牡牛供犠:トーロクトニー(Tauroctony)とタウロボリウム(Taurobolium)
ミトラ神による牡牛供犠(Tauroctony)についてもう少し言及しておきたい。
古代宗教であるミトラ教(ミトラス教)では、ミトラ神による牡牛供犠の図像・レリーフは、おそらく最終的な密儀に関連しているのだろう。これはローマ時代からよく見られた。そこではミトラ神はフリジア帽によって識別される。背景には太陽と月の神格と思われる神像も配されている。

ミトラ神レリーフ、2-3世紀
牡牛供犠のアイコニックなモチーフは占星術(参照)と統合されていく。

Fresque Mithraeum Marino
ローマ帝国時代のオリエント宗教をまとめた「ローマ帝国の神々―光はオリエントより (小川 英雄)」(参照)では、牡牛供犠(Tauroctony)と占星術の関連についてこう言及していた。
この神聖な行為(キリスト教の磔刑に相当する)は、宇宙的な規模で行われた。洞窟自体が宇宙を象徴しており、牛殺しの行為は太陽、月、七惑星、黄道十二宮がその瞬間を表していた。
その永遠はいくつかのミトラス教図像で天文学的占星術的に表されている。すなわち上述の星たちは神殿内部の天上や壁に描かれているばかりでなく、ミトラスの青い外衣にも星が記されている。
では当然ながら、ミトラ神が牡牛を供犠することにも占星術的な意味が存在するはずである。それどころか、おそらく占星術的な各種シンボルのなかで最も主要なシンボルであるはずだ。昨日のエントリ(参照)では、話が煩瑣になることもあり言及しなかったのだが、それで済むわけもないと思い返した。その意味については、同書にもあるので引用しておこう。
引用の文脈としては、ヘレニズム時代の小アジア諸王家におけるミトラ神信仰とローマ帝国で普及したミトラス教の密儀との差違がある。簡単に言えば、なぜローマでミトラス教は密儀化したのかということである。ただし、引用部はこの問いに十分に対応していないようには思えるし、私は同書とは違った考えを持っている。
第一の問題については、キリキアの首都タルソスの知識人たち、とりわけストア派の哲学者たちの活動が指摘されている。ここではミトリダテス王と同じように英雄ペルセウスが崇拝されていた。当時の天体図では、ペルセウスは後のミトラス神と同じくフリュギア帽(三角帽)をかぶり、牡牛に向かって刀を振りかざしていた。このペルセウスがペルシア伝来の神ミトラスと同一された。他方、当時の天文学によれば、歳差(天界の南北軸のゆらぎ)が牡牛座から牡羊座に移動したことによる新時代の到来が祝われていた。それゆえ、ミトラスと同一されたペルセウスは、牡牛を殺すことによって新時代を到来させたと考えられた。こうして、最新の天文学の知識とミトラスの崇拝が結びついて、ミトラス教の最重要な教義、すなわち、牡牛を殺すミトラスが新時代をもたらす、という信仰が形成されたのである。
タルソスの知識人というところで聖書の背景知識を持つ人には当然思い当たることがあるはずだが同書では、敢えてであろうが該当文脈においては、その言及はない。
「ペルセウス」は、名前からも連想されるように、「ペルシアの者」であり、フリジア帽を被り、ミトラ神と同一視されるという前提があるが、それよりも、この牡牛供犠(Tauroctony)自体が、コスモロジー的な象徴として原点を持っていた点が重要になる。ただし、後にタウロボリウム(Taurobolium)で触れたいのだが、牡牛供犠が先行しそれに天文学的な意味づけがあったとも考えられる。この点については同書では、アイコニックなモチーフとしてはギリシア神話のニケ女神による牛の殺害との関連を見ている。ニケ神による牡牛供犠のモチーフが先行していたのだろうという示唆なのだろうが、それほどには説得力はないようにも思える。
牡牛供犠の図像学的な解釈で私によくわからないのは、天界の南北軸の揺らぎなるものが実際にあったのだろうかということだ。それがあったなら(現代天文学的に確認できるなら)、牡牛座から牡羊座に移動するという発想は理解できないでもない。また、同書では、そうした天界の変化がコスモス(宇宙)で過ぎ去ったことして語られるが、なぜその過去の天界の歴史が密儀の中核となるのかについても、私には理解できない。
牡牛供犠、トーロクトニー(Tauroctony)がローマ時代の密儀宗教としてのミトラス教の教義及び儀式の中核であったとして、では実際に、密儀で牛は殺されていたのだろうか。この点について、同書では、ローマ時代のミトラス教の神殿構造から、存在しなかっただろうと推測している。代わりに、キリスト教的な聖餐があっただろうと推測している。加えて、その時代、このミトラス教の聖餐はキリスト教の模倣でないかとの非難があったことも言及している。だが、私はそれは逆かもしれないという疑念がある。
キリスト教との関わりでは、同書ではマゴイについて次のような言及をしているが、キリスト教との関わりの推測は、これも敢えてであろうが、含まれていない。
ヘレニズム時代小アジアにおけるこのようなミトラス神崇拝の流布の背後には、ヘロドトスが伝えるペルシアの祭司部族マゴイ(マギ)の小アジア進出があった。
他方、コマゲネ王アンティオコス一世(在位前六九-前三四年)の長大なギリシア語碑文が、ネムルッド・ダーの禿山の山頂に見出されているが、そこでは他の神々とともに、ヘリオス、ヘルメス、アポロンと同一視されたミトラスが言及されており、王自らミトラスと握手する彫像も残っている。このような王家のミトラス崇拝には、マゴイが祭司をつとめていたと思われる。

