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2010.06.30

親指の規則(rule of thumb)

 英語に"Rule of thumb"(ルール・オブ・サム)という慣用句がある。直訳すると、「親指の規則」になるが、慣用句としての意味は、「経験則」ということ。よく使う慣用句らしく、ニュース検索しても出てくる(参照)。


As a general rule of thumb, many of Prague’s higher-end restaurants, like Le Degustation and V Zatisi, are nonsmoking. An exception is the well-known upscale riverfront restaurant, Kampa Park, which has a smoking section.

一般的な経験則として、"Le Degustation"や"V Zatisi"のようなプラハの高級レストランの多くは禁煙。例外は有名な超高級レストラン"Kampa Park"で、喫煙室がある。


 ほかにもマクリスタル前司令官の報道を巡るFOXニュースの対談(参照)にこういうのもある。

GOLDBERG: I'll tell you what my rule of thumb is. My rule of thumb is that if I do any piece and I know it's going to be, you know, something that the person I'm interviewing may not like, I still want to be able to watch that piece on television sitting in the same room with that person.
O'REILLY: With the person. Right.
GOLDBERG: They could turn to me and say, "I didn't like the piece but it was fair." So that's my rule of thumb.

 口語でよくわからないところあるが、報道人たるものインタビューを切り貼りするなら、こそこそしない覚悟をもて、それが「俺のやり方」という意味で、"Rule of thumb"に"my"を付けて言っている。
 "rule of thumb"を英辞郎を引くとこうある(参照)。

1. rule of thumb
〔よく使う〕おおまかなやり方◆正確ではないが実用になる方法を指す。◆【語源】きこりが長さを測るのに、親指を使ったことからと考えられている。しかし、妻を殴るのに許容されていた板の厚さが、親指の太さまでであったからという説もある。
2. 経験則
・As a rule of thumb, Japan is efficient in manufacturing, but quite the contrary when it comes to distribution. : 経験からいって、日本は製造に関しては効率的だが、こと流通となるとその逆です。

 説明を見ると曖昧で混乱している印象もある。英辞郎は辞書の専門家が作ったものではないので、いろんなところから情報を見つけて適当にまとめたものだろう。
 そうなってしまうのも、英語ネイティブも"rule of thumb"という表現にこだわっていろいろ議論をしているからだ。そのようすは、Wikipediaの同項目から窺える(参照)。語源ははっきりしていないらしい。

Origin of the phrase
The exact origin of the phrase is uncertain: either it is derived from the use of the thumb as a measurement device ("rule"), or it is derived from use of the thumb in a number of apocryphal "rules" (law, principle, regulation, or maxim).

この句の正確な語源はわからない。親指を測定具として使ったのか、根拠不明の法則や原理によるのかもわからない。


 語源はわからないのだが、面白いのは、"rule"について、「定規」として見るか、「法則」としてみるかで、いろいろイマジネーションがわいてしまうようだ。特に、後者については、"rule of law(法の支配)"、"law of nature(自然の法則)"、"rule of inheritance(遺伝の法則)"というフレーズの連想が働くのだろう。
 英辞郎では、「きこりが長さを測るのに、親指を使った」と書いているがこれはWikipediaにもある。
 語源としては、Wikipediaにもあるように、印欧語の関連から考えるのが妥当だろう。親指の幅を1インチとしたとして。

This sense of thumb as a unit of measure also appears in Dutch, in which the word for thumb, duim, also means inch.

計測の単位としての親指という意味はオランダ語にもある、そこでは"duim"はインチを意味している。


 ということで、これが印欧語に広がっていると指摘している。

The use of a single word or cognate for "inch" and "thumb" is common in many other Indo-European languages, for example, French: pouce inch/thumb; Italian: pollice inch/thumb; Spanish: pulgada inch, pulgar thumb; Portuguese: polegada inch, polegar thumb; Swedish: tum inch, tumme thumb; Sanskrit: angulam inch, anguli finger; Slovak: palec inch/thumb.

 サンスクリットまで広がっているので、親指幅の計測はかなり古代に遡るのかもしれない。ちなみに、「寸」は0.8インチだが、東洋人の親指ならそんなものかもしれないので、同起源かもしれない。
 ただし、"inch"自体の語源は"uncia"で、その意味は「12分の1」ということで、フィート(feet/foot)の1/12になる。そう考えると、フィートが先にあるようにも思えはする。なお、"inch"は"ounce"(オンス)とも同語源だが、なぜか1ポンドは16オンスである。なぜかというと、これは、troy ounce(参照)なのだろう。
 親指の規則(rule of thumb)の雑談はまだ終わらない。英辞郎にも「妻を殴るのに許容されていた板の厚さが、親指の太さまでであったからという説」という変な話があるが、Wikipediaでもこの話題がてんこ盛りになっている。
 英辞郎の「妻を殴るのに許容されていた板の厚さが、親指の太さ」という表現はこなれてないが、ようするに親指の太さまで棒であれば、夫は妻をそれで叩いてよいと慣習法があったらしい。叩く際に基準はなにかというと、夫の気分次第というか夫の勝手でいい、つまり、親指の規則(rule of thumb)ということだ。
 この慣習法がコモンロー(common law)、つまり、世俗法であったようなのだが、そこには"thumb"という規定ではなく、"moderate correction"というのだが、まあ、許容される夫の権威みたいなものだろうか。ただ、それが親指の太さの棒と理解されていたかもしれないことは、Wikipediaにも当時の漫画が掲載されている。世俗法なのだが、その後米国にも伝わったらしい。


 これが歴史的な事実なのかがよくわからない。1993年頃、この問題に関心がある人がメールで議論していた記録が「Origin(s) of "Rule of Thumb"」(参照)にあり、そのあたりの騒ぎがWikipediaなどにも反映されたのではないか。

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2010.06.29

Panasonicマルチグリラーで魚や肉をこんがり焼いたらうまかった。煙もほとんど出ない

 暑くなると食の趣向を変える。それ以前になんか作るのもおっくうになる。そうなると、私なりに世界の人の調理を見てきた結論でもあるが、適当に食材を切って塩をしてオリーブオイルをまぶしてオーブンで焼く。野菜でも肉でも魚でも、それなりにうまくなる。意外に野菜は焼くとうまいものだ。魚は蒸し焼きならホイルしたり、塩釜にしてもいい。それはそれで美味しいのだが、ちょっと不満もあった。
 特に魚がそうだが、オーブンだと七輪で焼いたうまさに及ばない。村上春樹の紀行「遠い太鼓 (講談社文庫)」(参照)だったと思うけど、一番美味しい魚料理としてギリシア人が七輪で魚を焼く話があった。この紀行文に春樹さんが雨のカバラを訪問するという話があるが、私もカバラに行って鰺の塩焼きを食べた。ああ、塩焼き。
 情けないなと思うのだが、毎度おおきに食堂の塩焼き秋刀魚がけっこううまい。私は秋刀魚はフライパンにオリーブをひいて蒸し焼きみたいにすることが多い。これだと蓋して煙が閉じ込められるからだ。そこそこ美味しいのだけど、実家の庭で煙をもうもうとさせて七輪で焼いたのにははるかに及ばない。毎度おおきに食堂の塩焼き秋刀魚も食いたくなる。
 あれ、どうやって焼いてんのと疑問に思った。それほど煙が出ているふうでもない。見ると、業務用のロースターだ。業務用といっても、大量に焼くという程度、構造的にどうというものでもないみたいだ。ああ、ロースター。
 人からも勧められていたので、こりゃロースターを買うかなと思った。これ以上調理器具増やしたくないんだがと思ったが、ちょっとやけくそ。それで調べてみると、いろいろある。それなりに絞り込んで、さて迷った。気立てはよいけど背の高いお嬢さん、かわいいけれど漫画家志望、さて、といった選択ではない。「Panasonic おさかな煙らん亭フィッシュロースター」(参照)か、「Panasonic マルチグリラー」(参照)。
 調理器具は高ければよいというものでもない。ベーカリーマシンでもそうだが、高機能機で美味しいパンが焼けるというものでもない、というものでもないけど、それほど高価格の機械がよいわけでもない。炊飯器も高価なのがあるけど、鍋で炊いてもそれほど変わらない。この手のものは高ければいいというもんじゃないし、焼き魚が食いたいんだよということからすると、フィッシュロースターかなとは思う。

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Panasonicマルチグリラー
 迷ったのは、仕様を見ていると、この2機、違いがよくわからないことだ。値段差もさしてない。フィッシュロースターのほうが魚焼きに特化されているんだったら、決まりだと思うだが、わからない。ので、パナソニックに聞いてみた。あまり変わらないということだった。マルチグリラーのほうが遠赤外線機能が強化されているというくらいらしい。へぇ。じゃ、そっち。(私は松下電工の「いもまるくん」という焼き芋器を使っているので松下の遠赤外線機能は信頼しているのだった。)
 価格の安いところはどこかなと調べてみると、アマゾン。あはは。そういう時代か。というわけで、ぽちっと。翌日届いた。昔のパソコンみたいにでかい箱に入っているのかと思ったがそうでもない。重さもそれほど重くない。微妙なサイズ。
 さて、魚を焼くかと魚屋に突っ走る。銀ダラの切り身を買って、塩して焼いてみる。うまー! ありえないうまさ。泣けてきそうなのは、皮がうまいのよ。子供のころ、鮭の切り身でいちばんうまいのは皮だよなというのを、ふっと思い出した。当時は七輪で焼いていたもんな。
 翌日も魚屋に突っ走る。鮎を焼いてみる。うまー! もともと鮎はガスレンジで焼いてもそれなりにうまいのだけど、これガス臭くない。皮もうまい。熱は上下からくるのでひっくり返す必要もない。
 その翌日も魚屋に突っ走る。鰺を焼いてみる。うまー! うざいループになってきたが、ほんと驚いた。焼けた鰺にオリーブを垂らし、レモンを絞って瞑目するとカバラの港が思い浮かぶ。猫はどこだ。
 肉はどうなん? 鶏モモ肉買ってきて、ねぎまを焼いてみた。うまい。豚のスペアリブを買って、下ゆでして、たれに付けてから焼いてみた。泣けるほどうまい。
 煙が出ない。ゼロということはない。でも、ほとんど出ない。どういう仕組みなのか、取扱説明書には書いてあるがよくわからない。でも出ない。臭いもほとんど漏れない。メンテナンスもそんなに難しくない。
 魚屋行って旬の魚選んで、塩焼き用にわたをとってもらって、このグリラーで焼いて食えば、年を取っても幸せなんじゃないかなと思えてくる。というか、松下さんこれを世界の人に売りまくったらよいのに。そして、私も海外脱出…とかね。


追記
Panasonic マルチグリラー シルバー NF-MG1-Sの取扱説明書(参照PDF

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2010.06.27

[書評]中国に人民元はない(田代秀敏)

 25日付けの日本経済新聞の社説「変わる中国の労働事情 踏まえた戦略を」(参照)で少し気になったことがあった。話題は、中国の労働者問題である。


 ホンダが系列部品工場のストで乗用車の生産停止を一時余儀なくされたのに続き、デンソーの工場のストの影響でトヨタ自動車が生産停止に追い込まれた。
 ブラザー工業や韓国の現代自動車、台湾の奇美電子の工場でもストが起きた。目立つのは賃上げを軸とする待遇改善の要求だ。スト回避のため賃上げに応じた外資も多い。

 中国も国力を増すにつれ労働者意識も自然に向上するだろうということに加えて、日経ではあまり明白には書いていないが外資ということもありあそうだ。その点はAFP「中国労働者の「反乱」、外資系工場に集中する理由とは」(参照)のほうがわかりやすい。ようするに外資なら相手にしてくれるだろうという読みが背景にある。

 一方、国内企業ではなく外資系企業が相手なら中国政府も労働者の支援にまわりやすいことを、労働者側はよく心得ていると指摘するのは、香港に拠点を置く労働権利保護団体、中国労工通報(China Labour Bulletin)のジェフリー・クロソール(Geoffrey Crothall)氏だ。「中国企業のオーナーたちは政府高官とよほど関係が深い。その事実と一連の争議は大きな関係があると思う」
 国内工場の悪質な労働環境については国営メディアでも大きく取り上げられ、社会的混乱への懸念が高まる中、温家宝(Wen Jiabao)首相は今週、出稼ぎ労働者の待遇改善を呼び掛けた。しかしメディアが焦点を当てているのは外資系工場の争議で、中国企業の工場にはなんの問題もないような印象を与えている。
「ストライキは普段、中国では報道されないが、われわれが知らないだけで、中国企業の工場でもたくさんあるはずだ」とクロソール氏は述べている。

 案外国内問題を外資にぶつけているという構図もあるのかもしれない。
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中国に人民元はない
 ところで日経社説で気になったのはそこではなく、次の部分だった。中国で労働者が不足しているというような印象を与える。

 待遇改善の要求が高まった原因として、労働市場の構造変化が指摘されている。無尽蔵ともいわれた農村部の余剰労働力が、30年来の産児制限政策の影響もあって急速に減少しているという。
 農民工と呼ばれる農村からの出稼ぎ労働者の賃金は長らく伸び悩んできたが、ようやく買い手市場の時代が終わったようにみえる。

 そうした統計があるのだろうかとまず、疑問に思い。ああ、そういえばと、以前に読んだ「中国に人民元はない(田代秀敏)」(参照)を思い出した。もう一つ、この本を思い出したのは、社説がこう続くことだった。

 「量」だけでなく「質」も変わっている。従来は蓄えができたら故郷に帰る農民工が多かった。現在、若い農民工の大半は出費のかさむ都市部での定住を目指している。「より高い収入を」との思いは切実だ。

 日経の視点では、(1)量として農民工が減っている、(2)質として農民工が都市定住のためにより賃金を求めている、ということだ。
 そうなんだろうか。そうなのかもしれないが、この問題はもっと中国に由来する問題だろうということで先の本を思い出したのだった。「中国に農民の失業はない」としてこう書かれている。

 学生の就職難や失業も大きな問題だ。しかし、農地を捨て都市に流れ込んできた一億人を超える「農民工」と呼ばれる出稼ぎ労働者たちの失業は、さらに深刻だと思われる。

 として深刻な状況を描くのだが、

 ところが、中国の統計のどこにも、農民の失業はないのである。

 本書は2007年のものなので、その後の変化もあるかもしれない。日経社説のように農民工の労働力も足りなくなっているのかもしれない。
 本書をなぞると、そもそも農民は農村戸籍上、失業もできないようになっているらしい。ないのはそれだけではない。

 農民が排除されているのは、失業統計だけではない。農民には、年金がない。医療保険がない。最低賃金の保証もない。


 中国で農民は職業ではなく、階級であり身分である。

 そういうことなのだが、これには本書で書かれていない別側面がないわけでもない。農村籍では事実上、農地と住居は保証されている。
 しかし、全体の傾向は変わらない。

 都市民と農民との経済格差は拡大するばかりである。その結果として、一億人以上の農民が農地を捨てて都市に流れ込んでいる。だが、農民は都市で社会保障を受けることができないし、その子供たちは義務教育の小中学校にさえ通えない。


 近い将来、そうした子供たちが長じて労働市場に参入しようとしたときには、様々な障壁に直面し、社会そのものに深い恨みと憎しみとを持つのではないかと危惧される。

 本書は2007年でそれから3年の予言というには射程が短か過ぎるようにも思えるが、この問題は2007年以前からもあるという意味では、「社会そのものに深い恨みと憎しみとを持つ」という現象が顕在化したのではないか。冒頭日経社説でひっかかったのはそこだった。
 別の言い方をすると、不足する労働力というのは農民工をベースに見るなら、統計もなく議論のしょうもない問題ではないか。また、「都市部での定住を目指している」というのは、この階級差を前提にしてみたとき、賃金格差の不満という以上のものがあることはわかる。どれほど賃金があっても農民は都市民にはなれない、という問題。
 いや、なる方法もあるというか、なる方向性もある。8日付け人民網「農民工、点数に応じ都市戸籍取得可能に 広東」(参照)より。

 広東省政府は7日、「農民工(出稼ぎ労働者)積分制都市入籍業務の展開に関する指導意見(試行)」を発布した。今年から2012年まで、同省は省内に戸籍を有する農民工および共に連れ添った親族の約180万人について、点数に基づいた積分制により都市戸籍取得を促す。
 新たに発布された農民工都市入籍積分制は、積分指標が全省統一指標と各市が独自に定めた指標の両者からなり、各指標に対して一定の値が与えられる。原則上、60点を満たした農民工は都市戸籍取得が申請可能となる。
 「今回の規定は社会政策上、突出した学歴と技能を同様に重んじ、農民工の文化・技能の学習を奨励するもの」。広東省人力資源・社会保障庁の林王平・副庁長によると積分指標について、社会貢献経歴がある場合は加点され、違法犯罪があった場合は減点対象となり、農民工の積極的な社会貢献を奨励する。

 ところでこうした話を聞いて私が思うのは、簡単にいえば、ああ、賄賂が必要なんだろうなということである。
 つまり、なのでカネだよな、ということでもある。
 そんな公私混同でよいのだろうか。
 というあたりで、本書にある「中国に公私混同はない」という議論がためになる。この説明が爽快なほど。中国では公私は歴然と区別され混同しようもなく、そもそも公の物を私物化するのが「能力」ということ。
 本書は、他にも中国のないない話が続く。
 タイトルにもなっている「中国に人民元はない」は歴史背景もあって面白い。実は、親中派というお花畑な人はさておき、ある程度現代中国に関心をもつ人なら本書のネタの大半は既知だろうと思うが、ところどころ、へぇと思う。

 それでは「人民幣」が中国の通貨なのかというと、そうではない。
 「人民幣」が最初に発行されたのは一九四八年一二月一日である。その翌年の一九四九年一〇月に中華人民共和国が成立した。だから、人民幣は中華人民共和国よりも古い。したがって、人民幣が中華人民共和国の通過であるはずはない。

 人民幣を発行している中華人民銀行は共産党が設立したものであるとして、だから共産党の通貨だとする。
 歴史の経緯としては面白いが詭弁くさいかなと思っていると、追い打ちがくる。共産党の通貨は、穀物や肉など物財本位制度として国民党の通貨を打ち負かしたのだという経緯が語られる。ああ、なるほどね、である。
 この話の締めはこう。

 だから、中国共産党にとって、物価と対ドル為替レートの安定は国是ならぬ党是なのである。

 ここは、ああ、なるほどねとはちょっと言い難いが、なかなか日本や米国から見えてこない視点だ。
 そうえばAFPの記事では、労働問題を抱えているのは外資だけではないだろうとしているが、「中国に企業はない」を読むと、ちょっと視点が変わる。
 企業内の指揮系が確立されないかに見える中国企業で、企業統治はどうなっているのか?

 結局、企業の内部に形成された中国共産党員のグループである「党組」つまり党組織が、企業の経営を実質的に統括することになる。
 外国企業と合弁している中国企業はもちろん、日本やアメリカの外国企業の中国法人にも、たいてい、党組織が形成されている。党組織がなかったら、山猫ストライキは頻発するし、通知も徹底しない。

 まあ、そういうことなんだろう。(どうでもいけど、「山猫ストライキ(wildcat strike)」なんて懐かしい言葉。)
 ところで、中国ってほんとどうなるんだろうと本書を読んで中国のことが心配になる人がいたら、ご安心を。民主党政権で日本もそうなるから、気にならなくなるよ。

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2010.06.26

[書評]伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本(浜田宏一、若田部昌澄、勝間和代)

 日本銀行白川方明総裁に経済学を教えた浜田宏一先生が、かつてのその教え子である白川氏を叱るとまでは言えないまでも、奇異な日銀流理論から経済学の基本に立ち返るように諭すという趣向の対談本があると聞いて興味を持ち、以前にアマゾンに予約しておいた書籍「伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本(浜田宏一、若田部昌澄、勝間和代)」(参照)が今日届いて、早速読んだ。

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伝説の教授に学べ!
本当の経済学がわかる本
浜田宏一,若田部昌澄,勝間和代
 浜田宏一氏は現在も米国の経済学者の精鋭に伍してイェール大学経済学部で教鞭をとり続けている現役の最前線の経済学者であって、過去の追憶や老いの繰り言を語る人ではない。
 冒頭には、「白川方明・日本銀行総裁への公開書簡」が添えられており、日本国民が日銀の間違った金融政策によって苦しむことに経済学者として黙ってはいられないという、学者らしい義憤がしかし礼儀正しく書かれている。学者という存在はこういうものであったはずだと襟を正す思いがする。

拝啓
 金融界の頂上に立つ白川総裁にこのような率直なお手紙を書くのは、礼に反することではないかと恐れます。
 しかし、総裁の政策決定の与える日本経済への影響の大きさ、しかも、それによって国民がこうむる失業等の苦しみなどを考えると、いま申し上げておくことが経済学者としての責務と考えましたので、あえて筆をとった次第です。


 研究所長の任期を終えて帰米に際して、日本銀行へ挨拶にうかがったときも、(貴兄は海外出張中でしたが)硬い表情に見えた役員もいたなかで、速水総裁だけは本当に親身になって話していただきました。決して、論敵がいなくなってうれしいという表情ではありませんでした。
 そのときに湧いた疑問は、「なぜ、このようなすばらしいお人柄と、『ゼロ金利解除』を強引に行うような円高志向の政策観が共存できるのか」ということでした。いま起こっている疑問は、「貴兄のように明晰きわまりない頭脳が、どうして『日銀流理論』と呼ばれる理論に帰依してしまったのだろう」ということです。

