« 2010年4月4日 - 2010年4月10日 | トップページ | 2010年4月18日 - 2010年4月24日 »

2010.04.17

[書評] 1Q84 book3 (村上春樹)

 私たちの世界では、夏目漱石の「明暗」(参照)の結末を知ることはできない。ドストエフスキーが本当に書きたかった「カラマーゾフの兄弟」(参照参照)の第二部を読むこともできない。命と引き替えに文学を超えようとした存在の出現は許されない。あるいは川端康成(参照)の「千羽鶴」(参照)の続編「波千鳥」のように、作者の生の有様が存在を限界付けることもある。村上春樹の「1Q84 book1, book2」(参照)は、文学を超えようとする手前で放置されかけた。が、不思議な形で完結した。

cover
1Q84 BOOK 3
 不思議な形というのは、後続するbook3は、book1と book2とはあたかも異なる作者による批評の作品として読めるからだ。1Q84のbook1と book2が投げかける巨大な謎を、村上春樹自身が批評家としてbook3でおそらく渾身を込めて解き明かして見せた。彼が文学の批評に立ったのはこの作品が初めてだし、そのことでおそらくこのbook3は、村上文学総体の批評ともなっている。もちろん、批評という言い方は拙い。
 1Q84のbook1と book2を書き上げた作家としてその連続の物語を書くことは、苦難を伴うとはいえ格段に難しいことではないだろう。存在の持つ、あるいは神の持つ恐ろしい深淵に耳を澄まして、言葉を紡ぎ上げていけばよい。燃えさかる炭を口に受けていけばよい。しかし彼はその方向に進まなかった。
 book1とbook2という作品に沿って言うなら、あるいはポストモダン文学のお作法で言うなら、それは現実自体が天吾による作品世界であるという構造を示していた。作中人物による作品が現実と循環するという、文学学者にウケのいい意匠である。ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」というシンボルもいかにもそれらしく巻頭に配置されていた。現実と文学的想像には臨界がないことをいかにも批評的に技巧的に示すメタ文学である。つまり、ゴミだ。
 book1とbook2の主人公である天吾と青豆は、連続した物語が創作されてもドラマツルギーが自動的に産み出す幻影になりかねない。お涙頂戴の古典的心理描写の果てに、「ノルウェイの森」(参照)や「ダンス・ダンス・ダンス」(参照)といった作品同様途上国向けセックスシーンが配置されることすら避けがたい。だが、青豆は具体的な人間への欲望から、ツァラトゥストラが永遠回帰を自己の意志として選び取るように、物語を自分の意志として選び出す。生きることは、倫理的でなくてはならない。

 そして私がここにいる理由ははっきりしている。理由はたったひとつしかない。天吾と巡り合い、結びつくこと。それが私がこの世界に存在する理由だ。いや、逆の見方をすれば、それがこの世界が私の中に存在している唯一の理由だ。あるいは合わせ鏡のようにどこまでも反復されていくパラドックスなのかもしれない。この世界の中に私が含まれ、私自身の中にこの世界が含まれている。

 青豆は最後にそこで覚醒する。

 天吾が現在書いている物語が、どのような筋書きを持った物語なのか、青豆にはもちろん知りようがない。おそらくその世界には月が二つ浮かんでいるのだろう。そこにはリトル・ピープルが出没するのだろう。彼女に推測できるのはせいぜいそこまでだ。にもかかわらず、それは天吾の物語であると同時に、私の物語でもあるのだ。それが青豆にはわかる。

