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2010.08.13

なぜ月遅れ盆なのか?

 先日ツイッターで、なんでお盆が八月中旬なのか、七月の地域もあるのか、という話題があり、八月のほうは月遅れ盆で、七月は新暦のお盆ですよ、とツイートしたものの、月遅れ盆と旧暦のお盆の違いがうまく伝わらないふうであった。日本では、大きく分けて三種類のお盆の時期がある。(1)旧暦七月、(2)新暦七月、(3)月遅れ盆(八月)である。一番多いのが月遅れ盆で、お盆といえばほぼ月遅れ盆ということになっている。なぜ月遅れ盆が一般的になったのか?
 お盆のことをネットで調べてみて、そのあたりのことがとんとわからなかった。いちおうウィキペディアにはお盆の項目があり、多少言及がある(参照)。


伝統的には、旧暦7月15日に祝われた。日本では明治6年(1873年)1月1日のグレゴリオ暦(新暦)採用以降、以下のいずれかにお盆を行うことが多かった。
 1. 旧暦7月15日(旧盆)
 2. 新暦7月15日(もしくは前後の土日)
 3. 新暦8月15日(月遅れの盆。2.を主に祝う地方では旧盆とも)
 4. その他(8月1日など)
しかしながら、明治6年(1873年)7月13日に旧暦盆の廃止の勧告を山梨県(他に新潟県など)が行うということもあり、1.は次第に少数派になりつつあり、全国的に3.(月遅れのお盆、旧盆)がもっぱらである。岐阜県中津川市付知町、中津川市加子母は8月1日である。現在の報道メディアでは、多数派である8月中旬(3.)を「お盆」と称するため、「お盆」というと月遅れのお盆を指すことが全国的になりつつある。ただし、沖縄県では現在でも1.の旧暦による盆が主流である。そのため、お盆の日程は毎年変わり、時には9月にずれ込む[2]。なお、旧暦での盆を旧盆というが、一部の地方を除いて通常、新暦での盆は新盆[3]とは言わない。新盆(にいぼん)は別の意味となる。

 間違ってはいないのだが、「なぜ」に対応すべき知識を示唆する内容ではない。他のサイトでもそれほど情報もなく、またブログなどでも考察は見かけなかった。どこかに適切な情報や考察があるのだろうが、うまく辿り着かない。最近、インターネットで情報を調べると同じような薄い情報のコピーが多いと思うようになったが、その典型のようにも思えた。
 まず明確なところを整理すると、お盆は本来旧暦で行うものである。これが原点だが、明治6年(1873年)、近代日本がグレゴリオ暦を新しい暦法として採用して以降、各種の民間行事を新暦に移し替えた。
 典型的なのが正月である。興味深いのが春節で、明治以降、日本は中国文化の影響を受けた圏内ではめずらしく春節を軽視しているが、これは、おそらく建国記念の日が春節の亜種であるためだろう(参照)。
 私は沖縄暮らしの経験で知ったのだが、沖縄も琉球処分(1871年)の結果でもあるが内地流に新暦が推進されて、沖縄でも旧暦の正月を新暦にしようということになった。新正運動という名称だったか、方言札のような社会運動として推進された。しかし、沖縄の場合、各種の行事が綿密に旧暦で組み立てられていて、そう簡単には新正は定着せず、おそらく内地の戦後も米軍統治下で内地の影響がある程度遮断されたこともあり、現在でも漁村では旧暦の正月が基本である。もっとも、概ね新正に移行したとも言えるが、それでも旧正月の日のテレビ番組は正月番組でコテコテになっている。
 推測なのだが、おそらく内地における新正月採用もそうした一種皇民化政策のように推進されたのではないだろうか。ウィキペディアでは山梨県・新潟県における旧暦盆廃止の挿話を引いているがその名残であろう。
 ここで話が細かくなるが、私の両親は信州人で水木家の家庭が鳥取文化のように私の家庭は長野県文化なのだが、信州のお盆は旧暦であった。昭和30年に東京に出てきた私の両親は東京の新暦盆に戸惑っていたようだった。
 そしてここが重要なのだが、8月の月遅れ盆には私の家族は信州に帰るのである。私は高校生になるくらいまで毎年盆と正月は信州で迎えていた。おかげで自分は信州人だと思わざるをえない。このずくなし。
 同様の行動パターンをしているのは昭和30年代以降に東京に出てきた労働者たちだ。この労働者の大半は工場労働者であり、効率的に工場を止めるためにも八月中旬がよかった。つまり、月遅れ盆は、東京に出てきた労働者を帰省させることがもっとも重要な意味であったのだろう。この風習は、おそらく江戸時代から奉公人は盆暮れの休みがあったことの継承ではないだろうか。
 当然ながらお盆ということで地方に帰省した労働者は、主に長男以外の資産継承から外された人びとがそれでも血族を確認するための風習であった。
 沖縄の話に戻ると、沖縄では当然ながらお盆は旧暦である。墓参りはしない。しない理由はうちなーんちゅには当たり前すぎることだが、内地の人にはほぼ通じないだろう。あえて解説はしないことにするが、沖縄のお盆は、シチガチ(七月)であり、シチガチといえばシチガチエイサー待ちかんてぃである。

