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2010.06.26

[書評]伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本(浜田宏一、若田部昌澄、勝間和代)

 日本銀行白川方明総裁に経済学を教えた浜田宏一先生が、かつてのその教え子である白川氏を叱るとまでは言えないまでも、奇異な日銀流理論から経済学の基本に立ち返るように諭すという趣向の対談本があると聞いて興味を持ち、以前にアマゾンに予約しておいた書籍「伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本(浜田宏一、若田部昌澄、勝間和代)」(参照)が今日届いて、早速読んだ。

cover
伝説の教授に学べ!
本当の経済学がわかる本
浜田宏一,若田部昌澄,勝間和代
 浜田宏一氏は現在も米国の経済学者の精鋭に伍してイェール大学経済学部で教鞭をとり続けている現役の最前線の経済学者であって、過去の追憶や老いの繰り言を語る人ではない。
 冒頭には、「白川方明・日本銀行総裁への公開書簡」が添えられており、日本国民が日銀の間違った金融政策によって苦しむことに経済学者として黙ってはいられないという、学者らしい義憤がしかし礼儀正しく書かれている。学者という存在はこういうものであったはずだと襟を正す思いがする。

拝啓
 金融界の頂上に立つ白川総裁にこのような率直なお手紙を書くのは、礼に反することではないかと恐れます。
 しかし、総裁の政策決定の与える日本経済への影響の大きさ、しかも、それによって国民がこうむる失業等の苦しみなどを考えると、いま申し上げておくことが経済学者としての責務と考えましたので、あえて筆をとった次第です。


 研究所長の任期を終えて帰米に際して、日本銀行へ挨拶にうかがったときも、(貴兄は海外出張中でしたが)硬い表情に見えた役員もいたなかで、速水総裁だけは本当に親身になって話していただきました。決して、論敵がいなくなってうれしいという表情ではありませんでした。
 そのときに湧いた疑問は、「なぜ、このようなすばらしいお人柄と、『ゼロ金利解除』を強引に行うような円高志向の政策観が共存できるのか」ということでした。いま起こっている疑問は、「貴兄のように明晰きわまりない頭脳が、どうして『日銀流理論』と呼ばれる理論に帰依してしまったのだろう」ということです。

 日銀に普通の経済学に立ち返ってもらいたい。少なくとも、かつては理解していたワルラス法則についてくらい、もう一度きちんと白川氏に理解し直してほしいというような、いかにも教師であったことの責務も感じられる。
 本書は対談を書き起こした語り口で説かれていて親しみやすい。若い学生に長く教えてきた浜田宏一氏の語りはやさしく、経済史学者若田部昌澄氏の気配り的な解説と、経済評論家勝間和代氏の話題をかみ砕くような適時のまとめも、全体として読みやすいものにしていた。
 対談で展開されている日銀への提言内容は、基本的にリフレ派と言われる人たちの考えをきちんとなぞったもので、その意味では、こうした議論に慣れている人にはあまり新味は感じられないかもしれない。以前のエントリで触れた「[書評]この金融政策が日本経済を救う(高橋洋一): 極東ブログ」(参照)の該当書を浜田氏も対談中で称賛していたが、むしろ金融政策的な側面は高橋洋一氏の書籍のほうがわかりやすい面もあるだろう。
 対談は10時間に渡ったとのことで、内容はテーマ別に7つの章に分けられている。日銀提言的な話は、冒頭公開書簡に続く、「第1章 デフレって何だろう」「第2章 こうすればデフレは止められる」「第3章 なぜインフレターゲットが必要なのか」と「第6章 デフレ脱却後、日本経済はこうなる」「終章 これが「本当の経済学」だ!」にまとまっている。
 中間の「第4章 「伝説の教授」はこうして経済学を学んだ」は浜田氏の昔話や一時代前の経済学や経済学者についての話で、おそらく経済学を好む人にとっては大半の逸話は知っているかもしれないが、意外に思う話などもここあるだろう。私としては、浜田氏の小宮隆太郎氏への印象が、予想外というものではないが、興味深いものだった。
 「第5章 歴史に学ぶ「反デフレ」の闘い──大不況・昭和恐慌の教訓」の話は、NHKブック「平成大停滞と昭和恐慌~プラクティカル経済学入門(田中秀臣、安達誠司)」(参照)で読んで知っていたので意外感はなかった。経済史学者としての若田部氏の思い入れとも重なるところだろう。
 個人的に多少意外な感じがしたのは、浜田氏がインフレターゲッティング論に転じたのは近年のこととしている点だった。氏の先生にあたるトービン氏はインフレターゲッティングを否定していたという逸話には浜田氏独特の思い入れもあるだろう。
 もう一点、ああそうかと思ったのは、エントリ「[書評]世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ! 日頃の疑問からデフレまで(飯田泰之): 極東ブログ」(参照)の該当書の著者でもある飯田氏によるリフレ政策強弱による三分類について、もっとも弱いタイプのリフレ政策である日銀法の改正とインフレターゲッティングが、実はもっと実施しにくいという若田部氏の指摘だった。
 加えて、この部分の政策論評価において本書の話の流れでは浜田氏も賛成しているのだが、実際のリフレ政策においては、日銀の魔窟的な性格に知的な関心を持ちつつも、日銀ガバナンス論より、民間債権の買い上げを含む金融緩和や為替介入を重視している点に、いわゆる議論的な議論を超える部分への微妙な思いが感じられた。
 対談は、菅首相誕生前の4月に行われたらしく、特に勝間氏の発言の端などにはその時点での財務相としての菅氏への期待も諸処に見られる。だが、現状の菅首相の経済観はかなり後退している。
 民主党には結果的に批判的にならざるえない私としては理の当然といった主張に満ちているのだが、例えば次のような浜田氏の発言を、民主党の人たちはどう受け止めるだろうか。