 覚醒をもたらしたのは青豆が子供を産むと決めたからだ。自分の子供を産むことは、それがいかなる物語となるとしても、自らの生として受け入れるしかない。生とはそのようなものだ。メタ文学の戯れであってはいけない。book1とbook2という戯れから、人が生きるための文学を救い出さなくてはならない。作者が文学の臨界を超えずして、そしてなおかつ現実的な世界に奮い立つ原生的な力に復帰しなければ、book1とbook2が文学的な偽物となるのは必然であり、それを避けるには物語が投げかける本質的な謎を真正面からきちんと解いて見せることだ。
 そのために村上春樹は、1Q84のbook1とbook2の読者の位置に降りてみた。この物語を再び読み返し、読むという批評の立場に立って見せた。そのことが牛河の再造形となり、book3の主人公とさせた。牛河を投げ込むことで、book1とbook2という物語を読者の視点から緻密に、他者として読み直すことを可能にした。ポストモダン文学の愚劣な罠から逃れた。
 book3にはさらにもう一つ原生的な生の仕組みが導入された。露骨に言えば、著者の父の死だ。人がこの世に生まれるためには父と母を必要とする。ヤブユム。だが、この父と母の死は子孫を通して、民族の幻影、つまり国家の幻想を生み出す。国家とは墓所のことである。なぜ人は一人死ぬことができないのか。なぜ親子の連繋を共同の幻想に仕立て上げてしまうのか。その問題が、book3のなかで天吾の父の生の倫理を通して濃密に語られる。そのことで、book1とbook2における母の喪失、あるいは「海辺のカフカ」(参照)で放り出したオイデプスの問題にファルスが対立する。NHKは国家の暗喩である。集金とは税の比喩である。国家の幻想は公正を装いながら、国民をゲシュテル(徴収)する。逃れようにも逃れられないものとして、父の原理として戸の陰にうずくまるものを暴き立てる。
 book3の巧妙だがやや曖昧な暗喩は、追い立てる幻影の先に、ジャックと豆の木の洒落のような、天吾、青豆、牛河という滑稽な名の主人公たちを置いてみせることで、彼らの聖化を明らかにする。何かが彼らを絶対的な孤独なものとして聖別している。その何かとは、青豆のいう王国であり神を指し示している。天吾はまさに、「天は吾れ」として青豆の鞘なかにドウタとして再臨が予定される。牛河の悲惨な最後は神の恩寵として捧げられている。その構図からすれば、1Q84という物語には、おそらく20年後の神の出現の物語が隠されているし、book3のなかで敢えて解かれなかった謎がそこにまとまることも予想できる。しかし、それはbook4なりの物語を暗示しないだろう。別の物語となるだろう。
 book3は、予想外の成功をもって一つの完結を迎えた。作者が批評の立場に立ってみせることで、かつての長編のように謎を放置するだけのことはなく、謎の回収を行った。生の強い意志が、作品の文学的な合わせ鏡を許しはしなかった。
 そのことは同時にこの作品の想定された期待の限界も意味している。日本が、そして世界が、1984年以降抱えてきた暴虐の謎を逆にこの作品はうまく解き明かすことができなかった。露骨にいえば、オウム事件を産み出した日本社会の狂気の無意識を1Q84はうまく射貫いてはいない。リトル・ピープルを1Q84に置き去りにすることは解決ではない。現実は物語に文学にその解決を求めている。ひりひりと求めている。
 私はもう一つ蛇足を言う。作品の作者は、ちょうどこの作品のフラクタル的な構造の原型がそうであるような意味で言えば、つまり天吾が原型の物語の作者ではなく深田絵里子がそうだという意味で言うなら、おそらく村上春樹ではないと私は思う。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

2010.04.15

ワシントン・ポスト、コラム曰く「あのさ、日本人、ユキオ」

 14日付けワシントン・ポストのアル・カーメン(Al Kamen)氏のコラム「Among leaders at summit, Hu's first」(参照)が、核安全保障サミットに出席した鳩山由紀夫首相をおちょっくっていて、日本のマスコミでも話題になっていた。朝日新聞記事「「最大の敗者は鳩山首相」 核サミット、米紙が皮肉」(参照)や読売新聞記事「「哀れでますますいかれた鳩山首相」…米紙酷評」(参照)などだ。
 国内報道の受け止め方は、鳩山首相への酷評と見るか皮肉と見るかというところだが、実際原文を読んでみると、皮肉といえば皮肉だが、おちょくりといった軽い印象の読み物であり、とりわけオバマ政権の内心がどうというほどの話でもない。
 むしろ原文は、鳩山氏が話題になっているというより、米国の軍事同盟国の一員として、鳩山氏に代表される日本人が問われているという印象をもった。"Uh, Yukio, you're supposed to be an ally"というあたりにその印象が強い。そうした印象が出るように試訳してみた。



By far the biggest loser of the extravaganza was the hapless and (in the opinion of some Obama administration officials) increasingly loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama.

