[書評]ゲゲゲの女房(武良布枝)
朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」は毎日見ている。毎日、面白いなと思っている。原作のこの本は書店で見かけ、ぱらぱらと捲ってこれも面白そうだなと思って購入したものの、若干積ん読状態だった。それほど読書に時間のかかる本でもないだろうから息抜きの読書にとっておこうと思っていた。それで忘れかけていた。
ゲゲゲの女房 武良布枝 |
「ゲゲゲの女房」は面白い本だった。でも、どう面白いのかというのがうまく言葉になってこない。ゲゲゲの鬼太郎の著者水木しげるについて、その奥さんの立場から描いている、とは言える。そして、彼は天才としか言いようがないし、稀代の奇人でもあるから、話が面白くないわけがない。それはそうなのだが、率直に言ってそこが本書の面白さというのではない。むしろ、水木しげるを偶像視せず、普通に夫として子供の父として、主に昭和という時代のなかに収めてきちんと描いているところが面白い。その微妙な部分でテレビドラマとは少し違う感じもする。布枝さんは165センチだが、ドラマの布美枝役松下奈緒さんが175センチという差違が象徴する補助線の陰に隠れる何かだ。煙草に煙る室内もない。
本書の文章は驚くほどの達文で、素人が書いたものとは思えないから、よほど編集の手が入っているのだろうと思いたくなるが、ところどころ、どうしても著者布枝さんの言葉の息遣いや、独特の思いのこもった語彙と思われる部分が、なんというのか不思議な肉声のように露出してもいる。達文に見えるのも編集の技術なのだろうが、そこを超えた部分があちこちとあり、これはなんなのだろうかと不思議に思う。ある時代だけの経験の色合いでもある。
そうした印象を持つのは、ひとつには、水木夫妻が私の父母の世代にかなり重なるがゆえに、実体験を追って理解できるせいもあるだろう。戦争帰りの若い父と、仕来りばかりの田舎の娘が東京に出てきて極貧生活をし、そして昭和30年代前半に生んだ子供が私の世代である。本書に描かれている風景も自分の子供時代にきちんと重なる。私は、1966年から翌年の悪魔君のテレビも一部見ていた。何かの裏番組で全部見られなかった記憶がある。そういえば、マグマ大使が同じ時代であった。こちらは全部見ていた。
アニメのゲゲゲの鬼太郎は翌年1968年からでほぼ全部見たはずだが、個別の話の記憶はあまりない。この鬼太郎の世界がどういう構成をしているのかというのを科学少年だった私は仮説を立てつつ見ていた。私はお化けや妖怪というのがあまり好きでないこともあった。
あの時代、戦後の昭和の時代は、モダンな時代でもあった。現代だと米軍基地はどの地方でもいらないというふうに単純に語られたりもするが、東京にはあちこち普通に米軍基地はあったものだった。ユーミンの初期の歌にもいろいろと米軍基地が出てくる。とりわけ反米感というものはない。奥様は魔女みたいな米国ホームドラマも憧れの生活として受け止められていた。欧米の映画は水木しげるの世代にとってある憧れでもあった。食生活でもそうだった。あの時代の雰囲気がこの本からも感じられる。今ならどう言うのかよくわからないが、育児も母乳よりフォーミュラの時代だった。
こうした時代の挿話で驚いたのは、水木さんの母がマーガレット・サンガー氏を信奉をしていたという話だ。サンガー氏が戦前の日本に影響を与えたというのは頭では知っていても、島根県にまでその影響が及んでいたというのは実感としてはうまく受け止められない。しかし日本の戦前というのは、昨今の日本回帰的な情感で描かれるような世界では全然なかったのは確かだ。
本書で面白いのは、今日、私などが知るようになった漫画家水木さん登場前の、貧乏時代の逸話だろう。中盤からは当然メジャーになり、繁忙を極める時代が描かれる。そこは、仕事に明け暮れる夫に取り残された妻の話だ。これもある意味で昭和の話だ。私もこの時代、日常で父に接した記憶はない。あのころ、男たちはただ仕事ばかりしていたように思う。
本書の後半への転機は、さりげなく書かれているが、水木漫画の人気の衰えがある。最盛期を過ぎてしまった才人の生き方の、独特の寂しさのようなものがある。が、そのなかで妻はもう一度夫を見いだすという筆致には、ある種の美しさがあるし、手塚治虫や石森章太郎の修羅とは違った世界が描かれる。僭越だが、いい奥さんがいたから家族があって、そして長生きができたから到達した世界があった。
朝ドラでも本書でも、普通の妻と家族の物語として、一種の癒しのようにも読まれるだろうし、そういう静かな感動をもたらす書籍でもある。だが本書を、私のように昭和の子供から見ると、そんなにきれいにまとまる話のわけはないと思う。美談で読まれるのが気にくわないなど、捻くれたことが言いたいわけではない。水木さんは天才だったからそこに人や時代を巻き込む力もあったが、あの時代を生きた人たちは、みな同じように生きてきた。その同じように生きてきたという微妙な橋渡しの感覚を武良布枝さんは本書でとても上手に描いている。
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