« 2010年5月30日 - 2010年6月5日 | トップページ | 2010年6月13日 - 2010年6月19日 »

2010.06.12

西側諸国はイスラエルによるイラン空爆を容認するではないか

 あまり刺激的なタイトルを付けるのもなんだが、そういうことなのではないかという思いがしている、つまり、事後になって「西側諸国はイスラエルによるイラン空爆を容認するではないか」。
 もう少し言うと、西側諸国というより、非シーア派国もこれに含まれるのではないか。もちろん、表向きにはというか公式には、西側諸国も非シーア派国も反対するだろうし、事後にはそれなりに非難の声も上げるだろう。
 オバマ大統領も事後のグループに含まれるだろう。彼は、ブッシュ前大統領というか実質的な大統領であったチェイニー前副大統領とは違うので、スケジュール的にサウジを脅かすものを排除するといった意志はなく、現在のメキシコ湾原油流出のように、成り行きできれいな顔して後手に回るだろうから。
 危機はスケジュール的には進まないだろうが、すでにそろそろどうにもならない状態に進んでしまったようだ、という状況ではある。ついでにいうと、そのあおりでホルムズ海峡に異変があれば、日本は吹っ飛ぶだろう。岡田外相がイランの石油利権を米国の思惑で中国に取られたとか寝言を言っている場合ではない。
 これはいかんなあと思ったのは、このところのエントリで書いているトルコ(参照参照)が背景になる。
 私は親トルコ的な偏見があって、トルコとイランが結びつくという想定をあまりしたくないというのがある。だがどうも並行してナブッコの動向もおかしなことになってきたようだ。表向きは逆にも見えるので話が難しい。
 11日付けBussines i「トルコ、アゼル産ガス輸入合意 欧州再輸出「ナブッコ」前進」(参照)では、標題通りナブッコがうまく行きそうな感じである。だが、実態はロシアのプーチン首相が釘を刺すように、アゼルバイジャンのシャー・デニズ天然ガス田では欧州の天然ガス需要を満たせない(参照)。ロシアを迂回するためのナブッコだから、ロシアからすれば嫌みのような牽制をするだろうくらいに受け止めがちだが、この発言トルコのエルドアン首相が同席した記者会見で行ったように、むしろエルドアン首相の思いと見てよいだろう。露骨に言うと、トルコが欧州の天然ガスをグリップしますよと布石に近い。
 問題はこれに連動してイランが動いているようだ。9日付け毎日新聞「天然ガス:パイプライン計画 イラン・パキスタン合意 米反発、実現には時間」(参照)より。


 イランの天然ガスをパキスタンへ運ぶパイプライン建設に関する最終合意が8日、両国間で交わされた。当初インドまで開通させる「IPI(3国の頭文字)ガスパイプライン」計画は、米国の圧力でインドが“離脱”して変更を迫られた形だが、構想開始から20年でようやく一部が動き出す見通しとなった。関係国の思惑や実現に向けた課題を探った。

 これだけだと特にはっきりした動向は見えないが、背景にはイランの国家意志がある。

 IPIはパキスタン側のメリットだけでなく、イラン側のさまざまな思惑も重なる。核問題での制裁や経済政策の失敗で財政悪化が進むイランは、石油と並んで豊富な天然ガス輸出を通じて外貨獲得につなげたい意向だ。

 パキスタン側へは将来的な外貨獲得計画と見えないこともない。だが、ようはこのインフラの動向はナブッコに関係している。

 計画に反発する米国はインド、パキスタンにIPIへの不参加を要請。隣国トルコを通じて欧州に天然ガスを供給する別の「ナブッコ・パイプライン」計画でもイラン参加に強い反発を示し、イランは米国への嫌悪感を募らせてきた。核開発問題での追加制裁が迫り、米欧主導の「イラン包囲網」は強化される中、イランは天然ガスを通じた地域での覇権を確立したい考えだ。

 毎日新聞が明確にしているように、「イランは天然ガスを通じた地域での覇権を確立したい」というのがそれだ。
 ここで明示的に書かれていないのだが、ナブッコこそその中核にありそうだ。「トルコ・アルメニア問題の背景にあるナブッコ: 極東ブログ」(参照)でも触れたが、これは地図を見ると、唖然とする。

 問題はイランというより、トルコの側でイランを使った地域覇権の意識があれば、ナブッコは使い出があるということだ。
 現状では、こうした読みはどこかしら陰謀論めいているのだが、話の仮説としては留意しておきたい。別の言い方をすれば、欧州はキレかねない。イラク戦争とは違い、利害の当事者として巻き込まれつつある。
 話を「これはいかんなあ」の部分からトルコの背景を抜いたところに戻すと、9日付けフィナンシャルタイムズ社説「No alternative but to sanction Iran」(参照)が重苦しいトーンだったのが印象的だ。イラク制裁について。

In the absence of a deal, the west had no alternative but to keep the sanctions juggernaut rolling. It has always been the policy of the US and its allies to rein in Iran’s nuclear programme while avoiding two evils – the first being Iran with the bomb and the second, Iran itself bombed.

交渉が不在の現在、西側諸国には大揺れのまま制裁を維持するしかない。それは、米国とその同盟国がイラン核計画を阻止する毎度の政策ではあるが、それは二つの悪を避けたいがためだ。二つの悪の一つはイランの核保有化であり、二つ目はイラン空爆である。

As time is the enemy – each month that passes potentially brings the Iranians closer to the possession of weapons-grade material – the west could not stay its hand.

月を経るごとにイランの潜在的な核兵器保有可能性が深まるように、時間経過が敵であるのだから、西側諸国は手をこまねいているわけにはいかない。


 空爆というのは当然イスラエルによる空爆だが、全体構図には非シーア国の含みも感じられる。

If the world is not to drift towards a military conflict involving Iran and Israel that would spell disaster for the region and the world, a way forward still needs to be found.

