本書「“不機嫌な”太陽 気候変動のもうひとつのシナリオ」(参照)は、いわゆる「スベンスマルク効果」として「地球温暖化懐疑論」の文脈で日本でも名前がしばしば取り上げられることもあった、ヘンリク・スヴェンスマルク(Henrik Svensmark)氏と、New Scientist誌の編集長やBBC科学番組の脚本なども担当したナイジェル・コールダー(Nigel Calder)氏の共著である。
私の知る範囲では、スヴェンスマルク氏の著作の邦訳は今回が初めてあり、スヴェンスマルク氏自身が自説をどのように考えているのかについて知る上で、第一次資料となるべき著作である。これを日本人も平易に読めるになったのは好ましいことだと思う。出版社も天文学や海洋学など自然科学書籍を専門に扱っている恒星社厚生閣(
参照)であり、翻訳も自然科学の背景を持つ翻訳者によってなされ、宇宙物理学者で著名な桜井邦朋氏の監修も入っていており、自然科学に関する一般的な翻訳書としてもよい仕上がりになっている。なお、オリジナルは「The Chilling Stars: A Cosmic View of Climate Change(Henrik Svensmark, Nigel Calder)(身も凍る星々:気候変動についての宇宙的な視点)」(
参照)であり、今回の邦訳書は2008年の追記も含まれている。
本書邦訳では、副題に「気候変動のもうひとつのシナリオ」とあり、またスヴェンスマルク氏も地球温暖化懐疑論者に扱われることもあることから、本書もいわゆる地球温暖化懐疑論の一種のようにのみ読まれる懸念はある。この問題はしかしそう簡単に割り切れるものではない。理由は、スヴェンスマルク氏の仮説は、それこそ本書を読めばわかるが、基礎部分は科学的な実験によって裏付けられつつあり、影響も多岐にわたり、かつ壮大なものであって、二酸化炭素による温暖化効果への異説はその部分に過ぎないからだ。本書は、地球温暖化懐疑論の文脈でも読まれうるだろうが、それだけには限定されない。気象科学としても興味深いし、関連する、エルサレム・ラカー物理学研究所所属の天体物理学者ニール・シャヴィヴ(Nir Shaviv)氏の仮説なども面白い。
いち読者として本書の私の感想を一言で言えば、「感動した」。科学というものの持つ、興奮と恍惚のセンス・オブ・ワンダーをサイエンス・フィクション以上に味わうことができた。それこそが、本書の共著にN・コールダーが入った理由でもある。彼はこう述べている。
できれば、政治のことは忘れて下さい。その代わり、次のことは忘れないでいただきたい。発見が行われるような最先端の領域では、そこで実際に起こっていることについては、科学者であっても、世間一般の人びとと同じように、正確には解らないということです。新しい発見が実際に予想外の驚きである時には、その発見は、既存の教育課程の範囲を超えているのです。したがって、教科書でも、また周囲にいる高度に教育を受けた人でも、それらの専門家の専門知識を超越してしまっている知識など、持ち合わせていないのです。このような場合には往々にして、発見者は、学術上の手続きを省略して、その発見を一般社会に、できるだけ迅速に、しかも、できるだけ直接的に、知らせるのです。ガリレオ、ダーウィン、あるいはアインシュタインは、全てこうしたのです。彼らは、読者の知性に取り入ろうとすると共に、彼らを啓発したのです。この長く続いた伝統に従って、ヘンリク・スベンスマルクと私は、私たちが毎日見ている雲が、太陽と星々から由来する秩序に従っているというヘンリクの驚くべき認識を、平易な言葉で紹介しているだけなのです。読者が、科学者であろうとなかろうと、この議論を比較検討して、我々に賛成でも反対でも、それが自分自身の意見を持ってもらえれば、それで充分満足なのです。
冒頭私が「スベンスマルク効果」に「いわゆる」と限定を付けたのもこれに関連する。例えば、日本版ウィキペディアには同項目がありこう記されている(
参照)。なお、この項目が日本語版だけにあって、英語など他言語版に存在しないことも注意されたい。
