[書評]小倉昌男 経営学(小倉昌男)
「小倉昌男 経営学(小倉昌男)」(参照)は、宅配便という分野を創始したヤマト運輸の元社長小倉昌男氏が初めて書いたいわば自伝で、手元の初版を見ると1999年とある。もう10年も経つのかと感慨深い。絶版か文庫本になっているかもしれないとアマゾンを覗いたら普通に単行本として販売されていた。普通にロングセラーなのだろう。もしまだ読まれたことのない人がいたら、読めばロングセラーの理由がわかる。名著だからだ。
![]() 小倉昌男 経営学 |
ヤマト運輸の社長だった私のもとに、本を書かないか、という依頼が次々に舞い込んできたはちょうどその頃である。
けれども、私は一切お断りした。
成功した経営者が自らの経営談義を出版すると、やがてその企業自体は不振に陥り、一転、失意に陥る―そんな例をいくつも見てきたからである。経営者が本を出すと不幸な軌跡を辿るというジンクスを私は信じ、守ってきた。
それでもヤマト運輸の役員を退任して四年が経ったので、ということで、「サクセスストーリーを書く気はない。乏しい頭で私はどう考えたか、それだけを正直に書くつもりである」と書き出した。正直というのがまさに的確である。
本書を読むと、小倉昌男さんという人はすごい経営者だということがわかるが、より正直に言えば、変な人である。いわゆる見た目の変人・奇人の類ではなく、なんというか、世界とビジネスをきっちり見つめながら、なにか根本に不思議な浮世離れのようなものがある。世間や権力に戦うという気負いはそれほどなくて、世の中をきちんと見つめつつ、世の中の力に飲み込まれない。誰もが宅配ビジネスなんかダメだと言っても、いやこれは理詰めに考えればできるはずだと計算して考え続ける。政府と官僚がいじめに入ると腹は立てても、それで負ける気は平然とない。
ヤマト運輸は、監督官庁に楯突いてよく平気でしたね、と言う人がいる。別に楯突いた気持ちはない。正しいと思うことをしただけである。あえて言うならば、運輸省がヤマト運輸のやることに楯突いたのである。不当な処置を受けたら裁判所に申し出て是正を求めるのは当然で、変わったことをした意識はまったくない。
幸いにしてヤマト運輸はつぶれずにすんだ。しかし、役人のせいで、宅急便の全国展開が少なくとも五年は遅れている。規制行政がすでに時代遅れになっていることすら認識できない運輸省の役人の頭の悪さにはあきれるばかりであったが、何より申請事案を五年も六年も放っておいて心の痛まないことのほうが許せなかった。与えられた仕事に最善を尽くすのが職業倫理でないか。倫理観のひとかけらもない運輸省などない方がいいのである。
さらりと「与えられた仕事に最善を尽くすのが職業倫理でないか」と言う。「倫理観のひとかけらもない運輸省などない方がいい」と国家の向こうを端然と見ている。その中心に「心」というものがある。心というものを持てば、国家なんぞ怖いものでもなんでもないよと見切っている。
私は、役人とは国民の利便を増進するために仕事をするものだと思っている。だから宅急便のネットワークを広げるために免許申請をしたとき、既存業者の利権を守るために拒否されたのは、芯から腹が立った。需給を調整するため免許を与えるどうかを決めるのは、役人の裁量権だという。では需給はどうかと聞いても資料も何も持っていない。行政指導をするための手段にすぎない許認可の権限を持つことが目的と化し、それを手放さないことに汲々としている役人の存在は、矮小としか言いようがないのである。
すべての役人がそうだというわけではないが、権力を行使することに魅力を感じて公務員になる人もいると聞く。何とも品性の落ちる話ではないか。
さらりと「品性」が語られる。さらりと語られるなかにマックス・ヴェーバーの社会哲学の神髄は語り尽くされている。
ヤマト便のビジネスを広げるあたり、小倉さんは淡々と過疎地に営業を広げることを考えていく。
ヤマト運輸は民間企業である。無理して郡部の集配をやらなくてもいいのではないか。郡部は郵便局に任せるべきではないか。赤字のところをやるのは官の責任である、という意見にはもっともなところがあった。
宅急便を初めてやろうと決心したとき、清水の舞台から飛び降りる気持ちであった。幸い狙いは当たり、五年で成功のめどがついた。だが次のステップとして郡部にサービスを拡大しようとしたとき、再び清水の舞台から飛び降りる気持ちになった。