浜田 普通は経済成長するから、再配分もできる。それが常識ですよね。
 デフレ放任政策がとられている現状を前提とすると、社会的弱者のための温かい政治を行うことが期待されますが、それを最も非効率にやろうとしているのがいまの民主党政権です。お金持ちの子弟を含めて高校の授業料を全員に無償にしようとしているのが、その一例です。民主党にはミクロ経済学も学んでもらわなければなりません。
 分配の平等性を実現するには、全体のパイも大きくしなければなりません。国民からパイを奪うようなデフレ放任の金融政策が行われているなかで、分配の公正を求めるのは無理があります。デフレは地方自治体の財政バランスにも悪影響を与え、住民に対する福祉活動も制約します。

 菅首相はデフレを放任しないと明言しつつ、財政再建も行うとしているのだが、その二つを繋ぐのが消費税の増税である。増税による正しい投資によって経済成長がなされ、財政再建が可能になるという不思議な経済学である。そうではなく、まず、金融政策が問われるのだという浜田氏の主張は、日銀を超えて首相にも届けばよいと願わずにはいられない。

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2010.06.25

マクリスタル司令官辞任、後任はペトレイアス中央軍司令官

 アフガニスタン駐留米軍マクリスタル司令官が辞任し、後任にはペトレイアス中央軍司令官が指名された。表面的にはローリング・ストーン誌の記事(参照)で、マクリスタル司令官がバイデン副大統領やアイケンベリー駐アフガン大使を含めオバマ政権高官を批判したため、これに怒ったオバマ大統領が事実上の解任したように見える。
 実際には、記事は下品な代物ではあったが、マクリスタル司令官の任務の問題とは見えない。むしろ、軍部の政権批判に対して文民統制の視点から規律をもたらす必要性にオバマ政権が駆られたと理解したほうがよいだろう。バイデン副大統領とゲーツ国防長官の対立といったオバマ政権内の問題の悪化を留めたいという思いのほうが、オバマ大統領には強かったのではないか。そして実質的にはバイデン氏を立て、ゲーツ氏が負けた。
 事実上解任されたマクリスタル司令官に失態はあったかというと、評価は難しい。が、なかったと見てよいだろう。彼は昨年5月に国際治安支援部隊(ISAF)司令官に就任後、12月米軍3万人増派のアフガン新戦略を主導してきた。もともと難しい任務であり、そもそもオバマ大統領が最終的に決断した戦略でもあった。責任の大半は、選挙前公約に対する焦りに駆られたオバマ大統領にある。
 こうしたことから、ワシントン・ポストは23日付け社説「Why President Obama should keep Gen. McChrystal」(参照)ではマクリスタル司令官の続投を論じた。
 ニューヨークタイムズは、独自指令で秘密活動をしていたペトレイアス中央軍司令官(参照)に批判的なこともあり、22日の社説「Afghanistan, After McChrystal」(参照)ではマクリスタル司令官の問題よりアフガン戦の危機的な状況への問題提起を論じた。
 おそらく問題の背景には誰が任務にあたっても、アフガン戦に好転はないだろうということであり、マクリスタル司令官は事実上それを暴露したに等しかった。
 泥沼のベトナム戦争を終結させたニクソン大統領時代の大統領補佐官キッシンジャー氏も、22日付けのワシントン・ポスト寄稿「America needs an Afghan strategy, not an alibi」(参照)でこの問題を論じ、新しい戦略が必要だと指摘したが、結果的にはオバマ大統領の方針への批判と読めないことはない。
 ざっくり言ってしまえば、現状のままではアフガン戦は負け戦になる。
 ペトレイアス中央軍司令官はそれを承知で、お国のために引き受けたという形になっている。この話がお涙頂戴となるのは、ペトレイアス中央軍司令官がイラク戦争の英雄として時期大統領候補としての名声が高まっているからだ。その名声の可能性を捨ててまでお国に尽くすということである。明確にはされていないが、大統領候補としては共和党から立つとも見られていた(参照)。
 24日付けワシントン・ポスト社説「Gen. Petraeus needs the support his predecessor lacked」(参照)もそこを指摘していた。ペトレイアス中央軍司令官について。


After his triumph in Iraq, Gen. Petraeus could have retired and spent the rest of his life collecting accolades; he could have encouraged the speculation about a presidential candidacy.

イラク戦の勝利の後、ペトレイアス中央軍司令官は引退し、後生を名声獲得に充てることもできた。つまり、大統領候補への期待に自信を持つこともできた。

That he would choose to take on the formidable and risky job of rescuing the mission in Afghanistan at this critical moment is, as Mr. Obama rightly put it, "an extraordinary example of service and patriotism."

彼が、この重要な時期でアフガン戦救済の任に当たることは、並外れて危険な職務となるだろう。それは、オバマ氏が「奉仕と愛国心のとてつもない例証となる」と正確に述べているとおりだ。

He deserves and will need the unqualified support of the president and his national security team.

