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2010.12.31

簡単にできて面白いトランプゲームといったらブラックレディー

 簡単にできて面白いトランプゲームといったらブラックレディーというのが、たぶん、グローバルスタンダード。Windowsにも「ハーツ」という名前でおまけになっている。

WindowsのHearts
Windowsのおまけのハーツ

 ブラックレディーは国際的には有名だが、その割に日本ではあまり見かけないような気がする。以前、小中学生に聞いたら知らないと言っていた。ブラックレディー以外にハーツまたはハートという呼び名もあるし、名前が違っても同じゲームということもあるので、これこれというゲームなんだがと補足しても、知らないとのこと。じゃ、トランプで何やってんのと聞くと、大富豪らしい。僕らの世代で大貧民と言ってあれか。あれは、やれば面白いのだけど、フォローが気持ち悪いんだよな。ルールもローカル多すぎて。ちなみにiPhoneアプリの「大富豪しよっ!!」をみると各種のローカルルールがオプションで選べるので感動した(キャラに感動したわけではないよ)。
 ブラックレディーといえば、現代日本だと、あれ(参照YouTube)が有名かもしれないが、トランプではスペードのクイーンのことであり、プーシキン「スペードの女王」(参照)や、そこから出来たチャイコフスキーのオペラを想起するのが常識の部類ではあるが、あれに使われているトランプはファラオンという一種の賭けで、このトランプゲームのことではない。いずれにせよ、このゲームではスペードのクイーンが不吉な意味を持つ。
 ブラックレディーを一言でいえば、不運のなすり合いである。他人を陥れたい人にはネットで匿名の悪口を書くより向くだろうし、そのほうが平和というもの。
 ゲームのルールはいたって単純。日本のトランプ状況からしてシンプルな欠点があるとすると4人でするゲームということだけだろう(ただし、3人または5人でできないことはない)。

使うカード
 ジョーカーは使わない。
 カードの強さは、強いほうから、A,K,Q,J,10,9,8,7,6,5,4,3,2。

ゲームの目的
 マイナス点が少ないプレーヤーが勝ち。
 マイナス13点になるスペードのクイーン(♠Q)と、ハートのカード()をできるだけ取らないようにする。

スコア
 手札がなくなったら1ゲーム終了でスコア(得点)を付ける。
 獲得したカードの点数がスコアになる(ただしマイナス点)。スペードのクイーンは-13点。ハートのカードは数字でマイナス点。Aは-1点。最悪は-26点になるのだが、この最悪を達成するとグランドスラムまたはシュート・ザ・ムーンとして、達成者以外の3名にそれぞれ-26点が付く。
 -100点に達したプレーヤーが出たら、その人が負けということで、終わり。

配り方
 よくシャッフルしてから、4人に1枚ずつ、計13枚配る。
 誰が配るかは4人で決めておく。(通常、前回ゲームで負けた人。)

ゲームの仕方
 最初に、各人手持ちの3枚のカードを交換する。3枚を選んで左隣の人に渡す。自分も右隣の人から3枚受け取る。
 ゲームの進行の規則は、最初にカードを出した人のマーク(♠♦♥♣)に合うカードを出す(フォローする)こと。手札にそのマークがなければ、自由に出してよい(これが狙い目)。
 1枚目に出すカードは♣2。つまり、この♣2を持っている人からゲームを始める。時計回りに次の人がカードを出す。
 4人で4枚のカードが出たら、マークに合ったなかで一番強いカードの人がその4枚のカードを得る。(言うまでもないが得て嬉しいものではなく、不幸のカードを押しつけられることが多い。)
 手札がなくなったらゲーム終了。スコアを付ける。

3人または5人のとき
 このルールはあまりはっきりしていない。以下を提案。
 3人のときは、♠2を抜いた51枚を17枚ずつ配る
 5人のときは、♠2と♦2を抜いた50枚を10枚ずつ配る。


 これでたぶんゲームができると思うがどうだろう。Windowsがある人は、おまけの「ハーツ」でやってみると理解が深まるだろう。覚えたら、実際に仲間を集めて(小学生でもOK)、バイスクル(参照)のように手触りのいい本物のカードでプレイすると楽しい。
 ブラックレディーの面白さのポイントは、なんと言っても不幸な失点カードをできるだけ嫌な奴に押しつけることだ。当然、そんなことをする奴は嫌な奴なので同じ目にあう。不幸のなすり合いってなんて楽しいんだろうと、トランプで悦楽を堪能して、日常生活でそういう充足をはからないようにしましょうね。
 やってみるとわかるが、かなり高度な戦略が存在する。いろいろ研究されてもいる。例えば、♠Qは最初に相手に渡さず保持したほうがよいことが多いなど。
 このゲームにはどういういきさつがあるのだろうか。私の書架にある松田道弘の「トランプのたのしみ」(参照)を見ると、1885年の「スタンダード・ホイル」の記述から、その5年ほど前から米国だけでプレイされているが、おそらくドイツ生まれであろうとしている。
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楽しくはじめる
トランプ入門
松田道弘
 してみると1880年頃に米国でドイツ移民から広まったのではないか。日本でいうと明治13年ころになる。
 私がブラックレディーをするたびに思うのは、その原形である。やってみると誰でもわかるように、これは、非常に基本的なトリック・テーキング・ゲームから出来ている。つまり、オープニング・リード(1枚目を出すこと)をした人のスーツ(マーク)に合わせてフォローする(同じスーツを出す)ことだ。
 不思議に思うのは、そのもっとも基本的なトリック・テーキング・ゲームは何と言う名前のゲームなのだろうか、ということ。
 トランプのカードを構成を見ても、これは明らかに、そのゲームのために出来たカードであるはずなのに、その祖型がよくわからないなんてことがあるんだろうか。もちろん、トランプ自体の祖型は占いカードではないかとは思うが、ゲームとは別であろう。
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バイスクル
ライダーバック
 普通に考えれば、ホイストの原形のトリック・テーキング・ゲームとなるので、ホイストの歴史を見ればよいのだろうが、ホイストは2組で争うという特殊なゲームのようにも見える。ついでに、日本で定着した「トランプ(切り札)」という呼称もホイストへの一種の誤解から出来ているから、日本でも明治時代あたりにホイストがプレイされていたのではないか。
 というか、私は何か勘違いしているのかもしれないので、そんなこともわからんのかという方がいらっしゃったら、教えてくださいな。
 では、よいお年を。

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2010.12.30

ドイツのボードゲーム史上初の三冠を獲得したドミニオンはなるほど面白かった

 ドミニオン(Dominion)はドイツ人、ドナルド・X・ヴァッカリーノ(Donald X. Vaccarino)が考案し、2008年、米国のリオグランデ・ゲーム(Rio Grande Games)社から発売されたカードゲームである。特定の創作者によるカードゲームはデザイナーカードゲームと呼ばれる。

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ドミニオン日本語版
 ドミニオンは、2008年の10月23日から4日間開催された恒例のエッセン国際ゲーム祭で発表され、国際的にも大人気となった。その直後、日本でも英語版でブームが起きていたようだった。
 2009年には各種の賞を取った。ドイツゲーム賞2009(Deutsche Spiele Preis 2009)の大賞、ドイツ年間ゲーム大賞(Spiel des Jahres 2009)で大賞、アラカルト・カードゲーム賞(Fairplay:À la carte Preis 2009)で第一位とのこと。すごいね。
 そんなに面白いものかねと気になってはいたが、カードが500枚と聞いて尻込みしていると、2009年4月にホビージャパンから日本語版が発売されて日本でも話題になった(参照)。じゃあ、やってみますか。
 ゲームは二人から四人。たぶん四人が一番面白い。各プレーヤーは貧しい資産から出発し、領土を拡張し領主とならんとする。国盗り物語である。信長の野望である。三国志である。とかいうと、なんか戦争ばっか繰り返すイメージだが、これがけっこう違う。戦闘はないと言っていい。
 というか、やってみて、これは面白なと思ったのはそこだった。どちらかというと、いかに資産を形成し、国力の資源を築き上げていくかというのがポイントになる。シムシティーとかiPhoneアプリのセトラーズに近いのかもしれない。
 国土の基本的な資源(王国)は10種類のカードで表現され、この10種類をそれぞれ山にしてテーブルに並べる。それに加えて貨幣カードの山がある。金貨、銀貨、銅貨である。さらに領有の対象となる属州、公領、屋敷カードのもある。これ、英語だと、Province、Duchy、Estateになる。西洋史の語感の勉強にもなるな。
 ゲームのターゲットは領有を増やすことで属州のカードが無くなると(売り切れると)ゲームは終わり。あるいは、国土の資源か貨幣の3種類が尽きてもゲームは終わる。
 プレーヤーが一つのターンでできることは、アクション(Action)、お買い物(Buy)、クリーンナップ(Cleanup)のABC。アクションつまり行動内容はそれぞれの資源のカードに書かれている。お買い物は通常貨幣で資源を買っていく。クリーンナップがこのカードゲーム特有の動作で手持ちのカードをいったん捨て山にする。この山はいずれ手札に還元される。ということで、購入した資源がどんどん増えていく。戦略は各自のアクションとお買い物の選択で決まる。
 複雑なようだがやることはABCだけとも言えるので、対象年齢8歳以上とあるのも頷ける。ただし、ルールブックは、個人的な印象だがわかりづらかった。まあ、二度ほどやってみるとゲーム自体に合理性があるので自然にわかるようになる。
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ドミニオン陰謀
 王国の10種類のカードだが、一回のゲームに使うのが10種類ということで、全部では25種類ある。つまり、25種から10種選んでゲームになるのだが、この組み合わせでゲームの質ががらりと変わる。この部分をさらに増強するとさらに別のゲームができるということで追加のゲームとして「陰謀」(参照)なども発売されている。
 ドミニオンで最初にお薦めされる10種類でやったときは、ほへぇ?面白くないことはないが、これって地味な内職型ゲームじゃないのと思った。他のプレーヤーに聞くと、うなっていた。TCG(トレーデイング・カード・ゲーム)ってこんなものと聞くと、違うけどと答えていた。まあ、もう一度やってみますかと、王国のセットを変えてみたら、がらりとゲームが変わった。アクションの連鎖や戦略ががらりと変わり、内職ゲームじゃないな、かなり相手のカードや戦略を読まないといけないとか思う。アクションの面白さに惹かれていると、目的が失念され負けたりする。このあたりで完全に嵌った。これ、面白いぞ。
 歴史好きの私の趣味にも合致している。アクションで実質説明される各概念が面白いのである。宰相(Chancellor)や役人(Bureaucrat)は苦笑だが、民兵(Militia)には爆笑した。市民兵というのは、まさに、こういうやつらなのだ。つまり、盗賊団みたいなものだ。で、この厄介な市民兵に対する市民はどうするかというと、堀(Moat)で防御する。そうそう、城壁の中にいるのが市民なのである。
 ゲームの後、参加した人にその手のうんちく話をしたところ、魔女も堀に落ちるんすかと言われた。落ちるんじゃねーの。「魔女も堀に落ちる」って西洋カルタで言うじゃね。

