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2010.09.30

日本を巻き込む米中貿易戦争の開始

 中国に人民元切り上げを迫る制裁法案が米国下院で29日(米国時間)可決された。世界大恐慌を深刻化させたスムート・ホーリー法の現代版とも言えるような代物で好ましいものではない。米中貿易戦争の開始とも言えるだろう。当然、日本にも影響は出てくる。
 米国下院での採決で賛成が348、反対が79と大差がついたことからもわかるように読みやすく予想された結果でもあった。今後の推移だが、上院で同様の法案が可決された後、上下院で法案を一本化して再度可決し、さらに大統領署名で法律として成立することになる。この間、11月に中間選挙があるため、上院の可決はそれ以降になりそうだ。
 実際に上院で成立するか、またオバマ大統領がこれに署名するかが注目されると言いたいところだが、恐らく成立という流れになる。さらにその後、WTO(世界貿易機関)による違反となる可能性もないわけではないが、中国からWTOに提訴するという図は想像しにくい。
 オバマ政権のガイトナー米財務長官も16日の米上院銀行委員会で中国人民元について、「人民元安が米国からの生産や雇用の流出を促進している」「人民元の上昇ペースは遅く、上昇幅も限られている」、議会の「いらだちを理解する」(参照)と述べており、政権と議会に認識差はない。意外感もあるが中国寄りに見られるニューヨーク・タイムズもこの意見に与している。18日付け「Mr. Geithner and China」(参照)より。ガイトナー長官の議会証言に対して。


It is good to hear Mr. Geithner speaking out. It was also good to hear Japan this week criticizing China’s currency manipulation. The Obama administration now needs to persuade more countries to speak up. That may be the only way to get China to abandon its victim act and its policy that is doing huge economic damage around the world.

ガイトナーの公言が聞けるのは好ましい。今週日本が中国の為替操作を非難したことも好ましいことだ。オバマ政権はより多くの国々が声を上げるよう説得すべきだ。世界全体に経済損失を与えるように犠牲を強いる政策と政策を中国に断念させる唯一の方法であるかもしれない。


 日本ではあまりこうした枠組みの報道は見かけなかったように思うが、尖閣諸島をめぐる問題で揉めているとき、中国側としては通貨問題で日本が米国に与したことも腹立たしく思っていて、強硬な対日策には通貨問題での米国に対する指桑罵槐の側面もあった。加えて言えば、ぼかしているが、中国を甘やかせて巨利を上げているドイツについてもニューヨーク・タイムズは非難している。
 好意的に見るならオバマ政権はガイトナー長官の証言を通して制裁法案回避に向けたシグナルを中国に出しているとも言える。オバマ大統領はさらに23日、個別会談で温家宝首相に早急な人民元切り上げを求めた。が、はぐらかされた。今後、中間選挙では民主党の敗北が予想され、同党のオバマ大統領の力はさらに弱体するので、政権側からの回避策は途絶えるだろう。
 対する中国だが、米国が振り上げた拳を下ろすように、この間に人民元を切り上げて軟化するかだが、これも恐らくないだろう。中国は6月に為替レートの弾力性を高めるとアナウンスしたものの、実際の人民元切り上げは2%と洒落にもならなかった。今後もわずかなポーズが示されるくらいで、実際には貿易戦争に受けて立つということになりそうだ。単純な話、人民元を切り上げれば中国国内雇用にも影響するし、貿易にも影響する。さらに北京政府側に圧力がかかる。特権階級である太子党も看過しない。
 対中制裁法案の内容だが、為替操作による通貨安政策で実質的な輸出補助金を出す国があれば、それを米国商務省に審査させ、輸出補助金と認定されれば、相殺関税を課すようにするものだ。現実的には対中国が想定されている。
 現状米国は、中国が為替操作を行い二割から四割ほど人民元を安くしていると見ている。このため、米国では350万人の雇用が失われたとも推定されている(参照PDF)。
 オバマ大統領が内心ではこの制裁法案を望んでいないように、米側でも反対意見はある。スウェーデン国立銀行賞賞受賞者のロバート・マンデル米コロンビア大学教授もその一人である。27日付けブルームバーグ「マンデル教授:人民元の上昇促す米国の法案、通過すれば「災難」に」(参照)より。

  同教授は香港でブルームバーグテレビジョンのインタビューに応じ、「米国民を助けることにはならない」と言明。「米国民の雇用を創出することはない。災難を生むだけだ」と指摘した。


 マンデル教授は同法案について、「世界経済やアジアの安定に大きなダメージを与えることになる」とした上で、「国際関係の安定を傷つけることになる。経済の歴史において、法制度によりある1国の通貨が他国の通貨に対し上昇を強いられた例は存在しない」と付け加えた。
 また、中国が元の上昇を容認することで米国、もしくは米国の国際収支にプラスとなるとは過去の歴史が示していない指摘した。

 とはいえもはやこの潮流を押しとどめることはできないだろう。
 私としては、米国も愚かなことをするものだなと思っていたが、私が尊敬するコラムニスト、ローバート・サミュエルソンの27日のコラム「The makings of a trade war with China」(参照)でぞっとするような意見を読んだ。日本語でも公開されている(参照)。

 第2次大戦後の通商体制は相互利益の原則に基づいており、完璧でないとはいえ、その原則は守られてきた。だが中国は、自国のニーズに合わせた通商体制を望んでいる。共産党の権力維持に必要な雇用を支える巨大な輸出市場、石油や食材、その他の重要な原材料の供給源の独占、テクノロジーでの優位性というニーズだ。諸外国の経済の成否は、中国の国益への貢献度によって決まる。
 いま対立しているのは、世界秩序に関する2つの考え方だ。旧来の秩序を作り上げ、守ってきたアメリカは、おぞましい選択に直面している。中国の野望に抵抗して、誰もが敗者となる貿易戦争を始めるリスクをとるか、あるいは何も手を打たず、中国に新たな通商体制を構築させるのか。
 前者は危険を伴う。だが、後者は世界を破滅させるかもしれない。

The post-World War II trading system was built on the principle of mutual advantage, and that principle -- though often compromised -- has endured. China wants a trading system subordinated to its needs: ample export markets to support the jobs necessary to keep the Communist Party in power; captive sources for oil, foodstuffs and other essential raw materials; and technological superiority. Other countries win or lose depending on how well they serve China's interests.

The collision is between two concepts of the world order. As the old order's main architect and guardian, the United States faces a dreadful choice: resist Chinese ambitions and risk a trade war in which everyone loses; or do nothing and let China remake the trading system. The first would be dangerous; the second, potentially disastrous.


 道は二つしかないという。(1)誰もが敗者となりうる貿易戦争を始めるか、(2)中国流の世界経済秩序設立を認めるか。
 二番目は「世界を破滅させるかもしれない」と訳されているが、原文では、"potentially disastrous"であり、「破滅」と読むまでもないようにも見える。
 ただし日本は戦後、米国の「旧来の秩序」である公海の自由を基盤に自由交易の上に成立してきた国であり、二番目の選択はそれがなくなるということからすると、米国にとっては"potentially disastrous"であっても、日本にとっては"eventually destruction"になりかねない。
 米国はその原油輸入の状況を見てもわかるように南米と一体化したブロック経済圏が取れないことはないし、大西洋側の欧州・アフリカとの連繋も可能だが、日本にはそうしたチョイスはない。

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2010.09.29

尖閣沖衝突事件、欧米紙の論評

 尖閣沖衝突事件についてフィナンシャル・タイムズ、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストの社説が出揃った。最初がフィナンシャル・タイムズで友好関係の重視しつつも日本が一貫した対中政策を固持するように示唆した。ニューヨーク・タイムズは日本への配慮を示し、米国内向けであろうが、日本への関与の重要性を説いた。ワシントン・ポストはしばらく沈黙を守ったが二紙より踏み込んで、米国の対中戦略が転換期にあるという見解を出した。
 この事件、日本側からは米国を安保の文脈で見がちだが、米側からすると中国との関係はなにより通貨問題で深刻にこじれつつあり、そのほうが重要な課題でもある。別の言い方をすれば、中国も対米の深刻な通貨問題を理解はしているので、指桑罵槐として日本を非難している側面もある。
 最初の言及はフィナンシャル・タイムズの14日付け「Mending fences in Beijing and Tokyo」(参照)であった。冒頭はこの時点の空気を伝えている。


Now that Naoto Kan, just three months into his premiership, has survived a leadership challenge, he can concentrate on running Japan. There’s much to be done. The yen, at Y83 to the dollar, is at 15-year highs, the recovery is flagging, and the government has still not figured out how to support the economy while reining in the fiscal deficit. Mr Kan has at least one more pressing item in his in-tray: deteriorating relations with China.

首相となって三か月ばかり、しかもようやく同党総裁選を乗り切って菅直人が国政運営に乗り出せる。やるべき事は多数ある。日本円は対ドル83円と15年来の高値を付け、回復は弱い。財政赤字を抑制しつつ菅内閣はいまだ経済支援策が見いだせない。しかも菅氏にはもう一つ課題がのし掛かった。中国との関係悪化である。


 この時点ではフィナンシャル・タイムズは問題をまだ大局的に見ていた。難しい問題とは認識されていなかったせいもある。関係悪化については次のように見ていた。

These have got worse for two reasons. First, China’s regional presence is looming larger – and not just for Japan. Sino-Indian relations, too, have become noticeably more fractious. Second, the weak and divided Democratic party has been unable to stick to a consistent line on China – or anything else. Individual ministries have made up policy on the hoof.

悪化には二つの理由がある。第一に対日のみならずこの地域での中国の存在感が増していること。中国とインドの関係もこれに含まれる。中印関係もまたかなりぎくしゃくとしている。二点目には、日本民主党が弱体化・分裂しているために、対中政策と限らず一貫した態度が取れないことだ。民主党の閣僚はそれぞれ自分勝手な政策を取っている。


 中国が外交で失敗を重ねてきたあたりは日本のメディアからはあまり指摘されていないので知らないかたも少なくないだろう。
 より重要な指摘は、日本民主党の内閣がいわば政策面で無秩序状態になっていたということだ。多少勇み足なコメントをすると、今回の事態、日本側からすると、民主党内の分裂状態を見据えたうえで、前原外相が一気に夜討ちをかけたに等しかった。言い方は悪いが、日本をあえて窮地に追い込んで人質とすることで民主党内と米国に脅しをかけ、党内を親米路線に固める狙いがあったのだろう。おそらく仙谷官房長官としては党内理由だけでこれに舵を切ったのではないだろうか。
 この時点のフィナンシャル・タイムズの結語はごく穏当なところにとどまっている。

The best thing Mr Kan can do for Sino-Japan relations is develop a firm, but consistent line – and stick around to implement it.

対中関係で菅氏が取り得る最善策は、堅実で一貫した政策を採り、それを固持することである。


 その一貫した対中政策は、結果としての今回の前原路線とは言い難い。おそらくフィナンシャル・タイムズ側も前原大臣の決断に驚いたのではないか。言うまでもなく、今回の事態に、菅首相はほとんど関わっていないのである。
 ニューヨーク・タイムズは事態の安定を待って25日付け「China, Japan and the Sea」(参照)でこの問題を扱った。

China forced Japan to back down but still did itself no favor. Its bullying behavior will only make its neighbors even more anxious about Beijing’s intentions.

中国は日本に退歩を強制したが中国側で得たものはなにもない。中国の乱暴な行動は中国政府に対する隣国の不安を増強するだけになる。

There are also questions about Tokyo’s motives. Japanese coast guard officers often board Chinese fishing vessels found in waters claimed by Tokyo to send a message and then send them on their way without incident.

日本政府の意向にも疑問がある。日本の海上保安庁の巡視船は領海内の中国漁船に警告を伝えた後、事件とせず追い払うのが通例だった。

The collision this time seems more serious, largely because Chinese warships are also increasingly crossing into Japanese waters.

今回の衝突がより深刻なのは、中国海軍の日本領海侵犯が増えているためだ。

The scars in China over Japan’s long and brutal occupation have not healed. But the two countries have tried to work together to rein in North Korea’s nuclear program. The United States, which has a strong alliance with Tokyo, also is rightly eager to encourage China to become a more responsible regional player.

長期にわたる日本の乱暴な占領の傷から中国は癒えていないが、この二国は北朝鮮の核開発に協調して取り組もうとしてきた。日本政府と強固な同盟関係を持つ米国も、中国に対してこの地域の関係者として責任ある行動を取るよう積極的に直言している。

The Obama administration has offered to “facilitate” talks that would ensure freedom of navigation and encourage all states to settle their claims peacefully. That won’t solve the territorial disputes, but it should make confrontations less likely. The time to act is now.

オバマ政権は公海の自由と関係国の領土問題を安定させるための対話を提案してきた。対話によって領土問題が解決できなくとも、対立を低減させる。対話を即座に開始すべきだ。


 南シナ海に東シナ海を含めた領土問題で、オバマ政権が対話会合を呼びかけているというのは、意外とこの間、日本からの報道からは見えないのではないだろうか。
 日本の従来のいわゆるリベラルな視点からすれば、対話による平和がもっとも好ましいだろうが、主導権が米国にあると見られ、米国による新支配のように受け止められているからかもしれない。
 いずれにせよ、ASEAN(東南アジア諸国連合)は今後、こうした方向に進まざるを得ないが、中国の現状としてはなかなか応じることは難しいだろう。繰り返すが、現状の日本からすると日米安保条約が強調されるが、重要性ははそれ以前のルール作りのほうに存在している。
 ワシントン・ポストは、米国を含めた対中問題の構図から27日になって「Rising power」(参照)を出した。ニクソン時代からの対中戦略から説き起こされ、それが転換点にあるという含みを強調している。どのような新事態なのか。

But in recent weeks, China's behavior has reminded the world that it remains an authoritarian state with national and territorial grievances -- and its own ideas about the political and military uses to which its economic might should be put.

この数週間の中国の行動で、国家間の領土問題に威圧的に挑む国家と、威圧力維持に政治と軍事にカネをつぎ込む発想が、いまだ存在するのだと世界中が思い知らされた。



Bluntly demanding that Japan release a Chinese fishing boat captain who had collided with Japanese patrol boats in waters both countries claim, Beijing turned a minor dispute into a geopolitical shoving match, complete with officially tolerated nationalist demonstrations in major Chinese cities.

領海を主張しあう海域で日本の巡視船に衝突してきた中国漁船の船長を釈放せよと中国がぶしつけに要求したことで、中国政府はこの些細な争いを地政学的な対立問題に変え、その仕上げに中国主要都市でナショナリズムのデモを認可した。


 文脈はこの先さらに中国が日本にかけた圧力にも言及している。
 ワシントン・ポストの論調は、いったいどこの産経新聞かというトーンも感じられるが、重要なのは、中国政府が些細な問題を地政学的な問題に変質させたというのが米国の認識であることだ。いわば、今回の事態がニクソン時代からの対中観の転換点になるという含みがある。
 米国側からすると、問題は対日なり日米同盟という文脈だけではない。

Japan announced Friday that it would let the captain go; now China demands an apology besides. Meanwhile, it also continues to question U.S. efforts to impose sanctions against Iran -- and pushes to build a nuclear reactor in Pakistan, a possible violation of international nonproliferation law.

日本が漁船船長を釈放しても中国は謝罪を求めている。この間も中国は米国の対イラン制裁を疑問視している。加えて、中国はパキスタンに向けて、国際的な核拡散条約に違反している可能性のある原子炉建築を支援している。

And, of course, it shows no sign of permitting its undervalued currency to rise substantially, despite overtures from President Obama, including directly to Prime Minister Wen Jiabao last week, and from an increasing number of its trading partners whose economies also suffer from China's stance.

言うまでもないが、中国は、低く抑えられた中国通貨を切り上る兆候をまったく示していない。オバマ大統領が先週温家宝首相に直接提案しても、貿易国が提案しているにもかかわらずである。中国通貨政策で困窮している貿易国は増えている。


 米国政府では、数多くの対中問題の象徴的な出来事として、今回の事件が受け止められていると見てよいだろう。
 日本については、その延長で日米同盟強化の再確認となった。なお、日本では尖閣諸島域が安保対象になるという言質は報道されていないという変な情報も飛び交っていたが、ワシントン・ポスト社説はその明確な否定ともなっている。

The recent clash with Japan was probably an opportunistic test of the new Japanese leadership and of the strength of the U.S.-Japan security alliance.

中国が日本と軋轢を起こしたのは、日本の新政権と日米同盟の強固さを試してみたかったからだろう。

Fortunately, the Obama administration, after some initial mixed signals, voiced support for the alliance. Japan, South Korea and other U.S. allies in the region have appeared to rediscover the wisdom of U.S. ties in light of China's behavior. Washington must stand by them firmly.

幸い、オバマ政権は、当初混乱した外交メッセージを出してしまったものの、同盟国支援の声明を出した。日本、韓国、その他のこの地域の米国同盟国は、米国による賢明なる同盟が中国行動を明瞭にすることを再認識できたようだ。米国政府は同盟国と堅実にあるべきだろ。


 今回の事態で、日米同盟を含め、この地域の米国の同盟国の絆を確認する機会となったというのだが、ワシントン・ポストとしては、オバマ大統領の事実上の外交失敗がこうした事態を招いたという批判の含みがある。
 私の素朴な感想を言えば、麻生政権ならこんなものものしい事態を引き起こす必要もなく、日本主導でアジア諸国と連繋し、日米関係ももう少し緩やかなものに安定させたのではないかと悔やまれる。従属性の高まる日米関係もまた政権交代の、やや意外かもしれない結果でもあった。


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2010.09.28

雑音多し、2010年度補正予算

 2010年度補正予算編成の検討が始まった。10日の時点ですでに9200億円の経済対策を提示したものの、ねじれ国会の野党からの突き上げもあるが、それでは迫る景気低迷に対処できないと菅政権が理解したものだ。
 失政に次ぐ失政の菅政権ではあるがあられもなく失敗すると衒いもなく転身する。それもまた政治的な能力でもあろう。でればもうちょっと転身してもよさそうな点がある。菅総理は都合の悪い話にも耳を傾けるタイプの人でもないし、雑音も多いので届かないとは思うがふれておこう。
 「雑音」とするのは多分に価値判断が含まれてて、かく言う私の話こそ「雑音」であろう。そこでどっちもどっちで見ていくと、今朝の大手紙社説は興味深いとも言えるものだった。
 朝日新聞社説「補正予算―与野党協議の良き前例に」(参照)は前提からして、補正予算の必要性を野党対策としている点、冗談を書いているつもりはないのだろうが、笑えるところだった。朝日新聞には景気低迷の認識が菅政権ほどにもないのである。


 経済対策といえば、エコポイント制度の延長や若者向け雇用対策などに予備費約9200億円を活用することが先週、閣議決定されたばかりだ。追加対策が不可欠とは思えない。
 にもかかわらず首相が補正に踏み切った理由の一つは、「思い切った規模の対策」を求める野党への配慮だろう。自民、公明の両党は4兆~5兆円を提言している。民主代表選で小沢一郎氏が2兆円対策を求めたように、党内世論も意識せざるをえない。
 財源のめどが立つという幸運にも恵まれた。昨年度決算の剰余金が出たうえ、今年度の税収が予想より増えている。かたや超低金利のおかげで国債の利払いは減りそうだ。これらで3兆~5兆円の財源が見込まれる。

 朝日新聞にしてみると、9200億円の経済対策以上に追加対策が不可欠とは思えないとのことだ。その判断理由は示されていない。ちなみに逆の判断理由はあとで言及する。
 では補正予算は何かというと朝日新聞は「野党への配慮」としている。加えて、剰余金と税収増加を上げている。税収増加は景気に依存するのだし、鳩山政権の経済を下支えをしたのは政権交代前の麻生内閣の先見性ではなかったかと私などは思う。
 にも関わらず朝日新聞は補正予算に要望を突きつけるのだが、これが、むちゃくちゃいうなよという印象で愉快だった。

 第一に、財源を膨らませるために新たな借金である国債発行はしないことだ。来年度予算は3年連続で税収より国債による収入の方が多くなるのは必至だ。そんな異常事態のもとで菅政権が財政規律をゆるませる姿勢を少しでも見せれば、納税者にも市場にも不信と不安を広げてしまう。
 第二に、来年度予算で本格的に取り組む新成長戦略や雇用創出につなげる内容にすることだ。


 第三に、補正予算案の編成作業が今後の与野党協議のお手本になるようにしてほしい。

 朝日新聞さん曰く、まず国債発行まかりならぬの掟。その後、成長戦略や雇用創出をせよというのだが、これは毎度ながらの不毛な結果論だ。政府はどのセクターが成長するかはわからないし、雇用こそ景気の結果である。三点目のお手本話はとってつけたご教訓。結論から言えば、朝日新聞社説は無内容だった。ただの雑音でしょ、つまり。
 読売新聞社説「補正予算 与野党連携で編成・執行急げ」(参照)は野党対策を二義にしているだけ多少問題点を理解している。

 円高・株安に加え、これまでの支援効果の息切れもあって、景気の先行きに不透明感が漂っている。
 こうした局面で、政府が補正予算を伴う景気対策に踏みきるのは時宜を得た対応だ。できれば、野党とも協議して内容を詰め、早期に執行させるべきである。


 しかし、政府・日銀による為替介入にもかかわらず、円相場は高止まりしたままだ。米国や中国経済の減速もあり、この程度の対策では不十分だとの声が強まった。経済界にしてみれば、当然の要求といえよう。
 さらに、自民党や公明党が4兆~5兆円規模の補正予算による景気対策を求めていることもあって菅首相も対抗上、補正予算編成を決断した。
 規模については、政府は4兆円前後を考えているようだ。おおむね妥当な水準ではないか。

 この先も読むに読売新聞としては、ようするに補正予算の4兆円なら妥当だろうという以上の話はない。もともとグロスの問題なのでそれでよいとも言えるのだが、経済の視点からすると、予想される景気低迷にそれが十分な額なのかというのが話題であるべきだった。
 日経新聞社説「補正は「額ありき」より中身だ 」(参照)は経済紙だけあってもう少し中に踏み込んでいる。

 第一に、規模の議論が先行し、何のための補正なのか、首相の考えがみえない。国会の衆参議席のねじれで野党の理解なしには予算の関連法案は成立しない。自民党は5兆円、公明党は4兆円の対策が必要だと主張している。政府・与党内では野党が示した規模に合わせるには、どこから、いくらひねり出せばよいかといった話が主眼になっている。
 これでは手順が逆だ。まず必要なのは景気の先行きがどう推移するのか、的確に分析することだ。

 この指摘は正しく、まさに朝日新聞社説と読売新聞社説が空回りしている構図そのものである。ただし当の日経新聞社説ではその推定には踏み込んでいない。

 第二に、財源について新しく国債を出さないという形式要件を重視しすぎている。国の財政の厳しさを考え、今年度の国債発行を今以上に増やさないという考えには一理ある。そのために(1)09年度決算の純剰余金(2)今年度の税収見通しの上方修正分(3)今年度の国債費の下方修正分――をかき集める案が検討されている。
 しかし決算剰余金は国債の償還に充てるべき資金だ。特例法を制定してその原則を崩すのは、見た目には国債発行を避けられても新たに国債を出すのと変わらない。逆に、景気の先行きが本当に深刻なら国債発行もためらうべきではなかろう。

 民主党政権は自民党政権とは違って素人受けのよい詭弁が多いが、これもその部類で、読売新聞社説はわかっていても、いちおう民主党政権のメンツでつい社説を書いてしまった。
 この点についていえば、ようするに、景気動向を見据えて現下では国債増額を判断するのが政府の役割なのだが、この政権はそこができていないし、大手紙ですら各種雑音を発生しているということだ。
 この議論、まともなのが27日付けフィナンシャル・タイムズ「Japanese stimulus」(参照)だった。

For the Japanese economy, the need for fiscal stimulus seems to be never-ending. With the effects of the government’s crisis-induced public spending spree wearing off, policymakers are planning to introduce a supplementary budget of up to $55bn to finance further stimulus measures.

日本経済では、終わりなき財政刺激必要とされるようだ。菅政権自演の財政危機騒ぎの影響力もかすれてきたので、政策担当者たちは財政刺激として550億ドル上限の補正予算導入を検討している。

The need for such action is manifest. Japan experienced the deepest recession in the Group of Seven countries during the crisis, with a peak-to-trough contraction of 8.6 per cent of national output. Other rich countries are struggling forward; Japan seems to be stuck in its tracks. An annualised growth rate of 5 per cent in the first quarter of 2010 dropped to 1.5 per cent in the second quarter.

