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2010.11.30

ウィキリークス(笑):中国は統一朝鮮を支持しないってば

 ウィキリークス(Wikileaks)で米国の機密公電が暴露されるているが、現状、イラン・コントラ事件を連想させるような、世界を震撼させるような暴露がなされているわけでもない。
 ベルルスコーニ伊首相が無能であること、サルコジ仏大統領が権威主義者であること、メルケル独首相が創造性に欠けることなど、いったいどこが機密情報なのか失笑を買う程度の雑談に過ぎない。北朝鮮からイランに向けて中距離弾道ミサイル19基が輸出されたという情報も、あーそりゃそうかも、といったくらいのものである。今後のネタを期待したいところだ。
 今回リークを外された悔しさもあるのかもしれないが、ワシントンポスト「After the WikiLeaks cables: Close the barn door」(参照)も、現状の暴露情報について、気まずいがたわいない("embarrassing to their authors or subjects, but otherwise harmless.")、また多少役立つ情報もあるというくらいに見ている。フィナンシャルタイムズ「WikiLeaks opens the diplomatic bag」(参照)では、情報をリークするなら責任を取れというスタンスを取っている。逆に言えば、リークに関連したガーディアンやニューヨークタイムズでそれなりにフィルターが掛かっているということもしれない。
 今後さらに情報は出てくるだろうが現状、日本についての情報はあまり出てこない。米政権は通常それほど日本に関心を持っていないということもあるだろう。ただ日本が関係する国際状況、特に北朝鮮と中国については、それなりに興味深い情報もあるのだが、これが少し頭をひねればわかるように困った代物である。
 BBC「Wikileaks release 'shows China thinking on Korea'」(参照)にもあるが、朝日新聞記事「中国「北朝鮮は駄々っ子」 暴露の米公電に赤裸々本音」(参照)の紹介のほうが読みやすい。


 ガーディアンがネット上に掲載した今年2月22日付のソウルの米国大使館発の公電によると、韓国外交通商省の第2次官だった千英宇(チョン・ヨンウ)氏(現・大統領府外交安保首席秘書官)が同17日、米国のスティーブンス駐韓大使と昼食をとった際、6者協議の韓国首席代表当時の中国側との私的会話のなかで、中国政府高官2人が「朝鮮は韓国の管理下で統一されるべきだと信じていた」と説明。千氏は、北朝鮮が米国の影響力を緩和する「緩衝国」としての価値をほとんど持たなくなったという「新しい現実」に中国は向き合う用意がある、とも語った。
 また、千氏は、北朝鮮が崩壊した際には、中国が韓国と北朝鮮との軍事境界線近くの非武装地帯(DMZ)の北朝鮮側での米軍の存在を歓迎しないことは明らかだ、と指摘。韓国が中国に敵対的な姿勢をとらない限り、統一朝鮮はソウルが管理し、米国はその「無害な同盟国」になる状態が中国にとっても「心地よい」との見方も示した。

 あたかも中国が、北朝鮮崩壊後、韓国政府による統一挑戦を支援する意思があるかのように読める。

 さらに、千氏は北朝鮮が経済的にはすでに崩壊しており、金正日(キム・ジョンイル)総書記の死後、「2、3年で体制が崩壊するだろう」と指摘。中国も金総書記の死後の北朝鮮崩壊は止められない、と指摘し、北朝鮮に対する影響力は「おおかたの人が信じているよりずっと弱い」とも述べた。「中国の戦略的、経済的な利益は今や北朝鮮ではなく、米日韓にある」とも指摘した。
 スティーブンス氏が日韓関係強化が日本の統一朝鮮受け入れの助けになる、と指摘したのに対し、千氏は「日本は朝鮮の分裂状態を望んでいる」とし、「日本に統一を止める影響力はない」と語ったという。

 あたかも中国は北朝鮮よりは、米日韓を重視しているかのように受け取れる。また、日本が統一朝鮮を望んでいないという指摘までおまけに付いている。
 爆笑ものだろ、これ。
 機密情報じゃなくて、ジョークだろ。
 この馬鹿話はそもそも、中国が対韓国で吹いたという枠組みがなくてはまったく意味をなさない。中国の対韓国戦略のなかで、愉快な話が語れているというくらいにしか国際政治上の意味はない。
 ただし、「日本は朝鮮の分裂状態を望んでいる」というのは、韓国の猜疑心という以上に、普通に国際政治を見るなら常識の部類ではあるだろう。統一朝鮮を願う朝鮮半島の人びとの気持ちは多数の日本人も日本政府も理解するし、それが実現する際には、惜しみない援助をすることは間違いないとも言えるが、普通の国際政治の枠組みで見るなら、日本は隣国に日本に匹敵する国力を持ち核保有をする国家の台頭を望んでいないし、恐らくその時には、残念ながらという言うべきなのだが、日本国内で核化の議論が進むだろう(参照)。
 この点は中国も同じだ。自前で核保有する国家が国境を接して出現することは中国も望んでいない。中国にはさらに懸念材料すらある。中国はその内部に多数の朝鮮族とその居住域を抱えているが、統一朝鮮が登場すればいずれその歴史観の変更から鴨緑江を超えて領土や同民族の主張すると見ている。中国としては、北朝鮮という国家がロシアの前身であるソ連によって傀儡国家として成立したために、白頭山と鴨緑江で封じられた現状に安定感を持っている。
 中国の対北朝鮮戦略については、フォーリンポリシー「China Help with North Korea? Fuggedaboutit! 」(参照)でエーダン・フォスター・カーター氏(リーズ大学名誉上級研究員)が書かれている話が、ごく普通にリアルである。日本版ニューズウィークにも抄訳がある(参照)。原文は気の利いたエッセイ風でもあるが要点は以下である。

 日本、ロシア、韓国など他の国々が手を引いていくなか、中国だけは北朝鮮を保護するつもりらしい。「中国は北朝鮮が崩壊して国境地帯が不安定化し、大量の難民が流入することを恐れている」という趣旨の解説をよく聞くが、中国の行動の動機はそれだけではない。中国は長期的な戦略を意識して行動する国だ。
 20年近く前に中国と韓国が国交を開いて以来、中韓の貿易やその他の結びつきは極めて深くなった。中国は韓国の最大の貿易相手国であり、最大の対外直接投資先でもある。
 普通に考えれば、中国にとって賢明な道は北朝鮮を放置して自壊させ、東西ドイツ統一のときのように韓国に北朝鮮を吸収させること。その上で、新しい「統一朝鮮」がアメリカの庇護の外に出るよう誘い出し、中立化させればいい。
 しかし、中国はこの道を選ばなかった。ブッシュ政権時に国家安全保障会議(NSC)のアジア担当部長を務めたビクター・チャが指摘しているように、中国は最近になって、南北朝鮮の統一が自国の国益に根本的に反するという戦略上の判断を下したようだ。

 つまり新しい「統一朝鮮」を中立化させていくという、あたかも韓国で千英宇氏が吹いたウィキリークスの話は、中国の国家意思としてはすでに破棄されている。
 そうはいっても、ウィキリークスにある中国外務省次官が言うように、いつまでも北朝鮮を「駄々っ子(spoiled child)」にしておくというわけにはいかない。中国はそれなりの躾もするにはするだろう。
 今日になって北朝鮮は、数千基の遠心分離機を備えたウラン濃縮施設について、平和目的の核開発だとアナウンスした(参照)が、中国から「そう言っとけばいい」と諭されたのだろう。中国の技術が関わっているとも見られるこの施設は、核兵器開発というより実際にエネルギー支援の一環なのかもしれない。
 ウィキリークスの馬鹿話に戻れば、韓国もこれを鵜呑みにしているわけではないことは、延坪島砲撃を国連安保理に提起しないことでもわかる。提起しても中国は拒否権を行使するしかないし、そこまで中国を追い詰めても韓国にメリットはない。あるいは、そういう最終的な判断をしたのは、韓国というより米国でもあるだろうが。
 と、ここでエントリを終えるつもりだったが、言い忘れていたことがあった。
 フォーリンポリシー記事の日本版ニューズウィークの抄訳で興味深いヌケがある。まず訳文はこうだ。

 ただし、いくつか注文もつけるだろう。第1に、北朝鮮に金をつぎ込む前提として、国内システムの立て直し――実質的には市場経済原理の導入を求める。
 第2に、「ならず者国家」的な行動を(直ちにではないにせよ)やめるよう求める。具体的には、核実験の中止と将来的な核放棄だ(それと引き換えに中国が北朝鮮の安全を保障するかもしれない)。
 北朝鮮もほんの少し頭を働かせれば、自分たちにパトロンが必要だと分かるはずだ。中国の「衛星国家」となるのは屈辱かもしれないが、国や体制が存在しなくなるよりはましだろう。

 該当する原文はこう。

First, Beijing will not pour money into a broken system. North Korea must fix itself first. That means finally embracing markets, as Deng Xiaoping first urged a much younger Kim Jong Il 30 years ago. (Imagine if the Dear Leader had heeded him then.)
 
Second, the roguery has to stop, if not all right away. That means no more nuclear tests, and in the long run denuclearization -- perhaps in exchange for a Chinese security guarantee.
 
What if the Kims won't play ball? Then China has its own Kim who will. No. 1 son Kim Jong Nam went strikingly off message last month, raining on little brother's parade by saying he was against a third generation succession. Who did he say this to? Japan's Asahi newspaper. Where did he say it? In Beijing, where evidently he still lives -- and is protected.
 
True, a regime so introverted, vicious, and world-historically stupid as North Korea's could yet foul up. The Kims may chafe and rattle their new cage. It could all go wrong, for China and them.
 
But if they have an ounce of sense, they must know the old game is up. Militant mendicancy won't cut it any more; no one will buy that old horse again. There is only China. Meanwhile their hungry subjects watch pirated South Korean DVDs, and grow restive.

 けっこう抜けている? まあいい。大きく抜けている太字のところだけ訳出しておこう。中国が北朝鮮を傀儡国家に仕上げるというゲームについてだ。

 金家の人びとがこの新ゲームをやらないとしたらどうなるか? 中国は、やる気の金さんを抱えている。長男の金正男君は、弟正恩のパレードの際、王朝第三世代への継承に反対だと先月メッセージを放った。誰に向けて語ったかって? 日本の朝日新聞社だよ。どこで語ったかって? 彼が実際に保護下で暮らしている北京さ。

 爆笑ものだろ、これ。
 でもこっちはジョークに見えて、真実。

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2010.11.29

2010年沖縄県知事選挙雑感

 沖縄県知事選挙が終わった。私は当初から現職の仲井真弘多さんが勝つだろうと思い、どのくらい票差が出るかなと高を括っていたのだが、地元に詳しい人の話を聞くと存外に接戦とのことだった。私が沖縄で暮らしていたのは8年も前になるのでそろそろ地元の勘が働かなくなることもあり、冷静に見ると、なるほど前宜野湾市長の伊波洋一さんが勝つ目もないわけではないなと思いなおし、なかなか読めなかった。
 伊波さんが勝つと沖縄は大きな変化になるので、そうなる趨勢ならエントリーも起こすべきだが、概ねそうはならないだろうと思いつつ、昨日、当日となり、午前中にツイッターのほうには予想を書いた(参照)。


沖縄県知事選の予想: 仲井真さんの勝ち。理由:争点が明確ではなく状況的に関心が下がっているので浮動票が伊波さんに流れにくいから。

 結果からすると予想通りの展開であり、沖縄の今後についても特に考えを変更することはないだろうということになったが、実際昨晩の選挙速報を見ながら、いろいろ思うことはあった。
 まず私にしてみると自明なのだが、今後普天間飛行場の辺野古移設はどうなるかというと、どうにもならない。つまり、移設はできない。では、現状の普天間飛行場はどうなるかだが、筋立てて考えると固定化するだろう。
 その間に、2004年8月13日にあった沖国大米軍ヘリ墜落事件(参照)のような事件があれば、普天間飛行場移設問題は再度大きな騒ぎとなり、県外移設しかありえなくなる。
 実際のところ、本土の人は記憶が薄れているかもしれないが、現地の人にとってあの事件はかなり重くのし掛かっているので、現状でも県外移設しかないと思う人が多いだろう。こうした問題は、いずれ配備されるオスプレイの騒音や危険性についての統計的な資料を見せられてもなかなか納得がいくものではないし、その次元で揉み合う話でもない。
 本土側のメディアでは仲井真さんがかつて名護市辺野古の移設を容認していたことから、条件さえ揃えば移設容認になるだろうと推測したり、また民主党政権もそれに期待している向きもあるが、それはない。
 私は沖縄少女レイプ事件から8年間現地で暮らし、この動向を見てきたが、沖縄では移設先の市町村の受け入れがないかぎり、県側は動けない。仲井真さんがかつて移設容認であったのは、当時の名護市が条件付きであれ受け入れの意向を示していたからだ。それが政権交代後の民主党特に鳩山前首相によって崩されたので、ほぼ無理な事態となった。
 その具体的な経緯は2009年5月の琉球朝日放送「検証 動かぬ基地 vol.89 次期政権狙う党の基地政策は」(参照)がわかりやすいが、ここで仲井真知事は「名護市が受け入れてを言っておられる間にきちっと移した方が現実的だということで私は県内移設やむなし」としている。つまり、辺野古移設が可能であるなら、1月の名護市長選前までの決断が必要だった。
 しかしその後、1月の名護市長選の趨勢から9月の同市議選でも移設反対の市長派が勝ち、名護市議会は10月に日米合意の撤回を求める意見書を可決し、デッドロックとなった。
 今回の選挙では、どうも本土側で勘違いをしている人もいるようだが、宜野湾市は現普天間飛行場を抱える側なので、移設自体への反対派が優れて多いわけではない。
 今回の選挙結果(参照)を見ると、宜野湾市では伊波24010票、仲井真21421と伊波さんが優勢だがずばぬけて差が開いているわけでもなく、現地としては普天間飛行場による賃貸料が途絶えることを嫌う人脈も移転反対の意向をもっていたりする。
 対する名護市だが、仲井真15213票、伊波13040票と仲井真さんが優勢になっている。率直にいえば、自民党時代のように地味に対応していけば、鳩山前首相が滅茶苦茶にしたちゃぶ台を以前に戻す下地がないわけではない。
 他の地域での得票差を見ると、大票田の那覇市で仲井真76327票、伊波68108票と大差があり、続く沖縄市、うるま市、浦添市でも仲井真さんが優勢であり、これらを見てもわかるが沖縄の都市部市民としてはいわゆる本土の反基地・反安保という考えが優勢ということはない。もっとも、伊波さんもそう差を付けられたわけでもないことは、おそらく沖縄県民は自分たちにだけ米軍基地を押しつけられたという本土への反発感があるのではないか。

 私が現地で暮らして見て思ったり、名護市にも何度か行って思ったことだが、名護市は地域的に大きいためか、住民の多い西岸と辺野古のある東岸とではかなり風景も違う。むしろ、西側は交通のせいもあるがリゾート地の多い恩納村などとつながりがある。対する東側の辺野古はすでにキャンプ・ハンセンやキャンプ・シュワブを持つ宜野座村や金武町とのつながりが深い。
 東岸の選挙結果を見ると、宜野座村で仲井真1614票、伊波1260票、金武町で仲井真3228票、伊波1778票となっており、現米軍基地を抱える小さな市町村のほうが仲井真さんの支持が高い現実がある。この傾向は嘉手納町にもあり、仲井真3887票、伊波2628票となっている。
 観点を変えると、反基地・反安保という政治的なスローガンの問題より、具体的な地域経済としての県政への期待が高いとも言えるし、その部分でのフォローが明確に見えない点が伊波さんの敗因でもあっただだろう。
 この間、現地の様子を私が見ていて一番印象的だったのは、先のツイッターでも書いたが、選挙に対する関心が本土側からの温度差で見ると、比較的低いことだった。私は前回の知事選よりも得票率は伸びないだろうと見ていた。結果は3.7ポイント減少した(参照)。
 朝日新聞による事前の調査「伊波氏と仲井真氏が競る 沖縄知事選情勢調査」(参照)でもそれは窺えた。


 投票する際に何をいちばん重視するか、四つの選択肢から選んでもらった質問では、「経済の活性化」が49%で最も多く、次いで「基地問題」の36%が多かった。「経済の活性化」を最も重視する人のなかでは仲井真氏、「基地問題」を最も重視する人のなかでは伊波氏への支持が厚い年代別にみてみると、伊波氏への支持は50代と60代が多めで、仲井真氏への支持は70歳以上でやや厚めだ。
 職業別では、伊波氏は事務・技術職層と主婦層で、仲井真氏は製造・サービス従事者層で支持が厚い。
 地域別にみると、伊波氏は沖縄本島の中部で、仲井真氏は南部で支持を広げている。

 自分も8年ほど沖縄県民であったが、実際に沖縄での住民として日々の生活にのし掛かってくるのは本土と同じく、経済の問題である。基地問題も経済の問題に包括するような形で提出されないと住民の生活の課題としてはなかなか受容しづらい。石垣市や宮古市など先島における仲井真さん優位もそうした総合的な県政の期待の延長にあるだろう。
 今回の選挙結果を見て、一点だけ意外に思えたことがあった。幸福実現党公認の金城竜郎氏が13116票も得ていることだ。500票もいくかなと思っていた。
 沖縄における各種宗教の力は他のアジア地域と似ている傾向があり、創価学会が存外に強かったり、天理教の組織などもあったりするが、さすがに幸福実現党の浸透は少ないと見られる。なので、金城さんの得票は宗教の文脈より、本土ナショナリズム的な主張への賛同票と見てよいだろう。選挙の構図でいえば、これが仲井真さんの票を食ったことになるが、そうした意図からの立候補ではないだろう。
 本土ナショナリズム的な影響は候補者三氏にそれぞれ見られ、その分析は存外に難しいが、いずれにしても沖縄は沖縄の道を行くという点では大きな変化はないことは今回の県知事選挙でもはっきりした。
 つまり、そのことが沖縄というものの依然大きな意味でありつづける。


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2010.11.28

延坪島砲撃を米国は事前に知っていたのではないか

 延坪島砲撃事件を受けた形の米韓合同軍事演習が始まった。12月1日まで続く予定である。経緯を振り返ってみると、これは最初から米国のシナリオ通りの展開だったのではないかと思えてくる。
 なぜ北朝鮮が延坪島砲撃に及んだかについての推測は24日のエントリー「韓国人が居住する延坪島に北朝鮮が砲弾を撃ち込んだのはなぜか」(参照)でも言及した。
 同エントリーでの参照はリンクも英国高級紙テレグラフと米国高級紙ニューヨークタイムズに限定したものの、多少推測を交えたため、陰謀論的に読まれたかたもいたようだった。だが、私としてはそれほど突飛な推測をしたわけではないと思っていた。そうしたやさき、エコミスト誌の元編集長でもあるビル・エモット氏も似た推測をされているのを知った。ダイヤモンド・オンライン「緊迫の朝鮮半島、ビル・エモット特別インタビュー」(参照)より。


 金正日総書記が深刻な健康不安を抱え、金正恩氏への権力移譲が急がれる中で、指導部の“タフネス”を示すためだとか、朝鮮半島西側の黄海上での韓国軍による軍事演習への対抗措置だったとか、あるいは制裁の緩和や新たな援助を引き出すためといったもっともらしい説明が各メディアで報じられているが、はっきり言って、どれも説得力を欠く。
 それだけの理由で、韓国側の本気の反撃を招く覚悟を持って、民間人の住む島に本当に砲弾の雨を降らすだろうか。北朝鮮も、今回の延坪島(ヨンピョンド)砲撃で一線を越えたことは認識しているはずだ。

 金正恩氏への権力移譲のための示威説と黄海上での韓国軍による軍事演習への対抗措置説を説得力に欠けるものとして見ている。

 今回の攻撃が意図せざる突発的なものだったとする見方も少なからずあるようだが、私はそれはないと思う。新たなウラン濃縮施設が確認された時期から日が近すぎる。それに、北朝鮮軍による場当たり的な博打だったとしたら、そちらのほうが深刻だ。指導部が軍を制御できていないことになるからだ。

 突発説も退けている。これは同時に、26日のエントリー「延坪島砲撃事件で最初に挑発をしたのは韓国側か」(参照)でも触れたが、ニューヨークタイムズや中国が取る、韓国側が先に挑発したという議論も排していることになる。
 ここまでは私の議論とほぼ同じだし、その先も似ている。ただ、エモット氏の推測は私の推測とは違った点で踏み込んでいる。北朝鮮と米国の水面下交渉を彼は推測している。

推察するに、最近新たに確認された北朝鮮のウラン濃縮施設にからんで、ピョンヤンとワシントンとの間に水面下で抜き差しならぬやりとりがあったのではないか。

 米国から事実上の最後通牒に近いものを北朝鮮が受け取っての行動とエモットは見ているが、それがなんだったかについては彼は言及していない。私はすでに言及したように、北朝鮮へのピンポイント空爆ではないかと考えている。
 エモット氏も私も現状の公開情報からは推測になるが、それほど陰謀論といった突飛な推測にはならないだろう。
 この推測が正しいとすると、事後についても、米国側が北朝鮮の強行な反発をかなり予想できたことになる。重要なのは、米国側が延坪島砲撃まで予想していたかだ。
 もし米国が延坪島砲撃を予想していたとすれば、韓国を見殺しにしていたにも等しいので、この推測は難しいところでもある。
 予想していたのではないかと思われる筋がまったくないわけではない。
 24日付けワシントンポスト記事「N. Korea attack leaves U.S. with tough choices」(参照)では、米国政府が金正日総書記と正嫡と見られる金正恩が同地域を訪問していたことを24日以前に知っていたことを語っている。

Administration sources also said North Korean leader Kim Jong Il and his third son, the heir apparent Kim Jong Eun, visited troops over the weekend in the region where the barrage originated - apparently as a kind of pep rally.

