来年は證厳法師にノーベル平和賞を
今年のノーベル平和賞は劉暁波氏に決まった。違和感はなかった。グーグルで「劉暁波」をキーワードで検索すると、昨年劉暁波氏について私が書いたエントリー「「〇八憲章」主要起草者、劉暁波氏の初公判の文脈」(参照)が上位に来るので、多くのかたがこの機にあのエントリー読まれるだろうか。併せて「「グリーンダム」搭載義務延期を巡って」(参照)も読まれれば、国内報道が伝える以上の経緯も理解されるのではないかとも思った。だから加えて劉暁波氏について新しいエントリーを起こす必要もないだろうとも思った。
関連する報道やツイッターを漫然と見ていると、民主化を促す劉暁波氏の受賞は中国に大きな変化をもたらすだろうという意見もあった。どうだろうか。私はむしろ、證厳法師にノーベル平和賞を与えたほうが、中国社会を根底から変える大きなインパクトを与えることになると夢想した。
證厳法師あるいは釈證厳、英語ではCheng Yen氏は、台湾の尼僧である。日本統治下の1937年、台中県清水鎮に生まれた。名前は王錦雲。幼少時に、映画館を営む、子供の無かった叔父夫婦の養女となり豊原鎮で育った。観音信仰の盛んな土地であった。彼女も15歳のとき養母の病気平癒を観音菩薩に祈り霊験を得ている。この時、夢にある寺を見たとも語っていた。
23歳のとき、51歳の養父が脳卒中で急死した。養父母の愛情を受けて育った彼女には大きな悲しみでもあり衝撃でもあった。これが仏教に傾倒するきっかけともなり、出家の願望を持つようになった。しかし出家を試み家出をしたが、反対する養母の願いもあって一度は挫折した。
二度目の決意で彼女は出奔した。1960年の秋の日、台中駅から列車に飛び乗り、高雄から台東に向い、さらに鹿野村にある、日本人の残した寺に身を寄せた。しかし、世俗を捨てる固い決心のわりに仏教への確信は定まらず、正式な手順を要する出家には至らなかった。
さらに各地を転々とし花蓮県秀林郷の普明寺に至ったとき、そこが15歳のとき夢に見た寺であると知り、その地に落ち着くこうとした。当地で著名な僧侶、許聰敏居士を師として「修安」の法名をもらい、剃髪し尼僧の姿とはなったが受戒はまだだった。
修安となった彼女は1963年普明寺の裏に庵を建てた。望みは受戒である。台北に足を伸ばした。慧日講堂を拠点に台湾仏教界を率い、仏教興隆の活動をしていた印順長老に熱心に頼み込み、異例の弟子としてもらい、ようやく具足戒を受けた。出家が成った。法名「證厳」を授かった。25歳のことだった。
尼僧となり自給自足の普明寺の暮らしを望んだが長くは続かなかった。土地の人の理解もあるが反感もあり、1964年、花蓮の慈善寺に移り、新しい庵を建てた。4名の弟子もできた。日本から得た仏典からも学んだ。
證厳法師の現在に至る大きな転機が1966年に続いた。信徒を見舞いに地元の市立病院を訪問した際、床に大きな血溜まりを見た。誰が流した血なのか。話を聞くと流産で運び込まれた女性のものだという。だがお金がなく治療を受けることができずに引き返したとのことだ。證厳法師の心に悲しみが宿った。
そのころ庵にカトリックの修道女からの訪問を受けた。修道女にしてみれば、貧しい證厳法師らは救済の対象でもあった。話し合えば誤解は解けたが、修道女は證厳法師向かって、仏教は社会救済の活動しないではないかと問いかけた。それも彼女の心に残った。
最後の転機は師匠である印順長老が嘉義の妙雲蘭若道場に来いと要請したことだったが、彼女の心を動かしたのは、その要請を受けて證厳法師がこの地を去らぬように願う現地の人びとの信仰の篤さだった。
その信仰を束ねれば窮民救済活動ができるのではないか、證厳法師は構想した。貧しい庶民が少しずつでも募金を竹筒に貯め、それが大きな広がりとなれば可能ではないか。これが「慈濟功徳会」となった。始まりは30人の主婦だった。
證厳法師は彼女に帰依したいと願う人に、まず慈善団体である慈濟功徳会会員となることと、その社会奉仕に携わることの二点を条件として課した。最初は小さな活動だったが、次第に主婦層を中心に大きな活動となっていった。
1969年、会員も増えたことから、かつては出家に反対した養母から多くの基金も出してもい、花蓮に新しく「静思精舎」を建立した。
八面六臂で活動する證厳法師も1978年、心筋炎で倒れた。昏睡状態にすら陥ったこともあった。自らの病のなかで、彼女は病院設立を決意した。資金はなかったが、印順長老は賛同した。新しい運動が展開された。
