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2010.07.31

[書評]多面体折り紙の本、3冊

 折り紙が趣味と言えるほどのことはないが、好きでたまに折る。三つ子の魂百までの部類かもしれない。三歳くらいから折っていた。実家の書棚に昭和30年代の折り紙の本が一冊あるはずだ。
 折り紙にはいくつか思い出がある。一つは、20代のころ知的障害児と遊ぶということをしていたときのことだ。何だったら遊んでくれるかなと、いろいろ単純なおもちゃを揃えたなかに、折り紙も入れてみた。そしてやってみた。うまくいかなかった。折り紙というのは、けっこう難しいものだと思った。
 30代のころ、インドに行って地元のNPOと子どもを交えたちょっとした交流会があって、そうだな何をするかなと、折り紙を持って行ったことがある。とりあえずパフォーマンスはできたものの、率直に言って、現地の子どもは関心を持ってなかった。外国人なら、折り紙関心あるだろうなとそれなりに思っていたのだったが、そういう関心があるのは、むしろ工業製品にあふれた先進国の子どもや大人のようだ。
 そのおりのことだが、現地で予定がキャンセルされたりしてぽかんと暇になり、暇つぶしをかねて余った紙でユニット折り紙をした。いくつかのピースを組み立てて立体を作るのである。これも面白いかなとは思った。

cover
すごいぞ折り紙
折り紙の発想で
幾何を楽しむ
阿部 恒
 ひょんなことでまたあれが作ってみたくなった。どういう仕組みなのか、なにか数学的な背景でもあるのではないか。それと、任意の角の三等分が折り紙ならできるという話をもういちど読んでみたい気がした。その話のオリジンである該当書は「すごいぞ折り紙―折り紙の発想で幾何を楽しむ(阿部恒)」(参照)である。
 この本は白黒二色で地味な感じというか、もろに幾何学である。レベルは中学生の幾何学程度。上手に説明すれば中学生の教材にもなるだろう。ぱらぱらと見ているだけで、ああ、そうだこの長さは3のルートだととか思う。その点はわかりやすい。実際に立体を作ってみると、やや地味かなという感じもするのと、素材の紙は正方形の以外の作品が多い。きちんと切り出して多少厚みのある紙で作れば面白いのだが、普通の折り紙を切り出すとやや弱々しいものになる。

Chapter1 作図問題
Chapter2 一定比率の用紙を使って
Chapter3 正三角形ユニットで作る正多面体
Chapter4 正八面体から立方体へ
Chapter5 正二十面体から正十二面体へ
Chapter6 ユークリッド幾何学で作図不可能な問題を”おりがみ”で解く

 同書には、「ハミルトンの世界一周パズル」の話もある。ハミルトン路(Hamiltonian path)である。これ、平面でアルゴリズムを考えるというより、実際に正12面体で考えると、なかなか味わい深い。
 同書を購入した際のお薦めに「はじめての多面体おりがみ―考える頭をつくろう!(川村みゆき)」(参照)があり、こちらはどうかなと買ってみた。
cover
はじめての多面体おりがみ
考える頭をつくろう
川村みゆき
 これはまた多面体好きにはたまらない本である。著者はこう書いている、「多面体は好きですか? 多面体をつくったことがありますか? わたしはこどものころから多面体が好きでした」。その思いが作品を通してじんわりと伝わってくる。実際に作ってみると、解説のディテールがしっかりして驚く。これはべたに理系の頭だと思ってもう一度著者見ると「多面体の折紙―正多面体・準正多面体およびその双対(川村みゆき)」(参照)の著作があり、この原型は作者が素粒子物理学の大学院生時代に自費出版したものらしい。なるほど。
 作品はまさに多面体が意識されているせいか、立方体なども簡素な一例のみであり、クラフト的な意味合いは薄い。できあがった構造もやや弱いのでノリで補強したほうがよい点もある。
cover
ユニット折り紙
エッセンス
布施 知子
 もうすこしクラフト的な本も欲しいなというか、以前やったユニット折り紙的なものもよいかと探すといろいろある。そのなかでやはり多面体志向がよいなと思って、「ユニット折り紙エッセンス―布施知子のユニット集成 立方体、12面体、20面体から星組みまで(布施知子)」(参照)を選んでみた。まあ、正解。千代紙などで作ってみるときれいな柄が浮かび上がる作例がたくさん収録されている。説明もわかりやすい。ユニットの発展もわかりやすい。
 ユニット折り紙は手間がかかる。その間、ぼんやりとしているわけでもなく、きちんと折り目を作るなどそれなりに集中する。多数のユニットを作成していくうちに、折りの手順も暗記する。もしかしてこれってボケ防止にもよいのではないかと思ったら、その手も本もありそうだし、子どもの早期教育なんかへの応用もありそうだ。しかし、そういう二次的なアプリケーションというより、純粋に多面体の面白さやできあがった達成感みたいなものだけでも十分いいんじゃないか。

