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2010.04.30

パン焼き器の話

 3台目のパン焼き器を買った。三代目というべきかもしれない。ツインバードの「ホームベーカリー ホワイト PY-D432W」(参照)というやつ。現時点でのアマゾン価格だと、 7,329円。こう言ってはなんだけど、こんな安いもんで大丈夫なんだろうかというのと、ホーム・ベーカリー・マシンなんてもうある程度枯れた技術なんだから、こんな価格でもいいはずなんじゃないか、と考えあぐねた。あー、しかし、こんな問題、考えて結論出ません。ええい、自ら人柱、と。買ってみた。使ってみた。問題なし。まるでない。よく焼ける。いいんじゃないの、これ。

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TWINBIRD
「2斤まで焼ける」
ホームベーカリーホワイト
PY-D432W
 なぜ買い換えたかというと、それまで使っていたのにちょっと不満が出てきた。粉で400gしかできない。普通に自分用のパンを作る分にはそのくらいでよいのだけど、パーティ用にピザとかフォカッチャとか作るとき、あと100gできるといいなと思うようになっていた。
 それと不満ではないのだけど、そろそろ内釜が傷んできた。交換してもいい時期になったかな。年内はもう保たないかな。釜を替えると、7000円くらいかかるよなと、ググってみたら、え? 7000円ちょっとで新品買えるじゃん。しかも、500g大丈夫じゃんということで迷った。こんな価格の機械で大丈夫なのか?
 ツインバードってどこのメーカー?と疑問に思ってすぐに思い出した。フライヤーがこのメーカーで特に問題なく使っている。大丈夫なんじゃないか。と、大丈夫でした。パン焼き器にはそれなりに各種メーカー品や高機能品もあるけど、普通にパンやドゥを作る分にはこの程度で問題なし。
 初代のパン焼き器はリーガルだった。通販生活で買ったのではなかったか。沖縄で暮らし始めてから、僻地にパン屋がねー、売ってるパンはマズーとか思った。それまでも自分で食うパンはけっこう自分で手作りで焼いていたので、効率よく作るにはパン焼き器もありかと思ったのが購入のきっかけだった。
 それまでは手作りしていた。粉にドライイーストと水入れて捏ねて発酵させて焼くだけ。鍋でね。二次発酵を手頃なサイズの鍋でやって、そのまま、弱火の遠火で40分くらい焼くと、きちんと焼けます。オーブンいらね。ガスコンロの上に五徳と餅網載っけて少し火から離す。これで素朴なパン・ド・カンパーニュが焼き上がり。一度、その筋の人に食わせたことがあるけど、これはこれでうまいんじゃないとか褒めてくれた。
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たった2つ!の生地で作れるパン
発酵は冷蔵庫におまかせ
 捏ねと発酵のタイミングみたいのは慣れというか自然に貯まったノウハウがあった。低温発酵とか中種法とかね。ただ現在だったら「たった2つ!の生地で作れるパン 発酵は冷蔵庫におまかせ」(参照)がよいですよ。この方法ならそんなに捏ねなくてもきちんと美味しいパンができる。
 リーガルは6年くらい使っただろうか。内釜の買い換えとかもしたが、さすがにへたれてきて、二代目はMKのにした。どう見てもこれってリーガルと同じだろと思った。OEMじゃないのかとすら思った。添付のマニュアルもほぼ同じ。まったく同じではなくて、こっちはジャムとか作る機能があったりはするけど。なので、買い換えるとしてもまたMKにするかなと思っていたのだが、以前使っていた型のがもうない。新型は2万円くらいになっていた。そんなものかなとは思っていたのだが、私は単純なパン焼き器でいいのだよねと思っていた。
 パン焼き器についてはまあそんなところ。それで、パン焼き器で一番大切なことはというと、粉です。パン焼き器を使うということは、粉をけっこう使います。けっこう使うといっても、実際にできあがるパンの量から考えれば、びっくりということはないけど、あー、つまり、スーパーマーケットで売っている1gのカメリヤ粉じゃ話になりません。お米を5kg単位で買うのと同じように、粉も5kgくらいは買っとけということになる。
 それで粉選びということになる。選んでみると、え?というくらい粉の味が違うことに気がつくはず。味と価格で妥当なのは、572310.comの「パン用小麦粉 はるゆたかブレンド」(参照)かと思う。はるゆたかだけでもいいのだけど、お高いし。ついでに言うと、パンにバターは入れなくてもいいし、代わりにキャノーラ油入れてもそんなに変わりない。レシピは自分流に少しずつアレンジしていくといい。そうそう夏場の水は冷水で。
 パンを自分で作るとお金の節約になるか? 半額までにはならないけど、なるといえばなる。それより、パンっていうこうものかと理解できるようになる。へえ、パンってこういう食い物なのかというか。それと、本当に上手に作ったパンというのが何かがわかるようになる。私は自分で食うパンは自分で作るけど、近所にあるパン屋さんのパンも買う。地味な味わいだけど、パンを作るようになると超絶技巧のパン屋さんがわかる。



私の手作りパン
ライ麦パンです

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2010.04.29

サンドイッチ

 サンドイッチが美味しいなと思ったのは、青春のころ。1980年代。米人の比較的多い環境だったこともある。日本人の作るサンドイッチとはずいぶん違うものだなとも思った。サイズとか。もちろん味も。
 キャンプファイア場みたいのところで、みんなで持ち寄ってランチとかしたことがある。米人の女の子が手際よく鉄板の上でハンバーグを焼いて、バンズに挟んでくれた。ふーん、ハンバーガーって手作りありなんだと思った。どうやって作るのと聞いたら、お肉に塩とこしょうを入れて焼くだけよと言った。僕はけげんな顔していたんだと思うし、彼女も日本のハンバーガーに慣れていたんだろう。つなぎとか入れないほうが美味しいのよと言い足した。そうなんだ。ということで、その一言が僕の人生を変えた。そのシンプルなハンバーガーを作って食べるようになった。トマトやピクルスやレタスも入れるけど。
 表参道に寄ったときバンブーでサンドイッチを食べるようになったのもそのころだ。思い返すと女の子と行ったこともある。さらに思い出すと女の子を数人思い出す。残念ながら顔は思い出せないが、看護師さんの卵もいた。近くに日本看護協会があり、彼女たちの御用達だった。当時のバンブーは普通の家屋を使っていたので、バスルームとかも普通にバスルームだった。たまに結婚式二次会みたいなことをやっていた。私が沖縄に出奔してからだと思うがレストランみたいになった。
 先日、アドビのショールームに寄ったおりに、ふと懐かしくて足を伸ばした。サンドイッチはあるとウエイターが言う(ウエイターがいるんだね)。じゃ、それ。懐かしのアボカドシュリンプもある。カポナータのサンドイッチもある。パテ・ド・カンパーニュのサンドイッチもあり、じゃ、それ、と頼む。少ししてウエイターが戻り、レバーが入っていますがよろしいでしょうかと問う。いいよ。それがパテ・ド・カンパーニュだし。味はまあまあ。サンドイッチとはいっても、パン・ド・ペイザンに具がのせてあるだけ。
 懐かしのサンドイッチというとあれもあるな。30歳を少し過ぎたころだが荻窪でアイアンガーヨガを一時期学んでいたのだけど、そのころ、関連のパーティで先生(といっても米人のおばさん)が作ってくれたマッシュルームとサワークリームのサンドイッチ。ライ麦パンだ。どうしてこんなに美味しいのだろう。簡単に作れそうなんで、たまに挑戦する。うまくできない。レシピもわからない。

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ハッピーサンドイッチ
おおつぼ ほまれ
 そう。私はアメリカ風のサンドイッチが好きだ。ああいうサンドイッチのレシピ本があったらいいなとずっと思っていた。昨年、理想に近い本が出たのを知って飛びついた。「ハッピーサンドイッチ」(参照)である。かなりいい。

著者が過ごしたニューヨークには、アメリカの代名詞とも言えるハンバーガーをはじめ、
バラエティ豊かなサンドイッチメニューがあふれています。街角のデリの定番、グリルチーズサンドやサラダサンド。ボリュームたっぷりのミートサンド。日本人も大好きなシーフードサンドやベジタリアンサンド。ヘルシーなラップサンドやベーグルサンド。


また、サンドイッチに添えたいサラダやレリッシュ(付け合わせ)、ピクルス、フライ、スープといったサイドディッシュも多数ご紹介。お好みで組み合わせれば、ランチにぴったりなサンドイッチプレートの完成です。ひとつひとつのサンドイッチがとにかくパワフル。バンズからはみ出しそうな分厚いパティ。パンからこぼれ落ちそうなミートボールやシュリンプフライ。具がたっぷりのピタサンドやブリトーなど。写真はその迫力を余すところなく伝えていますから、見るだけでも元気になりそうです。

 わーい。
 サンドイッチ人生を歩むことになってしまった僕にしてみると、懐かしいサンドイッチばかり。見るのも楽しい。知らないレシピもあった。これ使ってみたいなと思うのもいくつかあった。
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Vitantonio
バラエティサンドベーカー
 ついでなんで、ヴィタントニオもご紹介。いや、ヴィタントニオはメーカー名でお勧めはバラエティサンドベーカーというのかな、ワッフルメーカー兼ホットサンドメーカーだ(参照参照)。ワッフルもできるし、ホットサンドもできる。モッフルもできる。お餅をおかきみたいにしたもの。お醤油を垂らして食べてもいいし、溶けるチーズをのせるのもあり。
 金型を変えると、鯛焼きもできる(参照)。駅前商店街で売ってるジャポネーズとは違うけど、これはこれでいける。サンドイッチの話でいうと、パニーニプレート型(参照)は是非。ホットサンドもいいけど、パニーニならいろんな具でいろんなパンで、ぷしゅっと押し焼きする感じにする。ようするに鉄板使ったトーストだし、つまりトーストなんだが、パンの香ばしさに具のチーズとかもとろける。



お手軽ベーグルサンド
左はローストビーフ、ワイルドルコラ、オニオン
右はクリームチーズ、サーモン

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2010.04.28

小沢一郎氏を起訴相当とした検察審査会の議決

 昨日の小沢氏を起訴相当とした検察審査会の議決が話題になっている。「市民目線からは許し難い」との報道があり、感覚的な反応かとも思ったが、議決の要旨を見ると、きちんとした議論をしたことが伺われる内容だった。読売新聞記事「小沢民主党幹事長「起訴相当」議決の要旨」(参照)より。今後の推移のための資料になるし、独自の報道ともいえないので、あえて全文引用しておきたい。


 小沢一郎・民主党幹事長に対する東京第5検察審査会の議決の要旨は次の通り(敬称略)。

 被疑者 小沢一郎
 不起訴処分をした検察官 東京地検検事 木村匡良
 議決書の作成を補助した審査補助員 弁護士 米沢敏雄
 2010年2月4日に検察官がした不起訴処分(嫌疑不十分)の当否に関し、当検察審査会は次の通り議決する。

 【議決の趣旨】
 不起訴処分は不当であり、起訴を相当とする。

 【議決の理由】
 第1 被疑事実の要旨
 被疑者は、資金管理団体である陸山会の代表者であるが、真実は陸山会において04年10月に代金合計3億4264万円を支払い、東京都世田谷区深沢所在の土地2筆を取得したのに、
 1 陸山会会計責任者A及びその職務を補佐するBと共謀の上、05年3月ころ、04年分の陸山会の収支報告書に、土地代金の支払いを支出として、土地を資産として、それぞれ記載しないまま総務大臣に提出した。
 2 A及びその職務を補佐するCと共謀の上、06年3月ころ、05年分の陸山会の収支報告書に、土地代金分が過大の4億1525万4243円を事務所費として支出した旨、資産として土地を05年1月7日に取得した旨を、それぞれ虚偽の記入をした上で総務大臣に提出した。

 第2 検察審査会の判断
 1 直接的証拠
 (1)04年分の収支報告書を提出する前に、被疑者に報告・相談等した旨のBの供述
 (2)05年分の収支報告書を提出する前に、被疑者に説明し、了承を得ている旨のCの供述

 2 被疑者は、いずれの年の収支報告書についても、その提出前に確認することなく、担当者において収入も支出もすべて真実ありのまま記載していると信じて、了承していた旨の供述をしているが、きわめて不合理、不自然で信用できない。

 3 被疑者が否認していても、以下の状況証拠が認められる。
 (1)被疑者からの4億円を原資として土地を購入した事実を隠蔽(いんぺい)するため、銀行への融資申込書や約束手形に被疑者自らが署名、押印をし、陸山会の定期預金を担保に金利(年額約450万円)を支払ってまで銀行融資を受けている等の執拗(しつよう)な偽装工作をしている。
 (2)土地代金を全額支払っているのに、土地の売り主との間で不動産引渡し完了確認書(04年10月29日完了)や05年度分の固定資産税を陸山会で負担するとの合意書を取り交わしてまで本登記を翌年にずらしている。
 (3)上記の諸工作は被疑者が多額の資金を有していると周囲に疑われ、マスコミ等に騒がれないための手段と推測される。
 (4)絶対権力者である被疑者に無断で、A、B、Cらが本件のような資金の流れの隠蔽工作等をする必要も理由もない。
 これらを総合すれば、被疑者とA、B、Cらとの共謀を認定することは可能である。

 4 更に、共謀に関する諸判例に照らしても、絶大な指揮命令権限を有する被疑者の地位とA、B、Cらの立場や上記の状況証拠を総合考慮すれば、被疑者に共謀共同正犯が成立するとの認定が可能である。

 5 政治資金規正法の趣旨・目的は、政治資金の流れを広く国民に公開し、その是非についての判断を国民に任せ、これによって民主政治の健全な発展に寄与することにある。
 (1)「秘書に任せていた」と言えば、政治家本人の責任は問われなくて良いのか。
 (2)近時、「政治家とカネ」にまつわる政治不信が高まっている状況下にもあり、市民目線からは許し難い。

 6 上記1ないし3のような直接的証拠と状況証拠があって、被疑者の共謀共同正犯の成立が強く推認され、上記5の政治資金規正法の趣旨・目的・世情等に照らして、本件事案については、被疑者を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべきである。これこそが善良な市民としての感覚である。よって、上記趣旨の通り議決する。
          ◇ 
 要旨中のAは小沢氏の元公設第1秘書・大久保隆規被告、Bは陸山会元事務担当者で衆院議員の石川知裕被告、Cは同会元事務担当者の池田光智被告


 私が渦中で思ったことが、論点を整理しわかりやすく表現されているという点で、きれいなまとめになっていると思った。
 私が気にしていたのは、「1 直接的証拠」の2点である。日本人は証言について、口から出任せでなんとでも言えると考えがちだが、法のプロセスでは証言は審議の上、事実として扱われる。というか、事実とは証言のことである。くどいようだが、日本人は物的な証拠のみを事実として考えがちだ。
 今回の件で、この2点の事実から、法の専門家から見てで公判が維持できるかというのが一番の関心事だった。小沢氏の政治資金規正法の収支報告違反という点で、小沢氏本人の共謀共同正犯が成立するかというと、そもそも政治資金報告書を提出するのは会計責任者であって政治家本人ではないので、私の印象ではその筋での立件は困難ではないかとも思っていた。実際に検察の判断としても無理という結論になった。疑わしきは罰せずということでもあり、妥当な判断だろう。
 他方、私の一市民の感覚としては、政治資金規正法の帳簿の記法が単式であればこういう、カネの入出を相殺するような報告もありえるだろうが、複式で記載すれば奇妙なカネの出し入れは明確になり、政治資金規正法の趣旨からすれば多いに疑問が残るところとなるはずで、議決書で「政治資金規正法の趣旨・目的は、政治資金の流れを広く国民に公開し、その是非についての判断を国民に任せ、これによって民主政治の健全な発展に寄与することにある」と明記されているのも同意できる。
 今回の議決書で、ずいぶん踏み込んだものだなと思ったのは、法の専門家からの判断が出ていてなお、状況証拠が深く勘案されている点だった。私なりの結論からすれば、これも簿記形式の問題に帰してしまうのだが、仮に複式簿記的に見れば、これらの疑念があることはいかんともしがたい。
 今後の展開の予想だが、仮に起訴に持ち込まれたとして、(1) 新証拠がなく現在の証拠から公判が維持できるか、(2) 共謀が認定されても微罪の類ではないか、という点を考慮すると、小沢氏が有罪となることはないのではないかとも思う。特に、公判を担うことになるのは、検察ではなく、国からの報酬に限定された新規の弁護人によるもので、ゼロからこれまでの証拠と供述を考証しなおすことになる。常識的に考えてもかなりの困難が予想される。
 それでもこれまで検察審査会が行ってきた経緯を考えれば、市民社会のプロセスとして今後の経緯は重視されるべきだろう。裁判所の公式ページ「これまでに審査した事件は 検察審査会とは」(参照)より。

 これまでに全国の検察審査会が審査をした事件は15万件に上り,その中には,水俣病事件,羽田沖日航機墜落事件,日航ジャンボジェット機墜落事件,薬害エイズ事件,豊浜トンネル岩盤崩落事件,雪印集団食中毒事件,明石花火大会事件といった社会の注目を集めた事件もあります。
 また,検察審査会が審査した結論に基づいて,検察官が再検討した結果起訴した事件は,1,400件を超え,その中には,懲役10年といった重い刑に処せられたものもあります。

