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2010.08.06

[映画]トロイ

 パリスとヘレンといえば、そうだブラッド・ピットがアキレスを演じていた2004年のハリウッド映画「トロイ」(参照)を見ようと思って見逃していたことを思い出し、見た。160分もあった。どうせといってはなんだけど、大人の紙芝居なのだから、もう少し短くてもよかったのではないかなとも思ったが、ブルーレイのディレクターズ・カット版(参照)だと196分あるらしい。元の話は日本でいったら大河ドラマみたいなものだから、そのくらあってもいいだろう。イリアス(参照)では、トロイ戦争はこんな短期間の戦争ではない。

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トロイ[DVD]
 トロイ戦争の始まりだが、ギリシア神話「キュプリア」では、主神ゼウスは戦争によって地上にあふれる人間を減らそうとテミス女神と図ったことだ。まず諍いのきっけかを作る。それには、不和と争いをもたらすエリス女神をパーティのメンツから外して怒らせることだった。エリス神は「一番の美女にこれあげるわよ」と黄金の林檎を神々のパーティに投げつけた。じゃあ、私が私が私がと殺到した三女神が、ヘラ、アテネ、アフロディテであった。ゼウスはその判定をトロイアの王子パリスに委ねた。これがパリスの審判。
 三女神はそれぞれパリスを籠絡するために供応品を示す。権力のヘラは世界の支配力を、軍神アテネは戦闘能力を、美神アフロディテは美女を、ということで、パリスは美女を選んだ。それがスパルタ王メネラオスの嫁ヘレンであった。かくしてパリス王子は人妻ヘレンをかっさらってトロイに連れてくる。寝取られメネラオスは怒り、兄アガメムノンと、嫁返せとしてトロイに戦争を仕掛ける。
 かくしてトロイ戦争の火蓋が切られるということで、「イリアス」の世界になる。ギリシア神話ではこの戦は、ヘラとアテネ女神と海神ポセイドンによるギリシア・チームに、対するアフロディテ女神と太陽神アポロンによるトロイ・チームによる神々の戦いなのだが、映画「トロイ」では、実質的な神々は登場せず、アポロン神殿と、それとちょっこっとポセイドンの名前が出てくるだけ。世界の仕組みとしては、現代人が神を思うように神は無形の信仰であり、よって奇跡的な事態も発生しない。つまり、神々を除去したギリシア神話が歴史っぽく見えるという、不思議な設定になっている。また、戦闘をコテコテ描くわりには、戦争は悲惨であり愛あふれる女は平和を求めているというというありがちの米国観が出てくる。ご愛敬。
 トロイ側では、王のプリアモスとその息子兄弟、兄ヘクトル王子とパリス王子、スパルタ側では戦士としてアキレスが登場する。アポロンの加護を持つヘクトルとアキレスの戦いで、ヘクトルが死ぬところで「イリアス」は終わるのだが、映画ではその後のトロイの木馬の故事とトロイ滅亡で王族が逃げ延びる話が描かれ、渦中、アキレスはパリスの矢に当たって射殺される。アキレス腱が弱点であった。

 この手の作品は期待してみるというのも野暮なものだし、ブラピのアキレスというのも最初は違和感があったが、見ているとブラピっていい人なんだなが滲んでくるところがあって、それはそれでよかった。絶世の美女ヘレンのダイアン・クルーガーはというと、あー、これかぁ、ちょっとついてけんわとも思ったが、見てると慣れてくる。これも美女かもとかつい思ってしまう。余談だけど、この手の造作の人、間近で見たことがあるが、ひく。
 イリアスの主人公ともいえるヘクトルのエリック・バナも、うーん、イメージ違うなと思うけど、見ていくと好演でした。トロイの王、プリアモスのピーター・オトゥールはありがちにさすがでしたね。彼のおかげでギリシアなるものがうまく表現されていた。この二人の演技でもってる映画と言ってもいいのかもしれない。パリスのオーランド・ブルームのへたれ加減もよかった。当然だが、フリジア帽は被っていない。ついでにいうと、トロイのアポロン神はミトラ神の習合で、ヘクトルはミトラを表現している面もあるのだろう。
 この作品でイリアスからいちばん逸れているとも言えるというか作品的な登場人物であるブリセイスのローズ・バーンはまあよかったが、ごく個人的な好みの問題。アンドロマケのサフロン・バロウズは良妻賢母的に描いているのかもしれないけど、背景知識を持っていると微妙にエロい感じがするのであった。
 アガメムノンは、ああ、あれだ罪作りなアガメムノンのマスク(参照)から配役が決まったのだろう。なので寝取られ男メネラオスもそれに似ている。
 日本で公開当時、塩野七生がこんなんじゃダメみたいなネタを文藝春秋に書いていたが、実際に見てみると、丁寧にイリアスの故事を追っているように思えた。考古学的な知見もそれなりに活かされている。ヘクトルとアキレスの立ち回りは現代的な味付けはあるにせよ、古典的な知見も含まれているように思え、面白かった。ヒッタイトの名前も一度だけ出てきた。
 一つの物語として見るなら、トロイ王族逃避のエンディングは不可解に見えるかもしれないが、これはローマ帝国起源の神話「アエネイス」につながるところなので、欧米的には外せないのだろう。
 娯楽映画ではあり、暴力と性が多少出てくるが、レベル的には高校生くらいであり、この映画を高校の世界史の時間に見せ、先生がいろいろ背景説明をしてあげるとよいのではないかと思った。

