« 2010年4月25日 - 2010年5月1日 | トップページ | 2010年5月9日 - 2010年5月15日 »

2010.05.08

[書評]思考する豚(ライアル・ワトソン著・福岡伸一訳)

 ライアル・ワトソン(Lyall Watson)氏が亡くなったのは2008年6月25日。一週間後、追悼記事がテレグラフに載っていた(参照)。69歳だった。私は一時期彼の著作をよく読んだ。集大成と言えるのは「生命潮流―来たるべきものの予感」(参照)だろうが、今アマゾン読者評でも偽科学といった糾弾が目に付く。今となってはそう見られてもしかたがないものだが、当時は最先端の科学とイマジネーションで書かれた話題の書でもあった。今では珍妙な主張のように見えないこともない。転居を繰り返した私の書架には、ワトソン氏の本はこの一冊しか残っていない。彼がその書籍で主張したcontingent systemについてときおり考えることがあるからだ。テレグラフの記事ではワトソン氏について、ニューエージ運動と併せて冒険家の側面を語っていたが、加えるなら、詩人とも呼べるだろう。生命潮流をテーマにNHKの連続番組があったが、その相貌や語りには詩を感じさせるものがあった。

cover
思考する豚
 ワトソン氏の死は私の心にあるぽっかりとした穴のようなものを残した。なんと言ってよいのかわからない。科学者として見ればうさんくさい、詩人として見れば美しいイマジネーション。しかし、それだけではない奇妙なもどかしさがある。彼が本当に伝えたかったことはなんだろうか。最期の著作は何か。
 豚の話だった。「思考する豚(ライアル・ワトソン著・福岡伸一訳)」(参照)。豚の話か、なるほど、と私は得心した。どう得心したのかと問われると、これも語りづらい。私たち人間は豚であり、豚は人間である、強く共生関係を持ちながら我々は融合している、と、ふと語りたいように思う。そうワトソン氏も語っているようにも見える。
 だが必ずしもそうではない。オリジナルのタイトルが「The Whole Hog(豚のすべて)」(参照)であるように、本書では豚について各種の側面がバランスよく語られている。必ずしも邦訳のように「思考する豚」だけが語られているわけではない。もっとも、"The Whole Hog"は洒落でもある。"Why not go whole hog?"(徹底してやらないのか)というように"go whole hog"という慣用句をもじっている。
 作品は2004年出版。ワトソン氏の60代半ばの作品と言ってよいのだが、読みながら、壮年の颯爽した相貌と語りを知っている私には、なつかしい口調だと思いつつ、老いたのだとも思った。欠点というほどでもないが、書籍としてそれほどうまく構成されていない。テーマが十分にフォーカスされていない。抄訳ということはないかとも疑問にも思った。
 なぜ豚なのか。表面的に読み取れるのは、彼がアフリカで過ごした子供時代や青年時代の豚との友情を語りたいということがあるだろう。豚を愛した人間の思いというものが、まず根底にあり、それから各種の知識や最新の研究が取り寄せられる。いつもながら体験を通して生き生きとしたワトソン氏の感性が語られる。
 フォーカスがぼけるのは、豚について家畜化を単純に嘆くわけでもなく、野生の豚との友愛だけを語りたわけではないためだろう。豚(つまり猪)についてある全体性を描きたいのだろうが、それほどにはうまくいっているわけでもない。読者によって本書の価値を見いだす点は異なるだろうとしても。
 私が面白かったのは、近代史と豚の関係だった。特に米国史とは家畜豚の歴史でもあったのかと得心した。ある程度わかっていても、その側面をきちんと取り上げられてみると驚くものがある。米国の開拓時代というと、大草原の小さな家の映像ではないが、農家が穀物や家禽・牛を飼育するというイメージがあるが、現実の中心に来るのは豚であった。塩漬け豚肉は戦争などのための重要な食料でもあった。ウォールストリートの壁が豚の囲いであったというのも正解かもしれない。
 フリードリヒ・エンゲルスの暮らしたイギリスでも豚に満ちていたようだ。考えてみれば、西洋史もまた豚の歴史である。遡って、スペインが活躍する大航海時代でも、船に載せていたのは豚だった。そうした興味深いエピソードの合間に、コロンブス以前、新大陸に西洋人が持ち込んだものではないらしいユーラシア種の豚がいたという奇妙な話もある。
 豚がどのように家畜化されたか。人類との関わりはなんであるか。当然考察が及んでいるのだが、そのあたりは往年のワトソン愛好家としては少し物足りなさを感じる。科学的にはまだ未踏の領域なのだろう。豚は人間と同様、甘いものと酒を好む社交性豊かな動物、という注目点にさらなる考察があればと思う。
 人間と豚が他の種とくらべて雑食であるという視点は本書では重視されている。雑食というと、「雑」という言葉からしておおざっぱな印象を受けがちだが、実際には逆だ。雑食の動物というのは、何が食えるのか、またどう食うのかということに、感覚を研ぎ澄ませ、知性・知識を働かせなくてはならない。豚の嗅覚の発達もそうした一環だ。関連の話で、なぜ豚でトリュフ探しをするのかというエピソードもあり、私は知らなかったのだが、トリュフは豚にとってフェロモンのような臭いを出すらしい。トリュフのほうも豚がそう誤解するように進化したらしい。人間も豚と同じくここでもそうかもしれない。
 ワトソン氏を継ぐサイエンスライターがこうした問題を掘り下げてくれたらいいなと思いつつ、それができたのがワトソン氏だけだったのかもしれないとも思った。最終部に、さらりとhsp90(参照)が突然変異を緩和するメカニズムに触れている。本書にはいわゆる「シャペロン」としては出てこない。この話題の行方なども、スティーヴン・ジェイ・グールド氏とは違った方向で、ワトソン氏の話で詩情豊かに読みたいものだとも思う。それはもうかなわない。彼自身はその大枠は示したものとして去っていったのかもしれないが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010.05.07

フィナンシャル・タイムズ曰く、鳩山首相は普天間飛行場問題に歯を食いしばってチバリヨー

 鳩山首相が、4日、普天間飛行場撤去に伴う代替基地の沖縄県外移設公約を反故にし、前自民党政権による辺野古移設の修正案を飲み、沖縄県民に謝罪の一泊珍旅行を行ったが、これを世界はどう見ていたか。フィナンシャル・タイムズが早々に「Hatoyama’s retreat(鳩山の撤退戦)」(参照)の社説を上げていた。概ね、鳩山首相に好意的である。私の感想としては、フィナンシャル・タイムズの視点は、これまでの私の考えによく似ていて好感ももった。
 なぜ鳩山首相はこのようなヘマな事態に陥ったか。フィナンシャル・タイムズは責任が鳩山首相にあることを明確にしている。


Predictably, this is an entirely self-inflicted wound. Mr Hatoyama courted popularity during the campaign by promising to look again at the location of the Futenma air base.

予想通り、これは完全に自らが招いた損傷である。鳩山氏は、昨年の選挙の際、普天間飛行場移設見直しを約束することによって人気を得た。



But Mr Hatoyama did not need to re-open it. A deal had been painstakingly negotiated by the previous government to move the base from its noisy and dangerous location in the middle of Futenma city to a location elsewhere on the island.

しかし鳩山氏はこの問題の蓋を開ける必要はなかった。事は前政権によって、この基地を騒音と危険をもたらす普天間の市街地から、島の別地域に移転するよう、苦慮を重ね交渉されていた。


 フィナンシャル・タイムズにしてみると、鳩山首相はこの問題に首を突っ込む必要はなかったのに、人気獲得のために公約し、そして墓穴を掘ったのだから、まったくもって本人の責任でしょうということだ。
 もちろん、フィナンシャル・タイムズは、そうするなと言いたいわけではない。

Mr Hatoyama was, of course, within his rights to jettison the deal – even though to do so risked souring Tokyo’s relations with Washington.