高官筋によると、金正日総書記と彼の三男の正嫡と見られる金正恩が、週末、集中砲火を発した地域で軍の訪問をしていた。おそらく一種の激励としてである。


 韓国側ではどうだったか。評価の難しい報道がある。26日付け朝鮮日報「北朝鮮砲撃:韓国軍、ロケット砲の移動知りながら対応できず」(参照)より。

 北朝鮮軍は23日の延坪島砲撃に先立ち、同日第4軍団に所属する122ミリロケット砲(多連装ロケット砲)1個大隊を黄海道カンリョン郡のケモリ基地に移動・配備し、射撃準備訓練を行っていたことが25日、分かった。韓国軍当局は北朝鮮軍のこうした動きを事前にキャッチしていながら、北朝鮮の第1次砲撃に対応する際、ケモリ基地ではなく、茂島地域の海岸砲基地の攻撃に重点を置いていたことが明らかになり、こうした兆候をキャッチする韓国軍のシステムなどに問題があるとの指摘が上がっている。
 軍消息筋によると、北朝鮮軍は砲撃当日の23日、122ミリロケット砲1個大隊(18門)をケモリ基地に配備していたことが分かったという。
 この消息筋は「北朝鮮軍は砲撃の数時間前に当たる午前、ロケット砲1個中隊(6門)を展開させ、午後に2個中隊(12門)を追加配備した。砲撃前に射撃準備訓練を行い、韓国軍も事前にこれを把握していたと聞いている」と語った。122ミリロケット砲は北朝鮮の海岸砲部隊には配備されておらず、第4軍団に所属するロケット砲旅団からケモリ基地まで移動させなければならないが、韓国軍当局はこうした動きを事前に把握していたというわけだ

 事前とはいえ、延坪島砲撃の当日のことなので、それ以前に察知していたとまでは言えないようだが、北朝鮮側からの砲撃が開始される以前から、北朝鮮側をそれなりに注視していたことは理解できる。
 私は素朴な疑問を持つのだが、こうした事前の動きについて、人一人を識別できるほどの解像度を持つ衛星からでも察知できなかったのだろうか? 朝鮮日報が伝えるように事前が当日であっても、数時間の時間差は取れるわけで、その情報を活用すればかなり被害は防げたはずではないのか。
 この報道からは、韓国側は北朝鮮の動向を注視しても、それを延坪島砲撃への対処としては活用していなかったとされ、韓国側の落ち度を示しているにとどまっている。
 問題は米側である。事前に知らなかったのだろうか。もし知っていたと仮定すると韓国を見殺しにすることになる。素朴に考えると、ありえないことにも思える。
 私が一つ気になっているのは、今回延坪島砲撃で民間人を含めた死者まで出し、生々しい砲撃跡の映像も報道されるが、この二人の民間人は出稼ぎ労働者として島の北側の韓国軍側施設におり、むしろ軍の下にあった。北朝鮮としては、民間人被害を痛んでもいることから(参照)、いちおう軍のある島の北部をそれなりに焦点としていただろう。対する延坪島の住民は北朝鮮とは反対側の南岸の地域に暮らしていて、砲弾の命中率も高くなく、実際民間人に死者が出なかった。米側では砲撃があっても、これらを読み込み、それほどの被害はないと見越していたということはないだろうか。
 延坪島砲撃が行われたことで、北京の喉元でもあり、中国が曖昧に主張する排他的経済水域(EEZ)に関わる地域で、米韓合同軍事演習が始められた。国際世論の手前、中国としても今回の演習には表立って反対はしづらい。と同時に、EEZについては、実質黄海での中韓の中心線が意識されることになった。曖昧な形で支配海域を押し広げたい意思を持つ中国としては、致命的なストッパーをかまされたことになる。
 その意味は、中韓のEEZもだが、中日間のEEZにも影響するだろう。中国としては中日間のEEZについても、尖閣諸島を偽装漁船によって蹂躙し、いずれ軍で実効支配したいところだが、日米同盟が機能している限り、EEZについては国際的な中間線を飲まざるをえない前例となってしまった。
 もともと米国による黄海での演習は、中国が東シナ海で太平洋側に押し出てくることに対するストッパーの意味もあったが、7月の演習では中国の強行な反発に配慮して、ジョージ・ワシントンを黄海への派遣を断念し、日本海に移した経緯がある。しかし、当然ながら黄海での演習を狙っていたものだった。
 中国側としてみると、今回の米韓演習によって、実質現状のままに海域が封じ込められるという、かなり苦々しい結果となった。
 これは今後、中国内政にどのような影響を与えるだろうか。存外に現政権の共青同側の勢力は米国を悪玉にしたてて、軍を抑え込むというシナリオもあるかもしれない。そもそも原点の問題でもある北朝鮮の核化だが、北朝鮮にウラン濃縮技術をもたらしたのは中国内の勢力である可能性もある(参照)。
 しかし、実質米国に抑え付けられた軍側がさらに反発するというシナリオもあるだろう。どちらかといえば、そのほうがありそうなシナリオだろう。

追記
 韓国では活用はされてはいないが、さらにそれ以前に情報があったようだ。


 【ソウル=牧野愛博】韓国の情報機関、国家情報院の元世勲(ウォン・セフン)院長は1日、国会情報委員会での北朝鮮軍による大延坪島(テヨンピョンド)への砲撃を巡る答弁で、今年8月に北方限界線(NLL)近くにある同島を含む島々に対する攻撃の兆候を把握していたと説明した。関係議員が明らかにした。
 北朝鮮の通信を傍受した結果、攻撃の可能性が高いと分析した。関係議員は、政府が対応措置を取らなかった理由について「北の似た行動が多いため、同程度に考えたようだ」とした。民間人を巻き込む無差別攻撃も予測できなかったという。8月9日には、北朝鮮軍がNLLから1~2キロ離れた韓国側の海上に向けて十数発を砲撃する事件が起きていた。

 北朝鮮の通信傍受が韓国に閉じていたかは疑問が残る。


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2010.11.27

[書評]ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡(シルヴィア・ナサー)

 ゲーム理論を実質完成させた天才数学者ジョン・ナッシュの数奇な生涯を描いた「ビューティフル・マインド」といえば、ロン・ハワード監督ラッセル・クロウ主演の、美しく感動的な映画(参照)が有名で、本書「ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡(シルヴィア・ナサー)」(参照)はその原作とも思われがちだ。私もそのクチで映画は見たものの、書籍のほうは読もうと思って忘れていた。ナッシュの生涯については他書などで自分は知っているつもりでいたせいもある。

cover
ビューティフル・マインド
天才数学者の絶望と奇跡
 この夏、書名からも関連性がわかるが、トム・ジーグフリード著「もっとも美しい数学 ゲーム理論」(参照)について書く機会があり、そういえばとナッシュの評伝である本書を読み始めた。読みづらい本ではないし、訳文もこなれているのだが、とにかく内容が濃く、しかも600ページ近い大著でもあり、読書には手間が掛かった。
 いや違う。すらすらと読んではいけない書籍なのだと覚悟して、日々修行のように読んだ。読後新書50冊分くらい読んだ実感がある。いやそれも違う。新書50冊を読んでもこれほどのずしんとくるインパクトはないだろう。新刊書ではないが私としては今年読んだ本のなかでもっとも強烈な本となった。
 この強烈さ、それは何か? 人間という存在の、最も神秘的な一面が描かれているからだ。神秘的といっても、世界を破滅させる一つの呪文といった簡潔さではない。ナッシュという人間を巡る、とめどない汚辱のような人間関係も、率直に言えば吐き気が出そうなほどに、こってりと描かれている。人間とはこのような存在なのだ。人生というのはこのような本質を持っているのだということが、まるで、神学とはまったく逆の方向で啓示のように、あるいは深淵のように、救いようもなく、ばっくりとそこここに開かれている。
cover
映画ビューティフル・マインド
 むしろそうした果てしなく暗い何かの、たまたま一つの表現としてジョン・ナッシュの精神病があるかのようだ。ナッシュの病態は、映画の描写では戯画的ではあったが、統合失調症であるとはいえる。本書の翻訳ではこの訳語が日本社会に定着する前であったため精神分裂病とされている。特徴的なのは妄想や幻聴といったものだ。私の精神医学の理解では、統合失調症でも幻覚はそう頻出するものではないので、映画のほうの描き方はビジュアル的な工夫にすぎず、実際のナッシュの統合失調症の状態とはかなり違うだろうとは思っていた。
 余談めくが、映画ではナッシュの夫婦関係での性の描写がややなまなましかったが、このあたりは、本書のほうではより広義になっている。こうしたディテールという点では、映画と本書に描かれているナッシュの像にはかなりの差があり、映画を見てしまった映像的な印象は読書の妨げになった。もっとも、映画のほうは本書への緻密な読みから細かいディテールを抜き出して再構成しているとは言える。
cover
もっとも美しい数学
ゲーム理論 (文春文庫)
 ジョン・ナッシュという人間は、お世辞にも優れた人格者だとは思えない。愛情のかけらもないのではないかと疑問に思われても当然だろう。だが、その数学的な才能は疑念の余地もない。本書はナッシュの数学の内実には言及されていないが、どのような数学的な業績がなされたかは年代順にまたその時代背景とともに丹念に描かれている。後に1994年のノーベル賞受賞理由ともなったゲーム理論における業績は、数学者ナッシュの全体から見れば、それほど突出したものでもなく、挿話的な業績でもあった。
 本書で知ったのだが、ナッシュの統合失調症の病歴は30代に入ってから顕著になるが、おそらく20代でもその前兆はあったのだろう。そして30代半ばからいよいよ手が付けられなくなるほど悪化するのだが、その間も数学的な業績を上げている。40代以降にはさすがに世間から忘れらた幽霊のような存在になるが、寛解中の60歳以降の知的能力を見ても、統合失調症と並行して数学的な能力は維持されていたように見える。読みながらそんなことがあるんだろうかという思いと、そういうものだろうという思いが交錯する。人間の知的能力つまりマインドというもの独立した均衡美とでもいうものがあるのだろう。
 ナッシュの狂気は、米国が冷戦時代、とくに共産主義思想狩りでもあったレッドパージの時代とも関係している(あるいはその背景で読み取らざるをえない側面がある)。本書は、その時代の米国の知的状況がどのようなものであったかについてかなり詳細に言及されているので、現代史の歴史書としても非常に興味深い。特に、ユダヤ人学者が欧州亡命学者の描写からはいちいち頷けるものがあった。米国現代史に関心がある人にとっても有益な書籍だろう。
 ナッシュは、ごく普通にといってもいいのだろうが、米国が戦争をすることを恐れた。徴兵されることにも極度の恐れを持っていた。これらの恐れは、ナッシュの妄想をそれなりに追ってみると、この時代特有のSF小説的な枠組みでもあり、どうやら彼の数学的な能力はこの妄想を緻密にさせ、強迫に仕立ててもいる。
 こうしたプロセスを読みながら、これを言うのははばかれるが、反戦思想なり平和思想というのはそれ自体に統合失調症的な妄想を誘発する要因があるのではないかと思えてならなかった。もちろん、すべてそうなるわけではないのだが、平和への幻想的な希求は緩和な統合失調症的な状況を人にもたらすのではないか、あるいは奇妙な精神の呪縛となるのではないかとも思えた。ただし、この緩和性は相対的である。
 本書では数学者でもあり、さらに強烈な反戦思想家でもあり環境問題思想家でもあるアレクサンドル・グロタンディエクがこの妄想時代のジョン・ナッシュと頻繁に交流していることが描写されている。グロタンディエク側からの情報がさらに収集されていたら、この二者のさらに深い交流がわかるのかもしれない。いずれにしても、グロタンディエクとしてはナッシュはまったく狂気の人ではなかっただろう。そしてグロタンディエクは強烈な変人ではあるが統合失調症ではない。どういうことなんだろうか。わかるようでわからない。もっとも、ナッシュの統合失調症は、その子の様子を見てもわかるように多分に遺伝的な問題であることは明らかだ。
 本書は結果としてだが、夫婦の物語にもなっている。妻であるアリシアの人生の物語と言ってもよいかもしれない。ギリシャのアポロン神のように均整のとれた身体と美男子に加え、天才的な数学的才能をもつジョン・ナッシュに、こう言うのはなんだが、野心的な思いもあって結婚したアリシアだが、ナッシュの狂気は当然だが、別の女に産ませた子どもの問題やナッシュの同性愛的な問題にもかき回されていく。離婚に至ったのも当然だと言えるし、その渦中に別の男性とのロマンスがあったのも不思議ではない。だが老年期に至り、実質アリシアはナッシュの介護ともいえる関係に戻る。それは夫婦愛というのものもっとも純粋な形の表現になっているとしか言えない。それを導く力はどこにあるのか。ナッシュなのである。
 ナッシュは愚劣な人格と天才的な才能の不格好な混合物でありながら、それに触れる人びとを魅了していく。身体的な美観もあるだろうし、天才的な能力も引きつける要素だが、誰もがナッシュという人間に触れたとき、これはどうにかしなければならないというある種の衝迫感にかられる。本書が極めて優れているのは、読者をこの衝迫感の魔力の手中に引き込むことだ。ナッシュという人間を愛するようになるというのとは違うが、誰もがこうした人間への向き合い方、人間存在の深淵といったものに、愛のような感性を持ち、もしかしたら、愛というのはそういう異質な何かなののではないかと再考を迫ってくる。
 人間とは何だろうか。言葉で問うことはたやすいが、この世にナッシュのような人間が出現したとき、人びとは自分が人間であることはどういうことなのか、その根底が抉られるように問われ出す。


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2010.11.26

延坪島砲撃事件で最初に挑発をしたのは韓国側か

 延坪島砲撃事件の初動について、報道からわかる範囲でメモしておきたい。論点は、今回の砲撃は北朝鮮側から見て正当なもの言えるだろうかということだ。これには、最初に挑発をしたのはどちらかという問題が関わる。
 どのような事件であれ、立脚する観点によって異なった見方が可能になる。今回の延坪島砲撃事件では市民居住区への攻撃という点で、北朝鮮の非は明らかなようだが、北朝鮮としては挑発を受けての自衛的な行為だと見ている。
 エントリーを起こしたいと思ったのは、初動はなんであったかについて各種報道からでは真相が明確ではないことだ。例えば、当日の朝日新聞記事「北朝鮮の韓国砲撃をめぐる23日の動き」(参照)では初動は判然としない。


8:20 北朝鮮、韓国軍の現場海域での演習中断を求める通知文を発送
14:34 北朝鮮軍が砲撃開始
14:49 韓国軍が対応射撃
14:50 韓国軍、周辺海域に対して、北朝鮮軍の局地挑発に備えた最高度の防衛準備態勢「珍島犬1」を発令
14:55 北朝鮮軍の砲撃やむ
15:01 韓国軍が2回目の対応射撃
15:10 北朝鮮軍が2回目の砲撃
15:25 韓国軍が3回目の対応射撃
15:41 北朝鮮軍の2回目の砲撃やむ
15:48 韓国軍、挑発中止を求める通知文を発送
16:35 李明博大統領が外交・安全保障関係閣僚会議を開催(~21:50)
16:36 韓国行政安全省が全国家公務員に非常待機令
18:06 韓国大統領府が政府声明を発表
18:40 韓国軍合同参謀本部が記者会見
20:30 金星煥外交通商相が在韓日本大使に状況説明
20:37 李大統領が合同参謀本部を視察

 タイムテーブルからは事前通告はあったものの午後2時半に突然北朝鮮の砲撃が始まったように見える。
 ところが中国は別の見方をしている。中国の立場とも絡んでいるだろうが、中国の報道からは、今回の挑発の発端は韓国側にあるとする北朝鮮への理解が感じられる。23日付けCRI「朝鮮、「韓国側が先に軍事挑発した」(参照)より。

 韓国の聯合ニュースが23日、朝鮮中央通信社の報道を引用して伝えたところによりますと、朝鮮人民軍最高司令部は23日、「韓国側が先に軍事的挑発をした」と宣言したということです。
 報道によりますと、朝鮮人民軍最高司令部が23日に発表したプレスコミュニケでは、「韓国側が朝鮮側の数回にわたる警告を顧みず、23日午後1時から朝鮮西海の延坪島周辺で朝鮮側の領海に発砲し、軍事的挑発を行った。これに対し、朝鮮人民軍は軍事措置をとり、反撃を加えた」としました。
 プレスコミュニケはさらに、「朝鮮の西海には、朝鮮側の画定した海上軍事境界線しかない。韓国側が朝鮮の領海を0.001ミリでも侵犯すれば、朝鮮は断固として軍事的手段で反撃する」としました。
 また、韓国国防省によりますと、韓国は23日午前10時15分から午後2時25分まで、延坪島付近の海域で定期的な射撃訓練を行いましたが、射撃訓練の地点は北方限界線の韓国側にあるということです。

 こうした、初動の挑発は韓国であったとする見解は、23日付けニューヨークタイムズ社説「A Very Risky Game」(参照)にもある。

The attack on Yeonpyeong Island occurred after South Korean forces on exercises fired test shots into waters near the North Korean coast. We hope South Korea’s president is asking who came up with that idea. But the North should have protested, rather than firing on a populated area, wounding three civilians and 15 soldiers.

延坪島攻撃は韓国軍が北朝鮮海域で軍事演習の砲弾を発した後に起きた。我々米国民としては、この考えに至った者に韓国大統領が質疑していと期待している。それでも、北朝鮮は3人の市民と15人の兵士に傷害を与える居住区への砲撃よりも抗議をすべきだった。


 ニューヨークタイムズとしては、その海域で最初の演習砲弾を行った韓国に非があると見ている。さらにこう続く。

South Korea showed admirable restraint earlier this year when the North Koreans torpedoed and sank a South Korean warship, killing 46 sailors.

北朝鮮の雷撃で46人の兵士の死者を出した今年年初の韓国軍船沈没のときも、韓国は称賛すべき抑制を示した。


 韓国軍は46人も殺されても我慢したのだから、北朝鮮を挑発すると思えるような軍事演習も我慢するべきだったというのだ。随分とひどいことをニューヨークタイムズは言うものだなという印象もあるが、それより、今後米国がこの海域で軍事演習をすることになるという米国のダブルスタンダードな対応はどうなのだろうか。いずれにせよ、挑発した韓国に非があるという議論は存在する。
 ニューヨークタイムズの議論に対して直接の対応ではないが、米政府側の反論としても読めるのは24日付けワシントンポスト記事「N. Korea attack leaves U.S. with tough choices」(参照)だった。

Despite North Korean claims that the South fired the first shots during a round of military exercises, U.S. officials said the barrage appeared to have been unprovoked and premeditated.

軍事演習中に韓国が最初の砲撃を放ったと北朝鮮が主張するものの、米国高官は、集中砲火は挑発によらず事前計画であったようだと述べている。

They noted that the North began firing artillery four hours after the South's guns had fallen silent. Administration sources also said North Korean leader Kim Jong Il and his third son, the heir apparent Kim Jong Eun, visited troops over the weekend in the region where the barrage originated - apparently as a kind of pep rally.

高官らは韓国砲弾が止んでから4時間後に北朝鮮が大砲を撃ち出したことに注目している。高官筋によると、金正日総書記と彼の三男の正嫡と見られる金正恩が、週末、集中砲火を発した地域で軍の訪問をしていた。おそらく一種の激励としてである。


 ワシントンポストは米国当局の見方を伝えている。気になるのは、韓国演習の砲弾が止でからの4時間の沈黙があるという指摘だ。集中砲火が始まったのは2時半であり、4時間前となると10時半ということになる。つまり、海上演習が始まった初期の状態を指している。どのようなものだっただろうか。
 23日聯合ニュース「韓国軍「北の砲撃は意図的挑発」、護国訓練否定」(参照)はこう伝えている。

 国防部の李庸傑(イ・ヨンゴル)次官は同日、民主党幹部に非公開報告を行い、軍が延坪島の沖合いで実施した訓練は護国訓練ではなく、定期的に行っている射撃訓練だったと説明した。民主党の朴智元(パク・チウォン)院内代表が明らかにした。
 李次官によると、韓国軍は、午前10時15分から午後2時25分まで北西部海上で射撃訓練を実施。西南方向に向け、NLLより南側で砲撃を行った。北朝鮮側が午後2時34分に海岸砲20発余りを発射してきたため、韓国軍もK9自走砲で同49分ごろ応射。続いて午後3時1分ごろ2度目の応射を行ったという。事態は午後3時41分に収束した。

 このアナウンスが正しければ、今回の演習はニューヨークタイムズがことさらに取り上げるようなものではなく、定期的に行っている射撃訓練であったようだ。また、初砲は10時15分、北西部海上から西南方向に向け、北方限界線より南側であったことになり、北朝鮮に向けられてはいない。


延坪島域北方限界線より

 赤い矢印が延坪島で紫色の2つの領域が韓国の射撃訓練域である。李次官の話が正確なら、韓国は北方限界線の南、韓国寄りの射撃訓練域で演習砲弾を南西方向に発したことになる。これを北朝鮮が自国の領域への侵害とするには、1999年以降になってから北朝鮮が主張している海上軍事境界線を前提としなければならない。北朝鮮としての思い入れはあるだろうが、歴史的な経緯を重んじる国際的な常識からは逸した主張である。
 また、今回の演習が定期的な射撃訓練であれば軍事挑発として中国やニューヨークタイムズが取り上げるほどの意味合いもないだろう。先の聯合ニュースでは同種の演習が8月と9月にも実施されたことを伝えている。


 一方、ある軍関係者は、今回の韓国軍の訓練は護国訓練期間に行われたが、これとは別のもので、1カ月に1回程度、定期的に実施している射撃訓練だと説明した。8月初めと9月にも白リョン島、延坪島で実施しているという。
 韓国軍の砲射撃区域は、延坪島の西南方向20~30キロメートル地点で、午前10時から午後5時までの計画だった。砲射撃訓練にはバルカン砲、爆撃砲、無反動砲などを動員したと伝えた。

 現状では初動についての詳細な状況はわからないが、逆にいえば、中国やニューヨークタイムズが取っている、韓国側から北朝鮮を挑発したという見解もそれほど確固たるものではなさそうだ。

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2010.11.25

[書評]ゼロから学ぶ経済政策 日本を幸福にする経済政策のつくり方(飯田泰之)