ところが小倉さんは、「しかしよく考えてみると、郡部イコール過疎地、過疎地イコール赤字、という図式があるとは限らない」とまた理詰めで考えていく。
日本は山が多いから、地方には山奥の過疎地が多いことは否定できない。でも、過疎地から過疎地に行く荷物はほとんどないと思う。過疎地から出てくる荷物は都会に行き、過疎地に着く荷物は都会から来るのがほとんどである。過疎地の集荷や配達はコスト高からもしれないが、一方で、都会の集配車の集積率が高くなりコストが下がることを考えると、過疎地に営業を伸ばしたことによって収益が悪くなるとは考えられないのである。
そして再び清水の舞台から飛び降りてみせた。成功した。1997年、ヤマト便は全国ネットワークも完成した。つまり、ヤマト運輸はすでにユニバーサルサービス実現しているのである。余談だが、日本郵政はヤマト便を追いかけてその利益を削り取ろうとしていた。2004年「民間がすでに提供しているサービスを日本郵政公社が真似をしてまで提供する必要があるのでしょうか?」と疑問を出した(参照)。
ヤマト運輸を創業したのは小倉昌男氏の父小倉康臣氏であって、彼は二世社長であるが、トラック運輸の業態からヤマト便に変えたのは彼である。その歴史の話も本書の面白いところだ。
二世であり社長が約束されていた小倉昌男氏だが、実際に昭和23年に入社すると結核になった。戦前は死病であった。二年にわたり病院で闘病生活を送ることとなった。半年の余命と言われ、救世軍から差し入れられた聖書を読みクリスチャンとなった。
幸い退院できたが、さらに二年半自宅でリハビリをした。働き盛りに四年半の空白はつらかったと書かれている。仕事に復帰後も社長ではなく、関連会社の静岡運輸の出向だった。ヤマト運輸に戻って百貨店部長になったときは三十一歳だったという。遅いスタートであり、そしてその後、百貨店の配送を止める決意をした。
亡くなったのは2005年。80歳だった。若い頃大病したが長生きの部類だろうし、晩年に至るまでも聡明な人だった。ブログではR30さんの「[R30]: 経営者は何によって記憶されるか――追悼・小倉昌男」(参照)に心情がこもっていたが、そういう人だった。
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コメント
役所と対決した人というと、本田宗一郎さんもそういうひとです。あと、MKタクシーの青木社長ですか。
日本の役所が強力なのは、奈良時代以来、日本で民間が力を持ち始めたのは、鎌倉時代あたりから。
鎌倉時代の商人たちの中にも、小倉社長みたいな人たちがいたのかもしれません。
投稿: enneagram | 2010.07.08 07:17
ゆうパック遅配のニュースを目にしたとき、小倉さんが生きておられたらなんと仰っただろう、でも聞いてもきっと、もう引退した身だからと、何もおっしゃらないだろうな、などと思っておりました。
そんなところに今日のこの書評。
finalventさんも小倉さんのことを思われたのでしょうか。
小倉さんは最晩年もみごとでいらっしゃいましたね。
投稿: minaho_s | 2010.07.08 10:44
役人と闘ったといえば、星新一さんの「人民は弱し、官吏は強し」ですね。
投稿: てんてけ | 2010.07.08 18:52
小倉さんは見事でした。
ただし、ヤマト運輸の配送に関わった地方の運送事業者は悲鳴をあげた。それは現在さらにひどくなっている。残念ながら小倉さんのような経営者の理路は末端には届いていない。仕組みも文化も日本型にして欲しかったと思います。
ゆうパックについては日通さんのやる気のなさを押し付けられたJPの悲劇。
業界人 拝
投稿: Boogie | 2010.07.09 10:49
時々拝読しています。
小倉昌男氏は、障害者関連の人にとっては、ヤマト福祉財団で、永く記憶されるでしょう。
http://www.yamato-fukushi.jp/
メール便の配達と、スワンベーカリーで、働けるようにし、なおかつ健常者と同等の時間給を支払った。どれほど多くの障害者が働く喜び、きちんとした給与を手にする喜びを味わったことでしょう。
福祉だけでなく、経営の考え方を福祉に取り入れて成功され、傷害者とその家族に喜ばれた方でした。
おっしゃるように“その中心に「心」というものがある”方だったと思います。
投稿: tama | 2010.09.27 14:12