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2010.04.24

オバマ米大統領が民主党鳩山首相にガッカリしたのがよくわかった

 こういうのもなんだが、私は民主党政権自体に関心がなくなりつつある。この先、政治の失態から国家の存亡にかかわる事態となっても、国民の選択の結果なんだからしかたがないなと思う。戦前の日本国民もこんなふうに政治を見ていたんだなと歴史の理解を実感を込めて深める機会が得られたと考えるとよかったことかもしれない。滅びゆくものを見果てるというのは、平家物語以来の日本の美学でもあるし。
 自分で批判できる部分については、すでにこのブログで書いてきた。それでも、まだまだガッカリし足りないんだなと心を新たにする。というか、オバマ米大統領が民主党鳩山首相にガッカリしたのがよくわかった。鳩山首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」の偽装献金事件についての、彼の発言の変容ぶりによく表れている。

 平成21年11月06日、参議院予算委員会で、まだ自民党にいた舛添議員が偽装献金事件について鳩山首相に問いただしたところ、彼はこう答えたものだった。


内閣総理大臣(鳩山由紀夫君)(前略)しかし、現実はそうではなかったと。偽装献金ということが行われていたということは本当に恥じ入るばかりであります。
 私は、別にここで逃げるつもりも全くありません。自分自身の知り得る情報に関して申し上げているところであります。ただ、その後に関しまして、今まさに舛添委員がお話しされましたように、検察、私自身が当事者という身になって告発もいただいている状況でございます。したがいまして、その状況で私がなし得るすべてに関しては、できる限り私のこの資金に関するすべての情報というものを検察の方に提供いたしまして、全容を解明をしていただきたいと思っています。

 鳩山首相は自身の偽装献金問題から、逃げない、全容を解明したいと言明していた。全容が解明されるまで待って欲しいということだった、この時点では。

 平成22年02月03日、参議院本会議で自民党岡田直樹議員が偽装献金事件について鳩山首相に問いただしたところ、彼はこう答えたものだった。


内閣総理大臣(鳩山由紀夫君)(前略) 私の政治資金の問題に関しましては、捜査によって全容が解明をされ、処分の決定によって決着したと認識はしておりますけれども、国民の皆様方に御理解をいただくにはもう少し時間が掛かると思っておりまして、引き続き説明を尽くしてまいりたいと思っております。

 そして、全容はすでに解明されたが、こんどは、国民の理解にはまだ時間がかかると引き延ばしを始めた。それでも、引き続き説明を尽くしたいと言っていた、この時点では。
 そしてこの時点ではこうも言っていた。

 収支報告書の訂正についての御質問がございましたが、私の資金管理団体の収支報告書につきましては、検察による事実解明を真摯に受け止めて、今後、公判による事実認定の最終確定と検察に提出した書類の返還を待って数字の精査を行う必要があります。そして、二十一年分の収支報告の提出時期までには行うことを既に表明を申し上げているところでございます。

 引き延ばしは、公判による事実認定の最終確定と検察に提出した書類の返還が前提になるようなことも言っていた。なるほどね、と、その時はそう思わないでもなかった国民もいた。私とか。

 平成22年03月03日、参議院予算委員会で、自民党西田昌司議員が偽装献金事件について鳩山首相に問いただしたところ、彼はこう答えたものだった。


内閣総理大臣(鳩山由紀夫君)(前略) プライベートな部分に関して、これはお尋ねであります。あるいは議員個人としての使用の部分もございます。こういったものをトータルとして勝場元秘書に確かに一切をゆだねていたということは事実でございます。そのことに関して、今公判中でありますので、正確に、最終的にこの裁判が終わりました暁に、これは前も申し上げておりますけれども、検察としてはこの部分に関して、いわゆる虚偽記載に関しては確かに違反があった、しかし、母からの資金提供その他に関して、に違反があったということは認められていないということであったと理解をしておりますので、したがいまして、このいわゆる支出に関して、この政治資金以外の部分に関して、自分自身の、これは将来いかにあるべきかということも含めての部分ではありますけれども、国民の皆様方に使途に関して御説明を申し上げてまいりたい、そのように申しているところでございます


したがいまして、最終的に裁判の結果というものを見てから正確に修正をすることが最も私は望ましいやり方ではないか、そのように思っておるものですから、そのときに国民の皆様方に御報告をさせていただきたいと考えております。