 民主党政権で各分野に混迷が深まるなか、ただ批判的に状況を見ているのではなく、一連の騒ぎが終了し、空疎なマニフェストの夢からはっきりと覚めた後、日本をどのように立て直していくか。そのなかで経済政策はどうあるべきか。基本に戻って考えるにはどうしたらよいか。そんなことを思っていた矢先に、ずばりその通りの書名の書籍があったので手にしたら、著者は経済学者の飯田泰之氏であったので、中身も見ずに購入して読んだ。良書であった。

cover
ゼロから学ぶ経済政策
日本を幸福にする
経済政策のつくり方
飯田泰之
 経済政策とはどのようなものか。どう考えたらよいのか。その基本がきちんと書かれているという点で、私の視野が狭いだけかもしれないが、意外に珍しい書籍に思えた。読後の印象としては、新書に収めるには内容が豊富で、私などは部分的な再読・精読を必要とする書籍だった。
 本書は、副題に「日本を幸福にする経済政策」とあるように、日本国民が幸福になるための経済政策という大きな指針で描かれている。幸福とはなにかという、抽象的な議論になりがちなテーマだが、本書では第一章「幸福を目指すための経済政策」で、妥当な論理の展開から打倒な指針が与えられている。
 要点を単純に言えば、国民の幸福を考える上で目をそらしてはいけないのは、一人当たりの国内総生産(GDP)ということだ。その上に成長戦略が位置づけられ、さらにそれだけではない他の側面で、他の経済政策が位置づけられていくことになる。
 余談めくが、民主党は一時期独自の幸福指数を考案したいと主張していたものだった。それらが馬鹿げた空想として再燃することがあれば、本書のこの部分の考察はきちんとした消火器の役割をするだろう。
 本書は第一章で国民の幸福の視点を定めた後、経済政策の三本柱として成長政策、安定化政策、再配分政策を示し、その組み合わせが重要だとし、第二章以降は、三本柱にそれぞれの章を充てている。その意味で本書の構成は非常に簡潔で、経済政策としての幸福という概念、そのための三本柱の組み合わせ、そして三本の各論という構図でできている。
 各論の前になるが、本書の特徴でもあるのだが、さらりと重要な命題もちりばめられている。特にこの三本柱の組み合わせについて、「ティンバーゲンの定理」、「マンデルの定理」そして「コンティンジェンシー・プランの存在」という原理性への言及が貴重だ。おそらくこの三点だけでも一冊の書籍になるくらいの重要性があると私には思えた。
 「ティンバーゲンの定理」は「N個の独立した政策目標達成のためには、N個の独立した政策手段が必要である」ということで、まさに民主党政権はその反面教師のようなものだった。おそらくこの政権は、理想の政治概念から個々の経済政策が魔法の杖の一振りで導かれるというナイーブな幻想をもっていたのだろう。残念ながら、個別の政策は医薬品のように個別の副作用を伴うし、だからこそそれに対応した「マンデルの定理」も関連する。
 「コンティンジェンシー・プランの存在」については、本書をいわゆるエッセイ的な読書として読むなら、知識を得るという以上に、著者の思想や主観が多少見える部分でもあり興味深い。著者の飯田氏はこれを「真正保守主義の原則」と呼んでいることの陰影でもある。
 日本の軽薄な言論風土では、「真正保守主義」というだけで右派であるかのようにバッシングされがちだが、内実は「政策に間違いがあれば引き返せるようにする」という素朴な意味合いである。しかし「その引き返す」という考え方には、引き返すべき日本国民による国民社会という理念も含まれているのだろう。こうした点と限らないが、微妙な主観性が本書の独自の魅力ともなっている。
 第二章は成長政策、第三章は安定化政策、第四章は再配分政策と議論は明晰に進むのだが、経済学的な知識にベースを置く技術論と、経済学というより政治理念的な部分には交差性も感じられ、特に第四章の再配分政策にはその印象が濃く、理念的な先行から実質的な経済政策への乖離が多少見られるように思えた。
 別の言い方をすれば、例えば「実践 行動経済学 --- 健康、富、幸福への聡明な選択(リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン)」(参照)のほうがより具体的な議論を展開している分、精密な議論になっている。本書でも、具体的でかつ社会コンテキストを反映した展開があればより明確になるだろうと思えた。セイラーの書籍の対象はあくまで米国社会なので、日本社会であればどうかという議論を識者に期待したいところだ。
 経済政策として通常議論されがちな、財政政策と金融政策については、第三章の安定化政策に分類され、バランスよくまとめられているが、この分野だけでも大きなテーマであり、例えば「マンデル=フレミング効果」などさらりと触れられているにとどまっている。こうした個別の財政政策と金融政策については、政策研究者の高橋洋一氏による著作(参照参照)も参考になるだろうし、別書に譲ってもよかったかもしれない。
 本書を読みながら一番考えあぐねていたのは第二章の成長戦略についてだった。異論があるわけではない。むしろ、どれも同意できる内容なのだが、読み進むにつれ懸念のような思いが漂う。なぜなのか。
 経済成長には、「資本(経済学的な意味で)」「労働力」「技術」の要素があるが、重要なのは「技術」である。技術といってもIT技術というような個別の技術より、付加価値の知的・プロセス的な源泉と言い換えてもよいだろう。その基本だが、こう説かれている。

 まず、政府による価格規制をなくすこと。たとえば、雇用における最低賃金や、今の日本にはないのですが賃貸住宅における最高家賃の設定といった価格規制を防ぐことが必要です。
 次に、事実上の独占やカルテル化によって不完全競争状態に陥っている市場があって、もしその原因がなんらかの規制にあるとしたら、参入規制を緩和することによって競争相手の促進をしなければならない。あるいは競争相手が国内から登場しないのであれば、海外との取引を活発化したり、規制緩和など外国資本の直接投資を促すことで、国内市場をより競争的にしていかなければならない。
 これが、政府が経済成長のためになすべき競争政策の基本となるわけです。

 私にはごく当たり前な事に思えると同時に、ブログなどをやって日々罵倒を浴びている身としては、こういう意見は日本をダメにした「ネオリベ」であり「小泉信者」とでもいうことになるのだろうなと、すぐに連想できる。
 もちろんそうした非知性は無視してもよいようにも思えるが、しかし現下の民主党政権はこの非知性の政治的な結実であるという現実がある。この非知性もまた強固な現実なのである。
 定義などなさそうな「新自由主義」というお題目で市場主義は終わったみたいな言論もあるが、経済学的な視点での「市場の失敗」は本書で説明されているように、「費用逓減産業」「外部性」「情報の非対称」というモデルで理解できるものであり、「新自由主義」といった政治理念と経済理念のゴミ箱に入れて済むことではない。
 私は主観的に本書を読み込み過ぎただろうか。そうではないと思いたいのは、次のような本書のメッセージに強く共感するからだ。

 こうした再配分精度の機能主体となるのが政府ですが、しばしば取り沙汰されるのが、日本が目指すのは「大きな政府」か「小さな政府」かという議論です。これは今となっては言い古された言葉であり、最早意味のない概念になってしまっているので、ナンセンスな議論だと言われています。「大きな政府」というと社会主義のイメージが付きまとい、「小さな政府」というと新自由主義のイメージが付きまとうため、現実の政策論議の中に出てくることは少なくなりました。
 しかし、結局のところ政府機能をどうするのか、どちらの傾向にバランスを置くのかの決断は避けて通れず、必ず話し合わなければいけない問題です。

 この問題にも著者は一定の指針を与えているし、私もそれに賛同している。ただし、そうした議論の深まりは、もう少し荒野となった広々とした風景のなかでなされるものかもしれない。


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2010.11.24

韓国人が居住する延坪島に北朝鮮が砲弾を撃ち込んだのはなぜか

 昨日午後二時半すぎ、朝鮮半島西側の黄海上、韓国市民居住の延坪島に北朝鮮が野戦砲によって数十発の砲弾を撃ち込み、韓国軍も砲弾線で応戦する事態となった。被害として、韓国軍側に死者二名、重軽傷十数名を出した。民間集落では住民三名が負傷した。
 1999年、2002年でもこの海域に軍事的な衝突はあったものの、韓国が実効支配し、市民が生活している地域に、挑発とはいえ、攻撃をしかけたのは1953年以来のことで、異例の事態であった。しかし、その後はとりあえず沈静化しており、これ以上に戦禍は拡大されないだろう(参照)。
 なぜこのような事態になったのか。
 韓国および国連が主張する北方限界線を北朝鮮は認めていないことが背景にある。北朝鮮としては、1953年の停戦協定によって地上での軍事境界線は定めたが海上の規定はないとし、独自の海上軍事境界線を主張している。今回の延坪島はこの2者の主張する2線に挟まれた地域にある。北朝鮮としては自国領土に関わる問題となる。
 1999年の際の小競り合い以降、北朝鮮はこの軍事境界線問題を強く主張しており、この海域での小規模な小競り合いは常態化していて、逆にそうした経緯から事実上北朝鮮も国際社会の同意を理解し、よもや市民居住区への砲撃があるとは想定しがいとされていた。それが突然破られたため、驚きが広がった。
 とはいえ今回の砲撃だが、時期的だけ見れば、同島の主要な産業であるワタリガニ漁の最盛期はほぼ外されてはいるし、砲弾による住民への直接被害もそれほど大きいわけではない。おそらくそれほどの被害を狙ったものではなく、メッセージ性の強い行為であっただろう。そのあたりに今回の事態を解く鍵がありそうだ。
 現状のところ、今朝の大手紙社説などを見ても明らかだが、日本のメディアでは概ね二点から解説している。(1)新権力者となる金正恩の権威付け、(2)ウラン濃縮活動に関連して米朝協議を推進させたい思惑、といったところだ。穏当な推測だろう。ただ、二点目の意味合いについて私はやや異なった考えを持っている。
 私は、今回の事態は国境線の問題や北朝鮮内の権力の問題というより、野戦砲を使って韓国市民を恐怖に陥れたという点がまず重要だろうと考える。その意味、つまり、その北朝鮮のメッセージは、野戦砲を多数の市民が住むソウルに向けて放つ覚悟がある、ということだろう。すでにソウルに向けた砲撃の準備は整ってもいる。野戦砲は近代的な兵器とは異なり意外と防衛しづらいのことも重要になる。応戦側にも多数の被害は出る。特に米軍は自国兵に犠牲を出しやすい、この手の応戦に加わりたくはない。
 この仮定の上にもう一段だけ推測を重ねてみたいのだが、その前提はなぜそのような脅威のメッセージを北朝鮮が出さなければならないか、ということになる。私の推測は、ウラン施設への空爆は許さない、ということだ。
 金正日は臆病者というかあるいは脇が甘くないというべきか、イラク戦争でイラクのフセイン元大統領や幹部がピンポイント空爆に遭っている際、恐れて長期に渡り身を隠していた。テロとピンポイント空爆によって殺傷される恐怖心はかなり強い。またウラン施設がピンポイント空爆されれば北朝鮮国内向けの権威は失墜し、王朝は自壊する。そこで、現状で朝鮮戦争のような事態になれば、韓国は自主的に軍の指揮権は取れないし、同様にピンポイント空爆も米軍の管理下に置かれるだろうと、北朝鮮側が想定したのだろう。つまり米軍のピンポイント空爆に対する人間の盾にソウルを使いたいということがあるだろう。
 今回の事態について私の読みはこれで終わりなのだが、気になることがもう一つある。やや陰謀論的な筋になりがちなのだが言及しておきたい。
 さて今回の事態、誰が一番得をしているのか。考えてみると奇妙な帰結になる。さしあたり五択だろうか。北朝鮮、韓国、米国、中国、日本、さてどこにメリットがあるか。
 有事ムードでごたごたを覆い隠すという点で日本の菅政権にメリットもあるにはあるが国際的にはほぼナンセンス。中国にメリットがあるとすれば、黄海を紛争地域に巻き込むことで米韓の軍事演習などしづらくすることだろう。しかし、おそらくその筋で読みは逆になる。米韓にとって中国側に軍事プレザンスをシフトできるメリットがありそうだ。
 今後延坪島住民の安全を守るという表向きの理由で韓国軍がここに軍事力を強化すれば、その影で米国は中国の北京の入り口を事実上封鎖できる。これは美味しい。
 この読み筋は、別段、陰謀論でもなんでもなく、ただそこまでは読まなかった北朝鮮の短慮の結果論としてそうなるということかもしれない。案外、北朝鮮は自国の命運のために中国に対して米国で牽制しておいてもよいと悪知恵を弄している可能性もないではない。
 今回の事態に中国はどう出るかがこれに関わってくる。中国はどう動くか。一番ありそうなのは、なんにもしないことだ。もう日本人はすっかり忘れているかもしれないが、北朝鮮が2006年に、「これはどうみても日本への威嚇でしょう」というミサイル実験を行った。そのときも中国はなんにもしていない。
 中国が恐れていることは、北朝鮮地域に権力の空白が生まれることなので(参照)、それを避けなければならない事態になるまで動くことはないだろう。
 今回の事態では、しかし中国が黙っていると漁夫の利として米軍が黄海を抑え込む可能性がある。その動きが可視になれば、中国はなにか珍妙な動きに出てくるだろう。こうした場合、中国は直接の関係国ではなく、弱そうなところをこづき回す。
 弱そうなところがどこかについて、解説は不要としたい。

追記
 26日付け朝日新聞「ロケットは「大量殺傷用」韓国内で強い非難 北朝鮮砲撃」(参照)より。


北朝鮮軍が大延坪島(テヨンピョンド)を砲撃した際、「予想していなかった」(韓国軍関係者)多連装ロケットも使ったことで、韓国世論が激高している。多数のロケットが一度に広範囲な地域に着弾、大きな被害を与える兵器だ。韓国国防省は「ソウル首都圏への奇襲的な大量集中射撃も可能」とみており、市民の衝撃は大きい。


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2010.11.23

[書評]ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である(いしたにまさき)

 「みたいもん!」(参照)のいしたにまさきさんが、ブログとツイッターをやっている、著名ブロガー、ネット文化のわかる文化人、ネットで著名なエンジニア、Webサービス運営者、そしてそれに収まらない人110名へのアンケートをもとに、なんでこの人たち、ブログとかツイッターの活動しているのか?という秘密に迫る書籍を出した。

cover
ネットで成功しているのは
〈やめない人たち〉である
いしたに まさき
 そして、「ねえ、きみたちぃ、ネットで儲けてんじゃなあい?」という素直な問いにも迫っている。そのあたりにも本書の独特の面白さもある。
 アンケートはこんな感じ。

  • いちばん好きなWebサービスは何?
  • これまで一番衝撃を受けたWebサービスは何?
  • ネットで情報発信する際にいちばん必要なスキルとは?
  • ネットで発信する際に心がけていることは?
  • 収入面での変化はあった?
  • それはネットをはじめて何年ったってから?
  • ブログのアクセス数を増やす努力はしている?
  • ツイッターフォロワー数を増やす努力はしている?

 私ことfinalventもアンケートに回答してる。
 いしたにさんの活動は面白いなと思っていたので、なんかの足しになればいいやと軽い気持ちで回答した。なので、私の回答も掲載されているのだが、いやはや、こういうことになろうとはね。(そして本書も書店に並ぶ前にいただいた。)
 回答されている方々がいちいち面白い。マスメディアからは見えないブログの世界ならではの著名人というのだろうか、怪人と言ってもいいんじゃないか、なんとも独自の雰囲気のある方が勢揃いという印象がある。名前がわからなくても、ブログ名を見ると、ああ、あれね、とピンとくる。dankogaiはどうした。
 そのピンとくる感じと回答がそれぞれ絶妙にかみ合っている。「そうなんだろうな、そう考えているんだろうな」というのがよくわかる。それでも、これだけずらっと回答集を並べてみると、なんなんでしょうね、この人たち。不思議な感じ。
 おそらく、この人びとがリアルな日本の、なんというのかな、言論とも違うし、サブカルチャーというのでもないだろうけど、なんか不思議なインパクトを与えていますよ。
 書名に〈やめない人たち〉とあるけど、少なくとも3年もやめないでを発信し、それなりにどっかで受信されている。この通信というのは、3年であれ、多数の人にとって対話的な人生の一部なんだろう。人びとがその中で生活する社会の一種なんだろう。
 ブログとかツイッターというのは、マスメディアに対比されるメディアであったり、商品やサービスの消費者メディアのようにも思われるけど、どっちかというと、大学の同級生というかなんかわけのわからない仲間のような、仲良しというわけでもないか、あちこち日々ドンパチしたり炎上したりもしているが、それでもこの砲火とどろくなかで、実名・ペンネームかかわらず発言しつづけ、それを見捨てずに受容している人びとの連帯みたいな、なにか一定の空間なのだろう。
 なんなんでしょう、これ。
 その不思議さに、いしたにさんは本書で素直に直面している。その素直さには、ジャーナリストやライターにありがちな外連味のないのがいい。知的な産出にエバノートの活用とかの話が出てくるのは若干ご愛敬でもあるが、なんなんだろうと思いあぐねる原石のような疑問は新鮮だし、たんまり回答が集まって、うわぁこれなんなんだろうと、と、しかし楽しげに取り組んでいる感覚も生き生きとしている。
 そうした疑問について、本書でうまく話がまとまっているかというと、そこは人それぞれ受け止め方は違うのではないだろうか。私としては、ライフハック型の、暑苦しいよ君、といったまとめがないのは、よいことだと思う。
 本書を読んで標題通りに「ネットで成功」できるかといえば、「野暮なこと聞くなよ」というのは別とすると、とりあえず成功の中身は問わず、あるいは〈やめない人たち〉になるというのを成功と仮に見なすなら、きちんと秘訣は描かれている。この怪人たちは、それほど自分と違った人ではないし、ぬるいかもしれないけど表現者になることは誰だって可能だという感覚も見えてくる。一言でいうなら、面白ってことを大切にして、無理をせず、発信続けること、なんだけど。
 ブログとかツイッターが面白いなと感じ、本書にもあるように、無理をしないという飛行体勢が3年維持できれば、それ自体が大きな変化だろうし、その変化は各人が意味づけもできるだろう。
 そうした一人一人の意味づけに、本書はネット的な距離感でそっと風が通りやすいようにも開かれている。


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2010.11.22

柳田法務大臣は辞任すべきではなかった

 朝方ぼんやりと、柳田稔法務大臣を解任させてはいけないな、そのことをブログにでも書こうか、書けばまた誤解されるな、しかしいずれにせよ法務大臣の差し替えは必要になるだろうな、などとぼんやり思っていたら、突然柳田法務大臣の速報を聞いた。あちゃ。そしてそのあと、法務大臣は仙谷官房長官が兼務すると聞いて、絶句した。文字どおり絶句で七言も出てこない。
 柳田法務大臣辞任の理由はといえば、言うまでもなく、例の失言である。18日時事「柳田法相の発言内容」(参照)より。


 柳田稔法相が14日、広島市内で開かれた自身の法相就任を祝う会で発言した内容は次の通り。
 法務大臣というのはいいですね。二つ覚えておけばいいですから。「個別の事案についてはお答えを差し控えます」とね。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったら、これを言う。(この言い回し)で、大分切り抜けてまいりましたけど、実際の話はしゃべれないもんで。あとは「法と証拠に基づいて適切にやっております」。この二つなんです。何回使ったことか。使うたびに野党からは責められる。「何だそれは。政治家としての答えじゃないじゃないか」。さんざん怒られます。ただ、法務大臣が法を犯してしゃべることはできない。当たり前の話なんですけどね。(2010/11/18-17:47)

 これだけ読むと、ただのお馬鹿な軽口にも見える。が、実際の口調を聞いてみるとだいぶ印象がちがうし、時事の書き起こしとも違っている。(参照YouTube)。

法務大臣とはいいですね。二つ覚えとけばいいんですから。「個別の事案についてはお答えを差し控えます」と。これがいいんです。わからなかったら、これを言う。であとは、えー、「法と証拠に基づいて適切にやっております」この二つなんです。まあ何回使ったことか。

 落語を聞いたことがある人なら、ああ、この口調や間の取り方は落語だとわかるはずだし、鹿児島出身の人だが、すこし江戸弁の風味もあって面白い。これは失言ではなく、ただのジョークでしょ。この程度の洒落が通じないで、日本人、どうすんだと私は思った。
 実際のところ、この紋切り答弁は自民党時代からあった。調べた方によると100件以上もあるらしい(参照)。いずれにせよ、従来から法務大臣はこの紋切り答弁を繰り返してきた。
 つまり口にはしないけど、歴代の法務大臣だって柳田法務大臣となんら変わるところはない。まして法律に関する職務経験のない柳田稔氏なら答弁に慎重にならざるをえない。これを責めるなら、洒落のセンスを責めるくらいなものだ。それは結果が問われる政治ではないだろう。
 まして、失言の言質で大臣を辞任に追い込むという非常識なお馬鹿集団は野党時代の民主党で終わりにしたほうがよい。もちろん、現民主党政権はそのお馬鹿のツケを払っているというのだが、その教訓はもう身に染みているだろう。
 責めるなら、こうしたお素人さんを法務大臣という専門職につけた首相の責任であるし、また、やはり柳田さんは法務大臣には向かないなというなら、首相が前に立ってフォローの体制を取るべきだった。
 率直なところ、私も柳田稔さんの洒落のセンスは大好きだが、法務大臣にまるで向いてないと思う。先日(18日)たまたま参院予算委員会で自民党の宮沢洋一氏による、中国漁船船長起訴に関する質問に答える柳田大臣の答弁を見ていたが(参照YouTube)、法的な議論以前に普通に応答が成立していなかった。端的に言えば、二つの紋切りが封じられたら柳田さん、何にも発言できずに混乱してしまった。そうなれば任命した首相がどうフォローに入るかなのだが、これがまた精細に欠けるというより、首相としての答弁の体をなしていなかった(参照YouTube)。ダメ過ぎだろ。
 いずれにせよ、柳田さんはこの件を超えたら早晩に法務大臣職を辞したほうがよいなとは思ったし、どうやらこの件でも正直に辞めたいと漏らしていたらしい。20日付け東京新聞「柳田法相、一時辞意漏らす 民主幹部に説得され翻意」(参照)より。

 国会軽視ともいえる発言をした柳田稔法相が周辺に一時、辞意を漏らしていたことが二十日、分かった。菅直人首相は野党の辞任要求には応じない考えを変えておらず、党幹部らが柳田氏を説得し、現時点では翻意したという。政府は二十一日に開く閣僚勉強会で今後の対応について意見交換する。 
 柳田氏に対しては、自民党が二十二日に不信任決議案を衆院、問責決議案を参院にそれぞれ提出する方針。野党が過半数を占める参院では、問責決議案は可決される情勢だ。

 いずれ問責決議案は避けられないという情勢というか空気を民主党も読んで、今朝の事態に至ったということだろうが、これで結局、政権交代後でも言葉狩りで大臣を打ち落とす前例を作ってしまったことになる。
 しかもこれ、予算を通すためのバーターでしょ。政治が汚いというのは愚かしいがここまで汚い風景を演出することはないんじゃないか。もうちょっと言うと、公明党ももう少し大人たる風格を示せないものか。国会は国民のためにあるというのに、
 問責決議案など出たら、鼻であしらった自民党の麻生太郎前首相を学ぶべきだったと思う。自民党の福田前首相もふんふんで済ませた(最後にぶち切れたけどね)。
 菅首相も国会で、明るく「みなさん、これは洒落ですよ。柳田さん、もっと面白いネタはないですか。あー、ネタというとやっぱり寿司ネタですかね。わはは」で終わりにすればよかった。それができなければ、菅伸子さんをメディアで使って世間話にし、お茶の間の笑いにすればよかった。そのくらいやってくれよ、この陰鬱とした政府、と思う。
 ところが現実はさらに陰鬱とした結果になった。後任の法務大臣は仙谷官房長官が兼務する(参照)。無理だろ。仙谷さんがいくら面白いキャラだとしても、首相も兼任しているんだぜ……いやそれは洒落だ。洒落にならない結果になると思うが。


