« 2010年5月2日 - 2010年5月8日 | トップページ | 2010年5月16日 - 2010年5月22日 »

2010.05.15

民主党の公務員法改正案では、強行採決したことが問題ではなく、何を強行採決したかが問題

 普天間飛行場撤去問題や口蹄疫問題などの大騒ぎが民主党にとって、各種法案強行採決のための煙幕であるとまでは思わないが、12日の国家公務員法改正案可決は、あまりにどさくさまぎれというか、火事場泥棒とでもいった印象は持った。自民党甘利明前行政改革担当相を懲罰委員会にかける民主党からの動議の元となる事件も起きた(参照)。なにが起きてもしかたがないかもしれないとも思っていたが、ツイッターなどを見ていると民主党の強行採決を批判する自民党が滑稽だという意見もあった。
 よくあるジミンガー話(民主党の困難や問題を自民党に帰す論法)といったところだろうが、問題は内容なのである。ただし単純な話なのでブログのネタにしづらい。だが、これからしばらく、民主党の強行採決が続くだろうから、記録がてらに書いておこう。
 今回の国家公務員法改正案には二つの主眼点がある。
 一つは、総理大臣指揮下に内閣人事局を新設し、幹部公務員人事を「政治主導」で一元化にすることだ。ところがこの「政治主導」だが、お手本となったかに見える英国の制度とは異なっている。英国では、幹部公務員は人事院などの組織が公募者から中立的に選考し、首相がその認可を行う。首相には拒否権はあるが、日本民主党が強行採決した今回の法案のような、大臣による幹部公務員の任命権はない。
 逆に言えば、今回強行採決された法案では、大臣がどのように幹部公務員を選ぶかという点で、幹部公務員の専門性は機構的に評価されないようになっている。むしろ専門性が求められるべき幹部公務員が、党派政治のなかに吸着されるやすい脆弱性を持つ。それこそを民主党は「政治主導」と呼んでいるのかもしれないが。
 弊害は単純に予想できる。すでに例示的な事態も起きている。赤松農相は口蹄疫のアウトブレイクに対して「健康な家畜を殺すのはどうなのか。人の財産権を侵すことは慎重に考えないといけない」(参照)と述べてしまった。海外がこの発言を聞いて日本にどのような印象を持つかを想定できる専門家が大臣の周囲にすでにいないためであろう。
 二つ目の主眼点に移る。こちらのほうが強行採決にまつわる問題を引き起こしていたようだ。それは、事実上の天下り斡旋を行う、自民党政権による「官民人材交流センター」の廃止である。
 天下りをなくすならよいことではないかと短絡的に考えている人もいるかもしれないが、法の施行前に矛盾が露呈している。それどころか、強行採決と平行して法の矛盾が進行するという冗談のような事態になっている。
 話は単純である。便秘と同じ原理だ。天下り斡旋が禁止されるために、退職しない中高年の公務員が大腸内の便のように貯まる。出ない。公務員を雇うカネには限界があるから、そのしわ寄せは、新規採用の削減となる。次年度は半減されることとなった。中高年が若者の雇用機会を奪っている。
 それでも「政治主導」で押し通すというなら老人向け政権として首尾一貫していると言えるが、このあたりで民主党お馴染みのドタバタが始まる。民主党政権は一枚板ではない。産経新聞「閣内から異論噴出… 公務員採用半減の閣議決定見送り」(参照)は各大臣の声をこう拾っている。


 菅直人副総理・財務相は14日の記者会見で、「財務省としては基本的な方向は了解している」としながらも、「国税(庁)の徴税人員(数)を急激に下げると、税収にマイナスの影響を与える」と述べた。
 千葉景子法相も「法務省は人で成り立っている。治安、入管(入国管理局)もあるので、数字だけで簡単にいかない」と不快感を表明。さらに「人がいないからといって、まさか刑務所を開放してしまうわけにはいかない」と述べた。
 川端達夫文部科学相は「各省の実情に合わせた折衝、調整がされていると伺っている」と述べ、省庁横断的な一律の削減を行うべきではないとの考えを示した。

 自分たちが強行採決した国家公務員法改正案の毒がすでに全身に回ってのたうち回っているかのようだ。
 結局、どうなるのか? 先延ばしになる。読売新聞「国家公務員採用抑制、3省反発で閣議決定見送り」(参照)より。

 政府は、14日午前の閣議で目指していた一般職国家公務員の2011年度新規採用数の決定を見送った。
 09年度の採用実績と比べて「おおむね半減」を目指すとした新規採用抑制目標に基づき、総務省が各省庁に採用職種別の抑制を求めているが、一部の省が反発して調整がつかなかったためだ。18日に改めて閣議決定することを目指す。

