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2010.11.27

[書評]ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡(シルヴィア・ナサー)

 ゲーム理論を実質完成させた天才数学者ジョン・ナッシュの数奇な生涯を描いた「ビューティフル・マインド」といえば、ロン・ハワード監督ラッセル・クロウ主演の、美しく感動的な映画(参照)が有名で、本書「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡(シルヴィア・ナサー)」(参照)はその原作とも思われがちだ。私もそのクチで映画は見たものの、書籍のほうは読もうと思って忘れていた。ナッシュの生涯については他書などで自分は知っているつもりでいたせいもある。

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ビューティフル・マインド
天才数学者の絶望と奇跡
 この夏、書名からも関連性がわかるが、トム・ジーグフリード著「もっとも美しい数学 ゲーム理論」(参照)について書く機会があり、そういえばとナッシュの評伝である本書を読み始めた。読みづらい本ではないし、訳文もこなれているのだが、とにかく内容が濃く、しかも600ページ近い大著でもあり、読書には手間が掛かった。
 いや違う。すらすらと読んではいけない書籍なのだと覚悟して、日々修行のように読んだ。読後新書50冊分くらい読んだ実感がある。いやそれも違う。新書50冊を読んでもこれほどのずしんとくるインパクトはないだろう。新刊書ではないが私としては今年読んだ本のなかでもっとも強烈な本となった。
 この強烈さ、それは何か? 人間という存在の、最も神秘的な一面が描かれているからだ。神秘的といっても、世界を破滅させる一つの呪文といった簡潔さではない。ナッシュという人間を巡る、とめどない汚辱のような人間関係も、率直に言えば吐き気が出そうなほどに、こってりと描かれている。人間とはこのような存在なのだ。人生というのはこのような本質を持っているのだということが、まるで、神学とはまったく逆の方向で啓示のように、あるいは深淵のように、救いようもなく、ばっくりとそこここに開かれている。
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映画ビューティフル・マインド
 むしろそうした果てしなく暗い何かの、たまたま一つの表現としてジョン・ナッシュの精神病があるかのようだ。ナッシュの病態は、映画の描写では戯画的ではあったが、統合失調症であるとはいえる。本書の翻訳ではこの訳語が日本社会に定着する前であったため精神分裂病とされている。特徴的なのは妄想や幻聴といったものだ。私の精神医学の理解では、統合失調症でも幻覚はそう頻出するものではないので、映画のほうの描き方はビジュアル的な工夫にすぎず、実際のナッシュの統合失調症の状態とはかなり違うだろうとは思っていた。
 余談めくが、映画ではナッシュの夫婦関係での性の描写がややなまなましかったが、このあたりは、本書のほうではより広義になっている。こうしたディテールという点では、映画と本書に描かれているナッシュの像にはかなりの差があり、映画を見てしまった映像的な印象は読書の妨げになった。もっとも、映画のほうは本書への緻密な読みから細かいディテールを抜き出して再構成しているとは言える。
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もっとも美しい数学
ゲーム理論 (文春文庫)
 ジョン・ナッシュという人間は、お世辞にも優れた人格者だとは思えない。愛情のかけらもないのではないかと疑問に思われても当然だろう。だが、その数学的な才能は疑念の余地もない。本書はナッシュの数学の内実には言及されていないが、どのような数学的な業績がなされたかは年代順にまたその時代背景とともに丹念に描かれている。後に1994年のノーベル賞受賞理由ともなったゲーム理論における業績は、数学者ナッシュの全体から見れば、それほど突出したものでもなく、挿話的な業績でもあった。