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2010.11.21

民主党政権下で日本の武器輸出三原則が終わるだろう

 歴史の皮肉と言えるかもしれないが、民主党政権下で日本の武器輸出三原則が終わることになるだろう。背景は世界情勢の変化、特に北大西洋条約機構(NATO)の変化が大きい。
 19日から2日間にわたりリスボンで開催された、加盟国28か国北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議の注目点は、グルジア戦争以降冷えこんでいたNATOとロシアの関係が今回、ロシア側から大きく協調性が示されたことだった。2点ある。
 2点目から先にすると、ロシアがアフガニスタン戦争により協調的な支援の立場を明確にしたことだ。ロシア側の輸送手段などもより活発に利用されることになる。アフガニスタン戦争の泥沼化に悩むNATO側としても、また軍事費を削減せざるをえない加盟国の実情からも、援助となるロシアの態度は好ましいものになる。
 逆に見れば、ロシアの行為に甘えてNATOが軍事費削減に進むことでロシアがまた硬直化したときの脅威が高まると警告するフィナンシャルタイムズ「Nato and the case for defence」(参照)といった主張もある。ロシア側としては、ロシア側に向きつつある不安定な中央アジア諸国の情勢にアフガニスタン戦争の影響を受けることを避けたいという思いもあるだろう。
 もう1点は、欧州に配備するミサイル防衛システム(MD)にロシアが協調する姿勢を示したことだ。この問題ではかつて米国ブッシュ前政権とロシア・プーチン前政権とでは反目したことがあるので、今回の転機には注目されている。
 NATO側の本音を言えば、ロシアからの脅威に対抗するためのMDなので、ロシアの協調というのは不思議にも見えるが、それ以上に重要な課題がのしかかった。明白なのはイランの弾道ミサイルの脅威である。当然ながらロシアもカバーしているので共通の敵と言えないこともない。
 イランもこの動向に反応し、この間ミサイル実験(参照)も行った。イラン側からの声明でもわかるように、イスラエルへの敵意は剥き出しにされており、NATOとロシアとしてもイランとイスラエルの暴発の可能性に備えるという意味合いもあるだろう。さらにはパキスタンからの防衛という複雑な問題も絡んでいるだろう。
 日本ではあまり報道されなかったが、横浜で開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)での注目的なシーンは、米国オバマ大統領とロシア・メドベージェフ大統領の親密な関係だった(参照)。まるで大学の同級生のようにニックネームで呼び合う関係となり、いうまでもなく今回のNATO会議の前段であった。なお、日本では領土問題からロシアについては否定的な国民感情が優勢になりつつあるが、ロシアとしてはしっかり米国との関係を固めたうえでの日本への圧力でもあった。
 NATOのMD構想は日本にも大きな影響を与えるのだが、今朝の社説でこれに言及したのは毎日新聞社説「新戦略概念 NATOの進化に期待」(参照)だけで、表題からわるように「NATOに期待」と単純に述べている。日本との関連では次のように抽象的だ。


 米欧と関係が深い日本も北朝鮮の核・ミサイルの脅威にさらされ、中国やロシアの領土上の圧力も強まっている。日本もまた新たな戦略を考える時だ。日米安保に基づく米国との協力はもとより、NATOとの連携も重要度を増している。

 その意味について執筆者が理解してないこともないだろう。この問題は武器輸出三原則に関わってくる。特に重要なのは、日米がMDで共同開発している海上配備型迎撃ミサイルSM3ブロックIIついての扱いだ。日本が武器輸出三原則を固持すると、共同開発の米国としてもこれを第三国に供与することが不可能になる。MDを推進しようとするNATO側からしてみれば、日本がNATOのMDの傘を妨害する要因に見えるし、平和への侵害とも見えてしまう。
 これを回避するために民主党政権は武器輸出三原則を見直し、共同開発の対象国の拡大を検討している(参照)。拡大対象は、NATO17か国と韓国およびオーストラリアの計19か国となる予定だ。
 興味深いのはこうしたNATOの動向にまったく触れずに今朝の朝日新聞社説「武器輸出三原則―説得力足りない見直し論 」(参照)が掲載されていたことだった。

 いまこれを見直そうという動きが起こることには、確かに理由がある。
 近年、IT技術の進歩や開発コストの急増により、軍事技術をとりまく環境は一変した。巨額の開発費が要る戦闘機などは、米国といえども単独開発は難しく、多数の国々が参加する共同開発・生産が主流になりつつある。
 その一方で、軍用品と民生品の境界があいまいになり、武器とみなされない日本の半導体やソフトウエアなどの製品や技術が、他国の武器に堂々と組み込まれる現実も日常化している。
 見直し論が浮上する背景としてとりわけ大きいのは、武器の調達コストを何とか引き下げたいという動機だ。

 世界情勢の変化ではなく武器調達コストという論点に、あたかもすり替えているような印象がある。結語も現実味がない。

 何より武器輸出政策の原則を変えれば、それはいや応なく国際社会への強いメッセージとなる。日本は世界の中でどんな国家であろうとするのか。平和国家であり続けるのか、それとも?
 性急な見直し論議の前に、菅政権が答えを出すべき問いはそこにある。

 昭和時代の視点からすれば、こうした結語は普通に響くが、NATOの現状からすれば、日本はアフガニスタン戦争で血を流しもせず、イランとの関係も傍観しながら、NATOのMDの傘を妨害する国として、平和とは逆のイメージで見えてくる。
 落とし所がないわけではない。朝日新聞社説も結果的に指摘している。

 政府は従来、禁輸解除が必要と判断したものについては、一つずつ「例外化」という形で慎重に吟味し、閣議決定で適用除外としてきた。なぜ個別に判断するやり方ではいけないのか。

 武器輸出三原則の例外を閣議決定すれば、武器輸出三原則は無傷で残る。だが、19か国へも主要先進国に例外が拡大されても原則は維持されているというのは滑稽な響きがある。実質的には、民主党政権下で日本の武器輸出三原則が終わることになるだろう。

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2010.11.20

自衛隊ではなく国家が暴力装置だから国民は安心して暮らせる

 わかりやすく書いたつもりだったのだが、昨日のエントリー「自衛隊は暴力装置ではない。タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じ」(参照)はあまり理解されていないようだった。これがわからないと、近代国家の意味やシビリアンコントロールの意味が理解できないことになる。それじゃ困るなと思うので、もう少し補足しておこう。
 社会学的なものの考え方は慣れていない人には難しいのかもしれない。典型的な無理解として、例えば、いただいたはてなブックマークコメントにこんなのがあった(参照)。


hokusyu あたまがわるい, 暴力 詭弁w。存在自体が暴力であるという言い方は可能だが、ふつうはある力の行使のことを暴力というのであり、その暴力(乱暴な力)をふるうApparat(組織体/装置)が自衛隊や警察ってことで、日常言語でも普通に理解できる
2010/11/19 54 clicks 18

 「存在が暴力」というのは文学なんでどうでもいいし、「ある力の行使のことを暴力という」のも週刊誌的な単純さでいいのだけど、そこからとんちんかんな話になっている。
 日常言語でも普通に理解すると自民党や産経新聞が早とちりしたように「その暴力(乱暴な力)」となるのはしかたがない。だけど、国家が暴力装置であるという文脈での「暴力」というのはドイツ語の"Gewalt"(ゲバルト)の定訳語であり、「国家権力」を"Staatsgewalt"と呼ぶように基本は権力とその実体的な行使の意味があり、「乱暴な力」ということではない。
 加えて、このコメントの無理解でもあるのだが、「その暴力(乱暴な力)をふるうApparat(組織体/装置)が自衛隊や警察」というのはシンプルな間違いだ。"Apparat"にちゃんと「組織体/装置」と補助しているのにどうしてその意味がわからないのだろうか不思議なくらいだ。
 "Apparat"はラテン語に起源をもつ言葉なので、英語にも"apparatus"にもあり、基本的な意味は継承されているから、欧米人にはわかりやすい。平易なロングマンを見るとこう解説されている。

1 [uncountable] the set of tools and machines that you use for a particular scientific, medical, or technical purpose [= equipment]:
(特定の科学や医療または技術用途に利用される一式の道具や機械)
2 [countable] the way in which a lot of people are organized to work together to do a job or control a company or country [= machinery]:
(仕事をしたり企業や国家コントロールするために、多数の人びとが共同で作業できるように組織化される手法)

 バラバラであったものが特定の目的のために統合(独占)されるということが"apparatus"ということだ。
 タコ焼き器の例で言えば、タコ焼きをひっくり返すのに先の尖ったキリ(千枚通し)を使うけど、あれが人を刺す凶器ではないのは、タコ焼き器という"apparatus"に統合されているからだ。
 同じように、自衛隊というのは「暴力(Gewalt)」だけど国家という暴力装置に統合されているから安全に管理されているし、正当に使用されるから市民は安心できるということなのだ。
 逆に言えば、国家というものが領域内のすべての「暴力(Gewalt)」を回収し正当に行使しする「暴力装置」でなかった近代以前では、社会のなかに統合されていない各種の暴力(Gewalt)が溢れていた。
 日本人だとやくざの抗争とか想像するといいかもしれない。あるいはドラえもんのジャイアンが複数いる学級を想像してもいいかもしれない。諸暴力が溢れた状態では、人は諸暴力の関係とりこまれ、いつも不安な状態に置かれる。しかもその暴力は正当に行使されない。ジャイアンにいつ理不尽に殴られるかわからないし、ジャイアンAとジャイアンBの双方に不安定に隷属しなければならなくなる。
 これは困った。暴力が社会に溢れていてはいけない。だから国家を暴力装置として独占的に回収し配置できるようにしよう。これが近代国家なのである。
 仙谷官房長官の言うように「自衛隊が暴力装置」だったら、逆に大変なことになる。国家が諸暴力に晒されてしまうことになる。「すわっ大変」と思うのも不思議ではない。というか、どうやら仙谷官房長官はそれをご懸念されているのかもしれない。だが、その不安を解くのが国家という暴力装置なのだ。
 だからこそ、自衛隊は暴力装置ではない、ということを理解することが重要になる。
 こんな話は社会学では基本中の基本なので、どの辞書でも載っていることだが、と手元にないので困ったなと思ってググったら、きちんと辞書にあたったかたがいらっしゃったので引用すると(参照)。

暴力装置 暴力を発動するため、諸機関が配置されていること。最高に組織化された政治権力である国家権力が、軍隊・警察・刑務所などを配置している状態などに用いる。現代ではこの装置が巨大化し、独走する危険性がある。

 「暴力を発動するため」というのがやや物騒な印象があるが、体当たりしていくる外国船に対処したり、犯罪者を取り締まったりするという力の正当行使として暴力を発動ということである。重要なのは、「最高に組織化された政治権力である国家権力が、軍隊・警察・刑務所などを配置している状態」が暴力装置と定義されていることだ。「装置」というとなにか組織体を連想しがちだが、このように状態を指していると考えるほうがわかりやすい。
 繰り返すが、国家権力が軍隊・警察・刑務所などの各種の暴力(Gewalt)を掌握し、国家の目的から正当にそれを配置している状態が暴力装置ということなのである。そして、その掌握と配置には国家による暴力の独占が先行する。
 国家が暴力装置だということを理解しないと、シビリアンコントロールも理解できない。どうもわかっていない人がいるので、うざいけどこれも補足しよう。
 国家が暴力装置として暴力を独占・回収・配置しても、その国家が市民に暴力を向けてくる北朝鮮のような国家だったら大変なことになる。ではどうするか? 近代社会が出した答えは、市民が国家=政府となればいいじゃないかということだ。市民が政府となり、その暴力を正当に管理すればよい。だから、市民=シビリアンが、軍という大きな暴力をコントロールする。
 ではどのように管理するかというと、これは朝鮮戦争における軍の将軍マッカーサーと政府側大統領のトルーマンとの関係を見るとわかるが(参照)、政府は軍の目的と人事権を掌握する。軍としてはその目的をどのように遂行するかについては責任が委託されている。
 だから政府にとって重要なのは、軍の内部でどのような戦略を立てるかということではなく、軍に目的を与えその達成を評価して人事を行うことなのである。
 軍の内部に政府を打倒するといった明確な目的があれば、それ自体が政府の目的に反するという意味でシビリアンコントロールに反するが、そうでなければ、政府は与えた目的の達成で軍を評価することがシビリアンコントロールなのである。
 自衛隊が暴力装置だったら、政府がこの暴力を独占していないということなので、シビリアンコントロールはそもそもできない。だから、これはとても大切なこと。
 とはいえ、ではその政府がそもそも信頼できるのか? そんな巨大な暴力を独占する政府は危険ではないか、そんな疑問もあるだろう。
 だから憲法がある。憲法というのは、政府の暴力(Gewalt)をルールによって規制するということだ。この規制が正当性を担保する。
 さらにいえば、暴力装置として暴力を独占した政府から最終的に市民を守るための契約が憲法なのであるし、そう認識できなければ、そもそも憲法を理解していないことになる。また、この契約を守らせるために可能なかぎり国家の権力を分散しバランスさせる仕組みが、民主制度という政治制度なのだ。

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2010.11.19

自衛隊は暴力装置ではない。タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じ。

 仙谷由人官房長官が18日の参院予算委員会で、「暴力装置でもある自衛隊はある種の軍事組織でもあるから、シビリアンコントロールも利かないとならない」と発言し、「自衛隊が暴力装置とはなにごとだ」という文脈で話題になった。仙谷官房長官も即座に失言を認め「実力組織」と言い換えた。
 話としては、天皇機関説や女性機械説と同じ類の、学問をしてない人は誤解するということで、たいした失言でもないようにみえる。問題があるとすれば、仙谷官房長官の認識が間違っている点にある。自衛隊は暴力装置ではないのである。それは、タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じことなのだが、まあ、ご説明しようではないか。
 社会学や政治学や法学の世界では「暴力」という言葉はドイツ語の"Gewalt"(ゲバルト)の定訳語として使われることがある。その意味で社会学での定訳語としての「暴力」は日常使う意味合いと異なることがある。
 同じことは英語にもあり、ドイツ語"Gewalt"を"violence"(バイオレンス)と訳すことがある。英語の"violence"の日常的な意味は、頻度順定義で平易なロングマン辞書などを見るとわかるように、"behaviour that is intended to hurt other people physically"(他の人びとを身体的に傷つけることを意図した行為)である。日本語の「暴力」の語感に近い。
 日本語における日常的な「暴力」の意味合いは、大辞泉をひいてもわかるように、(1)乱暴な力・行為。不当に使う腕力。「―を振るう」(2)合法性や正当性を欠いた物理的な強制力、という意味がある。つまり、政治学の「暴力」とは意味合いが異なる。
 社会学の泰斗マックス・ヴェーバーをついだ米国の社会学者のタルコット・パーソンズも日常語との差違を考慮してか、"Gewalt"を"physical force"(身体的力)と言い換えている。原語のニュアンスを中立的に活かそうとした意図もあるからだろう。ドイツ語の場合は、「国家権力」を"Staatsgewalt"というように、いわゆる日常語の「暴力」ないし"violence"とは異なる中立的な権力の含みもある。むしろ、英語では"power"に近いがそれもまた別の誤解を招きやすい。
 「暴力」という言葉が学問では別の意味合いで使われるとすれば、仙谷官房長官が「自衛隊は暴力装置だ」と言っても、別段日常語の意味合いではなく問題はない、当然ではないかという意見もある。ブログにも見られた。
 例えば、ブログおおやにき「暴力装置」(参照)ではこう述べている。


いやいや何を言っているんだ自衛隊は国家の暴力装置に決まってるだろう(参照:「仙谷氏「自衛隊は暴力装置」 参院予算委で発言、撤回」(asahi.com))。国家が(ほぼ)独占的に保有する暴力こそがその強制力の保証だというのは政治学にせよ法哲学にせよ基本中の基本であり、その中心をなすのが「外向きの暴力」としての軍隊と「内向きの暴力」としての警察である。

 また池田信夫 blog「アナーキー・国家・ユートピア」(参照)でもどうようの意見が見られる。

軍隊が暴力装置であり、国家の本質は暴力の独占だというのは、マキャベリ以来の政治学の常識である。それを「更迭に値する自衛隊否定」と騒ぐ産経新聞は、日本の右翼のお粗末な知的水準を露呈してしまった。

 自民党の石破政務調査会長もかつて同種の意見を述べたことがある。「第7回朝日アジアフェロー・フォーラム」(参照)より。

 破綻国家においてどうしてテロは起こるのかというと、警察と軍隊という暴力装置を独占していないのであんなことが起こるのだということなんだろうと私は思っています。国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義のはずなので、ところが、それがなくなってしまうと、武力を統制する主体がなくなってしまってああいうことが起こるのだと。

 いずれも識者の見解であり、仙谷官房長官もまたそれに並ぶ見解にすぎず、なにが失言なのかという疑問が出るのは当然だろう。
 しかし、みなさん、間違っているのである。自衛隊は暴力装置ではない。
 まず、識者のみなさんが元にしている社会学の泰斗マックス・ヴェーバーから考えてみよう。
 マックス・ヴェーバーによるとされる「暴力装置」という用語だが、意外にも原典にはそのままの形態で掲載されていることは少ない。「暴力装置」という言葉自体をドイツ語にすれば、"Gewaltapparat"となるが、この言葉は例えば『経済と社会集団』においては、友愛のメンタルな力に対する身体的な力という文脈で使われているが、それが「暴力装置」の典拠されていることはない。
 典拠としては、むしろ直接的な用語の対応はなく、『職業としての政治』において、"Gewaltmonopol des Staates"(国家による暴力独占)が「暴力装置」として理解されてきた。これはどういうことなのか。
 "Gewaltmonopol des Staates"は英語圏では"monopoly on legitimate violence(正統な暴力の独占)"と理解されてきた。残念ながら私には『職業としての政治』をドイツ語で読解する能力はないので、英訳の"Politics as a Vocation"(参照)の該当個所を見てみよう。

Today, however, we have to say that a state is a human community that (successfully) claims the monopoly of the legitimate use of physical force within a given territory.

しかしながら今日において、国家とは、特定領域内で身体的な力の正統使用の独占を成功裏に主張する人間共同体であると言わなければならない。



The state is considered the sole source of the 'right' to use violence.

国家は暴力を正しく使用する唯一の源泉であると考えられる。



It has been successful in seeking to monopolize the legitimate use of physical force as a means of domination within a territory.

領域内の支配手段として、身体的な力の正統に独占することを求めることにおいて成功してきた。


 マックス・ヴェーバーが述べていることは、国家領域に存在する身体的な諸力を独占することが国家なのだということだ。
 敷衍するなら、国家領域に存在する身体的な力("Gewalt")であるものは、警察や軍、前近代的なやくざ、マフィアなど各種存在するが、そのような「暴力("Gewalt")」を独占する国家のありかたが、「暴力装置」だということだ。
 つまり、「暴力装置」というのは、各種の暴力を独占して扱う国家の装置("apparat")という特性を述べている。各種の暴力をあつかう装置("apparat")だから「暴力装置」なのである。タコ焼きを作るのがタコ焼き器("apparat")というのと同じことなのだ。タコ焼き器もまた、コンロ、金型、ひっくり返し用キリ、油引き、粉注ぎと各種の要素をまとめた装置("apparat")なのである。
 で、タコ焼きは食えますよね。でも、タコ焼き器("apparat")は食えない。
 国家は暴力ではなく暴力「装置」("apparat")。もちろん、その文脈でいうなら、自衛隊は「暴力」ではある。そして「支配手段」("a means of domination")でもある。だが、「暴力装置」ではない。
 よって、自衛隊は暴力装置ではない。
 仙谷官房長官は失言したのではなく、お勉強が足りませんでしたね、というだけのことだった。
 もっとも、国会はお勉強を開陳する場ではなく、国民の見る場での議論なのだから、「暴力」といえば常識的な国民はつい大辞泉をひいて、(1)乱暴な力・行為。不当に使う腕力、(2)合法性や正当性を欠いた物理的な強制力、といった解釈をして、自衛隊を暴力というのはなにごとだと思うのはしかたがないことだ。すぐに訂正した仙谷官房長官はお勉強は足りなかったが、常識は足りていた。
 あー、常識でもある「柳腰」の意味はわかってないみたいだけど、仙谷官房長官。


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2010.11.15

第五管区海上保安本部海上保安官を逮捕できず

 尖閣ビデオのユーチューブ流出に名乗り出た第五管区海上保安本部海上保安官(43)だが、今日夕刻逮捕されないことに決まった。国民世論としても納得のいく結論だっただろう。流出された映像が国家機密だというなら、なぜ毎日NHKのニュースでその映像が国民のお茶の間に流れているのか誰も説明できない。
 逮捕しないとの決断に至る説明は、NHK「逮捕せず任意捜査進める方針」(参照)では次のとおり。


警視庁と東京地検は、政府が一般には公開していない映像を職場の共用パソコンから入手した疑いがあることから、国家公務員法の守秘義務違反に当たるという見方を強め、15日、今後の捜査方針について協議を行いました。その結果、これまでの説明に事実関係と大きく異なる点はなく、みずから出頭していることから、証拠を隠したり逃亡したりするおそれはないと判断し、海上保安官を逮捕せず、任意で捜査を進める方針を固めました。

 時事「海上保安官、逮捕見送り=検察側が方針-在宅捜査を継続・捜査当局」(参照)ではこう。

 今後は国家公務員法(守秘義務)違反容疑で警視庁捜査1課が在宅のまま捜査を続け、東京地検に書類送検する。検察当局は送検後に改めて協議し、刑事処分を決める。
 捜査関係者によると、検察幹部は同日、海上保安官の逮捕方針について協議し、流出行為の悪質性や、証拠隠滅の恐れなどについて意見を交わした。その結果、映像の投稿は単独で行われたとみられることや、自ら上司に流出を申し出て、週末も自分の意思で海保施設にとどまったことなどから、証拠隠滅や逃走の恐れはないと判断した。
 ただ、保安官が帰宅後、出頭要請に応じない場合や、今後の裏付け捜査で供述が虚偽だったことが判明した場合には、逮捕に踏み切る可能性もあるという。