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2010.12.29

今年は75周年記念になるモノポリーが面白かった

 今年を振り返ると意外とモノポリーをやっていたなと思い至った。あの双六ゲームのモノポリー(Monopoly)である。
 理由は……というほど大した話でもないが……iPhoneアプリにコンピューター対戦版のモノポリーをたまたま見つけて、これなら一人でもできるし、一人でできるなら以前やったが忘れてしまったルールを確かめておきたいというのがあった。これも、なかなかよいですよ。ついでにワールド版のほうのアプリも買ってしまったが、ルールというか面白さは同じ。力士の駒がアニメーションで動くのが笑えるというくらい。ただ、本当に面白いのは実際のボードゲームのほう。

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モノポリーNEW
 もう一つ理由があった。今年はモノポリー75周年記念らしく、そのせいか、ようやく今年になって日本版も世界標準のデザインにリニューアルされたらしい。そりゃいいなと思った。アマゾンで見たら「モノポリー NEW」(参照)とNEWが付いている。が、NEWというより英語版のクラシックに近いスタンダードなものになった(厳密にはルールも細かく整理されたらしい)。じゃあと思って欲しくなった。以前私がやったのは英語版だった。
 私がモノポリーをやっていたのは1992年頃だったと思う。なんとなく集う友人間で始まったのだが、どちらかというと私は傍観者だった。今思い出すと、糸井重里さんが仕掛けたブームのころだったのか。と調べてみると、彼の仕掛けは1986年らしい(参照)。してみると私たちのあれはそうした影響だったのだろう。
 メンツを揃えて久しぶりにモノポリーをやってみると面白い。いやあ、これは面白いもんだなと思った。やったことがない人はやってみることをお薦めする。
 ルールは率直に言って簡単とは言い切れない。が、対象年齢は8歳以上というのは嘘ではない。一度プレイすれば小学生でもできる。これを小学生にやらせておけば、民主党政権にぞろぞろいるような「アナクロティック (C) by Sengoku」(参照)な左翼爺さんみたいな者にはならなくなる……いや逆に資本主義打倒とか言うようになるかな。まあ、そんなことはどうでもいいが、こうしたゲームを通して、"mortgage"とかの感覚を小学生くらいから養っておいてもいいのではないか。牢獄に入れられても適当な対価で出られるという感覚も自由主義国なら普通に子どもが身につけていい感覚だ。
 プレイ時間は意外とかかる。二時間くらいは普通にかかる。現代的ではないなとそこは思うのだが、その後普及しているスピードルールはどうもなじめない。これはしかし私も考えが変わるかもしれない。
 時間を決めて打ち切るというのもしかたないことがあるが、プレーヤーの二人が同じくらいの力で拮抗しているときは、あと10分もすればモノポリーらしい効果で総崩れが起きると思うとなかなか引きづらい。このカタストロフィックな感じはまさに世界大恐慌の思い出が生み出したゲームならではないかと思う(つまり、その点では現代の資本主義とはかなり違う感覚ではないのか)。
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モノポリーディール
 ついでに最近できたらしい「モノポリーディール」(参照)というカードゲームもやってみた。
 カードゲームのモノポリーディールは、当然ながら双六のモノポリーとはまったく違ったゲームなのだが、カードに使われているネタはモノポリーと同じなので似た雰囲気が味わえるし、賃貸料を家やホテルを仕掛けて相手を破産させるあたりはいかにもモノポリーらしい。こちらは、1ゲームが30分くらいで終わる。慣れてくると20分くらいと手短で済む。セットもカードだけなので持ち運びも楽だし、ちょっと見には複雑な印象のルールもだが、かなり簡素にまとまっていてやはり8歳以上でできる(1枚にまとめたルールカードも4人分ついている)。意外にこれはいいなと思ったのは、二人でやってもそれなりに様になることだ。モノポリーはなんとなく気が引けるという人が、最初にこれをやっても楽しいだろう。
 私としてはカードゲームというのはトランプの亜流のようで、ルールとか戦略の美しさというものがないなと思っていた。二人ならジンラミー、四人ならブラックレディーで十分ではないかと。しかし、そうではないな。当たり前といえば当たり前だが、新作のボードゲームやカードゲームには独自の世界観や、対人交渉の独自の面白さがある。


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2010.12.28

[書評]RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語(小林弘利著・錦織良成クリエイター)

 昨年のNHKだったかと思うが、映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」(参照)のロケシーンを見た。本仮屋ユイカ演じる娘が自転車で駅に駆けつけるという場面であった。加えて、ロケ現場の出雲の話などもあり、なるほどこの映画は面白そうだなと思っていた。
 映画の公開は5月29日で、そのころ主題歌が、松任谷由実の「ダンスのように抱き寄せたい」(参照)であることを知った。歌はユーミンが老いを迎える男女の思いを描いた感動的なものでもあった。
 実際に映画を見たのは、鉄道の日、10月14日にDVD・ブルーレイが発売されてからのことだった。

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RAILWAYS
[DVD]
 感動的な映画で、なにより出雲の光景が美しく、ああ、日本という国は美しいものだなとしみじみ思った。
 私は筋金入りの「鉄」ではないが、主人公のように子どもの頃なりかったものは電車の運転手である。まあ、電車は好きな部類なので「鉄」の気持ちは少しわかる。この映画には「鉄」の心の奥底に響くシーンがあるし、DVDの編集にもそれが感じられた。正直に言えば、主人公の筒井肇を演じる中井貴一が運転手の訓練をしているシーンには深く感動した。
 話はタイトルどおり、49歳で電車の運転士になった男の物語である。大手家電メーカーの営業で鳴らしたのち、経営企画室長となり、工場リストラの功から取締役にまで出世という矢先に、そのキャリアを捨て、子どもの頃なりかった故郷のローカル線の運転手となるという話だ。おとぎ話と言ってもよい。
 彼の心を変えたものは何か。故郷の出雲に暮らす老母が倒れ末期の癌であることがわかったこと。リストラされる工場長であった同期の親友が交通事故で不慮の死を遂げたこと。仕事ばかりに専念し家庭を顧みないことから、妻と20歳になる一人娘との家庭が事実上、崩壊していたこと。
 49歳になる主人公の男は、人生の危機が三つも折り重なって、故郷に戻り母の死を看取り、そして子どもの頃の夢を叶えたいという願うようになる。そしてその過程で娘との対話が生まれ、妻との新しい関係が築かれていく。わかりやすい物語であるとも言える。
 映画ではそうした心の動揺や心の転機は映像的に表現されているし、それはすでに十分であるように思えた。映像も美しく、大きな物語の破綻もない。中井貴一は好演であるし、妻役の高島礼子も悪くない。物語には思わぬクライマックスもあるし、静かな感動の余韻もある。
 だが、奇妙な違和感は残った。ネタバレに近いかもしれないが、そこが私にとってはもっとも重要な問題でもあった。
 エンディングで、運転士となった男と東京から訪問した妻が対面するのだが、そこで、妻は「このまま私たち、夫婦でいいんだよね?」と問うのだが、そこがいまひとつわからなかった。
 もちろん物語的にわからないわけではない。妻は東京でハーブ店を経営し順調になり、出雲の運転士の夫に添えるわけではない。別居暮らしになるが、そういう夫婦でもよいでしょうという意味はわかる。さらに前段には、主人公が仕事に専念し家庭を顧みず家族が崩壊に瀕していたことが変化したということもわかる。ただ、何かが違う。
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ダンスのように抱き寄せたい
 違和感は、その夫婦の再生というのは、この物語にどれほどの意味があったのだろうかという点に関わる。なぜこのような物語の仕組みになって、なぜこれがエンディングに来ているのだろうか。物語の構成からすれば、この物語は、夫婦の破局の形を中心に描いているはずなのだが、それが副次的な叙情でしかないのはなぜなのか。
 主題歌のユーミンの歌では、老いた男を老いた女が支えていくというテーマで、「どんなに疲れみじめに見えてもいい。あなたとならそれでいい」となる。映画と歌は必ずしも同じでなくてもよいが、やはり夫婦の再生が問われている。
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RAILWAYS
(小学館文庫)
小林弘利
 そこが気になって、ノベライズした小説「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語(小林弘利著・錦織良成クリエイター)」(参照)も読んでみた。
 ノベライズは映画公開の前に出されているが、映画と独立した作品というより、映画の脚本家に携わった著者によるせいか、映画で沈黙とした登場人物の内面をかなり饒舌に描き込んでいる。小説として感動的な作品であると言ってもよい。プロの書いた達文であり、それゆに非常に読みやすくもあった。美文的な要素もある。ただ、しいて言えば比較的に純文学を好む読者には多少困惑する面もあるにはある。
 先の違和感だがノベライズを読んで、ようやく納得した。話のなかで、主人公の男が人生を転換し、運転士となると妻に告げるシーンが重要だった。映画でもそこで高島礼子(由紀子)が中井貴一(肇)のデコを指ではじくシーンがあるが、そこである。こう描かれている。