財政刺激策の必要性は明白である。日本は世界経済危機のさなかG7諸国のなかで最悪の低迷を経験している。GNPは最盛期に比して8.6%も落下した。他の富裕国はまがりなりにも改善しているなか、日本はいまだにこの轍に嵌っているようだ。2010年第一・四半期の年率5%の成長率は第二四半期では1.5%に落ちた。


 日本の大手紙社説は言及しないが、日本経済は、つまり、そういう事態なのである。
 なのでとりあえずフィナンシャル・タイムズとしては今回の補正予算は悪くないだろうとは見る("Additional fiscal stimulus is certainly a good idea")。だが、効果も期待できないとしている。

Yet, even if well spent, a $55bn stimulus will make little difference to an economy the size of Japan’s – even if it represents an improvement on the paltry Y918bn ($11bn) package agreed by the government last week.

効果的に550億ドルの第二次補正予算が実施されても、日本の経済規模からすればほとんど効果は見られないだろうし、効果といっても先週合意された9180億円程度の刺激ほどの改善である。


 朝日新聞社説とは違った意味で、たいした効果がないのだから、野党対策に過ぎないとも言える。
 ではどうすべきなのか?

Given the constraints of Japan’s public debt, there may be more room for monetary than fiscal expansion. At 0.1 per cent, nominal interest rates cannot get much lower, but falling prices make real rates higher than desirable.

日本の財政赤字という制約からすれば、財政支出より金融政策に検討余地があるだろう。0.1%の名目金利は下げようがないが、物価低迷は実質金利を好ましくない水準に引き上げる。

Unconventional monetary tools are needed to put some inflationary pressure into the economy. More temerity from the Bank of Japan could do more than a fiscal push.

日本の経済にはよりインフレ圧力をかけるために非伝統的な金融施策が必要とされている。日銀に勇気があれば、財政的な梃子入れ以上のことが可能なのだ。


 簡単に言うと、日銀さん、勇気をもってリフレしなさい、ということである。
 以上。

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2010.09.27

スーダン情勢についてのオバマ米大統領演説

 スーダン情勢ついて議論する関係国の閣僚級会議が、統一政府のタハ副大統領と自治政府のキール大統領も出席し、24日国連本部で開催された。関係国約40か国中もっとも重要な位置を占める米国のオバマ米大統領が演説は米政府サイトに「Remarks by President Barack Obama in a Ministerial Meeting on Sudan」(参照)として掲載されている。
 重要な演説なので、以下に試訳しておきたい。

Remarks by President Barack Obama in a Ministerial Meeting on Sudan
スーダンについての閣僚会議で行った米国オバマの発言
President Barack Obama
New York, NY
September 24, 2010
AS DELIVERED

Good afternoon. Mr. Secretary General, on behalf of us all, thank you for convening this meeting to address the urgent situation in Sudan that demands the attention of the world.

こんにちは、事務総長さん。世界の注目を要するスーダンの緊急的な状況について、その意見を発するための会議を開催してくださり、みなさんに代わって感謝します。

At this moment, the fate of millions of people hangs in the balance. What happens in Sudan in the days ahead may decide whether a people who have endured too much war move forward towards peace or slip backwards into bloodshed. And what happens in Sudan matters to all of sub-Saharan Africa, and it matters to the world.

現在、何百万もの人びとの命運が予断を許さない状況にあります。この先スーダンで起きることで、過剰な戦闘に耐えてきた人びとに平和が訪れるのか、あるは流血に舞い戻るのか、いずれかが決まる可能性があります。そしてスーダンで起こることはサハラ以南の国々にも重要ですし、世界にとっても重要なのです。

I want to thank Vice President Taha and First Vice President Kiir for being here.

(スーダンの)タハ副大統領とキール第一副大統領のご出席に感謝します。

To my fellow leaders from Africa, the Middle East, Europe and Asia -- your presence sends an unmistakable message to the Sudanese people and to their leaders that we stand united. The Comprehensive Peace Agreement that ended the civil war must be fully implemented. The referenda on self-determination scheduled for January 9th must take place -- peacefully and on time, the will of the people of South Sudan and the region of Abyei must be respected, regardless of the outcome.

お二人が出席されたことで、スーダン国民とその指導者と私たちが結束しているというメッセージを私の同僚であるアフリカ、中近東、欧州、アジアの指導者にはっきりと伝えています。内戦を終結させる包括的平和条約は完全に実施されなくてはなりません。1月9日に予定されている民族自決の国民投票は、平和裏に期日通りに実施されなければなりません。その結果がどのようなものであっても南スーダンと(境界地域の)アビエイの人びとの意思は尊重されなければなりません。

We are here because the leaders of Sudan face a choice. It’s not the choice of how to move forward to give the people of Sudan the peace they deserve. We already know what needs to be done. The choice is for Sudanese leaders -- whether they will have the courage to walk the path. And the decision cannot be delayed any longer.

スーダンの指導者がこの選択に直面するために私たちはここに居ます。スーダンの人びとが望む平和を与える手法の選択ではありません。私たちは何がなされるべきかをすでに知っています。その選択はスーダンの指導者が勇気を持ってこの進路をとるのかということです。そしてこれ以上その決断を遅らせるわけにはいきません。

Despite some recent progress, preparations for the referenda are still behind schedule. Now, the vote is only a little more than a hundred days away. And tragically, as has already been referred to, a recent spike in violence in Darfur has cost the lives of hundreds of more people.

多少の前進はあったものの、国民投票のスケジュールは遅れています。投票日まであと百日有余しかありません。加えて、すでに何度も言及されてきましたが、最近のダルフールでの衝突にで数百人もの人びとの命が犠牲になったのは、悲劇的です。

So the stakes are enormous. We all know the terrible price paid by the Sudanese people the last time north and south were engulfed in war: some two million people killed. Two million people. Millions more left homeless; millions displaced to refugee camps, threatening to destabilize the entire region. Separately, in Darfur, the deaths of hundreds of thousands shocked the conscience of the world. This is the awful legacy of conflict in Sudan -- the past that must not become Sudan’s future.

だからこの選択の報酬は大きいのです。南北内戦によってスーダン国民がとてつもない代償を払ってきたことは私たちみんなが知っています。200万人もの人びとが殺害されたのです。200万人です。この地域が不安定であることに怯えて、数百万人の人びとが家を失い、また数百万人の人びとが避難キャンプに身を寄せました。さらにそれとは別にダルフールでは数十万人が殺害され、良心をもつ世界人びとに衝撃を与えました。スーダンの紛争は恐るべき遺産です。この過去がスーダンの未来であってはなりません。

That is why, since I took office, my administration has worked for peace in Sudan. In my meetings with world leaders, I’ve urged my counterparts to fully support and contribute to the international effort that is required. Ambassador Susan Rice has worked tirelessly to build a strong and active coalition committed to moving forward. My special envoy, General Gration, has worked directly with the parties in his 20 visits to the region.

だからこそ、私が米国大統領に就任してから、米国政府はスーダンの平和に働きかけてきました。世界の指導者が集う会合で、必要とされる国際貢献を私は各国の指導者たちに促してきました。スーザン・ライス大使は事態改善に向けて強固な連帯を築くように疲れ知らずに働いてきました。米国特使グラトン退役少将はこの地域に20名からなる多党派の訪問団を直接率いてきました。

We’ve seen some progress. With our partners, we’ve helped to bring an end to the conflict between Sudan and Chad. We’ve worked urgently to improve humanitarian conditions on the ground. And we’re leading the effort to transform the Sudan People’s Liberation Army into a professional security force, including putting an end to the use of children as soldiers.

米国にも成果はありました。米国の協調で、スーダンとチャドの紛争集結を援助してきました。現地では人道危機状況の改善が緊急課題です。さらに、子供兵士の存在をなくすことも含め、スーダン人民解放軍を専属の治安部隊に編成しなおすように指導しています。

Recognizing that southern Sudan must continue to develop and improve the lives of its people -- regardless of the referendum’s outcome -- we and the U.N. mission are helping the government of southern Sudan improve the delivery of food and water and health care and strengthen agriculture.

国民投票の結果いかんに関わらず、南スーダンの人びとの生活を発展・改善を理解し、食糧と水の提供、さらに健康管理、農業強化に向けて、米国と国連は南スーダン新政府を援助します。

And most recently, we’ve redoubled our efforts to ensure that the referenda takes place as planned. Vice President Biden recently visited the region to underscore that the results of the referenda must be respected. Secretary Clinton has engaged repeatedly with Sudanese leaders to convey our clear expectations. We’ve increased our diplomatic presence in southern Sudan -- and mobilized others to do the same -- to prepare for the January 9th vote and for what comes after.

米国はさらに最近、予定通り国民投票が実施されるように努力を倍増してきました。バイデン米国副大統領は国民投票の結果が尊重されるように当地を再訪しました。クリントン米国務長官はスーダン指導者へ米国の期待をなんども確約してきました。米国は、1月9日とその後の事態に備え、南スーダンでの外向存在感を強めてきたのです。

But no one can impose progress and peace on another nation. Ultimately, only Sudanese leaders can ensure that the referenda go forward and that Sudan finds peace. There’s a great deal of work that must be done, and it must be done quickly.

とはいえ、他国に進展と平和を押しつけることはできません。スーダンに平和がもたられるように国民投票が進展されことを確約できるのは、突き詰めて言えば、スーダン指導者だけです。実施に向けては多大の作業がありますし、それは早急になされなければなりません。

So two paths lay ahead: one path taken by those who flout their responsibilities and for whom there must be consequences
-- more pressure and deeper isolation.

行く道は二手に分かれています。一方は、無責任な者が悔やむことになる道です。国際圧力は増し、より孤立することになるからです。

The other path is taken by leaders who fulfill their obligations, and which would lead to improved relations between the United States and Sudan, including supporting agricultural development for all Sudanese, expanding trade and investment, and exchanging ambassadors, and eventually, working to lift sanctions -- if Sudanese leaders fulfill their obligations.

もう一方は、指導者が義務を実施する道です。それは米国とスーダンの関係改善をもたらします。スーダン国民に向けて、農業発展支援や交易と投資の拡大、大使交換、さらには制裁解除することが含まれます。あくまでスーダン指導者が義務を実施すればの話ですが。

Now is the time for the international community to support Sudanese leaders who make the right choice. Just as the African nations of the Intergovernmental Authority on Development rose to the challenge and helped the parties find a path to peace in 2005, all of us can do our part to ensure that the Comprehensive Peace Agreement is fully implemented.

今はスーダン指導者が正しい選択をするように国際社会が支援する時です。政府間開発機構が2005年、和平に挑戦し支援したように、包括的平和条約の完全なる実施に私たちはみな責任を持ちます。

We must promote dignity and human rights throughout all of Sudan, and this includes extending the mandate of the U.N. independent expert of Sudan -- because we cannot turn a blind eye to the violation of basic human rights. And as I said, regardless of the outcome of the referenda, we must support development in southern Sudan, because people there deserve the same dignity and opportunities as anyone else.

私たちはスーダン全土で人間の尊厳と人権を推進させなければなりません。これには、独立した国連によるスーダン向け専門家への委任拡大を含みます。私たちは基本的人権が侵害されるのを看過できないからです。すでに述べてきましたように、国民投票の結果いかんに関わらず、私たちは南スーダンの発展を支援します。南スーダンの人びとも他の人びと同様、尊厳と機会が与えられなければならないからです。

And even as we focus on advancing peace between north and south, we will not abandon the people of Darfur. The government of Sudan has recently pledged to improve security and living conditions in Darfur -- and it must do so. It need not wait for a final peace agreement. It must act now to halt the violence and create the conditions -- access and security -- so aid workers and peacekeepers can reach those in need and so development can proceed. Infrastructure and public services need to be improved. And those who target the innocent -- be they civilians, aid workers or peacekeepers -- must be held accountable.

さらに南北間の平和前進が議論されているなかでも、私たちはけしてダルフールの人びとを見捨てることはありません。当然のことですが、スーダン政府は最近ダルフールでの安全と生活状況の改善を確約しました。最終的な平和条約にはまだまだ時間がかかるでしょうが、即座に暴力の停止と、平和に向けての条件作りが必要です。条件とは、この地域に入れることと安全です。支援者と平和維持部隊が必要に応じてこの地に入ることができれば改善が可能になります。社会基盤と公的サービスの改善が求められています。市民や支援者、平和維持部隊を標的とする者たちは訴追可能にしなければなりません。

Progress toward a negotiated and definitive end to the conflict is possible. And now is the moment for all nations to send a strong signal that there will be no time and no tolerance for spoilers who refuse to engage in peace talks.

交渉による完全な紛争終了に向けた進展は可能です。今や、すべての国が、平和交渉阻止に裂く時間もなく我慢もできないと強いメッセージを出す時です。

Indeed, there can be no lasting peace in Darfur -- and no normalization of relations between Sudan and the United States -- without accountability for crimes that have been committed. Accountability is essential not only for Sudan’s future, it also sends a powerful message about the responsibilities of all nations that certain behavior is simply not acceptable in this world; that genocide is not acceptable. In the 21st century, rules and universal values must be upheld.

現実には、ダルフールには継続的な平和が存在できません。スーダンと米国間にも正常な関係はありません。遂行されてきた犯罪が訴追可能でなければ無理なのです。訴追可能の重要性はスーダンの未来のためだけではありません。ジェノサイド(民族虐殺)は許されないのです。世界には許されざる行為が明白に存在します。訴追可能であるということは、このことについて、すべての国民が責任を持っているという強いメッセージを送ることになります。21世紀にあっては、規律と普遍的な価値が保持されなければならないのです。

I saw the imperative of justice when I visited one of the camps in Chad several years ago. It was crowded with more than 15,000 people, most of them children. What I saw in that camp was heartbreaking -- families who had lost everything, surviving on aid. I’ll never forget the man who came up to me -- a former teacher who was raising his family of nine in that camp. He looked at me and he said very simply, “We need peace.” We need peace.

私は数年前ですがチャドの避難キャンプの訪問で、正義というのもの定言命法(条件なしの命令)に遭遇しました。そこには1万5千人もの人が群がり、大半は子供でした。キャンプでの光景は私の胸が張り裂けるものでした。すべてを失った家族が援助で生き延びているのです。私に寄ってきた、九人家族を養う元教師のかたのことは忘れられません。彼は私を見つめ、「平和を求めます」とだけ言いました。私たちは平和を求めます。

Your Excellencies -- Vice President Taha, First Vice President Kiir -- the Sudanese people need peace. And all of us have come together today because the world needs a just and lasting peace in Sudan.

タハ副大統領閣下、キール第一副大統領閣下、スーダン国民は平和を求めています。私たちみんなが今日ここに集ったのは、スーダンに永続的な平和を求めるためだけなのです。

Here, even as we confront the challenges before us, we can look beyond the horizon to the different future that peace makes possible. And I want to speak directly to the people of Sudan, north and south. In your lives you have faced extraordinary hardship. But now there’s the chance to reap the rewards of peace. And we know what that future looks like. It’s a future where children, instead of spending the day fetching water, can go to school -- and come home safe. It’s a future where families, back in their homes, can once again farm the soil of their ancestors.

ここで眼前の挑戦に向き合いながらも、私たちは水平線の向こうに平和が可能になる別の未来を見ることができます。そして私は南北のスーダンの人びとに直接語りたいのです。お二人は大変な困難に直面してこられました。しかし、今が平和という成果を得るチャンスなのです。私たちは未来がどのようなものか知っています。それは、水を求めて終日を費やす子供ではなく、安全に学校に行き来できる子供たちのいる未来です。キャンプから開放され父祖の農地に戻れる家族のいる未来です。

It’s a future where, because their country has been welcomed back into the community of nations, more Sudanese have the opportunity to travel, more opportunity to provide education, more opportunities for trade. It’s a future where, because their economy is tied to the global economy, a woman can start a small business, a manufacturer can export his goods, a growing economy raises living standards, from large cities to the most remote village.

この人びとの国が国際社会に復帰し、多くのスーダン国民が旅行に出られたり、より教育を受けることができたり、交易のチャンスがある未来です。小さなビジネスを女性でも開始でき、製造業者も輸出業ができる未来です。グローバル化した経済のなかで、経済成長し、大都市から小村まで生活を改善できるのです。

This is not wide-eyed imagination. This is the lesson of history -- from Northern Ireland to the Balkans, from Camp David to Aceh -- that with leaders of courage and vision, compromise is possible, and conflicts can be ended. And it is the example of Africans -- from Liberia to Mozambique to Sierra Leone -- that after the darkness of war, there can be a new day of peace and progress.

目を丸くするような空想ではありません。これは歴史が教えることなのです。北アイルランドからバルカン半島まで、キャンプ・デイヴィッドからアチェ州まで、国の指導者は勇気と構想をもって、妥協を可能とし紛争を終わらせてきた歴史があります。今度はアフリカがその例となるのです。リビアからモンザビークやシエラ・レオネまで、暗い戦争の後には、平和と繁栄が可能になります。

So that is the future that beckons the Sudanese people -- north and south, east and west. That is the path that is open to you today. And for those willing to take that step, to make that walk, know that you will have a steady partner in the United States of America.

南北、東西、そのスーダンの人びとが招く未来がここにあります。その道が、お二人の前に今日開かれています。この道を選び、歩むことで、お二人はアメリカ合衆国という確固たるパートナーを得るのだということを知って下さい。

Thank you very much. (Applause.)

ありがとうございました。(拍手)

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2010.09.26

柳条湖事件と盧溝橋事件の比喩性

 昨日尖閣沖衝突事件の中国側の背景について触れたが、もう一点補足と関連の話をしておいたほうがよいかもしれないとも思った。なぜこの時期に中国は領海問題というタッチーな問題で騒ぎ出したのか、そして、なぜ胡錦濤政府は過剰なまでに強行的な立場を取るのか。
 9日のことだが広東省広州市の日本総領事館外壁に中国人男がビール瓶投げつけ公安当局に取り押さえられた(参照)。また12日には天津市の日本人学校のガラス窓が撃ち込まれた金属球で割られる事件が発生した(参照)。こうした絵に描いたような反日運動誘導的な事件だが、時期的に今回の尖閣沖衝突事件の文脈で報道された。
 実際には、柳条湖事件から79周年を迎える9月18日にちなんだ、予期された反日活動の一環でもあった。むしろ、尖閣沖衝突事件の中国社会での受け取り方には直接的にはこちらの文脈に置かれている面もあった。19日付け時事「日の丸燃やし抗議=柳条湖事件79年「国恥忘れず」-中国瀋陽」(参照)より。


満州事変の発端となった柳条湖事件から79周年の18日夜、同事件が起きた中国遼寧省瀋陽市内の記念式典会場の周辺で、日本の海上保安庁巡視船と衝突した中国漁船の船長が逮捕されたことに抗議するため、民衆が日の丸を燃やす騒ぎが起きた。
 中国各地では毎年この日、防空警報を鳴らすなどの記念活動を実施、「国恥を忘れない」とのスローガンで愛国精神を発揚するのが恒例行事となっている。日本の関東軍が1931年9月18日、満鉄の線路を爆破した現場となった瀋陽市で例年通り午後9時18分、全市で防空警報とともに、自動車が一斉にクラクションを鳴らした。

 柳条湖事件記念日での反日デモはインターネットなどでも広く呼びかけられていて、北京政府側は小泉政権時代のような反日デモに展開しないように抑え込みとガス抜きの対応を取っていた。むしろ、中国国内では上手に対処できていたし、反日デモでも側もそれを織り込んでの尖閣諸島騒動であったかもしれない。
 言うまでもなく柳条湖事件は満州事変の発端となった事件である。今年79年を迎える。1931年9月18日の夜、日本の関東軍(石原莞爾参謀)が奉天(瀋陽)郊外の柳条湖で満鉄線路を爆破し、これを中国軍の工作と偽って中国に攻撃を開始した。
 ちなみに、ネットを検索すると70年記念時の日本共産党の解説があった(参照)。わかりやすといえばわかりやすい。

 〈問い〉 九月十八日で「柳条湖(りゅうじょうこ)事件」から七十年になると聞きました。この「柳条湖事件」とはなんですか。(埼玉・一読者)
 〈答え〉 日本の中国への公然とした侵略戦争の発端となった謀略事件です。一九三一年九月十八日夜、中国東北部の奉天(現在の瀋陽)近郊の柳条湖付近で発生しました。日本の陸軍部隊・関東軍が、南満州鉄道(満鉄)線路上で自分で爆薬を爆発させながら、これを中国軍のしわざだとして、近くの中国軍兵営を攻撃したのです。
 日本は、この事件を機に中国東北部全域に侵略し(「満州事変」)、翌三二年三月には日本いいなりのカイライ国家「満州国」をつくり上げて植民地にしました。さらに三七年七月、盧溝橋事件をきっかけに中国への全面的な侵略戦争を開始。四一年十二月には侵略の手をアジア・太平洋全域に広げていったのです(太平洋戦争)。

 ポイントは、満州事変に至る日本軍の謀略であるということだが、この解説を借りたのは、これが37年の盧溝橋事件との関連で、満州を超えた中国全面侵略戦争となったという点が抑えられているためだ。
 そこで日本共産党は盧溝橋事件をどう捉えているかとこれも検索しみるとあった(参照)。

 〈問い〉 日中全面戦争の契機となった盧溝橋事件について、中国に責任をなすりつける主張を耳にしますが、どんな事件だったのですか?(福岡・一読者)
 〈答え〉 明日7日は盧溝橋事件69周年にあたります。北京の南西郊外にある盧溝橋付近で1937年(昭和12年)7月7日夜、日本軍が、夜間軍事演習中に中国軍から発砲があったとして、攻撃した事件です。日本は、すでにその6年前、鉄道爆破の謀略事件(柳条湖事件)を起こし侵略を開始し(「満州事変」)、中国東北部にかいらい政権の「満州国」を建国していましたが、盧溝橋事件を口実に、中国への全面侵略を開始します。

 引用は冒頭部分だが、読むと意外に味わいの深い回答になっている。まず、なぜ「中国に責任をなすりつける主張」があるのだろうか。それに答えているだろうか。

 靖国神社は、盧溝橋事件から日中が全面戦争となった「背景」について、「日中和平を拒否する中国側の意志があった」とし、全面戦争にいたったのも「日本軍を疲弊させる道を選んだ蒋介石(国民党指導者)」に責任があるなど(『靖国神社 遊就館図録』)、まるで、日本は平和を望んでいるのに、中国が戦争をしかけたように描いています。

 そうではないというのだ。

 しかし事件がおきたのは、日本の国内でも日中の国境地帯でもなく、北京の近郊、いわば中国の中心部です。当時、中国は義和団事件(1900年、中国侵略に抗議した民衆運動を、日本など8カ国の軍が鎮圧をはかったもの)の「最終議定書」によって国内への外国軍の“駐兵権”をのまされていました。日本は、これを盾に、盧溝橋事件の前年には「支那駐屯軍」を1800人から5800人に増強。中国の強い抗議を無視し、増強部隊を北京近郊の豊台に駐屯させました。ここは北京の守備の要で、すでに中国軍がおり、両軍はわずか300メートルで対峙(たいじ)するかたちになりました。それが、いかに挑発的なことであったか。

 大局から見れば、日本共産党の回答で正しいのだが、ディテールの説明が面白い。日本共産党の理屈では、日本は「中国の強い抗議を無視し、増強部隊を北京近郊の豊台に駐屯」させそれが「挑発的なこと」だったから日本が悪いというのである。なお、引用には続きもあるので読まれるとよいだろう。
 面白いポイントは、挑発したから責任は日本にあるという議論は、「7月7日夜、日本軍が、夜間軍事演習中に中国軍から発砲があったとして、攻撃した」がどう関連するかである。
 単純な話、日本が舞台駐屯で「挑発」したのだから、きっかけも柳条湖事件事件のように日本が謀略をしかけたとするとわかりやすいし、私が高校生くらいまではそうした歴史も語られることがあった。
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昭和史の謎を追う〈上〉
秦 郁彦
 しかし、事件はそうではない。日本共産党が正しく「夜間軍事演習中に中国軍から発砲があったとして」と伝聞だけに留めているように、関東軍が発砲したとまでは言えない。
 では、誰が全体的にテンションの高まるこの時期に発砲という具体的な挑発を行ったのか? 日本共産党は答えていない。わからないともしていない。そこを答えずに回答したことになっている。
 この問題については一般書籍では「昭和史の謎を追う〈上〉(秦 郁彦)」(参照)に議論があり、そこでの結論は「二九軍」としている。中国国民革命軍である。
 ちなみにウィキペディアを参照すると次のように書かれている。