 逮捕はされなかったが、国家公務員法・守秘義務違反容疑が晴れたわけではない。あの映像がそもそも国家機密だったかのという司法上の議論は先送りされることになる。別の言い方をすれば、その議論を避けるための穏当な先送りだった。
 今回の決定は拘留の解除にもなる。当人の意向で海保庁舎に寝泊まりしているとしても事実上の拘留が継続しており、この点でも世論の批判を避ける意味があった。またこの間、マスコミも加熱し実質社会リンチにもなりうる実名報道(参照)も出現した。ずるずると拘留する状況の打開も求められていた。
 逮捕しないという決定について、司法的な手順からは「証拠隠滅や逃走の恐れはない」とのことだが、これは要するに保安官のシナリオを検察側が飲んだということだ。単独犯ではない別シナリオの可能性は断念された。捜査は今後も形式的には継続されるが、保安官とsengoku38を結びつける実質的な物的証拠はなかったことになる。実質的な司法取引のような印象も受ける。
 もちろんまったく裏が取れなかったわけではない。15日付けNHK「流出経緯ほぼ解明 方針協議へ」(参照)にもあるように、形式的には「ほぼ」解明はできた。

さらに、この間に海上保安官と同じ巡視艇「うらなみ」に乗務する同僚が、ネットワークで映像を見つけて巡視艇の共用パソコンに取り込んでいたこともわかりました。海上保安官は、この映像を10月中旬に共用パソコンからUSBメモリーに取り込んで持ち出したと話していて、パソコンの解析で裏付ける記録が確認されたということです。

 一応これで話はまとまるが、事実であったかどうかはついに解明されないことになった。
 技術的に興味深いのは、Googleから差し押さえたIP情報は神戸のマンガ喫茶だろうという以上には役立ってはいないことと、またユーチューブからの削除は自宅パソコンから行ったというのだが自宅IP情報はどうも割れていないことだ。技術的にもこの捜査は行き詰まっていたのだろう。
 一連の話で重要なのは自首調書という点だ。「尖閣ビデオ流出 警視庁が自首調書作成」(参照)より。

中国漁船衝突の映像流出事件で、神戸海上保安部の海上保安官(43)について、警視庁が保安官の自首を認める「自首調書」を作成していたことが12日、関係者への取材で分かった。捜査機関が自首を認めることで、逮捕の条件となる逃走や証拠隠滅の恐れが薄くなり、公判では刑を軽くする材料となることから、自首調書は作成を避けることが多い。今回は逮捕立件するかどうか、慎重に判断しているとみられる。

 自白調書に基づく以外に検察のストーリーが立てられなくなった時点で、検察は負けていたし、保安官は勝っていたことになる。
 世間の受け止め方としては、機密ではない映像を無理に機密とする政府に義憤をもって暴露したという話もある。だが実際に暴露されたのは、「仙谷」政権による機密管理のずさんさだった。もう少し賢い政権なら、中国と密約があろうがこっそり大手メディアに手短な6分ビデオをリークさせていたことだろうに、下手を打った。そもそも機密管理などできないと自身を見切る能力がこの政権にはなく、無理な機密管理に驀進してしまったのが墓穴を掘る原因だった。
 保安官の名乗り出以降、次々と機密管理のずさんが明らかになり、それが問われると担当の馬淵澄夫国土交通相はその場でたらたらと嘘の説明をした。最悪なのが「管理徹底」の空念仏だった。13日共同「情報管理の徹底は少数部署だけ 国交相の指示、伝わらず」(参照)より。

 尖閣諸島付近の中国漁船衝突の映像流出事件で、馬淵澄夫国土交通相が10月18日に海上保安庁に指示した「情報管理の徹底」は、第11管区海上保安本部(那覇)などごく少数の部署の幹部らだけに伝えられたことが13日、海保関係者への取材で分かった。
 流出元とみられる海上保安大学校(広島県呉市)や関与を認めた海上保安官(43)が所属する神戸海上保安部などに指示は伝わっておらず、流出発覚後の内部調査でも対象外だったことも判明。情報管理に加え、調査のずさんさがあらためて問われそうだ。


 国家行政組織法に基づく正式な「通達」ではなく、情報管理者名で庁内の伝達システムを使用し、管理職やシステム関係者に伝えられた。

 これが「仙谷」政権の国家機密保持の実態であり、馬淵国交相による政治主導であった。外交交渉可能な政府ではない。
 外交無能力政権の内情を結果的に暴露したのが、この保安官だったのである。彼が名乗り出なければ、こうした政権の体たらくこそ隠蔽されていたに違いない。
 そこがわからない人もいる。例えば、先日のエントリー「sengoku38の一手で「仙谷」政権、詰んだな」(参照)でこんな腐しコメントを貰った(参照)。

I11 詰め将棋で楽しんでいる場合か阿呆。毎日の記事には密約の文字は一字もない。いずれにせよこれで政権が壊れるなら民意で作られた政権を一役人の無法によって壊された結果になる。政権だけでなく民主政治が壊れる。 2010/11/14

 詰め将棋で遊んでいるかは主観によるし、「毎日の記事には密約の文字は一字もない」は世の中には文脈も読めない人がいると苦笑する程度のことだが、聞くべき指摘は「民意で作られた政権を一役人の無法によって壊された結果」への懸念だ。だが、そこは逆なのである。
 民意は尊重されるべきだが、同時に衆愚にもなりうることは歴史が教えるところだ。「一役人の無法」はこれから明らかにされるかもしれないが、海保の内規違反程度で終わる程度の話かもしれない。
 もちろん公務員が公務で知り得た情報を暴露することは違法である。だが、それが機密情報だったかは、このきっかけで国民が議論することができるようになった現在の課題だ。その議論をすることこそが民主政治なのである。
 私はsengoku38がこの保安官かどうかは確信が持てない。sengoku38が単独の行為であったかも疑念を持っている。むしろ検察の敗北でその疑念が封じられたことを苦々しく思う。だが、この保安官の仕事は結果から見ればあまりに鮮やかだった。
 外交も少し振り返ってみよう。尖閣ビデオを非公開の国家機密とすることはおそらく中国との密約であったことから、アジア太平洋経済協力会議(APEC)で「仙谷」政権は中国に対し、今日の事態に至る経過を事前に報告していただろう。密約で中国内も整えてきた胡氏にしてみれば苦々しい限りだったが、日本が米国一辺倒に傾くことも看過できない。その心情があの素っ気ない握手とその後の非公式会談だったのだろう。
 中国に反感を持つ人は多い。私を中国擁護者だと勘違いして、おまえは日本人ではないだろといったコメントすらいただく。だが日本はこの中国となんとか戦争もせずそれなりの経済協調と人的交流をしていくことにしか未来はない。であれば、政府間のチャネルを支援する非公式の複数チャネルが必要になる。それをこれからどうやって確立していくのか、それが政権に問われている。次の政権に問われていると言うべきかもしれないが。


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2010.11.14

日中首脳会談は公式ではなかった

 昨日菅首相と胡主席の日中首脳会談が実現した。一昨日のエントリーでこの会談が実現しなければ菅政権は外交能力ゼロと見られて終わりだろうという予想を書いたが、それが外れた形になったかに見えた。だが会談はあったが公式首脳会談ではなかった。外交上の意味合いはかなり薄い。「仙谷」政権の三手詰みが五手詰みになったくらいのものだった。
 中国胡錦濤主席も来日し、アジア太平洋経済協力会議(APEC)も予定通り実質戒厳令下の横浜で13日に開始したが、当日になっても日中首脳会議開催について中国側から返答がなく、同日夕刻が近づいても実現が危ぶまれていた。しかも菅総理と胡主席の顔合わせもにこやかなものとはとうてい言い難いものだった(参照ニコ動画)。それでもなんとか午後5時20分から開始された。
 会談は22分間行われた。同日NHK「日中首脳 戦略的互恵で一致」(参照)より。


 会談の冒頭、菅総理大臣は「ことし6月のサミットでお会いして以来、今回のAPECでもお会いすることができた。首脳会議への出席を心から歓迎する。日中両国は一衣帯水の関係だ」と述べました。これに対し、胡錦涛国家主席は「APECへの招待に感謝する。周到な準備をしていただき、会議は必ず成功するものと信じている。これからの日中関係の改善と発展について話したい」と述べました。

 東洋の国同士儀礼的な挨拶から始まるのはしかたがない。そんなことに時間を食ってしかも通訳が入るので実際の会談は、欧米流に見るなら10分くらいのものだった。当然、内容と呼べるものはない。

 今回の会談について、政府関係者からは「ことし9月に漁船の衝突事件が起きて以降、初めて正式な首脳会談を行ったということで、日中関係の改善に向けた大きな一歩を踏み出した」という声が出ています。しかし、異例なほど時間と労力をかけて会談が実現したものの、その内容は、先月すでに菅総理大臣と温家宝首相との間で確認されたものが、ほぼ繰り返されただけではないか、という指摘も出ています。今回の会談を受けて、両国間の懸案が一気に解決に向かうとみる政府関係者は少なく、引き続き対中外交で苦慮する場面も予想されます。

 NHK報道はさらりと重要な指摘をしている。「先月すでに菅総理大臣と温家宝首相との間で確認されたものが、ほぼ繰り返されただけ」ということだった。当然ながら、先月の菅・温菅の確認というのはただの立ち話であり、外交継続の意味合いはあってもただの立ち話をたまたまソファーに座ってしたくらいのものだった。会談といった位置づけにはなかった。すると、その立ち話と同じ内容だった今回の会談はどういうことなのだろうか。
 そもそもこれは会談だったのかとまでの疑問はない。なんであれ、会談はあった。会談がなく、まったく中国側から無視されるよりはよいことは確かだ。裏方の尽力もだが日本の政権としても評価できる。これで「仙谷」政権詰みといった状態にはいかずなんとか維持できるかにも見る。
 だが一晩経ってこの会談の位置づけを見ると面白い問題が起きている。この会談はどのような位置づけなのか。菅・温立ち話と同じ内容のこの会談は外交上どういう位置づけなのかか。正式なものと言えるのだろうか。問題は紛糾していた。
 どう報道されたか見ていこう。早々に時事が早合点した。まったくの誤報とまではいえないにせよすでに時事のサイト及び配信先からは削除されている。非常に興味深いので、ジャーナリズム検証の意味で削除前の記事を引用しておこう。19時37分配信;「日中首脳「会見」と報道=正式会談と位置付け-中国メディア」より。

 中国の通信社・中国新聞社は13日、胡錦濤国家主席と菅直人首相が横浜で「会見」(会談)したと伝えた。中国側は今回の会談を正式なものと位置付けているもようだ。
 最近の日中首脳会談をめぐっては、先月4日にブリュッセルで行われた菅首相と温家宝首相による25分間の非公式会談について外務省報道官や新華社通信が「交談」(語り合う)と発表。またハノイで同月30日に行われた両首相の10分間の懇談については同報道官が「時候のあいさつをした」と述べていた。

 今回の会談で今後の日中関係を考える上で重要になるのは、この会談が中国政府側でどのような位置づけとなっているかだ。つまり、これは正式の会談だったのか。時事がこの配信を破棄したように、結論から言えばそうではない。
 この間に書かれた大手紙社説にも会談の認識に興味深い混迷が発生していた。削除された時事と同質の認識を示したのは毎日新聞だった(参照)。さらりと「正式会談」と社説に書いてしまった。

【毎日新聞社説】
 日中首脳会談はわずか22分間だったが、正式会談は漁船衝突事件後は初めてだ。関係改善への中国側の意思表示と受け止めることができるだろう。

 朝日新聞は若干のためらいを見せた(参照)。括弧をつけることで独自の意味合いを伝えようとしている。しかし、それがどのような意味合いかは社説からは読み取れないぶっかっこうなものになった。

【朝日新聞社説】
 次いで、中国との「正式な首脳会談」を尖閣事件以降初めて実現させ、両国の戦略的互恵関係の重要性を最高レベルで再確認した。

 読売新聞社説はかなり正確に記した(参照)。ただし、「準ずる」の意味は曖昧だった。

【読売新聞社説】
 9月初めに尖閣諸島沖で漁船衝突事件が起きて以降、10月に2回、日中首脳は非公式に会談した。今回、日本側は公式な首脳会談と発表したが、中国は正式会談に準ずるものと位置づけている。

 日経新聞社説は別の形で踏み込んだ(参照)。暗黙裏に日本側の「正式会談」説を織り込み、それが中国側で公式ではないとしている。

【日経新聞社説】
 尖閣諸島沖の衝突事件後初めて胡主席と正式に会談できたことは歓迎すべきだが、中国側は公式の首脳会談とは位置付けておらず、これだけでは大きな成果とはいえない。

 大手紙社説からは、大本営式日本発表では今回の日中首脳会議は「正式」だが、中国側では外交状意味を持つ「公式会談」とは認めていないことがわかる。なお、産経新聞社説はこの点に言及していない。
 NHKと時事の続報にはこの問題でさらに興味深いブレが見られた。NHKはこれを中国側としても正式だという報道をしている。11月14日4時9分のNHK「中国 関係改善慎重なかじ取りか」(参照)より。

 今回の会談について中国の国営メディアは、これまでのような「非公式な対話」ではなく「正式な会談」だと伝えたうえで、「胡錦涛国家主席が、日中間で友好関係を築くことの重要性を強調した」として、意義を強調しました。

 しかし、中国国営メディアも勇み足だったようだ。13日夜、中国外務省による会談概要の発表を受けた、時事による挽回の記事が非常に興味深い。2010年11月14日1時6分「菅首相の求めに応じ「会見」=世論意識、発表文を推敲か―中国」(参照)より。中国外務省について。

 同省は会談について「会晤」(会見)という中国語を用いた。通常は「会見」を用いるケースが多いが、「ニュアンスに違いはあるものの、ほとんど同じ意味」(中国外交筋)。ただ、先月のブリュッセルでの菅首相と温家宝首相による非公式会談で中国外務省報道官が発表した「交談」(懇談)より格は上だ。また、日中関係筋によると、実際に中国側はこの日の会談を「会見」と位置付け、「正式」なものと見ていたもようだ。
 そのため当初、政府系通信社・中国新聞社も「会見」を使っていたが、その後、国営新華社通信や外務省発表は「会晤」で統一。背景には「何らかの意図がある」(中国外交筋)とされ、通常の正式会談との違いを示す意図や、「会見」より「懇談」の方に重点を置く狙いがあったとも指摘される。

 中国側でもリアルタイムメディアとしては当初正式な会談ではないかという見方をしていたが、中国外務省が訂したということだ。

 胡、菅両氏の会談は、国家指導者の動静を伝える国営中央テレビの夜7時のニュースでも伝えられなかった。また、発表では「菅首相が胡主席の中日関係発展に関する意見に完全に賛同した」と強調しており、国内の反日世論に配慮し、発表内容を慎重に推敲(すいこう)した結果とみられる。 

 中国政府としては、外交上は今回の会談が外交上意味を持つ正式会談と受け取られることに憂慮したことになる。
 時事の報道からでは見えなかった部分は日経の報道「中国、日中「会談」と認める 米中より弱い表現 」(参照)から見える。

 中国外務省は13日の胡主席と菅首相の日中首脳会談に関して、発表文で「会晤」(会談)と「交談」(言葉を交わす)の表現を両方使用した。
 「交談」は10月4日にブリュッセルで菅首相と温家宝首相が非公式に会談した際に用いた。同30日のハノイでの日中首相の顔合わせはさらに軽い「時候のあいさつ」と説明していた。
 今回は言葉を重ねて会談の事実を認めた形。ただ、今月11日のソウルでの米中、中ロ、中韓の各首脳会談で使った正式会談を表す「会見」よりも、やや弱い表現とした。

 日経の報道が正しければ、時事の報道からは「会晤」として「交談」より上としてしていたが、誤報とは言えないまでも評価は違っているようだ。日経報道では、「「会見」よりも、やや弱い表現とした」とあるが、会見より弱いのが会晤だが、それに交談が混じっているのだから、実際のところ、交談より少し上の非公式会談だったと見るほうが自然だろう。実際の会談のセッティングや実情から見ても、今回の日中首脳会議とやらは、先日の菅・温廊下会談より、主席自身が行ったという程度に重要性があるというくらいのものと見てよい。
 キーワードとなる「交談」には非公式な含みがあるようだ。サーチナ「日中首脳「会話」は非公式、公式会談実現には更なる努力必要―中国有識者」(参照

 中国社会科学院日本研究所の馮昭奎研究院も、中国語では「会面」「会談」「会見」「会晤」が外交活動における公式的な言葉であるのに対して「交談」が非公式なニュアンスを含んだ用語であることを指摘。いまだ公式会談を持つ雰囲気ではないと双方の首脳が認識している状況であり、公式会談を行うには更なる雰囲気の改善や環境づくりが必要だとの見解を示した。

 結論からすれば、今回の日中首脳会議は、中国側としてはまったく公式の会談ではなかったということなので、日本側が正式会談という大本営発表をしているとまた痛い目に遭いかねない。
 外交的に見るなら日中間の現状は、菅・温廊下立ち話以上の進展はない。であれば、やはり「仙谷」政権詰んだなという状態には変化はないことになる。せめて三手詰みが五手詰みになったくらいの違いだ。
 そうなると、気になることがある。尖閣ビデオを機密とするというれいの「密約」はどうなるのだろうか。さすがに中国側としても苦笑して反故とするか、あるいはまだ生きているのか。
 それは、明日わかる。私としてはどう考えてもこれは逮捕できる話とは思えない。なのに…という線が出るなら、またこの「仙谷」政権は中国漁船拿捕のような失態を国内向けにしてしまうことになる。さすがにその線はないと思いたい。


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2010.11.12

sengoku38の一手で「仙谷」政権、詰んだな

 「仙谷」政権、詰んだなという感じがした。石にかじりついても頑張った影の薄い菅総理だったが、これでチェックメート。終了か。いや、これでこの政権がすぐに解体するというわけでもないし、総選挙となるわけでもないと期待したい。しかし、もうダメだろう。
 私としてはできるだけ穏当な線で推測してきたつもりでいる。だから、尖閣ビデオを巡って中国政府と「仙谷」政権に密約があったという話は避けてきた。それは密約というほどでもなく、外交上通常の信義というレベルではないかと思っていたからだ。
 しかし、尖閣ビデオ流出について第五管区海上保安本部海上保安官が名乗り出てから、おそらく彼のシナリオどおりに海保内の状況が暴露されるにつれ、この機密指定はそもそも無理だったなという思いがまさり、であれば、そんな無理を押す理由はなんだったか考えると、やはり密約があったのだろうと推論したほうがどうも妥当だ。
 なんの密約か。すでに噂されているのでたいした話ではない。中国政府から尖閣ビデオを公開しないでくれという要望に「仙谷」政権が受諾したというものだ。
 それだけ見れば、「で?」みたいな話だし「なーんだ」ということだろう。だが、これがフジタ社員の解放条件だったとなれば、「ほんとかね」と疑問もつのるし、本当だったらと思うとぞっとする。
 9月末に話を戻そう。尖閣沖衝突事件で中国人船長を釈放した件について触れた9月24日のエントリー「尖閣沖衝突事件の中国人船長を釈放」(参照)で、私は期限前倒しに中国人船長を釈放すれば中国人は"律儀"だからそれなりのお返しはあると書いたところ、該当コメント欄をご覧になってもわかるが、いろいろと批判が寄せられた。
 その後の経緯はというと、これをきっかけに拘束されていたフジタ社員の解放へ向けた動きがあり、中国政府と日本政府との対話チャネルの再開となった。それでよかったどうかはいろいろ意見もあるだろうが、読み筋としては合っていたことになる。
 かくして中国政府と日本政府のチャネルが再開されたものの、しかし即座にフジタ社員の解放には至らず一週間ほどは揉めた。この再開だが、どのようなものだったか?
 もともと目立ちたがり屋なのか脇が甘いのか山本モナさんとの一件でやばい姿が暴露されるのがクセになっているのか、この間、民主党細野豪志前幹事長代理の隠密訪中が発覚した。なんのための訪中だったか。10月30日付け共同「「一切答えられない」 細野前幹事長代理」(参照)より。


 極秘に訪中した民主党の細野豪志前幹事長代理は29日夜、北京市内で記者団に対し、中国側の会談相手や滞在日程などについては「一切答えられない」と語った。
 また「(菅直人首相の)特使ではない。これまでの人間関係の中で来た」と述べた。

 細野氏の隠密訪中はフジタ社員が解放されていない時期なのでそれに関連していることは確かだろう。内実については、外交チャネル再開の結果としてフジタ社員解放に結びつき、加えて、その後の日本政府から中国政府への信義の証拠として、暗黙裏に尖閣ビデオの非公開が決まったのではないかと私は思っていた。つまり、密約まではないだろう、と。また菅首相の言う「人間関係の中」は、小沢人脈ではないかという噂もあり、そうかなと思っていた。細野氏は小沢氏の「長城計画」の事務責任者を務めてきた経歴もあるからだ。
 しかし密約だったのかもしれない。8日付け毎日新聞「アジアサバイバル:転換期の安保2010 「尖閣」で露呈、外交の「弱さ」」(参照)はこの点にかなり踏み込んだ話を伝えていた。

 仙谷氏は「外務省に頼らない中国とのルートが必要だ」と周辺に漏らし、日本企業の対中進出に携わる民間コンサルタントで、長く親交のある篠原令(つかさ)氏に中国への橋渡しを依頼。調整の末、民主党の細野豪志前幹事長代理の訪中が実現した。
 「衝突事件のビデオ映像を公開しない」「仲井真弘多(沖縄県)知事の尖閣諸島視察を中止してもらいたい」--。細野氏、篠原氏、須川清司内閣官房専門調査員と約7時間会談した戴氏らはこの二つを求めた。報告を聞いた仙谷氏は要求に応じると中国側に伝えた。外務省を外した露骨な「二元外交」は政府内の足並みの乱れを中国にさらけ出すことになった。


 外交・安保分野における与党の機能不全も露呈した。昨年12月に小沢一郎民主党幹事長(当時)は党所属国会議員143人を率いて訪中したが、党の「対中パイプ」は結果的に関係悪化を防ぐ役割を何も果たしていない。