 肇はきっと、このデコピンの意味を何度も何度も考えることになるだろう。この自分勝手な男が、自分の夫であると認めた妻からの、それは新たな決意表明のデコピンであったと気づくまでにどれくらいの時間がかかるだろう?
 由紀子はこのとき、彼女なりの切り換えポイントを迎えていたのだった。もしあのまま肇が、会社で働き続けていたら、由紀子のほうから「別れ」を切り出していただろう。店を始めたのには、そのための準備という意味もあった。
 けれど、夫は人生の進路を変更した。ならば由紀子もまた、夫との離婚というひとつの進路を変更すべきだとそう決心した。

 主人公の男が人生の転機で立ち止まり、その先に虚無しかないと気がついたとき、その手前で夫婦関係は崩壊していた。ノベライズで描かれる妻は映画の高島礼子より、もう少しひんやりとしながら、不思議なリアリティを持っている。
 それは例えば、運転士となるための東京での研修で出雲から東京に戻る夫に対してこういう描写に表現されている。

 いるだけでうっとうしいと感じ始めていた夫に対して、由紀子はいないと寂しい、という気持ちにもなっていた。そんなにふうに肇に対して感じるのは、結婚してたぶん三年目以降はまったくなかったのに、いないならいないでいい、ハーブの店を出したときにはほとんどそう思っていたのだ。けれど、肇の体内で新陳代謝が変化したように、由紀子の中でも変化は起こっていた。夫を再び男として感じるようになり、自分の中の女も目を覚ました、という感じだ。
 島根から帰ってくる夫を迎えるためにアロマキャンドルを焚き、いたずら心もあって、イランイランを多めに使ってみた。軽い催淫効果があるというその香りに包まれて、肇と由紀子の間に夫婦の生活が戻ってきた。

 49歳の男とおそらく46歳ほどの女の性関係ということなだろう。そして、映画の最後(ノベライズでも最後)の、「夫婦でいいんだよね?」というのは、たまに会って性関係を結ぶという意味もあるのだろう。
 どうもお下品な推測のようだが、そうしてみて、私としてはこの物語の多重化された基本モチーフがわかったように思えた。さらに言えば、主人公が49歳なのは、脚本家の同年齢の男の内省、特に性的な存在としての内省が深く関わっているのだろう。
 映画でもそうだが、ノベライズでは、男の心情は、しかし、妻との性関係というよりも、母との子の関係を美化して描かれていく。
 率直に言えば、母にとって良き息子が性的な自立を遂げるとは私には思えない。むしろ、母にとって良き息子として若返った男を、若さと生き生きしたものとして妻は受け入れるだろうか。
 老いの扉を前にした男の、人生の虚無や性的な自立は、こういう日本的な情緒性のなかで解消されるものだろうか。
 私はまったく否定するものではないし、その情緒性を日本人的な心情として理解でないこともない。だが、この物語を、初老の夫婦の枠組みで見るなら、またユーミンの歌の描き出した老いた夫婦の物語として見るなら、大きく失われた何かがあるように思えてならない。

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2010.12.27

2010年年末、逸見政孝さん、逸見晴恵さん、頼藤和寛さんを思う

 あっという間に2010年も年の瀬になったと感慨深い。アドヴェントからはさらに速かった。12月に入り師走なので師たる者は走るのだろうと傍観していたら自分が思いがけず忙しくなりブログもままならぬことになった。ようやく少し息継ぎができるまでに戻ったが、ブログの穴が増える間、世間の関心をだいぶ失っていたことに気づく。
 国際情勢や経済の状況などの重要点は見逃さないようにと思ってはいるが、国内政治については民主党に何か言うべきこともない。麻生政権からの転換時にこれはかなりまずいことになる、鳩山元首相の行動は国際的にやっかいな問題を引き起こす、そうしたことは、随分前にブログに記したとおりであり先行してわかっていたことなので、今更の関心もない。麻生政権に戻せるわけもなく、民主党に退散していただいても、日本の内政に大きな変化はない。となれば、菅首相で我慢するのが、「ベストとはいえないまでもベターな選択」ということなる。
 クリスマスの日にはふと逸見政孝さんのことを思い出した。といって個人的な面識があるわけでもないし、もともと民放番組をほとんど見ない私にしてみると、存命の時にファンであったということでもない。が、それなりに知っていた。自分よりだいぶ年長のおじさんだなと思っていた。12月25日が彼の命日である。亡くなったのは1993年のことだ。そのころ私は暇を見つけては旅行などをして、やけくそな30代半ばを越えていたころだった。
 逸見さんが亡くなったのは満48歳であった。仔細は知らないが昨今話題のペンネーム山路徹さんは49歳である。逸見さんが亡くなった年よりひとつ年長である。30代から見れば、へぇご活発なおじさん、そして関係するおばんさんたち、というふうに見えるのだろう。かく言う私は今年53歳になった。かなりまいった。
 うかつだったのが、逸見政孝さんの奥さん、逸見晴恵さんが今年の10月21日に亡くなっていた。61歳だった。死因は肺胞たんぱく症とのことだった。知ったのは逸見政孝さんのことを思い出したクリスマスの日のことだった。晴恵さんとも面識はない。が、ちょっとした関係でお会いする機会を逸したという思いはあり、しばし呆然と天を仰いだ。
 逸見政孝さんは1945年2月16日生まれというから、もうすぐ終戦という時期であった。生まれは大阪なので東京の焼け野原に放り出された赤ちゃんということはなかった。アナウンサーでもあり大阪弁は徹底して矯正したのではないか。奥さんの晴恵さんは1949年6月11日の生まれなので、政孝さんとは4つ年下になる。政孝さんが亡くなったときは、44歳であったのだと当時の若い相貌を思い出す。そして、政孝さんが存命であれば今年65歳になる。菅直人首相が1946年生まれなので、存命なら、まあまだまだ、ああいうナイスなおじさんであったのではないか。

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二十三年目の別れ道
はじめて明かす夫・逸見政孝の
闘病秘話とそれからのこと
(扶桑社文庫)逸見晴恵
 晴恵さんはずっと専業主婦で、おそらく政孝さんがタレント的に注目されなければ、そのまま専業主婦であったのではないだろうか。しかし、政孝さんが1988年にフリーになってからはその事務所の仕事をされ、そして政孝さんががんで亡くなってからは、その思い出と看病の経験を綴った「二十三年目の別れ道」(参照)がベストセラーとなり、その後も医療関係のエッセイや講演を多数こなすようになっていった。傍から見ていると、お子さんたちを養うのは大変なことかなとも思えた。
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黙っているのもうやめた
がん体験者としての
逸見晴恵最新エッセイと対談
逸見晴恵
 偶然ということなのだろうか、がんは身近な病気ということなのか、彼女自身も政孝さんの死の翌年、子宮頸がんを患うことになった。これは初期段階で発見されたが、その治療過程で、血液細胞のがんの一種である骨髄異形成症候群(MDS)であることを知らされた。このことは当時お子さんたちにも知らせてなかったらしい。政孝さんの没後10年の2003年「黙っているのもうやめた」(参照)でこの病を公開した。闘病は長く続いた。死因となった肺胞たんぱく症はその合併症であった。
 逸見政孝さんことはそのご命日にふと思ったのだが、それ以前から、今年は、10年前に53歳で直腸がんの肺転移で亡くなった頼藤和寛さんのことをなんども思っていた。頼藤さんは私よりちょうど10歳年上で、10年前には私からすると随分年長者に思えたものだった。それから10年して私は彼の享年にまで生きたのだなと思った。
 頼藤和寛さんは、1947年12月22日生まれ、大阪大学医学部卒業後、麻酔科、外科を経て精神医学を専攻する。大阪大学病院に勤務し、40代には大阪府中央児童相談所主幹となり、1997年からは神戸女学院大人間科学部教授となった。そのころから新聞コラムや各種の著作で有名になっていた。私もそうした関連で彼の著作をいくつか読んだ。
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人みな骨になるならば
虚無から始める人生論
頼藤和寛
 一冊だけ奇妙な印象の本があった。「人みな骨になるならば―虚無から始める人生論」(参照)である。なにかある虚無の存在のようなものを頼藤さん自身が抱えていてそれに抗弁しているようにも思える。その抗弁は毎度ながらの新聞コラムのようなユーモア混じりでありながら、なにかがずれていた。本当の死というもののある得体の知れないなにかがふと顔を覗かせているようでもあった。一個所クリシュナムルティの引用があるが、訳書からの引用のせいもあり、ああ、これは誤解しているなとも奇妙に思った。
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わたし、ガンです
ある精神科医の耐病記
(文春新書)頼藤和寛
 実際その本を執筆しているときに、彼も気づかずに彼の体はがんにむしばまれ始めていたらしい。そのことは「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」(参照)で知った。
 この本については未だにうまく書けない。もちろん、頼藤さんらしいユーモラスで冷静な筆致で自分の死が迫ることを描いているのだが、53歳になった私が読み返してみても、存在の底からこみ上げてくる恐怖感のようなものがある。