もちろん、鳩山氏にはちゃぶ台返しをする権利はあった。それがたとえ、日米関係を気まずくさせる危険性を持っていたとしてもだ。

But he nixed it without having a workable alternative.

しかし、彼は実現可能な代替案もなく前政権の経緯を否定した。


 フィナンシャル・タイムズが言うように、鳩山首相には普天間飛行場撤去問題になんら代替案は持っていなかった。
 同紙では指摘されていないが、鳩山首相は最初から常駐無き安保というファンタジーに冒されていたようで、沖縄県外移設の具体的な打診に汗をかいた形跡はない。そこが沖縄県民にとってもっとも不信に思えるところでもあった。
 この先でフィナンシャル・タイムズは重要な指摘をしている。

This leads on to the central charge against Mr Hatoyama. He failed to understand the nature of the US presence in Japan. Unlike the American bases in Germany, for instance, this is not a relic of the cold war. It is a counterweight to China in the Western Pacific and preserves a broader balance of forces in the region. Futenma may not be the keystone in this strategic architecture. But it should not be cast away for electoral plaudits.

この失態で責めの主役を担うのは鳩山氏である。彼は在日米軍の本質を理解し損ねた。比較するとわかるが、在独米軍とは異なり、在沖米軍は冷戦の名残ではない。太平洋西部における対中国の抑止力であり、この地域の軍事力の境界のバランスを取るためにある。普天間飛行場については、その戦略的な要所とまではいえないだろうが、選挙受けのために投げ捨ててよいものではない。


 フィナンシャル・タイムズはここで、意外に重要なことを二つ言っている。一つは在沖米軍は冷戦時代の残滓ではないということだ。これは在比米軍撤退で中国が海域を拡張したり、中国とヴェトナムで戦闘を起こしたことなどから考えても理解できる。
 もう一つは、在沖米軍が重要でもあるにもかかわらず、普天間飛行場については、この軍事戦略上、それほどまでに重要とはいえないという点だ。普天間飛行場はこの地域の米軍の戦略上のキーストーンではない。
 在沖海兵隊の存在理由は兵の訓練であって、特にヴェトナム戦争時以降、熱帯・亜熱帯のジャングル線の訓練場として重視されてきた。だが、現在の在沖海兵隊にはその点が以前ほど重視されているわけではない。7日付け朝日新聞記事「徳之島への移転、米側「訓練は可能」 実務者協議で伝達」(参照)で米側が伝えたように「ヘリコプター部隊の訓練を鹿児島県徳之島で行うことは可能」ではある。
 しかも、訓練駐留の在沖海兵隊が実動するためには、梅林宏道氏が「情報公開法でとらえた沖縄の米軍」(参照)で示したように、米軍佐世保基地の強襲揚陸艦を使わざるを得ない。しかも、1万2000人の在沖海兵隊のうちの速戦可能な地上戦闘部隊は1000名ほどと見られている。さらに普天間飛行場は嘉手納飛行場の四分の一以下の面積であり、常駐しているのは十数機の固定翼機と三十数機ほどヘリコプターだけであって、これの体制で行える戦略には限界がある。
 おそらく現行体制で想定される必要性は一種の小規模な奇襲戦のようなものであろう。関連して想起されるのは、2004年に遡るが「米国は台湾への軍事支援を強化してきている: 極東ブログ」(参照)で触れた当時の「ジェーンズ・ディフェンス・ウイークリー」の関連記事「The year to fear for Taiwan: 2006」(参照)だが、この記事では奇襲の主体は嘉手納米空軍であり、在日海兵隊については「Call in the US Marines?」として二次的な動きとして岩国に基地などを含めた作戦となっている。
 在沖海兵隊が台湾有事の作戦を持っていないということではない。2005年の読売新聞記事「在日米軍沖縄海兵隊 戦闘部隊は移転困難 米が伝達「中台有事の抑止力」」(2005.6.30)からはその一端が窺える。

 米政府が在日米軍基地再編協議などで、中国軍の特殊部隊が台湾を急襲する事態を「中台有事の現実的なシナリオ」と説明したうえ、「在沖縄海兵隊の戦闘部隊は、中台有事の抑止力として不可欠であり、削減や本土移転は困難だ」と伝えてきたことが29日、明らかになった。これを受け、日本政府は、在沖縄海兵隊について、戦闘部隊以外の後方支援部隊などの削減を求め、米側と協議している。
 外務省などによると、在沖縄海兵隊は約1万8000人で、その多くが戦闘部隊とされる。現在は約3000人がイラクに派遣されている。艦船やヘリコプターと一体となった「海兵空陸機動部隊」として即応態勢を取り、1日程度で台湾に展開する能力を持つという。
 米側の説明は今春、日米の外務・防衛当局の審議官級協議などで伝えられた。
 それによると、中台有事のシナリオとして、中国軍が特殊部隊だけを派遣して台湾の政権中枢を制圧し、親中政権を樹立して台湾を支配下に収めることを想定。親中政権が台湾全土を完全に掌握するまでの数日間に、在沖縄海兵隊を台湾に急派し、中国による支配の既成事実化を防ぐ必要があるとしている。数日以内に米軍を台湾に派遣できない場合、親中政権が支配力を強め、米軍派遣の機会を失う可能性が強いと見ているという。
 中国は、台湾に対する軍事的優位を確立するため、地対地の短距離弾道ミサイルやロシア製の最新鋭戦闘機を増強したり、大規模な上陸訓練を行ったりしている。ただ、こうした大規模な陸軍や空軍の軍事力を使う場合には、米国との本格的な戦争に発展するリスクが大きい。これに対し、特殊部隊を派遣するシナリオは、大規模な戦闘を避けることで米軍の対応を困難にし、短期間で台湾の実効支配を実現する狙いがあると、米側は分析しているという。

 即戦力として見れば、在沖海兵隊の三十数機ほどで済む話である。当初上がっていた嘉手納統合も無理ではない。
 ここで疑問が湧く。台湾奇襲のそのためにだけ、大規模な代替の新規飛行場が必要になるのだろうか?
 違うだろう。そうではなく、この数年の間に、新基地を前提に在沖海兵隊の意味づけが変化しているのでないだろうか。それを窺わせるのは昨年11月の東京新聞記事「日本有事の米作戦判明 『統合困難』一因か」(2009.11.19)である。

 日本が武力侵攻される事態を想定して、米軍が沖縄の米空軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)に航空機約八十機を追加し、また米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)に三百機のヘリコプターを追加配備する有事作戦計画を立てていることが分かった。普天間飛行場の移設問題をめぐる日米の閣僚級作業部会で、米側は統合案をあらためて拒否したが、その軍事的な背景が明らかになった。
 日米軍事筋によると、米空軍は日本有事に対応して戦力増強する計画を立案。嘉手納基地へは米本土からF16戦闘機、空中警戒管制機(AWACS)、空中給油機、輸送機など約八十機を追加配備する。
 現在、嘉手納基地には第十八航空団のF15戦闘機五十四機をはじめ、米海軍のP3C哨戒機など約百機が常駐するため、有事には倍増することになる。
 また米海兵隊は有事の際、普天間飛行場に兵士を空輸する大型ヘリコプターなど三百機を追加配備する。現在、同基地のヘリは約五十機のため、実に七倍に増える。
 空軍と比べ追加機数が多いのは「機体が損傷したり、故障しても修理せず、別の機体を使うとの説明を受けた」(同筋)としている。
 これらを嘉手納基地一カ所にまとめると、基地は航空機やヘリであふれかえる。米側は「離着陸時、戦闘機の最低速度とヘリの最高速度はともに百二十ノット(約二百二十キロ)と同じなので同居すると運用に支障が出る。沖縄にはふたつの航空基地が必要だ」と説明したという。
 米軍が想定した有事は、米軍と戦力が互角だった冷戦時の極東ソ連軍による武力攻撃事態だ。台湾有事や朝鮮半島有事でも、追加配備の重要性は変わらないとされる。
 そうした有事が起きる確度は極めて低いが、米軍は有事を主軸に基地使用を計画するという。

