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2010.10.31

朝日新聞「臨床試験中のがん治療ワクチン」報道の捏造疑惑

 東大医科学研究所付属病院で2008年、同研究所が開発したペプチドワクチンの臨床試験で消化管出血の事例があり、この件について報道した10月15日の朝日新聞記事およびその翌日の関連社説が医療関係者から批判の声が上がっていた。専門的な問題でもあり、一般人には評価が難しいところもあると思いつつ注視してきたが、ここに来て、報道自体に捏造の疑惑が起きてきた。もしそうであるなら、ジャーナリズムにとって重大な問題になる。
 該当の朝日新聞報道だが15日付朝刊1面と39面に掲載された。ネットでは一部「東大医科研でワクチン被験者出血、他の試験病院に伝えず」(参照)で読むことができる。


2010年10月15日3時1分
 東京大学医科学研究所(東京都港区)が開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐり、医科研付属病院で2008年、被験者に起きた消化管出血が「重篤な有害事象」と院内で報告されたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかったことがわかった。医科研病院は消化管出血の恐れのある患者を被験者から外したが、他施設の被験者は知らされていなかった。
 このペプチドは医薬品としては未承認で、医科研病院での臨床試験は主に安全性を確かめるためのものだった。こうした臨床試験では、被験者の安全や人権保護のため、予想されるリスクの十分な説明が必要だ。他施設の研究者は「患者に知らせるべき情報だ」と指摘している。

 朝日新聞報道の枠組みとしては、重篤な副作用のある未承認薬を使いながら、その情報を臨床試験の患者に隠蔽したというものだ。
 人権の蹂躙ではないかということで、その主張は翌日の社説「東大医科研―研究者の良心が問われる」に明示されている。

 新しい薬や治療法が効くのかどうか。その有効性や安全性について人の体を使って確かめるのが臨床試験だ。
 研究者は試験に参加する被験者に対し、予想されるリスクを十分に説明しなければいけない。被験者が自らの判断で研究や実験的な治療に参加、不参加を決められるようにするためだ。
 それが医学研究の大前提であることは、世界医師会の倫理規範「ヘルシンキ宣言」でもうたわれている。ナチス・ドイツによる人体実験の反省からまとめられたものだ。
 東京大学医科学研究所が開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐり、そうした被験者の安全や人権を脅かしかねない問題が明らかになった。
 医科研付属病院で被験者に起きた消化管出血が「重篤な有害事象」と院内で報告されたのに、医科研は同種のペプチドを提供している他の大学病院には知らせていなかったのだ。

 修辞がおどろおどろしく、あたかも「ナチス・ドイツによる人体実験の反省」がなされていないといった印象を与える。
 批判を受けた東京大学医科学研究所は報道のあった15日に記者会見を開催し、報道の問題点を指摘した(参照)。文書としては20日付けになるが、「朝日新聞「臨床試験中のがん治療ワクチン」記事について」(参照)で論点を読むことができる。

 しかしながら、この記事には、多数の誤りが見られる。まず、この消化管出血は、すい臓がんの進行によるものと判断されており、適切な治療を受けて消化管出血は治癒している。また、附属病院で実施された臨床試験は、単施設で実施したものであり、他の大学病院等の臨床研究とは、ワクチンの種類、投与回数が異なっている。さらに、最も基本的な、ワクチン開発者の名称が異なっている。より詳しくは、『臨床試験中のがん治療ワクチン」に関する記事について(患者様へのご説明)』をご覧いただきたい。

 詳細は『臨床試験中のがん治療ワクチン」に関する記事について(患者様へのご説明)』(参照PDF)で読むことができる。東京大学医科学研究所の説明は妥当であるように思われる。
 医療ガバナンス学会「 327 朝日新聞「臨床試験中のがん治療ワクチン」記事(2010年10月15日)に見られる事実の歪曲について」(参照)では朝日新聞に即して論点がまとめられていてわかりやすい。
 私の理解では、今回の出血は末期のすい臓がんの場合には自然に起こりうることと、また情報の開示については前提となる「通常ではありえない重大な副作用があった」の認識が異なることがある。
 朝日新聞報道ではさらに医科研ヒトゲノム解析センター長の中村祐輔教授への名誉を傷つける内容も含まれているが、その件ついては、内憂外患「朝日新聞 東大医科研がんワクチン事件報道を考える」(参照)が詳しいので参照していただきたい。
 私が当初この記事と社説を見たおりは、医療を知らない妙に素人臭い話だという印象をもち詳細がわかならいので困惑した。関連情報がネットにあがるので追いかけてみると、これはとんだ朝日新聞の勇み足ではないかとも思えた。そこで、朝日新聞に誤解や名誉を傷つけることがあれば、それを了解した時点で明記すればよいだろうと思っていた。
 だがここに来て、当の朝日新聞報道そのものが捏造ではないかという疑念が起きてきた。情報は、「医療報道を考える臨床医の会のホームページ」(参照)に依存するので、この会の信頼性についても問われなければならないが、とりあえず公開された内容を読むと、朝日新聞に捏造の疑念が浮かぶ。
 重要なのは、Captivation Network 臨床共同研究施設者連名による「抗議文」(参照PDF)である。連名者の名前からカタリではないだろうと信憑性を覚えるのだが、ネットの公開はここだけのようなので疑念は残る。

(捏造と考えられる重大な事実について)
 記事には、『記者が今年7月、複数のがんを対象にペプチドの臨床試験を行っているある大学病院の関係者に、有害事象の情報が詳細に記された医科研病院の計画書を示した。さらに医科研病院でも消化管出血があったことを伝えると、医科研側に情報提供を求めたこともあっただけに、この関係者は戸惑いを隠せなかった。「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らされるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか。」』とあります。
 我々は東大医科学研究所ヒトゲノム解析センターとの共同研究として臨床研究を実施している研究者、関係者であり、我々の中にしかこの「関係者」は存在し得ないはずです。しかし、我々の中で認知しうるかぎりの範囲の施設内関係者に調査した結果、我々の施設の中には、直接取材は受けたが、朝日新聞記事内容に該当するような応答をした「関係者」は存在しませんでした。
 我々の臨床研究ネットワーク施設の中で、出河編集委員、野呂論説委員から直接の対面取材に唯一、応じた施設は7月9日に取材を受けた大阪大学のみでした。しかし、この大阪大学の関係者と、出河編集委員、野呂論説委員との取材の中では、記事に書かれている発言が全く述べられていないことを確認いたしました。したがって、われわれの中に、「関係者」とされる人物は存在しえず、我々の調査からは、10 月15 日朝刊社会面記事は極めて「捏造」の可能性が高いと判断せざるを得ません。朝日新聞の取材過程の適切性についての検証と、記事の根拠となった事実関係の真相究明を求めると同時に、記事となった「関係者」が本当に存在するのか、我々は大いに疑問を持っており、その根拠の提示を求めるものであります。

 これが真実であれば、朝日新聞の報道は捏造ということになる。朝日新聞珊瑚記事捏造事件(参照)もひどい話ではあったが、今回は医療の、しかも人命が関わる問題であり、捏造であればあまりに重大な事態になる。
 私の率直な印象だが、そんなことがあるのだろうかという疑念のほうが強く、「医療報道を考える臨床医の会」とやらに私がだまされているのではないかという思いすらある。もしそうであれば、後にそのことを追記して明記したい。
 そうした疑念はあるにせよ、もしそれが真実であれば日本のジャーナリズム史上に残る大問題となりうるので、看過しがたく思った。

Captivation Network 臨床共同研究施設者連名による「抗議文」の入手経路について
 Captivation Network 臨床共同研究施設者連名による「抗議文」の入手経路について、医療報道を考える臨床医の会から回答を得(参照)、同サイトの会見動画で同「抗議文」が朗読を確認しました。「抗議文」が偽作ではないと判断します。同時に、この「抗議文」に対する朝日新聞社の応答を強く期待したいところです。

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2010.10.30

生物多様性条約第10回会議が成功裏に終了、それとフーディアはどうなったか

 国連の生物多様性条約・第10回会議(COP10)が終わった。最終の追い上げ報道からすると案外いけるかもしれないとも思ったが、実際にABS(Access and Benefit Sharing:遺伝子資源へのアクセスと利益配分)議定書ができたらしいと知ると、それはそれで驚きの感もある。どういう交渉があったか知らないが、たいしたものだ。議定書はこれからはNAGOYAと呼ばれることになり、KYOTOに並ぶだろう。
 生態系保全目標の通称「愛知ターゲット」の採択については実効性についてはどうかと疑問に思うが、どちらかというときれい事でまとまりやすい。これに対してABSのは実利が関わってくるだけに厳しいものがあるだろうと見ていた。もっとも南米などの参加国ではすでに国内法でABSを整備しているので、それらを空言としないためになんらかの国際的な基盤は必要になる。それなりのご事情もあっただろう。
 実際にどのようにまとまったかだが、今日付けの毎日新聞「COP10:国内法整備着手へ 環境相、議定書早期批准で」(参照)ではこう伝えていた。


 議定書は、遺伝資源を利用する企業は提供国から事前の同意を得て、医薬品開発などで得られた利益をバランスよく配分すると規定。利用国に対し、遺伝資源を不正に入手していないか監視機関を設けてチェックするよう求めた。その際、提供国政府が発行する証明書を確認する。どういった体制で監視するかは利用国に判断をゆだねているが、監視機関を1カ所以上設ける。さらに、各国が情報を共有できるよう、条約事務局に情報とりまとめ機関(クリアリングハウス)が設置される。
 議定書は50カ国が批准して90日後に発効する。松本環境相は「さまざまな問題を整理し、すみやかに対応しなければならない」と述べ、議定書の早期批准と国内法の制定を急ぐ考えを示した。

 記事はわかりやすくまとめている。「バイオパイラシー」といった言い回しはないが規制のイメージも浮かびやすい。しかし私はこの問題の難所は、記事には言及がないが、特許にあるのではないかと思っていた。そのあたりはどうなのか。調べてみると3月の時点で経団連から「生物多様性条約における「遺伝資源へのアクセスと利益配分」に対する基本的な考え方」(参照)という文書があり、面白かった。「合意すべきでない事項」で特許の問題が列記されている。内情には複雑なものもありそうだが、基本的には「特許出願明細書への遺伝資源の出所開示」への脅威があるのだろう。
 現在日本ではレアアースが中国の文脈でいかにも寝耳に水といった風情で話題になっているが、今回のCOP10のABS規制も類似の形態で今後中国が関わってくる。漢方薬の原料など想起すれば日本人なら誰もそうだろうなと思い当たるだろうが、日本の遺伝子資源利用のかなりが中国によっているからだ。しかも日本の特許に相当する中国の専利法は昨年10月から第三次改定され、これに遺伝資源の出所開示が含まれている。問題はそれが実際上どの程度のものなのかということだが、中国としては自国の利益に使えるものならなんでも使う主義なので今回のCOP10のABSはその水準を暗黙に示すのではないか。
 別の言い方をすればそのあたりの度合いナゴヤにおいてどのくらい玉虫色になっているのかというのが知りたいところだがマスコミ報道などからはわからない。いずれ識者の論説を待つしかないだろう。
 ということでぼんやりしていると、そういえばフーディアはどうなったかと思い出した。もう何年も前になるが問われて調べたことがあった。
 フーディア(Hoodia)は一見するとサボテンに見える。が、サボテンではないらしい。いくつか種類がある。

 注目されているのはフーディア・ゴードニー(Hoodia gordonii)と呼ばれる種類だ。南アフリカからナミビアに自生する。花は美しいと言えないでもないが、臭いは腐った肉と言われている。その臭いに誘われたハエで受粉するらしい。嗅ぎたいとは思えない。
 この植物の成分に食欲を抑える天然の物質がある。当然、肥満解消の薬剤に利用できるのではないかということで話題になった。これに大手製剤社ファイザーも絡んだことから、欧米では大きな話題になったことがある。
 話題のもう一端は、狩猟の際に飢えをしのぐためにこの植物をサン人が利用してきた経緯があり、いわばサン人の知恵とも言えるものだった。まさに今回のCOP10にも関連する問題が潜んでいる。
 ちなみにサン人は以前は蔑称としてだろうが、ブッシュマンとも呼ばれていた。私の年代なら懐かしのニカウさんを思い出すだろう。「ミラクル・ワールド・ブッシュマン(The Gods Must Be Crazy)」という1981年の映画があった。現在からするとアフリカ人への差別に受け取られかねないが、個々にはしんみりとするシーンもあり、ニカウさんの人間性にある敬意も抱くようになるものだった。見たことがない人がいたらお薦めしたが、メディアとしては販売されていないようだ。
 食欲を抑制するフーディア・ゴードニーだが、その医薬品研究が始まったのは南アフリカの科学工業研究所だった。1977年に有効物質がP57として分離され、特許が取得された。特許はその後、英国の製薬会社ファイトファーム(Phytopharm)に委託され、さらにファイトファームは2002年大手製剤社ファイザーと共同でこの物質の研究を開始した。ファイザーとしてはP57をモデルに食欲抑制剤を開発したかったらしい。が、合成は難しく、また未知の副作用が潜む可能性(参照)があることから断念してしまった。
 P57の権利を戻したファイトファームは2004年、次にユニリーバ(Unilever)に貸与し、機能性の食品開発を狙った。が、2008年これも巨額の損失を出して断念に至った(参照)。理由は食品として期待される機能性や安全性の問題であったようだ。
 その後のP57の動向はよくわからない。期待が高く欧米メディアで取り上げられたことから、P57とは別に自然形態のフーディア・ゴードニーの健康食品が販売されているようだが、品質には問題が多いようだ(参照)。
 というところで、うかつだったのだが、もしかして日本でも販売されているのかと気がついて「フーディア・ゴードニー」でべたに検索してみると日本でも各種販売されているようだった。すごいな。効果があるのだろうか。
 ナゴヤの視点に戻ると、サン人への利益還元はどうなっているかが気になる。まずは、P57を分離した南アの科学工業研究所とサン人の関係になるのかとも思われる。サン人側は弁護士ロジャー・チャネルズ(Roger Chennells)氏を立て原住民としての利益を主張しているようだが(参照)、具体的な利益還元についてはよくわからない。
 ユニリバーの製品開発が成功していたらサン人への還元は比較的シンプルであっただろうが、ファイザーの場合はP57自体を使うのではないから製薬に成功しても微妙なところだっただろう。現在販売されている各種フーディア・ゴードニーの健康食品については、サン人側との権利がどのようになっているかは、ざっと見わたしたところではやはりよくわからなかった。粗悪品が多いとすればそれ以前の問題なのではないかと推測される。


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2010.10.28

「大きな社会」に向けた緒戦にキャメロン英首相は勝った

 英国は日本型停滞に陥るだろうとする米国経済学者クルーグマンの予言を昨日のエントリで扱った。彼の予想は経済学的に間違っているものではないが、米国民主党的な「大きな政府」を望むリベラルの政治色も濃いものだった。しかし現在世界において問われているは経済というより政治であり、特に「大きな社会」構築の可能性である。あるいは手垢のついた「保守」をより民主主義の正統に位置づける新しい試みであるとも言える。その世界史的な緒戦に英国キャメロン首相は立った。緒戦の結果はどうだったか。微妙に勝った。
 英政府統計局(ONS)が26日に発表した7-9月期(第3四半期)の季節調整済み速報値は前期比0.8%増だった。これはブルームバーグがまとめたエコノミスト35人による予想中央値0.4%の二倍であった(参照)。過去半年で見ても、この10年で最高の成長率を示し、市場の予想も超えるものだった。おかげで円売り・ポンド買いが進み円は81円台に落ちた(参照)。ありがとうキャメロン、ときっと「仙谷首相」も思っているだろう。
 翌日のブルームバーグ記事「僥幸に恵まれる英首相の賭け、景気好調で「運使い果たす」との懸念も」(参照)も皮肉なタイトルながらキャメロン首相の善戦を伝えている。


 10月27日(ブルームバーグ):キャメロン英首相の予算をめぐる一世一代の賭けが差し当たっては吉と出ている。英国の7-9月(第3四半期)の国内総生産(GDP)が予想外に大幅な拡大を示し、景気の二番底リスクをめぐる投資家の不安が和らいでいる。

 緒戦は勝った。ご祝儀は米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が英国の格付け見通しを「ネガティブ(negative)」から「安定的(stable )」に引き上げたことだ。英国は格下げの危険を脱した。
 キャメロン首相の歳出削減策が英国の最高格付け維持の防衛を果たしたとまでS&Pは指摘している。この判定は速報値発表2時間という短時間でなされたものなので、S&Pとしてもよくやったという思いがあっただろう。うがった見方をすれば、英国風緊縮財政を世界的にも是としたいという思惑があるのだろう。
 苦々しいのは英国のリベラル派である。絵に描いたようにガーディアンから腐しが入る。27日付け「The economy: Peering into a wasted decade」(参照)より。

Well, not so fast. Because while it is daft for any pundit or politician to forecast with pinpoint precision and granite certainty what GDP growth rates will look like in the coming year (and putting aside the question of what definition of double dip is being used), there are plenty of reasons to believe that the economy is now heading downhill – a journey that will go further and faster after last week's spending review. What the UK faces is arguably worse than another technical recession; it may be entering a wasted decade of sluggish growth and stubbornly high unemployment.

まあ、そうすぐにということでもない。賢者でも政治家でも来年のGDPがどうなるか(また二番底とはなにか)について精密に堅牢に言い当てるというのは愚かしいものだが、英国経済が下降線を辿っていることの理由は山ほどある。先週の歳出報告以降の過程は長く急速になる。現下英国が直面しているのは恐らく自律的景気後退局面より悪いものだ。それは低成長と根深い高失業率が続く失われた10年への入り口である。


 クルーグマンみたいなことを言っている。いわゆるリベラルという思想の類型が形式化し単調になってきている兆候でもある。余談だが、失われた10年は英国的には"a wasted decade"と表現されている。
 かくしてガーディアンは後続して延々と地獄案内を描くのだが、それは今回の速報発表前から言われていたことの焼き直しでしかない。もちろん、クルーグマンの予言同様それはそれなりに経済学的な基盤を持つものであって、ただのイデオロギー的なでっち上げではないが。
 それでもリベラル派が描いた黙示録は想定通りには進んでいない。二番底の懸念も遠くなった。保守派のテレグラフは26日付け社説「A ray of hope to make us open our wallets again」(参照)で政治的な文脈を指摘している。

More generally, the growth figures undermine the doomsayers on the Left who are depicting the retrenchment in the most luridly apocalyptic terms.

より広範囲に言えば、今回の成長率の数値は、世界最後の日を語る左派を弱体化させている。彼らは、財政削減をおどろおどろしさ極まる黙示録の言葉で語っているのだ。


 テレグラフとしてもキャメロン首相の戦いを楽観視しているわけではない。各種の経済指標は依然懸念されるものである。ガーディアンの指摘やクルーグマンの予言が間違っているわけではない。
 英国ということでフィナンシャルタイムズはどうか。経済紙でもありバランスのよい見解を示している。26日付け「Sun breaks through the clouds」(参照)より。

Fortune smiles on George Osborne: third-quarter growth well above expectations and the removal of a rating agency’s scarlet letter make the UK chancellor’s gamble that he can slash public spending without killing the economy look a whole lot smarter than just a week ago.

幸運の女神はオズボーン英財務相にほほえみかけている。第3四半期の成長率が予想を上回り、格付け会社が緋文字を除去したことで、経済成長を犠牲せず公的支出を削減するという英国蔵相の賭は、一週間前に比べ全体的に賢明になものに思えるようになった。


 緋文字(scarlet letter)については知らない人がいたら調べておくように。
 フィナンシャルタイムズとしては気取ったユーモアのなかに中立的なトーンがある。今後を見るか。

This looks remarkably like a normal cyclical rebound and lays to rest worries that the coalition was talking the economy into a funk with its rhetoric of cuts. But no rebound can buoy up the economy alone as austerity moves from talk to action.

好調は目立って通常の景気循環にも見えるし、また連立政権が削減の名目で経済をダメにするのではないかという懸念も落ち着かせる。しかし、緊縮財政を宣言から実現に移すとなれば、反転だけでは経済を支えることはできない。

For that, private demand must expand faster than public demand shrinks. Pay squeezes and job cuts in the public sector, as well as a wobbly housing market, make it unlikely that consumers will lead the charge. The onus is on business investment and customers for British exports.

