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2010.08.17

[書評]ローマ帝国の神々―光はオリエントより (中公新書:小川 英雄)

 以前は、堀米庸三の「正統と異端」(参照)ではないが、キリスト教の正統とは何かという観点から私は西洋史を見てきた。その観点でローマの宗教も考えていた。だが次第に異教のほうが面白く思えるようになり、また、率直なところキリスト教の教理における正統は正統としても、実態は異教とされてきた諸宗教とそれほど差違はないどころか、異教が独自の変化をして西洋キリスト教になった側面が大きいのではないかという疑念もあり、少し概論的なものを読み直してみようと思うようになった。とりあえず選んだのは、「ローマ帝国の神々―光はオリエントより (小川 英雄)」(参照)である。読みやすく、よくまとまっており、また抑制が利いているので、通説はこのあたりなんだろうということがよくわかる好著だった。

cover
ローマ帝国の神々
光はオリエントより
(中公新書)
小川 英雄
 古代ローマ帝国の盛衰は長期に渡り、版図を広げつつ異文化を積極的に取り入れたが、それは当然、人間の交流を伴うものであり、ギリシャ、ペルシャ、エジプトなど諸宗教も取り入れることになった。ローマ市民にも浸透した。その多様性は目がくらむほどである。本書はそうした多様性をカタログ的というほどフラットではないが広く扱っている。これらの各宗教の要素は異端排除されつつもキリスト教に収斂されていくようにも思える。

1 古代オリエントの神話と宗教
2 ヘレニズムからローマへ
3 ローマ帝国の宗教
4 イシスとセラピス―エジプト系の神々
5 シリアの神々
6 キュベレとアッティス―小アジアの神々
7 ミトラス教―イラン起源の神
8 ユダヤ教の存続
9 キリスト教―その成立と発展
10 グノーシス主義
11 占星術の流行

 個人的に面白かったのは、ミトラ教を扱った7章「ミトラス教―イラン起源の神」である。こういうとなんだが、本書を読んで、ミトラ教については学問的にはその教義や儀式といった内情的な部分はほとんどわかっていないと言ってよさそうなのだと、率直にいうと少しほっとした印象を持った。ミトラ教について、いろいろ言われていることの大半は、俗説としてよいのだろう。特に皇帝の関わりはすっきりとした記述だった。

 皇帝自身もミトラス教に注目するようになった。コンモドゥス帝はこの宗教に入信したとも言われるが、それは誤りで、オスティアの皇帝領地の一部を寄進したというのが真相である。セプティミウス・セウェルス帝の時代には宮廷人で入信する者もいた。アウレリアヌス帝のソル・インウィクトス(不滅の太陽神)崇拝は有名であるが、彼とミトラス教組織の関係を示す資料は存在していない。


ミトラスは上述のように皇帝たちの奉納を受け入れるいたったが、それが信者数を増大させることはなかった。ついで現れたコンスタンティヌス大帝はソル・インウィクトス(不滅の太陽神)を信奉したが、それはミトラスではなく、キリスト教の神であった。そしてそれまで同じ称号で呼ばれていたミトラスはローマ市や地方の町々でも、軍隊駐屯地でも影が薄くなった。背教者といわれるユリアヌス帝は、自らの著作のなかで、ミトラスの名をあげ、それを太陽王と称しているが、ミトラス教には入信しなかった。

 概ねそのように理解してよいのだろう。ただ、これらはすでに習合の結果のように見えないこともない。
 全体として本書ではミトラ教は四世紀に姿を消したとしている。これも穏当な見解だろう。だがそれで終わり、過去のことなのかというと難しい。本書も次のように指摘しているが、どうも占星術のなかにミトラ教的なものが融解しているようだ。

ミトラス教徒は、オリエント系の神をいただく、占星術と秘密の教えを中心とする社会的小グループであった。

 この点について詳しい考察は本書にはないが、「11 占星術の流行」でレリーフの写真に次のような注釈を加えている。

「牛を殺すミトラス」のひるがえるマントにも星座が見られる

 本書のレリーフではないが、このモチーフは他にも見られる。



Fresque Mithraeum Marino

 ミトラの牡牛供犠(Tauroctony)については、ウィキペディアにも項目(参照)があり、占星術的な説明を加えている。


Luna, Sol and the other five planetary gods (Saturn, Mars, Mercury, Jupiter, Venus) are also sometimes represented as stars in Mithras' outspread cloak, or scattered in the background.