 「これらを嘉手納基地一カ所にまとめると」という点が重要だ。有事において「沖縄にはふたつの航空基地が必要だ」ということだ。
 見方を変えると、在沖海兵隊が関わるとはいえ、在沖海兵隊基地の地域的な特性よる即応態勢が重視されるというより、嘉手納空軍基地のいわばバックアップ体制が取れることが、新設基地に重要になるということだ。
 このことはある程度年配の沖縄県民なら現国道58号線が米軍統治下でHighway No.1あった時代を思い出すだろうし、このバックアップ体制については、普天間飛行場撤去問題に関連して名護に新設軍民共用空港の案としても出された経緯もある。那覇空港が自衛隊と共有されているのと似たイメージなり、新設米軍基地であるが同盟国としての立場が明確になる。
 話が込み入ってきたが、この大規模な有事体制は米軍内では想定されているものの、日本側でどのように対応するのか、安保条約上の位置づけはどのようになるのかわからない。日本国民にはほとんど知らされていないに等しい。今回の鳩山首相の辺野古移設容認によって、この問題が実質隠蔽化されるかもしれない。
 現状の在沖海兵隊普天間飛行場だけ考えれば、重要性はフィナンシャル・タイムズが喝破したようにさほど高いものでもなく、鳩山首相が常駐無き安保というファンタジーに冒されていなければ、今回の騒動は日本国民に有事のあり方と問いつつ、沖縄県民の負担を低減する機会となったはずだ。その機会は再び訪れるだろうか。また、有事体制について日本人が考慮する機会は来るだろうか。
 フィナンシャル・タイムズはそこまでは考えていない。5月末までに決着するという一国の首相たる約束を守れとするだけだ。

But as he promised to resolve the Okinawan base by the end of this month or quit, he must grit his teeth and press on.

ことがどうであれ、鳩山首相が今月末までに沖縄基地問題を解決すると約束したのだから、歯を食いしばってその断行にチバリヨ-。



Mr Hatoyama is learning on the job, and it is a painful process. If he is sustained by anything at the moment, it is that the opposition Liberal Democratic Party seems to be disintegrating. A more competitive political contest in Japan would force him to raise his game. That would be most welcome.

鳩山氏はようやく首相の職務を学びつつある。それは痛みを伴う仕事なのだ。もし現時点で彼を支えるものがあるとすれば、それは野党自民党がグダグダになっていることだ。日本により対立する野党があれば、戦わなくなくてはならないはずだ。そうなれば好ましいのだが。


 フィナンシャル・タイムズは野党の不在が、鳩山首相のグダグダ状態を許していると言う。確かな野党が日本にあるだろうか、そう称する政党は除外して。
 今年の首相は終わり、来年は誰だというのでは、大国日本としてはなさけない状態かもしれない。フィナンシャル・タイムズもそう考えているのだろう。民主党をきちんと立ち直させる野党が望まれるということだが、さて、その兆しを秋頃に見ることができるだろうか。

| | コメント (11) | トラックバック (1)

2010.05.06

若いときにやってみるとその後の人生観が変わるかもしれない、多少些細な3つのこと

 若いときといっても、18歳くらいから28歳くらいまでかな。それより前やそれより後だと、ちょっと意味が違ってきそうなので。
 他の人もこの手の話を言っているかもしれないけど、あまり聞いたことがない。些細なことではあるし、人によっては人生になんの影響も与えないかもしれない。それと、簡単にできるとまでは言い難い。まあ、能書きはいいや。

1 車いすに乗って半日町を巡ってみる
 車いすを借りて、しかもサポートしてもらう人がもう一人か二人必要になる。私のお勧めとしては、二人で車いすを一台一日借りてきて午前午後と一日かけてみるといいと思う。交通機関を使うのも目的の一つみたいなものだから、半日で無理なく行ける行き先を決めるといいだろう。
 やってみると、驚きの連続だと思う。世界がまるで違って見える。そして、路上の小さな段差がどれだけ車いすを困らしているかもわかる。
 こういう体験学習、誰かすでに組織的にやっているだろうか。健常者が体験的にすると障害者からは「ふざけんな」と怒られてしまうだろうか。そのあたりはよくわからない。社会の人に迷惑をかけないようにするほうがよいには違いない。
 一度やってみると実際に車いすの人を補助することにも慣れる。あと、東京駅には車いすの人向けの地下通路みたいのがあるので、通ってみると都会の見方が変わる。

2 目をつぶって手を引いてもらって1時間くらい歩いてみる
 まったく見えない状態で町を歩いてみると驚きが多い。もちろん、一人で目をつぶって歩くわけにもいかないから、誰かに手を引いてもらうことになる。そこが少し難しい。目隠しとかすると、危ない人たちに見られるから、目立たないように濃い目のサングラスかなんかしたくらいがいい。
 町を歩くことは自動車や自転車もそうだけど、それだけでいろいろと危険が多い。目が見えないと、とても敏感になる。こんなにも危険に満ちているのかというのが、目をつぶっているとじんわりわかってくるし、率直にいうと、人によっては恐怖のパニックに襲われる。普通の人でも怖くて1時間が限度だと思う。だから、その意味ではあまんりおいそれと勧めることはできない。
 手を引いてもらう人には絶大な信頼を寄せることになる。信頼というのは、手のぬくもりなんだというのが、実感としてわかる。それがいいことなのかねと問い返されると、ちょっと困るけど。

3 男子だったら女装してみる、女子だったら男装してみる
 お変態のお勧めではないですよ。若い内に一度やってみると、その時もいろいろと思うことがあるし、その後、いろいろ思うことがあるようになる。どう思うかというのを、もうちょっと説明してもいいのだけど、やってみて、人生の中で思ってみたほうがいいと思うのでそれはそれだけ。
 これも一人ではできない。二人でもちょっと無理かな。ある程度洒落と理性を持ち合わせたグループ(実際にはその両方を兼ね合わせた人は少ないもんだけど)でやってみるといい。なので、夜かな。当然、仮装パーティみたいな明るいノリで。私もそうだったけど。
 そちらの世界に目覚めてしまうという、リスクもあるかもしれないけど、たぶん、それほどのことはないと思う(目覚めたから困るいうものでもないが)。
 服装に関しては、へぇ、異性の日常というのはこういうものかと思う。それ以前に、仕上がった姿を当然鏡で覗くわけだが、意外にも普通に見えるはずだ。下手なメイクでなければけっこう普通に異性がいる。
 男女の顔の差というのは、若い頃にはあまりない。老人になってもあまりないけど。性差が顔にくっきりしてしまうのは、30代から50代くらいではないかな。
 鏡に映った、異性に扮した自分の顔のなかにいろんな人が見える。異性を理解するということより、ヒトというもののなかに男女の様々な要素が含まれているのだと見ることは、奇妙だけど重要な発見になる。

| | コメント (10) | トラックバック (1)

2010.05.05

鳩山さんが首相であり続けることが国家安全保障上の問題

 驚いた。鳩山首相にはまだまだ驚かされることがあるに違いない、動顛するなよ、と気を張っていたというか、逆に脱力し切って連休だし食い物ものことでも考えつつ見守っていたのだが、すごいことになった。瞼を閉じたのではないのに視界に鉄板のブラインドがずんと落ちてきて、日本の未来なんにも見えない状況に陥った。我ながら修行が足りない。
 何に驚いたか。普天間飛行場撤去問題を自民党案の修正に戻しますごめんなさい、ではない。そんなことは、昨年の政権交代選挙の一か月前に「民主党の沖縄問題の取り組みは自民党同様の失敗に終わるだろう: 極東ブログ」(参照)に予想していたことだ。沖縄県外移設をまともに探ぐってないツケでやっぱりダメでしたが徳之島に一部名目上の移設はしますから許してね、でもない。その手の論法は、「オバマ米大統領が民主党鳩山首相にガッカリしたのがよくわかった: 極東ブログ」(参照)でわかっていた。驚いたことは、この人、国家安全保障がまるでわかっていないのだということだ。こういう人を日本国民は日本国の長に就けちゃっただんだということだ。
 今朝の大手紙社説では日経だけがその片鱗に気がついていた。「首相は在日米軍の役割を明確に説け」(参照)より。


