからというお話がありましたが、今、自民党は政権の奪還を目指して頑張っていることだと思いますので、状況は立場は変わりましたけれども、同じことだと思います。

 言及されているように子ども手当の関連で公明党連繋が筆頭に上がるだろう。次は当然ながら、小沢さんがプリンスであった自民党への攻略があるだろう。
 だが消沈しきった自民党絡みではそれほど疑心暗鬼の状態でもなさそうに見える。小党で言えば舛添さんのところが同調しそうだし、鳩山(兄)さんはすっかりその気になっている。ただしテレビで見たところだと、小沢さんと個人的な友達であるはずの与謝野さんは批判的だった。なぜだろうか。
 リフレ関連または日銀批判で自民党中川(秀)派やみんなの党との連立が話題になることもあるが、小沢さんの頭にはその筋はないと私は思う。もっと言えばようやく装着した労組ブースターと盟友輿石の琴線に触れかねないあたり(「新自由主義」とか)はできるだけ避けるのではないか。
 つまり、政界再編は直接的な即時の動きとしてはないだろう。
 加えて、普天間飛行場移設問題についてはムネオ派遣といった話題は作るだろうが実質的なコマの動きはないだろう(米国も日本に政府があるだけで御の字の諦めに達した)。蛇足のようになるが、いろいろ関心の高い政治とカネの問題もそれほど大きな動きにならないだろう。検察側も第三幕を開けるならもう少し本丸沿いを攻めるだろうし、政局と見られることを不快に思っているようでもある。
 では小沢政権はどのあたりから動き出すか。私は予算編成だと思う。
 そもそも小沢御大が登場したのも、民主党政権へのこの部分へのいらだちが基底にある。「私は昨年の予算編成にも、今年の今までの予算編成にも携わっておりませんですので、そういう立場での発言はできません」(参照)というあたりだ。こう続く。

私一個人としての考え方から言えば、いわゆる義務的経費、22年度の予算の中でも、義務的経費と人件費を除いたいわゆる裁量的経費、政策経費とも呼ばれますけれども、これがほぼ20兆円弱あります。それからさっきも申し上げましたが、介護や国保(国民健康保険)やその他でもって、地方に交付しているお金が12、13兆円あります。すなわち30兆円以上の政策的な経費があるということであります。

 予算捻出に失敗した事業仕分けをよそに、小沢さんは30兆円強取得の可能性を見ている。その内には地方交付の12兆円がある。

これを全部、別に半分にしろといっているわけではありません。ものすごくわかりやすくいえば、旧建設省、国交省の関係でいいますと、公共事業費だけで5兆円あります。それに地方財源といわれている消費税の2兆何千億っちゅうのは、地方財源とは名ばかりで、3千億は市町村のいわゆる自主的な財源になっていますけれども、あとの部分は全部直轄の裏負担として取り上げちゃってるんです。ですから、全然これ、地方で自由に使えないお金なんですよ。ですから、そういうのを加えると、さらに大きくなります。


民主党の調査、かつてやったときも、首長さんたちは自由に使えるお金をもらえるんならば、今の補助金のトータルの7割で、今以上の仕事を十分やれるという答えが出ております。で、また私の親しい首長は本当に自由に使えるんなら、半分でも今以上にいい行政ができると言っています

 あえて粗野に受け取れば、国側つまり官僚の軛を外したカネなら、半減しても大丈夫だろうという理屈である。昔ながらの小沢さん持論ではあるが、というか、これ、田中角栄の再来である。

地方に落ちるカネは、表面上は減りますけれども、実質的には増えるっちゅうことです。そして私は、たとえば高速道路も都道府県で作れるようにしようというのをこのメモで提案をいたしております。中央でもって全部やれば、結局大手の企業が全部受注して、そのお金は全部中央に集まります。ですから、地方では全然お金が回らないんですよ。だからそれを都道府県で、私は高速道路もつくらせる仕組みをやったらどうかと。そして、それを国が支援すると。私は無利子国債で補填するという気持ちで、考えでいますけど、そうすれば地方に実質的に回るお金っちゅうのは非常に増えるんですよ。