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2010.07.29

ウィキリークスによるアフガン戦争暴露文書はしょぼそう

 25日、政府や企業の内部告発を公開することで有名な「ウィキリークス」(参照)が、アフガニスタン戦争に関する米軍および米政府機密文書約9万200点中7万5000点を暴露した。これが一部ではあるが、1971年の「ペンタゴン・ペーパーズ」になぞらえて報道されている。「ペンタゴン・ペーパーズ」は、ベトナム戦争に関する米政府の機密文書で、当時ニューヨーク・タイムズに持ち込まれ暴露された。その18か月後、米政府はベトナム撤退を余儀なくされた。
 今回の暴露もおそらく「ペンタゴン・ペーパーズ」のような反戦的イデオロギーの関連があるだろう。時期的に見ると、アフガン戦争の補正予算議会審議と11月の中間選挙への影響を狙ったものだろう。
 今回の暴露に当たっては、ウィキリークスも兵士や関係者への危険性も配慮し、ネット公開以前にリベラルなメディアと見られるニューヨーク・タイムズ、ガーディアン、シュピーゲルの3メディアに同内容を渡しており、この間彼らは独立して可能なかぎりの検証作業も加えている。暴露時期もこれらのメディアと歩調を揃えていた。なお、1万5000点の暴露が控えられたのはたれ込み元の要請らしい。暴露の経路としては、機密情報漏洩容疑でクウェート軍事刑務所に拘束されている米情報分析員ブラッドレー・マニング(Bradley Manning)特技兵が疑われている(参照)。
 暴露された内容だが、現状メディアが検証した範囲では、新事実がないわけでもないが、重要な情報が含まれているわけでもなく、概ね既知のことばかりで、「ペンタゴン・ペーパーズ」に比ぶべくもない。扱っている期間も米国ブッシュ政権下での2004年1月から2008年12月までに限定されており、オバマ政権下での同戦争の問題には直接関わらない。オバマ政権としても未知の情報はないとしている(参照)。
 フィナンシャル・タイムズ「Afghanistan leaks」(参照)は内容を次のようにまとめている。


They throw more light on how the Nato military effort has killed innocent civilians.

これらは、NATO軍よる無辜の民間人殺害により注視している。

They show how the Taliban has enhanced its insurgent capability.

これらは、タリバンが反対勢力を強化するようすを示している。

Above all, they indicate how the Pakistani intelligence services are playing a double game, backing the Nato effort while colluding with the Taliban.

結局のところ、これらは、パキスタン諜報機関が、NATOを支援しつつタリバンと共謀するという二枚舌を示している。

But there is little here that we did not know before.

とはいえ、我々がこうしたことを従来知らなかったわけでもない。


 当のニューヨーク・タイムズも「Pakistan’s Double Game」(参照)でパキスタンの二枚舌に焦点を当てている。読んでいくと、このあたりの論調は、アフガニスタン戦に対する反戦というより、むしろパキスタンに対する強行論のように見えないこともない。

If Mr. Obama cannot persuade Islamabad to cut its ties to, and then aggressively fight, the extremists in Pakistan, there is no hope of defeating the Taliban in Afghanistan.