彼は、大統領とその配下の国家安全チームから条件なしの支援を受けるに値するし、またその必要があるだろう。


 簡単にいえば、この恐るべき任務をこなせばペトレイアス中央軍司令官は次期大統領となる。たぶん、共和党の大統領だろう。そうなればブッシュ前大統領の歴史評価の見直しにすらつながるかもしれない。が、それに民主党のオバマ大統領は賭けるしかない。
 意地悪く見れば、負け戦に乗じて未来の強力なライバルを上手に潰すということでもあるのだが、米国民は共和党も民主党もそういう邪推はしてないようだ。

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2010.06.24

菅直人首相とその経済ブレーン小野善康・大阪大学教授との考えかたの違い

 菅首相が自民党案を模倣して消費税を10パーセントまで上げるかというのが話題になっているが、この話、どうも当初の話と違っている。鳩山前首相のようにえっと人を驚かせるような、常人には理解できない裸踊り的意見の転換がないのとマスコミが世論に目配りして菅氏に好意的なのか、それほど注視されているふうでもないので、多少話が込み入って見えるかもしれないが、この時点で経緯をまとめると混迷の具合がわかりやすいので、軽く記しておこう。
 起点は、首相就任に当たっての会見を振り返ることだ。読売新聞のソースより(参照)。小泉・竹中路線が間違いだとして。


 そうした間違いを取らないで、需要、雇用を拡大する。同じお金の使い方でも、雇用、需要に焦点を置いて財政出動をする。そのことが第1、第2の道に対し、私が第3の道と申し上げている。このやり方が、デフレ脱却から経済の成長につながる。


 我が国の債務残高は巨額であり、その解消を一朝一夕に行うことは困難です。だからこそ、財政健全化に向けた抜本的な改革に今から着手する必要があります。具体的には、まず、無駄遣いの根絶を強力に進めます。次に、成長戦略を着実に推進します。予算編成に当たっては、経済成長や雇用創出への寄与度も基準とした優先順位付けを行います。これにより、目標の経済成長を実現し、税収増を通じた財政の健全化につなげます。
 我が国財政の危機的状況を改善するためには、こうした無駄遣いの根絶と経済成長を実現する予算編成に加え、税制の抜本改革に着手することが不可避です。現状の新規国債の発行水準を継続すれば、数年のうちに債務残高はGDP(国内総生産)比200%を超えることとなります。そのような事態を避けるため、将来の税制の全体像を早急に描く必要があります。

 消費税という言葉もなく、論理もまどろっこしいのだが、無駄遣い根絶を筆頭に置いているものの、言わば修辞的弾避けに過ぎず、要するに「財政健全化に向けた抜本的な改革」とは税制改革であり、それに続いて成長戦略という構造になっている。キーは「予算編成」であり、それを支えるのは当面は税でしかありえない。
 税については言及が曖昧で所得税の含みもあるが、全体の文脈的には消費税という話になっていくことは明確と言ってよいだろう。
 ここまでは、菅直人首相の経済ブレーンで、内閣府参与を務める小野善康・大阪大学教授の考え方に重なる。確認してみよう。21日付けロイター「インタビュー:失業率3%へ消費税上げも=小野・阪大教授」(参照

――菅首相の目指す「第三の道」という経済財政政策はこれまでの政策とどう違うか。
 「過去の自民党政権下で取られた第一の道は、消費者にお金をばらまけばいいというオールド・ケインジアンの発想であり、無駄な公共事業や減税、補助金を指す。第二の道は構造改革そのもので、1990年代以降に生産能力が余っているにもかかわらず生産能力を上げようとした小泉・竹中改革。双方に共通するのは、労働資源を活用することが頭になく、お金を使うか倹約するしかないこと。これでは需要と雇用は生まれない」
 「第三の道は、人に働いてもらうことが目的。そのために資金が必要なら、増税しても構わない。そうすれば当初の増税分は家計に所得として返るので、その時点で家計負担はないし、サービスや設備も提供される。雇用が増加してデフレも雇用不安も緩和されるため、消費が刺激され、経済も成長して税収が増え、財政も健全化していく」

 菅氏と小野氏は同意見のように見える。ここまでは、である。
 その先が微妙になる。

 ――菅首相は消費税の増税を含む税制改革について2010年度内に取りまとめたいと表明。当面の消費税率は10%を1つの参考にするとしている。
 「消費税は来年からすぐにでも上げたほうがいい。数字については示せないが、失業率を3%に引き下げるまで人を雇えるお金が必要で、そうであればかなりの増税が必要となる。私は消費税が特にいいと言っているのではない。本来なら所得税を引き上げ、特に最高税率を上げて累進性を高めればいい。高所得者はお金を使わないからだ。また相続税の増税でもいい」
 「要は増税分を借金返済ではなく、雇用創出とその所得支払いにまわすということだ。それによって増税分の雇用が生まれる。低所得者の収入が増えれば、消費も増えて税収も上がる。増税による税収の使途は、福祉目的税のように限定しないほうがいい。使途は国民が意見を出して政治家が判断すべきことだ。目的税化してお金を配るだけでは雇用は生まれない」

 小野氏の考えでは、消費税アップは雇用創出の文脈にある。また、「本来なら所得税」として本義が消費税ではないことを強調している。
 小野氏が菅氏のブレーンであるとすると、菅氏の意見もそうかと読まれがちだが、そこがどうも違ってきている。
 その前に小野氏の考えの中心ににあるのは、簡単にいえばデフレギャップ解消だ。

