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2010.03.14

[書評]IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実(村上宣寛)

 知能とは何か。それは人種間で差があるのか。この問題について、米国ではチャールズ・マリー(Charles Murray)氏の1994年の共著「Bell Curve: Intelligence and Class Structure in American Life」(参照)および2008年の単著の「Real Education: Four Simple Truths for Bringing America's Schools Back to Reality」(参照)が社会的な話題になった。私はどちらも読んでいないが、その話題については米国の社会的話題として報道などから知識を得てずっと気になっている。関心事の焦点は、人種間の差異というより、知能を社会的に論じるというのはどういうことのなかという点だ。

cover
IQってホントは
何なんだ?
知能をめぐる
神話と真実
村上宣寛
 マリー氏のこれらの著作は日本では翻訳されそうにない。米国社会の問題だということもあるし、その根幹となる知能についての考えが日本社会ではそもそも受け入れがたいか、読まれる以前に妄説として反発を受けかねないというのもあるだろう。
 この点について、村上宣寛氏の「IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実」(参照)は示唆深いものだった。特にこの点については、イアン・ディアリ「1冊でわかる知能」(参照)の訳者・繁桝算男氏のあとがきを例として、間違いとは言えないが知能研究について否定的な言及したことに関連して、次のように日本の知能研究の状況について村上氏は述べている。

 実は、日本の心理学者は文科系に偏っていて、知能テストや心理テストに嫌悪感を抱く人が多い。知能指数(一般知能g)は差別であると発言しておけば、日本では居心地が良い。それで、繁桝のようなあとがきが生まれる。批判は結構だが、日本では知能を研究している心理学者がほとんどいない。新しい知能理論を研究している人もいない。結局、負け犬の遠吠えの印象しかない。

 そう言えるのか。同書を読めば、そう言っても概ねよいことがわかる。知能研究自体が日本に少ないように見えることもだが、知能研究として日本語で読める著作も少ない。
 村上氏は同書で、知能研究の背景史を簡素にまとめたあと、現代の知能研究の中心的な話題となる、スピアマン(Charles Spearman)氏による一般知能因子または一般知能g(General intelligence factor)の概念を紹介している。多元的に見える各種の知的能力の行使の基礎に、知能そのものを特徴付ける因子gがあるという考えかたである。つまり、「一般知能gは知的なすべての課題に影響する因子で、特殊知能sは課題ごとに異なる特殊な因子である」ということだ。これがいわゆる知能検査の知能を暗黙に指している。
 スピアマンはgとsが実在すると仮定し、知能をこの2つの因子でからなると主張した(実際には1因子で足りるようだが)。方法論としては、これらの因子を数学的モデルとして因子分析法に依った。
 この因子分析法を完成させたうえで、多因子を最初に採ったのがサーストン(Louis Leon Thurstone)氏で、彼は、知能を構成する7因子を提示した。言語理解力(V: verbal comprehensyon)、語の流暢性(W: word fluency)、数能力(N: number)、空間能力(S: space)、連想記憶力(M: memory)、知覚速度(P: perception)、機能的推理(R: reasoning)である。村上の書籍からははっきりとはわからないが、サーストンはgの存在については否定的であったようだ。
 日本では「矢田部ギルフォード性格検査」で比較的よく知られているギルフォード(Joy Paul Guilford)氏もサーストン氏とは異なる方法論から多因子説を採った。彼は知能を、領域(Contents)、所産(Products)、操作(Operations)の三次元で考え、それらを各下位の因子に分類し、その総計として120から150の知能因子を想定した。しかし、村上氏によれば、この説は他の学者からは十分に確認されていないらしい。また日本では心理学教科書としては知能の議論はこのギルフォード止まりになっているらしい。

 知能の章がある教科書でも、ギルファドまでの知能理論しか扱っていない。ギルファドまでなら、30年以上前の教科書のほうがずっと詳しい。執筆者が不勉強で、新しい知能理論を知らないからである。


 新しい知能理論について、日本語でのまとまった紹介は、この本が初めてだろう。では、誰も知らない世界を案内することにしよう。

 と、村上氏はユーモアをもってその後の主要説をまとめている。焦点が当てられているのは、「キャテル-ホーン-キャロルの知能理論(CHC)」、(Howard Gardner)による多重知能理論、スタンバーグ(Robert Sternberg)の三頭理論である。村上氏は、CHCを評価しつつ、スタンバーグの三頭理論に実践的な観点から関心を持っているようだが、書籍の説明として面白いのはガードナー説についてである。

 筆者が驚いたのは、その実証手続のずさんさである。例えば、プロジェクト・スペクトラムでは、1987~1988年に3~4歳児の七つの分野での活動を調べ、相関表を作成した。そして、恐竜ゲームとバスゲームだけが0.78の相関があったが、二つの音楽活動や二つの科学活動では、相関がゼロであった。このような結果から、多重知能理論が確認されたという。
 ところが、サンプルは比較的均一の白人の中・高所得層に限られている。このようにサンプルが均一の場合は、1世紀前のウィスラ博士論文が示したように、相関係数は小さくなる。しかも、ガードナーのサンプル数はたったの20名である。その他の研究でも最大で42名である。とても結果を一般化できない。

 そうなってしまったのはガードナー氏の主張が暗黙裡に研究に先行しているからかもしれない。

 ガードナーは一般知能gの存在を認めようとしない。マスコミや教育関係者には、知能が1次元的ではないという主張が心地よく響く。序列化の必要がなく、各自の個性が尊重できるからである。しかし、gは統計的に分離可能で、かなりの影響力がある。ガードナーの多重知能理論は「科学的な心理学から離れたところ」にあるというディアリの意見に賛成である。