 やはりそうだったのか、と思わざるを得ない。就任当初、米海兵隊が沖縄に必ずしもいなければならないとは思っていなかった。鳩山由紀夫首相はそう認めたのである。
 首相は就任して以来、初めて、沖縄県に入り、米軍普天間基地の移設への協力を要請した。その後の記者団への発言である。
 普天間をめぐる8カ月近くの迷走を招いたのは、この問題を軽く扱った首相の認識の甘さだ。沖縄の米海兵隊が何のためにいるのか。回り道をしてようやく、そんな基本的なことに気づいたとすれば、お粗末というほかない。

 民主党小沢幹事長も民主党が政権与党になる前に日本に在日米軍は要らない、在日米軍ではない第七艦隊だけでよいとぶち上げたことがあるし、連立与党の社民党の党是は言うまでもない。が、民主党が政権与党となり、日米同盟を担う主体となっても、鳩山さんの頭の中は安易な常時駐留なき安保のままだったのだ。常時駐留なき安保にどれだけの日本の負担が必要かとか考えたこともない人には、どうしようもないファンタジーであることがわからない。
 日経新聞社説も、鳩山首相「就任当初」として、きちんと限定して描いているが、昨日の鳩山首相の言動の経緯をみると、就任当初でその認識が終わっていたとはとうて思えない。しまった。私は鳩山さんを甘く見ていた。
 昨年12月の会見を私は鵜呑みにしていた。2009年12月16日付け朝日新聞「常時駐留なき安保は「封印」 鳩山首相」(参照)より。

 鳩山由紀夫首相は16日、在日米軍の整理・縮小をめざした「常時駐留なき安保」について、「かつてそういう思いを持っていた。総理という立場になった中、その考え方は今、封印しないといけない」と語った。首相官邸で記者団の質問に語った。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設をめぐる対応と持論とは無関係と強調したかったとみられる。

 やられた。封印を真に受けてしまっていた。ここまでの沖縄問題迷走の経緯を顧みると、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設をめぐる対応と持論とは無関係」どころではなかったのだ。記事はこう続く。

 一方、首相は「日本の将来、相当長期的な50年100年という中で、他国の軍隊が居続けることが果たして適当かどうかということは当然ある」とも述べ、問題意識は持ち続けていることも明らかにした。

 その問題意識とやらのままで普天間飛行場撤去問題を考えていたから、ここまで迷走できたのだ。つまり、「常時駐留なき安保」論を軸にこの問題を鳩山首相は考えていたとみると、この間の迷走が理解しやすい。そうだったのか。なんで本人から率先して沖縄県外移設に手を染めないのかとやや疑問に思っていたが、最初からその気はなく、国内移転は念頭になかったのだ。
 昨日は鳩山首相自身が考えの浅薄さを認めた。朝日新聞「「公約は選挙の時の党の考え方」4日の鳩山首相」(参照)より。

 ――抑止力、日米同盟の重要性を話したが、それは去年の時点ではそのような認識が浅かったと言うことか。県民への十分な説明になっているか。

 「あの、私は海兵隊というものの存在が、果たして直接的な抑止力にどこまでなっているのかということに関して、その当時、海兵隊の存在というもの、そのものを取り上げれば、必ずしも、抑止力として沖縄に、存在しなければならない理由にはならないと思っていました。ただ、このことを学べば学ぶにつけて、やはりパッケージとして、すなわち海兵隊のみならず、沖縄に存在している米軍の存在全体の中での海兵隊の役割というものを考えたときに、それがすべて連携をしていると。その中での、抑止力というものが維持できるんだという思いに至ったところでございます。それを浅かったと言われれば、あるいはその通りかも知れませんが、海兵隊に対する、その存在のトータルとしての連携の中での重要性というものを考えたときに、すべてを外に、県外、あるいは国外に出すという結論には、私の中でならなかったと言うことであります」


 こんな浅薄な人をまがりなにも大国日本の長に就けるべきではなかったなとは思うが、それでもここで考えを改めるならしかたないだろうとも思った。つまり、このくらいまでは鳩山さんがやりそうなことだとは思った。そしてそういう考えもきちんと順序立てて展開していくならわからないでもない。私の視界がブラックアウトしたのはこの先だ。
 読売新聞以外のソースでは確認できないので飛ばしなのかもしれないが、読売新聞記事「首相、沖縄負担軽減で米の理解度疑問視?発言」(参照)がそれだ。

 鳩山首相は沖縄県宜野湾市で開いた4日の住民との対話集会で、沖縄の基地負担の軽減について、「オバマ大統領として、あるいは米国がどこまで理解しているか、まだ判断がつかない」と発言した。
 「『沖縄の負担を軽減させるために協力してもらいたい』と(米側に)言ってきた」と強調した後に飛び出した。米側の沖縄に対する取り組みに疑念を呈したとも受け取られかねず、今後波紋を呼ぶ可能性がある。