――菅首相は2011年度までのデフレ克服を重要課題に挙げているが、これに対して日銀の政策をどう評価するか。
 「デフレギャップを残したままでは、お金の発行量を増やしてもデフレはなくならない。デフレの克服は総需要と雇用の拡大によってデフレギャップを減らすことでしか達成できない。バブル以前の需要不足でなかった時代には、ハイパワードマネー拡大が物価上昇につながったが、バブル以降はまったく効いていない。日銀も財務省も、それぞれ貨幣と国債という金融資産によって、最大限の信用拡大を行っている。国債への不安の高まりも、これが限界に近づきつつあることを反映している」
 「いま日銀ができるのは、貨幣の信用を維持できる範囲で、できるだけ金融緩和をすることだが、すでにかなりやっている。したがって、これ以上、日銀に責任を押し付けるべきではなく、これまで通りの金融緩和の姿勢を保ってほしいと言うべきだ」

 デフレ解消議論のリフレーションも結果的にはインフレ税となるので、デフレ解消という視点からすると小野氏の考えもそれに近い。
 問題は菅氏の理解である。
 小野氏とは違っているようなのだ。23日付け毎日新聞社説「消費税論議 財政再建の知恵競え」(参照)より。

 党首討論会で、なぜ消費税の引き上げが必要なのかと聞かれた菅直人首相は、「高齢者関連の社会保障費は消費税でまかなうことになっているが、10兆円足りず赤字国債で補っている。このままでは社会保障制度が破綻(はたん)する」と説明した。「これを消費税増税でまかなったとしても借金が増える勢いが減るだけで借金は減らない」とも述べた。こうした現状の厳しさを繰り返し、丁寧に説明することで、国民の理解を深めていかねばならない。

 つまり赤字国債が消費税アップの本音だ。だとすると以降の混迷もわかりやすい。
 増税財政再建派の毎日新聞は消費税アップは、読売新聞ほどではないにせよ基本線では好意的だが、菅氏の思いつき的発言の軽率さを批判してもいる。

 抽象論ではなく具体的な対策が浮上したこと自体、悪くないが、いきなり10%と言われても、国民はすんなりと受け入れる気になれないだろう。党首討論会でも野党から追及があったが、「10%」も含め消費税引き上げに関する考えが民主党内でまとまっているようにも見えない。普天間飛行場の移設先をめぐり鳩山前政権が迷走したのも、先に党内で議論を詰めず、首相の考えと党、連立政権が一致しないまま走り続けたことが大きかった。同じ失敗を財政再建で繰り返してはならない。

 10%の根拠は民主党内にはないことは、「2010年度内にあるべき税率や改革案の取りまとめを目指したい。当面の税率は、自民党が提案している10%を一つの参考にしたい」(参照)としたことからも明らかで、菅氏お得意の、れいの乗数効果11発言と同じようなもののようだ。
 菅氏の思いつき発言がもたらした民主党内の混迷も深い。時事「仙谷官房長官、消費増税なら衆院解散=玄葉氏、雇用創出にも充当」(参照)より。

 仙谷長官は消費税引き上げについて「日本の財政、経済、社会保障のシステムを立て直すためには議論は避けて通れない」と強調。7月11日投開票の参院選でも「大いなる議論、争点化がなされればいい」と述べ、「当面10%」と公約した自民党も含め、各党と議論を深める意向を示した。
 一方、民主党の玄葉光一郎政調会長は会見で、地方の取り分を除き、医療、介護など社会保障目的に限定されている消費税の使途について「(税率引き上げ時に)名目成長率が3%に達していなければ、その財源を需要、雇用を創出する分野に集中的に使ってもいいのではないか」と指摘。現行制度で1%分が充当されている地方消費税の拡充を検討する考えも示した。

 仙谷氏と玄葉氏の消費税の考え方の違いは、他党との考え方の違い以上の開きがある。
 民主党内で消費税についての意見の統一はない。それどころか党内でもめることになった。21日付け日経記事「「引き上げないと言っていたのに」消費税で民主に戸惑い」(参照)より。

 「4年間上げないと言っていたのに撤回するのか。来年4月から上げるのか。地元では誤解されている」。21日夕、民主党本部で開いた常任幹事会は首相の消費税発言への懸念が噴出した。
 声を上げたのは小沢一郎氏に近い松木謙公国会対策副委員長ら5人。枝野幸男幹事長は「昨年の衆院選で約束したことが基本だ」と理解を求め、「衆院選前の消費税増税はない」という基本路線を再確認した。

 また小野氏が明言したにもかかわらず民主党は消費税を目的税化した。22日付け読売新聞「「使途、医療・介護にも」消費税で民主が主張修正」(参照)より。

 民主党は消費税率引き上げに言及した菅首相の発言を受け、消費税に関する党の見解をまとめた。
 税率引き上げ後の使途について、「税収は年金に限定することなく、医療・介護などの分野にも充当する」とし、過去の公約に盛り込んだ「年金目的消費税」の主張を修正した。
 同時に、「財政の余力が増す場合には、わが国の閉塞感を打破し元気な日本を復活させる分野に充当していきたい」と記し、財政状況が改善されれば、さらに別の分野にも支出する方針を示した。

 消費税を打ち出の小槌と思っているのかもしれない。経済が低迷し消費全体が下がれば、消費税も下がることがわかっていない。
 菅氏の意見もめちゃくちゃでかつ民主党内の意見もめちゃくちゃ。いったい、消費税をどうしたいのか皆目わからない。
 火消しに入ったのは枝野幸男民主党幹事長のようだ。23日付け産経記事「枝野幸男民主党幹事長「総選挙まで消費税上げない」(参照)より。