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2010.08.04

フリジア帽はミトラ教の帽子

 自由の女神、マリアンヌ、コロンビアとなんとなく続く散漫な余談。

   ※   ※   ※

 ダン・ブラウン「ロスト・シンボル」(参照)の影響だろうと思うが、前二回のエントリについて、フリーメーソンや陰謀論の話をしたいのではないかと期待(懸念?)されているむきもありそうだが、私はその手の話にはあまり関心がない。
 ニューヨークの自由の女神がフランスのフリーメーソンから寄贈されたというのは史実のようだが(参照)、そのこと自体に歴史的な意味があるとも思えない。たまたまニューヨークの名物になったというだけで、そうでなければ東京大仏(参照)みたいなものになっていたかもしれない。
 この機に「石の扉―フリーメーソンで読み解く世界 (新潮文庫)(加治将)」(参照)もざっと読み直したが、龍馬伝とのからみは話題になるかもしれないが、西洋のフリーメーソンの歴史についてはほとんど記されていないなと思った。これも古い本になってしまったが、「フリーメイソン (講談社現代新書)(吉村正和)」(参照)も今見返すと妙にバランスの悪さを感じた。関連してフランス革命関連の本も見回してみたが、あまり参考にならなかった。

   ※   ※   ※

 昨日のエントリのコメント欄で、ノートルダム寺院のマリアンヌ神についてアテネ神と似ているのではないかという指摘をいただいたが、似ているのは古代的に武装する女神という原形くらいだろう。アテネ神の継承であればどこかにミネルバの梟のようなシンボルが配されているはずなので、マリアンヌ神とは直接の関係はなさそうだ。
 どちらかというとアテネ神に近いのは、その甲冑姿からして、マリアンヌやコロンビアの英国の版である国家女神、ブリタニアのだろう。見ればわかる。


プリマスのブリタニア

 とはいえ、引き連れているのはライオンだし、なにより手にしている槍が海神ポセイドンのトライデントなのでブリタニア神であることが明確にわかる。(ところでIEのレイアウトエンジンはなぜトライデントなんだろうか。また、マリアンヌの槍は実は聖槍ではないのか?)
 ブリタニアはマリアンヌの原形だろうか? 歴史的にはブリタニアのほうが若干古いように見えるが関連はなさそうだ。
 時代考証の目安としては、彼女をたたえる"Rule, Britannia!"(参照・YouTube)があるが、この作詞をジェームズ・トムソンがしたのは1740年代ごろらしい。


Rule, Britannia! Britannia, rule the waves:
Britons never never never shall be slaves.

 ブリタニア神はそのまま英国における女王崇拝に結びついていく。興味深いことに、国歌である"God Save the Queen"も"Rule, Britannia!"と同時期のものである。
 なぜ18世紀半ばのこの時期にブリタニア神が登場するのか、当然、"Kingdom of Great Britain"の成立が1707年だったというのはあるだろう。いずれにしても、英国はフランスとは異なり、国民的女神は革命の機動力ではなく、その対外的な結果、つまり"never shall be slaves"ではあったようだ。このあたりに、マリアンヌ神とは異なる英国的な自由の概念はあるだろう。
 話をブリタニア神とアテネ神の原点に戻すと、国家を女神が守るという考えはアテネ神などギリシア神によく見られる都市守護神の類型で、アテネ神の場合アテネに限定されなかったようだ。ただし、都市守護神はその後、キリスト教の守護聖人になっていく。
 近代国家というものは、従来絶対主義として見られた社団国家的な守護聖人に対立する形で古代的な国家守護神を作り出したのだろうか。気になるのは、日本でもアマテラス神が女王的に描かれる時期も同質の時代にあることだ。

