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2010.05.31

オバマ・ドクトリンはブッシュ・ドクトリンとどこか違うのか?

 この数日、日本でルーピー・ショー(The Loopy Show)が盛り上がっている間、米国では戦没将兵追悼記念日に前にして、27日、オバマ政権発足後、初めての国家安全保障戦略、通称、オバマ・ドクトリンが発表された。国家の安全保障を示すドクトリン文書は政権ごとに議会への提出が義務づけられている。米国オバマ政権にとって、外交政策の指針となる文書でもある。
 日本の大手紙社説ではまだこれを扱っているところがないようだ。明日あたり扱うのだろうか。このところどうしたわけか、大手紙の社説の情報感度が非常に悪い。口蹄疫の問題でも、このブログでは9日に「2000年と2010年の口蹄疫: 極東ブログ」(参照)で取り上げたが、大手紙社説で最初に口蹄疫問題を取り上げたのは13日の毎日新聞だった。他大手紙はさらに遅れた。あるいは、オバマ・ドクトリンについては社説で扱うほどの問題でもないのかもしれない。
 オバマ・ドクトリンについて国内情報がないわけではない。28日付け朝日新聞「「軍事より外交的解決を優先」 米、新安保戦略を発表」(参照)では、冒頭、ブッシュ・ドクトリンとの差を伝えていた。


軍事力を安全保障上の礎石としつつも、国際協調主義と外交的関与による解決を優先する方針を明確にし、ブッシュ前政権の単独行動主義や先制攻撃論などと一線を画す姿勢を示した。

 28日付け産経新聞「「オバマ・ドクトリン」発表 「先制攻撃」排除、北とイランには圧力も」(参照)も同じような切り出しだった。

「武力行使の前に他の手段を尽くす」とし、ブッシュ前政権が国家安全保障戦略で打ち出した「先制攻撃」を排除し、「ブッシュ・ドクトリン」との違いを明確にした。また、国際協調を進め、国際社会における米国の指導的立場の確立を目指すとした。

 こうした報道を見ると、さすがチェインジを掲げたオバマ政権だけあって、安全保障においてもブッシュ政権と随分変わったかのような印象を受ける。
 でも、それって本当?
 27日付けフィナンシャルタイムズ社説「Obama’s nuanced security policy(オバマの微妙な安全保障政策)」(参照)は、そのあたり日本国内報道とは違った側面から伝えていた。概ね、ブッシュ・ドクトリンと変わらないというのだ。

The differences between the national security strategy announced by Barack Obama’s administration and previous US doctrine are smaller than the White House says. The tone has changed since a humbled Bush administration issued its last pronouncement on the subject in 2006, but the substance mostly has not.

米国オバマ政権が発表した国家安全保障戦略ことオバマ・ドクトリンは、米国政府が言うほどには、前ブッシュ政権のそれと違いがあるわけではない。語り口調は何かと難癖のついた前ブッシュ政権が提出したドクトリンとは違っているが、実質的には大半には違いなどなかった。


 フィナンシャルタイムズは、オバマ・ドクトリンはブッシュ・ドクトリンと実質的な違いはないというのだ。

That hardly sounds like Mr Bush. Yet the strategy says that US power is undiminished. It insists on US global leadership. It does not rule out unilateral use of force.

印象としては前ブッシュ大統領と同じには思えない。だが、オバマ・ドクトリンによれば、米国の国力はいささかも減じていない。米国は国際世界の指導者主張している。軍事力を一方的に行使することも排除していない。


 日本ではオバマ政権はブッシュ政権とは異なり、多元的な世界観を基本にしているといった愉快な意見もあるが、フィナンシャルタイムズはそう見ていない。
 日本の鳩山政権ほどではないが、政権公約違反ではないかと思われる実態もある。

Expedients favoured by the Bush administration and deplored by many Democrats, such as indefinite detention of terrorist suspects without trial, are not renounced. Drone attacks of dubious legality, at best, will continue. The prison at Guantanamo, which Mr Obama keeps promising to close, is still there.

ブッシュ政権が好み民主党議員の多数から避難した、泥縄的な対応にも破棄されていない。裁判もなくテロ容疑者を無制限拘留するのもそのままだ。合法性に疑念のある無人飛行機による攻撃も継続されることになる。オバマ氏が閉鎖を公約したグアンタナモ収容所もそこにそのままある。


 グアンタナモ収容所閉鎖問題については、日本の鳩山首相の沖縄問題での公約違反ほどには直接的な被害を受ける人がないものの、それでもひどいことになっている。法治国家の放棄に近い。
 結局、オバマ・ドクトリンがきれいそうに見えるのは、オバマ大統領お得意の修辞ということかかもしれない。

Words are important; actions speak louder. In national security, Mr Obama’s words and actions do not yet cohere.

言葉は重要であるが、行動はより物語る。国家の安全保障において、オバマ氏の言動はまだ一致してはいない。


 とはいえ、フィナンシャルタイムズとしては議論の展開上、オバマ・ドクトリンの口調の差だけでも肯定的に受け止めているし、むしろ、ブッシュ・ドクトリンと差がないことを積極的に評価している。

This is not in itself a criticism: the broad principles are correct. The challenge, as the administration is discovering, is living up to them.

(ブッシュ・ドクトリンと同じだということ)それ自体が批判対象になるわけではない。広義の原則として見れば正しいからだ。オバマ政権も理解しつつあるが、課題は行動に移せるかということだ。


 オバマ大統領の任期はまだ残されている。ブッシュ・ドクトリンに戻って立て直すという余地もある。ここで日本を顧みて思うことがあるかといえば、特に、ないな。

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2010.05.30

連立与党から社民党が離脱

 米軍普天間飛行場問題で民主党鳩山由紀夫首相が、連立党である社民党の福島瑞穂党首を閣僚から罷免した。福島氏としては、民主党が進める沖縄県内移設は容認できないということだ。確かに容認したら自衛隊を合憲とした社会党の村山元首相のようなことなり、歴史に残る失笑を買ったことだろう。
 社民党は連立政権から離脱することにもなった。まだ国民新党が付いているものの三党連立の枠組みは崩壊した。
 なんと言っていいのやら。
 私は、福島氏はマスコミ人気をあやかった看板とはいえ社民党の党首なのだから同僚議員の政治生命のことも配慮して自身が閣僚を辞任するくらいで収めるかもしれないと思っていたが、自身に非はないから辞任はしないと言い通して罷免となり、どたばたと社民党は政権離脱した。ニュースでありがちの町の声を拾っているなかで、最初から民主党と社民党の連立が無理だったというのがあった。それもそうかなとも思わないでもない。昨日の読売新聞社説「普天間日米合意 混乱の責任は鳩山首相にある」(参照)もそんなことを言っていた。


 社民党は、「日米安保条約は平和友好条約に転換させる」「自衛隊は違憲状態」との見解を維持している。そもそも、民主党が、基本政策の異なる政党と連立を組んだこと自体に無理があった。

 それを言うなら、民主党は「郵貯・簡保を徹底的に縮小し、官から民へ資金を流します」(参照)と主張する政党だったのに、郵政国営化の国民新党と連立しているのも奇っ怪な話だ。
 社民党にしてみれば、民主党鳩山党首は、普天間飛行場問題で「最低でも県外」と述べていたのだから、それを建前でも信じるというのはあっただろうし、これもそもそも論だが、社民党を抱き込むために鳩山首相はそう述べてきたのだろう。
 だが、鳩山首相が変わった。ユーチューブに鳩山対鳩山(参照)という、過去の鳩山氏が今の鳩山氏を糾弾するネタがあったが、沖縄県内移設が容認できない閣僚を罷免するというなら、罷免されるべきは、そうした過去を持った鳩山首相であった。福島氏は過去の鳩山氏と同じことを言っていたにすぎないのだから。
 結局は福島氏の罷免に終わったが、その間に他党から福島氏への不信任案が出ていたら鳩山首相は、福島氏を信任するとして他党の不信任案を否定して、それから信任をころりと忘れたかのように罷免したということになったのだろうか。
 鳩山首相のなかに人格の時間的な同一性というものがあり、過去と今の差違を認識しその責を負うというなら、鳩山首相こそが辞任し、この内閣を解散し、総選挙を行うべきだろう。選挙の洗礼を受けぬ首相ということで自民党を責めていたのだから、それがスジというものだろう。スジが通る御仁ではないのだろうが。
 社民党が民主党を離脱することでどうなるか。
 二つ思い浮かぶ。一つは、この連立の意味を問い返せばわかること。つまり、全日本自治団体労働組合(自治労)と日本教職員組合(日教組)の丸め込みが不安定になるということだ。
 2007年だが、そもそもこの連立を画策していた小沢一郎氏の思惑はそこにあった。2007年12月30日付け共同「社民の民主合流を提案 小沢代表、有力労組幹部に」(参照)より。

 民主党の小沢一郎代表が10月下旬、同党と社民党を支援する全日本自治団体労働組合(自治労)と日本教職員組合(日教組)の幹部に社民党の民主党合流を提案し、後押しするよう要請していたことが分かった。両党関係者が30日、明らかにした。

 この時は失敗した。理由は、自民・民主の大連立話が立ち上がり、小沢氏は代表を辞任した。今にして思えば、小沢氏を挫くための策略のように見えないこともない。
 この時点の話で学べることはもう一つある。

 小沢氏の提案を伝えられた社民党幹部は「野党共闘を呼び掛けておいて、党の吸収を考えるとは失礼にもほどがある」と拒否する考えを表明。

 社民党というか、自治労と日教組には多少小沢氏への警戒があった。今でも消えてはいないだろう。
 そして現下、社民党が与党から分離し、社民党支持色も強い自治労と日教組がどういう活動するだろうか。反自民という排他の論理だけでまとまるものだろうか。自治労と日教組に不満があれば、政権内から調整する能力が弱った分、政治の裏の部分でさらに宥和的な配慮をしなくてはならなくなる。オモテに出てくる民主党の行動としてはさらに理不尽なものになってくるのではないか。
 もう一つ思ったのは、普通に選挙の票の問題である。社民党は国民の支持という点から見ればその存在の確認は誤差の範囲くらいなものだが、昨年の衆院選比例選では類計300万票を獲得している。しかも、きちんと組織票で動く。
 今日付け読売新聞「社民連立離脱で選挙協力に暗雲…民主打撃」(参照)では、民主党との選挙協力がうまく行かない可能性を示唆していた。

 社民党は過去4回の参院選で、選挙区に10~20人の公認候補を擁立してきたが、今回は7人にとどめた。独自候補擁立を見送り、民主党候補を推薦する選挙区が多かったからだ。
 しかし、社民党が連立離脱を決めた30日、党岩手県連は岩手選挙区で独自候補を擁立する方針を決定した。こうした動きがほかの選挙区にも広がる可能性もある。

 多少はそうかもしれない。

 一方で民主党との選挙協力の見直しは、社民党にとっても悩ましい問題だ。特に改選定数2の新潟選挙区では社民党が公認候補を立てたことに配慮して、民主党が候補者を1人に絞っており、社民党が今後、民主党批判を強めれば、協力態勢に影響することは避けられないとの指摘が出ている。

 そこはまだ小沢氏の采配の内だから、なんとか整合が付くだろう。
 総じて言えば、見た目のドタバタは若干浮動票に影響を与えるだろうが、民主党と社民党が反自民の方向を向いているかぎり、さほど選挙の構図に変化はないだろう。
 問題は、浮動票の半数からすれば、反自民党と反民主党は同じということだ。私は、これこれの理由で鳩山首相は辞任して内閣解散せよと思うが、世の中の空気は、単純に「もうこんな政治はいやだ」というだけで突き進むかもしれない。それを決めるのは、不測の事態がなければ、景気の問題だろう。

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2010.05.28

鳩山由起夫首相の尖閣諸島帰属問題意識について

 古い話から。
 東京オリンピックが開催されたのは1964年の秋、10月10日であった。これを記念した体育の日は現在ではその日に固定されてはいない。この年、東京の夏は、間近に迫る世界大会を前に活気にあふれていたが、重苦しい国際ニュースもあった。
 1964年8月2日、ベトナム北部トンキン湾にいる米海軍駆逐艦に対して、北ベトナム軍の哨戒艇が魚雷と機関銃で攻撃した。ベトナム戦争時代であり、北ベトナム軍は南ベトナムの軍だと誤認した。これがトンキン湾事件で、米国が本格的にベトナム戦争に介入するきっかけとなり、翌年から北爆(無差別爆撃)が開始された。現在ではこの事件は米国による陰謀であることがわかっている。ポスト安保闘争としてベトナム反戦運動を体験した団塊世代が、米国の関与する戦争をなんでも陰謀ではないかと見たがるのにはこうした背景がある。
 ベトナム戦争を始めたのは米国民主党である。ジョン・F・ケネディ大統領が開始し、リンドン・ジョンソンが継続した。米国世論がベトナム戦争への対応で二分されるなか、1968年にその未来を決めるべき大統領選挙が行われた。民主党の候補はヒューバート・ホレイショ・ハンフリーで、共和党の候補はリチャード・ミルハウス・ニクソンであった。支持者数は両党に及ばないが、アメリカ独立党はジョージ・コーレイ・ウォレスを立て、副大統領候補にカーチス・ルメイ(参照)を指名した。無差別爆撃こそが決め手と考えたのだろうか。
 1969年大統領に選出されたのはニクソンである。そして彼のもとでベトナム戦争は終結に向かうことになる。これと並行して、米国民主党政権では一顧だにされなかった沖縄返還の道が開けるようになった。
 ちなみに、よく日本はサンフランシスコ条約で1952年に独立を果たしたと言われるが、これには沖縄は含まれていない。沖縄なしで日本が成立するという誤解がいまだに日本に広まっているためであろう。
 沖縄は太平洋戦争終了後ずっと米国統治下に置かれていた。普天間飛行場に駐留する米海兵隊も米国統治下の沖縄に「あそこは日本ではないから」という理由で岐阜県と山梨県から移転されたものである。「米軍は日本から出て行けということで、日本ではない沖縄に基地機能が移転されたこと」を思うと、日本ではないテニアン諸島に米軍を移転せよという主張は、なんのことはない米国植民地主義を肯定する日本ナショナリズムであることがよくわかる。
 日本の自民党佐藤栄作首相とそのスタッフの尽力により(参照)、1969年、沖縄返還が約束された。返還が実現したのは1972年である。今年は本土復帰から38年になる。鳩山首相のようによく間違える人がいる(参照)。
 かくて話がようやく話題の尖閣諸島になる。当然だが、1972年以前の尖閣諸島を管理していたのは米国であるが、これは米国統治下の沖縄にある琉球政府が担っていた。
 沖縄が日本に返還されることが決まった1969年、国連アジア極東委員会(ECAFE)が尖閣諸島海底に石油が埋蔵されている可能性を示唆した。これを受けて、中華民国、つまり台湾国民党政府は、その海域を自国領土と見なしていることから、米国ガルフ社に石油採掘権を与え、台湾国民党政府自らも尖閣諸島魚釣島に上陸し、中華民国国旗である青天白日旗を掲揚し、国際報道を行った。
 この事態に琉球政府は困惑した。琉球政府としては、尖閣諸島は石垣市の所属と見なしている。1969年5月、石垣市は尖閣諸島に住所番地を記載したコンクリート標柱を設置、翌年1970年9月、尖閣諸島魚釣島の青天白日旗を撤去した。
 日本としては、すでに沖縄返還が確約されているとの立場から、同じく1970年9月、尖閣諸島が日本の主権下にあることを宣言した。
 米国のこの時の対応は微妙なものである。米国としては、尖閣諸島の帰属は琉球政府にあるとするに留めた。
 台湾国民党政府としては、当面の状況認識として尖閣諸島の領有の主張を米国に阻まれた形になったため、対抗するコメントを出すことができない状態になった。いわば、政府の弱みを露呈したことになる。こうしたとき、中国圏ではかならず弱みを突く政治工作が始まるのが法則である。
 1971年、台湾国民党政府および在米留学生による保衛釣魚台運動が開始される。現台湾馬英九総統も学生時代には保衛釣魚台運動を支持する論文を書いている。

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台湾ナショナリズム
東アジア近代のアポリア
 保衛釣魚台運の中心となったのは、大学院生だった王暁波である。丸川哲史著「台湾ナショナリズム」(参照)によると、彼は、『中華雑誌』に「保衛釣魚台!」というアジ文を発表した。王の意味づけでは、この運動は五四運動につながるものであった。保衛釣魚台運動は台湾の大学を拠点に素早く全土に広がったが、同年にその活力は減速し、1972年には、直接この運動のせいとは言えないものの、王暁波も逮捕された。
 経過からでもわかるように、保衛釣魚台運動は、愛国主義に正義を借りた国民党政府批判が本質であると言える。その後、保衛釣魚台運動は大陸中国からも繰り出されくるようになる。保衛釣魚台運動は愛国主義で煽動する自国政府批判という定番の構図が浮かび上がる。
 1971年12月には、今度は中国人民共和国、つまり、大陸共産党政府が、尖閣諸島の領有権を主張した。尖閣諸島が中国大陸棚上にあることや、竹島問題でもありがちのなんやかやの古文書を持ち出す理屈である。
 最近、保衛釣魚台運動について少し動きがあった。5月1日付け共同「尖閣防衛へ世界連盟計画 華人結集、来年上陸目指す」(参照)より。

 台湾で尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を主張する団体「中華保釣(尖閣防衛)協会」の黄錫麟秘書長は1日までに、世界各地の華人団体を結集して世界中から船などで同諸島上陸を目指す「全球保釣大連盟」を結成する計画を進めていることを明らかにした。
 米国から日本への尖閣諸島の施政権返還を決めた沖縄返還協定調印から40年となる来年6月17日に、同連盟から傘下団体に上陸を呼び掛ける。上陸活動が国際的に拡大すれば、阻止活動を行う日本当局は対応に一層苦慮しそうだ。


 黄秘書長によると、連盟結成は香港の団体が提案し、4月半ばに推進を決定。同秘書長が中心になって、中国本土やインドネシアなどの団体と連絡を取り、既にアジア地域では連盟結成への同意を取り付けた。

 すでに行動は開始されている。26日付け日経新聞「台湾の団体、尖閣諸島に接近 海保が阻止 」(参照)より。

 日本の対台湾交流窓口である交流協会台北事務所などによると、尖閣諸島(中国名は釣魚島)の領有権を主張する台湾の団体、「中華保釣協会」のメンバーが乗り込んだ漁船が25日午後、尖閣近海の日本の排他的経済水域(EEZ)に入り、日本の巡視船の警告を受けて引き返していたことが26日わかった。同団体は「釣魚島への上陸を目指していた」としている。
 日台間では今月6日、奄美大島西方沖の日本のEEZ内で事前通告なしに調査活動を実施していた台湾当局の調査船を日本の巡視船が発見。巡視船の警告に加え、今井正・交流協会台北事務所代表が台湾の楊進添・外交部長(外相)に抗議したにもかかわらず、14日まで同水域内にとどまる事件が起こったばかり。

 日本の鳩山由紀夫首相も友愛精神からなる「東アジア共同体構想」からだろうか、こうした運動に答えている。普天間飛行場撤去問題に関連して突然開催された昨日の全国知事会議の要旨、産経新聞「【普天間】首相と知事会のやり取り」(参照)より。

 東京都・石原慎太郎知事「尖閣諸島で日中が衝突したら日米安全保障条約は発動されるのか。沖縄問題の前に日本の領土を守る抑止力があるかどうかを米国に確かめてほしい」
 首相「(尖閣諸島の)施政権は当然日本が有しているが、日中間で衝突があったときは、米国は日本に対し安全保障条約の立場から行動すると理解しているが、確かめる必要がある。米国は帰属問題は日中間で議論して結論を見いだしてもらいたいということだと理解している

 いろいろちゃぶ台返しがお好きな民主党なので、自民政権で麻生前総理が詰めておいた確約もすでに覆しているのかもしれない。
 鳩山首相は「確かめる必要がある」としているが、昨年の2009年2月26日の衆院予算委員会で、自民党の麻生前首相は、尖閣諸島への安保条約適用を米側に確認するとし、外務省が改めて米側に再確認した経緯がある。「尖閣諸島に安保適用/米公式見解」(読売新聞2009.3.5)より。

日本が攻撃された場合に米国が日本を防衛する義務などを定めた日米安全保障条約が尖閣諸島に適用されるかどうかの米側解釈の問題を巡り、米国務省は4日、適用されるとの公式見解を示した。読売新聞社の質問に答えたもので、当局者は「尖閣諸島は沖縄返還以来、日本政府の施政下にある。日米安保条約は日本の施政下にある領域に適用される」と述べた。このオバマ政権としての見解は日本政府にも伝えられた。

 尖閣諸島の帰属問題については、学者さんには各種の議論があるものの、鳩山首相が米国の思惑として示唆するような、「日本と中国の当事者同士でしっかりと議論して、結論を見いだしてもらいたい」という見解を戦後一貫して日本政府は取っていない。
 政治主導の民主党なので、尖閣諸島の帰属も、民主党の観点から見直したいのかもしれない。

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2010.05.27

北朝鮮によるソウル急襲シナリオ

 韓国哨戒艦沈没事件を巡って、北朝鮮国防委員会報道官は、制裁が実施されれば、即時に全面戦争を含む各種の強硬措置で応じると20日アナウンスしたこともあり(参照)、いろいろ危機も取り沙汰されている。だが、実際には北朝鮮は意外なほど冷静な対応を取っている。
 北朝鮮祖国平和統一委員会はそれを示唆している。実質的な北朝鮮側からの応答は、南北関係の全面閉鎖、南北不可侵合意の全面破棄、南北協力事業の全面撤廃というくらいで、開城工業団地閉鎖への明確な言及はない。現実、開城工業団地と往来する南北間の陸路通行は26日時点でも開放されている(参照)。開城工業団地を人質にはとらないというメッセージである。仔細に見れば、北朝鮮側が戦争を避けようとしているシグナルが読み取れる。であれば、金正日総書記訪中もその流れであったと見てよいかもしれない。
 日本の鳩山首相はといえば、普天間問題という大失態のカムフラージュのためか「この国はこの国の人々で守るという、すべての国にとって当たり前の発想が今の日本にはない」(参照)とますます明後日の方向に息巻いているが、米中側としては事態がすでにもつれ込み過ぎているのでまずは静観というところだろう。
 概ねそれほど緊張した事態ではないと見てもよいのだが、二点気になることがないわけではない。一点目は、セプテンバーイレブンのような不測の事態だ。不測の事態というのだが予想もできないので、対応といってもナンセンスのようだが、同種の衝撃規模の事態が発生したときに日本国の対応はどうだろうか、という懸念はある。急に東アジアの現実に日本国民が目覚めましたというのでは無理を起こしかねない。二点目は、それでも北朝鮮からの急襲シナリオはありそうだということだ。
 話は実は今回の事態とは直接関係がない。が、関連して注視されるようにはなってきている。4月27日中央日報「金正日、「対南作戦計画」を変更」(参照)がわかりやすい。


