ドイツ連銀ザラツィン氏の失言
ドイツの中央銀行に相当するドイツ連邦銀行のティロ・ザラツィン(Thilo Sarrazin)理事が人種差別発言をしたとして問題になった。日本でも報道されているが各紙に微妙な差がある。その差違に問題の核心が関連しているようにも思えるので、メディア検証の意味もかねて見ていこう。
一番興味深いのが2日付け日経新聞記事「独連銀、ザラツィン理事解任へ 人種差別発言で」(参照)である。なにが書かれていないかという観点からあえて全体を引用する。
ドイツ連邦銀行(中銀)は2日、移民などへの差別的な発言を繰り返したザラツィン理事を解任する方針を固めた。任命権を持つ連邦大統領に対し、「解任を提案した」との声明を発表した。理事が「イスラム系住民のせいでドイツの知的水準が低下した」などの趣旨に言及したことで、中銀の信認が揺らぎかねないと判断した。
独連銀は高い独立性があるため、理事を解任できるのは健康上の理由や、「重大な過失」で職務が遂行できなくなった場合に限られている。本来は刑法違反などを想定しているが、独連銀の理事会は「人種差別発言も重大な過失」との見解で合意したようだ。
ザラツィン氏は社会民主党(SPD)の論客でベルリン州政府の要職などを歴任したものの、あからさまな人種差別には政府・与党内でも批判が強い。このため独連銀の異例の決断を評価する。
だが非キリスト教徒や非欧米系住民への差別や偏見が根強く残るドイツ社会ではザラツィン氏を支持する声も多い。
戦後、安価な労働力を確保する狙いで外国人労働者を積極的に受け入れたが、異文化との共存を許容する雰囲気が醸成されず、独社会は閉鎖的なままとの指摘もある。(フランクフルト=赤川省吾)
ザラツィン氏支持の声を伝え背景も説明している簡潔な記事ではあるが、「移民などへの差別的な発言」の「など」が曖昧になっている。「『イスラム系住民のせいでドイツの知的水準が低下した』などの趣旨」でも「など」が登場している。
日経新聞の記事で何が書かれていないかは3日付け朝日新聞記事「ドイツ連銀理事が移民差別発言、解任へ 共感の声も」(参照)と比較するとわかる。検証のためこちらもあえて全文引用する。
【ベルリン=松井健】ドイツ連邦銀行の理事がイスラム系移民やユダヤ人に対する差別的な発言を繰り返し、激しい議論を呼んでいる。ホロコーストなどナチス時代の教訓から民族差別に敏感な同国では、連銀に対し解任要求が強まり、理事会は2日、解任を進める方針を決めた。一方、国民からは共感の声が出ており、移民の増加に対する根強い不安と反発が表れた形だ。
連銀のザラツィン理事は8月30日、「自壊していくドイツ」という著書を発売し、「トルコやアラブなどイスラム圏からの移民の就業意欲や教育レベルは低く、ドイツ社会に溶け込もうとしない」「ドイツ人が自分の国の中でよそ者になるかもしれない」などと主張した。さらに、発売前後にメディアの取材に対し、「ユダヤ人やバスク人は特定の遺伝子を持っている」などと発言した。
これに対し、メルケル首相が「まったく容認できない」と発言するなど、政界や主要メディアからは批判が集中。野党の社会民主党も党員のザラツィン理事を除名する方針を打ち出している。
同銀は「連銀はザラツィン理事の差別的発言とは明確に見解を異にしている」とコメント。2日の理事会でウルフ大統領に解任を提案することを決めた。
ドイツではトルコや旧ユーゴスラビアなどからの移民が以前から多く、移民の社会への統合が常に課題になっている。経済成長につながると歓迎される一方、犯罪増をもたらすなどの警戒感が国民にあることも否定できない。ザラツィン理事は以前から同様の主張をしており、今回の発言も確信犯的だ。ナチスによる民族差別の歴史を持つドイツではこうした発言はタブーとされてきた。だが、今回の発言にはネット上で「多くのドイツ人が考えていること」などと共感する声も出ており、ニュース専門局のアンケートでは「解任の必要はない」との回答が多数を占めた。
朝日新聞の記事からはイスラム系移民に加えて「ユダヤ人に対する差別的な発言」が問題となっていることがわかる。ただし、「ナチスによる民族差別の歴史を持つドイツではこうした発言はタブーとされてきた」ということで「こうした発言」の「こうした」が何を指すかは曖昧になっている。記事の論点からすると移民問題のようでもあるが、「さらに」として遺伝子への言及も付記されている。民族差別に基づく移民差別が問題なのか、遺伝子への言及が問題なのかは、朝日新聞記事からは読みづらい。
8月31日付け毎日新聞記事「ドイツ:「すべてのユダヤ人に特定遺伝子がある」 連銀理事が発言、首相ら猛批判」(参照)は遺伝子への言及に焦点を置いている。こちらも比較のためにあえて全文引用する。
【ベルリン小谷守彦】ドイツ連邦銀行のザラツィン理事(65)が、移民問題を扱った自著出版のインタビューで、「すべてのユダヤ人には特定の遺伝子がある」などと発言し、波紋を呼んでいる。ドイツではナチス時代、「人種学」によってホロコースト(大虐殺)が正当化された経緯から、人種を学術的に根拠付ける考えはタブーで、メルケル首相をはじめ政界は総批判だ。
ザラツィン氏は自著「ドイツが消える」をめぐる29日付独紙「ウェルト日曜版」インタビューで近年、アラブ系の移民が増えていることを問題視した。ザラツィン氏は、ドイツのアイデンティティーが将来「溶解」していくことに懸念を表明。記者から「遺伝子上のアイデンティティーもあるのか?」と問われ、問題の発言に至った。
メルケル首相は「発言は受け入れられない」と連邦銀行にザラツィン氏の更迭を要請。ザラツィン氏の所属する野党・社会民主党も30日、党籍離脱手続きに入ることを決めた。だが、連邦銀行理事会は、発言を非難したものの、ザラツィン氏の解任は見合わせた。連邦銀の独立性は高く、理事解任には理事会の決議が必要だ。そのため、発言を巡る騒動もしばらく続きそうだ。
三紙以外にも共同や時事の報道があるが、概ね上述のような3つのタイプに分けられる。(1)要人に差別発言があったことのみに着目する、(2)差別から移民問題に焦点をあてる、(3)ユダヤ人の遺伝子への言及に着目する。