 この人、気は確かか。
 自民党案の劣化修正版の辺野古移設案を持ち出したのは、米側との打診なりで行けそうだという判断の上で沖縄県民に飲んでもらうとしたわけではないようだ。鳩山さんの、またしても勝手な思い込みの「トラスト・ミー(僕を信じてよ)」を今度は沖縄県民に相手やってのけただけなのだ。相手のことは何も考えていない。
 しかも国家安全保障に関わる問題を、妄想と言ってもよいのではないか、個人的な思いで突っ走っている。こうした国家指導者の言動が国家安全保障にどういう帰結をもたらすかということが、この人の頭の中にはまるでない。ブラックアウト。
 端的に言うが、鳩山首相のごめんなさい案でもだめなのはもう明白である。米側は同盟国日本を慮ってそれなりの体裁は整えてくれるかもしれない。つまり、名目上の徳之島移転のパフォーマンスくらいはしてくれるかもしれない。が、実質的に徳之島案はダメだというメッセージはすでに出ている。
 辺野古移設案はどうかというと、これも米側が飲む可能性はゼロではないが、きちんと地元を説得し環境アセスメントを地味に重ねてきた自民党案に比べると、その点では愚劣きわまる代物だ。鳩山案と見られる、米軍キャンプ・シュワブ沖合の浅瀬に杭を打つ桟橋方式(QIP方式)で滑走路を造る「浅瀬案」だが、これは環境を配慮したかのように鳩山首相は吹きまくっているが、環境を配慮するというなら、埋め立て案と比較し、以前廃案にされた経緯や運用面での再評価をするはずだが、それがない。
 ないのは当然で、QIPが出てきたのは、これなら沖縄県知事の認可を必要としないからだ。民主党田村耕太郎議員がぽろりと本音を漏らしているが(参照・YouTube)「最初から聞くから間違いだった」という脅しがきくからである。杭打ち桟橋方式で行くということは、国が沖縄県に頭ごなしで、戦前の日本のようにやりますよという宣言なのだ。多少なりからくりが読める沖縄県民がどう思うかは言うまでもない。
 この問題は仲井真沖縄知事の立場に立つとさらに明瞭になる。仲井真知事は当初は自民党案の辺野古移設に基本的に賛成の立場でいた。前提は、島袋吉和前名護市長もこれまでの経緯を踏まえ条件付きではあるが辺野古移設を認めていたと見られるからだ。だから、仲井真知事は名護市長選挙前に「名護市が受け入れてを表明している間にきちっと移設した方が現実的だということで私は県内移設やむなしという考えだ」(参照)という見解を出していた。
 辺野古移設反対派が名護市長となれば、いくら名護市辺野古沿岸部の公有水面埋め立ての許可権限が県知事にあり、名護市長が反対でも法律上建設は可能だとしても、沖縄県民の感情を考慮すれば名護市長に頭ごなしにはできない。それをすれば過去の経緯を見ても、県知事のほうが吹っ飛ぶことになる。実際、沖縄県知事選はこの秋に迫っており、反対派の稲嶺名護市長が選出された以上、仲井真知事は、いくら鳩山首相のごめんなさい辺野古移設案であっても、もう身動きは取れない。
 このこと、つまり辺野古移設案に落ち着くくらいなら、名護市長選挙前に手を打たなければならなかった。民主党内でもある程度はわかっていたことだった。だから今年1月に名護市長選挙が行われる前の昨年年内中に決断しなければならないという話の流れにしていた。マスコミ報道ではいかにも米側が期限を急かしたかようだが、米側としてはむしろ民主党を配慮して悪役を買って出たふうでもあった。
 さらに、政権交代後間を置かないという期限を切ることで、マニフェスト違反となっても、自民党政権がしたことだし、相手のある外交上の約束として時間が足りず動かせなかった、と言い訳する予定でもあった。いわゆる怪獣「ジミンガー」に三分間限定で蹴りまくりスペシウム光線を充てて済ませるはずだった。
 鳩山首相もこのころは、普天間の問題でマニフェストを変更することはやむを得ないかという問いに、「公約が時間というファクターで変化する可能性は否定しない」と面白いことを語り、ウルトラマンのかぶり物くらいはこなせそうには見えた。だが、「米国には早く結論を出してもらいたいとの思いはあるだろうが、日本には日本の事情がある。名護市長選と沖縄県知事選の中間くらいで、結論が必要になってくる」(NHK10月17日)とまで語り、今日の迷走のグランドデザインを描き出した。
 なぜ鳩山首相は、普天間飛行場の撤去問題を先延ばししたのだろうか。クルクルパワーが炸裂したからだろうか。私は、昨日はっと思ったのだが、このころまできちんと鳩山首相の頭には「常時駐留なき安保」があったからではないか。だから、辺野古移設反対派の名護市長を立たせて、それを援軍にして、自民党案を支持する米国と沖縄県を押し切ろうとしていたのではないか。意外ときちんとオペレーションズ・リサーチの計算をしていたのかもしれない。ただ、残念ながら、政治家としては無能だったからこの結果になった。そしてその無能は国家安全保障上の問題を惹起してしまった。
 結局は、私がブラックアウトした「オバマ大統領として、あるいは米国がどこまで理解しているか、まだ判断がつかない」発言を再考すると、さすがに辺野古移設しかないということになったが、このあたりもまだ変だ。もしかすると、QIP+徳之島案を米国に飲ませようとして大芝居を打ったのではないか。昨日の「3000円のかりゆしウエアを着て沖縄問題を考えよう」日帰り沖縄旅行の真相はオペレーションズ・リサーチの再計算ではないか。しかし、だめだろ、それ。
 今後はどうなるか。
 鳩山首相は昨日のごめんなさいの後に尻を出して、でも公約違反じゃないと言ってのけていた。ああ、この人、またかの類だ。朝日新聞社「「公約は選挙の時の党の考え方」4日の鳩山首相」(参照)またYouTube(参照)より。

【公約違反の責任】
 ――(最低でも県外という)公約を覆したことの政治責任はどう考えるか。
 「公約、という言い方はあれです。私は、公約というのは選挙の時の党の考え方ということになります。党としては、という発言ではなくて、私自身の代表としての発言ということであります。その自分の発言の重みというものは感じております。ただ、やはり、今、先ほどから申し上げておりますように、普天間の危険性の除去と、それから沖縄の負担の軽減というものをパッケージで考えていくときに、どうしても一部ご負担をお願いせざるを得ないというところ、これからもしっかりと皆さん方との意見交換の中で模索をして、解決をして参りたいと思っています」

 ダウト。
 今回のマニフェスト上は明記されなかったが、マニフェストの各論である沖縄ビジョンでは明記されている。2008年の「民主党・沖縄ビジョン」(参照・PDF)より。

民主党は、日米安保条約を日本の安全保障政策の基軸としつつ、日米の役割分担の見地から米軍再編の中で在沖海兵隊基地の県外への機能分散をまず模索し、戦略環境の変化を踏まえて、国外への移転を目指す


3) 普天間米軍基地返還アクション・プログラムの策定
普天間基地の辺野古移設は、環境影響評価が始まったものの、こう着状態にある。米軍再編を契機として、普天間基地の移転についても、県外移転の道を引き続き模索すべきである。言うまでもなく、戦略環境の変化を踏まえて、国外移転を目指す。
 普天間基地は、2004 年8 月の米海兵隊ヘリコプター墜落事故から4 年を経た今日でも、F18 戦闘機の度重なる飛来や深夜まで続くヘリの住宅上空での旋回飛行訓練が行われている。また、米国本土の飛行場運用基準(AICUZ)においてクリアゾーン(利用禁止区域)とされている位置に小学校・児童センター・ガソリンスタンド・住宅地が位置しており、人身事故の危険と背中合わせの状態が続いている。
 現状の具体的な危険を除去しながら、普天間基地の速やかな閉鎖を実現するため、負担を一つ一つ軽減する努力を継続していくことが重要である。民主党は、2004 年9 月の「普天間米軍基地の返還問題と在日米軍基地問題に対する考え」において、普天間基地の即時使用停止等を掲げた「普天間米軍基地返還アクション・プログラム」策定を提唱した。地元の住民・自治体の意思を十分に尊重し、過重な基地負担を軽減するため、徹底的な話合いを尽くしていく。

 沖縄に新基地を作成するというのなら、民主党の公約違反であろう。
 そして鳩山首相自身が「自分の発言の重み」と理解されているなら、辞任されるのが筋だろう。さらに、かつて自民党が首相のすげ替えをしてきたことに解散を求めてきた民主党のことだから、これで解散、衆院選挙をすべきだろう。しかもことは、郵政国営化や高速道路重税化といった各論ではなく、国家安全保障上の問題である。実際、隣国で戦争が勃発してもなんら不思議ではない状況になっている。この政権では国民が困る。幸い、国民もこの政権への期待は薄くなってきており、突然政権が空中分解してももう驚くほどのことはない。
 米国としてはもう鳩山政権の手の内はわかっていて、しばらく匙を投げるつもりでいる。普天間飛行場撤去は沖縄県民の悲願ではあるが、米国にしてみれば理解はしつつも他の選択はないし、元から損するリスクはない。問題の期限を切ったのは米国ではない。外交・軍事に関わる問題は安定政権や相手国の安全保障に定見ができてからでないと難しいから、少なくとも参院選後までは礼儀正しく沈黙を守るだろう。
 沖縄の今後どうか。米国とほぼ同じだ。夏の参院選と秋の沖縄県知事選が終わるまで対応を先延ばしにする他はない。鳩山首相から昨日示された案もただ、辺野古移設になるというくらいで実際のところなんら現実性はない。仲井真知事はすでに名護市長選挙で鳩山首相に梯子をはずされた手痛い経験もある。沖縄県側は迷走する日本政府の頭越しに米国との対話も進めてもいるようだ。5日付け「現行案視野に結論先送り=沖縄知事が米総領事に-選挙後の秋まで・普天間移設」(参照)より。

 外交筋によると、仲井真知事は3月18日、グリーン総領事と協議。この中で、普天間問題をめぐる日本政府の調整力に不信感を示し、「最終決定を秋の沖縄県知事選後に先送りする方向で打開策を模索するのが最善」との見方を示した。 
 また、政府が検討中の米軍ホワイトビーチ(うるま市)沖合への移設を提案するには、技術的な調査に「何カ月もかかる」と指摘。調査を理由に県知事選後まで決定を棚上げすることで、政治的混迷に冷却期間を置くことも可能だと説明した。
 その上で、9月に予定される名護市議選を含む一連の選挙が終了すれば、現行計画反対の立場で当選した稲嶺進名護市長を説得する時間も生まれるとの見解を伝えたという。同知事の意見はワシントンに報告された。