 ま、とにかく、五十三歳の誕生日も二十一世紀も迎えられたし、本書を仕上げることもできた。この調子でいえkば銀婚式もすませることができるだろう。健康だったころには当たり前のように過ごしていた一日一日をありがたいものに感じる。

 十年前の今日あたりの彼の感想かもしれない。
 ということろで恐る恐るこの本をまたも再読した。一個所気になることがあった。そこをもう一度読み返したかったのだが、なぜか見つからなかった。
 おかげでじっくり読むことになったのだが、読後は以前には感じられないさわやかなものであった。理性的であるなら、この年齢で死に直面するというのはこういうこと以外のものではないという明晰さがあった。
 それでも、死への意識、それ自体に独自の悲しみというものはある。そう思える悲しみがどこかしら慈悲のようななにかであるなら、生きていることはそれ自体で意味のあることなのだろう。
 もちろん。


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2010.12.24

finalvent's Christmas Story 5

 シェレメーチエヴォ国際空港に着いたのは夜10時過ぎだった。予定より1時間遅れた。窓越しに暗い空を見上げた。モスクワの夜か。マリーに「着いた」と電話した。マリーの娘のマリーのほう。同じ名前だ。到着を気にしていたのだろう。彼女はすぐに電話に出た。用意はできているから明日夕方7時にホテルのロビーで会いましょうとのこと。電話の声を聞いていると口調から声の質までマリーに似ている。KFFサンタクロース協会のマリーに。
 協会の関連で、東京で開催される途上国支援のNPO国際会議に出席してほしいとマリーから連絡があったのは3月だった。私は何をすべきなのかと問い返したとき、自分がすでに出席する気になっていることに気がついた。東京に行ってみたいと思っていた。
 彼女の答えは「ごく私的な感想でいいから後で手短にレポートしてください」とのことだった。彼女がそれでいいというならそれでいいのだろう。驚いたことに8月の東京の会議に出席してみるとマリー自身もいた。が、立ち話ができただけでほとんどすれ違いだった。代わりに娘を紹介された。滞在の一日、現代の東京を案内するとのことだ。娘がいたことは知らなかった。若い頃のマリーに似ているが東洋系の印象もあった。東京でもう数年暮らしていて日本語も堪能のようだった。
 東京では40年ぶりに秋葉原に立ち寄っていくつかパーツを購入し、帰宅してからアフリカ暮らしの思い出のテルミンを修理した。音響に凝った同僚の手作りで、教会の説教台のように大きく、中には回路図が貼ってあった。
 久しぶりに音を鳴らすと、それはそれで安堵感もあったが、ふとこれを誰かに譲るべきなのではないかと思い立ち、こんなものを欲しがる子がいるだろうかと協会のデータベースを検索した。モスクワにいた。そして私はモスクワに来た。配送は協会に頼んだ。娘のマリーが現地モスクワで対応してくれるとのことだった。
 この数年の手はずどおり、その夜、私は少年にテルミンを渡した。マリーも同席した。少年といってももう大学生になる。細身で数学でも得意そうなタイプに見える。なんでこんな物を望んだのか訊いてみた。彼はすでに数台テルミンを持っていて、古いタイプで響きのよいものも欲しいということだった。気に入って喜んでくれた。
 演奏もできるというので、私とマリーだけが観客の小さな演奏会となった。なかなかの名演奏だった。これならあのテルミンも生きるだろう。そのほうがいい。故障したら箱の中の回路図で修理もできるだろう。
 聞きたい曲がありますかと彼は聞いた。「ミッドナイト・イン・モスコー」と私が答えると、少し怪訝そうな顔をしたあと、同席していたマリーを見つめた。音楽家同士のテレパシーでもあるのだろうか、そういう手はずだったのか、彼女は「ピアノ伴奏をしましょうか」と言った。二人はロシア語で数分話をして、音合わせをしてから演奏が始まった。テルミンから流れる音楽は空間に明確な霊の形を描き出し、彼らはそれを指でくすぐるかのように振る舞っていた。若い人たちだけが紡ぎ出せる夢のような世界がある。
 今年のサンタクロースの任務も終わった。ホテルの前でマリーと別れるとき、「サンタクロースさん、私からのプレゼントです」とノートのような包みを渡された。開けてみると、日本女性のグループ歌手、ザ・ピーナッツの「モスコーの夜は更けて」のEPレコードだった。
 懐かしい青単色の写真に見入った。この夏、東京でした昔話を覚えていたのだろう。「今ではインターネットからダウンロード購入もできますよ」と彼女は言った。そういう時代になった。
 これを聞いてみましたかとマリーにきくと、ええと微笑んだ。母のマリーのようにいずれ大きな組織の頂点に立つ人らしい政治的な微笑みでもあったので、それ以上はきかなかった。
 この曲の、タンゴのような奇妙な編曲と東洋人らしい彼女たちの暗い声は、あの時代の私の東京の思い出と結びついている。
 魅惑的な異国の女たちがいた。それに惹かれていた若い日の私がいた。

  つきぬ思い出をああ今宵
  一人胸に抱きしめながら
  たどる小径
  はるか遠く

 女たちは老いた日の私のために歌っていた。メリークリスマス!

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2010.12.20

防衛大綱決定を巡る朝日新聞とフィナンシャルタイムズのリベラル漫才

 17日、新たな「防衛計画の大綱」が閣議決定された。この新防衛大綱決定を巡る、18日付け朝日新聞社説「防衛大綱決定―新たな抑制の枠組み示せ」(参照)と14日付けフィナンシャルタイムズ社説「Japanese defence」(参照)の社説を読むと、なんとなく掛け合い漫才のように思えた。というわけで、掛け合い漫才風に引用をまとめみよう。Enjoy!


朝日新聞さん
東アジアの情勢は不安定さを増しつつあるとはいえ、「脅威に直接対抗しない」としてきた抑制的な路線から、脅威対応型へとかじを切った意味合いは重大である。


フィナンシャルタイムズさん
That Japan should seek to respond to strategic realities ought to be unexceptionable. While the Soviet Union is no more, China is rapidly modernising its military, and North Korea’s missile and nuclear programmes represent a growing threat.

戦略的な現実に対応しようと日本が模索すべきということには、なんら文句のつけようがないだろう。ソ連はもう存在しなし、中国は急速に軍部を近代化させている。しかも北朝鮮のミサイルと核化の進展は脅威を増大化させている。



朝日新聞さん
新大綱の策定には、文民統制の立場から政治の強い指導力が期待された。政権交代こそ究極の文民統制とも言えるからだ。しかし、根幹の議論を民間有識者に任せるなど、総じて政治が深くかかわった印象は薄い。


フィナンシャルタイムズさん
Moreover, this is no rushed change. Tokyo has been debating the shift for some time.

しかも、この変化は急速な変化ではない。日本政府は近年議論をしてきたものだった。



朝日新聞さん
中国の軍事動向への警戒感を色濃くにじませるとともに、脅威には軍事力で対応するというメッセージを前面に打ち出した。


フィナンシャルタイムズさん
Japan is not rearming.

なのに日本は再軍備していない。



朝日新聞さん
自衛隊の運用や予算に新たな抑制の枠組みを創出することも急務である。


フィナンシャルタイムズさん
Any build-up in missiles and ships should be offset by cuts to tank forces.

ミサイルや艦船の予算も戦車部隊の削減で相殺されることになる。



朝日新聞さん
中国を刺激して地域の緊張を高める恐れがあるばかりか、「専守防衛」という平和理念そのものへの疑念を世界に抱かせかねない。


フィナンシャルタイムズさん
China will not like the shift in emphasis, but Beijing has itself to blame. It fluffed the opportunity to reset the relationship with Tokyo after the Democratic Party of Japan’s election victory last year.

中国は力点の変化を好まないだろうが、中国政府が責めるべきは自分自身である。中国政府は、昨年の民主党による政権交代後の日本政府との関係改善のチャンスでドジを踏んだ。



朝日新聞さん
周辺諸国の目には、日本が軍事的な自制を解こうとしていると映らないか。東アジア地域の不安定要因には決してならないという路線を転換し、危うい歩みを始めたと見られないか。


フィナンシャルタイムズさん
Chinese bullying has intimidated its smaller neighbours – especially those that have territorial disputes with Beijing. Japan’s new policy may give those nations comfort.

中国による弱い者いじめはその周辺国を脅迫しつづけていた。特に中国と領土問題を抱える諸国において顕著である。だから、日本の新しい方針は、こうした国々に安堵感をもたらすかもしれない。



朝日新聞さん
意図せぬ摩擦を避けるためにも、菅首相は中国を含む国際社会に、新大綱が専守防衛を逸脱するものでないことを丁寧に説明しなければならない。


フィナンシャルタイムズさん
While not neglecting the need to change its defence forces, Japan should open its hand further towards Beijing and the region. It must not allow its fist to clench.

日本の国防の変化を否定する必要はない。他方、日本は中国政府やその地域に外交を広げるべきだろう。日本は拳を堅く握るべきではない。


 こんな感じかな。
 朝日新聞社説はなんとなく中国政府の代弁という雰囲気もあり、当の日本人にしてみると中国対英国の雲の上の会話といった趣もある。
 ところで、フィナンシャルタイムズのどこがリベラルなんだという疑問もあるかもしれないが、それはここです。

フィナンシャルタイムズさん
But Tokyo must move carefully, given sensitivities about its past conduct in Asia. Japan has yet to come to terms with atrocities it committed in the 1930s and 1940s.

