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2010.12.27

2010年年末、逸見政孝さん、逸見晴恵さん、頼藤和寛さんを思う

 あっという間に2010年も年の瀬になったと感慨深い。アドヴェントからはさらに速かった。12月に入り師走なので師たる者は走るのだろうと傍観していたら自分が思いがけず忙しくなりブログもままならぬことになった。ようやく少し息継ぎができるまでに戻ったが、ブログの穴が増える間、世間の関心をだいぶ失っていたことに気づく。
 国際情勢や経済の状況などの重要点は見逃さないようにと思ってはいるが、国内政治については民主党に何か言うべきこともない。麻生政権からの転換時にこれはかなりまずいことになる、鳩山元首相の行動は国際的にやっかいな問題を引き起こす、そうしたことは、随分前にブログに記したとおりであり先行してわかっていたことなので、今更の関心もない。麻生政権に戻せるわけもなく、民主党に退散していただいても、日本の内政に大きな変化はない。となれば、菅首相で我慢するのが、「ベストとはいえないまでもベターな選択」ということなる。
 クリスマスの日にはふと逸見政孝さんのことを思い出した。といって個人的な面識があるわけでもないし、もともと民放番組をほとんど見ない私にしてみると、存命の時にファンであったということでもない。が、それなりに知っていた。自分よりだいぶ年長のおじさんだなと思っていた。12月25日が彼の命日である。亡くなったのは1993年のことだ。そのころ私は暇を見つけては旅行などをして、やけくそな30代半ばを越えていたころだった。
 逸見さんが亡くなったのは満48歳であった。仔細は知らないが昨今話題のペンネーム山路徹さんは49歳である。逸見さんが亡くなった年よりひとつ年長である。30代から見れば、へぇご活発なおじさん、そして関係するおばんさんたち、というふうに見えるのだろう。かく言う私は今年53歳になった。かなりまいった。
 うかつだったのが、逸見政孝さんの奥さん、逸見晴恵さんが今年の10月21日に亡くなっていた。61歳だった。死因は肺胞たんぱく症とのことだった。知ったのは逸見政孝さんのことを思い出したクリスマスの日のことだった。晴恵さんとも面識はない。が、ちょっとした関係でお会いする機会を逸したという思いはあり、しばし呆然と天を仰いだ。
 逸見政孝さんは1945年2月16日生まれというから、もうすぐ終戦という時期であった。生まれは大阪なので東京の焼け野原に放り出された赤ちゃんということはなかった。アナウンサーでもあり大阪弁は徹底して矯正したのではないか。奥さんの晴恵さんは1949年6月11日の生まれなので、政孝さんとは4つ年下になる。政孝さんが亡くなったときは、44歳であったのだと当時の若い相貌を思い出す。そして、政孝さんが存命であれば今年65歳になる。菅直人首相が1946年生まれなので、存命なら、まあまだまだ、ああいうナイスなおじさんであったのではないか。