というのも、民間需要の拡大は公的需要の縮減より急がなくてはならないからだ。公的部門における賃金低下と人員削減は、住宅市場の不安定性同様、消費活動の牽引力を不確かにする。その任に当たるのは、設備投資と外需である。


 ケインズ経済学とは逆の動きになる。公的部門の縮退は経済全体の足を引っ張る。消費者の需要は当然喚起されない。牽引するのは設備投資と外需の二つということだが、外需というのは世界貿易のなかでは通貨戦争に勝ち抜くことになるだろうし、外的な要因は大きい。設備投資が問われる。
 そこそこの経済成長の維持が望まれる。従来の考えからすれば成長戦略が必要になるというところだ。だが、おそらく英国で現在問われてくるのは、「大きな社会」への投資であり、信頼だろう。
 9月19日付けニューズウィーク「Toil and Tears」(参照)がキャメロン首相のビジョンをこう見ているのが参考になる。

As he sees it, the dominance of the state has sapped Britain’s sense of personal responsibility, and he wants individuals and neighborhoods to take back control of their own lives. “We believe that when people are given the freedom to take responsibility, they start achieving things on their own and they’re possessed with a new dynamism,” he says.

キャメロン首相が考えるように、国家の優位は英国的な個人責務の感性をむしばんできたし、個々人は隣人とともに人生の手綱を自分たちの手に取り戻すべきなのだ。「人びとに責務を取る自由を与えれば、人びとは自ら活動を始め、新たな活力に満ちてくる」とキャメロンは言う。


 これはナンセンスな「新自由主義」とやらでもなければ、古くさいサッチャー主義の再来でもない。人びとが隣人とともに人生をどう切り開くか、そこに国家ではなく自らの力を投入できるようにしようということだ。これが「大きな社会(Big Society)」なのである。

Cameron wants to do more than pinch pennies: he wants to reform the very relationship between Britons and their government.

キャメロン首相がしていることはしみったれた倹約ではない。彼は英国民と英国政府の関係を改革したいと願っているのだ。



It always comes back to money, and the calculation is a simple one: any meaningful cuts are sure to bring unpopularity—so why not go for the ones that can yield lasting change?

何かとカネの問題になるしそう見るなら単純だ。有益な削減であっても大衆の賛同は得にくい。継続的な変革が可能かやってみたらどうか。

The sooner the most painful parts are done, the more time there is for the public to forget its suffering before the next election. By then the foundations will have been laid for the Big Society.

痛みを伴う部分に素早く対処すれば、次回選挙までに選挙民は痛みを忘れてくれる。それまでには、「大きな社会」の礎石が敷かれているだろう。


 英国キャメロン首相の「大きな社会」への挑戦が成功するか失敗するか、わからない。経済学的に冷静に見れば、失敗する可能性も高いだろう。しかし、問題はその失敗に見える時代に人びとが本当に「大きな社会」を志向するようになれば、それはそれで成功でもある。その方向性が見える日はそう遠いことでもない。


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2010.10.27

クルーグマンの予言:緊縮財政の英国は日本型停滞に陥るだろう

 ニューヨークタイムズのコラムニストでもあるクルーグマンが、緊縮財政に取り組む英国はいずれ日本型停滞に陥るだろうと不吉な予言をしていた。政局的には米国中間選挙が迫るなか、「大きな政府」に望みを繋ぐリベラル派の焦りの表明の一形式でもあるが、英国経済についてはクルーグマンの予想は経済学的にも妥当とも言える。日本も自民党が勘違いして愚かな緊縮財政に向かおうとしている文脈では、こうした動向に対してそれなりに考えさせらるものがある。
 クルーグマンのコラムは21日付け「British Fashion Victims」(参照)だが、プレスデモクラットに転載された同一内容の「KRUGMAN: Britain falls victim to fading fad」(参照)のほうが、改題とリサ・ベンソンのイラストからリベラル派特有のズレ具合が感じられて興味深い。

 イラストではUKと刻印された大鉈を持つ猫背のひ弱な英国キャメロン首相に対して、米国オバマ大統領が小さなハサミを手にして「僕たちだって自国予算を刈り込んでいるよ」と軽薄にふんぞり返っている。
 注記にもあるが元絵はワシントンポストにあったもので、財政右派に近いワシントンポストとしては、赤字財政に取り組まないオバマ大統領の愚かさを狙った図柄だが、プレスデモクラットがクルーグマンのコラムに付した意図は、英国の不吉な緊縮財政への非難であったのであったのだろう。それってズレてるってば。
 クルーグマンの当のコラムだが、欧州を中心とした緊縮財政の動向への批判から英国の緊縮財政の批判に移っている。しかしこの論理は仔細に読むと論旨がズレていて少し変だし、そのズレた部分に微妙な問題が隠れている。
 こう切り出される。


In the spring of 2010, fiscal austerity became fashionable. I use the term advisedly: The sudden consensus among Very Serious People that everyone must balance budgets now now now wasn’t based on any kind of careful analysis. It was more like a fad, something everyone professed to believe because that was what the in crowd was saying.

2010年の春、緊縮財政が人気のトレンドとなった。私はこれをを注意深く考えたい。物事を真摯に捉える人たちが、突然、今すぐにでも財政バランスを取るべきだと突然合意したのだ。だが、きちんと分析してみればそれには根拠がない。ちょっとしたブームといった類のものである。多数が唱和しているから信じるのだと言うくらいのことでしかない。

And it’s a fad that has been fading lately, as evidence has accumulated that the lessons of the past remain relevant, that trying to balance budgets in the face of high unemployment and falling inflation is still a really bad idea.

しかもそのブームも近年色あせてきている。過去の研究成果を見ても、高失業率とインフレ下降時に予算バランスを取ろうとすることが間違っているのは、十分に証拠も積み上がっているからだ。


 経済学的にはそうだと言えるだろう。
 経済学者スティグリッツも19日付けガーディアンへの寄稿「To choose austerity is to bet it all on the confidence fairy」(参照)で同種のことを述べている。興味深いのはスティグリッツ寄稿の"the confidence fairy(信頼魔法の妖精)"の話をクルーグマンが受けている点だ。クルーグマンのコラムに戻る。

Most notably, the confidence fairy has been exposed as a myth. There have been widespread claims that deficit-cutting actually reduces unemployment because it reassures consumers and businesses; but multiple studies of historical record, including one by the International Monetary Fund, have shown that this claim has no basis in reality.

顕著なのは、信頼魔法の妖精はただの神話でしかないことがもう歴然としていることだ。この物語では、財政赤字を削減すると、消費者や事業家が信頼し現実に失業が低減するといのだ。しかし、国際通貨基金(IMF)の研究を含め、各種の歴史経済学研究から、この物語に現実的な根拠がないことが判明している。


 「信頼魔法の妖精」の出典は私にはよくわからないが、スティグリッツが最初に言い出したというより、その元にはクルーグマンの7月1日の有名なコラム「Myths of Austerity」(参照)がある。
 いずれにせよ、経済学的には高失業率とインフレ下降時に緊縮財政を取るのは間違いだということをクルーグマンは強調したい。それはわかる。だがそれは一般論でもある。今回のコラムではこの一般論から個別の英国の緊縮財政に話題がやや無理筋で結合していく。

No widespread fad ever passes, however, without leaving some fashion victims in its wake. In this case, the victims are the people of Britain, who have the misfortune to be ruled by a government that took office at the height of the austerity fad and won’t admit that it was wrong.

トレンドというものは影響を受けた人を犠牲にせずに過ぎ去ることはないものだ。今回の犠牲者は英国国民である。彼らは運悪く、緊縮財政トレンドの渦中で緊縮財政は間違いであると認識できっこない政権に左右されることになる。


 クルーグマンの舌鋒は英国キャメロン政権が、財政危機の恐怖によって人びとを支配しているという絵までこの先に描いていくのだが、過激というより毎度毎度のクルーグマンだなという愉快な芸風である。
 かくしてクルーグマンは緊縮財政の英国は日本型停滞に陥るだろうと予言する。

But the best guess is that Britain in 2011 will look like Britain in 1931, or the United States in 1937, or Japan in 1997. That is, premature fiscal austerity will lead to a renewed economic slump. As always, those who refuse to learn from the past are doomed to repeat it.

しかし良い予想を立てても2011年の英国は、1931年の英国のようになるだろう。あるいは、1937年の米国か、はたまた1997年の日本か。つまり、性急な緊縮財政は経済停滞に至るということだ。よく言われているように、過去から学ばない者は同じ過ちを繰り返す。


 英国も来年からは日本の過去の過ちを辿ることになるだろうというのだ。いい言われようだね。
 経済学的に見れば、しかしクルーグマンの指摘は正しく、国民所得に対する債務比率や財政赤字の中での低金利からして、英国に早急の緊縮財政は必要はないだろう。
 つまり、このまま突っ走って緊縮財政をするなら、英国は日本型の錯誤の経済ということにはなる懸念はある。いやむしろ英国の現下の状況は、現在日本の自民党がごり押ししているような財政バランスへの悪夢を実現してしまったかのようにも見える。
 しかし問題はどうやら経済ではなさそうだ。
 クルーグマンは否定的な文脈で政治を取り上げているが、実際に英国が直面しているのはまさに新しい政治の課題である。

Why is the British government doing this? The real reason has a lot to do with ideology: The Tories are using the deficit as an excuse to downsize the welfare state. But the official rationale is that there is no alternative.

英国政府がこんなことをしているのなぜか? 本当の理由は政治理念にある。保守派は財政赤字を福祉国家の縮小の言い訳にしているのだ。それ以外には公的な理由になりそうなものがないからである。


 問題は政治だ、おバカさん("It's the policy, stupid")。
 財政危機による緊縮財政でもなく、経済再発展のための緊縮財政でもない。この経済危機を機会に、国家を縮小しようというが、英国が今経験しつつあることだ。
 もっと言うなら、日本の停滞は官僚の失態でありながら微妙に官僚支配と整合的だった。これに対して、現在の英国は福祉国家から新しい、大きな社会をベースとした社会に転換することを目指している。クルーグマンは自身の政治理念で目をふさいでいるが、新しい問題が提起されているのである。
 この問題は米国社会の知識層に微妙な陰影を落としている。すでにクルーグマンの怒りを見てきたように米国のリベラル派は英国の動向が気に入らない。23日付けニューヨークタイムズ社説「Britain’s Austerity Overdose」(参照)はその典型である。

There is a time and a place for aggressive deficit reduction. Now is not the time, especially not in Britain. The deep spending cuts announced by Prime Minister David Cameron’s government will hobble public services, strain poor families’ budgets and weaken Britain’s influence abroad. They could suffocate a feeble recovery.

性急な財政赤字削減にはそれに適した時期と状況がある。現在はその時ではない。特に英国ではそうではないのだ。デイビッド・キャメロン首相が公言する大幅な歳出削減は公共サービスを躓かせ、英国の対外外交力を低下させるだろう。弱い足度の景気回復を窒息させるかもしれない。

Mr. Cameron and his team appear to be driven solely by Conservative Party articles of faith.

キャメロン氏と彼を支える人びとは、単に保守派の信仰で突き動かされているだけのようだ。



Unfortunately, Britain’s leaders chose posture over sound economics.

残念なことに、英国指導者は健全な経済よりも立ち位置を優先している。


 プレスデモクラットやクルーグマンが英国理解に微妙なズレを示したように、ニューヨークタイムズもここで奇妙な勘違いを示している。「保守派」というとき、それは中間選挙を控える米国のそれとは微妙に違うのである。
 この違いは保守派に近いワシントンポストの24日付け社説「The English patient」(参照)からも、その違和感を通して読み取れる。

REASONABLE ECONOMISTS can differ about whether the United Kingdom's austerity plan is too austere, too soon. Certainly, an immediate retrenchment of this magnitude would not make sense for the United States, nor is it necessary:

まともな経済学者ですら、英国の緊縮財政計画はやり過ぎではないか、性急過ぎるのではないかという点で意見を異にする。当然ながら、これほどの規模の早急な削減は米国には意味をなさないし、その必要すらない。

The United States, with a global reserve currency, is in a stronger and more independent economic position than is the United Kingdom.

米国は世界に保有される通貨をもつ国家として、英国より強くより独立した経済位置にある。


 米国保守派としては、まず英国と米国とは経済の状況が違うし、他国の状況については判断を保留している。だが、その動向は注視している。

But the plan unveiled last week by Britain's coalition government offers a useful and, in many ways, impressive example of what a serious approach to deficit-cutting entails -- and will eventually require from U.S. policymakers.

しかし、英国の連合政府が先週明らかにした削減計画は、有益であり、幾多の点で、財政赤字削減に真摯に取り組むこととの意義深い一例である。そして、最終的には米国の政治家にも求められるものだ。


 英国と米国とは異なるとはいえ、財政赤字削減に取り組む覚悟への政治的な賛同感が米国保守層にある。加えて、大きな政府の問題についても斬新な取り組みとも見られている。

Almost unthinkable from both parties here, the plan tackles some -- although far from all -- entitlement spending.

米国民主党と共和党両党にとって、検討すらしがたいのは、この削減案が部分的にではあるが、社会保障給付金制度の削減に取り組んでいる点だ。


 政治的な課題はそこにある。つまり、大きな社会をいかに実現するかという課題について、米国の思慮深い保守派は理解しつつ、かつそれが米国では実現がほぼ不可能であることを苦く認識している。
 同社説では、軍事同盟国でもある英国の軍事削減への懸念も強く表明されている。
 私は思うのだが、米国保守派は、理念としては英国が率先しつつあるとしても、米国が現実的に世界通貨と公海の自由の最後の守護神であるための軍事力から手を引くわけにはいかないという、ある意味で錯誤の苦悩があるのだろう。
 日本はといえば、国民国家としては英国に近い政治的な道を取ることも可能であるかのように見えるし、そうした道を取るしかない岐路に立たされるかもしれない。それでも、英国のような軍事力がない手前、世界通貨ドルと公海の自由の点で米国を支えるしかなく、それが結局のところ「大きな社会」の理念の選択をも曖昧にするだろう。
 この問題は、医療制度における英米日の差にも反映している。機会があれば別のエントリーを起こしたい。


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2010.10.26

欧米は緊縮財政から大きな社会へ。日本は大きな亡霊へ。

 欧州が緊縮財政に向かっている。政府が国民に大盤振る舞いをしたツケが払わされる時期になったのだとも言えるが、反面、米国ではさらなる金融緩和が予定されている。もっとマネーを市場に供給しようというのだ。一見、逆の方向にも見える。しかし、もしかすると米国は最後のあがきをしているだけで、いずれ欧州を追うようになるのかもしれない。
 まさか。バーナンキ連邦準備制度理事会(FRB)議長のように優れた頭脳を中央銀行に持つ米国がそんな失態に陥るわけはない。そう私は思っていた。今でも八割方そう思っているのだが、コラムニスト、ロバート・サミュエルソンの12日のコラム「The Age of Austerity」(参照)の指摘は少し驚きだった(同コラムは日本版ニューズウィーク10・27号に抄も訳がある)。


We have entered the Age of Austerity. It's already arrived in Europe and is destined for the United States.

私たちは緊縮財政の時代にいる。欧州ではすでにその時代に達し、米国もそうなる宿命にある。

Governments throughout Europe are cutting social spending and raising taxes—or contemplating doing so. The welfare state and the bond market have collided, and the welfare state is in retreat.

欧州全土の政府は社会費を切り詰め、増税しているか、あるいはその検討に入った。福祉国家と債券市場は衝突し、福祉国家が退くことになった。


 不吉な話にも聞こえるが、サミュエルソンの真意は緊縮財政の薦めではない。それは議論の余地のある問題ではなく、避けがたいとしている。問題は、むしろ急速な緊縮財政がもたらしうる危機への懸念のほうである。

Even rich countries find the costs too high, but the sudden austerity could perversely trigger a new financial crisis.

富裕国ですら社会支出が膨れすぎると反省しているが、緊縮財政を性急に取ることは逆に新たなる財政危機の引き金を引くことになりかねない。


 緊縮財政は避けがたいが早急な対応は危険だというのだ。
 ここで現下の世界経済の見解に微妙なスペクトルが生じる。例えば、有名な投資家であるジョージ・ソロスは緊縮財政の危機を直接的に表明している。5日付けロイター「ユーロ圏「デフレスパイラル」はドイツの緊縮財政策が原因=ソロス氏」(参照)より。

ソロス氏はコロンビア大学で講演し、欧州や米国にとって、財政引き締めではなく追加的な財政刺激策を講じることが危機から脱する方法だと指摘、「ドイツのような債権国が赤字を削減することは、1930年代の大恐慌から学んだことと完全に矛盾している。ドイツは欧州を長期的なスタグネーション、あるいはそれ以上に悪い状況に追い込んだ責任がある」と述べた。

 欧州連合(EU)ファンロンパイ大統領はすぐに反応した。6日付け「EU大統領:財政緊縮で回復はむしろ強まる-ソロス氏と対照的な見解」(参照)より。

 ファンロンパイ大統領は6日、ブリュッセルで財界首脳らを前にスピーチし、「EUの景気回復には差があるが、それは一部加盟国の改革プログラムが原因だ」と発言。「デフレにつながるような政策は一時的で、一段の経済成長の下地になっている」と述べた。

 EUとしては緊縮財政により景気回復がむしろ強まるという立場にある。
 一見すると緊縮財政と金融緩和の二派があるように見えるが、ソロス氏の見解は、あくまで債権国の赤字削減への警戒であり、すぐに連想されるように日本もまた世界の債権国でもあるから同様のことは言えるだろう。
 難しいの米国である。巨額の赤字を抱えていてなぜ緊縮財政に進まないのか。それはこれから起きることなのか。
 ここで私はブログの世界にありがちなネタを思いつく。そして、それが案外あり得ないことではないのではないかと自らトラップしてしまった。言おう。米国の金融緩和は実は偽装された緊縮財政なのではないか?
 いやいくらなんでもひどいネタだというなら、遅延策ではないだろうか。現下、米国の中間選挙を控え、その台風の目となるティーパーティについてNHKでもとんちんかんに報道されているが、これはアンチ・オバマ政権やキリスト教右派なる無知蒙昧な人びとの反動というより、基本線では政府が巨大化することで同時にふくれあがる税に対する反感であり、だからこそ茶税に対抗したボストン・ティーパーティ事件にちなんでいるのである。
 社会民主主義的な素性のある欧州の場合、政府の側が率先して緊縮財政に向かうが、米国の場合は草の根の大衆の側が政府を小さくするための緊縮財政への動向をすでにもって動き出したということではないか。
 であれば、米国では、その動向が極端に振れないように、小出しの、あまり効果がなさそうな金融緩和が目論まれているのではないか。なんというのか、日銀の知恵とでも言うものかもしれないが。いやそこまで言ったら冗談が過ぎるな。
 サミュエルソンのコラムに戻るとそこに微妙な調和はある。

The ultimate hope is to buy time. Effective deficit cuts, it's argued, will spur economic growth by reassuring bond markets that debt levels are sustainable and justifying lower interest rates.

究極の希望は時間を稼ぐことだ。効果的な赤字削減なら、議論されているように、負債レベルが維持可能で低金利も正当化できると債券市場を確信させることで、経済成長を促進することになる。


 それって日銀、とか思わずどん引きそうになるがそうではない。

That's also the theory of new British Prime Minister David Cameron, who has proposed shrinking government spending by a sixth by 2015.