 市民の意識として、権力に歯止めをいかにかけるかという民主主義の制度のためにも、検察審査会の議決は基本的に尊重されなくてはならない。
 加えて二点。
 検察審査会は市民が、検察権力行使に歯止めをかける市民側のバランスの機構でもあり、その個別の運営に問題があることもありえるが、機構それ自体の批判とは分けて考えるべき存在である。だが、ブログやツイッターを見ていると、今回の検察審査会の議決から、検察審査会そのものへの批判に飛躍している意見を散見して私は驚いた。いわゆる市民派といった人がたちが現実の市民を批判しているという奇っ怪な構図すら描かれている。それこそが市民社会の病理現象ではないかとも思えた。
 今朝の大手紙社説は、今回の議決に絡めて、小沢氏の政治道義的責任を問うているもがあったが、私の考えでは、それはまた別のプロセスである。つまり、国会での小沢氏の説明責任といったものは、司法のプロセスとは独立したものだろう。まして、このことが政局にどう反映するかということは、別の視点の問題であるはずだ。

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2010.04.26

民主党鳩山政権はなぜ失敗したのか

 民主党鳩山政権はなぜ失敗したのか。いや、まだ失敗していないという意見もあるかとは思う。普天間飛行場の撤去の問題でも、あっと驚くような展開があるかもしれない。いやすでに鳩山政権にはなんどもあっと驚いているのだが、端的に言って、ここまでひどい事態は想定できなかったという驚きのほうだった。どうしてここまでひどいことになってしまったのか。民主党の政治手法そのものに原因があると思う。
 鳩山首相のリーダの資質に問題がある、といったことを大手紙やマスコミは指摘するが、私は、構造的な問題が一番大きいと思う。構造というのは、政調を置かなかったことだ。
 この問題は、高速道路新料金制度を巡るごたごたのなかで前原国交相が明確に指摘した。TBS「前原国交相、政策決定過程の再検討を」(参照参照)より。


 6月から始まる高速道路の新しい料金制度にからみ、前原国土交通大臣は政府与党の政策決定について、あり方を再検討すべきだという考えを示しました。
 「システムの問題として、政策調査会がないことが、こういった問題につながるのだと思う」(前原誠司 国交相)
 前原国土交通大臣は高速道路の新しい料金制度について、党側の要望によって見直す、見直さないと方針が二転三転したことについて「政策調査会があればわざわざ政府と党の首脳会議で個別政策について話すことはない」と指摘しました。
 また、前原大臣は「小沢幹事長が政府に注文をつけるのも政策調査会がないことに起因しているのではないか。もう一度、政府と党の間で政策調査会の是非を議論していただけるとありがたい」と述べ、政策調査会の復活も含め、政策決定のあり方を再検討すべきだという考えを示しました。

 民主党が政調を設置しなかったのは、同ニュースでも触れているように、族議員が跋扈する自民党政治への反省からだった。

 民主党は自民党政権時代、族議員が介入することで政策がゆがめられてきたという問題意識から、小沢幹事長の主導のもと、政策決定を政府に一元化する方針を掲げ、党の政策調査会を廃止しました。

 政調を置かないことが政治改革につながるのだという意見は、民主党の元立法スタッフだったトバイアス・ハリス氏など、政権成立後ですら強く支持していた。ニューズウィーク日本版ブログ「民主党の政調復活は時期尚早だ」(参照)より。

 2月17日、民主党の生方幸夫副幹事長や田中真紀子元外相ら衆院議員有志が鳩山由紀夫首相と小沢一郎幹事長に対し、「政策研究所」の新設を要請した。昨年9月の政権交代を機に廃止していた政策調査会に代わる党独自の政策立案機関を求めたかっこうだ。
 しかし鳩山も小沢もこの提案を即座に却下。民主党政権に欠点はあるものの、「政策決定の内閣一元化」に真剣に取り組んでいることははっきりさせた。
 政府の役職に就いていない一般議員が、政策面で一定の役割を担いたいと嘆願せざるを得なかったのは、政策決定プロセスを変えようとする鳩山政権の努力が----少なくとも与党の関与を減らすことに関しては----奏功している証拠だ。官僚ではなく政治家主導の「イギリス型政治」への移行で失うものが最も大きかったのが、彼ら一般議員だ。


 今後もこのままでいくべきだ。鳩山政権が日本の直面する問題を解決する際には、内閣の背後で独自の政策を作成したり、売り込んだりする議員の存在を心配することなしに政策を策定しなければならない。
 党内に新しい政策立案機関を作れば、アンチ鳩山政権の官僚に情報をリークする手段を与えることになる。これは内閣を弱体化させ、民主党議員の分裂も招きかねない。鳩山政権が閣僚たちを党の方針に従わせることに苦労している現状を考えれば、政策立案機関の設立は事態をさらに混乱をさせるだけだろう。

 しかし、事態は逆になった。政調の不在が民主党議員の分裂を招いている。なぜ民主党の政策決定一元化が機能しなかったのか。答は、高速道路新料金制度を巡るごたごたを見れば明白である。
 政策決定は政府ではなく、党側の最高権力者小沢一郎幹事長に集約されており、彼が矛盾した二律背反の要望を出しているからだ。これも前原国交相が指摘しているとおりだ。NHK「国交相 民主党要望は二律背反」(参照)より。

高速道路の新たな料金制度をめぐっては、民主党側が、近距離での利用者にとって実質的な値上がりとなり、政権公約で掲げた高速道路の原則無料化の方針と違うとして修正を求め、政府側と党側の意見の違いが表面化しました。これに関連して、前原国土交通大臣は、閣議のあとの記者会見で、「去年の末に民主党から、高速道路の建設を促進するために見直しを組めという要望をいただいて、今回法案を提出した。当然ながら料金割引の財源を高速道路の整備に充てると、割引は減ることになる。要望しておきながら料金が上がってはいけないと言うのは、二律背反のことを言っているわけで、われわれは方針どおり進めさせていただきたい」と述べ、現時点では高速道路の新たな料金制度は見直さず、予定どおり6月から実施する考えを強調しました。

 小沢氏としては、選挙に勝つためにはなんでもするという明確で一元的なポリシーを持っているのだろうが、国民が影響を受ける政策としては支離滅裂な状態になる。
 今となっては、政調の不在は、小沢独裁のための装置でしかない。政策決定は政府に一元化するとの建前から、政務三役が民主党側と政策会議で検討しても、機構上、党との合意にはならない。このことが、現在小沢氏の暴走を止めることを不能にしている。
 当初はそうではなかったはずだ。政府に一元化される政策決定は国家戦略局が担うはずではなかったか。しかしすでに国家戦略局は実質不在である。
 さらにその根には、マニフェストの実質的な不在がある。すでにぼろぼろになってしまった民主党のマニフェストだが、そもそも的確に練り込まれたものではなかった。NHK時論公論 「政権公約と与党の責任」(参照)で影山日出夫解説委員は、民主党の理想の元になったイギリスとの対比をこう述べている。

 マニフェスト発祥の地とされるイギリスでは、政権公約そのもの、とりわけ根幹に関わる部分が途中で修正されるということはあまり例がないということです。イギリス政治に詳しい専門家の話を聞きますと、理由の1つは、政権公約の作成にあたって徹底した党内論議が行なわれていることです。与党・労働党の場合、政府と党が一体になった検討チームが政策分野ごとに作られ、選挙まで2年間かけて繰り返し議論が行われます。原案は外部に公表され、専門家の意見も聴取した上で、最後は党大会で採決に付されます。
 このようなプロセスをたどっているので、公約の実現可能性については事前にきちんとしたチェックが入りやすい。党内のコンセンサスが出来ているので政策を実施に移す段階で政権の中がガタガタすることも少ないというのです。
 これに対して、民主党が衆議院選挙で示した政権公約は、一部の関係者の手で作られました。中身がオープンになったのは投票日の1か月前。早く手の内を見せると選挙にマイナスだからという理由でした。党内には財源案に不安があるという声もありましたが、選挙戦の流れの中に呑み込まれてしまいました。今回も、前提となるべき去年の予算編成の総括が行われないまま時間が過ぎ、先月になってようやく党の体制が出来ました。政策調査会が廃止されたため、この作業のために急きょチーム編成が行われたのが実情です。

 民主党のマニフェストは一部の関係者が密室で短時間に作り上げたものでしかなく、そもそもが矛盾をはらんでいた。なにより予算編成の総括ができなかったツケが現在に回っており、これに政調廃止も関係している。
 民主党側のマニフェストがダメな代物であることは選挙前にこのブログでも指摘したが、外部的な指摘ではなく、民主党内の時系列で見ても明白になる。2005年では、民主党は次のようなマニフェストを掲げていた。「民主党:岡田代表がマニフェスト重点項目「日本刷新・8つの約束」を発表」(参照)より。

■1〈ムダづかい一掃!サラリーマン狙いうち増税なし〉
 衆議院定数80の削減、議員年金廃止、国家公務員人件費の2割削減等、3年間で10兆円のムダづかいを一掃します。

岡田代表「まず『隗より始めよ』だ。国会議員がまず自らの身を切るところから始め、歳出削減の努力をする。同時に、国直轄の公共事業の半減や公務員人件費削減では国民の皆さんにも犠牲を強いることになる。国民の覚悟がなければ歳出削減はできない。理解と協力を求めていく」


 2005年から2009年になってもマニフェストは練り込まれていなかった。実際に政権を取ってみたら、ムダづかい一掃はできなかった。事業仕分けは、その捻出額を見ればほぼ失敗であったことは明白である。現在第二弾として継続されている事業仕分けは、猪瀬直樹氏が指摘しているように(参照)、特殊法人から12兆円引き出せると誤認した枝野行政刷新相の辻褄あわせのパフォーマンスであろう。
 増税なしも逆になった。菅財務大臣は「増税しても使い道によっては景気が良くなる」と増税を語り出している。

■3〈コンクリートからヒト、ヒト、ヒトへ〉
 公立学校改革に着手し、月額1万6000円の「子ども手当」を支給します。

岡田代表「仕事との両立がかなわない、あるいは経済的な理由で、産みたくても産めないと言う人たちの悲痛な声が、与党にはきこえていないのではないか。月額1万6000円のこども手当は、ヨーロッパの水準から見ればけっして高いものではない。われわれは財源の裏付けも持って、この制度を必ず実現することを約束する


 2005年では、子ども手当は「財源の裏付けも持って」として月額1万6000円と明記されていた。実際に財源を当たってみると、それより劣ることになったが、2005年ではまだ実情に近い数値でもあった。
 今回のマニフェストでなぜ財源論が消え、しかも給付額が増えたのだろうか。その説明を私は探したが、小沢幹事長がえいやと決めたという噂くらいしか出てこなかった。

■8〈本物の郵政改革~官から民へ〉
 郵貯・簡保を徹底的に縮小し、「官から民」へ資金を流します。
 郵便局の全国一律サービスは維持します。

岡田代表「小泉首相の郵政民営化法案はきわめてあいまいで実現不可能だ。郵便局のネットワークを維持するという話と、100%郵貯・簡保を民営化し、民間が自らの判断で採算の合わないところは当然撤退できることになることは明らかに矛盾する。この矛盾について、小泉首相は全く説明していない。同時に、同じ法案を出しても参議院でもまた否決されることは明白。首相は、参議院でどうやって可決させるのか具体的な道筋を国民に明らかにする責任があり、そうでなければ(法案成立の公約は)絵に描いた餅にすぎない」


 郵貯問題はまったくの逆になった。
 2005年の民主党マニフェストを評価していた人なら、2009年の民主党マニフェストを理解できるわけなかっただろうし、民主党を支持してきた人なら、郵政改革が完全に反故にされた時点で、民主党を支持できるはずもない。
 政調の意図的な不在と国家戦略局の不在は、マニフェストの矛盾によってさらに増幅されてしまった。
 鳩山首相は嘘つきであるとも批判される。しかし、政策面に限れば、それ以外のものを求めることは構造的にも無理があった。

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2010.04.25

ワシントン・ポスト紙の普天間基地問題リーク報道、雑感

 24日付けワシントン・ポスト紙のジョン・ポムフレット(John Pomfret)氏署名記事「Japan moves to settle dispute with U.S. over Okinawa base relocation(在沖米軍基地移転問題で日本が米国との不和解消に乗り出す)」(参照)は、鳩山政権が、現行案である米軍普天間飛行場の辺野古移設案を一部修正して米国側に伝えたと報道した。伝達は、23日のルース駐日米大使と岡田克也外相の会談によるものとのことだ。
 日本国内でも話題になった。報道には、朝日新聞「辺野古案「大筋受け入れ」 岡田外相が発言と米紙報道」(参照)や日本経済新聞「普天間「現行案修正で受け入れ」外相が米大使に伝達 米紙報道」(参照)などがある。
 米紙報道に対して即日に鳩山首相は否定した。産経新聞「現行案受け入れ「事実ではない」 普天間WP紙報道を首相が否定」(参照)より。


 鳩山由紀夫首相は24日午後、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題に関し、岡田克也外相が23日のルース駐日米大使との会談で現行案(沖縄県名護市辺野古沿岸部への移設)を大筋で受け入れると伝えたとの24日付米紙ワシントン・ポスト(電子版)の報道について「事実ではない。辺野古の海が埋め立てられるのは自然に対する冒涜(ぼうとく)だ。現行案が受け入れられるなどというような話はあってはならない」と否定した。ただ、岡田氏とルース大使の会談があったという事実は認めた。視察先の群馬県大泉町で記者団に答えた。

 また岡田外相もワシントン・ポスト紙報道を否定した。NHK「外相“米紙報道 事実でない”」(参照)より。

これについて、岡田大臣は長崎県佐世保市で記者団に対し、ルース大使とは頻繁に意見交換しているとしたうえで、現行案を大筋で受け入れる方向だと伝えたという報道の内容については「そういう事実はない」と否定しました。また、記者団が「政府として現行案やその修正もゼロベースで検討しているのか」と質問したのに対し、岡田大臣は「今検討している案は必ずしもそうではない」と述べました。そのうえで岡田大臣は、25日に沖縄県で県外や国外移設を求める県民大会が開かれることについて、「重要な集会を控え、今回の報道はきわめて遺憾だ」と述べました。

 鳩山首相および会談の当人である岡田外相からも否定の声明が出たことで、日本政府としてはワシントン・ポスト紙報道を否定した形になった。
 真相はどうであろうか?
 鳩山氏の言明については他の発言においてもそうだが真意を理解することは難しく、理解努力は不毛であることも多いので、岡田外相の発言から再考してみたいのだが、補助線となるのは、この件についての北沢防衛大臣の発言である。毎日新聞「在日米軍再編:普天間移設 首相、現行案否定「辺野古の海埋め立ては自然への冒とく」」(参照)が参考になる。

 これに対し、岡田氏と北沢俊美防衛相は、米紙の報道内容をそろって否定したものの、現行案微修正を含めた辺野古移設には含みを残す違いを見せた。
 岡田氏は24日、長崎県佐世保市内で記者団に、「首相が言っておられるように(現行案おおむね受け入れを表明したとの)事実はない」と否定。ただ、現行案に対する自身の考えを問われると「ゼロベースで議論している。それ以上に申し上げることはない」と述べるにとどめ、ルース氏との会談内容も明らかにしなかった。
 また北沢氏は同日、長野市内で記者団に「現行案へ戻るということはあり得ない」と述べた。一方で「どこまでが修正かということがあるから(岡田、ルース両氏の会談の)中身をしっかり聞かなければいけない」とも述べ、現行案の微修正に含みを持たせた。

 岡田外相の「ゼロベース」と北沢防衛大臣の「どこまでが修正か」を考慮すると、おそらく現鳩山政権側の認識としては、現行案に戻したのではなく、加えた修正によってまったく別の案になったという認識なのだろう。しかしそれは米側には若干の手直し程度に理解されたのかもしれない。
 この修正案は沖縄側からも米国と同様に見えていたようだ。ワシントン・ポスト紙とは異なるソースで24日付け琉球新報「辺野古沖合案を指示 平野氏、関係省に」(参照)が報道している。

平野博文官房長官は、米軍普天間飛行場移設問題で現在検討中の政府案について、名護市辺野古へ移設するとした現行の日米合意案を沖合に移動させた修正案で最終的に決着を図ることを念頭に関係省に指示していたことが23日、複数の政府関係者の話で分かった。現行案の沖合修正に受け入れ姿勢を示してきた仲井真弘多知事にも趣旨を伝え、25日の県内移設反対の県民大会に参加しないよう求めていた。