核安全保障サミットとかいうドタバタ喜劇でダントツの負け馬は、不運で、(これはオバマ政権関係筋の意見でもあるのだが)ますます頭がイカレてくる日本の首相、鳩山由紀夫だ。

He reportedly requested but got no bilat. The only consolation prize was that he got an "unofficial" meeting during Monday night's working dinner. Maybe somewhere between the main course and dessert?

報道によれば彼はサシの対談を望んだがダメだった。唯一得られた残念賞は、会談をかねた月曜夜の食事会での「非公式」対談だった。たぶん、食事後にデザートが出てくるまでの合間ではないかな。

A rich man's son, Hatoyama has impressed Obama administration officials with his unreliability on a major issue dividing Japan and the United States: the future of a Marine Corps air station in Okinawa.

金持ちの息子である鳩山は、オバマ政権の関係筋に対して、日本と米国を分かつ主要問題の一つで、信頼性を損ねてきた。問題は、在沖米軍海兵隊普天間飛行場の未来についてである。

Hatoyama promised Obama twice that he'd solve the issue. According to a long-standing agreement with Japan, the Futenma air base is supposed to be moved to an isolated part of Okinawa. (It now sits in the middle of a city of more than 80,000.)

鳩山はオバマにこの問題を解決すると二度も約束した。長期的展望に立った日本との合意で、普天間飛行場は沖縄の非市街地域に移転させることになっている。(現状では人口八万人の市街地の中央にある。)

But Hatoyama's party, the Democratic Party of Japan, said it wanted to reexamine the agreement and to propose a different plan. It is supposed to do that by May. So far, nothing has come in over the transom.

だが鳩山率いる日本民主党は、この合意を再検討し別案を提示したいと言った。別案は五月までに提案されることになっている。これまでのところ、頼みもしない提案は来ていない。

Uh, Yukio, you're supposed to be an ally, remember? Saved you countless billions with that expensive U.S. nuclear umbrella? Still buy Toyotas and such?

あのさ、日本人、ユキオ。君は建前上、同盟国の一員なんだが。忘れちゃったか? 米国の高価な核の傘の分、何十億ドルもの金額を君に節約させてんだよ? なのに、トヨタの自動車みたいもん買えってか?

Meanwhile, who did give Hatoyama some love at the nuclear summit? Hu did. Yes, China's president met privately with the Japanese prime minister on Monday.

この間、核サミットで鳩山にいくばくか慈愛を施したのは誰か? 胡錦濤だ。そう、月曜日に日本の首相と内密に会合を持ってくれたのは、中国主席でした。


 おちょくりの軽いお笑いコラムといったなかに、鳩山首相なんか立てている日本人に、しっかりしてくれといったユーモアが感じられる。

| | コメント (9) | トラックバック (1)

2010.04.14

韓国海軍哨戒艦「天安」爆沈、その後

 先月26日夜、韓国が黄海上の軍事境界線と見なす北方限界線(NLL)(参照)に接する白翎島の南西約2キロ地点で、警備活動中の韓国海軍哨戒艦「天安」(全長88メートル、1200トン)が爆沈した。


白翎島

 乗員104名中救助されたのは58名。一名の遺体が発見されたという報道もあった(参照)。44名は海底に残されているらしい。明日引き上げ開始となる予定だ(参照)。
 爆沈は激しいものだった。韓国地質資源研究院は、TNT火薬で約260キロの爆発に相当する空中音波を観測した(参照)。この火薬量は北朝鮮サンオ級小型潜水艦の魚雷の爆発力に相当する。
 爆沈の理由は現報道ではわからないとされているが、朝鮮日報「哨戒艦沈没:「外部爆発の可能性大」」(参照)では、船底の下で魚雷・機雷などによる外部爆発が発生した可能性を報じ、機雷の可能性を高く見ている。
 機雷であろうか。朝日新聞「軍艦沈没、広がる疑心暗鬼 韓国内で北朝鮮関与説やまず」(参照)は北朝鮮の関与を含め、こう報じている。