日本側研究者の見解は、「中国側第二十九軍の偶発的射撃」ということで、概ねの一致を見ている[52][53]。中国側研究者は「日本軍の陰謀」説を、また、日本側研究者の一部には「中国共産党の陰謀」説を唱える論者も存在するが、いずれも大勢とはなっていない。
「中国共産党陰謀説」の有力な根拠としてあげられているのは、葛西純一が、中国共産党の兵士向けパンフレットに盧溝橋事件が劉少奇の指示で行われたと書いてあるのを見た、と証言していることであるが、葛西が現物を示していないことから、事実として確定しているとはいえないとの見方が大勢である[54]。当時紅軍の北方機関長として北京に居た劉少奇が、青年共産党員や精華大学の学生らをけしかけ、宋哲元の部下の第二十九軍下級幹部を煽動して日本軍へ発砲させたもので、昭和29年、中共が自ら発表した[55]。

 興味深いことはウィキペディアに「「中国共産党の陰謀」が言及されその補説もあることだ。
 「中国共産党の陰謀」はその名の通り、中国共産党が謀略で盧溝橋事件を起こしたとする説である。ウィキペディアはこれが「大勢とはなっていない」としているし、先の「昭和史の謎を追う〈上〉(秦 郁彦)」でも否定の議論を展開している。
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この厄介な国、中国
岡田英弘
 どう見るかについてだが、概ね偶発事故であろうし、大局的には日本共産党の見解でよいと私は思うが、私が実際に学んだこともある史学者岡田英弘氏は、「中国共産党の陰謀」に立って、興味深い議論を展開していた。先日のエントリーでも紹介した「この厄介な国、中国(岡田英弘)」(参照)が詳しい。当時、国民党との対立で劣勢に立った共産党という文脈で。なお、引用は前版の「妻も敵なりより」。

 軍事的に追い詰められた中国共産党が、そこで思いついたのが反日運動キャンペーンの展開である。つまり、国民党政府のアキレス腱は日本であると見たわけである。放っておけば、国民党政府は日本との妥協を行うだろう。
 しかし、その前に中国大陸全土で、反日・排日の嵐が吹き荒れればどうなるか――国民党は日本との妥協を諦め、それどこか日本との直接対決の道を選ばざるをえなくなると、毛沢東以下、中国共産党の幹部たちは読んだのである。日本と国民党の戦争が始まれば、得をするのは共産党である――彼らにとって、当然の帰結であった。
 中国共産党は、大陸の各都市で執拗な反日キャンペーンを繰り広げさせた。さらに、それだけでは手ぬるいと判断して、彼らは日中両軍の軍事衝突さえ起こそうとした。それが昭和十二年の盧溝橋事件である。


 中国全土で行われた反日キャンペーン、そして盧溝橋事件によって、国民党政府を率いる蒋介石は窮地に陥った。前にも述べたように、蒋介石の本心は日本との和解にある。だが、ここまで反日運動が激化してしまえば、それを言い出すことは政治的死に繋がる。また、国民党からの反日の声をこのまま無視することも許されない。「弱腰」というレッテルを貼られた指導者についてゆく人間、なかんずく中国人などいないからである。
 蒋介石に残された道は、共産党の望むとおり、いや、共産党の望む以上の強攻策で日本と対決するしかなかった。そうしないかぎり、蒋介石政権の明日はない――これ以降の蒋介石は、以前の彼とは打って変わって、日本との戦争に躊躇しなくなった。日中戦争は、実はこのように始まったのである。

 とんでもない珍説に聞こえることは、岡田氏も了解している。

 ここまで読んできた多くの読者は、おそらく「そんな馬鹿な」という感慨を抱かれるに違いない。なるほど、日中戦争勃発のそのものの発端は、中国共産党と国民党の内紛であり、そして蒋介石が政治家としての保身を図るために戦争を選んだという物語は、多くの日本人には信じられない話であろう。
 しかし、中国人にとっては、これが当たり前の話である。つまり、日本人と中国人では人生哲学が決定的に違っている。

 私が学んだことは、この史実がこのようなものであったかについては判断しがたいが、中国人がそのような行動規範を持つことだった。そして、それらは、今も変わらず継続しているのではないかと推測している。
 岡田氏の史観には異論も多いだろうし、私は後の上海戦(参照)を思うと盧溝橋事件後に蒋介石と和解する手立てはなかっただろうと考えているが、広義に見れば岡田氏の次の指摘は傾聴に値する。

 先ほどの日中戦争の話で言えば、もし、あのとき日本人が「中国人とは、こういう民族なのだから」という認識を持っていれば、あの不幸な戦争も起きなかったかもしれない。共産党が何を望んでいるかを知れば、戦争を避ける道は見つかったかもしれない。
 ところが、当時の日本政府首脳には、それが見えなかった。反日運動の激化を見て、日本人は憎まれているだけの存在と信じ込み、共産党の思惑どおりに戦争に突入していったわけである。
 日本人は気軽に、友好とか平和という言葉を使うが、真の友好、真の平和を願うのであれば、まず相手がどのような国なのか、どのような国民性なのかを知る必要がある。

 

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2010.09.25

尖閣沖衝突事件の背景にポスト胡錦濤時代の権力闘争があるのでは

 尖閣沖衝突事件について日本人が日本側から見るのは自然なことだし、この地域の実効支配が日米安保条約つまり実質米軍に支えられているにもかかわらず日本からナショナリズム的に強行論が出てるのも、戦後が遠くなる風景でもある。しかしこの事件、中国側から考えるとかなり奇妙な事件でもあった。
 前回のエントリー(参照)では詳しく言及しなかったが、今回の中国「漁船」の領海侵犯には奇妙な点がいくつもあった。
 公務執行妨害となったのは一隻だが、他にも「漁船」は繰り出していて船団を形成していた。また中国としては自国領という主張があるにせよ日本が警戒している領域で堂々と大きなトロール漁の網を打っていたことや、警告を受けてから体当たりをくらわせるといった点も異例だった。
 しかし日本という文脈を外せばそれほど異例ではない。この数年、中国「漁船」には対米的に異常な活動が目立っていた。昨年の事例としては、2009年5月6日付け産経新聞記事「中国漁船が米軍調査船妨害 黄海、「危険行為」と批判」(参照)がある。


 米国防総省は5日、中国と朝鮮半島の間に位置する黄海で今月1日、米海軍調査船が中国漁船に異常接近されるなどの進路妨害を受けたと発表した。同省報道担当官は「危険な行為だ」と批判した。
 米中船舶同士のトラブルは3月に南シナ海でも発生し、両政府が再発防止を約束したばかり。

 今年では3月8日には南シナ海で米軍への妨害があった。3月10日付けAFP「中国艦船、米海軍調査船に妨害行為 南シナ海の公海上」(参照)より。

米国防総省は、南シナ海(South China Sea)の公海上で8日、5隻の中国艦船が、米海軍の非武装の調査船「インペッカブル(USNS Impeccable)」に対し、約8メートル以内に近づくなどの危険な妨害行為を行ったと発表した。同省はまた、この事態に対し中国当局に抗議したことを明らかにした。


 インペッカブルの艦長は無線を使って、「友好的な態度」で中国艦船に対して、海域から退去するために安全な海路を開けるよう求めたという。だが、2隻の艦船がインペッカブルの真正面に移動し、インペッカブルは衝突を避けるため緊急回避行動を余儀なくされたという。さらに中国艦船は、インペッカブルの進行方向に木材を投げ込んだという。

 こうした中国「漁船」の活動を偶発と見るには頻発していた。
 今回の尖閣沖衝突事件の計画性は、後詰めの段取りもよさからも推測される。例えば、9日付け毎日新聞「中国漁船接触:中国の調査船、尖閣方向に航行」(参照)より。

 中国の国家海洋局の海洋調査船が東シナ海を沖縄県・尖閣諸島方向に航行していることが8日、政府関係者の話で分かった。尖閣付近では、中国の漁船船長が公務執行妨害容疑で第11管区海上保安本部(那覇市)に逮捕されたばかりだが、これとの関係は不明。尖閣諸島に接近した場合に備え、政府内で対応を検討している。政府高官は8日夜、「向こうからまた船が出てきている」と語った。

 同日朝日新聞「中国が漁業監視船派遣 尖閣沖衝突、海域の主権主張狙う」(参照)は漁業監視船の派遣を伝えている。

 漁業監視船は農業省に属し、自国領海での中国漁船の保護や管理、外国船に対する監視などを行うとされる。軍艦を改造し、ヘリコプターや銃器を搭載した船もある。中国はベトナムなどと島の領有権を争う南シナ海の一部にも同船を派遣し、護送船団方式の漁を行ってきた。

 今回の事件はあえて日本に挑むように仕組んだという見立ては否定しがたい。
 するとなぜこのタイミングなのだろうか?
 前回も触れたが、民主党の新内閣を試すということは想定できる。しかし、日本に焦点をあてるのではなく中国の内情に目を向けるなら、当然上海万博が想定される。もちろん、今回の事件がすべて中国側だけによるというわけではないが。
 北京政府としては世界が注目する上海万博中に国際的な問題を引き起こしたくない。逆にいえば、そこで問題を起こせば国際的に注目され、北京政府は窮地に立たされる。今回の事件は、わざわざこの時期を選んだのではないか。国連総会に出席する温家宝首相のメンツ潰しも含めて。
 あるいは上海万博後に中国内政的に想定されている経済・社会的な混乱が前倒しのように影響しているのかもしれない。外交面でもこのところ中国は失敗が続いていた。
 そこまで中国の内政が緊張しているとするなら、それはなぜだろうか?
 過去を顧みても、もっとも想定されることは権力闘争だろう。そして、現下の権力闘争の中核には、民主党元幹事長小沢一郎氏が訪日のために天皇を政治利用するのかと批判世論まで出た習近平国家副主席が関わっている。
 現在の胡錦濤国家主席は、2年後の2012年の共産党党大会で引退が予定されていて、次期最高権力者には習近平が有力視されている。この問題が習氏の訪日に関連していることは以前も言及したが(参照参照)、この習氏への権力委譲で何か中国内で異変が起きているのではないだろうか。そのために胡錦濤氏の政権への攻撃、あるいは胡氏の出身でもある共青団(中国共産主義青年団)への攻撃があるのかもしれない。また、単なる権力闘争ではなく、上海万博以降の中国政治・経済に起きる異変を先取りしたものでもあるかもしれない。
 推測が多段になったので、理路をまとめておく。

  • 尖閣沖衝突事件が偶発的なものでなければ、なぜこの時期に画策されたのか?
  • この時期の中国内政の最大の懸案は上海万博の成功である。
  • 上海万博を揺るがすことは胡錦濤を揺るがすことになる。そこが狙いか?
  • 中国内政の権力闘争があるなら、中核は習近平氏である。
  • またその権力闘争は今後の中国社会の政治・経済的な不安定要因を背景にしているのではないか?

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2010.09.24

尖閣沖衝突事件の中国人船長を釈放

 日本領海内である尖閣諸島周辺で7日海上保安庁・巡視船に中国漁船が衝突し、公務執行妨害の疑いで逮捕・送検・拘留されていた詹其雄(41)船長について、那覇地検は今日、処分保留の釈放を決定した。理由は、「船長がとった行動に計画性は認められず、我が国の国民への影響や今後の日中関係を考慮した」(参照)とのことで地検が外交関係に配慮したことを明確に示した。釈放時期は未定だが早急に実施されることだろう。
 司法が外交に言及するなど、通常なら余計なことを口にして愚かなことだと見られがちだが、今回の地検対応はそれなりの意味がある。
 日本人の大方の印象は理不尽な中国の圧力に屈した菅政権の弱腰外交の影響を見ることだろう。この数日、中国側は詹船長釈放に向けてかなりの圧力をかけていたことがどうしても背景に見られてしまう。
 国連総会出席で訪米した温首相はニューヨークの在米華人会合で「必要な対抗措置をとらざるをえない」(参照)と延べたが、中国人向けにのメッセージであるにもかかわらず、これに歩調を合わせるかのように世界需要の大半が中国で産出されるレアアースの対日輸出禁止がニューヨーク・タイムズで報道(参照)されたことや、ゼネコン「フジタ」社員4人が河北省石家荘市国家安全機関の取り調べで拘束された報道が続いていた。日本人にしてみると、これは日本への中国からの不当な圧力に見える。
 中国をある程度注視してきた人間であればレアアース輸出禁止はニューヨーク・タイムズ報道後に即座に否定が入るほどよくできたマッチポンプでしかないし、安全保障の名目でご都合主義的に中国が外国企業人を逮捕するなど、リオ・ティント社事件(参照)から考えれば四季折々の趣向もない日常の風景に近い。
 むしろこんな児戯に等しいパフォーマンスをご丁寧にやってくれたものだなという中国の心情を察するべきで、そうでもしないと通じない日本の民主党へのいらだちがある。
 推移から推測する部分があるが、北京政府側は今回の中国漁船と称するこの船舶の独走に困惑を感じていただろう。もちろん自称漁船も毎度の行為の延長で脅しに出たに過ぎず、たいしたヘマをやったとは思っていなかっただろう。日本ではこの件で今回注目されたが、領海内への中国漁船および台湾船の侵犯は、私が沖縄で暮らしていた8年前からでもよく聞く話であった。沖縄タイムスを見ると今でもそれほど変わってはいないようだ(参照)。
 その後の経緯から見て、この自称漁船には、中国の軍ないし一部の勢力が荷担していると見てよいだろう。外交評論家の岡本行夫氏が「ねじれた方程式『普天間返還』をすべて解く」(文藝春秋2010.5)でこう述べているように、中国の領海拡張の常套手段である。


 南ベトナムから米軍が引くときは西沙諸島を、ベトナムダナンからロシアが引いたときは南沙諸島のジョンソン環礁を、フィリピンから米軍が引いたときはミスチーフ環礁を占拠した。
 このパターンどおりなら、沖縄から海兵隊が引けば、中国は尖閣諸島に手を出してくることになる。様子を見ながら最初は漁船、次に観測船、最後は軍艦だ。中国は一九九二年の領海法によって既に尖閣諸島を国内領土に編入している。人民解放軍の兵士たちにとっては、尖閣を奪取することは当然の行為だろう。先に上陸されたらおしまいだ。


 そうなった際は、日本は単に無人の尖閣諸島を失うだけではない。中国は排他的経済水域の境界を尖閣と石垣島の中間に引く。漁業や海洋資源についての日本の権益が大幅に失われるばかりではない。尖閣の周囲に領海が設定され、中国の国境線が沖縄にぐっと近くなるのだ。

 その意味で、中国による尖閣諸島実効支配への弛まぬ努力は単にお仕事をしているだけで、しかもいつものプロトコルどおり「漁船」から繰り出しているのであるが、不慣れな民主党政権は、やや強行に出てしまった。
 しかも、中国軍側のお仕事に「やってよし」というシグナルを出したのは、直接的には中国軍であろうが、「いいんじゃないの」という雰囲気を醸し出したのは日本の民主党政権である。
 あまり解説するとろくなとばっちりが来ないが、中国軍側としてはこの領域における米国のコミットが解除されたのか、日本の政権交代以降、気になっていた。
 また「南シナ海領有権問題に関わる中国と米国: 極東ブログ」(参照)で触れたように南シナ海側にも出たいと思ったら、関係国を怒らせあまつさえ米国に泣きつき、米国が強面に出るという事態を引き起こしたが、東シナ海については米国の日本コミットが薄れているか試してみたいところだった。
 今回の事態で私が面白いなと思ったのは、そうした中国軍の思いを在米の中国サイドがわかりやすくメッセージを出してくれたことだ。特にニューヨーク・タイムズでニコラス・クリストフ記者が傑作だった(参照)。

As I noted in my previous item, the U.S. in theory is required to defend Japan’s claim to the islands, based on the wording of the U.S./Japan Security Treaty. In practice, we wouldn’t, but our failure to do so would cause reverberations all over Asia.

前回述べたように、日米安保の文言からすれば、米国は理論上は尖閣諸島についての日本側主張を守ることを求められる。実際のところは、米国は動かないだろう。しかし、そうしないとアジア諸国全体に影響を与えることになる。


 米軍が動かないことは、事実上独自の防衛力を持たない日本にとって、国益の放棄になり、アジア諸国に脅威を与える。これは14日付けフィナンシャル・タイムズ社説「Mending fences in Beijing and Tokyo」(参照)が参考になる。

Japan is not wrong to defend its interests. If it cannot, what hope for smaller countries such as Vietnam, which also has territorial disputes with Beijing?

日本が自国の国益を守ろうとすることは間違いではない。もし日本ができないようなら、中国と領土問題を抱えているベトナムなど日本より小さな国にどんな希望があるというのだ?


 しかし結果的に見ればクリストフ記者の活躍はグッジョブだった。おかげで米政府はこの機会に尖閣諸島問題にもう一歩踏み出した言及に迫られることになった(参照)。

 【ニューヨーク時事】前原誠司外相は23日午前(日本時間同日夜)、ニューヨーク市内でクリントン米国務長官と約50分間会談した。前原外相は尖閣諸島(中国名・釣魚島)沖の海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件について、国内法に基づき刑事手続きを進める方針を説明。これに対し、クリントン長官は尖閣諸島について「日米安全保障条約は明らかに適用される」と述べ、米国の対日防衛義務を定めた同条約第5条の適用対象になるとの見解を表明した。

 雨降って地固まるの類だが、もともとそこまでの馬鹿騒ぎになると北京政府側は想定していなかっただろう。
 中国軍側のお仕事とは逆に、北京政府側としては、領有権だの歴史問題だので反日ナショナリズム運動が暴発するのが一番の迷惑である。愛国の旗を掲げて実際には政府側を批判するというのが中国政情不安の定番でもある。しかし、日本の稚拙な強攻策のおかげでまず中国内政に手を打たざるを得なくなってしまった。
 加えて、北京側ではすでに南シナ海問題でアジア各国を敵に回し、その後ろ盾に米国が付くというまずい構図を引き起こしている。さらにこれと同じ構図を対日本で取りたくないところだ。そうでなくても、米側から通貨問題でバッシングを受けているし(参照)、インドなど南アジア諸国からも国防上の反感を買いつつある(参照)。
 繰り返すが、北京側としては、いつも通り日本は「漁民」を送還してくれるものと期待していたし、それがいわば暗黙のプロトコルであったのだが、今回の民主党政権はどうしたわけか、いちばんヤバイ「船長」が残され、拘留までが延長されている。さらにヤバイだろうビデオテープも押さえられている。こんなものがユーチューブにでも公開されれば、中国軍側のメンツからさらに強行に出て、押さえきれなくなるかもしれない。
 日本の民主党政府もおそらく米側からの説得だろうが、ようやくこうした事態の構図を理解し、そして安保確認という実質的な利を取ったのだから、ここで北京政府側に少しお詫びの熨斗でも付けておくべきかというところで、29日の拘留期限を5日ほど前倒しにした。日本の検察がそれは外交理由だと明言した事態の背景はそんなところだろう。もともと日本には領海侵犯罪といった法はなく、通常は漁業法違反で対応している。今回は立ち入り検査の公務執行妨害であり、過去の事例から見て起訴できるすらどうかも危ぶまれるケースでもある。国内的にも、起訴できませんでしたという結果を出して中国に分があるように見せるよりはましという判断もあるだろう。
 中国人は律儀である。借りを受けたと理解すれば、しばらくして別の文脈を装ってそれなりのお返しはしてくれる。日本の民主党政権に智恵があるなら、好日ムードなんか要らないから、北朝鮮のほうにちょっと色を付けてねとメッセージを出すべきだろう。


追記
 「中国人は律儀である。」という中国人観をお気に召さないかたが多いようだ。意見が異なるということはしかたがないが、「律儀」を日本風に誤解しているかたが多いようなので補足しておきたい。

cover
この厄介な国、中国
岡田英弘
 中国人のエートスを理念化していうのであって例外は当然あるだろうが、そうして見ると、中国人は行動の規範に損得や善悪についての一種の心理的な複式簿記の貸借対照表のようなものを持っている。そうした心性をもっている民族は他にもあるが、中国人の場合、これが他者間で相互に対照されることが規範になる。簡単にいうと、この貸借対照表上でバランスが崩れていると他者から攻撃をつけいらせる余地を産むことになる。別の言い方をすれば、中国人の行動原理の原点であるvulnerability(一種の脆弱性)の表れでもある。
 中国人と中国政府は異なるというのも当然だが、中国政府は他国政府、とくに複数の政府に対して、この貸借対照表の感覚を内政の敵対関係上使わざるを得ない。「日本がいかに悪いか」が他の関係国に意味があるように響かないと、vulnerabilityになってしまう。
 今回の例では「日本もなかなか北京のご意向を酌んでいるじゃないか」という内政的な視点を放置すればそれがまたvulnerabilityとなり内政的な弱点を産むのである。

追記
 「中国人は律儀だ」というエントリの文脈に直接対応するわけではないが、その後の中国の軟化の展開は存外に早いものだった。
 26日付け共同「中国、対立収拾へ着地点探る 尖閣漁船衝突事件」(参照


 中国外務省は、日本が要求を拒否する外務報道官談話を出したのを受けて再び反論したが、謝罪と賠償を「求める権利がある」と微妙に表現を弱めた。中国外務省筋によると、これは中国側が「振り上げた拳」を調整し始めたシグナル。日本側の謝罪と賠償がない限り妥協しないという意味ではないという。日本が処分保留で船長を釈放したことで中国側は「最大の目的は達成した」と判断している。

 28日付け共同「中国副局長、日本重視と強調 関係修復に「行動」求める」(参照)より。

 中国外務省の姜瑜副報道局長は28日の定例記者会見で、中国が日中関係を重視していると強調した上で、沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)付近での漁船衝突事件で悪化した関係の修復に向け、日本側に「誠実で実務的な行動」を促した。事件をめぐり、日本側に要求していた「謝罪と賠償」をあらためて求めることはなく、改善に向けたシグナルを送った形だ。
 姜氏は、事態収束への努力を日本側に促す一方で「(日中)共同の努力」も強調、これ以上の関係悪化に歯止めをかけるよう呼び掛けた。


 姜氏は、中国側が求めた謝罪と賠償を日本側が拒否、逆に巡視船の修理代を求めていることについて「日本側は相応の責任を負うべきだ」と反論。しかし従来より表現を弱め、中国が日本側を刺激しないよう配慮していることを示唆した

 29日付けNHK「中国の強硬姿勢 軟化の見方も」(参照)より。

 沖縄県の尖閣諸島の日本の領海内で起きた中国漁船による衝突事件で、中国政府は、事実上止めていた希少な資源レアアースの日本への輸出手続きを28日から再開させたほか、中国外務省の記者会見でも、日本側に要求してきた「謝罪と賠償」については言及を避けており、これまでの強硬な姿勢を軟化させ始めているのではないかという見方が出ています。
 中国政府は、中国漁船による衝突事件のあと、今月21日からハイテク製品の生産に欠かせない希少な資源レアアースの中国から日本への輸出の手続きを事実上止めていましたが、日中の貿易関係者によりますと、28日にこの措置を取りやめたということです。また、中国外務省は28日の記者会見で、「日本側が誠実で実際の行動を取ることが必要だ」と述べましたが、これまで求めていた「謝罪と賠償」については言及を避けました。さらに中国外務省の幹部は29日、NHKの取材に対し、「今のような状況を中国側は望んではいない。領土をめぐる話で両国関係に衝撃を与えることは避けてほしい」と述べました。このほか、中国政府は「良好な関係こそが両国にとって利益になる」とも強調し始めており、中国政府としては、日本との関係悪化の影響が経済や民間交流に広がるなかで、関係修復の糸口を探るために、これまでの強硬な姿勢を軟化させ始めているのではないかという見方が出ています。

 30日付け「中国 日本人3人拘束解かれる」(参照)より。

 中国河北省で今月20日、無断で軍事管理区域に入ったとして、日本の建設会社の社員ら4人が中国の当局に拘束されていた事件で、4人のうち3人の拘束が30日午前、解かれました。
 この事件は今月20日、日本の建設会社「フジタ」の社員2人と、上海にある現地法人の社員2人のあわせて4人が河北省の軍事管理区域に無断で立ち入り、軍事施設を撮影していたとして、中国の治安当局に拘束され、取り調べを受けていたものです。中国国営の新華社通信は、4人のうち3人については中国の法律に違反したことを認め、反省しているとして、30日午前、拘束が解かれたと伝えました。