   ※   ※   ※

 フリジア帽(Phrygian cap)の起源は、名前のとおりフリギア(Phrygia)、つまり現在のトルコである古代アナトリアの内陸の王国に由来する。ギリシア神話のミダス王(Midas)がフリギア人だったと言われる。
 他に、トルコといえば、トロイ戦争となる、トロイ王子パリスとスパルタ王妃ヘレンの禁じられた恋の物語だが、このパリスが西洋の美術史ではフリジア帽を被っている。典型的なのが、1788年のジャック=ルイ・ダヴィッドによる「パリスとヘレン」(参照)である。


パリスとヘレン

 考証として、1788年の作品をもってくると、まさにマリアンヌ神にフリジア帽を被せた時期と同じなので、むしろ、この絵はその当時のフランスの状況を語ってしまうとも言える。
 特に、このフリジア帽が赤いのはまさに当時のフランスを物語っているだろう。おそらく、自由=理性というのは、こうした不倫=自由な恋愛、を意味してもいたのだろう。というか、どうも、西洋における理性というのは恋愛感情を指しているのではないだろうか。普通に考えれば恋愛感情は狂気に近く理性の対極のようだが、この時代の理性は、神の秩序としての結婚から、性欲を解放する動因だったのでないか。

   ※   ※   ※

 ギリシアにとって異教のパリス王子がフリジア帽を被っているのだが、この異教はなにかと言えば、ミトラ教である。太陽神ミトラ神像もフリジア帽を被っている。


ミトラ神像

 ミトラ教は古代ローマに入り、紀元前1世紀より5世紀にかけて興隆した。実際のところ、ローマ経由のキリスト教というのはミトラ教との習合であろう。


ミトラ神レリーフ、2-3世紀

 ローマ、ミトラ、フリジア帽といえばサトゥルヌス祭が連想される。土星に配される神であるサトゥルヌス神の祭だが(だから土曜日がSaturday)、この祭のシンボルがフリジア帽であった。祭での意味づけは、ローマにおける元来の意味、つまり、奴隷からの解放であった。
 これだけでは、ミトラ教とは関係ないようだが、実は、サトゥルヌス祭は、太陽暦で基点となる冬至の祭りソル・インウィクトゥス(Sol Invictus)(参照)に接続する。これはアレキサンダー遠征でローマに入ってきたミトラ教の祭である。さらにこれが、クリスマスに変化する。奇妙な符号なのだが、サンタクロースが被っている赤い帽子は、実はフリジア帽なのである。(サンタクロースの聖ニコラスは今のトルコの出身でもある。)
 サトゥルヌス祭のフリジア帽はミトラ教の祭祀の名残であろうか?
 サトゥルヌス祭でミトラ神が意識されていたということはないだろう。だが、パリス王子についてのアイコニックな伝承からすれば、異教の信仰がまったく意識されないこともなかったのではないか。
 西洋キリスト教はギリシア・ローマを経てミトラ教を含み込むことで、その内部に、反キリスト教的な要素のダイナミズムを保持し、そのダイナミズムが近代におけるキリスト教支配への反抗として飛び出したのが、異教的シンボルとしてのフリジア帽だったのではないだろうか。

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2010.08.03

マリアンヌとコロンビア、国家の擬人化、理性教というカルト

 昨日のエントリの続きみたいなもの。昨日のエントリも、もう少し整理してもよかったのだけど、とりあえずそこまでは書いておくかな、さてその先はどうしようかなと少しためらっていた。
 くだらない話から簡単に先につづけると、自由の女神は日本全国ラブホの象徴だろという話だが、それは知っていた。というかそれが普及するのは吉祥寺の像の移転の時期と重なるのではないか、という時代の問題の端緒として考えてみたいかなというのがあった。
 さて続きだが、「アメリカ的進歩(American Progress)」の女神について、「あるいは、これは自由の女神とは別なのだろうか。だとすると、それは何か(たぶん次回に続く)」ということだが、絵のタイトルのなかに答えは隠れている。