 地方への、もっと露骨に言えば、地方土建中心のバラマキをやるということだ。ネオ田中角栄主義である。削減された「大手の企業」は念頭にない。
 小沢さんにとって民主主義というのは自政党を利する利益集団にバラマキをすることで、政治というのはその集団の党争でしかない。それはそれで、そういうものかというのはあるだろう。
 地方主権の名のもとに減額されたヒモなし金のバラマキは実施されるだろう。そしてひねり出すのは6兆円くらいだろうか。
 問題は、政策経費の20兆円側に手を突っ込むぞという宣言がされているが、それがどのように実施されるかはわからない点だ。構造からすれば、官僚との対決で大衆喝采を得てその背景で他党も飲み込むという構図を描きたいのだろう。
 現時点で予想されるもう一つの変化は、菅・仙石・前原・岡田といったラインに適当に冷や飯を食わせつつも、民主党は一種の独裁党になることだ。政調を廃止にするからだ。小沢さんの理屈では政調がなくても政策会議があるとしているのだが。

私が政調会というものをやめるべきといったことは、事実ではありますし、いまなお、そう思っております。それにかえて、政府与党一体という観点で、政策会議というのを設けました。その政策会議には部署別に、各省庁別に誰でも参加できると、ある意味でその政調部会の役割も果たしていくということで設けられたものであります。
 その運営がですね、副大臣や政務官が大変忙しいということもあったやに聞いておりますけれども、ただ単に、形式的な形におわってしまって、本当に政策論議が全員参加でやれる状況じゃなかったということは実態のようでございます。
 ですから、最終的にその政策会議の副大臣、政務官だけじゃなくて、各委員会の理事の人も一緒に入って、党と政府の両方がその運営について相談し合いながらやろうということに私、たぶん、まだ、幹事長のときに提案をいたしまして、それが軌道に乗り始めた矢先であったように思っております。

 ようするに隣国のように党側からの一元コントロールになるということだ。鳩山政権時の暴挙としかいいようのない議論不在の強行採決の連発や、党側要求とやらによる混乱で、そのからくりにはうんざりさせられたのでよくわかる。
 「民主主義」という言葉はデモクラシーの誤訳に近い。本来は「民主制度」である。人びとの政治参加をどのように可能にするかという制度だが、実質の制度側から見れば、できるだけ権力をバランスさせる仕組みだ。民主主義は大衆迎合から独裁政治を産みやすい本質がありそこが課題になる。
 現下の党首選が最たるものだが民主党は国民不在の党内政治に没頭している。党内ですら実質的な対話は失われ、独裁党に変わりつつある。それが大衆迎合をテコに政治を動かそうとすることになるだろう。
 ネオ田中角栄主義は大衆迎合として機能するだろうか。
 労組とマスコミが一生懸命に騒いでも、実際の利益構造の点からすれば、日本はすでに都市民が主体になっている。地方主権の名のもとに配分されたカネは実際にはさらなる地域格差となるだろう。政策経費から10兆円のカネをひねり出したとしても、それもただ労組・公務員といった利益集団を基本としたバラマキに終わるのではないか。ネオ田中角栄主義は単なる田中角栄主義のアナクロニズムに終わるのではないか。

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2010.09.02

[書評]日本語作文術 (中公新書:野内良三)

 タイトルが冴えないけど「日本語作文術 (中公新書:野内良三)」(参照)は良書だった。文章読本の系統では新しい古典になるのではないか。レベルは一般向け。高校生が読んでもよいくらい。大学生や新社会人も読んでおくと、一生のお得。悪文を書き連ねている私がいうのもなんだけど、これ読むと、それなりに文章がうまくなることお請け合い。

