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2010.10.28

「大きな社会」に向けた緒戦にキャメロン英首相は勝った

 英国は日本型停滞に陥るだろうとする米国経済学者クルーグマンの予言を昨日のエントリで扱った。彼の予想は経済学的に間違っているものではないが、米国民主党的な「大きな政府」を望むリベラルの政治色も濃いものだった。しかし現在世界において問われているは経済というより政治であり、特に「大きな社会」構築の可能性である。あるいは手垢のついた「保守」をより民主主義の正統に位置づける新しい試みであるとも言える。その世界史的な緒戦に英国キャメロン首相は立った。緒戦の結果はどうだったか。微妙に勝った。
 英政府統計局(ONS)が26日に発表した7-9月期(第3四半期)の季節調整済み速報値は前期比0.8%増だった。これはブルームバーグがまとめたエコノミスト35人による予想中央値0.4%の二倍であった(参照)。過去半年で見ても、この10年で最高の成長率を示し、市場の予想も超えるものだった。おかげで円売り・ポンド買いが進み円は81円台に落ちた(参照)。ありがとうキャメロン、ときっと「仙谷首相」も思っているだろう。
 翌日のブルームバーグ記事「僥幸に恵まれる英首相の賭け、景気好調で「運使い果たす」との懸念も」(参照)も皮肉なタイトルながらキャメロン首相の善戦を伝えている。


 10月27日(ブルームバーグ):キャメロン英首相の予算をめぐる一世一代の賭けが差し当たっては吉と出ている。英国の7-9月(第3四半期)の国内総生産(GDP)が予想外に大幅な拡大を示し、景気の二番底リスクをめぐる投資家の不安が和らいでいる。

 緒戦は勝った。ご祝儀は米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が英国の格付け見通しを「ネガティブ(negative)」から「安定的(stable )」に引き上げたことだ。英国は格下げの危険を脱した。
 キャメロン首相の歳出削減策が英国の最高格付け維持の防衛を果たしたとまでS&Pは指摘している。この判定は速報値発表2時間という短時間でなされたものなので、S&Pとしてもよくやったという思いがあっただろう。うがった見方をすれば、英国風緊縮財政を世界的にも是としたいという思惑があるのだろう。
 苦々しいのは英国のリベラル派である。絵に描いたようにガーディアンから腐しが入る。27日付け「The economy: Peering into a wasted decade」(参照)より。

Well, not so fast. Because while it is daft for any pundit or politician to forecast with pinpoint precision and granite certainty what GDP growth rates will look like in the coming year (and putting aside the question of what definition of double dip is being used), there are plenty of reasons to believe that the economy is now heading downhill – a journey that will go further and faster after last week's spending review. What the UK faces is arguably worse than another technical recession; it may be entering a wasted decade of sluggish growth and stubbornly high unemployment.

まあ、そうすぐにということでもない。賢者でも政治家でも来年のGDPがどうなるか(また二番底とはなにか)について精密に堅牢に言い当てるというのは愚かしいものだが、英国経済が下降線を辿っていることの理由は山ほどある。先週の歳出報告以降の過程は長く急速になる。現下英国が直面しているのは恐らく自律的景気後退局面より悪いものだ。それは低成長と根深い高失業率が続く失われた10年への入り口である。


 クルーグマンみたいなことを言っている。いわゆるリベラルという思想の類型が形式化し単調になってきている兆候でもある。余談だが、失われた10年は英国的には"a wasted decade"と表現されている。
 かくしてガーディアンは後続して延々と地獄案内を描くのだが、それは今回の速報発表前から言われていたことの焼き直しでしかない。もちろん、クルーグマンの予言同様それはそれなりに経済学的な基盤を持つものであって、ただのイデオロギー的なでっち上げではないが。
 それでもリベラル派が描いた黙示録は想定通りには進んでいない。二番底の懸念も遠くなった。保守派のテレグラフは26日付け社説「A ray of hope to make us open our wallets again」(参照)で政治的な文脈を指摘している。

More generally, the growth figures undermine the doomsayers on the Left who are depicting the retrenchment in the most luridly apocalyptic terms.

より広範囲に言えば、今回の成長率の数値は、世界最後の日を語る左派を弱体化させている。彼らは、財政削減をおどろおどろしさ極まる黙示録の言葉で語っているのだ。


 テレグラフとしてもキャメロン首相の戦いを楽観視しているわけではない。各種の経済指標は依然懸念されるものである。ガーディアンの指摘やクルーグマンの予言が間違っているわけではない。
 英国ということでフィナンシャルタイムズはどうか。経済紙でもありバランスのよい見解を示している。26日付け「Sun breaks through the clouds」(参照)より。

Fortune smiles on George Osborne: third-quarter growth well above expectations and the removal of a rating agency’s scarlet letter make the UK chancellor’s gamble that he can slash public spending without killing the economy look a whole lot smarter than just a week ago.