もしオバマ氏がパキスタン政府にパキスタン内の過激派との連繋を断ち切り、強く戦うように説得できなければ、アフガニスタン戦争でタリバンを打ち負かす希望はない。


 率直に言えばこの論調は、パキスタンを無政府状態に陥れかねない、かなり危険なものであり、インドや中国も巻き込んで難しい問題を引き起こす。
 暴露内容がどの程度信頼性のあるものかについては、ガーディアン「Afghanistan war logs: Massive leak of secret files exposes truth of occupation」(参照)が論じているように、注意が必要になるだろう。
 蚊帳の外に置かれたワシントンポスト「Wikileaks' release of classified field reports on Afghan war reveals not much」(参照)がこうした情報がもたらしかねない危険性への留意を促していることや、テレグラフ「Wikileaks' Afghan war log should not damage the war effort」(参照)も同種の懸念を表明している。
 薄目で見るかぎり、今回の騒動は、ベトナム戦争神話というべきもののリバイバルが各種の類例の物語を紡ぎ出す一例のようだ。

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2010.07.28

Yahoo! Japanと米Googleの提携、雑感

 日本のインターネット検索最大手Yahoo! Japanが米Googleと提携し、検索のサービスに米Googleの検索エンジン(検索処理部位)を使うことになった。最初の報道は米ダウジョーンズ・ニュースワイヤーズだったようだ(参照)。
 2004年以前だが、Yahoo! JapanがGoogleの検索エンジンを採用したこともあったので、その点からすれば、さほど不思議でもない。だが、Yahoo! Japanというからには米国Yahoo!との関連があり、米Googleと対立的な関係にある米マイクロソフトによって買収が取り沙汰される米国Yahoo!という現状構図からすれば、日米のYahoo!は、対Googleの経営で逆向きの戦略を取ることになる。
 また、米マイクロソフトはBingと呼ばれる検索エンジンを持っており、米Yahoo!はBingの採用を見込んでいることを考慮すると、日米のYahoo!が協調するなら、Yahoo! JapanもマイクロソフトのBingを採用するほうが自然だった。では、なぜYahoo! Japanが米Googleと提携することになったのか。いろいろ取り沙汰されている。なお、Googleの場合、日本の日本法人のグーグル株式会社は米Googleの経営指針の下にあるので、日米Googleの経営上の差はほとんどない。
 今回の提携話の基本は日米Yahoo!の資本関係だ。名前の関連からYahoo! Japanは米Yahoo!の子会社のように思う人もいるかもしれないが、米Yahoo!がもつYahoo! Japanの株式は34.78%で二位であり、筆頭はソフトバンクの38.6%である。つまり、Yahoo! Japanは米Yahoo!の意向を押さえ込める。米Yahoo!を買収しようとするマイクロソフトも押さえ込めるということでもある。こうした資本関係から見るなら、今回のYahoo! Japanが米Googleと提携は何ら不思議でもないし、Yahoo! Japanの独自の経営判断ということだが、ソフトバンクの意向を酌んだ面もあるだろう。
 するとここでもう一つの図式が浮かぶ。Appleと組みiPhoneを展開しているソフトバンクにとって、親Googleの戦略は何だろうか?
 この構図がややこしいのは、スマートフォンの世界において、近未来、ソフトバンクが扱っているiPhoneが、Googleが提供するスマートフォン基本ソフト機アンドロイドと対立することだ。今回の提携は、ソフトバンクが敵対関係になりうる米Googleを飲み込む方向に向かっていることになる。率直に考えれば、AppleのiPhoneに依存するリスクを減らすということがあるだろう。
 しかし、近未来のスマートフォン対決の布石という理由が今回の話題の主軸ではない。今回の提携はよりWebの世界に直接的な影響をもたらす。主要な理由はなにか?