 北朝鮮軍が韓国に対する作戦計画を変えたものと把握されている。
 軍関係者は26日、「北朝鮮軍が全面戦争を想定した従来の‘5-7戦争計画’を‘制約的占領後に交渉’方式に変えたものと判断している」とし「韓米軍の発展した武器に対処するための措置と見ている」と述べた。
 北朝鮮軍が1980年代に樹立した「5-7戦争計画」は、開戦初期に長距離射程砲などを浴びせた後、機械化部隊を前面に出して5-7日間で韓国全域を掌握する計画だ。
 この関係者は「北朝鮮軍の新しい計画は、開戦初期にソウルと首都圏に戦闘力を集中的に投入して占領するというものだ」とし「まず首都圏を占領した後、状況によって南にさらに進撃するか、その状態で交渉に入る方式」と説明した。韓国の経済力が集中しているソウルと首都圏を占領すれば、有利な条件下で交渉が可能ということだ。

 同記事でも指摘があるが、イラク戦争で示された米国の圧倒的な戦力と北朝鮮の国力低下から、北朝鮮は80年代に策定した軍事シナリオを放棄せざるをえなくなっている。つまり、朝鮮戦争のような半島全体に及ぶ軍事活動は北朝鮮はすでに無理。そこで新時代の戦略として、ソウル占領作戦が出てきたようだ。ソウルを国際社会に向けて人質に取る作戦だ。
 韓国軍側の現状理解はこうだ。

 軍関係者は「北朝鮮軍は南北間の通常戦力の差を克服するために前方部隊を改編した」とし「後方駐屯機械化軍団を機械化師団で編成した後、休戦ラインを担っている前方の4個軍団に1個師団ずつ前進配置したと把握している」と伝えた。
 また韓国の後方かく乱のために4個前方軍団に特殊部隊の軽歩兵師団を1個ずつ設置した。前方師団の軽歩兵大隊は連隊級に拡大改編した。軍当局は、これら軽歩兵部隊が韓国の前方部隊のすぐ後方に侵入し、かく乱作戦を行う、と見ている。北朝鮮は軽歩兵部隊の前方配置のほか、ミサイル・生化学武器などの非対称戦力を強化してきた。

 不可能な戦略ではないだろう。不安を招きたいわけではないが、開城工業団地がトロイの木馬である懸念も払拭しがたい。
 問題はこのシナリオの文脈に韓国哨戒艦沈没事件を置くとどうかということだが、そこが難しい。

 軍当局は、北朝鮮が韓米連合軍の上陸を防ぎ、韓国の海軍力に打撃を加えるために、先端魚雷および機雷戦力を補強したのも、その一環と判断している。

 それは少し無理な読みという印象もある。
 しかし、欧米報道でもあるグローバルポストも、中央日報経由でこのシナリオを国際的に吹いている。「North Korea: the drumbeats of war」(参照)より。

The new plan, it says, has added light infantry divisions at the front line to increase the speed with which the North could achieve a fait accompli by taking Seoul.

新シナリオによると、北朝鮮がソウル奪取の既成事実確立ができるように、急襲用の小規模歩兵師団を加えているとのことだ。

The JoongAng Ilbo article noted that South Korean military officials think North Korea has acquired late-model torpedoes from Iran, in exchange for submarines, and plans to use them to prevent a U.S.-South Korean landing behind the front lines.

中央日報記事では、北朝鮮は潜水艦との交換でイランから最新型魚雷をすでに獲得しているという韓国軍部の着想を記している。この魚雷によって、前線背後からの米韓上陸を防ごうとするものだ。


 こう書かれると仁川上陸(参照)の阻止だろうかという連想が浮かぶが、いずれにせよ、朝鮮戦争に関わった西側の懸念ポイントをグローバルポストは表現しているようだ。

 グローバルポストの視点といえば、事態のアウトラインについて「The Cleanest Race: How North Koreans See Themselves and Why It Matters」(参照)の著者マイヤーズを引いてこう描いている。


“The assumption prevails that the worst Pyongyang would ever do is sell nuclear material or expertise to more dangerous forces in the Middle East,” Myers writes. “All the while the military-first regime has been invoking kamikaze slogans last used by imperial Japan in the Pacific War.”

マイヤーズの書籍によると、「北朝鮮がやりかねない最悪の行動は核物質や核兵器情報をより危険な中近東に売ることだという推測が広がっているが、並行して、この軍事最優先体制は、カミカゼ・スローガンを続けている。それは、前回、大日本帝国が太平洋戦争でしていたスローガンである。


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The Cleanest Race:
How North Koreans See Themselves
and Why It Matters:
B.R. Myers
 欧米からは、北朝鮮、その汚れなき民族がやっているのは、日本と同じだということだ。いうまでもなくその含みは、オバマ大統領も選挙中に強調していたように、米側から卑劣に見えた真珠湾攻撃への恐怖である。
 戦後の日本人の私からすれば、なるほど北朝鮮とは戦前の日本のようだとも思う。だが、北朝鮮は戦前の日本よりずっと賢いのではないかとも思う。大きな違いは、日本の戦時下の苦難が数年であったのに対して、北朝鮮の市民の苦難はそれより遙かに長いことだろう。

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2010.05.25

[書評]集中講義!アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険(仲正昌樹)

 「集中講義!アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険(仲正昌樹)」(参照)はけっこう前に読んだ本だが、この本、失礼な言い方になるのをおそれるが、著者の考えが明示的に書かれた本というより、学習参考書というか事典といったタイプに見える書籍なので、便利ですね、お得ですね、という以外なかなか書評しにくいところがある。

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集中講義!アメリカ現代思想
リベラリズムの冒険
仲正昌樹
 もちろん、現代アメリカのリベラリズム思想の系譜をこれだけきちんとまとめるには、独自の視点が必要だということは当然なのだが、その視点とは何かと考えると、仲正氏の資質でしょうというのも拙いし、日本人的な微妙な立ち位置でしょうと言うのも自分が馬鹿みたいに思えるものだ。加えて、本書に紹介されている各種書籍を私が網羅的に読んでいるわけでもないので、所詮アマチュアが何を言うか、吉本隆明主義でもぶち上げますか、みたいなさらにお馬鹿みたいな話になりかねない。
 とはいえ、ざっと読み直したのは、昨日のエントリ「[書評]これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル): 極東ブログ」(参照)の関連である。サンデル教授の講義はたしかに白熱といったものなのだろうし、つまり、教育的な立場や実践的な思想という立場からするとすばらしいとしか言いようがないが、思想史的に見ると、こう言うと悪いが、ごく凡庸な代物である。教育なのだから凡庸でかまわないのだが、凡庸さの流れが、本書「集中講義!アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険(仲正昌樹)」からよくわかる。

 ロールズ、ノージック、ローティの三人が亡くなり、「九・一一」以降のアメリカ内外の混迷状況に対応した壮大で体系的な理論を展開できそうな新世代の理論家が今のところ登場していないこともあって、「リベラリズム」は現在停滞期に入っているように思われる。コミュニテリアンのウォルツァーやサンデルも、相変わらず文化的共同体への帰属の重要性を強調し続けているだけで、「九・一一」に象徴されるような、破壊的な暴力にまで至る文化的な対立を解決できそうな画期的な提案をしているわけではない。

 あっけなく言うとそういうことにもなる。
 ただ、そういうあっけない部分を、学参的に暗記してもしかたないし、サンデル教授が地味にアリストテレスやカントを解き明かしたような思索の経緯は、まさに教育として重要な価値を持つことは確かだ。
 本書の場合、ロールズの議論を中心に、リバタリアニズムとコミュニタリアニズムの三者というおきまりの対立を、アメリカの戦後史のなかで俯瞰し、さらに画期的な提案はないとしても「九・一一」がもたらした各種の模索も、この三者の後継として、ネグリの思想やセンの思想なども紹介されている。他にも興味深い指摘もある。私はロールズの思想はナショナリズムに同型ではないかと見ているが、その克服の模索もあることは本書でわかる。

 ロールズの正義論をグローバルに展開する試みとしては、国際政治学者のチャールズ・ベイツ(一九四九-)が、国際関係論の視点から「正義」を論じた『国際秩序と正義』を一九七九年に出している。また九〇年代の半ばからロールズの正義論を現実的な構想として読み直すことを試みているホッゲは、その一環としてグローバルな正義論を導きだそうとしている。二人とも、ロールズの正義論が事実上、既成の「(国民)国家」を前提にしていることに関して批判的で、格差原理をグローバルに展開して貧困問題を解決しようとしている点は共通している。

 その詳細までは本書からはわからないが、私の印象では、率直に言えば、ロールズを使った知的なパズルのようにも思える。
 むしろ、「正義」概念を現実の国際政治の文脈から抽象してもて遊んだり、古くさいレーニン流左翼のペンキ塗り直しのような日本の思想状況では、知それ自体がパズルの様相を帯びるのは仕方ない。
 日本の知の状況はローティの言う文化的左翼そのものであり、「[書評]〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組(須原一秀): 極東ブログ」(参照)、「[書評]高学歴男性におくる弱腰矯正読本(須原一秀): 極東ブログ」(参照)、「[書評]自死という生き方 覚悟して逝った哲学者(須原一秀)」(参照)で触れた須原一秀は、この状況に怒った、独自なローティ哲学の過激な実践であった。余談だが、三島由紀夫でもそうだが日本の文脈で哲学が実践化するとき、どうしていつも自死が問われてしまうのか。これはイザヤ・ベンダサンがすでに解き明かしている。
 ローティの文化的左翼はまさに日本の知的な状況を描写している(強調部分は本書ママ)。

 そうした、「経済」の仕組みをあまり考えず「文化」にばかり力を入れる左翼のことを、ローティは「文化的左翼(Cultural Left)」と呼ぶ。ポストモダンの影響を受けた「文化左翼」は「差違の政治学」とか「カルチャラル・スタディーズ」などを専門とし、差別の背後にある深層心理を暴き出すことに懸命になる。彼らはフーコーの権力批判やデリダの「正義」論など、ポストモダンの言説に依拠しながら、現在の体制下でいかなる”改善”にも意味がないことを暗示する。ローティに言わせれば、「文化左翼」は、半ば意識的にアメリカ主義にはまっている。彼らが「アメリカを改良することはできない」という前提に立って、”差別を構造的に生み出すアメリカ社会”を告発し続けている限り、いかなる現実の改良も生み出すことができない。彼らは口先だけはラディカルであるが、現実の(経済的)改革には関心を持たないので、実はただの傍観者に留まっている。

 文化的左翼とレーニン流の古くさい老人左翼を薄ら左翼出版社と労働団体で結合すれば、日本の左翼的光景が一望できる。そしてそれが現実の改革に何ももたらさないことは、まさに日本の現況が示しているという意味で、アメリカ思想の問題はきちんと日本の状況を射ている。

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2010.05.24

[書評]これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル)

 「これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル)」(参照)をアマゾンで注文したとき、発送は随分遅れるとのことだった。発売日には来なかった。が、翌日来た。昨日である。読みやすく面白い。昨晩熱中して半分読み、今日後半を読み終えた。政治哲学をこれだけわかりやすく説明する書籍は希有ではないか。高校生や大学生には社会を考えていく上で是非お勧めしたい。

cover
これからの「正義」の話をしよう
マイケル・サンデル
 本書巻末謝辞を見ると、「本書は講義として誕生した」とある。講義は「ハーバード白熱教室」というタイトルで現在、NHK教育放送中らしい。私は見たことがない。英語のままであれば「Justice with Michael Sandel」(参照)で見ることができる。もっと小さなクラスの講義かと思ったら、大講堂での講義である。
 政治哲学というと厳めしいイメージがあるが、サンデル教授は卑近な例、日常的な問題、社会ニュースの話題など馴染みやすい切り口からそれらの問題の持つ本質的なことを解き明かしていく。
 例えば、あなたは時速100kmのスピードで路面電車の運転しているとする。その走行中に、ブレーキ故障に気が付く。直進すると前方の工事作業員5人をひき殺すことになるが、横の待避線入れば1人の作業員を巻き添えにするだけで済む。どうすべきか? やむを得ないのであれば1人の方へハンドルを切るという答えもあるだろう。では、第2問。前方5人は変わらずだが待避線はない。あなたは運転手ではなく線路を見下ろす橋にいる。そしてデブ男の後ろいる。デブ男を待避線上に突き落とせば、デブ男1人の死体で電車は止まり、5人が救える。どうすべきか? サンデル教授はおそらく「塩狩峠」(参照)を読んだことはないし、デブ男でないと自動車は止まらないらしい。
 この話は有名であり、いろいろバリエーションもあるが、本質は同じだ。5人が救えるからといってデブ男を突き落とす人はいないだろう。だがこの二問は、功利主義の考えからすると、最初の問いの1人の選択と同じになる。
 そしてサンデル教授は、功利主義批判を易しく展開する。功利主義とは、幸福の最大化ということだが、最大化には計量化が含まれ、人命も数値で換算され合理性が問われることになる。この奇妙な例はあくまで説明上のものだが、現実社会でも人命が功利主義的に考えられることがあることも、サンデル教授は解き明かしていく。
 人命を数値にして合理性を求める。それでよいのか? なにが正しいか。正義とは何か。本書のオリジナルタイトルが「Justice: What's the Right Thing to Do?(正義:何が正しい行為か?)」(参照)にはそうした含みがある。余談だが、英語では"Do the Right Thing(正しいことをなせ)"という言い回しもあり、スパイク・リー監督の同タイトルのアイロニカルな映画(参照)もある。映画は正義の持つ危険性をよく批判していて興味深い。
 本書は、政治的な課題や社会正義を考える立場として、功利主義の他に、自由の尊重と美徳の2つが提示される。2番目の自由の尊重は、ロックやカントに由来する古典的な自由主義と、現代のリベラリズムの基礎となるロールズの自由主義、さらにリバタリアニズムが問われる。特にカントとロールズの解説がわかりやすい。カントというと難しい哲学のようだが、サンデル教授は見事なほどわかりやすく実践的に解き明かしていく。リバタリアニズムについては、それらに比較してやや薄い解説に留まっている。
 3番目の美徳によって基礎づけられる正義の概念が、まさにサンデル教授の訴えたいところだ。思想の分類からすると、コミュニタリアニズムと呼ばれているものだ。日本では共同体主義とも訳されることから、伝統的かつ制約的な共同体や全体主義と誤解されがちだが、基本的にはリベラリズムのもつ問題点を克服するために提起された考え方だ。このため、リベラリズム、特にロールズの自由主義の考え方の対比が実践的に語られるのが本書の特徴である。その意味では、本書はわかりやすいロールズ批判とも呼べるものになっている。
 読んでいて興味深いのは、ロールズ批判でありながら、ロールズにのみ焦点を置くのではなく、正義を美徳で基礎づける考え方としてアリストテレスの哲学に深く踏み込んでいく点だ。サンデル教授の議論はどれもきちんと限界付けらていて他分野には及ばない。だが、経済範疇まで広げることは可能だろう。アリストテレス再考は経済学者田中秀臣氏の「需要(クレイア)の経済学」(参照)とも重なる点があり、知的な興味を誘う。
 本書の思想的な意義は、「ロールズかサンデルか」という問いを突きつけている点にある。だが、そのように定式化される以上に、現代日本人にも現実的な課題を投げている。その一例が、本書でも触れられている戦時慰安婦問題である。歴史的不正をどのように考えたらよいのか。先祖の罪を償うべきか? もちろん、これは難問である。公式謝罪について、その利点を挙げた後、サンデル教授はそれでも、状況しだいだと語る。

 これらのことが謝罪の根拠として十分かどうかは、状況しだいである。ときには、公式謝罪や補償の試みが有害無益となることもある。昔の敵意を呼びさまし、歴史的な憎しみを増大させ、被害者意識を深く植え付け、反感を呼び起こすからだ。公的謝罪に反対する人びとはそうした懸念を表明する。結局、謝罪や弁償という行為が政治共同体を修復するか傷つけるかは、政治判断を要する複雑な問題なのだ。答えは場合によって異なる。

 常識的な受け止め方でもあるだろう。だが、原理的に考えるとき、歴史的不正とはどのように問われるのだろうか?
 サンデル教授は、古典的な自由主義であれリバタリアニズムであれロールズのリベラリズム思想であれ、人間を自由で独立した自己と見るかぎり、こうした責は問えないとしていく。そしてそれでよいのだろうか、ということで、コミュニタリアニズムとして連帯の責務の議論を第三の責務として展開していく。
 この議論は本書の白眉として、第9章と最終章である第10章で展開され、とてもスリリングではあるものの、それまでの章のような明晰さは欠落していると私には感じられた。
 なぜか。連帯の責務は、サンデル教授の議論の展開からしてそうなのだが、兄弟愛や国家愛と接合していくからだ。愛国心には普遍性があるとしてこう彼は語る。

 したがって、愛国主義に道徳的根拠があると考え、同胞の権利に特別の責任があると考えるなら、第三のカテゴリーの責務を受け入れなければならない。すなわち、合意という行為に帰することができない連帯あるいは成員の責務である。


 歴史的不正への集団的謝罪と補償は、自分が属さないコミュニティに対する道徳的責任がどのようにして連帯をからつくりだされるかを示す例だ。自分の国が過去に犯した過ちを償うのは、国への忠誠を表明する一つの方法だ。

 つまり、ある国家が別の国家に歴史的な罪を謝罪すること自体がナショナリズムに基礎を置いていることになる。ナショナリズムがその罪責を生み出したのだから、それを償わせるのもナショナリズムなのである。
 私はサンデル教授の思想に違和感を覚える。私は、ナショナリズムが生み出した罪責はナショナリズムの解体を志向する方向で償わなければ、それ自身がナショナリズムを強化するし、また被害の側に転倒されたナショナリズムを強化することになると考える。歴史的不正がないとは言わない。だが、サンデル教授の理路は、違うのではないか。
 この違和感は、私のロールズのリベラリズムに対する違和感にも通じる。社会的な公平さを基礎づけるロールズの議論は、つまるところ、国家の内側に閉じている。ロールズは社会契約の暗黙的な合意を丁寧に議論するが、契約の内容が国家になることにおいて限界を持っている。人を差別することないようにする正義の女神の目隠しのような「無知のヴェール」も、すでにその国家の内側の構成員であり、その公平性は国家構成員内の限界を持つ。やはり、ロールズの公平もナショナリズムである。
 私はどちらかといえばリバタリアニズムを信奉するリバタリアンである。人は世界のどこに生まれても人権が保証されなければならず、そのために正義が行使されなければならないと考える(この考えはオバマ大統領と同じ)。
 そしてそのために、日本国憲法が明記するように、国家をその正義のための道具としなければならない、国家を正義の側に開いていく運動なくしてナショナリズムを克服することはできない、と考える。
 サンデル教授の議論では、国際化する現代に問われている正義の問題は解決できないのではないだろうか。
 余談だが、本書帯にある宮台真司氏の解説にやや不可解な違和感を覚えたので、記しておきたい。こう書かれている。

 1人殺すか5人殺すかを選ぶしかない状況に置かれた際、1人殺すのを選ぶことを正当化する立場が功利主義だ。これで話が済めば万事合理性(計算可能性)の内にあると見える。ところがどっこい、多くの人はそんな選択は許されないと現に感じる。なぜか。人が社会に埋め込まれた存在だからだ――サンデルの論理である。
 彼によれば米国政治思想は「ジェファソニズム=共同体的自己決定主義=共和主義」と「ハミルトニズム=自己決定主義=自由主義」を振幅する。誤解されやすいが、米国リバタリアニズムは自由主義でなく共和主義の伝統に属する。分かりにくい理由は、共同体の空洞化ゆえに、共同体的自己決定を選ぶか否かが、自己決定に委ねられざるを得なくなっているからだ。
 正義は自由主義の文脈で理解されがちだが、共和主義の文脈で理解し直さねばならない。理解のし直しには、たとえパターナル(上から目線)であれ、共同体回復に向かう方策が必要になる――それがコミュニタリアンたるサンデルの立場である。

 違和感はリバタリアンの理解についてである。
 「リバタリアニズムは自由主義でなく共和主義の伝統に属する」というのは、サンデル教授が本書で説くところとはかなり異なるのも奇っ怪だが、それでも宮台氏のような理解ができないわけではない。おそらく民主党=リベラル、共和党=リバタリアニズム、といったことなのだろう。だが、リバタリアニズムを共同体的自己決定主義としているところはいただけない。そのいただけない前提の上で、これをコミュニタリアンの共同体と接合しているのも困惑する。
 そうではない。共和主義とはローマのような帝国と市民の関係を指している。市民はコミュニティに所属しながらも、ローマ市民としての自由を持つ。パウロがエルサレムで逮捕されたとき、彼はそのコミュニティの法に従うことはなかった。彼はローマ市民だからだ。リバタリアンとは、むしろ帝国の平和のなかで国家が解体された自由の個人を指すものだ。「共同体回復に向かう方策」とはまったくの逆である。

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2010.05.23

鳩山由紀夫首相の嘘

 各種の問題に接したとき最も効率的な手法を決定するのがオペレーションズ・リサーチ(operations research)という学問で、鳩山由紀夫首相はこの博士号を持つ。博士号をもつ首相というのは国際的にも珍しい。米国人ならその称号にまず驚き敬意を払う。だが、実際に驚いたのはそこではなかった。
 鳩山首相は、普天間飛行場撤去問題を五月末までに決着すると国民に約束した。腹案もあると述べていた。まだ一週間がある。腹案を待ちたいところだが、おそらくはもう鳩山首相の心は歓迎で迎えてくれるはずの上海万博に飛んでいるのでないか。
 嫌な兆候はあった。普天間飛行場は最低でも県外移設が「五月決着」なのだから、今月いっぱいで問題は決着し、五月以降は実施に向かうというのが普通の理解だろう。だが五月に入ってから鳩山首相から漏れる「五月決着」の意味合いは変りつつあった。10日付け時事「普天間、5月決着断念=地元、米との合意困難」(参照)より。