 したがいまして、私としては、できる限り正確を期したいというその一念であって、書類の返還はそのときに行えば私は十分国民の皆さんに御理解いただくときが来ると、そのように思っております。(発言する者あり)

 として、まだ裁判では違反であると認められているわけではないが、裁判が終われば、違法献金の使途について説明すると述べている。また、書類が返還されたときは、国民に説明すると述べている。ちゃんと述べていたりする。

 平成22年03月31日、両院国家基本政策委員会で公明党の山口代表が偽装献金事件について鳩山首相に問いただしたところ、彼はこう答えたものだった。


内閣総理大臣(鳩山由紀夫君) 山口代表、この勝場元秘書、被告でありますが、に対する裁判は、御案内のとおり、まだ最終的な判決が出ているわけではありません。したがいまして、判決が出れば、当然のことでありますが、まずは証人喚問に関しては、ぜひこれは、私が決める話ではありません、国会の中の議論の中で決めていただければよい話でございます。そこはまず、どうぞ国会の中で大いに御議論を願いたいと存じます。
 それから、その裁判が終わった暁にはと私は申し上げております。弁護士に対して、私の資料が戻ってまいります、その資料を分析、検証するようにということは指示をいたしているところでございます。その分析というものを行った結果、当然、これはもう何度も国会の中でも答弁を申し上げているところでございますが、その答弁でも申し上げておりますように、国民の皆様方にどこまでしっかりとお示しできるかどうかということは検証してまいりましょう。

 裁判が終われば、偽装献金の資料を明らかにし、検証していこうと繰り返し述べている。

 そして三月が終わった。裁判も終わった。鳩山首相秘書は有罪となった。監督責任のある鳩山首相はなんら責任を取らなかった。世界は、1Q84的な世界に変貌した。見上げると二つの月が国会の夜空に砕けていた。一国の首相がなにかに変貌した。

 平成22年04月21日、国会で自民党谷垣禎一総裁及び公明党山口那津男代表による党首討論開催された。山口代表に内閣総理大臣鳩山由紀夫君はこう答えた(参照)。


内閣総理大臣鳩山由紀夫君
それから、書類の提出の話もございました。このことに関しても、私はまだ明日の判決がどのようになるかということの前の話でございますが、提出されたその書類が多分、明日になれば、返してもらえることになろうかと思っています。この書類に関しては前から申し上げておりますように、弁護士に対して、『私はしっかりこれを検査しなさい。勉強をしなさい』ということは、申しております。そうやってもらえると思います。そして、当然のことながら、政治資金の規正法に基づいて、判断をして、正すべきところはしっかりと収支報告書など、正さなければならないことも、言うまでもありません。それはしっかりと行って参ります。個人のプライバシーに関して、いまだかつて、さまざま、色々な問題を犯した者といえども、決して個人のプライバシーにかかわる資料を提出したことはないかと思っております。いずれにしても、このことに関して、しっかりと国会でおたずねがあれば、そのことに関して、私としても努力したいと思っておりますが、これは検察が判断をして、結果を出した話でありますだけに、基本的には、資料の提出などというものは、必要のないものではないか。そのように私は考えております。

 偽装献金関連の書類は弁護士に検査して勉強しなさいで終わってしまった。
 それを精査して国民に説明する話も、消えた。
 それどこか、検察が判断したから終わりとして、関連書類の提出はしないと言ってのけた。なんなの、この人、と、山口代表も思ったに違いない。山口代表はこう加えた。

公明党山口那津男代表
鳩山さん。あなたはね、辞めた人間だから、私は知らない。国民の皆さん、よく聞いていただきたいと思う。そして、資料も国会に出すつもりがない。しかし、前回、私が引用した通り、これは、あなたが、予算委員会で書類を取り戻して、国民の皆さんに見ていただいて、正確に説明をすると。こうやって自ら述べていたではありませんか。今の答えには、とうてい納得できません。ぜひ、この今の回答を国民の皆さんに、よく知っていただいて、しかるべき判断をしていただきたいと思います

 国民? あ、私も国民ですよね。
cover
鳩山一族 その金脈と血脈
佐野 眞一
 では、しかるべき判断をしてみたいかと思うのだが、ここは、モートンの熊手(参照)をもって代えたい。

  1. 嘘つきさん
  2. Mr.Loopy

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2010.04.23

モートンの熊手(Morton's fork)?