 韓国内では「北朝鮮軍の関与」説が飛び交っている。メディアは大々的な報道を続け、国会では与野党を問わず政府に北朝鮮の関与の有無をただす質問が絶えない。
 だが、政府側は慎重だ。これまでの調査では、哨戒艦は潜水艦や魚雷が標的を探すために発信するソナー音を感知していない。機雷の可能性も低いとみられている。原因の特定につながる情報がないなか、金泰栄(キム・テヨン)国防相は「すべての可能性を念頭に置いている」と繰り返している。

 韓国内に、北朝鮮の関与による外部爆発を疑う声も多いのは、ある意味で当然のことだろう。関与が明確になればなったで大きな問題となる。同記事より。

 もし北朝鮮の犯行となれば、ラングーン事件(1983年)や大韓航空機爆破事件(87年)に匹敵する事件となる。対応を誤れば政権の危機にもつながりかねず、韓国政府は調査に万全を期すため国際合同調査団の創設を各国に打診し、米、英など4カ国が参加を表明した。

 朝日新聞報道は曖昧に書いているが、北朝鮮の関与が明確になれば軍事的な対応を取らざるを得なくなるという含みがある。
 同記事は、オバマ政権も韓国側の慎重姿勢に配慮し、調査終了まで北朝鮮との協議自粛を決めたと続くが、問題は六か国協議のほうにある。今日付のロイター「オバマ米大統領、北朝鮮の6カ国協議復帰に期待」(参照)は、「天安」爆沈の文脈に触れず、北朝鮮について展望を述べている。

核安全保障サミット閉幕後に行われた記者会見で、オバマ大統領は「北朝鮮は自国民に深刻な打撃を与える厳しい孤立への道を選択したと言っていいだろう」とコメント。その上で、制裁の圧力がさらに高まれば、北朝鮮は孤立状況から抜け出そうとし、6カ国協議にも復帰することになるだろうと述べた。

 だが、「天安」爆沈の文脈に触れずに六か国協議が再開されることは当面なくなったと見てよいだろう。
 別の言い方をすれば、日本の報道では核廃絶といった美しい文脈に核安全保障サミットが置かれているが、現実の文脈に置き直せば、核安全保障の問題はイランの核化と北朝鮮の核保有の問題であり、後者が今回の事件で抜き差しならぬ事態となりかねない。
 もう少し踏み出して言えば、北朝鮮は核保有をやめることはないという各種のメッセージが出されてきた文脈のなかに、この事件が置かれるのかもしれない。12日付けワシントン・ポスト社説「What is most likely to denuclearize North Korea」(参照)もそうした文脈を暗に重視しているようにも読める。

There's debate over whether such Chinese aid would be useful in restarting diplomacy or unhelpful in easing the pressure that alone might someday spur a deal.What's most likely is that it doesn't matter: that the North Korean regime will never give up its nuclear weapons, because it has nothing else -- no legitimacy at home or abroad.

中国のような北朝鮮支援が六か国協議再開に有益なのか、将来単独で事態を進展させうる圧力の緩和は有益ではないか、といった議論がある。可能性としては大した議論ではない。北朝鮮は絶対に核兵器を放棄しない。もうそれ以外に北朝鮮には何もないからだ。北朝鮮内外に国家存立の正当性はない。

As in Iran, the problem is the regime more than the weapons. That's not an argument against engagement with Kim Jong Il any more than with the mullahs.

イラン同様、問題は核兵器ではなく、国家体制の維持にある。シーア派の大義ほどに金正日の関与も問題にならない。

It is an argument for clear-eyed engagement, though -- with a recognition that in the long run only a change in the nature of North Korea's government is likely to solve this problem.