 首相は同日夕、首相官邸で記者団に「沖縄と移設先、米国、連立与党の皆さんが『この方向でいこうじゃないか』ということでまとまることを、私は合意と呼んだ」と表明。これまでは、米国や地元などの「合意」を得て5月中に決着させると繰り返してきたが、「方向性」で一致できれば、「5月決着」の約束には反しないとの立場を示したものだ。

 また、「首相“合意の定義変えてない」(NHK 5/10)では、こうも述べていた。

 鳩山総理大臣は記者団に対し、「沖縄の皆さん、移設先にかかわりのある皆さん、さらにはアメリカや連立与党が、『わかった、この方向で行こう』とまとまることを『合意』と私は呼んだが、合意の定義を変えているわけではない。5月末までに、その合意が得られるような状況を作る」と述べました。

 決着の意味は、期限の五月末が近づくにつれ、沖縄、移転先県、米国、連立与党四者の方向性合意ということになった。しかし、四者で方向性が確認できれば、きちんと計画は可能だし、実務が待つばかりだから、許容できないものでもない。
 だが、今日、沖縄入りした鳩山首相の言葉からわかったことは、その方向性の合意は取れなかったということだった。今日付け朝日新聞「「県外、守れなかった」首相が沖縄知事との会談でおわび」(参照)より。

国内および日米の間で協議を重ねた結果、普天間の飛行場の代替地そのものはやはり沖縄県内に、より具体的に申し上げれば、この辺野古の付近にお願いをせざるをえないという結論に至ったところでございます。

 仲井真弘多沖縄知事の答えは明白だった。今日付け毎日新聞「普天間移設:首相「辺野古」表明 知事「厳しい」」(参照)より。

仲井真知事は「極めて大変遺憾だという点と、極めて厳しいことをお伝えするしかない」と述べ、県内移設は受け入れられないとの考えを示した。

 仲井真知事は前もってこう述べてもいた。今日付け沖縄タイムス「県内反発 不信も増幅 鳩山首相きょう再来県」(参照)より。

 仲井真知事は「場所も特定しないで工法というのは意味がない。杭(くい)打ちだか何かはエンジニアの話で僕らの知ったことじゃない」と政府からの伝達を否定。知事周辺は口々に「何も中身がないまま、政府はどんどんこちらを追い込んでくる。信じられない」とあきれかえる。
 仲井真知事は、今月10、11日に都内で会談した前原誠司沖縄担当相、北沢俊美防衛相、平野博文官房長官からも政府案の詳細を伝えられず、「食事はしても、協議は一切していない」と不信感を増幅させた。

 まったくのコミュニケーションもなかった。沖縄県民からすれば県外移設のための鳩山氏が汗をかいた形跡はこの一年弱ではあるが、まるで感じられることはなかった。
 合意に必要な四者の一人、連立与党はどうか。今日付け時事「辺野古移設、断じて反対=福島社民党首」(参照)より。

 社民党の福島瑞穂党首(消費者・少子化担当相)は23日、福岡市で記者会見し、鳩山由紀夫首相が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古周辺への移設を表明したことについて「実現不可能だ。沖縄県知事がサインするとは思えない。断じて反対を表明する」と語った。

 「五月決着」とは鳩山首相の定義では、沖縄、移転先県、米国、連立与党、四者の方向性合意であった。沖縄の合意は取れなかった。移転先県については、合意不要とみなしたのだろうか。連立与党も合意していない。合意のための尽力くしたのは、たった一者、米国だけだった。曖昧で話にならないと突っぱねることもなく、米国だけが結果的に民主党鳩山政権を支援した。
 期限はあと一週間はある。ただ、無理だろう。そしてこの話はもう終わったと見ても妥当だろう。政権交代選挙一か月前の昨年7月29日に「民主党の沖縄問題の取り組みは自民党同様の失敗に終わるだろう: 極東ブログ」(参照)と予測しておいたので、私としてはとりわけ意外ではないが、ここまでひどいことなるとは思っていなかった。仲井真沖縄県知事も当初は鳩山政権を支えようと示唆してもいたが、裏切られた形になった(参照)。
 この件で、ひどいなと思うことはいろいろあるし、それはブログにも書いてきた。それでも今日、唖然とした。公然と嘘をつく鳩山由起夫首相の姿があった(参照)。

私自身の言葉、出来る限り県外だということ、この言葉を守れなかったということ、そしてその結論に至るまで、その過程の中で、県民の皆さん方にご混乱を招いてしまいましたことに関して、心からおわびを申し上げたいと思っております

 それは嘘だ。
 「出来る限り県外」ではない「最低でも県外」と言っていたのだ。前回の沖縄訪問以降でもだ。6日付け朝日新聞「「最低でも県外、自分の発言」 鳩山首相、党公約を否定」(参照)より。

 鳩山由紀夫首相は6日午前、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先を県外とする方針の転換を沖縄県側に説明したことについて、「『最低でも県外』と言ったのは自分自身の発言。自分の言葉を実現したいと思い、政権の中で努力してきた」と釈明した。

 鳩山首相はこれまでもころころと意見を変えてきた。しかし、これは沖縄県民への約束であった。その結果は嘘だった。もっといえば、国民への嘘なのである。その言葉が信頼できない首相とは何者であろうか。
 鳩山首相はもう嘘をついているという自覚もないのかもしれない。先の沖縄タイムス記事にもそれを窺わせる挿話がある。

 鳩山由紀夫首相は4日の初来県後、周囲に「自分はそんなに反対されたとは思わない」との感触を漏らしている。周辺によると「首相はむしろ歓迎されたと思っている」という。
 4日は県庁前広場をはじめ、首相が立ち寄る各地で抗議行動が起きていた。しかし首相は「どこでも、同じ人が集まっている印象がある」と感じ、「車で走っているときは(沿道で)みんな手を振ってくれている。ほかの県を訪ねたときと比べてそれほど嫌われているとは思えない」と話しているという。
 このエピソードを聞いた与党議員は「宇宙人にもほどがある。本当に石を投げないと分からないのか」と吐き捨てるように話した。

 石を投げるべきではない。
 政治なんかのことで人を傷つけてはいけない。靴を投げつけるのもよくない。
 こういうときは、かつての台湾では、腐った卵を投げた。そのために、わざわざ腐った卵を作る業者もいた。専用の腐った卵が買えるものなら、鳩山首相に投げつけたい気もするが、衛生上よろしくはない。かくして腐った卵のようなエントリを書くだけにしよう。

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2010.05.22

北朝鮮への安保理制裁決議に先頭を切って走りたい鳩山首相

 民主党鳩山首相は、北朝鮮への安保理制裁決議に先頭を切って走りたいらしい。はあ?何それ?と思った。またまた何を考えているのかよくわからない御仁だな、と。それと、連立している社民党などはこれどう受け止めているんだろうか。
 話の文脈はこういうこと。20日のぶら下がりだ。朝日新聞「北朝鮮制裁決議「先頭を切って走る」20日の鳩山首相」(参照)より。


 ――哨戒艦沈没事件で、韓国は北朝鮮の攻撃が原因だと断定し、安保理で制裁決議案を提起する方針だが、日本は協調するか。また6社協議の見通しは。
 「はい、今日ご案内の通り、韓国の政府が調査の結果を報告しました。その結果によれば、北朝鮮の魚雷による沈没であるということでありました。大変これは、遺憾なことで、強く北朝鮮に対して非難をいたします。当然のことだと思います。そして、韓国の政府に対してあるいは韓国の国民に対して、哀悼の意を改めて申し上げるとともに、私どもとすれば、韓国の立場を支持をする、すなわち、もし韓国が安保理に、決議を求めるということであれば、ある意味で日本として、先頭切って走るべきだと、そのように考えておりまして、強くその方向で努力をしたいと思います」

 また22日付け共同「首相「しっかり戦う」 韓国艦沈没で」(参照)では。

 鳩山由紀夫首相は22日、札幌市で開かれた民主党北海道連パーティーに首相公邸からテレビ中継を通じてあいさつし、韓国海軍哨戒艦が北朝鮮製魚雷で沈没したとの調査結果に関し「私たちはこの問題で国際的に協力してしっかりと戦っていかなければならない」と述べ、米韓両国などと緊密に連携し対処していく考えを強調した。

 韓国がどのような制裁を望んでいるか、きちんと日本国の立場をわきまえてから対応を考えてもよいのではないか。そして平和憲法を持つ日本なのだから場合によっては、先頭に立てないこともあるのではないか。鳩山さんの頭の中のねじが切れてしまったのか、首から地肌にさげている謎の金鎖が切れてしまったのか、なんだかその手の変な感じがしてならない。
 あるいは、「トラストミー(ボクを信じて)」の不発二連発でめちゃくちゃにしてしまった日米関係を修復しようとして、過剰に米韓にすり寄っているという図なのだろうか。東京新聞「政府 日米合意焦る 『沈没』奇貨に普天間解決?」(参照)ではそうした読みをしていた。

 二十一日のクリントン米国務長官と鳩山由紀夫首相、岡田克也外相との会談では、韓国海軍哨戒艦沈没事件で緊迫する朝鮮半島情勢を奇貨に、日米同盟の足かせとなっている米軍普天間飛行場移設問題を解決させたい日本側の思惑が色濃く出た。だが、首相が決着期限に定めた五月末を目前に、対米交渉は依然として難航している。

 すり寄られた米側の考えはどうかというと、ニューズウィーク「アジア歴訪クリントンの「本音」」(参照)というあたりではないか。

 沈没事件によって、日米の安全保障同盟の重要性に改めて気付き始めた日本人は、クリントンと鳩山が協調するイメージを打ち出すことを願っている。だが同時に日本は北朝鮮に対し、オバマ政権が求める以上に強硬な態度を取っている。国連安全保障理事会に強力な行動を求める韓国にも同調したが、クリントンが中韓との話し合い以前にアメリカ側の明確な立場を日本に説明することはないだろう。

 普天間飛行場撤去問題の膠着から、日本の安全保障上の重要性を演出するために、タイミングよく発生した北朝鮮の危機を使っているということなんだろうか。しかも、全体構図を見ずにやり過ぎて、この件での米側の思いからズレている。
 鳩山首相がいくら日の丸鉢巻きをして38度線の先頭に立とうとしても問題は解決しない。韓国からするとすぐにわかることだが、北朝鮮がその気になれば、軍事境界線を封鎖して開城工業団地の韓国人千人を人質に取ることができる。20日付け朝鮮日報「開城工団:韓国政府、関係者に注意を呼び掛ける」(参照)より。

 哨戒艦「天安」沈没事故をめぐる調査結果の発表を前に、開城工業団地で活動する企業や関係者に対し、身辺に注意するよう、政府が求めている。
 統一部は最近、開城工団に滞在する韓国側関係者に対し、▲北朝鮮関係者との接触を自制▲不要な移動は行わない(特に夜間)▲言葉に注意▲韓国の新聞やDVD、北朝鮮の品物は所持しないなど、身辺の安全管理指針を伝えた。北朝鮮側から言いがかりをつけられないためだ。
 また開城工団管理委員会に対しては、滞在するすべての人員との非常時連絡方法をチェックするよう指示した。政府関係者は、「われわれが北朝鮮に対して断固とした制裁措置を下した場合、北朝鮮が開城工団に滞在する国民の安全を脅かす可能性がある。しかし、これに対して何ら対策がないのが悩みだ」と述べた。1000人以上の人員が北朝鮮の妨害を避け、一気に抜け出す方法がないからだ。北朝鮮は今月14日夜にも、北朝鮮の公的な文書や書類などを所持していた韓国側関係者一人の身柄を拘束し、3-4時間にわたり取り調べを行った上で追放している。

 直接的な報復はできない。
 ではそのなかで韓国に何ができるか? 21日付け朝鮮日報「哨戒艦沈没:政府の「断固たる措置」とは」(参照)は、武力アピールと経済制裁ということになる。

政府関係者は「直接攻撃などの軍事報復以外で、可能なあらゆる措置を検討している」と話したが、結局は「武力アピールなどを通じ、北朝鮮に軍事的脅威を与える」「経済制裁措置で『金づる』を断つ」の二つに要約される。つまり、韓国政府の対応がどれだけ「断固とした」ものになるかは、国際社会がどれだけ協力するかにかかっているということだ。

 だが、「北朝鮮の潜水艦基地攻撃などの直接的な軍事措置は、中国をはじめとする周辺国の立場を考慮すると容易でない」ことから武力アピールは無理だ。
 経済的な制裁としては、東京新聞「東京新聞:哨戒艦沈没 韓国安保理提起へ」(参照)が済州海域封鎖の可能性を伝えている。

 国防省幹部の説明によると、司令官を集めた会議では、北朝鮮に対する軍事措置について徹底した準備を行うことを確認した。北朝鮮船舶による韓国南部の済州島付近の通過を認めない措置も含まれているもようだ。

 これもうまくいかないだろう。International Crisis Group「How to approach North Korea」(参照)より。

There is also support for prohibiting North Korean ships from transiting through the Cheju Strait, but this would violate a 2004 inter-Korean maritime pact and would result in Pyongyang nullifying the whole agreement, including stipulations for humanitarian cooperation in the case of maritime accidents.

済州海峡の北朝鮮船舶通過を禁止支援もありうるが、これは2004年の北朝鮮・韓国間海運条約違反になるし、結果、北朝鮮が全条約破棄に及ぶかもしれない。これには、海難時の人道協調規約も含まれる。



Furthermore, denying access to the strait would actually make it harder for the South to search for contraband on North Korean ships passing the South Korean southern coast.

さらに済州海峡閉鎖によって、韓国は韓国南岸を通過する北朝鮮密輸探索が困難になる。

It would be wiser for Seoul to remain committed to the inter-Korean maritime agreement, and reiterate that it will fulfill its commitments to intercept illicit shipments of weapons of mass destruction (WMD) and prohibit North Korean conventional arms exports.

韓国にしてみれば、海運条約を維持することと、大量破壊兵器(WMD)の不法海運阻止を行い、また北朝鮮の通常兵器禁止を推進するほうが賢い選択だ。


 窮鼠猫を噛むに追い込まずに、ある程度泳がせておいたほうがメリットがある。
 こうなると一体なにができるのかということになり、途方に暮れる。
 朝鮮戦争のような戦争が朝鮮半島で勃発する可能性は低いが、局地的な戦闘の可能性が否定できないとなると、韓国としては、「朝鮮半島有事における戦時作戦統制権が韓国へ返還される予定: 極東ブログ」(参照)で触れた、2012年に予定されている在韓連合司令部解体と戦時作戦統制権返還の延期を求めるかもしれない。
 あるいは、そうした流れのなかで、取り残される日本の状況の認識が、今回の鳩山首相の変な発言の裏にあるのかもしれない。まあ、鳩山首相の言動の経緯を考えると、さしたる裏はなさそうだが。

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2010.05.20

[書評]ゲゲゲの女房(武良布枝)

 朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」は毎日見ている。毎日、面白いなと思っている。原作のこの本は書店で見かけ、ぱらぱらと捲ってこれも面白そうだなと思って購入したものの、若干積ん読状態だった。それほど読書に時間のかかる本でもないだろうから息抜きの読書にとっておこうと思っていた。それで忘れかけていた。

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ゲゲゲの女房
武良布枝
 昨日朝、子豚がアイドルになってるNHKのバラエティ番組で、水木夫妻がテーマになっていて、そういえばと思い出し、読み出した。余談だが、この番組に柳沢秀夫解説員が出ている。私は世界の見方が彼とは随分違うこともあり、なんか嫌なタイプの人だなと思っていたが、この番組で話を聞いていて好感に変わりつつある。ハムは得点が高いぞ。
 「ゲゲゲの女房」は面白い本だった。でも、どう面白いのかというのがうまく言葉になってこない。ゲゲゲの鬼太郎の著者水木しげるについて、その奥さんの立場から描いている、とは言える。そして、彼は天才としか言いようがないし、稀代の奇人でもあるから、話が面白くないわけがない。それはそうなのだが、率直に言ってそこが本書の面白さというのではない。むしろ、水木しげるを偶像視せず、普通に夫として子供の父として、主に昭和という時代のなかに収めてきちんと描いているところが面白い。その微妙な部分でテレビドラマとは少し違う感じもする。布枝さんは165センチだが、ドラマの布美枝役松下奈緒さんが175センチという差違が象徴する補助線の陰に隠れる何かだ。煙草に煙る室内もない。
 本書の文章は驚くほどの達文で、素人が書いたものとは思えないから、よほど編集の手が入っているのだろうと思いたくなるが、ところどころ、どうしても著者布枝さんの言葉の息遣いや、独特の思いのこもった語彙と思われる部分が、なんというのか不思議な肉声のように露出してもいる。達文に見えるのも編集の技術なのだろうが、そこを超えた部分があちこちとあり、これはなんなのだろうかと不思議に思う。ある時代だけの経験の色合いでもある。
 そうした印象を持つのは、ひとつには、水木夫妻が私の父母の世代にかなり重なるがゆえに、実体験を追って理解できるせいもあるだろう。戦争帰りの若い父と、仕来りばかりの田舎の娘が東京に出てきて極貧生活をし、そして昭和30年代前半に生んだ子供が私の世代である。本書に描かれている風景も自分の子供時代にきちんと重なる。私は、1966年から翌年の悪魔君のテレビも一部見ていた。何かの裏番組で全部見られなかった記憶がある。そういえば、マグマ大使が同じ時代であった。こちらは全部見ていた。
 アニメのゲゲゲの鬼太郎は翌年1968年からでほぼ全部見たはずだが、個別の話の記憶はあまりない。この鬼太郎の世界がどういう構成をしているのかというのを科学少年だった私は仮説を立てつつ見ていた。私はお化けや妖怪というのがあまり好きでないこともあった。
 あの時代、戦後の昭和の時代は、モダンな時代でもあった。現代だと米軍基地はどの地方でもいらないというふうに単純に語られたりもするが、東京にはあちこち普通に米軍基地はあったものだった。ユーミンの初期の歌にもいろいろと米軍基地が出てくる。とりわけ反米感というものはない。奥様は魔女みたいな米国ホームドラマも憧れの生活として受け止められていた。欧米の映画は水木しげるの世代にとってある憧れでもあった。食生活でもそうだった。あの時代の雰囲気がこの本からも感じられる。今ならどう言うのかよくわからないが、育児も母乳よりフォーミュラの時代だった。
 こうした時代の挿話で驚いたのは、水木さんの母がマーガレット・サンガー氏を信奉をしていたという話だ。サンガー氏が戦前の日本に影響を与えたというのは頭では知っていても、島根県にまでその影響が及んでいたというのは実感としてはうまく受け止められない。しかし日本の戦前というのは、昨今の日本回帰的な情感で描かれるような世界では全然なかったのは確かだ。
 本書で面白いのは、今日、私などが知るようになった漫画家水木さん登場前の、貧乏時代の逸話だろう。中盤からは当然メジャーになり、繁忙を極める時代が描かれる。そこは、仕事に明け暮れる夫に取り残された妻の話だ。これもある意味で昭和の話だ。私もこの時代、日常で父に接した記憶はない。あのころ、男たちはただ仕事ばかりしていたように思う。
 本書の後半への転機は、さりげなく書かれているが、水木漫画の人気の衰えがある。最盛期を過ぎてしまった才人の生き方の、独特の寂しさのようなものがある。が、そのなかで妻はもう一度夫を見いだすという筆致には、ある種の美しさがあるし、手塚治虫や石森章太郎の修羅とは違った世界が描かれる。僭越だが、いい奥さんがいたから家族があって、そして長生きができたから到達した世界があった。
 朝ドラでも本書でも、普通の妻と家族の物語として、一種の癒しのようにも読まれるだろうし、そういう静かな感動をもたらす書籍でもある。だが本書を、私のように昭和の子供から見ると、そんなにきれいにまとまる話のわけはないと思う。美談で読まれるのが気にくわないなど、捻くれたことが言いたいわけではない。水木さんは天才だったからそこに人や時代を巻き込む力もあったが、あの時代を生きた人たちは、みな同じように生きてきた。その同じように生きてきたという微妙な橋渡しの感覚を武良布枝さんは本書でとても上手に描いている。

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2010.05.19

[書評]日本の大問題が面白いほど解ける本 シンプル・ロジカルに考える(高橋洋一)

 アマゾンから届いた本書を見て一瞬、あれ?と思った。広告を見て、「ロジカル」というサブタイトルに惹かれて注文したのだったが、そのことを忘れていた。現下、再度の政権交代なり政界再編成が望まれる状況を高橋洋一さんがどう見ているのかも気になっていた。

cover
日本の大問題が
面白いほど解ける本
シンプル・ロジカル
高橋洋一
 内容は読みやすい。だいぶ編集の手が入っているのではないか。話題も興味深い。民主党の高速道路無料化、子ども手当、成長戦略不在、原口総務相に期待される周波数オークション、中小企業金融円滑法、社会保障制度、地方分権など、どこに問題があるのか、ロジカルという副題は正確とは言い難いが、すっきりとまとめられている。
 しかし、これらの話題は高橋氏のこれまでの書籍で触れられているお馴染みの話題ばかりで、普天間飛行場撤去問題や外交問題、食の安全保障、環境政策といった話題には言及がない。私のように高橋氏の一般向け著作は出たら買って読むという読者も多いだろうから、もう少し新しい分野の切り込みがあってもよかったかもしれないと思った。
 それでも、へぇそれは知らなかったなと思ったのは、「日本郵政社長に元大蔵事務次官の斎藤次郎氏が就任。これの何が問題?」で、斎藤次郎氏の女婿が、「現在次官に近いといわれている」稲垣光隆主計局次長であるという話だった。高橋氏は、メディアは知っているのにそのことを書かないで大蔵省の亡霊扱いしていたというふうに指摘していた。