 日銀に普通の経済学に立ち返ってもらいたい。少なくとも、かつては理解していたワルラス法則についてくらい、もう一度きちんと白川氏に理解し直してほしいというような、いかにも教師であったことの責務も感じられる。
 本書は対談を書き起こした語り口で説かれていて親しみやすい。若い学生に長く教えてきた浜田宏一氏の語りはやさしく、経済史学者若田部昌澄氏の気配り的な解説と、経済評論家勝間和代氏の話題をかみ砕くような適時のまとめも、全体として読みやすいものにしていた。
 対談で展開されている日銀への提言内容は、基本的にリフレ派と言われる人たちの考えをきちんとなぞったもので、その意味では、こうした議論に慣れている人にはあまり新味は感じられないかもしれない。以前のエントリで触れた「[書評]この金融政策が日本経済を救う(高橋洋一): 極東ブログ」(参照)の該当書を浜田氏も対談中で称賛していたが、むしろ金融政策的な側面は高橋洋一氏の書籍のほうがわかりやすい面もあるだろう。
 対談は10時間に渡ったとのことで、内容はテーマ別に7つの章に分けられている。日銀提言的な話は、冒頭公開書簡に続く、「第1章 デフレって何だろう」「第2章 こうすればデフレは止められる」「第3章 なぜインフレターゲットが必要なのか」と「第6章 デフレ脱却後、日本経済はこうなる」「終章 これが「本当の経済学」だ!」にまとまっている。
 中間の「第4章 「伝説の教授」はこうして経済学を学んだ」は浜田氏の昔話や一時代前の経済学や経済学者についての話で、おそらく経済学を好む人にとっては大半の逸話は知っているかもしれないが、意外に思う話などもここあるだろう。私としては、浜田氏の小宮隆太郎氏への印象が、予想外というものではないが、興味深いものだった。
 「第5章 歴史に学ぶ「反デフレ」の闘い──大不況・昭和恐慌の教訓」の話は、NHKブック「平成大停滞と昭和恐慌~プラクティカル経済学入門(田中秀臣、安達誠司)」(参照)で読んで知っていたので意外感はなかった。経済史学者としての若田部氏の思い入れとも重なるところだろう。
 個人的に多少意外な感じがしたのは、浜田氏がインフレターゲッティング論に転じたのは近年のこととしている点だった。氏の先生にあたるトービン氏はインフレターゲッティングを否定していたという逸話には浜田氏独特の思い入れもあるだろう。
 もう一点、ああそうかと思ったのは、エントリ「[書評]世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ! 日頃の疑問からデフレまで(飯田泰之): 極東ブログ」(参照)の該当書の著者でもある飯田氏によるリフレ政策強弱による三分類について、もっとも弱いタイプのリフレ政策である日銀法の改正とインフレターゲッティングが、実はもっと実施しにくいという若田部氏の指摘だった。
 加えて、この部分の政策論評価において本書の話の流れでは浜田氏も賛成しているのだが、実際のリフレ政策においては、日銀の魔窟的な性格に知的な関心を持ちつつも、日銀ガバナンス論より、民間債権の買い上げを含む金融緩和や為替介入を重視している点に、いわゆる議論的な議論を超える部分への微妙な思いが感じられた。
 対談は、菅首相誕生前の4月に行われたらしく、特に勝間氏の発言の端などにはその時点での財務相としての菅氏への期待も諸処に見られる。だが、現状の菅首相の経済観はかなり後退している。
 民主党には結果的に批判的にならざるえない私としては理の当然といった主張に満ちているのだが、例えば次のような浜田氏の発言を、民主党の人たちはどう受け止めるだろうか。

浜田 普通は経済成長するから、再配分もできる。それが常識ですよね。
 デフレ放任政策がとられている現状を前提とすると、社会的弱者のための温かい政治を行うことが期待されますが、それを最も非効率にやろうとしているのがいまの民主党政権です。お金持ちの子弟を含めて高校の授業料を全員に無償にしようとしているのが、その一例です。民主党にはミクロ経済学も学んでもらわなければなりません。
 分配の平等性を実現するには、全体のパイも大きくしなければなりません。国民からパイを奪うようなデフレ放任の金融政策が行われているなかで、分配の公正を求めるのは無理があります。デフレは地方自治体の財政バランスにも悪影響を与え、住民に対する福祉活動も制約します。

 菅首相はデフレを放任しないと明言しつつ、財政再建も行うとしているのだが、その二つを繋ぐのが消費税の増税である。増税による正しい投資によって経済成長がなされ、財政再建が可能になるという不思議な経済学である。そうではなく、まず、金融政策が問われるのだという浜田氏の主張は、日銀を超えて首相にも届けばよいと願わずにはいられない。

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2010.06.25

マクリスタル司令官辞任、後任はペトレイアス中央軍司令官

 アフガニスタン駐留米軍マクリスタル司令官が辞任し、後任にはペトレイアス中央軍司令官が指名された。表面的にはローリング・ストーン誌の記事(参照)で、マクリスタル司令官がバイデン副大統領やアイケンベリー駐アフガン大使を含めオバマ政権高官を批判したため、これに怒ったオバマ大統領が事実上の解任したように見える。
 実際には、記事は下品な代物ではあったが、マクリスタル司令官の任務の問題とは見えない。むしろ、軍部の政権批判に対して文民統制の視点から規律をもたらす必要性にオバマ政権が駆られたと理解したほうがよいだろう。バイデン副大統領とゲーツ国防長官の対立といったオバマ政権内の問題の悪化を留めたいという思いのほうが、オバマ大統領には強かったのではないか。そして実質的にはバイデン氏を立て、ゲーツ氏が負けた。
 事実上解任されたマクリスタル司令官に失態はあったかというと、評価は難しい。が、なかったと見てよいだろう。彼は昨年5月に国際治安支援部隊(ISAF)司令官に就任後、12月米軍3万人増派のアフガン新戦略を主導してきた。もともと難しい任務であり、そもそもオバマ大統領が最終的に決断した戦略でもあった。責任の大半は、選挙前公約に対する焦りに駆られたオバマ大統領にある。
 こうしたことから、ワシントン・ポストは23日付け社説「Why President Obama should keep Gen. McChrystal」(参照)ではマクリスタル司令官の続投を論じた。
 ニューヨークタイムズは、独自指令で秘密活動をしていたペトレイアス中央軍司令官(参照)に批判的なこともあり、22日の社説「Afghanistan, After McChrystal」(参照)ではマクリスタル司令官の問題よりアフガン戦の危機的な状況への問題提起を論じた。
 おそらく問題の背景には誰が任務にあたっても、アフガン戦に好転はないだろうということであり、マクリスタル司令官は事実上それを暴露したに等しかった。
 泥沼のベトナム戦争を終結させたニクソン大統領時代の大統領補佐官キッシンジャー氏も、22日付けのワシントン・ポスト寄稿「America needs an Afghan strategy, not an alibi」(参照)でこの問題を論じ、新しい戦略が必要だと指摘したが、結果的にはオバマ大統領の方針への批判と読めないことはない。
 ざっくり言ってしまえば、現状のままではアフガン戦は負け戦になる。
 ペトレイアス中央軍司令官はそれを承知で、お国のために引き受けたという形になっている。この話がお涙頂戴となるのは、ペトレイアス中央軍司令官がイラク戦争の英雄として時期大統領候補としての名声が高まっているからだ。その名声の可能性を捨ててまでお国に尽くすということである。明確にはされていないが、大統領候補としては共和党から立つとも見られていた(参照)。
 24日付けワシントン・ポスト社説「Gen. Petraeus needs the support his predecessor lacked」(参照)もそこを指摘していた。ペトレイアス中央軍司令官について。


After his triumph in Iraq, Gen. Petraeus could have retired and spent the rest of his life collecting accolades; he could have encouraged the speculation about a presidential candidacy.

イラク戦の勝利の後、ペトレイアス中央軍司令官は引退し、後生を名声獲得に充てることもできた。つまり、大統領候補への期待に自信を持つこともできた。

That he would choose to take on the formidable and risky job of rescuing the mission in Afghanistan at this critical moment is, as Mr. Obama rightly put it, "an extraordinary example of service and patriotism."

彼が、この重要な時期でアフガン戦救済の任に当たることは、並外れて危険な職務となるだろう。それは、オバマ氏が「奉仕と愛国心のとてつもない例証となる」と正確に述べているとおりだ。

He deserves and will need the unqualified support of the president and his national security team.

彼は、大統領とその配下の国家安全チームから条件なしの支援を受けるに値するし、またその必要があるだろう。


 簡単にいえば、この恐るべき任務をこなせばペトレイアス中央軍司令官は次期大統領となる。たぶん、共和党の大統領だろう。そうなればブッシュ前大統領の歴史評価の見直しにすらつながるかもしれない。が、それに民主党のオバマ大統領は賭けるしかない。
 意地悪く見れば、負け戦に乗じて未来の強力なライバルを上手に潰すということでもあるのだが、米国民は共和党も民主党もそういう邪推はしてないようだ。

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2010.06.24

菅直人首相とその経済ブレーン小野善康・大阪大学教授との考えかたの違い

 菅首相が自民党案を模倣して消費税を10パーセントまで上げるかというのが話題になっているが、この話、どうも当初の話と違っている。鳩山前首相のようにえっと人を驚かせるような、常人には理解できない裸踊り的意見の転換がないのとマスコミが世論に目配りして菅氏に好意的なのか、それほど注視されているふうでもないので、多少話が込み入って見えるかもしれないが、この時点で経緯をまとめると混迷の具合がわかりやすいので、軽く記しておこう。
 起点は、首相就任に当たっての会見を振り返ることだ。読売新聞のソースより(参照)。小泉・竹中路線が間違いだとして。


 そうした間違いを取らないで、需要、雇用を拡大する。同じお金の使い方でも、雇用、需要に焦点を置いて財政出動をする。そのことが第1、第2の道に対し、私が第3の道と申し上げている。このやり方が、デフレ脱却から経済の成長につながる。


 我が国の債務残高は巨額であり、その解消を一朝一夕に行うことは困難です。だからこそ、財政健全化に向けた抜本的な改革に今から着手する必要があります。具体的には、まず、無駄遣いの根絶を強力に進めます。次に、成長戦略を着実に推進します。予算編成に当たっては、経済成長や雇用創出への寄与度も基準とした優先順位付けを行います。これにより、目標の経済成長を実現し、税収増を通じた財政の健全化につなげます。
 我が国財政の危機的状況を改善するためには、こうした無駄遣いの根絶と経済成長を実現する予算編成に加え、税制の抜本改革に着手することが不可避です。現状の新規国債の発行水準を継続すれば、数年のうちに債務残高はGDP(国内総生産)比200%を超えることとなります。そのような事態を避けるため、将来の税制の全体像を早急に描く必要があります。

 消費税という言葉もなく、論理もまどろっこしいのだが、無駄遣い根絶を筆頭に置いているものの、言わば修辞的弾避けに過ぎず、要するに「財政健全化に向けた抜本的な改革」とは税制改革であり、それに続いて成長戦略という構造になっている。キーは「予算編成」であり、それを支えるのは当面は税でしかありえない。
 税については言及が曖昧で所得税の含みもあるが、全体の文脈的には消費税という話になっていくことは明確と言ってよいだろう。
 ここまでは、菅直人首相の経済ブレーンで、内閣府参与を務める小野善康・大阪大学教授の考え方に重なる。確認してみよう。21日付けロイター「インタビュー:失業率3%へ消費税上げも=小野・阪大教授」(参照

――菅首相の目指す「第三の道」という経済財政政策はこれまでの政策とどう違うか。
 「過去の自民党政権下で取られた第一の道は、消費者にお金をばらまけばいいというオールド・ケインジアンの発想であり、無駄な公共事業や減税、補助金を指す。第二の道は構造改革そのもので、1990年代以降に生産能力が余っているにもかかわらず生産能力を上げようとした小泉・竹中改革。双方に共通するのは、労働資源を活用することが頭になく、お金を使うか倹約するしかないこと。これでは需要と雇用は生まれない」
 「第三の道は、人に働いてもらうことが目的。そのために資金が必要なら、増税しても構わない。そうすれば当初の増税分は家計に所得として返るので、その時点で家計負担はないし、サービスや設備も提供される。雇用が増加してデフレも雇用不安も緩和されるため、消費が刺激され、経済も成長して税収が増え、財政も健全化していく」

 菅氏と小野氏は同意見のように見える。ここまでは、である。
 その先が微妙になる。

 ――菅首相は消費税の増税を含む税制改革について2010年度内に取りまとめたいと表明。当面の消費税率は10%を1つの参考にするとしている。
 「消費税は来年からすぐにでも上げたほうがいい。数字については示せないが、失業率を3%に引き下げるまで人を雇えるお金が必要で、そうであればかなりの増税が必要となる。私は消費税が特にいいと言っているのではない。本来なら所得税を引き上げ、特に最高税率を上げて累進性を高めればいい。高所得者はお金を使わないからだ。また相続税の増税でもいい」
 「要は増税分を借金返済ではなく、雇用創出とその所得支払いにまわすということだ。それによって増税分の雇用が生まれる。低所得者の収入が増えれば、消費も増えて税収も上がる。増税による税収の使途は、福祉目的税のように限定しないほうがいい。使途は国民が意見を出して政治家が判断すべきことだ。目的税化してお金を配るだけでは雇用は生まれない」

 小野氏の考えでは、消費税アップは雇用創出の文脈にある。また、「本来なら所得税」として本義が消費税ではないことを強調している。
 小野氏が菅氏のブレーンであるとすると、菅氏の意見もそうかと読まれがちだが、そこがどうも違ってきている。
 その前に小野氏の考えの中心ににあるのは、簡単にいえばデフレギャップ解消だ。

――菅首相は2011年度までのデフレ克服を重要課題に挙げているが、これに対して日銀の政策をどう評価するか。
 「デフレギャップを残したままでは、お金の発行量を増やしてもデフレはなくならない。デフレの克服は総需要と雇用の拡大によってデフレギャップを減らすことでしか達成できない。バブル以前の需要不足でなかった時代には、ハイパワードマネー拡大が物価上昇につながったが、バブル以降はまったく効いていない。日銀も財務省も、それぞれ貨幣と国債という金融資産によって、最大限の信用拡大を行っている。国債への不安の高まりも、これが限界に近づきつつあることを反映している」
 「いま日銀ができるのは、貨幣の信用を維持できる範囲で、できるだけ金融緩和をすることだが、すでにかなりやっている。したがって、これ以上、日銀に責任を押し付けるべきではなく、これまで通りの金融緩和の姿勢を保ってほしいと言うべきだ」

 デフレ解消議論のリフレーションも結果的にはインフレ税となるので、デフレ解消という視点からすると小野氏の考えもそれに近い。
 問題は菅氏の理解である。
 小野氏とは違っているようなのだ。23日付け毎日新聞社説「消費税論議 財政再建の知恵競え」(参照)より。

 党首討論会で、なぜ消費税の引き上げが必要なのかと聞かれた菅直人首相は、「高齢者関連の社会保障費は消費税でまかなうことになっているが、10兆円足りず赤字国債で補っている。このままでは社会保障制度が破綻(はたん)する」と説明した。「これを消費税増税でまかなったとしても借金が増える勢いが減るだけで借金は減らない」とも述べた。こうした現状の厳しさを繰り返し、丁寧に説明することで、国民の理解を深めていかねばならない。

 つまり赤字国債が消費税アップの本音だ。だとすると以降の混迷もわかりやすい。
 増税財政再建派の毎日新聞は消費税アップは、読売新聞ほどではないにせよ基本線では好意的だが、菅氏の思いつき的発言の軽率さを批判してもいる。

 抽象論ではなく具体的な対策が浮上したこと自体、悪くないが、いきなり10%と言われても、国民はすんなりと受け入れる気になれないだろう。党首討論会でも野党から追及があったが、「10%」も含め消費税引き上げに関する考えが民主党内でまとまっているようにも見えない。普天間飛行場の移設先をめぐり鳩山前政権が迷走したのも、先に党内で議論を詰めず、首相の考えと党、連立政権が一致しないまま走り続けたことが大きかった。同じ失敗を財政再建で繰り返してはならない。

 10%の根拠は民主党内にはないことは、「2010年度内にあるべき税率や改革案の取りまとめを目指したい。当面の税率は、自民党が提案している10%を一つの参考にしたい」(参照)としたことからも明らかで、菅氏お得意の、れいの乗数効果11発言と同じようなもののようだ。
 菅氏の思いつき発言がもたらした民主党内の混迷も深い。時事「仙谷官房長官、消費増税なら衆院解散=玄葉氏、雇用創出にも充当」(参照)より。

 仙谷長官は消費税引き上げについて「日本の財政、経済、社会保障のシステムを立て直すためには議論は避けて通れない」と強調。7月11日投開票の参院選でも「大いなる議論、争点化がなされればいい」と述べ、「当面10%」と公約した自民党も含め、各党と議論を深める意向を示した。
 一方、民主党の玄葉光一郎政調会長は会見で、地方の取り分を除き、医療、介護など社会保障目的に限定されている消費税の使途について「(税率引き上げ時に)名目成長率が3%に達していなければ、その財源を需要、雇用を創出する分野に集中的に使ってもいいのではないか」と指摘。現行制度で1%分が充当されている地方消費税の拡充を検討する考えも示した。

 仙谷氏と玄葉氏の消費税の考え方の違いは、他党との考え方の違い以上の開きがある。
 民主党内で消費税についての意見の統一はない。それどころか党内でもめることになった。21日付け日経記事「「引き上げないと言っていたのに」消費税で民主に戸惑い」(参照)より。

 「4年間上げないと言っていたのに撤回するのか。来年4月から上げるのか。地元では誤解されている」。21日夕、民主党本部で開いた常任幹事会は首相の消費税発言への懸念が噴出した。
 声を上げたのは小沢一郎氏に近い松木謙公国会対策副委員長ら5人。枝野幸男幹事長は「昨年の衆院選で約束したことが基本だ」と理解を求め、「衆院選前の消費税増税はない」という基本路線を再確認した。

 また小野氏が明言したにもかかわらず民主党は消費税を目的税化した。22日付け読売新聞「「使途、医療・介護にも」消費税で民主が主張修正」(参照)より。

 民主党は消費税率引き上げに言及した菅首相の発言を受け、消費税に関する党の見解をまとめた。
 税率引き上げ後の使途について、「税収は年金に限定することなく、医療・介護などの分野にも充当する」とし、過去の公約に盛り込んだ「年金目的消費税」の主張を修正した。
 同時に、「財政の余力が増す場合には、わが国の閉塞感を打破し元気な日本を復活させる分野に充当していきたい」と記し、財政状況が改善されれば、さらに別の分野にも支出する方針を示した。

 消費税を打ち出の小槌と思っているのかもしれない。経済が低迷し消費全体が下がれば、消費税も下がることがわかっていない。
 菅氏の意見もめちゃくちゃでかつ民主党内の意見もめちゃくちゃ。いったい、消費税をどうしたいのか皆目わからない。
 火消しに入ったのは枝野幸男民主党幹事長のようだ。23日付け産経記事「枝野幸男民主党幹事長「総選挙まで消費税上げない」(参照)より。

 消費税の問題は、次の総選挙(衆院選)の直前に生煮えの議論で「どうしましょうか」と問いかけたり、次の総選挙に向けて議論するのに、今回の参院選で何も言わないのは無責任だ。菅直人首相はリスクを承知の上で「これからちゃんと議論して、煮詰まった段階で総選挙で国民に信を問います」と誠実に言った。もちろん、次の総選挙まで消費税を上げないという考え方は変わっていない。

 結局、民主党としては消費税の導入は、総選挙で国民に信を問うということに落ち着いたようだ。これは仙谷官房長官と原口総務相の影響もある。18日付け毎日新聞「仙谷官房長官:消費税増税 総選挙で国民に信を問」(参照)より。

 仙谷由人官房長官は18日午前の記者会見で、消費税増税を巡り菅直人首相が自民党の提起している「10%」を参考にする考えを示したことについて「(参院選の)当然争点になる。大いなる議論、争点化がなされればいい」と指摘した。その上で「(増税を)実施するときは、首相は国民に信を問うことになるのではないか」と述べ、実際に消費税率を引き上げる際には、首相が衆院解散・総選挙で国民の理解を求めるとの見通しを示した。

 18日付け「次期衆院選まで消費税増税「絶対ありません」 原口総務相が強調」(参照)より。

 原口一博総務相は18日の閣議後会見で、消費税の増税について「この衆議院の任期中に消費税増税は絶対ありません」と語り、2013(平成25)年夏までに行われる次期総選挙より前の段階では消費税率の変更はないとの認識を示した。
 ただ、国・地方自治体の税制や財政の変革が必要だと強調。例えば、財政に占める直接税・間接税の直間比率に加え、安定的な財源による安定した行政サービスの確保など「待ったなしの問題」(原口総務相)とし、政府税制調査会で具体策を詰める考えを示した。

 野田財務相も火消しに入った。23日付けWSJ「税制改革は自由主義より平等主義の視点で=野田財務相」(参照)より。

WSJ:なぜ今のタイミングで消費税増税の方針を打ち出したのか。
野田財務相:財政健全化を考えた場合、もちろん歳出改革を行う必要がある。事業仕分けは第3弾を行うことになった。一方で歳入改革も避けて通れない。消費税だけが取り上げられているが、ほかに法人税や資産課税、所得課税などを含む総合的な改革を行いながら、財政運営戦略に沿った対応をしていく。
WSJ:有権者から理解は得られと思うか。
野田財務相:得られるように、丁寧に説明する。

 野田氏は小野氏のように所得税との関連も視野に入れた総合的な視点に戻している。というか、これは自民党と同じだが。
 引用が多くなってエントリとしては読みづらくなったが、菅首相の党内の声を無視したヘンテコ発言で党側が動揺しているようすがわかる。
 この構図は、鳩山前政権の普天間基地問題の混迷と実は相似である。「菅政権はいかにして鳩山政権のように自爆するか: 極東ブログ」(参照)で引いたポール・スカリーズ氏の指摘のとおりでもある。
 民主党に好意的なトバイアス・ハリス氏も菅氏の消費税議論の矛盾を指摘している。「菅流「第3の道」カギは日米同盟?」(参照)より。

 財政赤字削減、経済成長、社会保障の強化という3つの相容れない(と私には思える)目標を菅が追求すること自体は、愚かな判断だとは思わない。目下の政治環境では、政府は3つの目標にすべて取り組まざるを得ない。
 しかし、菅はやがて、2つの目標を犠牲にして1つの目標を優先しなくてはならなくなる可能性が高い。その最優先課題とは、財政赤字の削減である。
 問題は、財政赤字を削減すれば経済を成長の軌道に載せ、社会保障財源を確保できるのかという点だ。財政健全化のために消費税率を引き上げた場合に、日本の内需が拡大するとは考えにくい。個人消費を現在の水準に保つことさえ、難しいのではないか。
 財政赤字の削減が有意義な目標であることに疑問の余地はないが、菅政権が経済政策に関する約束をすべて守るのは困難だろう。政府の無駄遣いの削減と税収の拡大を通じて、財政赤字を減らしつつ、経済成長を加速させるための公共支出を増やすことなど、本当にできるのか。

 CAP定理(参照)と同じである。
 いずれにせよ、この混迷のプロセスで、菅直人首相とその経済ブレーン小野善康・大阪大学教授との見解の違いは明確になった。小野氏の主張の根幹は、3点である。(1)重要な問題はデフレ解消・雇用創出である、(2)そのための消費税導入は急がなければならない、(3)消費税より所得税が好ましい。
 小野氏の提言を第三の道と呼ぶなら、菅氏の道はそれとは違った第四の道であろう。その基本特徴は、混迷である。

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2010.06.23

イラン発ガザ支援船阻止に米軍が動いたのか?