 18日にどのような調整を閣議決定するのか、ちょっとした見ものであるが、郵政問題の迷走時のように大臣間のバトルは非公開となるかもしれない。
 いずれにせよ、強行採決された民主党の国家公務員法改正案は、前政権自民党案を廃したいがために注力されているだけで、法案としてはよく練られていない。だから、施行前からこのような珍事が起きている。
 しかも、このどさくさのプロセスにはさらに滑稽な二転三転があったようだ。私自身が法案の改訂プロセスを詳しく確認しているわけではないが、岸博幸氏の指摘では次のような経緯もあったようだ。「欺瞞だらけの公務員制度改革 民主党にもはや脱官僚を唱える資格なし」(参照)より。

 そして、ここで注意していただきたいのは、政治主導の幹部人事の実現に不可欠な降格人事を実質上不可能にしている第78条の2という条文です。この条文は、一年前に自民党政権が提出して廃案となった国家公務員法改正法案の条文とまったく同じなのです。
 かつ、そのときの国会審議で、当時野党だった民主党はこの条文を徹底的に批判しています。2月の衆議院予算委員会では当時の行革調査会長であった松本剛明氏が、そして3月の参議院内閣委員会では現官房副長官の松井孝治氏が「この規定では降格人事はほとんど出来ない」と強く批判しているのです。

 指摘が本当なら、ジミンガーのまったく逆になる。構図としては、最悪の事態にもつれ込んだ普天間飛行場撤去問題も同じだ。
 民主党はなぜこの強行採決法案に、便秘のような構造があると気がつかないのだろうか。いや、そうではない。時論公論「公務員改革 道筋は見えたか」(参照)で、影山日出夫解説員は、民主党なりの対処論を三点にまとめている。

  1. 天下りをしないで定年まで役所に残る官僚のために、「高位専門スタッフ」という新たなポストを作ること
  2. 独立行政法人や公益法人の役員や研究職などで出向する公務員の数を増やすこと
  3. 退職金を上積みすることを条件に、希望退職を募ること

 しかし機能しそうにはない。
 まず二点目の「独立行政法人や公益法人の役員や研究職などで出向する公務員の数を増やすこと」だが、独立行政法人や公益法人を増やすのは誰が見ても、事業仕分けと矛盾している。しかもこれらの機関の公募はなくなる。民間人の就労機会をここでも奪っている。
 一点目の「高位専門スタッフ」だが、年収1400万円程度とも言われているが、給与の問題が明確になっていない。
 三点目の希望退職はこれもようするに、どれだけカネの積み上げか問題になる。迷惑料みたいなものだ。
 要するにこれらの問題は、カネの問題なのだ。公務員に与えるべきカネどう工面するかという問題に帰結する。なのに、そこが論じられないまま強行採決された。
 本来なら民主党のマニフェストどおり、「地方分権推進に伴う地方移管、国家公務員の手当・退職金などの水準、定員の見直しなどにより、国家公務員の総人件費を2割削減する」(参照)とし、国家公務員の総人件費5.3兆円のうち1.1兆円を削減するはずであった。ダメだった。
 カネの問題をどうすべきか。その方向性が強行採決で議論を封じられ、国民からは見えなくなった。

| | コメント (10) | トラックバック (1)

2010.05.14

昔の喫茶店のこと

 ゲゲゲの女房を見ている。面白い。つばさは見ていた(参照)。ウェルカメは見なかった。
 話の時代(主人公の結婚)は、昭和35年。西暦でいうと1960年。この6月15日、吉本隆明は「建造物侵入現行犯」で逮捕された。樺美智子は死んだ。そんな年だったが、朝のご家庭ドラマからは、そんな様子はあまり見えない。
 でもときおり、ドラマのなかで、時代のトゲのようなものがある。今日の話(昭和36年)では、稿料を払わない貸本出版社に怒った水木さんが「国交断絶だ」という。そして家に帰ってからもそう言う。
 国交断絶?

 1959年元旦、バティスタはキューバを捨てて亡命。一週間後キューバ革命が成る。翌1960年6月アメリカ資産を国有化しソ連にも接近。さらに翌年1961年、昭和36年、米国とキューバは国交断絶し今に至る。
 昭和32年生まれの私は当時を知らない。
 後、岡林信康さんが、サトウを刈りにキューバに行くんだとはしゃいでいたのを日比谷公会堂で見た。赤松勇さんの息子がキューバで舞い上がちゃうのもわからないではない。

 ゲゲゲの女房で、紙芝居屋さんと水木さんが調布の喫茶店に入るシーンがある。二人、コーヒーを前にして、懐かしいですなといった話になる。
 そして、ケーキを1つ注文する。ショートケーキではないように見える。私は、この時代の喫茶店にこんなしゃれたケーキがあっただろうかと疑問に思う。
 昼食後、人にその話をすると、「あれはモンブラン」と言う。えええ!

