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2010.07.20

靈氣とレイキ

 ヒーリング系ミュージシャンのルエリン(Llewellyn)にReiki Gold(参照)というアルバムがある。聞いただけで、ああルエリンという癒し系のしろもので、アエオリア(Aeoliah)より線が淡い感じがするが、このアルバムのなかにちょっと変わったタイトルの5曲がある。


  • Just for Today I Will Not Anger
  • Just for Today I Will Not Worry
  • Just for Today I Will Be Grateful
  • Just for Today I Will Honour
  • Just for Today I Will Respect

 今日一日だけでよいから、怒らず、心配せず、謝念を持ち、といったことだ。オリジナルは慶応元年(1865年)に生まれた臼井甕男(うすいみかお)の五戒である。

今日丈けは
怒るな
心配すな
感謝して
業をはけめ
人に親切に

 甕男は、これを朝夕合掌して心に念じ口に唱えることが、招福の秘法・萬病の霊薬であるとした。
 それって宗教ではないのかと思うだろう。正確には、これは臼井靈氣療法と呼ばれる明治時代に誕生した民間医療の一環である。後に略して靈氣と呼ばれ、欧米に伝わってレイキ(Reiki)と呼ばれるようになった。主要な療法は患部などに手を当てることであるために、世界各国にあるタッチセラーピー系の伝統療法のように理解されている。
cover
Reiki Gold:Llewellyn
 臼井甕男は、岐阜県山県郡谷合村に生まれた。臼井家は平安時代の武家千葉常胤の後胤と伝わっている。甕男は、ご維新の動乱の後、様々な職を点々としつつ、人生とは何かと求道し続けた。渡米・中国遊学もしたとも言われ、キリスト教宣教師であったという伝承もある。そのほかにも、その手のけっこうめちゃくちゃな伝承もある。実際のところ、臼井甕男の人生の大半はわかっていない。
 甕男は、禅の道に求道しつつも、50歳過ぎまで悶々とした。おそらく碧巌録・大死一番からの決心であろうと思うが、大正11年(1922年)、56歳のとき京都の鞍馬山にこもり、悟りを得ずば決死とまでの断食を始めた。ちなみに、藤村操が「萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、不可解」として華厳の滝に飛び込んだのが1903年、漱石の「門」が連載されたのが1901年。甕男もそうした青春を送りつつ、悟り至らぬ人生の末を思ったのではないだろうか。
cover
臼井甕男
 断食に入り3週間経った深夜、脳内に落雷のような衝撃を受け、意識を失った。翌朝気がつくと気分爽快にして霊力を得た実感を持った。たまたま転んで足指の爪を剥がしたが、手を当てるだけで治癒した。この手当てによって他の人も癒すことができるのではないか。試すと、できた。秘伝を体得した甕男は、これを世ため人のために使おうと、青山で臼井霊気療法学会を始めた。靈氣の開闢である。
 靈氣の起源はこの神秘体験によるのだが、私は自分なりにこの逸話を追ってみた印象では、一種の道教と修験道の混合のようなものが背景にあったのではなかったかと考えている。語られるところの神秘体験の描写は空海の虚空菩薩求問持聡明法の描写にも似ている。ただし鞍馬山は天台宗なので真言系ではないだろうが一時期真言宗であった時期もある。なお、鞍馬山は、戦後になってからだが、神智学を学んだ鞍馬寺貫主信楽香雲によって天台宗を離れ、鞍馬弘教という新興宗教になって現在に至る。