cover
日本語作文術
野内良三
 文章読本は数多くある。ありすぎる。人それぞれ信奉する良書もある。なので、どれが良書かという議論は、ご宗教みたいな話に堕しがち。どうぞご勝手に。私はある時期からあまりこだわらず、そのときおりの文章読本を時代を読むように読むようになった。文章読本自体を楽しむという趣向では「文章読本さん江 (ちくま文庫:斎藤美奈子)」(参照)のような冷めた感じだ。文章というのは多面的で一冊の文章読本ですべてを言い尽くせるものでもないし。
 それでも信奉書に近いものはあって、平凡だが二冊。「日本語の作文技術 (朝日文庫:本多勝一)」(参照)と「理科系の作文技術 (中公新書:木下是雄)」(参照)である。この二冊はすでに、実用的な文章を書く技術の解説書としてはすでに古典の部類だろう。
 で、本書、「日本語作文術」なのだが、この二冊のエッセンスを含んでいます。なのでこっちのほうが簡便。しかも、読みやすい文章の構造について、この二冊をより合理的に実用的に考察している。私も各所でへえと思った。
 「日本語の作文技術」だと、ある原理(特に句読点の規則)に到達するまでの思索過程がちとうるさいし、その過程を合理化するためにちょっと無理な議論もある。「理科系の作文技術」はそれ自体独自の味わいがありすぎて冗長と言えばみたいな感もある。対する本書だが、陳腐だけど普通にわかりやすい文章を書く技術に徹している分だけ利点がある。
 じゃあ類書をまとめたものなのか? そうではない。やや意外な創見から発している。日本語の文章を外国語のように学ぶという視点である。著者は仏文学者で、また大衆的な小説の翻訳に苦慮した経験から、日本語の達文を学ぶには外国語のように学べばよいとした。なるほど。
 そもそも日本語の文章というのは多分に欧文の翻訳文なのである。文学者丸谷才一がその「文章読本」(参照)で、文章読本の古典中の古典、谷崎潤一郎の「文章読本」(参照)を評し、谷崎のいう文章は翻訳文のことだと喝破していた。井上ひさしの「自家製 文章読本 (新潮文庫)」(参照)でも同種指摘されていた。近代日本語、とくに文章の日本語というのは一種擬似的な翻訳文から出来てきた経緯がある。だったら、その仕組みに素直に注目すればよいのではないか。
 そこで本書では、日本語の基本構造をまず簡単に提示している。なましっか言語学など囓ったことがない仏文学者らしいすっきりとした構造である。言われてみれば、ああそうだと納得せざるをえない。そこから、さらに「言われてみればそれもそのとおり」の原則が引き出される。一言でいえば、意味のまとまりのある文節を長い順から並べると、文章は読みやすくなる、というのだ。こんな例が挙がっている。

  1. 彼は友人たちと先週の日曜日に桜の名所として知られる吉野を訪れた。
  2. 桜の名所として知られる吉野を先週の日曜日に友人たちと彼は訪れた。

 どっちが読みやすいか。たぶん、(2)のほう。その原理はというと、意味のまとまりのある文節を長い順から並べただけ。
 なぜそうなるのか。あるいは「いやあ、私はそうは思わない」ということがなぜ起こるのかも本書に書いてある。そしてその原則から句読点の規則も整理されている。
 他にも、「そうこれなんだよな」と思ったのは、いわゆる翻訳文にありがちな無生物主語文とそうではない文章の変換構造の説明だった。これね。

  • 世界の人口増加が食糧補給の問題を提起している。
  • 世界の人口が増加したので食糧の補給が問題になっている。

 感心したのは、無生物主語文への変換も等しく薦めている点だ。現代日本語、とくにビジネス文章などでは、無生物主語文を使ったほうがわかりやすく書けるものだ。当然だけど、日本語翻訳者にとってもこうした本書の知見は便利だろう。
 総じて日本語の文章論について、よくここまで考察してまとめたものだなと思う。「は」と「が」の議論も面白い。特に主題提示の「は」が文を超えるという議論は、いちおう言語学では文脈論的に指摘されてはいたものの、文章論として読むと新鮮な感じがあった。
 じゃ、文章技術論として本書が満点かというと、議論に錯綜した部分はある。それと、筆者が修辞に詳しいため、修辞学のネタをお得に混ぜているのだが、その部分が仇ということもないけど、やや混乱した印象を与えている。
 「文章は単文がよい」といった「The Elements of Style」(参照)以来の因習も踏襲している。日本語の文章はかなりの構成要素が省略可能だから、省略をもって文章を単文にしてもわかりやすい文章になるわけねーだろ。だが、文章読本にはこの手の因習が多いものだ。ちなみに、受け身文はよくないルールも「The Elements of Style」がネタもと。これはこれで英文書くには基本なんだけどね。
 上手な文章を書くための何箇条みたいなつまらんネタが、はてなブックマークなどでたまに人気になるけど、本書一冊読んだほうがよいと思うな。ついでに近年の同種の一冊挙げると、若干陳腐だけど、「文章力の基本(阿部紘久)」(参照)もためになった。