 この報道にはさらに奇っ怪とも思える追加がある。

ただ鳩山由紀夫首相は官房長官案に反対の姿勢を貫いており、周囲が強く現行修正案での決着を促しているという。

 それが本当なら、鳩山首相の考えとは別に平野博文官房長官が動いていたことになる。そんなことがありうるだろうか? 普通の政府ならありえないが、全体の構図を見ると、鳩山首相の思惑とは別に民主党政府が動いていると見たほうが整合的だ。
 あえて極論すればこれはすでに小規模なクーデーター状態であり、もう少し踏み出していえば、民主党の実質的な最高権力者は小沢一郎幹事長であるから、小沢氏の暗黙かもしれないが是認を得ていると見てもよいかもしれない。もちろん、そこまで踏み出して言えるかについては、かなりの留保をしなければならないが、逆に見てもある程度整合性はある。高速道路問題でもそうだが、選挙に影響する問題であれば政府の政策決定手順ですらちゃぶ台返しを行う小沢氏が、政権の行く末を決める状態にまで悪化している普天間問題に表向きなんら関与していないこととは、この筋の読みに沿う。
 あるいは、小沢氏は平野博文官房長官に暗黙の是認を与えているのではなく、この問題で鳩山首相に詰め腹を迫り、現政権自体をいったんちゃらにしてもよいと想定しているのかもしれない(鳩山氏の思惑はその捨て石としての自覚かもしれない)。もちろんその場合、小沢氏自身も形の上では引っ込むだろうが、院政こそが小沢氏の本来の政治手法である。その先には日米安保の見直しという彼の持論が輿石東参院議員会長や福島瑞穂社民党党首らのイデオロギーと連繋して展開していく可能性もゼロではない。むしろ、徳之島集会といい今日の沖縄集会といい、まるで政府内でスケジュールを組んだかのような手回しよい反基地運動の展開とこの動向は整合的ですらある。
 今回のワシントン・ポスト紙の報道には、米側の思惑という謎もある。単純な話、このようなリークをすれば、鳩山政権側が認めるわけはないという前提がある。むしろ、鳩山首相から否定の言辞を導くための策略であると理解するほうが妥当だ。読売新聞記事「「鳩山政権とは交渉しない?」米紙報道で憶測」(参照)は、この策略を、米側としては鳩山政権との交渉拒絶のメッセージとして読んでいる。

 「岡田外相がルース駐日米大使に現行計画の主要部分を受け入れる意向を伝えた」とする24日付の米紙ワシントン・ポストの報道は、25日に沖縄で県内移設に反対する大規模な大会が開かれる直前のタイミングだった。
 地元の反発は一層高まっており、政府関係者は24日、「米国は鳩山政権に何度も煮え湯を飲まされている。鳩山政権と交渉するつもりはない、というメッセージで、情報が流れたのではないか」との見方を示した。

 今日行われた沖縄での反対集会を鳩山政権側があたかも沖縄の民意であるかのように、米側の交渉に持ち出すのを拒絶するために、このタイミングでリークしたということなのだろう。タイミング的な文脈は外せないが、そのような策略であったかについては読みが難しい。拒絶というより、留保の線引きのようなものではないか。
 私の考えでは、米側は政権交代後の数か月は、可能な限り鳩山政権の要求に折れる用意でいた(参照)。米側の譲歩の前提は、鳩山政権が日本市民の強い支持で成立したことへの民主主義的な礼儀であっただろう。しかし、米側としては、ある程度想定はしていたとはいえ、その後、民主党政権が東アジアの安全保障に関われるだけの安定政権ではないと見るように変化してきたのではないか。
 日本では、普天間基地問題についての5月期限がいかにも米側の忍耐の限界のようにも理解されているが、米側としては、参院選挙後の日本市民の国家意識を待っている状態だろう。米側としても、同盟問題における一度のちゃぶ台返しは忍耐しても、今後もそれが続くようでは対処を変えなくてはならない。
 ワシントン・ポスト紙の記事でもう一つ論点がある。国内ではほとんど報道されなかったが、中国の軍事拡大について言及があった。読売新聞による紹介記事「「岡田外相の発言」米ワシントン・ポスト紙要旨」(参照)が僅かに触れていた。

 4月中旬、中国海軍の艦隊が日本の近くの公海で最大級の演習を行い、中国軍のヘリコプターが日本の海上自衛隊の護衛艦に異常接近する事例があり、こうした出来事も日本政府に方針の修正を迫った可能性がある。

 原文ではこうなっている。

Other events might also have pushed Tokyo to modify its tune.

他の事件で、鳩山政権も普天間問題の主張を修正するようになったのかもしれない。

In mid-April, warships from China's navy conducted one of their largest open-water exercises near Japan. China did not inform Japan of the exercise, and during one of the maneuvers a Chinese military helicopter buzzed a Japanese destroyer, prompting a diplomatic protest from Japan.

4月中旬、中国海軍の軍艦団が日本近海公海で最大規模の軍事演習を実施した。中国はこれを日本に通知していなかったうえ、軍事演習では中国軍ヘリコプターが日本の駆逐艦すれすれの飛行をしたので、日本は外交上の抗議をした。

The base plan was worked out in part to confront China's expanding military by deploying U.S. forces in Japan more rationally and building up Guam as a counterweight to Beijing's growing navy. Under the plan, 7,000 Marines would move from Japan to Guam.

米軍の基本計画は、軍事拡張する中国に対抗して、米軍を日本に合理的に配備し、グアムを中国海軍拡大を防ぐ重石とするものだった。この計画にそって、7千人の海兵隊員が日本からグアムに移転することになっている。


 ワシントン・ポスト紙の報道としては、日本が中国海軍の脅威に晒され、泡を食って、辺野古移転の現行案を持ち出したのではなかというのである。
 その可能性はあるだろう。ただし、それにしても、なぜこうよい都合で中国海軍が日本にその脅威を示してくれたのだろうか。
cover
文藝春秋
2010年 05月号
 タイミングを別にすれば、日本海域変更について中国軍が日本国民を慣らしておくという思惑がある。中国海軍は米国太平洋防衛第一列線(フィリピン・台湾・日本の軍事的勢力線)内に軍事的な空白があれば、必ずそこを押し進んでくる。岡本行夫氏の言葉を借りればこうだ。文藝春秋5月号「ねじれた方程式「普天間返還」をすべて解く」より。

南ベトナムから米軍が引くときは西沙諸島を、ベトナムダナンからロシアが引いたときは南沙諸島のジョンソン環礁を、フィリピンから米軍が引いたときはミスチーフ環礁を占拠した。
 このパターンどおりなら、沖縄から海兵隊が引けば、中国は尖閣諸島に手を出してくることになる。様子を見ながら最初は漁船、次に観測船、最後は軍艦だ。中国は一九九二年の領海法によって既に尖閣諸島を国内領土に編入している。人民解放軍の兵士たちにとっては、尖閣を奪取することは当然の行為だろう。先に上陸されたらおしまいだ。


 そうなった際は、日本は単に無人の尖閣諸島を失うだけではない。中国は排他的経済水域の境界を尖閣と石垣島の中間に引く。漁業や海洋資源についての日本の権益が大幅に失われるばかりではない。尖閣の周囲に領海が設定され、中国の国境線が沖縄にぐっと近くなるのだ。

 もちろん、それが戦争に結びつくわけではない。まして米国が中国と戦争するメリットはないに等しい。
 中国軍拡大の問題は、この間、アジア諸国にも影響を出している。特にこの海域にかかわる台湾にとっては日本以上に死活問題であり、対応を進めている。毎日新聞「台湾:一転再開 北京射程のミサイル開発」(参照)の報道が一つの顕著な例である。

 台湾の馬英九政権が、北京を射程圏内とする1000キロ以上の中距離弾道ミサイルと巡航ミサイルの開発をいったん停止に踏み切ったものの、再着手へと方針転換したことがわかった。台湾の国防・安全保障関係者の話や、国防部(国防省)高官の議会証言で明らかになった。
 ◇日米間の摩擦に危機感
 開発停止は、中台関係改善を公約とする馬政権の対中融和策の一環だが、公表されていなかった。再着手は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を巡る日米関係のギクシャクぶりへの台湾側の懸念や、中国の海軍力増強で有事の際に米軍の協力が得られにくい状況への危機感と受け止められている。


 馬政権は当初、中国の首都・北京を射程圏とするミサイル開発で中国を刺激することは避けたい考えだった。また、開発停止の背景には沖縄海兵隊を含む在日米軍の「抑止力」があった。安全保障の問題を専門とする台湾の淡江大学国際事務・戦略研究所の王高成教授は「日米安保条約は冷戦終結後、アジア太平洋の安全を守る条約となった。条約の継続的な存在は台湾の安全にとって肯定的なものだ」と指摘する。
 一方、開発停止からの方針転換が明らかになったのは、楊念祖・国防部副部長(国防次官)が先月29日の立法院(国会)で行った答弁だった。

 類似の動向は他のアジア諸国でも静かに日本を見捨てる形で進行していくのではないだろうか。

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2010.04.24

オバマ米大統領が民主党鳩山首相にガッカリしたのがよくわかった

 こういうのもなんだが、私は民主党政権自体に関心がなくなりつつある。この先、政治の失態から国家の存亡にかかわる事態となっても、国民の選択の結果なんだからしかたがないなと思う。戦前の日本国民もこんなふうに政治を見ていたんだなと歴史の理解を実感を込めて深める機会が得られたと考えるとよかったことかもしれない。滅びゆくものを見果てるというのは、平家物語以来の日本の美学でもあるし。
 自分で批判できる部分については、すでにこのブログで書いてきた。それでも、まだまだガッカリし足りないんだなと心を新たにする。というか、オバマ米大統領が民主党鳩山首相にガッカリしたのがよくわかった。鳩山首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」の偽装献金事件についての、彼の発言の変容ぶりによく表れている。

 平成21年11月06日、参議院予算委員会で、まだ自民党にいた舛添議員が偽装献金事件について鳩山首相に問いただしたところ、彼はこう答えたものだった。


内閣総理大臣(鳩山由紀夫君)(前略)しかし、現実はそうではなかったと。偽装献金ということが行われていたということは本当に恥じ入るばかりであります。
 私は、別にここで逃げるつもりも全くありません。自分自身の知り得る情報に関して申し上げているところであります。ただ、その後に関しまして、今まさに舛添委員がお話しされましたように、検察、私自身が当事者という身になって告発もいただいている状況でございます。したがいまして、その状況で私がなし得るすべてに関しては、できる限り私のこの資金に関するすべての情報というものを検察の方に提供いたしまして、全容を解明をしていただきたいと思っています。

 鳩山首相は自身の偽装献金問題から、逃げない、全容を解明したいと言明していた。全容が解明されるまで待って欲しいということだった、この時点では。

 平成22年02月03日、参議院本会議で自民党岡田直樹議員が偽装献金事件について鳩山首相に問いただしたところ、彼はこう答えたものだった。


内閣総理大臣(鳩山由紀夫君)(前略) 私の政治資金の問題に関しましては、捜査によって全容が解明をされ、処分の決定によって決着したと認識はしておりますけれども、国民の皆様方に御理解をいただくにはもう少し時間が掛かると思っておりまして、引き続き説明を尽くしてまいりたいと思っております。

 そして、全容はすでに解明されたが、こんどは、国民の理解にはまだ時間がかかると引き延ばしを始めた。それでも、引き続き説明を尽くしたいと言っていた、この時点では。
 そしてこの時点ではこうも言っていた。

 収支報告書の訂正についての御質問がございましたが、私の資金管理団体の収支報告書につきましては、検察による事実解明を真摯に受け止めて、今後、公判による事実認定の最終確定と検察に提出した書類の返還を待って数字の精査を行う必要があります。そして、二十一年分の収支報告の提出時期までには行うことを既に表明を申し上げているところでございます。

 引き延ばしは、公判による事実認定の最終確定と検察に提出した書類の返還が前提になるようなことも言っていた。なるほどね、と、その時はそう思わないでもなかった国民もいた。私とか。

 平成22年03月03日、参議院予算委員会で、自民党西田昌司議員が偽装献金事件について鳩山首相に問いただしたところ、彼はこう答えたものだった。


内閣総理大臣(鳩山由紀夫君)(前略) プライベートな部分に関して、これはお尋ねであります。あるいは議員個人としての使用の部分もございます。こういったものをトータルとして勝場元秘書に確かに一切をゆだねていたということは事実でございます。そのことに関して、今公判中でありますので、正確に、最終的にこの裁判が終わりました暁に、これは前も申し上げておりますけれども、検察としてはこの部分に関して、いわゆる虚偽記載に関しては確かに違反があった、しかし、母からの資金提供その他に関して、に違反があったということは認められていないということであったと理解をしておりますので、したがいまして、このいわゆる支出に関して、この政治資金以外の部分に関して、自分自身の、これは将来いかにあるべきかということも含めての部分ではありますけれども、国民の皆様方に使途に関して御説明を申し上げてまいりたい、そのように申しているところでございます


したがいまして、最終的に裁判の結果というものを見てから正確に修正をすることが最も私は望ましいやり方ではないか、そのように思っておるものですから、そのときに国民の皆様方に御報告をさせていただきたいと考えております。


 したがいまして、私としては、できる限り正確を期したいというその一念であって、書類の返還はそのときに行えば私は十分国民の皆さんに御理解いただくときが来ると、そのように思っております。(発言する者あり)

 として、まだ裁判では違反であると認められているわけではないが、裁判が終われば、違法献金の使途について説明すると述べている。また、書類が返還されたときは、国民に説明すると述べている。ちゃんと述べていたりする。

 平成22年03月31日、両院国家基本政策委員会で公明党の山口代表が偽装献金事件について鳩山首相に問いただしたところ、彼はこう答えたものだった。


内閣総理大臣(鳩山由紀夫君) 山口代表、この勝場元秘書、被告でありますが、に対する裁判は、御案内のとおり、まだ最終的な判決が出ているわけではありません。したがいまして、判決が出れば、当然のことでありますが、まずは証人喚問に関しては、ぜひこれは、私が決める話ではありません、国会の中の議論の中で決めていただければよい話でございます。そこはまず、どうぞ国会の中で大いに御議論を願いたいと存じます。
 それから、その裁判が終わった暁にはと私は申し上げております。弁護士に対して、私の資料が戻ってまいります、その資料を分析、検証するようにということは指示をいたしているところでございます。その分析というものを行った結果、当然、これはもう何度も国会の中でも答弁を申し上げているところでございますが、その答弁でも申し上げておりますように、国民の皆様方にどこまでしっかりとお示しできるかどうかということは検証してまいりましょう。

 裁判が終われば、偽装献金の資料を明らかにし、検証していこうと繰り返し述べている。

 そして三月が終わった。裁判も終わった。鳩山首相秘書は有罪となった。監督責任のある鳩山首相はなんら責任を取らなかった。世界は、1Q84的な世界に変貌した。見上げると二つの月が国会の夜空に砕けていた。一国の首相がなにかに変貌した。

 平成22年04月21日、国会で自民党谷垣禎一総裁及び公明党山口那津男代表による党首討論開催された。山口代表に内閣総理大臣鳩山由紀夫君はこう答えた(参照)。


内閣総理大臣鳩山由紀夫君
それから、書類の提出の話もございました。このことに関しても、私はまだ明日の判決がどのようになるかということの前の話でございますが、提出されたその書類が多分、明日になれば、返してもらえることになろうかと思っています。この書類に関しては前から申し上げておりますように、弁護士に対して、『私はしっかりこれを検査しなさい。勉強をしなさい』ということは、申しております。そうやってもらえると思います。そして、当然のことながら、政治資金の規正法に基づいて、判断をして、正すべきところはしっかりと収支報告書など、正さなければならないことも、言うまでもありません。それはしっかりと行って参ります。個人のプライバシーに関して、いまだかつて、さまざま、色々な問題を犯した者といえども、決して個人のプライバシーにかかわる資料を提出したことはないかと思っております。いずれにしても、このことに関して、しっかりと国会でおたずねがあれば、そのことに関して、私としても努力したいと思っておりますが、これは検察が判断をして、結果を出した話でありますだけに、基本的には、資料の提出などというものは、必要のないものではないか。そのように私は考えております。

 偽装献金関連の書類は弁護士に検査して勉強しなさいで終わってしまった。
 それを精査して国民に説明する話も、消えた。
 それどこか、検察が判断したから終わりとして、関連書類の提出はしないと言ってのけた。なんなの、この人、と、山口代表も思ったに違いない。山口代表はこう加えた。

公明党山口那津男代表
鳩山さん。あなたはね、辞めた人間だから、私は知らない。国民の皆さん、よく聞いていただきたいと思う。そして、資料も国会に出すつもりがない。しかし、前回、私が引用した通り、これは、あなたが、予算委員会で書類を取り戻して、国民の皆さんに見ていただいて、正確に説明をすると。こうやって自ら述べていたではありませんか。今の答えには、とうてい納得できません。ぜひ、この今の回答を国民の皆さんに、よく知っていただいて、しかるべき判断をしていただきたいと思います

 国民? あ、私も国民ですよね。
cover
鳩山一族 その金脈と血脈
佐野 眞一
 では、しかるべき判断をしてみたいかと思うのだが、ここは、モートンの熊手(参照)をもって代えたい。

  1. 嘘つきさん
  2. Mr.Loopy

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2010.04.23

モートンの熊手(Morton's fork)?

 鳩山内閣の対米外交問題を軽く論じた、22日の、マイケル・オースリン(Michael Auslin)氏によるウォールストリート・ジャーナル寄稿「Japan Dissing」(参照)が一部で話題になっているようだった。時事「「日本切り捨て」時代に=鳩山首相を酷評-米専門家」(参照)はこう紹介していた。


 米保守系シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ政策研究所(AEI)のマイケル・オースリン日本部長は22日付のウォール・ストリート・ジャーナル紙(電子版)に寄稿し、鳩山政権の対米政策を厳しく批判、米国が日本に愛想を尽かして無視する「ジャパン・ディッシング(日本切り捨て)」の時代に突入したと論評した。
 オースリン氏は、日米関係はこれまで、貿易摩擦時代の「ジャパン・バッシング(日本たたき)」、対中重視・日本軽視を強めたクリントン元政権の「ジャパン・パッシング(日本外し)」など紆余(うよ)曲折があったと指摘した。
 その上で、現在、鳩山政権は米国に一貫した政策を提示することができず、「オバマ政権からひんしゅくを買い徐々に無視されつつある」と分析。「日本の政治エリートは、米政府内で日本の評価がいかに下がっているかを知れば、日本たたきや日本外しの時代が懐かしく思えるかもしれない」と皮肉っている。

 すでに日本版のウォールストリート・ジャーナルに「冷え込む米日関係 - ジャパン・バッシングならぬ「ジャパン・ディッシング」(参照)として翻訳もネット上で読めるのだが、その訳文に「モートンの熊手」が出てきた。原文と対比して引用する。

 日本の政治エリートが、米政府の間で日本の評価がいかに下がっているかを知ったら、バッシングやパッシングの日々が懐かしく思えるかもしれない。日本は今、どちらも望ましくない選択肢から選ばざるを得ない「モートンの熊手」状態に陥っている。すなわち、米国に無視されるか、解決のしようがほとんどない問題とみなされるかの、いずれかだ。

Once Japan's political elites figure out how low their stock has sunk on the Potomac, they may well wish for the days of bashing and passing. They face a Morton's fork between being ignored or being seen as a problem to which there is little solution.


