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2010.09.26

柳条湖事件と盧溝橋事件の比喩性

 昨日尖閣沖衝突事件の中国側の背景について触れたが、もう一点補足と関連の話をしておいたほうがよいかもしれないとも思った。なぜこの時期に中国は領海問題というタッチーな問題で騒ぎ出したのか、そして、なぜ胡錦濤政府は過剰なまでに強行的な立場を取るのか。
 9日のことだが広東省広州市の日本総領事館外壁に中国人男がビール瓶投げつけ公安当局に取り押さえられた(参照)。また12日には天津市の日本人学校のガラス窓が撃ち込まれた金属球で割られる事件が発生した(参照)。こうした絵に描いたような反日運動誘導的な事件だが、時期的に今回の尖閣沖衝突事件の文脈で報道された。
 実際には、柳条湖事件から79周年を迎える9月18日にちなんだ、予期された反日活動の一環でもあった。むしろ、尖閣沖衝突事件の中国社会での受け取り方には直接的にはこちらの文脈に置かれている面もあった。19日付け時事「日の丸燃やし抗議=柳条湖事件79年「国恥忘れず」-中国瀋陽」(参照)より。


満州事変の発端となった柳条湖事件から79周年の18日夜、同事件が起きた中国遼寧省瀋陽市内の記念式典会場の周辺で、日本の海上保安庁巡視船と衝突した中国漁船の船長が逮捕されたことに抗議するため、民衆が日の丸を燃やす騒ぎが起きた。
 中国各地では毎年この日、防空警報を鳴らすなどの記念活動を実施、「国恥を忘れない」とのスローガンで愛国精神を発揚するのが恒例行事となっている。日本の関東軍が1931年9月18日、満鉄の線路を爆破した現場となった瀋陽市で例年通り午後9時18分、全市で防空警報とともに、自動車が一斉にクラクションを鳴らした。

 柳条湖事件記念日での反日デモはインターネットなどでも広く呼びかけられていて、北京政府側は小泉政権時代のような反日デモに展開しないように抑え込みとガス抜きの対応を取っていた。むしろ、中国国内では上手に対処できていたし、反日デモでも側もそれを織り込んでの尖閣諸島騒動であったかもしれない。
 言うまでもなく柳条湖事件は満州事変の発端となった事件である。今年79年を迎える。1931年9月18日の夜、日本の関東軍(石原莞爾参謀)が奉天(瀋陽)郊外の柳条湖で満鉄線路を爆破し、これを中国軍の工作と偽って中国に攻撃を開始した。
 ちなみに、ネットを検索すると70年記念時の日本共産党の解説があった(参照)。わかりやすといえばわかりやすい。

 〈問い〉 九月十八日で「柳条湖(りゅうじょうこ)事件」から七十年になると聞きました。この「柳条湖事件」とはなんですか。(埼玉・一読者)
 〈答え〉 日本の中国への公然とした侵略戦争の発端となった謀略事件です。一九三一年九月十八日夜、中国東北部の奉天(現在の瀋陽)近郊の柳条湖付近で発生しました。日本の陸軍部隊・関東軍が、南満州鉄道(満鉄)線路上で自分で爆薬を爆発させながら、これを中国軍のしわざだとして、近くの中国軍兵営を攻撃したのです。
 日本は、この事件を機に中国東北部全域に侵略し(「満州事変」)、翌三二年三月には日本いいなりのカイライ国家「満州国」をつくり上げて植民地にしました。さらに三七年七月、盧溝橋事件をきっかけに中国への全面的な侵略戦争を開始。四一年十二月には侵略の手をアジア・太平洋全域に広げていったのです(太平洋戦争)。

 ポイントは、満州事変に至る日本軍の謀略であるということだが、この解説を借りたのは、これが37年の盧溝橋事件との関連で、満州を超えた中国全面侵略戦争となったという点が抑えられているためだ。
 そこで日本共産党は盧溝橋事件をどう捉えているかとこれも検索しみるとあった(参照)。