 ツイッターのタイムラインを見ていたら、なんだろこれという話があった。イラン発ガザ支援船阻止に米軍が動き、緊張が高まっているというのだ。
 どういう詳細なんだろうかと思って、ツイート元にニュースソースを訊いてみた(参照)。


ソース? “@takapapacom: イランのGaza支援船を阻止しようとするイスラエルと米国の戦艦が紅海に向かったそうな。スエズ運河を通ることをエジプトが認めたと。緊張が高まっています。”

 ちなみにこのツイートの反応例(参照)はこんな感じだった。

ガザの人々はイスラエルの蛮行に対し、砂をかんで、非暴力による抵抗を続けている。彼らを利用して、戦争のきっかけを作るな! takapapacom イランのGaza支援船を阻止しようとするイスラエルと米国の戦艦が紅海に向かったそうな。スエズ運河を通ることをエジプトが認めたと。

 戦争のきっかけを作るなというメッセージは、イランに向けてのこと米国か、はたまエジプトかそれらのコンビネーションかよくわからない。
 ところで、ニュースソースについては回答をもらった(参照)。

Showdown in the Red Sea: U.S. Sends 11 Warships to Confront Iran. http://bit.ly/9L0e4Z RT @finalvent: ソース? “@takapapacom: イランのGaza支援船を阻止

 該当ソースを読んでみると、ブログのエントリで、実際のニュース・ソースとしてはエントリ内にある、20日付けイスラエルArutz Sheva紙「US, Israel Warships in Suez May Be Prelude to Faceoff with Iran」(参照)だったので、謝辞と確認を返信したら、感嘆符が返されたのだが、その意図まではわからなかった。

!RT @finalvent: @takapapacom ありがとう。ソース的にはこちらですね。http://bit.ly/brcjsL

 さて、そのニュースソースなのだが、記事に言及があるように、"according to the British-based Arabic language newspaper Al Quds al-Arabi"、英国拠点のアラビア語新聞"Al Quds al-Arabi"によるらしい。つまり、ツイート情報は孫引きの孫引き情報のようでオリジナルがよくわからない。
 イスラエル政府からのイラン支援阻止話はエジプト政府が否定しているともあるのは多少気になるが、該当記事には米軍についての報道も書かれていない。
 真相はどういうことなのだろうかと疑問に思っていた。
 背景となるイラン発ガザ支援船の話は嘘ではない。15日付け朝日新聞記事「ガザ支援船、19日か20日に出航へ イラン赤新月社」(参照)でも報じていた。

イラン赤新月社(赤十字に相当)は15日、イスラエルが封鎖するパレスチナ自治区ガザへの支援船2隻を19日か20日にイラン南部バンダルアッバスから出航させると発表した。
 報道担当者によると、船は紅海からスエズ運河を経由する「通常の航路」でガザに向かうという。エジプト政府がスエズ通過を拒んだ場合は「別の航路を使う」としているが、どこかは明言しなかった。
 イスラエルはガザへの支援船を阻止する姿勢を堅持しており、イランが強行すれば対立関係にある両国の緊張が高まるのは必至だ。

 いかにも緊張が高まりそうな朝日新聞の記事だが、国際的にはそれほど重視されていなかった。日本版ニューズウィーク6.30号SCOPE記事が同じ問題に言及しているが、イランはむしろ挑発していないし、イラン海軍は弱体すぎてそもそも軍事的な脅威ともなりえない。

 欧米の政府当局者の話では、支援船の護衛にイラン海軍の艦船が出動する動きはない。ある当局者によると、いずれにせよイラン軍では海軍がもっとも弱体で、自国の領海から離れた海域で作成行動を取る能力は皆無に等しい。

 さらに、のろのろ進んでいるので監視も阻止も難しいものではない。
 こんなものに米海軍が動くだろうか?
 疑問に思っているとイラン側から興味深いアナウンスが出た。22日付けFOX「Iran to send blockade-busting ship to Gaza, Israeli commandos train for confrontation」(参照)である。イラン海軍が封鎖突破のための支援船も出すというのだ。
 それでもたいした話にはならないのではないかと見ていくと、22日付けNewsweekのMark Hosenball氏寄稿「U.S. Naval Movements Unrelated to Iran's Purported Gaza Stunt」(参照)が米軍の動きについてあっさりと関連なしと記事にしていた。

Obama administration and European officials suggest that fears of a possible looming naval confrontation between the large American fleet and any Iranian boat headed for Gaza are greatly exaggerated.

オバマ政権と欧州当局者は、米艦隊とガザ向けのイラン船の間の対立が迫ることについて誇張しすぎていると示唆している。

On Monday, the Pentagon distributed an announcement by the U.S. naval command covering the region confirming that a carrier strike group, headed by the aircraft carrier Harry S. Truman, had successfully transited the Suez Canal on June 18.

月曜日、米国国防総省はこの海域の海軍命令を公開したが、それによると、6月18日、航空母艦、ハリーS.トルーマンを先頭に母艦団がスエズ運河を成功裏に通過した。

But the announcement characterized the naval movement as normal. It said that the carrier group was "relieving the Dwight D. Eisenhower [carrier group] as part of a routine rotation of forces during a scheduled deployment" in support of various ongoing American and allied military operations in the region.

しかし、この発表は米海軍の恒例である。母艦団はドワイトD.アイゼンハワー救援として、予定された配備期間の通常業務の一部であるとも発表されている。この業務には、この海域で進行中の米軍および同盟国作戦の支援も行っている。


 軍側の発表までは手繰れなかったが、記事の内容は正しいだろう。つまり、米国としては、ただの噂や思惑の話に対応するわけにもいかなかったのだろう。
 結局、米海軍のスエズ運河通過はあったにせよ、またそれが米軍と同盟国軍の軍事的な示威といった含みはあるにせよ、対イランないしガザ問題の含みはないと見てよさそうだ。

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2010.06.21

[書評]夫の悪夢(藤原美子)

 10代の子どもに問われて、「大人になればわかるよ」としか言いづらいことがある。他の世代でも、例えば20代の人には「30過ぎるとわかるよ」としか言えないことがある。本書は、たぶん、40歳過ぎないとわかりづらい機微に満ちている。あるいは40歳過ぎたら読んでみるとよいですよ、と男女問わず勧めたくなる。大人のためのエッセーである。文章も美しい。

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夫の悪夢
藤原美子
 タイトルと著者を見れば、それだけで含み笑いを浮べる人もいるだろう。数学者、藤原正彦の夫人のエッセーであり、あたかも藤原先生が妻に向かって、暴露はやめてくれ、悪夢を見そうだ、と言いそうなシニカルなユーモアに満ちている(なれそめの一言とか特に)。本書を楽しむには藤原先生のキャラクターを知っているとよい。ただし、それはごく表層的なことだ。本当の面白さはそこではない。
 私はうかつだったのだが、藤原先生の本を何冊も読み、だからして奥様はたいそうな美人に違いないとわかっていながら、お写真を見たことはなかった。本書で初めて見た。ため息をつくほど美人だということは予想通りではあったが、本当に美人すぎて、しかも学者家系の娘さんらしく知性も豊かで、ピアノも弾きこなす。才色兼備を絵に描いたような女性がちゃんとこの世にはいるものだ。なんだか呆然とした。
 誰もがうらやむ才色兼備な女性の人生というのは、なんだろうか。人間、多少は暗いものを引きずっていないとバランスはとれない、とか思いつつ、読む。もちろん、不遜な期待に応える話はない。でも、誰もが半世紀生きてみると向き合う繊細なリアリティのようなものが、庶民らしい煩悩の雑音のなさからか、すっと描き出されていた。
 こんな話がある。著者の父が70歳過ぎて学問上の賞を授かる祝いに同席したおり、父と同年の紳士に会う。

父は「御無沙汰しています。これは娘です」と隣にいた私を紹介し、私にその方の名前を告げた。私はハッとした。ドラムを打つように激しく心臓が鳴り出した。

 その名前は、著者の20代に亡くなった母から聞いていた。恋仲という言葉は書かれていないが、その紳士と著者の母が結婚しても不思議ではなかったらしい。

 その方は父が私を見て眩しそうに目を細められ、「ああ、お母様にそっくりだ」とつぶやくようにおっしゃられた。
 父の耳にはその言葉が届かなかったようだ。

 著者は、その紳士の心の中にも母が生きていると思い、胸が熱くなったという。この感情は40過ぎないとわかりづらい。
 それから話は、別の人と結婚していたらどうだったかという想像を軽く描く。
 もちろん、そんなものは存在しない。人が生きられるのは、たった一つの人生だけ。惨めだけど自分だけの幸福に満ちた、たった一つの人生しかない。私ならそう言いたいところ。だが、才色兼備の女性なら、おそらく他の人より広い選択のなかで恋愛も人生を生きることができる。このエッセーには、普通の人には選べそうにもない人生の情景も描かれている。
 だが著者は、娘として妻として母として、おそらく傍からはそれ以上望むべくもない生き方を選び取っているかのように見えながら、生きられなかった人生というものに直面し、今存在することの蓋然性のような部分を歴史につなげていく。
 若い頃は、人は生きてきた時間を歴史に織り込むように思うものだが、実際には生きられなかった人生としての他者に織り込まれて歴史を形成していくものだ。そうした他者と歴史のなかで、一人の老女も描かれる。
 若い人の言葉が目立つインターネットなどでは、藤原先生は右翼扱いされてしまうこともあるが、その母である藤原ていを知れば、まあ坊が右翼なんぞなろうはずのないことは知っている。著者も姑としての藤原ていの気迫を物語る。新婚生活のころ、洗濯物を干していると、ていが突然、戦争が起きたらどうしますかと問いかける。答えに詰まっていると、ていはこう続けた。

「美子さん、正彦をどんなことがあっても戦地に送ってはいけないですよ。そのときには私が正彦の左腕をばっさり切り落としますからね。手が不自由になれば、招集されることはありませんよ。右手さえあればなんとか生きていけますから」

 本当の戦争というものを体験した反戦の心というのはこういうものである。それをストレートにぶつけられた著者は、もちろんストレートに受け止めることはできない。そこは簡単な言葉にはならない。このテーマは本書全体に薄く、人が年を取ればわかるように書かれている。

関連


  • [書評]祖国とは国語(藤原正彦)・父への恋文(藤原咲子)(参照
  • [書評]流れる星は生きている(藤原てい)(参照

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2010.06.20

[書評]神様は、いじわる [文春新書](さかもと未明)

 どうしてこんな不幸が自分にだけやってくるのだろう。そう途方に暮れたことのない人は、うらやましいと私は思う。特に深刻な病気は耐え難い。有史以来、多くの人が不遇の人生を歩み、悩み、考え、記した。旧約聖書にもこのテーマがある。

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神様は、いじわる
(文春新書)
さかもと未明
 ヨブという正しい人が、神様の命令で悲惨な病気になる。病気を直接もたらしたのはサタンだ。といってもこの時代のサタンは後の西洋史の悪魔とは少し違うが、サタンは神のそばにいながら、ヨブの信仰を疑っていた(神を疑っていた)。そこで神様に、あんな正しいフリをしているヨブでも、理不尽な病気になれば、神様、あなたを呪いますよと進言した。神様は、ではそうするがよいだろうとサタンに命じた。ヨブは苦しみながら神を呪った。
 この話にはハッピーエンドが付いている。そこでユダヤ教徒もキリスト教徒も信仰に慰めを得ている。聖書学を学んだ私は、そのエンディングが、この悲惨な物語に耐えられなかった後代の加筆であることを知っている。本当の物語は、ヨブは苦しみ、神を呪って終わった。本当はなんの救いもなかった。ただ、それでもヨブは神への信仰を失わなかった。なぜか?
 筋の通った答えはない。信仰はその結論であって答えではない。答えは、そうした境遇を生きた人の人生のなかにしかない。漫画家さかもと未明さんは、その答えを出した。いや、他人から見えるものは、答えというものではないだろう。それでも、現代日本のなかで、彼女はヨブの物語を顕現させた。この手記「神様は、いじわる」(参照)の五章を読み終えたとき私は突然、嗚咽した。体じゅう震えた。同情もある。それ以上のこともある。
 さかもと未明さんが、難病の全身性エリテマトーデス(SLE)に罹患していたことはずっと知らなかった。
 2007年11月、漫画家の命ともいえる指先が腫れて痛んだ。棘が刺さったような褐色点もある。皮膚科で検診し様子を見たが治らず、膝も痛むようになった。大学病院で検診してSLEの診断を得た。強皮症の抗体も出た。シェーグレン症候群もある。休む間もない売れっ子に突然入院が勧められた。「なおせないんですか」と医師にむなしく聞いた。この病気にも治るということがない。

 わたしは悲しんだり絶望するより先にお金や仕事の事で頭をいっぱいにしながら病院を後にした。
「悲しい」という気持ちがわきあがってきたのは、それから何時間もたった帰り道の路上だった。

 あれかと思う人もいるだろう。
 物語はSLEに至る前史から始まる。診断の一年前から不調はあった。それは社会的な成功という意味での幸福の絶頂に重なるものだった。その明暗は痛々しいほどだが、さなか、北朝鮮拉致問題に取り組む横田滋・横田早紀夫妻と知り合うことになる。
 この出会いは、本書のひとつの、不思議なテーマとなっていく。言うまでもなく、ご夫妻の娘さん、横田めぐみさんは、13歳のときに北朝鮮に拉致された。日本で暮らしていたらどのように育ったか。さかもと未明さんは、めぐみさんより1つ年下で、夫妻からすれば自身の娘のように見える。さかもとさんにしてみると、夫妻との出会いは、彼女自身の親の関係を修復していくきかっけになっていく。奇跡というものが、こっそりとこの世界に光を差し込む。
 物語はさらに遡及し、子供時代、とくに悲惨な家庭生活に及ぶ。壮絶な青春も描かれるなかで、その壮絶さに拍車をかけているのが、彼女の表現者としての癒えることのない乾きだ。なんども人生をこんなものだと諦めようとして諦めることができず、それは傍から見れば無謀なものになっていく。私も彼女作品をいくつか読んだが、そうした無謀な人にしか思っていなかった。
 この地獄図は、しかし、女性手記や通俗小説にある凡庸さにも覆われている。悪口のようだが、さかもとさんの語り口調も、香具師の口上といった滑らかさがある。疾病以前からなんども書き、繰り返された物語もあった。
 が、この家族の悲惨さという凡庸な悲劇は、直球のような和解で変化していく。私は読みながら、和解に安堵するよりも、痛ましく思えてならなかった。幸せでも不幸でも、人生の半ばを過ぎたら人は親を捨てるほうがよいと私は思っている。親との心の葛藤など、生涯解決できっこないものだとも思う。さかもとさんの親との和解のは間違いではないとか不安な思いで読む。
 ここにも不思議な奇跡の光が差し込む。暴力をふるっていた父は変わった。もっと心揺すぶられるのは、20年も離れていた彼女との弟の再会だった。憎んで離れていたわけではない、ただ離れていた。大人になって姉弟は普通に再会するのだが、このシーンには人生というものの独特の味わいがある。
 物語の後半は難病生活になる。それは、表面的な社会的成功からの引退でもある。そのプロセスは芸能界やマスコミというものの裏側を結果的にうまく描き出していて興味深い。よく言われるような醜聞はない。こういう世界は本当に実力の世界なのだと思い知らせれるリアリズムがある。
 漫画家として、これも結果論ではあったが、性をよく描いてた彼女にとって、性とはなんであったかについても、本書は伏線のように描き出していく。その部分は、難病と同じほどに重たい問いかけに満ちている。子供が欲しかったのだろうかと問い、幻想なのかで夏の蝉の声を聞く描写は、痛ましいというのとも違うし、悲しいというのでもない。なんとも言い難い。蜻蛉日記を読み終えたときのように胸に沈むある種の感動がある。人にとって幸せとはなんだろうか。不幸とはなんだろうか。そうしたありきたりの問いでは答えられないものが、なぜ人生には存在するのだろうか。
 終盤、死病を抱えながらも新しい人生を見いだしていく過程は、きちんとした感動と希望に満ちている。そして最後は、神へ感謝で終わる。
 いや、それはどこかしら終わりではないと私は思う。さかもとさんは、まだ物語を終えていない。待ちましょう。待つことは、あなたに物語に感謝する人たちもまだ生きづつけていることでもあるのだから。


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2010.06.19

[書評]クラウド誕生 セールスフォース・ドットコム物語(マーク・ベニオフ、カーリー・アドラー)

 自分の人生の時間に歴史の暴風が通り過ぎることがある。しかし幸か不幸か巻き込まれもせず私は取り残される。そのことを確認するために静かに本を読む。心を静めるために。セールスフォース・ドットコムとマーク・ベニオ氏の物語「クラウド誕生」(参照)を私はそう読み始めた。しかし、心揺すぶられる物語だった。

cover
クラウド誕生
セールスフォース・ドットコム物語
マーク・ベニオフ
カーリー・アドラー
 1964年9月生まれのマーク・ベニオ氏は、34歳の1999年3月、サンフランシスコの、ベッドが1つしかついていない賃貸アパートの1室でセールスフォース・ドットコム(Salseforce.com)を起業した。社員は3人のエンジニア。事務机もない。トランプ台と折りたたみ椅子で間に合わせた。窓からは美しいベイブリッジが見えた。壁には、ダライラマとアインシュタインの白黒写真を貼った。"Think Different(違う考え方をせよ)"と小さく隅に書かれているアップルのポスターである。
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 ベニオフは、ソフトウエア産業の未来に業界とは違う考えかたを持っていた。ソフトウエア禁止(NO SOFTWARE)、そう考えた。マイクロソフトのようにソフトエアを開発しパッケージに入れて売り、バージョンアップごとにカネを取る、そんなソフトウエアをやめにしよう。まだ世界にはないクラウド・コンピューティングのビジネスを思い描いた。10年後、彼の企業は年間1000億円近い売上げを出すまでに成長する。
 ベニオフ氏の父は婦人服チェーンを経営していた。祖父は弁護士事務所を経営する傍ら、サンフランシスコ・ベイエリアの高速鉄道BARTを設立した。子供の頃からそういう父と祖父を見てきたベニオフ氏は、起業家になることを幼い頃から夢見ていた。本書には書かれていないが、名前から察するにユダヤ人であろう。共著ジャーナリストのアドラー氏もまた。
 少年時代、祖父の家の近くの家電店で初期のパソコンとして有名なTRS-80に触れることが楽しかったとある。店舗名は書かれていないが、同時代を生きた私はタンディ・ラジオシャックだと知っている。
 ベニオフ氏は15歳で、ゲーム志向の強いパソコンAtari800用のゲームソフトを作り、販売することにした。BGM作曲は祖母に頼んだ。少年ながらリバティ・ソフトウエアという名の企業を起こした。16歳で月1500ドルの収入を得て、車を買い、大学の授業料にも充てた。大学では寮生活をしながら、リバティ・ソフトウエア社を続けていた。
 1984年の夏、アップルのアルバイトでプログラムをしつつ、スティーブ・ジョッブズ氏の謦咳に触れるものの、翌年、光は消えた。アップルの消沈した変化から企業におけるリーダーシップの重要性をベニオフ氏は知った。いかにビジネスをするか。大学の教授からは、本格的な起業をするにもまず現実のビジネス経験をしておくとよいとアドバイスされた。
 勤めたのは社員200人ほどのオラクル。今度はラリー・エリソン氏の指導を受ける。10年間オラクルに勤めた後、半年にわたる人生の休暇を取り、ハワイやインドを旅して、それから心に決めたセールスフォース・ドットコムを立ち上げた。
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Behind the Cloud:
The Untold Story of
How Salesforce.com Went
from Idea to Billion-Dollar Company
and Revolutionized an Industry
Marc Benioff, Carlye Adler
 オリジナルのタイトル「Behind the Cloud」(参照)には、詩人ジョン・ミルトンに由来とするされることわざ"Every cloud has a silver lining(すべて雲は銀色の裏地を持っている)" が潜んでいる。クラウドの困難さの裏の希望が語られている。
 その後のビジネスには失敗や危機もあったが乗り越え、急速な成長も遂げた。詳細が本書で詳しく描かれている。ここまでビジネスの要諦を明かしてもよいものかというくらい、率直に語られている。読みながら、私は、セールスフォース・ドットコムではないが、そういえば、米国企業の、あの会社もこの会社もなぜああいう戦略を採っていたのかと思いだし得心した。現代のビジネスというのはこうしてやるものか。セールスフォース・ドットコムが日本に乗り出す戦略も興味深い。

 本書は一章を充てて、社会貢献活動が語られている。こうした話は、体のいい美談で終わることが多いものだ。儲けたお金を慈善的な活動に回すことや、社員の社会貢献ボランティア活動を会社業務に組み込んだりすることは今や他の企業でも見られる。だが、ここでもベニオフ氏の情熱を知る。世の中を変えたいという子供だちの希望が大人を動かすのだという。ベニオフ氏自身が少年時代から起業した経験を持っているからだろう。高校生を対象に起業するための特別な教育プログラムも実施し、こう語る。


 このプログラムを主催するのは本当に楽しいし、若者のエネルギーが事務所を活気づけさせてくれるのも気に入っている。しかし、一方で私たちはこのプログラムに真剣に取り組んでいるし、生徒にも本当に会社を経営するような気持ちで参加してもらっている。生徒たちには指導者として、当社の社員を割り当てている。社員は仕事上のネットワークや社会でのネットワークを作るのを手伝ったり、学校の宿題や大学入試を手伝ったりしている。指導者から期待されると、生徒もそれに応えようとする。彼らはこのプログラムからビジネススキルや技術スキルを学ぶだけでなく、大きな自信をつけて帰るのである。

 そういうことが日本でも起きないだろうか。いや、そういうことを起こそうとすることが、これからの日本の起業家の役割なのだ。
 本書は一見すると成功物語であり、ビジネス啓蒙書を装っている。しかし、そんなちゃちな本ではない。未来の起業家がどうあるべきかという課題を一人一人の魂に突きつけてくる書籍である。

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2010.06.18

菅政権はいかにして鳩山政権のように自爆するか

 選挙看板の伊達男、菅直人首相は看板らしく、中身はなかった。予算委員会を開くことなく通常国会を閉会させたので、自爆するなら、参院選後ということになる。
 粗方の予想では、悪夢のような鳩山政権が消滅したことの安堵感と、自民党のへたれさ加減で民主党の人気が持ち直しているので、参院選では民主党の過半数維持もできそうだ。
 かくして、マニフェスト詐欺放置で水増ししたままの衆院に加え、参院を固めると小沢元幹事長の夢だった民主党政権による独裁ができあがる。めでたしめでたしというところだが、さすがにほいじゃと小沢さんがすぐに復帰するとも思えない。
 では当面、民主党盤石かというと、菅政権も鳩山政権のように自爆する可能性がある。
 政権交代とやらの一か月前から、鳩山政権では普天間基地問題は失敗するだろうと予想はしていたものの(参照)、それが地雷になって政権が吹っ飛ぶとまでは予想が付かなかった。その意味でいうと、菅政権の地雷は爆発することは間違いないが、菅政権が吹っ飛ぶことになるかまでは、まだ見えない。果てしない混迷しか後がないという点からすると、自爆されても困るなとは思うが、着々と自爆の道を歩んでいるように見える。
 今日の大手紙社説なども、菅政権によるマニフェスト変更は批判するし、増税路線の具体性についても厳しく問うているが、増税には万歳三唱である。朝日新聞まで増税万歳となっていた。朝日新聞社説「参院選マニフェスト―「消費税タブー」を超えて」(参照)より。


 消費増税は単なる財政再建の手段ではない。ほころんだ社会保障を立て直して安心と成長につなげていく道であり、国の基本設計にかかわる課題だ。選挙後ただちに超党派の検討の場を設け、早急に方向を定めるべきだ。
 有権者に甘い言葉をささやき、票を得る。長く続いた利益誘導政治から、負担の分かち合いを正面から呼びかける政治へと、今回を機に大きく転換させたい。

 他大手紙も似たような論調で、戦前戦中の大政翼賛会の空気って、実感としてはこんなもんだったのではないかと背筋がぞっとする。
 すでに識者からの指摘もあるが、大手紙社説の論調は間違っている。笹山登生先生のツイート(参照)にもあったが、デフレ状態で消費税を増税すれば、国民の富が国家にずるっとシフトするだけになる。「デフレ不況 日本銀行の大罪」(参照)で舌鋒冴える田中秀臣先生のツイート(参照)も端的に事態を示している。現状の増税では、単に官僚が自由に使えるお金を増やすだけに終わる。国民もこうした菅内閣の詐術に気がついていると、思いたいところだ。
 しかし、どういう意見があろうが、デフレ時に増税をすれば経済はへこむ。経済学にはいろいろな考えがあるが、短期的に見るかぎり、これは物理法則と同じレベルの問題だ。意見が分かれるとすれば、中長期的に見れば、ということで、増税の第三の道で日本が再生するとかまったく無理というものでもないだろう。
 問題は、短期的に経済がへこんだとき、日本国民は菅さんを信頼できるのか?ということだ。それができるなら、地雷は起爆しない。
 橋本内閣では起爆した。故橋本龍太郎首相は、当時3パーセントの消費税を5パーセントに引き上げて財政再建を目論み、玉砕した。税収は12パーセント落ち込み、結局国はさらなる国債発行に追い詰められた。橋本さんは、官僚にだまされたと後悔したという噂もある。橋本さんに国民の強い信頼があったらどうだだっただろうか。つまり、今回は菅さんでそれを実験してみるということなんだろう。
 ダメだと思う。
 ポール・スカリーズ(Paul J. Scalise)氏の16日付けニューズウィーク寄稿「Kan’s Megaproblem」(参照)は、この問題を論じている。菅氏の政権について。

How long he will remain in office is anyone’s guess, but one thing is certain: trying to solve government finances could be for this premier the same kind of career killer that the Futenma base-relocation issue was for the last one.