 別の視点からうがった見方をすると、一般知能gの存在を否定したいがタメの理論として科学を装っているのかもしれない。そこまで中心的な話題でもあるgだが、存在するのだろうか。

 ガードナーの理論は、サーストンの、一般知能gだけでは人間の知能の複雑さを説明できないという初期の主張に、新しい装いを加えただけである。gの存在については、多くの証拠があるので、否定できない。

 gは存在するかのようにガードナー批判の文脈で語られているが、同書全体としてはgについて村上氏が明確な主張をしているわけではない。おそらく次のようなCHC理論についての説明にそれが垣間見られる。

また、一般知能gの取扱い方はホーンとキャロルで違う。ホーンはGfとGcの2因子を強調し、gを重視しなかった。一方、キャロルはgを最上位因子と位置付けた。gは統計的には抽出可能である。しかし、そのgが何を意味するのか、依然として論争中である。

 疫学などで疾病の要因がその統計学的な方法論上措定できることを考えると、因子分析の結果としてgが抽出できるなら、gは存在すると見てよい、とするのが妥当だろう。だが、村上氏は、その抽出の妥当性までは認めつつも、その実在に立ち入ることは微妙に避けているように思われる。
 おそらくgが実在するなら、それは脳構造であり、遺伝的構造に依拠することになるというやっかいな議論の意味合いに立ち入りたくないか、あるいはそこにある違和感があるのかもしれない。ちなみに、チョムスキーは統計的に分離もできないUG(普遍文法)を実在として脳構造・遺伝子構造に置くにまったくためらわない。
 このこと、つまりgの実在性は、エントリの冒頭で触れた「Bell Curve」の問題にも関連するように私には思われる。
 村上氏の同書は、後半で「Bell Curve」の方法論と結論を厳しく批判している。しかも、それがいわゆるありがちなイデオロギー的な批判に堕しておらず、統計学からきちんと指摘されている点で、非常に貴重なものにもなっている。
 その部分の結語は次のようになっている。

 要するに、バーンスタインとマリは、遺伝率からIQは遺伝的に決定されると考え、そのIQは社会的地位や貧困の原因であり、白人と黒人のIQの差も遺伝によると考えた。どれが原因でどれが結果であるかは、回帰分析ではわからない。わかるはずがないのに、わかったかのように書いたのは問題であろう。また、説明率が誤差の範囲でも、本文中では、非常に大きな影響力があるかのようにグラフを示している。回帰分析ではなく共分散構造分析を使えば、モデルが成立しない場合も明らかになっただろう。

 おそらく村上氏の指摘は正しく、特に遺伝率からIQが遺伝的に決定できるかの議論は間違いであろう。この点は次のように補足されている。

・遺伝率は特定集団内での遺伝の影響力を、環境の影響力などと比較した数値である。いわば、相対的な数値である。つまり、環境要因などが定常状態であれば、環境の分散が少ないので遺伝率が高くなる。
・特定個人について、遺伝と環境の大きさを表す数値は存在しない。個人内では遺伝率は計算不能である。計算可能なのは、個人と個人の違いを数値化したもので、この場合、初めて遺伝率が計算できる。つまり、遺伝率は特定の個人内部での遺伝子の影響力を表す数値ではない。遺伝率が90%であっても、ある特定の個人のIQが遺伝で90%決まるのではない。そのような数値は存在しない。

 それで間違いはない。
 だが、関連して私が昔、言語能力についてチョムスキー理論を学んだときの彼の比喩が思い出される。落下という現象において摩擦の存在しない状態はない。現実の落下では摩擦が考慮されなければならない。しかし、落下の本質は摩擦を除外して定式化される、というものだ。
 加えて、量子力学におけるリチャード・P・ファインマン(Richard Phillips Feynman)の経路積分(Path integral formulation)の考え方が気になる。個々の素粒子の行動は、シュレーディンガー方程式からはわからない。ただ確率としてのみ示される。それはいったいどいうことかといえば、無数の経路を積分したのち、一つの素粒子のあり方として、確率として反照されたということだ。
 ここから先が詭弁のように聞こえるかもしれないし、イデオロギー的な主張をしたいわけではないが、gが存在するなら、個人のIQについては特定の素粒子の所作のようにわからないせよ、その総合した振る舞いは経路積分的に捉えることは可能なのではないだろうか。私は個別には「Bell Curve」の議論の正否はわからないし、それを判断する能力もない。だが、gが存在するということは、やややっかいな問題を必然的に残すようには思われる。

追記
 Howard GardnerとMartin Gardnerを混乱していたのでその部分を訂正した。

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コメント

買うまでもない本だと思い、立ち読みですませました。

いくつか問題があるとすれば、gの実在・非実在を示すテスト項目自体、研究者によって恣意的に決められていて、テストの妥当性が示されていなせん。
もう一つ言えば、ペーパーテストではない分野、例えばよく猿が高いところに吊り下げられたバナナを踏み台を使って取るという実験が知能の実例としてよく挙げられますが、では人間を対象にして、もっと高度だが同趣旨の実験を行った場合、成績を決める基準とは何かなど、数値化できないものがいくらでも出てきます。
村上氏は日本の知能研究には30年間進歩がなかったとの記述を読むと、逆に村上氏は心の哲学に関する著作を全く目を通していない、専門に閉じこもった蛸壺状態だったのかと、暗然たる思いになりますが。

投稿: F.Nakajima | 2010.03.16 21:36

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