追記
 10月9日、中国当局に拘束されていた日本の建設会社「フジタ」の社員高橋定さんも釈放され、これでフジタ関連では全員釈放された。10日付け毎日新聞「クローズアップ2010:フジタ・高橋さん釈放 対中国、危機管理課題」(参照)より。


 中国当局に拘束されていた建設会社フジタ現地法人社員の高橋定さん(57)が9日釈放され、沖縄県・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件に端を発した日中間の緊張はひとまず収束した。


 外務省内には、衝突事件への「意趣返し」との説に同調する見方も少なくない。中国側は関連を認めていないが、釈放が中国人船長の場合は事件発生から18日後、高橋さんは19日後と大差はない。

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2010.09.23

スウェーデン総選挙に見る社会民主主義政党の凋落

 スウェーデン総選挙についての日本の報道を見ていて、ピントがずれているということはないのだが、同国が「社会民主主義のメッカ(Mecca of social democracy)」(参照)とも呼ばれる点も考慮し、少し補足したほうがいいかなという感じがするので簡単にふれておこう。
 どういう選挙であったかという説明もかねて、20日付け朝日新聞「スウェーデン総選挙、中道右派政権続投 右翼政党も議席」(参照)から見ていこう。


【ストックホルム=橋本聡】スウェーデン総選挙(比例代表制、定数349)は19日投開票され、フレドリック・ラインフェルト首相(45)の中道右派4党連合が計172議席を占めて勝利した。一方、「反移民」を唱える右翼政党が初めて国政に進出し、20議席を得た。イスラムへの「不寛容」の波が北欧にも及んでいることが浮き彫りになった。
 ラインフェルト首相は20日、2006年に発足した中道右派政権の続投を宣言した。だが過半数に3議席足りず、政権が「不安定な状態」になることを認めた。

 選挙後の勢力は同ページの図(参照)がわかりやすいが、移民に比較的寛容だった中道的な4政党の集まりである与党連合が3議席差で過半数を取ることができなかった。つまり、今後スウェーデンは移民に寛容な政策が採りづらくなった。
 朝日新聞記事では、「反移民」を唱える右翼政党である「民主党」が20議席を取ったとあるが、これは与党連合を阻止するための動向であり、一気にこれだけの議席を取った点が注目された。スウェーデン国民で移民排除を求める人の声が選挙結果に反映したことで、右派政党がキャスティング・ヴォートを取りかねない状況になってしまった。
 このスウェーデン民主党がどういう政党であるかというと、同記事ではこう説明されている。引用が長くなるが、読まれるとわかるだろうが、日本社会に示唆するものを含んでいる。

 スウェーデン民主党は1988年に結成された。治安の悪化や、移民に対する福祉コストを疑問視する空気の広がりを追い風に、地方議会から勢力をのばしてきた。
 ジミー・オーケソン党首(31)は「わが国の移民政策は失敗だった」と、イスラムへの反感を隠さない。黒いブルカ姿のイスラム女性が福祉手当をもらいに殺到する場面を演出した選挙CMを作り、差別的だとして民放テレビ局に放映を断られると、同党のウェブサイトで流した。支持者の大学生ミケル・シェランデルさん(21)は「スウェーデン社会にとけ込まない移民は減らすべきだ」という。
 背景には8%台の失業率や、とりわけ深刻な若者の就職難がある。世論分析の専門家マルコス・ウベル氏は「社会の底辺の欲求不満が、移民を生けにえにする形でふきだした」とみる。

 欧米では今回の選挙が注目されたが、背景には、欧州での右派政党の台頭がある。

 欧州では移民排斥を唱える右翼政党が勢いを増している。オランダでは6月の総選挙で第3党に急伸し、3カ月たっても新政権発足が滞る要因になっている。デンマーク、ノルウェー、オーストリアなどでも国政レベルで影響力をもつ。

 「国政レベルで影響力をもつ」がやや曖昧だが、右派政党の台頭により穏健な与党が過半数を維持でなくなった国としてはすでにオランダとベルギーがあり、今回スウェーデンがこれに続くことになった。
 朝日新聞記事では「デンマーク、ノルウェー、オーストリア」とあるが、これに、すでに極右政党が政権入りを果たしているイタリアを筆頭に、オーストリア、ブルガリア、ハンガリー、ラトビア、スロバキアも同じ傾向にある。
 フランス・サルコジ政権によるロマ不法移民追放も、表面的にはつい右派的な傾向であるかのようにも見られるが、むしろこうした欧州各国の政局の状況からすると、国民戦線の台頭に先行してその芽を摘む動向と見たほうがよいかもしれない。
 さらに広義に見るなら米国に置けるティーパーティの台頭もこうした傾向にあると言えるかもしれない。共和党的な動向と見られてきたティーパーティもすでに共和党と軌を一にしているわけではない。
 今回のスウェーデン総選挙について、朝日新聞とは観点を変え、高福祉政策の蹉跌に焦点を置いている報道もある。一例は、20日付け産経新聞記事「スウェーデン総選挙 中道右派の連立与党が勝利」(参照)である。

【ストックホルム=木村正人】スウェーデン総選挙(定数349、比例代表制)の投開票が19日行われ、中道右派・穏健党のラインフェルト首相(45)率いる4党連合が172議席を獲得、同首相は20日未明、「政権を継続する」と勝利宣言を行った。過半数には3議席届かず、野党の緑の党と政策協議に入る。高福祉高負担を実現してきた中道左派・社会民主労働党の退潮がくっきりした。

 20日付け日経新聞記事「スウェーデン議会選挙、与党の中道右派が勝利」(参照)も似た視点である。

【ウィーン=岐部秀光】19日投票の任期満了に伴うスウェーデン議会(定数349、一院制)選挙はラインフェルト首相(45)率いる穏健党などの中道右派与党連合が勝利し、同首相の続投が決まった。減税や国営企業民営化などに取り組む見通しで「高福祉・高負担」で知られる経済モデルの修正が進みそうだ。

 高福祉高負担を目指す政党の退潮と再編成は、現在の英国の政局でもキャメロン政権による高福祉リストラが中心的な話題となっている。
 おそらく日本の現民主党政権も終了後には同種の傾向が出てくるか、存外に現民主党が変質せざるをえなくなるだろう。スウェーデンの「民主党」を思えば、「民主党」という名のまま右派政党化しても国際的にはそれほど違和感はない。

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2010.09.22

前田恒彦・大阪地検特捜部検事逮捕

 昨晩なんとなくNHKを付けたら大阪地検特捜部検事・前田恒彦容疑者の逮捕の報道だった。そういう事態になったのか、随分と手際よい展開だな、というかこれって意外と先日の円介入と同じように菅政権成立後の政治ショーのスケジュールの一環だったのかもしれないなとの印象も持った。検察そのものの威信を根底から覆すとんでもない事件であるが、私が気になっていたのは、「10年先も君に恋して」(参照)が定時の10時にやるかなということだった。15分ずれましたね。
 検察不正発覚のきっかけともなった当の村木厚子厚労省元局長の裁判については、事件当時「郵便不正事件、厚労省局長逮捕、雑感: 極東ブログ」(参照)で「不正の意図があったとは私には感じ取れないし、逆に否認に合理性が感じられる」と書いたが、無罪であろうと思っていた。また「入り組んだ伝言ゲームの混乱からできるだけ面白いプロットを引きだそうとして、混迷を深めているのではないか」とも書いたが、その余波もあるだろうとは思っていた。が、まさか検察が証拠に手を加えるとまでは想定していなかったので、驚いた。
 一夜明けて、今回の検察による証拠隠滅を考えると、そうすっきり割り切れるものでもない部分はあるようにも思えた。個人的に一番気になったのは、2004年でFD(フロッピーディスク)使っていたのかというのと、改竄用のツールってなんだということだった。特に、どのツールを使ったかは気になったがニュースからはわからなかった。
 気になった理由だが、今日付けの朝日新聞記事「検事、押収資料改ざんか 捜査見立て通りに 郵便不正」(参照)と同じ観点からである。


 また、他のデータについては上村被告が厚労省の管理するパソコンで操作したことを示していたが、最終更新日時だけが別のパソコンと専用ソフトを使って変えられた疑いがあることも確認された。検察幹部の聴取に対し、主任検事は「上村被告によるFDデータの改ざんの有無を確認するために専用ソフトを使った」と説明したとされるが、同社の担当者によると、このソフトはデータを書き換える際に使われるもので、改ざんの有無をチェックする機能はないという。

 前田恒彦容疑者の話では、該当ツールでデータの改竄を確認していたというのだが、具体的なツールがわからないと報道をそのままには受け取りづらい。なお、「同社」とは朝日新聞社が解析を依頼した大手情報セキュリティー会社のことだが、どこなんでしょ?
 話が多少前後するが、前田恒彦容疑者と大阪検察次長はこの件で次のように述べている。今日付け朝日新聞「発覚当日スピード逮捕 検察、にじむ危機感 改ざん疑惑」(参照)より。

 前田検事は逮捕前日の20日、大阪地検の聴取に「遊んでいて、誤って書き換えてしまった」と答えたとされる。この点について伊藤次長は「証拠隠滅罪は故意犯。我々は過失ではないと考えている」と明確に否定。データ改ざんの動機については「現時点ではよく分からない」と述べるにとどめた。

 先の朝日新聞記事ではこうも伝えている。

■主任検事が大阪地検側の聴取に対して説明した主な内容は次の通り。
 上村被告宅から押収したフロッピーディスク(FD)を返す直前、被告がデータを改ざんしていないか確認した。その際、私用のパソコンでダウンロードしたソフトを使った。改ざんは見あたらなかったため、そのソフトを使ってFDの更新日時データを書き換えて遊んでいた。USBメモリーにコピーして操作していたつもりだったが、FD本体のデータが変わってしまった可能性がある。FDはそのまま返却した。

 前田容疑者としては過失を主張し「遊んでいた」と述べているが、大阪地検としては故意犯と言明している。
 常識的にはまた大半の人が、前田容疑者の主張は信じられないとするだろうが、私は仔細がよくわからないのと、以下にも触れるが事態の経緯から案外その可能性もゼロではないかもしれないので判断を保留している。
 昨晩のニュースの印象では、「うあぁ、検察が証拠を捏造しちゃったのか」というものでもあったが、詳細は若干異なるようだ。先の最初の朝日新聞記事の図(参照)がわかりやすいのでそこから読み解くと、2009年5月26日に上村被告からFDを押収し、6月末にFDを印刷したデータを捜査報告書に作成した。そしてこの報告書が村木氏の公判に証拠として提出された。明確にはわからないのだが、この報告書では、作成日が押収時まま「6月1日」であったようだ。
 今回問題となったのは元になったFDのほうで、こちらが7月13日に前田容疑者によって改竄された。そしてそのままつまり、改竄されたまま上村被告に3日後の7月16日に返却され、事態が明瞭になった。
 もう少し仔細に見ると、発覚の経緯は次のようであったようだ。今日付け産経新聞記事「FD証拠申請せず…残る改竄のナゾ」(参照)より。

ただ、検察側は改竄前の正しいデータを基に捜査報告書を作成。村木元局長らの公判には、弁護側の開示請求によって、この捜査報告書が証拠提出された。
■村木氏が矛盾指摘
 弁護側によると、この捜査報告書に記された「正しいFD更新日時」と「検察側の主張」の矛盾に最初に気づいたのは、村木元局長本人だったという。一方、上村被告側に返却されたFDは、証拠として提出されておらず、改竄後のデータが公判で資料として使われることはなかった。

 改竄されたFDは公判には証拠として使われることはなかったので、公判上は影響を与えていない。別の言い方をすれば、捏造された物件で裁判が進んだわけではなかった。
 単純な疑問が湧く。改竄する必要があったのだろうか?
 もちろん、すでにNHKなどでも図解で報道しているが、改竄された日付であれば検察の言い分が通りやすいということはある。だが、実際には検察はそうしてはいない。
 さらに不可解なのは大阪地検はこの事態を早期に認識していたらしいことだ。今日付け読売新聞「「改ざん」地検首脳部が把握・放置…2月に報告」(参照)より。

 押収資料のフロッピーディスク(FD)のデータを改ざんしたとして証拠隠滅容疑で逮捕された大阪地検特捜部検事・前田恒彦容疑者(43)が、今年2月初め頃、特捜部の当時の大坪弘道部長(現・京都地検次席検事)に対し、「FDを手直ししてしまった可能性がある」と報告し、当時の次席検事、検事正にも伝わっていたことが、検察関係者の話でわかった。
 地検首脳部が犯罪につながる行為を把握しながら放置していたことになる。

 今日付けの朝日新聞「改ざん「上司に報告」 前田容疑者、村木氏初公判の直後」(参照)では前田容疑者もすでに事前に上部に報告していたことを伝えている。

 証拠隠滅容疑で逮捕された大阪地検特捜部検事の前田恒彦容疑者(43)が地検の内部調査に対し、「今年1~2月に当時の特捜部幹部や同僚に押収したFDのデータを書き換えてしまったかもしれないと伝えた」と説明していることがわかった。検察関係者が朝日新聞の取材に対して明らかにした。
 前田検事の地検側への説明によると、東京地検特捜部に応援に行っていた1月下旬、同僚検事に電話で「(上村被告側へのFD返却直前の昨年7月に)データを変えてしまった可能性がある」と打ち明けたという。この時期は、郵便割引制度をめぐる偽の証明書発行事件で起訴された厚生労働省の元局長村木厚子氏(54)の初公判の直後だった。

 今日付けのNHKの報道「書き換え指摘され同僚とトラブル」(参照)はやや色合いが違うが事前に地検側で知れ渡っていた可能性は伝えている。

検察関係者によりますと、前田検事は、ことし2月ごろ、同僚の検事からデータを意図的に書き換えたのではないかと指摘され、トラブルになっていたことがわかりました。これに対し前田検事は、元係長がデータを改ざんしていないか調べていただけで書き換えは行っていないと主張したということです。このトラブルは、大阪地検の幹部にも報告されたということですが、特に問題にされなかったということです。

 真相は明らかになっているとまでは言えないが、前田容疑者が個人的な意図で秘密裏に改竄を行ったのではないとは言えそうだし、大阪地検が組織としてこの問題を2月の時点で知っていた可能性は高い。
 どういうことなのだろうか?
 合理的な推論をするなら、前田容疑者も大阪地検もFDの日付改竄をさほど重視していなかったということだろう。実際バレバレのFDを上村被告にあっけらかんと返却にしている。
 別の言い方をすれば、公判を左右するような組織ぐるみの改竄工作というより、証拠管理のずさんさに適切に対応できていなかったというように見える。
 誤解されるのを恐れて言うのだが、私は大阪地検を擁護したいのではまったくない。それは村木厚子厚労省元局長が逮捕された時点での私のエントリー(参照)を読んでいただいてもわかると期待したい。
 ただ、こうした構図から見直すと、疑問点は、大阪地検が事態を知りながらこの間、相応の対応をしていたのではないかというほうに移る。検察が追い詰められているように見えながら、それなりに今回の騒ぎはスケジュール的な展開なのではないか、

追記 2010.9.23
 前田容疑者によるFD改竄について、その後驚くような報道があった。23日朝日新聞「「FDに時限爆弾仕掛けた」 改ざん容疑の検事、同僚に」(参照)である。


 検察関係者によると、今年1月に大阪地裁で開かれた村木氏の初公判で、FDに記録された最終更新日時内容が問題になった。このため、同僚検事の一人が東京地検特捜部に応援に行っていた前田検事に電話をかけ、「FDは重要な証拠なのに、なぜ返却したのか」と聞いた。これに対し、前田検事は「FDに時限爆弾を仕掛けた。プロパティ(最終更新日時)を変えた」と明かしたという。
 さらに同僚検事が、最終更新日時が「6月1日」と書かれた捜査報告書が特捜部の手元を離れ、厚労省元局長の村木厚子氏(54)=無罪確定=の裁判を担当する公判部に引き継がれたことを伝えると、驚いた声で「それは知らなかった」と語ったという。
 こうしたことから、前田検事はデータを書き換えることで上村被告側を混乱させるほか、捜査報告書が公判に出なければ捜査段階の供述調書の補強になると考えた可能性がある。これらの仕掛けを「時限爆弾」と表現した疑いがある。

 当然ながら「時限爆弾」の意味がよくわからないが、近未来的に事態に強い影響力を与えようとしたということではあるのだろう。それはなにかについて、朝日新聞は「上村被告側を混乱」、「捜査報告書が公判に出なければ捜査段階の供述調書の補強」という推測をしている。
 上村被告側を混乱させるにはFDを証拠として提出しなければならないが、すでに印字された文書が証拠として公判にでているのに、それを覆すかたちで上村被告が了解しなければならない。また、「捜査段階の供述調書の補強」においても公判に出ている文書の補強というより簡単に書き換え可能なメディアであることを考えればまず疑念に晒される。
 私が驚いたのは、前田容疑者が本当にそのように発言し、それが朝日新聞の推測するような理由であるなら、率直に言うが、検察以前に常識がおかしい。精神鑑定が必要な次元に思われる。ただ、この報道は事後になって軽口の類を使い、事態を前田容疑者個人の問題に落とし込もうとしている構図かもしれないという疑念もある。

追記 20010.9.23
 23日付け毎日新聞記事「障害者郵便割引不正:証拠改ざん 前田容疑者「改ざん意味ない」 故意否定続く」(参照)では、前田容疑者による改竄について組織として認知しながら問題ではないと見ていたと伝えている。


前田検事の上司が事情を聴いた結果、特捜部としては「問題になるようなデータ改ざんではない」と判断。


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2010.09.21

興興(コウコウ)の憂い

 千年に一度という異例の暑い夏が続く日々。2010年の9月9日、気怠い午前のことだった。人見知りの彼女は発情していた。
 中国から神戸に連れてこられた時はまだ4歳だった。旦旦(タンタン)、雌のパンダ。14歳になる。
 一緒に来日した雄のパンダが興興(コウコウ)である。一つ、年下だった。旦旦と興興は震災に襲われた神戸にとって「復興の使節」とも呼ばれ、歓迎された。野外プール付きの新居には3億円をかけた。その生活は誰もが羨んだ。好きな時に寝て、好きな時に起きる。公務は少ない。だが、人びとの笑顔の裏から重たいプレッシャーが伝わった。子どもを産んでくれ、是非、お世継ぎを、と。
 別れは突然にやってる。6歳となった興興は惜別の声に送られて2002年、中国に帰ることになった。「なぜ帰っちゃうの」と近隣の幼稚園児は聞いた。興興は答えることができない。大人も答えることができない。彼の生殖器の発達が依然未成熟だったからだと知っていても。
 別れの悲しみは新たなる出会いを伴った。龍龍(ロンロン)が来日した。7歳の雄のパンダである。こんどこそ、こんどこそ、子作りをという人びとの願いが紅く染める神戸の空の下で龍龍は、興興と呼ばれることになった。興興? 旦旦はその名前を知っている。だが、一瞥して、誰?と思ったかもしれない。襲名興興はその後旦旦に吠えられるといつもしゅんとおとなしくなってしまったものだった。
 6年が過ぎた。子どもが生まれた。妊娠は人工授精によるものだった。どうしても望まれる世継ぎである。20年ぶりの人工授精が決断されたと報道された。旦旦は望まれて母となったが、彼女自身が望んだかはわからない。
 悲劇は早々にやってきた。24時間態勢で監視している3人の専従飼育員は、赤ちゃんの鳴き声が弱くなってきたことに気がついた。そして訪れる沈黙。一時間後、死んでいた。ミルクが飲めなかったことによる衰弱死である。なぜ? 新聞は「パンダの赤ちゃん天国へ」と伝え、大人向けに生物学的な推定も書いた。パンダは出産から3日の間に、あかちゃんを押しつぶしてしまったり、育児放棄したりすることがある、と。その報道では前年2007年の人工授精による死産があったことは書かれていなかった。
 そして二度目の悲劇。焦りがもたらしたのかもしれない。旦旦と興興は当初の予定では今年帰国することになっていた。子もなく帰国されてはと無理を押して、あと5年延長することになった。興興は、人工授精用精子取得のための麻酔が30回にも及んでいた。
 運命の暑いその夜。いつもの夜ではなかった。パンダの排卵は年に一度だけ。発情ホルモンが最高値に達した翌日である。そんな夜であることを興興は知らず、麻酔とそれに続くことが終わり、夜11時20分、寝室に戻された。麻酔から冷めつつあるそのとき、興興の呼吸は浅くなり、途絶えた。死ぬんじゃない、興興、興興、子宝、生きて中国に帰るんだ。懸命の心臓マッサージ。だが酸素マスクの下、途絶え行く意識のなかにその声は届いただろうか。
 死因に麻酔が関係しているのだろうか。わからない。はっきりしているのは、殺したくて殺したわけではないという一点のみである。だが、その一点も通じない。世界というものはそのようにできている。
 興興が死んだ2日前。7日の午前10時15分ごろ。日本の領海である沖縄・尖閣諸島海域をパトロール中だった石垣海上保安部所属の巡視船「よなくに」に、中国トロール漁船と接触したとの連絡が入った。直ちに巡視船「みずき」と「はてるま」が派遣され、問題の中国トロール漁船に停船命令を出しながら追跡した。
 中国船は従わず、「みずき」に追突するも、ついに停止。海上保安官が中国船に乗り込み、取り調べを開始した。ちなみに、容疑は漁業法違反の「立ち入り検査忌避」である。日本には領海侵犯で取り締まるための法律は存在しない。
 同海域を日本領海と認めない中国政府と中国の人びとは怒った。副首相級の戴秉国国務委員はわざわざ、開戦通知を想起させる時間帯を選んだ。12日午前0時(日本時間午前1時)、丹羽宇一郎駐中国大使を緊急に呼び出して、中国漁船と漁民の即時引き渡しを要求した。日本が普通の国ならこの侮辱に即刻大使を召還するところだが、そこは菅内閣である。耐えた。
 中国民衆の怒りも爆発したかに見えた。デモの光景が日本のメディアに伝えられた。が、私の知る限りではあるが、なぜか日本のメディアに伝えられなかったことがある。あの悲劇の興興との関連である。興興が中国に反感をもつ日本人によって殺されたというのだ。ネットの噂らしい。
 そんなものメディアで報道することじゃないし、日本人は知らなくてもよいということかもしれないが、国際的には報道されていた。20日付けワシントンポスト「Boat collision sparks anger, breakdown in China-Japan talks」(参照)はこう伝えている。


Chinese online commentators posted conspiracy theories connecting the panda's death to the boat captain's arrest, alleging a Japanese campaign to insult China.

中国のオンライン評論家たちは、日本人は中国を侮蔑するキャンペーンを展開しているとして、あのパンダの死と中国船船長の拘留を結びつける陰謀論をネットに投じた


 17日付けテレグラフ「Tensions between China and Japan rise over disputed gas field」(参照)も珍妙に報道していた。

China has also accused Japan of failing to take adequate care of a panda that died at a zoo in Kobe and is seeking $500,000 in compensation, while Chinese bloggers have suggested that the death of Xing Xing was linked to the arrest of the fisherman close to the Senkaku islands.

中国は神戸の動物園のパンダを適切に扱わず死に至らしめたと非難し、50万ドルの補償を求めている。他方、中国人ブロガーらは興興(Xing Xing)の死について、尖閣諸島海域での中国漁民の拘留に結びつけている。


 パンダの名前が違うというツッコミはさておき(追記:コメント欄にて中国読みの場合はXing Xingでよいと教えていただいた)、探せば他にも同種の報道は見つかる。というか、中国語のわからない私は英文の国際報道を見ていて唖然とした。
 フィナンシャル・タイムズはこの問題を社説で論じていた。17日付け「Bye bye, Kou Kou」(参照)である。国際的な高級紙らしく冒頭が格調高い。

The Roman poet, Ovid, thought that the best way to die would be in the middle of making love. Expiring under anaesthetic while donating semen lacks the same appeal. But this is the fate that has befallen Kou Kou, a Chinese giant panda on loan to a Japanese zoo.

ローマの詩人オウィディウスは、性交の途中で訪れる死が最上であると考えた。精子採取の麻酔中の死は、最上の死と呼ぶには足りないものがある。しかしその運命は、日本に貸与されている中国ジャイアント・パンダ興興に降りかかった。


 なんたる悲劇。そしていかなる国際問題であるのか。

To Chinese conspiracy enthusiasts, however, Kou Kou’s demise was not merely ignominious: it was a dastardly act of murder.