 仲介したのは「友をえらばば中国人!?」(参照)や「妻をめとらば韓国人!?」(参照)などの著作のある篠原令氏であり、会談では、①衝突事件のビデオ映像の非公開、②仲井真弘多沖縄県知事の尖閣諸島視察を中止の約束があったというのだ。記事からは密約だったと見てよいだろう。
 同記事にはないが、時期的に見て、30日に4人拘束されたうち3人のフジタ社員が解放されたことを考えると、それはこの密約の手付けと中国人らしい"律儀さ"だったのだろうと推測することは不自然ではない。
 もちろん本当にそのような密約があったかについては、密約ゆえに簡単にわかるものではないが、密約を仮定した場合、その後の推移からどの程度妥当性があるか考えることはできる。それにはフジタ社員の最後の1人の解放の文脈を時系列に見る必要がある。
 尖閣ビデオが民主党日本国政府として非公開となったのは、10月7日である。8日付け読売新聞「尖閣ビデオは非公開、「日中」再悪化を懸念」(参照)より。

 政府・与党は7日、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件の様子を海上保安庁が撮影したビデオについて、公開に応じない方針を固めた。
 公開すれば日中両国で相互批判が再燃し、4日の日中首脳会談を機に改善の兆しが出てきた日中関係が再び悪化しかねないとの判断からだ。
 国会がビデオ提出を求める議決をした場合などは、予算委員会など関連委員会の「秘密会」への提出とし、限定的な開示にとどめたい考えだ。
 衆院予算委員会は7日開いた理事懇談会に法務省の小川敏夫法務副大臣らを呼び、ビデオの扱いについて協議した。法務省側は「中国人船長を起訴するか否かの結論が出ていない段階で、捜査資料を出したケースは今までない」と説明し、現時点での国会提出に難色を示した。与党側も慎重な姿勢を示した。

 残り一人のフジタ社員が解放が通知されたのは9日である。9日付け読売新聞「「フジタ」高橋定さん解放…新華社伝える」(参照)より。

 【北京=佐伯聡士】「軍事目標」を違法に撮影したとして、中国河北省の国家安全局に拘束されていた中堅ゼネコン「フジタ」の現地法人「藤田中国建設工程有限公司」(上海)社員、高橋定さん(57)が9日午後、解放された。
 新華社通信が同日伝えた。
 高橋さんを除く他の3人は、9月30日に解放されており、これで全員が解放された。

 密約の確証ではないせによ、時系列的にはあまりに"律儀"に展開されており、フジタ社員解放と尖閣ビデオ非公開が密約であったと仮定して妥当に思われる。
 そしてこの密約は、フジタ社員が解放されたらおしまいということにはならない。仮にフジタ社員解放を直接扱ったものではないとしても、密約があったこと自体がその後も影響を持つ。
 尖閣ビデオ自体には日本国民が見ても中国国民が見ても、それほど衝撃的な映像とは思えないが(もちろん衝撃的に見た人もいるだろうが)、問題はこのビデオの非公開継続が密約の証となり、しかもその証は日本から中国に対する信義の証に変質したことだ。
 つまり、中国と民主党政権が外交を続けたいなら信義として尖閣ビデオを非公開にしなくてはならないという状況に追い込まれたことで意味合いが変わってしまった。
 私の推測だが、中国側としても想定外だったのではないだろうか。中国としてもビデオ内容自体はそれほど重視していない。日本側のリークも外交筋ではないので取り合っていない。例えば、5日付け人民網「中日友好委「両国関係、風は吹けども動ぜず」」(参照)ではさらりとこう述べている。

 確かに、勘繰り合うばかりでなく相互信頼を深めることは大切だ。だが、目で見たものも、必ず当てになるとは限らない。例えば、日本の国会内でいわゆる“漁船衝突事件”のビデオが公開されたが、それによって事件の真相や、日本側の行為の違法性を覆せるわけではない。釣魚島が古くから中国固有の領土であるという以前に、日本保安庁の巡視船が釣魚島沖で中国漁船の進行を妨害し追い払おうとし、さらに拿捕(だほ)したこと自体が違法である。「石と卵がけんかしたら、常に石が勝つ」という言い方があるが、今回の事件がまさにそれである。勝ち目のない卵が石にぶつかっていくはずはない。同様に考えてもらいたい。はたして、小さな漁船が重厚な巡視船にぶつかっていくはずがあるだろうか。

 村上春樹のエルサレム講演のようなテイストに執筆者の知性が漂うところだが、リーク内容については中国政府としては表向き終了している。中国政府として問題となるのは、日本の民主党政府がお墨付きで公開するかどうかだけだ。そのくらいは「仙谷」内閣でも守ることはできるだろうと見ていた。
 だが、れいの海上保安官が名乗り出てから、話がずれてきた。
 保安官のシナリオ(参照)どおり、実際には日本国政府は尖閣ビデオの秘密の管理をしていなかったことが暴露されてしまった。尖閣ビデオの暴露よりも、日本政府の危機管理能力・外交上の信義維持能力の欠落が暴露されたのほうが重大である。
 馬淵澄夫国土交通相が映像の管理徹底を海保側に求めたのは10月18日であり、非公開を決めてから10日近くはだだ漏れ状態であった。馬淵国交相は現在、海上保安官名乗り出の官邸報告が2時間も遅れたとして話題(参照)になっているが、中国側としてみれば、問題なのは、このだだ漏れ放置の10日間である。中国は日本の民主党政権に裏切られたことになる。
 「仙谷」内閣はここに来て追い詰められた。なんとか流出の犯人を挙げ、「これだけ日本も厳罰化をしています。中国風弾圧政治を我々だって理解しています」と中国政府に向けてご忠誠の首を掲げたいところだろう。だがもう失敗してしまった。ついでに言うと、自民党としては馬淵澄夫国土交通相の首を掲げてご忠誠を示したいところでもあるだろう。
 中国側に「仙谷」政権のご忠誠が受け入れられるかどうかは、APECに合わせた菅首相と胡錦濤主席対談の成否でわかる。受け入れられなければ、中国側は「仙谷」政権を信頼できない政府として見捨てたシグナルとなる。
 どうなるか。たぶん、ダメだろう。
 中国と外交対応ができない政権で日本がやっていけるとは思えない。そしてこの東アジアにあって中国とまともな外交ができない国家に他国からの信頼が得られるわけもない。
 「仙谷」政権、詰んだな。まさか、こんなふうに詰むとまでは思わなかった。
 なお、APECへの胡錦濤主席出席だが、「アジア四か国訪問に向けた米国オバマ大統領の声明: 極東ブログ」(参照)で東アジアの貿易で中国外しが明確にされた以上、黙って中国がこれを受け入れるはずはなく、この圏内での貿易のプレザンスを示すためにも不参加はありえなかった。

追記
 さらに呆れた事態が発覚。馬淵澄夫国土交通相が映像の管理徹底を求めた10月18日だが、実態は徹底でもなんでもなかった。通達ですらなかった。つまり実質情報管理はなされていなかった。13日共同「情報管理の徹底は少数部署だけ 国交相の指示、伝わらず」(参照)より。


 尖閣諸島付近の中国漁船衝突の映像流出事件で、馬淵澄夫国土交通相が10月18日に海上保安庁に指示した「情報管理の徹底」は、第11管区海上保安本部(那覇)などごく少数の部署の幹部らだけに伝えられたことが13日、海保関係者への取材で分かった。
 流出元とみられる海上保安大学校(広島県呉市)や関与を認めた海上保安官(43)が所属する神戸海上保安部などに指示は伝わっておらず、流出発覚後の内部調査でも対象外だったことも判明。情報管理に加え、調査のずさんさがあらためて問われそうだ。
 海上保安庁の鈴木久泰長官は11月5日の記者会見で「大臣の指示を受け、責任者を決めて厳重に管理してきた」と強調。8日には「内部調査には限界がある」として捜査当局に告発していた。
 海保関係者によると、海保の指示は「管理者を決め専用保管庫にかぎを掛けて保管するように」との内容で、11管本部のほか、本庁の関連部署、映像を撮影した石垣海上保安部(沖縄県石垣市)だけに発出された。
 国家行政組織法に基づく正式な「通達」ではなく、情報管理者名で庁内の伝達システムを使用し、管理職やシステム関係者に伝えられた。

追記
 エントリーではダメだろうと予想していた菅首相と胡錦濤主席の会談だが、実現した。日本側は「正式な会談」」と見たいところだが、22分という短時間で踏み込んだ話はなかっただろう。会談の位置づけはよくわからないが、これで対中国外交はなんとか繋ぐことができたと言っていい。裏方の尽力もだが政権としても評価できるものだ。であれば、「詰み」とまではいかないか、なんとか維持できるかもしれない。NHK「菅首相 胡主席と日中首脳会談」(参照)より。


11月13日 17時50分
横浜で開かれているAPEC=アジア太平洋経済協力会議の首脳会議に合わせて調整されていた菅総理大臣と中国の胡錦涛国家主席による日中首脳会談が、13日夕方、急きょ行われ、日中関係の立て直しに向けて、両国の利益を拡大する「戦略的互恵関係」を進めていくことを確認しているものとみられます。

 海上保安官の処分は来週に持ち込まれる。逮捕であったら苦笑せざるをえない。


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2010.11.11

尖閣ビデオの流出者の証言にはだまし絵のような印象がある

 昨日尖閣ビデオの流出者として名乗り出た第五管区海上保安本部(神戸)の海上保安官(43、男性)だが、その後の経緯が奇っ怪だ。まるでだまし絵でも見ているような印象がある。
 当初神戸海域の船上で名乗り出たという報道があった際は、多くの国民がこれで問題の解明に向かうのではないかと思っただろう。限定された令状によってグーグルから押収したIPアドレスも同じく神戸のマンガ喫茶を指定しているようでもあり、神戸を基点として職にあたる同保安官がユーチューブ投稿者ではないかと見られた。
 しかし現状、同保安官が語る情報には現実の流出を裏付ける情報はなく、マンガ喫茶の監視ビデオからでは本人特定は難しそうだ。かくして逮捕も可能にはなっていない。そもそも逮捕できるのかすら危ぶまれる状況に変化しつつある。
 そうしたなか、彼の住む官舎が家宅捜索された。日本は法治国家なので、家宅捜索に当たっては捜索差押許可状(ガザ状)が出されているはずだし、それなりの理路もあるのだろう。いや、「仙谷」政権のあまりに異常な政治が日々続くことで平時の日本社会の感覚が麻痺しているのではないか。ふとわれに返れば、一体どんな根拠でガサ状なんか出てくるのか理解に苦しむ。
 証拠隠蔽の恐れがあるというなら犯罪容疑が固まってからのことになる。今回はそうではない。証拠収集のためなのだろう。だが犯罪の疑念はそこまで成熟していたのだろうか。
 同保安官は「映像は自分のUSBメモリーに保存し、漫画喫茶に持ち込んだ」(参照)と供述していることから、USBメモリーというブツを探そうということかもしれない。彼の自宅のパソコンに該当映像のデータが保存されているか保存された形跡がないかを調べるべくパソコンの押収をする(参照)ということもあるだろう。
 そこまでできるものなのだろうか。疑問が膨らむ。小沢疑惑では「推定無罪」という言葉が奇妙な意味づけで流布されたが(本来は検察の司法上の手法)、広義に言えないこともない。だが今回の例では、逮捕すら至っていないのだから広義にも「推定無罪」以前の状態だ。罪を告白したら罪になるという前近代ではないのだから、ただの無罪である。
 しかもこれが麻薬取引や殺人事件に関係しているなど解明が急がれる場合なら理解できないでもない。差し迫るテロに関係しているというのでも、いわば非常事態として国民の理解は得られるだろう。今回の事例でそう考える人はいるだろうか。いないだろう。
 素人推測なのだが、家宅捜索には実質的にこの名乗り出た保安官の同意のようなものがあっただろうし、そもそも名乗り出たわりにビデオ映像の入手経路について堅く口を閉ざしていることからも、そうやすやすと家宅捜索で足が付くとも思えない。そのことがわからない検察でもないだろう。なのになぜ家宅捜査に至ったのだろうか。
 そもそもこの海上保安官は"犯人"なんだろうか。
 義憤をもって「仙谷」政権が国家機密としたビデオを流出させたというなら、その仕事を国民にわかりやすく完遂させそうなものだが、実際には巧妙に逮捕を避けているとしか見えない。その意図はなんだろうか。
 逆にそれこそが意図なのではないか。というのは、この名乗り出によって、該当ビデオが複数の管区でも閲覧可能であった可能性が強まった経緯がある。もちろん、それ以外にも該当ビデオが機密扱いではなかった疑念はあった。11日付け毎日新聞「尖閣映像流出:ビデオは複数の管区でも閲覧可能と判明」(参照)より。


 捜査関係者によると、映像は衝突事件が発生した9月、11管から海上保安庁本庁を経て、5管を含む複数の管区に渡っていたという。保安官は読売テレビの取材に「ほぼすべての海上保安官が見られる状況にあった」と話したとされるが、全管区には行き渡っていなかった模様だ。

 ただしこの報道はまだ「仙谷」政権によって認可されてはいないようだ。
 また流出ビデオはそもそも機密でもなく研修用に編集されたものでもあるらしい。7日付けNHK「映像は“研修用” 複数コピー」(参照)より。

調査に対し、石垣海上保安部の職員は「問題の映像は、もともと内部の研修用などに編集したものを検察庁に提出した」と話していることが新たにわかりました。海上保安庁は、映像に入っていた「企画・制作PL63巡視船よなくに」という字幕は、捜査資料としては不自然で、書き加えられた疑いもあるとみて調べていましたが、職員が研修用として映像の節目にこの字幕を入れていたということです。さらにこの編集された映像は、検察庁に提出された以外にも、同じものが複数本コピーされていたことがわかりました。

 この情報については、馬淵澄夫国土交通相は8日の衆院予算委員会で否定している。だが、尖閣ビデオの編集者はすでに明らかになっていることと整合しているのだろうか。6日付けNHK「海保職員“映像 自分が編集”」(参照)より。

関係者によりますと、これまでの調査に対して、石垣海上保安部の職員が「自分が編集して検察庁に渡した映像だと思う」と話していることが、新たにわかりました。この映像は、石垣海上保安部で事件発生当初にパソコンを使って編集されて、検察庁に提出した十数本の映像のうちの1本で、今回流出したものと同じおよそ44分間の長さだったということです。こうしたことから、海上保安庁と検察当局は、この映像が流出したと断定しました。

 この編集者は研修用として作成したかについて知っているはずで、その確認次第によっては、馬淵澄夫国土交通相はその場しのぎの出鱈目を言っていた可能性がある。私の印象では、そちらに傾く。そうであれば、すでに馬淵氏は閣僚として失格だろう。
 いずれにしても、今回同保安官の名乗り出によって、海上保安庁で同ビデオが機密扱いではなく、公然と閲覧されていた可能性は高まる。それどころか、今回の家宅捜索は彼の住む官舎だけではなく、その職場にも及ぶ(参照)。
 ここで少し想像してみる。
 同保安官の名乗り出の目的は、"犯人"であることの証明ではなく、海上保安庁の実態の暴露ではないだろうかと考えてみる。彼は現場の状況を知っていた。これならこの場の誰でも流出可能だと思っていたところ実際に流出した。であれば、そこで自分が"犯人"だと名乗りでたら、この実態が暴露されるだろう。実際に自分がやっていないのだから足が付くはずもない……。
 しかも今回の捜査は職場にも及ぶ。職場の捜索からもし尖閣ビデオが出てくれるか、職場で閲覧可能な状態であることが暴露されれば彼の"勝利"だろうし、それを誘導するための大芝居だったシナリオの可能性は高まる。
 とはいえこの想像はあまり支持されないだろう。実際に流出させた"犯人"は存在するはずだし、彼がもっとも疑わしいからだ。
 だがやはりすんなりとはいかない。告白と同時に奇妙な事実も出てきた。読売テレビの山川友基記者が同保安官の名乗り出以前になんども接触しており、その接触の契機は、sengoku38と名乗る者に会いたいかという読売テレビへの誘いかけだったらしい。この部分についてはネットソースがなく、昨晩の日本テレビで見た記憶によるのだが、その話ではこの誘いかけは別の人物であったように思えた。
 この事件に関わっている別の人物がいるのかもしれない。ユーチューブという新しいメディアが関わることで匿名性についていかにも技術的な文脈で語られもした。しかし、IPが割れても古典的なチームワークによる煙幕があれば真相はわかりづらくなる。
 山川記者との総計数時間にわたる対話でも流出経路については語られなかったそうだ。昨日は一日かけて事情聴取してもそこだけは口を割らなかった。
 産経新聞社説「海上保安官聴取 流出事件の本質見誤るな」(参照)は今回の名乗り出を覚悟の行動と見たいようだ。

 事前に接触した読売テレビは取材記者の証言として、海上保安官が「映像はもともと国民が知るべきものであり、国民全体の倫理に反するのであれば、甘んじて罰を受ける」などと語ったと報じた。事実なら、海上保安官は守秘義務違反を覚悟していたことになる。一方で皮肉にも、流出により国民の「知る権利」に応えたという重要な側面も見落とせない。

 だがその覚悟は読売テレビ記者の伝聞であり、覚悟であるならその一切が当人の口から語れてもよさそうなものだがそうでもない。本人から語られているのは、「悪いこととは思っておらず、犯罪には当たらない。本来、隠すべき映像ではない」というくらいらしい(参照)。
 この状態がもうしばらく続くか、あるいは職場から尖閣ビデオかその存在の痕跡が出てくるなら、話の様相は随分と変わる。この騒動が見せる絵は、向こうを向いた淑女ではなく大顔の老女の横顔であるかもしれない。


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2010.11.09

アジア四か国訪問に向けた米国オバマ大統領の声明

 米国オバマ大統領は11月4日から14日にかけてアジア4カ国を訪問中だが、その目的説明として6日付けのニューヨークタイムズに「Exporting Our Way to Stability」(参照)の寄稿をしていた。ありきたりの話と言えないこともないが、中国を見事に無視した内容や日本について腫れ物に触るような扱い、さらには、米国大統領って私企業の社長さんですかといった印象が興味深い。本来ならニューヨークタイムズ紙への寄稿なので全文は好ましいものではないが、米国大統領はいわば世界の公人でもあり、日本への言及が少ないとはいえ日本の将来にも関わる内容でもあるので拙いながらに訳出してみた。

   ◇ ◇ ◇ ◇

Exporting Our Way to Stability
By BARACK OBAMA

安定に向けた米国方式の輸出
バラク・オバマ

AS the United States recovers from this recession, the biggest mistake we could make would be to rebuild our economy on the same pile of debt or the paper profits of financial speculation. We need to rebuild on a new, stronger foundation for economic growth. And part of that foundation involves doing what Americans have always done best: discovering, creating and building products that are sold all over the world.

米国が景気後退から脱するにつれ、米国民が犯しうる最大の錯誤が見える。それは従来通りに累積する赤字に頼むことや、投機で得られた数字上の利益で経済を再生しようとすることだ。米国民は経済成長のために新しく力強い経済成長の基盤を再構築する必要がある。その基盤には、米国民がつねに最善を尽くすことが含まれる。つまり、世界中に売れる製品を発明し、創造し、構築することだ。

We want to be known not just for what we consume, but for what we produce. And the more we export abroad, the more jobs we create in America. In fact, every $1 billion we export supports more than 5,000 jobs at home.

米国民が望むのは消費物によって名を広めるのではなく、生産物によってだ。米国民が海外輸出をすれば、米国の雇用は創出される。実際、10億ドル分の輸出によって5千人以上の国内雇用が生まれる。

It is for this reason that I set a goal of doubling America’s exports in the next five years. To do that, we need to find new customers in new markets for American-made goods. And some of the fastest-growing markets in the world are in Asia, where I’m traveling this week.

だから私は次の5年間のゴールに米国の輸出倍増を掲げた。そのため、米国製品の新市場で新顧客を見つける必要がある。そして世界でもっとも成長が速い市場はアジアにある。そこへ私は今週旅立つ。

It is hard to overstate the importance of Asia to our economic future. Asia is home to three of the world’s five largest economies, as well as a rapidly expanding middle class with rising incomes. My trip will therefore take me to four Asian democracies — India, Indonesia, South Korea and Japan — each of which is an important partner for the United States. I will also participate in two summit meetings — the Group of 20 industrialized nations and Asia-Pacific Economic Cooperation — that will focus on economic growth.

米国民の経済の未来にとってアジアが重要だと言っても過言にはならない。アジアは五大経済圏のうちの三つの基盤である。加えて、そこでは収入を増やす中間層の消費が拡大している。だから私の訪問先はアジアの四つの民主主義国である。つまり、インド、インドネシア、韓国、そして日本だ。この四か国はどれも米国の重要なパートナーである。加えて、二つの先進国会議に出席する。20か国地域首脳会合(G20)とアジア太平洋経済協力会議(APEC)である。この会議では経済成長に焦点を当てることになっている。

During my first visit to India, I will be joined by hundreds of American business leaders and their Indian counterparts to announce concrete progress toward our export goal — billions of dollars in contracts that will support tens of thousands of American jobs. We will also explore ways to reduce barriers to United States exports and increase access to the Indian market.

最初の訪問国インドでは、当地にいる数百名もの米国ビジネスマンとインド側の協調者と連名で具体的な米国の輸出目標を公開する。何億ドルもの商談によって何万もの米国雇用が支援される。また米国からの貿易の障壁を削減し、より多くインド市場を獲得できる手法を探求する。

Indonesia is a member of the G-20. Next year, it will assume the chairmanship of the Association of Southeast Asian Nations — a group whose members make up a market of more than 600 million people that is increasingly integrating into a free trade area, and to which the United States exports $80 billion in goods and services each year. My administration has deepened our engagement with Asean, and for the first eight months of 2010, exports of American goods to Indonesia increased by 47 percent from the same period in 2009. This is momentum that we will build on as we pursue a new comprehensive partnership between the United States and Indonesia.

インドネシアはG20のメンバーである。来年、同国は東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国となる。ASEANは6億人を擁する市場を構成し、刻々と自由市場に統合されている。ここに向けて、米国は毎年800億ドルの商品とサービスを輸出している。私の政権はアジアに深く関わってきた。2010年当初から8か月間、米国からインドネシアへの輸出は2009年に比べて47パーセント増加した。この傾向は、私たちの政権が米国とインドネシア間で包括的な協調関係を求めつつ今後形成する勢いによるものだ。

In South Korea, President Lee Myung-bak and I will work to complete a trade pact that could be worth tens of billions of dollars in increased exports and thousands of jobs for American workers. Other nations like Canada and members of the European Union are pursuing trade pacts with South Korea, and American businesses are losing opportunities to sell their products in this growing market. We used to be the top exporter to South Korea; now we are in fourth place and have seen our share of Korea’s imports drop in half over the last decade.