スベンスマルク効果(スベンスマルクこうか)とは、宇宙空間から飛来する銀河宇宙線(GCR)が地球の雲の形成を誘起しているとの説である[1][2]。原理的には霧箱の仕組みを地球大気に当てはめたものであり、大気に入射した高エネルギー宇宙線は空気シャワー現象によりミュー粒子などの多量の二次粒子を生じさせ、その二次粒子を核として雲の形成が促進される効果を指す。それが温暖化の要因になっている可能性を主張する意見がある一方、その影響量が特筆すべき規模かどうかについては疑義が指摘されており[3]、IPCC第4次評価報告書でも証拠不十分として採用されていない[4]。また宇宙線の量と温暖化との相関性は信頼性の低い仮説に留まる[3]一方、近年は複数の研究によって否定的な結果が報告されている[5][6][7]。
複数の執筆者によるのか、話が錯綜しており、特に、「温暖化の要因」の説明には拙速感がある。
まず、「スベンスマルク効果(スベンスマルクこうか)とは、宇宙空間から飛来する銀河宇宙線(GCR)が地球の雲の形成を誘起しているとの説である」は概ね正しい。また、「原理的には霧箱の仕組みを地球大気に当てはめたものであり、大気に入射した高エネルギー宇宙線は空気シャワー現象によりミュー粒子などの多量の二次粒子を生じさせ、その二次粒子を核として雲の形成が促進される効果を指す」については、見方によっては誤解されやすいだろう。霧箱(Cloud Chamber)のダジャレのように誤解されるかもしれない。
霧箱はウィルソン霧箱(
参照)のことだ。現在では、中学校や高校で教えているだろうか。密閉したガラス(またはプラスッチク)箱の中にアルコールを入れドライアイスなど冷却材で内部を過飽和の状態にする。そこに放射線が入射されると、その通過によるイオン化でアルコール水蒸気が集まり液体化し目に見える霧になる。つまり、放射線の通過が霧の飛跡になる。ユーチューブなどにもいくつか実験映像がある(
参照・
参照)。
本書を読むと解説があるが、ウイルソン氏自身が雲と宇宙線の関係についての直感を持っていたようだ。
ウイルソンは、生まれ故郷のスコットランドで、山の頂上を流れる雲を眺めた時から、生涯にわたって雲の魅力に取り付かれていたので、ウイルソンの雲の実験が閃いたのである。彼がノーベル賞を受賞した素粒子の研究をしている間でさえも、気象学への最初の愛着を忘れていなかった。晩年に、ウイルソンは宇宙線が天気に関与しているに違いないと確信していたが、どうしてもそれを示すことはできなかったのである。彼のアイデアの1つに、宇宙線が稲妻に影響を及ぼしているというのがある。
スベンスマルク氏はこうしたウイルソン氏の晩年を知っていたわけでもないし、それが直接雲の生成に結びつくわけでもないことは理解していた。
全ての宇宙線が後に残す飛跡は、過飽和度の非常に高い空気の場合でさえ、薄くて中途半端なものなので、1日中ずっと数億トンほどにも達する水蒸気が凝縮して形成された雲ともは、比べられるものではない。
たまにスヴェンスマルク効果がバカバカしいとして否定する議論で、スヴェンスマルク自身が当初から否定していた話が含まれていることがあるが、邦訳書が出版された現在、稚拙な反論は無意味になるだろう。
では、スベェンスマルク効果とはなにか?
先に日本語ウィキペディアの「スベンスマルク効果」の項目に他言語の項目がないと指摘したが、これを英語でどういうのかはわからない。そのような用語は学術的には存在しないのではないだろうか。面白いことに日本語ウィキペディアにはスヴェンスマルク氏の項目がない。英語版ではHenrik Svensmark(
参照)があり、これを読むと、「スベンスマルク効果」は、しいて言えば、"the effects of cosmic rays on cloud formation"だろうか。これだと明確に、「雲形成における宇宙線の影響」となり、雲の形成についてのスヴェンスマルク仮説ということになる。地球温暖化と雲の関与については、当面の話題の射程からは離しておきたい。
雲はどのように形成されるのだろうか?