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二十三年目の別れ道
はじめて明かす夫・逸見政孝の
闘病秘話とそれからのこと
(扶桑社文庫)逸見晴恵
 晴恵さんはずっと専業主婦で、おそらく政孝さんがタレント的に注目されなければ、そのまま専業主婦であったのではないだろうか。しかし、政孝さんが1988年にフリーになってからはその事務所の仕事をされ、そして政孝さんががんで亡くなってからは、その思い出と看病の経験を綴った「二十三年目の別れ道」(参照)がベストセラーとなり、その後も医療関係のエッセイや講演を多数こなすようになっていった。傍から見ていると、お子さんたちを養うのは大変なことかなとも思えた。
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黙っているのもうやめた
がん体験者としての
逸見晴恵最新エッセイと対談
逸見晴恵
 偶然ということなのだろうか、がんは身近な病気ということなのか、彼女自身も政孝さんの死の翌年、子宮頸がんを患うことになった。これは初期段階で発見されたが、その治療過程で、血液細胞のがんの一種である骨髄異形成症候群(MDS)であることを知らされた。このことは当時お子さんたちにも知らせてなかったらしい。政孝さんの没後10年の2003年「黙っているのもうやめた」(参照)でこの病を公開した。闘病は長く続いた。死因となった肺胞たんぱく症はその合併症であった。
 逸見政孝さんことはそのご命日にふと思ったのだが、それ以前から、今年は、10年前に53歳で直腸がんの肺転移で亡くなった頼藤和寛さんのことをなんども思っていた。頼藤さんは私よりちょうど10歳年上で、10年前には私からすると随分年長者に思えたものだった。それから10年して私は彼の享年にまで生きたのだなと思った。
 頼藤和寛さんは、1947年12月22日生まれ、大阪大学医学部卒業後、麻酔科、外科を経て精神医学を専攻する。大阪大学病院に勤務し、40代には大阪府中央児童相談所主幹となり、1997年からは神戸女学院大人間科学部教授となった。そのころから新聞コラムや各種の著作で有名になっていた。私もそうした関連で彼の著作をいくつか読んだ。
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人みな骨になるならば
虚無から始める人生論
頼藤和寛
 一冊だけ奇妙な印象の本があった。「人みな骨になるならば―虚無から始める人生論」(参照)である。なにかある虚無の存在のようなものを頼藤さん自身が抱えていてそれに抗弁しているようにも思える。その抗弁は毎度ながらの新聞コラムのようなユーモア混じりでありながら、なにかがずれていた。本当の死というもののある得体の知れないなにかがふと顔を覗かせているようでもあった。一個所クリシュナムルティの引用があるが、訳書からの引用のせいもあり、ああ、これは誤解しているなとも奇妙に思った。
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わたし、ガンです
ある精神科医の耐病記
(文春新書)頼藤和寛
 実際その本を執筆しているときに、彼も気づかずに彼の体はがんにむしばまれ始めていたらしい。そのことは「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」(参照)で知った。
 この本については未だにうまく書けない。もちろん、頼藤さんらしいユーモラスで冷静な筆致で自分の死が迫ることを描いているのだが、53歳になった私が読み返してみても、存在の底からこみ上げてくる恐怖感のようなものがある。

 ま、とにかく、五十三歳の誕生日も二十一世紀も迎えられたし、本書を仕上げることもできた。この調子でいえkば銀婚式もすませることができるだろう。健康だったころには当たり前のように過ごしていた一日一日をありがたいものに感じる。

 十年前の今日あたりの彼の感想かもしれない。
 ということろで恐る恐るこの本をまたも再読した。一個所気になることがあった。そこをもう一度読み返したかったのだが、なぜか見つからなかった。
 おかげでじっくり読むことになったのだが、読後は以前には感じられないさわやかなものであった。理性的であるなら、この年齢で死に直面するというのはこういうこと以外のものではないという明晰さがあった。
 それでも、死への意識、それ自体に独自の悲しみというものはある。そう思える悲しみがどこかしら慈悲のようななにかであるなら、生きていることはそれ自体で意味のあることなのだろう。
 もちろん。


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コメント

>生まれは大阪なので東京の焼け野原に放り出された赤ちゃんということはなかった。

だが「大阪大空襲」は体験してますな。
「1945年3月13日深夜から翌日未明にかけてに最初の大阪空襲が行なわれた。大阪ではその後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が行なわれた。これらの空襲で一般市民 10,000人以上が死亡したと言われている。」引用、ウィキペディアより。

投稿: anegomarufu | 2010.12.27 19:55

安部ボクちゃんへの評価なくして麻生さんを懐かしんでも免罪符になりませんよ。

投稿: Tユージ | 2010.12.28 13:01

惜しまれて死ねるのなら、良い生涯ですよ。final先生が亡くなったら、おおぜいの人が間違いなく深く悲しみます。

生きていた時、世間体だけ立派でも、遺族が恥ずかしそうにこそこそ葬儀をしないといけないような生涯を送る人だってたくさんいるんです。

あんまり人は悪くせず、できる限り多くの人に優しい心で接するようにしたいものです。

投稿: enneagram | 2010.12.28 15:05

はじめまして,頼藤氏の書籍の感想を検索してたどり着きました。わたしは氏をこの本で知ったのですが,その他の著書を見て,それらとの違いに驚きました。なぜ躍起になって虚無を説くのか。苦悩を分かちあいたかったのでしょうか。しかしそんなことを自覚しないで人生を送った方が人は幸せなのでは。再読後のご感想が良いものであったとことに救いを感じました。

投稿: フィヒテ | 2011.03.06 23:23

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