国際社会が、イランとイスラエルの軍事衝突とそれがもたらす同域と世界の災害へと漂流させないとするなら、改善する方向を見つけなければならない。


 論調としては戦争を回避すべく西側諸国は尽力せよと、日本には届かない悲痛な声をフィナンシャルタイムズは上げている。トルコとブラジル案にでもすがりたいようなトーンでもある。

But for these initiatives to bear fruit, Tehran has to feel that there is no alternative but to negotiate. That requires a toughening of the Chinese line – and perhaps more enticements from the US side.

トルコ・ブラジル案に成果がなければ、イラン政府には交渉以外に代案はないと実感させなければならない。それには中国筋の強い要望が必要だし、米国側にも誘導が必要だろう。

In the absence of these, it is always possible that a consensus may yet be found among the major and emerging powers as Iran closes in on the nuclear threshold.

それがなければ、イランが核保有という限界達成に向かうなか、主要国と新興国間の合意に至らない可能性がある。


 このあたりのトーンだが、米側にイランへの譲歩があるかが微妙だ。米側のソース(参照NYT参照WP)で漉してみると、無理といってもよいように見える。今回は中露が制裁決議に回っただけ随分危機の認識が迫ったくらいだ。
 あまり陰謀論的に考えたくはないが、ガザ支援船攻撃もこうしたイラン空爆への牽制という文脈にあるのかもしれない。
 ただ、ここまで問題がこじれた以上、急激な変化というのは起きづらいのが、当面の希望だろう。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2010.06.11

米国に投資? いいんじゃないの

 亀井静香金融相が辞任した。実質国営化に逆戻りさせる郵政改革法案が今国会で強行採決されないのを不服としてのことだ。立場はわからないではないけど、国会というのは議論をする場なのに先日の衆院のような強行採決するのでは、民衆党の醜態以前に国会の自殺だと私は憤慨していたので、多少ほっとした。私はこの法案に反対だが、参院選後再度、国民から信託された議員が十分な討議を重ねて、それでよいというならしかたないなと思っている。
 で、そうした亀井危うし、郵政国営化危うしという空気なのか、ネットにいろいろ小泉政権時代の懐かしいデマや非難が舞飛ぶようになった。しかたないんだろうなと思っていた。ツイッターでもそんな雰囲気は感じられた。
 そうした空気なんだろうなとは思うけど、昨日ツイッターを見ていて、あれ?と思う話が流れてきた。ネットでいう晒しという趣向ではないのだけど、いちおう引用の形にしておくけど、悪意にとらないでね(参照)。


バカにされてる…。こんなもの絶対に呑むべきじゃない。@zebra_masa 米国からの『年次改革要望書』に新規項目-米国債購入義務。年間絶対額か国家予算に対する割合のどちらにする。その選択は、日本政府の決定に委ねる。ただし、絶対額が前年度より常に上回ること。

 あれ?と思ったのは、そんな話あるのかな、ということと、もうひとつ、たとえそうでも「呑む」でいいんじゃないのかということだった。そっちがこのエントリのメインの話なんだが、前段として、そんな話あるのかなを続ける。RTで引用されている元はこちら(参照)。当然、話は同じだけど。

米国からの『年次改革要望書』に新規項目-米国債購入義務。年間絶対額か国家予算に対する割合のどちらにする。その選択は、日本政府の決定に委ねる。ただし、絶対額が前年度より常に上回ること。

 年次改革要望書は公式な話なんで調べればわかるはず。なのでちょっと調べてみたけど、そんな話は見つからなかった。なんだろこのツイッター情報?と思っていたが、真相はこういうことらしい。同じかたの発言で(参照)。

いやあ、すごいリツイート量ですね。「米国からの『年次改革要望書』に新規項目-米国債購入義務」はもちろん俺の想像です。『年次改革要望書』には出ないでしょうが、密約という形ですでに、あるいは近い将来に高い確率で実施されると考えています。皆さんも懸念されているように。

 というわけで、この方の「俺の想像」がソースでした。
 まあ、ツイッターだから、ファンタジーをつぶやいてもいいけど、カネという利害にまつわることは悪意のない冗談とも違うわけですから、リツイートとしてまき散らすとよろしからぬデマになってしまいますよね。
 かくして前段は、あはは、またやってらくらいな話。
 さて、米国の債権購入は悪くないんじゃないかの話に移る。といっても、島根県知事溝口善兵衛氏の杵柄みたいな話の方向ではない。普通に投資先として米国はいいんじゃないのという話である。
 なぜ、米国投資がよいのか? 米国が経済的に発展していくから、というだけの話。
 現在米国では10年に一度の国勢調査をやっているのだが、調査しなくても粗方の動向はわかっている。なかでも一番大切なのは、ドラッカーも社会変化の一番の要因としてあげているけど、人口だ。2050年までに米国の人口は4億人を超える。
 日本はそのころ1億人くらい。現在、1億3千万人くらい(参照)。現在が日本のピークであとは下がり続ける。ざっくり見ると日本は、現状の四分の三くらいに縮小する。随分と小さくなるなと見るかそれほどでもないかと見るか。それほどでもないかもしれないな。老人は多くなる。かく言う私もそのころこの世にはいないんじゃないか。
 ロシアもそのころ30パーセントくらい減る。米国との人口比は一対三くらいになり、冷戦時代が遠い歴史の彼方になる。昔、ソ連という国があったげな。
 日本は老人国になるが、アジアもそうなる。全域で65歳以上が三分の一になる。中国も当然同じ傾向で、こちらは人口の30パーセントが60歳以上になる。
 中国は飛躍的な成長を現在遂げているけど、今後いくらがんばってもこれに社会保障が追いつくことはなく、貯蓄率は上がったまま所得は減少する。長期的に見ると、中国もあまり未来はない。というか、日本より未来がなさそう。
 老人が増えるというのは相対的に若者が減るということ。15歳から64歳の比率で見ると、日本は2050年には44パーセント減少。労働力は半減すると言っていい。欧州は25パーセント減。中国は10パーセント減。
 対する米国はというと、42パーセント増える。増えるのはわかっていても、そんなにも労働人口が増えるんすかと驚く。そろそろソースが欲しいな、諸君。これね、未来学者ジョエル・コトキン(Joel Kotkin)氏による「400 Million People Can’t Be Wrong」(参照)。
cover
The Next Hundred Million
America in 2050
Joel Kotkin
 米国の民間企業の活力はもっと驚く。1980年から2000年までに個人事業主は10倍増。労働力全体の16パーセント。1990年から2005年のベンチャー企業設立の四分の一は移民。この傾向に米国の未来があるんだろう。
 もっとも、米国も長生きする老人への年金や医療の公的負担の問題は抱えていて、国家財政を圧迫している。それでも、米国にはベースの活力があるのだから、政治の意味もある。
 日本の未来はというと、米国型でやっているわけはないのだから、それまで貯めたカネを米国とかアフリカとか成長する地域に投資していくしかないだろう。国家安全保障もそういうのが基調になるんだろう。というか、日本もいろいろ政治をすったもんだやって、あーもうダメという地点がそのあたりなんじゃないか。ダメのピークはなんとなく見えつつある。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2010.06.10