問題は現実を見ろということだ。北朝鮮政府の体制に変化がなければ、核の問題を解決することなどできないと認識することだ。


 懐かしのネオコン音頭のように聞こえないでもない。だが、その主張を現実の世界でしているのはオバマの米国ではない。核兵器抜きの北朝鮮というものはありえないのだということを、悲鳴のように告げてきたのは北朝鮮だろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010.04.13

タイ流血衝突

 10日、タイの首都バンコクで、反政府デモ勢力と治安部隊が衝突し、ロイター通信の日本人カメラマン村本博之さんを含め21人の死者と900人近い負傷者を出す流血の惨事となった。私はここまでの事態は想定していなかったのでやや驚いた。
 抗争の背景には、現アピシット首相を支える、対外勢力とも結びついた既存財閥及び官僚、都市中間層、さらに王室もこちらに近いと見られる既存勢力の黄色の派、民主化市民連合(PAD)に対して、タクシン元首相を支持する新興財閥勢力に地方農民や都市貧困層を加えた赤の派、反独裁民主戦線(UDD)との利害対立がある。が、そこまでは従来通りで、なぜ事態がここまで悪化したについては十分な説明にはならない。
 おそらく過激な動向への変化には、バンコク週報「戦術を巡りUDD内で対立か」(参照)が指摘するように、UDD内の分裂から戦術変更が関係しているのではないだろうか。


 UDD首脳部は、ベテラン政治家のウィラ氏やチャトゥポン・タイ貢献党議員らのグループ、カティヤ陸軍少将やパンロップ・タイ貢献党議員らのグループ、非合法組織・タイ共産党の幹部だったスラチャイ氏やチャクラポップ元首相府相らのグループで構成される。
 現在の反政府デモを陣頭指揮しているのはウィラ氏らのグループだが、平和的な手段に固執する同グループは、カティヤ少将やスラチャイ氏らが過激な手段に訴えるべきとの主張を変えないことから、この2つのグループと決別することになったようだ。

 日本側の公開された報道からはよく見えてこないし、仮定に仮定を重ねる議論は危険だが、この「過激な手段」に銃器類の使用も関係しているかもしれない。現実問題として、銃器類が使用されたために惨事が発生した。
 普通に考えれば、中国の天安門事件でも明白なように、銃器類を使用するのは政府側であり、今回もアピシット政権側が強行な行動に出たか、末端が暴走したかにも思える。ただ、暴走と見るにはやや広範囲な印象もある。また、アピシット政権が強攻策に出て鎮圧できると見なすメリットは、状況から考えると少ない。
 政府側の報道では、銃器類の使用がUDD側であることを仄めかしている。産経新聞系IZA「タイから消えた「ほほ笑み」 軍とデモ隊衝突、21人死亡 負傷者800人超に」(参照)より。

 一方、政府のパニタン報道官は11日の記者会見で、衝突では政府が持っていない武器や催涙弾が使われたと指摘。デモ隊に奪われた銃器類もあるという。調査委員会を設置し、メディアなどから映像の提供を受けた上で詳細を調べるとした。

 現状では、政府側に銃器使用がなくUDDのみ使用したとの想定はできない。だが、UDD側に銃器を使った闘争への変化があれば、問題を見る枠組みは変わってくる。
 毎日新聞社説「タイで日本人死亡 真相究明が最優先だ」(参照)では亡くなった村本博之さんの死因解明を次のように政府側に求めている点で予断を含んでいるようにも思われる。政府側からの対応はそれ自体政治的な色合いを持つだろう。

この密接な両国関係を考える時、村本さんの悲劇の経緯は極めて重要だ。撃ったのは誰か。流れ弾か意図的なものか。意図的な銃撃ならばその狙いは何だったのか。こうしたことをぜひとも明らかにする必要がある。タイ政府の誠実な対応を強く求めたい。