 日本では「モートンの熊手」があまり知られていないことを配慮して、「どちらも望ましくない選択肢から選ばざるを得ない」という解説が補われている。一昔前の流行語でいうなら「究極の選択」(参照)というところだろうし、ネットでよく言われる下品な言い回しでは、カレー味のなんたらとなんたら味のカレーといったところだ。
 英文として興味深いのは、Morton's forkに不定冠詞がついていることで、どっちを選んでもひどい選択肢の状況のひとつといった意味合いがある。
 民主党の鳩山政権がカレー味のなんたらというのは、米人専門家に指摘されるまでもないし、そもそも国会議員として秘書の有罪が決まってもなんら責任を取らないで済んでいる異常な状態は、すでに日本の政治の終了を意味しているだろう。
 問題は、だから、モートンの熊手(Morton's fork)である。
 それは何か。ウィキペディア「誤った二分法」(参照)にはこう解説がある。

「モートンの熊手」 (en:Morton's Fork) はどちらも望ましくない2つの選択肢から選ぶというもので、誤った二分法の例とされることが多い。この言葉は英国貴族への課税についての論証を起源としている。

「わが国の貴族が裕福なら、永久に課税しても問題はない。逆に貧しくみえるなら、彼らは質素に暮らして莫大な貯金を蓄えているはずで、やはり永久に課税しても問題はない」[1]

これは、土地だけ所有していて流動資産がない貴族を考慮していないという点で、誤った二分法と言える


 間違った説明ではないが、なぜモートンなのか、なぜ熊手なのかについての説明はない。
 英文のウィキペディアでは単独の項目になっていて(参照)、モートンの由来も簡素に書かれている。

The expression originates from a policy of tax collection devised by John Morton, Lord Chancellor of England in 1487, under the rule of Henry VII.[1]

この表現は、カンタベリー大司教ジョン・モートンが1487年に考案した徴税(徳税)指針を起源にしている。


 しかしこの項目の説明は十分とはいえない。というのは、モートン司教の事跡をこのように呼んだ由来がある。それは、哲学者フランシス・ベーコン(Francis Bacon)がヘンリー7世の時代を扱った史書の記述によるものだ(参照)。

There is a tradition of a dilemma, that bishop Morton the Chancellor used, to raise up the benevolence to higher rates ; and some called it his fork, and some his crotch.

モートン司教が使ったものだが、徳税を上げる矛盾の伝統がある。これを、フォークと呼ぶ者もいるし、クロッチと呼ぶ者もいる。


 実際に、モートンの熊手(Morton's fork)として定着するのは、19世紀のことらしい(参照)。
 ところで。
 これまで「モートンの熊手(Morton's fork)」という訳語を採ってきたのだが、これは「熊手」なのだろうか? 手元の日本版のブリタニカにもその訳語が載っているのだが、これはどちらかというと一種の伝統的な誤訳の部類ではないかと思う。
 このフォークだが、"a fork in the road"のような「分かれ道」あるいは「分岐」といった意味だろう。
 チェスの基本技にも近いイメージがある。


チェスのフォーク(両取り)

 二手に分岐したというイメージは、ベーコンの原文からも推察される。そこには、クロッチ(crotch)ともあり、これは現代のrowlockを意味していると思われる。


rowlock

 現代の英語では、crotchは分岐している形状より、分岐の根元の股布の意味が強い。
 フォークも、クロッチと似た、二股の構造を指していると思われる。欧米圏の悪魔がよく三叉の熊手を手にしているが、あれの二股のものであろう。もちろん、二股でも熊手として訳してもいいのだが、熊手ほど分かれてもいないし、ここで強調されているのは、二つに分かれている構造だ。フォークリフトのフォークのほうが近い。
 意味を取るなら、「モートンの熊手」というより、「モートンの二者択一」であろうが、それだと面白みに欠けるかもしれない。

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2010.04.22

天明の飢饉に学ぶこと

 江戸時代の日本ではだいたい50年周期で飢饉が発生した。大飢饉は江戸四大飢饉とも呼ばれ、寛永の飢饉(1642-43)、享保の飢饉(1732)、天明の飢饉(1782-87)、天保の飢饉(1833-39)がある。最大のものが天明の飢饉である。

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近世の飢饉
 なぜ飢饉が発生したかについては、天候不順による凶作がよく挙げられる。虫害もある。米の生産側の問題に対して、米を扱う政策上の問題もある。江戸時代後期になるにつれ貨幣経済の発展から財政難の各藩は備蓄米を大阪で売って貨幣化していた。ヒトよりもカネといった次第であった。飢饉の背景には、騰貴もあったし流通の問題もあった。
 飢饉の原因は複合的に考える必要があるが、それでも予想外の天候不順の要因は大きい。天明の飢饉にも冷害が関係しているが、この冷害を引き起こした一つの要因に、日本から遠いと見なされるが、アイスランド南部のラカギガル火山(Lakagígar)の噴火も想定されている。同火山はエイヤフィヤトラヨークトル(Eyjafjallajokull)火山の北西60キロメートルにある。
 ラカギガル火山の噴火は1783年6月8日に始まり、1784年2月7日まで8か月も続いた。規模は1991年のピナトゥボ山の噴火に相当すると見られている。ラカギガル火山の噴火により1億2000万トンもの有毒な二酸化硫黄が放出され、その影響で何千万人も亡くなった。
 その二酸化硫黄粒子は成層圏に達し、ジェット気流に乗り北半球全体を覆った。二酸化硫黄の粒子は、火山灰やブラックカーボンとは異なり、長期間空中に留まり酸性雨の原因にもなるが、なにより気になるのは、「火山の冬(volcanic winter)」と呼ばれる広域な気候の変化としての寒冷化を引き起こすことである。
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“不機嫌な”太陽
気候変動の
もうひとつのシナリオ
H・スベンスマルク,
N・コールター
 噴火に伴う火山灰や霧状の二酸化硫黄が太陽光を遮ることで寒冷化がもたらされると説明されることが多い。が、「[書評]“不機嫌な”太陽 気候変動のもうひとつのシナリオ(H・スベンスマルク、N・コールダー): 極東ブログ」(参照)でも触れたが、硫酸分子は雲の核となる。大気中の硫酸分子は太陽光を遮断する雲の生成を促し、地球規模の寒冷化をもたらす。なお、成層圏についてはエアロゾルが太陽光の輻射を吸収するため温度が上がる。
 実際ラカギガル火山の噴火後、北半球全体が寒冷化した。米国北東部では冬の平均気温が2度から氷点下6度に下がった。日本も寒冷化した。天明の飢饉に関係すると見られるのはこのためである(なお、天明飢饉には浅間山の噴火も関連している)。フランスでも農作物不作により食料が不足し、1789年のフランス革命の原因の一つになった。
 火山の冬が歴史に痕跡を残すように、さらに生物進化に影響を与えることもある。仮説にすぎないといえばそうだが、トバ・カタストロフ理論(Toba catastrophe theory)によれば、7万年前、インドネシア、スマトラ島のトバ火山噴火による火山の冬が引き起こした長期の地球の寒冷化によって、生き残ったホモ属はホモ・ネアンデルターレンシスとホモ・サピエンスのみとなった。

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2010.04.20

子供のローラーシューズの安全性

 今朝の朝日新聞社説に「子どもの事故―危険はもっと減らせる」(参照)という話題があった。いわく。


 子どもから目を離さない、危ない物は遠ざける――。周囲の大人が注意しなければならないのは、言うまでもない。落ち度が大きければ、保護者の責任を問う必要はあるだろう。
 でもそれだけで、子どもの事故は防げるのか。家庭や地域の見守る力が落ちる一方、生活空間に潜む危険は減っていない。子どもは昔も今も日々成長し、予測外の行動をとるものだ。
 様々な事故の情報を集め、原因を分析し、リスクの重大性を評価する。製品改良を促し、必要なら規制措置をとり、子どもを取り巻く環境から危険を減らす。そんな機動的な仕組みが求められているのではないか。

 まったくそのとおりだと思う。
 そして、私が市中で見かける子供の安全ことで気になるのがローラーシューズである。朝日新聞社説にはまったく言及がない。なぜだろう? (1)ローラーシューズは安全だから、(2)朝日新聞社説執筆者は現実の世間の子供には関心がないから、(3)その問題はタブーだから。
 どれだろう。他の理由だからだろうか。
 米国ではローラーシューズの安全性は2007年頃話題になっていた。その後の話題はあまり見かけないので、その時点での話題性で米国での問題はある程度解決されたのかもしれない。日本でローラーシューズが子供に広まるのはその後のようだから、米国での改善を踏襲してすでに安全の問題はない、ということなのだろうか。しかし、私は現実の世界で、けっこう肝を冷やすような場面に遭遇しており、到底そうは思えない。
 2007年のAP記事「Agency: 1,600 roller-shoe injuries last year」(参照)では表題のとおり、消費者製品安全委員会(CPSC: U.S. Consumer Product Safety Commissio)によれば、2006年にローラーシューズで1600件の負傷があったとのことだ。大半は子供の使用である。死者は1名とのこと。同年には関連して医師からの示唆の記事「U.S. Consumer Product Safety Commissio」(参照)もあった。初心者の場合、肘や膝の損傷を起こしやすいのでヘルメットやプロテクターをしなさいということだ。
 子供の教育や安全性に関連する話題を扱うeducation.comでも同時期に関連記事「Roller-Shoe Injuries on the Rise」(参照)を出している。それによると、67件の事故中57件が女の子とのこと。他に、事故は初心者に起こりやすい、事故は市中で発生している、上腕の損傷が目立つ、前後移動で事故になりやすい、など。
 具体的に、American Academy of Orthopaedic Surgeons (AAOS) は以下のアドバイスを出している。

・Learn and practice the basic skills of the "sport" — like how to stop — before taking the shoes out in public.
 公衆で利用する前に、スポーツとしてストップの方法など基本に習熟すること。

・Use the shoes on flat surfaces — not on rocky areas, over curbs, or down hills.
 平らな場所で使うこと。でこぼこや曲がりの多い道、下り坂は禁止。

・Don't use the shoes around lots of people or in traffic.
 人の多い場所や交通の激しい場所では禁止。

・Don't try to maneuver around crowds.
 人混みで曲芸的に使わないこと。


 イギリスでは事故をきっかけにローラーシューズを禁止した街もあるとこのこと(参照)だが、そこまでするより、基本の指導をして、安全に遊べる場所を確保するほうがよいだろう。

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2010.04.19

米国不良資産救済プログラム(TARP)はまずは成功した

 ブログではポールソン砲とおちょくったものだったが、米国の不良資産救済プログラム(TARP: the Troubled Asset Relief Program)は成功したらしい。私には経済の詳細はわからないし、なぜか邦文ニュースでは今ひとつ要領を得ないのだが、世界経済の危機と言われた危機に米国の経済政策は適切に対処してみせたということのようだ。
 10日付けウォールストリート・ジャーナル記事「米政府の救済コスト予想が大幅縮小」(参照)はこう言及している。


 ほんの数カ月前にはゾンビのように見えた企業が息を吹き返し、金融危機の間にライフラインとして注入された資金の返済に向かうなか、救済コストの予想額は以前の試算のごく一部まで縮小している。不良資産救済プログラム(TARP)、連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)、連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)、連邦住宅局(FHA)による融資保証、連邦準備理事会(FRB)による住宅ローン担保証券(MBS)の買い取りやコマーシャルペーパー(CP)市場てこ入れの資金を含めた費用は890億ドル(約8兆2900億円)になりそうだと財務省当局者は語る。
 関係筋によると、同省当局者らは政府管理下にある保険会社アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)でさえ1年以内に公的資金を返済できる可能性があるとみるなど、楽観の度合いを強めており、同社に対する80%の出資を引き揚げる方法を議論している。AIGは510億ドルに達するとみられる資産売却などで、公的資金を返済する見通しだ。

 もちろん明るい話ばかりではなく、こういう言及もある。

 しかし、多くの専門家は、より広範な政治・経済的影響の大きさは、直接の救済コストの比ではないと語る。米が景気停滞を脱却には何年もかかる公算が大きく、政府の債務は膨らみ、税収は失われ、金融危機の影響で政治的混乱が増幅するという。
 たとえば、米政府は金融市場や住宅市場に対して今も支援を続けざるを得ない。また、支援先企業の自立という明るい傾向にも大きな例外がある。1259億ドルの直接注入を受けたファニーメイとフレディマックは、数年にわたり国庫に依存しそうだ。両機関に対する政府の信用枠は無制限だ。

 それにしても日本のバブル崩壊後のような悲惨なことにはならないように見える。
 より端的な評価を示したのは、1日付けのワシントン・ポスト「No one likes TARP, but it's working」(参照)だった。日付は四月馬鹿といったところだが、内容はそうではない。

In short, for all its shortcomings, TARP has fulfilled its chief purpose: to stem the panic-induced collapse of a banking system that -- contrary to much conventional wisdom -- was indeed salvageable without total nationalization. The only fair measure of TARP's costs is in comparison to the costs of the averted collapse. And by that measure, it was a bargain.

手短に言えば、多くの欠点を抱えつつ、TARPは主要な目的を達成し終えた。パニックが引き起こす銀行システムの崩壊を食い止めた。しかも、賢い対応とされてきた慣例に反して、銀行を完全国有化することなく救済したのだ。TARPの損失を公平に検討するなら、崩壊回避の損失との比較になる。その観点からすれば、安価で済んだよい取引だった。


 日本の大手紙は米国の経済危機に銀行の国有化しかない、素早くすべて国有化せよと論じた。だが今となって見れば、TARPの成果として、完全国有化の回避が挙げられている。
 銀行の国有化は、税であったり、低金利の押しつけであったりして国民の利益を損失させる。日本はそれを行ったが、米国はTARPによって回避できたということなのだろう。
 もちろん、日本でも可能だったはずだというほど単純な話ではないにせよ、米国の経済政策ははるかに日本より健全だったとは言えるのではないか。日本はといえば、迷走のあげく、巨大銀行をさらに国有化してしまった。
 ワシントン・ポスト社説の結語は示唆に富む。

There is another lesson here: TARP was a bipartisan policy. Conceived by a Republican administration, it passed Congress with votes from both parties and has been implemented mostly by a Democratic administration. When the country faced imminent disaster, political leaders suppressed ideology and partisanship -- and acted, in the national interest. If only they could apply some of that same spirit to problems before they reach the crisis stage.