しかし、アジアにおける日本の過去行為からすると、日本政府は慎重に行動しなけれがならない。日本は1930年代、1940年に行った虐殺についていまだ折り合いをつけていない。


 そのあたりは、大英帝国が中東諸国とどう折り合いを付けるかから学ぶことにしたいものだが。

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2010.12.11

カンクン気候変動枠組み条約会議で、カオナシ日本と神隠しの菅

 メキシコ、カンクンで開催されていた気候変動枠組み条約第16回締約国会議(COP16)が閉幕した。結果については、「緑の気候基金」、温暖化の影響を受けやすい国々の対策強化、途上国も温室効果ガスの削減に取り組むといったことが挙げられないわけではない。だが事実上拘束力はなく、徳目という以上のものではない。今回のCOP16で重視されたのは、京都議定書について、その期限切れとなる2013年以降も継続するかという問題だった。これは来年に先延ばしになった。実質的に見るならCOP16には成果はなかった。
 そのことで、国際社会から菅首相と日本が非難されることになった。国際社会にソフトパワーを維持したい日本には大きな打撃となってしまった。
 日本としては、COP16に成果がないことで安堵した面がある。先進国だけに温室効果ガスの削減を義務づける京都議定書が継続されれば、先進国といっても大量の温室効果ガスを出す米国は含まれておらず、実質日本が屋根に上ったものの梯子を外されたようにもなる。
 しかし、COP16の問題は今回特有の問題ではなく、コペンハーゲンで開催された昨年のCOP15でも同じだった。昨年のCOP15でも、京都議定書を継続させないためにと言ってもよいと思われるが、日本からは鳩山前首相自身が出席し、鳩山イニシアチブが提示された。
 鳩山イニシアティブでは、2020年までに1990年比で温室効果ガスを25%削減するとし、さらに途上国資金支援を銃リアの約90億ドルから約150億ドルに積み増しをした。だが、COP15は実際のところ決裂寸前となり、鳩山氏の帰国後、出席していたオバマ米大統領が尽力し、会合の決裂を避け、なんとか「コペンハーゲン合意」をまとめた。昨年のエントリーでも触れたが(参照)、2009年12月19日共同「コペンハーゲン協定の要旨」(参照)も引用しておこう。


 一、われわれは(産業革命以来の)気温上昇を2度より低くするためには、世界の温室効果ガスの排出量を大幅に減らす必要があるということに合意。この目標を達成するために行動する。
 一、先進国は、発展途上国が温暖化の影響に適応するために十分、かつ予測可能で継続的資金を提供するべきであるということに合意する。
 一、先進国は個別、または共同ですべての経済活動をカバーする2020年までの排出削減目標を定め、10年1月31日までに付属書に掲載する。京都議定書の加盟国はこのようにして議定書による削減目標を強化する。
 一、途上国は、付属書に定めるものを含めて、排出削減につながる行動を取り、2年に1度、条約に報告する。
 一、森林の破壊や劣化による温室効果ガスの排出を減らすことの重要性を認識する。
 一、先進国が共同で10~12年の間、途上国に提供すると約束した新規かつ追加的な資金の額は300億ドルで、排出削減や適応、森林保護などに充てられる。
 一、先進国は20年までに、途上国のニーズに応えるため、共同で毎年1千億ドルの資金を可能にすることを目指す。

 昨年のCOP15について、共同通信の要旨を読むと、京都議定書の扱いがよくわからない。だが、この時点で、実質的な2013年以降の新議定書の採択期限は含まれていない。昨年もただ先延ばしだった。
 話を今回のCOP16に戻すと、今年は昨年とは打って変わり、日本から首相、米国から大統領が出席するという熱気からはほど遠い。昨年の鳩山イニシアティブやオバマ米大統領によるコペンハーゲン合意の位置づけも、報道からはよくわからなかった。
 少なくとも日本は、もっと熱意を示すべきではなかったか。単純な話、鳩山氏が民主党から特命で参加すべきだったのではないだろうか。日本が京都議定書の終了のために、是非鳩山イニシアティブを推進したいというなら、鳩山氏の出席はよい意思表示になっただろう。
 とはいえ、非常に疑問なのは、現在の民主党政権はこの問題をどう考えているのかがよくわからないことだ。
 COP16で日本は結局、総攻撃にあった。国内報道では10日付け産経新聞記事「「世界を暗黒に落とす」日本を英・ブラジル批判 COP16議事録入手 」(参照)が一部を伝えていた。

 京都議定書は、先進国のみに12年までの温室効果ガス排出の削減目標を義務付けている。批准していない米国や途上国扱いの中国などが対象外なので、日本は先月29日のCOP16開幕早々、延長を認めない方針を表明。新興国などから批判の集中砲火を浴びてきた。
 議長のエスピノサ・メキシコ外相は、14カ国の閣僚級を分野ごとの調整役に専任。京都議定書担当は、中国などと延長論を主導するブラジルと、延長やむなしとする英国となった。


 英国とブラジルは議定書を暫定的に延長し、その後に米中を含む新しい枠組みと統合させる案などを持ち出して妥協を求めたが、日本側は、米中が枠組みに加わる保証がないとして「ノー」を繰り返した。
 業を煮やした英国は「金曜日(10日)の段階で決裂したら世界中の人々を暗黒に突き落とすことになる」と批判。さらに「会議が失敗に終われば人々が日本について何を言うかは明らかだ。日本が新聞のヘッドライン(見出し)になる」と脅しともとれる言葉をかけたが、日本は「だれもレッドライン(最後の一線)まで追い詰めずに現実的な解決策を見いだすべきだ」と主張。1時間10分の攻防を終えた。

 英国から見ると、日本のせいでCOP16が実質失敗となったので、明日あたりフィナンシャルタイムズに厳しい社説が出てくるかもしれない。
 日本に閉じこもっている菅首相への攻勢も厳しかったようだ。10日付けBBC「Japan targeted on Kyoto climate stance at Cancun Summit」(参照)が伝えていた。

As this year's UN climate summit nears its end, nations looking for a new deal have launched a diplomatic assault on Japan in the hope of softening its resistance to the Kyoto Protocol.

今年の国連気候サミットがその閉幕が近づくにつれ、新しい取り決めを模索している国々は、京都議定書への抵抗を軟化することを望んで日本に外交の攻撃を開始した。


 菅首相への電話による呼び出し攻勢は、11日NHK「COP16 妥協模索の動きも」(参照)がその様子の一端を伝えている。

こうしたなか、10日夕方、草案作りに関わっているイギリスのキャメロン首相が菅総理大臣と電話で会談し、日本に協力を求めたほか、関係者によりますと、国連のパン・ギムン事務総長も菅総理大臣と電話会談したということで、日本への働きかけが強まっています。こうした動きを受けて、政府内には、日本が合意の障害となったという批判を避けるためにも、合意に向け妥協を図るべきだという動きも出ていることが明らかになり、大詰めを迎えた交渉への影響が注目されます。

 菅首相が電話攻勢にどう答えたかについては報道からはわからない。結果を見るかぎり、日本側からの妥協はなかったので、率直な推測をいえば、菅首相は、まいど国会で原稿を棒読みするようなようすで電話に答えたのではないだろうか。
 菅首相の引きこもりは予想された事態でもあったため、今回のCOP16の最中、10日フィナンシャルタイムズに、日本への要望を掲げた意見広告が出た。共同「菅首相にパロディーで訴え 議定書めぐる交渉姿勢で」(参照)より。

京都議定書を押し流さないで―。メキシコでの温暖化会議に合わせ、米国の市民団体が10日付の英紙フィナンシャル・タイムズ(アジア版)に、菅直人首相に対し日本政府の交渉姿勢を和らげるよう求める意見広告を掲載した。
 菅首相の顔写真を、アニメ「千と千尋の神隠し」の画像に合成し、映画の宣伝に見立てたパロディー。「菅首相は議定書の新たな削減目標を拒否できるという幻想に生きている」と批判。「交渉は泥沼化している。菅首相は目を覚まして」と呼び掛けている。
 アニメの制作会社スタジオジブリの広報によると、市民団体から画像の使用許可要請は来ていないという。

 これである。


JAPAN PRESENTS
A THREATENING TO ABANDON KYOTO FILM
Climate treaty: Washed Away?
日本がお届けする
京都フィルム断念の脅威

Japanese Prime Minister Naoto Kan is living in a fantasy–imagining he can refuse a new Kyoto Protocol commitment period without wrecking hopes for a global climate treaty. As UN talks in Mexico bog down, the world needs Kan to wake up: if he abandons Kyoto, the climate treaty will be washed away!

日本の菅直人首相は幻想に住み、地球気候条約のための希望を破壊せずに新しい京都議定書への関与期間を断ることができると想像している。国連会議がメキシコの沼にはまるなか、世界は菅に目覚めて貰う必要がある。もし、京都議定書が見捨てられたら、気候条約は流出するだろう。

AVAAZ.ORG & TCKTCKTCK.org, IN ASSOCIATION WITH ALL LIFE ON EARTH, AT THIS WORLD-IN-THE-BALANCE MOMENT, URGES NAOTO KAN AND THE GOVERNMENT OF JAPAN TO RECOMMIT TO THE KYOTO PROTOCOL TO PREVENT US ALL FROM BEING WASHED AWAY

AVAAZ.ORG & TCKTCKTCK.orgは地球上の生命とともに、世界が均衡にあるうちに、菅直人と日本政府に再び、京都議定書に関与し、すべてが流出されるのを防ぐように促している。


 米国は実質、すでにCOP16を見捨てているし京都議定書にも関心はない。中国は自国を途上国としているから中国の温暖化ガス削減義務を負わない京都議定書を日本に押しつけようとしている。英国や欧州からの信頼もCOP16で失っている。
 日本には重たい課題が残されることになった。