 これはいわば周知の事実です。自らが所属する組織のトップに就くかもしれない人の義理の父親のことを「亡霊」呼ばわりする人がいるでしょうか。いたとすれば、それはその組織のなかでもかなりハズレの方にいる人でしょうし、だとすれば、これはその程度の取材しかできていないという証拠でしょう。
 斎藤氏と稲垣氏について、ある編集者は「まるで戦国時代ですね」と話していました。しかし、こうした閨閥づくりはわが国の政官財の世界では今日も連綿と続いていて、もちろん財務省(旧・大蔵省)も例外ではありません。

 まあ、競馬好きの過去のおっさんといったふうは話で済むことではなかった。
 とはいえ、これはごく些細な挿話であって取り上げるほどのことでもないようだが、関連の人事は明白な傾向をもっていた。

 いうまでもなく、それは斎藤氏就任の一週間後に発表された四人の副社長です。ここにもふたりの官僚OBが入りました。元郵政事業庁の足立盛二氏と元財務相主計局次長で、福田康夫政権では内閣官房長官補を務めた坂篤郎氏です。
 足立氏は旧郵政官僚で民営化に明確に反対していました。郵政事業庁長官を退任した後、財団法人簡易保険加入者協会という郵貯ファミリーの理事長に天下りました。郵貯関係では、ほかにも小泉時代に民営化に反対して降格された清水英雄氏がゆうちょ財団に天下っていましたが、斎藤氏就任後に、政権交代後の新ポストである郵政改革推進室室長に返り咲いています。彼らはみな郵政ファミリーの保守本流です。

 これも驚くほどのことでもないといえばそうだが、どうにも不思議なのはこういう人事を民主党員や民主党支持者の人はこれでよいと思っているのだろうかということだ。
 人事よりも今回の実質的な郵政国営化によって、以前のような税からのミルク補給のような仕組みがまた必要になることも本書でじっくり解き明かされている。
 財政の問題でも、ふっと笑ってしまってから、ぞっとするような話もある。

 ちなみに、二〇一〇年三月一六日の参議院財政金融委員会で、菅直人副総理・財務相が、財政のプライマリー・バランスについて「念頭にあるが、残念ながら今すぐ目標を立てるには早すぎる」「まずは(公的債務残高の)GDP比の安定を目指す」と答弁していました。
 この答弁を見るかぎり、菅財務相は、プライマリー・バランスのバランスと債務残高の対GDP比とが深く関係していることを理解していないようです。これで、財務大臣が務まるのでしょうか。

 それを言うなら他の大臣もあれこれと愉快な顔が浮かぶ。
 高橋氏は、とはいえ、民主党批判のためにこれを書いているわけではない。本書で指摘されている政策的な部分については、民主党の党是を曲げることなく採用できるものばかりだし、率直なところ、なぜ民主党は高橋氏の指摘をきちんと受け止めないのだろうか。
 単純な話、民主党員や支持者で、高橋氏のこれまでの著作を読んだことがなければ、そして彼の来歴について偏見を持たなければ、民主党のあるべき姿を考える上で、もっともよい入門書となるだろう。
 そして、これを学べば、この郵政の実質国営化を即刻停止するだろうと期待する。
 昨晩、民から官への典型ともいえるし、過去の民主党のマニフェストのまったく逆向きでもある郵政改革法案の衆院審議に入った。野党が反対しているが、本来なら民主党が反対すべき内容である。
 本書で高橋氏はこの問題の行く末にややひんやりとした奇妙ともいえる言葉を投げかけている。

 はたして国民はこれを支持するでしょうか。現在の国会状況ならそれを可決することは可能でしょう。しかし、また三年半以内にはかならず選挙が行われるのです。そのとき、国民の選択はどうなるでしょうか。
 選挙といえば、今後の郵政がどのような形態になるかには、大きな影響力を持ちます。かつて公務員だった郵政職員は、民間になったことで政治活動の自由を手に入れました。つまり、民主党の支持団体である連合において自由に政治活動ができる組合員が大幅に増えたことになります。彼らが公務員か非公務員かは、政治状況に一定のインパクトを与えるでしょう。

 この話は私には理解できなかった。郵政は実質は官営化しながらも、組合員は公務員に近い待遇を持ちながら非公務員として政治活動を続けるのではないだろうか。

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2010.05.17

[書評]高校生からのゲーム理論(松井彰彦)

 「高校生からのゲーム理論(松井彰彦)」(参照)は、ちょっと変わった本だった。普通ならこの書名から、高校生がゲーム理論を簡単に学べる入門書を連想するだろう。大学生や社会人も、「そうか、高校生でわかるレベルでやさしく書かれている本だろうな」と推測する違いない。間違いではない。高校生でわかるようにやさしく書かれている。文章も読みやすい。イラストも楽しい。しかし、数学は苦手だけど、とにかく手っ取り早くゲーム理論を理解したいというのには、ちょっと向かない本かもしれない。

cover
高校生からのゲーム理論
ちくまプリマー新書
松井彰彦
 こういうと工夫して書かれた著者に申し訳ないが、ゲーム理論入門のさわりでもあるゼロサムゲームやチキンゲーム、囚人のジレンマといった話は、図解とかでもっと簡単に説明できるだろうし、そうしたタイプの書籍もあるのではないか。なんだろ。それっぽくきれいにまとまっている「ゲーム理論 (図解雑学)(渡辺隆裕)」(参照)かな。1957年生まれの私などの世代だと「ゲームの理論入門 (ブルーバックス)(モートン・D・デービス)」(参照)がゲーム理論の一般向け定番だったが、そろそろ改訳時期ではないか。
 図解的な、いわばライフハック的なわかりやすさや、フォー・ダミーズ的なとっつきやすさは、本書「高校生からのゲーム理論」にはないが、じっくり名講義を受講するといった趣向きがある。「ああ、この先生に学んでいると学問は楽しい」という、一種のマジック感覚を味わえる珍しい書籍だ。
 実際は書籍だから黙読するわけなのだが、読みながら、「聴かせるなあ、この話は」という印象を持つ。読みながら確実に知識や知恵、そして教養というのが付いてくる実感もある。その意味では、きちんとした読解力のある高校生なら読んでごらんなさいとお勧めしたいし、社会人なら、知的なネタが一ダースくらい仕入れられる。
 説明に数式は使われていないが、ゲーム理論でお馴染みの標準型表現(利得行列)や展開型表現は出てくる。けして難しいものではないし、イラストで各ケースも説明されているのだが、こうした表現にまったく馴染みのない人は、最初のほうでゆっくり確認しながら読むとよいだろう。慣れてしまえばどうということではない。
 ゲーム理論で重要な概念はゴチック体で強調されている。ただし、わりとさらりと表現さていることもあるので、特にゴチック部分の用語についてはよく留意しておくとよいだろう。私が本書の編集であればこうした部分はコラムで補足して欲しいなと思う部分でもあった。特に「ナッシュ均衡」「フォーカル・ポイント」などの概念は、いったん理解できるといろいろ世間の見方が変わってくるものだ。
 話の展開はゲーム理論から解き明かすというより、恋愛や夫婦関係、人間関係といった日常からの例や、政治や歴史の逸話などから例として取り上げられて読んでいて楽しい。恋人が口うるさくなく妻が口うるさい理由などもユーモアを込めて書かれている。
 著者のパーソナルヒストリーも興味深い。ひとりの高校生が一流の学者になった秘密のような話も描かれている。人生の上質な秘訣が随所にこっそり書かれているなと、著者より多少年を食った私は思った。

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2010.05.15

民主党の公務員法改正案では、強行採決したことが問題ではなく、何を強行採決したかが問題

 普天間飛行場撤去問題や口蹄疫問題などの大騒ぎが民主党にとって、各種法案強行採決のための煙幕であるとまでは思わないが、12日の国家公務員法改正案可決は、あまりにどさくさまぎれというか、火事場泥棒とでもいった印象は持った。自民党甘利明前行政改革担当相を懲罰委員会にかける民主党からの動議の元となる事件も起きた(参照)。なにが起きてもしかたがないかもしれないとも思っていたが、ツイッターなどを見ていると民主党の強行採決を批判する自民党が滑稽だという意見もあった。
 よくあるジミンガー話(民主党の困難や問題を自民党に帰す論法)といったところだろうが、問題は内容なのである。ただし単純な話なのでブログのネタにしづらい。だが、これからしばらく、民主党の強行採決が続くだろうから、記録がてらに書いておこう。
 今回の国家公務員法改正案には二つの主眼点がある。
 一つは、総理大臣指揮下に内閣人事局を新設し、幹部公務員人事を「政治主導」で一元化にすることだ。ところがこの「政治主導」だが、お手本となったかに見える英国の制度とは異なっている。英国では、幹部公務員は人事院などの組織が公募者から中立的に選考し、首相がその認可を行う。首相には拒否権はあるが、日本民主党が強行採決した今回の法案のような、大臣による幹部公務員の任命権はない。
 逆に言えば、今回強行採決された法案では、大臣がどのように幹部公務員を選ぶかという点で、幹部公務員の専門性は機構的に評価されないようになっている。むしろ専門性が求められるべき幹部公務員が、党派政治のなかに吸着されるやすい脆弱性を持つ。それこそを民主党は「政治主導」と呼んでいるのかもしれないが。
 弊害は単純に予想できる。すでに例示的な事態も起きている。赤松農相は口蹄疫のアウトブレイクに対して「健康な家畜を殺すのはどうなのか。人の財産権を侵すことは慎重に考えないといけない」(参照)と述べてしまった。海外がこの発言を聞いて日本にどのような印象を持つかを想定できる専門家が大臣の周囲にすでにいないためであろう。
 二つ目の主眼点に移る。こちらのほうが強行採決にまつわる問題を引き起こしていたようだ。それは、事実上の天下り斡旋を行う、自民党政権による「官民人材交流センター」の廃止である。
 天下りをなくすならよいことではないかと短絡的に考えている人もいるかもしれないが、法の施行前に矛盾が露呈している。それどころか、強行採決と平行して法の矛盾が進行するという冗談のような事態になっている。
 話は単純である。便秘と同じ原理だ。天下り斡旋が禁止されるために、退職しない中高年の公務員が大腸内の便のように貯まる。出ない。公務員を雇うカネには限界があるから、そのしわ寄せは、新規採用の削減となる。次年度は半減されることとなった。中高年が若者の雇用機会を奪っている。
 それでも「政治主導」で押し通すというなら老人向け政権として首尾一貫していると言えるが、このあたりで民主党お馴染みのドタバタが始まる。民主党政権は一枚板ではない。産経新聞「閣内から異論噴出… 公務員採用半減の閣議決定見送り」(参照)は各大臣の声をこう拾っている。


 菅直人副総理・財務相は14日の記者会見で、「財務省としては基本的な方向は了解している」としながらも、「国税(庁)の徴税人員(数)を急激に下げると、税収にマイナスの影響を与える」と述べた。
 千葉景子法相も「法務省は人で成り立っている。治安、入管(入国管理局)もあるので、数字だけで簡単にいかない」と不快感を表明。さらに「人がいないからといって、まさか刑務所を開放してしまうわけにはいかない」と述べた。
 川端達夫文部科学相は「各省の実情に合わせた折衝、調整がされていると伺っている」と述べ、省庁横断的な一律の削減を行うべきではないとの考えを示した。

 自分たちが強行採決した国家公務員法改正案の毒がすでに全身に回ってのたうち回っているかのようだ。
 結局、どうなるのか? 先延ばしになる。読売新聞「国家公務員採用抑制、3省反発で閣議決定見送り」(参照)より。

 政府は、14日午前の閣議で目指していた一般職国家公務員の2011年度新規採用数の決定を見送った。
 09年度の採用実績と比べて「おおむね半減」を目指すとした新規採用抑制目標に基づき、総務省が各省庁に採用職種別の抑制を求めているが、一部の省が反発して調整がつかなかったためだ。18日に改めて閣議決定することを目指す。

 18日にどのような調整を閣議決定するのか、ちょっとした見ものであるが、郵政問題の迷走時のように大臣間のバトルは非公開となるかもしれない。
 いずれにせよ、強行採決された民主党の国家公務員法改正案は、前政権自民党案を廃したいがために注力されているだけで、法案としてはよく練られていない。だから、施行前からこのような珍事が起きている。
 しかも、このどさくさのプロセスにはさらに滑稽な二転三転があったようだ。私自身が法案の改訂プロセスを詳しく確認しているわけではないが、岸博幸氏の指摘では次のような経緯もあったようだ。「欺瞞だらけの公務員制度改革 民主党にもはや脱官僚を唱える資格なし」(参照)より。

 そして、ここで注意していただきたいのは、政治主導の幹部人事の実現に不可欠な降格人事を実質上不可能にしている第78条の2という条文です。この条文は、一年前に自民党政権が提出して廃案となった国家公務員法改正法案の条文とまったく同じなのです。
 かつ、そのときの国会審議で、当時野党だった民主党はこの条文を徹底的に批判しています。2月の衆議院予算委員会では当時の行革調査会長であった松本剛明氏が、そして3月の参議院内閣委員会では現官房副長官の松井孝治氏が「この規定では降格人事はほとんど出来ない」と強く批判しているのです。

 指摘が本当なら、ジミンガーのまったく逆になる。構図としては、最悪の事態にもつれ込んだ普天間飛行場撤去問題も同じだ。
 民主党はなぜこの強行採決法案に、便秘のような構造があると気がつかないのだろうか。いや、そうではない。時論公論「公務員改革 道筋は見えたか」(参照)で、影山日出夫解説員は、民主党なりの対処論を三点にまとめている。

  1. 天下りをしないで定年まで役所に残る官僚のために、「高位専門スタッフ」という新たなポストを作ること
  2. 独立行政法人や公益法人の役員や研究職などで出向する公務員の数を増やすこと
  3. 退職金を上積みすることを条件に、希望退職を募ること

 しかし機能しそうにはない。
 まず二点目の「独立行政法人や公益法人の役員や研究職などで出向する公務員の数を増やすこと」だが、独立行政法人や公益法人を増やすのは誰が見ても、事業仕分けと矛盾している。しかもこれらの機関の公募はなくなる。民間人の就労機会をここでも奪っている。
 一点目の「高位専門スタッフ」だが、年収1400万円程度とも言われているが、給与の問題が明確になっていない。
 三点目の希望退職はこれもようするに、どれだけカネの積み上げか問題になる。迷惑料みたいなものだ。
 要するにこれらの問題は、カネの問題なのだ。公務員に与えるべきカネどう工面するかという問題に帰結する。なのに、そこが論じられないまま強行採決された。
 本来なら民主党のマニフェストどおり、「地方分権推進に伴う地方移管、国家公務員の手当・退職金などの水準、定員の見直しなどにより、国家公務員の総人件費を2割削減する」(参照)とし、国家公務員の総人件費5.3兆円のうち1.1兆円を削減するはずであった。ダメだった。
 カネの問題をどうすべきか。その方向性が強行採決で議論を封じられ、国民からは見えなくなった。

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2010.05.14

昔の喫茶店のこと

 ゲゲゲの女房を見ている。面白い。つばさは見ていた(参照)。ウェルカメは見なかった。
 話の時代(主人公の結婚)は、昭和35年。西暦でいうと1960年。この6月15日、吉本隆明は「建造物侵入現行犯」で逮捕された。樺美智子は死んだ。そんな年だったが、朝のご家庭ドラマからは、そんな様子はあまり見えない。
 でもときおり、ドラマのなかで、時代のトゲのようなものがある。今日の話(昭和36年)では、稿料を払わない貸本出版社に怒った水木さんが「国交断絶だ」という。そして家に帰ってからもそう言う。
 国交断絶?

 1959年元旦、バティスタはキューバを捨てて亡命。一週間後キューバ革命が成る。翌1960年6月アメリカ資産を国有化しソ連にも接近。さらに翌年1961年、昭和36年、米国とキューバは国交断絶し今に至る。
 昭和32年生まれの私は当時を知らない。
 後、岡林信康さんが、サトウを刈りにキューバに行くんだとはしゃいでいたのを日比谷公会堂で見た。赤松勇さんの息子がキューバで舞い上がちゃうのもわからないではない。

 ゲゲゲの女房で、紙芝居屋さんと水木さんが調布の喫茶店に入るシーンがある。二人、コーヒーを前にして、懐かしいですなといった話になる。
 そして、ケーキを1つ注文する。ショートケーキではないように見える。私は、この時代の喫茶店にこんなしゃれたケーキがあっただろうかと疑問に思う。
 昼食後、人にその話をすると、「あれはモンブラン」と言う。えええ!

 戦後、都会に喫茶店が流行るのは1950年代後半である。歌声喫茶とかできていたらしい。私は個人的に、アンパンマンの世界は歌声喫茶ではないかと思っている。
 ジャズ喫茶や名曲喫茶もそのころあったらしい。メディアが高価なので集まって聞いたのだろうか。
 三鷹の第九茶房が懐かしい。

 日本が独立したのは昭和27年。1952年。力道山がテレビで活躍したのは1955年頃らしい。ゲゲゲの女房でも紙芝居屋がテレビに客の子供を奪われてしまうという話があるが、1960年はそういう年でもあったのだろう。
 私は、紙芝居なんてものを見たことはない。ローンブロゾー!

 談話室滝沢ができたのは1959年。私が初めて滝沢に入ったのは、1980年代だっただろうか。店内に水が流れていた(参照)。
 調べてみると、談話室滝沢の最初の名前は喫茶室ルノアールであったらしい。ルノアールの店舗拡大に反対して、滝沢になったらしい。へぇ。

 私が初めて喫茶店に入ったのは、小学五年生か六年生のころだ。万博の前だから。1960年代の終わり。
 そのどっちかの夏、叔父と行った。渋谷だったと思う。なにを頼んだのか記憶にない。記憶にあるのは、店を出たとき、もわーっと暑くて風呂のなかにいるように思えたことだった。喫茶店のなかは冷房だった。冷房が珍しい時代だった。

 私はよい子なので中学高校時代には茶店に行ったことはない。いや、さすがに高校の時は行ったか。国立のシモン、国分寺のピーターキャット。

 赤線が消えたのは1958年。青線が消えたのはいつだったんだろうかと苦笑いする。経験のないことはピントがずれる。
 「純喫茶」の標識をあまり見かけなくなったのはいつからだろう。高校生のころだったか、なんで純喫茶なんだとか疑問に思って、その理由を知った。

 スペースインベーダーが喫茶店に登場したのは1978年。なんであんなもんでカネ擦ってたんだろと不思議な気がする。もちろん、懐かしい。iPhoneには入れていない。
 マイアミの歴史はどうだっただろうかと調べたがよくわからん。

cover
二十歳の原点
 高校生のころ、地元の駅前のコーヒー屋のモーニングサービスには味噌汁が付いていた。トーストとコーヒーと味噌汁とキャベツの千切り。
 たまにその町を通り過ぎるとき、その喫茶店の場所が気になる。先日見たら、テナント募集の空きスペースになっていた。学生服を着たひょろっとした高校生はいない。
 社会人になってから、京都に行ってシアンクレールの跡地を見に行ったことがある。

 昔の喫茶店の風習で、あれはなんなのだろうと思うことの一つが、炭酸水。コーヒーを頼むと、ウォッカを飲むときのようなグラスにちょこっと普通の炭酸水が付く。理由は、コーヒーの香りに麻痺したときのリフレッシュということ。
 効果がないわけではない。今でもたまにあのころを思い出して、コーヒーを飲みながら少しペリエをなめることがある。

 先日新宿のユニクロで買い物したあと、ふと、久しぶりに但馬屋に入った。カウンタに座ってコーヒーを頼んだ。どんなカップになるんだろうと思った。女子大生みたいな店員が選んでくれたのは、渋かった。俺、年取ったなぁと思った。

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2010.05.12

ホワイトハウス大統領執務室でその時、何があったか?

 ネタの趣向としてはパクリだし趣味も悪い話になる。

    Part 1

 もうすっかり過去の人となったブッシュ前大統領のことを少し思い出す。彼の出身大学は有名なイェール大学だが、恐らく父ブッシュの意向を酌んでの特別枠だったのだろう。特別枠といえば、ベトナム戦争では徴兵逃れをしたのではないかとの噂もある。酒に溺れて飲酒運転容疑で逮捕されたこともある。卒業後は、というと石油会社に勤めた。石油、それがブッシュ家のビジネスだったからだ。
 そんな彼にも希望はあった。父のような政治家なりたい。ブッシュ家の石油会社の富と人脈を背景に下院選挙に出て、落選した。石油企業に戻り、エネルギー関連会社に勤めつつ政治界を目論んだ。
 1994年、メキシコ湾に臨むテキサス州の知事に当選し、大統領選への足がかりとした。奇跡か。石油屋上がりのボンボンは大統領となった。

    Part 2

 新しい大統領が職務に就いた数か月後のことらしい。彼が率いる政権は、メキシコ湾沖合水深一マイルにある油田採掘に認可を出した。大統領選で気前よく寄付金を送ってくれた社員を抱える英国石油への採掘権である。同社は海岸汚染を引き起こすかもしれない壊滅的な海底油田漏れなど発生しないと軽々と言ってのけた。
(Imagine that a few months after a new president takes office, his administration approves an offshore oil well a mile beneath the Gulf of Mexico. It is to be run by BP, whose employees were very generous donors to the president's campaign. The oil company airily dismisses the possibility of a catastrophic leak that might destroy the coastline. )

 ほぼ一年経過。大統領は沖合採掘を大幅に拡大したいとの声明に、環境保護団体は狼狽する。直後、英国石油施設は爆発し、原油が湾岸に溢れ出る。
(Nearly a year later, the president—to the dismay of his environmentalist supporters—says he wants to greatly expand offshore drilling. Soon after that, the BP well explodes, and oil spews into the gulf. )

 海底原油の噴出が、政府出動を要する壊滅的な事態であることは、誰に目にも明白。しかし、事件発生11日後に現地視察した大統領の最初の発言はといえば、ご心配無用、浄化作業は英国石油が支払うことになるというものだった。
(It's clear to everyone that the blowout is a major catastrophe, requiring a federal mobilization. But the president's initial response is to say, in effect: do not worry, BP will pay for the cleanup. Eleven days pass before he goes to survey the scene.)