陰謀論好き中国人にとっては、しかしながら、興興の最期は屈辱ではすまかった。それは卑劣な殺害事件であった。


 フィナンシャル・タイムズは興興の死について中国での陰謀論に言及していくが、発信点をブログではなくチャットルーム(internet chatrooms)だとしている。
 その先の論だが、領海問題や中国の反日動向ではなく、有償貸与されるパンダ外交の問題に絞られ、台湾やドイツの例が引かれる。なかでも、ドイツでのパンダの死に中国が補償を求めた際の拒絶事例が興味深い。それを踏まえた上でこう締めている。

But assuming that the zoo’s case is black and white, Tokyo should not give in. That would be pandering to its bigger neighbour.

しかしこの動物園の事件を白黒の明瞭なものとし、日本政府はくじけてはいけない。そんなことをすれば、この大きな隣国の愚劣な欲望につけ入ることになるだろう。


 訳が難しいのは、"pandering"である。この深刻な問題がダジャレ落ちかよ。"black and white"もパンダの洒落だろう。
 とはいえ、日本政府としても日本人としても、興興の件については、最大級の誠意を見せるべきであろう。不当な死だからという賠償ではないとしても、それ以上の恩義をきちんとした金額で示したほうがよいのではないか。

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2010.09.20

財政再建か、安全保障か

 直面する課題は、財政再建か、それとも安全保障か。問われているのは、日本ではなく英国である。こうした問題設定は日本ではむずかしいので、他山の石といった話になるかわからないが、国際的な常識の部類でもあり、簡単に言及しておこう。
 この話題、日本での報道は皆無かと思いきや、今日付けの毎日新聞記事「英国:財政再建か、安全保障か 核兵器の更新に2.7兆円、政府のジレンマ」(参照)にあった。簡素にまとまっている。


【ロンドン笠原敏彦】英政府が核ミサイル搭載の潜水艦4隻の更新計画を巡り「壁」にぶつかっている。推定約200億ポンド(約2兆7400億円)という予算規模がネックになり、「最終決定の先送り」や「核態勢の見直し」を検討しているのだ。財政再建と安全保障のバランスをどうとるか、論議が高まっている。


 英国は近く、1998年以来12年ぶりとなる「戦略防衛見直し」をまとめる予定で、核兵器にどう触れるかが注目される。英国は核弾頭数の上限を225発と公表している。

 英国は日本の国力の半分なので、雑駁に日本の文脈に置き換えると核防衛のために6兆円がかかるということになる。現状日本は米国の核の傘にいるが自国を核防衛するにはどのくらいのコストになるかと推定するのに参考にはなるだろう。
 同記事にもあるが、英国では財政赤字削減が重要課題となっており、軍事費もその例外ではない。20%近い削減も想定されている。
 核兵器削減は日本での報道を見ていると世界の潮流でもあり、英国でも削減に向けて努力すべきだとの意見もあるが、実態は難問となっている。
 同記事には関連して興味深い指摘がある。

また、経済紙フィナンシャル・タイムズは核態勢の縮小に触れた。それによると、英国は海洋に常時、トライデント核搭載の潜水艦4隻のうち1隻を警戒態勢に置くが、この態勢を見直し、潜水艦を減らすことも検討されているという。
 こうした報道に対し、キャメロン首相は核兵器の更新は約束しながらも、「『更新(の内容)がその投資に見合った価値を伴うのか』と問うことは極めて正当だ」と述べるにとどまっている。

 簡素すぎる記事でわかりづらいが、フィナンシャル・タイムズの言及が首相の応答もたらすほど重要であったということはわかる。
 引用されている「トライデント核搭載の潜水艦4隻のうち1隻を警戒態勢に置くが、この態勢を見直し、潜水艦を減らす」ことは同紙社説の結論ではあるが、原社説に当たるともう少し問題の陰影が明らかになる。
 12日付け「Atomic question」(参照)が該当する。

David Cameron’s government is this month taking final decisions on Britain’s Strategic Defence and Security Review, reconfiguring the armed forces for an era of tighter budgets.

デイヴィッド・キャメロン政権は今月英国戦略防衛見直しの最終決定をする。見直しでは緊縮予算時代の軍事再編成を行う。

One big question it must decide is what the future of Britain’s nuclear deterrent should be.

大きな課題の一つは、これが将来の英国の核防衛戦略の決定になることだ。

The country is planning to spend £20bn over the next decade building four new submarines that can launch the Trident missile. It is the largest single equipment programme in the Ministry of Defence budget.

英国では次の10年間で200億ポンド以上を新たなトライデント核搭載可能潜水艦4隻に投じることになっている。単項目の防衛省予算としてはこれは最大のものである。

As spending gets slashed on conventional armed forces, politicians and generals are insisting that a cut in nuclear weapons must also be made.

通常兵器が削減されるなか、核兵器削減の必要性を説く政治家や将軍もいる。


 ここまでは毎日新聞記事の確認でしかない。同社説の重要点はこの先にある。

Ahead of this decision, some things are clear.

決定に先立って既決事項がある。

First, Britain must not unilaterally scrap its nuclear arsenal. It must do so only in a multilateral negotiation with other powers. Moreover, Britain must stick to a sea-launched deterrent.

第一に英国は片務的に核兵器を削減してはならないということだ。核兵器削減は他の核武装国と相互交渉を経てのみ行われなくてはならない。さらに、海上発射可能な潜水艦による核抑止力を固持しなければければならない。

Analysts believe the creation of an aircraft-launched system would be more expensive than one based on submarines. A land-launched deterrent, while cheaper than any other variant, could be obliterated in a sudden nuclear strike on a state the size of the UK.

空軍主導の核抑止力は潜水艦主導より失費が大きいと専門家は見ている。陸上主導は他に比べて安価ではあるが、英国ほどの国土の国の場合は、不意を突く核攻撃で消失させらることになる。


 余談だが、英国の国土面積は日本の65%で同じく島国国家ということを考えると、国土防衛という点では同等の議論が成立するはずである。また、これらが国土防衛の基本だからフィナンシャル・タイムズのような高級紙がこうした議論を張ることになる。というか、こうした議論ができてこそ高級紙と呼べる。
 いずれにしても、トライデント核搭載の潜水艦は国土防衛に不可欠であるというのが議論の大原則になっている。よって、こう続く。

So the question Mr Cameron and his colleagues must answer is how the UK can save money on the new submarine building programme.

だからキャメロン氏と同僚が回答すべき問題は、核搭載可能な新潜水艦計画にどれほどの削減ができるかということだ。


 つまり、核兵器を削減することが基本でもなく、ましてトライデント核搭載の潜水艦の新造反対も問題にならない。問題は、その削減の度合いだということである。かくして4隻から3隻という話になる。

Savings would not be huge. But Britain’s defence review cannot leave spending on the nuclear arsenal untouched. The UK needs a credible deterrent.

削減額は大きくはならない。しかし、英国は自国防衛の核戦略に言及せずにはすまされない。英国は、信頼性のある核防衛を必要としている。


 日本は、余りにも明確だが、憲法によって軍隊を持つことができない。かろうじて可能なのは自国防衛のみだが、これも非核三原則から核防衛は放棄している。このことが、米国との同盟で核の傘に入ることと同義であったのは戦後史で明らかだろう。
 英国では自国の核防衛がどうあるべきか首相に問われると高級紙が言明する。そして一国の首相たるものはそれに答えている。
 日本で同種の問いを菅首相に提出したときどのように答えるだろうか。小沢氏はどうであろうか。先日の首相選びからは何も見えなかった。前首相である鳩山氏は論外だった。
 麻生元首相は2009年7月、日本の有事の際、米国による「核の傘」がどのように運用されるのか、米国と具体的な協議をするために定期協議の開始を米国と合意した。麻生政権が倒れた後、この定期協議の計画は潰えている。

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2010.09.18

日本単独為替介入の意味

 民主党代表選挙で菅氏が勝利した後、即座に日本単独で為替介入が実施された。仙谷由人官房長官は否定はしたが、どう見ても政治的なものだった。この政治ショーはどういう意味があったのだろうか。
 15日付け日経記事「官房長官、防衛ライン「82円台」言及 代表選「関係なし」 」(参照)より。仙谷官房長官はこう語った。。


 民主党代表選が終了した直後に介入を実施したことに関しては「先だってから『断固たる措置を取る』と財務相は言っていた。あくまでも相場を注視してきたので、代表選との関係はまったくない」と語った。

 「相場を注視」ということの裏付けの意味もあったのだろうか、これにとんでもない失言も伴った。

 仙谷由人官房長官は15日午前の記者会見で、同日に政府・日銀が実施した円売り・ドル買いの市場介入を巡り、「1ドル=82円が防衛ラインになっているのか」との質問に対し「野田佳彦財務相のところでそういうふうにお考えになったと思う」と述べ、事実上認めた。政府高官が為替介入の防衛ラインに言及するのは極めて異例だ

 日経は「極めて異例」と表現を濁しているが、単にとんでもない失言である。ポジションといえばそうだが、ウィリアム・ペセック氏のコラム「円売り介入は「ソロスたち」への招待状、投機シーズン解禁-ペセック」(参照)がわかりやすい。

 単独介入も水準への言及も、あまり賢い動きとは思われない。米連邦準備制度理事会(FRB)と欧州中央銀行(ECB)の協力のない円売り介入は成功しない。世界中のソロスたちに円の高値試しを考え直させるのは協調介入への警戒だけだ。また、政府は何がおころうと決して、防衛ラインの水準をトレーダーに教えてはいけなかった
 この鉄則を破った仙谷由人官房長官に眉をひそめた人は多かった。仙谷氏は財務省は1ドル=82円を攻撃に出るべき水準と考えていると発言したばかりか、政府は介入について米欧の理解を得ようとしているとまで喋ってしまった。
 つまり、FRBとECBが協力していないばかりでなく、米欧当局は介入が必要とも、奏功するとも確信していないということだ。円投機のシーズン解禁だ。

 別の言い方をすると「仙谷氏は本当にばかだ」となるだろうか。いや、それは私の評言ではない。渡辺喜美氏のそれだ。16日付け産経新聞記事「「仙谷氏は本当にばかだ」為替介入で渡辺喜美氏」(参照)より。

 みんなの党の渡辺喜美代表は16日、都内のホテルで開かれた日本商工会議所の総会であいさつし、政府・日銀の為替介入に関連し、仙谷由人官房長官が15日の記者会見で1ドル=82円台が政府の「防衛ライン」と認める発言をしたことに対し、「わたしが投機筋なら『82円までは大丈夫だ』と必ず狙う。本当にばかだ。国家経営をやったことのない人たちに国家経営任せると日本が滅ぶということだ」と批判した。

 「こりゃいい。86円でショート、83円でロング」というわけだ。
 日銀がこの「本当にばかだ」の政府をどのくらい了解していたかだが、読んでいたのではないだろうか。
 為替介入は非不胎化を伴わなければ意味がないのだが、白川総裁はこう考えている。16日付けブルームバーグ記事「介入の非不胎化は日銀のリップサービス-効果は疑問、一段の圧力も」(参照)より。

 実際、白川方明総裁は著書「現代の金融政策」で「不胎化と非不胎化の区別に意味はない」と繰り返し説明している。介入の原資となる円資金は日銀がいったん国庫短期証券(TB)を引き受けて供給するが、政府はその後TBを新たに市中で発行し、日銀が引き受けた分は速やかに償還されるため、日銀の「当座預金に対する影響は中立的であり、介入は自動的に『不胎化介入』となる」という。
 重要なのは、非不胎化かどうかの区別ではなく、日銀が金融緩和を行うかどうかであり、白川総裁もこう述べている。「そもそも『不胎化介入』と『非不胎化介入』を区別する基準自体がはっきりしないため、為替市場介入の『不胎化介入』と『非不胎化介入』を議論することは、金融政策の運営方針の変更を議論することと同義になる」。

 今回の為替介入は、むしろ政局的な意図しかないということでもあった。
 15日付けフィナンシャル・タイムズ社説「A very political intervention(きわめて政治的な為替介入)」(参照)も早々に見抜いていた。

It may have been a victory lap of sorts. One day after the ruling Democratic Party of Japan leadership contest was resolved in prime minister Naoto Kan’s favour, the Japanese government intervened in the currency market to weaken the yen. While the move is a welcome escape from Tokyo’s policy paralysis, its significance is more political than economic.

勝利の歓声が欲しかったのだろう。日本民主党の党内指導者コンテストで菅直人が選出された翌日、日本政府は円安を誘導の為替介入を実施した。日本政府の政治的な脳死状態から脱却する一手としては好ましいものであるが、その意義はといえば、経済的なものというより、政治的なものだった。


 今回の為替介入は、改造内閣のいわば国内向けショーということだった。
 もちろん、これが日銀協調できちんとリフレ政策に結びつけばよいのだが、どうだろうか。フィナンシャル・タイムズはやや曖昧なトーンだが、正論も提言している。

The greatest benefit intervention could bring would be if it signalled that the Bank of Japan was more willing to fight deflation.

日銀がデフレ撲滅の意思を持ったというサインであるなら為替介入も大きなメリットがあるだろう。

Though the central bank does the finance ministry’s bidding in the currency market, it resists pressure for domestic monetary policy to be more forceful.

日銀は財務省の入札を実施するが、国内金融政策を強化するる圧力には抵抗している。

Prolonged non-sterilised intervention would bring much-needed inflationary pressure – presumably not the goal.

非不胎化を伴う介入の継続は、インフレが目標ではないにせよ、インフレ圧力に必要となるだろう。

But if it is the only way to reinflate Japan, we should take what we can get.

日本がインフレによって再成長する手段がこれしかないというなら、世界もそれで満足すべきだろう。


 フィナンシャル・タイムズの英語自体はそれほど難しいわけではないが、言い回しの含みが難しい。為替介入に続く日銀の非不胎化は継続されなければ効果はないだろうが、日銀の動向としてそれはないだろうという含みがある。どこかで限界が想定されているということだろう。
cover
日本経済のウソ
高橋洋一
 非不胎化介入が継続されれば、日本経済のデフレ脱却の好ましいマイルドインフレにはなるのはフィナンシャル・タイムズも理解している。そして、それしか日本のデフレ脱却に手段がないなら、しかたない受け入れようというのだ。これはむしろ世界に向けて日本を擁護しているのだが、反面、本当にそれしかできないのだろうかとも疑念を持っている。
 どうなるのか。恐らく、日銀が長期に協調し非不胎化を伴う為替介入は続かないだろう。日銀は変わらないだろう。現在では「日本経済のウソ(高橋洋一)」(参照)に説明されているが、非不胎化介入には日限の買いオペが必要とされる。が、「日銀ルール」がそれを阻むことになる。
 ところで話が前後するが、なぜフィナンシャル・タイムズが日本の為替介入を援護するのかといえば、日本の介入は他国から好まれないことを知っているからだ。まあ、世界の常識の部類ではあるが。

Nor should Tokyo expect a sympathetic hearing in foreign capitals.

日本政府は他国通貨との協調を期待すべきではない。

Countries praying that trade will compensate for sickly domestic demand will not take kindly to Japan’s export-snatching manoeuvres.

ふるわない国内需要を貿易で補おうとしている国々にしてみれば、貿易利益をかすめとる日本の施策に好感を示すことはない。

In Washington, where the China-bashing season has now opened with congressional hearings on Beijing’s currency peg, the Japanese move will sour the mood further.

米国政府にしても、固定通貨制の中国叩きが議会で開始されているなか、日本のこうした施策は嫌悪感を招く。

Determined optimists may at least hope Tokyo will have steeled determination to deal with global imbalances at the G20 summit in Seoul.

好転に固執している人たちは、ソウル開催のG20で世界経済不均衡に日本が断固対処すると期待しているかもしれない。


 円安となれば日本経済が他国の輸出メリットを奪うことになるので、他国に好まれるわけはない。途上国にとっても欧州にとってもそうだろうし、米国議会にとってもそうだろう。フィナンシャル・タイムズの表現は曖昧だが、そうした米議会の動向に懸念を持っていた。
 この点はどうなったか。それが今回の為替介入の一番の要点であり、いらだつ米議会に対してオバマ政権側がどう反応するかという点が注視されていた。
 結果は、ガイトナー財務長官や財務省・FRB関係者は日本について沈黙を守った。オバマ政権は今回の日本の介入を黙認したと見てよい。その背景は、当然ながら、中国のほうが日本よりはるかに手に負えない問題となっているからだ。
 この先まで解説すると、またまたへんなとばっちりが来そうでうんざりするが、米国は対中国戦略に日本が同調するようにというメッセージを出しているのである。日本の財務省もそれを読んでいる。
 ただし、日銀はどうかわからないし、民主党の中枢側が理解しているかについても今回の失態を見る限り、みんなの党のように「本当にばかだ」と言うのでなければ、不明だとしか言えない。まあ、G20の様子を待ってみよう。

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2010.09.17

菅改造内閣の印象

 まずざっと閣僚を見ておきたい。


総理:菅直人(63)
 学生運動家(全学改革推進会議リーダー)として政治活動を開始。第二院クラブ・市川房枝の挙事務所代表を勤めた後、日本社会党離党の国会議員らによる社会市民連合に加わり、1980年の衆院選で初当選。余談だが、このころ私の恩人が彼の後援会活動をしていたので妙に懐かしく思い出した。実家に色紙かなんかあるかもしれない。

総務:片山善博(59)
 民間起用。元・自治省の官僚。後、鳥取県知事を二期勤め、鳥取県においては公務員採用の国籍条項を外した。

法務:柳田稔(55)
 民社党→新進党→民主党。1973年東京大学理科Ⅰ類入学も寿司屋修行(参照)のため退学、1981年東京大学工学部船舶工学科に再入学。司法関係の背景はない。

外務:前原誠司(48)
 日本新党→新党さきがけ→民主党。松下政経塾。2005年の民主党代表選挙で菅直人に2票の差で勝利し民主党代表となるも、永田偽メール事件でテンパり、お茶の間の失笑を買って辞任。

財務:野田佳彦(53)
 留任。日本新党→新進党→民主党。松下政経塾。永田偽メール事件でも活躍して臑に傷を負う。

文部科学:高木義明(64)
 民社党→民主党。新進党→民主党。元・三菱重工業長崎造船所の労組役員。安倍政権成立時には国対委員長として「閣僚の顔ぶれに新鮮さがなく、政策もあいまいだ」と語っていた。

厚生労働:細川律夫(67)
 昇格。社会党→民主党。世襲。前内閣ではILO総会で公務員の労働基本権について「今後、労働基本権を付与する方向で検討を加速する」と明言していた。

農林水産:鹿野道彦(68)
 自民党→新進党→民主党。世襲。2002年から一年間民主党を離党していた時期がある。理由は、元秘書尾崎光郎の逮捕。彼が役員を務める「業際都市開発研究所」で公共事業の口利きがあった。

経済産業:大畠章宏(62)
 社会党→民主党。小沢支持。元・日立製作所の労働組合・専従役員。「茨城から日本を変える」が旗印の人生。

国土交通:馬淵澄夫(50)
 昇格。元・三井建設社員。政策秘書・大西健介を通してアルファーブロガー「きっこ」と連繋し「耐震偽装問題」を追及していたことがある。「どこが無料にならないと路線名を上げると地元の方の感情がありますから選挙前は言いにくかったんです」 という調子で高速道路無料化の法案も担当していた。

環境:松本龍(59)
 社会党→民主党。社会党・松本英一の秘書として政治活動を開始。世襲。部落解放同盟副委員長。

防衛:北沢俊美(72)
 留任。自民党→新進党→民主党。長野県議会議員の父・北澤貞一を継ぐ。政治家としては世襲。

官房:仙谷由人(64)
 留任。社会党→社民党→民主党。全共闘の活動家として政治活動を開始。

国家公安・消費者・少子化:岡崎トミ子(66)
 社会党→社民党→民主党。社会党・土井たか子によるマドンナ旋風で政治家となる。元・東北放送の労働組合・副委員長。マスメディア。2001年参院選直前に、政治資金規正法で禁じられている外国人として朝鮮籍の学校法人理事長と韓国籍の会社社長から献金を受けていたことが発覚し返金してことなきを得たことがある。

特命 政策調査会長・国家戦略:玄葉光一郎(46)
 留任。さきがけ→民主党。松下政経塾。妻の父・佐藤栄佐久は福島県汚職事件で懲役2年・執行猶予4年の高裁判決を受けるも、無実を求めて上告を検討している。

特命 行政刷新・公務員改革:村田蓮舫(42)
 留任。元・グラビアアイドル(参照)。台湾系日本人。マスメディア。

特命 経済財政:海江田万里(61)
 税金党→日本新党→民主党。小沢支持。自民党・野末陳平に私淑し、お茶の間経済評論家から政治家となる。マスメディア。

特命 金融・郵政改革:自見庄三郎(64)
 留任。自民党・国民新党。学位は医学博士。



各種濃度
 閣僚の平均年齢は、菅総理大臣も含め59.06歳。つまりだいたい60歳。団塊世代内閣。
 初入閣9人で、半分入れ替え。新鮮度、50%。
 元社会党から5人。社会党濃度、28%。
 元自民党から3人。海江田氏を自民党系に含めると、自民党濃度22.2%。
 55年体制濃度、44.4%。
 世襲4人。世襲濃度、22.2%。
 マスメディア出身3人。マスメディア濃度、16.6%。
 松下政経塾出身3人。松下政経塾濃度、16.6%。
 労組出身者3人。労組濃度、16.6%。
 小沢支持者2人。小沢濃度、11.1%。



印象
 幹事長には岡田克也(57)。イオングループの創業者の次男坊。元・通産省官僚。民主党代表も経験したがいわゆる郵政選挙に惨敗して辞任。なお、幹事長代理は直前の参院選挙の敗北責任者・枝野幸男(46)が降格という建前で晒しの残留。これってなんかの罰ゲーム?
 普天間問題蒸し返しはなく、また米国受けのよい前原氏を外務省にしたことから、米国は一安心と思われる。中国としては逆にそのあたりが懸念材料。
 小沢氏の支持が2名とはいえ、鳩山グループなので、事実上小沢派は入っていない内閣。民主党国会議員の半分の勢力を事実上はずした内閣なので、党としての腰は弱そう。とりあえず政調機能はできたが依然総務会機能はないので、小沢派がダメとかいうと党運営が行き詰まる。ねじれ国会以前にねじれ党。
 旧社会党と労組出身者の割合が高く、社会党内閣という印象も強い。
 政権成立の論功行賞人事というだけなのだろうが、厚労相が顕著だが、他も、経歴や背景知識からしてなぜこの人がこの大臣なのかという疑念が多々浮かぶ。まあ、官僚を信頼してということなのだろうか。赤松前農水相みたいな人が政治主導をするとろくでもないことになった反省からかもしれないし、意気を買って厚労相とした長妻氏も結局ぼろぼろだったので、大臣なんて素人でもよいという判断もあるのだろうか。
 崩壊予測点。国家公安に反日デモとかに参加していた岡崎トミ子氏というのがつい笑えるところなので、そのあたりから崩壊するかというと案外、そうでもないかもしれない。失言・面白いという点からすると国土交通の馬淵澄夫氏だろう。前任者の前原が残した諸問題をさらにぐちゃぐちゃにしそうな気配があり期待される。失言といえば、すでに消費税問題でやらかした菅首相だが、だいぶ周りから抑え込まれているのでつまらない。ということで、この内閣は意外と、厚労省とか農水省とか現状あまり関心が向けられていないところからボロっと壊れるかもしれない。
 ねじれ国会はどうか? そこは55年体制濃度の濃さが有利に働くのではないか。
 小沢一派はどうなるか。こんな内閣で大丈夫なのかという傍観をしばらく決め込むだろう。小沢氏の政治生命と金脈がどこまで続くかというとそれほどでもないかもしれない。つまり実は小沢一派のほうがじり貧かもしれない。
 日本はどうなるのか? 少なくとも鳩山氏がいない分だけ鳩山政権よりはマシだし、政調機能のない小沢政権の可能性よりはマシだろうから、これで少し我慢するしかないのではないか。マシというならずっと麻生政権のほうがマシだったがもう自民党は壊れてしまったし。

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2010.09.16

そこで、クイズ! 頭を覆っているこの女性は誰でしょう?

 ではクイズです。

 頭をスカーフのようなもので覆っているこの女性は誰でしょう?

 正確な名前まではご存じではないかもしれませんが、中学校の歴史で習う有名人にとても深い関わりのある人です。その有名人の名前が出ただけも正解とします。
 では、どうぞ!