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2010.09.01

父と子の対話ということ

 全共闘世代の父とその息子さんとの対話。その書籍化に触れた先日のエントリー「[書評]お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘、加納建太)」(参照)で私は、全共闘世代の父の側に共感をもった。私のメンタリティーがどちらかといえば全共闘世代に近いからである。しかし書籍の帯は、父と子が対話することに力点が置かれていた。書籍として狙ったものはそこだったのだろうし、全共闘世代の父と子の対話というのは現実には少ないからなのだろう。後書きにも、父と子が対話できるなんてうらやましいと寄せられた言葉の紹介もあった。
 現在老人となる全共闘世代、広義には団塊世代が、父として子に語ってきたかと問うなら、おそらくあまりそういうことはなかったのではないか。そして日本のいわゆる失われた10年に三十代半ばとなる子からも、父に青春の時代を問うということはあまりなかったのではないか。
 親子だから語れない。そもそも親子とはそういうものであるといえるし、父と子というのはいっそうそういうものだとも言えるかもしれない。一般論としては。
 私は先の書籍が父と子との対話であるというなら、本当は、父の恋愛体験を語ることが先決ではなかったかと思っていた。息子に向かって「君のお母さんに私はこう恋をした」ということを語るべきではなかったか。子はそうした関係から生まれてきたものでもあるし。
 もちろん、そんな家族的な、個人的な話など書籍になるものではないというのもあるし、あの書籍では、父としてはまず1960年代という時代を語ることをテーマにしていた。しかし仔細に読めば、後書きにもあるように、父のご夫妻の関係は問われていたし、子供たちの恋愛体験への陰影も感じられるものだった。さらに「もちろん」というなら、けして親の恋愛というものはよりより人間の関係という美しい話にもならない。
 そう思いつつ、1984年から1985年に日本テレビで放映されていたドラマ「名門私立女子高校」のことも思った。南野陽子のデビュー作であるが、彼女の印象はそれほど強くはない。ドラマの物語は、妻に離婚されたうだつの上がらないダメな中年男の教師が若く俊英の女性教師と最初敵対しそして恋に落ちる話である。男を西田敏行が演じていた。
 いくつも印象的なシーンがあるが、その一つに、彼が娘に語る彼のバリケードのなか恋の話である。そしてその恋から娘が生まれる。娘は母親から父がどんなに勇敢だったかと聞かされていたが、おそらく物心付くころから男はダメになっていた。
 もう一つの印象的なシーンがある。もう一人老いたダメ男の教師が語る昔の恋の物語である。命をかけて恋人をさらったというのが、彼の人生の最高の出来事だったというのだった。
 恋愛の思い出がその後の人生を支え、その思いへの立ち返りから人が再生する。そうした物語であった。だが実際の人生は皮肉である。この物語には脚本家の林秀彦の体験が滲んでいるが、彼自身の人生のその先にあったものは苦いものだった。
 先の全共闘世代の父は1946年生まれ。ドラマのダメ教師が40歳だったとしたら1946年生まれ。ほぼ同じ年代に、1948年生まれのキャット・スティーヴンス(Cat Stevens)がいる。彼は1970年のアルバムで「父と子(Father and Son)」を歌った。