彼がどれだけの期間政権にいられるか人それぞれ思うところは違うだろうが、確かなことが一つある。菅首相が国家財政問題を解こうすれば、前任者の普天間基地移転問題と同様に、職務失墜となるだろう。


 そうならないための解決について、スカリーズ氏も日銀を動かすしかないだろうと説くが。

But to achieve this, Kan needs to persuade the Bank of Japan to print more money—something he failed to achieve as finance minister.

この達成(日本の経済再生)には、菅は日銀を説得してもっと札を刷らせなくてはならない。だが、彼は財務相のときこれに失敗しているのである。

This leaves Kan no other choice but to adopt LDP-style political theater: Reconvene previously abolished party-policy councils. Discuss raising the consumption tax (again). And talk, talk, talk. Welcome to the new government.

菅に残された道は、自民党流の劇場政治の宰相しかない。一度は廃止にした政調の復活だ。そこでまたまた消費税上税を議論する。そして、しゃべって、しゃべってしゃべりまくる。ようこそ、新しい政治へ。


 菅氏は財務相時代に金融緩和策に失敗しているのだとスカリーズ氏は見ている。ここは多少微妙かもしれない。私はそもそもそんな能力、菅さんにはないと思っている。しかし、結論は同じ。自民党流の劇場政治で増税をしゃべりまくるしかないだろう。大手紙も同調しているし、しゃべり甲斐がある。戦時体制みたいだが。
 かくして、痛みによく耐えた、という劇場政治の再現で、菅政権は生き延びるのだろうか。
 それだけのカリスマが菅氏にないことはすでに証明済みのようにも思える、ということは、この政権も自爆で短命に終わる可能性が高いということだ。
 別段、こんな政権終わってしまえとかまでは、まるで思わない。それでも、ハリ・セルダンの心理歴史学で決まったコースを日本帝国が取るのを見ているだけの無力感に襲われる。あー、小説では帝国の再生であったな。

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2010.06.17

キルギス南部民族衝突の背景

 10日夜、キルギス南部オシから発生したキルギス系住民とウズベク系住民の民族衝突は、その後13日、同じく南部でオシとも近いジャラルアバドにも拡大し、深刻な人道被害をもたらすようになった。死者数は200人程度との発表や700人を超えるという発表もあり、真相はわからない。16日に、ようやく人道支援物資を積んだロシア非常事態省の航空機が首都ビシケクに入り、人道支援が開始されようとしている(参照
 この騒動は何か? 「キルギス、バキエフ政権崩壊、雑感: 極東ブログ」(参照)でも触れたように、バキエフ前大統領は南部に逃走し、さらにベラルーシへ亡命した。バキエフ政権崩壊後の現状は臨時政府がキルギスを統治しているのだが、政権側は今回の騒動をバキエフ氏側の活動によるものと見ている。16日付け朝日新聞「バキエフ氏派、騒乱関与を供述 キルギス臨時政府が発表」(参照)より。


臨時政府は、騒乱を組織した疑いで逮捕したバキエフ前大統領支持者が、容疑を認める供述を始めたと発表した。


また、騒乱の現場に外国の雇い兵や狙撃手がいたとの情報から、「背後に外部勢力が関与している」との見方を示した。

 キルギス国外にいるバキエフ氏の次男マキシム氏の関与も疑われている。16日付け毎日新聞「キルギス:民族衝突 ウズベク、難民受け入れを停止 死者178人に」(参照)より。

一方、キルギス臨時政府は14日、バキエフ前大統領の次男マキシム氏が英国で逮捕されたことを明らかにした。臨時政府は、マキシム氏が民族衝突をあおるために資金提供していたと見ており、責任追及する方針だ。同氏は、ロシアからの融資を横領した疑いを持たれている。

 日本国内の報道でマキシム氏について言及しているのはこの毎日新聞記事のみようだが、16日付け英国インデペンデント「Kyrgyzstan tells Britain to hand over Bakiyev's son」(参照)は亡命の関係国と目されていることもからも、もう少し詳しく掘り下げている。が、マキシム氏の争乱との関与が明確になっているとは言えない。
 キルギスの争乱は、バキエフ氏側の活動によるもだろうか?
 状況から考えてその線が濃いだろうと思われてもしかたがない。
 ロシア問題に詳しい石川一洋NHK解説委員は、バキエフ氏側の示唆はないものの、争乱は民族的な対立から自然発生したのではなく、外部の要因が強いのではないかと見ていた。時論公論「緊迫するキルギス情勢」(参照)より。

 一つはウズベク人の多く住む地域を襲った集団が、単なる暴徒ではなくカラシニコフなどで武装し、組織された集団だったということです。治安部隊や消火にきた消防隊も銃撃され死者が出たと伝えられ、また軍の駐屯地も襲われています。またオシに治安部隊や軍隊が入ると、武装した集団がジャララバードに移動し、再び襲撃を繰り返しています。
 もう一つは暴動の起きたタイミングです。暴力革命によって成立した暫定政権では今月27日に新憲法の承認を問う国民投票を実施することにしていました。新憲法の承認で新政権の正当性を獲得しようとしたのです。
 そして11日には隣国ウズベキスタンでロシア、中国、中央アジア諸国の加盟する上海協力機構の首脳会議が開かれ、キルギスへの支援を協議していました。
 暴動は、暫定政府に対する国際的な信用を失墜させるとともに、国民投票の実施も危ういものとすることになりました。
 
私は、今回の暴動の背後にはキルギスの不安定化によって利益を得る何らかの政治的な集団、あるいは犯罪組織がいる可能性は排除できないと見ています。

 石川解説委員はここまでの言及に留めている。
 しかし、インデペンデント紙でも暫定政府の見立てを伝えているが、今回の騒動はバキエフ氏側の活動と見るのが一番シンプルな読みだろう。騒動によって新憲法承認を阻止するということだろう。
 難しいのは、上海協力機構に泥を塗ることがが国際的にどの程度の意味合いがあるかということだ。もう少し明確に言えば、ロシアと米英の立ち位置はどうなっているかだ。
 ロシアはすでに人道支援に乗り出したが、ある意味で遅い対応であった。1990年、ソ連時代に同地域での同種の民族間暴動に軍を出動した経験は、困難さを意味していたのかもしれない。しかし、今回のロシアの動向は概ね妥当な対応と見てよさそうだ。 旧ソ連のロシアを中心にした6共和国間で結ばれた集団安全条約機構(CSTO)を重視しているのもその現れである。
 米英の西側としてはロシアへの不信はある。だが、フィナンシャルタイムズ「Kyrgyz dilemma」(参照)が論じるように、ロシアを牽制しつつもロシアに対応を頼む以外はないだろう。牽制というのは、キルギスに対するロシアの政治的な力の拡大を恐れてのことだ。
 陰謀論にもっとも近い筋の読みは、そもそもチューリップ革命と呼ばれるバキエフ政権に西側勢力が関わっていたとする線から、今回も同種の線上にあるとするものだが、現状のロシア依存の状況からすれば、その読みは無理だろう。
 では、やはりバキエフ氏側の活動なのか。先のフィナンシャルタイムズは、国際テロとの関連も示唆している。

Islamist militants shelter in the fertile Fergana Valley, whose upper reaches Kyrgyzstan controls. It sits astride a key drug trafficking route. And Kyrgyzstan hosts the US base at Manas, vital to Nato operations in Afghanistan.

イスラム教戦闘員拠点がフェルガナ盆地にあるが、キルギスタンが統治しているのはその北部である。ここは主要な麻薬取引ルートを挟む地域でもある。また、キルギスタンのマナスには米軍基地があり、アフガニスタンにおえるNATO作戦の要所である。


 フィナンシャルタイムズはこの筋を強く押しているわけではない。だが、フェルガナ盆地の特異性からするとこの線の関与はありそうに思える。

 なお、同地におけるキルギス系住民とウズベク系の対立は根深く、その背景はニューズウィーク記事「キルギスで民族間衝突が起きるワケ」(参照)に詳しい。

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2010.06.16

財務省の仕込みは完了?

 日本では、見た目ほどには政治・外交上の問題は問われない。つまり、国家の安全保障ということは国民に意識されない。理由は、左派はそれを意識しないことが平和だと信仰しているし、右派は鳥居のついた天国のほうを見つめているだけで足下を見つめないからだ。なのにこれらの右派左派の文化戦争のなかで議論は消耗するようにできている。くだらない。それでことが済んでいるのは、差し迫った国家安全保障問題がないからで、差し迫った時には日本はあっけなく崩壊するかもしれない。
 かくして問われるのは、経済ということになるが、端的に言えば、景気をよくしてくれということだ。しかし安倍政権のころから、もっと福祉を巨大にしてくれという声も出てきた。後者の声は、戦後の昭和時代なら、現実が押しつぶしていたものなので、つまりは日本はなんだかんだ余裕が出てきたという結果的な証左とも言えるし、実際的には、自民党つぶしの政治運動のかけ声だったとも言える(高齢者医療の迷走が最たるもの)。政権交代とかで出現した変なものは自民党と変わらない。民主党に向けて福祉の巨大化を求める声は自己撞着に陥ってしまった。
 経済にも実は問題などないのかもしれない。デビッド・ピリング(David Pilling)氏のフィナンシャルタイムズ寄稿「‘Just do it’ is no mantra for Japan」(参照)はまずそれを指摘している。これはgoo(参照)と日経(参照)で翻訳がある。gooを借りる。


多くの問題は言われるほど深刻ではないというのが、理由の一つだ。確かに日本は経済の成熟に伴って厳しい困難を経験してきた。1990年にバブルがはじけて以来、デフレからなかなか脱却できず、安定した名目成長に戻れないでいる。低い失業率や平和憲法、そして比較的均質で平等な社会など、日本の長所とされるものを手放したくないあまり、日本は新しいものへの挑戦を避けてきたのだ。

停滞したまま漂うのは、悪いことばかりでもない。生活水準と社会の一体性を、日本はそれなりに維持してきた。1990年代の実質成長率は計15%で、失業率は4%未満で保たれていた。世界一の実績とは言えないが、言われているような「失われた10年」というほどのものでもなかったのだ。


 そうかもしれない。
 国際的に見ると、そうとしか言えそうにないようにも私も思う。しかし、日本の内部からはあるじりじりとした焦燥感はあり、それを受けてか、こう続く。

日本の問題は言われているほど簡単に解決できるものではないというのが、日本の総理大臣が対策をとらずにきた二つ目の理由だ。

 日本の諸問題はそう簡単には解決できないという議論が続く。

総額ベースで国内総生産(GDP)比200%に近づきつつある日本の公的債務残高は、歳出減と増税を組み合わせて大幅削減しなくてはならない。これは誰もが同意見だ。誰もというのは金融市場以外という意味だが。

 面白い指摘で、金融市場はこれを問題視していない。ただ、問題するかもしれないぞと儲けのチャンスを狙うオオカミ少年・少女が声を上げている。これが怖いのは、最後の声は本当だということだ。

最大の敵はデフレだと、大方の意見は一致している。ただし日銀は別だ。日銀は、緩やかな物価下落は受け容れられるという結論に、明言しないまでも達している。とは言え日銀は実を言えば、量的緩和がよそで流行する前にすでに試しているのだが、ほとんど何の効果もなかったのだ。

 この指摘が興味深い。まあ、問題は日銀だろう。だが、日銀としてみたら、やるだけやってダメだったということではあるというのだ。ただし、ピリング氏はインタゲはやってないなとは指摘している(" Apart from an inflation target, all have been tried.")。
 この先、消費税増税は経済を低迷させる危険がある、小泉改革はそれほど実際的には進展してない、日本人は高福祉低負担という矛盾した要求をしている、軍事の米国依存は反米感情と保護依存で矛盾している、といった話になる。どれもそのとおり。
 これに対して、同じくフィナンシャルタイムズだがマーティン・ウルフ(Martin Wolf)氏は寄稿「What we can learn from Japan’s decades of trouble」(参照)は、リフレという言葉は使ってないが、リフレで経済問題解決、特に、公的債務問題は一気に解決の議論を展開している。gooに翻訳がある(参照)。
 4つの案を載せている。(1)「国債の平均残存期間を現在の5.2年から少なくとも15年に延長する」、(2)「インフレ創出の方法を知っている中央銀行総裁を雇うのだ。たとえばアルゼンチン人の。中央銀行総裁たるもの誰しもそれなりにその気になれば、インフレを作り出せるはずだ」、つまり、この2つはジョーク。
 その先はこう。

第三に、インフレが実際に3%に達したとする。そうすれば日本の国債の利率は5%に上がる。ほかの条件が同じなら、残る公的債務の市場価値は40%下落するはずだ。ここで日本政府は残る債務をこの時点の市場価格で買い直し、公的債務の額面総額をGDP比40%減らすのだ。さらに、インフレ状態の経済環境で日本人は、自分たちが抱える巨額の現金預金の実勢価値がどんどん目減りしていくことに気づく。なので日本人は貯金する代わりに実物資産や消費財を買うようになり、ついに経済は旺盛に拡大するようになるというわけだ。

第四に、こういう状態になって初めて政府は増税と支出削減を実施し、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の小幅な黒字化を実現する。政府の借り入れ額は借金の借り換え分だけで充分で、債務比率は安定すると仮定する。どの程度のプライマリーバランス黒字が必要かは、実質金利と経済成長率との関係性で決まることになる。


 このあたりは、リフレ論者と同じ。マイルドインフレが達成できれば「日本は公的債務をGDP比でほぼ半減できるし、同時に経済の正常化も実現できる」となる。
 さて、この(3)、(4)は経済学的に見て正しいのだが、ウルフ氏がこう語るとこき、どういう意味があるのだろう。

実にシンプルだ。政府はすでに罠をしかけた。あとは綱を引くだけだ。

(It is simple, really. The government has baited the trap. Now all it needs to do is spring it.)


 結論からいうと、ウルフ氏の議論はネタなのかもしれない。
 (3)(4)のリフレ派的な議論は、経済学的には正しいのかもしれないが、それを実現する方法論としては、(1)と(2)のようにジョークになっている。まじめな議論とも思えない。
 にもかかわらず、政府はこのトラップを仕込み済みだというのだ。あとはこの引き金を引くだけでよい、と。
 どういうことか?
 当然、(1)(2)のジョークのようなことが起きるということだ。そのままでなくてもよいかもしれない。国会で裸踊りでもやっくれそうなド阿呆を国家の頂点に据えるとか、経済のわからない人を財務大臣に据えるとか、ド阿呆すぎて使えなかったらちょっと薄めたのに交換してみるとか。
 いずれにせよ、政治主導にしてそこに阿呆を据え付ければうまく行く、というか、それが仕込み済みということなのだろうか。
 まあ、陰謀論と見るよりは、全体としてはジョークと見るほうがよいだろう。
 それでも、残る手段としてのインタゲの成功は、責任を問われる仕事を嫌う日銀が飲むとも思えないし、財務省の積年の夢である消費税増税を阻むことになるので、もうしばらくは現状のまま両者がんばるんじゃないか。

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2010.06.15

国債を巡る、破れかぶれの苦笑コンテスト

 先日、ブルームバーグのネタだろこれニュースが少し話題になった。9日付け「「国債を持てる男子は女性にモテる」-財務省が婚活男子向け広告」(参照)である。


 6月9日(ブルームバーグ):日本の財務省の広告によると、日本人女性が結婚相手に求めているのは国債で資産運用している男性だそうだ。
 財務省は先週、個人向け国債の新商品として3年満期の固定金利型国債「固定3」の募集を開始。フリーペーパーに「国債を持てる男子は、女性にモテル!!・・・か!?」と題した大型広告を掲載した。広告には5人の妙齢の女性が登場、その中の1人(27歳)は「未来の旦那様はお金に真面目な人がいい!遊び人はNGです」と語っている。


R25 No.265(2010/06/03)

 はてなでもすこし話題になっていた(参照)。

kojitya 良ネタ なぜ「破れかぶれ」で一行置くwww 2010/06/12
Kmusiclife こんなこと政府がいってるから未婚率上がるんだろうが。 2010/06/11
ageha0 いいよもうドッジ・ラインでw。 2010/06/10
ITAICO ネタ イラネ。ジャニーズ事務所にまわしといて。 2010/06/10
Main-Tain 自分の借金にてんてこ舞いな国民に国債持てって言っても。 2010/06/10
kenjiro_n advertising, investment, neta 利回りの低い国債を売るほうも大変だとは思うが。 2010/06/10
sauvage ネタ, ad, 経済 これドメインの見た目と内容のアレさで、bogusnewsかと思ってしまう。 2010/06/10
nekora ちょっと国債買ってくるわ 2010/06/10
utaq-999 +世情, +言葉 ( ´_ゝ`) → 「ソシエテ・ジェネラルの・・・カリーヨ氏は、キャンペーンについて、『破れかぶれという感じだ・・・個人投資家を引き付ける戦略になるとは思えない』との見方・・・」 2010/06/09
wideangle まああながちまちがいではないというか貧乏はだめだーーーーー! やだーーーー 2010/06/09
highcampus 金融, 恋愛, ネタ, ニュース はてブで「金融」と「恋愛」のタグを同時に付けることがあるとは思わなかったわw 2010/06/09
anpo-sumeragi これはひどい, 霞ヶ関, 国債, 財務省 なめとんのか、こら。 2010/06/09
tihoujiti 経済, 霞ヶ関 「国債を発行し続ける内閣は国民からステられる」ならよかった 2010/06/09
hisamichi 広告, 日本 国家発この手のアピール、歴史上初では いや知らんけど 2010/06/09
hounavi 消去法でもいいので婿にもらって欲しい(笑) RT @can_not_refuse: 消去法で買われてる国債を買うってことは...婚活も消去法ですか? RT @hounavi: 国債買おうかな(笑) [Web] 国債を持てる男子は… 2010/06/09
syujisumeragi 政治 ※なお類似例として「お金に火をつけて明かりにする男子はモテる」「東京タワーから札束をばら撒く男子はモテる」がある。 2010/06/09
LondonBridge ネタ 国債結婚 2010/06/09
ranobe 日本のひどい国債を買う男性は、酷妻にも耐えられます。 2010/06/09
north_god 政治 破れかぶれワロタ 「国債を持てる男子は女性にモテる」-財務省が婚活男子向け広告 - Bloomberg.co.jp 2010/06/09
zyugem 要するに資産を持っていればOKって事でしょうか。 2010/06/09
twelve_scales ネタ, 経済 すげぇ破壊力のタイトル 2010/06/09
mohno bloomberg, 財務省, 国債, ネタ 「国債を持てる男子は、女性にモテル!!・・・か!?」<最後が気弱だな。東スポかよ。 2010/06/09
carl_b 経済, ネタ ファーザー「これからは国債がモテるんじゃよ?オンナスキーくん」みたいな 2010/06/09
walwal 経済 タイトルを見て一瞬目を疑った。財務省もずいぶん柔らかくなったな(笑)。 2010/06/09
chlono ネタ そんな訳がない 2010/06/09
sagonohashi 「国債を持てる男子は、女性にモテル!!・・・か!?」 どこのスポーツ新聞だよwww 2010/06/09
ryuzi_kambe 反応はこちらにとぅぎゃってあります! http://togetter.com/li/28057 2010/06/09

 はてなユーザーにはこの広告のターゲットに近い若い人、そしておそらくびったしの男子も多いのではないか、「ちょっと国債買ってくるわ」といったネタで受けていた。
 ところで、ブコメにもあるが、ふと、そういえば「破れかぶれ」って英語でどういう表現しているかと気になってオリジナルに当たってみて、ちょっと驚いた。
 オリジナルは「Women Prefer Men Holding State Bonds, Japan Ad Says (Update1)」(参照)である。「破れかぶれという感じだ」は"It strikes of desperation"であった。まあ、そうか。ついでに、訳の差はあるかなと見ていて、驚いた。訳はよいのだが、日本報道のほうは後半が端折られていた。なぜなんだろう。英語のほうは、Update1とあるので、その後付け足しがあったのだろうか。
 日本報道にない英語の後半部分は日本の国債状況の解説で、話として驚いたというほどのことはないのだが、へぇと思ったことはあった。

This campaign for JGBs was crafted by Dentsu Inc., Japan’s largest advertising company, which the ministry chose through an annual bidding process, Kaizuka said.

貝塚氏によれば、財務省キャンペーンを作成したのは、日本で最大の広告会社である電通で、財務省としては毎年行われる入札で選択したものとのことだ。


 ほぉ、電通が。別段、電通が作ったからといってネットでありがちな陰謀論とか思うことはなんにもないのだが、ほぉというのは、電通とともに財務省がこの洒落で行きましょうという自虐的なユーモアセンスを持っていたのだなということだった。
 推測だが、このネタ、最初から海外受けを狙っていたのではないだろうか。
 フィナンシャルタイムズも13日の社説「What women want」(参照)でネタにしていた。読み返すと、"desperate"はキーワードなのか。

Linking sex appeal and sovereign debt sounds a bit desperate, but the approach may have some merit. Certainly bond yields themselves would not set pulses racing, and last year’s marketing produced such limp demand that the government halved retail issuance.