 今後の推移だが、今朝の大手紙社説がこぞって民主主義的な解決を求めるとし、選挙管理委員会の主張も踏まえ、アピシット政権側に選挙のやり直しを求めるというふうにも受け取れる主張をしていたが、選挙を実施すれば恐らくタクシン派、つまり、UDD側が勝利することになるだろう。アピシット政権としては、その趨勢がある内は、「民主主義」的な流れには変わらないだろう。
 加えて今回は、恒例でもあった国王の仲裁も、国王の高齢化や権力の複雑さから難しいようだ。また、対外的な勢力による介入的な動きもないようだ。さらに気になるのは軍の動きだが、全体としては現状冷静な対応しているように見える。
 アピシット政権が取り得る最適戦略は、ある種の引き延ばしではないだろうか。それ対して、UDDがどこまで強攻策を維持できるかという均衡がある。強攻策は現状ではアピシット政権を追い詰める成果となっているが、ある地点からは孤立化に向かうだろう。
 おそらくUDDの強攻策がタイ国民的に受け入れがたいという妥協点でアピシット政権の妥協も含めての現政権継続となるのではないか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2010.04.12

リシャルト・カチョロフスキ(Ryszard Kaczorowski)元ポーランド大統領

 10日、ポーランド空軍のTu-154がロシア連邦西方スモレンスク北飛行場への着陸進入中に墜落し、ポーランド政府要人96名が死亡した。死者には、ポーランド大統領レフ・カチンスキ夫妻やリシャルト・カチョロフスキ(Ryszard Kaczorowski)元ポーランド大統領が含まれる。

cover
リシャルト・カチョロフスキ
(Ryszard Kaczorowski)
 リシャルト・カチョロフスキ氏は1919年の生まれ。90歳であった。小説家ジェローム・デイヴィッド・サリンジャーと同じ年の生まれである。
 1989年7月19日から1990年12月22日、ポーランド亡命政府の最後の大統領(第六代)を務めた。最後というのは、1990年にポーランドの共産主義政権が崩壊後、初の自由選挙で大統領に選出されたレフ・ワレサ(ヴァウェンサ)大統領の就任式に国璽(presidential insignia)を渡し、亡命政府大統領を退いたからだ。
 ワレサ大統領は第三共和制の第二代大統領であったが、初代ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ大統領はいわば自由選挙までのつなぎであった。なお、ヤルゼルスキ氏は、2006年4月31日、1981年から83年の戒厳令下の民主化弾圧が憲法違反に問われ起訴された。
 カチョロフスキ氏の人生は、20世紀のポーランドの歴史の一面を物語る。1939年、19歳のときソビエト軍によるポーランド侵攻で従軍した。その後は、愛国的なボーイスカウト運動を推進したが、その活動がソ連の疑惑の対象となり、後のKGBとなる内務人民委員部(NKVD)に連行され、死刑判決を受けた。後、10年間の強制労働に減刑され、ナチスのアウシュヴィッツと並ぶ史上最悪の強制収容所コルィマ(Kolyma)に送らることになった。幸いこれも1941年、亡命政府のヴワディスワフ・シコルスキ首相がソ連と外交関係修復条約を締結したことで特赦となった。
 その後、カチョロフスキ氏は軍人ヴワディスワフ・アンデルス氏の指揮下に入り、連合軍兵士としてモンテ・カッシーノで戦った(Battle of Monte Cassino)。アンデルス氏はすでに、カチンの森事件についてソ連に疑いを持っていたことから、ソ連との共同を避けていた。
 戦後のカチョロフスキ氏は、英国に政治亡命者として亡命した。ポーランド亡命政府の軍人はポーランド市民権を剥奪されたからである。27歳であった。やり直しの人生として、英国の大学で国際貿易を学び、ビジネスマンとして働くかたわら、当地のボーイスカウト活動にも注力した。英国の名士の仲間入りもした。ロンドンでの亡命政府の大統領職もどちらかというと、著名人の名誉職と言ったものだったのだろう。2004年には英国女王からナイトの称号も授与された。
 運命に翻弄された人生であったともいえるし、30代以降は平穏な人生であったといえるかもしれない。思いがけぬ事故ではあったが、長寿でもあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.11

都市化し、経済成長するアフリカ

 将来の世界の都市化ということで、前回の「2025年、世界最大の都市は東京。しかも、ダントツ。: 極東ブログ」(参照)にも関連するが、今後30年でもっとも都市化が進む地域は、どこか? アジア地域を想定する人が多いのではないだろうか。しかし、それはアフリカであるかもしれない。
 2月のニューズウィーク記事「How Africa is Becoming the New Asia」(参照)がこの問題を扱っていた(同記事は日本版3.17に邦訳もあり)。


Today only a third of Africa's population lives in cities, but that segment accounts for 80 percent of total GDP, according to the U.N. Centre for Human Settlements. In the next 30 years, half the continent's population will be living in cities.

