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2010.07.04

清少納言智恵の板

 「清少納言智恵の板」という日本版のタングラムがある。タングラム好きには必携の一品で、タングラムを世界的にリバイバルさせたサム・ロイドも感嘆していた。タングラムは、正方形を三角形・四角形の7片に切りわけ、2次元の形を作る遊びだが、あらかじめ形作られたシルエットにどう組み合わせるかとする、シルエット・パズルとして有名だ。
 タングラムと清少納言智恵の板の違いは、似ていると言えば似ている、違うと言えば違うようにも思える。相違についてはシルエット形成の利得から幾何学的な計算が可能なようにも思う。左がタングラム、右が清少納言智恵の板である。

 タングラムのほうが大きな三角形が2つあり、シルエット形成に強いボディを与える反面、面積を取ることからパズル的な解法戦略として着眼されそうでパズルの興を弱めるかもしれない。清少納言智恵の板のほうは、細いピースでまとまっていることから、線画的な表現がしやすい。中抜きなども作りやすい。ひらがなのいろはも表現できるらしい。


cover
大人の健脳パズル3
清少納言智恵の板
 清少納言智恵の板の原理はこれだけなので、木片などを切り出し、シルエット集があれば楽しめる。市販品はあるにはある。学研が出している「大人の健脳パズル参 清少納言智恵の板」(参照)がそれだ。これが非常に変った企画だ。微妙に通向けを狙った開発元クロノス(参照)の思いは伝わってくるのだが、単純にパズルとして楽しむ企画、あるいはもう少し現代日本人にもわかりやすい解説冊子を別途添付して教養をくすぐる企画であったらよかったのかもしれない(もちろん、クロノスの購入者向けに特別ウェブページは評価したい)。
 製品は一時代前のパッケージソフトのような箱に、手のひらに載るサイズの黒檀の「清少納言智恵の板」に、江戸時代の「清少納言智恵の板」「江戸ちゑかるた」合本のミニチュア復刻本が付いている。黒檀ピースの出来は悪くない。どうせならもっと上質の黒檀がいいとは思わないでもないが。復刻本も手のひらサイズでしかもステープラー中閉じで、紙質も残念というのがつらい。黒檀上質+リアル復刻+解説新書で6000円でいけなかっただろうか。ちょっと悔やまれる。
 それでも、この「清少納言智恵の板」復刻本は面白い。出版されたのは「寛保二年 戌八月」とあるので1742年である。同年代の人物を連想すると、平賀源内が1728年生まれなので、源内は遊んでいたかもしれない。関孝和は1708年に没しているので、江戸時代の数学的な知性はすでに絶頂期にあったと見てよいだろう。
 「清少納言智恵の板」が出版された1742年の夏は江戸では寛保二年江戸洪水があったが、同書は京都で出版されている。
 著作者だが「含霊軒述」とあるので、「含霊軒」という人なのでろうが、見ればわかるように戯れ言である。「霊軒」は号で、貝原益軒(1630-1714)を連想させる。なお、益軒号は最晩年のもののようでその名で生前知られていたわけではないだろう。ちなみに、伊藤仁斎は益軒とほぼ同年代なので儒学の風土も連想される。荻生徂徠(1666-1728)は少し遅れるが、荻生徂徠なども当時のインテリらしく中国かぶれしていて、物徂徠と称していた。「含霊軒」も、含・霊軒ということで何かの洒落なのではないか。ただ、「含霊」も言葉としてはあるのでよくわからない。が、概ね、中国人由来を擬していると見てよさそうで、そのあたりが、タングラムの起源史を曖昧にしている要因かもしれない。
 時代の感覚を知るには内容にも立ち入ってみるとよい。「清少納言智恵の板」を読んでみよう。原文は崩し字で書かれている。

清少納言の記せる古き書を
見侍るに智ふかふして人の
心目をよろこばしむこと多し
其中に智恵の板と名づけ
図をあらわせるひとつの巻
あり是を閲するに幼稚の児女
智の浅深によって万物の形
を自然にこしらへもろもろの器
の図はからずも作り出すこと
誠に微妙のはたらき有しかれ
ども其図は往昔の器物の形
又は雲上の御もてあつかひの品
ゆへ今の児女その心を得がた
し故にあらたに図を作り
当用の器物まぢかき形を
記せり人々智の至るところ
にしたがひ板のはこびによっ
て品かわりたる形あらはれ
ずといふことなしこゝに手
引のために百分の壱つを示
すものなり初に諸物の図を
出し奥に板のならべ様の図
を載すされども奥のならべ様を
見ずして初めの図のごとく
人々の作意にて七つ板のならべ
はこびを考へ給はゞ不測の
はたらきありて一座の興を
催すべきものならし