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2010.12.07

コートジボワール、2010年"クーデター"の暗喩

 2002年の内戦以降、南北に分裂していたコートジボワールを再び平和的な統一に向かわせようと国際社会が用意してきた11月28日の大統領選挙だったが、最終的に争った二陣営が12月4日、それぞれ大統領宣言を行った。二人の大統領誕生である。つまり、内戦による分裂の状態に戻ってしまった。解決の見込みは恐らくないだろうし、コートジボワールに限らないアフリカの抱える混迷がある。
 大統領選挙は、内戦を理由に2005年以降先送りされてきたが、2007年の和平プロセス推進を目指すワガドゥグ合意によって、国連を中心に国際社会の援助で準備されてきたものだった。傍から見るとそれなりに順調に進んでいるように見えないこともなかった。
 10月31日の一回目の投票で、現大統領のバグボ氏(65)と野党のワタラ元首相(68)、二者の決戦に絞られたが、この時点ですでに両候補の支持者の衝突があり、11月28日の決選投票は治安部隊が出動する物々しい事態となった。
 結果だが、2日の選挙管理委員会(選管)によれば、得票は、現職バクボ氏が45%、野党ワタラ氏が54%と大差を付けてワタラ氏が大統領に当選とした。
 が、これに不満を抱いた現職バグボ氏が、ワタラ氏側の不正を言いたて、3日、憲法評議会はワタラ氏の地盤である北部で不正投票があったとして多数の投票を無効とし、結果、選管の発表を覆し、現職バグボ氏を当選者とする決定を下した。現職バグボ氏の影響下にあるとはいえ、憲法評議会には選挙結果を最終的に確定する権限があるので、国内法的には違法ではない。軍部も現職バグボ氏を支持している。
 しかし、今回の選挙を準備し、選挙監視団を派遣していた国連、さらに米国や旧宗主国フランスは、憲法評議会の決定に反発し、選管が正しく、当選したのはワタラ元首相であるとした。また、ワタラ氏の支持者は、この事態をクーデターだとしてバグボ氏を批判している。
 5日付けフィナンシャルタイムズ「Ivory Coast’s coup」(参照)も、表題かもわかるように、この事態を「クーデター」と見ている。


In effect, this is a coup and should be treated as such. The UN, which helped bankroll the $400m cost of the polls, has refused to accept the outcome. The African Union, regional bloc ECOWAS, France, the US, Britain and the International Monetary Fund have all recognised Mr Ouattara’s victory.

事実上、これはクーデターであり、そのように扱われるべきである。選挙のために4億ドルの資金供給を援助してきた国連は、この結果の受け入れることを拒んでいる。アフリカ連合、地域のブロックECOWAS、フランス、米国、英国、および国際通貨基金はすべてワタラ氏の勝利を認めている。


 日本での報道では、今回の事態を「クーデター」とは見てないようだが、国際社会としてはすでにそう扱い出していると言ってもよいだろう。
 事態はさらに紛糾する可能性もある。5日付け時事「2人が「大統領」就任=コートジボワール、異常事態に」(参照)が火種を伝えている。

一方、ソロ首相はワタラ氏支持を表明。ソロ氏は2002年の内戦以来、北部に強い影響力を持つ元反政府組織「新勢力(NF)」を率いている。

 内戦の構図に戻ってしまったといえる。
 国際社会はでは次にどう動くのかというと、おそらくよほどの暴力や居留外国人への問題が発生しない限り、大きな動きはないだろう。先のフィナンシャルタイムズがそのあたりをあっさりと表現している。

The west would do well to allow African leaders to take the lead; they have every reason to do so and have been strikingly firm in their stance so far. This fiasco carries the risk of fresh conflict and of cementing the country’s de facto partition. This is not only destabilising for neighbouring states, recovering from civil wars, but also a dangerous precedent that could, without care be replicated in other parts of Africa.

西側諸国は、アフリカの指導者に主導をまかせるべきだろう。彼らにはそれぞれそうする理由があるし、従来強固な態度をとってきた経緯もある。今回の大失態は、新しい衝突と事実上の国境画定のリスクを伴っている。内戦から回復しても、隣接国家を不安定にすることに加え、対応しないでいるなら、アフリカ他地域でも同種の事態となる危険な前提となりうる。


 曖昧な言い回しなので私が意味を取り損ねているかもしれないが、すぐに連想されるのは、南スーダンの問題である。残念ながら、事態は刻々と悲劇的な方向に向かっている。フィナンシャルタイムズの投げやりにも見えるこの論調には、帝国侵略のタネを撒いた西欧の傲慢さというより、すでにその絶望が内包されているようにも受け取れる。


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2010.12.05

[書評]隠された皇室人脈 憲法九条はクリスチャンがつくったのか!? (園田義明)

 「隠された皇室人脈 憲法九条はクリスチャンがつくったのか!? (園田義明)」は2008年に出版された書籍で新刊ではない。出版当時気になっていながら読みそびれていたものを積ん読山から取り出して読んだ。戦後史に関心がある人にとっては一種のリファレンス本としての価値もあるだろう。議論については非常に興味深いものだが、異論も多いのではないかとは思う。

cover
隠された皇室人脈
憲法九条はクリスチャンが
つくったのか!?
園田義明
 副題が「憲法九条はクリスチャンがつくったのか!?」と刺激的で、内容もそれに該当する展開がある。これを歴史学的な意味での新説とするにはやや弱いようにも思えるが、憲法策定に関わり「戦後日本の設計者―ボートン回想録」(参照)の著者でもあるヒュー・ボートン(参照)が九条に影響を与えたとするのは、それなりに受け入れられる話ではある。しかし、ボートンがクエーカーであり、クエーカーの信条が反映しているかとなると歴史議論としては弱いだろう。また、本書で言われてみて気がついたのだが、日本国憲法における天皇を示す「象徴」(symbol)という用語が新渡戸稲造の「武士道」(参照)に由来するとの指摘は、なるほどと頷くが、新渡戸がまたクエーカーであるという文脈となると多少話の筋としては弱いようには思えた。
 本書では吉田茂とその家系さらに閨閥的な関連を含めて、終戦プロセスに関わる天皇とカトリックの動向も描かれており、「天皇のロザリオ」(参照上巻参照下巻)と似た印象も受ける。このテーマの実際はどうであったかについては、金山政英氏の回想録「誰も書かなかったバチカン―カトリック外交官の回想」(参照)を含め、なんらかの秘史はあるようにも思え、興味深いが、全体としてどう評価してよいかわからない。
 クエーカーやカトリックを総合してクリスチャン人脈なるものが出来るのかもよくわからないが、本書に描かれていない部分で私もわけあってそうした人脈を実際に見てきたこともあり、困惑すると同時にこの問題に関心を寄せざるを得ない。
 本書にはごく端役的にしか描かれていない柳瀬睦男(参照)だが、彼は山本七平と小学校のクラスメートであった。当時のクリスチャン人脈が青学に集中していたからというだけかもしれないし、柳瀬と山本は成人してから深い親交があったわけではないが、両者にはごく普通に幼友達の感覚があり、かたや上智大学の学長となった柳瀬でありながら、市井の出版人である山本を畏友のように見ていた。そこには愕然とキリスト教的な価値観の優先があった。
 本書には登場しない山本だが、「戦後日本の論点―山本七平の見た日本(高澤秀次)」(参照)が、その父祖を追っているところを読めば、本書が扱っている明治時代におけるキリスト者の文脈がきれいに重なっていることもわかるだろう。この構図からは、少なくとも明治時代から大正、昭和初期へと近代化が展開する時代において、クリスチャンと呼ばれる人たちが独自の意味と影響力を持っていたことは明らかであり、それがモダニズムとしての天皇を取り巻いてもいたとも言える。
 本書では、後半に展開されるやや奇矯とも見える視点を除けば、近代天皇制がその水戸学的イデオロギーである南朝に苦しめられ対抗していく図柄は興味深い。南朝イデオロギーに対して、キリスト教的天皇家の群像がそれに対立していたという構図もかなり頷ける。
 本書の読後感は微妙なものだが、南朝イデオロギーが今なお姿を変えて日本に存在している指摘については同意せざるを得ないし、私の印象では、いわゆる左翼的な言説も実際のところは南朝イデオロギーと等価なのではないかと思える。


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2010.12.04

日本のヤクザについてフィナンシャルタイムズが語ったこと

 先月18日指定暴力団山口組ナンバー2弘道会会長・高山清司容疑者(63)が恐喝容疑で逮捕された。京都市土木建築業の男性からみかじめ料4千万円を脅し取った容疑である。そして今月1日同ナンバー3宅見組組長・入江禎容疑者(65)が暴力団対策法違反の疑いで逮捕された。ちなみにナンバー1の組長・篠田建市受刑者は銃刀法違反罪懲役6年の服役中で来春出所する予定である。
 山口組がトップ不在に近い状況にされたことから、警察がこの機に山口組を狙っての連続逮捕という印象があると同時に、ヤクザとはいえ警察の行為は遵法であったかについては少し疑問にも思えた。1日付け産経新聞「狙い通りのトップ3不在」(参照)では、陳腐な物語風の記述にそのあたりの微妙なトーンがあった。


 ようやく空が明るくなり始めた1日午前6時32分、大阪府豊中市。閑静な住宅街に構えた自宅で捜査員から令状を示された男は、淡々とした様子で逮捕に応じた。指定暴力団山口組のナンバー3である総本部長、入江禎(ただし)(65)。「逮捕しようと思えば、もっと早くできた」(大阪府警幹部)。時機をうかがい続けてきたターゲットを、大阪府警がついに捕らえた瞬間だった。


 だが高山は異例づくしの状況に、強引ともいえる手法で臨んだ。不満分子とみられた直系組長らを相次いで絶縁。篠田の代理として巨大組織を取り仕切ってきた。


 高山の逮捕後は幹部の間に広がる動揺を収拾。高山に代わって山口組を切り盛りしていくとみられていた。その矢先の逮捕について、冒頭の大阪府警幹部は言う。
 「京都府警が高山を逮捕するのをずっと待っていた。入江を逮捕するなら、実質トップになってからの方がはるかに組織に与えるダメージは大きいやろう」