 実際、今後の展開はどうなるかは見えない。
 鳩山首相のこれまでの経緯を見れば、辞任して責任を取るという普通の人なら持ちそうな倫理の発想すらないだろうし、社民党も重大な決意をすることなく政権与党にしがみつきたいようだ。メディアとしてもこの話題にひとまず区切りをつけたことにして、上海万博でのにこやかな鳩山首相を映し出すのかもしれない。かくして日本の国家安全保障はじりじりと危うくなる。と、ここまで書いて、ようやく瞼の向こうにうっすら光景が見えるように思う。何が見えるかは書かないとしても。
 全体の流れからすれば、参院選では民主党は苦戦するだろう。それが普天間飛行場の撤去の問題にどう反映するか。今となっては鳩山政権が機能移転の名目で普天間飛行場の固定化する最悪の事態を、なんとか回避するくらいしか希望はないかもしれない。

| | コメント (26) | トラックバック (3)

2010.05.04

進化論的に見て人間は何を食べるべきか

 ダイエットには流行がある。その理由は、各種のダイエットがすべてヨーヨー・ダイエットを基本にしているからだと私は考えている。ヨーヨー・ダイエット? ヨーヨー遊びを思い描こう。円盤が手元から離れたり近づいたりする。それを繰り返す。同じように痩せたり太ったりを繰り返す。新種のダイエットをすると一時的に痩せる。そして戻る。だからまた新種のダイエットが必要になる。ヨーヨー・ダイエットだ。今度は何?

cover
The Paleo Diet
 「パレオ・ダイエット(The Paleo Diet)」(参照)かもしれない。パレオは、Paleolithic era(旧石器時代)の略語だ。石を削った石器を人類が使い始めてから農耕を開始するまでの時代。年代的には200万年前から8000年前くらいまで。要するに人類を人類たらしめる道具の使用開始から農業を営むまでの時代だ。非農業的な狩猟採集の時代でもあるし、人類が人類の身体を内蔵をの仕組みを含め、進化的に確立した時代でもある。
 別の言い方をしてみよう。人間が農産物を食うようになったのはたかだが8000年前。人間の身体の進化から見ればごく最近のこと。だから、人間の身体とくに内蔵は農産物を食うのにまだ適した進化をしていないんじゃないか? だから、人間らしい食い物というのは旧石器時代の食い物なんじゃないか。生肉とか。
 2月9日のAFP「ランチは生肉!「原始人ダイエット」にはまるニューヨーカーの日常」(参照)にこのネタがあった。

ウェブサイト管理で生計を立てるニューヨーカー、ブラッド・アベルブフ(Vlad Averbukh)さん(29)のランチタイムにフォークは不要だが、ナプキンは欠かせない。その理由は「血がしたたる」かもしれないからだ。


 ハドソン川(Hudson River)のほとりの公園で、本1冊分もの大きさにカットされた生の牛肉をほおばりながら、アベルブフさんは自分たち「原始人ダイエット」の実践者がいかに人類の時計の針を旧石器時代(パレオリシック・エラ)にまで巻き戻そうとしているかを説明する。「理論的には1万年前の祖先が食べていたのと同じものだけを食べよう、ってことだ。森の中で棒切れ1本で手に入るもの、っていうことだね」

 ネタだろそれ。生肉っていうけど家畜の肉は旧石器時代にはない。
 この変なダイエットはすでに米国である程度定着している。同書が出版されたのは2001年。概ね10年経過している。その間日本で話題になったか? あまりなさそう。
 それにしても生肉か、毎日タルタルステーキに馬刺しか。いや、実際のパレオ・ダイエットでは、農耕文明の基本である穀物を避け、さらに文明的な加工食品を避け、砂糖や塩を避けるくらい。そして肉や魚、果実をナッツなどを食べるということだ。あれ? なんか似たのあったよね。アトキンズ・ダイエットだ。日本では創始者の名前を避けるべく低インシュリンダイエットとか改名されたが、つまり、そういうこと。
 アトキンズ・ダイエットは正しいか。このダイエットはけっこう歴史があるのでいろいろ調べられている。あまりお勧めはできないが正しい面もある。精錬された穀物の食事はインスリンを上げやすく、人間の身体に負荷をかけやすい。というか、しいていうと人を快感に興奮させやすいのではないか。肯定的に考えるなら、糖質の消化速度を遅くするような食事が人間の身体に向いているとは言えそうだ。
 人間の身体に何が正しい食事か?
 これは食事法とかでよく議論されるお定まりのテーマだ。マクロバイオティックスなどでもこの手の話題が多い。いわく、人間の歯の構成を見よ。なにを食うようにできているか、と。そしてへんてこな議論が始まるがおそらく答えは、雑食。また、マクロバイオティックスはパレオ・ダイエットと対極的に穀物食が基本だが、いわくそれが人類の進歩の過程を意味しているというのだ。だから果実は食うなとも言う。まさかね。逆でしょ。
 かくして私もこの愚問をいろいろ問い詰めてみた。結果、私は四つの原理を考えた。FVDM(finalvnet's Diet Method)である。みんなも信奉するように(冗談)。

1 人間は飢餓耐久生物であるので食習慣は自己条件付け学習が重要
 旧石器時代が人間進化に強く影響したのは、飢餓耐久性である。人間はなかなか食えないのが常態である。そのために心理的には飢餓が恐怖、食事が快楽にセットされた。身体的にはエネルギーが備蓄できるように効率よく脂肪化するようになった。農耕時代とはおそらく飢餓と食の快楽を王権が配分する仕組みではないか。
 ということで、基本的に人間精神の根幹には飢餓を基本とした恐怖回避と快楽志向があるので、それを表層意識化させないように自己学習することが重要になる。単純にいえば、定期的な食習慣と過食阻止をいかに条件付け学習するかが重要になる。レコーディング・ダイエットも要するにこれ。

2 サル時代の特性から果実は抗酸化物質として必須
 旧石器時代以前の人間、というか、サル時代の特徴は、フルーツ・イーターであること。人間の原型は果実を食うサルであり、果実を食うことで身体を最適化してしまった。栄養学的には果実はミネラル補給の点で重視される。それ以外にサル時代の名残として人間は身体各所に抗酸化物質として果実や野菜の色素を溜め込むようにできている。典型的なのが目の中心部の黄斑。

3 人間の食事の大半は脳のためにある
 旧石器時代期間の人間の身体変化で他の生物と分けるもっとも大きな差違は、脳の巨大化であり、脳がかなりのエネルギーと調整物質を必要とすることになったことだ。まず、エネルギーの基本はブドウ糖である。ブドウ糖の欠如状態は脳の十全な機能を損なわせる。次に、脳が何でできているか、どのように機能しているかと考えると、それが脂肪の塊であり、脂肪酸を介した酸化反応であることがことがわかる。特にn-3系の脂肪酸が重要な働きをしているほか、アミノ酸も機能上重要な役割を持っている。単純に食として見れば、脂肪酸やタンパク質源の多様化として各種の魚を定量食うほうがよいだろう。

4 人間の食は腸内細菌との共生のためにもある

cover
免疫と腸内細菌
上野川 修一
 すべての生物についているが、生物は適者生存として進化してきているもの、その内実にはかなり込み入った共生の関係を結んでおり、人間の食も腸内細菌との共生から成立している。腸内細菌はビタミンB6、B12なども作り出すのでこの共生関係が保たれているなら、ビタミンの必須性の定義と矛盾するようだが、別途単独の摂取がなくても人間身体には摂取される。この他、腸内細菌は人間個人の免疫の機構と深い関わりがある。単純な話、便の半分の量は腸内細菌の死骸である。
 ここで食との関係というとプロバイオティクスからヨーグルトや発酵食品といったことになりがちだが、腸内細菌の生息は概ね宿主の免疫が管理しているので、食事といった外部の要素だけからは決定できない。また、いわゆる善玉菌がよく悪玉菌が悪いというわかりやすい議論でもない。
 ではなにか? 共生とは対話の歴史であるので、自分の食事と腸内細菌の反応の歴史を自覚するしかない。快便から食の構成をフィードバックしていくとよいのだろうが、精神状況も影響するのでそう簡単にはいかないかもしれない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010.05.03