韓国では李明博大統領と私は貿易協定を締結する。協定により、何十億ドルもの輸出増加が生じ米国に数千の雇用が生じる。カナダや欧州連合(EU)の諸国も韓国と貿易協定を結ぼうとしているので、米国のビジネスマンはこの成長市場に商品を売りそびれている。米国はかつては韓国の輸入第一位だった。今や第四位である。しかも韓国における米国からの輸入シェアはこの10年で半減している。

But any agreement must come with the right terms. That’s why we’ll be looking to resolve outstanding issues on behalf of American exporters — including American automakers and workers. If we can, we’ll be able to complete an agreement that supports jobs and prosperity in America.

しかしどのような協定であれ公正な条項で構成されるべきだ。だから米国の輸出業者のために重要な問題を解こう。これには米国自動車企業とその従業者が含まれる。これが解決できて初めて貿易協定が締結され、米国に雇用と利益をもたらす。

South Korea is also the host of the G-20 economic forum, the organization that we have made the focal point for international economic cooperation. Last year, the nations of the G-20 worked together to halt the spread of the worst economic crisis since the 1930s. This year, our top priority is achieving strong, sustainable and balanced growth. This will require cooperation and responsibility from all nations — those with emerging economies and those with advanced economies; those running a deficit and those running a surplus.

韓国はまたG20の主催国でもある。G20では米国は国際的な経済協調の要ともなってきた。昨年、G20諸国は協力して1930年代以来最悪の経済危機拡散を阻止した。今年、私たちが優先するのは、強く継続的でバランスのとれた経済成長である。それには諸国の協調と責任分担が必要になるだろう。途上国も先進国も、また赤字国も黒字国も一緒にだ。

Finally, at the Asia-Pacific Economic Cooperation meeting in Japan, I will continue seeking new markets in Asia for American exports. We want to expand our trade relationships in the region, including through the Trans-Pacific Partnership, to make sure that we’re not ceding markets, exports and the jobs they support to other nations. We will also lay the groundwork for hosting the 2011 APEC meeting in Hawaii, the first such gathering on American soil since 1993.

旅の最後になる日本のAPECでも、米国の輸出のために新市場を求める。米国は通商関係をこの地域にまで広げたい。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の実施を含め、他国を支援することになる市場や輸出、雇用を米国が譲歩するわけではないことは明言しておきたい。また、1993年以来米国領で実施されるこの種類の国際会議として、2011年にハワイで開催予定のAPECの下準備もしておきたい。

The great challenge of our time is to make sure that America is ready to compete for the jobs and industries of the future. It can be tempting, in times of economic difficulty, to turn inward, away from trade and commerce with other nations. But in our interconnected world, that is not a path to growth, and that is not a path to jobs. We cannot be shut out of these markets. Our government, together with American businesses and workers, must take steps to promote and sell our goods and services abroad — particularly in Asia. That’s how we’ll create jobs, prosperity and an economy that’s built on a stronger foundation.

私たちの時代の大きな挑戦は、米国民が未来の雇用と産業に向けて競争する用意があると明確にすることだ。経済困難の時代には、他国との貿易や通商を避け、国内事情にかまけるようになるものだ。しかし、相互に結びついた私たちの世界では、国内事情にかまけることは成長の道ではない。私たちは外国市場から閉め出されてはならない。米国政府は、米国ビジネスマンや労働者とともに、商品やサービスの販売で海外に特にアジアに打って出なくてはならない。これが私たちの雇用と富と経済の創出手法である。これらは強固な基礎の上に築かれるものだ。


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2010.11.08

どういう法的根拠でグーグルは尖閣ビデオ流出記録を開示するのだろうか

 政府が非公開とした尖閣ビデオがユーチューブに流出した問題で、検察が同サイトを運営するグーグルに対して投稿者の通信記録の開示を要請した。これに対してグーグルは「法律に基づく要請があれば、捜査に協力していく」と回答。さて、いったいどういう法的根拠だとグーグルは尖閣ビデオ流出投稿者記録を開示するだろうか。愚問かもしれないがわからない。存外に深い問題を秘めているかもしれないのでブログで愚考してみたい。
 尖閣ビデオ流出から三日以上も経ち、NHKの7時のニュースでも毎日報道され、それなりに流出の真相解明が進んでいるのかと思いきや、実際に流出映像が投稿されたユーチューブ側での解明は進んでいない。
 この件について今日のNHK「グーグル“捜査には協力”」(参照)はこう報道している。


この問題で検察当局は、衝突事件の映像が流された動画投稿サイトの「ユーチューブ」を運営するアメリカの大手ネット企業のグーグルに対し、投稿した人物に関する通信記録の提供を要請しました。グーグルの日本法人では、当局から要請があったかどうかについては、「個別の映像に関することはコメントできない」としたうえで「当局から法律に基づく要請があれば、捜査に協力していく」としています。

 現状の報道によれば検察からの投稿者情報の開示要請はあったらしい。だがユーチューブを運営するグーグルはその要請の有無すら回答していない。グーグルとしては運営上の一般論としては「当局から法律に基づく要請があれば、捜査に協力していく」とのことで、この報道からうかがい知る事実はこれだけのようだ。表題「グーグル“捜査には協力”」はクオーテーションマークが難しい意味を持っている。
 単純に疑問なのは、どのような法的根拠で検察はグーグルに開示を求めたのだろうかということだ。NHK情報だけからすると、もしかすると検察側の要請に対して法的根拠があるか判断が付きかねているという可能性もある。
 また同報道では海上保安庁側の削除要請も伝えている。

8日午前中の段階では、サイトに投稿された衝突事件の映像は、数百件から1000件以上に上るとみられ、この中には200万回以上閲覧された映像もあります。海上保安庁では、グーグルに対して、すべての映像の削除を要請しており、グーグルでは「サイトの規定に従って、映像に法令の違反などが確認されれば速やかに削除する」としています。

 ここでも法令違反があるかどうかが問われているものの判断が付きかねているのだろう。
 報道には含まれていないがコピー映像の拡散以外にも現在、これらを元にした二次情報も流布しており、その対応も気になるところだ。例えば、次のようなお笑い映像もあるがどのような対応になるのだろうか。

 これらも削除対象となるのであれば、この数日NHKの7時のニュースでユーチューブがソースであろうと思われる流出映像の報道についてNHK映像も削除対象になる。他にも、この映像を流用した報道メディアはなんらかの対応を取ることになる。例えば、毎日新聞では動画をスチルに分解にして二次的に公開していた(参照)。これがユーチューブと違うのはスチルの連写だからというのでは詭弁だろう。

 さらに疑問なのは、これらの流出映像が国家機密なりといったものであれば、二次的に公開してよいものなのだろうか。NHKなどマスメディアはこの流出映像の内容をどのような理由で公益性の高い電波を使って流布させたのだろうか。映像に収められた人びとの権利はどのように守られていたのだろうか。
 そのあたりの議論がなぜかマスメディアから出てこないように思われる。なんとも奇っ怪な風景だ。私の記憶によるのだが、IT関連の著述者でもある梅田望夫氏がもう5年以上も前だったと思うが自身のブログでユーチューブのリンクを貼ったおり、そのリンクにためらいも述べていた。当時はマスメディアがユーチューブ映像を参照することはいわば御法度といった空気があった。
 話を流出映像投稿者の情報開示がどのような法的根拠によるのかという疑問に戻そう。
 報道を見ていくとこの要請の遅れにはそれなりの段階が存在したようだ。今日付けの毎日新聞「尖閣映像流出:海保が告発 サイト記録差し押さえへ」(参照)より。


 一方、検察当局はコンピューターシステムに詳しい東京地検の事務官数人を那覇地検に派遣。映像データを保存していたサーバーのアクセス記録や公用パソコンの使用状況を解析したが、内部からの流出の形跡は確認できなかった。
 このため、捜査に切り替えて、ユーチューブを運営するグーグルの日本法人への照会などを行う必要があると判断した。那覇地検からの流出が完全には否定できないため、上級庁である福岡高検が捜査を指揮する見通し。
 検察関係者によると、福岡高検は既にサイトを運営するグーグル側に投稿者に関する記録を照会した。グーグル側が記録の任意提出は困難との立場を示したため、裁判所の令状を取って記録を差し押さえるとみられる。

 どうやら当初グーグルへの捜査は想定されておらず、その行き詰まりから、一旦は検察からグーグルへの開示要請したが、拒絶されていたようだ。
 そうしてみると先のNHK報道の文脈もより明確に見えてくる。つまり、この時点での検察による開示要請はなんら法的根拠のないものだったのだろう。事が日本のウェブ運営者であれば、検察が法的根拠なしでも開示要請すれば、ほいほいと従うという暗黙の慣例もあったのではないか。
 多少奇妙なのは、毎日新聞報道ではNHK報道とは異なり、すでに開示要請は終わり、裁判所令状による差し押さえ段階に入ったようなのだが、この毎日新聞報道の報道時刻は「2010年11月8日 11時41分(最終更新 11月8日 12時26分)」であるのに対して、NHKはその後の「11月8日 13時7分」である。後続のNHKの報道になぜ「差し押さえ」が含まれていないのだろうか。
 気になって関連NHK報道を見ると、11月8日4時10分に「動画投稿サイトに記録提供を要請」(参照)があり、この時点では開示要請を報道している。

検察当局は、内部調査では、調査の範囲が限定されることから、流出した経緯を解明するため、検察が8日から刑事事件として捜査に乗り出す方針です。那覇地検を管轄する福岡高等検察庁が捜査を指揮することになります。これに先立ち検察当局は、映像が流された動画投稿サイトの「ユーチューブ」を運営するアメリカの大手ネット企業の「グーグル」に対し、投稿した人物に関する記録の提供を要請しました。

 まとめると、検察は当初グーグルに任意開示を求めていたが、8日時点で尖閣ビデオ流出は刑事事件となり、このエントリーを書いている現在、毎日新聞報道では差し押さえに向かっているところだが、NHKとしては「差し押さえ」の報道はしていない。
 ここで素朴な疑問が浮かぶ。差し押さえ対象のユーチューブのサーバーはどこにあるのだろうか。簡単に思いつくのは米国ではないかという推定だが、まず日本にはないだろう。仮に米国だったとしてそのサーバー情報を日本の検察がどのように「差し押さえ」するのだろうか。なにか構図がシュールな印象を受ける。
 それ以前にどのような刑事事件なのだろうか。11月8日13時7分のNHK「“映像流出”検察が捜査開始」ではこう説明していた。

 この問題で最高検察庁の勝丸充啓公安部長は8日、記者会見し、「映像のデータが流出したという事案の性質上、できるだけ早く捜査に着手することが望ましい。最高検はきょう、福岡高等検察庁に対して直ちに捜査を着手するよう指示した」と述べ、国家公務員法の守秘義務違反の疑いなどで捜査を開始したことを明らかにしました

 「など」ってなんだと思うが朝日新聞記事「尖閣映像流出 海保が刑事告発 内部研修用に編集の跡」(参照)を見ると不正アクセス禁止法違反も挙げられているが、ここでも「不正アクセス禁止法違反など」となっている。「など」に終わりがない。印象としては、とにかく投稿者をとっ捕まえて後から罪状をくっつけてしまえ、どうせ投稿者はイカタコウイルスの作者みたいなもんだろ、罪状なんかどうでもいいよ、というような感じだ。
 さらに素朴な疑問が浮かぶ。投稿者は国家公務員なのか。それがわかっていない時点で、可能性からこんな捜査をしてよいのだろうか。いや海保と検察庁からの流出が疑われるのだから仮に捜査をそこから開始するのはよいとしよう。では、その捜査のために、ユーチューブのサーバーを差し押さえることは可能なのだろうか。
 論理的に考えれば、この刑事事件の枠組みでは流出映像の投稿者が公務員でなければならないのだが、そんな前提で刑事事件を組み立ててよいのだろうか。だらしない国家公務員のだらしなさにつけ込んだイカタコウイルスの作者みたいなもんだったら、この枠組みが成立するのだろうか。
 というところで、うっすら見えてくるのだが、もしこの流出先がユーチューブではなく、朝日新聞で公開されたらどうだっただろうか。米国の有名なリーク事件などは、ワシントン・ポストやニューヨークタイムズで公開されてきた。そしてその場合、報道の自由の問題が関わり、情報源の秘匿は前提とされた。
 現状のNHK報道などからうかがい知る印象では、ユーチューブつまりその親会社グーグルは報道機関ではないからというのが前提になっているし、暗黙のうちに投稿者はジャーナリストではないことになっている。
 しかし、そんな前提を暗黙に立てちゃっていいものだろうか。なるほどユーチューブでは報道に対する編集はしていない(広告は付けているけど)。だが、独自の判断で掲載の認可を行っている。つまり、ある情報が世界に報道されることについての責任の一端をグーグルは明確に担っているのはたしかだ。これは広義に報道であり、投稿者は広義にジャーナリストだろう。特定の個人の名誉毀損を狙った情報拡散ではなく、国家機密とされる情報の是非を国民に問うことにもなったのだから。
 あまり話を大げさにしたいわけでわけではないが、これは日本のジャーナリズムの危機なのではないか。であれば、民主主義の危機ではないのか。
 今回の流出に関連して、国家の情報管理の厳格化が求められているのだが、例えばこのニュースはどうなのだろうか。NHK11月8日12時13分「秘密保全法制のあり方検討へ」(参照)で、「仙谷」政権はこういう方向性を出している。

仙谷官房長官は衆議院予算委員会で、尖閣諸島沖での衝突事件の映像が流出した問題に関連して、「現在の秘密保全に関する法令の罰則では抑止力が必ずしも十分ではない」と述べたうえで、今後、守秘義務違反の罰則強化も含め、秘密保全に関する法制のあり方について検討を進める考えを示しました。

 もちろん、その必要はあるだろ。しかし今回の事例で言うなら、もしかするとこの情報は国民が知るべきものだったのかもしれない。ディープスロートからイランコントラ事件まで米国の現代史を見ていると、民主主義とリーク情報にはそうした微妙な関係がある。
 なのにこの「仙谷」政権は、脊髄反射的に、あるいはご主人様のご機嫌を損ねまいとする小姓のように、目先の取り繕いで厳罰化に走ろうとしている。この強権志向の姿勢はどうなんだろうか。これが自民党政権に変わって登場した民主党政権の姿なのか、あと何歩でスターリニズムに到達するだろうか、そんな懸念まで浮かぶ。
 私の考えでは、現段階では、グーグルは投稿者の情報開示に応じるべきではないと思う。この国は報道の自由を弾圧する中華人民共和国ではない。自由な情報を持ちうる日本国である。中国の情報弾圧に屈しなかったグーグルなのだから、中華風味の日本政府による情報弾圧があればはねのけてほしい。


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2010.11.07

米国中間選挙の感想

 米国中間選挙で予想通り民主党が大敗したといってよいだろう。しかし、これで予想通りオバマ大統領がレイムダック化するかといえばそうとも言い難い。基本的に中間選挙は現職大統領に厳しい結果が出るものだし、ねじれ議会はむしろ普通ことだ。むしろ、これからようやくオバマ大統領の真価が問われる時代になった。ということで米国中間選挙はどちらかというと退屈なお話でもあるが、少し感想を書いておこう。
 米国の報道でもそして日本の報道でも選挙期間中ティーパーティーが話題になった。ペイリン氏が騒ぎ立てたこともあり、日米ともに基本的にリベラル寄りのメディアとしては当初また反動保守的な共和党か、アホのブッシュの再来かくらいに報じていたが、ティーパーティーが単に共和党の別動部隊ではなく反共和党的な性格も持ち合わせていることに気がついたとき、すでに何かが終わっていた。民主党のオバマ大統領もそれまで無視し続けていながら土壇場になってとってつけたようなティーパーティー批判をしたときはすでに遅すぎて滑稽な事態になっていた。ティーパーティーには確かに煽動された部分もあっただろうが、それが市民運動として定着してしまう米国民の国民気風というものがあった。
 そのあたり、ティーパーティーという文脈ではなく米国民の気風という観点だが、ワシントン・ポストのコラムニスト、クラウトハマー(Charles Krauthammer)が上手に表現していた。いわく、正常に戻っただけというのだ。「A return to the norm」(参照)より。


For all the turmoil, the spectacle, the churning - for all the old bulls slain and fuzzy-cheeked freshmen born - the great Republican wave of 2010 is simply a return to the norm. The tide had gone out; the tide came back. A center-right country restores the normal congressional map: a sea of interior red, bordered by blue coasts and dotted by blue islands of ethnic/urban density.

混乱、瞠目すべき光景、動顛、この手のお馴染みは屠られ、寝ぼけ顔の新人が現れた。共和党2010年の大潮流は簡素なまでに正常に戻った。波は去りそして戻る。中道右派のこの国は正常な議会勢力地図に戻った。赤(共和党)の内海を青(民主党)が縁取り、民族や都市によって青斑が見られる地図だ。

Or to put it numerically, the Republican wave of 2010 did little more than undo the two-stage Democratic wave of 2006-2008 in which the Democrats gained 54 House seats combined (precisely the size of the anti-Democratic wave of 1994). In 2010 the Democrats gave it all back, plus about an extra 10 seats or so for good - chastening - measure.

数字を挙げるなら、共和党2010年の波がしたことは、2006年から2008年にかけて二段階に来た民主党の波を打ち消したというくらいなものだ。かつて民主党は併せて54議席を得た(正確には反民主党1994年の波の大きさ)。2010年にはこれをすべて戻し、罰として10席上乗せした。


 文化戦争が続く米国ではこうした波があるものだとは言えるだろう。
 別の言い方をすると、中間選挙の結果は、そうした米国という国の内在的な歴史運動の正常の範囲内だったとも言える。他の数字からもそれは察せられる。6日付け時事「厚い「ワシントン政治」の壁=現職に逆風のはずが…再選率9割―米中間選挙」(参照)が上手に描いていた。

 現職議員への逆風が伝えられた2日投票の米中間選挙は、終わってみれば再選率が約9割に上り、通常とほぼ変わらない高水準を維持した。好転しない経済への国民の不満はオバマ政権だけでなく、政治の変革を求める「アンチ現職」の風となり、党派を超えて「ワシントン政治」を直撃したものの、現職の壁は予想以上に厚かった。
 5日現在、結果未定の州や選挙区を除き、上院選に出馬した現職22人のうち20人が当選し、再選率は91%。下院は385人中、87%に当たる334人が引き続き議席を得た。

 この傾向は今回に限らない。

 既存の政治体制に風穴を開けようとオバマ大統領が「チェンジ」を掲げた2年前も、再選率は上院83%、下院94%と現職がしぶとく生き残った。それ以前の10回の上下両院選の平均再選率はそれぞれ88、95%に達している。

 その意味では、誤差の範囲とまではいえなくても、数パーセントを動かせば全体の動向には大きな波の効果が出るとも言えるし、各候補にしてれみれば地味に有権者を引き留める努力だけがあるということなのだろう。
 他、ペイリン氏の動向だけ見れば以上の数値からも当然だがそれほど大きな運動に結集されたわけでもなく、今後の政局への直接的な影響は少ないだろう。むしろ、共和党の勢力が議会に復帰したことで、議論が促進され、内向きな民主党よりも国際政治に発言力が増してくるので日本にとっては好都合だろう。また、自由貿易も促進されるので、日本の環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定(TPP)への態度も強く問われるようになるだろう。
 この点ではむしろオバマ政権は先行してクリントン外交を積極的に展開しているので、対外的な米国への国際支持は高まるだろうし、それを背景に対外的なレイムダック化は緩和されるだろう。ただ、内政や内政に関連する地球気候変動問題などは後退せざるを得ないだろう。


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2010.11.06

尖閣ビデオ流出で溜飲を下げる水戸黄門様心情は中国には通じない

 一昨日の深夜から昨日の朝にかけて、日本政府が非公開としていた通称尖閣ビデオ(尖閣諸島近海で海上保安庁の巡視船に中国漁船が衝突した状況を撮影したビデオ)がユーチューブにリークされた。映像からは中国船の横暴が明白にわかるため、なぜこれを非公開としたのかと民主党政権への反発や、またやすやすとリークしたかに見えることから政府の情報管理についても批判の声が上がった。そうした声は今朝の大手紙社説などにも見られた。これだけの世間の話題でもあるのでブログでも言及しておこう。
 私自身は昨日の朝ツイッター経由で該当映像を見た。最初に思ったことは、映像は意外に鮮明だがこれは本物だろうかという疑問だった。本物であれば流出経路が問われることになる。その後の報道を見ていると、流出映像の編集から石垣海上保安部からの流出が疑われるようだ。公開是非が熱く問われる以前のだらしない管理状況から漏れたのではないかという印象が私にはある。
 次に思ったことは既視感だった。非公開とされながらもこれまで報道を超えた部分がなかったことだ。日本テレビ(参照YouTube)やFNN(参照YouTube)がCGで再現した映像と大きな違いはないように思えた。多少気になったのは、黒煙の存在だったが、ネットの掲示板情報「元船員だけど尖閣ビデオの件で何か質問ある?」(参照)が参考になった。さらに同情報には、尖閣ビデオにおける波の状況の分析もあり、その点は専門筋にはすぐに理解されていたことなのだと理解した。
 流出についての世間の動向を見ていて面白いなと思ったのは、尖閣ビデオ流出で溜飲を下げる日本人ならではといった風情の水戸黄門様心情だった。

 黄門「不届き者の中国代官、この後に及んでもシラを通すつもりか。格さん、ビデオを見せなさい」
 中代「……(日本鬼子め何を)……」
 黄門「この映像リークですべてが明白であろう。謝れ、日本に謝れ、二度と尖閣に立ち入るではないぞ」
 中代「ぎゃふん」