 消費税の問題は、次の総選挙(衆院選)の直前に生煮えの議論で「どうしましょうか」と問いかけたり、次の総選挙に向けて議論するのに、今回の参院選で何も言わないのは無責任だ。菅直人首相はリスクを承知の上で「これからちゃんと議論して、煮詰まった段階で総選挙で国民に信を問います」と誠実に言った。もちろん、次の総選挙まで消費税を上げないという考え方は変わっていない。

 結局、民主党としては消費税の導入は、総選挙で国民に信を問うということに落ち着いたようだ。これは仙谷官房長官と原口総務相の影響もある。18日付け毎日新聞「仙谷官房長官:消費税増税 総選挙で国民に信を問」(参照)より。

 仙谷由人官房長官は18日午前の記者会見で、消費税増税を巡り菅直人首相が自民党の提起している「10%」を参考にする考えを示したことについて「(参院選の)当然争点になる。大いなる議論、争点化がなされればいい」と指摘した。その上で「(増税を)実施するときは、首相は国民に信を問うことになるのではないか」と述べ、実際に消費税率を引き上げる際には、首相が衆院解散・総選挙で国民の理解を求めるとの見通しを示した。

 18日付け「次期衆院選まで消費税増税「絶対ありません」 原口総務相が強調」(参照)より。

 原口一博総務相は18日の閣議後会見で、消費税の増税について「この衆議院の任期中に消費税増税は絶対ありません」と語り、2013(平成25)年夏までに行われる次期総選挙より前の段階では消費税率の変更はないとの認識を示した。
 ただ、国・地方自治体の税制や財政の変革が必要だと強調。例えば、財政に占める直接税・間接税の直間比率に加え、安定的な財源による安定した行政サービスの確保など「待ったなしの問題」(原口総務相)とし、政府税制調査会で具体策を詰める考えを示した。

 野田財務相も火消しに入った。23日付けWSJ「税制改革は自由主義より平等主義の視点で=野田財務相」(参照)より。

WSJ:なぜ今のタイミングで消費税増税の方針を打ち出したのか。
野田財務相:財政健全化を考えた場合、もちろん歳出改革を行う必要がある。事業仕分けは第3弾を行うことになった。一方で歳入改革も避けて通れない。消費税だけが取り上げられているが、ほかに法人税や資産課税、所得課税などを含む総合的な改革を行いながら、財政運営戦略に沿った対応をしていく。
WSJ:有権者から理解は得られと思うか。
野田財務相:得られるように、丁寧に説明する。

 野田氏は小野氏のように所得税との関連も視野に入れた総合的な視点に戻している。というか、これは自民党と同じだが。
 引用が多くなってエントリとしては読みづらくなったが、菅首相の党内の声を無視したヘンテコ発言で党側が動揺しているようすがわかる。
 この構図は、鳩山前政権の普天間基地問題の混迷と実は相似である。「菅政権はいかにして鳩山政権のように自爆するか: 極東ブログ」(参照)で引いたポール・スカリーズ氏の指摘のとおりでもある。
 民主党に好意的なトバイアス・ハリス氏も菅氏の消費税議論の矛盾を指摘している。「菅流「第3の道」カギは日米同盟?」(参照)より。

 財政赤字削減、経済成長、社会保障の強化という3つの相容れない(と私には思える)目標を菅が追求すること自体は、愚かな判断だとは思わない。目下の政治環境では、政府は3つの目標にすべて取り組まざるを得ない。
 しかし、菅はやがて、2つの目標を犠牲にして1つの目標を優先しなくてはならなくなる可能性が高い。その最優先課題とは、財政赤字の削減である。
 問題は、財政赤字を削減すれば経済を成長の軌道に載せ、社会保障財源を確保できるのかという点だ。財政健全化のために消費税率を引き上げた場合に、日本の内需が拡大するとは考えにくい。個人消費を現在の水準に保つことさえ、難しいのではないか。
 財政赤字の削減が有意義な目標であることに疑問の余地はないが、菅政権が経済政策に関する約束をすべて守るのは困難だろう。政府の無駄遣いの削減と税収の拡大を通じて、財政赤字を減らしつつ、経済成長を加速させるための公共支出を増やすことなど、本当にできるのか。

 CAP定理(参照)と同じである。
 いずれにせよ、この混迷のプロセスで、菅直人首相とその経済ブレーン小野善康・大阪大学教授との見解の違いは明確になった。小野氏の主張の根幹は、3点である。(1)重要な問題はデフレ解消・雇用創出である、(2)そのための消費税導入は急がなければならない、(3)消費税より所得税が好ましい。
 小野氏の提言を第三の道と呼ぶなら、菅氏の道はそれとは違った第四の道であろう。その基本特徴は、混迷である。

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2010.06.23

イラン発ガザ支援船阻止に米軍が動いたのか?