マクロバイオティックス

 マクロバイオティックス? 日本ではマクロビオティックと呼ばれる。そのほうが正確なんだろう。創始者の桜沢如一氏はフランス生活の経験もありフランス語も堪能で、初期の信奉者もフランスに多い。おフランス風にジョルジュ・オーサワとも呼ばれていたくらいだから、マクロビオティックもフランス語読みなのではないか。綴りは、Macrobioticで、英語だとMacrobioticsと複数形になる。ちなみに彼の名前「桜沢如一」は正式には「さくらざわ・ゆきかず」と読むのだろうが、自身も「オーサワ」を認めたようだし西洋では「ジョージ」で通したのだから、「おうさわじょいち」でよいのではないか。
 マクロバイオティックスについてはいろいろ語られている。簡単に言えば、独自の食事法である。雑駁に言えば、菜食主義の一種である。いろいろ言いたい人が多い世界でもあり、実践していない人もいろいろ言っている。
 だが、それらの大半は誤解なんだろうと、厳格には半年くらいしか実践していない私自身は思っている。それら、って何んだよということだが、つまりマクロバイオティックスを食事法として理解ちゃうことだ。違うと思う。
 私はけっこう桜沢如一氏の原典を比較的多数読んだが、彼の思想の根幹は食事法でも食餌療法でもないと理解した。彼の主張は、簡素で健康になる食事法を学んだら、日本国民は世界に出て活躍しなさいというものだった。貧しい者でも、この食事法ならカネをかけず健康になり聡明になるのだから、と。食事法は彼の思想のごく基礎論でしかなかった。基礎こそ大切という考えもあるだろうが、逆に世界に羽ばたく日本人が多く育成できればむしろ、桜沢氏の理念にかなうものだった。この食事法の文脈でよく言われる身土不二(現地のものを食べなさい)というのも、日本人が世界各国に飛び出したら日本食材にこだわるなという意味である。
 桜沢自身氏の国際的な活動は戦前からだった。昭和4年(1929年)36歳でフランスに渡り、昭和10年(1935年)に帰国。フランスではフランス語で自著も出している。新渡戸稲造なんかに近い気風の人かもしれない。渡仏ということでは三歳年下の芹沢光治良にも似ている。調べてみると、芹沢がソルボンヌで学んだのは1925年から29年。桜沢がソルボンヌで学んだのはちょうどその後になる。
 帰国後は食事法の食養会活動をし、その縁で昭和13年(1938年)、夫人となる桜沢里真氏と結婚。両者ともに初婚ではなかったようと記憶するが資料は手元にない。如一45歳、里真39歳。晩婚でもあり子供はない。夫人のつてで桜沢は戦中は山梨に疎開していたらしいが、その時代医師法違反やスパイ容疑で逮捕・拘留などもあったらしい。顧みると、桜沢については正確な評伝がないように思う。
 戦後彼は世界政府活動を始め、昭和28年(1953年)には10年間の「世界無線武者旅行」なるものを企て、60歳にしてまた世界に飛び出す。日本人はなんであんな世界の端にへばりついているのだ、といった発言もあったように記憶している。実際70歳になるまで世界を飛び回っていた。まずは、インドやアフリカで飢えや病に苦しむ人を彼の食事法で救おうというのである。
 度肝を抜く人でもあった。自分の食事法でアフリカの諸病が救済できるという信念でガボン、ランバレネのシュバイツァー博士を訪問し、同地に滞在し、人体実験として自ら熱帯性潰瘍にかかり、マクロバイオティックスの食事法で治療した。シュバイツァー博士にその成果を説明したが、もちろんと言うべきだろう、正式な医師でもあった博士は納得するわけもない。私はそのアフリカ記を読んだことがある。壮絶なものだった。いかにして治療したか? 塩をそのままオブラートで飲み込むようなことをやっていた。なぜ? 彼には彼の理論があった。私には理解できない理論だったが。
 死んだのは1966年。念願の「世界精神文化オリンピック」を日本で開催した直後だった。72歳だった。それで長寿と言えるかと疑問の声もある。死因は卒中だと思っていたが、ウィキペディアを見ると心筋梗塞とある。死に至ったのは低タンパク質と塩分過多の食事のせいではないかなと私などは思うが、単に寿命ということかもしれない。マクロバイオティックスは、マクロ(大きな)とバイオ(命)ということでよく長寿と解されるが、桜沢にしてみれば、「大きな人生」であっただろう。実際それを演じて見せたということでは、まさにマクロバイオティックスな人生であった。
 私などは人間70歳まで生きたらいいじゃないかというくらいの考えしかないが、長寿を願ってマクロバイオティックスにいそしむ人にとってこの最期はどうであったか。その疑問をある意味で終息させたのが、里真夫人のその後の活動であった。1899年生まれの彼女が亡くなったのは、1999年。100歳だった。執念のようなものを感じないでもないが、温和で慕われる偉大なるゴッドマザーであり、彼女も自らの人生をもって長寿という意味でのマクロバイオティックスを証明した。もちろん、医学的にも栄養学的にも証明にはならないが。
 マクロバイオティックスが米国で広まったのは、桜沢氏の弟子久司道夫氏の活動による。ジョン・レノンとオノ・ヨーコも久司氏の指導のもとでマクロバイオティックスの菜食をしていた。日本で、私がマクロバイオティックスに関心を持ったころ、指導的な立場にあったのは、里真夫人は別格として、大森英桜氏であった。桜沢如一氏の独自の陰陽理論をさらに精緻に数例術に仕上げていた。姓名判断などもされていたし、景気変動も論じていた(けっこう当たった)。桜沢氏の国際的な側面は久司氏に、陰陽理論の側面は大森氏に分かれたかのようだが、彼らの名声を支えたのはどちらもその独自の治療経験にあったようだ。彼らに命を救われたという経験を持った人々は彼らを支えた。私はそういう経験はないが、菜食が定常的になると、晩年の河口慧海が俗人が生臭く感じられた気持ちも少しわかるようになった。
 じゃあ、なんでマクロバイオティックスなんかやったの? 信じてやっていたんじゃないの? そう誤解されても仕方ないが、私はまったく別の関心だった。キュイジーヌが面白いのである。
 なんとなく菜食を始めたころだが、ヴェジテリアンはどうしてもそれなりの調理技術が必要になる。もちろん、栄養学的な知識も必要だ。率直にいうけど、栄養学的な基礎知識がない人が、マクロバイオティックスを鵜呑みにしてしまうのは場合によっては危険かと思う。よく言われるのがヴェジテリアンはビタミンB12不足になりがちだというのがある。B12は腸内細菌が合成できるが、消化器官の弱っているヴェジタリアンや幼児で不足が起きると貧血を含め深刻な問題を起こすことがある。B12は海草類から取れるが、海草から摂取できるB12については健康維持に十分かどうかは確立されていないので(参照)、サプリメントなどを併用したほうがよいだろう。

cover
マクロビオティック料理
 久司氏の系統のキュジーヌはおしゃれだった。説明すると長くなりそうなので省くがセヴンスデー・アドヴェンティスト、日本では三育の系統の食事とかぶるものが多い。いかにも米国風のヴェジテリアン料理もできる。
 日本では食養会の系統を持つ食品なども面白かった。日本は戦前・戦中、発酵食品の製造を簡素化したのだが、この系統の人たちは古い製法を守っていて味噌や醤油はなるほどということが多かった。梅干しもきちんと作っていた。食材には、ひろすけ童話を思わせる栃の実とかもあった。美味しかった。さらにマクロバイオティックスの日本的な展開には伝統的な精進料理の系統の料理技法も含まれていることもある。こうした系統からだけ見ると、マクロバイオティックスは和食の伝統を生かした料理とか、日本古来の食の知恵とかに誤解されがちだ。
 マクロバイオティックスのキュジーヌの点でもっとも独自なのが、里真夫人によるものだった。そして、おそらく最も桜沢氏の考えに近いオーソドックスなものでもあるだろう。彼ら夫妻が戦後世界各国を巡ったその地の庶民の食材や調理が反映しているのである。まさにグローバル料理である。その集大成ともいえるのが桜沢里真著「マクロビオティック料理」(参照)である。簡素に記載され、写真も白黒で少なく現代の視点から見るとたわいないかもしれない。初版は1971年に出た。桜沢如一氏が死んで5年という時代を感じさせる。明治天皇の御製も引用されているが特段に天皇主義者ということではない。時代というだけのことだ。