 この映像は新宿である。子どもが手にしているタンバリンのような太鼓はパーランクーである。沖縄の幼稚園児はたいていエイサーをやらされるので子どものいる家庭ならかならず一個か二個パーランクーがある。

 いかにも沖縄の伝統のように内地からは見えるのだが、この原形はおそらく内地からの伝承であろう。念仏廻り(にんぶちまーい)とも呼ばれることからも推測される。現在の福島県に生まれた浄土宗の僧袋中(1552-1639)が渡明失敗後、琉球に漂着し、そこで尚寧王の歓待を受け、浄土教を広めた。その折りの念仏行事が原形であろうといわれる。ただし、琉球の浄土教の興隆はもう少し時代が古いので袋中以前にも念仏廻りがあったのではないか。なお、現在のエイサーの華々しさは当時のものではないようだ。
 お盆自体の起源についてはよくわかっていない。枕草子に「右衞門尉なる者の(中略)人の心うがり、あさましがりけるほどに、七月十五日、盆を奉るとていそぐを見給ひて」とあり、平安時代には定着していたのだろう。名称的には、盂蘭盆の省略とされる。伝承は中国からで、梁の武帝の時代にはあったようだ。
 日本のお盆は日本の習俗と習合し、さらに戦後は戦没者追悼の風習とも習合していき、八月になるとなにかと終戦を想起するという一種の国民宗教行事のようなものになった。
 盂蘭盆は仏教行事のようにいわれているが、近年では否定的な見解が多い。ウィキペディアでもその説が書かれている(参照)。


 盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で、古くは「烏藍婆拏」「烏藍婆那」と音写された。「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の意味があると言われ、これは倒懸(さかさにかかる)という意味である。
 近年、古代イランの言葉で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)が語源だとする説が出ている。サンスクリット語の起源から考えると可能性が高い。古代イランでは、祖先のフラワシ(Fravaši、ゾロアスター教における聖霊・下級神。この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在。

 ウィキペディアではこれがインドに入ったと続くが、「古代イランの言葉」はおそらくソグド語であり、ソグド人の交易と一緒にステップルートで中国に伝わったと考えたほうがよいように私は考える。当然ながら、これは拝火のゾロアスター教の神事であり、お盆の火もその名残かもしれない。余談だが、ミトラ教はゾロアスター教である。
 盂蘭盆は中国では中元節つまり鬼節となる。地獄の扉が開いて飢えた鬼(Hungry Ghosts)がやってくるということだ。

 日本のお盆も、いわゆる盆踊りなどをともなって興隆するのは江戸時代からのようで、その当時の祭りはかなり華々しいものもあり、鬼神の異界を堪能する華僑圏の文化の影響もあったのではないかとも思われる。
 むしろそれが現在のように祖先信仰や鎮魂といったお盆に変換していくのは、近代日本が作り出した新しい国家宗教化の一環ではないだろうか。靖国神社も大祭は春秋であり、その折りに詣でるのが自然に思われるが、戦後はお盆と習合してしまったように見える。

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コメント

琉球処分の年号まちがえてませんか? いくらなんでも1971年じゃないと思いますが。

ところで「月遅れ盆は、東京に出てきた労働者を帰省させることがもっとも重要な意味であったのだろう。この風習は、おそらく江戸時代から奉公人は盆暮れの休みがあったことの継承ではないだろうか。」というのは、つまり「薮入り」のことを指してるんだと思いますが、平凡社世界大百科事典初版(1967年)で「薮入り」をひくと、
1)「薮入り」とは盆と正月の十六日を奉公人の公休日として、遊んだり草深き田舎に帰省する意味だとかあるが、まず言葉が先にあり、解説はあとから出来たものらしい
2)「薮入り」の風習は、あちこちの地方では嫁が実家に帰るものもある
3)長崎の西彼杵半島では、山の神が正月と盆の16日に付近を歩くので神に会わぬように労働に出ず家にこもるという風習がある
4)盆と正月の16日とは、1年を折半した月の、それぞれ満月の翌日で、古来年中行事の上で重要な祭日だった名残ではないか
5)2と4と合わせて考えて祖霊祭、先祖祭の日で、家や土地を出たものが皆帰ってくる風習があったのではないか

というようなことが載ってます。

16日っていうのは、月相でいうなら、新月から始まる朔、満月の望、新月に終わる晦、という流れでいうと十六夜の十六なので、なにかあるのかもしれません。いまの暦で言う盆の十五日、というのは満月、もしくはピーク、中日的意味合いの十五夜の望月にからんでるのかもしれません。もしかして十六夜がらみかもしれませんが。


 

投稿: とおりすがり | 2010.08.13 22:13

琉球処分の年を訂正しました。

投稿: finalvent | 2010.08.14 06:49

月遅れ盆にしたのは日本人の国民性ががいい加減だからなだけでしょう。七夕を8月7日にやる地方もあります。北日本には。

盂蘭盆は、仏教経由で入ってきたけど、日本のお盆は、仏教とは本来無縁の民俗行事です。立春のころの旧暦の正月(年初の新月の日)に対して、立秋のころの旧暦の7月15日(年の真ん中の満月の日)も祭日にしただけのことだと思います。お盆の民俗行事を、浄土真宗は、本来の仏教行事ではないとして拒否しています。