 〈問い〉 日中全面戦争の契機となった盧溝橋事件について、中国に責任をなすりつける主張を耳にしますが、どんな事件だったのですか?(福岡・一読者)
 〈答え〉 明日7日は盧溝橋事件69周年にあたります。北京の南西郊外にある盧溝橋付近で1937年(昭和12年)7月7日夜、日本軍が、夜間軍事演習中に中国軍から発砲があったとして、攻撃した事件です。日本は、すでにその6年前、鉄道爆破の謀略事件(柳条湖事件)を起こし侵略を開始し(「満州事変」)、中国東北部にかいらい政権の「満州国」を建国していましたが、盧溝橋事件を口実に、中国への全面侵略を開始します。

 引用は冒頭部分だが、読むと意外に味わいの深い回答になっている。まず、なぜ「中国に責任をなすりつける主張」があるのだろうか。それに答えているだろうか。

 靖国神社は、盧溝橋事件から日中が全面戦争となった「背景」について、「日中和平を拒否する中国側の意志があった」とし、全面戦争にいたったのも「日本軍を疲弊させる道を選んだ蒋介石(国民党指導者)」に責任があるなど(『靖国神社 遊就館図録』)、まるで、日本は平和を望んでいるのに、中国が戦争をしかけたように描いています。

 そうではないというのだ。

 しかし事件がおきたのは、日本の国内でも日中の国境地帯でもなく、北京の近郊、いわば中国の中心部です。当時、中国は義和団事件(1900年、中国侵略に抗議した民衆運動を、日本など8カ国の軍が鎮圧をはかったもの)の「最終議定書」によって国内への外国軍の“駐兵権”をのまされていました。日本は、これを盾に、盧溝橋事件の前年には「支那駐屯軍」を1800人から5800人に増強。中国の強い抗議を無視し、増強部隊を北京近郊の豊台に駐屯させました。ここは北京の守備の要で、すでに中国軍がおり、両軍はわずか300メートルで対峙(たいじ)するかたちになりました。それが、いかに挑発的なことであったか。

 大局から見れば、日本共産党の回答で正しいのだが、ディテールの説明が面白い。日本共産党の理屈では、日本は「中国の強い抗議を無視し、増強部隊を北京近郊の豊台に駐屯」させそれが「挑発的なこと」だったから日本が悪いというのである。なお、引用には続きもあるので読まれるとよいだろう。
 面白いポイントは、挑発したから責任は日本にあるという議論は、「7月7日夜、日本軍が、夜間軍事演習中に中国軍から発砲があったとして、攻撃した」がどう関連するかである。
 単純な話、日本が舞台駐屯で「挑発」したのだから、きっかけも柳条湖事件事件のように日本が謀略をしかけたとするとわかりやすいし、私が高校生くらいまではそうした歴史も語られることがあった。
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昭和史の謎を追う〈上〉
秦 郁彦
 しかし、事件はそうではない。日本共産党が正しく「夜間軍事演習中に中国軍から発砲があったとして」と伝聞だけに留めているように、関東軍が発砲したとまでは言えない。
 では、誰が全体的にテンションの高まるこの時期に発砲という具体的な挑発を行ったのか? 日本共産党は答えていない。わからないともしていない。そこを答えずに回答したことになっている。
 この問題については一般書籍では「昭和史の謎を追う〈上〉(秦 郁彦)」(参照)に議論があり、そこでの結論は「二九軍」としている。中国国民革命軍である。
 ちなみにウィキペディアを参照すると次のように書かれている。

日本側研究者の見解は、「中国側第二十九軍の偶発的射撃」ということで、概ねの一致を見ている[52][53]。中国側研究者は「日本軍の陰謀」説を、また、日本側研究者の一部には「中国共産党の陰謀」説を唱える論者も存在するが、いずれも大勢とはなっていない。
「中国共産党陰謀説」の有力な根拠としてあげられているのは、葛西純一が、中国共産党の兵士向けパンフレットに盧溝橋事件が劉少奇の指示で行われたと書いてあるのを見た、と証言していることであるが、葛西が現物を示していないことから、事実として確定しているとはいえないとの見方が大勢である[54]。当時紅軍の北方機関長として北京に居た劉少奇が、青年共産党員や精華大学の学生らをけしかけ、宋哲元の部下の第二十九軍下級幹部を煽動して日本軍へ発砲させたもので、昭和29年、中共が自ら発表した[55]。