    Part 3

「徹底的な事態調査のために、特別検査官が指名されるだろう。焦点となるのは、湾岸で起きている事態についてではない。ホワイトハウス大統領執務室で何があったかについてだ」
( "There'd be calls for special prosecutors, investigations everywhere. The focus wouldn't be on what was happening out in the gulf—it would be on what happened in the West Wing.")

    Part 4

 ホワイトハウス大統領執務室でその時、何があったか?
 米国民は一斉に疑惑の目を向けた-----ということはなかった。
 なぜか?
 Part 2の大統領は、Part 1のブッシュ前大統領ではなく、現オバマ大統領だから。
 この趣味の悪い趣向は、ハワード・ファインマン(Howard Fineman)記者によるニューズウィークコラム「Can’t Touch Him(彼には触れるな)」(参照)を借りた。
 ブッシュ大統領だったら怒り心頭になるのに、オバマ大統領ならホワイトハウス内のことはそれほどの騒ぎにはなりそうもない現下の状況のだまし絵だ。
 私はその悪趣味に、Part 1を添えてみただけ。いや、英国石油は現在では単にBPとすべきではあるが。

    Part 5

 オバマ大統領が選挙期間中に公約したグアンタナモ収容所の閉鎖問題はうやむやになっているが、問題とする声は小さい。自分の問題に跳ね返る部分にはみなさんご事情というものがある。
 ブッシュ大統領時代は非難の的になった愛国法(Patriot Act)もオバマ大統領は承認したが、タイムズスクエアのテロ未遂のせいか、あまり話題にならないようだ。
 テロとの戦いアフガン戦争にオバマ大統領は増派したが、それほど非難はない。でも展望もない。
 ブッシュ大統領時代は即時撤退が求められたイラクには10万の米兵は釘付け状態だが問題化しない。このまま撤退するのだろう。
 ブッシュ大統領はハリケーン・カトリーナ被害地訪問の遅滞で随分バッシングされたが、オバマ大統領のメキシコ湾入りはゆったりとしたものだ。
 その違いは、なぜ?
 オバマ大統領だから。

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2010.05.11

ダルフール危機に関連する現状、お尋ね者バシル大統領再選

 そろそろダルフールの状況について、またメモをしておくべき時期だろう。ページ(参照)がまた一つ捲られたからだ。
 最新の目立つニュースとしては、7日、国連平和維持活動(PKO)に当たっている、国連・アフリカ連合ダルフール合同活動(UNAMID)の車列が武装グループに襲撃され、エジプト人のPKO要員2人が殺害され、3人が重傷を負う事件があった。武装グループは特定されていない。国連安保理は非難声明を出し、スーダン政府に犯人を処罰を要請した(参照)。
 連想されるのは先月23日の事件だ。ダルフール南部でアラブ系部族とスーダン人民解放軍(SPLA:Sudan People's Liberation Army)が衝突し、58人が死亡、85人が負傷した(参照)。SPLA側の主張では、ダルフール南部の、西バール・エル・ガザル(Western Bahr al-Ghazal)でスーダン政府軍(SAF:Sudan Armed Forces)に襲撃されたとのことだ(参照)。真相はわからないが、同地はSPLA主体のスーダン南部自治政府が管轄する領域に近く、南部問題が関連していると見られる。
 事件に国際的な関心が向けられたのは、背景に4月11日から5日間実施されたスーダン大統領選および同時に実施された今後独立が予定される南部大統領選があったためだ。これは2005年に締結された南部内戦終結の包括和平合意よるものだ。
 4月26日に発表された結果では、スーダンでは現職バシル大統領が得票率68%で再選され、南部大統領選ではスーダン人民解放運動(SPLM:Sudan Peoples' Liberation Movement)キール議長が当選した。予想通りの結果であった。
 選挙は公平なものとは言い難い。SPLMはバシル大統領の与党国民会議(NCP:National Congress Party )による選挙不正指摘から大統領選をボイコットした。だが大きな決裂にはならなかった。SPLMとしても、来年予定されるスーダン南部独立住民投票を推進したい思惑があったからだ。
 もちろん、ダルフール・ジェノサイドで国際刑事裁判所(ICC)から戦争犯罪者として逮捕状が出ているお尋ね者バシル大統領としても、またNCPとしても経済制裁を加える国際社会の視線をこれでも配慮していた(参照)。
 この地域に深く関与せざるえない大国としても、スーダン資源を狙いバシル大統領寄りの中国はさておき、米国は表向きは不正選挙非難を出したものの(参照)、南部独立の実現を配慮し強い態度には出なかった。
 問題は、来年、南部独立が実施されるのか、また、ダルフール危機があたかも終了したかのような沈静は維持されるのかということに絞られる。どうなるか。ワシントン・ポストは2日付け社説「A wager on Sudan」(参照)で、懸念する専門家の声を伝えていた。


Many experts doubt that Mr. Bashir will allow the oil-rich south to go without a fight or that he will give Darfuris the autonomy they seek. While it works for those outcomes, the United States should refrain from prematurely recognizing Mr. Bashir's new claim to legitimacy. And it should be ready to respond when he breaks his word.

バシル氏が豊富な原油を産出する南部独立を紛争なく認めること、また、ダルフールの人々に彼らが求める自治を提供すること、その双方に懐疑的な専門家は多い。期待される結果が得られるようにこの間、米国は禊ぎを終えたバシル氏が主張する合法性に慌ててお墨付きを与えてはならない。かつ、バシル氏が期待を裏切ったときに即応できるようにしておかねばならない。


 どうなるかは、来年が近づくにつれて見えてくるだろう。西バール・エル・ガザルの衝突は不安な影を落とすことになったが、親スーダンの中国の陰にある日本はさておき、国際的な監視の目は強まっているので、秋口くらいまでは多少静かな時間が流れるのではないか。

追記
 14日、大きな動きがあった。スーダン政府軍とJEM(正義と平等運動)の戦闘があり、JEMで160名の死者が出た。和平合意の行く末が危ぶまれる状態になった。「ダルフール紛争 再燃の懸念」(NHK 5.16)より。


スーダン政府軍の15日の発表によりますと、政府軍と西部ダルフール地方最大の反政府勢力「正義と平等運動」の間で再び激しい戦闘が起き、反政府勢力側の戦闘員108人を殺害したほか主要な拠点の1つを抑えたということです。政府軍側の死傷者については明らかにしていません。ダルフール地方では、7年前、政府軍やアラブ系の民兵組織と地元の反政府勢力との間で紛争が始まり、これまでに30万人が死亡、250万人が住む家を失うなど、「世界最悪の人道危機」とまで言われましたが、ことし2月、スーダン政府と最大の反政府勢力「正義と平等運動」が停戦で基本合意し、和平交渉が続けられてきました。しかし、反政府勢力側はバシール大統領が再選した先月の大統領選挙以降、政府軍が停戦合意を破って断続的に攻撃をしかけてきていると非難し、和平交渉を打ち切る構えを示しています。これに対して政府側も、反政府勢力が地域の集落や食糧輸送車を襲っていると主張しており、紛争の再燃が懸念されています。

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2010.05.10

ツイッターのこと

 ツイッター(Twitter)が話題になっているというか、世間的な話題についてはいろいろ言われているので、僕なんかが言うことはさしてないと思う。「Twitter社会論(津田大介)」(参照)のように簡素に読めて良書もある。とはいえ、自分なりにツイッターを使ってみて思うこともあるので、少し。
 ツイッターはもともとは、メッセンジャーの拡大くらいのノリだったんだろう。もうけっこうな昔になってしまうけど、ニフティサーブというパソコン通信で、ログインしてうろうろしていると、「今、メメメでチャット中。来ない?」みたいなメッセージがプロンプトに送られてくることがあった。ああいうメッセージングの仕組みだ。確かWindowsのプロンプトでもできたと思うけど、すっかり忘れた。Google Talkというのもあったな。まあ、メッセージ交換の通信サービスということだ。
 それで、この「そっちどう?」というふうに状況が問われて答えるのが、現状(ステータス)ということで、HTTPプロトコルとかインターネットのプロトコルと同じく、ツイッターでも返ってくるメッセージがステータスということなんだけど、いつのまにか、ステータスという言葉は個別のアドレスにstatusとして残るだけで、今ではツイッター(Twitter)の洒落からツイート(tweet)とか言われている。ちなみに、Twitterは鳥がさえずるということで、tweetはそのさえずり。昭和の言葉でいうと、ピーチクパーチク。
 ツイッターの初期の仕様はよくわからないのだけど、ツイッター会員同士なら誰でもメッセージ交換できるはず。でも、一対一のメッセージ交換というより、Aさんのメッセージはいつも面白いから、Bさんはそのメッセージを全部受信したいという場合、Aさんをフォロー(追っかけ)するということになっている。双方でフォローしあうと、他の人には見えないこっそりメッセージとしてDM(ダイレクトメッセージ)ができる。
 DMの仕組みは、ニフティサーブのチャットとかにもあった。話の流れを読まない人が騒ぎ出すと、その話題の流れをなんとなく司会する数人がDMで「まじーな、今日はお開きな」みたく裏で工作する。裏のメッセージだから、そりゃ、恋愛ツールなんかにも使えたようだ。というか、ツイッターのDMもそんな使い方になっているのかもしれない。知らんな、恋愛っていうのも忘れちまったしな。
 まあ、そこまではツイッターとか言っても、20年以上も前の仕組みと大して変わらないなぁと僕は思っていた。またかよ、というか。でも、ツイッターはどっかで何かが変わった。量の増大がある臨界に達すると質的な変化になるということかもしれない。もともとは、一対一とか一対八くらいまでの小さいメッセージ交換の仕組みが、いつのまにか一対一万とかになるケースもあって、そうなると、広報ってやつだな。
 今でもあるんだと思うけど、アメリカの地方野球(参照)の中継みたいのをツイッターでやっているのを見たことがある。三年くらい前かな。FENで相撲中継を聞くみたいにぼけっと見ていた。へぇ、こんな使い方できるんかいなと思った。その後だったか、米国で選挙に活用されるのも知った。どういうわけか知らないけど、ヒラリー陣営のメッセージが送られてきたこともあった。米国の選挙権ないんですけど、僕はね。
 なるほど、こりゃメッセージ交換のシステムじゃなくて、一種のマスコミみたいなものになったのかと思った。だったら、実際にマスコミの有名人とかが使ったらフォローする人(フォロワーと言う)も万単位になるなと思ったら、そうなっていった。
 有名人ブログっていうのが数年前にあったけど(今でもあるのか)、意外と有名人のブログって内容がなくてつまらないものだ。だけど、ツイッターなら、「今、宮崎県に来ています」というくらいの書き込みで済む。っていうか、「宮崎県なう」とかいう「なう」が出てきた。Nowということ。ギンザナウのノリかな。古いな、俺。

cover
Twitter社会論
津田大介
 かくしてツイッターは広報的なシステム、マスメディアもどきになってきて、しかし、だから、すごいなと言える部分もあって、地震速報なんか最強。「お、揺れた」「地震」「揺れた、仙台」とかすぐに反応する。この数日騒がれている口蹄疫とかでも農水省の中の人の発言とかが正確で興味深いと思った。もちろん、その逆に、どうしようもないデマの流布にもなる。ネットというのはそういうもんだからしかたないよな。
 こうした中、ブロックというのが出てくる。最初からあった仕組みかもしれない。AさんはBさんをフォローしたいのだけど、好かれているっぽいAさんにしてみるとBさんにフォローされるのはやだなあ、というのがある。離婚した相手がその後の相手の噂を聞いているような感じか、まさかね。でもま、フォロー拒絶ということでブロックというのが注目される。でも、どうも本質がそうということではなさげだ。
 僕は思うんだけど、ブロックというのは、たくさんのフォロワーを持つ有名人に、少ないフォローしかいない人が夜郎自大に、「へっ、俺様だってうんぬん」と、難癖メッセージを送り付けたいのに対して、「それはやめてけれゲバゲバ」ということなんじゃないか。つまり、ブロックというのは、広報的な、マスメディア的なシステムになったから出てきたことなんじゃないか。
 このあたりを考慮してか、ツイッターはどんどん変化してきて、Aさんのメッセージを読みたいだけというなら、フォローしなくても追っかけできますよというリストという仕組みがある。著名人とかおもしろ発言をする人のメッセージを読みたいだけで、特にメッセージを送りたいわけでもないなら、リストで十分。でも、あまりリストが活用されてなさげ。
 むしろ、リストのほうが便利なのに。例えば、僕がフォローしている人は1200人くらいいるのかな。その人のメッセージを全部読むのは無理で、たまたまツイッターをしているときの話の流れに突っ込み入れたりするくらい。だいたい、フォローする人が100人を超えると、チャットみたいに相手の発言を読み合うという、少しは空気考えろよ、はなくなって、みなさんご勝手なことを乱雑に言うだけ。それがだらだら流れてくるのが、タイムラインだ。
 幽体離脱というのだったか、身体から魂が抜け出してという体験を研究したロバート・モンローという人(もうすっかり抜け出してしまったけど)が、地球からは人類の各人の思念が放出されていると言ってたようだったけど、ああ、それってツイッターのタイムラインそのものじゃんとか思った。

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2010.05.09

2000年と2010年の口蹄疫

 2000年3月12日、宮崎市の畜産農家の牛にわずかな異変が起きた。発熱があり食欲がない。口の中を見ると水疱瘡のようなものがある。口蹄疫か。農水省家畜衛生試験場海外病研究部に口の組織を送り鑑定を依頼したがウイルスは確認できなかった。しかし抗体は検出された。他の肉牛も同じ症状を示していた。感染の可能性があることがわかった。
 約二週間後の25日、宮崎県畜産課は、断定できないものの、この農家の肉牛10頭に口蹄疫の疑いがあると発表し、家畜伝染病予防法に基づき防疫対策本部を設置した。後3週間は、該当農家の半径20キロ以内の牛と豚の移動が禁止された。近隣の市場も閉鎖され、半径50キロ以内の約117万頭に上る牛と豚の地域外移動も禁止された。宮崎県内での封じ込めである。主要幹線道路には22か所の検問所が設置され、二十四時間体制の監視が実施された。
 口蹄疫は、牛、豚、山羊、鹿、猪、水牛など偶蹄類に感染するウィルス性の病気である。家畜伝染病では最も伝染力が強い。空気感染もする。治療法はないが、重病とも言い難い。放置すれば通常発病から2週間ほどで回復し、死亡率は低い。だが、発達障害・不妊などの後遺症を残し、畜産業に大きな経済被害を与えるので、感染確認後は家畜伝染病予防法に基づいて殺処分されることになっている。人への感染はほぼない。食肉には問題ない。だが、当時所管である厚生省は、28日、都道府県と政令市に対し、感染懸念のある牛肉は出荷されていないとする安全情報を出した。
 4月4日、農水省家畜衛生試験場が英国家畜衛生研究所に鑑定の依頼をした組織検査の結果が出た。口蹄疫ウイルスの遺伝子が確認された。日本では、1908年以来92年ぶりの発生となった。その前日の3日、高岡町内でも口蹄疫ウイルスの抗体が発見された。農水省は移動禁止措置期間の延長を宮崎県に伝えた。
 幸い、初動の対応がよかったのか、その後口蹄疫の拡大はなく、5月2日には移動制限も解除された。宮崎県家畜防疫対策本部は、5月10日、宮崎県内すべての牛の清浄性が確認されたとして口蹄疫の終息宣言を出した。
 さて、この口蹄疫はどこから日本に侵入したのだろうか? 特定はされていないが、当時の農水省などは、中国産の麦わらを疑った。当時宮崎県では年間約11万7千トン使用するわら飼料の内、約3万4千トンを輸入していた。
 10年が経った。
 2010年、宮崎県をまた口蹄疫が襲った。最初に疑念として発見されたのは3月31日のようだ。共同通信4月23日付け「さらに牛2頭が口蹄疫疑い 3月末の検体から陽性反応」(参照)はこう伝えている。


 県によると、都農町の農家では3月31日、水牛3頭に下痢の症状があり、鼻の粘膜液を採取。1例目の農家とえさの一部が共通していたため、23日に動物衛生研究所海外病研究施設(東京都小平市)で遺伝子検査を行い、陽性と判明した。
 川南町では22日、農家から役場を通じてよだれや発熱の症状を示す牛がいると、宮崎家畜保健衛生所(宮崎市)に連絡があった。3頭に症状がみられ、うち1頭が陽性だった。

 口蹄疫が公式に確認されたのは4月23日であった。しかし、この間、疑念の持たれるケースは発生していた。4月9日、口内に軽い潰瘍のある牛がいるのを獣医師が発見し、宮崎家畜保健衛生所に連絡した。17日にもさらに2頭に同種の症状を持つ牛が発見され、この3頭の鑑定を宮崎県は農水省に依頼した。動物衛生研究所の結果が出たのは20日未明である。陽性であった(参照)。
 農水省は20日、赤松広隆農林水産相を本部長とする対策本部を設置した。宮崎県は家畜伝染病予防法に基づき同日、防疫対策本部を設置し、県内の畜産農家約430戸に対し、感染の緊急調査を命じた。原口一博総務相も即刻風評被害を懸念して指示を出した(参照)。放送行政など総務省管轄の指示なのであろうが、風評被害を押さえるためどのような指示を出したのかは報道されていないようだ。
 21日夜、宮崎県川南町で新たに3頭の牛に感染の疑念が持たれた。疑念のある牛は12頭、同感染舎の処分対象は118頭。翌日には疑念のある牛は16頭、26日には20頭と増えた。処分対象は牛1064頭、水牛42頭、豚2頭となった。
 畜産農家支援策を農水省が発表したのは、23日。家畜疾病経営維持資金融資枠を20億円から100億円に拡大するとした。赤松農相は「これ以上病気を広げないための防疫措置と、畜産農家への経済支援など、あらゆることをやっていきたい」と述べた。27日、東国原英夫宮崎県知事は赤松農相を訪問し、防疫や経営対策の予算確保などを要望した。赤松農相は、全面的に支援する意向を示したのだが、どれほどの重要性の認識があっただろうか。
 口蹄疫は豚にも広がり出した。28日、農水省は川南町の県畜産試験場の豚5頭に感染の疑いがあると発表。同試験場の豚486頭が殺処分されることになった。国連食糧農業機関(FAO)は28日付けで日本での口蹄疫の集団発生を国際的に通知し、国際的には報道された(参照)。
 処分対象はさらに拡大し、5月5日、牛・水牛2917頭と豚3万1068頭。そして8日、5万頭を超え、9日、6万頭を超えた。しかし、9日の時点ではその大半は指定される埋却処理がされてないため、さらなるウイルス感染を招きかねない家畜も殺処分されない飼育され続けている。埋却用地選定もできていないところもある。(参照)。埋却のための人手には軍隊を要するレベルである。
 この規模の事態になると、畜産国では軍隊が派遣されることがある。2001年英国で発生した口蹄疫の際、英国政府の危機管理体制には問題があったとして、翌年の公式報告は、流行初期の時点で軍隊を投入し早期に感染農場を閉鎖しなかったことを非難している。同様の発想であれば日本では自衛隊の出動が想定される。実際4月26日の宮崎県県議会では「自衛隊に応援を頼むべき」と声が上がった。自民党も要請した。宮崎県が国の判断より先に5月1日、災害派遣要請を陸上自衛隊都城駐屯地第43普通科連隊に出し、100名の自衛隊員が埋却作業に関わった。国としてはようやく5月7日になってから、平野博文官房長官は閣議後の記者会見で「自衛隊についても足りなければさらに追加出動を北沢俊美防衛相に要請しなければいけない」と述べるに留まった。
 10年前に政権与党として宮崎県の口蹄疫に対応した経験のある自民党は、4月28日、谷垣禎一総裁及び同党国会議員を現地視察させた。30日、同党口蹄疫対策本部を設立し、舟山康江農林水産大臣政務官と松井孝治内閣官房副長官に対し、現地視察に基づき防疫対策など42項目の申し入れを行った。同本部事務局長の宮腰光寛農林部会長は記者会見でこう述べている(参照参照YouTube)。

 今回の特徴は、10年前と違うのは、初動の遅れ、これが原因でこの大きな拡大を招いているというのが、まず第一点であります。
 10年前は、当時の江藤隆美先生が、まず100億という枠を国が示して、現場の県なり、市町村なり団体なりが、お金のことを心配せずに、やれることをすべて一気にやるということでもって、農家で三戸、北海道を加えると四戸ということで封じ込めが成功したわけでありますけれども、今回は、初動体制の遅れが原因で、いますでに12例でております。
 いちばん心配しておりました、他の地域に飛び火をするのではないか、あるいは牛だけに限らず豚にも感染が起きるのではないか、この懸念が強かったわけでありますが、それが現実のものになっております。
 今日、実はですね、舟山政務官に申し入れをした際に、政務官からは、初動体制は県の対応の遅れに問題があったということを問題にしておいでになりました。これは、私は、農水省の政務三役としては認識が違うのではないか、最終的には国の責任においてしっかりとした、わかった時点で対応をとる、あるいはわかる以前からもっときっちりとした対応を取るべきであったと思っております。


 たとえば自衛隊の出動についてもそうであります。
 今日、松井官房副長官のほうに申し入れてまいりましたけれども、松井副長官も京都で鳥インフルエンザが発生したときに、自衛隊が出動して埋却処分をやったということをご存知でありまして、今のところたとえば車の移動、人の移動に対するチェック体制なども、地元のJAや、町やあるいは農政事務所などがしっかりやってるわけでありますが、400人体制でそう長く続きません。そういうことも含めて、埋却のこともふくめて、自衛隊の出番をお願いしてまいりました。
 松井官房副長官からは、検討する、政府として検討するというお話をちょうだいしてまいりました。

 申し入れを受けた農林水産省の長、赤松農相だが、同日関係閣僚とともに、メキシコ、キューバ、コロンビアでのEPA・FTAの国際会談のため、成田を旅立った(参照)。農林水産大臣臨時代理国務大臣は福島瑞穂氏である。
 舟山農林水産大臣政務官は、デンマーク政府要人との会談及び現地視察のためデンマークに出張で5月4日、成田を旅立った(参照)。
 赤松農相の帰国は5月8日、舟山農水政務官の帰国は9日である。赤松農相は帰国後、まず栃木県佐野市の富岡芳忠議員の後援会に赴いた。この件で初めて宮崎県を訪れるのは10日。ただし、自民党口蹄疫対策本部長となった谷垣禎一議員が4月28日に現地を視察したのとは異なり、赤松農相の視察予定はなく、県庁訪問とホテルの意見交換交換会に出るのみらしい(参照)。