 戦後、都会に喫茶店が流行るのは1950年代後半である。歌声喫茶とかできていたらしい。私は個人的に、アンパンマンの世界は歌声喫茶ではないかと思っている。
 ジャズ喫茶や名曲喫茶もそのころあったらしい。メディアが高価なので集まって聞いたのだろうか。
 三鷹の第九茶房が懐かしい。

 日本が独立したのは昭和27年。1952年。力道山がテレビで活躍したのは1955年頃らしい。ゲゲゲの女房でも紙芝居屋がテレビに客の子供を奪われてしまうという話があるが、1960年はそういう年でもあったのだろう。
 私は、紙芝居なんてものを見たことはない。ローンブロゾー!

 談話室滝沢ができたのは1959年。私が初めて滝沢に入ったのは、1980年代だっただろうか。店内に水が流れていた(参照)。
 調べてみると、談話室滝沢の最初の名前は喫茶室ルノアールであったらしい。ルノアールの店舗拡大に反対して、滝沢になったらしい。へぇ。

 私が初めて喫茶店に入ったのは、小学五年生か六年生のころだ。万博の前だから。1960年代の終わり。
 そのどっちかの夏、叔父と行った。渋谷だったと思う。なにを頼んだのか記憶にない。記憶にあるのは、店を出たとき、もわーっと暑くて風呂のなかにいるように思えたことだった。喫茶店のなかは冷房だった。冷房が珍しい時代だった。

 私はよい子なので中学高校時代には茶店に行ったことはない。いや、さすがに高校の時は行ったか。国立のシモン、国分寺のピーターキャット。

 赤線が消えたのは1958年。青線が消えたのはいつだったんだろうかと苦笑いする。経験のないことはピントがずれる。
 「純喫茶」の標識をあまり見かけなくなったのはいつからだろう。高校生のころだったか、なんで純喫茶なんだとか疑問に思って、その理由を知った。

 スペースインベーダーが喫茶店に登場したのは1978年。なんであんなもんでカネ擦ってたんだろと不思議な気がする。もちろん、懐かしい。iPhoneには入れていない。
 マイアミの歴史はどうだっただろうかと調べたがよくわからん。

cover
二十歳の原点
 高校生のころ、地元の駅前のコーヒー屋のモーニングサービスには味噌汁が付いていた。トーストとコーヒーと味噌汁とキャベツの千切り。
 たまにその町を通り過ぎるとき、その喫茶店の場所が気になる。先日見たら、テナント募集の空きスペースになっていた。学生服を着たひょろっとした高校生はいない。
 社会人になってから、京都に行ってシアンクレールの跡地を見に行ったことがある。

 昔の喫茶店の風習で、あれはなんなのだろうと思うことの一つが、炭酸水。コーヒーを頼むと、ウォッカを飲むときのようなグラスにちょこっと普通の炭酸水が付く。理由は、コーヒーの香りに麻痺したときのリフレッシュということ。
 効果がないわけではない。今でもたまにあのころを思い出して、コーヒーを飲みながら少しペリエをなめることがある。

 先日新宿のユニクロで買い物したあと、ふと、久しぶりに但馬屋に入った。カウンタに座ってコーヒーを頼んだ。どんなカップになるんだろうと思った。女子大生みたいな店員が選んでくれたのは、渋かった。俺、年取ったなぁと思った。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2010.05.12

ホワイトハウス大統領執務室でその時、何があったか?

 ネタの趣向としてはパクリだし趣味も悪い話になる。

    Part 1

 もうすっかり過去の人となったブッシュ前大統領のことを少し思い出す。彼の出身大学は有名なイェール大学だが、恐らく父ブッシュの意向を酌んでの特別枠だったのだろう。特別枠といえば、ベトナム戦争では徴兵逃れをしたのではないかとの噂もある。酒に溺れて飲酒運転容疑で逮捕されたこともある。卒業後は、というと石油会社に勤めた。石油、それがブッシュ家のビジネスだったからだ。
 そんな彼にも希望はあった。父のような政治家なりたい。ブッシュ家の石油会社の富と人脈を背景に下院選挙に出て、落選した。石油企業に戻り、エネルギー関連会社に勤めつつ政治界を目論んだ。
 1994年、メキシコ湾に臨むテキサス州の知事に当選し、大統領選への足がかりとした。奇跡か。石油屋上がりのボンボンは大統領となった。

    Part 2

 新しい大統領が職務に就いた数か月後のことらしい。彼が率いる政権は、メキシコ湾沖合水深一マイルにある油田採掘に認可を出した。大統領選で気前よく寄付金を送ってくれた社員を抱える英国石油への採掘権である。同社は海岸汚染を引き起こすかもしれない壊滅的な海底油田漏れなど発生しないと軽々と言ってのけた。
(Imagine that a few months after a new president takes office, his administration approves an offshore oil well a mile beneath the Gulf of Mexico. It is to be run by BP, whose employees were very generous donors to the president's campaign. The oil company airily dismisses the possibility of a catastrophic leak that might destroy the coastline. )