 ツイッターのタイムラインを見ていたら、なんだろこれという話があった。イラン発ガザ支援船阻止に米軍が動き、緊張が高まっているというのだ。
 どういう詳細なんだろうかと思って、ツイート元にニュースソースを訊いてみた(参照)。


ソース? “@takapapacom: イランのGaza支援船を阻止しようとするイスラエルと米国の戦艦が紅海に向かったそうな。スエズ運河を通ることをエジプトが認めたと。緊張が高まっています。”

 ちなみにこのツイートの反応例(参照)はこんな感じだった。

ガザの人々はイスラエルの蛮行に対し、砂をかんで、非暴力による抵抗を続けている。彼らを利用して、戦争のきっかけを作るな! takapapacom イランのGaza支援船を阻止しようとするイスラエルと米国の戦艦が紅海に向かったそうな。スエズ運河を通ることをエジプトが認めたと。

 戦争のきっかけを作るなというメッセージは、イランに向けてのこと米国か、はたまエジプトかそれらのコンビネーションかよくわからない。
 ところで、ニュースソースについては回答をもらった(参照)。

Showdown in the Red Sea: U.S. Sends 11 Warships to Confront Iran. http://bit.ly/9L0e4Z RT @finalvent: ソース? “@takapapacom: イランのGaza支援船を阻止

 該当ソースを読んでみると、ブログのエントリで、実際のニュース・ソースとしてはエントリ内にある、20日付けイスラエルArutz Sheva紙「US, Israel Warships in Suez May Be Prelude to Faceoff with Iran」(参照)だったので、謝辞と確認を返信したら、感嘆符が返されたのだが、その意図まではわからなかった。

!RT @finalvent: @takapapacom ありがとう。ソース的にはこちらですね。http://bit.ly/brcjsL

 さて、そのニュースソースなのだが、記事に言及があるように、"according to the British-based Arabic language newspaper Al Quds al-Arabi"、英国拠点のアラビア語新聞"Al Quds al-Arabi"によるらしい。つまり、ツイート情報は孫引きの孫引き情報のようでオリジナルがよくわからない。
 イスラエル政府からのイラン支援阻止話はエジプト政府が否定しているともあるのは多少気になるが、該当記事には米軍についての報道も書かれていない。
 真相はどういうことなのだろうかと疑問に思っていた。
 背景となるイラン発ガザ支援船の話は嘘ではない。15日付け朝日新聞記事「ガザ支援船、19日か20日に出航へ イラン赤新月社」(参照)でも報じていた。

イラン赤新月社(赤十字に相当)は15日、イスラエルが封鎖するパレスチナ自治区ガザへの支援船2隻を19日か20日にイラン南部バンダルアッバスから出航させると発表した。
 報道担当者によると、船は紅海からスエズ運河を経由する「通常の航路」でガザに向かうという。エジプト政府がスエズ通過を拒んだ場合は「別の航路を使う」としているが、どこかは明言しなかった。
 イスラエルはガザへの支援船を阻止する姿勢を堅持しており、イランが強行すれば対立関係にある両国の緊張が高まるのは必至だ。

 いかにも緊張が高まりそうな朝日新聞の記事だが、国際的にはそれほど重視されていなかった。日本版ニューズウィーク6.30号SCOPE記事が同じ問題に言及しているが、イランはむしろ挑発していないし、イラン海軍は弱体すぎてそもそも軍事的な脅威ともなりえない。

 欧米の政府当局者の話では、支援船の護衛にイラン海軍の艦船が出動する動きはない。ある当局者によると、いずれにせよイラン軍では海軍がもっとも弱体で、自国の領海から離れた海域で作成行動を取る能力は皆無に等しい。

 さらに、のろのろ進んでいるので監視も阻止も難しいものではない。
 こんなものに米海軍が動くだろうか?
 疑問に思っているとイラン側から興味深いアナウンスが出た。22日付けFOX「Iran to send blockade-busting ship to Gaza, Israeli commandos train for confrontation」(参照)である。イラン海軍が封鎖突破のための支援船も出すというのだ。
 それでもたいした話にはならないのではないかと見ていくと、22日付けNewsweekのMark Hosenball氏寄稿「U.S. Naval Movements Unrelated to Iran's Purported Gaza Stunt」(参照)が米軍の動きについてあっさりと関連なしと記事にしていた。

Obama administration and European officials suggest that fears of a possible looming naval confrontation between the large American fleet and any Iranian boat headed for Gaza are greatly exaggerated.

オバマ政権と欧州当局者は、米艦隊とガザ向けのイラン船の間の対立が迫ることについて誇張しすぎていると示唆している。

On Monday, the Pentagon distributed an announcement by the U.S. naval command covering the region confirming that a carrier strike group, headed by the aircraft carrier Harry S. Truman, had successfully transited the Suez Canal on June 18.

月曜日、米国国防総省はこの海域の海軍命令を公開したが、それによると、6月18日、航空母艦、ハリーS.トルーマンを先頭に母艦団がスエズ運河を成功裏に通過した。

But the announcement characterized the naval movement as normal. It said that the carrier group was "relieving the Dwight D. Eisenhower [carrier group] as part of a routine rotation of forces during a scheduled deployment" in support of various ongoing American and allied military operations in the region.