 鳩山内閣の対米外交問題を軽く論じた、22日の、マイケル・オースリン(Michael Auslin)氏によるウォールストリート・ジャーナル寄稿「Japan Dissing」(参照)が一部で話題になっているようだった。時事「「日本切り捨て」時代に=鳩山首相を酷評-米専門家」(参照)はこう紹介していた。


 米保守系シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ政策研究所(AEI)のマイケル・オースリン日本部長は22日付のウォール・ストリート・ジャーナル紙(電子版)に寄稿し、鳩山政権の対米政策を厳しく批判、米国が日本に愛想を尽かして無視する「ジャパン・ディッシング(日本切り捨て)」の時代に突入したと論評した。
 オースリン氏は、日米関係はこれまで、貿易摩擦時代の「ジャパン・バッシング(日本たたき)」、対中重視・日本軽視を強めたクリントン元政権の「ジャパン・パッシング(日本外し)」など紆余(うよ)曲折があったと指摘した。
 その上で、現在、鳩山政権は米国に一貫した政策を提示することができず、「オバマ政権からひんしゅくを買い徐々に無視されつつある」と分析。「日本の政治エリートは、米政府内で日本の評価がいかに下がっているかを知れば、日本たたきや日本外しの時代が懐かしく思えるかもしれない」と皮肉っている。

 すでに日本版のウォールストリート・ジャーナルに「冷え込む米日関係 - ジャパン・バッシングならぬ「ジャパン・ディッシング」(参照)として翻訳もネット上で読めるのだが、その訳文に「モートンの熊手」が出てきた。原文と対比して引用する。

 日本の政治エリートが、米政府の間で日本の評価がいかに下がっているかを知ったら、バッシングやパッシングの日々が懐かしく思えるかもしれない。日本は今、どちらも望ましくない選択肢から選ばざるを得ない「モートンの熊手」状態に陥っている。すなわち、米国に無視されるか、解決のしようがほとんどない問題とみなされるかの、いずれかだ。

Once Japan's political elites figure out how low their stock has sunk on the Potomac, they may well wish for the days of bashing and passing. They face a Morton's fork between being ignored or being seen as a problem to which there is little solution.


 日本では「モートンの熊手」があまり知られていないことを配慮して、「どちらも望ましくない選択肢から選ばざるを得ない」という解説が補われている。一昔前の流行語でいうなら「究極の選択」(参照)というところだろうし、ネットでよく言われる下品な言い回しでは、カレー味のなんたらとなんたら味のカレーといったところだ。
 英文として興味深いのは、Morton's forkに不定冠詞がついていることで、どっちを選んでもひどい選択肢の状況のひとつといった意味合いがある。
 民主党の鳩山政権がカレー味のなんたらというのは、米人専門家に指摘されるまでもないし、そもそも国会議員として秘書の有罪が決まってもなんら責任を取らないで済んでいる異常な状態は、すでに日本の政治の終了を意味しているだろう。
 問題は、だから、モートンの熊手(Morton's fork)である。
 それは何か。ウィキペディア「誤った二分法」(参照)にはこう解説がある。

「モートンの熊手」 (en:Morton's Fork) はどちらも望ましくない2つの選択肢から選ぶというもので、誤った二分法の例とされることが多い。この言葉は英国貴族への課税についての論証を起源としている。

「わが国の貴族が裕福なら、永久に課税しても問題はない。逆に貧しくみえるなら、彼らは質素に暮らして莫大な貯金を蓄えているはずで、やはり永久に課税しても問題はない」[1]

これは、土地だけ所有していて流動資産がない貴族を考慮していないという点で、誤った二分法と言える


 間違った説明ではないが、なぜモートンなのか、なぜ熊手なのかについての説明はない。
 英文のウィキペディアでは単独の項目になっていて(参照)、モートンの由来も簡素に書かれている。

The expression originates from a policy of tax collection devised by John Morton, Lord Chancellor of England in 1487, under the rule of Henry VII.[1]

この表現は、カンタベリー大司教ジョン・モートンが1487年に考案した徴税(徳税)指針を起源にしている。


 しかしこの項目の説明は十分とはいえない。というのは、モートン司教の事跡をこのように呼んだ由来がある。それは、哲学者フランシス・ベーコン(Francis Bacon)がヘンリー7世の時代を扱った史書の記述によるものだ(参照)。

There is a tradition of a dilemma, that bishop Morton the Chancellor used, to raise up the benevolence to higher rates ; and some called it his fork, and some his crotch.