 ほぼ一年経過。大統領は沖合採掘を大幅に拡大したいとの声明に、環境保護団体は狼狽する。直後、英国石油施設は爆発し、原油が湾岸に溢れ出る。
(Nearly a year later, the president—to the dismay of his environmentalist supporters—says he wants to greatly expand offshore drilling. Soon after that, the BP well explodes, and oil spews into the gulf. )

 海底原油の噴出が、政府出動を要する壊滅的な事態であることは、誰に目にも明白。しかし、事件発生11日後に現地視察した大統領の最初の発言はといえば、ご心配無用、浄化作業は英国石油が支払うことになるというものだった。
(It's clear to everyone that the blowout is a major catastrophe, requiring a federal mobilization. But the president's initial response is to say, in effect: do not worry, BP will pay for the cleanup. Eleven days pass before he goes to survey the scene.)

    Part 3

「徹底的な事態調査のために、特別検査官が指名されるだろう。焦点となるのは、湾岸で起きている事態についてではない。ホワイトハウス大統領執務室で何があったかについてだ」
( "There'd be calls for special prosecutors, investigations everywhere. The focus wouldn't be on what was happening out in the gulf—it would be on what happened in the West Wing.")

    Part 4

 ホワイトハウス大統領執務室でその時、何があったか?
 米国民は一斉に疑惑の目を向けた-----ということはなかった。
 なぜか?
 Part 2の大統領は、Part 1のブッシュ前大統領ではなく、現オバマ大統領だから。
 この趣味の悪い趣向は、ハワード・ファインマン(Howard Fineman)記者によるニューズウィークコラム「Can’t Touch Him(彼には触れるな)」(参照)を借りた。
 ブッシュ大統領だったら怒り心頭になるのに、オバマ大統領ならホワイトハウス内のことはそれほどの騒ぎにはなりそうもない現下の状況のだまし絵だ。
 私はその悪趣味に、Part 1を添えてみただけ。いや、英国石油は現在では単にBPとすべきではあるが。

    Part 5

 オバマ大統領が選挙期間中に公約したグアンタナモ収容所の閉鎖問題はうやむやになっているが、問題とする声は小さい。自分の問題に跳ね返る部分にはみなさんご事情というものがある。
 ブッシュ大統領時代は非難の的になった愛国法(Patriot Act)もオバマ大統領は承認したが、タイムズスクエアのテロ未遂のせいか、あまり話題にならないようだ。
 テロとの戦いアフガン戦争にオバマ大統領は増派したが、それほど非難はない。でも展望もない。
 ブッシュ大統領時代は即時撤退が求められたイラクには10万の米兵は釘付け状態だが問題化しない。このまま撤退するのだろう。
 ブッシュ大統領はハリケーン・カトリーナ被害地訪問の遅滞で随分バッシングされたが、オバマ大統領のメキシコ湾入りはゆったりとしたものだ。
 その違いは、なぜ?
 オバマ大統領だから。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010.05.11

ダルフール危機に関連する現状、お尋ね者バシル大統領再選

 そろそろダルフールの状況について、またメモをしておくべき時期だろう。ページ(参照)がまた一つ捲られたからだ。
 最新の目立つニュースとしては、7日、国連平和維持活動(PKO)に当たっている、国連・アフリカ連合ダルフール合同活動(UNAMID)の車列が武装グループに襲撃され、エジプト人のPKO要員2人が殺害され、3人が重傷を負う事件があった。武装グループは特定されていない。国連安保理は非難声明を出し、スーダン政府に犯人を処罰を要請した(参照)。
 連想されるのは先月23日の事件だ。ダルフール南部でアラブ系部族とスーダン人民解放軍(SPLA:Sudan People's Liberation Army)が衝突し、58人が死亡、85人が負傷した(参照)。SPLA側の主張では、ダルフール南部の、西バール・エル・ガザル(Western Bahr al-Ghazal)でスーダン政府軍(SAF:Sudan Armed Forces)に襲撃されたとのことだ(参照)。真相はわからないが、同地はSPLA主体のスーダン南部自治政府が管轄する領域に近く、南部問題が関連していると見られる。
 事件に国際的な関心が向けられたのは、背景に4月11日から5日間実施されたスーダン大統領選および同時に実施された今後独立が予定される南部大統領選があったためだ。これは2005年に締結された南部内戦終結の包括和平合意よるものだ。
 4月26日に発表された結果では、スーダンでは現職バシル大統領が得票率68%で再選され、南部大統領選ではスーダン人民解放運動(SPLM:Sudan Peoples' Liberation Movement)キール議長が当選した。予想通りの結果であった。
 選挙は公平なものとは言い難い。SPLMはバシル大統領の与党国民会議(NCP:National Congress Party )による選挙不正指摘から大統領選をボイコットした。だが大きな決裂にはならなかった。SPLMとしても、来年予定されるスーダン南部独立住民投票を推進したい思惑があったからだ。
 もちろん、ダルフール・ジェノサイドで国際刑事裁判所(ICC)から戦争犯罪者として逮捕状が出ているお尋ね者バシル大統領としても、またNCPとしても経済制裁を加える国際社会の視線をこれでも配慮していた(参照)。
 この地域に深く関与せざるえない大国としても、スーダン資源を狙いバシル大統領寄りの中国はさておき、米国は表向きは不正選挙非難を出したものの(参照)、南部独立の実現を配慮し強い態度には出なかった。
 問題は、来年、南部独立が実施されるのか、また、ダルフール危機があたかも終了したかのような沈静は維持されるのかということに絞られる。どうなるか。ワシントン・ポストは2日付け社説「A wager on Sudan」(参照)で、懸念する専門家の声を伝えていた。