 臼井霊気療法学会を開いた翌年が関東大震災である。甕男は東奔西走し、人びとを靈氣で救ったという。2年後の大正14年、手狭になった会場を中野に移し、本格的な全国活動を展開した。が、その翌年、旅先の広島県福山市の旅館で死んだ。60歳であった。自分自身は癒せなかったのだろうか。
 臼井甕男は20人の師範を残した。教義は、初伝、奥伝、神秘伝の三階梯に分かれていると言われ、また最終段階に残ったのは数名ほどだと言われている。その一人に林忠次郎がいる。海軍軍人でもあった。退役後、独立して大正14年に東京信濃町に靈氣の診療所を開き、昭和5年(1930年)に「林靈氣研究会」とした。林は日本各地で靈氣の普及を行うほか、昭和13年(1938年)、ハワイで研修会も開いた。これには興味深い前段がある。高田ハワヨの物語である。
 1900年(明治33年)12月24日、ハワイ、ホノルルで日系二世の高田ハワヨが生まれた。名の「ハワヨ」は生まれた島、ハワイを意味している。サトウキビ農園で育った。姓の「高田」は、1917年に結婚した夫、高田サイチによる。夫は、1930年、東京で治療するも、34歳のときに肺癌で亡くなり、ハワヨには2人の娘が残された。
 ハワヨは困窮し病がちとなり、盲腸の手術を受けることになったが、この時、手術の必要はないぞよとの天啓が下る。彼女は健康への道を探し求め、各種の情報から東京に向い、林のもとで靈氣を学ぶことになった。
 ハワイに戻ってからは靈氣の診療所を開き、恩師の林をハワイに招いたのだった。林のその後については、ハワヨの伝承では、軍人でありながら平和主義者であり、対米開戦に反対して切腹したとのこと。これがそのまま欧米で伝えられている。史実ではないだろうに。
 ハワヨは、ハワイに招いた林から神秘伝を伝承されたと主張している。その後、生涯に渡って治療家を続け、1980年12月11日、80歳で亡くなった。最晩年の数年に神秘伝を伝える伝承者をマスターとして20人ほど育成した。1980年代になって彼らが世界各国にハワヨのレイキを伝えることになった。
 マスターのマスターであるグランドマスターは、ハワヨの孫娘フィリス・レイ・フルモト(Phyllis Lei Furumoto)が継承し、1981年、レイキ・アライアンス協会を設立した。マスターたちは彼女に忠誠を誓ったが、それとは別に1982年、文化人類学者バーバラ・レイ(Barbara Ray)が、レイキの団体としてラディエンス・テクニーク協会を作った。彼女の「The 'Reiki' Factor in The Radiance Technique」(参照)はこちらの系統の基本になっている。日本でも1987年に「レイキ療法―宇宙エネルギーの活用(バーバラ・レイ)」(参照)として翻訳されたことがあった。
 以上の2系が国際的なレイキの源流となったのだが、よくわからないのだが、英国系のレイキはラジニーシ(Rajneesh)の影響を受けているようだ。チャクラなどの教義を持っているものがある。ネオ・レイキとも呼ばれているようだ。
 靈氣からレイキになるにつれ、伝授の儀式はアチューンメント(Attunement)と呼ばれるようになった。この伝授によって、臼井甕男の門外不出の秘伝が伝えられるとの建前になっている。が、それとおぼしき秘伝のシンボルは事実上暴露されている。それぞれ分けて使うらしい。