<父>
It's not time to make a change,
Just relax, take it easy.
You're still young, that's your fault,
There's so much you have to know.
Find a girl, settle down,
If you want you can marry.
Look at me, I am old, but I'm happy.
今は変革の時代ではない
肩の力を抜き、気を楽になさい
おまえはまだ若い。それが欠点だ
おまえはもっと知らなければならないことがある
女の子を見つけて、落ち着いて、望むなら結婚もできる
わたしをご覧。老いてはいるが幸せだ

I was once like you are now,
and I know that it's not easy,
To be calm when you've found something going on.
Take your time, think a lot,
Think of everything you've got.
For you will still be here tomorrow,
but your dreams may not.
私もおまえのような時期があった
物事が変わっていくとわかっているのに
じっとしているのが難しいのはおまえもわかっている
でも慌てるな。もっと考えなさい。
なにを手にしてきたか
おまえは明日もここに居ることができるが
おまえの夢は消えているかもしれない

<息子>
How can I try to explain,
'cause when I do he turns away again
It's always been the same, same old story
From the moment I could talk, I was ordered to listen
Now there's a way
and I know that I have to go away
I know, I have to go
なんども説明しようとした
説明するたびに無視される
いつも同じ事の繰り返し、そればかり
ぼくが話そうとすると、「まず話を聞け」と言われる
もうぼくの未来は
遠くに行くことしかないとわかったんだ
ここを去るしかないんだ



 キャット・スティーヴンス自身は息子の思いに立っていた。そこからは父は世界に馴染みきった大人にしか見えない。その父の青年期に「[書評]私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった(サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー): 極東ブログ」(参照)のような戦争があったことは知識としてわかっていても、その体験は父から息子にはうまく伝えられていない。
 キャット・スティーヴンスはその後、仏陀を歌うアルバムを出し、そしてイスラム教に改宗し、ユスフ・イスラム(Yusuf Islam)となった。かつての父の年になった。そしてどこに行ったかのかを歌った。"Heaven, Where True Love Goes(天界、本当の愛が向かうところ)"。

The moment you walked inside my door,
I knew that I need not look no more.
I've seen many other souls before - ah but,
Heaven must've programmed you.
きみがぼくの扉の内を歩むとき
これ以上気を張る必要はないとわかった
ぼくはきみに会うまでたくさんの人に会った
でも神様が用意してくれていたんだ

The moment you fell inside my dreams,
I realized all I had not seen.
I've seen many other souls before - ah but,
Heaven must've programmed you.
Oh will you? Will you? Will you?
きみがぼくの夢の中にすべりおちたとき
ぼくは何がわからなかったかわかった
ぼくはきみに会うまでたくさんの人に会った
でも神様が用意してくれていたんだ
そうでしょ? ねえ?

I go where True Love goes,
I go where True Love goes.
本当の愛が行くところにぼくは行こう
偉大なる愛が行くところにぼくは行こう



And if a storm should come and if you face a wave,
that may be the chance for you to be saved.
And if you make it through the trouble and the pain,
that may be the time for you to know His name.
嵐が来て波が立ちふさぐなら
それはきみが救われるチャンスになる
苦しみと痛みを超えるなら
そのときにきみは誰が神かを知るだろう


 たしかユスフには息子はない。スカーフをまとう娘は写真で見たことがある。彼は神を語ることで自分を変えてしまった恋を語っているのだろうが、父としてうまく語っているかはよくわからない。父と子の対話というものの、本当に難しいなにかがあると思う。
 でも、私はちょっと勘違いしていたかもしれない。エントリーを書きながら、YouTubeの「父と子(Father and Son)」で、自分には父がいなかったというコメントを見た。ある時代以降、この歌は、父というものへの、ある懐かしさから歌われていた。私自身についていえば、ユスフの生き方に心落ち着かせるものがあった。

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2010.08.30

フィナンシャル・タイムズ曰く、間違えられた男・小沢

 現下の日本政局を論じた、29日付けフィナンシャル・タイムズ社説「The wrong man for Japan(日本にとって間違われた男)」(参照)は、厳かに始まる。


If Dante’s version of hell had nine circles of suffering, then Japan’s version of politics must have at least nine circles of farce.

