そこで、クイズ! 頭を覆っているこの女性は誰でしょう?
ではクイズです。
頭をスカーフのようなもので覆っているこの女性は誰でしょう?
正確な名前まではご存じではないかもしれませんが、中学校の歴史で習う有名人にとても深い関わりのある人です。その有名人の名前が出ただけも正解とします。
では、どうぞ!
正解は、カトリーナ・フォン・ボラ(Katharina von Bora)さん(参照)。
中学校でも学ぶ有名な歴史上の人物、マルティン・ルター(Martin Luther)の奥さんである。ルターは宗教改革の中心人物の一人で、プロテスタントの起源の一人とも言われる。その名前をそっくり受けたアフリカ系アメリカ人公民権運動の中心人物マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr)の有名な演説のフレーズ「私には夢がある」は、オバマ大統領から小沢一郎元民主党幹事長や菅直人首相の演説でも踏襲されている。
さて、カトリーナ夫人が頭に被っているコレはなんなのだろうか?
おしゃれ? 当時のドイツの風習? 伝統衣装?
どれも完全に間違いとは言えないが、一番の理由は、キリスト教の教義によるものである。
聖人パウロがしたためとされるコリント人への第一の手紙にはこのように書かれている。
祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。
もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。
キリスト教、カトリックや正教でマリア像頭にベールを被っているのもこれが理由。カトリックの修道女のベールも同様。プロテスタントのルターの妻も同様にベールを被っていた。
プロテスタントのもう一つの大きな源流となるカルバンはこの件についてどう考えていたか? 明確に、女性は頭を覆うようにと考えていた(参照)。プロテスタントの源流の習俗を色濃く残しているアミッシュの女性なども普段から頭を覆っている。
つまり、パウロの時代に確立していた規則としてキリスト教徒の女性は頭をヴェールで覆うことは、キリスト教では派に差はない。そしてイスラム教成立以前のパウロということから推測されるように、イスラム教のヴェールも同様の起源であると見てよいだろう。男性用だがユダヤ人のキッパーも同起源だろう。
しかし、現代のキリスト教徒の女性でヴェールをしている人なんていないじゃないかと思う人も多いかもしれない。これが、そうだとも言えるのだが、そうでもないとも言える。
実は、この規則は現代の欧米のキリスト教徒女性でもそれなりに守られている部分がある。もちろん覆うという意味ではveilではあるが「ヴェール」とは呼ばない。英語でも特定の用語はないようで、headcoverings(頭覆い)と呼ばれているようだ。形状も帽子のようであったり、ヘアバンドのようであったりして、いわばそのシンボルを明示するだけのおしゃれなヘア飾りともなっている。カトリーナ夫人の他の有名な肖像だとヘアバンドと言ったほうがよいものになっている。
また、キリスト教女性の頭覆いの規則だが、聖書の文脈のように祈りに関連づけられているので、日常時には適用されないという解釈もある。このため、逆に礼拝の際には、ちょこんとたたんだハンカチを頭に載せる女性もいる。私も最初見たとき、あれはなんだろ、と不思議に思った。
プロテスタントは分派が多く、古い欧州のキリスト教習俗を残しているものもあって興味深いが、カトリックのほうがこの問題を世俗世界との調和から統一的に解決しているため、むしろカトリックのほうが女性の頭覆いの排除が進んでいる。正教でもあまり見かけない。聖俗の文化が早々に進んだためではないだろうか。もっとも正教の場合の未亡人は全身黒ずくめの装束が多い。
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コメント
16世紀のヨーロッパ近代出発点のローマ・カトリックの宗教改革では、改革者のルターは有名でも、奥さんはそれほど有名にならなかった。
21世紀にも、たぶん、ポストモダンの宗教改革が起こるだろうと思うけれど、こっちの宗教改革は、奥さんのほうが有名人だったりするかもしれない。
科学革命については、アインシュタイン夫人もハイゼンベルク夫人も無名人。ワトソン夫人もクリック夫人も無名人。でも、きっとみんな頭のいい奥さんだろうと思います。
投稿: enneagram | 2010.09.16 15:11
印象だけで申し訳ないのですが、カトリックの方が、礼拝の時に頭にベール(というかレースのハンカチみたいの)をかぶっている女性を見受けるように思うのですが。
投稿: bowwho | 2010.09.16 15:37
と、ここまできたら「だからサルコジがチャドルを否定するのは」云々という展開になるんだろうか。
日本だとわりと被ってる女性の映像はみますな。
東京のカテドラルとか長崎の天主堂とか。
欧州は、たしかに旅行で教会とか大聖堂を見物してるときに地元の人を見てもその手のものは被ってなかったかも。
投稿: とおりすがりの。 | 2010.09.16 22:45
時々、ウォルマートで頭に小さな布(ハンカチを対角線で2つ折にした感じのもの)を被っている女性を見かけます。
それほど頻繁ではないのですが、見かけるたびにいつも同じ印象を受けるので、そういう規律のある特定の宗派に属しているのでしょう。
同じ人たちかどうか自信はありませんが、暑い時期にも「長袖+足首くらいまでありそうな長い丈」のワンピース姿で買い物に来ている女性連れの一行(母娘らしい)を見かけることもあります。生地のデザインも柄もどちらかというと地味なもので、まるでお揃いのように見えます。
地元のバプテスト教会のバイブルスタディでも、参加者の中に、ご主人がそういう宗派の人だったので以前は彼と同じ教会に属していたという人がいて、そこでは着飾る目的で身に着けるものはすべてダメという規律があったそうです。
「日常的に身に着ける服も肌の露出が多いもの、体のラインがはっきり出るもの(ジーンズなど)はダメ、化粧もアクセサリーもダメで、本当は教会に行かない時でもその規律を守らなければならなかったのだけど、私は教会に出ない時はいつも化粧をして自分の好きな格好をしていました。
しばらくそうしていたら、何だか自分が嘘つきのような気分がしてきたので、その教会を辞めてこちらに来ることにしたのです」
とのことでした。
頭の覆いにせよ「肌をみだりに出さない」という服装にせよ、イスラム教のそういう規律と同じところが起源なのだろうなあと考えていたところです。
投稿: liyehuku | 2010.09.17 12:26
bowwho様、以下、
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2010/08/100829.html
からの引用です。
====================================
以上、日本の教会に接して不信に思った点を書き連ねた。しかしそれでも日本の教会には少数者としての意識と信徒の真剣な態度が到るところで感じられ、ドイツではもはや見られない教会らしい雰囲気も味わうことができた。長崎のある教会で私達がドイツから来た、と聞いて暖かく歓迎して下さった主任司祭は、黒の司祭服に身を包み、話し方や動作そのものからやはり聖職者ならではの品格を感じさせる方であった。ドイツでは世俗人底抜けの平服姿の司祭も多い。服装だけで人間を判断するのは良くないが、それでも聖職者にはその立場に相応しい服装をしてほしいと思うことしばしばである。まして長崎で見たように教会内でヴェールを被った女性の姿など、一度として見たことはない。忘れられた奥ゆかしさがここ長崎にはまだ残っている、という印象を強くした。
投稿: MUTI | 2010.09.17 22:04