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2010.05.08

[書評]思考する豚(ライアル・ワトソン著・福岡伸一訳)

 ライアル・ワトソン(Lyall Watson)氏が亡くなったのは2008年6月25日。一週間後、追悼記事がテレグラフに載っていた(参照)。69歳だった。私は一時期彼の著作をよく読んだ。集大成と言えるのは「生命潮流―来たるべきものの予感」(参照)だろうが、今アマゾン読者評でも偽科学といった糾弾が目に付く。今となってはそう見られてもしかたがないものだが、当時は最先端の科学とイマジネーションで書かれた話題の書でもあった。今では珍妙な主張のように見えないこともない。転居を繰り返した私の書架には、ワトソン氏の本はこの一冊しか残っていない。彼がその書籍で主張したcontingent systemについてときおり考えることがあるからだ。テレグラフの記事ではワトソン氏について、ニューエージ運動と併せて冒険家の側面を語っていたが、加えるなら、詩人とも呼べるだろう。生命潮流をテーマにNHKの連続番組があったが、その相貌や語りには詩を感じさせるものがあった。

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思考する豚
 ワトソン氏の死は私の心にあるぽっかりとした穴のようなものを残した。なんと言ってよいのかわからない。科学者として見ればうさんくさい、詩人として見れば美しいイマジネーション。しかし、それだけではない奇妙なもどかしさがある。彼が本当に伝えたかったことはなんだろうか。最期の著作は何か。
 豚の話だった。「思考する豚(ライアル・ワトソン著・福岡伸一訳)」(参照)。豚の話か、なるほど、と私は得心した。どう得心したのかと問われると、これも語りづらい。私たち人間は豚であり、豚は人間である、強く共生関係を持ちながら我々は融合している、と、ふと語りたいように思う。そうワトソン氏も語っているようにも見える。
 だが必ずしもそうではない。オリジナルのタイトルが「The Whole Hog(豚のすべて)」(参照)であるように、本書では豚について各種の側面がバランスよく語られている。必ずしも邦訳のように「思考する豚」だけが語られているわけではない。もっとも、"The Whole Hog"は洒落でもある。"Why not go whole hog?"(徹底してやらないのか)というように"go whole hog"という慣用句をもじっている。
 作品は2004年出版。ワトソン氏の60代半ばの作品と言ってよいのだが、読みながら、壮年の颯爽した相貌と語りを知っている私には、なつかしい口調だと思いつつ、老いたのだとも思った。欠点というほどでもないが、書籍としてそれほどうまく構成されていない。テーマが十分にフォーカスされていない。抄訳ということはないかとも疑問にも思った。
 なぜ豚なのか。表面的に読み取れるのは、彼がアフリカで過ごした子供時代や青年時代の豚との友情を語りたいということがあるだろう。豚を愛した人間の思いというものが、まず根底にあり、それから各種の知識や最新の研究が取り寄せられる。いつもながら体験を通して生き生きとしたワトソン氏の感性が語られる。
 フォーカスがぼけるのは、豚について家畜化を単純に嘆くわけでもなく、野生の豚との友愛だけを語りたわけではないためだろう。豚(つまり猪)についてある全体性を描きたいのだろうが、それほどにはうまくいっているわけでもない。読者によって本書の価値を見いだす点は異なるだろうとしても。
 私が面白かったのは、近代史と豚の関係だった。特に米国史とは家畜豚の歴史でもあったのかと得心した。ある程度わかっていても、その側面をきちんと取り上げられてみると驚くものがある。米国の開拓時代というと、大草原の小さな家の映像ではないが、農家が穀物や家禽・牛を飼育するというイメージがあるが、現実の中心に来るのは豚であった。塩漬け豚肉は戦争などのための重要な食料でもあった。ウォールストリートの壁が豚の囲いであったというのも正解かもしれない。
 フリードリヒ・エンゲルスの暮らしたイギリスでも豚に満ちていたようだ。考えてみれば、西洋史もまた豚の歴史である。遡って、スペインが活躍する大航海時代でも、船に載せていたのは豚だった。そうした興味深いエピソードの合間に、コロンブス以前、新大陸に西洋人が持ち込んだものではないらしいユーラシア種の豚がいたという奇妙な話もある。
 豚がどのように家畜化されたか。人類との関わりはなんであるか。当然考察が及んでいるのだが、そのあたりは往年のワトソン愛好家としては少し物足りなさを感じる。科学的にはまだ未踏の領域なのだろう。豚は人間と同様、甘いものと酒を好む社交性豊かな動物、という注目点にさらなる考察があればと思う。
 人間と豚が他の種とくらべて雑食であるという視点は本書では重視されている。雑食というと、「雑」という言葉からしておおざっぱな印象を受けがちだが、実際には逆だ。雑食の動物というのは、何が食えるのか、またどう食うのかということに、感覚を研ぎ澄ませ、知性・知識を働かせなくてはならない。豚の嗅覚の発達もそうした一環だ。関連の話で、なぜ豚でトリュフ探しをするのかというエピソードもあり、私は知らなかったのだが、トリュフは豚にとってフェロモンのような臭いを出すらしい。トリュフのほうも豚がそう誤解するように進化したらしい。人間も豚と同じくここでもそうかもしれない。
 ワトソン氏を継ぐサイエンスライターがこうした問題を掘り下げてくれたらいいなと思いつつ、それができたのがワトソン氏だけだったのかもしれないとも思った。最終部に、さらりとhsp90(参照)が突然変異を緩和するメカニズムに触れている。本書にはいわゆる「シャペロン」としては出てこない。この話題の行方なども、スティーヴン・ジェイ・グールド氏とは違った方向で、ワトソン氏の話で詩情豊かに読みたいものだとも思う。それはもうかなわない。彼自身はその大枠は示したものとして去っていったのかもしれないが。

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2010.05.07

フィナンシャル・タイムズ曰く、鳩山首相は普天間飛行場問題に歯を食いしばってチバリヨー

 鳩山首相が、4日、普天間飛行場撤去に伴う代替基地の沖縄県外移設公約を反故にし、前自民党政権による辺野古移設の修正案を飲み、沖縄県民に謝罪の一泊珍旅行を行ったが、これを世界はどう見ていたか。フィナンシャル・タイムズが早々に「Hatoyama’s retreat(鳩山の撤退戦)」(参照)の社説を上げていた。概ね、鳩山首相に好意的である。私の感想としては、フィナンシャル・タイムズの視点は、これまでの私の考えによく似ていて好感ももった。
 なぜ鳩山首相はこのようなヘマな事態に陥ったか。フィナンシャル・タイムズは責任が鳩山首相にあることを明確にしている。


Predictably, this is an entirely self-inflicted wound. Mr Hatoyama courted popularity during the campaign by promising to look again at the location of the Futenma air base.

予想通り、これは完全に自らが招いた損傷である。鳩山氏は、昨年の選挙の際、普天間飛行場移設見直しを約束することによって人気を得た。



But Mr Hatoyama did not need to re-open it. A deal had been painstakingly negotiated by the previous government to move the base from its noisy and dangerous location in the middle of Futenma city to a location elsewhere on the island.

しかし鳩山氏はこの問題の蓋を開ける必要はなかった。事は前政権によって、この基地を騒音と危険をもたらす普天間の市街地から、島の別地域に移転するよう、苦慮を重ね交渉されていた。


 フィナンシャル・タイムズにしてみると、鳩山首相はこの問題に首を突っ込む必要はなかったのに、人気獲得のために公約し、そして墓穴を掘ったのだから、まったくもって本人の責任でしょうということだ。
 もちろん、フィナンシャル・タイムズは、そうするなと言いたいわけではない。

Mr Hatoyama was, of course, within his rights to jettison the deal – even though to do so risked souring Tokyo’s relations with Washington.

もちろん、鳩山氏にはちゃぶ台返しをする権利はあった。それがたとえ、日米関係を気まずくさせる危険性を持っていたとしてもだ。

But he nixed it without having a workable alternative.

しかし、彼は実現可能な代替案もなく前政権の経緯を否定した。


 フィナンシャル・タイムズが言うように、鳩山首相には普天間飛行場撤去問題になんら代替案は持っていなかった。
 同紙では指摘されていないが、鳩山首相は最初から常駐無き安保というファンタジーに冒されていたようで、沖縄県外移設の具体的な打診に汗をかいた形跡はない。そこが沖縄県民にとってもっとも不信に思えるところでもあった。
 この先でフィナンシャル・タイムズは重要な指摘をしている。

This leads on to the central charge against Mr Hatoyama. He failed to understand the nature of the US presence in Japan. Unlike the American bases in Germany, for instance, this is not a relic of the cold war. It is a counterweight to China in the Western Pacific and preserves a broader balance of forces in the region. Futenma may not be the keystone in this strategic architecture. But it should not be cast away for electoral plaudits.

この失態で責めの主役を担うのは鳩山氏である。彼は在日米軍の本質を理解し損ねた。比較するとわかるが、在独米軍とは異なり、在沖米軍は冷戦の名残ではない。太平洋西部における対中国の抑止力であり、この地域の軍事力の境界のバランスを取るためにある。普天間飛行場については、その戦略的な要所とまではいえないだろうが、選挙受けのために投げ捨ててよいものではない。


 フィナンシャル・タイムズはここで、意外に重要なことを二つ言っている。一つは在沖米軍は冷戦時代の残滓ではないということだ。これは在比米軍撤退で中国が海域を拡張したり、中国とヴェトナムで戦闘を起こしたことなどから考えても理解できる。
 もう一つは、在沖米軍が重要でもあるにもかかわらず、普天間飛行場については、この軍事戦略上、それほどまでに重要とはいえないという点だ。普天間飛行場はこの地域の米軍の戦略上のキーストーンではない。
 在沖海兵隊の存在理由は兵の訓練であって、特にヴェトナム戦争時以降、熱帯・亜熱帯のジャングル線の訓練場として重視されてきた。だが、現在の在沖海兵隊にはその点が以前ほど重視されているわけではない。7日付け朝日新聞記事「徳之島への移転、米側「訓練は可能」 実務者協議で伝達」(参照)で米側が伝えたように「ヘリコプター部隊の訓練を鹿児島県徳之島で行うことは可能」ではある。
 しかも、訓練駐留の在沖海兵隊が実動するためには、梅林宏道氏が「情報公開法でとらえた沖縄の米軍」(参照)で示したように、米軍佐世保基地の強襲揚陸艦を使わざるを得ない。しかも、1万2000人の在沖海兵隊のうちの速戦可能な地上戦闘部隊は1000名ほどと見られている。さらに普天間飛行場は嘉手納飛行場の四分の一以下の面積であり、常駐しているのは十数機の固定翼機と三十数機ほどヘリコプターだけであって、これの体制で行える戦略には限界がある。
 おそらく現行体制で想定される必要性は一種の小規模な奇襲戦のようなものであろう。関連して想起されるのは、2004年に遡るが「米国は台湾への軍事支援を強化してきている: 極東ブログ」(参照)で触れた当時の「ジェーンズ・ディフェンス・ウイークリー」の関連記事「The year to fear for Taiwan: 2006」(参照)だが、この記事では奇襲の主体は嘉手納米空軍であり、在日海兵隊については「Call in the US Marines?」として二次的な動きとして岩国に基地などを含めた作戦となっている。
 在沖海兵隊が台湾有事の作戦を持っていないということではない。2005年の読売新聞記事「在日米軍沖縄海兵隊 戦闘部隊は移転困難 米が伝達「中台有事の抑止力」」(2005.6.30)からはその一端が窺える。

 米政府が在日米軍基地再編協議などで、中国軍の特殊部隊が台湾を急襲する事態を「中台有事の現実的なシナリオ」と説明したうえ、「在沖縄海兵隊の戦闘部隊は、中台有事の抑止力として不可欠であり、削減や本土移転は困難だ」と伝えてきたことが29日、明らかになった。これを受け、日本政府は、在沖縄海兵隊について、戦闘部隊以外の後方支援部隊などの削減を求め、米側と協議している。
 外務省などによると、在沖縄海兵隊は約1万8000人で、その多くが戦闘部隊とされる。現在は約3000人がイラクに派遣されている。艦船やヘリコプターと一体となった「海兵空陸機動部隊」として即応態勢を取り、1日程度で台湾に展開する能力を持つという。
 米側の説明は今春、日米の外務・防衛当局の審議官級協議などで伝えられた。
 それによると、中台有事のシナリオとして、中国軍が特殊部隊だけを派遣して台湾の政権中枢を制圧し、親中政権を樹立して台湾を支配下に収めることを想定。親中政権が台湾全土を完全に掌握するまでの数日間に、在沖縄海兵隊を台湾に急派し、中国による支配の既成事実化を防ぐ必要があるとしている。数日以内に米軍を台湾に派遣できない場合、親中政権が支配力を強め、米軍派遣の機会を失う可能性が強いと見ているという。
 中国は、台湾に対する軍事的優位を確立するため、地対地の短距離弾道ミサイルやロシア製の最新鋭戦闘機を増強したり、大規模な上陸訓練を行ったりしている。ただ、こうした大規模な陸軍や空軍の軍事力を使う場合には、米国との本格的な戦争に発展するリスクが大きい。これに対し、特殊部隊を派遣するシナリオは、大規模な戦闘を避けることで米軍の対応を困難にし、短期間で台湾の実効支配を実現する狙いがあると、米側は分析しているという。

 即戦力として見れば、在沖海兵隊の三十数機ほどで済む話である。当初上がっていた嘉手納統合も無理ではない。
 ここで疑問が湧く。台湾奇襲のそのためにだけ、大規模な代替の新規飛行場が必要になるのだろうか?
 違うだろう。そうではなく、この数年の間に、新基地を前提に在沖海兵隊の意味づけが変化しているのでないだろうか。それを窺わせるのは昨年11月の東京新聞記事「日本有事の米作戦判明 『統合困難』一因か」(2009.11.19)である。

 日本が武力侵攻される事態を想定して、米軍が沖縄の米空軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)に航空機約八十機を追加し、また米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)に三百機のヘリコプターを追加配備する有事作戦計画を立てていることが分かった。普天間飛行場の移設問題をめぐる日米の閣僚級作業部会で、米側は統合案をあらためて拒否したが、その軍事的な背景が明らかになった。
 日米軍事筋によると、米空軍は日本有事に対応して戦力増強する計画を立案。嘉手納基地へは米本土からF16戦闘機、空中警戒管制機(AWACS)、空中給油機、輸送機など約八十機を追加配備する。
 現在、嘉手納基地には第十八航空団のF15戦闘機五十四機をはじめ、米海軍のP3C哨戒機など約百機が常駐するため、有事には倍増することになる。
 また米海兵隊は有事の際、普天間飛行場に兵士を空輸する大型ヘリコプターなど三百機を追加配備する。現在、同基地のヘリは約五十機のため、実に七倍に増える。
 空軍と比べ追加機数が多いのは「機体が損傷したり、故障しても修理せず、別の機体を使うとの説明を受けた」(同筋)としている。
 これらを嘉手納基地一カ所にまとめると、基地は航空機やヘリであふれかえる。米側は「離着陸時、戦闘機の最低速度とヘリの最高速度はともに百二十ノット(約二百二十キロ)と同じなので同居すると運用に支障が出る。沖縄にはふたつの航空基地が必要だ」と説明したという。
 米軍が想定した有事は、米軍と戦力が互角だった冷戦時の極東ソ連軍による武力攻撃事態だ。台湾有事や朝鮮半島有事でも、追加配備の重要性は変わらないとされる。
 そうした有事が起きる確度は極めて低いが、米軍は有事を主軸に基地使用を計画するという。

 「これらを嘉手納基地一カ所にまとめると」という点が重要だ。有事において「沖縄にはふたつの航空基地が必要だ」ということだ。
 見方を変えると、在沖海兵隊が関わるとはいえ、在沖海兵隊基地の地域的な特性よる即応態勢が重視されるというより、嘉手納空軍基地のいわばバックアップ体制が取れることが、新設基地に重要になるということだ。
 このことはある程度年配の沖縄県民なら現国道58号線が米軍統治下でHighway No.1あった時代を思い出すだろうし、このバックアップ体制については、普天間飛行場撤去問題に関連して名護に新設軍民共用空港の案としても出された経緯もある。那覇空港が自衛隊と共有されているのと似たイメージなり、新設米軍基地であるが同盟国としての立場が明確になる。
 話が込み入ってきたが、この大規模な有事体制は米軍内では想定されているものの、日本側でどのように対応するのか、安保条約上の位置づけはどのようになるのかわからない。日本国民にはほとんど知らされていないに等しい。今回の鳩山首相の辺野古移設容認によって、この問題が実質隠蔽化されるかもしれない。
 現状の在沖海兵隊普天間飛行場だけ考えれば、重要性はフィナンシャル・タイムズが喝破したようにさほど高いものでもなく、鳩山首相が常駐無き安保というファンタジーに冒されていなければ、今回の騒動は日本国民に有事のあり方と問いつつ、沖縄県民の負担を低減する機会となったはずだ。その機会は再び訪れるだろうか。また、有事体制について日本人が考慮する機会は来るだろうか。
 フィナンシャル・タイムズはそこまでは考えていない。5月末までに決着するという一国の首相たる約束を守れとするだけだ。

But as he promised to resolve the Okinawan base by the end of this month or quit, he must grit his teeth and press on.

ことがどうであれ、鳩山首相が今月末までに沖縄基地問題を解決すると約束したのだから、歯を食いしばってその断行にチバリヨ-。



Mr Hatoyama is learning on the job, and it is a painful process. If he is sustained by anything at the moment, it is that the opposition Liberal Democratic Party seems to be disintegrating. A more competitive political contest in Japan would force him to raise his game. That would be most welcome.

鳩山氏はようやく首相の職務を学びつつある。それは痛みを伴う仕事なのだ。もし現時点で彼を支えるものがあるとすれば、それは野党自民党がグダグダになっていることだ。日本により対立する野党があれば、戦わなくなくてはならないはずだ。そうなれば好ましいのだが。


 フィナンシャル・タイムズは野党の不在が、鳩山首相のグダグダ状態を許していると言う。確かな野党が日本にあるだろうか、そう称する政党は除外して。
 今年の首相は終わり、来年は誰だというのでは、大国日本としてはなさけない状態かもしれない。フィナンシャル・タイムズもそう考えているのだろう。民主党をきちんと立ち直させる野党が望まれるということだが、さて、その兆しを秋頃に見ることができるだろうか。

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2010.05.06

若いときにやってみるとその後の人生観が変わるかもしれない、多少些細な3つのこと

 若いときといっても、18歳くらいから28歳くらいまでかな。それより前やそれより後だと、ちょっと意味が違ってきそうなので。
 他の人もこの手の話を言っているかもしれないけど、あまり聞いたことがない。些細なことではあるし、人によっては人生になんの影響も与えないかもしれない。それと、簡単にできるとまでは言い難い。まあ、能書きはいいや。

1 車いすに乗って半日町を巡ってみる
 車いすを借りて、しかもサポートしてもらう人がもう一人か二人必要になる。私のお勧めとしては、二人で車いすを一台一日借りてきて午前午後と一日かけてみるといいと思う。交通機関を使うのも目的の一つみたいなものだから、半日で無理なく行ける行き先を決めるといいだろう。
 やってみると、驚きの連続だと思う。世界がまるで違って見える。そして、路上の小さな段差がどれだけ車いすを困らしているかもわかる。
 こういう体験学習、誰かすでに組織的にやっているだろうか。健常者が体験的にすると障害者からは「ふざけんな」と怒られてしまうだろうか。そのあたりはよくわからない。社会の人に迷惑をかけないようにするほうがよいには違いない。
 一度やってみると実際に車いすの人を補助することにも慣れる。あと、東京駅には車いすの人向けの地下通路みたいのがあるので、通ってみると都会の見方が変わる。

2 目をつぶって手を引いてもらって1時間くらい歩いてみる
 まったく見えない状態で町を歩いてみると驚きが多い。もちろん、一人で目をつぶって歩くわけにもいかないから、誰かに手を引いてもらうことになる。そこが少し難しい。目隠しとかすると、危ない人たちに見られるから、目立たないように濃い目のサングラスかなんかしたくらいがいい。
 町を歩くことは自動車や自転車もそうだけど、それだけでいろいろと危険が多い。目が見えないと、とても敏感になる。こんなにも危険に満ちているのかというのが、目をつぶっているとじんわりわかってくるし、率直にいうと、人によっては恐怖のパニックに襲われる。普通の人でも怖くて1時間が限度だと思う。だから、その意味ではあまんりおいそれと勧めることはできない。
 手を引いてもらう人には絶大な信頼を寄せることになる。信頼というのは、手のぬくもりなんだというのが、実感としてわかる。それがいいことなのかねと問い返されると、ちょっと困るけど。

3 男子だったら女装してみる、女子だったら男装してみる
 お変態のお勧めではないですよ。若い内に一度やってみると、その時もいろいろと思うことがあるし、その後、いろいろ思うことがあるようになる。どう思うかというのを、もうちょっと説明してもいいのだけど、やってみて、人生の中で思ってみたほうがいいと思うのでそれはそれだけ。
 これも一人ではできない。二人でもちょっと無理かな。ある程度洒落と理性を持ち合わせたグループ(実際にはその両方を兼ね合わせた人は少ないもんだけど)でやってみるといい。なので、夜かな。当然、仮装パーティみたいな明るいノリで。私もそうだったけど。
 そちらの世界に目覚めてしまうという、リスクもあるかもしれないけど、たぶん、それほどのことはないと思う(目覚めたから困るいうものでもないが)。
 服装に関しては、へぇ、異性の日常というのはこういうものかと思う。それ以前に、仕上がった姿を当然鏡で覗くわけだが、意外にも普通に見えるはずだ。下手なメイクでなければけっこう普通に異性がいる。
 男女の顔の差というのは、若い頃にはあまりない。老人になってもあまりないけど。性差が顔にくっきりしてしまうのは、30代から50代くらいではないかな。
 鏡に映った、異性に扮した自分の顔のなかにいろんな人が見える。異性を理解するということより、ヒトというもののなかに男女の様々な要素が含まれているのだと見ることは、奇妙だけど重要な発見になる。