現状ではアフリカ人口の三分の一しか都市に暮らしていないが、この都市民が国内総生産(GDP)の80パーセントを産み出していると、国連人間居住センター(UNCHS)は指摘している。今後の30年で、アフリカ大陸の人口の半数が都市民となる。


 都市化をどう捉えるかにもよるし、最も都市化が進む地域がアフリカだということはできないかもしれないが、それでもアフリカの人口の半分が都市民になるというのはかなり大きな変化であり、その兆候はすでに見て取れる。
 前回のエントリーでも触れたが、2025年の世界では、現在20位にも入っていないのに、11位にコンゴのキンシャサ、12位にナイジェリアのラゴスが1500万人都市のレベルで上がってくる。ニューズウィーク記事では、ラゴスをどちらかというと明るく描いている。都市人口もすでに1800万人としている。

Nowhere is this relationship between the consumer class and urbanization more apparent than in Lagos, Nigeria, a megalopolis of 18 million that has the anything-goes pace of a Chongqing or Mumbai. On Victoria Island, the city's commercial center, real estate is as expensive as in Manhattan. Everywhere you look, there is construction: luxury condos, office buildings, roads, even a brand-new city nearby being dredged from the sea that will hold half a million people.

消費階級と都市化の関係がもっとも顕著なのはナイジェリアのラゴスを置いて他にはない。ラゴスは1800万人を擁する巨大都市で、重慶やムンバイのようになんだってアリで物事が進んでいる。都市の消費部であるビクトリア島の不動産価格はマンハッタンより高い。どこもかしこも建築中だ。高級マンション、オフィスビル、道路、さらに海を浚渫した最新都市には50万人が居住するようになる。


イコイ湾から見たラゴスのビジネス中心地区

 当然ながら経済成長も激しく、当然ながら成金も出現する。6日付けフィナンシャルタイムズが「From megacity to metacity」(参照)が指摘したような暗部も大きい。
 まったくの無秩序とはいえないが、都市化に伴いアフリカは成長していく。ニューズウィーク記事ではこうも指摘している。


In 2007 and 2008, southern Africa, the Great Lakes region of Kenya, Tanzania, and Uganda, and even the drought-stricken Horn of Africa had GDP growth rates on par with Asia's two powerhouses. Last year, in the depths of global recession, the continent clocked almost 2 percent growth, roughly equal to the rates in the Middle East, and outperforming everywhere else but India and China.

2007年と2008年、南部アフリカ、ケニア、タンザニア、ウガンダの大湖畔地域、さらに厳しい干魃のアフリカの角の地域ですら、アジアの二雄に匹敵する国内総生産(GDP)成長を遂げた。昨年の世界不況ですら、アフリカ大陸は2パーセント成長した。これは中近東や、インドと中国を例外とすればどの地域よりも突出している。


cover
アフリカ
動きだす9億人市場
 アフリカの角はソマリア半島である。そこでも経済成長している。アフリカ全域でも高い経済成長が見られる。なんとなく私たちの通常の印象と違うかもしれないし、よほど低い地点からの成長だからとも思うかもしれない。しかし、中間層も出現しているし、なにより近代的な巨大都市がこれらを牽引していると見てよいだろう。もちろん、残された地域との大きな差違も問題にはなる。
 これだけの成長セクターなのだから、より一層の投資チャンスと見えるかもしれないし、実際そうでもあるのだが、リスクは高い。汚職もひどい状態で、国際的な汚職関心団体の指摘では53か国中36か国で汚職が蔓延しているのことだ。治安もよくない。
 しかし、ものは考えようで、治安も悪く、そして汚職が蔓延している地域こそ手慣れたチャンスとして一団となって乗り込む人々もいる。まあ、誰というまでもないが。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2010年4月4日 - 2010年4月10日 | トップページ | 2010年4月18日 - 2010年4月24日 »