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2010.09.02

[書評]日本語作文術 (中公新書:野内良三)

 タイトルが冴えないけど「日本語作文術 (中公新書:野内良三)」(参照)は良書だった。文章読本の系統では新しい古典になるのではないか。レベルは一般向け。高校生が読んでもよいくらい。大学生や新社会人も読んでおくと、一生のお得。悪文を書き連ねている私がいうのもなんだけど、これ読むと、それなりに文章がうまくなることお請け合い。

cover
日本語作文術
野内良三
 文章読本は数多くある。ありすぎる。人それぞれ信奉する良書もある。なので、どれが良書かという議論は、ご宗教みたいな話に堕しがち。どうぞご勝手に。私はある時期からあまりこだわらず、そのときおりの文章読本を時代を読むように読むようになった。文章読本自体を楽しむという趣向では「文章読本さん江 (ちくま文庫:斎藤美奈子)」(参照)のような冷めた感じだ。文章というのは多面的で一冊の文章読本ですべてを言い尽くせるものでもないし。
 それでも信奉書に近いものはあって、平凡だが二冊。「日本語の作文技術 (朝日文庫:本多勝一)」(参照)と「理科系の作文技術 (中公新書:木下是雄)」(参照)である。この二冊はすでに、実用的な文章を書く技術の解説書としてはすでに古典の部類だろう。
 で、本書、「日本語作文術」なのだが、この二冊のエッセンスを含んでいます。なのでこっちのほうが簡便。しかも、読みやすい文章の構造について、この二冊をより合理的に実用的に考察している。私も各所でへえと思った。
 「日本語の作文技術」だと、ある原理(特に句読点の規則)に到達するまでの思索過程がちとうるさいし、その過程を合理化するためにちょっと無理な議論もある。「理科系の作文技術」はそれ自体独自の味わいがありすぎて冗長と言えばみたいな感もある。対する本書だが、陳腐だけど普通にわかりやすい文章を書く技術に徹している分だけ利点がある。
 じゃあ類書をまとめたものなのか? そうではない。やや意外な創見から発している。日本語の文章を外国語のように学ぶという視点である。著者は仏文学者で、また大衆的な小説の翻訳に苦慮した経験から、日本語の達文を学ぶには外国語のように学べばよいとした。なるほど。
 そもそも日本語の文章というのは多分に欧文の翻訳文なのである。文学者丸谷才一がその「文章読本」(参照)で、文章読本の古典中の古典、谷崎潤一郎の「文章読本」(参照)を評し、谷崎のいう文章は翻訳文のことだと喝破していた。井上ひさしの「自家製 文章読本 (新潮文庫)」(参照)でも同種指摘されていた。近代日本語、とくに文章の日本語というのは一種擬似的な翻訳文から出来てきた経緯がある。だったら、その仕組みに素直に注目すればよいのではないか。
 そこで本書では、日本語の基本構造をまず簡単に提示している。なましっか言語学など囓ったことがない仏文学者らしいすっきりとした構造である。言われてみれば、ああそうだと納得せざるをえない。そこから、さらに「言われてみればそれもそのとおり」の原則が引き出される。一言でいえば、意味のまとまりのある文節を長い順から並べると、文章は読みやすくなる、というのだ。こんな例が挙がっている。

  1. 彼は友人たちと先週の日曜日に桜の名所として知られる吉野を訪れた。
  2. 桜の名所として知られる吉野を先週の日曜日に友人たちと彼は訪れた。

 どっちが読みやすいか。たぶん、(2)のほう。その原理はというと、意味のまとまりのある文節を長い順から並べただけ。
 なぜそうなるのか。あるいは「いやあ、私はそうは思わない」ということがなぜ起こるのかも本書に書いてある。そしてその原則から句読点の規則も整理されている。
 他にも、「そうこれなんだよな」と思ったのは、いわゆる翻訳文にありがちな無生物主語文とそうではない文章の変換構造の説明だった。これね。

  • 世界の人口増加が食糧補給の問題を提起している。
  • 世界の人口が増加したので食糧の補給が問題になっている。

 感心したのは、無生物主語文への変換も等しく薦めている点だ。現代日本語、とくにビジネス文章などでは、無生物主語文を使ったほうがわかりやすく書けるものだ。当然だけど、日本語翻訳者にとってもこうした本書の知見は便利だろう。
 総じて日本語の文章論について、よくここまで考察してまとめたものだなと思う。「は」と「が」の議論も面白い。特に主題提示の「は」が文を超えるという議論は、いちおう言語学では文脈論的に指摘されてはいたものの、文章論として読むと新鮮な感じがあった。
 じゃ、文章技術論として本書が満点かというと、議論に錯綜した部分はある。それと、筆者が修辞に詳しいため、修辞学のネタをお得に混ぜているのだが、その部分が仇ということもないけど、やや混乱した印象を与えている。
 「文章は単文がよい」といった「The Elements of Style」(参照)以来の因習も踏襲している。日本語の文章はかなりの構成要素が省略可能だから、省略をもって文章を単文にしてもわかりやすい文章になるわけねーだろ。だが、文章読本にはこの手の因習が多いものだ。ちなみに、受け身文はよくないルールも「The Elements of Style」がネタもと。これはこれで英文書くには基本なんだけどね。
 上手な文章を書くための何箇条みたいなつまらんネタが、はてなブックマークなどでたまに人気になるけど、本書一冊読んだほうがよいと思うな。ついでに近年の同種の一冊挙げると、若干陳腐だけど、「文章力の基本(阿部紘久)」(参照)もためになった。

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コメント

発信力が重要な時代ですから、作文能力、スピーチ能力は重要な能力だろうと思います。

谷崎の「文章読本」は、文科理科とわず、得るものは大きいと思います。

陳腐化した部分も多いと思いますが、作文術ではないけれど、梅棹忠夫の「知的生産の技術」を読んでみたいと思っています。

たしかに、発信力の訓練を体系的に受けている人は少ないと思います。大学院に進学しないとそういう訓練は受けられないだろうな。私の場合は、特許明細書を書くことが作文の訓練でした。それでも、体系的に優れた特許明細書の書き方を学ぶことが出来たわけではなく、書いているうちに書き方に習熟していっただけですが。

たくさん読書することも、文章がうまくなるのに必要な訓練だと思います。

投稿: enneagram | 2010.09.03 08:58

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