 私が思うのは、米Googleの検索分野での圧倒的な力への屈服だろう。一部ではマイクロソフトのBingも強力な検索機能を持っていると言われるが、実際に個別例で比べてみればわかるが、現状ではお話ならないほどBingは弱い。「グーグル秘話」をキーワードにしてGoogleとBingで検索してもその性能差は歴然とする。特に、ツイッターが盛んになってから、数分を争う最新情報の検索評価の点でGoogleにかなう存在はなくなってしまったと言える。
 もう一点、具体例を挙げると、現時点の中国とGoogleの関係はどうなっているかということで「Google 中国」のキーワードで検索すると、Bingではストーリー的な意味は読み取れないが、Googleでは、その即時性と解析から、ぼんやりとしてではあるが検索結果からストーリーが結果的に浮かび上ってくる。期間を限定するとストーリーを構成する意味のクラスターも見えてくる。Googleの圧倒的な強さというか、結果的なセマンティックWebとしての強みまである。
 私は、このGoogleの圧倒的な強さこそが中国に屈しなかった理由もであると考えている。中国政府による検索結果の操作を是としがたいGoogleは、今年3月に検閲を停止し、中国向けに展開しているGoogle.cnを検閲のない香港サイトGoogle.com.hkに誘導した。これに怒った中国が、中国向けの検索認可権でもあるインターネット・コンテンツ・プロバイダー(ICP)事業ライセンスを更新するかが注目されていた。Googleとしては中国が認可しないなら撤退する本気を示していた。
 結果だが、ICPライセンスは更新されたので、中国がGoogleに当面折れた形になっている。ただし、Google.cnで閲覧が撤廃されたというのではなく、Googleらしいメンツも潰さないでおく程度の処置だとも言える。
 それにしてもICPライセンスで揉めている間、中国向けの検索サービスは、Googleがなくても中国資本の百度があればやっていけるという観測や、米Yahoo!やマイクロソフトは中国の検閲に折れている現状もあり、中国はこれらの企業を使ってGoogleをはね飛ばすという観測もあった。
 そうならなかったのは、中国の知識人がGoogleの底力を知っていたからだろう。Googleについて包括的に議論したかに見える「グーグル秘録(ケン・オーレッタ)」(参照)だが、Googleの膨大なデータセンター投資や、主要事業分野が検索であるという点までは的確に描写しているものの、このデータセンターでどのような処理をしているかという技術面のフォローはできていない。
 実は、検索のための基本技術の面で、Googleはすでに圧倒的なシステムを構築している。世界の情報をいかに高速に検索するかというために、ハードウェアのレベルから独創的で徹底的な技術と資本が投入されていて、他の検索エンジンがこれに追いつくことは、ほぼ不可能な次元にまで到達している。
 これだけの技術とそれがもたらすものを拒絶したら、中国といえども、世界の情報の速度と豊富さからただ排除されるだけのことになる。中国政府は冷静に技術の世界を理解したと見てよいだろう。
 今回のYahoo! Japanと米Googleと提携の話に戻れば、日本国内の検索市場を単純計算すれば、従来Yahoo! Japanが担っていた58%とGoogleが担っていた38%が統合される。日本の検索市場の96%をGoogleが握ることになる。独占禁止法の問題はないか心配になるが、検索結果のビジネス利用の点で、Yahoo! JapanとGoogleが分離されるため日本の公正取引委員会は問題ないと判断している(参照)。
 現状だけからすれば、検索市場においてYahoo! Japanが20ポイントもGoogleより有利なのだから、Googleに折れたような提携をしなくてもよさそうなものだが、検索技術、とくに検索精度において、Googleにすでに負けていると言ってよいし、Yahoo! Japanの収益源に関わる部分はしだいに検索以外の総合ポータルやオークションに移ってきており、これらの活用にもGoogleが便利だ。さらに、検索エンジン技術分野における対Google戦で消耗するのも避けたかったのだろう。
 加えて、Googleは検索サービスをメインにしているとはいえ、「グーグル秘録」が明らかにしたようにビジネスで見れば、中抜きの広告屋であり、Googleが買収済みのダブルクリックなどから継承した広告技術も強化されているため、Yahoo! Japanとしても検索周りのWeb広告の取り次ぎをGoogleに集約したいという意味合いもあるだろう。