レイキ・シンボル

 左のシンボルは、"Choku rei"とある。私はこれは「勅令」ではないかと思う。道教の神を呼ぶ呪符によく見られ、道教儀礼の香浄でも唱えられる。つまり、道教が起源であろう。ただし、これには呼び出す道教的な神が前提となっているはずだが、その部分はレイキの伝承で欠落したのかもしれない。暗黙裏に千手観世音菩薩であろうか。
 中のシンボルは、"Sei He Ki"とある。呪の意味はわからない。が、シンボルの意味はすぐにわかる。キリークである。阿弥陀如来または千手観世音菩薩を示す梵字である。鞍馬弘教の尊天から推測すると、千手観世音菩薩であろう。これがなぜ"Sei He Ki"なのだろうか。
 右は"Hon Sha Za Sho Nen"の漢字であることは明らかだ。「本者是正念」である。意味はそのままで、本質は正しい念ということだ。問題はこの呪符の由来がわからないことだ。
 この3つのシンボルに加え、「大光明」という秘伝もあるらしい。
 これで秘技が暴露されてしまったと考える人もいるが、私はそうではないだろうと思う。さらなる秘密があるというのではない。新興宗教といえどもそれなりの師匠たる者は伝授者のレベルを見極めているので、その無言のなかに伝わるものがあるだろうということだ。
 しかし暴露された一端を見ると、これらは鞍馬寺関連の道教的な呪術であろうと思われるが、勅令される神や千手観世音菩薩の呪の関連など、主要な秘伝はすでに損失しているのではないかとも思われる。
 さて、ハワヨを基点に1980年代以降レイキが世界に羽ばたき、さらに日本に形を変えて逆輸入されるようになったわけだが、日本国内での臼井甕男の教え、または林忠次郎の伝承はどのようになったのだろうか。1980年代以降、西洋から逆輸入されるくらいだから日本国内では途絶したのだろうか。
 2つの展開があった。1つは、臼井霊気療法学会がそのまま現在でも継続していることだ。ただしその活動は外部からはほとんどわからない。臼井甕男の高弟は林忠次郎を含め海軍関係者が多く、戦時にも、私的であろうが、医療の代替として利用されていたようで、そうしたことから戦後のGHQ統治下で弾圧されるのを恐れたのかもしれない。1996年の時点で90歳を超える小山君子五代目会長が会員を連れて鞍馬参りをしていたとの話も聞く。
 林忠次郎による林靈氣研究会のその後の活動だが、林の死後、智恵夫人が継いだものの、夫人の死をもって終了した。その教えも途絶えたかに思われたが、伝承者が残っていた。山口千代子である。
 旧姓岩本千代子は大正10年12月18日、京都三条古川町で、7人兄弟の次女として生まれた。小学校2年生のときに、叔父の菅野和三郎に預けられたが、この和三郎が林忠次郎から靈氣を学んでおり、千代子も自然に菅野家の家庭の医学のように靈氣を使って育った。和三郎の妻も靈氣に傾倒し、林忠次郎が亡くなった後は智恵夫人を支援した。
 こうした環境から自然に千代子も靈氣に馴染み、林忠次郎から学び、師範となった。しかし千代子自身はその後家庭人として子供を靈氣で育てながらも、他に広めるということもなかった。後年、神経痛に悩んでいたところ、手かざしの宗教で改善したことからその宗教にも入信したらしい。年代から推測するに真光であろうか。しかし、千代子はその宗教からも離れるようになった。
 1980年代以降、逆輸入されるレイキによって千代子への伝承が注目されるようになり、当時の林忠次郎の「療法指針」をもとに、千代子の息子の山口忠夫が直傳靈氣として現在普及にあたっている。
 林の「療法指針」と現在の臼井霊気療法学会から漏れ聞くところをもとに古形の靈氣を推定すると、修行としては明治天皇御製と五戒の唱和を基本に呼吸法を含めた精神統一があり、療法の面では病腺が重視されていたようだ。手当の手順は病腺に関連している。また脊椎何番という脊椎への配慮もある。
 野口整体でもそうだが、脊椎何番という発想は戦前のカイロプラクティックの影響がありそうだ。また、こうして靈氣の治療面を再構成的に見つめていくと、全体像としては、これは明治時代に日本に入ったオステオパシーではないかとも思えてくる。

参考
「癒しの現代霊気法―伝統技法と西洋式レイキの神髄(土居裕)」(参照
「レイキ完全本―あなたを他人を世界すべてを癒すために(ブリギッテ ミュラー、ホルスト・H・ギュンター)」(参照
「直傳靈氣REIKI Japan―レイキの真実と歩み(山口忠夫)」(参照

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コメント

十年くらい前にイタリアにいったとき、行く先々のCDショップに「霊気」って漢字のままのCDがコーナーでありました。
正体不明だったので買わなかったのですが、これですかね?
帰ってきてからネットで何度か詳細求むと書いたのですが、誰からもレスがありませんでした。

投稿: てんてけ | 2010.07.20 22:10

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