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2010.05.05

鳩山さんが首相であり続けることが国家安全保障上の問題

 驚いた。鳩山首相にはまだまだ驚かされることがあるに違いない、動顛するなよ、と気を張っていたというか、逆に脱力し切って連休だし食い物ものことでも考えつつ見守っていたのだが、すごいことになった。瞼を閉じたのではないのに視界に鉄板のブラインドがずんと落ちてきて、日本の未来なんにも見えない状況に陥った。我ながら修行が足りない。
 何に驚いたか。普天間飛行場撤去問題を自民党案の修正に戻しますごめんなさい、ではない。そんなことは、昨年の政権交代選挙の一か月前に「民主党の沖縄問題の取り組みは自民党同様の失敗に終わるだろう: 極東ブログ」(参照)に予想していたことだ。沖縄県外移設をまともに探ぐってないツケでやっぱりダメでしたが徳之島に一部名目上の移設はしますから許してね、でもない。その手の論法は、「オバマ米大統領が民主党鳩山首相にガッカリしたのがよくわかった: 極東ブログ」(参照)でわかっていた。驚いたことは、この人、国家安全保障がまるでわかっていないのだということだ。こういう人を日本国民は日本国の長に就けちゃっただんだということだ。
 今朝の大手紙社説では日経だけがその片鱗に気がついていた。「首相は在日米軍の役割を明確に説け」(参照)より。


 やはりそうだったのか、と思わざるを得ない。就任当初、米海兵隊が沖縄に必ずしもいなければならないとは思っていなかった。鳩山由紀夫首相はそう認めたのである。
 首相は就任して以来、初めて、沖縄県に入り、米軍普天間基地の移設への協力を要請した。その後の記者団への発言である。
 普天間をめぐる8カ月近くの迷走を招いたのは、この問題を軽く扱った首相の認識の甘さだ。沖縄の米海兵隊が何のためにいるのか。回り道をしてようやく、そんな基本的なことに気づいたとすれば、お粗末というほかない。

 民主党小沢幹事長も民主党が政権与党になる前に日本に在日米軍は要らない、在日米軍ではない第七艦隊だけでよいとぶち上げたことがあるし、連立与党の社民党の党是は言うまでもない。が、民主党が政権与党となり、日米同盟を担う主体となっても、鳩山さんの頭の中は安易な常時駐留なき安保のままだったのだ。常時駐留なき安保にどれだけの日本の負担が必要かとか考えたこともない人には、どうしようもないファンタジーであることがわからない。
 日経新聞社説も、鳩山首相「就任当初」として、きちんと限定して描いているが、昨日の鳩山首相の言動の経緯をみると、就任当初でその認識が終わっていたとはとうて思えない。しまった。私は鳩山さんを甘く見ていた。
 昨年12月の会見を私は鵜呑みにしていた。2009年12月16日付け朝日新聞「常時駐留なき安保は「封印」 鳩山首相」(参照)より。

 鳩山由紀夫首相は16日、在日米軍の整理・縮小をめざした「常時駐留なき安保」について、「かつてそういう思いを持っていた。総理という立場になった中、その考え方は今、封印しないといけない」と語った。首相官邸で記者団の質問に語った。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設をめぐる対応と持論とは無関係と強調したかったとみられる。

 やられた。封印を真に受けてしまっていた。ここまでの沖縄問題迷走の経緯を顧みると、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設をめぐる対応と持論とは無関係」どころではなかったのだ。記事はこう続く。

 一方、首相は「日本の将来、相当長期的な50年100年という中で、他国の軍隊が居続けることが果たして適当かどうかということは当然ある」とも述べ、問題意識は持ち続けていることも明らかにした。

 その問題意識とやらのままで普天間飛行場撤去問題を考えていたから、ここまで迷走できたのだ。つまり、「常時駐留なき安保」論を軸にこの問題を鳩山首相は考えていたとみると、この間の迷走が理解しやすい。そうだったのか。なんで本人から率先して沖縄県外移設に手を染めないのかとやや疑問に思っていたが、最初からその気はなく、国内移転は念頭になかったのだ。
 昨日は鳩山首相自身が考えの浅薄さを認めた。朝日新聞「「公約は選挙の時の党の考え方」4日の鳩山首相」(参照)より。

 ――抑止力、日米同盟の重要性を話したが、それは去年の時点ではそのような認識が浅かったと言うことか。県民への十分な説明になっているか。

 「あの、私は海兵隊というものの存在が、果たして直接的な抑止力にどこまでなっているのかということに関して、その当時、海兵隊の存在というもの、そのものを取り上げれば、必ずしも、抑止力として沖縄に、存在しなければならない理由にはならないと思っていました。ただ、このことを学べば学ぶにつけて、やはりパッケージとして、すなわち海兵隊のみならず、沖縄に存在している米軍の存在全体の中での海兵隊の役割というものを考えたときに、それがすべて連携をしていると。その中での、抑止力というものが維持できるんだという思いに至ったところでございます。それを浅かったと言われれば、あるいはその通りかも知れませんが、海兵隊に対する、その存在のトータルとしての連携の中での重要性というものを考えたときに、すべてを外に、県外、あるいは国外に出すという結論には、私の中でならなかったと言うことであります」


 こんな浅薄な人をまがりなにも大国日本の長に就けるべきではなかったなとは思うが、それでもここで考えを改めるならしかたないだろうとも思った。つまり、このくらいまでは鳩山さんがやりそうなことだとは思った。そしてそういう考えもきちんと順序立てて展開していくならわからないでもない。私の視界がブラックアウトしたのはこの先だ。
 読売新聞以外のソースでは確認できないので飛ばしなのかもしれないが、読売新聞記事「首相、沖縄負担軽減で米の理解度疑問視?発言」(参照)がそれだ。

 鳩山首相は沖縄県宜野湾市で開いた4日の住民との対話集会で、沖縄の基地負担の軽減について、「オバマ大統領として、あるいは米国がどこまで理解しているか、まだ判断がつかない」と発言した。
 「『沖縄の負担を軽減させるために協力してもらいたい』と(米側に)言ってきた」と強調した後に飛び出した。米側の沖縄に対する取り組みに疑念を呈したとも受け取られかねず、今後波紋を呼ぶ可能性がある。

 この人、気は確かか。
 自民党案の劣化修正版の辺野古移設案を持ち出したのは、米側との打診なりで行けそうだという判断の上で沖縄県民に飲んでもらうとしたわけではないようだ。鳩山さんの、またしても勝手な思い込みの「トラスト・ミー(僕を信じてよ)」を今度は沖縄県民に相手やってのけただけなのだ。相手のことは何も考えていない。
 しかも国家安全保障に関わる問題を、妄想と言ってもよいのではないか、個人的な思いで突っ走っている。こうした国家指導者の言動が国家安全保障にどういう帰結をもたらすかということが、この人の頭の中にはまるでない。ブラックアウト。
 端的に言うが、鳩山首相のごめんなさい案でもだめなのはもう明白である。米側は同盟国日本を慮ってそれなりの体裁は整えてくれるかもしれない。つまり、名目上の徳之島移転のパフォーマンスくらいはしてくれるかもしれない。が、実質的に徳之島案はダメだというメッセージはすでに出ている。
 辺野古移設案はどうかというと、これも米側が飲む可能性はゼロではないが、きちんと地元を説得し環境アセスメントを地味に重ねてきた自民党案に比べると、その点では愚劣きわまる代物だ。鳩山案と見られる、米軍キャンプ・シュワブ沖合の浅瀬に杭を打つ桟橋方式(QIP方式)で滑走路を造る「浅瀬案」だが、これは環境を配慮したかのように鳩山首相は吹きまくっているが、環境を配慮するというなら、埋め立て案と比較し、以前廃案にされた経緯や運用面での再評価をするはずだが、それがない。
 ないのは当然で、QIPが出てきたのは、これなら沖縄県知事の認可を必要としないからだ。民主党田村耕太郎議員がぽろりと本音を漏らしているが(参照・YouTube)「最初から聞くから間違いだった」という脅しがきくからである。杭打ち桟橋方式で行くということは、国が沖縄県に頭ごなしで、戦前の日本のようにやりますよという宣言なのだ。多少なりからくりが読める沖縄県民がどう思うかは言うまでもない。
 この問題は仲井真沖縄知事の立場に立つとさらに明瞭になる。仲井真知事は当初は自民党案の辺野古移設に基本的に賛成の立場でいた。前提は、島袋吉和前名護市長もこれまでの経緯を踏まえ条件付きではあるが辺野古移設を認めていたと見られるからだ。だから、仲井真知事は名護市長選挙前に「名護市が受け入れてを表明している間にきちっと移設した方が現実的だということで私は県内移設やむなしという考えだ」(参照)という見解を出していた。
 辺野古移設反対派が名護市長となれば、いくら名護市辺野古沿岸部の公有水面埋め立ての許可権限が県知事にあり、名護市長が反対でも法律上建設は可能だとしても、沖縄県民の感情を考慮すれば名護市長に頭ごなしにはできない。それをすれば過去の経緯を見ても、県知事のほうが吹っ飛ぶことになる。実際、沖縄県知事選はこの秋に迫っており、反対派の稲嶺名護市長が選出された以上、仲井真知事は、いくら鳩山首相のごめんなさい辺野古移設案であっても、もう身動きは取れない。
 このこと、つまり辺野古移設案に落ち着くくらいなら、名護市長選挙前に手を打たなければならなかった。民主党内でもある程度はわかっていたことだった。だから今年1月に名護市長選挙が行われる前の昨年年内中に決断しなければならないという話の流れにしていた。マスコミ報道ではいかにも米側が期限を急かしたかようだが、米側としてはむしろ民主党を配慮して悪役を買って出たふうでもあった。
 さらに、政権交代後間を置かないという期限を切ることで、マニフェスト違反となっても、自民党政権がしたことだし、相手のある外交上の約束として時間が足りず動かせなかった、と言い訳する予定でもあった。いわゆる怪獣「ジミンガー」に三分間限定で蹴りまくりスペシウム光線を充てて済ませるはずだった。
 鳩山首相もこのころは、普天間の問題でマニフェストを変更することはやむを得ないかという問いに、「公約が時間というファクターで変化する可能性は否定しない」と面白いことを語り、ウルトラマンのかぶり物くらいはこなせそうには見えた。だが、「米国には早く結論を出してもらいたいとの思いはあるだろうが、日本には日本の事情がある。名護市長選と沖縄県知事選の中間くらいで、結論が必要になってくる」(NHK10月17日)とまで語り、今日の迷走のグランドデザインを描き出した。
 なぜ鳩山首相は、普天間飛行場の撤去問題を先延ばししたのだろうか。クルクルパワーが炸裂したからだろうか。私は、昨日はっと思ったのだが、このころまできちんと鳩山首相の頭には「常時駐留なき安保」があったからではないか。だから、辺野古移設反対派の名護市長を立たせて、それを援軍にして、自民党案を支持する米国と沖縄県を押し切ろうとしていたのではないか。意外ときちんとオペレーションズ・リサーチの計算をしていたのかもしれない。ただ、残念ながら、政治家としては無能だったからこの結果になった。そしてその無能は国家安全保障上の問題を惹起してしまった。
 結局は、私がブラックアウトした「オバマ大統領として、あるいは米国がどこまで理解しているか、まだ判断がつかない」発言を再考すると、さすがに辺野古移設しかないということになったが、このあたりもまだ変だ。もしかすると、QIP+徳之島案を米国に飲ませようとして大芝居を打ったのではないか。昨日の「3000円のかりゆしウエアを着て沖縄問題を考えよう」日帰り沖縄旅行の真相はオペレーションズ・リサーチの再計算ではないか。しかし、だめだろ、それ。
 今後はどうなるか。
 鳩山首相は昨日のごめんなさいの後に尻を出して、でも公約違反じゃないと言ってのけていた。ああ、この人、またかの類だ。朝日新聞社「「公約は選挙の時の党の考え方」4日の鳩山首相」(参照)またYouTube(参照)より。

【公約違反の責任】
 ――(最低でも県外という)公約を覆したことの政治責任はどう考えるか。
 「公約、という言い方はあれです。私は、公約というのは選挙の時の党の考え方ということになります。党としては、という発言ではなくて、私自身の代表としての発言ということであります。その自分の発言の重みというものは感じております。ただ、やはり、今、先ほどから申し上げておりますように、普天間の危険性の除去と、それから沖縄の負担の軽減というものをパッケージで考えていくときに、どうしても一部ご負担をお願いせざるを得ないというところ、これからもしっかりと皆さん方との意見交換の中で模索をして、解決をして参りたいと思っています」

 ダウト。
 今回のマニフェスト上は明記されなかったが、マニフェストの各論である沖縄ビジョンでは明記されている。2008年の「民主党・沖縄ビジョン」(参照・PDF)より。

民主党は、日米安保条約を日本の安全保障政策の基軸としつつ、日米の役割分担の見地から米軍再編の中で在沖海兵隊基地の県外への機能分散をまず模索し、戦略環境の変化を踏まえて、国外への移転を目指す


3) 普天間米軍基地返還アクション・プログラムの策定
普天間基地の辺野古移設は、環境影響評価が始まったものの、こう着状態にある。米軍再編を契機として、普天間基地の移転についても、県外移転の道を引き続き模索すべきである。言うまでもなく、戦略環境の変化を踏まえて、国外移転を目指す。
 普天間基地は、2004 年8 月の米海兵隊ヘリコプター墜落事故から4 年を経た今日でも、F18 戦闘機の度重なる飛来や深夜まで続くヘリの住宅上空での旋回飛行訓練が行われている。また、米国本土の飛行場運用基準(AICUZ)においてクリアゾーン(利用禁止区域)とされている位置に小学校・児童センター・ガソリンスタンド・住宅地が位置しており、人身事故の危険と背中合わせの状態が続いている。
 現状の具体的な危険を除去しながら、普天間基地の速やかな閉鎖を実現するため、負担を一つ一つ軽減する努力を継続していくことが重要である。民主党は、2004 年9 月の「普天間米軍基地の返還問題と在日米軍基地問題に対する考え」において、普天間基地の即時使用停止等を掲げた「普天間米軍基地返還アクション・プログラム」策定を提唱した。地元の住民・自治体の意思を十分に尊重し、過重な基地負担を軽減するため、徹底的な話合いを尽くしていく。

 沖縄に新基地を作成するというのなら、民主党の公約違反であろう。
 そして鳩山首相自身が「自分の発言の重み」と理解されているなら、辞任されるのが筋だろう。さらに、かつて自民党が首相のすげ替えをしてきたことに解散を求めてきた民主党のことだから、これで解散、衆院選挙をすべきだろう。しかもことは、郵政国営化や高速道路重税化といった各論ではなく、国家安全保障上の問題である。実際、隣国で戦争が勃発してもなんら不思議ではない状況になっている。この政権では国民が困る。幸い、国民もこの政権への期待は薄くなってきており、突然政権が空中分解してももう驚くほどのことはない。
 米国としてはもう鳩山政権の手の内はわかっていて、しばらく匙を投げるつもりでいる。普天間飛行場撤去は沖縄県民の悲願ではあるが、米国にしてみれば理解はしつつも他の選択はないし、元から損するリスクはない。問題の期限を切ったのは米国ではない。外交・軍事に関わる問題は安定政権や相手国の安全保障に定見ができてからでないと難しいから、少なくとも参院選後までは礼儀正しく沈黙を守るだろう。
 沖縄の今後どうか。米国とほぼ同じだ。夏の参院選と秋の沖縄県知事選が終わるまで対応を先延ばしにする他はない。鳩山首相から昨日示された案もただ、辺野古移設になるというくらいで実際のところなんら現実性はない。仲井真知事はすでに名護市長選挙で鳩山首相に梯子をはずされた手痛い経験もある。沖縄県側は迷走する日本政府の頭越しに米国との対話も進めてもいるようだ。5日付け「現行案視野に結論先送り=沖縄知事が米総領事に-選挙後の秋まで・普天間移設」(参照)より。

 外交筋によると、仲井真知事は3月18日、グリーン総領事と協議。この中で、普天間問題をめぐる日本政府の調整力に不信感を示し、「最終決定を秋の沖縄県知事選後に先送りする方向で打開策を模索するのが最善」との見方を示した。 
 また、政府が検討中の米軍ホワイトビーチ(うるま市)沖合への移設を提案するには、技術的な調査に「何カ月もかかる」と指摘。調査を理由に県知事選後まで決定を棚上げすることで、政治的混迷に冷却期間を置くことも可能だと説明した。
 その上で、9月に予定される名護市議選を含む一連の選挙が終了すれば、現行計画反対の立場で当選した稲嶺進名護市長を説得する時間も生まれるとの見解を伝えたという。同知事の意見はワシントンに報告された。

 実際、今後の展開はどうなるかは見えない。
 鳩山首相のこれまでの経緯を見れば、辞任して責任を取るという普通の人なら持ちそうな倫理の発想すらないだろうし、社民党も重大な決意をすることなく政権与党にしがみつきたいようだ。メディアとしてもこの話題にひとまず区切りをつけたことにして、上海万博でのにこやかな鳩山首相を映し出すのかもしれない。かくして日本の国家安全保障はじりじりと危うくなる。と、ここまで書いて、ようやく瞼の向こうにうっすら光景が見えるように思う。何が見えるかは書かないとしても。
 全体の流れからすれば、参院選では民主党は苦戦するだろう。それが普天間飛行場の撤去の問題にどう反映するか。今となっては鳩山政権が機能移転の名目で普天間飛行場の固定化する最悪の事態を、なんとか回避するくらいしか希望はないかもしれない。

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2010.05.04

進化論的に見て人間は何を食べるべきか

 ダイエットには流行がある。その理由は、各種のダイエットがすべてヨーヨー・ダイエットを基本にしているからだと私は考えている。ヨーヨー・ダイエット? ヨーヨー遊びを思い描こう。円盤が手元から離れたり近づいたりする。それを繰り返す。同じように痩せたり太ったりを繰り返す。新種のダイエットをすると一時的に痩せる。そして戻る。だからまた新種のダイエットが必要になる。ヨーヨー・ダイエットだ。今度は何?

cover
The Paleo Diet
 「パレオ・ダイエット(The Paleo Diet)」(参照)かもしれない。パレオは、Paleolithic era(旧石器時代)の略語だ。石を削った石器を人類が使い始めてから農耕を開始するまでの時代。年代的には200万年前から8000年前くらいまで。要するに人類を人類たらしめる道具の使用開始から農業を営むまでの時代だ。非農業的な狩猟採集の時代でもあるし、人類が人類の身体を内蔵をの仕組みを含め、進化的に確立した時代でもある。
 別の言い方をしてみよう。人間が農産物を食うようになったのはたかだが8000年前。人間の身体の進化から見ればごく最近のこと。だから、人間の身体とくに内蔵は農産物を食うのにまだ適した進化をしていないんじゃないか? だから、人間らしい食い物というのは旧石器時代の食い物なんじゃないか。生肉とか。
 2月9日のAFP「ランチは生肉!「原始人ダイエット」にはまるニューヨーカーの日常」(参照)にこのネタがあった。

ウェブサイト管理で生計を立てるニューヨーカー、ブラッド・アベルブフ(Vlad Averbukh)さん(29)のランチタイムにフォークは不要だが、ナプキンは欠かせない。その理由は「血がしたたる」かもしれないからだ。


 ハドソン川(Hudson River)のほとりの公園で、本1冊分もの大きさにカットされた生の牛肉をほおばりながら、アベルブフさんは自分たち「原始人ダイエット」の実践者がいかに人類の時計の針を旧石器時代(パレオリシック・エラ)にまで巻き戻そうとしているかを説明する。「理論的には1万年前の祖先が食べていたのと同じものだけを食べよう、ってことだ。森の中で棒切れ1本で手に入るもの、っていうことだね」

 ネタだろそれ。生肉っていうけど家畜の肉は旧石器時代にはない。
 この変なダイエットはすでに米国である程度定着している。同書が出版されたのは2001年。概ね10年経過している。その間日本で話題になったか? あまりなさそう。
 それにしても生肉か、毎日タルタルステーキに馬刺しか。いや、実際のパレオ・ダイエットでは、農耕文明の基本である穀物を避け、さらに文明的な加工食品を避け、砂糖や塩を避けるくらい。そして肉や魚、果実をナッツなどを食べるということだ。あれ? なんか似たのあったよね。アトキンズ・ダイエットだ。日本では創始者の名前を避けるべく低インシュリンダイエットとか改名されたが、つまり、そういうこと。
 アトキンズ・ダイエットは正しいか。このダイエットはけっこう歴史があるのでいろいろ調べられている。あまりお勧めはできないが正しい面もある。精錬された穀物の食事はインスリンを上げやすく、人間の身体に負荷をかけやすい。というか、しいていうと人を快感に興奮させやすいのではないか。肯定的に考えるなら、糖質の消化速度を遅くするような食事が人間の身体に向いているとは言えそうだ。
 人間の身体に何が正しい食事か?
 これは食事法とかでよく議論されるお定まりのテーマだ。マクロバイオティックスなどでもこの手の話題が多い。いわく、人間の歯の構成を見よ。なにを食うようにできているか、と。そしてへんてこな議論が始まるがおそらく答えは、雑食。また、マクロバイオティックスはパレオ・ダイエットと対極的に穀物食が基本だが、いわくそれが人類の進歩の過程を意味しているというのだ。だから果実は食うなとも言う。まさかね。逆でしょ。
 かくして私もこの愚問をいろいろ問い詰めてみた。結果、私は四つの原理を考えた。FVDM(finalvnet's Diet Method)である。みんなも信奉するように(冗談)。

1 人間は飢餓耐久生物であるので食習慣は自己条件付け学習が重要
 旧石器時代が人間進化に強く影響したのは、飢餓耐久性である。人間はなかなか食えないのが常態である。そのために心理的には飢餓が恐怖、食事が快楽にセットされた。身体的にはエネルギーが備蓄できるように効率よく脂肪化するようになった。農耕時代とはおそらく飢餓と食の快楽を王権が配分する仕組みではないか。
 ということで、基本的に人間精神の根幹には飢餓を基本とした恐怖回避と快楽志向があるので、それを表層意識化させないように自己学習することが重要になる。単純にいえば、定期的な食習慣と過食阻止をいかに条件付け学習するかが重要になる。レコーディング・ダイエットも要するにこれ。