これは英国の新首相デイビット・キャメロンの理論である。彼は2015年までに政府支出の六分の一を縮小すると提言してきた。


 英国の新たな動向である。
 英国のキャメロン首相の動きは速い。菅首相の行政が歩行速度だとすると、キャメロン首相の速度は加速モードのサイボーグ009くらいある。すでに高額所得者を児童手当の対象から外した。意外にも英国国民はキャメロン首相を概ね好意的に見ている。これからじわじわと中間層をしめあげていくのに。なぜか。
 簡単に言えば、福祉を国家が担うのではなく、社会が担うように「大きな社会」を構築しようという合意が取れつつある。
 「大きな社会」というと、どこかの浮かれた社会学者がとびつきそうなネタだが、実際には、大きな社会とは社会資本支出の個人負担が大きくなるわけだから、社会への入会金がつり上がるのと同じである。現下の欧州の移民排斥は、従来のような異民族差別というより、大きな社会に向かう同一のプロセスと見た方がよい(入会金を払わないかたお断り、と)。
 かく、他山の石をまったり鑑賞しつつ日本はどうなるのか。
 私は日本は企業や公務員・公務員的な系列といったものが「大きな社会」のような「大きなメンバーシップ」を形成していたと思う。しかしこれは今後じわじわと解体され、なのに欧州風の大きな社会も築けず、米国風の自立と連帯もなく、人びとは細分化するだろう。
 そして細分化された人びとの正義を吸収する形で、大きな政府が希求されてしまうのではないかと懸念している。ネットで見られる正義によるヒステリックなバッシングはその前兆ではないだろうか。その点において右派左派もまった同構造でもある。
 そもそも日本の場合、「大きなメンバーシップ」を実質支えていた政府資産が巨額すぎた。だからここまで赤字が可能になっている面があった。よく日本の財政を家計に例えて年収の何倍もの借金というが、この奇妙な疑似家計は莫大なストックをもっているからのことだった。
 この国家資産は、これまでは微妙に日本国民のメンバーシップをも担保していた。だから、国民はこの国家を信頼していたのだろう。困ったことがあれば、そしてそれが正義なら、国が補償すると確信しているし、正義があればそれが実現できると夢見ている。その正義の夢だけがしだいに大きな亡霊のように存在するようになるだろう。政府資産が潤沢にあるかぎり、この亡霊は維持できるだろう。


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2010.10.25

米国金融緩和がもたらすヌルい戦争

 米国連邦準備制度理事会(FRB)は11月2日から3日にかけて開催する米連邦公開市場委員会(FOMC)で追加の金融緩和を決定すると見られている。注目されるのはそれが非伝統的手段であることだ。日本でも一部識者が長年希求してきた本格的なリフレ政策である。FRBがリフレ政策に成功すれば、日本の失われた10年、15年は、それを頑冥に拒んだ日銀の失策だったということにもなるだろう。
 バーナンキFRB議長は15日、ボストン地区連銀主催の講演で追加的な金融緩和の必要性を示した。日経新聞に掲載された要旨(参照)では、まず健全な経済活動ではマイルドなインフレが求められるとしている。


 米連邦公開市場委員会(FOMC)メンバーは一般的に、長期的にみてややプラスのインフレ率がFRBの使命と最も整合的だと考えてきた。
 FOMCメンバーが示す景気・物価見通しによれば、同メンバーが(最大限の雇用促進と物価安定という)使命を果たすのに適切だと判断しているインフレ率は2%程度か、それをやや下回る水準だと考えていることがわかる。
 ところが最近の指標によれば基調となるインフレ率は約1%で、適切な水準と比べて低すぎる。経済情勢を踏まえると、短期の実質金利は高すぎることになる。デフレのリスクは望ましい状況よりも高い。
 最近のインフレの鈍化、使われていない経済資源の状況、インフレ期待の落ち着きを踏まえれば、基調となるインフレ率はしばらく適切な水準より低い状態が続くと考えるのが妥当だ。

 FRBが手を打たなければ米国のインフレ率は低水準の推移が見込まれる。つまり、デフレが懸念される。そこで2%程度のマイルドなインフレに追加の金融緩和で誘導しようというのだ。
 現在の米国はほぼゼロ金利である。その状況下で、FRBに課せられている雇用拡大と物価安定という二つの目的の達成のために、さらなる追加政策を決断することになる。

FOMCの目的を達成するには、他の条件が変わらないなら一段の行動が必要な状況とみられる。ただ、金利はゼロ%以下にはできないため、低インフレ下の金融政策は制限される。政策金利がゼロであっても追加政策は可能だが、コストを計算しながら判断しなければならない。

 追加の金融緩和政策は非伝統的手法になる。

 非伝統的な政策手法を使うことに伴う不透明さなど、低インフレ環境での金融政策や市場との対話には多くの困難が伴う。これらの困難にもかかわらず、FRBは雇用拡大と物価安定という2つの目標の実現に取り組み続ける。景気回復や物価の適正な水準への上昇に必要であるなら、追加的な金融緩和を実施する用意もある。FOMCは追加策を検討する際、非伝統的な政策による損失やリスクを当然考慮するし、決定するかどうかは今後の経済・金融に関する情報次第となる。

 非伝統的手法は具体的には、国債など長期証券をFRBが買い取ることである。すでにFRBは紙幣を刷って1兆ドルもの不動産担保証券を購入している。今回はさらにその量的緩和(quantitative easing)の第2弾になるので、QE2と呼ばれる。
 国債など債券が買われることで価格が上がり、金利は下がる。滞っていた資金は、その比較で金利が上がるほうの投資に流れ始め、生産が拡大し、雇用も増える。そういう絵がまずある。もう一つの絵は後でふれる。
 元内閣参事官で嘉悦大高橋洋一教授はFRBの動向を肯定し、彼我の差を嘆いている(参照)。

 こうしてみると、日米の中央銀行の差が歴然としている。日銀の目的は基本的には物価安定だけだ。それに、白川総裁がインフレ目標を先取りしたとか豪語している今の運営では、物価見通しは1%(生鮮食品を除く総合)のはずだが、8月でマイナス1%だ。マイナスになってから18カ月、1%を割ってから21カ月。その間、発動されるべき量的緩和は行われなかった。

 FRBのリフレ政策は成功するだろうか。
 日本に対してはリフレ政策の英断を日銀に求めていたフィナンシャルタイムズだがFRBのQE2については懐疑的である。15日付け社説「The new threat to the global economy」(参照)ではこう懸念していた。

How effective more QE would be is questionable: long-term interest rates in the US are already extremely low. With US assets offering low returns and the financial system in weak health, much of the new money will find its way to high-yielding emerging markets. There will be little additional benefit to the US economy.

追加の量的緩和が効果的かについては疑問符が付く。米国長期金利はすでに極めて低く、資産の低収益と金融システムの不健全性からすれば、新規マネーの多くは高収益の新興市場に向かうだろう。米国経済に対するメリットはわずかしかないだろう。


 だが、フィナンシャルタイムズとしてはQE2が失敗するとまでは見ていない。

The good news for countries such as the US and Britain is that a monetary tsunami makes the prospect of a global double-dip recession more remote. The bad news for emerging markets is that the next major threat to the global economy could originate in their own back yards.

米国や英国のような国々にとっては、マネーの津波で国際的不景気の二番底の懸念が回避されることは良い知らせだ。反面、新興市場にとっては、その陰で世界経済への次の脅威の生じることとして悪い知らせとなる。


 明確には書かれていないが、ロシアやアルゼンチンのような危機が生じると見ているようだ。
 QE2へのまとまった懐疑論としては、スタンフォード大学マイロン・ショール名誉教授の指摘、「ショールズ氏、QE2の効果を疑問視(Guest Contribution: Myron Scholes on Whether QE2 Will Work)」(参照)・(参照)がある。
 ショール教授による疑問は6点も挙げられており、懐疑論一網打尽の趣もあるが、これらをバーナンキFRB議長が理解していないわけでもない。結局のところ、勇気を持って出たとこ勝負でやってみるしかないということだろう。それを踏まえて20日付けワシントン・ポスト社説「Ben Bernanke hopes his risky plan will perk up the economy」(参照)が期待と懸念を述べていた。

It's worth remembering that Mr. Bernanke, like many others, hoped that one round of quantitative easing, plus fiscal stimulus, would be enough to turn the economy around. He now says that the Fed will "proceed with some caution" toward QE2. Given the uncertainties, that's a promise we hope he'll keep.

バーナンキ氏は、他の人もそうであるが、量的緩和の一巡に財政刺激を加えることで、経済が立て直せると期待したのだということは、記憶しておくべ価値のあることだ。氏は目下、FRBはQE2を警戒しつつ進展させると述べているが、その約束を守ることを我々は期待しよう。


 卑近に言うなら、権限があるのだから勇気を持ってやるならやってみろ、その結果は覚えておくぞということだ。
 実際のところFRBは、「警戒しつつ進展」ということで、今日のロイター「FRBの追加資産買い入れ、段階的な追加を検討=地区連銀幹部」(参照)が伝えるように段階的に行われるだろうし、そのことが市場とのコミュニケーションでもあるだろう。

米セントルイス地区連銀のリサーチディレクター、クリストファー・ウォルター氏は22日、連邦準備理事会(FRB)が検討している追加的な資産買い入れ規模について、当初は5000億ドルから開始し、その後、最大で2500億ドルずつ拡大していく可能性があると明らかにした。

 さすがはFRBと言いたいところだが、もう20年に以上にも渡って私がフォローしつづけたコラムニスト、ロバート・サミュエルソンは、総合して見れば、否定的なコメントを述べていたのがやや意外でもあった。
 サミュエルソンは、日本でも人気の高いクルーグマン教授と、カーネギー・メロン大学のメルツァー教授の大局的な見解をバランスしつつ、「The Fed’s Identity Crisis」(参照)でこう述べている。

Economists seem split into two camps. Some, like Paul Krugman, the New York Times columnist, believe the economy is so weak that the government should do almost anything (bigger deficits, more cheap credit) that might help slightly; and others, like Meltzer, fear that expedient measures now will lead to bigger problems later. Between them, there’s an unstated common assumption that there are no instant cures for the economy’s lethargy. The real Fed, it turns out, is much less powerful than the mythologized Fed.

経済学者も二派に割れている。ニューヨークタイムズのコラムニスト、ポール・クルーグマンらによれば、経済が弱体化しているのだから、政府はわずかでも効果がありそうなことはなんでも(財政赤字拡大でも信用低下でも)やるべきだというのがある。反面、メルツァーらによれば、急場しのぎの手法は後により大きな問題を残すと懸念している。この二派の間には、経済停滞に即効性のある対策はないという暗黙の前提がある。本当のFRBは、正体を現したのだが、神話化されているほどには力をもっていないのである。


 QE2のへの賛否はあるにせよ、FRBには現実の不況とデフレ経済への失墜に対して強い力を持ち得ないし、その無力さが暴露されるプロセスにあるというのだ。言われてみればそんな気もする。
 そう懸念するもう一つ理由がある。QE2が描く絵は、一国経済における中央銀行の非伝統的手法の可否ではなく、リアルな米中経済戦争の文脈にあるのだろうということだ。先のショール教授の6番目の理由がそこを突いている。

(6)ドル安は米国の投資を刺激し、国内の景気回復に定着の猶予を与える。ドルが他通貨に対して下落すれば、量的緩和は遅かれ早かれ中国を初めとする他国に行動を強いるかもしれない。これがカギになる可能性がある。ここで量的緩和が行動を引き起こす。われわれには、政策、資本や交換性の制限で抑え込まれている通貨を再調整するための行動が必要だ。量的緩和は(いずれにせよ制定されるべきだったが政策の抵抗を受けていた)新たな協定や新たな均衡を近く強いる可能性がある。国際社会のためには行動は早いほうが良さそうだ。中国や同国の雇用、輸出産業にとっては厳しいかもしれない。しかし、制裁よりはましだ。米議会は次の悪役が欲しくてたまらないのではないか。ブッシュ前大統領とウォール街はいささか古くなった。

 中国が人民元を上げないなら米国がドルを下げるということだ。以前のエントリー「日本を巻き込む米中貿易戦争の開始: 極東ブログ」(参照)で述べたが、貿易戦争をするくらいなら通貨戦争のほうがマシだろうということだ。
 米ソの冷戦はまさに冷たい戦争だった。米中間の通貨戦争は、それに比べればヌルい戦争になる。そしてそのヌルさに比して日本は経済的には米国にも中国に付くことはなく、ヌルい風呂のなかにとどまるのだろう。

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2010.10.23

40年ぶりの天文台

 東京三鷹にある天文台が年に一回公開日を設けているので行ってみた。中学二年生のときに行ってから、もう一度行ってみたいとずっと思っていた。いつでも行けると安易な気持ちでだらだらと時が過ぎ、気がつくと40年近い日が流れてしまった。今日行ってみると、少年の日に見た、大きな望遠鏡を納めたドームが、今はもう実際の観測には使われていないけど、そのままにあって感激した。


三鷹・星と宇宙の日

 中学生のころ私は部活で陸上と物理をやっていた。私が入部する前もそのクラブが物理クラブだったのかよくわからない。先輩たちは全員天文系で天文クラブという雰囲気だったからだ。その関係で13歳だったか14歳だったと思う。三鷹の天文台を見に行ったのだった。閑散とした野原と雑木林の奥に、絵に描いたような天文台のドームがあって印象深く心に残った。


大赤道儀室

 武蔵野の雑木林のなかに今もそれはある。屋根のドーム直径は15m。高さは19.5mもある鉄筋コンクリートの二階建て。いかにも古典的な天文台という外観だ。正式には大赤道儀室と呼ばれている。
 完成したのは大正15年(1926年)というから、私の父が生まれた年だ。当時はドームを建築する技術が日本にはなく、船大工が木をたわめて作った。
 ドームに納まる全長10m、レンズ口径65cmとして日本最大口径を誇る屈曲望遠鏡は、1997年までは使われていた。現在ではドームの木が朽ちて開閉もままならない。そのまま朽ちていくのは惜しい建造物でもあるし、日本の天文史そのものでもあることから、2001年に天文台歴史館として公開され、2002年に国登録有形文化財となった。この建物は平日でも見学することができる。


屈曲望遠鏡

 今回、行きたいと思ったのは通称「アインシュタイン塔」の内部に入れるということもあった。通称と言うのは、ドイツのポツダムに本家のアインシュタイン塔があるからである。
 ポツダムにある塔は現在ではドイツ表現主義の歴史建造物として有名だが、元来は、アインシュタインの一般相対性理論の検証のために、重力波から出る電磁波の赤方偏移について太陽観測を行うことが目的だった。しかし、想定された偏移は太陽表面の対流・乱流によるドップラー効果のスペクトルの域内にあり観測が難しく、逆に太陽表面の対流・乱流が早々に主要な研究対象に変わった。第2次世界大戦で損傷したが修復し現在でも実際に天文学研究に活用されている。


ポツダムのアインシュタイン塔

 三鷹にある5階建ての通称「アインシュタイン塔」だが、本家のポツダムの研究と同じ仕組みで、かつ同じ志向をしていたことからこの通称がついた。本家のような表現主義の建築ではないが、そびえ立つスクラッチタイルの塔には独自の美がある。正式名は太陽塔望遠鏡である。


太陽塔望遠鏡

 当初の研究の要となる分光器室を据えた地下部分の建物は、大赤道儀室と同じく、大正15年(1926年)に完成した。そもそもこれらの重要部分は、ドイツに対して第1次世界大戦の戦勝国としての日本国への賠償金代わりの物納であったようだ。塔の望遠鏡部分の建造は遅れ、昭和5年(1930年)となった。
 本家同様、当初の目的であるアインシュタインの一般相対性理論の実証はできなかったが、戦後も改修され太陽フレアの研究などで利用されていた。
 だが昭和40年代になるとドイツ製の配電盤のヒューズなども入手できなくなり、活用も減り、私が中学生のころはにはすでに電源も供給されず倉庫と狸の住処となっていったらしい。当時、外観も見ることはできなかった。


配電盤

 1999年に登録有形文化財となり、2000年から外観の公開はされ、内部の公開を目指した。2010年8月3日、第24回天文教育研究会参加者に公開された。このときは塔まで公開されたが、今日の一般公開では安全上の理由で地下のみとなった。
 内部に入ると、タイムスリップでもしたようなある種異様な感覚にとらわれた。鉄人28号を研究していた金田博士がそこに居ても不思議ではない。あるいはリアルなスペランクス(Spelunx)の世界のようにも思えた。その空間自体が、独自なアートな空間となっており、ここで音楽会でもやったらすごいのではないか。
 地下の展示物には理科年表のバックナンバーが年代順にずらっと並んでいた。私が物理クラブにいたとき、いつもひもといていたそれもあった。人生の時間にまたも直面したような感慨があった。


太陽塔望遠鏡地下

 その他の展示も、もちろんいろいろと面白かった、熱心に説明してくれる科学おじさんや科学青年のかたとの話からは、科学が本来もつわくわくするような夢と情熱が感じられた。私は思うのだけど、平和教育というのは平和の理念や悲惨な写真を見せつけることより、科学のわくわくする夢を語れる青年を育てることではないだろうか。
 昼食は食堂でカツカレーを食った。学食や病院や裁判所で食った、あの懐かしい味がした。


食堂の醤油とソース


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2010.10.22

多文化主義は完全に失敗したとメルケル独首相

 ドイツのメルケル首相が16日、彼女の母体でもある与党キリスト教民主同盟(CDU)の青年部会議で、ドイツの多文化主義は完全に失敗したと述べ、欧米で波紋を呼んでいる。日本での報道は、CNN翻訳記事を除けば、産経新聞記事がある程度で、なぜかあまり見かけない。ブログで補足しておく意味もあるだろう。
 問題だが、CNN記事「「多文化主義は完全に失敗」 メルケル独首相が発言」(参照)が簡素に伝えていたが、問題点はややわかりづらかった。


 メルケル氏は演説の中で、「『さあ、多文化社会を推進し、共存、共栄しよう』と唱えるやり方は完全に失敗した」と語った。
 メルケル氏は先月、CNNのインタビュー番組「コネクト・ザ・ワールド」でもこうした考えを示していた。9月27日の同番組でドイツのイスラム系住民について質問された同氏は、「今や誰もが、移民は我が国の構成員であると理解している。(しかし)彼らは同じ言語を話し、ドイツで教育を受けるべきだ」と答えていた。

 曖昧ではあるが、メルケル首相は、ドイツの多文化主義の失敗原因について、多文化の側の人びとの努力の欠落を指摘していた。
 この点については、18日付けフィナンシャルタイムズ「Fixing immigration」(参照)がもっと直裁に表現している。

Germany’s three-tier secondary education system hinders integration. Some immigrants have been reluctant to expose their children to German culture. Others have not learnt German.

ドイツの三段階からなる中等教育は統合を妨げている。ドイツ文化に晒されることを疎む移民も存在してきた。ドイツ語を学ばない移民もいる。


 メルケル発言の問題の全容については、17日付けBBC「Merkel says German multicultural society has failed」(参照)が穏当にまとまっていて、メルケル首相が移民を排斥したいという趣旨についても触れられている。また17日付けガーディアン「Angela Merkel: German multiculturalism has 'utterly failed'」(参照)ではドイツ内での異論も伝えている。
 直近の文脈としては、このBBC記事にもあるが、産経新聞記事「の記事(参照)がわかりやすいだろう。

 調整型の首相が慎重を要する移民問題にあえて踏み込んだのには事情がある。首相の後押しで選出されたウルフ大統領が3日、東西ドイツ統一20周年記念式典で「わが国はもはや多文化国家だ。イスラムもドイツの一部だ」と演説。これにCDU右派が反発し、姉妹政党・キリスト教社会同盟(CSU)のゼーホーファー党首が「ドイツは移民国家になるべきではない」と異文化国家からの移民受け入れ禁止を求めていた。

 これらの記事には直接的な言及が少ないが、さらに広い文脈で見るなら、ドイツは不安定な連立政権に依っていて、医療保険や税金問題で紛糾している。こうしたなか、州レベルの選挙が近づいていて、政局的に支持基盤を固める必要も出てきたので、多数と見られる右傾化に舵を切らざるを得なかった。
 弱体化した政権が右傾化する傾向にあることは他山の石といった趣もないではないが、他山の石というなら、同じく多文化問題を抱える英国などでも同じで、英国高級紙テレグラフも18日付け「Multicultural mistakes」(参照)もこう述べていたのが印象的だった。

The same is true in this country, if not more so. British tolerance of other people's ways, religions, cuisines, languages and dress has not always been matched by an equal willingness on the part of immigrants to subscribe to the value system of the host nation.

同じ事はこの国(英国)でもある程度まで真実である。多国民の生活様式や宗教、食習慣、言語、民族衣装といったものに英国は寛容を示してきたが、移民の一部であるが彼らは英国の寛容に応えて、この受け入れ国の価値観を従おうという熱意はあったとは言い難い。

That was principally the fault of the multiculturalist creed espoused by the Left, which encouraged different ethnic groups to do their own thing, meaning they became more estranged from mainstream society and from one another.

このことは、左派勢力が信奉する多文化主義の主要な欠陥でもあり、異なる民族集団の独自性を鼓舞して、結果、多数派が民族集団同士疎遠なものになった。


 先のフィナンシャルタイムズ社説では、多文化主義の方向性は間違っていなかったとしても、現状については変革の時期にあると見ている。

This needs to change. Integration, as Ms Merkel correctly argued, has to be a two-way process. Immigrants need to accept the core values of their host society, and ensure that they learn its language.