 「アメリカ的進歩」と訳すと誤訳ではないがわかりづらくなる。"American Progress"は、「アメリカなるものの前進」で、この女神がアメリカなのである。もちろん、それは象徴としてということなのだが、少し踏み出して言うと、この女神の名前がアメリカ、というか、国家を国家たらしめる精神が女神なのである。
 これはドラクロアの絵の女性、マリアンヌがフランスであるということと同じ仕組みだ。これも踏み出して言うと、あの女性の名はフランスで、愛称がマリアンヌといった感じだ。
 では、アメリカの女神の名前はということ、これはコロンビア(Columbia)(参照)である。コロンブスから女性の名に見立てたものだ。現代日本風に言えば、萌え擬人化である。
 "American Progress"の女神がコロンビアであるという実証はなにをもってするか難しいが、常識的な理解として十分言えることはウィキペディアにもあることでわかる。


In this painting (circa 1872) by John Gast, called American Progress, Columbia, in the implementation of Manifest Destiny, leads civilization westward with American settlers."

"American Progress"、コロンビア、と呼ばれるジョン・ガストのこの絵(1872年頃)は、「明白なる運命(Manifest Destiny)」のもと、アメリカ移民の西部開拓を導いている。


 同様な常識は、コロンビアについて、VOAの教育リソースでは、アンクル・サムに続けて、こう説明している(参照)部分でも見られる。

But a softer and more nurturing figure was once America's favorite icon. She was Miss Columbia, a goddess of freedom whose regal bearing projected America's positive ideals and poetic nature.

しかしより温和で育む像がアメリカの好まれる像としてかつてあった。彼女は、ミス・コロンビア、自由の女神である。彼女の颯爽とした容姿はアメリカの積極的な思念と詩的な本性を表している。


 現代米人に、ごく普通にコロンビアが"a goddess of freedom"と理解されていることを示している。もっともこの問題は、歴史的にイメージの生成を追いながら見ていくと、味わい深いものがある。
 コロンビアが意識された年代がいつかだが、初出からみると1738年らしい(参照)。1740年代にはある程度広まっていたと見てよさそうだ。つまりフランス革命よりも前であり、マリアンヌが生まれるのと類似の土壌であるとしても系統は異なる。この時代意識の背景だが、どうも「ガリバー旅行記」がありそうだ。
 コロンビアとマリアンヌの違いは、ニューヨークの自由の女神設立の時点で意識されていた。先のVOAより。

In 1886, sculptor Frederic Bartholdi's monumental Statue of Liberty rose in New York Harbor — a gift of the French people. The copper Lady Liberty looked a lot like Columbia, though she wore a spiked crown and held high a torch of welcome.

1886年、ニューヨーク港に、フランス国民の寄贈としてフレデリク・バルトルディによる自由の女神像が建造された。この銅像はコロンビアに多くの点で似ているが、棘付き王冠や歓迎トーチを掲げる点で異なる。

She fired Americans' imagination, and pretty soon she had elbowed Miss Columbia out of most illustrations.

彼女がアメリカ人の想像力を喚起し、建造後遠からず絵画の面ではミス・コロンビアを押しのけた。

One of Columbia's final, though most enduring, appearances came in 1924, as the logo of the Columbia Pictures movie studio, though this Columbia borrowed Lady Liberty's torch.

その後もコロンビアの画像は生き延びるが、最終的なコロンビアの形態は1924年のコロンビア映画のオープニング・ロゴである。これはコロンビアとはいえ、自由の女神のトーチを借りている。

 1924年時点のここまでの像になると、コロンビアとニューヨークの自由の女神のアイコニックな意味合いでの差違はほぼないと言えるまで融合している。
 その間に、マリアンヌとコロンビアの過渡的な形態もある。ポール・スターの第一次世界大戦中のポスターが興味深い。