トルコの対イスラエル政策は変わったのか

 少し話は込み入っている。要点は、トルコの対イスラエル政策は変わったのかということだが、トルコとイランの関係がまず問われるので、その最新の動向から言及しておく。
 日本時間10日未明に行われた国連安全保障理事会公式会合で、イラン制裁決議が賛成12、反対2、棄権1で採択された。反対・棄権というと中露を想定してしまいがちだが、すでに報道されているとおり、反対はトルコとブラジルで、棄権はレバノンである。レバノンの棄権については背景を考えれば理解できないことはない。
 問題はトルコとブラジルの反対だが、これには前段がある。両国はイランが精製した低濃縮ウラン1.2トンを隣国のトルコに一時的に移し、核兵器に転用しにくい燃料棒と交換する計画を出している。制裁よりも現下のウランの対処が好ましいという考えだ。イランもこれに賛成している(参照)。逆な見方をすれば、そのような平和的仲介に、米露を含めた国際社会がノーを突きつけたという構図である。
 端的に言えば、ブラジルの独自な中立的スタンスを除外すると(おそらブラジルはく中国パワーの図柄を読み込んでいるのだろう)、いわゆる国際社会がトルコとイランのありかたに疑念を持っているということでもある。
 なぜ、トルコはイランに助け船を出したのか? 単純な答えは、トルコのイスラム国としての感情的なナショナリズムの表明のようなものだろう。背景にイランからトルコへのコネクションがあるといった陰謀論的なスジで考えても、トルコ国民の感情は理解できない。
 この問題が錯綜するのは、当然ながら、先日のイスラエルによるガザ支援船攻撃の問題が関係しているからだ。この支援船は主にトルコが出したものだと言ってよいくらいだ。
 トルコは、反イスラエルに舵を切ったのだろうか。言うまでもなく、従来は湾岸戦争の時代から顕著だが、トルコは西側諸国に対して親和的な政策であったのだが、ここに来て転換しているようにも見える(参照)。
 以上を踏まえて、一昨日のエントリ「ガザ支援船攻撃の背景と米国報道: 極東ブログ」(参照)で、ガザ支援船の背景と米側報道に触れたが、もう少し掘り下げてみたい。
 支援船組織IHHがテロ組織に関与しているかはわからない。概ね関与していないのではないかと見てよさそうだし、米国としては関与していると判断してもそうではないかのごとく振る舞うのが現下の外向的なスタンスのようだが、米国内イスラエルロビーの動きは報道に影響を与えているのかもしれない。しかし、この点について追っても、それほどイスラエル支援といった動向は見えない。代わりに、反トルコの論調が浮き立っている。
 前回のエントリで触れた、5日付けワシントンポスト紙社説「Turkey's Erdogan bears responsibility in flotilla fiasco」(参照)の論点はむしろ対トルコにある。


Mr. Erdogan's crude attempt to exploit the incident comes only a couple of weeks after he joined Brazil's president in linking arms with Mr. Ahmadinejad, whom he is assisting in an effort to block new U.N. sanctions.

今回の事件に対するエルドアン氏の粗暴な対応の数週間前になるが、彼はブラジル大統領と一緒にイランのアフマディネジャド氏と手を組み、新たな国連制裁を阻止しようと支援していた。

What's remarkable about his turn toward extremism is that it comes after more than a year of assiduous courting by the Obama administration, which, among other things, has overlooked his antidemocratic behavior at home, helped him combat the Kurdish PKK and catered to Turkish sensitivities about the Armenian genocide.

エルドアン氏の極論への転換で注目すべきことは、オバマ政権のたゆみない1年間の折衝の後に来たことだ。オバマ政権は、些事に目をつぶり、トルコ内の非民主主義動向を見逃し、クルド労働者党(PKK)への戦闘まで支援し、アルメニア人ジェノサイドという民族感情に触れる問題も看過していた。

Israel is suffering the consequences of its misjudgments and disregard of U.S. interests. Will Mr. Erdogan's behavior be without cost?