モートン司教が使ったものだが、徳税を上げる矛盾の伝統がある。これを、フォークと呼ぶ者もいるし、クロッチと呼ぶ者もいる。


 実際に、モートンの熊手(Morton's fork)として定着するのは、19世紀のことらしい(参照)。
 ところで。
 これまで「モートンの熊手(Morton's fork)」という訳語を採ってきたのだが、これは「熊手」なのだろうか? 手元の日本版のブリタニカにもその訳語が載っているのだが、これはどちらかというと一種の伝統的な誤訳の部類ではないかと思う。
 このフォークだが、"a fork in the road"のような「分かれ道」あるいは「分岐」といった意味だろう。
 チェスの基本技にも近いイメージがある。


チェスのフォーク(両取り)

 二手に分岐したというイメージは、ベーコンの原文からも推察される。そこには、クロッチ(crotch)ともあり、これは現代のrowlockを意味していると思われる。


rowlock

 現代の英語では、crotchは分岐している形状より、分岐の根元の股布の意味が強い。
 フォークも、クロッチと似た、二股の構造を指していると思われる。欧米圏の悪魔がよく三叉の熊手を手にしているが、あれの二股のものであろう。もちろん、二股でも熊手として訳してもいいのだが、熊手ほど分かれてもいないし、ここで強調されているのは、二つに分かれている構造だ。フォークリフトのフォークのほうが近い。
 意味を取るなら、「モートンの熊手」というより、「モートンの二者択一」であろうが、それだと面白みに欠けるかもしれない。

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2010.04.22

天明の飢饉に学ぶこと

 江戸時代の日本ではだいたい50年周期で飢饉が発生した。大飢饉は江戸四大飢饉とも呼ばれ、寛永の飢饉(1642-43)、享保の飢饉(1732)、天明の飢饉(1782-87)、天保の飢饉(1833-39)がある。最大のものが天明の飢饉である。

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近世の飢饉
 なぜ飢饉が発生したかについては、天候不順による凶作がよく挙げられる。虫害もある。米の生産側の問題に対して、米を扱う政策上の問題もある。江戸時代後期になるにつれ貨幣経済の発展から財政難の各藩は備蓄米を大阪で売って貨幣化していた。ヒトよりもカネといった次第であった。飢饉の背景には、騰貴もあったし流通の問題もあった。
 飢饉の原因は複合的に考える必要があるが、それでも予想外の天候不順の要因は大きい。天明の飢饉にも冷害が関係しているが、この冷害を引き起こした一つの要因に、日本から遠いと見なされるが、アイスランド南部のラカギガル火山(Lakagígar)の噴火も想定されている。同火山はエイヤフィヤトラヨークトル(Eyjafjallajokull)火山の北西60キロメートルにある。
 ラカギガル火山の噴火は1783年6月8日に始まり、1784年2月7日まで8か月も続いた。規模は1991年のピナトゥボ山の噴火に相当すると見られている。ラカギガル火山の噴火により1億2000万トンもの有毒な二酸化硫黄が放出され、その影響で何千万人も亡くなった。
 その二酸化硫黄粒子は成層圏に達し、ジェット気流に乗り北半球全体を覆った。二酸化硫黄の粒子は、火山灰やブラックカーボンとは異なり、長期間空中に留まり酸性雨の原因にもなるが、なにより気になるのは、「火山の冬(volcanic winter)」と呼ばれる広域な気候の変化としての寒冷化を引き起こすことである。
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“不機嫌な”太陽
気候変動の
もうひとつのシナリオ
H・スベンスマルク,
N・コールター
 噴火に伴う火山灰や霧状の二酸化硫黄が太陽光を遮ることで寒冷化がもたらされると説明されることが多い。が、「[書評]“不機嫌な”太陽 気候変動のもうひとつのシナリオ(H・スベンスマルク、N・コールダー): 極東ブログ」(参照)でも触れたが、硫酸分子は雲の核となる。大気中の硫酸分子は太陽光を遮断する雲の生成を促し、地球規模の寒冷化をもたらす。なお、成層圏についてはエアロゾルが太陽光の輻射を吸収するため温度が上がる。
 実際ラカギガル火山の噴火後、北半球全体が寒冷化した。米国北東部では冬の平均気温が2度から氷点下6度に下がった。日本も寒冷化した。天明の飢饉に関係すると見られるのはこのためである(なお、天明飢饉には浅間山の噴火も関連している)。フランスでも農作物不作により食料が不足し、1789年のフランス革命の原因の一つになった。
 火山の冬が歴史に痕跡を残すように、さらに生物進化に影響を与えることもある。仮説にすぎないといえばそうだが、トバ・カタストロフ理論(Toba catastrophe theory)によれば、7万年前、インドネシア、スマトラ島のトバ火山噴火による火山の冬が引き起こした長期の地球の寒冷化によって、生き残ったホモ属はホモ・ネアンデルターレンシスとホモ・サピエンスのみとなった。