だがやっかいな用地問題も起きた。熱意が、1980年、蒋経国を動かした。新たに「慈濟基金会」を立て、花蓮に9ヘクタールの土地を購入した。1984年の鍬入れ式は主席となった李登輝が行った。キリスト教信者の彼は「私も今日から功徳会の会員である」と宣言した。「慈濟基金会」は宗教を問わない。仏教から発した活動ではあるが、仏教という宗教の活動ではない。用地問題で国家からの支援を受けたこともあるが、政治色はないと言ってよい。
思いがけぬ困難もあったが、慈濟病院は1986年に完成した。日本の篤志家も2億ドルの寄付をした。花蓮の慈濟病院を新しい基点として、證厳法師の救済活動はさらなる広がりを見せた。看護学校の設立から多方面の教育にも着手した。慈済基金会の支援者の数は500万人を超えた。慈善の活動は台湾を超え、世界45か国にも広がっていった。

證厳法師
アルベルト・シュバイツァーがノーベル平和賞を受賞したのは1952年。マザー・テレサは1979年であった。1990年代に入り、證厳法師の慈善活動が彼らに劣らないことは台湾の人びとがよく知っていた。キリスト教によらず、仏教の精神を基点としつつも仏教を超えた慈善の精神になぜ世界の人が注目しないのか。
民主的選挙で選出された李登輝総統は1992年、證厳法師をノーベル平和賞に推したいと思った。内政部長呉伯雄にノルウェーのノーベル平和賞委員会充ての推薦書を書かせ、米国オハイオ州立大学の李華偉に取り次がせた。だが證厳法師自身は推薦を望んでいなかったため、内密に作業を進めた。甲斐あって、1993年、證厳法師がノーベル平和賞候補に挙がった。
残念ながら1993年のノーベル平和賞は南アフリカのネルソン・マンデラとフレデリック・デクラークに与えられた。翌年は、イスラエルのイツハク・ラビンとシモン・ペレスまたパレスチナ代表のヤセル・アラファトに与えられた。ノーベル平和賞が政治的な意味合いを濃くし、民衆が慈善と平和を作り出す力への注目は忘れていくかに見えた。
その後も證厳法師をノーベル平和賞候補に推す声は絶えない。昨年もその声はあった。英字紙チャイナポストは2009年12月4日の社説「Nobel Peace Prize for Master Cheng Yen(ノーベル平和賞を證厳に)」(参照)を掲げた。
This year's Nobel Peace Prize was awarded to President Barack Obama of the United States, albeit he doesn't seem to have done anything to contribute to world peace. Well, that may be the reason why a German Nobel laureate on a brief visit to Taipei is planning to nominate Venerable Dharma Master Cheng Yen for that prize next year.今年のノーベル平和賞は米国オバマ大統領に与えられたが、彼は世界平和になんら貢献してきたようには見受けられない。だからノーベル賞受賞者のドイツ人が台北を訪問した。彼は證厳法師を来年のノーベル平和賞に推薦しようとしている。
Dr. Harald zur Hausen, director of the German Cancer Research Center at Heidelberg and winner of last year's Nobel Prize for Medicine, wants to recommend Master Cheng Yen for the peace prize for her compassionate work around the world. She is Taiwan's equivalent to Mother Teresa of Calcutta, who started her Missionaries of Charity that extends love to and takes care of those persons nobody is prepared to look after. She won the 1979 Nobel Peace Prize.