イスラエルは今回の判断ミスと米国国益の軽視から苦悶している。なのに、エルドアン氏の今回の行動になんの酬いもないのか。


 ワシントンポスト紙はトルコにぶっちぎれという状態である。しかも、間接的にオバマにぶっちぎれも表現されている。余談だが、それに比べればルーピー鳩山など食事会でふんと鼻であしらっておけば済む問題でもあった。
 日本の米国観は単純極まりないので、ワシントンポスト紙のこうした動向をタカ派なり共和党的な動向に結びつけがちだが、関連のニューズウィークの論調は異なる。「Who’s Afraid of Turkey?」(参照)が典型的である。トルコの親イスラム傾向に対して。

But just as Turkey is starting to look more assertively pro-Islamist than ever, there are signs that a big internal shift may reshape Turkish politics and redirect its foreign policy back toward the West.

トルコが従来より親イスラム主義に見えつつあるものの、国内的には、トルコ政治と西側諸国に対する外交政策で変化の大きな兆候もある。


 変化の兆候は、ケマル主義の共和人民党の変化だ。同記事ではこれを新ケマル主義としている。
  ケマル主義は、政教分離を進めてきた建国の父、ムスタファ・ケマルの理想を継ぐ考えかたで、これに基づいてトルコは西洋的な世俗国家としてしてきた。しかし、近年、イスラム教的な色合いの濃い公正発展党(AKP)が大衆の支持を受け、同党からエルドアン首相が選ばれている。こうしたなか、新ケマル主義は、従来のケマル主義の問題点を克服しつつ、西洋型の世俗国家を求めていく運動だ。同記事はその新ケマル主義においてトルコのイスラム傾倒からの引き返しを期待している。
 ただし現実は、この記事の期待的な論調とは異なり、共和人民党もガザ支援船攻撃については強行な反発もしている。国内ナショナリズムへの配慮だろう。興味深いことに、エルドアン氏の親イラン政策も国内政治向けのナショナリズムのポーズである可能性もある。
 全体構図としてはどういうことなのか?
 私はトルコの現状は、反イスラエルなり親イランというよりも、反米・反欧米的な排除スタンスによるナショナリズム高揚の過渡期的な現象ではないかと思う。
 もちろん、そこから近未来に西洋型民主主義に近い安定を得るかというと難しいだろう。なにしろ、トルコより民主化していたはずの日本においてもいまだ反米・反欧米的な排除スタンスによるナショナリズムが高揚しているからだ。
 イスラエルというある種、アナクロニズム的なナショナリズムの側面を持つ国家が、その国家保全のために繰り出す非国際的な活動によって、各国の反米・反欧米的ナショナリズムがあぶりされるというのは、ここに新しい歴史の分水嶺が求められている兆候でもあるのだろう。それが何かということは難しい。オバマ政権の外交が忍耐強いのか、愚図なだけなのか、外面からはわからないように。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2010.06.09

菅内閣の経済方針は麻生内閣時代に与謝野馨財務相が主導した「中期プログラム」の劣化版

 菅内閣発足の会見を聞いていて、ああ、これは麻生内閣時代与謝野馨財務相が主導した「中期プログラム」の劣化版だと思った。なんでこんなことになってしまったんだろう。
 菅内閣は首相失態で崩壊した鳩山前内閣のナンバーツーであったことから、その失態終息が急務であり、また9月に予定される新内閣までの暫定内閣なので、期待を持つとすればきちんと鳩山内閣の尻ぬぐいをしてくださいというくらいしかない(そして菅氏については9月に引退するのもスジだろう)。その第一歩は、今からでも遅くないから、報道のオープン化とか言う人たちが声援して、党向けではない国民向けの鳩山由紀夫氏の辞任会見を開くのがスジではないのか。
 だがまあ、世間はすっかり新内閣に浮かれている。菅内閣発足の会見も注目されている。前回支離滅裂な話をしていた菅氏だが、その後落ち着いて少しはまともな話ができるようになったかなと、話を聞いてみて、驚いたというか、なんだこれは。与謝野馨氏の「立ち上がれ日本」に政権交代したのかと耳を疑った。産経新聞首相会見詳報道(参照)より。


また、日本の財政状況がこれまで悪くなった原因が、端的にいえばこの20年間、税金が上げられないから、借金でまかなおうとして、大きな借金を繰り返して、効果の薄い公共事業、例えば100に近い飛行場をつくりながらまともなハブ空港がひとつもない。これに象徴されるような効果の薄い公共事業にお金をつぎ込み、また一方で社会保障の費用がだんだんと高まってきた。これが今の大きな財政赤字の蓄積の構造的な原因であると。私は財政が弱いということは思い切った活動ができないわけでありますから、この財政の立て直しも、まさに経済を成長させるうえでの必須の要件だと考えております。そして社会保障についても、従来は社会保障というと何か負担、負担という形で、経済の成長の足を引っ張るんではないかと、こういう考え方が主流でありました。しかし、そうでしょうか。スウェーデンなどの多くの国では、社会保障を充実させることの中に雇用を見いだし、そして若い人たちも安心して勉強や研究に励むことができる。まさに社会保障の多くの分野は、経済を成長させる分野でもある。こういう観点に立てば、この3つの経済成長と財政と、そして社会保障を一体として、強くしていくという道は、必ず開けるものと考えております。

 消費税という言葉は避けられているが、ようするに財政健全化が至上課題であり、そのために増税して、財政が健全化されれば、経済成長と社会保障が実現できるというのだ。大蔵省ケインズ主義というか大蔵省社会主義というくらいの珍妙な話になっている。官僚は大馬鹿(参照)から「官僚こそが政策や課題に長年取り組んできたプロフェッショナル」(参照)に豹変したわけだ。
 小泉政権時代のように財政再建よりも、経済成長を目指してプライマリーバランスに焦点をあてるほうがなんぼかマシではないかと思うが、時代がまたぐんと逆行している。
 逆行というなら、この逆行は麻生政権でも顕著だった。と、思い返すに、この菅氏の戦略は、麻生内閣時代与謝野馨財務相が主導した「中期プログラム」(参照PDF)の劣化版である。オリジナルはこうだった。

