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2010.04.06

パチコフ

 ステパン・パチコフ(Stepan Pachikov)氏のことを調べていて、よくわからないが不思議な印象をもった。話に結論があるわけでもないが、興味深いことでもあったのでメモがてらに記しておこう。
 名前のステパン(Stepan)については、多少なりとも西洋文明に関心のある人なら、聖ステパノ(Saint Stephen)に由来することはわかるだろう。近年なぜか話題にもなることも多いスティーブ・ジョブス(Steve Jobs)氏の名前は、恐らく、Steven Paul Jobsで、同じ系統だ(聖ポーロも付いている)。
 ちなみにジョブス氏は、シリア人イスラム教徒、アブダルファン・ジャンダリ(Abdulfattah Jandali)氏とジョアン・キャロル・シーブル(Joanne Carole Schieble)氏の子供で、オバマ大統領と同じくイスラムの考えかたからするとイスラム教徒となるのではないかとも思うが、あまりそうした指摘は聞いたことがない。イスラム教上の結婚ではないからもしれない。ジョブズ姓は養子先の姓である。ジョアン氏については血統上ユダヤ人ではないかという話もよく見かけるが真偽はわからない。母がユダヤ人なら子供もユダヤ人と見なされるが、後にモナ・シンプソン(Mona Simpson)を産むに至る結婚は教会でなされているとのことで、宗教的にはキリスト教徒であろう。
 パチコフ氏の名前に話を戻す。姓であろうPachikovだが、ウィキペディアには「The word 'pachikov' in the Udi language means "the son of two branches".(『パチコフ』はウジン語で二系の息子の意味を持つ)」とある。何の二系なのだろうか?
 パチコフ氏のロシア名は、ロシア人らしく父名を挟み、Stepan Alexandrovich Pachikovとあり、父名はアレクサンドルであることがわかる。ウィキペディアには、父母について「the son of Alexander Stepanovich Pachikov and Ekaterina Pankova.(アレクサンダー・ステパノビッチ・パチコフとエカテリーナ・パンコワの息子)とある。また、「Pachikov is half Udi, half Russian. (パチコフは、ウジン人とロシア人のハーフである)」ともある。ここからわかることは、ステパン・パチコフ氏の母はロシア人ということと、父アレクサンドル氏はウジン人ということだ。
 わからないのは、父名、Alexander Stepanovich Pachikovに、すでにPachikov姓があることで、つまり「二系」は、ウジン人とロシア人の二系という意味ではなく、ウジン人としての血統名としての意味があるのだろう。が、そのあたりでウジン人とは何かがよくわからなくなる。
 ちなみに、ステパン・パチコフ氏の父アレクサンドル氏の父、つまり、パチコフ氏の祖父は、父名、Stepanovichからして、ステパンだろう。つまり、祖父の名前を継いでいることがわかる。はっきりとはわからないのだが、ステパン・パチコフ氏と同業のアレックス・パチコフ(Alex Pachikov)氏は年齢から察するに、ステパン・パチコフの息子ではないだろうか。であるとすれば、ここでも祖父の名を継いでいることになる。もしかして、二系とは、聖ステパノと聖アレクサンデロ(アレクサンドル)ということなのだろうか。いや、男子は一子に限るわけでもないので違うだろう。
 ステパン・パチコフ氏自身はロシア人とのハーフではあるが、パチコフ姓からもウジン人としてのアイデンティティーを持っていると思われる。ここで、ウジン人としたが、英語表記では、Udiである。他にUtiともあるが、インターネットを調べるとUdiの表記が優勢のようだ。言語はウジン語である。ウジン語の情報は、「SIL Electronic Survey Reports: The sociolinguistic situation of the Udi in Azerbaijan」(参照)が詳しい。関連の日本語での情報は「ウジン語 : LINGUAMÓN - Casa de les Llengües」(参照)にある。
 ウジン人は、民族としては、最古のコーカサス人王国とされる紀元前2千年紀のカフカス・アルバニア王国(Caucasian Albania)に由来するらしい。現代にウジン人であることウジン語を話すことが、そのままにして、"Remember everything."という印象を受ける。ウジン人はその後、Utiの表記とも関係するが、アルメニア王国のウティク地域(Utik)の住人ともなる。これは現在のアゼルバイジャンに重なる。
 現在、ウジン人の多くはアゼルバイジャンの、カバラ(Kabala)地区ニジ(Nij)、オグズ(Oguz)、バクー(Baku)に暮らすほか、ロシア内にも点々としているらしい。ステパン・パチコフ氏もオグズの生まれである。
 人口比ではアゼルバイジャンに4千人ほどいる。また、ほぼ同数がロシア内にいる。他、グルジアとアルメニアに200人ずついるらしい。民族の全人口としては一万人に満たない。民族として存続するかは、混血者内でのアイデンティティーの問題でもあるだろう。
 ウジン人を含むアゼルバイジャンの民族構成だが、テュルク系のアゼルバイジャン人(アゼリー人)が人口の九割を占める。他、アルメニア人、レズギン人、ロシア人がそれぞれ2パーセントほどだ。ウジン人はさらに少数民族ということになる。
 ウジン語は、レズギン(Lezgic)諸語の北東コーカサス言語に属するとのことだ。それが何を意味するか私はにはよくわからないが、ウジン人のアイデンティティーを構成しているのは確かだろう。とはいえ、ウジン人の多くは多国語を使っている。
 パチコフ氏が生まれたオグズだが、彼が生まれた1950年ではヴァルタシェン(Vartashen)と呼ばれていた。これがオグズに変更されたのは、ナゴルノ・カラバフ紛争(Nagorno-Karabakh War)の影響である。
 1988年、アゼルバイジャン内のナゴルノ・カラバフ自治州に住むアルメニア人が隣国アルメニアへの帰属をアゼルバイジャン政府に要求したところ、政府はこれを認めず、ナゴルノ・カラバフ自治州を廃止した。しかし、1991年ソビエト連邦が崩壊したことを受けて、ナゴルノ・カラバフ自治州は「ナゴルノ・カラバフ共和国」独立を宣言し、紛争となった。
 「ナゴルノ・カラバフ共和国」はオグズとは隣接していないが、同地域に住むアルメニア人もこの時期に追放された。このときヴァルタシェン(オグズ)のウジン人の大半も故地を捨てて移住したらしい。移住先には近隣のニジもある。

 考えてみると、アゼリー人対アルメニア人の対立とはいえ、キリスト教徒のウジン人としては、イスラム教との対立という要素もあったかもしれない。アルメニア人を追放してから、地名もトルコ文化らしいオグズになった。
 この時期、パチコフ氏はすでにモスクワにパラグラフ(ParaGraph Intl.)社を設立し、最高経営責任者(CEO)となり、百人を擁する会社を経営し、カリフォルニアにも支店を持っていた。1992年にはシリコンバレーにも進出している。ある意味で成功の極点にもあったと言えるのだが、歴史ある故地への思いも複雑だったのかもしれない。"Every note, ever written - at any time, in any place"、それがウジン人という意味なのかもしれない。

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コメント

偶然、今、ウスペンスキーの「奇蹟を求めて」を読み直しているんです。

G.I.グルジェフの生地とその近くの情報を詳細に教えていただき、ありがとうございます。

投稿: enneagram | 2010.04.07 08:16

linkが間違ってますよ。

投稿: | 2010.04.07 10:48

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