これらは変革の必要がある。メルケル首相が正しく議論したように、統合は双方に求められる。移民は受け入れ国の社会が持つ基本的な価値観を受容する必要があり、その言語の習得を確実にする必要がある。


 多文化主義は従来は、受け入れ国側の寛容とその制度に主眼が置かれてきた。また移民が経済的な中間層に浮上することで穏健な政治性を獲得するとも見られてきた。しかし、現実のところ、それを進展してきた欧州諸国では、政局的な状況という背景もあるにせよ、もはや破綻してしまったと言ってもよい状況になってきた。
 この問題の難所は、テレグラフやフィナンシャルタイムズの論調のように、移民側の努力の問題といった倫理的な問題のみ還元することはおそらくできない点だ。しかしだからといって、受け入れ国社会への同化の方向性を制度化するというのも別の問題を引き起こすだろう。


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2010.10.21

チリ鉱山落盤事故救出劇のプロデューサー

 チリ鉱山落盤事故救出劇の報道で気になることがあった。日本が重要な役割をしていたらしいのだが、その話がほどんど見つからない。なぜなのだろう。
 8月5日、チリ、サンホセ(San Jose)鉱山で落盤事故が起こり、作業員33人が700メートルもの地下に閉じ込められた。が、私は当初。この事故にあまり関心を持たないようにした。恐らく悲劇的な結末が待っているという印象があったからだ。しかし奇跡は起き、全員、救出された。すばらしいことだと思う。
 反面、どうして奇跡が可能になったのだろうかと疑問にも思った。事故当時、救出はクリスマス頃になるとも聞いた。実際は随分と早い。初期の目測が外れたか、革新的な技術が導入されたか。後者だった。救出劇が終わった後、それが何か、まず気になった。
 作業員の引き上げに利用された採掘は「プランB」と呼ばれるもので、実現したのは、米国ペンシルベニア州バーリンのセンターロック(Center Rock)社だった。同社は空圧掘削の高性能なLPドリル(low profile drill)を開発する75人の中小企業である。
 同社社長、ブランドン・フィッシャー(Brandon W. Fisher)氏(38)の経歴は少し変わっている。同地の高校を1990年に卒業し大学に進学するも落ちこぼれ、石油とガスの業界業に就いた。掘削ビジネスを覚え、1998年、26歳のときに独立して、掘削技術のセンターロック社を企業した。
 チリ鉱山事故のニュースが世界に報道されるなか、フィッシャー社長はテレビで現地のようすを見ながら、自社のドリル技術なら救い出せるという使命感を持った。救助の経験もある。2002年7月、洪水でペンシルベニア州キュークリーク炭鉱地下70mに閉じ込められた9人を、全米が注目するなか、78時間後に救出した。チリの岩盤も自社のドリルならすばやく堀抜くことができるだろうと確信した。通常の掘削はドリル先端からの水圧で岩石を除くが、センターロックの技術では空圧で行う(pneumatic-driven air compression drills)。掘削は高速で進めることができる。
 フィッシャー社長は救出活動に参加したいとチリ政府を説得した。8月26日、救出作戦プランA、B、Cが決まり、センターロック社はプランBを担当することとなり、30日から掘削作業を開始した。フィッシャー社長自身もチリに赴き、現場に張り付いて指示した。だが当時専門家たちは、プランCが最短だろうと見ていた。センターロック社の技術は液体用の掘削技術であり、この状況には適さないと考えていた(参照)。
 最新のドリル技術が来た。だが、優れた掘削技術とドリルだけでは、岩盤を掘り抜くことはできない。ドリルを装着するには掘削リグ(rig)が必要になる。リグはどうしたのか?
 リグはサンホセ近くの英国鉱山会社が提供した(参照)。カリフォルニア州イーストバージニアのシュラム社のリグ、"Schramm T130"である。
 救済劇は成功した。フィッシャー氏は英雄になった。それでいいのだが、この物語には、もう少し変わったウラがある。いったい誰が、プランBの費用を負担したのだろうか? 15日付けワシントンポスト社説「Chile's mine rescue caps record of successes」(参照)は意外なことを語っていた。奇跡の救済劇はもちろん、世界各国の協力によるものなのだが。


There were special cellphones from Korea, flexible fiber-optic cable from Germany and advice from NASA on the construction of a rescue capsule.

救済用カプセルの製造に当たり、韓国からは特性携帯電話、光ファイバーケーブルはドイツから、アドバイスは航空宇宙局(NASA)から提供された。

Perhaps most significant, a private mining company with Japanese and British investors paid for the U.S.-manufactured drilling rig and drill bits that managed to penetrate through rock in record time.

おそらくもっと重要だったのは、日本と英国の投資会社による採掘企業が、米国製掘削リグとドリルの費用をまかなったことだ。この装置が記録的な速度で岩盤を貫通させたのだ。


 私が意外と思ったのはここに日本が登場していることだ。
 私は今回の救済劇に関心を持っておらず、事後になってその日英出資の企業を知ろうとした。報道にはなかったように思えた。ツイッターでも聞いてみたがツイートはいつもどおり消えた。
 センターロックの技術を実現させた、いわばプロデューサーともいえるその企業はどこなのだろうか。そしてその背後にその支出を即決した一人の日本人がいたかもしれないと思った。

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2010.10.19

習近平氏が中央軍事委員会副主席に任命。背景に見えるドタバタ

 中国共産党第17期中央委員会第5総会で、現副主席の習近平氏が中央軍事委員会副主席に任命された。手順からすれば胡錦濤国家主席の後継者として2012年に国家主席となると見られる。少し感想を書いておこう。
 重要な点は今回の人事は出来レースのようなもので、習近平氏が軍事委副主席に就任すること自体にはなんら違和感がないことだ。
 なのに、日本側がこの時期、運悪く民主党トンデモ政府ということはあるにせよ、尖閣諸島で不用意に日本と軋轢を起こしたり、毎年吉例の柳条湖事件記念とはいえピントのずれた反日デモを起こしたりするなど、反日騒ぎといえば中国国内のお家の事情の内紛という、妙にわかりやすいデモンストレーションをしてくれた。なるほど中国では内紛があるわけか、よくわかった。とはいえ、その内紛の構造は多少わかりづらい。
 シンプルに考えれば、習近平氏の人事に関連があるだろう。出来レースなのだから、おそらく、今回の人事を遅延する勢力と推進する勢力の軋轢があったと見るのが一番自然だろう。
 すると共青団対上海閥・太子党、つまり、胡錦濤系の共産党エリート軍と利権階級の対立いう構図が浮かびがちだが、習近平氏自身がべたな太子党とはいえその構図の極だとは思えない。というのは、習近平氏自身の権力性は、芸能人の嫁さんに依るところ大なポピュリズムでありながら奇妙なほど各方面の顔や言葉を立てる調停的なものであり、胡錦濤氏のようにそれなりに地味に欠点を潜めることにある。習近平氏が胡錦濤政権に反目しているわけでもないのは、来日の由来の背景にもあるだろう。
 むしろ胡錦濤政権側と習近平氏自身が、今回の任命遅延をある程度合意するような背景があったのではないだろうか。そこで、習近平を担いで利権を主張する側の勢力が焦って動き出したのではないか。
 この習近平氏を担ごうとする勢力の当面の敵対先は、漠然と胡錦濤政権というより、明確に温家宝首相だろう。この点についても中国はわかりやすいメッセージを出していた。
 中国人は人を見るから傀儡を普通を相手にしないものだが、そこを折ってまでして温家宝首相は菅首相のお膳立てで会談し、律儀に日本との関係改善をしていた。しかし、そのさなか、わざわざ地方指導者が5中総会に出席して行政が手薄な時期を狙い、しかも内陸など軍閥のお膝元で、「琉球回収・沖縄解放」とかチベットの悲劇を連想させる反日デモを利権軍閥が起こしてくれたのは、温家宝の顔に泥をぬりますよということだった。おまえらの時代は終わりだぜということでもある。
 こうしたわかりやすいメッセージ以外に、報道から窺える情報では多維新聞網によるものが興味深かかった。日本では16日付けサーチナ「習近平氏の軍事委副主席見送りか、「先軍政治」の放棄?内部抗争が激化?―中国」(参照)が伝えていた。


 習近平国家副主席が15日に開幕した中国共産党第17期中央委員会第5回全体会議(5中全会)では、軍の要職・中央軍事委員会副主席に選出され、ポスト胡錦涛氏の道を歩むのかどうかが最大の焦点となっている。しかし、党内部の情報では、習氏が軍事委員会副主席の就任の可能性はないという。多維新聞網が伝えた。

 表題とこの冒頭だけ読むと、習近平失脚かと誤解しやすいが、そうではない。

 中国共産党の後継者選びに関する慣例などによれば、習氏が中央軍事委員会副主席の就任は確実視されている。しかし、共産党上層部の人士によると、習氏の副主席就任は5中全会では見送られることが決まった。しかし、後継者としての地位は揺るがないという。
 今回の就任見送りは、党指導部内で政治改革が始まったためで、習氏は2012年の第18回中国共産党大会(十八大)で胡氏から総書記のポストを引き継ぐと同時に、中央軍事委員会主席に直接就任し、これまでのような「過渡期」を設けない見通しだ。

 わかりづらいが、最重要点は習近平氏が「後継者としての地位は揺るがない」ということだ。しかし、対立的に読まれうる推測もあった。

 このような見方に対し、政治アナリストの1人は「中国共産党はソ連崩壊の轍を踏まないよう政治改革には一貫して慎重。最も微妙な後継者体制から政治改革を始めたとすれば、極めて異例のこと。習氏の副主席就任が見送られるとすれば、共産党内部の抗争が激しく5中全会までに妥協できなったことを示す」と話している。
 このアナリストによると、最近、温家宝首相が、政治改革の必要性を頻繁に公言していることは、政治改革の加速に向けた共産党最高指導部のシグナル。次期指導者の習氏にとって、政治改革が最重要の任務になることを示すとみられる。

 これもまた読みが難しいのは、習氏の相対的な失墜を意味しているわけではない点だ。
 習氏の副主席就任見送り説には、それなりの前兆もあった。5中全会の詳細を決める共産党政治局会議に習氏は参加せず、わざとそれを目立たせるように上海万博をロシアのメドベージェフ大統領と見学していたりした。副主席就任が当然話題となるはずの段取り時点でご当人が欠席というのは不自然だった。
 私なりに合理的にまとめると、中国内部の抗争に対処するため、温家宝首相主導で共青団的な政治改革を優先することから習氏の人事を見送るという背景があったのだろう。
 もう少し言えば、習近平氏を看板に立てる利権勢力を当面沈静化させるために、習氏の象徴性(次期国家主席)を抑え込もうとしていたのではないか。同時にそれには現政権のレイムダック化を抑制する意味もある。さらに言えば、この点では、胡錦濤・温家宝氏と習近平氏自身は一体的なラインで動いており、むしろ、ごたごたした背景は、温家宝対利権集団にあったのではないかと私は思う。
 一度は軍事委副主席就任遅延を飲んだだろう習氏にしても、利権的な圧力は掛かっているだろう。実際のところ習氏がその利権代表のようにべたに振る舞うわけもないだろうが、今後はいろいろ微妙なパフォーマンスは求められる。
 今回の件では失地にある温氏も非常に難しい舵取りが迫られる。すでに弱音も聞こえる。10日付けワシントン・ポスト「Mr. Wen confesses」(参照)はそこを読み違えている。

Specifically, Premier Wen Jiabao announced in Brussels last week, the Communist leaders in Beijing fear their own people. He didn't put it quite that way, of course.

とりわけ温家宝首相は先週ブリュッセルで、中国共産党主導者は自国民を恐れているのだと公言した。もっともそう直接的に言ったわけではない。

But Mr. Wen did say that "if we increase the yuan by 20-40 percent as some people are calling for, many of our factories will shut down, and society will be in turmoil." And that, he added, would be "a disaster for China and the world."

しかし温氏は「中国が他国の要請どおり20パーセントから40パーセントも人民元を引き上げるなら、中国の工場は閉鎖され、社会は混乱に陥り、それは中国と世界の災厄となるだろう」と述べた。


 ワシントン・ポストはこれにきちんと反論しているが、残念ながら、真実は温氏の側にある。
 温氏を今回窮地に追い込んだ利権集団は同時に、中国労働者と社会の利権の上澄みでもあり、上澄みから必死な攻撃に出ただけだが、下部のもまた同じく必死な状況にある。表面的な対立の構造を超えて見るなら、対立を生み出した状況は同じだ。つまり、利権軍閥も胡錦濤政権も同じ経済問題からくる社会破綻の危機の縁にある。
 なんとか中国という体制を維持してもらうには、それを理解している温氏に声援を送るくらいではすまない。届きもしない反中デモにまったりと構え、柳腰外交で日中友好を推進するよりも、日銀に高い円を支えてもらい日本人がじっとデフレに耐えるほうが、仙谷長官の言う「属国化は今に始まった話じゃない」日本にふさわしい。
 米国はそうはいかない。すでに相対的にドルを下げて実質人民元をじわじわと上げる。これは米国内経済上の要請よりも、じりじりと中国を軸とした世界の経済構造を変化させるという意味がある。ゆっくりとではあるが中国社会を締め上げるように変革を迫ることになる。
 誰もがつらい時代ということだし、その先にさしあたって希望があるわけでもない。しいて言えば、単発のコメディーはあるだろう。米国からあふれた金は新興国に流れてその国にバブルをもたらす。すると、その国にはきちんと中国人がいて勘違いなパフォーマンスをしてくれる。

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2010.10.16

政治的だった2010年ノーベル経済学賞

 今年のノーベル経済学賞は、露骨に政治的だったと言えるのでないか。もちろん、ピーター・ダイアモンド(Peter Diamond)教授(70)の受賞が不当だというわけではない。問題は、タイミングだ。
 経済学への学問的な貢献というなら、他、デール・モーテンセン(Dale Mortensen)教授とクリストファー・ピサリデス(Christopher Pissarides)教授とともに確立したサーチ理論(search theory)がノーベル経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞)に値するということに異論は少ないだろう。
 同理論については、同じく露骨に政治的とも言われるなか授与されたポール・クルーグマン教授のブログ・エントリー(参照有志翻訳参照)に簡明な解説があり、「完全雇用」でも失業率がゼロにならない理由を解き明かすとされている。他の解説(参照)によれば、ダイヤモンド教授は、市場価格について「需要と供給」のみ決まるのではなく、市場特有の原因が影響するとし、これを他二人が労働市場に応用したとのことだ。いわゆるニュー・ケインジアンとされる理論らしい。私は詳細にはわからない。
 わかるのは政治的な文脈である。米国オバマ大統領は4月、米連邦準備制度理事会(FOMC: Federal Open Market Committee)にダイアモンド教授を指名した。理由はごく簡単に言えば、オバマ政権が雇用問題に真摯に取り組んでいないのではないかという批判に対して、「では一番の専門家を経済活動に影響を与えるFOMCに据えましょう」として答える意味合いがあった。
 この指名で気にくわないのは野党米共和党である。8月5日、上院夏期休暇の日を狙い、学者には実経験がないと難癖を付け、ダイアモンド教授のFRB理事承認を妨害した。中心となったのは、アラバマ州選出で銀行委員会のリチャード・シェルビー(Richard Shelby)上院議員である。8月6日付けワシントン・ポスト寄稿「Shelby blocks Diamond nomination for Fed Board」(参照)は同議員の言及を伝えている。


"Professor Diamond is an authority on tax policy and Social Security. It is not clear, however, that his background is ideally suited for monetary policy, especially given the current challenges facing the Fed," he said.

「ダイヤモンド教授は税制と社会保障の専門家ではあるが、その経歴は金融政策の点で適任であるかは明らかでない。特に、FRBが取り組んでいる現下の通貨問題についてそれが言える」とシェルビー議員は述べた。


 共和党としては、ダイヤモンド教授への非難と限らず、FRBの金融緩和は結果的に増税と同じであるという認識があるのだろう。
 いずれにしても、ダイヤモンド教授のFRB理事承認が米国内で政治的に紛糾しているなか、同教授にノーベル経済学賞が与えられた。実際上、この問題をオバマ大統領の意向通り、つまり米国民主党の意向どおりに押し切るための助力となったわけだ。さらに言えば、米民主党の零落が予想される中間選挙に国外からエールを送った形にもなった。
 シェルビー議員はそれも気にくわない。11日付けワシントン・ポスト寄稿「Nobel economics prize: Peter Diamond, Dale Mortensen, Christopher Pissarides share award」より。

Shelby, in a statement, said that "while the Nobel Prize for Economics is a significant recognition, the Royal Swedish Academy of Sciences does not determine who is qualified to serve on the Board of Governors of the Federal Reserve System."

「ノーベル経済学賞に貴重な見識があるとしても、スウェーデン王立科学アカデミーには米国FRB理事を決める決めることはできない」ともシェルビー議員は述べている。


 負け惜しみというところだろう。
 とはいえ、12日付けニューヨークタイムズ社説「A Nobel Prize for Peter Diamond」(参照)のうように"But it’s quite a third-party endorsement.(しかしこれは第三者からの授与である))"というのも事実ではあるものの嘘くさい。
 私としては他国の中央銀行の人事がどうあるべきかについては、日銀みたいな中央銀行を持った国民としては、何を言ったらよいのかわからないし、米国共和党の児戯に等しい対応も苦笑する。それでも、こうした経緯を見るかぎり、今年のノーベル経済学賞は極めて政治的だったとは言えるだろう。

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2010.10.14

中国によるパキスタンへの核武装強化の支援

 中国によるパキスタンへの核武装強化の支援がやっかいな問題を引き起こしている。ざっと見たところ日本での報道はほとんどないようなので触れておきたい。
 話のきっかけは、昨日のエントリー「北朝鮮の核開発が一段と進展するなか中国は非核化にコミットしない」(参照)と同様に米国科学・国際安全保障研究所(ISIS: the Institute for Science and International Security)の報告によるものだ。該当の報告は5日付け「Construction of Third Heavy Water Reactor at Khushab Nuclear Site in Pakistan Progressing」(参照)である。報告自体は簡素なもので表題通り、フシャーブ県で第三の重水炉の建設が進展しているというものだ。
 ISISの報告はわかる範囲の事実を淡々と述べているだけなので返って意味がわかりづらいが、この問題を扱った5日付けAFP"Pakistan steps up nuclear construction"(参照)は簡素にこの各施設がプルトニウム産出の重要点になること("Khushab site which is key to plutonium production.")を指摘している。同記事では、この施設が初期時点では中国の支援によってなったものだとも言及している。


Western analysts believe that China initially assisted Pakistan in developing Khushab nuclear site to produce plutonium, which can be miniaturized for cruise missiles -- presumably aimed at India.

西側専門家は、プルトニウムを産出するフシャーブ県の核施設は初期時点では中国の支援によったと見ている。産出されるプルトニウムは小型される巡航ミサイルに搭載され、おそらくインドを標的としている。


 この話題については、10日付けテレグラフ「Pakistan's nuclear arms push angers America」(参照)は、米国オバマ大統領が推進する核軍縮に対する挑戦という構図で描いていた。

But Pakistan, which is deepening its nuclear ties to China, has blocked the Conference on Disarmament from starting discussions, saying a cut-off would hurt its national security interests.

しかしパキスタンは、中国と核化の関係を深めつつ、核軍縮会議を冒頭から阻止してきた。核削減はパキスタンの国益を毀損するというのである。


 問題の中心はパキスタンにあるのだが、国際的な構図上は米中の核戦略にある。

The Obama administration is also disturbed by Chinese plans to build two new nuclear reactors in Pakistan, bypassing Nuclear Suppliers Group (NSG) rules that bar sales of nuclear equipment to states that have not signed the Nuclear Non-Proliferation Treaty (NPT).

(核軍縮を推進する)米国オバマ政権は、パキスタンに二基の原子炉建設を計画する中国に妨害されてきた。中国は、核拡散防止条約(NPT: the Nuclear Non-Proliferation Treaty)に署名していない国に核施設の販売を禁じる原子力供給国グループ(NSG: Nuclear Suppliers Group)ルールを無視してきた。

India, which along with Israel and Pakistan has refused to sign the NPT, recently obtained a waiver from the NSG allowing sales under international safeguards.

イスラエルやパキスタン同様NPTを批准しないインドは、最近、国際保全のもとにNSG認可によって免責を得た。

China, however, says it does not need NSG permission to sell reactors to Pakistan, arguing it had committed to the deal before it joined the NSG in 2004–a claim the United States disputes.