 正解は、カトリーナ・フォン・ボラ(Katharina von Bora)さん(参照)。

 中学校でも学ぶ有名な歴史上の人物、マルティン・ルター(Martin Luther)の奥さんである。ルターは宗教改革の中心人物の一人で、プロテスタントの起源の一人とも言われる。その名前をそっくり受けたアフリカ系アメリカ人公民権運動の中心人物マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr)の有名な演説のフレーズ「私には夢がある」は、オバマ大統領から小沢一郎元民主党幹事長や菅直人首相の演説でも踏襲されている。
 さて、カトリーナ夫人が頭に被っているコレはなんなのだろうか?
 おしゃれ? 当時のドイツの風習? 伝統衣装? 
 どれも完全に間違いとは言えないが、一番の理由は、キリスト教の教義によるものである。
 聖人パウロがしたためとされるコリント人への第一の手紙にはこのように書かれている。


 祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。
 もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。

 キリスト教、カトリックや正教でマリア像頭にベールを被っているのもこれが理由。カトリックの修道女のベールも同様。プロテスタントのルターの妻も同様にベールを被っていた。
 プロテスタントのもう一つの大きな源流となるカルバンはこの件についてどう考えていたか? 明確に、女性は頭を覆うようにと考えていた(参照)。プロテスタントの源流の習俗を色濃く残しているアミッシュの女性なども普段から頭を覆っている。

 つまり、パウロの時代に確立していた規則としてキリスト教徒の女性は頭をヴェールで覆うことは、キリスト教では派に差はない。そしてイスラム教成立以前のパウロということから推測されるように、イスラム教のヴェールも同様の起源であると見てよいだろう。男性用だがユダヤ人のキッパーも同起源だろう。
 しかし、現代のキリスト教徒の女性でヴェールをしている人なんていないじゃないかと思う人も多いかもしれない。これが、そうだとも言えるのだが、そうでもないとも言える。
 実は、この規則は現代の欧米のキリスト教徒女性でもそれなりに守られている部分がある。もちろん覆うという意味ではveilではあるが「ヴェール」とは呼ばない。英語でも特定の用語はないようで、headcoverings(頭覆い)と呼ばれているようだ。形状も帽子のようであったり、ヘアバンドのようであったりして、いわばそのシンボルを明示するだけのおしゃれなヘア飾りともなっている。カトリーナ夫人の他の有名な肖像だとヘアバンドと言ったほうがよいものになっている。
 また、キリスト教女性の頭覆いの規則だが、聖書の文脈のように祈りに関連づけられているので、日常時には適用されないという解釈もある。このため、逆に礼拝の際には、ちょこんとたたんだハンカチを頭に載せる女性もいる。私も最初見たとき、あれはなんだろ、と不思議に思った。
 プロテスタントは分派が多く、古い欧州のキリスト教習俗を残しているものもあって興味深いが、カトリックのほうがこの問題を世俗世界との調和から統一的に解決しているため、むしろカトリックのほうが女性の頭覆いの排除が進んでいる。正教でもあまり見かけない。聖俗の文化が早々に進んだためではないだろうか。もっとも正教の場合の未亡人は全身黒ずくめの装束が多い。

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2010.09.15

小沢一郎版夷陵之戦

 太平洋戦争が終わって12年後、あるいは日本の切り離された本土側を日本と呼び直して主権を回復してからなら5年後の昭和32年に私は生まれた。戦後すぐに生まれた団塊世代からは一巡しているくらいの歳差もあり、私は彼らのように単純な反抗の世代とはならなかった。戦中世代と団塊世代の人たちの少なからぬ人たちは、GHQイデオロギーのままに、私の父の世代にあたる戦争世代の人びとを糾弾した。あなたたちが戦争を起こしたのだ、と。それでも戦争を選んだのだ、と。父の世代は沈黙した。反抗する世代に返す言葉は空しい。幼い私はその沈黙をじっと見ていた。年上の団塊世代も見ていた。そして平和とはなんだろうと考えた。
 なにが無謀な戦争に駆り立てたのだろうか? 私は戦争に加わった人びと、あるいは結果的に荷担した人びとの思いも探った。そこで見えてきたものは、英霊であった。死霊である。そんなことをしたら、そんなことを言ったら英霊に申し訳がない。そういう思いに支配され、呪縛される人びとを見た。私は死霊がさらなる死者を呼んでいる様を見た。
 そしてそもそも死霊などというものがあるのかと自問した。日本を二度と戦争に巻き込ませないならGHQが残した「平和」の理屈(軍国主義が戦争をもたらした)ではなく、死霊から解放されることではないかと考えた。
 その疑問がすぐに行き当たったのは樺美智子さんの死だった。端的にいえば国家権力に22歳の彼女は圧殺された。そんなことがあってよいものかという怒りとともに私が見たものは、彼女が英霊となり、彼女の死を無駄にするなとしてわき起こる暴力の姿だった。また死霊がいた。そして気がつけば、平和を渇望する思いも死霊の呼び声に答えたものばかりであった。
 戦争は過ちであった。そしてこの過ちは繰り返してはならないものだった。しかし、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」というとき、それは死霊に答えているのだった。広島平和都市記念碑の前で、靖国神社の前で、私はこう言うことができるだろうか。死者はいませんよ、死霊の声を聞くのはおやめなさい、と。
 そんなことはできるだろうか。
 生きていることは、生き残ることであり、生き残るということは死の遭遇を溜め込むことである。死ねば無となる。しかし、死者への思いは無にはなっていかない。死霊の声を聞くのは自然なことではないか。
 私は個人はその逡巡のなかで親鸞に、比喩的にだが、出会ったと言ってよい。親鸞は死霊の声を否定した。死者は極楽にいる。現世に残す声はない。それが阿弥陀様の誓願である。人はいかにしてして死霊から解放されるか。一つの答えの形があった。
 だがそれでも納得のいく答えではない。私は、なんとなく死霊の声を正義に結びつけることはやめただけだった。
 昨日の民主党代表選での小沢一郎氏の演説は、日銀法改正とインタゲに触れる以外は昔からの持論と何も変わらなかった。小泉政権以降は、持論の核である「構造改革」と「規制緩和」のキーワードは消したが、その内容は残ったままだった。その意味で、気力のある演説ではあったが、小沢さん変わらないなとは思った。
 が、その最後の部分(参照)で、私はこの演説の意味と彼の立候補の意味がわかった。


 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。
 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたいと思います。

 「昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志」は特定されていない。しかし、彼の胸にあったのは亡き八尋護氏であっただろう。
 八尋氏は田中角栄派「木曜クラブ」の番頭といえる立場にあった。田中角栄という稀代の政治家と理念をいかに継ぐか。目をつけたのは自身ともにまだ若さの残る小沢一郎氏だった。小沢氏を立てるために、小沢首相を見る日のためにすべての影を彼は背負った。桃園の誓いでもあった。多くの人が小沢氏の付近を去来するなか、八尋氏は小沢氏の力の源泉である金庫を守り通した。
 平成18年9月2日、八尋氏は死んだ。葬儀は小沢氏が取り持った。「二人で語り合った政権交代の夢はあともうひと息というところまで来た。それを目前にしてこの世を去っていく運命ほど残酷なことはない」と延べ、小沢氏は止めどなく泣いたという。八尋氏、享年69。小沢氏はそのとき66歳。自身の死も思っただろう。また、金庫番がいなくなったことが「最後の機会」の意味かもしれない。
 小沢氏は死霊の声を聞いていた。死霊の導く死に至る道を急いだと私は思う。自民党と大連立を模索していたときですら、まだ民主党が政権党になれるとは考えていなかったし、それはそのとおりの帰結しかもたらさなかった。
 余談だが、菅氏も演説で亡き石井紘基氏の名を挙げた。幸いにしてというべきだろう、その言葉は空虚に響いた。

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2010.09.14

菅首相、続投

 民主党代表選挙では小沢氏が勝利すると私は予想していたので、見事に外れた形になった。小沢氏は立候補した時点で民主党国会議員票の半数を組織的に固めており、対する菅氏の組織的な票はその半数というスタート地点から考えれば、小沢氏優位を覆せるとは思えなかった。また世論に近い党員・サポーター票および地方議員票も半々程度に割れるくらいだろうと思っていた。
 予想が外れた理由は二点思い浮かんだ。一つは、世論に近い党員・サポーター票で菅氏が圧勝したことだ。党員・サポーター区分をポイントで見ると、菅氏が249ポイントであるのに小沢氏は51ポイントである。5倍近い差が出ている。総取り方式の影響もあるが、結果からすれば、市井の民主党員の大半は小沢氏をまったく支持していなかったと言ってもよいくらいだ。小沢氏に対する反感というより、首相をころころと変えることに違和感が強かったのではないか。
 もう一つは、民主党国会議員票で小沢氏支持が当初の組織票以上には伸びなかった点だ。明確に菅氏支持を打ち出していない民主党国会議員に向けて、小沢氏支持陣営の攻略がまったく効いていなかったと言ってもよい。つまり、小沢氏のグループは民主党内であたかも別の党派のように独自の結束だけに閉じていただけだったということになる。
 この二点について後付けで思うことは、菅氏の勝利は世論の勝利であったということだ。大差のついた党員・サポーター票は世論に一番近い。世論が民主党員・サポーターを動かし、玉突きのように、地方議員差を産み(菅氏が60ポイント対小沢氏が40ポイント)、さらに国会議員票での菅氏の票の上積みに影響したのだろう。
 私は、今回の民主党の代表選挙は、所詮民主党という一党派内のお家の事情に過ぎず、党派の論理に手慣れた小沢氏の手玉に取られるだろうと思っていたが、結果はそうではなく、国民の世論がボトムアップで民主党を動かしたのだろうと思う。
 今回の代表選では、投票の前に小沢氏と菅氏の順で15分ほど最後の演説をしていた。自民党を割ってから昨年の政権交代前までずっと小沢氏を支持してきた自分としては、これが「最後の小沢さん」の演説になるかもしれないし、彼もそうした意識はあるだろうと思って聞いていた。気迫のこもったよい演説だった。日銀法を変える・インフレターゲットも考慮するというリフレ政策の一点には驚いたが、他は長年聞いてきた小沢氏の持論だった。対する菅氏の演説は石井紘基氏の名前が出てきた以外は退屈極まりないのしろもので、無策の現状を正直に述べていることに終始していた。一に雇用二に雇用といったスローガンも空しく消えているだけだった。
 しかし同時に、私は小沢氏の政治主導の理念は昭和の時代の懐かしい物語だと思っていた。中央の官僚制を打破し、地域主権としてみんなで地域を考え国を考えていくというのは、私にしてみると、終わってしまった物語に聞こえた。
 私は、残念ながらというべきだろうが、現代の政治の実質は一種の工学のようになったと考えている。国民の意見を反映するのが民主主義の本義ではあるが、実際の政策となれば、その背景の複雑さゆえに独自の専門知識からなかなか動かしがたい近似値しか出てこない。経済でも医療制度でも各種保障制度でも、理想は理想としてもテクニカルな前提からはある妥当な水準しか出てこない。そこを逸脱した理想を掲げても、政策には無理が出て全体の利益にはならない。
 小沢首相が実現してまた鳩山元首相時代のような、理想が暴走するわけのわからない政治になるよりは、地味な菅首相の継続のほうがよいと私は思う。そして政権交代というのも無駄だったのだときちんと納得することができた点で、菅首相の続投はよかったと思う。

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2010.09.13

コーラン焼却騒ぎはなんだったのか

 コーラン焼却騒ぎはなんだったのか。主導者テリー・ジョーンズ(Terry Jones)とその教会、「ダブ・ワールド・アウトリーチ・センター(Dove World Outreach Center)」とは何か。
 話は1970年代に遡る。米国のキリスト教ペンテコステ派世界最大派のアセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に所属した青年部牧師、ボブ・ワイナー(Bob Weiner)(参照)は州立マリー大学内に大学生布教集会「マラナタの家」を1972年に設立した。後に「マラナタ・キリスト教会」と改名したが、大学を拠点化した布教活動であった。大学に浸透するペンテコステ派のこの布教運動は「マラナタ・キャンパス・ミッショナリー(MCM: Maranatha Campus Ministries)」と称された。次第に影響力を持ち出したMCMは1980年代に入り、権威主義的な傾向からカルト的な様相を持つと批判され、キリスト教界から社会全体の問題ともなった。ついにはワイナーもその傾向を認め謝罪し1989年にMCMは解散した。
 MCMの解体過程からいくつかの分派が生じた。MCMの影響下で1985年に設立された教派の一つが「ダブ・ワールド・アウトリーチ・センター」である。創始者の一人ドナルド・ノーザラップ(Donald O. Northrup)はMCMと関係が深かった。このセンターで2008年以降指導者として力を持つテリー・ジョーンズもドイツでMCMの活動をしていた。
 ノーザラップの死後、センターは彼の妻ドドレス(Dolores)とデニス・ワトソン(Dennis Watson)が継いだが、ドドレス夫人はジョーンズが指導する教義に疑念を持つようになり、2009年にセンターを退いた。センターの大きな転機でもあった。
 現在同センター指導者となっているジョーンズの経歴はよくわからない。ホテルマンであったとも言われる。わかっていることの一つは、ドイツでは学歴を詐称し罰金を払ったことだ(参照)。現状、ジョーンズ率いる「ダブ・ワールド・アウトリーチ・センター」は上部の組織をもたない構成委員50人ほどの独立派の小集団と見られている。ジョーンズの娘エマ(Emma)は、この集団を「カルト」と見ている(参照)。おそらくそれがもっとも的確な表現だろう。
 「ダブ・ワールド・アウトリーチ・センター」は米国によくある小カルトの一つなのである。こんな些細な小集団が違法でもない宗教示威活動しても普通は話題にもならないはずだ。米国では国旗を燃やしても犯罪にならない。白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK: Ku Klux Klan)がキリスト教の最大のシンボル十字架を燃やしても脅迫にもならない。こうした行為を州法で禁止しようとしても違憲となる(参照)。聖書を燃やしても問題はならない。コーラン(Qur'an)を燃やしても同様だろう。
 問題は、むしろ、なんでこんな小カルトの些細な出来事がさも大問題であるかのように米国メディアは報道したのか、ということだ。こんなくだらない話は無視するか、世界びっくりニュースの類にすればよいのである。
 必ずしもイスラム世界の理性的な意見の代表というわけではないが、英文で読めるアラブ・ニューズを見ても、今回の事態は奇異に見られていた。10日付け「Larger questions」(参照)より。


There are many who blame the media for this, saying that it has paid far too much attention to the ravings of a jumped-up, bigoted nobody.

この件では、泥縄仕立ての頭の固い無名人の戯言に注目しすぎではないかと、メディアを批判する人びとが多い。

There is a good deal of truth in this. If it had been a Catholic bishop or the leader of the US Methodist or Presbyterian churches who had threatened to burn the Qur’an, that would be major news. It would have merited — required — Obama’s intervention.

これに多くの真実が含まれている。もしカトリックの司祭とか米国メソジストや長老派教会の指導者がコーランを燃やすと脅したというなら、大きなニュースになりえただろう。オバマが仲介に出る意味も必要性もあっただろう。

But a two-bit leader of a two-bit congregation?

しかし、こいつはちんけな集団のちんけな指導者ではないか?


 日本の文脈でいえば、又吉光雄が自身を救世主イエスであり、日本国首相は切腹せよと語り、国会に挑んだというのを国際的に報道するようなものだ。
 なんでこんなお馬鹿なニュースが大ニュース化したのだろうか。
 アラブ・ニューズの11日付け「A threat to us all」(参照)ではその理由をこう見ている。世界でイスラム教徒が迫害される現状の文脈から。

Incidentally, it’s not possible to ignore the role Israel’s powerful friends in the US establishment and media have played in fanning the anti-Muslim hysteria in the West.

加えて、米国支配層とメディアがイスラエルと強い友好関係にあることから、西側諸国では反イスラム主義ヒステリーが煽動されてきたことを無視するわけにはいかない。


 反イスラム主義を煽るためにこの手のばかげた報道を米国がしていると見るイスラム圏での見解がある。
 そうかもしれない。
 私は、加えて、中間選挙を控え、劣勢にある米国民主党が、共和党支持と見られるキリスト教根本主義者の愚昧さを強調する意図もあったのではないかという疑念もある。関連付けて報じられる、グランドゼロ近隣のモスク建設反対運動をキリスト教カルト的な反イスラム主義に集約してしまう愚かなシンボルとしての報道価値もあったかもしれない。
 言うまでもなく、グランドゼロ近隣にモスクを建設することに法的にはなんら問題はない。むしろ、問題を感じる人びとの対話を通して、イスラム教と米国社会の友好の記念碑にすべきものである。
 どの社会にも理性的な行動を取れない極端な人びとはいるものだが、彼がその社会の大半の良心を表してるわけではない。偏った報道やそうした偏向報道を元にした糾弾は無意味な敵意しか生まない。

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2010.09.11

米人、小沢氏に答えるに、どうせ俺たちゃ単細胞生物

 実質首相選択となる民主党内の総裁選挙について米国がどう見ているか。政権交代時つまり鳩山首相の登場の際とはいくぶん風景が変わっている。簡潔に言えば米国の関心は薄い。所詮他国の内政問題だし日本国民による意思の発現でもないいち党派内の問題なので言及を慎むというのもある。それ以前に菅氏であれ小沢氏であれ支離滅裂な鳩山氏よりましかもしれないが大差はないという印象もあるようだ。そうしたなかようやくワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズの社説が出た。
 イギリスのフィナンシャル・タイムズの見解は早々に出ていた(参照)が、米側は遅れているふうであった。ウォールストリート・ジャーナルも社説としての直接の言及はなかったようだが日本版に「民主党、代表選きっかけに政策の「アイデア」提示」(参照)はあった。が、これの原文がどれかはわからない。日本側での作成だろうか。というのは、以下の論点は後述するワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズとはトーンが異なる。


 外交政策でも小沢氏は明確なビジョンを提示している。同氏は米軍基地移転交渉合意を順守すると述べると同時にそれに対する疑問も表明している。ただし、より広い米軍駐留問題については、日本における米軍の大きなプレゼンスの必要性を問題視し、北朝鮮やイランといった「ならず者国家」への対処では国連のような多国籍機関にもっと大きな権限を与えるべきだとしている。

 「明確なビジョンを提示」と言いつつ、「と同時にそれに対する疑問も表明」というのは不可解ではある。普通は逆で、明確なビジョンはないと見られるものだ。そしてこの点こそ、米側が一番懸念している。
 ワシントン・ポスト社説は11日付け「'‘Simple-minded' Americans might want to pay attention to Japan's election」(参照)である。話は日本はころころ首相を変えるものだな、大国だし同盟国として関心持たないわけにもいかないなとリラクタントに切り出される。当然ながら話題は小沢氏に向かわざるをえない。

Exactly what governing philosophy Mr. Ozawa would bring to the job is hard to say, because his professed ideologies have mutated over the years.

小沢氏がなそうとする政治観はよくわからない。もう何年にもわたってそのイデオロギーをころころ変えてきたからだ。

But in his current incarnation he is less friendly to the U.S.-Japan alliance, and more attracted to China's dictatorship, than most Japanese leaders -- and, according to polls, than most Japanese.

しかし彼の再登場は日米同盟に友好的ではなく、大半の日本人の世論からすると、他の政治家よりも独裁主義の中国に傾倒している。


 小沢氏を長く見てきた私からするとワシントン・ポストの評は間違っているようにも思えるが、これが米側の少なからぬ小沢評でもあるのだろう。
 ワシントン・ポストに限らず欧米のこのところの小沢評でよく引かれるのが「米国人は好きだが、いささか単細胞だ」とする小沢氏本人のコメントである。なぜか日本国内では非難が少ないが、国際的に見て致命的に近い失言ではある。端的に言えば、この失言だけで国際政治の場には出てこれないくらいの失言レベルだ。
 ワシントン・ポストもそこは見逃さないのだが皮肉を返すよりも冷静な対応を示している。

Mr. Ozawa recently referred to Americans as "somewhat monocellular." We couldn't tell you exactly what that means, but we're pretty sure it wasn't a compliment, especially since he added, "When I talk with Americans, I often wonder why they are so simple-minded."

小沢氏は米国人を単細胞生物だと言う。それが何を意図しているのか私たちは理解できないが、「米人と話すと私はなんでこうも彼らは頭が悪いのかとしばしば思う」という彼のコメントからすると賛辞とは取れないことはわかる。

Perhaps more important than his prejudices, Mr. Ozawa also said he would reopen negotiations with the United States over realignment of U.S. forces in Okinawa -- an issue that fruitlessly preoccupied and ultimately helped doom Mr. Kan's predecessor, Yukio Hatoyama.

小沢氏の差別観よりもおそらく重要なのは、小沢氏が在沖米軍基地移転問題で米国との交渉をやりなおすとしていることだ。つまり、菅氏の前任者、鳩山由紀夫が執心のわりにはついに空しい運命となった問題である。

Allowing the U.S.-Japanese relationship again to be consumed by the base realignment -- which Japan has now agreed to, twice -- would set back any hopes for the countries to make progress on other important issues.

再考後同意した基地移転問題で日米関係を消耗させれば、他の日米間の重要案件の進展を後退させることになるだろう。


 小沢氏への脅しというより、呆れているということが言いたいのだろう。これに続く文脈では小沢氏は日本人多数の支持を得てなさそうだとあり、締めはアイロニカルな諦観に終わっている。

We hope DPJ officials take a multicellular view as they consider their choice.

米国としては、日本民主党のみなさんが多細胞生物らしい視点をもって首相選択を考慮してくださることを望むものである。


 ニュヨーク・タイムズの社説は6日付け「Japan’s Leadership Merry-Go-Round」(参照)である。鳩山首相誕生時には好意的なコメントを寄せたニューヨーク・タイムズであったが、さすがに今回は呆れている。メリーゴーラウンドのように首相をくるくる変えるなというお説教を垂れて始まる。

Japan’s frequent leadership changes are dizzying and increasingly counterproductive.

日本の首相交代は目まぐるしく、次第に非生産的になってきている。

The country has had 14 prime ministers in the last two decades and could soon have another. That would make three in the last 12 months alone — hardly time enough to introduce new policies, much less effectively implement them.

日本では20年ものあいだに14人も首相が代わり、また代わろうとしてる。過去12月に限っても3人目になるかもしれない。これでは新政策も導入できないし実施の効率も悪い。

This phenomenon would make successful governance difficult in any country. But Japan is the world’s third largest economy and a technological and regional power.

こんなやりかたはどんな国がやってもうまくいかない。だが日本は世界第三位の経済大国であり、技術力や地域影響力もある。

It needs a prime minister who can offer robust, principled leadership over a sustained period, win support for economic policies that would help pull the world out of recession and maintain a strong alliance with the United States.

大国の首相ともなれば、強く原則の定まったリーダーシップを一定期間行使できなければならない。そうしてこそ、世界の景気後退脱出の経済政策が支援できるし、米国との強い同盟関係も維持できる。


 おやおや、これがリベラルなニューヨーク・タイムズですかというトーンなのはそれほどに呆れているからだろう。
 小沢氏に抱いている懸念も窺われる

Reinforcing close relations with the United States is also important. Mr. Kan has promised to move forward with a long-debated plan to relocate an American Air Force base on Okinawa.

米国との密接な関係を強化することも重要である。長期に議論されてきた在沖米軍基地移転について菅氏は前進を約束している。

Mr. Ozawa wants to reopen negotiations — yet again. He needs to reconsider that unrealistic position because he admits he has no alternative proposals and the Americans are certain to balk.

小沢氏は今更に交渉をやり直したいとしている。小沢氏には代案なく米国も躊躇しているのだから非現実的な主張を再考すべきだ。

For too long, the base controversy has strained bilateral security ties. His comment last month that Americans are simple “single-celled organisms” doesn’t seem to be the best way to make new friends.