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2010.04.20

子供のローラーシューズの安全性

 今朝の朝日新聞社説に「子どもの事故―危険はもっと減らせる」(参照)という話題があった。いわく。


 子どもから目を離さない、危ない物は遠ざける――。周囲の大人が注意しなければならないのは、言うまでもない。落ち度が大きければ、保護者の責任を問う必要はあるだろう。
 でもそれだけで、子どもの事故は防げるのか。家庭や地域の見守る力が落ちる一方、生活空間に潜む危険は減っていない。子どもは昔も今も日々成長し、予測外の行動をとるものだ。
 様々な事故の情報を集め、原因を分析し、リスクの重大性を評価する。製品改良を促し、必要なら規制措置をとり、子どもを取り巻く環境から危険を減らす。そんな機動的な仕組みが求められているのではないか。

 まったくそのとおりだと思う。
 そして、私が市中で見かける子供の安全ことで気になるのがローラーシューズである。朝日新聞社説にはまったく言及がない。なぜだろう? (1)ローラーシューズは安全だから、(2)朝日新聞社説執筆者は現実の世間の子供には関心がないから、(3)その問題はタブーだから。
 どれだろう。他の理由だからだろうか。
 米国ではローラーシューズの安全性は2007年頃話題になっていた。その後の話題はあまり見かけないので、その時点での話題性で米国での問題はある程度解決されたのかもしれない。日本でローラーシューズが子供に広まるのはその後のようだから、米国での改善を踏襲してすでに安全の問題はない、ということなのだろうか。しかし、私は現実の世界で、けっこう肝を冷やすような場面に遭遇しており、到底そうは思えない。
 2007年のAP記事「Agency: 1,600 roller-shoe injuries last year」(参照)では表題のとおり、消費者製品安全委員会(CPSC: U.S. Consumer Product Safety Commissio)によれば、2006年にローラーシューズで1600件の負傷があったとのことだ。大半は子供の使用である。死者は1名とのこと。同年には関連して医師からの示唆の記事「U.S. Consumer Product Safety Commissio」(参照)もあった。初心者の場合、肘や膝の損傷を起こしやすいのでヘルメットやプロテクターをしなさいということだ。
 子供の教育や安全性に関連する話題を扱うeducation.comでも同時期に関連記事「Roller-Shoe Injuries on the Rise」(参照)を出している。それによると、67件の事故中57件が女の子とのこと。他に、事故は初心者に起こりやすい、事故は市中で発生している、上腕の損傷が目立つ、前後移動で事故になりやすい、など。
 具体的に、American Academy of Orthopaedic Surgeons (AAOS) は以下のアドバイスを出している。

・Learn and practice the basic skills of the "sport" — like how to stop — before taking the shoes out in public.
 公衆で利用する前に、スポーツとしてストップの方法など基本に習熟すること。

・Use the shoes on flat surfaces — not on rocky areas, over curbs, or down hills.
 平らな場所で使うこと。でこぼこや曲がりの多い道、下り坂は禁止。