2 サル時代の特性から果実は抗酸化物質として必須
 旧石器時代以前の人間、というか、サル時代の特徴は、フルーツ・イーターであること。人間の原型は果実を食うサルであり、果実を食うことで身体を最適化してしまった。栄養学的には果実はミネラル補給の点で重視される。それ以外にサル時代の名残として人間は身体各所に抗酸化物質として果実や野菜の色素を溜め込むようにできている。典型的なのが目の中心部の黄斑。

3 人間の食事の大半は脳のためにある
 旧石器時代期間の人間の身体変化で他の生物と分けるもっとも大きな差違は、脳の巨大化であり、脳がかなりのエネルギーと調整物質を必要とすることになったことだ。まず、エネルギーの基本はブドウ糖である。ブドウ糖の欠如状態は脳の十全な機能を損なわせる。次に、脳が何でできているか、どのように機能しているかと考えると、それが脂肪の塊であり、脂肪酸を介した酸化反応であることがことがわかる。特にn-3系の脂肪酸が重要な働きをしているほか、アミノ酸も機能上重要な役割を持っている。単純に食として見れば、脂肪酸やタンパク質源の多様化として各種の魚を定量食うほうがよいだろう。

4 人間の食は腸内細菌との共生のためにもある

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免疫と腸内細菌
上野川 修一
 すべての生物についているが、生物は適者生存として進化してきているもの、その内実にはかなり込み入った共生の関係を結んでおり、人間の食も腸内細菌との共生から成立している。腸内細菌はビタミンB6、B12なども作り出すのでこの共生関係が保たれているなら、ビタミンの必須性の定義と矛盾するようだが、別途単独の摂取がなくても人間身体には摂取される。この他、腸内細菌は人間個人の免疫の機構と深い関わりがある。単純な話、便の半分の量は腸内細菌の死骸である。
 ここで食との関係というとプロバイオティクスからヨーグルトや発酵食品といったことになりがちだが、腸内細菌の生息は概ね宿主の免疫が管理しているので、食事といった外部の要素だけからは決定できない。また、いわゆる善玉菌がよく悪玉菌が悪いというわかりやすい議論でもない。
 ではなにか? 共生とは対話の歴史であるので、自分の食事と腸内細菌の反応の歴史を自覚するしかない。快便から食の構成をフィードバックしていくとよいのだろうが、精神状況も影響するのでそう簡単にはいかないかもしれない。

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2010.05.03

マクロバイオティックス

 マクロバイオティックス? 日本ではマクロビオティックと呼ばれる。そのほうが正確なんだろう。創始者の桜沢如一氏はフランス生活の経験もありフランス語も堪能で、初期の信奉者もフランスに多い。おフランス風にジョルジュ・オーサワとも呼ばれていたくらいだから、マクロビオティックもフランス語読みなのではないか。綴りは、Macrobioticで、英語だとMacrobioticsと複数形になる。ちなみに彼の名前「桜沢如一」は正式には「さくらざわ・ゆきかず」と読むのだろうが、自身も「オーサワ」を認めたようだし西洋では「ジョージ」で通したのだから、「おうさわじょいち」でよいのではないか。
 マクロバイオティックスについてはいろいろ語られている。簡単に言えば、独自の食事法である。雑駁に言えば、菜食主義の一種である。いろいろ言いたい人が多い世界でもあり、実践していない人もいろいろ言っている。
 だが、それらの大半は誤解なんだろうと、厳格には半年くらいしか実践していない私自身は思っている。それら、って何んだよということだが、つまりマクロバイオティックスを食事法として理解ちゃうことだ。違うと思う。
 私はけっこう桜沢如一氏の原典を比較的多数読んだが、彼の思想の根幹は食事法でも食餌療法でもないと理解した。彼の主張は、簡素で健康になる食事法を学んだら、日本国民は世界に出て活躍しなさいというものだった。貧しい者でも、この食事法ならカネをかけず健康になり聡明になるのだから、と。食事法は彼の思想のごく基礎論でしかなかった。基礎こそ大切という考えもあるだろうが、逆に世界に羽ばたく日本人が多く育成できればむしろ、桜沢氏の理念にかなうものだった。この食事法の文脈でよく言われる身土不二(現地のものを食べなさい)というのも、日本人が世界各国に飛び出したら日本食材にこだわるなという意味である。
 桜沢自身氏の国際的な活動は戦前からだった。昭和4年(1929年)36歳でフランスに渡り、昭和10年(1935年)に帰国。フランスではフランス語で自著も出している。新渡戸稲造なんかに近い気風の人かもしれない。渡仏ということでは三歳年下の芹沢光治良にも似ている。調べてみると、芹沢がソルボンヌで学んだのは1925年から29年。桜沢がソルボンヌで学んだのはちょうどその後になる。
 帰国後は食事法の食養会活動をし、その縁で昭和13年(1938年)、夫人となる桜沢里真氏と結婚。両者ともに初婚ではなかったようと記憶するが資料は手元にない。如一45歳、里真39歳。晩婚でもあり子供はない。夫人のつてで桜沢は戦中は山梨に疎開していたらしいが、その時代医師法違反やスパイ容疑で逮捕・拘留などもあったらしい。顧みると、桜沢については正確な評伝がないように思う。
 戦後彼は世界政府活動を始め、昭和28年(1953年)には10年間の「世界無線武者旅行」なるものを企て、60歳にしてまた世界に飛び出す。日本人はなんであんな世界の端にへばりついているのだ、といった発言もあったように記憶している。実際70歳になるまで世界を飛び回っていた。まずは、インドやアフリカで飢えや病に苦しむ人を彼の食事法で救おうというのである。
 度肝を抜く人でもあった。自分の食事法でアフリカの諸病が救済できるという信念でガボン、ランバレネのシュバイツァー博士を訪問し、同地に滞在し、人体実験として自ら熱帯性潰瘍にかかり、マクロバイオティックスの食事法で治療した。シュバイツァー博士にその成果を説明したが、もちろんと言うべきだろう、正式な医師でもあった博士は納得するわけもない。私はそのアフリカ記を読んだことがある。壮絶なものだった。いかにして治療したか? 塩をそのままオブラートで飲み込むようなことをやっていた。なぜ? 彼には彼の理論があった。私には理解できない理論だったが。
 死んだのは1966年。念願の「世界精神文化オリンピック」を日本で開催した直後だった。72歳だった。それで長寿と言えるかと疑問の声もある。死因は卒中だと思っていたが、ウィキペディアを見ると心筋梗塞とある。死に至ったのは低タンパク質と塩分過多の食事のせいではないかなと私などは思うが、単に寿命ということかもしれない。マクロバイオティックスは、マクロ(大きな)とバイオ(命)ということでよく長寿と解されるが、桜沢にしてみれば、「大きな人生」であっただろう。実際それを演じて見せたということでは、まさにマクロバイオティックスな人生であった。
 私などは人間70歳まで生きたらいいじゃないかというくらいの考えしかないが、長寿を願ってマクロバイオティックスにいそしむ人にとってこの最期はどうであったか。その疑問をある意味で終息させたのが、里真夫人のその後の活動であった。1899年生まれの彼女が亡くなったのは、1999年。100歳だった。執念のようなものを感じないでもないが、温和で慕われる偉大なるゴッドマザーであり、彼女も自らの人生をもって長寿という意味でのマクロバイオティックスを証明した。もちろん、医学的にも栄養学的にも証明にはならないが。
 マクロバイオティックスが米国で広まったのは、桜沢氏の弟子久司道夫氏の活動による。ジョン・レノンとオノ・ヨーコも久司氏の指導のもとでマクロバイオティックスの菜食をしていた。日本で、私がマクロバイオティックスに関心を持ったころ、指導的な立場にあったのは、里真夫人は別格として、大森英桜氏であった。桜沢如一氏の独自の陰陽理論をさらに精緻に数例術に仕上げていた。姓名判断などもされていたし、景気変動も論じていた(けっこう当たった)。桜沢氏の国際的な側面は久司氏に、陰陽理論の側面は大森氏に分かれたかのようだが、彼らの名声を支えたのはどちらもその独自の治療経験にあったようだ。彼らに命を救われたという経験を持った人々は彼らを支えた。私はそういう経験はないが、菜食が定常的になると、晩年の河口慧海が俗人が生臭く感じられた気持ちも少しわかるようになった。
 じゃあ、なんでマクロバイオティックスなんかやったの? 信じてやっていたんじゃないの? そう誤解されても仕方ないが、私はまったく別の関心だった。キュイジーヌが面白いのである。
 なんとなく菜食を始めたころだが、ヴェジテリアンはどうしてもそれなりの調理技術が必要になる。もちろん、栄養学的な知識も必要だ。率直にいうけど、栄養学的な基礎知識がない人が、マクロバイオティックスを鵜呑みにしてしまうのは場合によっては危険かと思う。よく言われるのがヴェジテリアンはビタミンB12不足になりがちだというのがある。B12は腸内細菌が合成できるが、消化器官の弱っているヴェジタリアンや幼児で不足が起きると貧血を含め深刻な問題を起こすことがある。B12は海草類から取れるが、海草から摂取できるB12については健康維持に十分かどうかは確立されていないので(参照)、サプリメントなどを併用したほうがよいだろう。

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マクロビオティック料理
 久司氏の系統のキュジーヌはおしゃれだった。説明すると長くなりそうなので省くがセヴンスデー・アドヴェンティスト、日本では三育の系統の食事とかぶるものが多い。いかにも米国風のヴェジテリアン料理もできる。
 日本では食養会の系統を持つ食品なども面白かった。日本は戦前・戦中、発酵食品の製造を簡素化したのだが、この系統の人たちは古い製法を守っていて味噌や醤油はなるほどということが多かった。梅干しもきちんと作っていた。食材には、ひろすけ童話を思わせる栃の実とかもあった。美味しかった。さらにマクロバイオティックスの日本的な展開には伝統的な精進料理の系統の料理技法も含まれていることもある。こうした系統からだけ見ると、マクロバイオティックスは和食の伝統を生かした料理とか、日本古来の食の知恵とかに誤解されがちだ。
 マクロバイオティックスのキュジーヌの点でもっとも独自なのが、里真夫人によるものだった。そして、おそらく最も桜沢氏の考えに近いオーソドックスなものでもあるだろう。彼ら夫妻が戦後世界各国を巡ったその地の庶民の食材や調理が反映しているのである。まさにグローバル料理である。その集大成ともいえるのが桜沢里真著「マクロビオティック料理」(参照)である。簡素に記載され、写真も白黒で少なく現代の視点から見るとたわいないかもしれない。初版は1971年に出た。桜沢如一氏が死んで5年という時代を感じさせる。明治天皇の御製も引用されているが特段に天皇主義者ということではない。時代というだけのことだ。

 この度の新食養料理は故桜沢とともに欧州に十四、五年、その間米国を四、五回訪問して研究したのですが、その国々での産物や、それぞれの嗜好等を考えて作ったものであって、主として、私のつたない創作料理であって食養的に作ったものばかりです。

 マクロバイオティックスの言うところの病人向けには適さない料理もあるとこのことだが、実際にレシピを見てみると、ヴェジテリアンのようにも思われるマクロバイオティックスだが魚料理も含まれている。
 マクロバイオティックスの料理の調理人にはある種独自の達人のような人がいて、その料理の味わいには精神的な畏れのようなものを感させる何かがある。幸いにして、そんなものに出会うことはほとんどない。そういうものに出会うことがなければ、マクロバイオティックスって変わった考えの人たちの作った料理で過ぎてしまうものだろう。

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2010.05.02

リーゾ!

 ご飯はミルキークイーンしか食ってないんだと言うと、なんだそれと問い返される多かったが、一度、美味しんぼと同じだねと言われたことがある。そういう話があるらしい。あの漫画、初回から5年くらいは読んでいた。だから山岡さんは私より一つ年上だというのも知っている。読まなくなって久しい。
 私の定番のお米の銘柄はミルキークイーン。この10年間ずっと変わらない。こればかり食べているせいか、他の銘柄のご飯を食べるとパサッとしてちょっと違和感がある。ミルキークイーンが一番美味しいお米だと言いたいわけではなく、自分には食べやすいというくらい。冷や飯にしても、冷凍しといたのをレンジ再加熱してもそれなりに美味しいのがミルキークイーンの特徴だ。
 ミルキークイーンを食べるようになったのは、沖縄暮らしでニッセン通販を使っているとき、お勧め特集にあったのがきっかけだった。10年以上前になる。よく覚えていないが珍しいお米らしい。珍しいと聞くと私は中国人みたいに関心をついもってしまう。買ってみた。炊いてみて驚いた。炊きあがりの香りがよく、餅米ではないが餅米のようにもちっとして、米自体もうまい。ご飯だけ食ったほうが美味しいんじゃないかとも思えたほどだった。
 ミルキークイーンはしばらくその通販で買っていたが、ニッセンが食品販売試行をやめてしまった。さてどうしたものかと探し、農家からしばらく直接買っていた。当時は、ミルキークイーンはあまり流通してなかったみたいだ。その後、スーパーでもちらほらと見かけるようになった。他の通販でも買えるようになった。最近だとだいぶ安くなったし、それほど珍しいということもなくなった。
 ところで、私はご飯が好きではない。ミルキークイーンを選んで食べていてご飯が好きではないはないだろ、という感じもするが、正直なところだ。ご飯は一日一食、お茶碗に一杯食べればもう十分。子供の頃からおかわりとかしたことない。丼飯も大盛りだと途中からつらくなる。ご飯が三食続くとうんざりしてしまう。一、二週間ご飯をまるで食べないこともある。なんともない。
 海外旅行で数日すると、白いご飯が食べたいと言い出す人がいるが、私はそんなこと思ったこともない。一人暮らしを初めたとき、何が一番嬉しかったかというと、家の食事から解放されたことだ。ご飯を義務的に食べなくてもいいんだとほっとした。
 ちなみに、一人暮らしを始めた頃もう一つ嬉しかったことは、これで肉食をしなくていいんだということだった。私は生き物を殺して食うというのが、大人になっても違和感があり、いっそヴェジタリアンになりたいものだと思っていた。それが高じてマクロバイオティックスとかやり出した。不思議なもので、ご飯嫌いが玄米食になっちゃったのである。雑穀もよく食べた。とはいえ、厳格なマクロバイオティックスのピーク半年くらいだったか。

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Chicken Soup with Rice
 いろいろわけあってしだいに肉食に戻った。ある程度戻ると反動なのか、まだ30歳台前半であるし、台湾料理やフランス料理で内臓料理とかガツガツ食うようになった。そのあと沖縄に行ったので当地の内臓料理なんかも別段違和感もなかった。中身汁、ソーキ汁、山羊汁、てびちのおでん、ミミガーさしみ、ヤギ刺身、OK・OK・OK牧場。多少珍しいタイプのナイチャーに見えたらしい。
 玄米食からの離脱と肉食回帰で、またご飯は苦手に戻ってしまった。そしてどこがどうなったのか、ピラフやチャーハンどころか、リゾットやライスサラダ、ライスプディングとか、なんというのか、お米を虐待するようなものをことさら好んで食べるようになった。思い出すと以前からローストチキンのスタッフィングのライスとかも好きだった。知人とバリ島でメイドさんサービス付きで半月コテージを借りて過ごしたとき、朝食の定番がライスを甘いココナツミルクで煮てバナナを入れたものだった。サイコー。
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リーゾ
本場リゾット名人が
伝授するイタリアの米料理
 日本食が嫌いなわけではない。煮魚にミルキークイーンのご飯みたいのも一週間に二、三回くらいは食べる。お弁当もご飯ということはある。週に一度くらいお寿司も食べる。でもそのくらいが限度。自分では日本食はイタ飯や中華料理みたいにいろいろある食事の一つでしかない。そもそもご飯が主食という感覚がなくなってしまった。
 お米もだからリーゾである。この数年はリゾットが好きになったので、ミルキークイーンじゃない無洗米を別途買ってそれで作る。リゾット関連の本では、「リーゾ 本場リゾット名人が伝授するイタリアの米料理(ピエロ・ベルティノッティ)」(参照)が便利だし、各種のリーゾ(お米)料理の写真を見ていても嬉しくなる。お米でいろんな料理ができるじゃんと思うと気が楽になる。チキンスープ・ウイヅ・ライス(参照・YouTube)ではないけど、スープの具にさらっとしたリーゾも好きだ。
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北京のやさしいおかゆ
やさしく作れて
体に優しいおかゆレシピ
ウー・ウェン
 そういえば粥もよく食べる。マクロバイオティックス風の玄米食はとんと食べなくなったが、粥は玄米粥が多い。7倍の水を張ったスロークッカーに玄米を寝る前に入れておけば、冬の朝には美味しい玄米粥ができている。どっちかというとこれは中国粥だろう。粥については、ウー・ウェン先生の「北京のやさしいおかゆ―やさしく作れて体に優しいおかゆレシピ」(参照)が、あまり役立つという本ではないけど、面白いといえば面白い。中国人も一つの穀類にこだわらない点で奇妙な親近感がある。
 そういえば、以前の職場の近くに中国戦線帰り爺さんがやっていた玄米粥のお店があったなとか思い出す。薄暗い汚い感じのカウンターのお店だった。心和む絵に描いたような場末だった。あそこで粥をすすっていると、自分が日本にやってきた華僑のような感じがしたが、実際の華僑はそんなことはしないだろうけど。

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2010.05.01

パンの話

 人類が初めてパンを作ったのは7000年くらい前だと言われている。そして初めてパンを私が作ったのは40年くらい前。小学六年生か五年生。学研の教育雑誌「科学」の付録にパンを作るキットが付いていた。「科学」はこの春に終了したが昨年までパン作りのキットは継続していた。あれで初めてパンを作った子供も多いんじゃないか。
 私のキットに小麦粉が付いていたか覚えていない。科学少年だった私は顕微鏡も持っていたので発酵する酵母の状態を調べたことは覚えている。確か丸い発泡スチロールの簡易な容器だったと思うが、その中で元気な酵母の力で小麦粉は膨らんでいった。さてと、ここでオーブンなんてものはない。
 雑誌「科学」もそこは承知の上。昭和な時代である。蒸せ、と。なるほど。さつまいもをふかす要領で蒸した。パンは、できたと言っていいのだろうか。餡の入っていない饅頭はできた。後に中国の花巻(参照)というものを知るようになるが、餡なし饅頭ができてしまったことで、悔しいとは思わなかった。なるほどこうすればパンはできるんだとわかったことのほうが嬉しかった。イースト入れればいいんだ。
 中学生のころか高校生のころか、無水鍋というものが流行した。昭和50年代である。調べてみると、今でもあるようだ(参照)。厚手のアルミの鍋で、ダッチオーブンをアルミでなんとかしてみましたといったような代物。無水というくらいで水を使わない。蒸すんじゃないということ。要するにオーブンの代用品である。当時はご馳走だと見られていたローストチキンもできる。パンも焼ける。無水鍋の売り文句にもそんな話があった。
 少年の私は早速スーパーマーケットで箱入りのドライイーストを買った。箱の裏には簡素にパンの作り方が書いてある。適当に真似すればパンはできるだろう、らんらんらん。やってみるとできた。餡の入ってない餡パンである。らんらんらん。かくして私の人生に手作りパンが寄り添うことになった。
 そもそもの動機は科学実験である。それほどパンが食いたいというものでもない。パンはうんざりするほど食べていた。国鉄の駅には国土交通省令でミルクスタンドの設置が義務化されていた時代だ(嘘です)。パンを囓って牛乳で流し込んで満員電車に乗るのが昭和という時代だ(本当です)。いや今でもちゃんと秋葉原駅のホームにある。パンと牛乳の店。新宿駅のはいつから無くなったのだろうか。
 青春を超えてパン作り実験は続く。そもそも人類はそんなに難しいパンを作っているわけはないという仮説のもとに、いろいろ試した。天然酵母どころではなく、空中から酵母の採集もやった。できるものだった。後にアンデルセンでパンを作っている人にその話をしたら感動していた。
 自分としては自然に独自のパン・ド・カンパーニュはできるようになったし、一人暮らしを始めたころには鍋焼き方式は完成していた。パン生地を使えばパイのようなものもできるので、パンプキンパイを作り、職場のおばさんに配って喜ばれた。今度はクッキーを焼いてねとか言われた。分野が違うんだが。

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粉から作るパスタとイタリアパン
北村光世
 パン発祥の地はエジプトだと言われる。が、小麦の発祥はアナトリアだ。そっちが起源ではないか。トルコに行ってパンを食いまくった。美味しかった。小麦が美味しいからなんだろう。
 旅先ではできるだけパンを食う。感動したパンはマルタ島のだった。パン・ド・カンパーニュに似ているが、違う。素朴で、これがパンなのかというしみじみとした味がした。あれはどうやって作るのかと、マルタに近いイタリアのパンとかも調べた。関連で「粉から作るパスタとイタリアパン 楽しく作っておいしく食べる(北村光世)」(参照)が面白かったので、この手の話に関心のある人にはお勧めしたいが、どうやら絶版になってプレミアム価格が付いている。
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プロのための
わかりやすい製パン技術
 30歳台の半ばから沖縄暮らしを8年し、東京に戻ったら、近所に超絶技巧のパン屋ができていた。とても美味しい。すごい。まるでかなわない。「プロのためのわかりやすい製パン技術」(参照)なども買って読み、きちんとしたパンの作り方なんかも調べるようになった。この本、高価だけどパン好きの人にはたまらない面白さもある。だが、それで仕入れた知識であのパンができるとも思えない。プロはプロだな。
 今でもパンは自分で手作りする。でも、たいていはベーカリーマシンを使い、自分で捏ねたりはしなくなった。酵母もあれこれということはなく、サフのドライイーストを使う。ブリオッシュを作るのは以前は抵抗があったけど、東京暮らしになってから作ることがある。つまり、ちょいとしたお菓子も作ることもできる。もうクッキーだって焼いちゃうし。
 パンを作ることは、私にとっては米を炊くのと変わりない。ただ、以前は米を電気釜で米を炊いたが今は鍋で炊き、パンは以前は鍋で焼いていたが電気パン焼き器で焼いている。

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