しかし、この発表は米海軍の恒例である。母艦団はドワイトD.アイゼンハワー救援として、予定された配備期間の通常業務の一部であるとも発表されている。この業務には、この海域で進行中の米軍および同盟国作戦の支援も行っている。


 軍側の発表までは手繰れなかったが、記事の内容は正しいだろう。つまり、米国としては、ただの噂や思惑の話に対応するわけにもいかなかったのだろう。
 結局、米海軍のスエズ運河通過はあったにせよ、またそれが米軍と同盟国軍の軍事的な示威といった含みはあるにせよ、対イランないしガザ問題の含みはないと見てよさそうだ。

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2010.06.21

[書評]夫の悪夢(藤原美子)

 10代の子どもに問われて、「大人になればわかるよ」としか言いづらいことがある。他の世代でも、例えば20代の人には「30過ぎるとわかるよ」としか言えないことがある。本書は、たぶん、40歳過ぎないとわかりづらい機微に満ちている。あるいは40歳過ぎたら読んでみるとよいですよ、と男女問わず勧めたくなる。大人のためのエッセーである。文章も美しい。

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夫の悪夢
藤原美子
 タイトルと著者を見れば、それだけで含み笑いを浮べる人もいるだろう。数学者、藤原正彦の夫人のエッセーであり、あたかも藤原先生が妻に向かって、暴露はやめてくれ、悪夢を見そうだ、と言いそうなシニカルなユーモアに満ちている(なれそめの一言とか特に)。本書を楽しむには藤原先生のキャラクターを知っているとよい。ただし、それはごく表層的なことだ。本当の面白さはそこではない。
 私はうかつだったのだが、藤原先生の本を何冊も読み、だからして奥様はたいそうな美人に違いないとわかっていながら、お写真を見たことはなかった。本書で初めて見た。ため息をつくほど美人だということは予想通りではあったが、本当に美人すぎて、しかも学者家系の娘さんらしく知性も豊かで、ピアノも弾きこなす。才色兼備を絵に描いたような女性がちゃんとこの世にはいるものだ。なんだか呆然とした。
 誰もがうらやむ才色兼備な女性の人生というのは、なんだろうか。人間、多少は暗いものを引きずっていないとバランスはとれない、とか思いつつ、読む。もちろん、不遜な期待に応える話はない。でも、誰もが半世紀生きてみると向き合う繊細なリアリティのようなものが、庶民らしい煩悩の雑音のなさからか、すっと描き出されていた。
 こんな話がある。著者の父が70歳過ぎて学問上の賞を授かる祝いに同席したおり、父と同年の紳士に会う。

父は「御無沙汰しています。これは娘です」と隣にいた私を紹介し、私にその方の名前を告げた。私はハッとした。ドラムを打つように激しく心臓が鳴り出した。

 その名前は、著者の20代に亡くなった母から聞いていた。恋仲という言葉は書かれていないが、その紳士と著者の母が結婚しても不思議ではなかったらしい。

 その方は父が私を見て眩しそうに目を細められ、「ああ、お母様にそっくりだ」とつぶやくようにおっしゃられた。
 父の耳にはその言葉が届かなかったようだ。

 著者は、その紳士の心の中にも母が生きていると思い、胸が熱くなったという。この感情は40過ぎないとわかりづらい。
 それから話は、別の人と結婚していたらどうだったかという想像を軽く描く。
 もちろん、そんなものは存在しない。人が生きられるのは、たった一つの人生だけ。惨めだけど自分だけの幸福に満ちた、たった一つの人生しかない。私ならそう言いたいところ。だが、才色兼備の女性なら、おそらく他の人より広い選択のなかで恋愛も人生を生きることができる。このエッセーには、普通の人には選べそうにもない人生の情景も描かれている。
 だが著者は、娘として妻として母として、おそらく傍からはそれ以上望むべくもない生き方を選び取っているかのように見えながら、生きられなかった人生というものに直面し、今存在することの蓋然性のような部分を歴史につなげていく。
 若い頃は、人は生きてきた時間を歴史に織り込むように思うものだが、実際には生きられなかった人生としての他者に織り込まれて歴史を形成していくものだ。そうした他者と歴史のなかで、一人の老女も描かれる。
 若い人の言葉が目立つインターネットなどでは、藤原先生は右翼扱いされてしまうこともあるが、その母である藤原ていを知れば、まあ坊が右翼なんぞなろうはずのないことは知っている。著者も姑としての藤原ていの気迫を物語る。新婚生活のころ、洗濯物を干していると、ていが突然、戦争が起きたらどうしますかと問いかける。答えに詰まっていると、ていはこう続けた。

「美子さん、正彦をどんなことがあっても戦地に送ってはいけないですよ。そのときには私が正彦の左腕をばっさり切り落としますからね。手が不自由になれば、招集されることはありませんよ。右手さえあればなんとか生きていけますから」

 本当の戦争というものを体験した反戦の心というのはこういうものである。それをストレートにぶつけられた著者は、もちろんストレートに受け止めることはできない。そこは簡単な言葉にはならない。このテーマは本書全体に薄く、人が年を取ればわかるように書かれている。

関連


  • [書評]祖国とは国語(藤原正彦)・父への恋文(藤原咲子)(参照
  • [書評]流れる星は生きている(藤原てい)(参照

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2010.06.20

[書評]神様は、いじわる [文春新書](さかもと未明)

 どうしてこんな不幸が自分にだけやってくるのだろう。そう途方に暮れたことのない人は、うらやましいと私は思う。特に深刻な病気は耐え難い。有史以来、多くの人が不遇の人生を歩み、悩み、考え、記した。旧約聖書にもこのテーマがある。