基地論争で安全保障相互条約を不安定にする時期は長すぎた。小沢氏は先月米国人は単細胞生物であると述べたが、これは新しく友好関係を作るために最善の方策とは思えない。


 ご覧の通り、ワシントン・ポストもニューヨーク・タイムズも小沢氏の失言をあからさま非難しても益なしとしてからかっている。まじめに考えればそれだけトンデモ人物と見なされているということだ。幸い、そういう御仁は国際政治の場に少なくないとも言えるのだが、まさか主要同盟国から出てくるとは呆れたということなのだろう。

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2010.09.10

チェルシーの結婚

 少し旧聞になる。7月31日、ビル・クリントン元米大統領とヒラリー・クリントン現国務長官の一人娘、チェルシー・クリントン(Chelsea Clinton)さん(30)がニューヨーク州ラインベックにあるアスター・コーツ(Astor Courts)という豪邸で結婚式を挙げた。
 米国民主党政権の中枢ともいえる要人の娘さんの婚礼なので注目された。そのためか、あるいはそれに比してと言うべきか、結婚式の準備は極秘に進められた。当日も式場上空は飛行禁止となり、会場に至る道も封鎖された(参照)。要人の娘さんとはいえ民間人なのでプライバシーは守られるべきだろうが、物々しい印象を与えた。CNN「クリントン夫妻の一人娘チェルシーさんが結婚式」(参照)はこう伝えている。在任中にユダヤ人であることが判明したマデレーン・オルブライト(Madeleine Albright)元国務長官の名前も注目のこと。


 ウエディングドレスは予想されていた通り、ベラ・ワンがデザインしたものだった。クリントン国務長官はオスカー・デラレンタのドレスを着用。
 結婚式に招待された著名人を見ようと、報道陣を含む大勢の人々が小さな町ラインベックに押し寄せた。当日、式場にはマデレーン・オルブライト元国務長官など、多数の著名人が次々と姿を見せた。

 花婿は大学時代に知り合ったマーク・メズビンスキー(Marc Mezvinsky)さん(32)。現在は投資銀行ゴールドマンサックスに勤めている(参照)。お互い30歳を過ぎての結婚だが、なれそめは高校生時代に遡る。そこで純真な少年少女の恋の物語を連想してしまうし、そうではかったとも言えないのだが、二人が出会った経緯が興味深い。
 お二人は1996年、ルネッサンス・ウィークエンド(Renaissance Weekend)と呼ばれる社会問題討議会に民主党として参加し、それが出会いとなった(参照)。娘を連れてきたのは間接的であれ両親だから、普通に考えれば両親の差し金というか了解の上でのお見合いみたいなものであったのだろう。
 と、ここで両親というとビル・クリントンとヒラリー夫妻を連想してしまうが、メズビンスキー家のご同意もあったと考えてよいだろう。で、メズビンスキー家って何? 当然、民主党の中枢と深い関係があったと思われるこの一族は何者?
 ニューズウィーク日本版コラム「クリントン家の結婚式は謎だらけ」(参照)が突っ込んでいた。

 今回の結婚式には、もう一つ注目すべき点がある。どの宗教に則って結婚式を執り行うかという問題だ。チェルシーは、南部バプテスト派の父親とメソディスト派の母親をもつキリスト教徒だが、メズビンスキー家はユダヤ教保守派に属している。ユダヤ教保守派は他宗教の信者との結婚に消極的で、結婚相手がユダヤ教に改宗しないかぎり、ラビが結婚式を執り行うことを禁じている。

 メズビンスキー家はユダヤ教保守派のファミリーである。
 すると挙式はどの宗教になるのかというのも当然の疑問であった。

 宗教の壁を乗り越えるには、チェルシーがユダヤ教に改宗するか、メズビンスキーがキリスト教会での挙式を受け入れるか、あるいはキリスト教の司祭とユダヤ教のラビが同席するというパターンか。チェルシーがユダヤ教の礼拝に参加したと報じられたこともあり、アメリカのユダヤ人コミュニティーやイスラエルは「チェルシー改宗説」に色めきたっている。実際、もし改宗すれば、ヒラリーは強大なユダヤ人脈にこれまで以上の後押しを受けられることになる。

 どうだったか。この難問はどのように解決されたのか?
 いや、大した難問ではない。ユダヤ教徒とキリスト教徒の結婚は米国では難しくないからだ。なによりヒラリー・クリントンの祖母の再婚相手の旦那もユダヤ人である(参照)。
 実際には、異教徒間の結婚(interfaith wedding)となった。今回の婚礼は米国史上もっとも有名な異教徒間結婚だとも言われてた(参照)。今後もチェルシーさんの改宗はないだろうがお二人のファミリーの宗教はユダヤ教、しかも保守派の規範がベースになるだろう。土曜日は電灯も付けないことになる。
 これでメズビンスキー家の謎は解けたかというと、単に保守派で富豪のユダヤ人ファミリーというだけではない。先のコラムを借りよう。

今回の結婚には、巨額の詐欺事件を起こして5年間服役したメズビンスキーの父親や、チェルシーに「結婚式までに7キロ痩せるよう」命じられた花嫁の父クリントンなど、話題性に事欠かない「脇役」が揃っている。

 新郎の父は巨額の詐欺事件を起こし5年間服役した経歴があるとのこと。なんだそれ?
 新郎の父エドワード・メズビンスキー(Edward Mezvinsky)氏はアイオワ州から選出され1973年から1977年まで二期務めた下院議員だが、2002年、多数の投資家から金をだまし取る詐欺により実刑を受けた。きちんと犯罪者である。2008年に仮釈放となった(参照)。
 チェルシーさんたちの婚約発表は2009年だったので、普通に考えれば新郎の父のムショ帰りを待っての永い春ということだったのだろう。遡って見ると父親の2002年のムショ入りで当初予定していた結婚が頓挫したのかもしれないし、そのあたりに関連するクリントン家の当時のご都合もあったかもしれない。人目をはばかる父親が婚礼に参加したかについてはメディアが多大の関心を寄せた。判然としていない。なにかと秘密裏に進められた婚礼の大きな秘密の一つでもあった。
 新郎の母はというと、マージョリー・マーゴリーズ・メズビンスキー(Marjorie Margolies-Mezvinsky)氏である。彼女のほうが旦那より有名であったともいえる。当初メディアの人でテレビレポーターとして活躍しエミー賞も受賞している。NBCを退いてから、ペンシルベニア州選出の下院議員となり、1993年から1995年までの一期を務めた。再選ができなかったのはクリントン政権時代に悪評高い予算案を支持したからと言われている(参照)。逆に言えば、クリントン元大統領には貸しがあったとも言える。この時点に注目すると、チェルシーさんのなれそめは、新郎の母マージョリー氏とクリントン元大統領の内緒話みたいものから始まったのかもしれないとも思えてくる。
 新郎のほうも両親政治家というわけだ。先のニューヨークコラムがこう締めているのも頷ける。

 いずれにせよ、若いカップルの結婚式の背後には、隠しきれない政治の臭いが漂っている。10代の多感な時期に父親の不倫スキャンダルという試練を経験したチェルシーだけに、余計なお世話と知りつつも、平凡でも幸せな家庭に恵まれますようにと願わずにはいられない。

 その「政治の臭い」がなんであるかがこの結婚の本質であろうし、政治の文脈に置き換えればいろいろと想像されることもあるだろう。だが別段陰謀論とかではなくても、そういうものは今回の結婚式の内実のようにオモテには出てこないだろう。

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2010.09.09

ドイツ連銀ザラツィン氏の失言

 ドイツの中央銀行に相当するドイツ連邦銀行のティロ・ザラツィン(Thilo Sarrazin)理事が人種差別発言をしたとして問題になった。日本でも報道されているが各紙に微妙な差がある。その差違に問題の核心が関連しているようにも思えるので、メディア検証の意味もかねて見ていこう。
 一番興味深いのが2日付け日経新聞記事「独連銀、ザラツィン理事解任へ 人種差別発言で」(参照)である。なにが書かれていないかという観点からあえて全体を引用する。


 ドイツ連邦銀行(中銀)は2日、移民などへの差別的な発言を繰り返したザラツィン理事を解任する方針を固めた。任命権を持つ連邦大統領に対し、「解任を提案した」との声明を発表した。理事が「イスラム系住民のせいでドイツの知的水準が低下した」などの趣旨に言及したことで、中銀の信認が揺らぎかねないと判断した。
 独連銀は高い独立性があるため、理事を解任できるのは健康上の理由や、「重大な過失」で職務が遂行できなくなった場合に限られている。本来は刑法違反などを想定しているが、独連銀の理事会は「人種差別発言も重大な過失」との見解で合意したようだ。
 ザラツィン氏は社会民主党(SPD)の論客でベルリン州政府の要職などを歴任したものの、あからさまな人種差別には政府・与党内でも批判が強い。このため独連銀の異例の決断を評価する。
 だが非キリスト教徒や非欧米系住民への差別や偏見が根強く残るドイツ社会ではザラツィン氏を支持する声も多い。
 戦後、安価な労働力を確保する狙いで外国人労働者を積極的に受け入れたが、異文化との共存を許容する雰囲気が醸成されず、独社会は閉鎖的なままとの指摘もある。(フランクフルト=赤川省吾)

 ザラツィン氏支持の声を伝え背景も説明している簡潔な記事ではあるが、「移民などへの差別的な発言」の「など」が曖昧になっている。「『イスラム系住民のせいでドイツの知的水準が低下した』などの趣旨」でも「など」が登場している。
 日経新聞の記事で何が書かれていないかは3日付け朝日新聞記事「ドイツ連銀理事が移民差別発言、解任へ 共感の声も」(参照)と比較するとわかる。検証のためこちらもあえて全文引用する。

【ベルリン=松井健】ドイツ連邦銀行の理事がイスラム系移民やユダヤ人に対する差別的な発言を繰り返し、激しい議論を呼んでいる。ホロコーストなどナチス時代の教訓から民族差別に敏感な同国では、連銀に対し解任要求が強まり、理事会は2日、解任を進める方針を決めた。一方、国民からは共感の声が出ており、移民の増加に対する根強い不安と反発が表れた形だ。
 連銀のザラツィン理事は8月30日、「自壊していくドイツ」という著書を発売し、「トルコやアラブなどイスラム圏からの移民の就業意欲や教育レベルは低く、ドイツ社会に溶け込もうとしない」「ドイツ人が自分の国の中でよそ者になるかもしれない」などと主張した。さらに、発売前後にメディアの取材に対し、「ユダヤ人やバスク人は特定の遺伝子を持っている」などと発言した。
 これに対し、メルケル首相が「まったく容認できない」と発言するなど、政界や主要メディアからは批判が集中。野党の社会民主党も党員のザラツィン理事を除名する方針を打ち出している。
 同銀は「連銀はザラツィン理事の差別的発言とは明確に見解を異にしている」とコメント。2日の理事会でウルフ大統領に解任を提案することを決めた。
 ドイツではトルコや旧ユーゴスラビアなどからの移民が以前から多く、移民の社会への統合が常に課題になっている。経済成長につながると歓迎される一方、犯罪増をもたらすなどの警戒感が国民にあることも否定できない。ザラツィン理事は以前から同様の主張をしており、今回の発言も確信犯的だ。ナチスによる民族差別の歴史を持つドイツではこうした発言はタブーとされてきた。だが、今回の発言にはネット上で「多くのドイツ人が考えていること」などと共感する声も出ており、ニュース専門局のアンケートでは「解任の必要はない」との回答が多数を占めた。

 朝日新聞の記事からはイスラム系移民に加えて「ユダヤ人に対する差別的な発言」が問題となっていることがわかる。ただし、「ナチスによる民族差別の歴史を持つドイツではこうした発言はタブーとされてきた」ということで「こうした発言」の「こうした」が何を指すかは曖昧になっている。記事の論点からすると移民問題のようでもあるが、「さらに」として遺伝子への言及も付記されている。民族差別に基づく移民差別が問題なのか、遺伝子への言及が問題なのかは、朝日新聞記事からは読みづらい。
 8月31日付け毎日新聞記事「ドイツ:「すべてのユダヤ人に特定遺伝子がある」 連銀理事が発言、首相ら猛批判」(参照)は遺伝子への言及に焦点を置いている。こちらも比較のためにあえて全文引用する。

 【ベルリン小谷守彦】ドイツ連邦銀行のザラツィン理事(65)が、移民問題を扱った自著出版のインタビューで、「すべてのユダヤ人には特定の遺伝子がある」などと発言し、波紋を呼んでいる。ドイツではナチス時代、「人種学」によってホロコースト(大虐殺)が正当化された経緯から、人種を学術的に根拠付ける考えはタブーで、メルケル首相をはじめ政界は総批判だ。
 ザラツィン氏は自著「ドイツが消える」をめぐる29日付独紙「ウェルト日曜版」インタビューで近年、アラブ系の移民が増えていることを問題視した。ザラツィン氏は、ドイツのアイデンティティーが将来「溶解」していくことに懸念を表明。記者から「遺伝子上のアイデンティティーもあるのか?」と問われ、問題の発言に至った。
 メルケル首相は「発言は受け入れられない」と連邦銀行にザラツィン氏の更迭を要請。ザラツィン氏の所属する野党・社会民主党も30日、党籍離脱手続きに入ることを決めた。だが、連邦銀行理事会は、発言を非難したものの、ザラツィン氏の解任は見合わせた。連邦銀の独立性は高く、理事解任には理事会の決議が必要だ。そのため、発言を巡る騒動もしばらく続きそうだ。

 三紙以外にも共同や時事の報道があるが、概ね上述のような3つのタイプに分けられる。(1)要人に差別発言があったことのみに着目する、(2)差別から移民問題に焦点をあてる、(3)ユダヤ人の遺伝子への言及に着目する。
 欧米ではどのように報道されているだろうか。日本語で読めるAFP記事「人種差別発言でドイツ中銀理事解任へ、タブーに踏み込んだとの評価も」(参照)やフィナンシャル・タイムズ記事(参照邦訳参照)などを見るとわかるが問題は二段構えだ。同氏が移民による危機を論じた8月30日出版の『自滅するドイツ』が問題となった上に、インタビューでユダヤ人の遺伝子に言及したことが問題となった。
 ドイツでの受け止め方はどうか。移民問題への右派的な議論も問題ではあるが、インタビューによるユダヤ人の遺伝子といった発言がスキャンダルとなっている。この経緯については、Newsweek記事「The Scandal Behind the Sarrazin Scandal」(参照)がうまくまとめている。

That Germany remains hostile to any mingling of genetic theories with social policy is all to the good. But the banishment of Sarrazin began long before his comments on heredity and genes, and says more about the nature of German political discourse than the boundary of decency Sarrazin crossed last week.

社会政策と遺伝子議論の混在が忌避されるのはドイツではよいことになっている。しかしザラツィン追放は、遺伝と遺伝子についての彼のコメントより随分と以前に始まっていた。彼は、先週常識を逸脱したことよりも、ドイツの政治課題の本質を語っているのだ。

He’s often provoked with blunt speech on hot-button issues that much of German officialdom painfully avoids, and so last week’s spectacle convinced many ordinary Germans that their leaders are yet again quashing debate on vital issues.

大半のドイツ政官人が痛みに堪えて避けようとしている危険なテーマをしばしばぶきらぼうな物言いでザラツィンは語ってきた。だから先週の騒動では政治家たちはこの難問にまた蓋をしているとドイツ人の多くは確信した。


 逆鱗に触れたとしてザラツィン氏を追放することで問題の本質である移民問題を封じ込めたとドイツ人の多くが感受している。このコラムはそのことのほうが問題だとしている。
 いずれにせよ、今回の背景にはこうした複雑な構成があり、日本といった外国への報道では受容にズレが出るのはしかたがない。
 ちなみに、同コラムはかなり示唆深い提言で締められている。

Germany’s political culture seems less threatened by the extreme right than by its tendency to publicly destroy contrarian thinkers.

ドイツの政治文化を脅かすのは、極右よりも、(右派といった)異論の論者を叩き潰そうとする傾向にある。


 さて今回の問題だが、ザラツィン氏が中央銀行の要人であったという意味もある。その点で日本での報道を見かけないが類似の問題もあった。こちらは簡単にだけ触れておこう。欧州委員会のカレル・ドゥ・グヒュト(Karel De Gucht)通商担当委員の失言である。時期的にザラツィン氏の暴言と関連付けられてもいる。
 4日のAFP「Top EU official battles 'anti-Semitism' charge」(参照)より。

BRUSSELS — The European Union's trade chief battled on Friday to fend off accusations of anti-Semitism after referring to the power of a "Jewish lobby" in US policy.

ブリュッセル:欧州連合(EU)の通商担当委員が米国におけるユダヤ人ロビーの権力に言及したことで金曜日、反ユダヤ主義の告発を逃れるべく奮闘している。

European Trade Commissioner Karel De Gucht also suggested that it was difficult to have a "rational" conversation with most Jews about the Middle East conflict.

欧州通商担当委員カレル・ドゥ・グヒュトはまた中東紛争について大半のユダヤ人と理性的な対話を持つことは難しいと示唆した。

The European Jewish Congress demanded an apology and full retraction from De Gucht, whose comments came on the heels of a German central banker's controversial statement that "all Jews share a certain gene."

西欧ユダヤ人会議はドゥ・グヒュトから謝罪と完全撤回を求めた。ドゥ・グヒュトの発言はドイツ中銀員による「ユダヤ人全員が共有する遺伝子がある」との発言に続いたものだった。


 こちらも欧州連合(EU)を含めて謝罪で幕を引いた形になったが、予想もしてない失言の連続で国際関係の要人が緊張した日々でもあった。

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2010.09.05

多剤耐性アシネトバクターによる院内感染

 東京都板橋区の帝京大学医学部付属病院で3日、多剤耐性菌による院内感染の発表があった。多剤耐性アシネトバクターによる院内感染で9月1日までに46人が感染し、うち重篤な病気に罹っていた27人の死者があり、さらにその9人が同細菌を死亡原因とする因果関係が否定できないとのことだった。院内感染は病院側の対応でかなり防ぐことが可能であるため、発表では森田茂穂病院長らは謝罪した。
 報告では、2月ごろから同細菌が検出され、4月・5月には10人の患者から検出されことから、検体を再調査したところ昨年8月を起点に感染が確認された(参照)。
 同日の東京都の会見では、4・5月時点で院内感染を把握しておきながら、報告が9月2日まで遅れたことを問題視していた。東京都福祉保健局の担当者は、「きのう、板橋区保健所に報告するまで何の連絡もなかった。報告が遅れたことはたいへんに遺憾だ」と述べた(参照)。
 帝京大学医学部付属病院に違法な情報隠蔽があったのだろうか? 3日付けNHK「“報告の遅れ遺憾”都が厳重指導」(参照)ではこう報道されている。


多剤耐性アシネトバクターについて、東京都は、国の通知に基づいて去年1月、院内感染を把握した場合は速やかに保健所に報告するよう各病院に通知していたということですが、帝京大学附属病院は、東京都が国と合同で先月4日に行った定期的な立ち入り検査の際にもこの件に触れなかったということです。

 多剤耐性アシネトバクターの院内感染を意識できた5月の時点で同病院は通知を出し、また8月の立ち入り検査でも言及すべきだったとはいえる。
 大手紙社説もこのあたりに病院側の非を定めて正論を吐いている。今日の毎日新聞社説「多剤耐性菌 感染防止の基本怠るな」(参照)を例にするとこのような調子である。

 病院の管理がしっかりしていれば、ここまで広がることはなかったはずだ。死亡者も減らせただろう。病院は感染経路の特定を含め、今回の事例を検証すると同時に、日常的な管理体制の不備を洗い出し、改善していくことが欠かせない。院内感染防止対策の専従スタッフが十分かどうかの見直しも必要だ。

 正論ではあるが「病院の管理がしっかりしていれば、ここまで広がることはなかったはずだ。死亡者も減らせただろう」との指摘は多剤耐性アシネトバクターに限らない。この細菌の日本での登場や背景なども理解する必要はあるだろう。同社説は簡素にこう触れている。

多剤耐性アシネトバクターは10年ほど前から世界的に増え問題になっている。日本でも昨年、福岡大病院で院内感染が起きたが、この時は海外での感染が発端だったと考えられている。

 2008年秋から2009年1月に福岡大病院で多剤耐性アシネトバクターの院内感染が発生し、26人が感染し4人が死亡した。ただし、4人の死因の因果関係は明確ではない。感染経路としては、韓国で手術を受けた患者から菌が検出されたため、同患者から感染が広がった可能性が指摘されている。
 国としても多剤耐性アシネトバクターへの対応は、福岡大病院で院内感染を起点としているように2009年以降であり、最近強く意識された新しい問題でもあった。今回の帝京大学医学部付属病院の事例でも、最初に感染が見つかった病棟の医師には多剤耐性の認識はなかった。その意味では、厚生行政全体の問題も多少関連している。
 国側では2009年10月21日の第8回院内感染対策中央会議議(参照)で多剤耐性アシネトバクターの問題を主要課題として取り上げている。議事録は興味深いものである。
 院内感染に対する報告義務についてはこう言及されている。

○事務局(清) 小林先生、もう議題2に入られていますか。
○小林座長 はい。
○事務局(清) 失礼しました。器材の話は置いておきまして、もう1つの感染拡大の原因になっているのは、報告の遅れです。初期に気づいてはいても、内部で、もぞもぞしているうちに気がついたら広がっているケースが実際に多いです。そして、いま法令上でのこの辺の院内感染に対する報告義務は、もちろん感染症法に則った形での報告義務はあるわけですが、それ未満のものに関しては、そういう重大な院内感染が起こった際には行政機関に相談するよう努められたいという、いまはそういう努力目標みたいな形でしかなくて、明示がされていないということになっています。それを2-2の資料です。


○洪構成員 死亡された方が4名いたということですが、その方たちは検体としてはどこから分離されたのですか。
○山岸研究員 全員痰からです。
○洪構成員 肺炎を併発していたかまでの診断はされていないのでしょうか。
○山岸研究員 我々がカルテの記載から見た感じでは、積極的に肺炎だと思われるものはそれほど確認できませんでした。ただ、感染と清拭は臨床の先生たちがその場でやったものをあとから見ることしかできなかったので、定かではありません。
○小林座長 一緒にご検討いただきたいと思うのですが、資料の1-2ですが、厚労省がこれを踏まえてすぐに通知を出しています。これに関してご説明はありますか。
○事務局(清) これに関しては、そんなに情報が多くない中での話だったので、あまり詳しいことは言えていません。保健所の報告も別添で付けましたが、その段階では、国内で少し変わったものが出たので、こういうものは感染症法の報告義務のないものですから、潜んでいたらよくないということで、まずは世間に向けて声を出したというところです。
 そのあとで、何施設からか、うちでも出ましたという連絡が直接きたり、厚生局経由できたりしました。合計で4件くらいあったと思います。

 現状では多剤耐性アシネトバクターは感染症法の報告対象には含まれていないため、感染が確認されても報告義務はない。帝京大学医学部付属病院が違法であるとは言えないようだ。むしろ、これだけの規模の院内感染が発覚したということ、また今回明らかになった感染時期から推測しても、他所でも院内感染がすでに発生している可能性はあるだろう。
 事後の印象からすると、多剤耐性アシネトバクター感染の認識は明確なようだが、現実には帝京大学医学部付属病院の医師でも当初認識できていなかった。検査は容易なのだろうか?