・Don't use the shoes around lots of people or in traffic.
 人の多い場所や交通の激しい場所では禁止。

・Don't try to maneuver around crowds.
 人混みで曲芸的に使わないこと。


 イギリスでは事故をきっかけにローラーシューズを禁止した街もあるとこのこと(参照)だが、そこまでするより、基本の指導をして、安全に遊べる場所を確保するほうがよいだろう。

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2010.04.19

米国不良資産救済プログラム(TARP)はまずは成功した

 ブログではポールソン砲とおちょくったものだったが、米国の不良資産救済プログラム(TARP: the Troubled Asset Relief Program)は成功したらしい。私には経済の詳細はわからないし、なぜか邦文ニュースでは今ひとつ要領を得ないのだが、世界経済の危機と言われた危機に米国の経済政策は適切に対処してみせたということのようだ。
 10日付けウォールストリート・ジャーナル記事「米政府の救済コスト予想が大幅縮小」(参照)はこう言及している。


 ほんの数カ月前にはゾンビのように見えた企業が息を吹き返し、金融危機の間にライフラインとして注入された資金の返済に向かうなか、救済コストの予想額は以前の試算のごく一部まで縮小している。不良資産救済プログラム(TARP)、連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)、連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)、連邦住宅局(FHA)による融資保証、連邦準備理事会(FRB)による住宅ローン担保証券(MBS)の買い取りやコマーシャルペーパー(CP)市場てこ入れの資金を含めた費用は890億ドル(約8兆2900億円)になりそうだと財務省当局者は語る。
 関係筋によると、同省当局者らは政府管理下にある保険会社アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)でさえ1年以内に公的資金を返済できる可能性があるとみるなど、楽観の度合いを強めており、同社に対する80%の出資を引き揚げる方法を議論している。AIGは510億ドルに達するとみられる資産売却などで、公的資金を返済する見通しだ。

 もちろん明るい話ばかりではなく、こういう言及もある。

 しかし、多くの専門家は、より広範な政治・経済的影響の大きさは、直接の救済コストの比ではないと語る。米が景気停滞を脱却には何年もかかる公算が大きく、政府の債務は膨らみ、税収は失われ、金融危機の影響で政治的混乱が増幅するという。
 たとえば、米政府は金融市場や住宅市場に対して今も支援を続けざるを得ない。また、支援先企業の自立という明るい傾向にも大きな例外がある。1259億ドルの直接注入を受けたファニーメイとフレディマックは、数年にわたり国庫に依存しそうだ。両機関に対する政府の信用枠は無制限だ。

 それにしても日本のバブル崩壊後のような悲惨なことにはならないように見える。
 より端的な評価を示したのは、1日付けのワシントン・ポスト「No one likes TARP, but it's working」(参照)だった。日付は四月馬鹿といったところだが、内容はそうではない。

In short, for all its shortcomings, TARP has fulfilled its chief purpose: to stem the panic-induced collapse of a banking system that -- contrary to much conventional wisdom -- was indeed salvageable without total nationalization. The only fair measure of TARP's costs is in comparison to the costs of the averted collapse. And by that measure, it was a bargain.

手短に言えば、多くの欠点を抱えつつ、TARPは主要な目的を達成し終えた。パニックが引き起こす銀行システムの崩壊を食い止めた。しかも、賢い対応とされてきた慣例に反して、銀行を完全国有化することなく救済したのだ。TARPの損失を公平に検討するなら、崩壊回避の損失との比較になる。その観点からすれば、安価で済んだよい取引だった。


 日本の大手紙は米国の経済危機に銀行の国有化しかない、素早くすべて国有化せよと論じた。だが今となって見れば、TARPの成果として、完全国有化の回避が挙げられている。
 銀行の国有化は、税であったり、低金利の押しつけであったりして国民の利益を損失させる。日本はそれを行ったが、米国はTARPによって回避できたということなのだろう。
 もちろん、日本でも可能だったはずだというほど単純な話ではないにせよ、米国の経済政策ははるかに日本より健全だったとは言えるのではないか。日本はといえば、迷走のあげく、巨大銀行をさらに国有化してしまった。
 ワシントン・ポスト社説の結語は示唆に富む。

There is another lesson here: TARP was a bipartisan policy. Conceived by a Republican administration, it passed Congress with votes from both parties and has been implemented mostly by a Democratic administration. When the country faced imminent disaster, political leaders suppressed ideology and partisanship -- and acted, in the national interest. If only they could apply some of that same spirit to problems before they reach the crisis stage.