Many experts doubt that Mr. Bashir will allow the oil-rich south to go without a fight or that he will give Darfuris the autonomy they seek. While it works for those outcomes, the United States should refrain from prematurely recognizing Mr. Bashir's new claim to legitimacy. And it should be ready to respond when he breaks his word.

バシル氏が豊富な原油を産出する南部独立を紛争なく認めること、また、ダルフールの人々に彼らが求める自治を提供すること、その双方に懐疑的な専門家は多い。期待される結果が得られるようにこの間、米国は禊ぎを終えたバシル氏が主張する合法性に慌ててお墨付きを与えてはならない。かつ、バシル氏が期待を裏切ったときに即応できるようにしておかねばならない。


 どうなるかは、来年が近づくにつれて見えてくるだろう。西バール・エル・ガザルの衝突は不安な影を落とすことになったが、親スーダンの中国の陰にある日本はさておき、国際的な監視の目は強まっているので、秋口くらいまでは多少静かな時間が流れるのではないか。

追記
 14日、大きな動きがあった。スーダン政府軍とJEM(正義と平等運動)の戦闘があり、JEMで160名の死者が出た。和平合意の行く末が危ぶまれる状態になった。「ダルフール紛争 再燃の懸念」(NHK 5.16)より。


スーダン政府軍の15日の発表によりますと、政府軍と西部ダルフール地方最大の反政府勢力「正義と平等運動」の間で再び激しい戦闘が起き、反政府勢力側の戦闘員108人を殺害したほか主要な拠点の1つを抑えたということです。政府軍側の死傷者については明らかにしていません。ダルフール地方では、7年前、政府軍やアラブ系の民兵組織と地元の反政府勢力との間で紛争が始まり、これまでに30万人が死亡、250万人が住む家を失うなど、「世界最悪の人道危機」とまで言われましたが、ことし2月、スーダン政府と最大の反政府勢力「正義と平等運動」が停戦で基本合意し、和平交渉が続けられてきました。しかし、反政府勢力側はバシール大統領が再選した先月の大統領選挙以降、政府軍が停戦合意を破って断続的に攻撃をしかけてきていると非難し、和平交渉を打ち切る構えを示しています。これに対して政府側も、反政府勢力が地域の集落や食糧輸送車を襲っていると主張しており、紛争の再燃が懸念されています。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2010.05.10