○切替構成員 そうすると、普通の病院の検査室でも、一定の定義をきちんと持っておられて、検査技師が、ある病院でアシネトバクター・バウマニが出て、うちで分離されたということが言える状況になっているのでしょうか。
○筒井担当官 結果のところに書いていますが、我々のサーベイランスの参加医療機関のほとんどにおいて、アシネトバクター属の分離が見られています。ただ、同定に関しては難しい面もあるので、属としては同定できているところはほとんどだと思います。
○切替構成員 多剤耐性緑膿菌の場合は、かなり細かく検査技師が、「このような基準で検査した場合に多剤耐性緑膿菌ですよ」と言えるのですが、いまの現状で、病院の検査室で、多剤耐性アシネトバクターはこうだということが言える状況になっているのかを知りたかったのです。
○小林座長 一山先生、荒川先生からはございますか。
○一山構成員 それぞれの感受性同定はまず間違いないと思います。その定義が、多剤耐性として院内感染対策上、警鐘を鳴らすべきという認識が、この基準をそれぞれ持っているかというと、それは難しいと思います。
 臨床で、これも耐性だなと。例えばカルバペネムとか、こういうのは厄介だと遭遇したら思うでしょうけれども、それが、検査室から直ちに感染対策の警鐘を鳴らす基準として浸透しているかは不明だということだと思います。
○小林座長 それは保菌状態か、感染症が多剤耐性菌で起こっているかを含めての意味ですか。
○一山構成員 含めてというよりも、検査室から見た場合、これは多剤耐性のアシネトバクターだという条件。それぞれの感受性検査は同定も問題ないのでしょうけれども。
○小林座長 現場の判断が必要だということですね。
○荒川構成員 いくつかの病院から、アシネトバクターで多剤耐性のものが見つかったという相談はあります。どのような基準でその病院が多剤耐性と判定しているかは、多少ぶれがありますけれども、一般的には緑膿菌と同じように、カルバペネム系とアミノグリコシドとフルオロキノロン系に、耐性を獲得したものが出た場合は、多剤耐性と理解しています。
 ただ、2剤耐性とか、カルバペネム耐性のアシネトバクターということでも、それは単剤耐性とかありますので、病院によっては、そういうものが出た場合にも相談があって、解析をしてほしいという依頼はかなりの数が来ています。


○切替構成員 私が質問した意図は、私たちも環境調査をしたことがあるのですが、ほかのいろいろな環境菌が分離株から出てきます。特にアシネトバクターをターゲットとした場合に、よほど工夫しないと、いろいろな菌が混じっている環境からアシネトバクター・バウマニを分離するのは、かなり難しいのではないかという危惧がありました。
 結論として、滅菌したバイトブロックから出た理由は、バイトブロックにはたまたまほかの菌がいなくて、アシネトバクターだけが選択的に残っていたので出たのではないか。つまり、本当の環境中のソースがどこかについて、少し疑問を感じたので質問しました。

 議論は専門的だが、昨年秋ごろの状況では、多剤耐性アシネトバクターの検出はそう簡単なものだったとは言えないようだ。
 アイロニカルな修辞もあり、今回の事例に当てはまるものではないが示唆的な指摘が「麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか(岩田健太郎)」(参照)にある。

 新聞などで「○○大学病院で耐性菌」「○○病院でMRSAの可能性」などと報じられ、耐性菌を出した病院を悪者扱いする風潮があります。まるで耐性菌の出た病院がひじょうに不適切な医療をやっていると言わんばかりです。が、それはまったく的外れの指摘です。そういった病院は、細菌を培養して調べているから耐性菌が出ていることがわかるのであり、じつはまっとうな病院なのです。


 多くの病院では、耐性菌の有無を調べてすらいません。むしろ、最悪なのは「うちは耐性菌はまったくありません」という病院です。
 一生懸命医療に取り組んでいれば、かならず耐性菌は出てきます。出ないとすれば、その医療機関がまともな医療を行っていないか、もしくは調べていないかのどちらかです。もし警察が、「この国には犯罪者は一人もいない」と言ったとしたら、その警察は全然機能していないということでしょう。それと同じです。

 おそらく調べれば、「超高齢者」のように多剤耐性アシネトバクターの院内感染は見つかるだろうし、今後も事例は増えるだろう。その対応としてまず重要なことは、残念ながら現状ではごく基本的な院内感染削減の知見でしかないように思える。
cover
麻疹が流行する国で
新型インフルエンザは防げるのか
岩田健太郎
 感染経路の問題もあるがこれは専門的な話題になるし、市民社会側は専門家に委託するしかない。広義に感染症がどうであるべきかまで踏み込んだ議論となると、先の「麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか」で指摘されているのような根深い問題がいろいろとあり、簡素な正論ですませる大手紙社説のようにはいかない。

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2010.09.04

小沢首相後の変化予想

 票構成から見て小沢首相誕生は既定と言ってよいはずだが、最終的に決まるまであと十日、マスコミも「菅か小沢か手に汗握る」といった話題を繋ぐのにご苦労様という状況が続くのだろう。いずれこのお祭で他党はじわじわと人気を下げ、民主党を利するので、菅さんを含めて仙石・前原そして蓮舫各氏も、お祭参加は小沢沈没後の布陣に役立つという認識なのかもしれない。さて、現実問題として小沢首相誕生で何が起きるのか?
 前提は、ねじれ国会と称される参院の構成が変わらないことだ。小沢首相となっても、鳩山政権が成立したようなむちゃくちゃな暴走は生じない。構造的には誰が首相になってもレイムダックに近いような状態になる。ではどうするか。
 小沢さんは先日の記者クラブの公開討論で、他党との合意を模索すると述べた。それだけ見れば現在の菅首相と変わりはない(参照)。


そういうより大きな課題こそが、私は天の配剤だと申しあげているんですけれども、こういう中で合意形成ができると、私も30年間、国会におりますので、自社さ政権、いろいろな政権、ご一緒した方もあります。
 たとえば、子供手当ては公明党が賛成いただいて、現在の法案もできているということもありますし、やはり財政健全化についても自民党も中期目標などではわが党と一致をした意見を出させていただいておりますので、もちろん、簡単だとは思っておりませんけれども、まさに真摯に政局ではなくて、国民のことを考えて話し合おうという、その呼びかけをきちっと。既に多少の努力はしておりますけれども、させていただいたときには他の野党の皆さんもですね、国民の皆さんのことを考えて、そういう話し合いに参加をしていただけるものと思っています。国会運営についてこれ以上は何もありません。

 しかしそこはデストロイヤー小沢さん。昭和の再現のように他党を飲み込むまたは割るような攻勢に出る気配はある。

ただ、今、繰り返しますが自分たちが国民に約束した主張を実行していくためにはやはり参議院でも過半数を有するということは本当に大事なことだと思っております。このままですと、仮に民主党政権が続くとしても、もう、最低でも6年、とても6年じゃ無理だとは思いますが、9年、12年の歳月をかけないと過半数というのはなかなか難しいという結果が現実だと思っておりますし、また、われわれが政権をめざしておったからというお話がありましたが、今、自民党は政権の奪還を目指して頑張っていることだと思いますので、状況は立場は変わりましたけれども、同じことだと思います。

 言及されているように子ども手当の関連で公明党連繋が筆頭に上がるだろう。次は当然ながら、小沢さんがプリンスであった自民党への攻略があるだろう。
 だが消沈しきった自民党絡みではそれほど疑心暗鬼の状態でもなさそうに見える。小党で言えば舛添さんのところが同調しそうだし、鳩山(兄)さんはすっかりその気になっている。ただしテレビで見たところだと、小沢さんと個人的な友達であるはずの与謝野さんは批判的だった。なぜだろうか。
 リフレ関連または日銀批判で自民党中川(秀)派やみんなの党との連立が話題になることもあるが、小沢さんの頭にはその筋はないと私は思う。もっと言えばようやく装着した労組ブースターと盟友輿石の琴線に触れかねないあたり(「新自由主義」とか)はできるだけ避けるのではないか。
 つまり、政界再編は直接的な即時の動きとしてはないだろう。
 加えて、普天間飛行場移設問題についてはムネオ派遣といった話題は作るだろうが実質的なコマの動きはないだろう(米国も日本に政府があるだけで御の字の諦めに達した)。蛇足のようになるが、いろいろ関心の高い政治とカネの問題もそれほど大きな動きにならないだろう。検察側も第三幕を開けるならもう少し本丸沿いを攻めるだろうし、政局と見られることを不快に思っているようでもある。
 では小沢政権はどのあたりから動き出すか。私は予算編成だと思う。
 そもそも小沢御大が登場したのも、民主党政権へのこの部分へのいらだちが基底にある。「私は昨年の予算編成にも、今年の今までの予算編成にも携わっておりませんですので、そういう立場での発言はできません」(参照)というあたりだ。こう続く。

私一個人としての考え方から言えば、いわゆる義務的経費、22年度の予算の中でも、義務的経費と人件費を除いたいわゆる裁量的経費、政策経費とも呼ばれますけれども、これがほぼ20兆円弱あります。それからさっきも申し上げましたが、介護や国保(国民健康保険)やその他でもって、地方に交付しているお金が12、13兆円あります。すなわち30兆円以上の政策的な経費があるということであります。

 予算捻出に失敗した事業仕分けをよそに、小沢さんは30兆円強取得の可能性を見ている。その内には地方交付の12兆円がある。

これを全部、別に半分にしろといっているわけではありません。ものすごくわかりやすくいえば、旧建設省、国交省の関係でいいますと、公共事業費だけで5兆円あります。それに地方財源といわれている消費税の2兆何千億っちゅうのは、地方財源とは名ばかりで、3千億は市町村のいわゆる自主的な財源になっていますけれども、あとの部分は全部直轄の裏負担として取り上げちゃってるんです。ですから、全然これ、地方で自由に使えないお金なんですよ。ですから、そういうのを加えると、さらに大きくなります。


民主党の調査、かつてやったときも、首長さんたちは自由に使えるお金をもらえるんならば、今の補助金のトータルの7割で、今以上の仕事を十分やれるという答えが出ております。で、また私の親しい首長は本当に自由に使えるんなら、半分でも今以上にいい行政ができると言っています

 あえて粗野に受け取れば、国側つまり官僚の軛を外したカネなら、半減しても大丈夫だろうという理屈である。昔ながらの小沢さん持論ではあるが、というか、これ、田中角栄の再来である。

地方に落ちるカネは、表面上は減りますけれども、実質的には増えるっちゅうことです。そして私は、たとえば高速道路も都道府県で作れるようにしようというのをこのメモで提案をいたしております。中央でもって全部やれば、結局大手の企業が全部受注して、そのお金は全部中央に集まります。ですから、地方では全然お金が回らないんですよ。だからそれを都道府県で、私は高速道路もつくらせる仕組みをやったらどうかと。そして、それを国が支援すると。私は無利子国債で補填するという気持ちで、考えでいますけど、そうすれば地方に実質的に回るお金っちゅうのは非常に増えるんですよ。

 地方への、もっと露骨に言えば、地方土建中心のバラマキをやるということだ。ネオ田中角栄主義である。削減された「大手の企業」は念頭にない。
 小沢さんにとって民主主義というのは自政党を利する利益集団にバラマキをすることで、政治というのはその集団の党争でしかない。それはそれで、そういうものかというのはあるだろう。
 地方主権の名のもとに減額されたヒモなし金のバラマキは実施されるだろう。そしてひねり出すのは6兆円くらいだろうか。
 問題は、政策経費の20兆円側に手を突っ込むぞという宣言がされているが、それがどのように実施されるかはわからない点だ。構造からすれば、官僚との対決で大衆喝采を得てその背景で他党も飲み込むという構図を描きたいのだろう。
 現時点で予想されるもう一つの変化は、菅・仙石・前原・岡田といったラインに適当に冷や飯を食わせつつも、民主党は一種の独裁党になることだ。政調を廃止にするからだ。小沢さんの理屈では政調がなくても政策会議があるとしているのだが。

私が政調会というものをやめるべきといったことは、事実ではありますし、いまなお、そう思っております。それにかえて、政府与党一体という観点で、政策会議というのを設けました。その政策会議には部署別に、各省庁別に誰でも参加できると、ある意味でその政調部会の役割も果たしていくということで設けられたものであります。
 その運営がですね、副大臣や政務官が大変忙しいということもあったやに聞いておりますけれども、ただ単に、形式的な形におわってしまって、本当に政策論議が全員参加でやれる状況じゃなかったということは実態のようでございます。
 ですから、最終的にその政策会議の副大臣、政務官だけじゃなくて、各委員会の理事の人も一緒に入って、党と政府の両方がその運営について相談し合いながらやろうということに私、たぶん、まだ、幹事長のときに提案をいたしまして、それが軌道に乗り始めた矢先であったように思っております。

 ようするに隣国のように党側からの一元コントロールになるということだ。鳩山政権時の暴挙としかいいようのない議論不在の強行採決の連発や、党側要求とやらによる混乱で、そのからくりにはうんざりさせられたのでよくわかる。
 「民主主義」という言葉はデモクラシーの誤訳に近い。本来は「民主制度」である。人びとの政治参加をどのように可能にするかという制度だが、実質の制度側から見れば、できるだけ権力をバランスさせる仕組みだ。民主主義は大衆迎合から独裁政治を産みやすい本質がありそこが課題になる。
 現下の党首選が最たるものだが民主党は国民不在の党内政治に没頭している。党内ですら実質的な対話は失われ、独裁党に変わりつつある。それが大衆迎合をテコに政治を動かそうとすることになるだろう。
 ネオ田中角栄主義は大衆迎合として機能するだろうか。
 労組とマスコミが一生懸命に騒いでも、実際の利益構造の点からすれば、日本はすでに都市民が主体になっている。地方主権の名のもとに配分されたカネは実際にはさらなる地域格差となるだろう。政策経費から10兆円のカネをひねり出したとしても、それもただ労組・公務員といった利益集団を基本としたバラマキに終わるのではないか。ネオ田中角栄主義は単なる田中角栄主義のアナクロニズムに終わるのではないか。

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2010.09.02

[書評]日本語作文術 (中公新書:野内良三)

 タイトルが冴えないけど「日本語作文術 (中公新書:野内良三)」(参照)は良書だった。文章読本の系統では新しい古典になるのではないか。レベルは一般向け。高校生が読んでもよいくらい。大学生や新社会人も読んでおくと、一生のお得。悪文を書き連ねている私がいうのもなんだけど、これ読むと、それなりに文章がうまくなることお請け合い。

cover
日本語作文術
野内良三
 文章読本は数多くある。ありすぎる。人それぞれ信奉する良書もある。なので、どれが良書かという議論は、ご宗教みたいな話に堕しがち。どうぞご勝手に。私はある時期からあまりこだわらず、そのときおりの文章読本を時代を読むように読むようになった。文章読本自体を楽しむという趣向では「文章読本さん江 (ちくま文庫:斎藤美奈子)」(参照)のような冷めた感じだ。文章というのは多面的で一冊の文章読本ですべてを言い尽くせるものでもないし。
 それでも信奉書に近いものはあって、平凡だが二冊。「日本語の作文技術 (朝日文庫:本多勝一)」(参照)と「理科系の作文技術 (中公新書:木下是雄)」(参照)である。この二冊はすでに、実用的な文章を書く技術の解説書としてはすでに古典の部類だろう。
 で、本書、「日本語作文術」なのだが、この二冊のエッセンスを含んでいます。なのでこっちのほうが簡便。しかも、読みやすい文章の構造について、この二冊をより合理的に実用的に考察している。私も各所でへえと思った。
 「日本語の作文技術」だと、ある原理(特に句読点の規則)に到達するまでの思索過程がちとうるさいし、その過程を合理化するためにちょっと無理な議論もある。「理科系の作文技術」はそれ自体独自の味わいがありすぎて冗長と言えばみたいな感もある。対する本書だが、陳腐だけど普通にわかりやすい文章を書く技術に徹している分だけ利点がある。
 じゃあ類書をまとめたものなのか? そうではない。やや意外な創見から発している。日本語の文章を外国語のように学ぶという視点である。著者は仏文学者で、また大衆的な小説の翻訳に苦慮した経験から、日本語の達文を学ぶには外国語のように学べばよいとした。なるほど。
 そもそも日本語の文章というのは多分に欧文の翻訳文なのである。文学者丸谷才一がその「文章読本」(参照)で、文章読本の古典中の古典、谷崎潤一郎の「文章読本」(参照)を評し、谷崎のいう文章は翻訳文のことだと喝破していた。井上ひさしの「自家製 文章読本 (新潮文庫)」(参照)でも同種指摘されていた。近代日本語、とくに文章の日本語というのは一種擬似的な翻訳文から出来てきた経緯がある。だったら、その仕組みに素直に注目すればよいのではないか。
 そこで本書では、日本語の基本構造をまず簡単に提示している。なましっか言語学など囓ったことがない仏文学者らしいすっきりとした構造である。言われてみれば、ああそうだと納得せざるをえない。そこから、さらに「言われてみればそれもそのとおり」の原則が引き出される。一言でいえば、意味のまとまりのある文節を長い順から並べると、文章は読みやすくなる、というのだ。こんな例が挙がっている。

  1. 彼は友人たちと先週の日曜日に桜の名所として知られる吉野を訪れた。
  2. 桜の名所として知られる吉野を先週の日曜日に友人たちと彼は訪れた。

 どっちが読みやすいか。たぶん、(2)のほう。その原理はというと、意味のまとまりのある文節を長い順から並べただけ。
 なぜそうなるのか。あるいは「いやあ、私はそうは思わない」ということがなぜ起こるのかも本書に書いてある。そしてその原則から句読点の規則も整理されている。
 他にも、「そうこれなんだよな」と思ったのは、いわゆる翻訳文にありがちな無生物主語文とそうではない文章の変換構造の説明だった。これね。

  • 世界の人口増加が食糧補給の問題を提起している。
  • 世界の人口が増加したので食糧の補給が問題になっている。

 感心したのは、無生物主語文への変換も等しく薦めている点だ。現代日本語、とくにビジネス文章などでは、無生物主語文を使ったほうがわかりやすく書けるものだ。当然だけど、日本語翻訳者にとってもこうした本書の知見は便利だろう。
 総じて日本語の文章論について、よくここまで考察してまとめたものだなと思う。「は」と「が」の議論も面白い。特に主題提示の「は」が文を超えるという議論は、いちおう言語学では文脈論的に指摘されてはいたものの、文章論として読むと新鮮な感じがあった。
 じゃ、文章技術論として本書が満点かというと、議論に錯綜した部分はある。それと、筆者が修辞に詳しいため、修辞学のネタをお得に混ぜているのだが、その部分が仇ということもないけど、やや混乱した印象を与えている。
 「文章は単文がよい」といった「The Elements of Style」(参照)以来の因習も踏襲している。日本語の文章はかなりの構成要素が省略可能だから、省略をもって文章を単文にしてもわかりやすい文章になるわけねーだろ。だが、文章読本にはこの手の因習が多いものだ。ちなみに、受け身文はよくないルールも「The Elements of Style」がネタもと。これはこれで英文書くには基本なんだけどね。
 上手な文章を書くための何箇条みたいなつまらんネタが、はてなブックマークなどでたまに人気になるけど、本書一冊読んだほうがよいと思うな。ついでに近年の同種の一冊挙げると、若干陳腐だけど、「文章力の基本(阿部紘久)」(参照)もためになった。

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2010.09.01

父と子の対話ということ

 全共闘世代の父とその息子さんとの対話。その書籍化に触れた先日のエントリー「[書評]お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!(加納明弘、加納建太)」(参照)で私は、全共闘世代の父の側に共感をもった。私のメンタリティーがどちらかといえば全共闘世代に近いからである。しかし書籍の帯は、父と子が対話することに力点が置かれていた。書籍として狙ったものはそこだったのだろうし、全共闘世代の父と子の対話というのは現実には少ないからなのだろう。後書きにも、父と子が対話できるなんてうらやましいと寄せられた言葉の紹介もあった。
 現在老人となる全共闘世代、広義には団塊世代が、父として子に語ってきたかと問うなら、おそらくあまりそういうことはなかったのではないか。そして日本のいわゆる失われた10年に三十代半ばとなる子からも、父に青春の時代を問うということはあまりなかったのではないか。
 親子だから語れない。そもそも親子とはそういうものであるといえるし、父と子というのはいっそうそういうものだとも言えるかもしれない。一般論としては。
 私は先の書籍が父と子との対話であるというなら、本当は、父の恋愛体験を語ることが先決ではなかったかと思っていた。息子に向かって「君のお母さんに私はこう恋をした」ということを語るべきではなかったか。子はそうした関係から生まれてきたものでもあるし。
 もちろん、そんな家族的な、個人的な話など書籍になるものではないというのもあるし、あの書籍では、父としてはまず1960年代という時代を語ることをテーマにしていた。しかし仔細に読めば、後書きにもあるように、父のご夫妻の関係は問われていたし、子供たちの恋愛体験への陰影も感じられるものだった。さらに「もちろん」というなら、けして親の恋愛というものはよりより人間の関係という美しい話にもならない。
 そう思いつつ、1984年から1985年に日本テレビで放映されていたドラマ「名門私立女子高校」のことも思った。南野陽子のデビュー作であるが、彼女の印象はそれほど強くはない。ドラマの物語は、妻に離婚されたうだつの上がらないダメな中年男の教師が若く俊英の女性教師と最初敵対しそして恋に落ちる話である。男を西田敏行が演じていた。
 いくつも印象的なシーンがあるが、その一つに、彼が娘に語る彼のバリケードのなか恋の話である。そしてその恋から娘が生まれる。娘は母親から父がどんなに勇敢だったかと聞かされていたが、おそらく物心付くころから男はダメになっていた。
 もう一つの印象的なシーンがある。もう一人老いたダメ男の教師が語る昔の恋の物語である。命をかけて恋人をさらったというのが、彼の人生の最高の出来事だったというのだった。
 恋愛の思い出がその後の人生を支え、その思いへの立ち返りから人が再生する。そうした物語であった。だが実際の人生は皮肉である。この物語には脚本家の林秀彦の体験が滲んでいるが、彼自身の人生のその先にあったものは苦いものだった。
 先の全共闘世代の父は1946年生まれ。ドラマのダメ教師が40歳だったとしたら1946年生まれ。ほぼ同じ年代に、1948年生まれのキャット・スティーヴンス(Cat Stevens)がいる。彼は1970年のアルバムで「父と子(Father and Son)」を歌った。


<父>
It's not time to make a change,
Just relax, take it easy.
You're still young, that's your fault,
There's so much you have to know.
Find a girl, settle down,
If you want you can marry.
Look at me, I am old, but I'm happy.
今は変革の時代ではない
肩の力を抜き、気を楽になさい
おまえはまだ若い。それが欠点だ
おまえはもっと知らなければならないことがある
女の子を見つけて、落ち着いて、望むなら結婚もできる
わたしをご覧。老いてはいるが幸せだ

I was once like you are now,
and I know that it's not easy,
To be calm when you've found something going on.
Take your time, think a lot,
Think of everything you've got.
For you will still be here tomorrow,
but your dreams may not.
私もおまえのような時期があった
物事が変わっていくとわかっているのに
じっとしているのが難しいのはおまえもわかっている
でも慌てるな。もっと考えなさい。
なにを手にしてきたか
おまえは明日もここに居ることができるが
おまえの夢は消えているかもしれない

<息子>
How can I try to explain,
'cause when I do he turns away again
It's always been the same, same old story
From the moment I could talk, I was ordered to listen
Now there's a way
and I know that I have to go away
I know, I have to go
なんども説明しようとした
説明するたびに無視される
いつも同じ事の繰り返し、そればかり
ぼくが話そうとすると、「まず話を聞け」と言われる
もうぼくの未来は
遠くに行くことしかないとわかったんだ
ここを去るしかないんだ



 キャット・スティーヴンス自身は息子の思いに立っていた。そこからは父は世界に馴染みきった大人にしか見えない。その父の青年期に「[書評]私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった(サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー): 極東ブログ」(参照)のような戦争があったことは知識としてわかっていても、その体験は父から息子にはうまく伝えられていない。
 キャット・スティーヴンスはその後、仏陀を歌うアルバムを出し、そしてイスラム教に改宗し、ユスフ・イスラム(Yusuf Islam)となった。かつての父の年になった。そしてどこに行ったかのかを歌った。"Heaven, Where True Love Goes(天界、本当の愛が向かうところ)"。

The moment you walked inside my door,
I knew that I need not look no more.
I've seen many other souls before - ah but,
Heaven must've programmed you.
きみがぼくの扉の内を歩むとき
これ以上気を張る必要はないとわかった
ぼくはきみに会うまでたくさんの人に会った
でも神様が用意してくれていたんだ

The moment you fell inside my dreams,
I realized all I had not seen.
I've seen many other souls before - ah but,
Heaven must've programmed you.
Oh will you? Will you? Will you?
きみがぼくの夢の中にすべりおちたとき
ぼくは何がわからなかったかわかった
ぼくはきみに会うまでたくさんの人に会った
でも神様が用意してくれていたんだ
そうでしょ? ねえ?

I go where True Love goes,
I go where True Love goes.
本当の愛が行くところにぼくは行こう
偉大なる愛が行くところにぼくは行こう



And if a storm should come and if you face a wave,
that may be the chance for you to be saved.
And if you make it through the trouble and the pain,
that may be the time for you to know His name.
嵐が来て波が立ちふさぐなら
それはきみが救われるチャンスになる
苦しみと痛みを超えるなら
そのときにきみは誰が神かを知るだろう


 たしかユスフには息子はない。スカーフをまとう娘は写真で見たことがある。彼は神を語ることで自分を変えてしまった恋を語っているのだろうが、父としてうまく語っているかはよくわからない。父と子の対話というものの、本当に難しいなにかがあると思う。
 でも、私はちょっと勘違いしていたかもしれない。エントリーを書きながら、YouTubeの「父と子(Father and Son)」で、自分には父がいなかったというコメントを見た。ある時代以降、この歌は、父というものへの、ある懐かしさから歌われていた。私自身についていえば、ユスフの生き方に心落ち着かせるものがあった。

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