 ナンバー3の逮捕は可能だったが、ナンバー2実質ナンバー1代理の逮捕は個別の違反ということでもなさそうだ。毎日新聞「山口組:ナンバー2逮捕…弘道会会長、恐喝容疑 京都府警」(参照)はそのあたりの曖昧な部分を説明している。

 府警によると、高山容疑者本人は直接恐喝行為に加わっていないが、05年に京都市内の飲食店で男性と面談していた。また、淡海一家の組員らは男性に「名古屋の頭に持っていく」「名古屋の頭が言うてる」と高山容疑者の存在を示しながら現金を要求したのに、山口組から何ら処分を受けていないとみられることなどから共謀が成立すると判断。上下関係から高山容疑者が指示したと見ている。

 ナンバー2の逮捕については共謀が成立すると判断とのことだが、今後の司法では別の判断が出るかもしれない。
 私はヤクザについてほとんど関心はない。この話題にたまたま関心をもったのは、日本関連の英文ニュースで見かけたからだ。例えば、1日付けウォールストリートジャーナル「Osaka Police Nab Another Yakuza Boss as Crackdown Continues」(参照)がある。訳文も日本版に掲載された(参照)。

 1日午前の入江容疑者の逮捕は、警察の取り締まりが強化されるなか、日本の暴力団にとって新たな打撃となった。山口組の事実上の組長、高山清司容疑者(63)は11月18日に恐喝容疑で京都府警に逮捕されている。同容疑者は2005年に当時の山口組組長に銃刀法違反容疑で実刑判決が下ったことにともない、事実上の組長に昇格した。
 入江容疑者逮捕の背景には、裏社会に生きるマフィアを描いたテレビドラマ「ザ・ソプラノズ」をほうふつとさせる筋書きがあった。事の発端は1997年8月にさかのぼる。宅見組の宅見勝組長が、山口組の二次団体、中野会の組員4人にホテルで射殺された。その後、入江容疑者が組長の座を引き継いだ宅見組は、1999年9月に組員1人が中野会の幹部を射殺する報復殺人を起こした。

 ドラマ的に描いているが、欧米からは、特にその日本在の特派員からは、日本のヤクザが異文化的で面白い話題というのもあるだろう。
 日本経済の文脈でも見ている印象もある。ガーディアン11月18日「Yakuza chief arrested in Japan」(参照)ではこう触れていた。

Aside from gambling, loan sharking, protection rackets and prostitution, the yakuza have added stock market manipulation and front companies to their myriad illegal activities.

ギャンブル、貸付金搾取、ショバ代、および売春以外にも、ヤクザは株式市場を操作したり、トンネル会社を通じて多数の違法行為をする。


 11月22日付けだが経済紙フィナンシャルタイムズも社説「Yakuza crackdown signals change」(参照)で扱っていた。これがなかなか興味深い話だった。

For too long the police – and public opinion in general – have been overly indulgent towards the tattooed gang members. Yakuza have been tolerated partly because some Japanese cling to romantic myths about them:

長年にわたり、日本の警察や日本の世論も、入れ墨のあるギャングについて寛大であった。ヤクザが許容されてきたのは、日本人にとってロマンティックな執着があるからだ。


 そうか? 疑問に思わないでもないが、以前フィナンシャルタイムズのデイビッド・ピリング氏が宮崎学氏にインタビューした日本ヤクザの記事「Lunch with the FT: Manabu Miyazaki」(参照)をふと思い出した。

ヤクザのイメージは変ってきているとしても、昔の京都と江戸を結ぶハイウェー(東海道)にルーツを持つロマンチックなイメージや、名誉を重んじる行動基準や一般市民に迷惑をかけないという誓約が、一般大衆の心情の中では特別な位置を占めていることも確かである

 フィナンシャルタイムズ社説に戻る。

These codes are often more honoured in the breach. However, it is true that Japan remains a much safer society than most. The institutionalisation of crime – in the form of an estimated 83,000 registered gang members belonging to more than 20 crime syndicates – may play a role in that. That makes dismantling the system all the more tricky.

ヤクザの掟は尊重されるよりも破られることが多い。だが、日本の社会は他の国の社会より安全だ。犯罪の制度化はそれなりの役割を担っているのだろう。日本のヤクザは20個もの犯罪組織で8万3千人も擁している。ゆえにヤクザを擁するシステムの解体は難題になる。


 先のピリング氏の話では、日本のヤクザ人口を10万人とし、イタリア系アメリカ人マフィアの25倍としていた。国際的に見ると日本社会は確かに異常なまでにヤクザを抱えているし、であればそれが社会制度の一環として見るほかはないだろう。いつだったか、私が冗談混じりでヤクザは警察の民営化と書いたら、罵倒コメントを脊髄反射的に書いた人がいたが、しかし、対外的にはそう見えないでもない。

Gangs maintain a web of links with supposedly more respectable elements of society. Yakuza, for example, have a symbiotic relationship with the police, with whom they have traditionally shared the spoils from the country’s red-light districts. Gang members overlap with the nationalist groups whose menacing black vans have the run of cities. And yakuza are deeply involved in “legitimate” businesses. Even western investment banks employ experts to vet deals for unacceptable levels of gang involvement.

ギャングは尊重されるべき社会要素とより多くのつながりを持っている。例えば、ヤクザは、日本の売春指定域での上がりを分け合ってきた警察と共生的な関係を持っている。ギャングのメンバーは居丈高な黒塗りの街宣車を持つ国粋主義者とも重なっているし、合法ビジネスにも深く関わっている。欧風の外資銀行ですら、取引にあたりギャング関与の許容範囲のレベルを調べる専門家を雇っている。


 ヤクザ対応の専門家といえば昨今の週刊新潮ネタが連想されないでもないし、そう不思議なことでもない。
 とはいえなぜここに来て、警察がこの動向に出たのか。民主党政権と関係があるのか。フィナンシャルタイムズはこう見ている。

As the excesses of the bubble years fade, society is less willing to allow the yakuza a cut of diminishing spoils.

バブルの時代が終わり、社会は少なくなった上がりの分け前を許容しづらくなっている。


 警察としてもヤクザに回すカネがないんだよ、ということかもしれない。ヤクザを日本社会から無くすのが善であるというなら、その事態に警察を追い込んだのは、民主党政権の結果的な功績と言えないこともない。


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2010.12.02

ウィキリークスに見る米国の中東戦略、あるいは、けなげなニューヨークタイムズ

 ウィキリークスで暴露される公電も現状特に驚愕すべき内容はない。もともとこの秘密情報とやらも、実際のところは50万人以上もの米連邦政府職員によって共有という名のもとにだだ漏れに近い状態であった(参照)。端からその程度のものなのかもしれない。また、実際の情報を検証すると、隠されていた事実というよりは誤認といった類(参照)もあり、誤認情報をことさらに流せば別の種類の情報操作にもなりかねない。
 まあ、それはそれとして、まったりと眺めて見るなかで、普通に興味深いのは米国の中東戦略だろう。
 日本でも多少報じられている。ブルームバーグ「サウジ国王がイラン攻撃主張、内部告発ウェブで判明-NYT」(参照)より。


 NYTによれば、サウジアラビアのアブドラ国王はイランへの攻撃を頻繁に要求。時間はまだあるとしながらも、米国に「息の根を止める」よう訴えた。(中略)
 オバマ政権は28日、在外大使館から米本国への報告は「率直で、しばしば不完全な情報であり」、政策を表したものではないとの声明を発表した。

 アブドラ国王がイランへの攻撃を米国に要求していたのは「頻繁」となるのだが、それでも中心的な日時はあるだろうし、なによりそれが米国のどの政権だったかは、事態を読み解く上で重要だろう。いつであったか。
 該当のウィキリークス(参照)を見ると"2008-04-20 08:08"とある。対応する内容は以下だろう。

The King was particularly adamant on this point, and it was echoed by the senior princes as well. Al-Jubeir recalled the King's frequent exhortations to the US to attack Iran and so put an end to its nuclear weapons program. "He told you to cut off the head of the snake," he recalled to the Charge', adding that working with the US to roll back Iranian influence in Iraq is a strategic priority for the King and his government.

アブドラ王は特にこの点に確信をもち、年長の王子も繰り返し述べた。アル・ジュベイルは、王が米国に対して頻繁にイラン攻撃し、イランの核化プログラムに終止符が打てと奨励したことを思い出した。「彼は蛇の頭を切り落としなさいとあなたに語った」と彼は関与について思い出し、イラクに対するイランの影響力を引き戻すように米国と協調することは王とサウジ政府にとって戦略的な優先課題であると付け加えた。


 時期は2008年以前であり、当然ブッシュ政権下のことだった。
 私もブログでイラク空爆の話題を扱ったことがあるが(参照)、あのころはあたかも好戦的なブッシュ元大統領のことだからというめちゃくちゃな情報が行き交っていた。しかし実際のところブッシュ政権はイラン空爆を実施しなかった。
 公電で興味深いのは、アブドラ国王による、イランの核化プログラム阻止への意思もだし、さらにイランのシーア派への敵対心もあるが、イラクへのイランの影響力への懸念もある。アブドラ国王はイラクが気になっている。
 今後、イラク戦争に至るプロセスを解き明かす公電なりが公開されると興味深いが、あの時期、サウジとの対応はチェイニー米元副大統領自身が先頭を切っていたので出てこないかもしれない。それでも、あの歴史過程にサウジからの要請や米国内での受け止め方には複雑なプロセスは存在しただろう。
 サウジとしては湾岸戦争時に軍をサウジに進めてきたフセイン元大統領はそのままにして脅威であったし、かといって米国のネオコンが推進しようとしたイラクの民主化もサウジに好ましいものでもない。米国としても、サウジに軍事的危機の状況が減少すれば、米国兵器の売り込み先にも困る。入り組んだ物語があるはずだ。
 その関連でいえば、実際的にはウィキリークスの今回の公電暴露から多少外された形になったニューヨークタイムズの見解もそれなりに興味深い。29日付け「WikiLeaks and the Diplomats」(参照)より。

The best example of that is its handling of Iran. As the cables show, the administration has been under pressure from both Israel and Arab states to attack Tehran’s nuclear program pre-emptively. It has wisely resisted, while pressing for increasingly tough sanctions on Iran.