ツイッターのこと

 ツイッター(Twitter)が話題になっているというか、世間的な話題についてはいろいろ言われているので、僕なんかが言うことはさしてないと思う。「Twitter社会論(津田大介)」(参照)のように簡素に読めて良書もある。とはいえ、自分なりにツイッターを使ってみて思うこともあるので、少し。
 ツイッターはもともとは、メッセンジャーの拡大くらいのノリだったんだろう。もうけっこうな昔になってしまうけど、ニフティサーブというパソコン通信で、ログインしてうろうろしていると、「今、メメメでチャット中。来ない?」みたいなメッセージがプロンプトに送られてくることがあった。ああいうメッセージングの仕組みだ。確かWindowsのプロンプトでもできたと思うけど、すっかり忘れた。Google Talkというのもあったな。まあ、メッセージ交換の通信サービスということだ。
 それで、この「そっちどう?」というふうに状況が問われて答えるのが、現状(ステータス)ということで、HTTPプロトコルとかインターネットのプロトコルと同じく、ツイッターでも返ってくるメッセージがステータスということなんだけど、いつのまにか、ステータスという言葉は個別のアドレスにstatusとして残るだけで、今ではツイッター(Twitter)の洒落からツイート(tweet)とか言われている。ちなみに、Twitterは鳥がさえずるということで、tweetはそのさえずり。昭和の言葉でいうと、ピーチクパーチク。
 ツイッターの初期の仕様はよくわからないのだけど、ツイッター会員同士なら誰でもメッセージ交換できるはず。でも、一対一のメッセージ交換というより、Aさんのメッセージはいつも面白いから、Bさんはそのメッセージを全部受信したいという場合、Aさんをフォロー(追っかけ)するということになっている。双方でフォローしあうと、他の人には見えないこっそりメッセージとしてDM(ダイレクトメッセージ)ができる。
 DMの仕組みは、ニフティサーブのチャットとかにもあった。話の流れを読まない人が騒ぎ出すと、その話題の流れをなんとなく司会する数人がDMで「まじーな、今日はお開きな」みたく裏で工作する。裏のメッセージだから、そりゃ、恋愛ツールなんかにも使えたようだ。というか、ツイッターのDMもそんな使い方になっているのかもしれない。知らんな、恋愛っていうのも忘れちまったしな。
 まあ、そこまではツイッターとか言っても、20年以上も前の仕組みと大して変わらないなぁと僕は思っていた。またかよ、というか。でも、ツイッターはどっかで何かが変わった。量の増大がある臨界に達すると質的な変化になるということかもしれない。もともとは、一対一とか一対八くらいまでの小さいメッセージ交換の仕組みが、いつのまにか一対一万とかになるケースもあって、そうなると、広報ってやつだな。
 今でもあるんだと思うけど、アメリカの地方野球(参照)の中継みたいのをツイッターでやっているのを見たことがある。三年くらい前かな。FENで相撲中継を聞くみたいにぼけっと見ていた。へぇ、こんな使い方できるんかいなと思った。その後だったか、米国で選挙に活用されるのも知った。どういうわけか知らないけど、ヒラリー陣営のメッセージが送られてきたこともあった。米国の選挙権ないんですけど、僕はね。
 なるほど、こりゃメッセージ交換のシステムじゃなくて、一種のマスコミみたいなものになったのかと思った。だったら、実際にマスコミの有名人とかが使ったらフォローする人(フォロワーと言う)も万単位になるなと思ったら、そうなっていった。
 有名人ブログっていうのが数年前にあったけど(今でもあるのか)、意外と有名人のブログって内容がなくてつまらないものだ。だけど、ツイッターなら、「今、宮崎県に来ています」というくらいの書き込みで済む。っていうか、「宮崎県なう」とかいう「なう」が出てきた。Nowということ。ギンザナウのノリかな。古いな、俺。

cover
Twitter社会論
津田大介
 かくしてツイッターは広報的なシステム、マスメディアもどきになってきて、しかし、だから、すごいなと言える部分もあって、地震速報なんか最強。「お、揺れた」「地震」「揺れた、仙台」とかすぐに反応する。この数日騒がれている口蹄疫とかでも農水省の中の人の発言とかが正確で興味深いと思った。もちろん、その逆に、どうしようもないデマの流布にもなる。ネットというのはそういうもんだからしかたないよな。
 こうした中、ブロックというのが出てくる。最初からあった仕組みかもしれない。AさんはBさんをフォローしたいのだけど、好かれているっぽいAさんにしてみるとBさんにフォローされるのはやだなあ、というのがある。離婚した相手がその後の相手の噂を聞いているような感じか、まさかね。でもま、フォロー拒絶ということでブロックというのが注目される。でも、どうも本質がそうということではなさげだ。
 僕は思うんだけど、ブロックというのは、たくさんのフォロワーを持つ有名人に、少ないフォローしかいない人が夜郎自大に、「へっ、俺様だってうんぬん」と、難癖メッセージを送り付けたいのに対して、「それはやめてけれゲバゲバ」ということなんじゃないか。つまり、ブロックというのは、広報的な、マスメディア的なシステムになったから出てきたことなんじゃないか。
 このあたりを考慮してか、ツイッターはどんどん変化してきて、Aさんのメッセージを読みたいだけというなら、フォローしなくても追っかけできますよというリストという仕組みがある。著名人とかおもしろ発言をする人のメッセージを読みたいだけで、特にメッセージを送りたいわけでもないなら、リストで十分。でも、あまりリストが活用されてなさげ。
 むしろ、リストのほうが便利なのに。例えば、僕がフォローしている人は1200人くらいいるのかな。その人のメッセージを全部読むのは無理で、たまたまツイッターをしているときの話の流れに突っ込み入れたりするくらい。だいたい、フォローする人が100人を超えると、チャットみたいに相手の発言を読み合うという、少しは空気考えろよ、はなくなって、みなさんご勝手なことを乱雑に言うだけ。それがだらだら流れてくるのが、タイムラインだ。
 幽体離脱というのだったか、身体から魂が抜け出してという体験を研究したロバート・モンローという人(もうすっかり抜け出してしまったけど)が、地球からは人類の各人の思念が放出されていると言ってたようだったけど、ああ、それってツイッターのタイムラインそのものじゃんとか思った。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2010.05.09