ここにはもう一つの教訓がある。TARPは超党派的な政策だった。共和党が考案し、議会を二大政党で通過させ、その大半を政権交代後の民主党政権が実施した。国家が差し迫った災害に瀕したとき、政治指導者はイデオロギーと党派制を抑制し、国益の視点で活動した。政治に危機が迫るときには問題に同様の対応ができればよいのだ。


 米国はブッシュ政権下で策定されたTARPを政権交代後のオバマ政権が踏襲した。両党が協調して経済危機に立ち向かった。日本でいうなら、麻生政権の経済政策を民主党がきちんと引き継ぐか、あるいはこんな時期に、危機も考慮されていない古びたマニフェストをごり押しする政権交代とやらを我慢するべきだった。実際、民主党が取ってきたまともな政策は、「自民党麻生政権のゾンビと化した民主党鳩山政権: 極東ブログ」(参照)で述べたように、麻生政権の政策を引き継ぐだけだった。
 彼我の差は泣けるほどである。経済危機に立ち向かう政治家・経済担当者の気迫これほど違うのかと思う。いや、それが能力の差ということなのではないか。

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2010.04.18

[書評] 1Q84感想、補足

 補足的雑感を。
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 book 1の冒頭が4月なので、もう四半期のbook 4までありえないことないかなとも思ったが、(1) 1Q84という年は12月をもって終わるので、book 3の終わりがそれに相当するだろう、(2) 次の物語の展開は、ドウタの出現だがそれは4月を超える、ということで、ここで完結だろう。
 しいていえば、(3) book3の構成はbook 1およびbook 2ほどには計算されていないので(時間もなかったのだろうが)、文章の息がややまばらになっていて、これ以上は継続できない。
         * * *

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1Q84 BOOK 1
 book3で完結感はあるかといえば、十分にあると言ってもよいだろう。その最大の理由は、book 1とbook 2の謎を、従来の村上春樹長編のクセのように放置しなかったこともだが、やり過ぎた暗喩(特にリーダーの予言)がいくつかbook 3で変更されていることから、それなりの落とし前の意識が明瞭にあったと見ていいだろう。
         * * *
 book1とbook2でも思ったが、春樹文体に微妙な、ある意味で大きな変化があり、見解によっては、悪文としてもよいと思うのだが、全体の美文のトーンに調和していてなかなか指摘しづらい。批評家が誰も指摘してなさげなのはなぜだろうか。

 青豆はこのマンションの一室に身を隠してから、意識を頭から閉め出せるようになっていた。とりわけこうしたベランダに出て公園を眺めているとき、彼女は自在に頭の中をからっぽにできる。目は公園を怠りなく監視している。とくに滑り台の上を。しかし何も考えていない。いや、おそらく意識は何かを思っているのだろう。しかしそれはおおむねいつも水面下に収められている。その水面下で自分の意識が何をしているのか。彼女はわからない。しかし意識は定期的に浮かび上がってくる。

 「しかし」がいくつあったか読みながら気がつかないのはなぜだろうか。
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1Q84 BOOK 2
 千倉の病院の若い看護婦、安逹クミとそのエピソードが解きづらい。book 1およびbook 2の謎のバグフィックス的に導入されたのか、当初からの伏線的な構想にあったのか。
 安逹クミが複数のドウタの一つであることは明らかである。難しいのは、転生の時点だ。端的な話、誰の転生なのか。前世は「冷たい雨が降る夜に」終わった。転生は安逹クミの生誕であったか、ハシシのこの体験の中か。と、読み返すと、ハシシ体験以前にドウタであることが知覚されているので、その体験のさなかではないのだろう。ただ、生誕が転生であったとも言い難いのは、「空気さなぎ」の読後の影響と見られる。ということは、「空気さなぎ」が世に読まれることは、ドウタの分散を意味しているはずだ。(このことは、この1Q84という書籍が流布される暗喩でもある。)
 もう一つの謎は、安逹クミの陰毛と性交の不在だ。これは明白に、白パンと性交を伴った深田絵里子との記号的な対比になっている。対比の意味は作者に意識されているようだ。
 私の印象では、安逹クミは天吾の母の転生ではないかと思う。
         * * *
 「天吾」は「天は吾」の意味だろうし、その生誕の由来は敢えて隠されている。彼は誰の子かわからないし、なぜ存在させられたのかは表層的には問われていない。印象でいえば、母の処女懐妊ではないかと思う。つまり、天吾こそ物語の最大の動因なのだが、そこはうまく描けていない。
         * * *
 物語では、特にbook 3で特徴的なのだが、深田保と深田絵里子は、人の存在から何かを抜き取る。それは人の存在の魂に深く関与している。すでにユングが語られているが、ユング的な四位一体と恐らく関係している。
 1Q84がデーモニッシュな魅惑を持つのは、この魂と、何かを奪われることの意識が自明にわかる人が存在するからだ。この造形は牛河に深く関わっている。牛河は彼が育った理想的な家族の無意味さを告知されたものとしてこの世の立たされている。

しかし牛河の目から見れば、その人間生は救いがたく浅薄だった。考え方は平板で、視野が狭く想像力を欠き、世間の目ばかり気にしていた。何よりも、豊かな智恵を育むのに必要とされる健全な疑念というものを持ち合わせていなかった。
 父親は地方の開業内科医としてはまずまず優秀な部類だったが、胸が悪くなるくらい退屈な人間だった。手にするものすべてが黄金に変わってしまう伝説の王のように、彼の口にする言葉はすべて味気ない砂粒になった。しかし口数を少なくすることによって、おそらく意図的ではないのだろうが、彼はその退屈さと愚昧さを世間の目から巧妙に隠していた。母親は逆に口数が多く、手のつけようがない俗物だった。

 ある種の子供はそのような環境に生まれる。
 牛河は深田絵里子に喪失させられることで魂を自覚する。

 これはおそらく魂の問題なのだ。考え抜いた末に牛河はそのような結論に達した。ふかえりと彼とのあいだに生まれたのは、言うなれば魂の交流だった。ほとんど信じがたいことだが、その美しい少女と牛河は、カモフラージュされた望遠レンズの両側からそれぞれを凝視し合うことによって、互いの存在を深く暗いところで理解しあった。ほんの僅かな時間だが、彼とその少女とのあいだに魂の相互開示というものがおこなわれたのだ。そして少女はどこかに立ち去り、牛河はがらんとした洞窟に一人残された。

 余談だが、ネットの世界は牛河の家族のように愚劣な人々と、牛河の魂を持ち合わせてしまった不幸な人と、牛河の物語を愛するキチガイの三者がほどよく目立つ。
         * * *
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1Q84 BOOK 3
 私のシンプルな読み落としかもしれないが、青豆が密室生活で二度抜け出したとタマルに語るシーンには違和感を覚えた。三軒茶屋のれいの個所にタクシーで行ったという。そういうシーンはあっただろうか。リライトのミスではないか。
         * * *
 作者村上春樹はbook 3で一度だけ登場する。

 ここでいくつかの「もし」が我々の頭に浮かぶ。

 book 3で村上春樹は読者の位置に降りたことは、昨日のエントリ「[書評] 1Q84 book3 (村上春樹) : 極東ブログ」(参照)で述べたが、それがもっとも顕著にここで告白される。また、これは物語の呪縛と創作意識の微妙な迂回路も示している。私はここで吉行淳之介「砂の上の植物群」(参照)を思い出す。作品全体の印象だが、構成や叙述が欧米的なスタイルでありながら、そここに第三の新人的な日本語の小説の技法がちりばめられているように思う。「若い読者のための短編小説案内」(参照)で示された考察が、内在化、血肉化されている。
         * * *
 マザとドウタの物語、つまり、リトル・ピープルの物語、あるいは深田保と深田絵里子の物語は、村上春樹が解読できる可能な限り、book 3でスキーマティックにまとめられている。が、十分ではない。深田保は、天吾を介して転生し、その通路を深田絵里子が用意した。それだけではなく、彼らは同時に魂の回収を行った。そこにおそらくオウム事件が暗示する深淵への示唆があるのだが、十分には描かれていない。
 そして、おそらく深田絵里子は深田保の子供ではく、タマルの子供であろう。牛河を理不尽に、あるいは予定されたように死に至らしめる動因としての。

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2010.04.17

[書評] 1Q84 book3 (村上春樹)

 私たちの世界では、夏目漱石の「明暗」(参照)の結末を知ることはできない。ドストエフスキーが本当に書きたかった「カラマーゾフの兄弟」(参照参照)の第二部を読むこともできない。命と引き替えに文学を超えようとした存在の出現は許されない。あるいは川端康成(参照)の「千羽鶴」(参照)の続編「波千鳥」のように、作者の生の有様が存在を限界付けることもある。村上春樹の「1Q84 book1, book2」(参照)は、文学を超えようとする手前で放置されかけた。が、不思議な形で完結した。

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1Q84 BOOK 3
 不思議な形というのは、後続するbook3は、book1と book2とはあたかも異なる作者による批評の作品として読めるからだ。1Q84のbook1と book2が投げかける巨大な謎を、村上春樹自身が批評家としてbook3でおそらく渾身を込めて解き明かして見せた。彼が文学の批評に立ったのはこの作品が初めてだし、そのことでおそらくこのbook3は、村上文学総体の批評ともなっている。もちろん、批評という言い方は拙い。
 1Q84のbook1と book2を書き上げた作家としてその連続の物語を書くことは、苦難を伴うとはいえ格段に難しいことではないだろう。存在の持つ、あるいは神の持つ恐ろしい深淵に耳を澄まして、言葉を紡ぎ上げていけばよい。燃えさかる炭を口に受けていけばよい。しかし彼はその方向に進まなかった。
 book1とbook2という作品に沿って言うなら、あるいはポストモダン文学のお作法で言うなら、それは現実自体が天吾による作品世界であるという構造を示していた。作中人物による作品が現実と循環するという、文学学者にウケのいい意匠である。ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」というシンボルもいかにもそれらしく巻頭に配置されていた。現実と文学的想像には臨界がないことをいかにも批評的に技巧的に示すメタ文学である。つまり、ゴミだ。
 book1とbook2の主人公である天吾と青豆は、連続した物語が創作されてもドラマツルギーが自動的に産み出す幻影になりかねない。お涙頂戴の古典的心理描写の果てに、「ノルウェイの森」(参照)や「ダンス・ダンス・ダンス」(参照)といった作品同様途上国向けセックスシーンが配置されることすら避けがたい。だが、青豆は具体的な人間への欲望から、ツァラトゥストラが永遠回帰を自己の意志として選び取るように、物語を自分の意志として選び出す。生きることは、倫理的でなくてはならない。

 そして私がここにいる理由ははっきりしている。理由はたったひとつしかない。天吾と巡り合い、結びつくこと。それが私がこの世界に存在する理由だ。いや、逆の見方をすれば、それがこの世界が私の中に存在している唯一の理由だ。あるいは合わせ鏡のようにどこまでも反復されていくパラドックスなのかもしれない。この世界の中に私が含まれ、私自身の中にこの世界が含まれている。

 青豆は最後にそこで覚醒する。

 天吾が現在書いている物語が、どのような筋書きを持った物語なのか、青豆にはもちろん知りようがない。おそらくその世界には月が二つ浮かんでいるのだろう。そこにはリトル・ピープルが出没するのだろう。彼女に推測できるのはせいぜいそこまでだ。にもかかわらず、それは天吾の物語であると同時に、私の物語でもあるのだ。それが青豆にはわかる。

 覚醒をもたらしたのは青豆が子供を産むと決めたからだ。自分の子供を産むことは、それがいかなる物語となるとしても、自らの生として受け入れるしかない。生とはそのようなものだ。メタ文学の戯れであってはいけない。book1とbook2という戯れから、人が生きるための文学を救い出さなくてはならない。作者が文学の臨界を超えずして、そしてなおかつ現実的な世界に奮い立つ原生的な力に復帰しなければ、book1とbook2が文学的な偽物となるのは必然であり、それを避けるには物語が投げかける本質的な謎を真正面からきちんと解いて見せることだ。
 そのために村上春樹は、1Q84のbook1とbook2の読者の位置に降りてみた。この物語を再び読み返し、読むという批評の立場に立って見せた。そのことが牛河の再造形となり、book3の主人公とさせた。牛河を投げ込むことで、book1とbook2という物語を読者の視点から緻密に、他者として読み直すことを可能にした。ポストモダン文学の愚劣な罠から逃れた。
 book3にはさらにもう一つ原生的な生の仕組みが導入された。露骨に言えば、著者の父の死だ。人がこの世に生まれるためには父と母を必要とする。ヤブユム。だが、この父と母の死は子孫を通して、民族の幻影、つまり国家の幻想を生み出す。国家とは墓所のことである。なぜ人は一人死ぬことができないのか。なぜ親子の連繋を共同の幻想に仕立て上げてしまうのか。その問題が、book3のなかで天吾の父の生の倫理を通して濃密に語られる。そのことで、book1とbook2における母の喪失、あるいは「海辺のカフカ」(参照)で放り出したオイデプスの問題にファルスが対立する。NHKは国家の暗喩である。集金とは税の比喩である。国家の幻想は公正を装いながら、国民をゲシュテル(徴収)する。逃れようにも逃れられないものとして、父の原理として戸の陰にうずくまるものを暴き立てる。
 book3の巧妙だがやや曖昧な暗喩は、追い立てる幻影の先に、ジャックと豆の木の洒落のような、天吾、青豆、牛河という滑稽な名の主人公たちを置いてみせることで、彼らの聖化を明らかにする。何かが彼らを絶対的な孤独なものとして聖別している。その何かとは、青豆のいう王国であり神を指し示している。天吾はまさに、「天は吾れ」として青豆の鞘なかにドウタとして再臨が予定される。牛河の悲惨な最後は神の恩寵として捧げられている。その構図からすれば、1Q84という物語には、おそらく20年後の神の出現の物語が隠されているし、book3のなかで敢えて解かれなかった謎がそこにまとまることも予想できる。しかし、それはbook4なりの物語を暗示しないだろう。別の物語となるだろう。
 book3は、予想外の成功をもって一つの完結を迎えた。作者が批評の立場に立ってみせることで、かつての長編のように謎を放置するだけのことはなく、謎の回収を行った。生の強い意志が、作品の文学的な合わせ鏡を許しはしなかった。
 そのことは同時にこの作品の想定された期待の限界も意味している。日本が、そして世界が、1984年以降抱えてきた暴虐の謎を逆にこの作品はうまく解き明かすことができなかった。露骨にいえば、オウム事件を産み出した日本社会の狂気の無意識を1Q84はうまく射貫いてはいない。リトル・ピープルを1Q84に置き去りにすることは解決ではない。現実は物語に文学にその解決を求めている。ひりひりと求めている。
 私はもう一つ蛇足を言う。作品の作者は、ちょうどこの作品のフラクタル的な構造の原型がそうであるような意味で言えば、つまり天吾が原型の物語の作者ではなく深田絵里子がそうだという意味で言うなら、おそらく村上春樹ではないと私は思う。

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2010.04.15

ワシントン・ポスト、コラム曰く「あのさ、日本人、ユキオ」

 14日付けワシントン・ポストのアル・カーメン(Al Kamen)氏のコラム「Among leaders at summit, Hu's first」(参照)が、核安全保障サミットに出席した鳩山由紀夫首相をおちょっくっていて、日本のマスコミでも話題になっていた。朝日新聞記事「「最大の敗者は鳩山首相」 核サミット、米紙が皮肉」(参照)や読売新聞記事「「哀れでますますいかれた鳩山首相」…米紙酷評」(参照)などだ。
 国内報道の受け止め方は、鳩山首相への酷評と見るか皮肉と見るかというところだが、実際原文を読んでみると、皮肉といえば皮肉だが、おちょくりといった軽い印象の読み物であり、とりわけオバマ政権の内心がどうというほどの話でもない。
 むしろ原文は、鳩山氏が話題になっているというより、米国の軍事同盟国の一員として、鳩山氏に代表される日本人が問われているという印象をもった。"Uh, Yukio, you're supposed to be an ally"というあたりにその印象が強い。そうした印象が出るように試訳してみた。



By far the biggest loser of the extravaganza was the hapless and (in the opinion of some Obama administration officials) increasingly loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama.

核安全保障サミットとかいうドタバタ喜劇でダントツの負け馬は、不運で、(これはオバマ政権関係筋の意見でもあるのだが)ますます頭がイカレてくる日本の首相、鳩山由紀夫だ。

He reportedly requested but got no bilat. The only consolation prize was that he got an "unofficial" meeting during Monday night's working dinner. Maybe somewhere between the main course and dessert?

報道によれば彼はサシの対談を望んだがダメだった。唯一得られた残念賞は、会談をかねた月曜夜の食事会での「非公式」対談だった。たぶん、食事後にデザートが出てくるまでの合間ではないかな。

A rich man's son, Hatoyama has impressed Obama administration officials with his unreliability on a major issue dividing Japan and the United States: the future of a Marine Corps air station in Okinawa.

金持ちの息子である鳩山は、オバマ政権の関係筋に対して、日本と米国を分かつ主要問題の一つで、信頼性を損ねてきた。問題は、在沖米軍海兵隊普天間飛行場の未来についてである。

Hatoyama promised Obama twice that he'd solve the issue. According to a long-standing agreement with Japan, the Futenma air base is supposed to be moved to an isolated part of Okinawa. (It now sits in the middle of a city of more than 80,000.)

鳩山はオバマにこの問題を解決すると二度も約束した。長期的展望に立った日本との合意で、普天間飛行場は沖縄の非市街地域に移転させることになっている。(現状では人口八万人の市街地の中央にある。)

But Hatoyama's party, the Democratic Party of Japan, said it wanted to reexamine the agreement and to propose a different plan. It is supposed to do that by May. So far, nothing has come in over the transom.

だが鳩山率いる日本民主党は、この合意を再検討し別案を提示したいと言った。別案は五月までに提案されることになっている。これまでのところ、頼みもしない提案は来ていない。

Uh, Yukio, you're supposed to be an ally, remember? Saved you countless billions with that expensive U.S. nuclear umbrella? Still buy Toyotas and such?

あのさ、日本人、ユキオ。君は建前上、同盟国の一員なんだが。忘れちゃったか? 米国の高価な核の傘の分、何十億ドルもの金額を君に節約させてんだよ? なのに、トヨタの自動車みたいもん買えってか?

Meanwhile, who did give Hatoyama some love at the nuclear summit? Hu did. Yes, China's president met privately with the Japanese prime minister on Monday.