なぜそこにスヴェンスマルク仮説が提出されたのか?
この問題、本書4章の標題でもあるが、「雲の形成を呼び込む原因は何か」について、スヴェンスマルク仮説以前には、科学的な定説は存在していなかったと見てよさそうだ。そんなバカなと思うむきもあるかもしれないが、このことはスヴェンスマルク氏の文脈を離れ、独自にNASAが研究していたことからも明らかである。
おそらく常識的には、雲は気体の水蒸気が飽和し、微細な液体の水に変化して形成されると理解されているのではないだろうか。あるいは、その変化に核となる雲核が必要だとすることも常識としている人もいるだろう。雲核を核として雲粒が形成され雨粒となる、と。雲核についてはウィキペディアではこう説明されている(
参照)。
雲核になる微粒子は主に、陸上で舞い上がった砂埃(風塵)の粒子、火災の際に出る煙の粒子、火山の噴火で出る噴煙の粒子、細かい海水のしぶきが蒸発した際に残る塩分の粒子(海塩粒子)、人為的に出される排気ガスに含まれる粒子などで構成される。これら大気中に浮遊する微粒子はまとめてエアロゾル(エーロゾル)と呼ばれている。大気循環などによって攪拌されるため、地球上に広く分布しているが、場所により濃度の差がある。また、地上に近い大気ほど濃度が高い。
海洋などに生息するプランクトンが出すジメチルスルフィドも雲粒になりうるとされており、赤潮などのプランクトンの異常発生時には雲ができやすいとの研究もある。
また、宇宙線や太陽放射などに含まれる荷電粒子や電磁波が大気の気体分子をイオン化させ、イオン化した微粒子が雲核となるという説もある(スベンスマルク効果)。
ここでもスベンスマルク効果が登場しているが、どちらかという異説のように見える。
ウィキペディアの解説では、雲核は多様なものがありうるということで、むしろ、スヴェンスマルク仮説を必要としないかのようである。
本書でもそこはこう説明されている。
陸上の大気の雲形成領域における1リットルの空気には、様々な補給により、数百万個の雲凝縮核が含まれている。外洋上においても、典型的な場合、1リットル当たり10万個が存在する。このため、気象学者は、極微細粒子は常に大量に存在していると考えがちであり、したがって、宇宙線が雲の形成量を変化させることができるとは決して考えないのである。
しかし、科学を決めるのは実験であり観察である。この通説とされる説には暗黙の説明が含まれており、それが事実かどうかは、実験や観察で決定できる。ではどうだったのか。その研究は、スヴェンスマルク氏の仮説とは別にNASAで進行しており、その過程で、通説では説明不可能な現象を発見した。当然、科学者はこの現象を説明する仮説を提示した。その仮説の一つが、イオン・シーディング説であった。
NASAを中心として研究とスヴェンスマルク氏の仮説の関わりは、率直なところ私は本書からは読み取りづらい。私の理解では、スヴェンスマルク仮説は、このイオン・シーディング説をより詳細に、かつ実験的なプロセスとして提出したことだろうと理解している。
スヴェンスマルク氏は、宇宙線で生成されたイオン、つまり電子が雲形成における微細粒子のシード(種)となるかということを実験モデルで提出した。
クラスターの生成過程では電子が中心的な存在である。1つの酸素分子に1つの電子がくっつくだけで、その酸素分子が、水分子を引き付けるのに充分な強さになる。そのために、その酸素分子の周りに数個の水分子が集まって、そこに亜硫酸ガスが供給されると、硫酸を作り出す出発点となると同時に、その硫酸を蓄積できる場所となる。
これに対して、従来の説では、硫酸分子は紫外線の助けで成長し、それがゆっくりと集まるというものだった。
スヴェンスマルク仮説は実験的に検証できる。十分な実験結果がすでに出たとまでは公平に見ると言い難いが、概ね、この仮説については検証されたと見てよいだろう。