セックス・アピールと国債金利をつなげるというというのは若干破れかぶれだが、このアプローチもそれなりに利点があるかもしれない。ご存じのとおり、国債金利は胸ときめくものではないだろうし、昨年の需要の落ち込みときたら、日本政府も発行を半分に減らすほどだった。


 日本の国債売れねー、もう、やぶれかぶれ。財務省官僚A曰く、「電通さん、売れないよね、こんなの、なんか面白い広告ある?」電通さんB曰く、「売れるわけないっすよね」「なんでもいいよ」「なんでもいいんすか」以下略。苦笑。
 まあ、そんなところだろう。
 ところで、私はこのブルームバーグのネタを当初、@fromdusktildawnさんのツイートで知り、彼のコメントにそうだなよなと思ってRTした。どういうわけか現在ツイッターが故障しているみたいだが、その後他にもRTはあった。例えば(参照)。

上手いこと言うなあRT @finalvent RT @fromdusktildawn: 菅総理がデフレ脱却を目指して云々と言っている中で、固定金利の国債を買うってのは、菅総理の実行力のなさをそこまで信頼しているってことだろうか。 http://bit.ly/cT74VC *Tw*

 市場が菅内閣およびその後の来年以降3名の首相の実力を見切っているとは言えるだろう。苦笑。
 苦笑といえば、フィナンシャルタイムズのオチはもうちょっと、英国的なアイロニーだった。

But the campaign has a flaw beyond its patent implausibility. Men who shun the ministry’s advice still need not lose out, since even Japanese who do not directly own bonds can boast of holding vast swathes of JGBs through banks, insurance companies and public buyers.

しかし、このキャンペーンには明白な虚偽以上の欠点がある。この財務省のお薦めにパクつかない男子も大損こくわけでもない。日本人なら直接国債を購入してなくても、山ほど財務省発行の国債を持ってるんだぜと自慢してよい。銀行とか保険とか公的市場とか通して間接的に買っているのだ。

Perhaps the finance ministry is relying on the difficulty of turning that claim into a chat-up line.

財務省としては、たぶん、国債の間接保有なんて口説き文句には使えねーよなとタカをくくっているのだろう。


 苦笑。

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2010.06.14

G20でガイトナー米財務長官が菅前財務大臣に伝えたかっただろうこと

 少し旧聞になる。日本では鳩山前首相辞任問題で揺れたため、韓国、釜山で4日と5日の2日間開催されたG20に、当時財務大臣であった菅氏は出席しなかった。できなかったと言ってもよいことは、その後、彼が首相となった経緯でもわからないではないし、鳩山氏の辞任はこういう効果もあったということだ。
 話の経緯は、3日付けBussiness i「菅氏、G20欠席 国際舞台でさらに地盤沈下…」(参照)がわかりやすい。


 「副大臣や政務官は新内閣が発足した時点でその地位を失う」(峰崎直樹財務副大臣)。4日に新首相や新閣僚が決まれば、従来の財務相や副大臣がG20中に失職する“珍事”となる。このため財務省は事務方の玉木林太郎財務官の出席を軸に調整している。
 振り返ると、政権交代直前の昨年9月には与謝野馨財務相(当時)がロンドンG20を欠席。昨年11月のスコットランドG20も藤井裕久財務相(同)が国会対応のため欠席した。
 G20は国際社会で重要性を増す一方だが、今回はギリシャ危機に始まる欧州の信用不安問題が焦点で、世界経済にとって重要な局面だ。巨額の財政赤字を抱える日本は海外から財政健全化を求められており、「本来なら財務相、最低でも財務副大臣が行くべき」(財務省幹部)会合だ。

 このため、同記事では、「このままでは国際舞台での日本の存在感はさらに低下する」とまとめていた。
 しかし海外からは日本の珍事に呆れるとともに、別の思いもあったかもしれない。この点は、事後のニュースから読み取れる。5日付けロイター「G20は経済成長促す努力必要、日本は内需拡大を=米財務長官が書簡」(参照)が伝えるように、米側としては日本に内需を求める声があった。

ガイトナー米財務長官は、20カ国・地域(G20)にあてた書簡で、欧州問題の影響を緩和するために世界経済の成長を促す努力を続けるよう呼び掛けたほか、中国とドイツ、日本は内需を拡大させる必要があるとの見解を示した。


 長官はより優先順位の高い課題として、輸出依存度の高い「黒字国」の内需拡大を指摘。世界の輸出の主要な消費国として米国をあてにし過ぎないよう、世界の需要のリバランスを進めることを要請した。
 長官は「米国は貯蓄増を目指す必要があるが、それは同時に、日本や欧州の黒字国の内需の伸び拡大、民間需要の成長継続、中国のより柔軟な為替政策によって補完されなければならない」としている。

 日本などに米国の消費拡大を当てにするな、自国の内需拡大をせよいうことで、これだけ読むと取り分け強い主張でもないように思える。
 5日付け日経新聞「ガイトナー米財務長官、日欧の内需の弱さに懸念 米紙報道」(参照)はもう少しこの機微を伝えていた。

ガイトナー米財務長官が、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議のメンバーである日本や欧州の「内需の弱さ」に懸念を示していることが明らかになった。長官がG20の財務相らにあてた書簡の内容を米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)が伝えた。欧州に関しては金融システム改革に向けた取り組みが必要としている。
 書簡は3日付で、4日に韓国・釜山で開幕したG20財務相会議のために各国に送付した。長官は「世界的な需要の不均衡是正が必要」と指摘。米国の過剰消費に頼る世界経済の体質を変えていく一環として「日本や欧州の経常黒字国の内需拡大」を改めて指摘した。

 同じ内容だが、日経など国内報道のソースはウォール・ストリート・ジャーナルだとしている。オリジナルは、4日付け「Geithner Urges G-20 to Step Up Consumption」(参照)のようだ。
 読んでみると、国内報道で伝えられた以上の響きがある。

"Given the broader shifts under way in the U.S. economy towards higher domestic savings, without further progress on rebalancing global demand, global growth rates will fall short of potential," Mr. Geithner wrote, according to a copy of the letter viewed by The Wall Street Journal. "In this context, we are concerned by the projected weakness in domestic demand in Europe and Japan."

「世界需要の調整に進展がなく、米国経済で貯蓄が進む方向で変化するなら、世界経済成長は短期的には低下するだろう」とガイトナー氏は書き、さらにウォール・ストリート・ジャーナルに公開された手紙によれば、「この状況では、欧州と日本の国内需要の弱さを懸念する」とある。



In his letter, Mr. Geithner clearly puts the burden on big exporters such as Germany, Japan and China to reduce their dependence on U.S. markets as a main source of economic growth.

ガイトナー氏の手紙では、ドイツ、日本、中国という大きな輸出国は、経済成長を求めようと米国市場への依存を削減せよとしている。


 米側としては、(1)日本はこれ以上米国に輸出するな、(2)自国内の消費を拡大せよ、という意向を持っていることを明確にした。
 もう一つ気になることがある。

"Fiscal reforms are necessary for growth, but they will not succeed unless we are able to strengthen confidence in the global recovery," he wrote. Mr. Geithner added that the withdrawal of "fiscal and monetary stimulus"—in other words, government budget cuts and interest-rate hikes—should proceed only as the private sector regains its post-recession footing.

「財政改革は成長に必要であるが、世界経済回復を強固なものにしなければ成功はしない」とガイトナー氏は書いた。「財政および金融刺激政策」から手を引くようなら、つまり、政府予算削減や金利引き上げは、民間部門が不況後の足場を得てでのみ行うべきである。


 これに直接的な呼応はないだろうが、クルーグマンもブログで日本について言及している。3日付け「Rashomon In The OECD」(参照)より。

But they aren’t. As of right now, the interest rates on 10-year bonds are 3.59% in the UK, 3.36% in the US, 1.29% in Japan. CDS spreads for Japan and the UK are only about a third of the level for Italy.

そうではない。現状、10年国債の金利は、英国が3.59%、米国が3.36%、日本が1.29%だ。日本と英国のCDSの拡大は、イタリアの三分の一にすぎない。

So what does one make of this? One possible answer is, just you wait — any day now there will be a Wile E. Coyote moment, the markets will realize that America is Greece, and all hell will break loose.

これは何を意味しているか? 答えの一つは、みんな待っているように、ワイリー・コヨーテになるということ。米国はギリシアになると市場は理解し、地獄が始まる。

The other answer is to note that all the crisis countries are in the eurozone, while the US, UK, and Japan aren’t — and to argue that having your own currency makes all the difference.

もう一つの答えは、危機国はユーロ圏にあるが米国、英国、日本は違うということに留意し、自国通貨がこれらの違いをもたらしたと議論することだ。


 日本の危機は深刻ではないという示唆だ。
 結局どういうことなのか?
 10日付けニューヨーク・タイムズ社説「The Wrong Message on Deficits」(参照)が端的に言っている。

Interest rates on German and U.S. bonds remain low. Rates on British debt also are very low, reflecting better growth prospects than those of the countries that use the euro. For them, the best policy should be to take advantage of the cheap money to spend more, not less.

ドイツと米国の国債金利は低い状態だ。英国国債金利も低い。これはユーロを使っている国に比べて経済成長見込みを反映している。国債金利の低い国にとって、最善の政策は、低金利のカネを支出することであって、減らすことではない。

Deficits will have to be reduced once the recovery gains more traction and unemployment recedes. Right now, for the most robust economies — the United States, Germany, Britain, Japan — slashing budgets is the wrong thing to do.

財政赤字は、景気がより回復し失業問題が引いてから削減されるべきものだ。現状は、もっとも経済力のある国、つまり、米国、ドイツ、英国、日本が財政赤字削減に取り組むのは、間違った行為である。


 米国の赤字削減対応を後回しにせよというのは、ニューヨーク・タイムズのポジションもありそうだが、ドイツ、英国、日本については、今は赤字削減の時期ではないだろうというメッセージを出している。
 G20に出席できなかった財務相で現在首相となった菅氏は、これに「第三の道」で答えている。つまり、財政赤字を減らすため増税し、それから政府は「正しい」ばらまきで内需を喚起するといういうのだ。グローバルな経済の観点、つまり、グローバル経済の回復がなければ日本単独の回復はないだろうという主張に逆行して、独自の経済学に進もうというのだ。
 噂だが、この独自の経済学は小野善康大阪大学教授によるものらしい。成功すれば、小野氏と菅氏はノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞となるかもしれない。
 ここは、あれだろう。日本国民は、菅首相と財務省と手を取り合って、この知られざる土地に船出をしよう。日本の夜明けは近いぜよ。

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2010.06.12

西側諸国はイスラエルによるイラン空爆を容認するではないか

 あまり刺激的なタイトルを付けるのもなんだが、そういうことなのではないかという思いがしている、つまり、事後になって「西側諸国はイスラエルによるイラン空爆を容認するではないか」。
 もう少し言うと、西側諸国というより、非シーア派国もこれに含まれるのではないか。もちろん、表向きにはというか公式には、西側諸国も非シーア派国も反対するだろうし、事後にはそれなりに非難の声も上げるだろう。
 オバマ大統領も事後のグループに含まれるだろう。彼は、ブッシュ前大統領というか実質的な大統領であったチェイニー前副大統領とは違うので、スケジュール的にサウジを脅かすものを排除するといった意志はなく、現在のメキシコ湾原油流出のように、成り行きできれいな顔して後手に回るだろうから。
 危機はスケジュール的には進まないだろうが、すでにそろそろどうにもならない状態に進んでしまったようだ、という状況ではある。ついでにいうと、そのあおりでホルムズ海峡に異変があれば、日本は吹っ飛ぶだろう。岡田外相がイランの石油利権を米国の思惑で中国に取られたとか寝言を言っている場合ではない。
 これはいかんなあと思ったのは、このところのエントリで書いているトルコ(参照参照)が背景になる。
 私は親トルコ的な偏見があって、トルコとイランが結びつくという想定をあまりしたくないというのがある。だがどうも並行してナブッコの動向もおかしなことになってきたようだ。表向きは逆にも見えるので話が難しい。
 11日付けBussines i「トルコ、アゼル産ガス輸入合意 欧州再輸出「ナブッコ」前進」(参照)では、標題通りナブッコがうまく行きそうな感じである。だが、実態はロシアのプーチン首相が釘を刺すように、アゼルバイジャンのシャー・デニズ天然ガス田では欧州の天然ガス需要を満たせない(参照)。ロシアを迂回するためのナブッコだから、ロシアからすれば嫌みのような牽制をするだろうくらいに受け止めがちだが、この発言トルコのエルドアン首相が同席した記者会見で行ったように、むしろエルドアン首相の思いと見てよいだろう。露骨に言うと、トルコが欧州の天然ガスをグリップしますよと布石に近い。
 問題はこれに連動してイランが動いているようだ。9日付け毎日新聞「天然ガス:パイプライン計画 イラン・パキスタン合意 米反発、実現には時間」(参照)より。


 イランの天然ガスをパキスタンへ運ぶパイプライン建設に関する最終合意が8日、両国間で交わされた。当初インドまで開通させる「IPI(3国の頭文字)ガスパイプライン」計画は、米国の圧力でインドが“離脱”して変更を迫られた形だが、構想開始から20年でようやく一部が動き出す見通しとなった。関係国の思惑や実現に向けた課題を探った。

 これだけだと特にはっきりした動向は見えないが、背景にはイランの国家意志がある。

 IPIはパキスタン側のメリットだけでなく、イラン側のさまざまな思惑も重なる。核問題での制裁や経済政策の失敗で財政悪化が進むイランは、石油と並んで豊富な天然ガス輸出を通じて外貨獲得につなげたい意向だ。

 パキスタン側へは将来的な外貨獲得計画と見えないこともない。だが、ようはこのインフラの動向はナブッコに関係している。

 計画に反発する米国はインド、パキスタンにIPIへの不参加を要請。隣国トルコを通じて欧州に天然ガスを供給する別の「ナブッコ・パイプライン」計画でもイラン参加に強い反発を示し、イランは米国への嫌悪感を募らせてきた。核開発問題での追加制裁が迫り、米欧主導の「イラン包囲網」は強化される中、イランは天然ガスを通じた地域での覇権を確立したい考えだ。

 毎日新聞が明確にしているように、「イランは天然ガスを通じた地域での覇権を確立したい」というのがそれだ。
 ここで明示的に書かれていないのだが、ナブッコこそその中核にありそうだ。「トルコ・アルメニア問題の背景にあるナブッコ: 極東ブログ」(参照)でも触れたが、これは地図を見ると、唖然とする。

 問題はイランというより、トルコの側でイランを使った地域覇権の意識があれば、ナブッコは使い出があるということだ。
 現状では、こうした読みはどこかしら陰謀論めいているのだが、話の仮説としては留意しておきたい。別の言い方をすれば、欧州はキレかねない。イラク戦争とは違い、利害の当事者として巻き込まれつつある。
 話を「これはいかんなあ」の部分からトルコの背景を抜いたところに戻すと、9日付けフィナンシャルタイムズ社説「No alternative but to sanction Iran」(参照)が重苦しいトーンだったのが印象的だ。イラク制裁について。

In the absence of a deal, the west had no alternative but to keep the sanctions juggernaut rolling. It has always been the policy of the US and its allies to rein in Iran’s nuclear programme while avoiding two evils – the first being Iran with the bomb and the second, Iran itself bombed.

交渉が不在の現在、西側諸国には大揺れのまま制裁を維持するしかない。それは、米国とその同盟国がイラン核計画を阻止する毎度の政策ではあるが、それは二つの悪を避けたいがためだ。二つの悪の一つはイランの核保有化であり、二つ目はイラン空爆である。

As time is the enemy – each month that passes potentially brings the Iranians closer to the possession of weapons-grade material – the west could not stay its hand.

月を経るごとにイランの潜在的な核兵器保有可能性が深まるように、時間経過が敵であるのだから、西側諸国は手をこまねいているわけにはいかない。


 空爆というのは当然イスラエルによる空爆だが、全体構図には非シーア国の含みも感じられる。

If the world is not to drift towards a military conflict involving Iran and Israel that would spell disaster for the region and the world, a way forward still needs to be found.

国際社会が、イランとイスラエルの軍事衝突とそれがもたらす同域と世界の災害へと漂流させないとするなら、改善する方向を見つけなければならない。


 論調としては戦争を回避すべく西側諸国は尽力せよと、日本には届かない悲痛な声をフィナンシャルタイムズは上げている。トルコとブラジル案にでもすがりたいようなトーンでもある。

But for these initiatives to bear fruit, Tehran has to feel that there is no alternative but to negotiate. That requires a toughening of the Chinese line – and perhaps more enticements from the US side.

トルコ・ブラジル案に成果がなければ、イラン政府には交渉以外に代案はないと実感させなければならない。それには中国筋の強い要望が必要だし、米国側にも誘導が必要だろう。

In the absence of these, it is always possible that a consensus may yet be found among the major and emerging powers as Iran closes in on the nuclear threshold.

それがなければ、イランが核保有という限界達成に向かうなか、主要国と新興国間の合意に至らない可能性がある。


 このあたりのトーンだが、米側にイランへの譲歩があるかが微妙だ。米側のソース(参照NYT参照WP)で漉してみると、無理といってもよいように見える。今回は中露が制裁決議に回っただけ随分危機の認識が迫ったくらいだ。
 あまり陰謀論的に考えたくはないが、ガザ支援船攻撃もこうしたイラン空爆への牽制という文脈にあるのかもしれない。
 ただ、ここまで問題がこじれた以上、急激な変化というのは起きづらいのが、当面の希望だろう。

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2010.06.11

米国に投資? いいんじゃないの

 亀井静香金融相が辞任した。実質国営化に逆戻りさせる郵政改革法案が今国会で強行採決されないのを不服としてのことだ。立場はわからないではないけど、国会というのは議論をする場なのに先日の衆院のような強行採決するのでは、民衆党の醜態以前に国会の自殺だと私は憤慨していたので、多少ほっとした。私はこの法案に反対だが、参院選後再度、国民から信託された議員が十分な討議を重ねて、それでよいというならしかたないなと思っている。
 で、そうした亀井危うし、郵政国営化危うしという空気なのか、ネットにいろいろ小泉政権時代の懐かしいデマや非難が舞飛ぶようになった。しかたないんだろうなと思っていた。ツイッターでもそんな雰囲気は感じられた。
 そうした空気なんだろうなとは思うけど、昨日ツイッターを見ていて、あれ?と思う話が流れてきた。ネットでいう晒しという趣向ではないのだけど、いちおう引用の形にしておくけど、悪意にとらないでね(参照)。


バカにされてる…。こんなもの絶対に呑むべきじゃない。@zebra_masa 米国からの『年次改革要望書』に新規項目-米国債購入義務。年間絶対額か国家予算に対する割合のどちらにする。その選択は、日本政府の決定に委ねる。ただし、絶対額が前年度より常に上回ること。

 あれ?と思ったのは、そんな話あるのかな、ということと、もうひとつ、たとえそうでも「呑む」でいいんじゃないのかということだった。そっちがこのエントリのメインの話なんだが、前段として、そんな話あるのかなを続ける。RTで引用されている元はこちら(参照)。当然、話は同じだけど。

米国からの『年次改革要望書』に新規項目-米国債購入義務。年間絶対額か国家予算に対する割合のどちらにする。その選択は、日本政府の決定に委ねる。ただし、絶対額が前年度より常に上回ること。

 年次改革要望書は公式な話なんで調べればわかるはず。なのでちょっと調べてみたけど、そんな話は見つからなかった。なんだろこのツイッター情報?と思っていたが、真相はこういうことらしい。同じかたの発言で(参照)。

いやあ、すごいリツイート量ですね。「米国からの『年次改革要望書』に新規項目-米国債購入義務」はもちろん俺の想像です。『年次改革要望書』には出ないでしょうが、密約という形ですでに、あるいは近い将来に高い確率で実施されると考えています。皆さんも懸念されているように。

 というわけで、この方の「俺の想像」がソースでした。
 まあ、ツイッターだから、ファンタジーをつぶやいてもいいけど、カネという利害にまつわることは悪意のない冗談とも違うわけですから、リツイートとしてまき散らすとよろしからぬデマになってしまいますよね。
 かくして前段は、あはは、またやってらくらいな話。
 さて、米国の債権購入は悪くないんじゃないかの話に移る。といっても、島根県知事溝口善兵衛氏の杵柄みたいな話の方向ではない。普通に投資先として米国はいいんじゃないのという話である。
 なぜ、米国投資がよいのか? 米国が経済的に発展していくから、というだけの話。
 現在米国では10年に一度の国勢調査をやっているのだが、調査しなくても粗方の動向はわかっている。なかでも一番大切なのは、ドラッカーも社会変化の一番の要因としてあげているけど、人口だ。2050年までに米国の人口は4億人を超える。
 日本はそのころ1億人くらい。現在、1億3千万人くらい(参照)。現在が日本のピークであとは下がり続ける。ざっくり見ると日本は、現状の四分の三くらいに縮小する。随分と小さくなるなと見るかそれほどでもないかと見るか。それほどでもないかもしれないな。老人は多くなる。かく言う私もそのころこの世にはいないんじゃないか。
 ロシアもそのころ30パーセントくらい減る。米国との人口比は一対三くらいになり、冷戦時代が遠い歴史の彼方になる。昔、ソ連という国があったげな。
 日本は老人国になるが、アジアもそうなる。全域で65歳以上が三分の一になる。中国も当然同じ傾向で、こちらは人口の30パーセントが60歳以上になる。
 中国は飛躍的な成長を現在遂げているけど、今後いくらがんばってもこれに社会保障が追いつくことはなく、貯蓄率は上がったまま所得は減少する。長期的に見ると、中国もあまり未来はない。というか、日本より未来がなさそう。
 老人が増えるというのは相対的に若者が減るということ。15歳から64歳の比率で見ると、日本は2050年には44パーセント減少。労働力は半減すると言っていい。欧州は25パーセント減。中国は10パーセント減。
 対する米国はというと、42パーセント増える。増えるのはわかっていても、そんなにも労働人口が増えるんすかと驚く。そろそろソースが欲しいな、諸君。これね、未来学者ジョエル・コトキン(Joel Kotkin)氏による「400 Million People Can’t Be Wrong」(参照)。
cover
The Next Hundred Million
America in 2050
Joel Kotkin
 米国の民間企業の活力はもっと驚く。1980年から2000年までに個人事業主は10倍増。労働力全体の16パーセント。1990年から2005年のベンチャー企業設立の四分の一は移民。この傾向に米国の未来があるんだろう。
 もっとも、米国も長生きする老人への年金や医療の公的負担の問題は抱えていて、国家財政を圧迫している。それでも、米国にはベースの活力があるのだから、政治の意味もある。
 日本の未来はというと、米国型でやっているわけはないのだから、それまで貯めたカネを米国とかアフリカとか成長する地域に投資していくしかないだろう。国家安全保障もそういうのが基調になるんだろう。というか、日本もいろいろ政治をすったもんだやって、あーもうダメという地点がそのあたりなんじゃないか。ダメのピークはなんとなく見えつつある。

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2010.06.10

トルコの対イスラエル政策は変わったのか

 少し話は込み入っている。要点は、トルコの対イスラエル政策は変わったのかということだが、トルコとイランの関係がまず問われるので、その最新の動向から言及しておく。
 日本時間10日未明に行われた国連安全保障理事会公式会合で、イラン制裁決議が賛成12、反対2、棄権1で採択された。反対・棄権というと中露を想定してしまいがちだが、すでに報道されているとおり、反対はトルコとブラジルで、棄権はレバノンである。レバノンの棄権については背景を考えれば理解できないことはない。
 問題はトルコとブラジルの反対だが、これには前段がある。両国はイランが精製した低濃縮ウラン1.2トンを隣国のトルコに一時的に移し、核兵器に転用しにくい燃料棒と交換する計画を出している。制裁よりも現下のウランの対処が好ましいという考えだ。イランもこれに賛成している(参照)。逆な見方をすれば、そのような平和的仲介に、米露を含めた国際社会がノーを突きつけたという構図である。
 端的に言えば、ブラジルの独自な中立的スタンスを除外すると(おそらブラジルはく中国パワーの図柄を読み込んでいるのだろう)、いわゆる国際社会がトルコとイランのありかたに疑念を持っているということでもある。
 なぜ、トルコはイランに助け船を出したのか? 単純な答えは、トルコのイスラム国としての感情的なナショナリズムの表明のようなものだろう。背景にイランからトルコへのコネクションがあるといった陰謀論的なスジで考えても、トルコ国民の感情は理解できない。
 この問題が錯綜するのは、当然ながら、先日のイスラエルによるガザ支援船攻撃の問題が関係しているからだ。この支援船は主にトルコが出したものだと言ってよいくらいだ。
 トルコは、反イスラエルに舵を切ったのだろうか。言うまでもなく、従来は湾岸戦争の時代から顕著だが、トルコは西側諸国に対して親和的な政策であったのだが、ここに来て転換しているようにも見える(参照)。
 以上を踏まえて、一昨日のエントリ「ガザ支援船攻撃の背景と米国報道: 極東ブログ」(参照)で、ガザ支援船の背景と米側報道に触れたが、もう少し掘り下げてみたい。
 支援船組織IHHがテロ組織に関与しているかはわからない。概ね関与していないのではないかと見てよさそうだし、米国としては関与していると判断してもそうではないかのごとく振る舞うのが現下の外向的なスタンスのようだが、米国内イスラエルロビーの動きは報道に影響を与えているのかもしれない。しかし、この点について追っても、それほどイスラエル支援といった動向は見えない。代わりに、反トルコの論調が浮き立っている。
 前回のエントリで触れた、5日付けワシントンポスト紙社説「Turkey's Erdogan bears responsibility in flotilla fiasco」(参照)の論点はむしろ対トルコにある。


Mr. Erdogan's crude attempt to exploit the incident comes only a couple of weeks after he joined Brazil's president in linking arms with Mr. Ahmadinejad, whom he is assisting in an effort to block new U.N. sanctions.