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2010.07.27

[書評]グーグル秘録(ケン・オーレッタ)

 「グーグル秘録(ケン・オーレッタ)」(参照)、オリジナルタイトル「Googled: The End of the World As We Know It 」(参照)は、すごい本だった。すごい内容が描かれていた。どのくらいすごいのか?

cover
グーグル秘録
ケン・オーレッタ
 それは、大地の揺らぎと鳥と蛇の群れ、そして一機の飛行機で始まる。レニー・ブルースなら驚かないけど、台風の目の中にいる自分はどんだけ動揺してるんだ。君の都合なんか気にもかけずに、世界は自分勝手に動き出している。世界は終わりだってことを僕らは知っている。でも、いい感じ。
 そのとおり。1987年、R.E.M.の曲、"It's The End Of The World As We Know It"(参照・YouTube)である。




It's the end of the world as we know it.
It's the end of the world as we know it.
It's the end of the world as we know it and I feel fine.


 世の中がダメだとわかれば、こんな世界はもうおしまいさ。それで、いいんじゃね、"and I feel fine."というわけだ。それが、Googled(グーグルされた)ということ。本書のタイトルはそう語る。
 "Google"という固有名詞を一般動詞化して、"Google it."といえば、「ググれ(Googleで検索しろよ)」という意味だが、本書タイトルの"Googled"はそうではない。「Google化される」ということだ。
 何がGoogle化されるのか? その顕著な対象は新聞など伝統メディアである。こう使われている。


グーグルと関係が良好であるかどうかにかかわらず、伝統メディアのほとんどが「グーグル化される」という不安を抱いていた。

 新聞などのメディアが発する情報は、その収入源である広告を混ぜてから読者・視聴者に提供されたものだった。Googleが台頭してからは、必要な情報だけGoogleで検索して読まれるようになった。さらにGoogle化は進む。テレビ番組は広告がカットされ、Googleが保有するYouTubeに無断掲載される。しかもそれにGoogleは別の広告を付ける。Googleの検索連動広告であるアドセンスの興隆でも広告業界の利益は奪われる。
 各種の業界がその収益源を失っていく。それがGoogle化されるということだ。本書は、くどいほどにその姿を描き出す。
 各種業界の利潤を産むプロセスをGoogleは中抜きする。その儲けでGoogleは太り出す。だが、手間のかかるコンテンツ(提供される内容)作成には手を出さない。かくして、コンテンツ産業への費用が削減されていく。本書はこれでよいのかと問いかける、執拗に。
 各産業の中抜きだけが「Google化される」という意味ではない。労働環境も「Google化される」。有名なのは、20%ルールだ。Googleは開発に携わる社員の勤務時間の20%を勝手な研究に使ってよいとしている。会社にいながら好きな仕事ができる。しかもそうした勝手な研究がきちんとGoogleの成果に結びつく。他の企業はこれをどう見るだろうか。開発に関わる人材にGoogleの20%ルールのような待遇を与えないと人材は逃げていく。Googleに習うしかない。かくして、シリコンバレーや同種の産業が「Google化」され、開発者が優遇される。
 まだある。Google化された世界のコンテンツは無料だ。この点は日本も同じ。例えば、新潮社の雑誌「考える人」2010年8月号(参照)に村上春樹ロングインタビューが掲載された。私は村上春樹のファンなのでこれを買って読んだが、一段落分感想を添えて「ちょっとだけ抜粋」したブログのエントリーに、はてなブックーマークが500以上も集まる(参照)。雑誌記事の備忘のためのブックマークであれば、雑誌購入に関連するWebページをブックマークすべきだろうがそうはならない。無料で読める部分で済んでしまう。コンテンツのパーツ化も、Google化された世界のありふれた風景である。邦訳書のサブタイトルに「完全なる破壊」とあるのも、その意図を酌んでことだろう。
 そんなことは、みんな知っている、"As We Know It"である。
 しかし、本書を読み終えた私は、そのことはそれほどすごいだとは思わない。すごいと思ったのは、本書の存在だ。著者オーレッタ氏がこの本のためにした地味なそして膨大な取材だ。この本の大半は、人間に直に合って話を聞くという人間臭い作業の地味で膨大な繰り返しから成り立っている。原注には裏付けとなる発言の日時がいちいち記されている。
 この本は、一人のジャーナリストが、"Google it"を横目に、ただ人間的な知性によって成し遂げた作業の集積であり、Google的な知識に立ち向かうジャーナリストの挑戦でもある。Googleによってジャーナリズムの息の根が止まるといわれても、ジャーナリストはそれに立ち向かうことができるという挑戦の証でもある。
 ここまでやるものかと私は思ったし、そこにこそ感動した。この労作の意義を理解したローレンス・レッシング氏も「法律文書を読むときと同じ慎重さで草稿にに目を通し」たという。
 もう一つ感動したことは、Googleが、"Don't be evil" (悪をなすな)というとき、私たちの市民社会がそれをどのように信じるのかという水準を、本書によってジャーナリズムが明確に示したことだ。著者オーレッタ氏がGoogleに突きつけたのは市民社会の公正な視線であった。本書は当初、Googleをターゲットにしていたわけではなかった。メディアの行く末を模索することだった。