この間、核サミットで鳩山にいくばくか慈愛を施したのは誰か? 胡錦濤だ。そう、月曜日に日本の首相と内密に会合を持ってくれたのは、中国主席でした。


 おちょくりの軽いお笑いコラムといったなかに、鳩山首相なんか立てている日本人に、しっかりしてくれといったユーモアが感じられる。

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2010.04.14

韓国海軍哨戒艦「天安」爆沈、その後

 先月26日夜、韓国が黄海上の軍事境界線と見なす北方限界線(NLL)(参照)に接する白翎島の南西約2キロ地点で、警備活動中の韓国海軍哨戒艦「天安」(全長88メートル、1200トン)が爆沈した。


白翎島

 乗員104名中救助されたのは58名。一名の遺体が発見されたという報道もあった(参照)。44名は海底に残されているらしい。明日引き上げ開始となる予定だ(参照)。
 爆沈は激しいものだった。韓国地質資源研究院は、TNT火薬で約260キロの爆発に相当する空中音波を観測した(参照)。この火薬量は北朝鮮サンオ級小型潜水艦の魚雷の爆発力に相当する。
 爆沈の理由は現報道ではわからないとされているが、朝鮮日報「哨戒艦沈没:「外部爆発の可能性大」」(参照)では、船底の下で魚雷・機雷などによる外部爆発が発生した可能性を報じ、機雷の可能性を高く見ている。
 機雷であろうか。朝日新聞「軍艦沈没、広がる疑心暗鬼 韓国内で北朝鮮関与説やまず」(参照)は北朝鮮の関与を含め、こう報じている。


 韓国内では「北朝鮮軍の関与」説が飛び交っている。メディアは大々的な報道を続け、国会では与野党を問わず政府に北朝鮮の関与の有無をただす質問が絶えない。
 だが、政府側は慎重だ。これまでの調査では、哨戒艦は潜水艦や魚雷が標的を探すために発信するソナー音を感知していない。機雷の可能性も低いとみられている。原因の特定につながる情報がないなか、金泰栄(キム・テヨン)国防相は「すべての可能性を念頭に置いている」と繰り返している。

 韓国内に、北朝鮮の関与による外部爆発を疑う声も多いのは、ある意味で当然のことだろう。関与が明確になればなったで大きな問題となる。同記事より。

 もし北朝鮮の犯行となれば、ラングーン事件(1983年)や大韓航空機爆破事件(87年)に匹敵する事件となる。対応を誤れば政権の危機にもつながりかねず、韓国政府は調査に万全を期すため国際合同調査団の創設を各国に打診し、米、英など4カ国が参加を表明した。

 朝日新聞報道は曖昧に書いているが、北朝鮮の関与が明確になれば軍事的な対応を取らざるを得なくなるという含みがある。
 同記事は、オバマ政権も韓国側の慎重姿勢に配慮し、調査終了まで北朝鮮との協議自粛を決めたと続くが、問題は六か国協議のほうにある。今日付のロイター「オバマ米大統領、北朝鮮の6カ国協議復帰に期待」(参照)は、「天安」爆沈の文脈に触れず、北朝鮮について展望を述べている。

核安全保障サミット閉幕後に行われた記者会見で、オバマ大統領は「北朝鮮は自国民に深刻な打撃を与える厳しい孤立への道を選択したと言っていいだろう」とコメント。その上で、制裁の圧力がさらに高まれば、北朝鮮は孤立状況から抜け出そうとし、6カ国協議にも復帰することになるだろうと述べた。

 だが、「天安」爆沈の文脈に触れずに六か国協議が再開されることは当面なくなったと見てよいだろう。
 別の言い方をすれば、日本の報道では核廃絶といった美しい文脈に核安全保障サミットが置かれているが、現実の文脈に置き直せば、核安全保障の問題はイランの核化と北朝鮮の核保有の問題であり、後者が今回の事件で抜き差しならぬ事態となりかねない。
 もう少し踏み出して言えば、北朝鮮は核保有をやめることはないという各種のメッセージが出されてきた文脈のなかに、この事件が置かれるのかもしれない。12日付けワシントン・ポスト社説「What is most likely to denuclearize North Korea」(参照)もそうした文脈を暗に重視しているようにも読める。

There's debate over whether such Chinese aid would be useful in restarting diplomacy or unhelpful in easing the pressure that alone might someday spur a deal.What's most likely is that it doesn't matter: that the North Korean regime will never give up its nuclear weapons, because it has nothing else -- no legitimacy at home or abroad.

中国のような北朝鮮支援が六か国協議再開に有益なのか、将来単独で事態を進展させうる圧力の緩和は有益ではないか、といった議論がある。可能性としては大した議論ではない。北朝鮮は絶対に核兵器を放棄しない。もうそれ以外に北朝鮮には何もないからだ。北朝鮮内外に国家存立の正当性はない。

As in Iran, the problem is the regime more than the weapons. That's not an argument against engagement with Kim Jong Il any more than with the mullahs.

イラン同様、問題は核兵器ではなく、国家体制の維持にある。シーア派の大義ほどに金正日の関与も問題にならない。

It is an argument for clear-eyed engagement, though -- with a recognition that in the long run only a change in the nature of North Korea's government is likely to solve this problem.

問題は現実を見ろということだ。北朝鮮政府の体制に変化がなければ、核の問題を解決することなどできないと認識することだ。


 懐かしのネオコン音頭のように聞こえないでもない。だが、その主張を現実の世界でしているのはオバマの米国ではない。核兵器抜きの北朝鮮というものはありえないのだということを、悲鳴のように告げてきたのは北朝鮮だろう。

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2010.04.13

タイ流血衝突

 10日、タイの首都バンコクで、反政府デモ勢力と治安部隊が衝突し、ロイター通信の日本人カメラマン村本博之さんを含め21人の死者と900人近い負傷者を出す流血の惨事となった。私はここまでの事態は想定していなかったのでやや驚いた。
 抗争の背景には、現アピシット首相を支える、対外勢力とも結びついた既存財閥及び官僚、都市中間層、さらに王室もこちらに近いと見られる既存勢力の黄色の派、民主化市民連合(PAD)に対して、タクシン元首相を支持する新興財閥勢力に地方農民や都市貧困層を加えた赤の派、反独裁民主戦線(UDD)との利害対立がある。が、そこまでは従来通りで、なぜ事態がここまで悪化したについては十分な説明にはならない。
 おそらく過激な動向への変化には、バンコク週報「戦術を巡りUDD内で対立か」(参照)が指摘するように、UDD内の分裂から戦術変更が関係しているのではないだろうか。


 UDD首脳部は、ベテラン政治家のウィラ氏やチャトゥポン・タイ貢献党議員らのグループ、カティヤ陸軍少将やパンロップ・タイ貢献党議員らのグループ、非合法組織・タイ共産党の幹部だったスラチャイ氏やチャクラポップ元首相府相らのグループで構成される。
 現在の反政府デモを陣頭指揮しているのはウィラ氏らのグループだが、平和的な手段に固執する同グループは、カティヤ少将やスラチャイ氏らが過激な手段に訴えるべきとの主張を変えないことから、この2つのグループと決別することになったようだ。

 日本側の公開された報道からはよく見えてこないし、仮定に仮定を重ねる議論は危険だが、この「過激な手段」に銃器類の使用も関係しているかもしれない。現実問題として、銃器類が使用されたために惨事が発生した。
 普通に考えれば、中国の天安門事件でも明白なように、銃器類を使用するのは政府側であり、今回もアピシット政権側が強行な行動に出たか、末端が暴走したかにも思える。ただ、暴走と見るにはやや広範囲な印象もある。また、アピシット政権が強攻策に出て鎮圧できると見なすメリットは、状況から考えると少ない。
 政府側の報道では、銃器類の使用がUDD側であることを仄めかしている。産経新聞系IZA「タイから消えた「ほほ笑み」 軍とデモ隊衝突、21人死亡 負傷者800人超に」(参照)より。

 一方、政府のパニタン報道官は11日の記者会見で、衝突では政府が持っていない武器や催涙弾が使われたと指摘。デモ隊に奪われた銃器類もあるという。調査委員会を設置し、メディアなどから映像の提供を受けた上で詳細を調べるとした。

 現状では、政府側に銃器使用がなくUDDのみ使用したとの想定はできない。だが、UDD側に銃器を使った闘争への変化があれば、問題を見る枠組みは変わってくる。
 毎日新聞社説「タイで日本人死亡 真相究明が最優先だ」(参照)では亡くなった村本博之さんの死因解明を次のように政府側に求めている点で予断を含んでいるようにも思われる。政府側からの対応はそれ自体政治的な色合いを持つだろう。

この密接な両国関係を考える時、村本さんの悲劇の経緯は極めて重要だ。撃ったのは誰か。流れ弾か意図的なものか。意図的な銃撃ならばその狙いは何だったのか。こうしたことをぜひとも明らかにする必要がある。タイ政府の誠実な対応を強く求めたい。

 今後の推移だが、今朝の大手紙社説がこぞって民主主義的な解決を求めるとし、選挙管理委員会の主張も踏まえ、アピシット政権側に選挙のやり直しを求めるというふうにも受け取れる主張をしていたが、選挙を実施すれば恐らくタクシン派、つまり、UDD側が勝利することになるだろう。アピシット政権としては、その趨勢がある内は、「民主主義」的な流れには変わらないだろう。
 加えて今回は、恒例でもあった国王の仲裁も、国王の高齢化や権力の複雑さから難しいようだ。また、対外的な勢力による介入的な動きもないようだ。さらに気になるのは軍の動きだが、全体としては現状冷静な対応しているように見える。
 アピシット政権が取り得る最適戦略は、ある種の引き延ばしではないだろうか。それ対して、UDDがどこまで強攻策を維持できるかという均衡がある。強攻策は現状ではアピシット政権を追い詰める成果となっているが、ある地点からは孤立化に向かうだろう。
 おそらくUDDの強攻策がタイ国民的に受け入れがたいという妥協点でアピシット政権の妥協も含めての現政権継続となるのではないか。

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2010.04.12

リシャルト・カチョロフスキ(Ryszard Kaczorowski)元ポーランド大統領

 10日、ポーランド空軍のTu-154がロシア連邦西方スモレンスク北飛行場への着陸進入中に墜落し、ポーランド政府要人96名が死亡した。死者には、ポーランド大統領レフ・カチンスキ夫妻やリシャルト・カチョロフスキ(Ryszard Kaczorowski)元ポーランド大統領が含まれる。

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リシャルト・カチョロフスキ
(Ryszard Kaczorowski)
 リシャルト・カチョロフスキ氏は1919年の生まれ。90歳であった。小説家ジェローム・デイヴィッド・サリンジャーと同じ年の生まれである。
 1989年7月19日から1990年12月22日、ポーランド亡命政府の最後の大統領(第六代)を務めた。最後というのは、1990年にポーランドの共産主義政権が崩壊後、初の自由選挙で大統領に選出されたレフ・ワレサ(ヴァウェンサ)大統領の就任式に国璽(presidential insignia)を渡し、亡命政府大統領を退いたからだ。
 ワレサ大統領は第三共和制の第二代大統領であったが、初代ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ大統領はいわば自由選挙までのつなぎであった。なお、ヤルゼルスキ氏は、2006年4月31日、1981年から83年の戒厳令下の民主化弾圧が憲法違反に問われ起訴された。
 カチョロフスキ氏の人生は、20世紀のポーランドの歴史の一面を物語る。1939年、19歳のときソビエト軍によるポーランド侵攻で従軍した。その後は、愛国的なボーイスカウト運動を推進したが、その活動がソ連の疑惑の対象となり、後のKGBとなる内務人民委員部(NKVD)に連行され、死刑判決を受けた。後、10年間の強制労働に減刑され、ナチスのアウシュヴィッツと並ぶ史上最悪の強制収容所コルィマ(Kolyma)に送らることになった。幸いこれも1941年、亡命政府のヴワディスワフ・シコルスキ首相がソ連と外交関係修復条約を締結したことで特赦となった。
 その後、カチョロフスキ氏は軍人ヴワディスワフ・アンデルス氏の指揮下に入り、連合軍兵士としてモンテ・カッシーノで戦った(Battle of Monte Cassino)。アンデルス氏はすでに、カチンの森事件についてソ連に疑いを持っていたことから、ソ連との共同を避けていた。
 戦後のカチョロフスキ氏は、英国に政治亡命者として亡命した。ポーランド亡命政府の軍人はポーランド市民権を剥奪されたからである。27歳であった。やり直しの人生として、英国の大学で国際貿易を学び、ビジネスマンとして働くかたわら、当地のボーイスカウト活動にも注力した。英国の名士の仲間入りもした。ロンドンでの亡命政府の大統領職もどちらかというと、著名人の名誉職と言ったものだったのだろう。2004年には英国女王からナイトの称号も授与された。
 運命に翻弄された人生であったともいえるし、30代以降は平穏な人生であったといえるかもしれない。思いがけぬ事故ではあったが、長寿でもあった。

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2010.04.11

都市化し、経済成長するアフリカ

 将来の世界の都市化ということで、前回の「2025年、世界最大の都市は東京。しかも、ダントツ。: 極東ブログ」(参照)にも関連するが、今後30年でもっとも都市化が進む地域は、どこか? アジア地域を想定する人が多いのではないだろうか。しかし、それはアフリカであるかもしれない。
 2月のニューズウィーク記事「How Africa is Becoming the New Asia」(参照)がこの問題を扱っていた(同記事は日本版3.17に邦訳もあり)。


Today only a third of Africa's population lives in cities, but that segment accounts for 80 percent of total GDP, according to the U.N. Centre for Human Settlements. In the next 30 years, half the continent's population will be living in cities.

現状ではアフリカ人口の三分の一しか都市に暮らしていないが、この都市民が国内総生産(GDP)の80パーセントを産み出していると、国連人間居住センター(UNCHS)は指摘している。今後の30年で、アフリカ大陸の人口の半数が都市民となる。


 都市化をどう捉えるかにもよるし、最も都市化が進む地域がアフリカだということはできないかもしれないが、それでもアフリカの人口の半分が都市民になるというのはかなり大きな変化であり、その兆候はすでに見て取れる。
 前回のエントリーでも触れたが、2025年の世界では、現在20位にも入っていないのに、11位にコンゴのキンシャサ、12位にナイジェリアのラゴスが1500万人都市のレベルで上がってくる。ニューズウィーク記事では、ラゴスをどちらかというと明るく描いている。都市人口もすでに1800万人としている。

Nowhere is this relationship between the consumer class and urbanization more apparent than in Lagos, Nigeria, a megalopolis of 18 million that has the anything-goes pace of a Chongqing or Mumbai. On Victoria Island, the city's commercial center, real estate is as expensive as in Manhattan. Everywhere you look, there is construction: luxury condos, office buildings, roads, even a brand-new city nearby being dredged from the sea that will hold half a million people.

消費階級と都市化の関係がもっとも顕著なのはナイジェリアのラゴスを置いて他にはない。ラゴスは1800万人を擁する巨大都市で、重慶やムンバイのようになんだってアリで物事が進んでいる。都市の消費部であるビクトリア島の不動産価格はマンハッタンより高い。どこもかしこも建築中だ。高級マンション、オフィスビル、道路、さらに海を浚渫した最新都市には50万人が居住するようになる。


イコイ湾から見たラゴスのビジネス中心地区

 当然ながら経済成長も激しく、当然ながら成金も出現する。6日付けフィナンシャルタイムズが「From megacity to metacity」(参照)が指摘したような暗部も大きい。
 まったくの無秩序とはいえないが、都市化に伴いアフリカは成長していく。ニューズウィーク記事ではこうも指摘している。


In 2007 and 2008, southern Africa, the Great Lakes region of Kenya, Tanzania, and Uganda, and even the drought-stricken Horn of Africa had GDP growth rates on par with Asia's two powerhouses. Last year, in the depths of global recession, the continent clocked almost 2 percent growth, roughly equal to the rates in the Middle East, and outperforming everywhere else but India and China.