 興味深いことはウィキペディアに「「中国共産党の陰謀」が言及されその補説もあることだ。
 「中国共産党の陰謀」はその名の通り、中国共産党が謀略で盧溝橋事件を起こしたとする説である。ウィキペディアはこれが「大勢とはなっていない」としているし、先の「昭和史の謎を追う〈上〉(秦 郁彦)」でも否定の議論を展開している。
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この厄介な国、中国
岡田英弘
 どう見るかについてだが、概ね偶発事故であろうし、大局的には日本共産党の見解でよいと私は思うが、私が実際に学んだこともある史学者岡田英弘氏は、「中国共産党の陰謀」に立って、興味深い議論を展開していた。先日のエントリーでも紹介した「この厄介な国、中国(岡田英弘)」(参照)が詳しい。当時、国民党との対立で劣勢に立った共産党という文脈で。なお、引用は前版の「妻も敵なりより」。

 軍事的に追い詰められた中国共産党が、そこで思いついたのが反日運動キャンペーンの展開である。つまり、国民党政府のアキレス腱は日本であると見たわけである。放っておけば、国民党政府は日本との妥協を行うだろう。
 しかし、その前に中国大陸全土で、反日・排日の嵐が吹き荒れればどうなるか――国民党は日本との妥協を諦め、それどこか日本との直接対決の道を選ばざるをえなくなると、毛沢東以下、中国共産党の幹部たちは読んだのである。日本と国民党の戦争が始まれば、得をするのは共産党である――彼らにとって、当然の帰結であった。
 中国共産党は、大陸の各都市で執拗な反日キャンペーンを繰り広げさせた。さらに、それだけでは手ぬるいと判断して、彼らは日中両軍の軍事衝突さえ起こそうとした。それが昭和十二年の盧溝橋事件である。


 中国全土で行われた反日キャンペーン、そして盧溝橋事件によって、国民党政府を率いる蒋介石は窮地に陥った。前にも述べたように、蒋介石の本心は日本との和解にある。だが、ここまで反日運動が激化してしまえば、それを言い出すことは政治的死に繋がる。また、国民党からの反日の声をこのまま無視することも許されない。「弱腰」というレッテルを貼られた指導者についてゆく人間、なかんずく中国人などいないからである。
 蒋介石に残された道は、共産党の望むとおり、いや、共産党の望む以上の強攻策で日本と対決するしかなかった。そうしないかぎり、蒋介石政権の明日はない――これ以降の蒋介石は、以前の彼とは打って変わって、日本との戦争に躊躇しなくなった。日中戦争は、実はこのように始まったのである。

 とんでもない珍説に聞こえることは、岡田氏も了解している。

 ここまで読んできた多くの読者は、おそらく「そんな馬鹿な」という感慨を抱かれるに違いない。なるほど、日中戦争勃発のそのものの発端は、中国共産党と国民党の内紛であり、そして蒋介石が政治家としての保身を図るために戦争を選んだという物語は、多くの日本人には信じられない話であろう。
 しかし、中国人にとっては、これが当たり前の話である。つまり、日本人と中国人では人生哲学が決定的に違っている。

 私が学んだことは、この史実がこのようなものであったかについては判断しがたいが、中国人がそのような行動規範を持つことだった。そして、それらは、今も変わらず継続しているのではないかと推測している。
 岡田氏の史観には異論も多いだろうし、私は後の上海戦(参照)を思うと盧溝橋事件後に蒋介石と和解する手立てはなかっただろうと考えているが、広義に見れば岡田氏の次の指摘は傾聴に値する。

 先ほどの日中戦争の話で言えば、もし、あのとき日本人が「中国人とは、こういう民族なのだから」という認識を持っていれば、あの不幸な戦争も起きなかったかもしれない。共産党が何を望んでいるかを知れば、戦争を避ける道は見つかったかもしれない。
 ところが、当時の日本政府首脳には、それが見えなかった。反日運動の激化を見て、日本人は憎まれているだけの存在と信じ込み、共産党の思惑どおりに戦争に突入していったわけである。
 日本人は気軽に、友好とか平和という言葉を使うが、真の友好、真の平和を願うのであれば、まず相手がどのような国なのか、どのような国民性なのかを知る必要がある。

 