社会保障制度の財源(保険料負担、公費負担及び利用者負担)のうち、公費負担については、現在、その3分の1程度を将来世代へのつけまわし(公債)に依存しながら賄っている。こうした現状を改め、必要な給付に見合った税負担を国民全体に広く薄く求めることを通じて安定財源を確保することにより、堅固で持続可能な「中福祉・中負担」の社会保障制度を構築する。

 これに、増税で経済成長といった変な味付けをすると菅氏の経済政策になる。もっとも、「中福祉・中負担」は「最小不幸」(参照)と菅氏は言い換えているが。余談だが、最小不幸というのはサンデル教授が批判する功利主義そのもの(参照)。
 税制・歳出の原則も自民党と同じ。こうだった。

経済状況の好転後に実施する税制抜本改革の3原則
原則1.多年度にわたる増減税を法律において一体的に決定し、それぞれの実施時期を明示しつつ、段階的に実行する。
原則2.潜在成長率の発揮が見込まれる段階に達しているかなどを判断基準とし、予期せざる経済変動にも柔軟に対応できる仕組みとする。
原則3.消費税収は、確立・制度化した社会保障の費用に充てることにより、すべて国民に還元し、官の肥大化には使わない。


歳出改革の原則
原則1.税制抜本改革の実現のためには不断の行政改革の推進と無駄排除の徹底の継続を大前提とする。
原則2.経済状況好転までの期間においては、財政規律を維持しつつ、経済情勢を踏まえ、状況に応じて果断な対応を機動的かつ弾力的に行う。
原則3.経済状況好転後においては、社会保障の安定財源確保を図る中、厳格な財政規律を確保していく。

 菅氏の経済政策指針と変わらない。
 しいていえば、菅氏の経済政策が「中期プログラム」劣化版の面目躍如たるところは、自民党「中期プログラム」ではそれなりに景気回復ができた後の増税なのに、菅氏では成長つまり景気回復のための増税という変な議論になっていることだ。菅氏は、デフレで増税どころか、デフレ克服に増税、と言うのだ。橋本内閣と同じ末路になるには期間が短いのが幸いかもしれないが。
 民主党がここまで自民党劣化したのは、なんのことはない。民主党マニフェストが財政的に崩壊してしまったのに、マニフェストのほうを変更せずに財政のほうを変えようとしているからこんなスジ違いの話になってしまっただけのことだ。
 結局、この内閣、劣化版自民党というより、若干色合いを変えた「立ち上がれ日本」と同じものになってしまった。こんなのが民主党なんですか、と疑問に思うが、民主党のマニフェストの失態でどたばたしているのだから、まさに民主党らしいということでもあるのか。

追記
 その後の所信表明について。
 11日付け朝日新聞「超党派の「財政健全化検討会議」設置、野党が拒否姿勢」(参照)より。


 一方、たちあがれ日本の与謝野馨共同代表は「よく書けた所信表明だった。各党が話し合える素地はできたと思う」と述べた。

 11日付け中国新聞「官僚の作文―野党 財政健全化協議に否定的」(参照)より。

 自民党の谷垣禎一総裁は「官僚が書いた印象。経済財政政策については、悪く言えば、自民党時代のものと変わらない」と指摘。

| | コメント (5) | トラックバック (2)

2010.06.08

ガザ支援船攻撃の背景と米国報道

 5月31日、パレスチナ自治区ガザ地区に支援物資搬入として地中海を航行していた貨物船と旅客船計6隻の船団が公海上でイスラエル軍部隊に急襲され、船団側の1隻で死者・負傷者を出した。具体的にどのような事件であったかについて両者の主張は違う。3日付けNHK「国連人権理 調査団派遣を決議」(参照)はこう伝えていた。


パレスチナのガザ地区の沖合で先月31日、トルコなどの市民団体が派遣した人道支援物資を積んだ船がイスラエル軍にだ捕され、活動家9人が死亡した問題について、ジュネーブの国連人権理事会は、2日間にわたって対応を協議してきました。この中で、イスラム諸国などが、「イスラエル軍の行動は国際法を無視した暴挙で、関係者は厳しく裁かれるべきだ」と非難したのに対し、イスラエルは「兵士たちは鉄パイプなどで襲われたためにやむなく発砲したもので、正当防衛にあたる」などと反論しました。

 5月31日付けAFP「ガザ支援船をイスラエル軍が強襲、10人以上死亡 トルコ強く抗議」(参照)はこう伝えていた。

 船団結成に関与したトルコの人道支援団体IHH(Foundation of Humanitarian Relief)のガザ支部はAFPの電話取材に対し、強襲を受けたのはトルコ船籍の船で、トルコ人を中心に15人が死亡したと語った。

 事態の映像などもインターネットに流れている。私も一部を見たが、映像だけからはどう判断してよいのかわかない。
 国連人権理事会は今回の問題に対して、2日、イスラム諸国から出された「イスラエルの国際法違反を最大限非難し、真相を究明するため現地に独立した調査団を派遣する」決議案を賛成多数で採択した。採決には、米国が「事実関係が明らかでなく、決議は一方的で、調査団の派遣も時期尚早だ」として反対したが、英国とフランスにならって日本は棄権した。事態は国際政治問題化している。
 事件の実態ついては公平な調査を待つしかないが、大筋ははっきりしている。公海上で人道的支援物資を積んだ船舶をイスラエルが拿捕することの正当化には無理がある。まして死者を出すほどの暴力行使は正当化されない。イスラエルの今回行動は国際常識からしても逸脱していて、擁護できるものではない。
 事態の背景にもよくわからない点がある。関連して今回の「トルコなどの市民団体が派遣した人道支援物資を積んだ船」(NHK)または「トルコの人道支援団体IHH(Foundation of Humanitarian Relief)」(AFP)について少し報道を追ってみた。
 2日付け毎日新聞記事「イスラエル軍:ガザ支援船団攻撃 「船団、テロを支援」 イスラエル、正当性主張」(参照)では、こう伝えている。