アンティオコス一世とミトラ神
マゴイ(マギ)は、昭和訳聖書(マタイ2:1)では「博士たち」と訳されている。
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。

7世紀・ビザンチンで描かれたマギ(東方の博士)
フリジア帽子を被っている点に注目
ミトラ神とマゴイの背景からすれば、イエスはミトラ神と同一視されているというメッセージにしか読めないのではないか。
ローマ時代のミトラ教における、牡牛供犠つまりトーロクトニー(Tauroctony)が象徴的であったというのは同意しやすいものの推測でしかない。これらが実際に行われていた可能性はないのだろうか。
ここで当然連想されるのは、もう一つの牡牛供犠であるタウロボリウム(Taurobolium)である。同書では、小アジアの神々の項目でプルンデンティウスの長詩から解説しているが、不思議なことにミトラス教との関連への考察はない。
それによると、深い穴ぐらがキュベレやアッティスの聖域に掘られ、信者の一人がそこに下りる。その上に木材を組み合わせて作った板がわたされる。この板にはいたるところに穴があけられてる。その上には猛々しい牡牛や牡羊が引き出される。神官たちは、こうして引き出された獣を死にいたるまで切りつける。板の穴からは獣の血がしたたり落ち、穴のなかの信者はその血を全身で浴び、真っ赤になる。
HBOとBBC共作のROME [ローマ](参照)で現代風の映像によって、タウロボリウムが再現されている。幸せをもたらすめでたい儀式なのだが、見方によってはけっこうグロいので再生は自己責任でどうぞ。
牡牛供犠であるタウロボリウム(Taurobolium)は、広範囲に実施されていた。
タウロボリウムとクリオボリウムは二世紀以降にまずイタリアのオスティアやポズオリで行われ、すぐにローマのヴァチカヌス丘にあったフリギュア神の聖域でも催されるようになった。その場合、個々の信者のためばかりでなく、皇帝や宮廷の安寧のためにも挙行された。この行事が記録された多くの祭壇が、イタリア各地のほか、スペイン、フランス、北アフリカなどの属州で発見されている。
同書では、これもなぜか言及していないが、常識的にも、「ああ、それがスペインの闘牛の起源なのではないか」と連想するだろう。おそらく、その連想は正しいだろう。そして、ミトラ神のトーロクトニー(Tauroctony)のマントにも連想は及ぶだろう。
タウロボリウム(Taurobolium)は、同書ではミトラス教との関連は問われていないが、「フリギュア神の聖域」といえばミトラ神を想起しないわけにはいかない。
だが、「キュベレやアッティスの聖域」とあるように、ここで登場する神はキュベレ神でありアッティス神である。彼らはどのような神なのか。この点は同書に基本的な解説がある。
ローマ帝国の最初の支配者たちはユリウス・クラウディウス家に属していたが、彼らはトロイ出身のアイネイアスの子孫を称したので、トロイ知覚のイダ山の女主人である太母神キュベレを尊重し、国家公認の神とした。

キュベレ
「アイネイアスの子孫を称した」については映画トロイのエントリ(参照)でも言及した。トロイのアポロンがミトラ神の習合であるなら、キュベレ神・アッティス神にその関連はあるだろう。なにより、これらの象徴はすべてフリギュアのフリジア帽で統一されている(参照)。
キュベレ神・アッティス神の神学はローマにおいて追究された。
たとえば、哲人皇帝ユリアヌスにとって、キュベレは「全生命の女主人であり、あらゆる生成の原因者」であり、アッティスはその下で生命界の創始者(デミウルゴス)である。他方、哲学者ポルフュリウスによれば、アッティスの自己去勢は、物質界をこれ以上増大、増加させないためのものである。アッティスはこのようにして、地上での生成を停止させ、霊魂を天界へと上昇させる。三月の大祭はこのような救済活動にほかならない。
教父たちはこの教えを復活祭と混同しないように戒めたという。だが、無理だったのではないか。復活祭の起源はキュベレ神・アッティス神の信仰によるものだろう。また、キュベレ神は聖母マリアであろう。もちろん、批判はあった。
キュベレとアッティスの崇拝は紀元五世紀になっても、ひそかに続いていた。キリスト教の神学者は、神の母マリアと神々の母キュベレの混同を戒めている。
キリスト教を神学なり教義の側から見れば、それは異教と区別できるものだろうが、その現実の信仰はどうだろうか。
占星術を駆使するミトラ教神官によって王と確約されたイエスは、人間の罪の贖罪の仔羊として牡牛供犠のように血を流した。そして、信者はその血を飲み、その血で清められ復活を期待するというのがキリスト教の実際ではなかったか。
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コメント
牡牛供儀の理由は、単に、牛が最高価値の財産だったから、神様に供養されたのだと思います。牝牛を殺してしまったら、財産全滅だから牡牛という話。
日本でも、神様にお酒とお水とお塩をおもりするのは、すっぱくない酒や飲める水や色の白い塩が生活上貴重極まりなかったから神様にささげるのです。なかなか手に入らないものは貴重なのです。お灯明だって、現代と違って、昔は、ろうそくは高価で貴重なものだった。
現代の神頼みは、最低5000円くらい支出して献穀でもしないと、効果は小さいと思います。自分にとって大切なものを神様やご先祖様にささげるのです。お経読むのだって、暑い中や寒い中で読まないとあまり功徳はありません。大変な思いをして神頼みしない限り、神様に声は届かないのです。そういうものです。
投稿: enneagram | 2010.08.18 13:06
期待どおりの展開ありがとうございます。このペースでじっくりとお願いします。マギというのはペルシアの祭司部族でしたか。キリスト生誕の時の三博士のこととは知っていましたが(あと、O.ヘンリー)。
投稿: richmond | 2010.08.18 22:25