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コメント

結局、温家宝首相に対日強硬姿勢をとらせている原因は、日本にではなく、中国国内にある、とおっしゃりたいわけでしょう。

直接、そうおっしゃれば良いのに。

投稿: enneagram | 2010.09.26 14:06

(国共合作の可能性の読み違えという観点はわかりますがそれをとりあえず棚上げして)日本軍側特に現場の軍隊には容易に中国軍を打ち負かせると(あるいは天皇も中国を打擲出来ると)考えた慢心が背景にあると教科書には書いてあると思います。読みが割と短期的というか中国人民の根深い対日不信を無視した点が日本側の読み違えとしてより大きかったのではないでしょうか。如何でしょうか。

投稿: KappNets | 2010.09.26 17:27

>直接、そうおっしゃれば良いのに。

尖閣沖と書くと、ろくに本文も読まずにナショナリズムむき出しの反論がかえってくるからじゃないですかね。
多少は日本語が読める人間に伝わるように、あえて書いてないのかと

投稿: | 2010.09.26 18:20

KappNetsさんへ。「中国人民の根深い対日不信を無視した」というのは五四運動などから考えてそうだろうと思います。ただ、柳条湖事件後の満州統治と石原莞爾のように戦線の拡大を望んでいなかった盧溝橋事件後、さらに上海戦への展開はそう直線的には繋がらない印象はあります。

投稿: finalvent | 2010.09.26 18:27

ここ最近、毛沢東の孫が将軍にという話が気になるのですよ。

投稿: ano | 2010.09.26 19:10

>「中国人とは、こういう民族なのだから」…

 だ・か・ら、そんなことは百も承知でしょ。少なくとも、中国とのビジネス経験があるか、それなりの目的意識をもって日中関係を見てきた者にとっては。
 まぁ、脳内お花畑の左翼、不必要な中国age報道を繰り返してきたマスゴミ関係者やそれを鵜呑みにしてきた人には意味があるかもしれませんけど。
 それに柳条湖事件から79周年って何。切りも悪いし中途半端。つまり、こうした事件は毎年起るかもしれないということ、つまり、基本的な外交スタンスが問題だということですよね。
 麻生政権下での中国の領海侵犯自体が0件。これに対して、民主党政権下では14件だそうですが、普天間問題で日米関係をgdgdにし、東アジア共同体とか大人数の訪中団、天皇の政治利用等を繰り返してきた民主党政権では、足下を見られて舐められるのは当然。今回の自体は、自業自得と言うべきでしょう。
 管理人さんは、問題にすべき着眼点を間違っていませんか?

投稿: MMR | 2010.09.26 19:18

とんでもない珍説、信じられない話
と決まっちゃう過程がわからんw

中国人とは、こういう民族
と珍しがるような特異性は、なんもないと思った。

国内の政争で負けないために他国との戦争を選ぶか普通?
ということ?
小日本と妥協することは昔も今も最大の恥辱なんだろうし
べつに理解できなくもなくね?
それとも、為政者が大衆の民意にいとも簡単に
飲まれてしまうことが信じられない、ちゅーこと?

誰かおすえて

投稿: 通りすがり | 2010.09.26 19:35

御意見、御見解には賛同しかねる部分も多々あります。
ありますがしかし、難しい時期に難しい問題を扱われて、脅迫めいたコメントも来るでしょうに…よく頑張るなと思います。
今後も楽しみにしています。

投稿: 肉詰めピーマン | 2010.09.26 21:24

歴史に学ぶとはこういうことか、とでも言うべき名エントリと思いました。ただ、

・国内事情で侵略されてもかなわんよなあ
・この手の話で理解と譲歩を求められるのはいつも日本側(→日本はチキンレース敗者と感じられる)

という感情に答えが見つかるまでは相当ゴタゴタは続くでしょうね。
>日本人は気軽に、友好とか平和という言葉を使うが、真の友好、
>真の平和を願うのであれば、まず相手がどのような国なのか、
>どのような国民性なのかを知る必要がある。
という意見も裏返しに見れば、中国人は友好も平和も願っていないんだなあ、という感想につながりかねないですし。

