昔の喫茶店のこと
ゲゲゲの女房を見ている。面白い。つばさは見ていた(参照)。ウェルカメは見なかった。
話の時代(主人公の結婚)は、昭和35年。西暦でいうと1960年。この6月15日、吉本隆明は「建造物侵入現行犯」で逮捕された。樺美智子は死んだ。そんな年だったが、朝のご家庭ドラマからは、そんな様子はあまり見えない。
でもときおり、ドラマのなかで、時代のトゲのようなものがある。今日の話(昭和36年)では、稿料を払わない貸本出版社に怒った水木さんが「国交断絶だ」という。そして家に帰ってからもそう言う。
国交断絶?
1959年元旦、バティスタはキューバを捨てて亡命。一週間後キューバ革命が成る。翌1960年6月アメリカ資産を国有化しソ連にも接近。さらに翌年1961年、昭和36年、米国とキューバは国交断絶し今に至る。
昭和32年生まれの私は当時を知らない。
後、岡林信康さんが、サトウを刈りにキューバに行くんだとはしゃいでいたのを日比谷公会堂で見た。赤松勇さんの息子がキューバで舞い上がちゃうのもわからないではない。
ゲゲゲの女房で、紙芝居屋さんと水木さんが調布の喫茶店に入るシーンがある。二人、コーヒーを前にして、懐かしいですなといった話になる。
そして、ケーキを1つ注文する。ショートケーキではないように見える。私は、この時代の喫茶店にこんなしゃれたケーキがあっただろうかと疑問に思う。
昼食後、人にその話をすると、「あれはモンブラン」と言う。えええ!
戦後、都会に喫茶店が流行るのは1950年代後半である。歌声喫茶とかできていたらしい。私は個人的に、アンパンマンの世界は歌声喫茶ではないかと思っている。
ジャズ喫茶や名曲喫茶もそのころあったらしい。メディアが高価なので集まって聞いたのだろうか。
三鷹の第九茶房が懐かしい。
日本が独立したのは昭和27年。1952年。力道山がテレビで活躍したのは1955年頃らしい。ゲゲゲの女房でも紙芝居屋がテレビに客の子供を奪われてしまうという話があるが、1960年はそういう年でもあったのだろう。
私は、紙芝居なんてものを見たことはない。ローンブロゾー!
談話室滝沢ができたのは1959年。私が初めて滝沢に入ったのは、1980年代だっただろうか。店内に水が流れていた(参照)。
調べてみると、談話室滝沢の最初の名前は喫茶室ルノアールであったらしい。ルノアールの店舗拡大に反対して、滝沢になったらしい。へぇ。
私が初めて喫茶店に入ったのは、小学五年生か六年生のころだ。万博の前だから。1960年代の終わり。
そのどっちかの夏、叔父と行った。渋谷だったと思う。なにを頼んだのか記憶にない。記憶にあるのは、店を出たとき、もわーっと暑くて風呂のなかにいるように思えたことだった。喫茶店のなかは冷房だった。冷房が珍しい時代だった。
私はよい子なので中学高校時代には茶店に行ったことはない。いや、さすがに高校の時は行ったか。国立のシモン、国分寺のピーターキャット。
赤線が消えたのは1958年。青線が消えたのはいつだったんだろうかと苦笑いする。経験のないことはピントがずれる。
「純喫茶」の標識をあまり見かけなくなったのはいつからだろう。高校生のころだったか、なんで純喫茶なんだとか疑問に思って、その理由を知った。
スペースインベーダーが喫茶店に登場したのは1978年。なんであんなもんでカネ擦ってたんだろと不思議な気がする。もちろん、懐かしい。iPhoneには入れていない。
マイアミの歴史はどうだっただろうかと調べたがよくわからん。
![]() 二十歳の原点 |
たまにその町を通り過ぎるとき、その喫茶店の場所が気になる。先日見たら、テナント募集の空きスペースになっていた。学生服を着たひょろっとした高校生はいない。
社会人になってから、京都に行ってシアンクレールの跡地を見に行ったことがある。
昔の喫茶店の風習で、あれはなんなのだろうと思うことの一つが、炭酸水。コーヒーを頼むと、ウォッカを飲むときのようなグラスにちょこっと普通の炭酸水が付く。理由は、コーヒーの香りに麻痺したときのリフレッシュということ。
効果がないわけではない。今でもたまにあのころを思い出して、コーヒーを飲みながら少しペリエをなめることがある。
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コメント
finalventさん、紙芝居を見たことないんだ。
けっこうお若いのですね。
だから仮面ライダーで月光仮面ではなかったのか。
投稿: キタロー | 2010.05.14 16:59
こういうの大好き
こういう「私的むかしばなし」が増えてくるとネットもゆたかになると思う
公式見解だけじゃ味気ないもん
投稿: good-moon | 2010.05.14 21:11
ゲゲゲの女房の(今の)時代は昭和36年.安保は前年の出来事です.年号は何度か表示されていたと思いますが,...
投稿: やざき | 2010.05.14 21:27
紙芝居のビジネスモデルか駄菓子販売の特典だから、田舎では、案外長続きした。
出版が途切れて新作の供給がなくなり、駄菓子の移動販売屋は特典の提供が難しくなった。古い番組を大事に使った。
現在より情報伝達で地域の差があった時代の話。
都会人は田舎人より早く紙芝居フリーになったのです。
投稿: のし | 2010.05.14 23:57
私の喫茶店の思い出。
自分のメンター教授が椿啓介先生であることを明かしてしまったから、出身大学が筑波大学であることも明かしてもどーってことないのだろうと思うからそうするけど、1980年代のチバラキ県の大学村のあたりの喫茶店は、人気のあるところはたいてい定食屋みたいなもの。
ミックスフライ定食とかチキンカツ定食とか、喫茶店で昼食や夕食を取って腹いっぱいになってました。
土浦まで行かないと、デートの場所なんてなかったなあ。私なんかでも、大学時代にデートしてくれた女性(もちろん筑波大生)が2人だけいます。2人とも高度な精神活動を営まれていた優れた女性で、もちろん肉体関係などありません。まあ、惜しくもないですけれどね、負け惜しみでなく。
投稿: enneagram | 2010.05.15 08:47
その昭和36年生まれですが、幼稚園か小学校低学年の頃まで紙芝居が来てました。実家は新宿から電車で一時間の場所なので、確かに都会ではなかったです。
話は少し違いますが、直接子供相手の商売、他には学校の校門出たところにいた砂絵屋さんとかありましたよね。学研のおばちゃんが待ちかまえてたり(笑)。
投稿: まりあ | 2010.05.15 17:07