Be Patriotic, Sign Your Country's Pledge To Save The Food by Paul C. Stahr

 コカコーラの広告みたいな印象だが、過渡的な特徴は彼女がフリジア帽を被っていることからわかる。しかもこのフリジア帽が、ニューヨークの自由の女神の王冠の棘を模した五芒星をあしらっている点も特徴的だ。スターはこのモチーフが気に入っていたようでもある(参照)。コロンビアのその他の変遷は「YouTube - Columbia: American Goddess」(参照・YouTube)が各種集めていて面白い。
 ところで、ここまで日本の慣例として「自由の女神」と表現してきたし、VOAに"a goddess of freedom"ともあるから、まったく和製英語ともいえないが、ニューヨークの自由の女神は、"Liberty Enlightening the World"であり、簡素に言うと"Statue of Liberty"である。ドラクロアの絵のほうも、"La Liberté guidant le peuple"であり、国民を導く自由、ということで、これらに「女神」なる呼称というか、解釈もない。ではなぜ「女神」なのか。日本人がそう解釈したからなのか。
 答えは、そもそもLibertyが「自由」という概念ではなく、自由という女神だからということだ。起源的には、ローマ神話のリベルタス神である。もっとも、リベルタス神は、自由というものの権現と見なすこともできるが、重要なのは、リベルタス神の実体的な信仰が存在したことだ。これがなぜか、西洋近世において、復活したことにある。
 端折って言うと、マリアンヌとはリベルタス神であり、その性が女性だったということなのだが、ここでやっかいなのは、この近世のベルタス神復活における「自由」の意味は、ローマ時代のそれではなく、「理性」と同義になっている点だ。当然、日本語でいう「自由」とはかなりかけ離れた概念でもある。
 これがフランスという乳房を持つ国民国家から国を超えたとき、理性のシンボルであるトーチが強調され現れる。
 自由=理性=光、そして、これが理性=光=電灯線という技術を介して侵略となるところでコロンビアが変成する。ガストのコロンビアはトーチとして電灯線を持っているのである。

 マリアンヌに戻ると、このマリアンヌ神は、自由の権化であると「理性」による至高神でもある。あるいは、理性という神に従って破壊を行うことが自由という意味であった。
 マリアンヌは理性教というカルトの神なのである。いや、これはまったく冗談ではない。"Le culte de la Raison""Le culte de l'Être Suprêm"(参照)、つまり「理性のカルト」「至高存在のカルト」である。
 理性教というのは、カルトとして出現し、そのカルトが国家したのものがフランスでありアメリカであった。
 実際に理性教という宗教の祭典も1794年に実施された。ノートルダム寺院も一時期だがキリスト教が廃されてマリアンヌ神を崇拝した。


Fête de la Raison ("Festival of Reason"), Notre Dame, 20 Brumaire (1793)

 マリアンヌ神の図像も興味深い。

 当然マリアンヌ神はフリジア帽を被っている。手には槍をもちその暴力性を示している。また、トーチはその神の前に置かれている。
 "ALA PHILOSOPIE"も興味深い。これは、フィロソフィーが至高に至る門に掲げられている。つまり、「哲学」の意味合いもいわゆる哲学ではなく、むしろ、哲学は理性教なのである。
 マリアンヌ神と理性のカルトは、ぶっちゃけていえば、1848年の2月革命・3月革命を経て、マルクス主義に内包されていく。そしてエンゲルスによって「理性」は「科学」に書き換えられる。科学的でないものは、暴力的に攻撃することが理性教カルトの継承の特徴であり、それは後の歴史にも継承されていく。今でもそうなのかもしれないが。
 コロンビアのほうは、先に触れたように、「明白なる運命(Manifest Destiny)」を実現していく。これが第一次世界大戦中を経て、第二次世界大戦にまで続く。スターンのコロンビアのセクシーなイメージから類推するのだが、その後は、1953年にへフナーが創刊したPLAYBOYのプレイガールズとなっていったのではないか。ドラクロアのマリアンヌ神がトップレスなのは、母性のシンボルであったが、コロンビアもその時期からは母性・あるいは女性性なくしては、「明白なる運命」の実践が難しくなったのだろう。