月、太陽と他の5つの惑星神(サターン、マース、マーキュリー、ジュピター、ヴェーナス)はしばしば星としてミトラ神の翻るマントか、または背景に配置される。


 「7 ミトラス教―イラン起源の神」の章では、牡牛供犠(Tauroctony)という名称は使っていないが、次のように説明している。

 この神聖な行為(キリスト教の磔刑に相当する)は、宇宙的な規模で行われた。洞窟自体が宇宙を象徴しており、牛殺しの行為は太陽、月、七惑星、黄道十二宮がその瞬間を表していた。

 もしかすると「(キリスト教の磔刑に相当する)」という注釈に本書の思いが隠れているのかもしれない。

その永遠はいくつかのミトラス教図像で天文学的占星術的に表されている。すなわち上述の星たちは神殿内部の天上や壁に描かれているばかりでなく、ミトラスの青い外衣にも星が記されている。

 ミトラス教図像は占星術のなかに保存・継承されていたようにも思うし、意外と言えば意外、当たり前といえば当たり前な部分で現代にも継承されている部分もあるが、それは別の機会にエントリを起こしたい。
 ミトラ教関連以外に、4章「イシスとセラピス―エジプト系の神々」も興味深いものだった。イシス像とマリア像を並べた写真もあり、どう見てもそのままだろうと思えるが、「子神ホルスを抱くイシス女神像は、幼児キリストを抱く聖母マリア像のもとになったともいわれている」と本書は控えめなコメントに留めている。
 意外といってはなんだが、9章「キリスト教―その成立と発展」も蒙を啓かされる指摘が多かった。古代ユダヤ教というとマックス・ヴェーバーの著作でもそうだがつい、タルムードなど後代のユダヤ教につながる部分から遡及してしまいがちだ。しかし、イエス時代を含めて初期キリスト教の大枠はヘレニズム世界であり、ユダヤ人の大半はコイネを主としてギリシア語を使う民族であった。
 その他、「2 ヘレニズムからローマへ」では、エレウシスの密儀に言及しているが、このあたり、オリュンピアスとの関連でもう少し考えてみたいと個人的に思っている。
 個人的な話だが、パウロの足跡を探しにギリシア内陸を旅行したことがあるが、パウロ関連の風物も感銘深いものだったが、ギリシャ北部ではマケドニア王国の遺物に関心をもった。ギリシアというとアテネの神殿などを想起するが、ヘレニズムの時代ではエレウシスの密儀のようなものが勢力をもっており、いわゆるギリシア神話の信仰というものではなかったのだなとしみじみ思ったものだった。

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コメント

いったいいつから、ローマ帝国のキリスト教社会はエジプトの太陽暦を採用するようになったのか?キリスト教普及以前に、ローマ帝国皇帝が太陽暦を採用したのか?

現代でも、イギリスのウエールズやスコットランドには、ルナー・カレンダーといって、太陰暦のカレンダーを使っている人が多く、ロンドンでもルナー・カレンダーはずいぶん売られているそうです。

中国や韓国が春節を重視するようなものだと思うのだけれど、農業社会では暦の採用が政治支配の基礎だろうと思っています。

それにしても、今でも新暦で釈尊の潅仏会や成道会や涅槃会を営む日本の仏教界は情けないし、天理教も、教祖誕生祭は、いいかげん旧暦に戻すべきだろうと思います。日本の宗教界全体は、なぜ、あんなに簡単に明治新政府の言いなりになって新暦を採用したのだろう。こんな肝心なところで大変な譲歩をしてしまった。もちろん取り返しは簡単につくけれど。

投稿: enneagram | 2010.08.18 09:53

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