2007年と2008年、南部アフリカ、ケニア、タンザニア、ウガンダの大湖畔地域、さらに厳しい干魃のアフリカの角の地域ですら、アジアの二雄に匹敵する国内総生産(GDP)成長を遂げた。昨年の世界不況ですら、アフリカ大陸は2パーセント成長した。これは中近東や、インドと中国を例外とすればどの地域よりも突出している。


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アフリカ
動きだす9億人市場
 アフリカの角はソマリア半島である。そこでも経済成長している。アフリカ全域でも高い経済成長が見られる。なんとなく私たちの通常の印象と違うかもしれないし、よほど低い地点からの成長だからとも思うかもしれない。しかし、中間層も出現しているし、なにより近代的な巨大都市がこれらを牽引していると見てよいだろう。もちろん、残された地域との大きな差違も問題にはなる。
 これだけの成長セクターなのだから、より一層の投資チャンスと見えるかもしれないし、実際そうでもあるのだが、リスクは高い。汚職もひどい状態で、国際的な汚職関心団体の指摘では53か国中36か国で汚職が蔓延しているのことだ。治安もよくない。
 しかし、ものは考えようで、治安も悪く、そして汚職が蔓延している地域こそ手慣れたチャンスとして一団となって乗り込む人々もいる。まあ、誰というまでもないが。

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2010.04.09

2025年、世界最大の都市は東京。しかも、ダントツ。

 今日のCNNのニュースで、現在、世界最大の都市は東京であり、しかも、ダントツだという話があった。それはそうだろう。以前「東京が世界の中心なのかも: 極東ブログ」(参照)というエントリも書いたことがあるので、それほど驚きではなかったのだが、ニュースの詳細を見ていて、驚いた。2025年になっても世界最大の都市は東京であり、しかも、ダントツなようだ。日本の人口は縮小し始めているのに、東京だけが世界に冠たるお化け都市になっていくらしい。
 CNNのニュースは「世界の人口、巨大都市に集中の傾向 最大は東京圏」(参照)である。


 国連がこのほど発表した報告書によると、人口1000万人を超える巨大都市の住民は現在、世界の都市人口の9.4%以上を占め、2025年には10.3%に達することが予想される。巨大都市の人口では、東京圏が世界首位に立っている。
 国連経済社会局が3月末に発表した「世界都市化展望2009年修正報告」によると、世界には同年現在、人口1000万人以上の巨大都市が21カ所あり、この数は2025年までに29カ所に増える見通しだ。
 巨大都市のうち、東京圏の人口は横浜、千葉などの周辺部を含め3650万人で、世界2位のインド・デリーを大幅に引き離している。これは国別人口のランクに当てはめると、アルジェリアやカナダ、ウガンダをしのぐ数字だ。

 CNN報道を読むとわかるが、正確には「東京」ではなく「東京圏」としている。データの出所は国連経済社会局が3月末に発表した「世界都市化展望2009年修正報告」とのことだが、同内容と思われる英語報道「The world's megacities」(参照)にはこの言及が見当たらない。代わりに英語報道では、世界の都市調査・予測で定評があるデモグラフィア(Demographia)(参照)があるが、日本語報道にはない。報道のヴァージョン関係がよくわからない。が、今年のデモグラフィアの「Demographia World Urban Areas & Population Projections」(参照PDF)は興味深いものではあった。、
 CNN日本版にある、国連経済社会局が3月末に発表した「世界都市化展望2009年修正報告」だが、これは3月22日付けガーディアン「UN report: World's biggest cities merging into 'mega-regions'」(参照)に、UN-Habitatによる"Biannual State of World Cities report"とある、「State of the World’s Cities 2008/2009 - Harmonious Cities」(参照)ではないかと思う。
 UN史料を見ていくと、2025年の巨大都市の推定があるのだが、これを見ると、東京がその時点でもダントツである。

 現在の2位はメキシコ・シティだがこれは2025年には6位に落ちる。2025年の2位はインドのムンバイだが、それでも東京には1000万人も及ばない。
 東京はどれほどお化け都市なのかということだが、よく見ると、東京が2025年にそれほど膨れているわけではない。100万人増えるくらいだ。東京といっても東京圏なので、おそらく2025年に現在の東京都自体が人口面で大きく変わるということではないだろう。東京に近い人がもう少し東京に近い圏内に移住するといったくらいのものだろう。
 2025年のダントツ1位の東京の人口が現在とそれほど変わらないというのはどういう意味なのだろうか。他のメガシティには超えられない上限が存在するということだろう。200万人レベルの都市を見ていくと、どちらかといえば途上国発展の無秩序的拡大の限界と、ニューヨークやロサンゼルスのような米国型都市の限界がありそうだ。
 欧州型のメガシティというものは見当たらないようだ。また、上海などもメガシティでそれなりに拡大するのだが、他の都市からすると相対的に落ちてくる。北京も同様だ。意外に、中国はあれだけの人口を抱え、沿岸部の都市へ人口がシフトするのだろうが、全体として効率のよいメガシティ化はせず、むしろ都市間の距離から分散的になっていくのだろう。
 もう一点、ある意味で驚くべきこともしれないが、現在20位にもないナイジェリアのラゴスが12位に上がってくる。11位も同様にコンゴのキンシャサが登場する。この観点からフィナンシャルタイムズが6日付け「From megacity to metacity」(参照)というアイロニカルなエッセイ掲載している。


If Tokyo is a shimmering, high-tech, consumerist dream of intensity and density, somehow remaining civilised, polite and eye-wateringly efficient, Lagos has become the cipher for the urban nightmare – a city without structure, infrastructure, social provision, amenities or basic property rights for its citizens.

東京が、きらめく、ハイテクの、強度密度を持った大量消費の夢であり、文明にとどまり、礼節を持ち、泣けるほど効率的であるなら、ラゴスは都市が悪夢の謎である。そこは構造も生活基盤も社会的供給も快適さも市民の基本形もない都市だ。


 たしかに、そんなネタを展開したくなるような世界都市の変貌にはなるだろう。
 デモグラフィアのほうの史料もざっと見ていくと、東京圏について興味深い言及があった。

A plausible argument could be made for designating the south coast of Japan from Tokyo-Yokohama to Osaka-Kobe-Kyoto as a single urban area, because it has nearly “grown together.” Yet, this ribbon of urbanization is far too large to be a single metropolitan area (labor market) and thus considered to be multiple urban areas.

日本南岸について東京・横浜から大阪・神戸・京都までもが単一の都市域なのだと論じることも可能だろう。一体的に成長しているからだ。しかし、この一帯は、単一の都市部(労働市場)として見るにはあまりに大きすぎる。だから、都市部としては分割して考察される。


 おそらく世界の他の都市の広がりからすると、東京から大阪間までも巨大な一つの都市と見なせないこともないのだろう。実際のところ、日本は世界最大都市東京を頭にもちつつ、太平洋側に緊密に、事実上のさらなる巨大都市を作り上げていくのだろう。
 日本は政府と経済を見ていくと、老人の「立ち枯れ日本」といった印象があるが、現実には、他の世界のどの国もなしえない、不思議な都市空間を作り上げている。それは、人類からさらに進化した、どちらかというと、蟻に近い存在なのではないか。

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2010.04.08

キルギス、バキエフ政権崩壊、雑感

 キルギス政権が崩壊した。このところ中国のウイグル経由のガス・パイプラインの動向(参照)を見ながら、このパイプラインがキルギスを迂回していることを考えていた矢先だったので、驚いた。

 昨年7月23日、同国のクルマンベク・バキエフ(Kurmanbek Bakiyev)大統領が再選された後、7月29日、首都ビシケクで野党陣営の反政府デモが鎮圧された事件があったが、私は選挙不正は好ましいことではないとはいえ、バキエフ大統領派「輝く道」は議会の八割を維持しており、今回の北部での暴動も同様に治まるのではないかと楽観視していた。また、昨年からいろいろ揉めてきた同国の米軍基地撤去もここに来て現実的な線で落ち着いたことも楽観視の理由だった。しかしもはや楽観視できない状況になっている。
 7日夜(日本時間8日未明)、ダニヤル・ウセノフ(Daniyar Usenov)首相は内閣総辞職に同意する文書に署名し、野党指導者でもあるローザ・オトンバエワ(Roza Otunbayeva)元外相が臨時の国民政府を樹立を宣言した。今後半年以内に新憲法を起案し、大統領選を実施するとのことだ(参照)。クーデターの成功から察するに軍と治安部隊も野党勢力下に入ったと見てよいだろう。
 バキエフ大統領はビシケクから脱出し、自身の勢力下でもあり大統領公邸のある南部オシュに逃亡したと報道されている(参照)。キルギスは南北対立が根深くあり、今回の政変も南北対立と見ることもできるかもしれない。だとすれば、南部側からの再攻勢があるかが懸念されるが、現状の軍の動向からすると恐らくないだろう。
 政変の原因だが、結果論的に言えば、バキエフ大統領下の圧政や汚職というより、経済危機の影響だろう。ロシアと米国を天秤に掛けながら援助を得てきた政権だが、比重を傾け始めたロシア経済が停滞し、キルギスへの援助も弱くなった。ロシアの失政と見られないわけでもない。今回の事態の変化によって直接大きくメリットを得る外部勢力も想定しづらいので、政変を外部から画策するといった陰謀もなかったのではないか。
 とはいえデメリットの側からすれば、米国の痛手となりそうだ。とりあえず実質的な存続のめどがたった米軍基地だが、野党勢力は閉鎖を求めているようだ。キルギス内の米空軍基地は、アフガニスタン駐留米軍の支援拠点でもあるので、米国の対アフガニスタン戦に大きな影響が出るだろう。
 今後の動向だが、率直なところ皆目わからない。キルギスに経済的な好転の見込みがない以上、依然ロシアと米国に援助を求めるしかないだろうが、どちらに転びそうだという予測も立たない。中国としてもここは上海機構の手前、新政権の安定を求めるだろうが、それほどの口出しはしないだろう。ただ、キルギスへのロシアの影響が大きくなれば、ウイグル経由の天然ガス・パイプラインへの懸念が高まる。

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2010.04.07

トルコ・アルメニア問題の背景にあるナブッコ

 トルコとアルメニアの関係が改善の方向に向かうかに見えた、昨年10月の両国の国交樹立と、関係発展の合意文書の調印だが、その後、頓挫している。批准の見込みもない。これにナブッコの問題が関係しているようだ。
 トルコとアルメニアの関係のもつれについて、トルコ側背景の一端については、先日「トルコが脱世俗国家へと変貌しつつあるようだ: 極東ブログ」(参照)でもふれたが、やっかいな「アルメニア人虐殺」(参照)問題がある。現状蒸し返しのようにも見えないことはない。アルメニア側も一度はトルコに歩み寄ったものの譲りがたい思いがあるようだ。批准についてもアルメニアから率先して行いたくはないとしている。
 7日付けの"Radio Free Europe / Radio Liberty"というサイトでは、アルメニアのサルキシャン大統領は、「トルコとの歴史認識のすりあわせなどナンセンスだ」という見解を報じている(参照)。アルメニア側は相当に硬化している。
 トルコとアルメニアの関係悪化をどうするか。ニュースを見ていくと、両者の間に欧州連合(EU)が入り、和解推進を求めている動向がうかがえる(参照)。フランスに訪問しているトルコのエルドアン首相に、フランス、サルコジ大統領がアルメニアとの対話を呼びかけているという報道もある(参照)。トルコとアルメニアの関係については、EUとしての問題意識も強い。
 EUが和解に入る動機は、ニュースからはっきりとは見えてこない面もあるが、ナブッコが関連しているようだ(参照)。

 ナブッコ・ガスパイプライン・プロジェクトは、カスピ海沿岸国の天然ガスをアゼルバイジャン、グルジア、トルコ経由で欧州に輸送するEU主導のエネルギー構想である。重要なのはこの供給ルートが完全にロシアを迂回することだ。欧州がエネルギーでロシアにグリップされないための安全保障という側面が強い。ちょうど原油に対するBTCパイプラインの天然ガス版とも言える。ただし、原油は港を得れば、後はシーレーンが確保されればコモディティ化するの対して、天然ガスの場合は、消費地に直結する必要があり、より地政学的な問題が関与してくる。
 ナブッコ・プロジェクトは2011年着工、2014年の稼働を目指しているが、80億ユーロに上ると見られる建設費調達のめどは立っていない。加えて、その重要ルートに、このトルコとアルメニアの問題が関連してきていた。直接現在のアルメニア領土内ではないが、「パチコフ: 極東ブログ」(参照)でふれたアルメニア人住民に関わるナゴルノ・カラバフ紛争の問題である。
 昨年秋までは、トルコとしてもアゼルバイジャンの友好国として、アゼルバイジャン領内に存在する、アルメニア系住民「ナゴルノ・カラバフ共和国」の問題の和解を目指していた。もともと民族的な背景として、アゼルバイジャンの多数民族を占めるアゼリー人はトルコ系であるということがある。
 しかし、アルメニア側は、虐殺問題に加え、「ナゴルノ・カラバフ共和国」問題でも譲らない状態になってきたようだ。これがまたトルコを硬化させる影響にもなっている。結果、ナブッコ・プロジェクトが安定せず、EUがやきもきしているという構図のようだ。
 ナブッコ・プロジェクトだが、当初からロシアは不快なものと見ており、昨年の5月、妨害の意図から、アゼルバイジャンから天然ガスの全量買取りを提案している。トルコの硬化はロシアにとってメリットがある。
 またこの地域の地図を見るとわかるが、イランもまたアゼルバイジャンから天然ガスルートを求めており(参照)、トルコへの入り口がイランとなれば、欧州がエネルギー面でもイランにグリップされかねない事態にはなりうる。

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2010.04.06

パチコフ

 ステパン・パチコフ(Stepan Pachikov)氏のことを調べていて、よくわからないが不思議な印象をもった。話に結論があるわけでもないが、興味深いことでもあったのでメモがてらに記しておこう。
 名前のステパン(Stepan)については、多少なりとも西洋文明に関心のある人なら、聖ステパノ(Saint Stephen)に由来することはわかるだろう。近年なぜか話題にもなることも多いスティーブ・ジョブス(Steve Jobs)氏の名前は、恐らく、Steven Paul Jobsで、同じ系統だ(聖ポーロも付いている)。
 ちなみにジョブス氏は、シリア人イスラム教徒、アブダルファン・ジャンダリ(Abdulfattah Jandali)氏とジョアン・キャロル・シーブル(Joanne Carole Schieble)氏の子供で、オバマ大統領と同じくイスラムの考えかたからするとイスラム教徒となるのではないかとも思うが、あまりそうした指摘は聞いたことがない。イスラム教上の結婚ではないからもしれない。ジョブズ姓は養子先の姓である。ジョアン氏については血統上ユダヤ人ではないかという話もよく見かけるが真偽はわからない。母がユダヤ人なら子供もユダヤ人と見なされるが、後にモナ・シンプソン(Mona Simpson)を産むに至る結婚は教会でなされているとのことで、宗教的にはキリスト教徒であろう。
 パチコフ氏の名前に話を戻す。姓であろうPachikovだが、ウィキペディアには「The word 'pachikov' in the Udi language means "the son of two branches".(『パチコフ』はウジン語で二系の息子の意味を持つ)」とある。何の二系なのだろうか?
 パチコフ氏のロシア名は、ロシア人らしく父名を挟み、Stepan Alexandrovich Pachikovとあり、父名はアレクサンドルであることがわかる。ウィキペディアには、父母について「the son of Alexander Stepanovich Pachikov and Ekaterina Pankova.(アレクサンダー・ステパノビッチ・パチコフとエカテリーナ・パンコワの息子)とある。また、「Pachikov is half Udi, half Russian. (パチコフは、ウジン人とロシア人のハーフである)」ともある。ここからわかることは、ステパン・パチコフ氏の母はロシア人ということと、父アレクサンドル氏はウジン人ということだ。
 わからないのは、父名、Alexander Stepanovich Pachikovに、すでにPachikov姓があることで、つまり「二系」は、ウジン人とロシア人の二系という意味ではなく、ウジン人としての血統名としての意味があるのだろう。が、そのあたりでウジン人とは何かがよくわからなくなる。
 ちなみに、ステパン・パチコフ氏の父アレクサンドル氏の父、つまり、パチコフ氏の祖父は、父名、Stepanovichからして、ステパンだろう。つまり、祖父の名前を継いでいることがわかる。はっきりとはわからないのだが、ステパン・パチコフ氏と同業のアレックス・パチコフ(Alex Pachikov)氏は年齢から察するに、ステパン・パチコフの息子ではないだろうか。であるとすれば、ここでも祖父の名を継いでいることになる。もしかして、二系とは、聖ステパノと聖アレクサンデロ(アレクサンドル)ということなのだろうか。いや、男子は一子に限るわけでもないので違うだろう。
 ステパン・パチコフ氏自身はロシア人とのハーフではあるが、パチコフ姓からもウジン人としてのアイデンティティーを持っていると思われる。ここで、ウジン人としたが、英語表記では、Udiである。他にUtiともあるが、インターネットを調べるとUdiの表記が優勢のようだ。言語はウジン語である。ウジン語の情報は、「SIL Electronic Survey Reports: The sociolinguistic situation of the Udi in Azerbaijan」(参照)が詳しい。関連の日本語での情報は「ウジン語 : LINGUAMÓN - Casa de les Llengües」(参照)にある。
 ウジン人は、民族としては、最古のコーカサス人王国とされる紀元前2千年紀のカフカス・アルバニア王国(Caucasian Albania)に由来するらしい。現代にウジン人であることウジン語を話すことが、そのままにして、"Remember everything."という印象を受ける。ウジン人はその後、Utiの表記とも関係するが、アルメニア王国のウティク地域(Utik)の住人ともなる。これは現在のアゼルバイジャンに重なる。
 現在、ウジン人の多くはアゼルバイジャンの、カバラ(Kabala)地区ニジ(Nij)、オグズ(Oguz)、バクー(Baku)に暮らすほか、ロシア内にも点々としているらしい。ステパン・パチコフ氏もオグズの生まれである。
 人口比ではアゼルバイジャンに4千人ほどいる。また、ほぼ同数がロシア内にいる。他、グルジアとアルメニアに200人ずついるらしい。民族の全人口としては一万人に満たない。民族として存続するかは、混血者内でのアイデンティティーの問題でもあるだろう。
 ウジン人を含むアゼルバイジャンの民族構成だが、テュルク系のアゼルバイジャン人(アゼリー人)が人口の九割を占める。他、アルメニア人、レズギン人、ロシア人がそれぞれ2パーセントほどだ。ウジン人はさらに少数民族ということになる。
 ウジン語は、レズギン(Lezgic)諸語の北東コーカサス言語に属するとのことだ。それが何を意味するか私はにはよくわからないが、ウジン人のアイデンティティーを構成しているのは確かだろう。とはいえ、ウジン人の多くは多国語を使っている。
 パチコフ氏が生まれたオグズだが、彼が生まれた1950年ではヴァルタシェン(Vartashen)と呼ばれていた。これがオグズに変更されたのは、ナゴルノ・カラバフ紛争(Nagorno-Karabakh War)の影響である。
 1988年、アゼルバイジャン内のナゴルノ・カラバフ自治州に住むアルメニア人が隣国アルメニアへの帰属をアゼルバイジャン政府に要求したところ、政府はこれを認めず、ナゴルノ・カラバフ自治州を廃止した。しかし、1991年ソビエト連邦が崩壊したことを受けて、ナゴルノ・カラバフ自治州は「ナゴルノ・カラバフ共和国」独立を宣言し、紛争となった。
 「ナゴルノ・カラバフ共和国」はオグズとは隣接していないが、同地域に住むアルメニア人もこの時期に追放された。このときヴァルタシェン(オグズ)のウジン人の大半も故地を捨てて移住したらしい。移住先には近隣のニジもある。