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2010.08.02

あいまいな記憶と歴史の中の自由の女神

 記憶は歴史に似ている。あるいは歴史は記憶に似ている。結局、歴史とは記憶のことではないか。記憶には間違いがあるし、不明瞭な部分と錯覚もある。歴史もそう。いやいや、難しい話をしようとしているのではない。自由の女神について、このところ考えていたことを話をしてみたいだけだ。出だしはいたってくだらない。
 下り中央線で吉祥寺の駅に入る手前、南側、比較的駅の近くに自由の女神の像が見えたものだった。何年前だろうか。私が学生時代にあったころだろうか。見かけるたびに、なんでこんなところに自由の女神があるのかと疑問に思った。
 そこで記憶が定かではない。最初からあれはソープランドのしるしだと知っていた。そしてまた記憶が不確かになる。ソープランドと呼ばれるようになったのは、いつだったっか?
 以前はトルコだった。トルコ風呂である。が、ハマムではない。アングルのトルコ風呂(参照)の影響かもしれない。風俗店である。実態は、残念ながら無粋者の私は、知らない。改名はいつだったか。1984年、東京都特殊浴場協会の公募したらしい。私はもう社会人になり、パソコン通信を始めていたころだ。
 とすると、私の学生時代は「トルコ」だったのだろうか。そういえば、1990年初頭でも、「トルコに行った」と語ると、周りの大人が、おお、それはよかったね、と声をかけてくれたものだった。アンカラの話などできる雰囲気ではなかった。
 吉祥寺のソープランドは今でもあるのか。検索してみると、ここではないかというのがあった。角海老グループの経営らしい。そういえば以前、その方面に詳しい知人が角海老宝石ボクシングジムについて、長い説明をしてくれたことがあった。が、興味がないので内容は忘れた。
 そこに自由の女神はもうない。

 私の記憶でも、その後吉祥寺駅北側に移動していた。ちょうど中央線で折り紙を折ったような地点だった。移動ではなく別の新設かもしれない。
 いずれにしても、吉祥寺駅北側の自由の女神はどうなったのか。そのあたりとおぼしきところをストリートビューで探していて、見上げると、あった。

 ホテル・ニューヨークというのの上に立っている。ニューヨークという名前にちなんで持ってきたのだろうか。これを看板にするためにホテルの名が付いたのだろうか。今では南側のビルに隠れて、中央線側からは見えづらい。
 ところで自由の女神だが、原形は、ニューヨーク港内、リバティ島にある、あれである。私は現物は見たことがない。見に行こうと思った年にいろんなことがあった。
 物思いにふけりつつ、ニューヨークの自由の女神の写真を見ていて、ふと、あれ?と思った。なんで今まで気がつかなかったか。いや知ってはいたのだが、記憶に問うたことはなかった。
 ニューヨークの自由の女神は、とげとげの王冠をしている、ということは、つまり、フリジア帽を被っていない。えええ!?
 横から見た写真はないかと探すとそれなりのがある(参照)。やはり、フリジア帽は被ってない。王冠というよりヘアバンドのようになっている。
 そのあたりから私の歴史認識と記憶の混乱が始まる。
 自由の女神はいつできたのか。米国の独立百周年記念でフランスから贈呈されたものだ。完成したのは1886年だった。フランス革命からけっこう経っている。そんなに古いものでもない。
 イメージの近い原形となるフランス革命の自由の女神のイメージといえば、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神(La Liberté guidant le peuple)」だろう。トップレスはさておき、この女神、つまり、マリアンヌ(参照)なのだが、頭の部分を見るとわかるが、スマーフ(参照)のようにフリジア帽を被っている。

 そこでまた私はあれれれ?と思う。この作品は1830年。そう、7月革命だ。ウィーン体制後の世界である。というか、1789年のフランス革命を記念して7月14日が祝日となるのは、1880年のこと。フランス革命というのは、事後の歴史が地味に創作していった物語なのではないか。
 気になるフリジア帽だが、ご存じのとおり、職人などサン・キュロットの出で立ちである。革命の象徴でもあり(参照)、起源はローマ時代に遡る。解放された奴隷の象徴でもあった。
 ここでもまた、あれれ?と思う。もしかして、マリアンヌにフリジア帽をかぶせたのは、ドラクロアが最初だっただろうか。気になった。
 調べてみると、国民公会は、1792年、マリアンヌの像にはフリジア帽をかぶせろ(参照)としている。ドラクロアはむしろその自然な流れにあったと見てよさそうだ。ここで、私は、あることに気がついて、愕然する。現代のマリアンヌである。
 フランス政府のシンボルは、フランス政府のサイト(参照)に付いている。サイトの上部にある、フランス国旗の配色で白い女性のシルエットにしたものだ。