 この度の新食養料理は故桜沢とともに欧州に十四、五年、その間米国を四、五回訪問して研究したのですが、その国々での産物や、それぞれの嗜好等を考えて作ったものであって、主として、私のつたない創作料理であって食養的に作ったものばかりです。

 マクロバイオティックスの言うところの病人向けには適さない料理もあるとこのことだが、実際にレシピを見てみると、ヴェジテリアンのようにも思われるマクロバイオティックスだが魚料理も含まれている。
 マクロバイオティックスの料理の調理人にはある種独自の達人のような人がいて、その料理の味わいには精神的な畏れのようなものを感させる何かがある。幸いにして、そんなものに出会うことはほとんどない。そういうものに出会うことがなければ、マクロバイオティックスって変わった考えの人たちの作った料理で過ぎてしまうものだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010.05.02

リーゾ!

 ご飯はミルキークイーンしか食ってないんだと言うと、なんだそれと問い返される多かったが、一度、美味しんぼと同じだねと言われたことがある。そういう話があるらしい。あの漫画、初回から5年くらいは読んでいた。だから山岡さんは私より一つ年上だというのも知っている。読まなくなって久しい。
 私の定番のお米の銘柄はミルキークイーン。この10年間ずっと変わらない。こればかり食べているせいか、他の銘柄のご飯を食べるとパサッとしてちょっと違和感がある。ミルキークイーンが一番美味しいお米だと言いたいわけではなく、自分には食べやすいというくらい。冷や飯にしても、冷凍しといたのをレンジ再加熱してもそれなりに美味しいのがミルキークイーンの特徴だ。
 ミルキークイーンを食べるようになったのは、沖縄暮らしでニッセン通販を使っているとき、お勧め特集にあったのがきっかけだった。10年以上前になる。よく覚えていないが珍しいお米らしい。珍しいと聞くと私は中国人みたいに関心をついもってしまう。買ってみた。炊いてみて驚いた。炊きあがりの香りがよく、餅米ではないが餅米のようにもちっとして、米自体もうまい。ご飯だけ食ったほうが美味しいんじゃないかとも思えたほどだった。
 ミルキークイーンはしばらくその通販で買っていたが、ニッセンが食品販売試行をやめてしまった。さてどうしたものかと探し、農家からしばらく直接買っていた。当時は、ミルキークイーンはあまり流通してなかったみたいだ。その後、スーパーでもちらほらと見かけるようになった。他の通販でも買えるようになった。最近だとだいぶ安くなったし、それほど珍しいということもなくなった。
 ところで、私はご飯が好きではない。ミルキークイーンを選んで食べていてご飯が好きではないはないだろ、という感じもするが、正直なところだ。ご飯は一日一食、お茶碗に一杯食べればもう十分。子供の頃からおかわりとかしたことない。丼飯も大盛りだと途中からつらくなる。ご飯が三食続くとうんざりしてしまう。一、二週間ご飯をまるで食べないこともある。なんともない。
 海外旅行で数日すると、白いご飯が食べたいと言い出す人がいるが、私はそんなこと思ったこともない。一人暮らしを初めたとき、何が一番嬉しかったかというと、家の食事から解放されたことだ。ご飯を義務的に食べなくてもいいんだとほっとした。
 ちなみに、一人暮らしを始めた頃もう一つ嬉しかったことは、これで肉食をしなくていいんだということだった。私は生き物を殺して食うというのが、大人になっても違和感があり、いっそヴェジタリアンになりたいものだと思っていた。それが高じてマクロバイオティックスとかやり出した。不思議なもので、ご飯嫌いが玄米食になっちゃったのである。雑穀もよく食べた。とはいえ、厳格なマクロバイオティックスのピーク半年くらいだったか。

cover
Chicken Soup with Rice
 いろいろわけあってしだいに肉食に戻った。ある程度戻ると反動なのか、まだ30歳台前半であるし、台湾料理やフランス料理で内臓料理とかガツガツ食うようになった。そのあと沖縄に行ったので当地の内臓料理なんかも別段違和感もなかった。中身汁、ソーキ汁、山羊汁、てびちのおでん、ミミガーさしみ、ヤギ刺身、OK・OK・OK牧場。多少珍しいタイプのナイチャーに見えたらしい。
 玄米食からの離脱と肉食回帰で、またご飯は苦手に戻ってしまった。そしてどこがどうなったのか、ピラフやチャーハンどころか、リゾットやライスサラダ、ライスプディングとか、なんというのか、お米を虐待するようなものをことさら好んで食べるようになった。思い出すと以前からローストチキンのスタッフィングのライスとかも好きだった。知人とバリ島でメイドさんサービス付きで半月コテージを借りて過ごしたとき、朝食の定番がライスを甘いココナツミルクで煮てバナナを入れたものだった。サイコー。
cover
リーゾ
本場リゾット名人が
伝授するイタリアの米料理
 日本食が嫌いなわけではない。煮魚にミルキークイーンのご飯みたいのも一週間に二、三回くらいは食べる。お弁当もご飯ということはある。週に一度くらいお寿司も食べる。でもそのくらいが限度。自分では日本食はイタ飯や中華料理みたいにいろいろある食事の一つでしかない。そもそもご飯が主食という感覚がなくなってしまった。
 お米もだからリーゾである。この数年はリゾットが好きになったので、ミルキークイーンじゃない無洗米を別途買ってそれで作る。リゾット関連の本では、「リーゾ 本場リゾット名人が伝授するイタリアの米料理(ピエロ・ベルティノッティ)」(参照)が便利だし、各種のリーゾ(お米)料理の写真を見ていても嬉しくなる。お米でいろんな料理ができるじゃんと思うと気が楽になる。チキンスープ・ウイヅ・ライス(参照・YouTube)ではないけど、スープの具にさらっとしたリーゾも好きだ。
cover
北京のやさしいおかゆ
やさしく作れて
体に優しいおかゆレシピ
ウー・ウェン
 そういえば粥もよく食べる。マクロバイオティックス風の玄米食はとんと食べなくなったが、粥は玄米粥が多い。7倍の水を張ったスロークッカーに玄米を寝る前に入れておけば、冬の朝には美味しい玄米粥ができている。どっちかというとこれは中国粥だろう。粥については、ウー・ウェン先生の「北京のやさしいおかゆ―やさしく作れて体に優しいおかゆレシピ」(参照)が、あまり役立つという本ではないけど、面白いといえば面白い。中国人も一つの穀類にこだわらない点で奇妙な親近感がある。
 そういえば、以前の職場の近くに中国戦線帰り爺さんがやっていた玄米粥のお店があったなとか思い出す。薄暗い汚い感じのカウンターのお店だった。心和む絵に描いたような場末だった。あそこで粥をすすっていると、自分が日本にやってきた華僑のような感じがしたが、実際の華僑はそんなことはしないだろうけど。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2010年4月25日 - 2010年5月1日 | トップページ | 2010年5月9日 - 2010年5月15日 »