 考えてみると、アゼリー人対アルメニア人の対立とはいえ、キリスト教徒のウジン人としては、イスラム教との対立という要素もあったかもしれない。アルメニア人を追放してから、地名もトルコ文化らしいオグズになった。
 この時期、パチコフ氏はすでにモスクワにパラグラフ(ParaGraph Intl.)社を設立し、最高経営責任者(CEO)となり、百人を擁する会社を経営し、カリフォルニアにも支店を持っていた。1992年にはシリコンバレーにも進出している。ある意味で成功の極点にもあったと言えるのだが、歴史ある故地への思いも複雑だったのかもしれない。"Every note, ever written - at any time, in any place"、それがウジン人という意味なのかもしれない。

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2010.04.04

みんな亀井ポジションになりたい病

 政局にはあまり関心ないし、率直に言って裏でうごめくものについては何にもわからないが、昨日与謝野馨元財務相が自民党を離党したことに触れて、たわいない印象だが書いてみたい。
 与謝野氏の離党では二つのことを思った。一つは、ああこの人は本気なんだなということだ。この自民党ではだめだと判断し、かつ自民党に縛られない自身の政治理念にきちんと向き合っているのだと。もう少し言うと、比例復活してしまった自身に恥じているとともに、自分の命をかけても政治(消費税のきちんとした道筋)をやろうとしている漢なのだろうなと思った。政治家の倫理としては立派なものだ。
 そしてもう一つは、それでも私は与謝野氏の経済理念を支持できないということだ。与謝野氏は頭の悪い人ではないから、民主党のようなとんでもない政治をすることはないし、要所要所ではそう間違った判断もしない。しかし、中期的に見れば麻生内閣でもっともまずい経済政策を推進してしまったのがこの人だったと私は思っている。この人がいなかったら、麻生政権はもっとましだったのにと残念に思う。
 与謝野氏は無所属の平沼赳夫元経済産業相と合流するらしい。平沼氏は保守的な政治家として見られている。臆断はよくないが、私はいわゆる保守主義には関心ないせいもあって平沼氏には関心がない。平沼騏一郎の養子といった歴史的な関心が若干あるくらいだ。彼がなぜ与謝野氏と合流するのかは皆目わからない。政治理念になにか一致するものがあるのだろうか。これでさらに鳩山邦夫氏と合流するなら、私は結成されるだろう新党というものがまったく理解できない。園田博之元官房副長官にも関心がない。党名が「わしらの党」「新老人クラブ」とかだったら、少し納得はするかもしれない。老人会となれば、読売新聞主筆のナベツネこと渡邉恒雄氏も活躍するだろう。
 与謝野氏の自民党離党に関連して、自民党では人気が高いと言われる舛添要一前厚労相がこの動きに同調するかという話もあるようだ。が、しないのではないか。舛添氏はその背景からしても国際的なレベルで日本の政治・経済を考えられる人なので、消費税重視の財政規律先決という与謝野氏とは方向性がまったく違うだろう。だが、これで自民党がまったくなくなってしまうということなら話も違うのだろう(あと述べる病気にかかるかもしれない)。
 中川秀直自民党元幹事長も、与謝野氏の離党についてはいろいろ言っているようだが、またしても動きはない。中川(秀)氏は、どたばたの推移をじっと待ちながら、自民党の再生を待っているのかもしれないし、ここまでへたれたのだから、もうそれはそれでよいのではないかとも思う。中川(秀)氏については、与謝野氏とはまったく逆で政治家的にはどうなんだろうとは思うが、表面に出てくる政策的には自分が一番納得できる政治家でもある。
 与謝野新党は、その人脈的な経路から民主党の小沢一郎幹事長との関連も噂される。過去の小沢氏の政局の仕掛けから見るとそれもないとは言えないだろう。その場合の思惑は何か。自民党側からすれば自民党への打撃ということがまずあるだろう。国政レベルでは見る影もない自民党だが、地方的はまだ組織的な余力があるようでもある。小沢氏としてはここで自民党を跡形もなく解体しておきたいのかもしれない。
 が、小沢シンパだった私にしてみると、それはそれほど大きな動機にはならないかのではないかと思う。与謝野氏もそんな線だけで小沢氏に乗せられるほど愚かなわけもない。であれば、与謝野氏の自民党離党は小沢氏とは関係がないのか、あるとして別の線なのか。私は多少は関係はあるだろうと思う。
 ここでふと思考実験的にこう思う、小沢氏は、内心、現在の民主党に満足していないのではないだろうか。あるいは、民主党崩壊時に備えた手を打っているのではないか。民主党の瓦解の線で、与謝野氏も賭に出ているのではないか。民主党は、このままの推移なら普天間問題で結果的に社民党を追い出すことになるだろうし、各種の間違った政策がさらに政権批判として跳ね返るだろう。なにより来年度の予算も組めない。民主党に来年はない。
 与謝野氏の動きは、小沢氏を介して民主党が崩壊する時点を読んでいるのだろうか。この思考実験はどうだろうか。私は、強いていえば、それも違うように思う。
 小沢氏は、民主党に固めた、いわゆる左派勢力を手放さない、民主党内の旧社会党的な勢力を見限るといったことはないと私は思う。小沢氏による輿石東参院議員会長の取り込み、端的に言えば、戦後左派的な政治勢力の飲み込みは、単に政局や権力闘争のための最適化ではなく、実際に小沢氏の内面はすでに、戦後左派的な政治理念、露悪的に言えば反米路線は、自身の政治理念と合流しているのではないか。私は戦後左派を飲み込む小沢氏の政治情念は、結局のところ、ナショナリズムなのだろうと思う。
 ナショナリズムというと、ネットなどでは、日の丸・君が代・靖国・反中国といったシンボルで表層に語られ、そのシンボルがいわゆる左派的なものを区別しているかに見える。だが、その実際的な政治の動きは、どちらも大きな政府を志向していくだけだ。その大きな政府は、「日本」という大看板ではないのかもしれないが、税を介した国家の機能の強化に集約されている。そして、税という国家システムによって守られた人々(公務員・公務員の外注産業・大企業組合員)が、その外部にある人にお慈悲を与えるという正義だけが許されている。税という国家システムから自立しようとする人を排除していく。
 この左派ナショナリズムが不安定な多党構造(あるいは大連立)のなかでマスコミを巻き込んで大衆迎合的な次の「正義」を作り出していくだろう。いや、すでに民主党は亀井静香金融・郵政担当相がそのポジションに立っている。このこと自体、すでに民主党が政策を堅持する政党としては終わっていることを示している。
 みんな亀井ポジションになりたい病にかかっているのだ、と、そう考えてみると、「わしらの党」も「みんなの党」もわかりやすい。政党だからどんな政策があるのかと考えると迷路にはまる。
 小沢氏の実力で民主党が、自民党時代のように無内容でも維持できたような維持の力学(左派の飲み込み)で成り立っているなら、そして首相というのがそうした党のいち調和機関でしかないなら、そのひび割れで小政党が、なんでもできるようになる。かつてこうした状況でなにが生まれたか歴史を学ぶものには恐怖を覚えるところでもあるが。

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2010.04.02

フィナンシャルタイムズ曰く、日本の夜明けは間違いだったぜよ

 エープリルフールのネタを晒しておくのもなんだが、日本の政治的な状況は冗談よりひどいことになってきていて話題に詰まる。こうなれば毒皿喰わんか的状況だ。ついでなんで、先月28日のフィナンシャルタイムズ社説「Japan’s false dawn(日本の間違った夜明け)」(参照)にも言及しておこう。ようするに、フィナンシャルタイムズ曰く、日本の夜明けは間違いだったぜよ、である。
 よく言うよな、昨年の選挙前は、「フィナンシャルタイムズ曰く、こりゃギャンブル : 極東ブログ」(参照)だったのだが、と思うに、このくらいでないと英国的な政治感覚は身につかないなのかもしれない。
 改心したふうのフィナンシャルタイムズ社説だが、すでにgoo ニュース「日本の夜明けは勘違いだった」(参照)として翻訳が上がっている。


 日本国民が昨年8月の選挙で自民党を政権の座から追い出した時、その主な目的は、50年間にわたる自民党の権力独占を終わらせ、民主党にチャンスを与えることだった。国をぬかるみから引っ張り出してもらうため、有権者は民主党にチャンスを与えたのだ。
 しかし、日本の有権者には実はもう一つ別の思惑があるのではないか。内外のアナリストたちは揃ってそう勘ぐっていた。もうひとつの思惑とはつまり二大政党制の誕生だ。これまで受け身に徹していた有権者に、政治思想的に競い合う政党のどちらかを選ぶという、本物のチャンスを与える仕組み。期待以下の働きしかしない政権を(半世紀よりも短い周期で)追い出す機会を、有権者に与える仕組み。そういう仕組みの誕生を、有権者は期待していたのではないか。当時はそう思われていたのだ。

 いわゆる「お灸」論だ。
 しかし、フィナンシャルタイムズ社説もこの先で、しかし二大政党を担うべき自民党がぼろぼろになってしまったと匙を投げる。が、その割に結論は自民党にがんばれとエールを投げているようでもある。

この状況を簡単に解決する手軽な方法などない。しかしもし自民党がここでシャンとするならば、民主党も否応なくしっかりするかもしれない。そうすればせめてもの出発点にはなる。

There are no quick fixes to such a state of affairs. But if the LDP could get its act together, it might just force the DPJ to do the same. That, at least, would be a start.


 前段がなくgooの翻訳だけだと"such a state of affairs"の語感が伝わりにくい。また、"get its act together"は、「シャンとする」というより、自民党内ごたごたはやめれ、の含みだろう。"such a state of affairs"は何か。前段はこうある。

しかし日本の経済力が心許ないことになりつつある時、とりわけ台頭する中国などの大勢力に打撃を受けている時、そうした政党の在り方は、断固とした決断力あふれる行動をとるには不向きだ。

But it is not conducive to decisive action at a time when Japan is drifting economically and buffeted by greater forces, notably the rise of China.


 中国の台頭により、日本は経済的な方向性を見失っている。中国からの荒波の影響を受けている。これが現在日本が直面している問題であって、それには「民主党役に立たねー」ということが日本の状況である。フィナンシャルタイムズは毎回愉快なネタを提供してくれるだけではなく、きちんと日本の問題も見抜いている。
 話が後方検索みたいになっていくが、なぜ日本がこんなひどいことになったのか。

政治思想がくっきり鮮明化することを期待する人もいたが、それは日本には不向きなことなのかもしれない。文化が違うからだなどという説明の仕方は要注意だ。しかし、日本がほかの民主国家と比べて人種や宗教の分断、ひいては階級の分断さえ少ない、合意重視型の国であることは間違いない。日本において政党は、社会福祉 vs 健全財政、近隣諸国との友好 vs 強固な日米同盟――などといった明確な政治思想の違いをもとに成り立っているというよりは、個人的な人間関係や、力と金の取り引きをもとに成り立っているのだ。それはそれでいいだろう。

Japan may be ill suited to the sort of ideological clarity that some hoped for. One should be wary of cultural explanations. But it is true that Japan remains a consensual society where divisions of race, religion and even class are smaller than in many other democracies. Political parties are less about clearly defined ideologies – social welfare versus fiscal rectitude, a “good neighbour” policy versus a strong US alliance – and more about personal relationships and the brokering of power and money. That’s fine so far as it goes.


 日本特殊論といった文化的な説明や、日本単一民族論といった妄言はどうでもいいとしても、"a consensual society"という傾向は日本にあり、政治的な力学の大きな要因でもあるだろう。いや日本の内部からすれば、国民的合意なんてものはまるでない、民主党はただあらぬ暴走しているだけと見えなくもない。
 それでも日本の政党という点で見るなら、政治思想なんてものは皆無だ。自民党にも民主党にもなんの政治思想もない。あるのは、元大蔵事務次官斎藤次郎・日本郵政社長と民主党小沢幹事長と亀井静香郵政・金融担当相といった"more about personal relationships and the brokering of power and money(個人的な関係と権力や金のブローカー的お仕事)"で成り立っている力学だけだ。自民党から民主党へ政権交代したが、そこは何も変わっていない。しいて違いがあるとすれば、カネと権力に関係なさそうに装っていた社民党も同じ仲間だったねというだけのことだ。
 どうしたらよいか。マスコミが好きな清廉潔白な政治や、リーダーシップ論に逃げ込むのではなく、理路としては、きちんと市民が政治にまさに政治思想を求めるしかない。さしあたって私は、小さな政府を要求していきたい。

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2010.04.01

民主党の成長戦略は新たなる道路建設にあった

 民主政権下で道路整備事業財政特別措置法が改正される(参照)。自民党時代には、高騰したガソリン対策や景気対策として3兆円の国税が投入され、利便増進事業として休日上限1000円の割引や、スマートインターチェンジ整備に利用されていた。今回の民主党による改正では、この国税の用途を高速道路建設や車線増設に転用できるようする。この背景には、民主党の新しい成長戦略がある。
 道路整備事業財政特別措置法の改正について前原誠司国交相は当初、「高速道路会社にお金を渡して会社が整備するというのはまったく議論していない」(参照)と述べた。しかし要望の背景に、小沢一郎幹事長による、夏の参院選をにらんだ地方の首長らの取り込みがあると理解するや、その後は八ッ場ダムやJALの問題のようにきちんと沈黙を守っている。
 大半の地方首長も道路事業費の四分の三を国が負担し、残りの四分の一を地方が負担するだけでよいとなれば、この改正を歓迎し、民主党を支持することだろう。
 しかし民主党政権は、無理と知りながらもマニフェストで高速道路無料化を謳った手前、なんとか全国の二割の高速道路を無料にすると発表したばかりだ。さらなる道路増設というのでは、政策上に矛盾はないのだろうか。国税を投入してまで道路事業を推進することを不可解に思う国民もいるだろう。
 だが民主党議員にはその疑問はない。馬淵澄夫副国交相にいたっては、料金割引財源の建設費への転用が予算措置を伴わないから新たな国費の投入ではないとまで述べている。道路予算の大幅削減を強調しておきながら、予算計上されない建設資金を捻出する国交省の姿勢に問題を感じているようで民主党議員は務まらない。
 しかも6月には休日上限1000円割引制度が廃止され、車種ごとの上限料金制を導入する予定だが、道路建設への転用で割引財源が目減りすれば、新料金は高額になるか税負担となる可能性が高い。この点についても民主党議員には疑問はない。民主党内では、道路増設に関連して検討されてきた、日本経済の新成長戦略があるからだ。
 民主党の新成長戦略とは何か。端的に言えば、小沢一郎幹事長の政治的な師匠でもあった田中角栄元首相の列島改造論の新しい展開である。日本列島全域にさらなる道路を増設することで日本経済の復興を図り、デフレ脱却を求める戦略である。
 新戦略は今日この日を狙って発表されることになる予定だが、その一部は事前に独立行政法人高速道路機構から公開されている。関連の情報を見ると説得力がある(参照PDF)。

 日本は無駄な道路が多すぎると言われてきたが、この表からもわかるように、GDP比による供用延長指数は、日本が1.95と断トツに低い。つまり日本は、経済規模に見合った道路がいまだ整備されていないのが実情であり、逆に言えば、日本経済を停滞させているのは、日本国が道路に十分な投資をしていないからなのである。
 民主党マニフェストにもある高速道路無料化の本来の意義は、高速道路の有効活用によって経済活性が期待できることであった。活用できるなら道路は増えるほうがよい。だから増やそう、地方にもっと道路を増やそう、小沢一郎氏率いる民主党は列島改造論の原点に立ち返ろう、というのである。
 道路財源の暫定税率も民主党の新成長戦略に沿って再考されている。政権交代直後は、実質的に暫定税率が維持されたことで公約違反と非難されたものだった。当時はこれを廃止すると、個人消費は0.9兆円増加するものの、年間2.6兆円の税収減となり、さらにGDPは3兆円減少すると試算されていた。
 しかしその後、民主党内でさらなる見直しをしたところ、この試算の意味合いが大きく変わった。2.6兆円の税収分を実質的なガソリン減税として利用するとしても0.9兆円の効果しかないが、暫定税率分を効果的に道路建設に回せばGDPを3兆円も押し上げることが可能なのである。
 そればかりではない。国土交通省が策定した新たな中期計画をベースに試算すると、1兆円の道路投資を行った場合における10年間の効果の合計は約2.6兆円と推計されることが、マクロ計量経済モデルからわかっている(参照PDF)。

 さらに道路拡張のための用地買収経費の支出は直接に国民経済を潤すことになる。
 この計画を見直し、民主党らしく化粧直しをした企画書のレクチャーを受けた菅直人副総理・財務相は「これが乗数効果というものか。ようやくわかった」と蒙を啓かれたとのことだ。
 小沢一郎幹事長が地方に道路整備を促すのは単に選挙対策ばかりではない。日本の経済成長のエンジンとなるからである。都市部においても、環状道路をさらに整備することで混雑を解消させれば、地球温暖化防止の二酸化炭素排出削減の効果がある。経済成長しつつ、地球環境も守る。これこそ民主党らしい成長戦略だと言えるだろう。
 事業仕分けという名の人民裁判、子ども手当埋め合わせの増税、規律なき赤字国債の積み上げ、政治資金疑惑の曖昧化、普天間飛行場の固定化、高校無料化による格差の拡大、郵政国営化で財投復活、そして道路拡大による経済成長。短期間で大きな成果を上げてきた民主党は、4月1日を契機にさらなる変貌を遂げることだろう。

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