ここにはもう一つの教訓がある。TARPは超党派的な政策だった。共和党が考案し、議会を二大政党で通過させ、その大半を政権交代後の民主党政権が実施した。国家が差し迫った災害に瀕したとき、政治指導者はイデオロギーと党派制を抑制し、国益の視点で活動した。政治に危機が迫るときには問題に同様の対応ができればよいのだ。


 米国はブッシュ政権下で策定されたTARPを政権交代後のオバマ政権が踏襲した。両党が協調して経済危機に立ち向かった。日本でいうなら、麻生政権の経済政策を民主党がきちんと引き継ぐか、あるいはこんな時期に、危機も考慮されていない古びたマニフェストをごり押しする政権交代とやらを我慢するべきだった。実際、民主党が取ってきたまともな政策は、「自民党麻生政権のゾンビと化した民主党鳩山政権: 極東ブログ」(参照)で述べたように、麻生政権の政策を引き継ぐだけだった。
 彼我の差は泣けるほどである。経済危機に立ち向かう政治家・経済担当者の気迫これほど違うのかと思う。いや、それが能力の差ということなのではないか。

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2010.04.18

[書評] 1Q84感想、補足

 補足的雑感を。
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 book 1の冒頭が4月なので、もう四半期のbook 4までありえないことないかなとも思ったが、(1) 1Q84という年は12月をもって終わるので、book 3の終わりがそれに相当するだろう、(2) 次の物語の展開は、ドウタの出現だがそれは4月を超える、ということで、ここで完結だろう。
 しいていえば、(3) book3の構成はbook 1およびbook 2ほどには計算されていないので(時間もなかったのだろうが)、文章の息がややまばらになっていて、これ以上は継続できない。
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1Q84 BOOK 1
 book3で完結感はあるかといえば、十分にあると言ってもよいだろう。その最大の理由は、book 1とbook 2の謎を、従来の村上春樹長編のクセのように放置しなかったこともだが、やり過ぎた暗喩(特にリーダーの予言)がいくつかbook 3で変更されていることから、それなりの落とし前の意識が明瞭にあったと見ていいだろう。
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 book1とbook2でも思ったが、春樹文体に微妙な、ある意味で大きな変化があり、見解によっては、悪文としてもよいと思うのだが、全体の美文のトーンに調和していてなかなか指摘しづらい。批評家が誰も指摘してなさげなのはなぜだろうか。

 青豆はこのマンションの一室に身を隠してから、意識を頭から閉め出せるようになっていた。とりわけこうしたベランダに出て公園を眺めているとき、彼女は自在に頭の中をからっぽにできる。目は公園を怠りなく監視している。とくに滑り台の上を。しかし何も考えていない。いや、おそらく意識は何かを思っているのだろう。しかしそれはおおむねいつも水面下に収められている。その水面下で自分の意識が何をしているのか。彼女はわからない。しかし意識は定期的に浮かび上がってくる。

 「しかし」がいくつあったか読みながら気がつかないのはなぜだろうか。
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1Q84 BOOK 2
 千倉の病院の若い看護婦、安逹クミとそのエピソードが解きづらい。book 1およびbook 2の謎のバグフィックス的に導入されたのか、当初からの伏線的な構想にあったのか。
 安逹クミが複数のドウタの一つであることは明らかである。難しいのは、転生の時点だ。端的な話、誰の転生なのか。前世は「冷たい雨が降る夜に」終わった。転生は安逹クミの生誕であったか、ハシシのこの体験の中か。と、読み返すと、ハシシ体験以前にドウタであることが知覚されているので、その体験のさなかではないのだろう。ただ、生誕が転生であったとも言い難いのは、「空気さなぎ」の読後の影響と見られる。ということは、「空気さなぎ」が世に読まれることは、ドウタの分散を意味しているはずだ。(このことは、この1Q84という書籍が流布される暗喩でもある。)
 もう一つの謎は、安逹クミの陰毛と性交の不在だ。これは明白に、白パンと性交を伴った深田絵里子との記号的な対比になっている。対比の意味は作者に意識されているようだ。
 私の印象では、安逹クミは天吾の母の転生ではないかと思う。
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 「天吾」は「天は吾」の意味だろうし、その生誕の由来は敢えて隠されている。彼は誰の子かわからないし、なぜ存在させられたのかは表層的には問われていない。印象でいえば、母の処女懐妊ではないかと思う。つまり、天吾こそ物語の最大の動因なのだが、そこはうまく描けていない。
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 物語では、特にbook 3で特徴的なのだが、深田保と深田絵里子は、人の存在から何かを抜き取る。それは人の存在の魂に深く関与している。すでにユングが語られているが、ユング的な四位一体と恐らく関係している。
 1Q84がデーモニッシュな魅惑を持つのは、この魂と、何かを奪われることの意識が自明にわかる人が存在するからだ。この造形は牛河に深く関わっている。牛河は彼が育った理想的な家族の無意味さを告知されたものとしてこの世の立たされている。