最も適切な例はイランの扱いである。公電が示すように、米政府はイスラエルとアラブ諸国からイランの核プログラムに先制攻撃をせよとする圧力下にある。これは巧妙に抵抗され、その間イランへの制裁を強化してきた。


 これはブッシュ政権が方針を決め、オバマ政権が継いでいる米国の外交政策でもある。

The Times and other news media have already reported much of this. What the cables add is sizzle: Defense Minister Ehud Barak of Israel warning that the world has just 6 to 18 months to stop Iran from building a nuclear weapon; King Abdullah of Saudi Arabia imploring Washington to “cut off the head of the snake”; Bahrain’s king warning that letting Iran’s program proceed was “greater than the danger of stopping it.”

ニューヨークタイムズと他のメディアはすでにこの件を報じてきた。公電公開は問題を厄介にしている。エフード・バラックイスラエル国防相はイランの核兵器開発阻止までには6か月から18か月しかないとしている。サウジのアブドラ国王は米国政府に「蛇を頭を切り落とせ」と要望している。イランの計画を放置することは、それを阻止することよりも危険だとしている。

The Israelis publicly raise the alarm all the time. Most Arab leaders never do. If they believe Iran poses a major threat, they need to tell their own people and work a lot harder to pressure Iran to abandon its program.

イスラエルは常に危機警告を高めているが、アラブ諸国の指導者はそうしない。彼らがイランの脅威を確信するなら、彼らは自国民にその必要性を語り、イランに対して核化プログラムを停止への圧力により強固に共同作業をしなければならない。


 なかなかニューヨークタイムズの足下がよくわかるトーンだ。
 微妙にアラブを非難しつつイスラエルを援護しながら、辛い役目は米国が背負っているのだと言いたい。しかも、その辛い役目を最初に背負いながら世論の攻撃を受けてきたブッシュ政権については語らず、なんとなくオバマ政権の功績のようにして明るい未来を見続けている。
 ニューヨークタイムズ、けなげじゃないか。


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2010.12.01

ウィキリークス(笑)に舞い上がった英国ガーディアン

 ウィキリークスによる今回の公電まき散らしに事実上既存ジャーナリズムとして、先頭風を切って荷担した英国ガーディアンだが、自身ではどのように考えているか。その一端を示す話が30日付けの社説「US embassy cables: hanging North Korea out to dry」(参照)にあった。賛同する人もいるだろう。私としては、なかなか笑える話だった。


Nor should we axiomatically accept that the release of this information is harmful. Today's revelation from the embassy cables that North Korea had lost its strategic value to China as a buffer state between their forces and US ones, and that Beijing would accept the reunification of the peninsula under Seoul's leadership, should send shivers down the spine of the right person – the ailing dictator Kim Jong-il. Pyongyang could be about to lose its only insurer. Long before last week's lethal shelling of a South Korean island, it is clear from the private views of senior Chinese officials that their strategic asset had turned into a major liability.

私たちは、この情報の発表が有害であると杓子定規に受け入れるべきではない。中国にとって、中国の軍事力と米国の軍事力の緩衝国としての、北朝鮮に戦略的価値は失われているし、また中国政府は韓国政府による朝鮮半島統一を受容するだろうとする今日の公電暴露は、病にある独裁者、金正日当人を震え上がらせるだろう。北朝鮮政府は自身の唯一の保護者を失うことになるかもしれない。先週に起きた韓国の島への致命的な砲撃の随分前から、中国高官談話によれば、中国の戦略的な資産が主要な負債に変わったことは明らかである。


 あの韓国発公電の馬鹿話をまじめに受け止めてしまうガーディアンのメンタリティだからこそウィキリークス(笑)が信頼を寄せたのかもしれない。
 少し物を考える人間なら、その間に起きた韓国海軍哨戒艦「天安」爆沈の意味を理解できるはずだ。まさかあの爆沈は北朝鮮によるものではないかもしれないとかいう田中宇さんの国際ニュース解説のようなネタ話(参照)を真に受けたり、中国の対応も適切であったとでも思っているのだろうか。ガーディアンがまさかそこまで知的劣化を起こしたわけもないから、ウィキリークス祭りで舞い上がって、問題のパーペクティブを見失っているだけだろう。
 ガーディアンによる今回の公電の読み取りも微妙に歪んだものになっている。

The implication is clear: as long as US troops stay south of the demilitarised zone that bisects the Korean peninsula, China would not stop the regime collapsing after the death of Kim Jong-il. It had already, in their view, collapsed economically and, despite efforts to secure a succession to the inexperienced youngest son Kim Jong-un, it was likely to collapse politically. If the leaking of these cables was read and absorbed by North Korea's ageing generals, this would be an example of disclosure instilling realism into a military dictatorship which so clearly lacks it. China is currently attempting to mediate a return to the six-party talks, after the latest military clashes. There is clearly a length to the leash China has already allowed North Korea, and Kim Jong-il may already have reached it.

公電の意味するところは明らかだ。二分された朝鮮半島の南に米軍がいる限り、中国は金正日が死んでも、北朝鮮体勢の崩壊を押しとどめることはないだろう。公電が示すように、すでに経済的には崩壊しており、未熟な金正恩を正嫡にしようと努力しても、政治的には崩壊することになる。もし暴露された公電を、北朝鮮の老いたる将軍たちが読み理解すれば、現実主義を欠く軍事独裁政権に現実を示す公開事例となるだろう。中国は、前回の軍事衝突後、六か国会議への復帰を仲介している。中国にしてみれば北朝鮮をつなぎ止める綱には一定の長さの限界があり、金正日はすでにその限界に達しているかもしれない。


 欧州に属する英国のリベラル派がそう思いたいという幻想を語っているの趣だが、今回の六か国会議への呼びかけも単なる国際的な口実作りに過ぎないのは、過去の中国の動向を見ても明らかだ。それ以前に正恩体勢への肩入れや、習近平中国副主席のイカレた歴史認識からも明らかだ。日本の「仙谷」政権が沈黙してしまうのはしかたないとしても、韓国が反発したのは当然だろう。中央日報10月27日「韓国政府、習近平氏の「6・25は正義の戦争」発言に反論」(参照)より。

 外交通商部は26日、中国の習近平国家副主席が前日「偉大な抗米援朝戦争(中国の6・25参戦)は平和を守り侵略に対抗した正しい戦争だった」と発言したのに関連し、「韓国戦争(6・25)が北朝鮮の南侵で勃発したというのは国際的に公認された否定できない歴史的事実」と明らかにした。
 外交部はこの日、習副主席の発言に対する立場を尋ねる報道機関の質問に対し、こうしたメディア向け資料(Press Guidance)を出した。習副主席の発言が北朝鮮の6.25南侵を否定したものと解釈され、政府レベルで対応の立場を表明したとみられる。
 習副主席は25日に北京で開かれた「抗米援朝戦争」60周年記念式でこのように述べ、「中朝の人民は、両国の人民と軍隊が流した血で結ばれた偉大な友情を忘れたことがない」と強調した。

 北朝鮮がしかけた朝鮮戦争について「平和を守り侵略に対抗した正しい戦争」だったと述べるのが次期中国の最高指導者なのである。というか、最高指導者に向けての戦略的な発言と見るべきでだろう。つまり、ここに今後の中国の対北朝鮮戦略を読み解く鍵がある。
 では、中国にとって北朝鮮とはなにか。
 延坪島砲撃事件を口実に北京の喉元に米軍が現れ、中国は多少慌てふためいたのか、お行儀の良い自国メディアにちらちらとビジョンを語りだしている。サーチナ「「北朝鮮は中国の『核心的利益』」、日米は挑発するな―中国紙」(参照)からの情報になるが、恐らくソースは環球網の「李希光:朝鲜是中国一级核心利益」(参照)ではないかと思われる。

 中国政府は今年3月、初めて米政府高官に対し、「南シナ海も中国の領土保全にかかわる核心的利益に属する」との方針を正式に表明した。その後、外交部は7月、「中国の核心的利益とは、国家主権、安全、領土保全と開発利益を指す」と明確に示した。
 戦略面と国家安全面から見て、北朝鮮は中国にとって最も重要な隣国のひとつであり、中国東北3省の安全は、朝鮮半島の安定によって維持される。東北3省の安全は、中国のさらなる改革開放と現代化建設に向けた良好な外部環境を創造する上で必要であり、中国が世界の多極化推進に寄与し、平和を実現するためにも必要だ。

 それほど大した話ではないかとも思われるなら、「核心利益」という用語を取り違えている。核心利益は、従来、チベットや台湾などの領土問題で使われてきた用語だ。つまり、そこは中国自国領土だという主張なのである。だから、尖閣諸島でもこの核心利益が出てきた。
 中国にしてみれば、北朝鮮はすでに中国の領土の候補地である。朝鮮族の第二の自治区である。
 おめでとう、東北第4省、いずれ君も中国の仲間だ。もうしばらくすれば、先っぽの地域とか東海の小島も仲間にやってくるよ(参照)。


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