 本書で知ったのだが、ナッシュの統合失調症の病歴は30代に入ってから顕著になるが、おそらく20代でもその前兆はあったのだろう。そして30代半ばからいよいよ手が付けられなくなるほど悪化するのだが、その間も数学的な業績を上げている。40代以降にはさすがに世間から忘れらた幽霊のような存在になるが、寛解中の60歳以降の知的能力を見ても、統合失調症と並行して数学的な能力は維持されていたように見える。読みながらそんなことがあるんだろうかという思いと、そういうものだろうという思いが交錯する。人間の知的能力つまりマインドというもの独立した均衡美とでもいうものがあるのだろう。
 ナッシュの狂気は、米国が冷戦時代、とくに共産主義思想狩りでもあったレッドパージの時代とも関係している(あるいはその背景で読み取らざるをえない側面がある)。本書は、その時代の米国の知的状況がどのようなものであったかについてかなり詳細に言及されているので、現代史の歴史書としても非常に興味深い。特に、ユダヤ人学者が欧州亡命学者の描写からはいちいち頷けるものがあった。米国現代史に関心がある人にとっても有益な書籍だろう。
 ナッシュは、ごく普通にといってもいいのだろうが、米国が戦争をすることを恐れた。徴兵されることにも極度の恐れを持っていた。これらの恐れは、ナッシュの妄想をそれなりに追ってみると、この時代特有のSF小説的な枠組みでもあり、どうやら彼の数学的な能力はこの妄想を緻密にさせ、強迫に仕立ててもいる。
 こうしたプロセスを読みながら、これを言うのははばかれるが、反戦思想なり平和思想というのはそれ自体に統合失調症的な妄想を誘発する要因があるのではないかと思えてならなかった。もちろん、すべてそうなるわけではないのだが、平和への幻想的な希求は緩和な統合失調症的な状況を人にもたらすのではないか、あるいは奇妙な精神の呪縛となるのではないかとも思えた。ただし、この緩和性は相対的である。
 本書では数学者でもあり、さらに強烈な反戦思想家でもあり環境問題思想家でもあるアレクサンドル・グロタンディエクがこの妄想時代のジョン・ナッシュと頻繁に交流していることが描写されている。グロタンディエク側からの情報がさらに収集されていたら、この二者のさらに深い交流がわかるのかもしれない。いずれにしても、グロタンディエクとしてはナッシュはまったく狂気の人ではなかっただろう。そしてグロタンディエクは強烈な変人ではあるが統合失調症ではない。どういうことなんだろうか。わかるようでわからない。もっとも、ナッシュの統合失調症は、その子の様子を見てもわかるように多分に遺伝的な問題であることは明らかだ。
 本書は結果としてだが、夫婦の物語にもなっている。妻であるアリシアの人生の物語と言ってもよいかもしれない。ギリシャのアポロン神のように均整のとれた身体と美男子に加え、天才的な数学的才能をもつジョン・ナッシュに、こう言うのはなんだが、野心的な思いもあって結婚したアリシアだが、ナッシュの狂気は当然だが、別の女に産ませた子どもの問題やナッシュの同性愛的な問題にもかき回されていく。離婚に至ったのも当然だと言えるし、その渦中に別の男性とのロマンスがあったのも不思議ではない。だが老年期に至り、実質アリシアはナッシュの介護ともいえる関係に戻る。それは夫婦愛というのものもっとも純粋な形の表現になっているとしか言えない。それを導く力はどこにあるのか。ナッシュなのである。
 ナッシュは愚劣な人格と天才的な才能の不格好な混合物でありながら、それに触れる人びとを魅了していく。身体的な美観もあるだろうし、天才的な能力も引きつける要素だが、誰もがナッシュという人間に触れたとき、これはどうにかしなければならないというある種の衝迫感にかられる。本書が極めて優れているのは、読者をこの衝迫感の魔力の手中に引き込むことだ。ナッシュという人間を愛するようになるというのとは違うが、誰もがこうした人間への向き合い方、人間存在の深淵といったものに、愛のような感性を持ち、もしかしたら、愛というのはそういう異質な何かなののではないかと再考を迫ってくる。
 人間とは何だろうか。言葉で問うことはたやすいが、この世にナッシュのような人間が出現したとき、人びとは自分が人間であることはどういうことなのか、その根底が抉られるように問われ出す。


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コメント

とても、素晴らしい書評でした。最後の最後愛の考察の部分が、うなづけます。素晴らしい書評をありがとうございました。

投稿: ビューティフルマインドを飛行機で見て | 2015.04.13 22:41

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