 選んだ素材はグーグルだったが、同社は協力を渋った。共同創業者をはじめ、同社幹部は本の電子化には熱心だが、本を読むことには大して興味がないのだ。執筆に協力するのは、”時間の無駄”ではないかと懸念していた。そこで私は、本書の使命はグーグルがしていることや、メディア業界をどのように変えようとしているのかを理解し、説明することであり、グーグルは私のプロジェクトを検索と同じ発想で考えるべきだと訴えた。

 Googleが、"Don't be evil" (悪をなすな)を体現しているなら、このジャーナリストの挑戦を拒むことはできない。Googleは受け入れた。本書の出版前にGoogleの査察は入っていない。
 本書は4部構成で、第1部は序章だが、大半を占める2部と3部はクロニクル(年代記)の構成になっている。人びとの証言を元にしたGoogleの歴史が順序立てて細かく描かれている。邦訳タイトルが「Google秘録」となっているのもその点を重視したのだろう。
 描かれている人物はみな非常に魅力的だ。創業の二人とCEOのシュミット氏が主役になるのは当然だが、懐かしのアーンドリーセン氏も一貫したナレーターのように登場する。
 人物像のなかで、私が特に着目したのは二人。一人は、ビル・キャンベルである。シリコンバレーを支える最長老と言ってもよいだろう。彼がいなければ今日のGoogleが存在しえなかったことを本書は明確に描き出した。キャンベルはまたスティーブ・ジョブズのメンター(師匠)でもある。その意味も本書の最終に描かれていく。
 もう一人は、シェリル・サンドバーグである。彼女がGoogleのもっとも上質な文化を創り上げたと言えることが本書でわかる。そして、彼女がGoogleを辞めてフェースブックに移っていくようすは本書の圧巻である。
 IT企業コンサルタントの梅田望夫氏は、「人の流動こそ新成長の鍵」(参照)と語ったが、そのドラマのすべてが本書にあると言ってもよいだろう。

なぜニューヨーク・タイムズやCBSは、CNNを作れなかったのだろう? なぜスポーツ・イラストレイテッドがESPANを始めなかったのだろう? インスタント・メッセンジャーを世に送り出したAOLが、なぜフェースブックを生み出せなかったのだろう? なぜIBMはソフトウエアをマイクロソフトに譲ったのだろう?
 変化の波がどこに向かうのか、誰も確信できない。