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神様は、いじわる
(文春新書)
さかもと未明
 ヨブという正しい人が、神様の命令で悲惨な病気になる。病気を直接もたらしたのはサタンだ。といってもこの時代のサタンは後の西洋史の悪魔とは少し違うが、サタンは神のそばにいながら、ヨブの信仰を疑っていた(神を疑っていた)。そこで神様に、あんな正しいフリをしているヨブでも、理不尽な病気になれば、神様、あなたを呪いますよと進言した。神様は、ではそうするがよいだろうとサタンに命じた。ヨブは苦しみながら神を呪った。
 この話にはハッピーエンドが付いている。そこでユダヤ教徒もキリスト教徒も信仰に慰めを得ている。聖書学を学んだ私は、そのエンディングが、この悲惨な物語に耐えられなかった後代の加筆であることを知っている。本当の物語は、ヨブは苦しみ、神を呪って終わった。本当はなんの救いもなかった。ただ、それでもヨブは神への信仰を失わなかった。なぜか?
 筋の通った答えはない。信仰はその結論であって答えではない。答えは、そうした境遇を生きた人の人生のなかにしかない。漫画家さかもと未明さんは、その答えを出した。いや、他人から見えるものは、答えというものではないだろう。それでも、現代日本のなかで、彼女はヨブの物語を顕現させた。この手記「神様は、いじわる」(参照)の五章を読み終えたとき私は突然、嗚咽した。体じゅう震えた。同情もある。それ以上のこともある。
 さかもと未明さんが、難病の全身性エリテマトーデス(SLE)に罹患していたことはずっと知らなかった。
 2007年11月、漫画家の命ともいえる指先が腫れて痛んだ。棘が刺さったような褐色点もある。皮膚科で検診し様子を見たが治らず、膝も痛むようになった。大学病院で検診してSLEの診断を得た。強皮症の抗体も出た。シェーグレン症候群もある。休む間もない売れっ子に突然入院が勧められた。「なおせないんですか」と医師にむなしく聞いた。この病気にも治るということがない。

 わたしは悲しんだり絶望するより先にお金や仕事の事で頭をいっぱいにしながら病院を後にした。
「悲しい」という気持ちがわきあがってきたのは、それから何時間もたった帰り道の路上だった。

 あれかと思う人もいるだろう。
 物語はSLEに至る前史から始まる。診断の一年前から不調はあった。それは社会的な成功という意味での幸福の絶頂に重なるものだった。その明暗は痛々しいほどだが、さなか、北朝鮮拉致問題に取り組む横田滋・横田早紀夫妻と知り合うことになる。
 この出会いは、本書のひとつの、不思議なテーマとなっていく。言うまでもなく、ご夫妻の娘さん、横田めぐみさんは、13歳のときに北朝鮮に拉致された。日本で暮らしていたらどのように育ったか。さかもと未明さんは、めぐみさんより1つ年下で、夫妻からすれば自身の娘のように見える。さかもとさんにしてみると、夫妻との出会いは、彼女自身の親の関係を修復していくきかっけになっていく。奇跡というものが、こっそりとこの世界に光を差し込む。
 物語はさらに遡及し、子供時代、とくに悲惨な家庭生活に及ぶ。壮絶な青春も描かれるなかで、その壮絶さに拍車をかけているのが、彼女の表現者としての癒えることのない乾きだ。なんども人生をこんなものだと諦めようとして諦めることができず、それは傍から見れば無謀なものになっていく。私も彼女作品をいくつか読んだが、そうした無謀な人にしか思っていなかった。
 この地獄図は、しかし、女性手記や通俗小説にある凡庸さにも覆われている。悪口のようだが、さかもとさんの語り口調も、香具師の口上といった滑らかさがある。疾病以前からなんども書き、繰り返された物語もあった。
 が、この家族の悲惨さという凡庸な悲劇は、直球のような和解で変化していく。私は読みながら、和解に安堵するよりも、痛ましく思えてならなかった。幸せでも不幸でも、人生の半ばを過ぎたら人は親を捨てるほうがよいと私は思っている。親との心の葛藤など、生涯解決できっこないものだとも思う。さかもとさんの親との和解のは間違いではないとか不安な思いで読む。
 ここにも不思議な奇跡の光が差し込む。暴力をふるっていた父は変わった。もっと心揺すぶられるのは、20年も離れていた彼女との弟の再会だった。憎んで離れていたわけではない、ただ離れていた。大人になって姉弟は普通に再会するのだが、このシーンには人生というものの独特の味わいがある。
 物語の後半は難病生活になる。それは、表面的な社会的成功からの引退でもある。そのプロセスは芸能界やマスコミというものの裏側を結果的にうまく描き出していて興味深い。よく言われるような醜聞はない。こういう世界は本当に実力の世界なのだと思い知らせれるリアリズムがある。
 漫画家として、これも結果論ではあったが、性をよく描いてた彼女にとって、性とはなんであったかについても、本書は伏線のように描き出していく。その部分は、難病と同じほどに重たい問いかけに満ちている。子供が欲しかったのだろうかと問い、幻想なのかで夏の蝉の声を聞く描写は、痛ましいというのとも違うし、悲しいというのでもない。なんとも言い難い。蜻蛉日記を読み終えたときのように胸に沈むある種の感動がある。人にとって幸せとはなんだろうか。不幸とはなんだろうか。そうしたありきたりの問いでは答えられないものが、なぜ人生には存在するのだろうか。
 終盤、死病を抱えながらも新しい人生を見いだしていく過程は、きちんとした感動と希望に満ちている。そして最後は、神へ感謝で終わる。
 いや、それはどこかしら終わりではないと私は思う。さかもとさんは、まだ物語を終えていない。待ちましょう。待つことは、あなたに物語に感謝する人たちもまだ生きづつけていることでもあるのだから。

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