ドイツ・ハイデルベルグ癌研究所長でもあり、昨年ノーベル医学賞を受賞したハラルド・ツア・ハウゼン氏は、證厳法師が世界中で熱心に展開する事業についてノーベル平和賞の推薦を望んでいる。證厳法師は台湾のマザー・テレサと言える。マザーは愛の手を伸ばし、誰も看取ることがない人びとに援助するために慈善宣教を始めた人だった。彼女のほうは1979年にノーベル平和賞を受賞している。
残念ながら證厳法師は今年もノーベル平和賞は受賞しなかった。彼女もそれを望んでいるわけでもないだろうし、ノーベル平和賞自体、シュバイツァーやマザー・テレサを忘れてしまった時代となったのかもしれない。
それでも私も、来年は證厳法師にノーベル平和賞をと望む。
劉暁波氏が求める民主化は、その原点の天安門事件を見てもわかるが、基本的には知識人層からの変革である。それが中国の民衆を変えるにはまだ長い時間を待つことになるだろう。だが、證厳法師の活動は30人の主婦から始まった。民衆が民衆同士を直接援助しあう運動だった。すでに中国大陸での活動は開始されているが、これにさらにノーベル平和賞の栄誉が与えられればより大きな励みとなり、中国大陸の人びとの生活を変えていくだろう。それがむしろ、結果的に、本当の意味での民主化と平和をもたらす。
参考:「台湾に三巨人あり(趙賢明)」(参照)
| 固定リンク
「歴史」カテゴリの記事
- 荒地派のスペクトラム(2016.02.15)
- 新暦七夕のこと(2004.07.08)
- 一番大切なものが欠落していた戦後70年談話(2015.08.15)
- 日本国憲法の八月革命説について(2015.08.11)
- 日本国憲法の矛盾を考える上での参考書……(2015.08.02)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
證厳法師のことをこのブログで初めて知りました。なるほどノーベル平和賞に相応しい方ですね。
日本にも同賞に値する世界的に高名な方がいますが、国内ではそれほど知られていません。数年後には受賞がありうるかもしれません。
投稿: 笛吹働爺 | 2010.10.09 22:50
ほんとにそのとうり。
宗教を超える価値観こそ、平和賞にふさわしいですね。
投稿: hto | 2010.10.10 02:47
とても興味深い記事をありがとうございました。
しかし、蒋経国を「荘経国」と誤記されているようです。台湾事情に詳しくない読者は彼のことを知らないでしょうが、「蒋」の字で蒋介石とのつながりを感じるかもしれません。お節介ではありますが、一言失礼しました。
投稿: | 2010.10.10 07:18
誤字、ご指摘ありがとうございます。訂正しました。
投稿: finalvent | 2010.10.10 07:46
気楽そうな言い方をして申し訳ありませんが、グラミン銀行の台湾版みたいなものですね。グラミン銀行も平和賞だけでなく、経済学賞も受賞できる業績だと思っていますが。
投稿: enneagram | 2010.10.10 08:39
證厳法師のこと、存じ上げませんでした。ブログでご紹介頂いてありがとうございます。
※文中の和訳文のなかにある「合いの手」は「愛の手」の誤記かと思われます。
投稿: K | 2010.11.05 11:27
Kさん、ご指摘ありがとうございます。訂正しました。
投稿: finalvent | 2010.11.06 09:20
これほど純粋までに世界平和と天下無災害を大愛無私に祈りを奉げ、行動に示し、更に世界各国に弟子を持つ現代に生きる世界平和主導するリーダーは他にはいるのでしょうか。もしノーベル平和賞をきっかけに、世界の各階層各領域へ證厳法師が命をかけ働きかけている地球保護の重点が響き渡れば、それなら価値ある賞だと言えると思います。
投稿: | 2011.01.24 01:33
これほど純粋までに世界平和と天下無災害を大愛無私に祈りを奉げ、行動に示し、更に世界各国に弟子を持つ現代に生きる世界平和主導するリーダーは他にはいるのでしょうか。もしノーベル平和賞をきっかけに、世界の各階層各領域へ證厳法師が命をかけ働きかけている地球保護の重点が響き渡れば、それなら価値ある賞だと言えると思います。
投稿: | 2011.01.24 01:35
剃髪尼僧は、頭おかしいんか?
剃髪尼僧は、仏門の不祥事な行為である
投稿: 政治結社桜会青年将校 | 2012.05.13 15:23