なお、靖国神社のお盆は、新暦7月のみたままつりで、終戦記念日ではありません。終戦記念日は勝手に参拝者が騒いでいるだけです。

投稿: enneagram | 2010.08.14 08:57

与太話として

八月十五日をもってきて、
マグダラのマリア地母神(古い祖神)の帰還ととくと
東から西までつながる盆斎

十六日、古い封ぜられた、例えば御月様、やらがウロボロスの消滅点よろしくThe Return of the Prodigal Son って具合でもありましょうか

投稿: kuma | 2010.08.14 09:27

>ennneagram氏
>七夕を8月7日にやる地方もあります。北日本には。
仙台の七夕のことですかね。新暦8月の、というあれですね。

ちなみに松江に友達がいるんですが、松江のほうじゃ(島根全域?)ひな祭りも端午の節句もみんな月遅れ(もしくは旧暦?)だそうです。たぶん七夕も(笑)。

 終戦記念日が、原爆を落とされた日から大急ぎで検討・受諾したのがたまたまお盆シーズンだったのが、なんともいえませんな。米軍的には気候が安定してる季節だった、というのが要因だったようですけど。

投稿: とおりすがり | 2010.08.14 12:12

http://www.bonodori.net/index.htm
ですね。

上に挙げた資料から推測するに、都市化が進んで新暦の西洋文明で生活している地域(例を挙げるなら京阪神はもう明治のはじめ頃にはお盆といえば新暦になっています)

お盆から例は外れますが、祇園祭の山鉾巡行は明治10年から新暦の7月17日・24日となりました。

逆に農業が主たる産業で、暦を変える必要の無かった、むしろ変えたくなかった地域は旧暦のままでずっと過ごしていたのでしょう。

投稿: F.Nakajima | 2010.08.14 12:20

月遅れ行事というのは地域や集団の利便性から生み出されてきたそうです。
ですから利便性の乏しい2月1日の「月遅れ正月」などは一切生まれていません。

月遅れ行事の代表が月遅れ盆です。

明治6年の改暦後、都会では早くから様々な伝統行事を新暦の同月同日に移行しました。
しかし、地方に行くほど旧暦での行事に拘り続けました。
改暦後も明治末ごろまで殆どの暦に旧暦の表示もなされていました。
それでも正月はじめ多くの行事は時代とともに新暦に移行します。
盆行事が旧暦から新暦に移行することなく、月遅れに移行したのにはいくつかの理由があります。

①全国80%を占める農村地域では新暦7月15日前後は梅雨の末期で農繁期であり、先祖供養には不向き。
②明治25年学校令で8月が夏休みになると8月の農閑期に行う方が便利となった。旧暦盆は学校の始まる9月になることもある。
ここから明治後期以降、徐々に月遅れ盆が農村に生まれ波及しだす。
関西地方では特殊な理由から、月遅れ盆の普及が進みます。
③改暦早々の明治10年、京都では旧暦6月に行われていた日本最大の夏祭り祇園祭を新暦7月の行事とします。
当時は廃仏毀釈など神社勢力が仏教勢力を圧倒していた。7月15日は祭中最大行事の前夜宵々山
これに続き、同じ旧暦6月の日本三大祭の一つ大阪天神祭も新暦7月に移行。残る東京の山王祭は改暦後も新暦6月の行事とした。
このため都会ながらも京阪地区で、旧暦盆は、祭りの最中となった新暦7月に移行する余地がなくなった。
しかし、②のような事情からも不便な旧暦盆より、固定日の8月盆が望ましく、比較的早い時期に月遅れ盆に移行した。

その他の地域では戦後高度成長期まで旧暦盆が続いた地域も多い。
戦後の昭和30年代に農村生活改善運動が活発になり、旧態依然たる農村の過酷な家事労働改善をはじめ因習の打破などが図られた。
その運動の中で、旧暦盆から月遅れ盆への移行が飛躍的に進んだ。これには終戦記念日の戦没者慰霊も並行できる利点もあった。
青年会や婦人会などで組織的に行われたために、旧暦から月遅れへの移行に気付かず
「うちらの地方では従来通り旧盆(旧暦盆)で行っている」という錯覚誤解も多く、その無知は今日まで尾を引いている。
高度成長後は農村に工場誘致も進行し、一斉夏期休暇は8月の月遅れ盆の時期に設定される。
こうして残った旧暦盆地域も月遅れ盆に移行していった。
昭和50年代まで言語の正確さを重んじたNHKでは「故郷で「月遅れ盆」を過ごす帰省者のラッシュ」といっていた。
しかし月遅れ盆が多数となり「うちでは普通の盆なのに、なんで『月遅れ』などとつけるのか」というクレームや圧力もあり「月遅れ」の文言は消えた。

投稿: あらま | 2012.12.13 17:10

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