欧米ではどのように報道されているだろうか。日本語で読めるAFP記事「人種差別発言でドイツ中銀理事解任へ、タブーに踏み込んだとの評価も」(参照)やフィナンシャル・タイムズ記事(参照・邦訳参照)などを見るとわかるが問題は二段構えだ。同氏が移民による危機を論じた8月30日出版の『自滅するドイツ』が問題となった上に、インタビューでユダヤ人の遺伝子に言及したことが問題となった。
ドイツでの受け止め方はどうか。移民問題への右派的な議論も問題ではあるが、インタビューによるユダヤ人の遺伝子といった発言がスキャンダルとなっている。この経緯については、Newsweek記事「The Scandal Behind the Sarrazin Scandal」(参照)がうまくまとめている。
That Germany remains hostile to any mingling of genetic theories with social policy is all to the good. But the banishment of Sarrazin began long before his comments on heredity and genes, and says more about the nature of German political discourse than the boundary of decency Sarrazin crossed last week.社会政策と遺伝子議論の混在が忌避されるのはドイツではよいことになっている。しかしザラツィン追放は、遺伝と遺伝子についての彼のコメントより随分と以前に始まっていた。彼は、先週常識を逸脱したことよりも、ドイツの政治課題の本質を語っているのだ。
He’s often provoked with blunt speech on hot-button issues that much of German officialdom painfully avoids, and so last week’s spectacle convinced many ordinary Germans that their leaders are yet again quashing debate on vital issues.
大半のドイツ政官人が痛みに堪えて避けようとしている危険なテーマをしばしばぶきらぼうな物言いでザラツィンは語ってきた。だから先週の騒動では政治家たちはこの難問にまた蓋をしているとドイツ人の多くは確信した。
逆鱗に触れたとしてザラツィン氏を追放することで問題の本質である移民問題を封じ込めたとドイツ人の多くが感受している。このコラムはそのことのほうが問題だとしている。
いずれにせよ、今回の背景にはこうした複雑な構成があり、日本といった外国への報道では受容にズレが出るのはしかたがない。
ちなみに、同コラムはかなり示唆深い提言で締められている。
Germany’s political culture seems less threatened by the extreme right than by its tendency to publicly destroy contrarian thinkers.ドイツの政治文化を脅かすのは、極右よりも、(右派といった)異論の論者を叩き潰そうとする傾向にある。
さて今回の問題だが、ザラツィン氏が中央銀行の要人であったという意味もある。その点で日本での報道を見かけないが類似の問題もあった。こちらは簡単にだけ触れておこう。欧州委員会のカレル・ドゥ・グヒュト(Karel De Gucht)通商担当委員の失言である。時期的にザラツィン氏の暴言と関連付けられてもいる。
4日のAFP「Top EU official battles 'anti-Semitism' charge」(参照)より。
BRUSSELS — The European Union's trade chief battled on Friday to fend off accusations of anti-Semitism after referring to the power of a "Jewish lobby" in US policy.ブリュッセル:欧州連合(EU)の通商担当委員が米国におけるユダヤ人ロビーの権力に言及したことで金曜日、反ユダヤ主義の告発を逃れるべく奮闘している。
European Trade Commissioner Karel De Gucht also suggested that it was difficult to have a "rational" conversation with most Jews about the Middle East conflict.
欧州通商担当委員カレル・ドゥ・グヒュトはまた中東紛争について大半のユダヤ人と理性的な対話を持つことは難しいと示唆した。
The European Jewish Congress demanded an apology and full retraction from De Gucht, whose comments came on the heels of a German central banker's controversial statement that "all Jews share a certain gene."
西欧ユダヤ人会議はドゥ・グヒュトから謝罪と完全撤回を求めた。ドゥ・グヒュトの発言はドイツ中銀員による「ユダヤ人全員が共有する遺伝子がある」との発言に続いたものだった。
こちらも欧州連合(EU)を含めて謝罪で幕を引いた形になったが、予想もしてない失言の連続で国際関係の要人が緊張した日々でもあった。
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