しかし中国は、パキスタンに原子炉を売却する上でNSG認可は不要だとしている。中国としては、この売却が米国が非難する要件を持つNSGに加盟する以前だとしているからだ。


 中国にも中国の理屈があり、またインドのNSG免責は西側諸国のご都合ではないかという批判もあるだろう。だが、現実を見れば、インドの核化は既定でありパキスタンも対抗して核化した以上、この均衡を取るしかない。しかも、パキスタンについていえば、実質アフガン戦争の主体であり、タリバンがパキスタン核を入手または支配する危険性もあり、国際社会はパキスタンを抑圧せざるをえない。他方、中国はといえば、これは対インドの軍事関係上のバランスからパキスタンに肩入れしているのだが、よりによって核を選んでいるにすぎない。
 昨日の「北朝鮮の核開発が一段と進展するなか中国は非核化にコミットしない」(参照)の元になったISISによる北朝鮮の核の情報も、報告書に明記されているように、パキスタン側からの情報が含まれている。なにより日本という文脈でいえば、「北朝鮮核実験実施: 極東ブログ」(参照)でも言及したが北朝鮮の核実験の予備段階はパキスタンで行われていたと見てよい。
 では中国がパキスタンや北朝鮮の核化について背後で糸を引いているのかというと、面白いことにそうした意識はあまりなさそうだ。単純に言えば、ロシアもそうだが、核兵器の拡散を通常兵器の延長くらいにしか見ていない。にも関わらず、核拡散防止が国際的に正しいと国際社会が言うのなら、中国という国は言葉の上では正しい振る舞いを律儀にしようとする。例えば、9月21日のCRI「中国、パキスタンとの核協力は平和目的」(参照)などは滑稽な印象を伴う。

 中国外務省の姜瑜報道官は21日に、北京で、「中国とパキスタンが進めている民用核エネルギー分野での協力は、平和目的だ」と強調しました。
 姜瑜報道官は関連質問に対し「中国とパキスタンとの相互協力は、各自担う国際的義務であり、IAEA・国際原子力機関の監督を受け入れている。報道されている両国が協力して建設しているチャシマ原発の第3期、4期の工事は、すでにIAEAに関連情報を知らせ、監督を申し込んでいる」と述べました。(朱丹陽)

 重要なのは、中国の、結果的な核化拡散の攻勢をできるだけ国際社会の話題の上にあぶり出し、国際社会の正しい振る舞いを表示し、これに中国を従わせることだろう。
 そしてその最先端に立つのは、非核原則を持ち、武力攻撃を放棄した平和日本であるべきなのだろう。
 米国は9月15日オバマ政権初の臨界前核実験を米ネバダ州エネルギー省の核実験場で実施した。この件については日本でも報道があり、核廃絶に反するということで日本からも非難の声が上がった。同じように、パキスタンの核化を実質推進することになる中国の核戦略についても非難の声を上げていなくてはならない、はずだ。


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2010.10.13

北朝鮮の核開発が一段と進展するなか中国は非核化にコミットしない

 北朝鮮の核開発が一段と進んでいる。国内報道がないわけではないが、重要な問題のわりにあまり注目されていない印象があるので言及しておこう。
 ざっと見渡すと毎日新聞とNHKの報道が目に付いた。問題の概要を知ることと、日本での報道を検証する意味もかねて9日付け毎日新聞「北朝鮮:ウラン濃縮、開発拡大 米研究所「試験的生産」--「実験成功」裏付け」(参照)から見てみよう。


【ワシントン草野和彦】米シンクタンク「科学・国際安全保障研究所」(ISIS)は8日、北朝鮮のウラン濃縮計画が「実験」から「試験的生産」へ拡大した可能性があるとの報告を発表した。今後、北朝鮮の核を巡る交渉が再開された場合は、ウラン濃縮計画の破棄に優先的に取り組むべきだとも警告した。

 報道のきっかけは、記事にも言及されているように、米国科学・国際安全保障研究所(ISIS: the Institute for Science and International Security)の報告書によるものだ。
 同報告書のオリジナルは同研究所のサイトで "Taking Stock: North Korea's Uranium Enrichment Program"(参照PDF)として公開されて、誰でも閲覧できる。
 毎日新聞の記事はAFP"NKorea forging ahead with uranium weapons work: study"(参照)以上の内容は含まれていないので、記者がオリジナルの報告書を参照したかはよくわからない。
 同種の欧米報道としては、7日付けワシントン・ポスト記事「N. Korea pressing forward on nuclear program, report says」(参照)が詳しい。
 今回のISISの報告書をどう受け止めるかだが、見方によってはとりわけ衝撃的な内容ではないとも言える。すでに北朝鮮は昨年9月の時点で国連安保理に向けて、ウラン濃縮実験が成功し完了段階に入ったと報告しており、なるほど北朝鮮は有言実行であるということでもある。
 とはいえ、北朝鮮の核問題を扱う国際的な枠組みとしての六か国協議では、ウラン濃縮の問題よりも、実際の核実験に利用されたプルトニウムによる核兵器が重視されてきた。今回の報告が提起するのは、国際的により包括的な北朝鮮対応が求められることだ。
 NHK報道も毎日新聞報道に似ているが、こちらは中国の関与を明確にしている。9日付け「北朝鮮 ウラン濃縮技術進展か」(参照)より。

そのうえで報告書は、北朝鮮がウラン濃縮に必要な物資を隣国の中国を介して調達したケースが頻繁に見られるとして、中国の対応を批判しました。北朝鮮は核問題をめぐる6か国協議の再開に2年近く応じておらず、今回のアメリカのシンクタンクの報告書は、北朝鮮による核開発を食い止めるため、中国を含めた国際的な取り組みを急ぐよう警告しています。

 六か国協議の枠組みで、北朝鮮の核化抑制でもっとも期待されている中国が、端的に言えば、最大の問題になっている。実質北朝鮮の核化をバックアップしているからだ。
 さらに中国は、米国側からのこうした報告のさなかに、金正恩の権力ショーに中国共産党の周永康政治局常務委員を堂々と参加させている。このことは、「北朝鮮による核開発を食い止めるため、中国を含めた国際的な取り組み」とやらが、すでに明確に機能していないことを示している。米国オバマ政権の対北朝鮮政策がすでに破綻していることも同時に意味している。
 プルトニウムについての問題も提起されている。NHKの報道には言及がなく、毎日新聞記事では次のように曖昧な言及があるが、これだけでは意味が取りづらい。

 ISISは先月30日、北朝鮮の核施設の無能力化措置として爆破された寧辺(ニョンビョン)にある黒鉛減速炉の冷却塔跡地で、何らかの建設工事が進んでいることも明らかにしている。

 先のAFPやワシントン・ポストの記事などを参照するとわかるが、この新施設はプルトニウム生産設備の疑いが濃い。
 いずれにせよ対応は六か国協議の枠組みが基点になるのだが、この対応上で難問となるのは、先月行われたカーター元米国大統領の北朝鮮訪問の際、彼が出した混乱したメッセージである。9月15日のニューヨークタイムズに「North Korea Wants to Make a Deal」(参照)として寄稿されている。朝鮮半島の離散家族問題への前向きな対応の文脈で。

Seeing this as a clear sign of North Korean interest, the Chinese are actively promoting the resumption of the six-party talks.

北朝鮮国益の明確な兆候を見つつ、中国は六か国協議再開に注力している。

A settlement on the Korean Peninsula is crucial to peace and stability in Asia, and it is long overdue. These positive messages from North Korea should be pursued aggressively and without delay, with each step in the process carefully and thoroughly confirmed.

アジアの平和と安定において朝鮮半島問題の解決は重要であり、すでにその解決期日を超えている。北朝鮮からのこれらの前向きなメッセージは、各段階を注意深く推進しつつも、精力的に遅延なく推進されるべきである。


 カーター元大統領は今回の訪問で、北朝鮮の権力が金正恩に継承されるのはただの噂にすぎないと中国筋の奇っ怪な情報を振りまいて国際的な失笑を買ったものだが(参照)、こちらの提言は失笑で済ますには非常に危険なものになっている。
cover
誰がテポドン開発を許したか
クリントンのもう一つの“失敗”
 繰り返すが、すでに中国は、北朝鮮の核化が進むという報道のさなかに北朝鮮を支持する表示を行うことで、北朝鮮の非核化にはコミットしていないという明確なメッセージを出しているのである。
 対中問題という文脈で言うなら、尖閣諸島のいざこざなどたいしたことではないと思えるほどの問題がここに存在している。

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2010.10.12

2010年8月のルワンダ大統領選挙について

 これからの「正義」について安全な場所で富裕な人びとが知的に討議することにも意味がないわけではない。現実のこの世界で「正義」を問うことが難しいだけだ。前回のエントリー「国連報告書によるルワンダ現政府軍による虐殺(ジェノサイド)」(参照)もそうであった。だからこそまず、オバマ大統領が強調しているように、国際社会で許されざる「ジェノサイド(genocide)」という問題を、いわゆる日本語の「虐殺」の文脈から区分して考える事例を挙げた。他方、現下のルワンダの状況についてはあえてあまり踏み込まなかった。が、少し補足しておいたほうがよいのかもしれない。
 ルワンダの状況で特筆すべき事は8月9日の大統領選挙の実施である。国内でも報道された。比較的詳しく、微妙な陰影のある12日付け朝日新聞記事「ルワンダ大統領選、カガメ氏が再選 得票率は約93%」(参照)を一例として見ていこう。ジャーナリズム検証と事実を述べた記事でもあることから、あえて全文引用する。


 【アンタナナリボ(マダガスカル)=古谷祐伸】ルワンダで9日に大統領選があり、中央選挙管理委員会は11日、現職ポール・カガメ大統領(52)が、約93%の圧倒的な得票で2期目の当選を果たしたと発表した。任期は7年。順調な経済成長の維持と、強権的と批判される政治手法の改善が2期目の課題となる。
 今回、カガメ氏のほかに3政党から3人が立候補したが、いずれもカガメ氏の与党・ルワンダ愛国戦線と連携する政党の所属。カガメ氏と対立する野党候補らは手続きの不備を理由に出馬を認められず、大統領選は出来レースと見られてきた。
 ロイター通信などによると、11日の選管発表後、首都キガリのバスターミナルで手投げ弾が爆発し、7人が負傷。反対勢力による犯行の可能性がある。
 カガメ氏は、1994年に少数派民族ツチなど80万人が犠牲になった大虐殺の後、反政府勢力を率いて多数派民族フツ系の政府を倒し、実権を掌握。00年に暫定大統領に就き、03年の大統領選で選ばれた。資源は少ない国だが、IT化を推進するなど基盤整備を進めて投資を呼び込み、08年に国内総生産(GDP)の成長率11.2%を記録するなど、高い経済成長を維持してきた。

 重要なのは、この選挙が出来レースであるという点だ。
 そしてなぜ出来レースなのかといえば、「カガメ氏と対立する野党候補らは手続きの不備を理由に出馬を認められ」なかったためで、それだけ見れば、当然公正な選挙とは言い難い。だから反対勢力と見られる暴力活動があったことも記されているし、なにより「強権的と批判される政治手法」とも言われる。バランスのよい記事でもあるが、その内情までは描ききれない。
 通常の国ならば、独裁政治による不当な選挙と批判されがちだが、ルワンダおよびカガメ大統領にはあまり風当たりは強くはない。日本でもあまり話題にすらなっていないと言ってもよいだろう。
 日本のブロガーがどのように見ているか、ざっと検索したところ、「低気温のエクスタシー(難民キャンプ)byはなゆー」というブログのエントリー「ルワンダ大統領選の潮流は「民主主義よりゼニ(明日のメシ)」(参照)に次のような短いが、典型的なコメントがあった。

★カガメ体制への懸念を強めているのは主に知識階級や欧州先進国であり、背に腹は替えられないルワンダ大衆は「民主主義よりゼニ」「民主主義より明日のメシ」「言論や表現の自由より、衣食住」を選択するものと考えられる。

 つまり、カガメ体制を批判しているのは、知識階級や欧州先進国であって、ルワンダ国民は経済を重視して、「強権的と批判される政治手法」を支持しているという見解である。
 朝日新聞記事にもあったように、強引な選挙とはいえ、約93%の得票はあまりに圧倒的であり、国民の信任があると言えるだろう。
 非欧州先進国ではない日本人の大半はそう見ているのかもしれない。だが、おそらくイデオロギー的な見解を先行させないのであれば、単に情報が十分には日本に伝達されていないこともあるだろう。
 「知識階級や欧州先進国」の代表とも見られるのかもしれいないが、Human Rights Watchは選挙前に「ルワンダ:大統領選挙に向け、現政権に批判的なグループに対する弾圧 強まる」(参照)において、これまでの弾圧の経緯を詳細に報告していた。これを見ると、朝日新聞が「強権的と批判される政治手法の改善が2期目の課題」とする以上の懸念を抱かざるを得ない。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、過去半年の間に、野党勢力やジャーナリスト、NGO活動家、反体制活動家などに対する脅迫や、嫌がらせなどの人権侵害を明らかにしてきた。これらの人権侵害は、行政処分から、逮捕や殺人にまで及ぶ。
 今回の大統領選挙への立候補者は、現職のポール・カガメ大統領(ルワンダ愛国戦線、RPF)、ジョン-ダマスネ・ンタウクリヤヨ(Jean-Damascène Ntawukuriryayo:社会民主党)、プロスぺー・ヒギロ(Prosper Higiro:自由党)、アリベラ・ムカバランバ(Alivera Mukabaramba:進歩調和党)の4名。
 カガメ現大統領に挑む3候補は、有力な対抗馬ではないとされている。これら3党(社会民主党、自由党、進歩調和党)は、カガメ現大統領のルワンダ愛国戦線(RPF)への大幅な支持を表明してきており、ルワンダ国民も「真の」反対勢力とはみなしていない。
 これに対し、RPFの政策を公に批判してきた3党(PS-インベラクリ党、民主緑の党、FDU-インキンギ党)は立候補者の擁立を許されなかった。民主緑の党、FDU-インキンギ党は登録を阻止され、PS-インベラクリ党の党首は拘束中のためである。これらの党の党員は、脅迫や嫌がらせの被害に遭っている。
 更に、独立したジャーナリストの多くは発言の自由を奪われ、主要2新聞は発刊停止となった。

 さらにこの記事には弾圧の詳細な年表が続く。一部を引用しよう。

 :
6月19日
 南アフリカに亡命中の元ルワンダ政府軍幹部、カユンバ・ニャムワサの暗殺未遂事件が起きる。
 :
6月24日
 ウムヴギジ新聞のジャーナリスト、ジョン-レオナード・ルガンバゲ(Jean-Léonard Rugambage)が、夜キガリの自宅外で射殺される。その朝、ウムヴギジ新聞のオンライン版で、ルガンバゲが入手した情報に一部基づいた記事が公開されていた。記事では、南アフリカで起きたカユンバ・ニャムワサ暗殺未遂事件にルワンダ上級当局者が関与していると報道されていた。
 :
7月13日
 民主緑の党副党首のアンドレ・カグェ・ルウィセレカが行方不明になったと報道される。彼の車は南部の町ブタレ(Butare)近辺で発見された。
7月14日
 民主緑の党、ルウィセレカ副党首の切断された遺体がブタレ近郊で発見される。
7月16日
 ルウィセレカ副党首を最後に目撃した言われる、トーマス・ンティブグリズワ(Thomas Ntivugurizwa)を殺人の疑いで警察が逮捕。

 現状では十分な情報もなくカガメ政権の所作であるとは断定できないが、ヒューマン・ライツ・ウォッチの記載からは非常に疑わしいものではあると言えるだろう。
 ルワンダは主権国であり、多くの問題を抱えつつも現状明白な大規模な人権侵害の状況にあるとはいえない。ヒューマン・ライツ・ウォッチが示した懸念もあるが、国際社会も懸念を持って見守る以上のことはできそうにはない。
 カガメ政権は多数の支持を得ていることに加え、軍部も掌握しているので、クーデターといった懸念もない。だが、ヒューマン・ライツ・ウォッチの記載にもあるように軍部内の軋轢がないわけでもない。
 にも関わらず、これだけの国民多数の支持を得ながら、絵に描いたような弾圧をカガメ大統領が行使しているのはなぜだろうか?
 8月5日付けガーディアンに寄稿されたPhil Clark氏による「Rwanda: Kagame's power struggle」(参照)が興味深く、この問いに答えている。

The answers lie inside the RPF. Contrary to depictions of a cohesive, repressive state, the RPF is a deeply divided, fragile, paranoid party. It has a tendency to pursue innovative social policies during the good times but to lash out during periods of perceived uncertainty.

(政党RPFのカガメ政権が弾圧を必要とする)理由はRPF内にある。結束力があり弾圧的な政党として描写されるのとは逆に、PRFには深刻な内部分裂があり、脆く、妄想的な政党なのである。良い時期には革新的で社会的な政策を推進してはきたが、不確実な時期には外罰的な傾向を見せてきた。

The RPF is a motley coalition of hardliners and reformists. As I argue in a forthcoming book on post-genocide politics and justice in Rwanda, the highly factional nature of the RPF has been a central – and often overlooked – feature of recent policy-making in Rwanda.

RPFは強固派と改革派の雑多な連合である。ジェノサイド後の政策と正義を扱った、私が近く刊行する書籍で議論したように、RPF内の高度な対立的な性質が、ルワンダの近年の政策決定の中核的な、そしてしばしば看過される性質である。


 このことは見守るべき国際社会に対しても非常に興味深い示唆をもたらす。

Human rights critics have preferred to lambast the hardliners and paint Rwanda as an international pariah, rather than forging relations with powerful reformists. Failure to engage with moderate leaders within the RPF has further isolated them and empowered the old guard.

人権活動家は、力強い改革を伴った国際関係よりも、強権性を非難し国際社会からのつまはじきと見たがる。RPF内の穏健派指導者と関係持つことの失敗から、穏健派を孤立させ、古参強行派を力づけてしまう。


 現状のルワンダを人権的に非難することが、ルワンダ国民にとって有効ではない仔細と見ることもできる。
 重要なことは、カガメ大統領が強権的となる背景の、RPF内の亀裂に対して、緩和志向の穏健的な指導者たちが優位になるよう、国際社会が導く外交だろう。
 ただし、このエントリーでも十分に触れることができないし、Phil Clark氏の議論からも欠落しているようだが、そもそも亀裂には経済的な利権が反映している。国民経済の改善が優先されるというナイーブな見解よりも、経済利権の構図がそのまま亀裂に反映していることの問題である。
 RPFの脆弱性は、現状、さも結束しているかに見えるルワンダという国の内在的なもろさにも直結しかねない。8月10日付けGlobalPostに寄稿したJon Rosen氏の記事「Rwanda: Kagame wins landslide victory」(参照)が描いている。

While 85 percent of Rwandans are Hutu, Kagame, the bulk of the RPF hierarchy, and much of the country’s brightest young talent are Tutsi. By calling for investigations into genocide-era crimes committed against Hutu and warning of future violence if Hutu are not given more political space, Ingabire has drawn attention to ethnic divisions in a manner many view as dangerous to national security.