2000年と2010年の口蹄疫

 2000年3月12日、宮崎市の畜産農家の牛にわずかな異変が起きた。発熱があり食欲がない。口の中を見ると水疱瘡のようなものがある。口蹄疫か。農水省家畜衛生試験場海外病研究部に口の組織を送り鑑定を依頼したがウイルスは確認できなかった。しかし抗体は検出された。他の肉牛も同じ症状を示していた。感染の可能性があることがわかった。
 約二週間後の25日、宮崎県畜産課は、断定できないものの、この農家の肉牛10頭に口蹄疫の疑いがあると発表し、家畜伝染病予防法に基づき防疫対策本部を設置した。後3週間は、該当農家の半径20キロ以内の牛と豚の移動が禁止された。近隣の市場も閉鎖され、半径50キロ以内の約117万頭に上る牛と豚の地域外移動も禁止された。宮崎県内での封じ込めである。主要幹線道路には22か所の検問所が設置され、二十四時間体制の監視が実施された。
 口蹄疫は、牛、豚、山羊、鹿、猪、水牛など偶蹄類に感染するウィルス性の病気である。家畜伝染病では最も伝染力が強い。空気感染もする。治療法はないが、重病とも言い難い。放置すれば通常発病から2週間ほどで回復し、死亡率は低い。だが、発達障害・不妊などの後遺症を残し、畜産業に大きな経済被害を与えるので、感染確認後は家畜伝染病予防法に基づいて殺処分されることになっている。人への感染はほぼない。食肉には問題ない。だが、当時所管である厚生省は、28日、都道府県と政令市に対し、感染懸念のある牛肉は出荷されていないとする安全情報を出した。
 4月4日、農水省家畜衛生試験場が英国家畜衛生研究所に鑑定の依頼をした組織検査の結果が出た。口蹄疫ウイルスの遺伝子が確認された。日本では、1908年以来92年ぶりの発生となった。その前日の3日、高岡町内でも口蹄疫ウイルスの抗体が発見された。農水省は移動禁止措置期間の延長を宮崎県に伝えた。
 幸い、初動の対応がよかったのか、その後口蹄疫の拡大はなく、5月2日には移動制限も解除された。宮崎県家畜防疫対策本部は、5月10日、宮崎県内すべての牛の清浄性が確認されたとして口蹄疫の終息宣言を出した。
 さて、この口蹄疫はどこから日本に侵入したのだろうか? 特定はされていないが、当時の農水省などは、中国産の麦わらを疑った。当時宮崎県では年間約11万7千トン使用するわら飼料の内、約3万4千トンを輸入していた。
 10年が経った。
 2010年、宮崎県をまた口蹄疫が襲った。最初に疑念として発見されたのは3月31日のようだ。共同通信4月23日付け「さらに牛2頭が口蹄疫疑い 3月末の検体から陽性反応」(参照)はこう伝えている。


 県によると、都農町の農家では3月31日、水牛3頭に下痢の症状があり、鼻の粘膜液を採取。1例目の農家とえさの一部が共通していたため、23日に動物衛生研究所海外病研究施設(東京都小平市)で遺伝子検査を行い、陽性と判明した。
 川南町では22日、農家から役場を通じてよだれや発熱の症状を示す牛がいると、宮崎家畜保健衛生所(宮崎市)に連絡があった。3頭に症状がみられ、うち1頭が陽性だった。