ダンテが語る地獄が九層の苦痛から成り立っているというのであれば、日本政治という地獄は少なくとも九層のおふざけから成り立っているに違いない。


 細い蜘蛛の糸をよじ登ろうとしている、あの痩せて弱々しく笑う男は誰? そしてその下に群がるそれは何?

After only three months in the job, Naoto Kan – the third prime minister in a year – is being challenged for the leadership of his party

たった三か月仕事に就いたのち、菅直人、すなわちこの一年間で三番目の首相であるが、自党からその指導力を問われている。


 対する、間違われた男・小沢はどう言及されているか。

If Mr Ozawa, who recently referred to Americans as “single-celled organisms”, becomes prime minister, he will be Japan’s most interesting prime minister since Junichiro Koizumi left office in 2006. He would also be a disaster.

米国人を「単細胞生物」と呼ぶ小沢氏が仮に首相ともなれば、2008年に首相を辞した小泉純一郎以降、日本にとってもっとも興味深い首相となるだろう。小沢氏は災厄ともなるであろう。


 フィナンシャル・タイムズは、小沢氏をなるほど多細胞生物(doubtless a multi-celled organism)だと呼び、かつては重要な政治家であったと評価しつつも、外交で何を考えているのかわからないと論じている。内政面でもかつての政局混乱を想起させている。

The last US ambassador to Tokyo could not even arrange to meet him when he was leading a revolt against a Japanese mission to refuel US ships operating near Afghanistan.

アフガン近隣で活動する米国船給油に自衛隊が任務に当たることに反対する点で小沢氏は主導的な役割を果たし、そのおりには、前駐日米国大使は小沢氏と面会スケジュールを組んでもらうことすらできなかった。



More than his confusing foreign policy stance, Mr Ozawa is unfit to be prime minister because of his domestic record. Though strategically brilliant, he is quixotic and destructive.

小沢氏の混乱した外交姿勢に加え、首相に適さない理由には内政面の過去がある。彼は政局に鋭敏ではあるが、破壊的なドン・キホーテなのだ。


 これからどうなるとフィナンシャル・タイムズは見ているか。

The Japanese public dislikes him. In a recent poll, 79 per cent of respondents said they did not want him returning to an important party post. (He quit as secretary-general in part because of an alleged funding scandal.) Yet so out of touch are Japan’s politicians that he may win anyway.

日本人の多くは小沢氏を好んでいない。最近の世論調査でも、79パーセントが主要なポストに返り咲くことを拒絶している。(小沢氏は政治資金疑惑で幹事長職を辞任してもいる。)にも関わらず、日本の政治家は非現実的なので、小沢氏が勝ち切るかもしれない。


 民主党のこの、お笑い地獄の最終層はどのようになっているか。

If the DPJ makes him its head, and hence prime minister, it will have betrayed its promise to bring Japan a new kind of politics. If it goes on to surrender power, it will only have itself to blame.

民主号が小沢氏を首相に据えるなら、日本に新しい政治をもたらすという公約を裏切ることになるだろう。そしてもし与党を辞すことになれば、それは自らを責める以外にはない。


 不吉な話になってしまった。ここはお笑い地獄なのだ。
 それらしく、懐かしのナンバー、Jojoの"Wrong man for the Job"をどうぞ。

You're the Wrong man for the job.

I Thought that you were the best part of me,
Baby I guess that we just believe what,
We wanna believe
I Thought I knew you so well , I couldn't tell
That this was sinking so deep,
I see it now,
I'm breathing now,
Its time for me
For me
To let it go

あなたはこの仕事を間違ってしているの。

あなたが私のベストだと思ってた
そうよ、信じたいと思っていることを
私たち信じているだけ
私はあなたをわかっていたと思ってたから言えなかった
それは心に沈んでいった
今わかるの
ようやく息をしてみるの
自分のために
終わりにしましょう

(コーラス)
It was cool when it started but now the flame has gone
You're The Wrong man for The Job,

出会いはすてきだったけど燃え上がる心はないの
あなたはこの仕事を間違ってしているの




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