あと、政府が地検に解決を押し付けた(かのようにした)方法の問題は依然のこると思います。
「だったら米兵が沖縄で乱暴狼藉働いても初犯で計画的でなければ日米関係を考慮して不起訴で放免かよ!」みたいなもので、これは右翼左翼ともに受け入れ難いことは想像に難くありません。

投稿: benzo | 2010.09.26 21:52

そもそも、日本と中国は1937年8月まで停戦していたのに、
第二次上海事変で停戦協定を無視して
攻撃を仕掛けたのはどこの国か?という点は
日中双方であまり語られないのが不思議。

投稿: | 2010.09.26 21:55

この本おもしろかったです。

黄仁宇「蒋介石—マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記」
http://www.amazon.co.jp/dp/4497975347

引用されている岡田英弘さんの言説は、特に「とんでもない珍説」という感じはうけませんでした。黄さんの本に書かれている史観からもみても、あまり違和感は無かったです。

投稿: odakin | 2010.09.27 03:30

今回はMさんが引っかかってしまった、
ということですね?

投稿: | 2010.09.27 15:01

盧溝橋事件はすぐに停戦しており日中戦争とは直截の関係はないでしょう
第二次上海事変において蒋介石が総攻撃命令をだしてはじめて戦争になったのであって、それ以前の衝突の分析は面白くてもだから戦争になったとはいえません

投稿: | 2010.09.27 21:23

(なんとなくレス)しかしね〜
当時の日本だって似たようなもんよ?
70年近く前の12月8日以降の日本の新聞の論調が
どういうものだったか知ってるか?

「これでようやくすっきりした」
だったんだって。
このノリで、いろんな著名な言論人が寄稿を連ねてたそうだ。

泣けるどころか腹立つよ。俺は。

投稿: 通りすがり | 2010.09.28 01:44

進駐や対華要求が侵略の意図を表していると言われればそうかもしれない。
だがその後は積極的な進軍をすることもなく、中国国民党からの絶え間なく続いた挑発に反撃していたのが支那事変であり日中戦争は存在しない。
その支那事変の最中に飛行機を撃墜してみればアメリカ人が搭乗したフライングタイガースであった事や、ビルマルートを通じて蒋介石政権に肩入れをするイギリスの影が見えてきた。
結果としてマレー沖に先制攻撃を仕掛けることで「対鬼畜米英戦」が始まった。マレー沖ではなく真珠湾と語られるのは、当時の支那に租界を持つイギリスと違い、アメリカによる国民党支援は直接的な政府との関係を巧妙に隠蔽してあったため被害者であるという立場を演じやすかったからでしょう。

一転して、現在の尖閣問題、(当時の状況と照らし合わせて)傷害事件や暴動発生(した場合)に日本に居留する中国人保護を名目に武力紛争に訴える機会を伺っているのか?、また、アメリカとしては日本に軍事利権の種をまけばそれでいいのか?

ちなみに日米同盟では尖閣諸島も対象になっています、が、島嶼部(尖閣諸島を含む)についての防衛は日本が独自に行うと小泉時代に決定されたそうな。一歩進んで有事となった場合も、アメリカが実行すると名言されているのは「軍備の増強」のみだそうです。

投稿: 鎖国したい | 2010.09.29 12:14

 ご指摘は「中国という国は、国内の権力争いに勝利するためには、外国をその政争に巻き込み政敵と戦争をさせてその漁夫矩を得るようなことも平気でする国だ」ということで、それを証する典型的な例として、岡田英弘氏の「日中戦争=中国政治内紛説」説を紹介しておられるのだと思います。

 確かにこの通り、当時の中国共産党が、日本軍と蒋介石の国民党軍の妥協を阻止し、戦争状態に陥れるための謀略活動を盛んに行ったことは事実だと思います。しかし、戦争に謀略はつきものであって、日本軍もそれを盛んにやっていたわけですから、騙されたと文句を言っても始まらない。実際、日本軍と蒋介石軍が戦えば、共産党の”漁夫の利”になることは双方ともよく判っていた。問題は、それなのになぜ日中全面戦争を8年間も戦うことになったか。それが最大の問題なのです。

 このことを考えるヒントとして、昭和9年12月に蒋介石が発表した「敵か味方か、日中関係の検討」が参考になると思います。拙ブログ参照
http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-353d.html

投稿: tikurin | 2010.09.29 14:35

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