 口蹄疫が公式に確認されたのは4月23日であった。しかし、この間、疑念の持たれるケースは発生していた。4月9日、口内に軽い潰瘍のある牛がいるのを獣医師が発見し、宮崎家畜保健衛生所に連絡した。17日にもさらに2頭に同種の症状を持つ牛が発見され、この3頭の鑑定を宮崎県は農水省に依頼した。動物衛生研究所の結果が出たのは20日未明である。陽性であった(参照)。
 農水省は20日、赤松広隆農林水産相を本部長とする対策本部を設置した。宮崎県は家畜伝染病予防法に基づき同日、防疫対策本部を設置し、県内の畜産農家約430戸に対し、感染の緊急調査を命じた。原口一博総務相も即刻風評被害を懸念して指示を出した(参照)。放送行政など総務省管轄の指示なのであろうが、風評被害を押さえるためどのような指示を出したのかは報道されていないようだ。
 21日夜、宮崎県川南町で新たに3頭の牛に感染の疑念が持たれた。疑念のある牛は12頭、同感染舎の処分対象は118頭。翌日には疑念のある牛は16頭、26日には20頭と増えた。処分対象は牛1064頭、水牛42頭、豚2頭となった。
 畜産農家支援策を農水省が発表したのは、23日。家畜疾病経営維持資金融資枠を20億円から100億円に拡大するとした。赤松農相は「これ以上病気を広げないための防疫措置と、畜産農家への経済支援など、あらゆることをやっていきたい」と述べた。27日、東国原英夫宮崎県知事は赤松農相を訪問し、防疫や経営対策の予算確保などを要望した。赤松農相は、全面的に支援する意向を示したのだが、どれほどの重要性の認識があっただろうか。
 口蹄疫は豚にも広がり出した。28日、農水省は川南町の県畜産試験場の豚5頭に感染の疑いがあると発表。同試験場の豚486頭が殺処分されることになった。国連食糧農業機関(FAO)は28日付けで日本での口蹄疫の集団発生を国際的に通知し、国際的には報道された(参照)。
 処分対象はさらに拡大し、5月5日、牛・水牛2917頭と豚3万1068頭。そして8日、5万頭を超え、9日、6万頭を超えた。しかし、9日の時点ではその大半は指定される埋却処理がされてないため、さらなるウイルス感染を招きかねない家畜も殺処分されない飼育され続けている。埋却用地選定もできていないところもある。(参照)。埋却のための人手には軍隊を要するレベルである。
 この規模の事態になると、畜産国では軍隊が派遣されることがある。2001年英国で発生した口蹄疫の際、英国政府の危機管理体制には問題があったとして、翌年の公式報告は、流行初期の時点で軍隊を投入し早期に感染農場を閉鎖しなかったことを非難している。同様の発想であれば日本では自衛隊の出動が想定される。実際4月26日の宮崎県県議会では「自衛隊に応援を頼むべき」と声が上がった。自民党も要請した。宮崎県が国の判断より先に5月1日、災害派遣要請を陸上自衛隊都城駐屯地第43普通科連隊に出し、100名の自衛隊員が埋却作業に関わった。国としてはようやく5月7日になってから、平野博文官房長官は閣議後の記者会見で「自衛隊についても足りなければさらに追加出動を北沢俊美防衛相に要請しなければいけない」と述べるに留まった。
 10年前に政権与党として宮崎県の口蹄疫に対応した経験のある自民党は、4月28日、谷垣禎一総裁及び同党国会議員を現地視察させた。30日、同党口蹄疫対策本部を設立し、舟山康江農林水産大臣政務官と松井孝治内閣官房副長官に対し、現地視察に基づき防疫対策など42項目の申し入れを行った。同本部事務局長の宮腰光寛農林部会長は記者会見でこう述べている(参照参照YouTube)。

 今回の特徴は、10年前と違うのは、初動の遅れ、これが原因でこの大きな拡大を招いているというのが、まず第一点であります。
 10年前は、当時の江藤隆美先生が、まず100億という枠を国が示して、現場の県なり、市町村なり団体なりが、お金のことを心配せずに、やれることをすべて一気にやるということでもって、農家で三戸、北海道を加えると四戸ということで封じ込めが成功したわけでありますけれども、今回は、初動体制の遅れが原因で、いますでに12例でております。
 いちばん心配しておりました、他の地域に飛び火をするのではないか、あるいは牛だけに限らず豚にも感染が起きるのではないか、この懸念が強かったわけでありますが、それが現実のものになっております。
 今日、実はですね、舟山政務官に申し入れをした際に、政務官からは、初動体制は県の対応の遅れに問題があったということを問題にしておいでになりました。これは、私は、農水省の政務三役としては認識が違うのではないか、最終的には国の責任においてしっかりとした、わかった時点で対応をとる、あるいはわかる以前からもっときっちりとした対応を取るべきであったと思っております。


 たとえば自衛隊の出動についてもそうであります。
 今日、松井官房副長官のほうに申し入れてまいりましたけれども、松井副長官も京都で鳥インフルエンザが発生したときに、自衛隊が出動して埋却処分をやったということをご存知でありまして、今のところたとえば車の移動、人の移動に対するチェック体制なども、地元のJAや、町やあるいは農政事務所などがしっかりやってるわけでありますが、400人体制でそう長く続きません。そういうことも含めて、埋却のこともふくめて、自衛隊の出番をお願いしてまいりました。
 松井官房副長官からは、検討する、政府として検討するというお話をちょうだいしてまいりました。

 申し入れを受けた農林水産省の長、赤松農相だが、同日関係閣僚とともに、メキシコ、キューバ、コロンビアでのEPA・FTAの国際会談のため、成田を旅立った(参照)。農林水産大臣臨時代理国務大臣は福島瑞穂氏である。
 舟山農林水産大臣政務官は、デンマーク政府要人との会談及び現地視察のためデンマークに出張で5月4日、成田を旅立った(参照)。
 赤松農相の帰国は5月8日、舟山農水政務官の帰国は9日である。赤松農相は帰国後、まず栃木県佐野市の富岡芳忠議員の後援会に赴いた。この件で初めて宮崎県を訪れるのは10日。ただし、自民党口蹄疫対策本部長となった谷垣禎一議員が4月28日に現地を視察したのとは異なり、赤松農相の視察予定はなく、県庁訪問とホテルの意見交換交換会に出るのみらしい(参照)。

| | コメント (27) | トラックバック (1)

« 2010年5月2日 - 2010年5月8日 | トップページ | 2010年5月16日 - 2010年5月22日 »