ルワンダの85%はフツ人だが、RPF最高幹部のカガメ氏や、この国の有能な青年の多数はツチ人である。インガビレ氏は、もしフツ人に対して政治参加の余地を与えないまま、フツ人に対するジェノサイド時代の犯罪調査を推進し、未来の暴力を警告すれば、国家保全に危機と見られるほどの民族対立になるという注意を提起している。


 同記事ではインガビレ氏のこの見解に、それこそが民族分断をもたらすとの反論にも触れている。
 しかし、私は大筋ではインガビレ氏の見解が正しいだろうと思う。90%を超えるほどの政権への賛同だが、それ自体が脆弱性を現していることは、歴史が教えるところでもある。

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2010.10.10

国連報告書によるルワンダ現政府軍による虐殺(ジェノサイド)

 国内報道がないわけではないが、これもブログのエントリーとして拾っておいたほうがよいだろう。ルワンダ現政府軍が1996年から1997にかけて隣国ザイールに避難したフツ人を虐殺したと、1日、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が報告書を出した件である。
 日本語では「虐殺」という一語で議論されがちだが、英語ではテーマによって、atrocity(アトロシティ)、massacre(マサカー)、genocide(ジェノサイド)と分けられ日本ほどの混乱はない。アトロシティは非人道的な虐殺で主に戦闘・戦争による残虐行為、マサカーは流血・殺害の事態性である。この2つの単語は見方によって使い分けられることもある。南京大虐殺は、"Nanking atrocities"とも"Nanking massacre"と呼ばれる。天安門事件は、その流血の惨事の面では、"Tiananmen massacre"と呼ばれるが、"Tiananmen atrocities"と呼ばれることは少ない。
 これに対して、ジェノサイドは特定の民族を狙った殺害で、近代的には政府が関与した組織的な虐殺が問われる。ジェノサイドは局面においては、マサカーでもあるが、その本質ではない。
 この区別は日本人には難しいようだ。映画「ホテル・ルワンダ(Hotel Rwanda)」(参照)が公開されたおり、映画の元になった出来事を指して、これを遠いアフリカの出来事として観ても意味がなく日本人なら関東大震災の朝鮮人虐殺事件を想起すべきだと評した映画評論家がいたが、流血の惨事を強調したあの映画なのでそうした印象を与えてしまうのはしかたがない。だが、ルワンダ虐殺(Rwandan genocide)の本質は、ジェノサイドにあり、ジェノサイドとしての構図をきちんと理解することが重要になる(参照)。
 もっとも朝鮮人虐殺事件も日本政府が関与したジェノサイドであるという意見もあるだろうが、大川常吉・横浜市鶴見警察署長が職務として朝鮮人を保護していた事例もあり、概ね国家権力による特定民族を組織的に虐殺したジェノサイドとは区別されるものだろう。
 また、マサカーもジェノサイドも人を殺すという点では同じだから同じように扱ってよいという、いえば絶対平和主義とでもいうような宗教的な見地からの意見もあるかもしれないが、それでは現在の国際社会が、なかんずくオバマ大統領が、ジェノサイドに対する厳しい態度を取る理由も曖昧になってしまう。宗教的な信念と国際社会の規範は分けて考えるべきだろう。
 20世紀後半の世界最大のジェノサイドといえば、ルワンダ虐殺(Rwandan genocide)であり、こうした事件を二度と起こさないようにと国際社会は誓ったかに見えたが、21世紀に入るやダルフールでジェノサイドは発生した。ここでもスーダン政府軍の空爆などでその地の民族が組織的に虐殺された。
 映画「ホテル・ルワンダ」を教訓として、日本人も虐殺を止めようになるべきだというのは、あの個別の局面としては正しいかもしれないが、ジェノサイドで向き合うことになるのは政府軍や組織的な武装勢力なのである。市民が虐殺を食い止めようと正規の軍隊や武装勢力に個別に抵抗することは、虐殺をさらに深刻なものするのは火を見るよりも明らかである。
 ルワンダ虐殺の政府軍関与や組織性は事件当初から明らかではあったが、残念ながら芸術的な映画によって、そうした側面の誤解も一部に広がったこともあったかもしれない。
 1994年でジェノサイドは終了したかに見えたが、1996年から1997年にかけて、ルワンダ隣国ザイール頭部(現コンゴ民主共和国領内)に避難していた多数のフツ人の女性や子どもに対し、ルワンダ政府軍が虐殺を行っていた。今回の国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は報告書はこの件について、ジェノサイドの「疑いがある」と報告した。だが、断定は避けている。
 報告書が国際社会に大きな波紋を投げかけたのは、1994年のジェノサイドを収拾したはずの、現在に続く新政府が報復のようなジェノサイドに関与していた可能性を明らかにしたことにある。
 つまり、現在のルワンダの大統領であり、虐殺後のルワンダを再建したと評価の高いカガメ(Paul Kagame)大統領だが、彼が当時副大統領として事実上統率していた政府軍に対して、ジェノサイドが問われるようになった。カガメ大統領自身も、スーダンのバシル大統領のように国際的な犯罪者に問われかねない。
 報告書はジェノサイドの断定については、国際司法裁判所が決めることだとしているが、ルワンダ政府は公表以前にこの報告書の草案を察知し、発表すれば、ダルフールに同国から派遣している国連平和維持活動(PKO)部隊を撤退させると脅しをかけた。国連はそれに屈することなく発表に至った。
 発表後もこの報告書について、国連の背景に国連の失態を糊塗するといった非難もある。また、現ルワンダ政権への反発を正当化し、政情を不安定化させるといった非難もある。後者については当然とも言える非難だろう。
 どうしたらよいのか。当然ながら、大変な難問である。
 だが大筋としては、事実をより明らかにし、ジェノサイドの罪責を明確にするしかないだろう。この問題を論じた3日付けフィナンシャル・タイムズ社説「Justice in Congo」(参照)も、その方向性を打ち出していた。


Having used the most severe of language to describe these crimes, there is now an onus on the UN to pursue justice for the victims, ensuring that, through legal process, what happened and why is established more precisely. If, as Rwanda and others fingered in the report contend, the allegations are malicious and false, it can only be in their interests to co-operate.

この犯罪を極めて厳格に表現してしまったからには、国連には、何が発生し何が残ったかをより正確に司法手続きによって、犠牲者へ正義として追究する責務がある。もし、ルワンダ政府や報告書に記載された関連組織が反駁するように、この申し立てに悪意が潜んでいるというなら、その視点からのみでも、追究に向けて協力することができる。


 読み方の難しい英文で、おそらく、このような報告書を現時点で出すことの是非に対する疑念も潜んでいる。しかし、報告書を出してしまった以上、正義は正義として追究されなければならないとしている。
 主権ある国家を崩壊させる懸念を侵してまで、正義を追究する必要があるのだろうか。少なくとも、ジェノサイドはその必要性を問いかける大きな問題である。

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2010.10.09

来年は證厳法師にノーベル平和賞を

 今年のノーベル平和賞は劉暁波氏に決まった。違和感はなかった。グーグルで「劉暁波」をキーワードで検索すると、昨年劉暁波氏について私が書いたエントリー「「〇八憲章」主要起草者、劉暁波氏の初公判の文脈」(参照)が上位に来るので、多くのかたがこの機にあのエントリー読まれるだろうか。併せて「「グリーンダム」搭載義務延期を巡って」(参照)も読まれれば、国内報道が伝える以上の経緯も理解されるのではないかとも思った。だから加えて劉暁波氏について新しいエントリーを起こす必要もないだろうとも思った。
 関連する報道やツイッターを漫然と見ていると、民主化を促す劉暁波氏の受賞は中国に大きな変化をもたらすだろうという意見もあった。どうだろうか。私はむしろ、證厳法師にノーベル平和賞を与えたほうが、中国社会を根底から変える大きなインパクトを与えることになると夢想した。
 證厳法師あるいは釈證厳、英語ではCheng Yen氏は、台湾の尼僧である。日本統治下の1937年、台中県清水鎮に生まれた。名前は王錦雲。幼少時に、映画館を営む、子供の無かった叔父夫婦の養女となり豊原鎮で育った。観音信仰の盛んな土地であった。彼女も15歳のとき養母の病気平癒を観音菩薩に祈り霊験を得ている。この時、夢にある寺を見たとも語っていた。
 23歳のとき、51歳の養父が脳卒中で急死した。養父母の愛情を受けて育った彼女には大きな悲しみでもあり衝撃でもあった。これが仏教に傾倒するきっかけともなり、出家の願望を持つようになった。しかし出家を試み家出をしたが、反対する養母の願いもあって一度は挫折した。
 二度目の決意で彼女は出奔した。1960年の秋の日、台中駅から列車に飛び乗り、高雄から台東に向い、さらに鹿野村にある、日本人の残した寺に身を寄せた。しかし、世俗を捨てる固い決心のわりに仏教への確信は定まらず、正式な手順を要する出家には至らなかった。
 さらに各地を転々とし花蓮県秀林郷の普明寺に至ったとき、そこが15歳のとき夢に見た寺であると知り、その地に落ち着くこうとした。当地で著名な僧侶、許聰敏居士を師として「修安」の法名をもらい、剃髪し尼僧の姿とはなったが受戒はまだだった。
 修安となった彼女は1963年普明寺の裏に庵を建てた。望みは受戒である。台北に足を伸ばした。慧日講堂を拠点に台湾仏教界を率い、仏教興隆の活動をしていた印順長老に熱心に頼み込み、異例の弟子としてもらい、ようやく具足戒を受けた。出家が成った。法名「證厳」を授かった。25歳のことだった。
 尼僧となり自給自足の普明寺の暮らしを望んだが長くは続かなかった。土地の人の理解もあるが反感もあり、1964年、花蓮の慈善寺に移り、新しい庵を建てた。4名の弟子もできた。日本から得た仏典からも学んだ。
 證厳法師の現在に至る大きな転機が1966年に続いた。信徒を見舞いに地元の市立病院を訪問した際、床に大きな血溜まりを見た。誰が流した血なのか。話を聞くと流産で運び込まれた女性のものだという。だがお金がなく治療を受けることができずに引き返したとのことだ。證厳法師の心に悲しみが宿った。
 そのころ庵にカトリックの修道女からの訪問を受けた。修道女にしてみれば、貧しい證厳法師らは救済の対象でもあった。話し合えば誤解は解けたが、修道女は證厳法師向かって、仏教は社会救済の活動しないではないかと問いかけた。それも彼女の心に残った。
 最後の転機は師匠である印順長老が嘉義の妙雲蘭若道場に来いと要請したことだったが、彼女の心を動かしたのは、その要請を受けて證厳法師がこの地を去らぬように願う現地の人びとの信仰の篤さだった。
 その信仰を束ねれば窮民救済活動ができるのではないか、證厳法師は構想した。貧しい庶民が少しずつでも募金を竹筒に貯め、それが大きな広がりとなれば可能ではないか。これが「慈濟功徳会」となった。始まりは30人の主婦だった。
 證厳法師は彼女に帰依したいと願う人に、まず慈善団体である慈濟功徳会会員となることと、その社会奉仕に携わることの二点を条件として課した。最初は小さな活動だったが、次第に主婦層を中心に大きな活動となっていった。
 1969年、会員も増えたことから、かつては出家に反対した養母から多くの基金も出してもい、花蓮に新しく「静思精舎」を建立した。
 八面六臂で活動する證厳法師も1978年、心筋炎で倒れた。昏睡状態にすら陥ったこともあった。自らの病のなかで、彼女は病院設立を決意した。資金はなかったが、印順長老は賛同した。新しい運動が展開された。
 だがやっかいな用地問題も起きた。熱意が、1980年、蒋経国を動かした。新たに「慈濟基金会」を立て、花蓮に9ヘクタールの土地を購入した。1984年の鍬入れ式は主席となった李登輝が行った。キリスト教信者の彼は「私も今日から功徳会の会員である」と宣言した。「慈濟基金会」は宗教を問わない。仏教から発した活動ではあるが、仏教という宗教の活動ではない。用地問題で国家からの支援を受けたこともあるが、政治色はないと言ってよい。
 思いがけぬ困難もあったが、慈濟病院は1986年に完成した。日本の篤志家も2億ドルの寄付をした。花蓮の慈濟病院を新しい基点として、證厳法師の救済活動はさらなる広がりを見せた。看護学校の設立から多方面の教育にも着手した。慈済基金会の支援者の数は500万人を超えた。慈善の活動は台湾を超え、世界45か国にも広がっていった。


證厳法師

 アルベルト・シュバイツァーがノーベル平和賞を受賞したのは1952年。マザー・テレサは1979年であった。1990年代に入り、證厳法師の慈善活動が彼らに劣らないことは台湾の人びとがよく知っていた。キリスト教によらず、仏教の精神を基点としつつも仏教を超えた慈善の精神になぜ世界の人が注目しないのか。
 民主的選挙で選出された李登輝総統は1992年、證厳法師をノーベル平和賞に推したいと思った。内政部長呉伯雄にノルウェーのノーベル平和賞委員会充ての推薦書を書かせ、米国オハイオ州立大学の李華偉に取り次がせた。だが證厳法師自身は推薦を望んでいなかったため、内密に作業を進めた。甲斐あって、1993年、證厳法師がノーベル平和賞候補に挙がった。
 残念ながら1993年のノーベル平和賞は南アフリカのネルソン・マンデラとフレデリック・デクラークに与えられた。翌年は、イスラエルのイツハク・ラビンとシモン・ペレスまたパレスチナ代表のヤセル・アラファトに与えられた。ノーベル平和賞が政治的な意味合いを濃くし、民衆が慈善と平和を作り出す力への注目は忘れていくかに見えた。
 その後も證厳法師をノーベル平和賞候補に推す声は絶えない。昨年もその声はあった。英字紙チャイナポストは2009年12月4日の社説「Nobel Peace Prize for Master Cheng Yen(ノーベル平和賞を證厳に)」(参照)を掲げた。


This year's Nobel Peace Prize was awarded to President Barack Obama of the United States, albeit he doesn't seem to have done anything to contribute to world peace. Well, that may be the reason why a German Nobel laureate on a brief visit to Taipei is planning to nominate Venerable Dharma Master Cheng Yen for that prize next year.

今年のノーベル平和賞は米国オバマ大統領に与えられたが、彼は世界平和になんら貢献してきたようには見受けられない。だからノーベル賞受賞者のドイツ人が台北を訪問した。彼は證厳法師を来年のノーベル平和賞に推薦しようとしている。

Dr. Harald zur Hausen, director of the German Cancer Research Center at Heidelberg and winner of last year's Nobel Prize for Medicine, wants to recommend Master Cheng Yen for the peace prize for her compassionate work around the world. She is Taiwan's equivalent to Mother Teresa of Calcutta, who started her Missionaries of Charity that extends love to and takes care of those persons nobody is prepared to look after. She won the 1979 Nobel Peace Prize.

ドイツ・ハイデルベルグ癌研究所長でもあり、昨年ノーベル医学賞を受賞したハラルド・ツア・ハウゼン氏は、證厳法師が世界中で熱心に展開する事業についてノーベル平和賞の推薦を望んでいる。證厳法師は台湾のマザー・テレサと言える。マザーは愛の手を伸ばし、誰も看取ることがない人びとに援助するために慈善宣教を始めた人だった。彼女のほうは1979年にノーベル平和賞を受賞している。


 残念ながら證厳法師は今年もノーベル平和賞は受賞しなかった。彼女もそれを望んでいるわけでもないだろうし、ノーベル平和賞自体、シュバイツァーやマザー・テレサを忘れてしまった時代となったのかもしれない。
 それでも私も、来年は證厳法師にノーベル平和賞をと望む。
 劉暁波氏が求める民主化は、その原点の天安門事件を見てもわかるが、基本的には知識人層からの変革である。それが中国の民衆を変えるにはまだ長い時間を待つことになるだろう。だが、證厳法師の活動は30人の主婦から始まった。民衆が民衆同士を直接援助しあう運動だった。すでに中国大陸での活動は開始されているが、これにさらにノーベル平和賞の栄誉が与えられればより大きな励みとなり、中国大陸の人びとの生活を変えていくだろう。それがむしろ、結果的に、本当の意味での民主化と平和をもたらす。

参考:「台湾に三巨人あり(趙賢明)」(参照

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2010.10.08

「オバマの戦争」でパキスタン補給路が閉鎖

 「オバマの戦争」という呼称が定着したアフガン戦争だが、ここにきてさらにまずい局面を迎えている。9月30日、パキスタン政府はアフガニスタン駐留のNATO軍および米軍の補給路を閉鎖した。補給が絶たれること自体深刻だが、行き詰まった補給車や代替路を探す補給車がタリバンの標的にされている現状も深刻である。閉鎖は一時的なものだろうとも見られているが、背景には、事実上オバマ大統領に更迭されたマクリスタル司令官を継いだペトレイアス司令官(参照)の失策がある。
 話は9月30日付けGlobalPost記事「Pakistan blocks key NATO supply route」(参照)がわかりやすい。邦訳は日本版ニューズウィークに「無人機空爆にパキスタンがキレた」として転載されている(参照)。


 アフガニスタンへの通過を認められない石油運搬車やコンテナトラックは、トルカムの検問所で長い列を作っている。パキスタン政府がNATOに対して自国領内での空爆と無人偵察機による攻撃をやめるように圧力をかけているのは明らかだ。

 パキスタン政府が補給路封鎖を決断したは、パキスタン領で実施される無人機空爆への反発である。誤爆によるパキスタン市民への被害が激しく、パキスタン政府としても反米気運が高まる内政上放置できなくなった。
 背景は現状の情報から判断しがたい点もあるが、概ねマクリスタル司令官更迭後の戦略の変化である。

 今回の空爆は、アフガニスタン駐留米軍司令官を兼務するデービッド・ペトレアス新NATO軍司令官の下でこの夏から始まった以前より攻撃的な新戦略の一環とみられている(前任のマクリスタル司令官は市民の犠牲を最小限にするため、空爆を控えていた)。
 今回の攻撃以前にも、北西部部族地帯のワジリスタンではかつてないほど無人攻撃機の空爆が増加。9月には22回の攻撃があり、数百人が死亡した。そのうちタリバンや国際テロ組織アルカイダの武装勢力も何人かいたが、ほとんどは一般市民だった。


 軍事アナリストは、タリバン関連組織の武装勢力ハッカニ・ネットワーク制圧のために北ワジリスタン州を解放することをパキスタン政府が拒否したため、無人攻撃機の空爆が増えたと指摘している。

 現状の被害については、7日付けAFP記事「タリバンがパキスタンでNATOの燃料輸送車を襲撃、1週間で4度目」(参照)が詳しい。

パキスタンで6日、北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organisation、NATO)軍の車両が相次いで武装グループの襲撃を受け、計40台以上が破壊された。
 警察当局によると北西部ノウシェラ(Nowshera)では、停車していたNATO軍の燃料輸送車の車列が銃撃を受け、少なくとも26台が放火された。
 これに先だって南西部クエッタ(Quetta)近郊でも、NATO軍の燃料輸送車40台が停車していた補給所が武装グループの襲撃を受け、少なくとも18台が炎上、作業員1人が死亡した。
 パキスタンでNATOの燃料輸送車が襲われたのはこの1週間で4度目。一連の襲撃で約60台の燃料輸送車が炎上し、3人が死亡した。

 米国側も誤爆を認識し、現状の補給路閉鎖を解くための対応に追われている。まず、パキスタン政府に謝罪が行われた。7日付け時事「越境空爆、パキスタンに謝罪=兵士死亡「武装勢力と誤認」-米大使」(参照)より。

 【ニューデリー時事】アフガニスタンに駐留する米軍主導の北大西洋条約機構(NATO)軍のヘリコプターが9月末、武装勢力を追ってパキスタン領内に越境し、空爆で同国兵士を死亡させたことについて、米国のパターソン駐パキスタン大使は6日、「ヘリが兵士を武装勢力と誤認したことが判明した」として、パキスタン政府と兵士の家族に謝罪を表明した。AFP通信が報じた。

 同種の報道は日本のメディアにあるが、なぜかソースが明確ではない。時事はAFPを事実上転載している。該当記事は、「US apologises for helicopter strike in Pakistan」(参照)であろうか。
 米国からの謝罪に対するパキスタン側の動きはまだないようだ。
 謝罪前になるがパキスタンは対米的に強行な姿勢を示していた。4日付けCNN「パキスタン「自力でテロに対処」 駐米大使が主張」(参照)はハッカニ(Hussein Haqqani)駐米大使の言葉を伝えている。

 ハッカニ氏はインタビューで、「パキスタン側のテロリストはわれわれがすべて、こちらのペースで対処する。同盟国のスケジュールに常に従うというわけにはいかない。わが国は衛星国ではないからだ」と述べ、米国には「軍隊の駐留ではなく、ワシントンからの技術的支援」のみを求めると語った。
 さらに、米国の望み通りにすべてを実施できるわけではないと主張。パキスタン側が作戦を遂行するうえでの制約条件として「能力や手段」、複雑な地形、国内世論を挙げ、「米国側は、平地ですべてを見渡せるという前提で考えているふしがある。地勢が複雑なため、無人機を使っても北ワジリスタンの人をすべて識別できるわけではない」「米国はわが国の国民の間であまり人気がない」とも指摘した。

 パキスタン側の反発は当然といえば当然だが、もう一段踏み込んだ背景は錯綜している。
 大きな補助線を引くとすれば、ザルダリ大統領はすでに死に体であることだ。代わりに支持を高めているのがキヤニ陸軍参謀長と彼が率いる軍部である。ただし、政府と軍部の間に大事な軋轢はなく、現状では軍事クーデターが発生するという可能性はない。
 次に重要なのは、パキスタン軍部とタリバンの関係である。7月31日付けNewsweek「With Friends Like These…」(参照)が参考になる。

Pakistan’s ongoing support of the Afghan Taliban is anything but news to insurgents who have spoken to NEWSWEEK. Requesting anonymity for security reasons, many of them readily admit their utter dependence on the country’s Directorate for Inter-Services Intelligence (ISI) not only for sanctuary and safe passage but also, some say, for much of their financial support.