 本書もその解答を示さない。ただ、人びとのドラマが歴史を作り、動かしていく事実だけを人間の肉声を通して描いていく。とても人間臭く。シリコンバレー版十八史略のように。

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2010.07.26

「後期高齢者医療制度」廃止よりも長妻大臣大丈夫かなと心配になった

 23日、厚生労働省・高齢者医療制度改革会議が現行の後期高齢者医療制度に代わる新制度の原案を発表した。「新高齢者医療制度」とか呼ばれるのだろうか。予定では、年内に最終案をまとめ、来年の通常国会で法案として提出するらしい。
 今回の原案について、財源の見通しがない拙速さの点ですでに大手紙社説がこぞって批判しているが、ねじれ国会の中、法案として通るかといえば、案外、通らないとも言い難い。この問題、難問過ぎて野党側としても代案はない。現行の「後期高齢者医療制度」のように75歳の線引きでやっていきましょうとオモテ立って言える政党ももうない。
 今回の新案は、実際のところ、裏でさすが厚労省官僚さんたち仕事しているなと感得したのは、「後期高齢者医療制度」とさして変わっていない点だった。全体の負担の五割を税、四割を現役世代からの支援(健保・協会けんぽ)、一割を高齢者の保険料という枠組みにはなんら変化がない。また高齢者の線引きも軒下できちんと生きている。まあ、変わりようもない。絵に描いたような朝三暮四だけど、これが政治っていうものかな。
 上手に看板を付け替えて玉虫色に見せてくれたのは、おそらく「子ども手当担当局長を降格=幹部人事を内定-長妻厚労相」(参照)のような左遷人事を長妻大臣させるほど問題をこじらせちゃうのもなんだし、他に名案もないしということなのだろう。
 NHKニュースで映し出されていた長妻大臣を見ながら、「後期高齢者医療制度」廃止よりもこの人、大丈夫かなと心配した。厚労省大臣、向いてないんじゃないか。マニフェストで廃止すると決めているからやるのだというだけの理屈なのではないか。
 そういえば参院選の際のマニフェストでは達成事項の二番目に国家戦略室があったが、選挙後に菅首相はさっさとこれを潰した。それもなんだかなとは思うが、そのくらいの臨機応変・君子豹変はあってもいいのではないか。というか、日々存在感が薄れていく菅首相も心配だが。
 今回の新制度では、「後期高齢者医療制度」が75歳で一律区分けしたのを止め、福田政権以前の自民党時代の制度に戻すことになる。ようこそ昭和時代へ。現行制度の加入者約1400万人のうち、約1200万人が国保に、約200万人が被用者保険に戻る。
 露骨に言うと、被用者保険のあるサラリーマンとその配偶者を無職の老人と一緒にすんなよ、と。サラリーマンの息子の扶養に入れる高齢者は保険料負担を免れる。持つべきものは高給取りの息子というか婿。国保だけの一人暮らしの高齢者は世帯主なんだから保険料負担しろよ、と。もしかしてそれじゃ、高齢者間の格差が復活するんじゃないのとかごく若干疑問に思う人もいるかもしれないけど、そう言える世間の空気ではない。
 「後期高齢者医療制度」でめちゃくちゃ批判された75歳の区切りだが、これ、実は新制度でも生きている。新制度でも、国保の財政区分を65歳か75歳かいずれにせよ高齢者の線引きで別勘定にすることになっている。区分後は、なぜか都道府県単位で運営する。大きな差が出ないように標準保険料が設定されるとのことだが、補正のカネはどこから出るのだろう。また現役世代のほうの国保は、市区町村単位でやるそうだから、すごく複雑なシステムになる。
 結局、この問題も、郵政問題と同様に、なんのための政権交代だったのか非常に悔やまれる一例で終わってしまいそうな感じがしてならない。

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