ただしこの実験検証は、いわばin vitro、あくまで実験室でそうしたプロセスが実証されたということであって、実際の雲がそのように形成されたかということの検証にはなっていない。また、媒介的な役割として硫酸が最適だとしても、他の雲核も存在する。地球全体の雲の形成を考えるなら、それらの多種の雲核がどの程度雲形成に関わっているか、また雲形成の最大因子が宇宙線であると特定できるのかについても、この時点では評価しようがない。
そのため、ウィキペディアにあるように「それが温暖化の要因になっている可能性を主張する意見がある一方、その影響量が特筆すべき規模かどうかについては疑義が指摘されており[3]、IPCC第4次評価報告書でも証拠不十分として採用されていない[4]」とされるのは、概ね妥当なところだろう。IPCCとしては、スヴェンスマルク仮説が気候変動に影響するかについては、無視するのではなく、わからない、としていると私は理解している。
しかし、ウィキペディアの同項目、および「地球温暖化に対する懐疑論」(
参照)では、次のようにすでに否定されたかのような記述もある。
こうした宇宙線の変化が温暖化を引き起こしているのではないかとの仮説は、その後複数の研究結果によって否定されている。2008年4月にJ.E.Kristjanssonらにより、雲量の観測結果に宇宙線との関連性が見られないとの調査結果が発表され[19]、「これが重要だという証拠は何もない」としている[20]。A.Seppalaらは宇宙線の影響が極地方に限定され、全地球規模での影響も限られると指摘した[20]。さらに2009年2月にはCalogovicらにより、Forbush Decreaseと呼ばれる宇宙線の変化現象に対する雲量の応答を調べた結果「どのような緯度・高度においても、対応する雲量の変化は見られない」と報告されている[21]。
スヴェンスマルク氏からの反論の履歴が省略されていて、いかにも、2009年2月のCalogovicによって否定されているかのようだが、該当の「Sudden cosmic ray decreases: No change of global cloud cove」(
参照)の"Received 14 October 2009; accepted 4 January 2010; published 3 February 2010."の同時期に、同テーマでスヴェンスマルク氏は「Cosmic ray decreases affect atmospheric aerosols and clouds」(
参照)を"Received 31 March 2009; accepted 17 June 2009; published 1 August 2009."を出しており、議論の趨勢を見るにはまだ日が浅く、「その後複数の研究結果によって否定されている」とまでは公平には言い難い。とはいえ現状では、スヴェンスマルク氏からの強い反駁はまだ見られない。
温暖化懐疑論としてスヴェンスマルク説をどのように捉えるかは、N・コールダー氏が述べるように、「この議論を比較検討して、我々に賛成でも反対でも、それが自分自身の意見を持ってもらえれば」ということになるだろう。では私はどうかといえば、スヴェンスマルク説は、温暖化懐疑論としての評価はわからないが、とても興味深く、温暖化懐疑論だから全面的に否定するというのはあまり科学的な態度ではないかと考えている。また、温暖化問題に限定してなにが正しいかについては、監修者の桜井氏に共感している。
現在の太陽活動の動向をみつめながら、スベンスマルクとコールダーがこの訳書の8、9の両章でふれている地球変動の今後について、本書の読書となられた方々には、実際に身をもって検証していただけるはずである。現在、喧伝されている地球寄稿の温暖化の原因が、大気中への炭酸ガス(CO2)の蓄積によるものかについても、自らの経験を通して明らかにしていただけるはずである。
あと10年から20年すると、IPCCの主張の正否は現実的に確認できるはずなので、そこで大きな破綻があるなら、各種の懐疑論を再考してもよいだろうし、その時までスヴェンスマルク説が生き残っているかも興味深いところだ。