パレスチナ自治区ガザ地区への支援船団がイスラエル軍に急襲された事件で、イスラエル政府は「船団に参加している団体がテロ組織を支援している」と指摘し、強硬策を正当化している。一方、団体側はテロ組織との関係を否定、ガザ封鎖を続けるイスラエルへの非難を強めている。

 毎日新聞の報道では、イスラエルは船団がテロ組織を支援しているとし、船団側ではテロ組織の関係を否定しているといる。どのような根拠であろうか。

 船団は、キプロスを拠点にする人道団体「フリー・ガザ・ムーブメント」が呼びかけて結成した。
 05年のイスラエルによるガザ封鎖後、これまでに8回接近を試み、うち5回は上陸したという。いずれも1~2隻の船団とみられ、08年のイスラエル軍によるガザ攻撃以降は軍の警告を受けて引き返したり、拿捕(だほ)されるなど、失敗が続いていた。
 これに対し、今回は6隻600人とかつてない規模の大船団を組み、「必ずガザ封鎖を突破する」と事前にアピールしていた。
 中でも最多のメンバーを送り込んだのが、イスタンブールの民間慈善団体「人道支援基金(IHH)」。IHHはガザで広く活動しており、イスラエル政府は盛んに「イスラム原理主義組織ハマスなどテロ組織との関係」を強調していた。
 ただし、イスラエル紙の報道によると、IHHはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争さなかの95年に結成され、米国やトルコなど100カ国以上で合法的に活動。幹部は「ハマスを支援していない」と否定している。

 問題となる団体は「人道支援基金」(IHH:Foundation of Humanitarian Relief)である。そして、この組織がテロ組織を支援していないとする毎日新聞報道のソースだが、明記されていないイスラエル紙報道の伝聞だ。
 国内報道では、今回の問題の核となるIHHについてよくわからない。
 イスラエル政府は、IHHを「善の連合」(The Union of Good)と関連づけている。Israel Security Agency「The Union of Good – Analysis and Mapping of Terror Funds Network」(参照)では、IHHをそのトルコの支部として描いている。

Middle East and Africa – the Saudi Arabian WAMY and the Committee for the Relief of Palestinian People, the Palestinian People's Support Committee (Al Manasra) in Jordan, and IHH Turkey.

 「善の連合」(The Union of Good)は、米国ではテロ組織とされている。「November 12, 2008 HP-1267: Treasury Designates the Union of Good」(参照)より。

The U.S. Department of the Treasury today designated the Union of Good, an organization created by Hamas leadership to transfer funds to the terrorist organization.

米国財務省は今日より、「善の連合」(The Union of Good)について、ハマスの指導によるテロ組織資金供給団体と指定する。


 IHHと「善の連合」(The Union of Good)の関係については、2点の議論があるだろう。(1)米国はイスラエル同様、IHHを「善の連合」支部と見ているか、(2)前項に関連するが米国はIHHをテロ組織として見ているか、である。
 後者については公式アナウンスがないので、米国はIHHをテロ組織とはしてないようだ。前者についてはやや難しい。FOX系のブログ・エントリ「Gaza Clash: Turkish Charity’s Terror Links」(参照)で、その関連の示唆が示されている。

Fighel’s report also notes that the C.I.A. report that was declassified in 2001 and titled “International Islamic NGOs and Links to Terrorism” states that the IHH had links with extremist groups in Iran and Algeria and was either active or facilitating activities of terrorist groups operating in Bosnia.

フィッシェルの調査書によれば、2001年に機密解除されたCIA文書「国際イスラムNGOとテロの繋がり」で、IHHがイランとアルジェリアの過激派と繋がりがあり、ボスニアで活動するかあるいはテロ活動促進活動をしていたという。


 ネットを探すと該当文書と思われるものが見つかるが、私には真偽がわからない。また同エントリは、IHHは米国ではテロ組織とはされていないとの伝聞も伝えている。
 現状、IHHと「善の連合」(The Union of Good)、さらには直接的なテロ関与についてはイスラエル側以外の情報はないようだ。
 しかし、5日付けワシントンポスト紙社説「Turkey's Erdogan bears responsibility in flotilla fiasco」(参照)はそれを前提として描いているので驚く。

The relationship between Mr. Erdogan's government and the IHH ought to be one focus of any international investigation into the incident. The foundation is a member of the "Union of Good," a coalition that was formed to provide material support to Hamas and that was named as a terrorist entity by the United States in 2008.

