父と子の対話ということ
全共闘世代の父とその息子さんとの対話。その書籍化に触れた先日のエントリー「[書評]お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘、加納建太)」(参照)で私は、全共闘世代の父の側に共感をもった。私のメンタリティーがどちらかといえば全共闘世代に近いからである。しかし書籍の帯は、父と子が対話することに力点が置かれていた。書籍として狙ったものはそこだったのだろうし、全共闘世代の父と子の対話というのは現実には少ないからなのだろう。後書きにも、父と子が対話できるなんてうらやましいと寄せられた言葉の紹介もあった。
現在老人となる全共闘世代、広義には団塊世代が、父として子に語ってきたかと問うなら、おそらくあまりそういうことはなかったのではないか。そして日本のいわゆる失われた10年に三十代半ばとなる子からも、父に青春の時代を問うということはあまりなかったのではないか。
親子だから語れない。そもそも親子とはそういうものであるといえるし、父と子というのはいっそうそういうものだとも言えるかもしれない。一般論としては。
私は先の書籍が父と子との対話であるというなら、本当は、父の恋愛体験を語ることが先決ではなかったかと思っていた。息子に向かって「君のお母さんに私はこう恋をした」ということを語るべきではなかったか。子はそうした関係から生まれてきたものでもあるし。
もちろん、そんな家族的な、個人的な話など書籍になるものではないというのもあるし、あの書籍では、父としてはまず1960年代という時代を語ることをテーマにしていた。しかし仔細に読めば、後書きにもあるように、父のご夫妻の関係は問われていたし、子供たちの恋愛体験への陰影も感じられるものだった。さらに「もちろん」というなら、けして親の恋愛というものはよりより人間の関係という美しい話にもならない。
そう思いつつ、1984年から1985年に日本テレビで放映されていたドラマ「名門私立女子高校」のことも思った。南野陽子のデビュー作であるが、彼女の印象はそれほど強くはない。ドラマの物語は、妻に離婚されたうだつの上がらないダメな中年男の教師が若く俊英の女性教師と最初敵対しそして恋に落ちる話である。男を西田敏行が演じていた。
いくつも印象的なシーンがあるが、その一つに、彼が娘に語る彼のバリケードのなか恋の話である。そしてその恋から娘が生まれる。娘は母親から父がどんなに勇敢だったかと聞かされていたが、おそらく物心付くころから男はダメになっていた。
もう一つの印象的なシーンがある。もう一人老いたダメ男の教師が語る昔の恋の物語である。命をかけて恋人をさらったというのが、彼の人生の最高の出来事だったというのだった。
恋愛の思い出がその後の人生を支え、その思いへの立ち返りから人が再生する。そうした物語であった。だが実際の人生は皮肉である。この物語には脚本家の林秀彦の体験が滲んでいるが、彼自身の人生のその先にあったものは苦いものだった。
先の全共闘世代の父は1946年生まれ。ドラマのダメ教師が40歳だったとしたら1946年生まれ。ほぼ同じ年代に、1948年生まれのキャット・スティーヴンス(Cat Stevens)がいる。彼は1970年のアルバムで「父と子(Father and Son)」を歌った。
<父>
It's not time to make a change,
Just relax, take it easy.
You're still young, that's your fault,
There's so much you have to know.
Find a girl, settle down,
If you want you can marry.
Look at me, I am old, but I'm happy.
今は変革の時代ではない
肩の力を抜き、気を楽になさい
おまえはまだ若い。それが欠点だ
おまえはもっと知らなければならないことがある
女の子を見つけて、落ち着いて、望むなら結婚もできる
わたしをご覧。老いてはいるが幸せだI was once like you are now,
and I know that it's not easy,
To be calm when you've found something going on.
Take your time, think a lot,
Think of everything you've got.
For you will still be here tomorrow,
but your dreams may not.
私もおまえのような時期があった
物事が変わっていくとわかっているのに
じっとしているのが難しいのはおまえもわかっている
でも慌てるな。もっと考えなさい。
なにを手にしてきたか
おまえは明日もここに居ることができるが
おまえの夢は消えているかもしれない<息子>
How can I try to explain,
'cause when I do he turns away again
It's always been the same, same old story
From the moment I could talk, I was ordered to listen
Now there's a way
and I know that I have to go away
I know, I have to go
なんども説明しようとした
説明するたびに無視される
いつも同じ事の繰り返し、そればかり
ぼくが話そうとすると、「まず話を聞け」と言われる
もうぼくの未来は
遠くに行くことしかないとわかったんだ
ここを去るしかないんだ
キャット・スティーヴンス自身は息子の思いに立っていた。そこからは父は世界に馴染みきった大人にしか見えない。その父の青年期に「[書評]私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった(サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー): 極東ブログ」(参照)のような戦争があったことは知識としてわかっていても、その体験は父から息子にはうまく伝えられていない。
キャット・スティーヴンスはその後、仏陀を歌うアルバムを出し、そしてイスラム教に改宗し、ユスフ・イスラム(Yusuf Islam)となった。かつての父の年になった。そしてどこに行ったかのかを歌った。"Heaven, Where True Love Goes(天界、本当の愛が向かうところ)"。
The moment you walked inside my door,
I knew that I need not look no more.
I've seen many other souls before - ah but,
Heaven must've programmed you.
きみがぼくの扉の内を歩むとき
これ以上気を張る必要はないとわかった
ぼくはきみに会うまでたくさんの人に会った
でも神様が用意してくれていたんだThe moment you fell inside my dreams,
I realized all I had not seen.
I've seen many other souls before - ah but,
Heaven must've programmed you.
Oh will you? Will you? Will you?
きみがぼくの夢の中にすべりおちたとき
ぼくは何がわからなかったかわかった
ぼくはきみに会うまでたくさんの人に会った
でも神様が用意してくれていたんだ
そうでしょ? ねえ?I go where True Love goes,
I go where True Love goes.
本当の愛が行くところにぼくは行こう
偉大なる愛が行くところにぼくは行こう
And if a storm should come and if you face a wave,
that may be the chance for you to be saved.
And if you make it through the trouble and the pain,
that may be the time for you to know His name.
嵐が来て波が立ちふさぐなら
それはきみが救われるチャンスになる
苦しみと痛みを超えるなら
そのときにきみは誰が神かを知るだろう
たしかユスフには息子はない。スカーフをまとう娘は写真で見たことがある。彼は神を語ることで自分を変えてしまった恋を語っているのだろうが、父としてうまく語っているかはよくわからない。父と子の対話というものの、本当に難しいなにかがあると思う。
でも、私はちょっと勘違いしていたかもしれない。エントリーを書きながら、YouTubeの「父と子(Father and Son)」で、自分には父がいなかったというコメントを見た。ある時代以降、この歌は、父というものへの、ある懐かしさから歌われていた。私自身についていえば、ユスフの生き方に心落ち着かせるものがあった。
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コメント
労働して賃金を得ることや、貯蓄理財することに大きな社会的価値を見出すタイプの女性には、どうしても恋愛感情をもてなかった。大学時代と大学卒業後数年間の話ですけど。
絵を描いたり、歌を歌ったり、踊りを踊ったり、そういう才能にあふれた、まあ、ケイト・ブッシュみたいな女性が好きでした。たとえ、顔がまずくてケイトのような美貌に恵まれていなくても。
まあ、そんな女性観の持ち主だから、いま、長期の宿六をやっているんだと思います。
投稿: enneagram | 2010.09.02 06:14