アフガニスタン内タリバンへの支援をパキスタンが現在進行中であることは、ニューズウィークに話を漏らしてきた過激派とってみるとニュースでもなんでもない。安全上の理由から匿名ではあるが、彼らの大半が、安全区域や安全な通行さらに財政上支援といった点でパキスタン統合情報総局(ISI)に依存しきっていることをやすやすと認めた。


 いかがわしい情報のようでもあるが、この問題をある程度長期に渡って見てきた者にしてれば、それはそうでしょというくらいの自然な話でもある。むしろ、米国との対面を繕いながら、軍部と政府のバランスをどう取るかといこと点では、ムシャラフ前大統領は上手にやってきたほうだった。
 それにしても、パキスタン側がアフガニスタン内タリバンと内通することのメリットはなんだろうか。当然考えられるのは、民族的な対立があるとはいえ、一種の共存関係にあるということだ。加えて、ちょっと薄気味悪いメリットもある。

Some ISI operatives may sympathize with the Taliban cause. But more important is Pakistan’s desire to have a hand in Afghan politics and to restrict Indian influence there.

ISIの諜報員にはタリバンの大義に共鳴している者もあるが、より重要なのは、パキスタンがアフガニスタン政治を支配したいということであり、その地域にインドの影響力が及ぶのを避けるためである。


 アフガニスタン側にインドの勢力が及ぶことでパキスタンは挟まれる形になり、好ましくない。
 こうした背景からして、パキスタンに対してNATO軍・米軍など西側諸国に十分に協調させようとすることは無理だろう。
 するとどうなるのだろうか?
 意外と切羽詰まったオバマ政権がぶち切れないとも言えない。ワシントンポスト社説「Can the Obama administration avoid a split with Pakistan?」(参照)が少し気味が悪い。

The State Department's special representative for Afghanistan and Pakistan, Richard C. Holbrooke, rightly said last week that "success in Afghanistan is not achievable unless Pakistan is part of the solution."

パキスタン・アフガニスタン問題を担当するリチャード・ホルブルック特別代表が先週、「アフガニスタンでの成功はその解決にパキスタンを含めない限り達成されない」と述べたのは正しい。

The administration must avoid a rupture in relations; it should make amends for mistakes like the border incident. But it must insist on a robust military campaign in North Waziristan -- if not by Pakistani forces, then by the United

オバマ政権はパキスタンと断絶してはならない。国境がからむ問題の過失に補償すべきであるが、仮にパキスタンが動かないのであれば、米軍によって北ワジリスタンでの強固な軍事活動を主張しなければならない。


 ようするにパキスタンへの飴と鞭が通じなければ、力ずくで米軍とNATO軍が行動するということである。イラク戦争で見慣れた光景でもある。
 そうなるかどうかは、もうしばらくの事態の推移で決まるだろう。

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2010.10.07

フィナンシャル・タイムズが日銀を褒め殺し

 前回フィナンシャル・タイムズが日本経済に言及した社説は9月27日付け「Japanese stimulus」(参照)だった。内容は、現在国会で議論中の補正予算だけでは日本の強固なデフレからの脱却には効果がないので、日銀に実質リフレ政策となる金融政策を実施せよという提言だった。復習するとこうだ。


Given the constraints of Japan’s public debt, there may be more room for monetary than fiscal expansion. At 0.1 per cent, nominal interest rates cannot get much lower, but falling prices make real rates higher than desirable.

日本の財政赤字という制約からすれば、財政支出より金融政策に検討余地があるだろう。0.1%の名目金利は下げようがないが、物価低迷は実質金利を好ましくない水準に引き上げる。

Unconventional monetary tools are needed to put some inflationary pressure into the economy. More temerity from the Bank of Japan could do more than a fiscal push.

日本の経済にはよりインフレ圧力をかけるために非伝統的な金融施策が必要とされている。日銀に勇気があれば、財政的な梃子入れ以上のことが可能なのだ。


 さて、5日の 日本銀行金融政策決定会合で発表された追加金融緩和について、フィナンシャル・タイムズはどう見ているだろうか。これも早々に5日付けで社説「Bank of Japan puts a toe in the water」(参照)が上がった。
 フィナンシャル・タイムズがリフレ政策を提言する社説はなぜか日本ではほとんど注目されないので、このブログではできるだけ拾うようにしている。今回も試訳を添えて見ていこうかと思っていたら、JBPressに翻訳「新たな発想を試し始めた日銀」(参照)が上がっていた。原文と比較してみたが、訳抜けもなく平易に訳されている。なので関心のある人はそれを参照されればよく、このブログで扱うこともないかとも思ったが、どうも微妙に誤解というか微妙な部分が読み取れていない人がいるかもしれないし、過去のエントリの経緯もあるので言及しておこう。
 今回の追加金融緩和の背景だが、まず急激な円高がある。次回の11月2日の米連邦公開市場委員会(FOMC)でさらなる量的緩和が見込まれるなか、ドル安を織り込んで円が82円に迫る円高となっているにもかかわらず、前回の仙谷官房長官の82円防戦ライン失言とこれ以上米国を刺激したくないという配慮から為替介入が手控えられているなか、日銀側に相当のプレッシャーがかかっていた。加えて、先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が8日に迫っており、それ以降は手が打てなくなるというところで、ある程度想定内の手を打ち出した。
 追加金融緩和パッケージの内容は大きく分けて三つある。クセ玉ばかりなので、どうまとめてよいのか戸惑うが、(1)ゼロ金利政策、(2)疑似インフレターゲッティング、(3)長期国債の買い入れ拡大、としておこう。
 ゼロ金利政策は完全なゼロ金利ではないが昨今の文脈ではそう言ってもおかしくはない。意味合いだが、ようするに2006年のゼロ金利政策解除が失敗だったということだ。効果だが半年遅れくらいに前回程度くらいには出てくるかもしれない。
 疑似インフレターゲッティングだが、なんとターゲットは消費者物価指数(CPI)で1%ということらしい。それってCPIの上方バイアス内だろう。なんかのギャグなんだろうか。とはいえ、一応それまではゼロ金利政策を解除しないということではある。これをインフレターゲッティングと呼ぶかだが、インフレターゲッティング風味くらいなものだろう。逆にいえば、今回の日銀の提言は、インフレターゲッティングはしませんよ宣言でもあった。
 問題は、長期国債の買い入れを含めた資産買い取り拡大策だが、これがすごいといえばすごい。よくこんなこと思いつくなというか、現状の買い入れ上限である20兆円強を維持するために、別途5兆円規模の基金を設立するというのである。つまり、日銀ルールは変えないという意思表示であり、額からしてほぼデフレ対策にはならない。
 一言で言うと、なんなのこれ、食えるの? という面白い代物だ。が、フィナンシャル・タイムズはわかっていて褒め殺しに出た。まず、今回の日銀策だが効果はないに等しい。

 中央銀行の積極行動主義という意味では、今回の対策の規模は控えめだ。翌日物金利が従来の0.1%ではなく、0~0.1%になることに気づく人はほとんどいないだろう。資産買い取り計画を大海の一滴と呼ぶことは、一滴のしずくを見くびるものだ。何しろ、政府債務の発行残高は700兆円、社債の発行残高は54兆円もあるため、買い取りによる直接の経済的影響は無視して構わないほど小さい。

As central bank activism goes, the scale of the initiatives is modest. Few will notice that overnight rates will now be between 0 and 0.1 per cent rather than the previous 0.1. To call the asset purchase programme a drop in the bucket is to belittle the drop: the direct economic impact is bound to be negligible against more than Y700,000bn of government debt and Y54,000bn of corporate bonds outstanding.


 だったら、普通、だめじゃん日銀、となりそうなものだが、フィナンシャル・タイムズはここに希望を見ている、というか、褒め殺し。

 今回の決断により、日銀は対策が不十分だという非難に反駁している。資産買い取りにつながる扉の錠を外すことで、ほかの公開市場操作(オペ)の結果保有する資産に対して日銀が自ら課した制約からの避難経路が開ける。今後、さらに資産購入を拡大することは容易になるはずだ。

 つまり、ゼロ金利政策は大した意味がないが、とりあえず資産買い入れに向けて一歩を踏み出したと見るなら、日銀も前進したではないか、ということだ。えらいぞ、日銀、と。

 日銀がそうすることを期待せずにはいられない。米国と英国では、量的緩和はその潜在能力を相当使い果たしたかもしれない。一方、主要7カ国(G7)の中で最も深刻だった景気後退からの回復が遅々として進まず、物価が下落している日本では、状況は異なる。


日銀は自らに与えたばかりのデフレ対策の手段を使うことで、事態の進展を助けられるはずだ。

The BoJ can help things along by using the anti-deflation tools it has just given itself.


 "the anti-deflation tools"は"Unconventional monetary tools"ということである。つまり、リフレ政策ということだ。日銀にはリフレができるし、それで日本のデフレ対策になりうるということだ。
 かくしてめでたしめでたしかというと、実態はそうはならない。フィナンシャル・タイムズも日銀が今後、リフレ政策を採るとまでは想定していないだろう。
 むしろ奇妙な問題となるのは、このまま民主党政権がじり貧にダメになっていたとき、リフレ政策は実際には財政政策と一体化しないと効果はないのに、魔女狩りのように単純な日銀バッシングが始まる可能性もないではないことだ。

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2010.10.06

No Pressure: ひとつの表現手段? 悪い冗談? エコテロリズム?

 我ながら趣味が悪いなと思う。まじめな話題のエントリーにもついくだらない冗談を交ぜてみたくなる。案の定、その手のエントリーにはBLOGOSさんからの転載依頼は来ない。もっとも転載依頼のなかった昨日のエントリーがBLOGOSに転載されていたりもする。
 ロッキーホラーショー(参照YouTube)も好きだし、モンティパイソン(参照youtube)も好きだ。サウスパーク(参照YouTube)も当然。だから、その手のものは理解したいと思う。ただ、これはなんというか、当初、ちょっと微妙な感じもあった。主張に対するひとつの表現手段? 単なる悪い冗談? まさかエコテロリズム?

cover
Mr.ビーン Vo.1
 話は今月1日に公開された「ノー・プレッシャー(No Pressure)」いうショートフィルムだ。作成したのは、地球温暖化を10%削減しようとする運動団体「10:10」。同団体は、この問題に関心のある個人や団体によって支えられている。地球温暖化をテーマにし、日本でも話題を呼んだドキュメンタリー映画「エージ・オブ・ステューピッド(The Age of Stupid)」の監督フラニー・アームストロング(Franny Armstrong)が2009年に設立したものだ。
 「ノー・プレッシャー」の作成にはフラニーに加え、「Mr.ビーン」や「ブリジット・ジョーンズの日記」を手がけたリチャード・カーティス(Richard Curtis)がいる。テレグラフの報道「Richard Curtis and an explosion of publicity」(参照)などを見るとカーティスのほうが話題になっている。
 「ノー・プレッシャー」というショートフィルムはどのようなものなのか。
 地球温暖化を10%削減しようというメッセージを伝える映像だが、該当YouTubeをここに貼り込む前に、その内容をもう少し説明してからにしたい。率直に言って、なんの説明もなく直に見るのは、悪い趣味が好きな私でもちょっと引くしろものだからだ。というか、私はリアル・スプラッタ系が好きではないこともある。
 4分ほどのショートフィルムだが、全体は4つのシーンに分かれている。最初のシーンでは、明るく朗らかで優しげな若い女性の中学校の先生が、二酸化炭素排出量を削減するためになにができるでしょうと生徒たちに教える授業だ。そして、では、これから二酸化炭素排出削減に取り組む人、手を上げて、と彼女は問いかける。全員がさっと挙手するかに見える。「ファンタスティック!(すばらしい)」 だが、二人の生徒は腕組みをし、うたがわしい顔して挙手しない。すると先生は、「いいですよ、かまいません。あなたたちの選択です、「ノー・プレッシャー(押しつけません)」とにこやかに語り、授業終了のベルで授業を終えようとするのだが、その前にと教材らしき紙の下にあった、赤いボタンが一つだけある起爆装置をおもてに出し、そのボタンを押す。と、挙手をしなかった二人の生徒が爆破され、血と内臓らしきものが飛び散る。教室中血だらけ。なつかしのキャリー(参照)かよ。
 二番目のシーンは階下のフロアに集まるオフィスワーカーに対して、内接階段の踊り場から管理職が見下ろし、10%の二酸化炭素排出削減の重要性を語る。そして、参加する意思のある者は?と問いかける。みんなか?と見回すとそうでもない。じゃあ、反対は?と問うと、四人ほど物憂げに挙手する。そして、「ノープロブレム、きみたちの選択だ」と管理職は語るが、そこで起爆装置が手渡される。「ゴージャス」と彼はつぶやき、ボタンを押す。すると反対挙手した人が爆破され、血と内臓らしきものが飛び散る。フロア中血だらけ。
 三番目のシーンではフットボール練習で選手らにコーチが語るのだが、このシーンではコーチに対して選手サイドが10%の二酸化炭素排出削減の重要性を順に説く。だが、コーチはそんなことに気をそらすなと諭す。すると、選手側の老人が起爆装置を取り出し、ボタンを押す。コーチが爆破され、血と内臓らしきものが飛び散る。さあ、練習再開だ。
 三番目のシーンの後には、プレゼンテーションよろしく10%の二酸化炭素排出削減のメッセージが表示され、ナレーションが流れる。その後、いかにもそのナレーションを収録している裏方のスタジオのシーンになる。エンジニアリング担当の若い男がガラス向こうのナレーションの女性に10%の二酸化炭素排出削減を問う。彼女は「冗談? ナレーションで貢献になるでしょ」と答えると、男は、「ノー・プレッシャー」と語り、彼女も「OK、バイ」と答えて作業終わりかに見える。と、そのとき彼は身近の起爆装置のボタンを押す。ナレーションの女性が爆破され、血と内臓らしきものがスタジオに飛び散る。最後の最後は血塗られた壁に、cut your carbon by 10%(10%二酸化炭素排出を削減せよ)」と表示される。
 まあ、そういう内容です。かなりグロいです。スプラッタです。
 映像を見たいかたは以下の画像がリンクになっています。なので、見るのは、Your choice(あなたの選択), No Pressure(押しつけません)。


No Pressure映像(グロ注意)

 このフィルム、もちろん、話題になった。すでにウィキペディアにも該当項目が出来ていた(参照)。
 こんな映像を公開してよいのかという怒りの声も上がった。一応、すぐに、数時間もしないうちに、引っ込められた。「一応」というのは、上のリンクから閲覧できるように現在でもYouTubeに掲載されており、予告などから想定すると、当初からそういう仕掛けだったのかもしれないと思えないでもないからだ。もっとも団体側はすぐに引っ込める意図はなかったとは述べている。
 先のテレグラフ記事では団体側アナウンスをこう伝えている。


“With climate change becoming increasingly threatening, and decreasingly talked about in the media, we wanted to find a way to bring this critical issues back into the headlines whilst makgin people laugh.

気候変動の脅威が増すのにメディアでに話題されることは減っているので、わたしたちは人びとを笑わせつつ、この重要な問題をメディアの見出しする方法を見つけたかったのです。

“Many people found the resulting film extremely funny, but unfortunately some didn’t and we sincerely apology to anybody we have offended.

このフィルムの成果がきわめて面白いと思う人が多くいますが、残念ながらそう思わない人もいます。私たちは気を悪くした人に心から謝罪します。


 米国の保守的なメディアであるフォックスでは「Enemies Among Us: Environmental Terrorists Release Disturbing TV Ads」(参照)」のように否定的な意見を強く出しているところもある。

A British television advertisement to promote the 10:10 climate change campaign to reduce carbon emissions has created a psychologically traumatizing series of commercials, which show how violent the environmental movement could become.

二酸化炭素排出削減団体10:10の運動を推進する英国テレビ広報社は心理的外傷になりそうな広報を作成している。この広報を見れば、環境運動がどれほど暴力的なものかがわかる。


 つまり、二酸化炭素排出削減運動の暴力性をこのフィルムに見るというのである。
 そういう見方もあるだろうし、それらを環境ファシズムや環境テロリズムといった文脈に起きたい人もいるようだ。
 私はというと、逆の感想を持った。やや度が過ぎるとはいえ、Mr.ビーンなどにも出てくる下品な顰蹙ネタの一種ではないかと思う。そして結果的に、環境保護運動もあまり熱心になるとテロリズムのように見えちゃうな、あはは、という自虐的なギャグなんだろうと思った。
 環境保護が主題なら、起爆装置のボタンを押すのは、二酸化炭素排出削減運動を説く側ではなく、それに疑念を抱く側が知らずに押しちゃったみたいなシナリオのほうが自然だっただろうし。

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2010.10.04

ゲーム理論で考えよう:J国とC国がある海域の漁業資源を争う事例

 J国とC国がある海域の漁業資源を争っているとしよう。両国、漁船を繰り出し、トロール網でごっそり魚を捕りたい。
 海域にJ国とC国の漁船がやってきて、向かい合う。J国いわく「この海域の魚はオレが捕る」。するとC国は「いや、オレのほうだ」と答える。
 言い争っているだけなら、争いにはならない。が、魚も捕れない。

武力衝突の場合
 争いにするためには武力が必要だ。
 両国とも争うと決めたとしよう。
 J国もC国も漁船の後ろに武力をもった船を従えてくる。
 勝つことが優先されるなら、武力衝突となる。
 ところがそのためには、武力を用意する費用もかかるし、そもそも武力衝突になれば船に体当たりされたりとかで被害が出る。
 魚を得る利益と武力衝突がもたらす損失を比べてみると、あれれ? 損失が大きい。両国ともにけっこうな損ではないか、となりがちだ。
 武力行使の戦略を強攻策として「タカ派戦略」と呼ぶ。
 両国がタカ派戦略を採ると、両国ともに大きめな損失が出る。

平和に分かち合う場合
 武力衝突はやめよう。平和で行こうじゃないか。
 かくして争わず、魚を同程度捕って、よしとする。
 温和な行き方なので「ハト派戦略」と呼ぶ。
 両国がハト派戦略を採ると、両国ともにそこそこに利益が出る。
 その利益を仮に基本の1としよう。
 両国ともに1ずつの利益になる。

平和のルール破りで儲ける場合
 待てよ、相手がハト派戦略を採るとき、こっちがタカ派戦略を採れば、相手は弱いのだから楽勝じゃないか。利益も多いぞ。
 C国がタカ派でJ国がハト派なら、タカ派C国の利益は基本より多いから仮に2としよう。ハト派J国の利益はというと、なし。だから0になる。
 でも、逆もある。J国がタカ派でC国がハト派。その場合も、2対0になる。
 タカ派が有利のようだけど、両国ともにタカ派なら両方、損になるのだった。その損を双方、-2としよう。
 どうやらこの問題、漁場争いを繰り返すならハト派とタカ派を一定の比率で混ぜるのがよさそうだ。どういう比率がよいのだろう?