今回の事件に対するエルドアン氏の粗暴な対応の数週間前になるが、彼はブラジル大統領と一緒にイランのアフマディネジャド氏と手を組み、新たな国連制裁を阻止しようと支援していた。

What's remarkable about his turn toward extremism is that it comes after more than a year of assiduous courting by the Obama administration, which, among other things, has overlooked his antidemocratic behavior at home, helped him combat the Kurdish PKK and catered to Turkish sensitivities about the Armenian genocide.

エルドアン氏の極論への転換で注目すべきことは、オバマ政権のたゆみない1年間の折衝の後に来たことだ。オバマ政権は、些事に目をつぶり、トルコ内の非民主主義動向を見逃し、クルド労働者党(PKK)への戦闘まで支援し、アルメニア人ジェノサイドという民族感情に触れる問題も看過していた。

Israel is suffering the consequences of its misjudgments and disregard of U.S. interests. Will Mr. Erdogan's behavior be without cost?

イスラエルは今回の判断ミスと米国国益の軽視から苦悶している。なのに、エルドアン氏の今回の行動になんの酬いもないのか。


 ワシントンポスト紙はトルコにぶっちぎれという状態である。しかも、間接的にオバマにぶっちぎれも表現されている。余談だが、それに比べればルーピー鳩山など食事会でふんと鼻であしらっておけば済む問題でもあった。
 日本の米国観は単純極まりないので、ワシントンポスト紙のこうした動向をタカ派なり共和党的な動向に結びつけがちだが、関連のニューズウィークの論調は異なる。「Who’s Afraid of Turkey?」(参照)が典型的である。トルコの親イスラム傾向に対して。

But just as Turkey is starting to look more assertively pro-Islamist than ever, there are signs that a big internal shift may reshape Turkish politics and redirect its foreign policy back toward the West.

トルコが従来より親イスラム主義に見えつつあるものの、国内的には、トルコ政治と西側諸国に対する外交政策で変化の大きな兆候もある。


 変化の兆候は、ケマル主義の共和人民党の変化だ。同記事ではこれを新ケマル主義としている。
  ケマル主義は、政教分離を進めてきた建国の父、ムスタファ・ケマルの理想を継ぐ考えかたで、これに基づいてトルコは西洋的な世俗国家としてしてきた。しかし、近年、イスラム教的な色合いの濃い公正発展党(AKP)が大衆の支持を受け、同党からエルドアン首相が選ばれている。こうしたなか、新ケマル主義は、従来のケマル主義の問題点を克服しつつ、西洋型の世俗国家を求めていく運動だ。同記事はその新ケマル主義においてトルコのイスラム傾倒からの引き返しを期待している。
 ただし現実は、この記事の期待的な論調とは異なり、共和人民党もガザ支援船攻撃については強行な反発もしている。国内ナショナリズムへの配慮だろう。興味深いことに、エルドアン氏の親イラン政策も国内政治向けのナショナリズムのポーズである可能性もある。
 全体構図としてはどういうことなのか?
 私はトルコの現状は、反イスラエルなり親イランというよりも、反米・反欧米的な排除スタンスによるナショナリズム高揚の過渡期的な現象ではないかと思う。
 もちろん、そこから近未来に西洋型民主主義に近い安定を得るかというと難しいだろう。なにしろ、トルコより民主化していたはずの日本においてもいまだ反米・反欧米的な排除スタンスによるナショナリズムが高揚しているからだ。
 イスラエルというある種、アナクロニズム的なナショナリズムの側面を持つ国家が、その国家保全のために繰り出す非国際的な活動によって、各国の反米・反欧米的ナショナリズムがあぶりされるというのは、ここに新しい歴史の分水嶺が求められている兆候でもあるのだろう。それが何かということは難しい。オバマ政権の外交が忍耐強いのか、愚図なだけなのか、外面からはわからないように。

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2010.06.09

菅内閣の経済方針は麻生内閣時代に与謝野馨財務相が主導した「中期プログラム」の劣化版

 菅内閣発足の会見を聞いていて、ああ、これは麻生内閣時代与謝野馨財務相が主導した「中期プログラム」の劣化版だと思った。なんでこんなことになってしまったんだろう。
 菅内閣は首相失態で崩壊した鳩山前内閣のナンバーツーであったことから、その失態終息が急務であり、また9月に予定される新内閣までの暫定内閣なので、期待を持つとすればきちんと鳩山内閣の尻ぬぐいをしてくださいというくらいしかない(そして菅氏については9月に引退するのもスジだろう)。その第一歩は、今からでも遅くないから、報道のオープン化とか言う人たちが声援して、党向けではない国民向けの鳩山由紀夫氏の辞任会見を開くのがスジではないのか。
 だがまあ、世間はすっかり新内閣に浮かれている。菅内閣発足の会見も注目されている。前回支離滅裂な話をしていた菅氏だが、その後落ち着いて少しはまともな話ができるようになったかなと、話を聞いてみて、驚いたというか、なんだこれは。与謝野馨氏の「立ち上がれ日本」に政権交代したのかと耳を疑った。産経新聞首相会見詳報道(参照)より。


また、日本の財政状況がこれまで悪くなった原因が、端的にいえばこの20年間、税金が上げられないから、借金でまかなおうとして、大きな借金を繰り返して、効果の薄い公共事業、例えば100に近い飛行場をつくりながらまともなハブ空港がひとつもない。これに象徴されるような効果の薄い公共事業にお金をつぎ込み、また一方で社会保障の費用がだんだんと高まってきた。これが今の大きな財政赤字の蓄積の構造的な原因であると。私は財政が弱いということは思い切った活動ができないわけでありますから、この財政の立て直しも、まさに経済を成長させるうえでの必須の要件だと考えております。そして社会保障についても、従来は社会保障というと何か負担、負担という形で、経済の成長の足を引っ張るんではないかと、こういう考え方が主流でありました。しかし、そうでしょうか。スウェーデンなどの多くの国では、社会保障を充実させることの中に雇用を見いだし、そして若い人たちも安心して勉強や研究に励むことができる。まさに社会保障の多くの分野は、経済を成長させる分野でもある。こういう観点に立てば、この3つの経済成長と財政と、そして社会保障を一体として、強くしていくという道は、必ず開けるものと考えております。

 消費税という言葉は避けられているが、ようするに財政健全化が至上課題であり、そのために増税して、財政が健全化されれば、経済成長と社会保障が実現できるというのだ。大蔵省ケインズ主義というか大蔵省社会主義というくらいの珍妙な話になっている。官僚は大馬鹿(参照)から「官僚こそが政策や課題に長年取り組んできたプロフェッショナル」(参照)に豹変したわけだ。
 小泉政権時代のように財政再建よりも、経済成長を目指してプライマリーバランスに焦点をあてるほうがなんぼかマシではないかと思うが、時代がまたぐんと逆行している。
 逆行というなら、この逆行は麻生政権でも顕著だった。と、思い返すに、この菅氏の戦略は、麻生内閣時代与謝野馨財務相が主導した「中期プログラム」(参照PDF)の劣化版である。オリジナルはこうだった。

社会保障制度の財源(保険料負担、公費負担及び利用者負担)のうち、公費負担については、現在、その3分の1程度を将来世代へのつけまわし(公債)に依存しながら賄っている。こうした現状を改め、必要な給付に見合った税負担を国民全体に広く薄く求めることを通じて安定財源を確保することにより、堅固で持続可能な「中福祉・中負担」の社会保障制度を構築する。

 これに、増税で経済成長といった変な味付けをすると菅氏の経済政策になる。もっとも、「中福祉・中負担」は「最小不幸」(参照)と菅氏は言い換えているが。余談だが、最小不幸というのはサンデル教授が批判する功利主義そのもの(参照)。
 税制・歳出の原則も自民党と同じ。こうだった。

経済状況の好転後に実施する税制抜本改革の3原則
原則1.多年度にわたる増減税を法律において一体的に決定し、それぞれの実施時期を明示しつつ、段階的に実行する。
原則2.潜在成長率の発揮が見込まれる段階に達しているかなどを判断基準とし、予期せざる経済変動にも柔軟に対応できる仕組みとする。
原則3.消費税収は、確立・制度化した社会保障の費用に充てることにより、すべて国民に還元し、官の肥大化には使わない。


歳出改革の原則
原則1.税制抜本改革の実現のためには不断の行政改革の推進と無駄排除の徹底の継続を大前提とする。
原則2.経済状況好転までの期間においては、財政規律を維持しつつ、経済情勢を踏まえ、状況に応じて果断な対応を機動的かつ弾力的に行う。
原則3.経済状況好転後においては、社会保障の安定財源確保を図る中、厳格な財政規律を確保していく。

 菅氏の経済政策指針と変わらない。
 しいていえば、菅氏の経済政策が「中期プログラム」劣化版の面目躍如たるところは、自民党「中期プログラム」ではそれなりに景気回復ができた後の増税なのに、菅氏では成長つまり景気回復のための増税という変な議論になっていることだ。菅氏は、デフレで増税どころか、デフレ克服に増税、と言うのだ。橋本内閣と同じ末路になるには期間が短いのが幸いかもしれないが。
 民主党がここまで自民党劣化したのは、なんのことはない。民主党マニフェストが財政的に崩壊してしまったのに、マニフェストのほうを変更せずに財政のほうを変えようとしているからこんなスジ違いの話になってしまっただけのことだ。
 結局、この内閣、劣化版自民党というより、若干色合いを変えた「立ち上がれ日本」と同じものになってしまった。こんなのが民主党なんですか、と疑問に思うが、民主党のマニフェストの失態でどたばたしているのだから、まさに民主党らしいということでもあるのか。

追記
 その後の所信表明について。
 11日付け朝日新聞「超党派の「財政健全化検討会議」設置、野党が拒否姿勢」(参照)より。


 一方、たちあがれ日本の与謝野馨共同代表は「よく書けた所信表明だった。各党が話し合える素地はできたと思う」と述べた。

 11日付け中国新聞「官僚の作文―野党 財政健全化協議に否定的」(参照)より。

 自民党の谷垣禎一総裁は「官僚が書いた印象。経済財政政策については、悪く言えば、自民党時代のものと変わらない」と指摘。

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2010.06.08

ガザ支援船攻撃の背景と米国報道

 5月31日、パレスチナ自治区ガザ地区に支援物資搬入として地中海を航行していた貨物船と旅客船計6隻の船団が公海上でイスラエル軍部隊に急襲され、船団側の1隻で死者・負傷者を出した。具体的にどのような事件であったかについて両者の主張は違う。3日付けNHK「国連人権理 調査団派遣を決議」(参照)はこう伝えていた。


パレスチナのガザ地区の沖合で先月31日、トルコなどの市民団体が派遣した人道支援物資を積んだ船がイスラエル軍にだ捕され、活動家9人が死亡した問題について、ジュネーブの国連人権理事会は、2日間にわたって対応を協議してきました。この中で、イスラム諸国などが、「イスラエル軍の行動は国際法を無視した暴挙で、関係者は厳しく裁かれるべきだ」と非難したのに対し、イスラエルは「兵士たちは鉄パイプなどで襲われたためにやむなく発砲したもので、正当防衛にあたる」などと反論しました。

 5月31日付けAFP「ガザ支援船をイスラエル軍が強襲、10人以上死亡 トルコ強く抗議」(参照)はこう伝えていた。

 船団結成に関与したトルコの人道支援団体IHH(Foundation of Humanitarian Relief)のガザ支部はAFPの電話取材に対し、強襲を受けたのはトルコ船籍の船で、トルコ人を中心に15人が死亡したと語った。

 事態の映像などもインターネットに流れている。私も一部を見たが、映像だけからはどう判断してよいのかわかない。
 国連人権理事会は今回の問題に対して、2日、イスラム諸国から出された「イスラエルの国際法違反を最大限非難し、真相を究明するため現地に独立した調査団を派遣する」決議案を賛成多数で採択した。採決には、米国が「事実関係が明らかでなく、決議は一方的で、調査団の派遣も時期尚早だ」として反対したが、英国とフランスにならって日本は棄権した。事態は国際政治問題化している。
 事件の実態ついては公平な調査を待つしかないが、大筋ははっきりしている。公海上で人道的支援物資を積んだ船舶をイスラエルが拿捕することの正当化には無理がある。まして死者を出すほどの暴力行使は正当化されない。イスラエルの今回行動は国際常識からしても逸脱していて、擁護できるものではない。
 事態の背景にもよくわからない点がある。関連して今回の「トルコなどの市民団体が派遣した人道支援物資を積んだ船」(NHK)または「トルコの人道支援団体IHH(Foundation of Humanitarian Relief)」(AFP)について少し報道を追ってみた。
 2日付け毎日新聞記事「イスラエル軍:ガザ支援船団攻撃 「船団、テロを支援」 イスラエル、正当性主張」(参照)では、こう伝えている。

パレスチナ自治区ガザ地区への支援船団がイスラエル軍に急襲された事件で、イスラエル政府は「船団に参加している団体がテロ組織を支援している」と指摘し、強硬策を正当化している。一方、団体側はテロ組織との関係を否定、ガザ封鎖を続けるイスラエルへの非難を強めている。

 毎日新聞の報道では、イスラエルは船団がテロ組織を支援しているとし、船団側ではテロ組織の関係を否定しているといる。どのような根拠であろうか。

 船団は、キプロスを拠点にする人道団体「フリー・ガザ・ムーブメント」が呼びかけて結成した。
 05年のイスラエルによるガザ封鎖後、これまでに8回接近を試み、うち5回は上陸したという。いずれも1~2隻の船団とみられ、08年のイスラエル軍によるガザ攻撃以降は軍の警告を受けて引き返したり、拿捕(だほ)されるなど、失敗が続いていた。
 これに対し、今回は6隻600人とかつてない規模の大船団を組み、「必ずガザ封鎖を突破する」と事前にアピールしていた。
 中でも最多のメンバーを送り込んだのが、イスタンブールの民間慈善団体「人道支援基金(IHH)」。IHHはガザで広く活動しており、イスラエル政府は盛んに「イスラム原理主義組織ハマスなどテロ組織との関係」を強調していた。
 ただし、イスラエル紙の報道によると、IHHはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争さなかの95年に結成され、米国やトルコなど100カ国以上で合法的に活動。幹部は「ハマスを支援していない」と否定している。

 問題となる団体は「人道支援基金」(IHH:Foundation of Humanitarian Relief)である。そして、この組織がテロ組織を支援していないとする毎日新聞報道のソースだが、明記されていないイスラエル紙報道の伝聞だ。
 国内報道では、今回の問題の核となるIHHについてよくわからない。
 イスラエル政府は、IHHを「善の連合」(The Union of Good)と関連づけている。Israel Security Agency「The Union of Good – Analysis and Mapping of Terror Funds Network」(参照)では、IHHをそのトルコの支部として描いている。

Middle East and Africa – the Saudi Arabian WAMY and the Committee for the Relief of Palestinian People, the Palestinian People's Support Committee (Al Manasra) in Jordan, and IHH Turkey.

 「善の連合」(The Union of Good)は、米国ではテロ組織とされている。「November 12, 2008 HP-1267: Treasury Designates the Union of Good」(参照)より。

The U.S. Department of the Treasury today designated the Union of Good, an organization created by Hamas leadership to transfer funds to the terrorist organization.

米国財務省は今日より、「善の連合」(The Union of Good)について、ハマスの指導によるテロ組織資金供給団体と指定する。


 IHHと「善の連合」(The Union of Good)の関係については、2点の議論があるだろう。(1)米国はイスラエル同様、IHHを「善の連合」支部と見ているか、(2)前項に関連するが米国はIHHをテロ組織として見ているか、である。
 後者については公式アナウンスがないので、米国はIHHをテロ組織とはしてないようだ。前者についてはやや難しい。FOX系のブログ・エントリ「Gaza Clash: Turkish Charity’s Terror Links」(参照)で、その関連の示唆が示されている。

Fighel’s report also notes that the C.I.A. report that was declassified in 2001 and titled “International Islamic NGOs and Links to Terrorism” states that the IHH had links with extremist groups in Iran and Algeria and was either active or facilitating activities of terrorist groups operating in Bosnia.

フィッシェルの調査書によれば、2001年に機密解除されたCIA文書「国際イスラムNGOとテロの繋がり」で、IHHがイランとアルジェリアの過激派と繋がりがあり、ボスニアで活動するかあるいはテロ活動促進活動をしていたという。


 ネットを探すと該当文書と思われるものが見つかるが、私には真偽がわからない。また同エントリは、IHHは米国ではテロ組織とはされていないとの伝聞も伝えている。
 現状、IHHと「善の連合」(The Union of Good)、さらには直接的なテロ関与についてはイスラエル側以外の情報はないようだ。
 しかし、5日付けワシントンポスト紙社説「Turkey's Erdogan bears responsibility in flotilla fiasco」(参照)はそれを前提として描いているので驚く。

The relationship between Mr. Erdogan's government and the IHH ought to be one focus of any international investigation into the incident. The foundation is a member of the "Union of Good," a coalition that was formed to provide material support to Hamas and that was named as a terrorist entity by the United States in 2008.