トルコのエルドアン政府とIHHの関係は、今回の事態についていかなる国際調査であるにせよ、焦点とされるべきものだ。この団体は、ハマスに物資を提供をする組織であり、米国が2008年にテロ組織と指定した「善の連合」(The Union of Good)のメンバーでもある。


 米国ジャーナリズムでは、米政府見解とは別に、IHHを「善の連合」(The Union of Good)の下部としてテロに結びつける論調が受け入れられているのだろうか。
 同社説はIHHの背景よりも、そのテロとの連繋をトルコのエルドアン政府に結びつけ、さらにイラン問題にも言及している。ここで私は、米国ジャーナリズムで何が起きているのか、と問うべきなのだが、現状ではよくわからない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.06.07

小沢独裁を機構的に押さえる政調の復活はよかった

 率直にいうと菅首相に期待するところはなかった。集金に結びつく明確な政治基盤がない菅氏の場合、海外紙が見抜いていたように(参照)、大衆迎合主義的な手法を採る以外に権力維持の手法はありえない。とすれば、そこに本質的な力学と矛盾を抱え込むことになる。矛盾の局面では、小泉元首相のように最後は大衆を借りて抑え込むだけのカリスマ的能力は菅氏にはない。あるいは、小泉氏のような政治信念・理念は菅氏にはない。通常なら権力への柔軟な動きが政治家としてのメリットになるが、この難しい局面ではデメリットになり、倒れるだろう。
 そもそも論でいうなら、新内閣への期待が本質を外している。これは新内閣ではなく鳩山内閣の失態を取り繕ういわば後期鳩山内閣である。だからそのナンバーツーだった責任者が失態の責を追うという以上の意味はない。いかに鳩山内閣の失政を是正するか、そのことが課題になるにもかかわらず、菅氏の表明演説などからはその意識は見られないし、マスコミなどでもあたかも新内閣のように煽っている。誤りである。
 失態の尻ぬぐいが優先されるべきなのに内閣人事に関心を持つ意味がわからない。私は内閣人事には関心がない。政治学者トバイアス・ハリス氏のいうように閣僚の任用には継続性が重要であり新内閣の必要はない(参照)と考える。むしろ、赤松農相などについては組閣のどさくさに外すのではなく、別途きちんと責任を負わせなくては禍根を残すだろう。
 だが、政調の復活の話には期待を覚えた。誰が政調の長に付くかはどうでもよい。政調を復活させれば、小沢独裁を機構的に押さえるための手段になるからだ。
 鳩山政権でなにが最大の問題であるかといえば、政府決定が党から覆される仕組みだった。政治主導の名の下に、実際には、党権力者が政治を支配する仕組みができつつあった。
 さらにこの小沢独裁構造の権力維持のために陳情を党小沢氏に集約しそれに見返りのばらまきをするために政府が位置づけられつつあった。旧自民党の最悪の構造が民主党の本体として現れつつあった。自民党を批判する人がなぜこんな醜悪な機構に賛同できるのか私は不思議でならなかった。
 本来なら、首相は、小泉元首相がそうであったように独自性を持つならよいのだが、鳩山前首相は、実態は、党維持のための従属機関であり、小沢氏の傀儡であった。政治主導の名のもとに隠されていたのはこうした独裁に道を開くための仕掛けであった。そのことを別側面で端的に示したのは、国家戦略局の不在である。
 国家戦略局の構想は、元来は政治主導のために小泉政権で創案されたものだ。国家目標や統治形態などの基本戦略を策定するために内閣に設置する首相直属の機関であった。これは自民党時代の政調の非効率性や陳情・集金のシステムからの離脱の一歩となるはずだった。安倍政権もこれを受け継ぐはずだったが、挫折した。
 民主党の国家戦略局は大筋では小泉政権の新しい仕切り直しの継承となるはずだったのだろうが、民主党の国家戦略局の機能は「国家戦略」という看板とは異なり、小泉政権の構想から矮小化され、予算権限を一本化・予算案の策定にあった。そしてそれでも機能するならば、民主党という党は、国家戦略局を介して百人の民主党議員を送り込むはずであった。それが政治主導の実態となるべきだった。そうはならなかった。
 政権成立当初から国家戦略局は骨抜きにされていた。考えてみればあたりまえである。小沢独裁システムが陳情からばらまきの機能を持つのだれば、予算権限を小沢氏側に集約する必要があったからだ。
 菅直人氏はこの国家戦略局に実質幽閉されていたのも象徴的だった。そのなかで彼はこの問題構図を見ていたのだろうし、大衆迎合主義でしか自身の権力基盤がないとすれば、自身の国家戦略局を否定するかたちで、旧自民党型の政調の復活がよいと判断したのも理解できる。このあたりの嗅覚は政治家として一級といっていいかもしれない。
 これで菅氏が郵政国営化法案をどういう表現であれ実質ぐだぐだに持ち込み廃案にするなら、その政治手腕は相当に評価してよいだろうと思う。そして、奇っ怪なカンズ経済学(参照)が是正されるなら、政権交代したデメリットは相殺できるくらいの価値がある。だがおそらくそうはならない。
 普天間飛行場の撤去問題を民主党は自民党案よりもひどいものにしてしまった(普天間飛行場撤去が明確化されないのである)。同様に、自民党型政調の復活でようやく、小泉政権以前の自民党政治に戻ることで、独裁の機構的な修正を図ることができそうだ。本来の政治主導からすれば大きな後退だが、それでもここまで最悪な地獄図からすればわずかな希望でもある。
 菅政権は九月までの暫定政権である。本来ならその間に期待できるのは、民主党のための選挙対策だけだろう。党利が問われる。郵政国営化はいずれ国民に重税のツケを回されることになるとはいえ大衆は生活に重税が跳ね返るまで理解できるわけもない。大衆迎合主義くらいしか政治基盤のない菅氏にしてみれば、そこで目先の利が得られない政策はとらないだろう。
 菅暫定政権が小沢氏を遠ざけて選挙に大敗すれば小沢氏の権力奪取の力が動きだす。小沢氏の影の力を借りて選挙で勝利し、なんとか菅暫定政権が維持でき新組閣に結びついても、組閣には見返りとして小沢勢力が入り込む。モートンの熊手(参照)である。
 しいていえば、最善でも旧自民党のような政権しかできないなら、もう一度国民は政権交代を望むほうがマシかもしれない。そこはまだはっきりと見てこないが。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2010.06.06

菅直人氏の海外評価はポピュリスト(大衆主義者)

 菅新首相を海外がどう見ているかの一端は、「フィナンシャルタイムズ曰く、恐るべき失望の民主党にだって希望はある、たぶん: 極東ブログ」(参照)にも記したが、他の報道を見ていると一様に「ポピュリスト(大衆主義者)」という枕詞がついている。populistは「大衆迎合主義」とも訳されるが、市民主義と訳してもそうハズレということでもない。
 表題にポピュリストを冠しているのがCSモニター「Populist Naoto Kan promises to 'rebuild' Japan as new PM(ポピュリストの菅直人は新首相として日本再生を約束した)」(参照)である。


The first PM in more than a decade not to hail from a political dynasty, the populist Naoto Kan hopes to boost his party's standing ahead of July elections.