幸運の女神はオズボーン英財務相にほほえみかけている。第3四半期の成長率が予想を上回り、格付け会社が緋文字を除去したことで、経済成長を犠牲せず公的支出を削減するという英国蔵相の賭は、一週間前に比べ全体的に賢明になものに思えるようになった。


 緋文字(scarlet letter)については知らない人がいたら調べておくように。
 フィナンシャルタイムズとしては気取ったユーモアのなかに中立的なトーンがある。今後を見るか。

This looks remarkably like a normal cyclical rebound and lays to rest worries that the coalition was talking the economy into a funk with its rhetoric of cuts. But no rebound can buoy up the economy alone as austerity moves from talk to action.

好調は目立って通常の景気循環にも見えるし、また連立政権が削減の名目で経済をダメにするのではないかという懸念も落ち着かせる。しかし、緊縮財政を宣言から実現に移すとなれば、反転だけでは経済を支えることはできない。

For that, private demand must expand faster than public demand shrinks. Pay squeezes and job cuts in the public sector, as well as a wobbly housing market, make it unlikely that consumers will lead the charge. The onus is on business investment and customers for British exports.

というのも、民間需要の拡大は公的需要の縮減より急がなくてはならないからだ。公的部門における賃金低下と人員削減は、住宅市場の不安定性同様、消費活動の牽引力を不確かにする。その任に当たるのは、設備投資と外需である。


 ケインズ経済学とは逆の動きになる。公的部門の縮退は経済全体の足を引っ張る。消費者の需要は当然喚起されない。牽引するのは設備投資と外需の二つということだが、外需というのは世界貿易のなかでは通貨戦争に勝ち抜くことになるだろうし、外的な要因は大きい。設備投資が問われる。
 そこそこの経済成長の維持が望まれる。従来の考えからすれば成長戦略が必要になるというところだ。だが、おそらく英国で現在問われてくるのは、「大きな社会」への投資であり、信頼だろう。
 9月19日付けニューズウィーク「Toil and Tears」(参照)がキャメロン首相のビジョンをこう見ているのが参考になる。

As he sees it, the dominance of the state has sapped Britain’s sense of personal responsibility, and he wants individuals and neighborhoods to take back control of their own lives. “We believe that when people are given the freedom to take responsibility, they start achieving things on their own and they’re possessed with a new dynamism,” he says.

キャメロン首相が考えるように、国家の優位は英国的な個人責務の感性をむしばんできたし、個々人は隣人とともに人生の手綱を自分たちの手に取り戻すべきなのだ。「人びとに責務を取る自由を与えれば、人びとは自ら活動を始め、新たな活力に満ちてくる」とキャメロンは言う。


 これはナンセンスな「新自由主義」とやらでもなければ、古くさいサッチャー主義の再来でもない。人びとが隣人とともに人生をどう切り開くか、そこに国家ではなく自らの力を投入できるようにしようということだ。これが「大きな社会(Big Society)」なのである。

Cameron wants to do more than pinch pennies: he wants to reform the very relationship between Britons and their government.

キャメロン首相がしていることはしみったれた倹約ではない。彼は英国民と英国政府の関係を改革したいと願っているのだ。



It always comes back to money, and the calculation is a simple one: any meaningful cuts are sure to bring unpopularity—so why not go for the ones that can yield lasting change?

何かとカネの問題になるしそう見るなら単純だ。有益な削減であっても大衆の賛同は得にくい。継続的な変革が可能かやってみたらどうか。

The sooner the most painful parts are done, the more time there is for the public to forget its suffering before the next election. By then the foundations will have been laid for the Big Society.

痛みを伴う部分に素早く対処すれば、次回選挙までに選挙民は痛みを忘れてくれる。それまでには、「大きな社会」の礎石が敷かれているだろう。


 英国キャメロン首相の「大きな社会」への挑戦が成功するか失敗するか、わからない。経済学的に冷静に見れば、失敗する可能性も高いだろう。しかし、問題はその失敗に見える時代に人びとが本当に「大きな社会」を志向するようになれば、それはそれで成功でもある。その方向性が見える日はそう遠いことでもない。


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コメント

ますます、英国は、self-helpの精神を失っているわけですか。

かつて、英国は、それで世界の模範になったのだけれど。

現代アメリカのself-helpは、いかがわしいニューソートの自己啓発なので論外ですが。

投稿: enneagram | 2010.10.29 09:27

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