 いやはや。普通の中国人にしてみれば、「はあ?私に関係ないし」というくらいだし、反日の声を上げている中国のネットウヨさんにしてみれば、中国漁船の振る舞いは自国領土のために命をはって戦う英雄の光景でしかない。日本的な水戸黄門心情は中国に通じない。これで日本人の溜飲が下がるなら、お安い国内効果でもある。
 実際のところ日本政府がお墨付きでこの映像を公開してしまうのであれば中国政府も困惑するだろうが、日本政府の失態ないし失態という演出でリークした映像であれば、中国政府としては対応しようがない。外交筋でどうこう言える話でもない。
 うがった見方をすれば、日本政府としては中国側には公開するとは言えないし、日本国民の公開せよ熱は高まっているという状況のなかで、結果的に今回のリークはベストなソリューション(解決)だったと言える。これで日本政府お墨付きの公開という悪夢のシナリオは消えたので、対中国政策的には「仙谷」政権はほっとしているはずだ。もう少し早い時点で出てこなかったのはなぜだろうかのほうが疑問になる。
 ついでにいえば、今回リークのバージョンは那覇地検向けなので、このまま日本国民の公開熱が冷まるなら、中国漁船立ち入りなどさらにやばそうな部分の映像について実質的に隠蔽できたとも言える。
 そもそもこの手の政府サイドのリークというのは、どの国でもそうだが政府が一枚板ではない以上、しかたがない面があり、今回のリークも政府側内の勢力が噛んでいると見るのは妥当だろう。では今回はどうだろうか。
 さすがに「仙谷」政権中枢が直接起こした陰謀ということはないだろう。政府内であったとしても中枢に対して反目する勢力か、周辺的な勢力だろうか。リークの機動部隊にも別の思惑があったかもしれない。それにはどのような背景が考えられるだろうか。
 リーク以前の状況から見て、現政権にとって最大の懸案は今月中旬横浜で開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に胡錦濤中国主席を出席させ、ぎくしゃくした日中関係の修復を図ることだ。であればその後に「仙谷」政権としても国会に押された形での6分版映像の公開という流れを落としどころとしていたのではないか。今回のリークはその落としどころは結果的に阻止したことにはなる。
 リークの効果が、胡主席の訪日阻止だったとまで言えるだろうか。疑問なのは中国には通じないこの程度のリークで、はたしてそこまでの効果があるものだろうか。ないのではないか。
 むしろ、今回のリークを水戸黄門様心情で喝采し、欧米のウィキリークに模して、機密情報はインターネットにリークされる時代とかのんきな受け止め方(実際のウィキリークは慎重にニューヨークタイムズやガーディアンと事前に連繋している)を見ていると、リーク者がハンドル名「sengoku38」なのも、「うその三八」といったほどのこともなく単に「仙谷さんパー」と言いたいがための愉快犯のようなものではなかったかと思える。つまり、現政権への不満をぶつけただけなのだろう。


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2010.11.05

非核原則が実質的に終わる時代へ

 日本ではベタ記事あつかいだったように思うが、ニュージーランド首都ウェリントンで4日、同国キー首相とクリントン米国務長官が会談し、外交・軍事での戦略的な関係強化を目指すウェリントン宣言に署名した。これによって1985年のアンザス危機以降解消されていた軍事同盟の再構築が目指されることになった。
 非核原則を掲げていたニュージーランドの方向性が実質的に変換すると同時に、この動向は日本の非核原則にも影響を与えることになると思われる。自民党時代にはそれなりに堅持されてきた非核原則が民主党政権下で実質的には終わる時代へと進むだろう。
 今回の宣言は直接アンザス(太平洋安全保障条約, ANZUS:Australia, New Zealand, United States Security Treaty)への復帰を明言したものではないが、内容はそれを示唆していると見てよいだろう。4日付けニュージーランドメディア3news「NZ, US sign Wellington Declaration」(参照)によると、太平洋での問題を協議すること、大臣級定期会合を持つこと、年次軍事会談を持つことが含まれている。さらに、同ニュースにもあるように、両国間の軍事訓練も含まれることになる。このことによって従来世界一平和な国(参照PDF)がさらに一位を超えてゼロ位までアップするかもしれない。
 アンザスは、正式名を見るとわかるように米国、豪州、ニュージーランド間で1951年に締結された軍事同盟の条約だった。アンザス危機が発生したのは、1984年非核原則を掲げるニュージーランド労働党(デヴィッド・ロンギ首相)が政権につき、同国に寄港する船舶に核保有検査を義務づけたことがきっかけだった。
 米国は当時から戦略上、軍船の核兵器保有を明示しないことが原則であったが、新政権の方式により米軍船のニュージーランド入港が不可能になった。事件としては米軍船USSブキャナンの入港拒否がある。この対応に怒った米国はニュージーランドの防衛義務を停止するに至った。また貿易面でも関係が悪化した。インフレは進み失業率は悪化し、国は疲弊した。
 もっともアンザス危機でニュージーランドは、豪州との同盟関係まで断ち切られたわけでもなく、また大英帝国名残りのコモンウェルスの連繋はそれなりに維持されていた。まったくの孤立ということではなかった。小国ならでは利点が生かせたとも言えるし、最後の線は残せるという確信があるからこそ、非核原則を貫いて米国との軍事同盟解消に向かうことができたと言えないこともない。なにより、ニュージーランドの場合は近隣に軍事的な威嚇を行う国がないことも安寧した志向を促していたのだろう。非現実的な逃避を必要とするまでの心理的な切迫感も無かった。その後、ソ連やリビアも本当にニュージーランドが無防備に近いものなのかこの海域まで船を出してみることもあったが、あまりの遠方ゆえその程度で終わった。
 ニュージーランドと同様の非核原則を持つ日本が、自民党政権時代ニュージーランドのような事態に至らなかった理由については、原則適用の曖昧さがあったと見てよいだろう。仮にアンザス危機のような事態を日本が引き起こせば、日米安保条約は解消または空文化し、日本施政権下域への同条約の適用も解消されることになっただろう。そのことのもたらす含意が民主党政権の交代によってようやく見えてきつつある。
 政権交代後の民主党政権以降では不明確ながらも、日本の非核原則の歴史的経緯の明確化に合わせ何らかの再検討を求めているようもであり、それがうまく機能しなければ日本版のアンザス危機が起きる可能性もある。このことは昨年ゲイツ国防長官訪日時にすでに議論されていた。関連記事はジャパンタイムス「A good time to remember the ANZUS alliance's fate」(参照)で読むことができる。
 今回のニュージーランドの方向転換だが、突然の事とはいえない。日本では海上給油すら否定されたアフガニスタン戦争だがニュージーランドは兵も出しているし、アンザス復帰も長く議論されてきていた。が、大きな転機となったのは、2008年のニュージーランド総選挙で、非核原則を立てた与党労働党から1999年以来9年ぶりに国民党に政権交代したことだ。英国や豪州などの政局の動向を見ても、労働党的な政権がより世界情勢の変化に合わせて現実的な政権に変化する傾向がある。かなり遅れた日本でもようやく近隣の危機状況や世界の現実に合わせた政権に今後は移行するようになるかもしれない。

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2010.11.03

北方領土問題を巡るクローリー米国務次官補発言について

 北方領土問題を巡るクローリー米国務次官補発言について、この二日間日本での報道がある。実際にはどうであったか。国内報道との対比で見ていこう。なお、報道検証の意味もありあえて全文引用することもある。
 まず、2日付けNHK「米高官 北方領土で日本を支持」(参照)について。表題は間違いではないが、「北方四島の日本の主権を認めるという立場を明確に示しました」という解釈はやや突出した印象を与えた。


 ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土を訪問したことについて、アメリカ国務省の高官は「北方領土に関しては日本を支持する」と述べ、アメリカ政府として、北方四島の日本の主権を認めるというアメリカの立場をあらためて明確に示しました。
 ロシアのメドベージェフ大統領が1日、ロシアの最高首脳として初めて北方領土の国後島を訪問したのに対し、日本政府は「北方領土は日本固有の領土だ」として、ロシア側に抗議しています。これについて、アメリカ国務省のクローリー次官補は1日、「日ロ間に領土問題があることは十分に認識しており、北方領土に関しては日本を支持する」と述べ、北方四島の日本の主権を認めるという立場を明確に示しました。そのうえで「日本とロシアは平和条約の締結に向けた交渉をすべきだ」と述べ、日本とロシアに対し領土問題の解決に取り組むよう促しました。アメリカ政府は、沖縄県の尖閣諸島めぐる日本と中国の対立については、尖閣諸島が日米安全保障条約の適用範囲だとしながらも、領有権問題については明確な言及を避けています。これに対し、クローリー次官補の発言は、北方四島の日本の主権を認めるという従来のアメリカ政府の基本姿勢を、オバマ政権としてもあらためて確認するものとなりました。

 実際にはどのような発言だったのだろうか。1日付けのクローリー米国務次官補発言はすでに米政府サイトに原文がある。Daily Press Briefing - November 1, 2010である。日本に言及された個所は短いのでそこだけ取り出し試訳を添えておきたい。

QUESTION: P.J., Russian President Dmitriy Medvedev visited Japanese Northern Territory island, and such a high-level visit is the first time through Soviet Union era. And can I have the United States response, and do you recognize Japanese sovereignty over the islands?

質問: PJさん。ロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領が日本の北方領土を訪問しました。このようなハイレベル訪問はソビエト時代を含め始めてのことになります。米国としての反応をいただけますか? また米国はこの諸島への日本の主権を認識していますか?

MR. CROWLEY: We are quite aware of the dispute. We do back Japan regarding the Northern Territories. But this is why the United States, for a number of years, has encouraged Japan and Russia to negotiate an actual peace treaty regarding these and other issues.

クローリー氏: 該当地の係争について米国はそれなりに気付いている。北方領土に関しては米国は日本を支援している。しかし、だからこそ多年にわたり米国は、この件やその他の件について、日本とロシアが実質的な平和条約を結ぶよう奨励してきた。

QUESTION: In terms of Senkaku Island, Secretary Clinton just made it clear that it is within U.S.-Japan security treaty, and that is because the islands are controlled by Japan. And in terms of Northern Territories, where does the United States stand? Is it applied to United States and Japan security treaty, Article 5?

質問: 尖閣諸島については、クリントン国務長官が的確に明確にしたように、日米日本国と米国の安全保障条約に含まれる。その理由はこの諸島は日本が制御しているからである。では、北方領土について、米国はどちらに組みするのか? 日米安全保障条約の第五条が適用されるのか?

MR. CROWLEY: That’s a good question. I’ll take that question.

クローリー氏: よい質問だ。留意しておこう。
(別の話題に移る)


 北方領土への日本主権主張について、質問者は"recognize(認識)"を問うているが、クローリー氏は"quite aware of(それなりに気付いている)"として、"recognize(認識)"を避け、曖昧な答弁をしている。無視はしていないし関心はあるということでお茶を濁している。
 米国の立場だが、"We do back Japan regarding the Northern Territories(北方領土に関しては米国は日本を支援している)"として、"But this is why(しかし、だからこそ)"とその否定的に受けて理由付けをし、そこに平和条約交渉を置いている。
 英文を読む限り、米国は日本が北方領土に主権を持つと主張している立場を支援しているが、その立場は平和条約交渉を推進するためのものだ、ということだ。つまり、日本の北方領土主権主張より、日ロ平和条約を日本が結ぶ際のその立場を支援するということが強調されている。
 この答弁を歴史の文脈に置き直すと、微妙な意味合いが出る。1956年の日ソ共同宣言(日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言)では、日本が主権を主張する北方領土については、日ソ平和条約後に歯舞群島と色丹島の二島返還を実施することが前提になっている。
 ソ連の継承国であるロシアとしても日ロ平和条約は歯舞群島と色丹島の二島返還を条件として理解しているはずだし、国際的な日ソ共同宣言については米国も理解しているので、クローリー氏の発言は、その前提条件を曖昧にしているものの、暗黙裏に二島返還先行論は含まれていると見てよいだろう。
 もちろん、二島返還と四島が日本が主権下であることは現時点では矛盾しないが、この発言だけからNHK報道のようにクローリー氏の発言を読むことは少し勇み足の感はある。ただし、この点についてはその翌日の発言で明言された。
 その翌日の発言は、今日になって報道されている。今日付けの産経新聞「北方領土は安保条約対象外 米高官」(参照)である。

 【ワシントン=佐々木類】クローリー米国務次官補(広報担当)は2日の記者会見で、ロシアのメドベージェフ大統領が日本の北方領土を訪問したことに関連し、米国の日本防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条について、「(北方領土は)現在日本の施政下になく、条約は適用されない」と述べた。
 同時に、「米政府は日本を支持し、北方領土に対する日本の主権を認めている」と重ねて強調した。
 クローリー氏の発言は、同5条が適用されるのは沖縄・尖閣諸島のようにあくまで日本の施政下にある領域であり、北方領土はこれに該当しないことを改めて確認したものだ。

 まず重要なのは「2日の記者会見」という点だ。これは先のNHK報道が1日の記者会見をしたのとは別の会見である。こちらの原文は「Daily Press Briefing - November 2, 2010」(参照)である。この会見の昨日になる1日の会見より短く、「笑い (Laughter.) 」の文字が入っているように、おまけ程度の意味合いがある。が、明確な言明にはなっている。

QUESTION: Syria --

質問: シリアについて……

QUESTION: Is there any update? You took a question yesterday about how Article 5 applies to the Northern Territories. I wonder if --

質問: 更新事項はありますか? 北方領土への日米安保第五条適用について昨日質問を取り上げましたね。どうなんですか……。

MR. CROWLEY: Yes, I did. The short answer is it does not apply.

クローリー氏: はい、そうだった。手短な答えは、適用されないということだ。

QUESTION: Is there a long answer?

質問: 長い答えはありますか?

QUESTION: Is there a long answer?

質問: 長い答えはありますか?

MR. CROWLEY: (Laughter.) I mean, just – the United States Government supports Japan and recognizes Japanese sovereignty over the Northern Territories. I can give you a dramatic reading of Article 5 of the security treaty. But the short answer is since it’s not currently under Japanese administration, it would not apply.

クローリー氏(笑い): つまり、米国は日本を支援し、北方領土への日本の主権を理解しているというだけだ。日米安保第五条について心を込めて読み上げることもができるが、手短に言うなら、それは現状日本国施政下にはないので、適用されないだろう。
(シリアの話題に移る)


 1日の会見で、"I’ll take that question.(留意しておこう)"だったために、2日のこの応答が現れた。前回と異なり、北方領土についての日本の主権を明白に認めた形になっている。と同時に、日米安保条約の第五条は北方領土には適用されないということも明確になった。
 日米安保条約の第五条はあくまで同盟国の施政権に対する防衛の軍事同盟であって、施政権外には適用されない。つまり、これは実効支配に限定されると見てよい。
 仮にの話だが、北方領土を自国領土だから防衛にあたるとして日本が武力行使に踏み切った場合、米国は静観するということだ。また同様に仮の話だが、尖閣諸島の実効支配を日本が揺るがし、そのことを自国の施政権への侵害であると見なさない民主党の柳腰外交が続けば、日米安保適用外となる可能性もあるのだろう。
 米国としては北方領土に関する日露問題は太平洋戦争を終結させるという意味でも、また国連における米露の建前からも、日露の平和条約の締結が先行すると見てよく、であれば、やはり1956年の日ソ共同宣言がそのステップになるしかないのだろう。


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2010.11.01

ロシア、メドベージェフ大統領の国後島訪問の思惑は二島返還だろう

 ロシアのメドベージェフ大統領が今日、日本が自国領土と主張する国後島を4時間ほどの短時間だが訪問した。ソ連時代を含めロシアの最高指導者による、日本主張の北方領土への初訪問となる。訪問は9月29日に想定されていたが、日本側からの中止要請を考慮してか延長されていた。今日決行した意図だが、ロシア側に従来にもまして強い領土主張の意図が込められていると見るのが自然だろう。だがその背景となる理由は単純ではないだろう。
 一番の理由は、中国による強行な尖閣諸島海域侵犯と同様、民主党政権による日本の威信の低下である。日本が中国やロシアに対して、自国領土を侵せば痛い目に遭いますよというシグナルを出しつつ、反面ではにこやかに友好な外交を展開しているなら、その笑顔に泥を塗るわけにもいかないという判断にもなる。しかし、9月10日メドベージェフ大統領は訪露した鳩山由紀夫前首相と北方領土問題について会談した際、豆鉄砲を食い続けたようなこの顔なら泥を塗っても大丈夫だろうと判断した。その点では日本国民としても納得せざるをえない部分がある。
 二番目の理由も中国と同様、ロシアのご事情がある。外部から見える範囲で言うなら、経済運営に失敗したロシア政府は、国粋主義的な強攻策に頼らざるを得ない。加えて、2012年に大統領選挙が予定されているために、現大統領としてはマッチョなシグナルを国内向けに演出する必要がある。
 ここが面白いのだが、大統領選で現メドベージェフ大統領が敵対する相手はプーチン首相(前大統領)になりかねない(参照)。ロシア政局の難しいところでもある。単純なストーリーとしては、メドベージェフ氏とプーチン氏が対立しているというものだが、私はこれはプーチン氏がハッパをかけているくらいものではないかと見ている。
 もう一段深い読みをしてみよう。
 今回の国後島訪問だが、実際には二島返還に向けてのシグナルではないかと私は思う。そう見るなら、おそらく内心では祖父をついで二島返還論であろう鳩山元首相との会談で、微妙か珍妙か判断しがたいが、なんらかの合意のようなものがあったかもしれない。しかし、あの会談はさほど重要ではないだろう。メドベージェフ大統領としては以前からこの考えを持っていたからだ。
 2009年2月18日、メドベージェフ大統領は麻生元首相との会談したがそのおり、「新たな独創的で型にはまらないアプローチ」を提案している。これに対して麻生元首相は会談後、「向こうは2島(返還)、こっちが4島では進展しない。これまでの宣言や条約などを踏まえ、政治家が決断する以外、方法はない」と語った。麻生氏も内心では二島返還論または三島返還論に加味した打開策が想定されていた。
 外交手順的にも、1956年の日ソ共同宣言で、当時はソ連ではあったが、平和条約締結後に歯舞島と色丹島の二島を返還することになっている。これはロシア外交も継承しているので、ここまではロシア政権的にも合意が取りやすい。実際のところ今回の国後島訪問でもメドベージェフ大統領は余談レベル以上には日本について言及しておらず、領土問題としての訪島ではないという体裁は繕っている。
 現実論としても、さらに国後島と択捉島を日本に返還するとして、すでに半世紀にわたり居住している人びとは保護せざるをえないので(当然警察力はロシアとなるだろう)、軍事的な意味合いを除けば、日本にとって二島返還と四島返還には実質的な差はつけづらい。海洋域については二島返還でもそれなりに日本側に復帰される。
 現状の困窮したロシア経済を考えれば、サハリン州の日ロ共同開発液化天然ガス工場も順当に稼働させたいし、対中国・対米の関係上、ロシア側としては極東域で日本との関係を友好にしておきたい。おそらくメドベージェフ大統領の脳裏にあるのは、二島返還に加え、「もっとカネを出せ」ということであり、その際、カネにつられて残りの二島民が友好とはいえ日本化するの阻止したいということだろう。
 以上は私の推測でしかないが、そのシグナルの可能性が読み取れないほどの民主党政権かどうかということと、すぐに出てくる四島一括返還論でなければダメだ論の2点が日本側に問われる。
 自民党時代ならこうした難問にまだ展望が開けるのだが、民主党の頭の悪さは底なしの様相を示しているので、複雑な外交の機微が読み取れるのかまったく不明である。また、たかがブロガーの稚拙な意見ですら四島返還論の障害とみなされるようでは、この問題は今後もただ硬直するだけだろう。
 なにより誤解していただきたくないのだが、私は別段二島返還論を支持するものではないということだ。四島返還論でもよいと思う。ただ、それならそれできちんと国家戦略が日本国民にもまたロシアにも伝わるようにしてほしい。だが、それはこの政権では絶望的なのではないか。

追記
 1956年の日ソ共同宣言で平和条約締結後日本に返還される歯舞群島・色丹島についても訪問の予定があるとの報道があった。2日23時付け読売新聞「露外相「大統領は歯舞、色丹訪問を計画」(参照)より。


【モスクワ=山口香子】タス通信によると、ロシアのラブロフ外相は2日、訪問先のオスロで記者会見し、「メドベージェフ大統領は、国後島訪問に満足感を表明しており、他の小クリル諸島の島への訪問を計画していると語った」と述べた。
 小クリル諸島はロシアでは通常、歯舞群島と色丹島の2島を指す。ラブロフ外相の発言は、大統領が国後島以外の北方領土を訪問する可能性を示唆したものだ。同外相は2日朝、大統領と北方領土訪問について話したという。

 歯舞群島・色丹島が明記されたわけではないが、これらの島への訪問が実施されれば、二島返還論プラスアルファによる領土問題の落としどころはかなり難しくなる。それを見越してのブラフをかけている状態ともいえるかもしれないが、日本側から実質的な対応のない現状(駐ロシア大使は報告のためで報復ではない)、事態の推移を見守りたい。

追記
 ロシア側からもこのエントリ筋の読みが出てきた。「露外相、日本との協力「拡大したい」」(参照)より。


 露有力紙コメルサント(3日付)は、日露の経済界で動揺が広がっていると報じ、「日本と深刻に争えば(露政府が力を入れる)極東開発への投資は中国ばかりという結果になる」との露外務省筋の懸念を伝えた。同筋は、ロシアの方針に変わりはなく、平和条約締結後、歯舞と色丹の2島を引き渡す問題について検討する用意がある、と述べている。

追記
 1日付けフィナンシャルタイムズ「Medvedev trip puts focus on islands dispute By Charles Clover in Moscow and Mure Dickie in Tokyo」(参照)で次のように指摘されていた。


Russia is understood to have informally mooted a compromise, such as splitting the four islands, which Japan has refused.

ロシアは非公式に妥協点を模索してきたことを理解している。妥協点には日本が拒否している四島返還の分割が含まれる。


 実質上の二島返還論がロシア側にあるというのは国際的にも理解されていると言ってよい。

追記
 中長期の展望で見ればメドベージェフ大統領の北方領土再訪がないとは言えないが、短期的にはなさそうだ。そしてそうであればこの間、国内で報道された歯舞・色丹訪問という話の偏向がよくわかる事例ともなった。
 10日付け共同「ロ大統領、北方領土再訪問なしか 極東サハリンの当局者」(参照)より。


 【ウラジオストク共同】北方領土を事実上管轄するロシア極東サハリン州の複数の当局者は10日、共同通信に対し「近い将来、メドベージェフ大統領を受け入れる予定はなく、準備もしていない」と述べ、北方領土や同州では今のところ、大統領訪問の兆候がないことを明らかにした。
 大統領は同日、ソウルに到着し、韓国、日本への歴訪を開始。14日午後に日本を出発する予定だが、日本訪問後の北方領土再訪問の可能性は低いとみられる。
 メドベージェフ大統領は10~12日は韓国の李明博大統領との会談や20カ国・地域(G20)首脳会合出席のためソウルに滞在。その後、13~14日に横浜で行われるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のため12日夜に日本に到着する予定。
 北方領土の択捉、国後、色丹各島の当局者によると、10日現在、大統領の受け入れ準備は行われていない。


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