しかし牛河の目から見れば、その人間生は救いがたく浅薄だった。考え方は平板で、視野が狭く想像力を欠き、世間の目ばかり気にしていた。何よりも、豊かな智恵を育むのに必要とされる健全な疑念というものを持ち合わせていなかった。
 父親は地方の開業内科医としてはまずまず優秀な部類だったが、胸が悪くなるくらい退屈な人間だった。手にするものすべてが黄金に変わってしまう伝説の王のように、彼の口にする言葉はすべて味気ない砂粒になった。しかし口数を少なくすることによって、おそらく意図的ではないのだろうが、彼はその退屈さと愚昧さを世間の目から巧妙に隠していた。母親は逆に口数が多く、手のつけようがない俗物だった。

 ある種の子供はそのような環境に生まれる。
 牛河は深田絵里子に喪失させられることで魂を自覚する。

 これはおそらく魂の問題なのだ。考え抜いた末に牛河はそのような結論に達した。ふかえりと彼とのあいだに生まれたのは、言うなれば魂の交流だった。ほとんど信じがたいことだが、その美しい少女と牛河は、カモフラージュされた望遠レンズの両側からそれぞれを凝視し合うことによって、互いの存在を深く暗いところで理解しあった。ほんの僅かな時間だが、彼とその少女とのあいだに魂の相互開示というものがおこなわれたのだ。そして少女はどこかに立ち去り、牛河はがらんとした洞窟に一人残された。

 余談だが、ネットの世界は牛河の家族のように愚劣な人々と、牛河の魂を持ち合わせてしまった不幸な人と、牛河の物語を愛するキチガイの三者がほどよく目立つ。
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cover
1Q84 BOOK 3
 私のシンプルな読み落としかもしれないが、青豆が密室生活で二度抜け出したとタマルに語るシーンには違和感を覚えた。三軒茶屋のれいの個所にタクシーで行ったという。そういうシーンはあっただろうか。リライトのミスではないか。
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 作者村上春樹はbook 3で一度だけ登場する。

 ここでいくつかの「もし」が我々の頭に浮かぶ。

 book 3で村上春樹は読者の位置に降りたことは、昨日のエントリ「[書評] 1Q84 book3 (村上春樹) : 極東ブログ」(参照)で述べたが、それがもっとも顕著にここで告白される。また、これは物語の呪縛と創作意識の微妙な迂回路も示している。私はここで吉行淳之介「砂の上の植物群」(参照)を思い出す。作品全体の印象だが、構成や叙述が欧米的なスタイルでありながら、そここに第三の新人的な日本語の小説の技法がちりばめられているように思う。「若い読者のための短編小説案内」(参照)で示された考察が、内在化、血肉化されている。
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 マザとドウタの物語、つまり、リトル・ピープルの物語、あるいは深田保と深田絵里子の物語は、村上春樹が解読できる可能な限り、book 3でスキーマティックにまとめられている。が、十分ではない。深田保は、天吾を介して転生し、その通路を深田絵里子が用意した。それだけではなく、彼らは同時に魂の回収を行った。そこにおそらくオウム事件が暗示する深淵への示唆があるのだが、十分には描かれていない。
 そして、おそらく深田絵里子は深田保の子供ではく、タマルの子供であろう。牛河を理不尽に、あるいは予定されたように死に至らしめる動因としての。

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