問題を整理してみよう
 場合分けして整理してみよう。
 両方タカ派なら両方、-2。両方、損する。
 両方ハト派なら、両方、1。そこそこの利益だ。
 自分がタカ派で相手がハト派なら、2対0。楽勝の儲けだが、いつもうまくいくわけじゃない。
 これを表(マトリックス)するとこうなる。マスに並んだ数字の左がC国、右がJ国のそれぞれの利得だ。こういう表を利得表と呼ぶ。

混合戦略が重要になる
 この問題、何回か繰り返した場合、タカ派戦略とハト派戦略をどう混ぜ合わせたらよいか、ということが問われる。
 仮に、C国が常にタカ派戦略を採るとする。J国はタカ戦略で損、ハト派戦略で利益なし。双方が利益を得るという点からは打つ手なし。お話にならない。J国はハト派戦略が取れない。
 では、C国が1/2の確率でタカ・ハト戦略を分けるとするとどうか。対するJ国が常にタカ派戦略であれば、-2と2で利得は0、つまり利益なし。ではJ国が常にハト派戦略であれば、0と1で回数で割れば利得は1/2。つまり、両国がハト派戦略を採るより利得は少ない。頭悪いぞ、両国という話になる。
 どういう比率がよいのだろうか。

少しだけ数学
 C国がタカ派になる確率をpとする、するとハト派になる確率はそれ以外なので、(1-p)になる。例えば、タカ派確率が1/4なら、ハト派確率は3/4。
 同様に、J国がタカ派になる確率をqとする、するとハト派になる確率はそれ以外なので、(1-q)になる。
 C国の利得は、J国のタカ(q)・ハト(1-q)確率によっても変わる。確率が利得にどう反映するかは、利得表を眺めてみるとわかる。

 C国がタカ派であるときの利得は、J国がタカ(q)なら、-2q、J国がハト(1-q)なら、 2(1-q)になる。係数となる利得は上の赤い矢印の対応だ。
 すると、C国がタカ派であるときの利得はその合算だから、 -2q + 2(1-q)である。
 同様に、C国がハト派であれば、その利得は、0q + 1(1-q) である(下の赤い矢印)。
 ここでJ国の立場に立ってみると、C国がタカ派時の利得とハト派時の利得が同じになるようにタカ派の確率 q が決まれば、最適な戦略となる。
 そこでこの式を等号で結びつけると、

  -2q + 2(1-q) = 0q + 1(1-q)

 あとは中学一年生の数学なので、そのまま解くと、q = 1/3 となる。
 J国がタカ派を採る確率は、1/3。つまり、3回に1回タカ派となり2回はハト派になるのが最適な戦略となる。
 C国について計算するとこの利得表では同じく、1/3になる。式の対応は緑の矢印。

混合戦略はナッシュ均衡に至る
 この例では、両者ともにこれ以上のベストの戦略はないという戦略配分が出てきて、そこで戦略は固定化する。
 飽和すると言ってもよいし、均衡すると言ってもよい。ゲーム理論では、この仕組みを数学的に説き明かしたジョン・ナッシュjrにちなんでナッシュ均衡と呼んでている。
 双方が強攻策に出ると両者に損害が出て、両者が争いを避けるとそこそこの利益が出るが、出し抜けば利益が多くでるという状況では、利益を求めるなら、強攻策一辺倒でもまた和平策一辺倒でもなく、硬軟の戦略を適当な配分で混ぜるほうがよい。

もうちょっとゲーム理論を知ると面白い

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もっとも美しい数学
ゲーム理論 (文春文庫)
トム・ジーグフリード
 以上はごく基本のゲーム理論。タカハトゲームと呼ばれているものだ。二国間の争いなら、タカハトゲームのほかにチキンゲームや最後通牒ゲームといったゲームから見ることもできる。
 現代のゲーム理論から各種の科学がどのように見えるかをSFチックに説き明かした「もっとも美しい数学 ゲーム理論 (トム・ジーグフリード:文春文庫)」(参照)にも掲載されている例だ。
 同書なら古典的なタカハトゲームの先も語られていて面白い。

 とはいえ、どう見てもこれでは単純化しすぎで、鳥の場合ですら、取り得る行動戦略は、鷹と鳩の二つだけとは限らない。しかし、基本的な発想はこれでおわかりいただけたことと思う。そこで、もっとややこしい状況になったときに、ゲーム理論を使ってどう説明できるのか見ていこう。

 タカハトゲームにもう一つの要素が加わる。見物人だ。争いごとがあるとついやって来ては見ている一群の存在である。争いや炎上の観察が趣味ではない。ではなぜ。

 というわけで、賢い鳥たちは、いつの日か戦わなければならない日が来ることを承知のうえで、自分の競争相手になりそうな鳥が戦っている様子を観察することになる。観察者(あるいは生物用語で「盗聴者[イーヴズドロッパー]」は、自分が戦う番になったときに、それまで敵を観察してきた結果に応じて、鷹になるか鳩になるかを選ぶことができるのである。

 最適戦略に至るまでの経緯を短縮する効果があるのだろう。では、その結果、争いは減るだろうか。逆らしい。エスカレートする。双方がタカを振る舞うようになる。なぜ? 見物人がいるからだ。未来の戦いのために、自分が強者であることを見せつけるという要素が出てくる。

人間の社会行動や文明にもゲーム理論が適応できる
 もちろん、人間の文明にも最新のゲーム理論が当てはまる。


結局のところ人間は、文明化という段階まで進んでおり、すべてがジャングルの掟に支配されているわけではない。しかも実際には、ゲーム理論を使うと、このような文明化された状態が生まれる経過を説明することができる。ある種を構成しているものにとって、協力やコミュニケーションが安定した戦略となるような状況が、どのように生まれるかを、説明できるのである。ゲーム理論を使わずに、人間の協力的な社会行動を理解することは難しい。

 同書、「もっとも美しい数学 ゲーム理論」の単行本は2008年に出ていたが、先月9日に文庫本が出た。ありがちな文庫化というと、そうではない。わけあって、単行本の原稿と文庫本の原稿を全ページに渡って比較してみたが、ほぼ全ページに渡って翻訳が改善されており、読みやすくなっている(単行本に誤訳があるというわけではない)。ここまで手を加えるのかと驚いた。しかも、見出しも増えて段落の意味がとりやすい。
 あと、文庫本には素っ気ないけどちょっと意外な解説が付いている。

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2010.10.02

アザデガン物語 必死だったな石油公団

 まことに大きな利権集団が、閉花期を迎えようとしていた。
 エッフェル塔が完成しパリ万国博覧会が開催された1889年(明治22年)4月9日、後に「アラビア太郎」と異名を取ることになる山下太郎が生まれた。場所は秋田県、今の横手市である。
 地元の祖母の元で育てられ、10歳を過ぎてから東京の実母の家に送られ、青年期に北海道に渡り、札幌農学校(現北海道大学)に学ぶ。卒業後、各種のビジネスに手を染め、失敗を重ねながらも満州でビジネスを拡大した。第二次世界大戦後は石油資源の確保に尽力し、1957年、ペルシャ湾海底採掘権をサウジアラビアおよびクウェートの両国から獲得した。40年間の契約だった。これを契機に1958年、アラビア石油を創立した。
 アラビア石油は、1960年から採油を開始した。石油が日本の高度成長を支える姿にアラビア太郎は満足しつつ、1967年、波乱の一生を終えた。同年、アラビヤン焼きそばが発売された。
 アラビア石油は順調に発展し、石油危機の時代を経て安定した通商産業省の天下り先にまで成長した。しかし振り返れば早いものだ。期限の40年はやってきた。
 2000年、アラビア石油はサウジアラビアからの採掘権を失い、2003年クウェートからも失った。予定されたことではあったが通商産業省は焦った。焦りに輪をかけたのは、同じく天下り先だった石油公団で1998年に1兆円を超す不良資産が発覚してまったことだった。
 なんとか通産省の天下り先を盤石なものにするためも日の丸油田を確保せねばならぬ。
 そこで推定埋蔵量は最大で260億バレルという巨大油田、イラン南西部アザデガン油田に通産省はすがりついた。
 イランにチャネルを持つ商社トーメンから話を開き、2000年10月、イランのハタミ大統領の、イラン首脳としては42年ぶりの来日で、森喜朗首相が音頭を取り、30億ドルの経済支援の見返りとして同油田開発の合意にこぎ着けた。
 開発主体は、国際石油開発、石油資源開発、およびトーメンによる連合体である。トーメンもこの時期経営再建で活路を探していた。国際石油開発は石油公団50%の出資、石油資源開発は石油公団66%の出資。つまり2社の正体は石油公団であり、端的にいえば通産省の安定した天下り先である。
 翌2001年平沼赳夫・元経済産業相がイランを訪問し、ハタミ統領と会談し、開発の早期契約を促した。前途は着実に開けたかに見えたが、同年6月、イランの核開発疑惑を理由に、この開発まかりならぬと、米国ブッシュ政権から横槍が入った。もっとも突然降って湧いた話ではなく、米国は1996年に「イラン・リビア制裁法」を制定しており、ハタミ大統領来日前に警告は日本に通知されていた。
 幸いと言ってよいのかわからないが、日本がイラク戦争で米国率いる有志連合に加わることのバーターでこの問題はしばらく沈静した。また、2002年、小泉政権下で石油公団は廃止の方向が定まった。民間企業の資源開発への出融資に2兆円以上を投じたものの、失敗で2003年度末、約1兆3000億円の損失を出していた。
 実際に廃止されたのは、2005年4月1日。もっとも、日の丸油田への資金提供は代わりに発足する「石油天然ガス・金属鉱物資源機構」に引き継がれたので、天下り構造にはさして影響なし。
 しばらく静かだった米国だが、2003年に圧力再開。こりゃ本気だなと思ったトヨタはトーメンの大株主の立場から、トーメンをアザデガン油田開発から撤退させた。
 それでも石油公団側はくじけず、2004年2月、イランと開発に合意に達し、テヘランで調印された。米国の横槍に挫けずおめでとうと言いたいところだが、ちょっと待て。「鳩山、小沢、気合だ!」の民主党中山義活議員の当時の話を聞いてみよう。2004年3月31日・経済産業委員会(参照)より。


アザデガンの問題は、この油の質はガソリンにできる、それから二千億出すのはこうして、こうやって出すんだけれども必ずこうやって回収ができる、イランとの交渉はここまで進んでいる、絶対うまくいく、そういう事細かに説明が全然ないじゃないですか。質問した方がかえって気の毒だったですよ、あれ。
 大事な問題なんですから、もうちょっと、日本の戦略としてしっかりこのアザデガンの問題は答えてもらいたいんですね。なぜ、まず、十二年半ぐらいの契約なのか、これで果たして利益が出るんですか。それから、バイバック方式で利益が出るんですか。それから、重質油のこの油で果たしてガソリンがどんどんできるんですか。この辺について、まずしっかり答えてくださいよ。全然答弁がなってないんですよ。

 答弁が得られたかというとリンク先を見てもわかるが、なかった。
 問題点を簡単に言えば、(1)バイバック方式で12年半の契約で利益が出るのか?、(2)アザデガンの油質でガソリンになるのか?、ということである。
 バイバック方式というのは、油田開発に投下した費用に所定の利幅を上乗せした生産物で受け取る方式である。12年後には開発設備は無料でイランに渡すことになるのでイランとしてメリットが高い。別の言い方をすると、石油の安定供給というより、石油開発設備を売り込むビジネスに変わっていたということだ。もっと簡単な言い方をすると、それって当初の話と違ってないかということになる。
 その他にも問題はあった。アザデガン油田地域はイラン・イラク戦争時の地雷が多数埋められている。油層もよくわかっていない。掘っちゃって大丈夫なのか。
 それでも進めアザデガンではあった。2006年4月、国際石油開発は帝国石油と経営統合し、石油資源開発もこれに出資した。いや、道は険しく、終わりの始まりでもあったのだろう。
 同年10月、日本が持っていた同油田の権益が75%から10%台に下がった。多くはイラン国営石油公社に譲渡した。日本に原油輸入の道は残るものの、油田開発の主導権は事実上喪失した。
 米国のイラン制裁に日本が屈したのだと見る向きもあるが、地雷撤去作業も進まず、またイランの治安も改善されたとは言い難く、しかたがないという類のものだし、悔やむなら元々なんでこんなところに突っ込んじゃったんだ在りし日の石油公団という話だ。
 そして、2010年9月30日。終わった。
 国際石油開発帝石と経済産業省が撤退を決断した。理由は、米国のイラン制裁が強まり、このままだと国際石油開発帝石が米国の制裁対象に加わるかもしれないことを恐れたというのだ。
 しかし経緯を見てればわかるように、米国に悪役を買わせて引導を渡したというだけの話でしかない。騒がれていた10月1日時点での制裁リストにも掲載されていない(参照)。普通に考えてもそこまで日本に圧力をかける状況でもない。
 報道を見ていると、なぜか毎日新聞と産経新聞が「悔しいのぉ」「米国様には勝てんのぉ」と言った論調が目立つ。30日付け毎日新聞「イラン・アザデガン油田開発:経産省など、撤退 米制裁姿勢を考慮」(参照)より。

 国際石油開発帝石(INPEX)と経済産業省が、イランのアザデガン油田開発からの撤退を決めたことが30日、明らかになった。イランの核開発疑惑をめぐり、米国政府が対イラン制裁姿勢を強める中、このまま開発を継続すればINPEX自体も米国の制裁対象に加えられる恐れがあると判断した。同油田は日本が保有する有数の自主開発油田で、撤退決断は今後の資源エネルギー政策に大きな影響を与えそうだ。

 いやそんな影響はないってば。
 産経新聞「翻弄される経済の生命線 イラン油田撤退」(参照)より。

 国際社会が核不拡散のためイラン制裁を一層強化する中、日本だけが石油のために独自路線を取るわけにもいかなかった。米国は沖縄県・尖閣諸島付近の漁船衝突事件で「日本政府の立場を全面的に支持する」と表明し、対中外交で日本に貸しを作ったばかりでもあった。

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世界を動かす石油戦略
 「石油のために」とかいうけど、米国が支持する自由な世界市場のルールが守られていたら石油というのはたんなるコモディティー(一般商品)でしかない。どっちが大事なのかは島国日本なら考えればわかりそうなものだ。
 かくして「アザデガン物語 必死だったな石油公団」は、終わった。

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2010.10.01

コスプレ金日成、見参、その陰で

 キム・ジョンウンなる人物は本当に存在するのかと私は少し疑問に思っていた。よく見かける少年時代と称する写真だが、左門豊作だろ、これ。ワクワクさん、メガネを貸してくれ。

 近影はどうなのか。疑問に思っていたら、たまたま昨日ガーディアンで見かけた(参照)。コスプレ金日成、だな。

 すごいな、このレンダリング。動く? あとでNHKの7時のニュースを見たら、動いていた。北朝鮮の特撮技術は侮れない。まさか。
 というわけで金王朝三代目のお披露目ニュースだが、別段このコスプレ金日成が実質の権力を持ったわけでもない。北朝鮮テレビまいどの李春姫(リ・チュニ)さんも、にこやかにリアル金日成の娘、金敬姫(キム・ギョンヒ)の名前と並べていた。言うまでもなく、婿の張成沢(チャン・ソンテク)が実質の権力者という意味だ。

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誰がテポドン開発を許したか
クリントンのもう一つの“失敗”
 張成沢が金正日(キム・ジョンイル)体制を支えることは、1994年にタイミングよく不思議な死を遂げた金日成の生前から決まっていたことだった。1991年に韓国に亡命した当時の駐コンゴ大使館の元一等書記官、高英煥(コ・ヨンファン)はこの時点で、三大革命小組事業部長だった張こそが正日の側近ナンバーワンであり、ポスト金日成時代は「金正日・張成沢指導体制」になる、と公言していたものだった。高によれば、正日が1984年来外交を担当しており(ちなみに大韓航空機爆破事件は1987年)、1993年の党大会で正日に主席のポストが譲られるだろう、とも述べていた。この点については、予想が外れたといえば微妙に外れと言えないこともない。
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金正日に悩まされるロシア
将軍様の権力
 1991年時点の高の発言通り、金日成の亡くなった後の北朝鮮は金正日・張成沢指導体制となった。張は薬物取引などで外貨を稼ぎまくり、権力の掌握もそれなりに順調に進んでいるかに見えた。順調というのはつまり、深化組事件(参照)とも呼ばれるが、1997年から2000年にかけて新指導体制強化のため社会安全省内に新組織として深化組を形成し、張の指揮の下、2万5000人の粛清を断行したことだ。
 だが2004年6月17日、朝鮮日報は韓国情報機関説として、張が金総書記の指示で自宅軟禁されていると報じた。続報によれば、張は軍内部に独自の派閥を形成したため、八名ほどの軍幹部とともに粛清されたとのことだった。そうなのか。
 はずれ。2005年6月、南北共同宣言5周年記念行事に参加した当時の鄭東泳(チョンドンヨン)統一相に、正日自身がこう耳打ちした、あいつは爆弾酒(参照)を飲み過ぎて体をこわしたの休ませているだけだよ、と。
 年明けて2006年1月28日、平壌で開かれた正月(旧正月)の国防委員会主催の祝宴には張が元気に出席した。2年半ぶりの登場であったが、その間の実態は謎に包まれている。謎といえば、同年9月末、張は平壌市内で交通事故で腰に重傷を負った。命に別条はなかった。傷も癒えて正式に張が復権したのは2007年11月。治安・司法部門を統括する朝鮮労働党行政部長に任命された。
 この間の2006年12月18日、韓国国会の情報委員会は北朝鮮の体制の崩壊を予測した報告書「北朝鮮の危機管理体制と韓国の対応策」を発表した。それによると、近未来に金正日が死亡した場合、軍部が政権を掌握し、集団指導体制になるとの予想だった。中心人物として上げられているのは、朝鮮労働党作戦部長の呉克烈(オ・グクリョル)であった。
 実際のところ正日が死ぬ気配はしばらくなかったが、2008年9月9日、六か国協議を破棄して北朝鮮が核開発を推進しようとするなか、欧米メディアは正日の重病説を流した。8月中旬に正日に脳卒中があった。突然最高権力者が病に倒れたことで後継者問題が一気に浮上した。
 当時の韓国国防研究院・国防政策研究室長・白承周(ペク・スンジュ)によれば、後継者は、長男で2001年の訪日で日本でも「まさお」の愛称で人気の高い金正男(キム・ジョンナム)と二男の金正哲(キム・ジョンチョル)の争いとなり、金総書記の妹の金敬姫とその夫で党幹部の張の支援を受ける正男が有力だと見ていた。まじで。白と限らず、この時期では張は正男の支援者と見られていたものだった。チャクシがトートーメー嗣ぐだろう普通。
 正日重病説の他に死亡説も噂されるなか、翌2009年の旧正月の国家合唱団・慶祝公演をご本人が観覧したとも伝えられたが写真は公開されず、えっ、これが本人なのか、影武者にしては元気なさそうだといった老人の写真が公開されたのは3月になってからだった。そのころ張はフランスを訪問し正日の治療に当たったことのある医師と面談し、その健康状態についての情報を得ていた。
 存外に元気そうだねという感じで動く正日装束の老人が報道されたのは最高人民会議のある4月だった。以降、あの彼が正日だということで現在に至る。いや別段、本人じゃないよあれはと言いたいわけではないが。
 この最高人民会議では張は国防委員に選出され、憲法も改定した。加えて、三男の金正恩(キム・ジョンウン)を国防委員会の指導員とした。この時点で、張は名目上の権力後継者を正恩に据えたようだ。では、それまで支援してきた正男はどうなるのか。どうなんだろ、正男。問われた正男は、後になってオレは政治には関わってないから知らないと答えている(参照YouTube)。そりゃね、中国が擁立してくるその日まで中国ビジネス、ビジネス。
 正日が卒中で倒れた2008年の時点で張は実質的な最高権力に就いていたのだろうか。そうとも言い難い。かつて正日後には集団体制で権力を握ると目されたこともあった呉克烈だが、2009年2月19日、最高軍事指導機関である国防委員会副委員長に任命された。実質的には、呉は軍の最高実力者である。今年3月に起きた韓国海軍哨戒艦沈没事件についても韓国政府は、呉の影響下の人民武力省偵察総局が主導したと見ている。
 この時点で、張と呉の関係はどうなっていたのか。呉が軍をまとめ、張が党をまとめて正恩擁立をするとも見られていた。が、今年に入って両者の関係は緊張してきたとも伝えられた。
 呉に遅れて張は今年の6月7日に国防委員会副委員長に任命され、両者ともに同じ位置に立った。そして両者の間に利権を巡る権力闘争が報じられた。7月5日付け中央日報「北朝鮮は‘第2人者’パワーゲーム中」(参照)より。

 消息筋によると、昨年2月に国防委副委員長に任命された呉克烈(前労働党作戦部長)は外資誘致と関連した利権を本格的に握り始めた。呉克烈側は専門機構として朝鮮国際商会(総裁・高貴子)を設立し、昨年7月1日に最高人民会議常任委で承認を受けた。政権レベルの追認手続きを踏んだのだ。
 これに対し張成沢側は急いで中国朝鮮族出身の事業家、朴哲洙(パク・チョルス)を呼び入れた。続いて対北朝鮮投資誘致を掲げて朝鮮大豊(デプン)グループを設立、金養建を理事長に、朴哲洙を総裁に任命した。


 消息筋は「呉克烈は自分が主導してきた外資誘致事業に割り込んだ張成沢と金養建に対して相当な不快感を抱いており、現在、朝鮮大豊グループと朝鮮国際商会が主導権争いを繰り広げている」と述べた。

 この争い、どうなったのだろうか。わからない。まったく推測できないわけでもない。
 今回の三代目お披露目の集合写真をよく見ると呉が写っていない。79歳ともなるので写真撮影の日に体調を崩していたのかもしれない、なんて昔の卒業写真でもない。つまり、これは正恩を写した写真というよりも、呉を写さないための写真なのだろう。

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