寛保二年 戌八月 含霊軒述

秘伝の巻に残らず顕はすといへども
爰に壱つを出し板のならべ様を見す

八角かがみ
七つ板
ならべ様


 清少納言が書いたとされる書籍を読むと智恵が付き心豊かになることが多いが、その書のなかで「智恵の板と名づけ図をあらわせるひとつの巻」を見つけたというのだ。もちろん、大嘘である。
 当時というかこの時代より前になるが、仮名草子で「清少納言犬枕」などが有名になっていた。犬というのはまねごとという含みで、枕は枕草子。ようは、枕草子のパロディー文化であり、「物は尽くし」の趣向である。すぐにわかるように、落語の起源とも関わりがあるだろう。
 枕草子がパロディー化される前後関係はわからないが、「清少納言犬枕」でもわかるように、清少納言がどうもネタキャラになっていたようだ。他にも類書はある、とちょっと調べていたら、こんなの発見。「暴れん坊少納言1 (ガムコミックスプラス:かかし朝浩)」(参照)。日本人って変わらないなあ。いずれにせよ、江戸時代の清少納言はネタキャラ化していて、その類推から「清少納言智恵の板」が出てくる。
 「清少納言智恵の板」のターゲット読者だが、「是を閲するに幼稚の児女智の浅深によって万物の形を自然にこしらへもろもろの器の図はからずも作り出すこと」というくだりから、どうも女子供向けということが窺われる。
 これを裏付けるのが、ボストン美術館蔵、喜多川歌麿(1753-1806)の「角玉屋内 誰袖 きくの しめの」(参照)に描かれている智恵の板だ。

 画中のピースを見ると7つ以上あり、また、長方形も含まれているので「清少納言智恵の板」ではないかもしれない。時代的には、1780年代であろうか。「清少納言智恵の板」の1742年以降も智恵の板は楽しまれていたようだ。
 「大人の健脳パズル3 清少納言智恵の板」に含まれているシルエット集「江戸ちゑかた」は天保八年(1837年)の刊行なので、その後、明治時代が近くなるまで「清少納言智恵の板」は楽しまれていたようだが、さらに明治時代にも続く。樋口一葉「たけくらべ」(参照)に登場するからである。明治28年(1895年)の小説である。


あゝ面白くない、おもしろくない、彼の人が來なければ幻燈をはじめるのも嫌、伯母さん此處の家に智惠の板は賣りませぬか、十六武藏でも何でもよい、手が暇で困ると美登利の淋しがれば、

 主人公の女の子が暇つぶしに智惠の板を所望している。それらが玩具として普通に販売されていたこともわかる。さらに、主人公の美登利は遊女になる身の上なので、智惠の板は遊女の文化という背景も多少あるのかもしれない。
 天保八年ですでに「江戸ちゑかた」とあり、樋口一葉の時代に「智惠の板」とあることから、すでに明治時代以前に犬枕・清少納言という文脈は抜けていたのだろう。
 ところで、タングラムと清少納言智恵の板の起源の関係だがわからない。タングラムの歴史は、サム・ロイドが古代中国とかいう冗談を言ったため欧米では俗説が蔓延しているようでもあるが、「[書評]タングラム・パズルの本 Tangram Puzzles: 500 Tricky Shapes to Confound & Astound(Chris Crawford): 極東ブログ」(参照)にも否定の言及があった。
 起源については、1800年代の中国とする説が有力のようだが、実際の文献として遡及できる最古のものは日本の「清少納言智恵の板」であり、冷ややかに考えればタングラムの起源は日本だとしてよさそうに思う。
 その場合、「清少納言智恵の板」のカットからタングラムのカットに変化したことになる。自分が学んだ言語学や聖書学の類推すからすると、その派生を合理的に示唆する数学的な指標みたいなものがあればよいのだが、よくわからない。直感的にはタングラムのほうが単純なカットのようにも思えるが、シルエット形成のディテール部は「清少納言智恵の板」と同様であり、そもそもシルエット・パズルを想定してカットされたなら、「清少納言智恵の板」が原型にあると見てよいようにも思える。あと、この発想は、折り紙から来ているのではないかという思いからも、タングラムの起源は日本ではないかと私は思う。

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コメント

たしかに、これの創作者は、和算の好きな神官か僧侶というところのような気がします。儒者の作としたのは、中国を利用悪用して権威付けたのではないかと推察します。案外、女性(尼僧)の手になるものかもしれません。

投稿: enneagram | 2010.07.04 14:08

昨夜は久しぶりに「クジラ」をしてみた。ネットで時間を競えると面白いだろうし。ライブ動画でたんたんとやってみせるのも面白いと思う。自分で解くより、解いている子供の姿は最高に愛しい。

投稿: | 2010.07.04 17:48

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 おお、なんだかとても厳かなものというような名前の和製のパズルがあったものだ。知らなかった。「清少納言の知恵の板」(参照)と呼ばれている日本古来のパズルだそうだ。昨日のタングラムだけでも充分楽しめると... [続きを読む]

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