 マリアンヌである。ということは、これ、フリジア帽を被っているのではないだろうか。政府サイトではよくわからないので、該当部分を拡大してみる(参照SVG)。

 これ、被ってますよね、フリジア帽。うひゃあ。
 フランスって、イスラム教徒にスカーフを被るなと言いつつ、自国政府のシンボルにフリジア帽被せてんじゃないだろうか。
 ニューヨークの自由の女神に戻ると、これにはフリジア帽がない。米国において、フリジア帽が軽視されていたかというと、そんなことはない。米陸軍のシール(参照)に描かれていたことでもわかるし、1986年以降の地金型銀貨アメリカン・シルバー・イーグル(参照)でもフリジア帽のマリアンヌを刻んでいる。
 しかし、と、ここで私は変な絵を思い出す。ジョン・ガスト(John Gast)が描いた「アメリカ的進歩(American Progress)」(参照)である。西部開拓を自由の女神が推進していくというテーマなのだが、現代から見ればかなり気持ち悪い代物だ。

 この女神の頭部なのだが、五芒星が一つ付いているが、フリジア帽は被っていない。

 この作品の年代はいつだったのだろうかと見ると、1872年である。つまり、この絵の女神はニューヨークの自由の女神よりも古い。ドラクロアのマリアンヌを知らなかったのだろうか。それとも、アメリカ的自由の女神というのは、マリアンヌとは別の系統を持っているのではないだろうか。あるいは、これは自由の女神とは別なのだろうか。だとすると、それは何か(たぶん次回に続く)。

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2010.08.01

[書評]本格折り紙―入門から上級まで(前川淳)

 「本格折り紙―入門から上級まで」(参照)という書名に「本格」とあり、語感としては"authentic"もあるが、実際の内容は、総合的・包括的・体系的と言えるかもしれない。おそらくこの本が現代折り紙に関するものとしてもっとも優れた書籍だろうと思う。

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本格折り紙
入門から上級まで
前川淳
 掲載されている作例は多いとは言えない。伝統折り紙や多面体形成のユニット折り紙についての言及はあるがその作例は少ない。現代折り紙の世界で国際的にも評価の高い「神の手」こと吉澤章(参照)についても参照はされているが特別な扱いはいない。むしろ、そうした部分をあえて除くことで、折り紙本来の原理性をくっきりとさせている。
 著者自身「いわば、作品の紹介を通した、折り紙の教科書です」としているが、実際に折り紙の技術と体系が理解できるように、入門編から上級編まで階梯的に説明されている。
 パズルを簡単なレベルから難関レベルに進むようにも読めるし、上級作品を作るために身につけておかなければならない基礎技術をステップごとに習得できるようにもなっている。折り紙好きの人にとっては、著者を有名にした、表紙写真にもある「悪魔」を作りたいということがあるのだろう。たしかに、これは非常に魅力的な作品だ。

 とはいえ私自身はというと、そこまでの情熱はなく、折に触れて読みながら、ところどころ感心するくらいだ。個人的には、本書購入動機の一つでもあったが、江戸時代の連鶴に関心があった。連鶴は切り込みを入れた折り紙を使って、一連につながった鶴を折ったものだ。原形は、桑名・長円寺住職・義道、号は魯縞庵が考案した連鶴49種含め、秋里籬島が編集した狂歌集「秘傳千羽鶴折形」によるもので、同書は1797年(寛政九年)、京都・吉野屋為八から発行された。同書は、長く忘れられていたが1957年に吉澤章が見い出して発表し、有名になった。私が子どものころテレビ番組でなんどか見かけた。


花見車
志賀寺の上人さへも其むかし花見車の内に恋草

 「清少納言智恵の板」(参照)が出版されたのは、1742年(寛保二年)であったが遊女などが同パズルを遊んでいたのは1780年代と推定されるから、連鶴の時代と重なるだろう。
 「秘傳千羽鶴折形」を見ると、本書「本格折り紙」の特徴でもある設計図・展開図の発想もすでに見られ、興味深い。
 本書「本格折り紙」にはその他にも興味深い作例がある。一番心惹かれたのは、入門編にある「変形折鶴」である。単に別の作り方を考案したというのではない。折り鶴を投げてて飛ぶように重心と浮力を考慮して設計されているのである。投げると、飛ぶのである。発想のきっかけとまでは書かれていないが、千葉紘子「折鶴」(参照YoutTube)の言及もある。「まだ覚えていた折鶴を今あの人の胸にとばす夕暮れどき」である。
 作例はそう多くはないといいつつ十二支はさりげなく含まれているし、雛人形も美しい。実用的というのもなんだが、ティーバッッグの紙を使った立体的なトナカイの作例もある。
 実際に中級くらいの作例を手順通りにきちんと作り、できあがってみると、存外に満足感があり、楽しいものある。

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