世襲政治から離れた、10年ぶりの首相として、ポピュリスト菅直人は7月選挙を前に党の地位向上を望んでいる


 "a political dynasty"は直訳すれば政治的王朝だが、世襲政治の意味だろう。ワシントンポスト「Naoto Kan becomes new Japanese prime minister」(参照)もそこを強調していた。

Kan draws on a background that contrasts with those of other recent Japanese prime ministers. He has a humble background and a history as an outspoken populist. He is the first premier since 1996 whose family didn't make politics part of the family trade.

菅は出自において近年の日本の首相と一線を画している。彼は、あけすけに物を言う大衆主義者として、慎ましい育ちと経歴を有している。世襲政治家ではない1996年以来最初の首相である。


 英語としては下層階級的な含みが感じられるが、取材が足りないか、対比を明確にしたかったのだろう。
 CSモニターに戻ると。世襲的背景がなく大衆迎合的という構図でまず捉えられている。そしてその構図のなかで、ポピュリストなら嫌うはずの増税の問題を取り上げている。

But Kan’s populism may have to take a back seat to cold realism when he confronts Japan’s huge public spending commitments.

しかし、巨大な財政赤字への責務に直面したとき、菅の大衆迎合主義は、冷めた現実主義への後退を余儀なくされるかもしれない。

He has talked with more enthusiasm than his Democrat colleagues about the need to raise the consumption tax, a measure that is unlikely to go down well with voters.

彼は他の民主党政治家よりも、得票には結びつきそうにもない消費税増税について熱心に語ってきた。


 大衆主義者だが大衆の嫌う増税に直面するための布石として、消費税アップを語ってきたのかという読みでもあるだろう。
 テレグラフ「Naoto Kan: profile(菅直人プロファイル)」(参照)も大衆迎合主義に着目している。

His sharp debating skills, populist flair, policy pragmatism and reputation also set him apart from Mr Hatoyama, who was nicknamed "The Alien" by local press.

彼のキレのよいディベートテクニック、大衆迎合主義者としの勘のよさ、政治面での現実主義、名声、これらは鳩山氏が日本で「宇宙人」と渾名されているのとは違っている。


 ディベートテクニックでキレがいいかはちょっと疑問な点もある(参照YouTube)が、政界の世渡りのうまさはあるだろう。

In a somewhat dramatic display of his repentance – and perhaps a demonstration of his populist appeal - he shaved his head, swapped his suit for a Buddhist rope and went on a temple pilgrimage on the Japanese island of Shikoku.

どこかしら芝居めいている彼の改悛としては、おそらく大衆迎合をアピールしたものだが、頭を丸め、僧侶の出で立ちで、四国の寺社巡礼をしたことだ。


 英語で読むとおかしさが増すが、あのお遍路も効果的だったと海外で見られているのだろうか。
 ガーディアンの「Japanese prime minister Naoto Kan promises to rebuild country」(参照)でもさらっとポピュリストとして言及されていた。

Naoto Kan, an outspoken populist who started his political career as an environmental campaigner, today became Japan's fifth prime minister in less than four years.

菅直人、率直に語る大衆主義者(ポピュリスト)は、政治家としての経歴を環境問題運動家として始めたのだが、今日、彼は4年に満たない中での5番目の首相となった。


 環境問題の運動家だったろうか? 東京工業大学在学中に「現代問題研究会」を創設しいわゆるノンセクの「全学改革推進会議」として活躍したのち、市川房枝氏の選挙事務所では働いたのが原点だと思うが。余談だが、ぐぐってみると東京工業大学「現代問題研究会」は現存するようだ(参照)。創立者の弁としてこんな話が書かれている。

学生時代の私は,「現代問題研究会」というサークルを作り社会保障や国際問題など幅広く関心を持ち活動しておりました。当時は,ベトナム戦争の最中で,東工大の学生もかなり政治的エネルギーを内包しており,卒業間近の1969年の1月に全学ストライキという形で大学紛争の勃発につながりました。私は,「全学改革推進会議」という改革派グループを創って走り回っていました。今思えば,この時のサークル活動や大学紛争が現在の私の政治活動の出発点です。

 誰なんでしょ。
 いずれにせよ、菅氏もベ平連の流れであったと記憶している。
 ガーディアンの話に戻して、ここで"an outspoken populist"という表現があるが、これは先のワシントンポスト紙にもあり、他でも見られる。"a straight- talking populist"という表現もあった。つまり、歯に衣着せぬというか弁舌さわやかということだが、往年の菅氏はそうだが、現在の彼はどうだろう。「菅新首相会見から、「ある意味」を抜き出してみた: 極東ブログ」(参照)でも触れたが、とてもそうとも思えない変化はある。
 なにがその変化をもたらしたかだが、単純にあれかなと言うのはある。まあ、言うと50代とはいえ私にもブーメランになるので慎んでおこう。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

« 2010年5月30日 - 2010年6月5日 | トップページ | 2010年6月13日 - 2010年6月19日 »