トルコのエルドアン政府とIHHの関係は、今回の事態についていかなる国際調査であるにせよ、焦点とされるべきものだ。この団体は、ハマスに物資を提供をする組織であり、米国が2008年にテロ組織と指定した「善の連合」(The Union of Good)のメンバーでもある。


 米国ジャーナリズムでは、米政府見解とは別に、IHHを「善の連合」(The Union of Good)の下部としてテロに結びつける論調が受け入れられているのだろうか。
 同社説はIHHの背景よりも、そのテロとの連繋をトルコのエルドアン政府に結びつけ、さらにイラン問題にも言及している。ここで私は、米国ジャーナリズムで何が起きているのか、と問うべきなのだが、現状ではよくわからない。

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2010.06.07

小沢独裁を機構的に押さえる政調の復活はよかった

 率直にいうと菅首相に期待するところはなかった。集金に結びつく明確な政治基盤がない菅氏の場合、海外紙が見抜いていたように(参照)、大衆迎合主義的な手法を採る以外に権力維持の手法はありえない。とすれば、そこに本質的な力学と矛盾を抱え込むことになる。矛盾の局面では、小泉元首相のように最後は大衆を借りて抑え込むだけのカリスマ的能力は菅氏にはない。あるいは、小泉氏のような政治信念・理念は菅氏にはない。通常なら権力への柔軟な動きが政治家としてのメリットになるが、この難しい局面ではデメリットになり、倒れるだろう。
 そもそも論でいうなら、新内閣への期待が本質を外している。これは新内閣ではなく鳩山内閣の失態を取り繕ういわば後期鳩山内閣である。だからそのナンバーツーだった責任者が失態の責を追うという以上の意味はない。いかに鳩山内閣の失政を是正するか、そのことが課題になるにもかかわらず、菅氏の表明演説などからはその意識は見られないし、マスコミなどでもあたかも新内閣のように煽っている。誤りである。
 失態の尻ぬぐいが優先されるべきなのに内閣人事に関心を持つ意味がわからない。私は内閣人事には関心がない。政治学者トバイアス・ハリス氏のいうように閣僚の任用には継続性が重要であり新内閣の必要はない(参照)と考える。むしろ、赤松農相などについては組閣のどさくさに外すのではなく、別途きちんと責任を負わせなくては禍根を残すだろう。
 だが、政調の復活の話には期待を覚えた。誰が政調の長に付くかはどうでもよい。政調を復活させれば、小沢独裁を機構的に押さえるための手段になるからだ。
 鳩山政権でなにが最大の問題であるかといえば、政府決定が党から覆される仕組みだった。政治主導の名の下に、実際には、党権力者が政治を支配する仕組みができつつあった。
 さらにこの小沢独裁構造の権力維持のために陳情を党小沢氏に集約しそれに見返りのばらまきをするために政府が位置づけられつつあった。旧自民党の最悪の構造が民主党の本体として現れつつあった。自民党を批判する人がなぜこんな醜悪な機構に賛同できるのか私は不思議でならなかった。
 本来なら、首相は、小泉元首相がそうであったように独自性を持つならよいのだが、鳩山前首相は、実態は、党維持のための従属機関であり、小沢氏の傀儡であった。政治主導の名のもとに隠されていたのはこうした独裁に道を開くための仕掛けであった。そのことを別側面で端的に示したのは、国家戦略局の不在である。
 国家戦略局の構想は、元来は政治主導のために小泉政権で創案されたものだ。国家目標や統治形態などの基本戦略を策定するために内閣に設置する首相直属の機関であった。これは自民党時代の政調の非効率性や陳情・集金のシステムからの離脱の一歩となるはずだった。安倍政権もこれを受け継ぐはずだったが、挫折した。
 民主党の国家戦略局は大筋では小泉政権の新しい仕切り直しの継承となるはずだったのだろうが、民主党の国家戦略局の機能は「国家戦略」という看板とは異なり、小泉政権の構想から矮小化され、予算権限を一本化・予算案の策定にあった。そしてそれでも機能するならば、民主党という党は、国家戦略局を介して百人の民主党議員を送り込むはずであった。それが政治主導の実態となるべきだった。そうはならなかった。
 政権成立当初から国家戦略局は骨抜きにされていた。考えてみればあたりまえである。小沢独裁システムが陳情からばらまきの機能を持つのだれば、予算権限を小沢氏側に集約する必要があったからだ。
 菅直人氏はこの国家戦略局に実質幽閉されていたのも象徴的だった。そのなかで彼はこの問題構図を見ていたのだろうし、大衆迎合主義でしか自身の権力基盤がないとすれば、自身の国家戦略局を否定するかたちで、旧自民党型の政調の復活がよいと判断したのも理解できる。このあたりの嗅覚は政治家として一級といっていいかもしれない。
 これで菅氏が郵政国営化法案をどういう表現であれ実質ぐだぐだに持ち込み廃案にするなら、その政治手腕は相当に評価してよいだろうと思う。そして、奇っ怪なカンズ経済学(参照)が是正されるなら、政権交代したデメリットは相殺できるくらいの価値がある。だがおそらくそうはならない。
 普天間飛行場の撤去問題を民主党は自民党案よりもひどいものにしてしまった(普天間飛行場撤去が明確化されないのである)。同様に、自民党型政調の復活でようやく、小泉政権以前の自民党政治に戻ることで、独裁の機構的な修正を図ることができそうだ。本来の政治主導からすれば大きな後退だが、それでもここまで最悪な地獄図からすればわずかな希望でもある。
 菅政権は九月までの暫定政権である。本来ならその間に期待できるのは、民主党のための選挙対策だけだろう。党利が問われる。郵政国営化はいずれ国民に重税のツケを回されることになるとはいえ大衆は生活に重税が跳ね返るまで理解できるわけもない。大衆迎合主義くらいしか政治基盤のない菅氏にしてみれば、そこで目先の利が得られない政策はとらないだろう。
 菅暫定政権が小沢氏を遠ざけて選挙に大敗すれば小沢氏の権力奪取の力が動きだす。小沢氏の影の力を借りて選挙で勝利し、なんとか菅暫定政権が維持でき新組閣に結びついても、組閣には見返りとして小沢勢力が入り込む。モートンの熊手(参照)である。
 しいていえば、最善でも旧自民党のような政権しかできないなら、もう一度国民は政権交代を望むほうがマシかもしれない。そこはまだはっきりと見てこないが。

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2010.06.06

菅直人氏の海外評価はポピュリスト(大衆主義者)

 菅新首相を海外がどう見ているかの一端は、「フィナンシャルタイムズ曰く、恐るべき失望の民主党にだって希望はある、たぶん: 極東ブログ」(参照)にも記したが、他の報道を見ていると一様に「ポピュリスト(大衆主義者)」という枕詞がついている。populistは「大衆迎合主義」とも訳されるが、市民主義と訳してもそうハズレということでもない。
 表題にポピュリストを冠しているのがCSモニター「Populist Naoto Kan promises to 'rebuild' Japan as new PM(ポピュリストの菅直人は新首相として日本再生を約束した)」(参照)である。


The first PM in more than a decade not to hail from a political dynasty, the populist Naoto Kan hopes to boost his party's standing ahead of July elections.

世襲政治から離れた、10年ぶりの首相として、ポピュリスト菅直人は7月選挙を前に党の地位向上を望んでいる


 "a political dynasty"は直訳すれば政治的王朝だが、世襲政治の意味だろう。ワシントンポスト「Naoto Kan becomes new Japanese prime minister」(参照)もそこを強調していた。

Kan draws on a background that contrasts with those of other recent Japanese prime ministers. He has a humble background and a history as an outspoken populist. He is the first premier since 1996 whose family didn't make politics part of the family trade.

菅は出自において近年の日本の首相と一線を画している。彼は、あけすけに物を言う大衆主義者として、慎ましい育ちと経歴を有している。世襲政治家ではない1996年以来最初の首相である。


 英語としては下層階級的な含みが感じられるが、取材が足りないか、対比を明確にしたかったのだろう。
 CSモニターに戻ると。世襲的背景がなく大衆迎合的という構図でまず捉えられている。そしてその構図のなかで、ポピュリストなら嫌うはずの増税の問題を取り上げている。

But Kan’s populism may have to take a back seat to cold realism when he confronts Japan’s huge public spending commitments.

しかし、巨大な財政赤字への責務に直面したとき、菅の大衆迎合主義は、冷めた現実主義への後退を余儀なくされるかもしれない。

He has talked with more enthusiasm than his Democrat colleagues about the need to raise the consumption tax, a measure that is unlikely to go down well with voters.

彼は他の民主党政治家よりも、得票には結びつきそうにもない消費税増税について熱心に語ってきた。


 大衆主義者だが大衆の嫌う増税に直面するための布石として、消費税アップを語ってきたのかという読みでもあるだろう。
 テレグラフ「Naoto Kan: profile(菅直人プロファイル)」(参照)も大衆迎合主義に着目している。

His sharp debating skills, populist flair, policy pragmatism and reputation also set him apart from Mr Hatoyama, who was nicknamed "The Alien" by local press.

彼のキレのよいディベートテクニック、大衆迎合主義者としの勘のよさ、政治面での現実主義、名声、これらは鳩山氏が日本で「宇宙人」と渾名されているのとは違っている。


 ディベートテクニックでキレがいいかはちょっと疑問な点もある(参照YouTube)が、政界の世渡りのうまさはあるだろう。

In a somewhat dramatic display of his repentance – and perhaps a demonstration of his populist appeal - he shaved his head, swapped his suit for a Buddhist rope and went on a temple pilgrimage on the Japanese island of Shikoku.

どこかしら芝居めいている彼の改悛としては、おそらく大衆迎合をアピールしたものだが、頭を丸め、僧侶の出で立ちで、四国の寺社巡礼をしたことだ。


 英語で読むとおかしさが増すが、あのお遍路も効果的だったと海外で見られているのだろうか。
 ガーディアンの「Japanese prime minister Naoto Kan promises to rebuild country」(参照)でもさらっとポピュリストとして言及されていた。

Naoto Kan, an outspoken populist who started his political career as an environmental campaigner, today became Japan's fifth prime minister in less than four years.

菅直人、率直に語る大衆主義者(ポピュリスト)は、政治家としての経歴を環境問題運動家として始めたのだが、今日、彼は4年に満たない中での5番目の首相となった。


 環境問題の運動家だったろうか? 東京工業大学在学中に「現代問題研究会」を創設しいわゆるノンセクの「全学改革推進会議」として活躍したのち、市川房枝氏の選挙事務所では働いたのが原点だと思うが。余談だが、ぐぐってみると東京工業大学「現代問題研究会」は現存するようだ(参照)。創立者の弁としてこんな話が書かれている。

学生時代の私は,「現代問題研究会」というサークルを作り社会保障や国際問題など幅広く関心を持ち活動しておりました。当時は,ベトナム戦争の最中で,東工大の学生もかなり政治的エネルギーを内包しており,卒業間近の1969年の1月に全学ストライキという形で大学紛争の勃発につながりました。私は,「全学改革推進会議」という改革派グループを創って走り回っていました。今思えば,この時のサークル活動や大学紛争が現在の私の政治活動の出発点です。

 誰なんでしょ。
 いずれにせよ、菅氏もベ平連の流れであったと記憶している。
 ガーディアンの話に戻して、ここで"an outspoken populist"という表現があるが、これは先のワシントンポスト紙にもあり、他でも見られる。"a straight- talking populist"という表現もあった。つまり、歯に衣着せぬというか弁舌さわやかということだが、往年の菅氏はそうだが、現在の彼はどうだろう。「菅新首相会見から、「ある意味」を抜き出してみた: 極東ブログ」(参照)でも触れたが、とてもそうとも思えない変化はある。
 なにがその変化をもたらしたかだが、単純にあれかなと言うのはある。まあ、言うと50代とはいえ私にもブーメランになるので慎んでおこう。

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2010.06.05

菅新首相会見から、「ある意味」を抜き出してみた

 菅新首相を会見をぼんやり聞いていたせいか、何をおっしゃっているのか皆目わかりません状態になってしまった。


Pancake Bunny (2001)

 ダメだ俺もうボケちゃったんだと思って、文字起こしされた会見を産経新聞「【菅首相誕生】会見詳報」(参照)で読んでみて、なんで自分がわからなかったか、わかった。「ある意味で」と菅首相が言われると、頭のなかで、「どんな意味で」と自動的に突っ込みが入り、そこが明示されないと、ペンディング状態になるのだが、そのペンディングの積み重ねで自分の脳みそのスタック許容量がパンクしていたのだった。
 こんな感じです。


まずやらなければならないのは、サッカーでいえば岡田ジャパン、ある意味では、菅内閣と同時に、私が代表である民主党の体制をしっかりとしたものとして立ち上げなければならない。このように考えております。

 岡田ジャパンに模されているのが、ある意味では菅内閣なのだから、もしかすると、九月には別の内閣になる。小沢氏もそう言っているし。「「選挙勝てば先頭に立つ」=9月の代表選に出馬?-小沢氏」(参照)によると、「私は立場上、動けなかったが、次につながる良い数字だ。あと90(票獲得)で首相が取れた。90なんて難しい数字じゃない」とのこと。
 

そのためには、この数日間、かなりある意味で、集中して、いろいろなことにあたってきましたので、一度、頭を休めることも含めて頭を整理して、多少の時間をいただいて、新しい体制づくりに入りたいと、このように考えております。

 かなりある意味で集中するというのは、普通に集中するというわけではないということで、ヨガの倒立のポーズをしていたのかもしれないし、牛肉の貝割れ大根添えを食べながら集中していたのかもしれない。あるいは、かなりある意味でいろんなことにあたってきたのかもしれない。量子力学的だなあ。

まず、あの、一般的に申し上げて、これからの政策運営、あるいはいろいろな活動については、まず、しっかりした体制をつくった上で、私1人ではもちろんできるわけではありませんので、そうしたそれぞれの役割を担っていただくみなさんとよく相談をしながら進めていきたい。こう考えております。そういった意味でですね、必ずしもこの場で、すべてを私が1人でやるわけではありませんので、そのことについて、相談した上で決めることも多いということはご理解をいただきたいと。こう思っております。
 そういった意味というのは、菅さんが自分で責任を取らずに進めていきたいということ。
鳩山内閣との違い、というご質問でありますけれども、今日も朝の両院(議員)総会の席、あるいは、特に立候補したときの席でも申し上げましたように、鳩山総理からは日米の関係、日中の関係、日韓の関係をしっかりやってほしい、さらには地方主権国家、新しい公共、そして地球温暖化の問題、そういった課題についてしっかりやってほしいと。そういうことも言われているわけでありまして、そういったことについては、まさに鳩山内閣がやろうとして、着手をしたけれども、さらに進めなければならない問題を引き継いでいくという意味では、鳩山内閣と多くの点で、同じ民主党内閣でありますから、共通した方向性を持っていると。このように思っております。
 どういう意味かというと、この内閣は、鳩山政権が残した失態を引き継いでいくという意味なので、それはとても納得できる意見だと思う。でも、その割にまるでその文脈とは異なる新内閣として人事をがちゃがちゃいじっているのはなぜなんだろうか。トバイアス・ハリスさんの「菅首相に新内閣は必要ない」(参照)を参考にしたらよいのに。
と同時に、これもまた、代表選の立候補のときにも申し上げましたけれども、鳩山総理ご自身が政治とカネの問題、普天間の問題ということで国民のみなさんの理解が得られないということを自覚された中で、ああした勇断をもっての行動をされたわけでありますから、その点は逆に鳩山代表から、ある意味では、そういった問題を変えてほしいという期待でありますので、特に政治とカネの問題についてはきちっと襟を正した姿勢を示していかなければならないと思っております。
 ある意味では普天間問題と政治資金問題を変えるというのは、別の意味では変えないということなんだろうか。まあ、そのあたりが本音かな。これまで副総理だったけど普天間問題にはノータッチだったし、政治資金問題はブーメランになりそうだし。
普天間の移設問題は、基本的には日米間の合意を踏まえ、同時に、その合意の中にも盛り込まれておりますけれども、沖縄の負担軽減ということを重視をして、この問題、相当に大変な問題でありますので、しっかりと、ある意味では腰を据えて取り組んでいきたいと思っております。
 ある意味では腰を据える、ある意味では、尻を据える。あるいはある意味では腰を据えない。まあ、沖縄の負担軽減にはそれほど腰を据えないようだ。というのは、沖縄県知事や県民に会いに行くスケジュールの話はなかった。そういえば、口蹄疫の話もなし。
今も何度も繰り返して申し上げましたけれども、何か、この、どのグループをどうこうするという、そういう発想はまったくありません。そういう中で、この数日間は、ある意味で、代表選挙、首相指名というところまでですね、短い期間ではありましたが、集中的にそこにエネルギーを注いできましたので、いろんな意見を聞くことも、まあ、選挙はどうしても応援してくれるかどうかということが1つの判断にならざるを得ませんが、選挙が終わればまさにノーサイドですから、適材適所でどういう方がもっともふさわしいか、いろんな意見を聞いて進めていきたいし、まさにそのために若干の時間をいただきたいと思っております。
 なんど読み直しても、何を言ってるのか皆目わからん。ノーサイドを強調したいんだろうとは思う。「これからはノーサイドでいきましょう」だけでよさそう。
ま、選挙について、これまで小沢幹事長を中心に、もう相当程度、候補者の擁立はもうほとんどと言ってもいいかもしれませんが、進んでおりますし、いろいろな準備が進んでいることも承知をしております。そういう、進めていただいた今の状況を改めて、ま、私自身も把握をしなければならないと思っておりますが、何よりも、どういう方にですね、それを、ま、ある意味で引き継ぐのか、ある意味ではすでにそういう役目についている方に継続をいただくのか、まさにそれも含めて、この、ある程度の時間をいただいた中で、しっかりと決めていきたいと。
 ひと言でいうと、選挙についてなんも考えてない。あるいは、選挙については言いたくない。
私なりのイメージで申し上げれば、昨年の政権交代に、ある意味で託していただいた国民の皆さんの思いは、今の日本が大変、何と言いましょうか、活力があって、どんどん、この元気良くなっているというよりは、どんどん経済も低迷し、あるいは自殺の数も減らない。こういう閉塞感を打ち破ってくれないかと。ある時期、それを小泉さんに託するという結果も、2005年の選挙ではあったわけですけれども、それが、ある意味、国民の期待にかなわなかったなかで、昨年、民主党に政権を託すことによって、そうした閉塞感、閉塞した状況を打ち破ってもらいたい。私はそこが一番の思いだと思っております。
 ある意味で託したけど、別の意味で民主党に託していないというのは、そう。小泉政権もある意味国民の期待にかなわなかったけど、ある意味かなっていた。シュレディンガーの猫。
そういった意味では、まさに、政権がスタートして8カ月余り。最初の予算はやはり、9月の政権成立という、かなり時間的にも制約があるなかで、あるいはリーマンブラザーズの破綻(はたん)といったなかで、予想を超えた税収落ち込みといった制約のなかで作り上げた予算でありますから、来年度の予算は、基本的な考え方も含めてですね、これから20年。これまでの20年間の間違った政策を改める。ある意味では、本格的な第一歩がここから始まると。こう思っております。
 ある意味では第一歩だけど、先に述べていらっしゃったように、鳩山政権の失態を継ぐのだから第一歩にはならない。
農業の所得補償、1兆円という数字も挙げていただきました。私も民主党の農業再生本部長なども務めて、そうした議論の中から直接支払制度、そういったものがある意味で議論として浮かび上がって政策としてマニフェストに盛り込まれたということはその通りであります。
 ある意味でマニフェストに農家の直接支払いを盛り込んだが、ある意味ではそうではなくなる、と。
ギリシャの例は、ある意味でもちろんあれは外国が国債を買っていたということもありますが、結局マーケットがそれを信認しなくなったことで、ああした危機が訪れたわけであります。
 これは、ある意味ではなく、べたのその意味なんで、財政に弱い菅さんの面目躍如。
さらに日本は大変いい地政学的な位置にあります。まさに今やアジアは世界の、まさに発展地域であり、歴史的にももっともすばらしい発展を遂げつつある地域でありまして、その一角に位置している日本は、もちろん発展途上の国と今の日本の状況はいろいろ違いますけれども、少なくとも中国やインドやベトナムや多くの発展を続ける国々と、ある意味で補完関係になることができる。
 ある意味では補完関係だけど、ある意味では敵対関係。またある意味では、対中国の緩衝的な意味合い。いろんな意味がある。たくさんならべると無意味。
いまや中国に行っても、大きな事業はヨーロッパがドンドンとっているですね。なぜこんなことになったのか。私は小泉内閣時代の政治的な日中関係の経熱政冷とかという、ちょっと言葉が正確であるかどうかあれですが、経済は熱いけども政治は冷たいという言葉が同時ありましたけれども、実は政治が冷たければ経済も決して熱くはならないということをですね、当時の失敗の一つの原因であったと、このように考えております。そういった意味で、少し長くなりましたけれども、過去の失敗をきちっと検証していけば、将来に向かっての成長の道筋は必ず開けると、このように考えております。
 そういった意味というのは、政治が冷めても経済は熱いという状態は過去の失敗の検証で達成できると。そう、小泉政権を学ぶべし。
いずれにしても、先程来、申し上げていますように、新しい党の機構、態勢をどうするか。全員が参加できるための1つの大きな役割として、政調の復活が必要であり、そのことは必ずしも一元化に反するのではなくて、ある意味で、一元化をする中での幅広い裾野を形成するもになる。このように考えております。
 ある意味で政調は一元化には反しないと。それはそう。一元化というのは、道路問題で顕著だったけど、小沢一元化だったのだから。
まず社民党のことでありますけれども、実は、この間も、国対などを含めて、昨年の3党合意の中での政策について、もちろん普天間の問題については意見が合わないということで離脱されたわけですけども、それ以外の多くのところでは意見が一致してきているわけですので、それをどのような形で実現にこぎつけるのか。今日もあいさつに伺いましたら、特に派遣法の問題など、お互いに議論をし、苦労をし法案までこぎつけたものについて、ぜひ一緒に成立をさせようじゃないか、ということも福島党首からもお話をいただきました。そういった意味で、政策を中心にした協力関係、改めて党の態勢ができた中で、これまでの経緯も含めて、話し合っていきたい。そういう中では、広い意味での国会運営の協力ということもお願いするというか、少なくとも同じ法案については、同じような行動を、共に賛成する法案についての同じような行動をすることになりますので、そのこともお願いしていきたい。そのように考えております。
 社民党とは連立を解消したけど政策合意はできるし、国会運営に協調できるということ。それは歓迎。郵政国営化についても他党とよく協議していただきたい。
また、鳩山代表、小沢幹事長とのトロイカ体制についてでありますけれど、野党の時代にそういう表現がかなりあったことも、よく承知しておりますし、それぞれの役割分担でこの民主党を、ある意味、どなたかが代表であったりしましたけれど、1つの方向性を打ち出してきたことも事実だと思っております。
 ある意味事実であった。事実でないとも言える。意味の取り方で事実は変わる。そんなまさかね。

 とまあ、いちいち突っ込みを入れてみたけど、実際はただの口癖なんだろうけど、言質を取られまいと緊張しすぎて、なんだかわけのわからない話になっているのは確か。
 菅内閣は独自性を出すためではなく、鳩山内閣の失態を繕うことが課題だからそれほど意気込まなくてもよいのに。それに、鳩山政権のナンバーツーであったにもかかわらず、実際上なんもしてこなかったわけだから、その呪いのようなものがこれから襲うのではないかな。

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2010.06.04

6月3日発売週刊文春記事「鳩山官邸マル秘作戦”権力にしがみつけ”(上杉隆)」が面白かった

 鳩山由紀夫首相の退陣表明があった6月2日の翌日に出た、6月3日発売の週刊文春記事「鳩山官邸マル秘作戦”権力にしがみつけ”(上杉隆)」が面白かった。ヒュー・エヴェレット三世(参照)の多世界解釈の視点からも興味深いし、ごく政治記事としても面白い。以下は後者の視点から。

cover
週刊文春6月10日号
 すでに退陣してしまった鳩山首相だが、3日のこの記事ではまだ退陣していない。それどころか、この記事の世界のメディアは首相退陣論が噴出しているとして、ジャーナリスト上杉隆氏はこう断じている。

 だが筆者は一貫して選挙前の首相退陣はない、と言っている。

 上杉氏は一貫してそう述べていたそうだ。もしかすると、3日の時点でも一貫して述べている可能性もないとは言い難い。
 その一貫性の理路も興味深い。

小沢幹事長がこの時点で鳩山首相と再三会っていることこそ、退陣がないことの証だ。なぜなら、ここで首相を辞めるとなれば、小沢幹事長の進退問題に話が及ぶ可能性があるからだ。

 確かに、退陣前になって鳩山首相と小沢幹事長が頻繁に会うようになったのだが、それは結果論に近い。むしろ重要なのはここで上杉氏が意図的か非意図的にか書いてない部分に今回の真相があったのだろう。つまり、小沢氏ではなく、輿石氏である(参照)。輿石氏の関与から鳩山首相辞任問題が急転する。
 いずれにせよ上杉氏がそう考える補強として記事では、小沢側近スタッフの言葉を引いているのだが、小沢側近スタッフが誰なのかわからないので、その言明の信憑性は記者上杉氏への信頼性に依ることになる。そして話はこう続く。

小沢幹事長が交替を求めれば退陣であろうし、必要だと言えばそのまま続投なのである。最高権力者の意向が明らかになった以上、もはや鳩山首相の辞任はないだろう。

 問題は二つある。(1)小沢氏の意向は明確だったか、(2)小沢氏の意向だけではどうにもならなかったか。
 輿石氏のファクターを入れなければ、前者の論点しかない。
 上杉氏の記事は以上が前半で、その基盤の上に後半にさらなる議論が続く。言うまでもなく上杉氏の記事と限らず前提が間違っている推論はすべて間違いである。

 それはまた、鳩山官邸がひそかにもくろむシナリオにも合致する方針である。官邸の鳩山側近らの話を総合すると、次のような狙いがあるようだ。
 六月は郵政法案の成立可否などで国会が大荒れになる可能性が高い。だがそれが鳩山官邸にとっては功を奏しそうだ。
 口蹄疫などの対応をめぐる集中審議や大臣罷免などを求める声も野党から上がるだろう。だがそうした抵抗が強ければ強いほど、国会は空転し、それこそが再興の時間稼ぎの材料となる。
 六月末には主要国首脳会議(サミット)もある。

 この叙述から鳩山首相の要素を消してみる。それでも、国会の空転は続く。さてそれがどう参院選に結びつくか。
 上杉氏のお話は別の世界の叙述である。そこではさらに、鳩山首相で選挙を戦うと続く。

選挙が始まれば不測の事態以外に代表を替えることはできない。よって、選挙まではこの体制が続くのだ。

 選挙後も続くとして「側近」の談話を伝えている。

「参院選で惨敗してようが、何があろうが九月の代表選には必ず出馬する。勝てばいいが、仮にそこで敗れた賭しても、自民党の安倍や福田のように、自ら首相の座を放り出したわけではない。捲土重来、復活を目指す。政治は生き物だ。先はどうなるかわからない。」

 これを受けて、上杉氏も「民意はどうであれば、夏の終わりまで鳩山政権が続くことだけは確定する」としている。しかし、談話で重要な点は、「政治は生き物だ。先はどうなるかわからない」のほうであった。
 上杉氏の記事を読み返してみて、確実なソースは一つもなかったなというと、なぜ輿石氏の線を読まなかったのか不思議に思える。
 加えて、この話を週刊文春が掲載してしまった理由もよくわからない。上杉氏のジャーナリストとしてのブランド価値はそこにあると判断してのことかもしれない。

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2010.06.03

フィナンシャルタイムズ曰く、恐るべき失望の民主党にだって希望はある、たぶん

 本当はいい人なんだよ、ボクたちワタシたちの鳩山さんの悪口をいうなということで、いろいろ罵倒もいただいております。ご苦労様の一声もかけてやってあげたら、とも。
 聞く耳を持たなくなっては私の不徳の致すところになりかねない。が、そういうものなんだろうか。
 ご参考までに、フィナンシャルタイムズの鳩山首相の評をご紹介。2日付け「DPJ’s setback may be good for Japan」(参照)より。鳩山首相について。


As prime minister, he has dithered and thought out loud. His indecisiveness was symbolised by his humiliating climbdown over the relocation of the Futenma US military base. That political miscalculation alone merited resignation.

首相として、彼はぶれまくり、思いつきを口を出してしまっていた。彼の優柔不断は、普天間飛行場移設での屈辱的な撤回表明によく表れている。この政治的誤算だけでも、辞任に値する。


 フィナンシャルタイムズが鳩山氏の辞任についての国際的評価をすべて表しているわけではないけど、まあ、概ねそういう評価だということ。
 で、現下民主党についての評価はどうかということ、こう。

The public had been desperate to rid the country of the LDP and give the opposition a chance. But Mr Hatoyama’s party has been a terrible letdown.

日本の民衆は、自民党国家を除去しようとやけくそになって、反対党にチャンスを与えてきた。しかし、鳩山氏の政党は、恐るべき失望になっている。


 民主党は、恐るべき失望なのである。ま、そういうこと。どの時点でそう思うかという問題はあるにせよ。

At first blush, their twin resignation looks like an unmitigated disaster, both for the DPJ and for Japan. Without Mr Ozawa, the DPJ is deprived of its most astute strategist weeks before an upper-house election that could determine its ability to pass legislation for the next three years.

一瞥すると、鳩山・小沢両氏の辞任は、民主党と日本にとって純然たる災害にも見える。小沢氏の不在で、民主党は参院選前の最も狡猾な策士が奪われる。この参院で今後三年の立法が決まるというのに。

As for Japan, it looks as if any hope for a new kind of politics has been dashed. Instead, the country has reverted to the well-worn path of political sleaze and now-you-see-them-now-you-don’t prime ministers.

日本にとって、新しい政治というものへの希望が砕かれたようだ。希望をなくして、日本は古くさい政治不祥事と手品のように「消えますよ、消えますよ、ほら消えた」の首相に舞い戻っている。


 どうするんだ、立ち枯れ日本、という雰囲気でもあるが、それでもフィナンシャルタイムズは、希望はあるという。そりゃ、政権交代やってみなという蛮勇があるくらいだから希望だってあるでしょう。

There is another possibility. With both Mr Hatoyama and Mr Ozawa gone, Japan’s body politic has been lanced of two festering boils. That could actually leave the DPJ in a stronger position. The party has not been all bad.

他の可能性もある。鳩山・小沢両氏が去ることで、日本の政治は、悩ましい二つのおできをぶちっとつぶしたことにもなる。その結果、民主党はもっと強くなるかもしれない。民主党はなにからなにまでひどいわけでもない。


 おできねえ。まあ、そうか。膿を出したということか。日本人から見ると、でっかい膿の塊みたいなのがずでーんと参院の頂上にいるようにしか見えないが、まあ、フィナンシャルタイムズの話を聞こうじゃないか。何かいいことあるんかい?

An ill-thought-out reversal of postal privatisation may now fall by the wayside.

郵政民営化に対する了見違いの逆行も今や中断するかもしれない。


 それは確かにそうだ。鳩山首相も「斎藤次郎の起用がつまずきのきっかけだった」と考えていたようだし(参照)、人間に戻りつつある最後のプレゼントだったのかもしれない(参照)。
 具体的に次の「消えますよ、消えますよ、ほら消えた」候補は誰? 何? 菅? イラカンの菅?

In Naoto Kan – finance minister and frontrunner to take over as party leader, and hence prime minister – it has a politician with the potential to rally both party and country. Mr Kan’s popularity dates back 15 years when, as a minister, he helped expose a tainted blood scandal.

菅直人、財務相であり党指導者として前線に立ち、だから首相の器のある彼は、民主党と日本をまとめ上げる能力のある政治家だ。菅氏の人気は、汚染血液スキャンダルの暴露を支援した一大臣であった15年前に遡る。

Since then, he has co-founded the DPJ and articulated fairly consistent economic policies, including raising consumption tax to bring public debt under tighter control.

以来、彼は民主党の共同設立者として、かなり一貫性のある経済政策を描いてきた。これには、財政赤字を厳格な制御の下に置くための消費税引き上げも含まれている。


 笑った。
 鳩山首相が「とことんクリーンな民主党に戻そうじゃありませんか」と言ったとき、その脳内に走ったのは、多分、「草志会」のこと。昨年11月27日産経新聞「菅氏「寄付金偽装」で違法性を否定」(参照)より。

 菅直人副総理・国家戦略担当相は27日午前の閣議後記者会見で、自身の資金管理団体で全国後援会の「草志会」が支持者からの後援会費を「寄付」として処理していた問題について、「支持者からのお金は政治資金規正法に基づく寄付と認識しており、その旨を明記した領収証も発行している。顧問弁護士も問題はないと判断している」と語り、違法性はないとの認識を示した。
 ただ、菅氏は草志会の入会案内に同会の経費に「会費」などの収入を充てるとの表現があることに関しては、「会費という言葉が誤解を招いた」とし、表現を改めることを明言。政治資金収支報告書を改める考えがないことも強調した。
 平野博文官房長官は同日の会見で「コメントは差し控えたい」と述べた。
 草志会は1口2万円で年会費を募り、平成16~20年の5年間に個人から計約6000万円の寄付を集めた。このうち延べ1246人分の4224万9120円について総務省から「寄付金控除証明書」の交付を受けたことが判明。政治資金規正法は後援会費の税額控除を認めておらず、同法違反(虚偽記載)の疑いが持たれている。

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四国遍路
辰濃和男
 フィナンシャルタイムズとは違った方向で、日本では菅首相の出現に期待している状態ですよ。

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2010.06.02

鳩山由紀夫首相、辞任

 鳩山由紀夫首相は退陣すべきだと思っていたが、これまでどれほど失態しても嘘と無責任を貫いてきたので、このまま参院選で痛い目に合うしかないのだろうとも思っていた。しかも実際にはそれほど痛い目に合うこともないのかもしれない。そんな中、今日午前、鳩山首相辞任と聞いて少し驚いた。小沢幹事長も辞任すると聞いて、もう少し驚いた。辞任の弁を聞いて、呆れた。
 会見では鳩山首相は涙ぐんでいるようにも見えた。辺野古に新基地を押しつけた時点で辞任を考えていたのかもしれない。が、実際に話を聞いていると、本当にダメだったんだなこの人という思いを新たにした。産経新聞「鳩山発言詳報」(参照)より。また、ユーチューブにも公開されている(参照)。

■ 国民に聞く耳がなかった、と


ただ、残念なことに、そのような私たち政権与党のしっかりとした仕事が必ずしも国民のみなさんの心に映っていません。国民のみなさんが徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった

 嘘ばかり言うのだから、聞いていても信頼はできない。後から「そういう意味で申し上げたのではございません」とか言うのだろうくらいしか思わない。それにしても、国民に向かって聞く耳を持たないと述べる首相というのは驚いた。普通は逆であるべきだ。できるだけ国民の声を聞く耳を首相が持つべきであった。

■ 普天間問題の本質は米国に依存する安全保障だ、と


私はつまるところ、日本の平和、日本人自身で作り上げていくときを、いつかは求めなきゃならないと思っています。アメリカに依存し続ける安全保障、これから50年、100年続けていいとは思いません。そこのところもぜひ、みなさん、ご理解をいただいて、だから鳩山が何としても、少しでも県外にと思ってきた。その思い、ご理解を願えればと思っています。その中に今回の普天間の本質が宿っていると、そのように思っています。いつか、私の時代は無理でありますが、あなた方の時代に日本の平和をもっと日本人自身でしっかりと見つめ上げていくことができるような、そんな環境をつくること。

 自国防衛は自国で行うべきだというのはわからないではない。しかし、そのための礎石を普天間問題から着手したというのだ。普天間の本質は安全保障の米国依存を減らすためであったというのだ。呆れて物が言えない。
 普天間の本質は、危険な基地とともに生きる沖縄県民の安全や生活を守るためにある。いかにして普天間飛行場を撤去するかということだ。
 沖縄を日本国家の安全保障問題の道具にしないでいただきたい。結局は鳩山首相は国家の安全保障という国家の問題を沖縄問題にすり替えているという意味で沖縄への差別に荷担することになったのは理の当然ではないか。
 「これから50年、100年」というなら、どのように半世紀先を見るのか一世紀先を見るのか、そのビジョンがないから、北朝鮮の軍事活動に泡を吹く羽目になってしまった。一国の首相たるものは、寺島実郎氏のような評論家であってはならない。
 国力が低下していく日本国が、軍事大国化する中国にどう向き合うのかは、長期的な展望が必要になる。自国防衛を自国で行うためにはどのような防衛の制度が必要なのか、その長期や中期の枠組みなかで短期の問題やローカルな問題をどう切り分けるか。それこそが、オペレーションズ・リサーチ的な課題でもあったはずなのに、鳩山首相のパースペテクティブがまったく狂っていた。

■ 政治資金規正法違反の元秘書は知らぬ存ぜぬ、と


そもそも私が自民党を飛び出してさきがけ、さらには民主党を作り上げてまいりましたのも、自民党政治ではだめだ。もっとお金にクリーンな政権を作らなければ国民のみなさん、政権に対して決して好意を持ってくれない。なんとしてもクリーンな政治を取り戻そうではないか。その思いでございました。それが結果として、自分自身が政治資金規正法違反の元秘書を抱えていたなどということが、私自身、まったく想像だにしておりませんでした

 カネに苦労したこともなく(さらに言えば政治家としての経験も足りないのだが)、カネにまつわる汚いことに目をつぶって、ボクちゃんはクリーンだというのはないでしょう。不倫の後始末をお母さんからカネでかたをつけてもらってクリーンだと思って生きたのだろうか。
 普通、娑婆に生きていたら、カネにまつわる裏切りや血しぶきを浴びながら、大人というのは汚れて生きるものだなと思うのではないのか。そこを経て初めて、可能な政治を求めようとする。
 「自分自身が政治資金規正法違反の元秘書を抱えていたなどということが、私自身、まったく想像だにしておりません」というのは潔白や純真の証明ではない。すっこんでなさいお坊ちゃんというだけの恥ずかしい話だ(秘書はまさにお坊ちゃんをすっこませていたのだろうが)。

■ 郵政官営化のどこが新しい公共なのか


新しい公共もそうです。官が独占している今までの仕事をできる限り公を開くということをやろうじゃありませんか。みなさん方が主役になって、本当に国民が主役になる、そういう政治を、社会を作り上げることができる。まだ、なかなか新しい公共という言葉自体がなじみが薄くてよく分からん。そう思われているかもしれません。ぜひ、きょう、お集まりの議員のみなさん、この思いを、これは正しいんだ。官僚の独占した社会ではなく、できるだけ民が、国民のみなさんができることは全部やりおおせるような社会に変えていく、そのお力を貸していただきたいと思います。

 「新しい公共」という言葉がわからないのではなく、その言葉の看板でやっている郵政の逆行がまるで理解できなかった。今回参院改選となる議員が当選した時代の民主党のマニフェストでは郵政の銀行と保険を解体するとしていた。なのにこの政権ではまったく逆になった。官から民ではなく民から官になっていた。トップに財務省閥を据え付けた。
 高速道路無料化でも言っていることとやっていることはまったく矛盾していた。実態が伴わない言葉をどう理解していいのだろう。

■ 小林千代美衆院議員に辞職を勧めたのは、よかった

 とはいえ、鳩山由紀夫首相退陣の弁のなかで、一つだけよい話もあった。小林千代美衆院議員に辞職を勧めたことだ。


重ねて申し上げたいと思いますが、きょうも見えております小林千代美(衆院)議員にもその責めをぜひ、負うていただきたい。まことにこの高い壇上から申し上げるのも恐縮ではありますが、私たち民主党、再生させていくためには、とことんクリーンな民主党に戻そうじゃありませんか、みなさん。そのためのご協力をよろしくお願いたします」

 別の言い方をすると、首相が詰め腹しないことには小林議員辞職はなかったということなのだろうか。小林氏の支援団体の強靱さを思う。

■ 少し関連の話を

 今回、併せて小沢一郎幹事長の辞任も決まった。これを鳩山首相が小沢氏に説得したかの読みもあるようだが、会見で涙している小沢氏を見たとき、私はそうではないなと思った。小沢氏は小沢氏で今回の事態の責任を取ろうとしているのではないかと私には思えた。ただ、それで小沢氏の院政がなくなるかはわからない。原口一博総務相が首相に付くようなら、考え直さざるを得ない。
 後任の首相に誰が付くか? 民主党がかつて自民党を非難していた論理でいうなら、ここで衆院も解散総選挙すべきだろう。つまり、それはないという前提で、次の首相は誰かというわけだ。自民が悪いと叫ぶ怪獣ジミンガーの背に乗ってどんな首相が登場するのだろうか。菅直人副総理であろうか。
 今回の鳩山首相辞任の直接的なシナリオライターは輿石東参院議員会長であろうと思う。自身の選挙を支える日教組からみで社民党シンパの票の読みが危うくなったためであろう。別の言い方をすれば、社民党が輿石氏を突いたのだろう。つまり社民党が逆鱗であったのだろう。

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2010.06.01

さらにその後のグアンタナモ収容所

 前回関連のエントリ「その後のグアンタナモ収容所」(参照)を書いてから一年も経っていないが、さらにその後のグアンタナモ収容所はどうなっているだろうか。少し動きがあったので、忘れないうちにメモ書きしておきたい。
 昨年のエントリで私はこう書いた。


 グアンタナモ収容所問題は日本に関係ないと見なされているのか、あるいはオバマ大統領の公約について日本で報道された後は、その通り閉鎖されてしまったと思われているのか、その後の経緯はなかなか日本では報道されないが、アムネスティの勝利が確実になるように、今後の動向を見続けていたい。

 さらにその後だが、あまり日本では報道されていない。ブッシュ政権下ではあれほど報道されていたのに、しかもオバマ大統領はグアンタナモ収容所閉鎖を公約としていたのに、その後どうなったのだろうか。
 私は見なかったのだが、5月17日TBSニュースバード「ニュースの視点」と「グアンタナモ・ダイアリー」が取り上げられたらしい。関連のWebページ「グアンタナモ・ダイアリー(余聞)」(参照)にはこうある。

 オバマ政権で比較的筋を通すことではブッシュ時代の司法長官とは一線を画していたエリック・ホルダー長官までもが、タイムズスクエア事件のあと、テロ容疑者には「ミランダ・ライツ」(黙秘権や証言拒否の権利、弁護人選定の権利)の告知を制限してもいい、などと言い出す始末だ。
 グアンタナモ収容所という存在自体が、テロ行為や自爆攻撃を「再生産」しているのではないか、という自分たち自身を見つめる視点は、そこにはない。

 というわけで、「自分たち自身を見つめる視点」がどうなっているのか。
 日本国内の報道はほとんどないが、この間、少し動きがあった。29日付けVAO「US Report Outlines Fates of Guantanamo Bay Prisoners」(参照)が読みやすい。

A U.S. government report says most of the people held at the military prison in Guantanamo Bay, Cuba when President Barack Obama took office were low level fighters, not terrorist leaders or operatives involved in plots against the U.S.

米国政府調査書によれば、オバマ大統領就任時にグアンタナモ収容所に収容された軍囚人は低レベルの戦闘員であり、米国に対してするテロ指導者でもなく工作員でもないとしている。

The Washington Post's website on Friday published the report, which was ordered by Mr. Obama as a step toward closing the Guantanamo prison.

金曜日のワシントンポスト紙のWebサイトによると、これはグアンタナモ収容所閉鎖に向けたオバマ大統領の一歩であるとしていた。


 VOA記事には明記されていないが、該当のワシントンポスト紙Webページは「Most Guantanamo detainees low-level fighters, task force report says」(参照)のようだ。
 それを読むと、なるほどオバマ大統領は着々と公約を実現しつつあるという印象を持つ。だが、そうでもないという論評はすでにワシントンポスト紙のコラムニスト、マーク・シーセン(Marc A. Thiessen)氏が指摘している。「Where are the Gitmo goatherds?」(参照)がそれだ。
 彼の指摘だと、低レベルの戦闘員とはいえその内実を見ると、テロに荷担すると見なされる人の数は少なくない。

In other words, 95 percent of those held at Guantanamo are confirmed terrorists.

言い換えれば、グアンタナモ収容所内の95パーセントはテロリスト確信犯である。


 どういうことなのだろうか。

Well, if that was the real news, why wasn't the Obama administration trumpeting the results from the rooftops? Why did they leak the report on the Friday before Memorial Day weekend, when the White House typically tries to bury bad news?

まあ、もしこれが本当にニュースだというなら、なぜオバマ政権は屋根に上って勝利宣言をしないのか? なぜ政府は、この報告を戦没将兵追悼記念日前の金曜日にリークして来たのか?

Because the report is bad news for the Obama administration and its allies on the left.

理由は、この調査書はオバマ政権とその賛同左派にとって悪報だからである。


 マーク氏はこのあと、「だからチェイニー氏が正しかった(For one thing, it means Liz Cheney was right)」と論じていくのだが、問題は実態である。現実のところ、グアンタナモ収容所は閉鎖されるのかということだ。
 今回のワシントンポスト紙のリークの直前になるのではないかと思うが、この問題は社説「Politics and fear-mongering keep Guantanamo open」(参照)でも扱われていた。オバマ大統領のグアンタナモ収容所閉鎖公約について。

Such failure seemed unlikely; after all, the president would have four years to close the notorious prison -- a goal shared by his Republican predecessor. Failure does not seem as far-fetched now, because of administration missteps and Congress's crass politicization of the issue.

公約の失敗はなさそうに見えた。最終的に、任期の4年掛けて悪名高い収容所を閉鎖するものと見られていた。この最終点については、共和党政権でも同じだったものだ。ところが、オバマ政権の失態はもはやこじつけではない。オバマ政権は失策し、議会は愚かな政治問題にしてしまったからだ。


 議会がこうした話題を政治問題化するのは、ある意味でしかたがない。日本でも普天間飛行場の撤去問題が政局になってしまっているのを見れば納得しやすい。
 問題はオバマ政権の失態とは何かだ。このブログの以前のエントリで示したドタバタの継続があったのち、こう展開していた。

Meanwhile, the administration undercut its argument for civilian trials by bungling the logistics and politics in the case of Sept. 11 mastermind Khalid Sheik Mohammed; the Justice Department backed, then backed off of, a New York City trial, and has failed to announce when and where Mr. Mohammed will be tried.

この間、オバマ政権は、セプテンバー・イレブンの主犯ハリド・シェイク・モハメドを一般法廷で裁判に掛けるという議論を、根回しと政策の不手際からダメにした。司法省はニューヨークの連邦地裁差し戻し撤回し、いつどこでモハメド氏の裁判を開く広報に失敗した。


 この話題は2月に国内報道もあった。産経新聞「9・11裁判でオバマ政権“迷走” 主犯格「NYで裁判」一転、軍事法廷「排除せず」」(参照)より。

米中枢同時テロ(9・11)の起案者とされるハリド・シェイク・モハメド容疑者らの裁判をめぐり、オバマ米政権が“迷走”の色を深めている。ニューヨークの連邦地裁で公判を開廷する方針から一転し、当初は否定的だった軍事法廷で審理する可能性にも言及し始めた。テロリストを一般法廷で裁くことへの野党や国民の批判の高まりなどが背景にあるが、軍事法廷での審理はオバマ政権が掲げる「透明性」の自己否定ともなりかねず、大統領は苦しい判断を迫られている。


 一般法廷では不採用となる証拠類も軍事法廷では場合によって採用が可能なほか、一般法廷のような公開義務もないため、国家のダメージを最小限に抑えられるメリットもある。
 ただ、こうした不透明な訴追手続きは、グアンタナモの収容施設の閉鎖方針に代表されるように、対テロ対策で透明性や公平性の確立を目指す政権の方針に逆行する動きになりかねない。オバマ大統領は今後数週間で、決断を下すものとみられている。

 先のワシントンポスト紙社説に戻ると、どうやらその決断は下せていないようだ。
 結局、どうなるのだろうか? 鳩山由紀夫首相のような嘘でごまかすわけにもいかない。問題解決の条件は、はっきりしている。

The administration also has failed to work aggressively to establish a legal framework to authorize and govern the indefinite detention of some who may be too dangerous to release but who cannot be put on trial. So Guantanamo Bay lives on.

危険すぎて釈放できず、しかも裁判にも掛けられない容疑者の無際限拘留を認可し統制するための法的枠組みを精力的に作成することにオバマ政権は失敗している。だから、グアンタナモ収容所が存続しつづけている。


 つまり、グアンタナモ収容所撤去というのは、ただ撤去すればよいという単純な問題ではない。
 単純ではない国家的難問を現実を無視した理想で突っ走って、そのツケを国民に回すのが好きな人びととして愚かな政治家の殿堂入りを果たした鳩山由紀夫氏の横に、仲良くバラク・オバマ氏を並べるのは3年後のことになるかもしれない。見守っていきたい。

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